私は髪の毛を触られるのがあまり好きじゃない。って言うかむしろ嫌いだ。
ちゃんと整えなきゃならないのもまーわかるけど。
でも私は、ただの引き篭もりなわけでして。そんなことをする必要は、あまりないのだ。
つまりただのぼやきなのだ。
どーしよーもなく、解決しよーのない問題をどーにかこーにかしようとするぼやきなのだ。
つまり、
「あのさぁ……そろそろ止めてくれない?」
「でも、まだ全然ぼさぼさですよ?」
「いいからさあ、別に放っといたっていいじゃんか」
「だめですよ。妹様だって女の子なんですから」
「何その、え、私、そんなに女捨ててるみたいに見えるの?」
「ええ」
割とショックだった。
と、まあ咲夜は私の髪弄りを止めてくれない。
ベッドに腰掛けた私の後ろで、枝毛を探ったり、梳いてくれたり。
気に掛けてくれるのは嬉しいけどさ、でもさ、いい加減長いよ、って思っちゃったり。
咲夜がやって来てから、既に小一時間は過ぎてる。その間、咲夜はずっと私の髪を弄り倒しているのだ。
まーぼさぼさだったってのは認める。寝起きだったし、普段からあんまり梳いたりしてないし。そもそもそれで不都合ないし。どうせお風呂入れば真っ直ぐになるし。
そんな感じで放置気味だった私の髪の毛を咲夜は梳いてくれているのだ。
でもさー、でもさー、ぐらーん、ぐらーん、と頭を左右に振ってみる。
髪の毛が引っ張られた。
「ちょ、妹様じっとして下さい。髪の毛が抜けます!」
後ろから焦った声が聞こえた。
「だいじょーぶだって。吸血鬼の毛根舐めんなよー」
「言葉遣いが悪いです」
「いーじゃん、どうせうちから出らんないんだし」
「……出られるように言ってあげましょうか?」
「いーよ、別に。ここだってそれなりに気に入ってるよ、私」
咲夜が髪の毛弄ってこなきゃね。くすぐったいし。
「咲夜ぁ、私、髪の毛触られんの、あんま好きじゃないんだけど」
「知ってますわ」
嫌がらせか。
「もうさぁ、私、読書とかしたいなー、なーんて」
苦し紛れの一言。そっと顔を傾けて後ろを見てみると、咲夜は結構真剣な顔して私の髪の毛を梳いていてくれた。
真面目に私の髪の毛を梳いていてくれた。
それは、真面目に私に向き合ってるってことだ。
でも嫌なものは嫌。
「もう少し。もう少しですからねー」
「さっきからそればっかりじゃーん」
「もう終わりますって、ほら」
ひゅぱ、と櫛をくるくる回す。完了。
髪の毛がさらさらになった。うー、別にいいのになあ、ここまでしてもらわなくても。どうせ部屋から出ない引き篭もりだしぃ。
ちょっと出る時だって、ここまでしないよ、私。
次の瞬間、咲夜は私の前に立っていた。ぺこりとお辞儀。
「それでは妹様、失礼します」
出て行こうとする。
扉に手を掛け、こっちを向いてくる。どうにも何か期待しているように見えてしまうのは気のせいか?
「……あ、え……と」
けれど私は何も言うことが出来ず、口をぱくぱくさせて、結局本に顔を落とした。パチュリーがしているみたいに本に埋めた。
咲夜はどんな顔をしただろう?
わからない。
わからないのは不安になる。
どう言う顔をしていたんだろう?
ばたん、と扉が閉められる音。
顔を上げて、扉の方を見ながら、そっと溜息。
私は小さく呟いた。
「ばーか……」
それはどちらに言ったのか。咲夜なのか、私に対してなのか。
髪の毛触られるの、嫌いだってのにさ。
さらさらになった前髪を、指先でくるくる回した。
二日後くらいに咲夜はやってきた。
また私の髪の毛を触りにだ。
殆ど周期的に咲夜はやってくる。
で、私の髪の毛を梳いてくるのだ。
ベッドの上で私は、とっさに起き上がる。逃げようと力を込めたところで、後ろに回った咲夜に主導権を握られた。
咲夜は私の肩を掴み、ふわりと座らせた。
吸血鬼の力だったら、多分逃げられると思うけど、でもそれをする気力さえも奪ってしまうのだ。咲夜は。
不思議だよ。
ぜったいおかしい。吸血鬼じゃないの、こいつ。なんて思ってしまう。
「さ、それでは」
「あのさ……また来たの?」
「はい」
「疲れない? 私の髪を触ってるだけなんて」
「いえいえ、とても楽しいですよ」
「そうなの?」
「はい」
にっこりと嬉しそうに微笑んだのが、後ろを見なくてもわかった。
わかってしまったから、私は抵抗する気を失ってしまった。
咲夜の笑顔は不思議だ。
私の抵抗を奪うし、おとなしくさせてしまう。ぜったいおかしい。咲夜なんて、時を操れるだけの普通の人間なのに。
「咲夜ってぜったい吸血鬼かなんかでしょ」
「いえいえ、私は普通のメイドですわ」
「普通のメイドってなによ?」
「普遍的なメイドと言う意味です。ちなみに私はメイド長」
「どこが普通のメイドなのよ」
咲夜は微笑んで、するりと私の、読書の邪魔になるからつけていたヘアバンドを外した。ばさりと髪の毛が落ちてくる。
そっと私の髪の毛に櫛を入れた。
うーあ、だからこの感触がさぁ……、その、なんか、なんかさぁ……好きじゃないのに。
なのに咲夜は入れてくるんだ。
嫌がらせか。
すっす、と滑らかな指の動き。
あー、あー、もう、くすぐったいのに!
