生茂る木々を下に見ながら、山を下るように飛んでいく。まだ日が昇って程ないが、天狗の朝は早い。
「文さんじゃないですか」
ここ何十年か、毎日聞いている声がする。スピードを落とすと声の主のそばへ行って、近くの木の丈夫そうな枝を選んで着地する。
「なによ、椛」
「いえ、何も」
愛想という言葉を知らないかのような棒読み、まあ予想通りだ。
……毎日、同じやり取りを繰り返しているのだから当たり前なのだが。
「またネタ探しですか?誰も読まない新聞なんて書いてどうするんです」
「そんなことはないわ。ちゃんと購読者はいるわよ」
いつも通りの答えでも、新聞の悪口を言われて言い返さないわけにはいかない。
「本当ですか?あんな面白くない新聞、読む人がいるとは思えませんけど」
「面白くなくていいわ。他の天狗みたいにでたらめ新聞を作る気はないの。あんなのは新聞じゃないわ」
毎日言い争ううちにいつの間にか定型化してしまったなんでもないやりとり。
あとは、椛が適当に返事をして終わるはずだ。
「じゃ、私急いでるから」
今日はどこに行こうか。
そんなことを考えて飛ぼうとしていると不意に後ろから、
「文さんの新聞もでたらめのくせに」
なにか聞こえてきた。
「え?」
まったく予想していなかった呟きに、思わず声が出る。飛ぼうとした体を無理に止めたので、一瞬バランスを失いそうになるが姿勢を保つ。
「実は一昨日、はたてさんに会いました。彼女、文さんの弟子らしいですね。文さん、“新聞は真実を伝えるためのもの”なんて言ってるんですか?そんなの無理ですよ。文さんだって分かっているでしょうが。勝手に自分の妄想を信じるのは結構ですけど、他人を巻き込むのは感心しませんね」
椛は畳み掛けるように言うと、威圧感のある目でこちらを睨む。
「すぐに訂正してください。あなたはまだ若い記者をつぶす気ですか」
ここまで言われて黙っているわけにはいかない。でも、
「……い、急いでるって言ったでしょ!」
私は何も言えず、ただ逃げるようにその場から飛び去った。
“新聞に真実を書くことはできない”
この前の花の異変の時に閻魔様にも指摘されたことだった。
人から聞いたことにはたいてい尾ひれがついているものだし、自分の目で見たことであっても言葉に変換して書くという動作を通す限り、必ず真実から歪んでしまう。
中途半端な事実はいたずらに混乱を招くだけ。……ならばいっそ書かないほうがいい。
正しいとは言わないが、これを否定することはできなかった。
「……はぁ。どうすればいのかしらね」
これが最近私を悩ましている一番の問題だった。
***
「……特にネタになるようなこともないし、今日はもう帰ろうかしら。ちょうどあの面倒な白狼天狗もいないみたいだし」
今朝は結局逃げ出してしまったし、次にあったら何をいわれるかたまったものじゃない。
私は新聞で真実を伝えたい。でも、そんなことができるわけないことだって知っている。それでも、自分の信念は曲げたくないものだ。
考えれば考えるほど自分の信じていたものを崩されるような気がして、考えることが怖かった。
だから帰りに椛に会わないのはうれしいことだった。どうせ明日会うのだろうから、気休めに過ぎないのだが。
「あら?家の前に誰かいるみたいね」
さすがにあの白狼天狗も家までは来ないだろうが……じゃあいったいだれがわざわざ?
などと思いつつ、家まで飛んでいくと、
「あっー!文やっと帰ってきた!どれだけ待ったと思ってんのよー」
驚くほど気の抜けた声がする。
小さくため息をついて、かわいい後輩の前に降りると、
「敬語ぐらい使えないのかしら?はたて」
ぺしり。軽く頭をたたいてやる。
「えへへー。すみません。そんなことより今日はちょっと相談があるんですよ」
「そんなことって、敬語が使えることは取材の基本よ?それに、あなたは私が忙しいかもしれないとか考えないのかしら」
「いやー、文さんならかわいい弟子の相談を断るわけがないと信じてますから」
「自分でかわいいとか言わないの」
ぺしり。もう一発たたいてやる。実際かわいいから余計に腹が立つ。
「……まあいいわ。あがりなさい。お茶ぐらいなら出してあげるわよ」
「やっぱり文さんは優しいですね。それじゃお邪魔しまーす」
二人分の湯飲みを用意して居間に戻ると、早速はたてがくつろいでいた。
「やっと来たー。遅いですよ文さーん」
勝手に家に押しかけて、お茶入れるのが遅いだと?よくもぬけぬけと言えるものねぇ。ま、それがこの子らしさだし、別にいいのだけれど。
「それで、相談って何かしら?」
***
「実は新聞とは関係ないことなんですけど……」
そういってはたては切り出した。
「一昨日…でしたっけ。山を飛んでたら白狼天狗の方と出会ったんです。ほらあの…文さんとよく話してる………そう!椛さん!」
何か嫌な予感がする。
「それで椛さんとしばらく話したんですけど私が文さんの弟子だって言ったら、椛さん急に顔をしかめて『文さんなんかで本当に大丈夫?』なんて聞いてきたんですよ。なんだか文さんをバカにされたように聞こえて腹が立ったから『文さんは真実だけを新聞に書いているんです。私はあの人を心から尊敬してますよ!』って言い返してやったら椛さん、怒っちゃったみたいでどこかに行っちゃったんです。それで椛さんとよく話してる文さんなら怒った理由もわかるんじゃないかなって。ほら、やっぱりこのままだと気分悪いし仲直りしたいじゃないですか。ってあれ、文さん?ちゃんと聞いてます?」
「ん?……ああ。大丈夫全部聞いてたわ。ちょっと待ってくれるかしら?」
なるほど、今朝椛が言っていたことか。解決策はすべてをはたてに打ち明けることだろう。
でもそうなると……。
はたては素直な子だ。真実を記すということが不可能だと知ったらショックを受けるだろう
。それでも伝えなければいけないことなのか。
……いや、だからこそ。自分の考えを信じ続けて、都合の悪いことには目をつむる。そんなことで新聞なんてかけるものか。
私はわかっていたはずだ。いつかはこの問題と向き合わなければならなかったのだ。いつまでも妄想にしがみついているわけにもいかない。
いい機会かもしれない。私はやっと事実と向き合う覚悟を決めた。
***
「ちょっと待ってくれるかしら?」
そういって文さんは黙り込んでしまった。
真剣に考え事をしているみたいで、話しかけちゃいけないような