「咲夜、くすぐったいよー」
ふるふると肩を震わせながら言う。
咲夜はくすくすと笑った。
「じっとしていてくださいね」
なんて言って笑った。
だから、じっとなんてできないってのになぁ……。
咲夜に髪を梳かれるってのは、なんか、くすぐったくてむずかゆくなる。くすぐったくて、でも笑いたくなるほどじゃなくて、だから、こしょばいの。
ぷつ、と枝毛を解す音。
狭くて音の少ない部屋で、息遣いだけが聞こえてきて、耳もくすぐったくなる。
もー、なんでこゆことするのさ。
「こんなことしてたってつまんないでしょー。自分の仕事に戻りなよ」
「いえいえ面白いですよ」
「えー、うそだー。ってかそろそろ本読みたい」
「嘘じゃないですよ。それよりも、本ばっかり読んでると、いろいろと偏りますよ」
「いいよ。……だって、私、本読んでるしかないからさー」
「おや、それじゃあ頭でっかちになりますわ」
「いいよ。私の目標はパチュリーになったから。お姉様はいつか殴る」
外に出してくれないし。たまに出してくれたとしてもお姉様同行だ。保護者同行でしか外に出れない495歳ってなんだよそれ。なんか恥ずかしいじゃん。私はペットの散歩と一緒かってーの!
そんな恥ずかしいことにしたお姉様はいつか殴る。
そんで一人で外に出るんだ。
咲夜は苦笑する。
「そんなこと言って、お嬢様に嫌われても知りませんよ」
「いーよ、私を犬扱いするお姉様なんてきらいだー!」
「い、犬ですか……?」
ぱたぱたと垂らした足を動かす。
「そーよ。私はまるで犬なのよー。お姉様と一緒でしか散歩もできないんだから」
「そんなこと言ってはいけませんよ」
「えー」
ぷぅっと頬っぺたを膨らませた。
咲夜は微笑んで私の髪を梳かした。
私は髪を弄られたりするのが嫌い。でも、今みたいなのは、悪くないのかもしれない。
適当に駄弁って。適当してるのがどこか楽しいのだ。
でもこしょばいのはかんべん。
「あのさ、咲夜ぁ……私が髪の毛弄られるの、嫌いだって知ってる?」
「ええ」
嫌がらせか。
二日後、咲夜は来なかった。
まあそんな日もあるかな、と私は寝転がって、枕に顔を埋めた。
さらに二日後、咲夜は来なかった。
なにかあったのかなぁ……、なんて思いながらベッドで寝返りを打った。
もう髪の毛ぼさぼさなんだけど、どーしたのかな?
もしかしてもう来ないのかな。
いや、それならそれでいーんだけど。でも、ほら、なんか、ほら、習慣崩されるのってきついじゃん。
うん、だからそう。
全然、待ってないの。
もう少ししたら慣れるから。
さらにもう二日後。
やっぱり咲夜は来なかった。
どうしたんだろーな……。今までこんなことなかったのになぁ……。
でも、清々したし。
髪の毛弄られないし。私は読書に集中できるし。ぼさぼさの髪の毛をヘアバンドで纏めて上げて、おでこ出して読書開始。ついでにお菓子も。戸棚から取り出し、サイドテーブルに乗っけて、準備完了。
寝転がって、ぺらりとページを捲った。
ごろんと寝返りを打った。
ページを捲った。
クッキーを食べた。
でも頭に入ってこなくて、全然集中できない。
あーもう!
はやく来いよ! 落ち着かないんだよ!
サイドテーブルに置いた櫛が目に入って、そっぽを向いた。
もう二日後。
来なかった。
一週間以上来なかったことなんて初めてだ。
私はどうしていいかわからなくて、ごろんとベッドに転がった。
湿気たクッキーを、おいしくないのに食べながら、天井を見た。
ここをぶちこわして進んだら、会えるかな? してもらえるかな、なんて考えて、ぶんぶん首を振った。
嫌いなんだってあーもう!
はやく来てよ!
ばたばたと足をばたつかせて、ごろごろ転がる。
スカートが翻ったって関係ないんだ。
さらに二日後。
もう来ないかな……、なんて思った。私が嫌いって言ったの、覚えてくれたのかな? でもさ、ほ、ほら、習慣だったんだよ。崩されるのってつらいじゃん。だからさ、来ないかな? もう全然梳いてもらって?
いやだから嫌いなんだけど、髪の毛弄られんの。
でもさ、でもさー。
もう。
ぶちこわしちゃおっか。
いや、だめだよ。ほんと、それじゃあ、さらに来なくなるじゃん。あ、いや、来るかもしれない。でも、危険物認定されちゃったら、もう来なくなるかもしれない。
あー、あー! もう! ほんと、早く来てよ!
そう思ったとき、丁度良くノブが回り。
そして懐かしい(たった一週間とちょっとなのに!)声が聞こえた。
私は跳ね起きた。
「失礼しま……っと」
跳ね起きて、乱れた寝巻きのまんまで咲夜に突進した。避けられた。
壁に当たって、私は転がった。さすが私の部屋の前の壁。ちょっとやそっとの攻撃じゃびくともしないわ。
「妹様、危ないですよ?」
「うん、ごめん」
私は視界が反対のままで答える。
そこにはいつもの咲夜がいて、首を傾げて微笑んでいた。私はどうしようもなく、なんとなくその笑顔にむかついて、腕の力で跳ね飛んで、咲夜に向かってキックした。
簡単に時を止めて避けられた。私は部屋に転がった。
いたい。
「今日の妹様は元気一杯ですね」
「誰のせいよ!」
「はて?」
なんてとぼけた顔で咲夜は言う。
「心当たりが……」
「あってよ!」
と、仰向けになって、ごろごろ転がって見せた。咲夜は動かない。
ぴたっと止まって、目を腕で覆った。
あー、もう、なんで来るのさ。
今さら。
来るんだったら、一回くらい当たってよ。でなきゃどこにぶつけろってんだよこの気持ち。ぶつけたら咲夜死ぬけど。でもぶつかって欲しかったよ。でも死んじゃや。
小さく呟いた。
ぜったに聞こえないように言った。
「……もう来ないかと思った」
なのにさあ、耳ざとく反応しないでよ。
「いや、こないだ嫌いだと仰っていたじゃありませんか」
「そうだけど……」
「だからちょっと時間を空けようかと」
「あー」
なんだよそれ。
今までそれなりに嫌がってみても来てたのにさ。それってなんだよ。あーもー。知るかこんなん。なんだよ。
咲夜が私の腕を触って、そっと退けた。私は即座に顔を背ける。覗いてくる。背ける。
くっそ。
もうさあ……なんなの?
私は顔を背けたまま、ベッドに座って、俯いたまま、私の後ろをぽんぽんって叩いた。
にっこりと笑った気配がした。
私は咲夜の顔を見られない。
そっと、咲夜は私の髪の毛に櫛を通した。久しぶりの感触。くすぐったい。
「まったく、ぼさぼさじゃないですか。どんだけ放置してたんですか」
髪を梳いてもらいながら、私は聞く。
小さく、搾り出した声で。
「咲夜は、さ」
「はい?」
「私の髪の毛触るの、好きなの?」
「ええ」
「どうして?」
「だって、こんなに柔らかくて、まるで目玉焼きの黄身みたいですわ」
「なによその表現」
「はて?」
なんてとぼけながら、咲夜は私の髪の毛を梳いていく。ゆっくり、丁寧に。
その度に、私はくすぐったい感触を味わうことになる。
久しぶり。
ほんとに。
ああ、くそ。だからさ。
「あのさ」
「はい」
「私さ、髪の毛触られるの、や」
「……やめませんよ?」
うん。
「あのさ、でもさ、私、咲夜にやられるの、あんまね、やじゃないかも」
そう言うと、少しだけびっくりしたような気配が伝わってきた。
ちらっと、後ろを見ると、咲夜が柔らかく微笑んでいた。
今日くらいは、いつもよりも、もっと時間が掛かっても、いいかもしれない。
そんなことを思った。
了
焦らしたほうがってw 咲夜のSはサドのS~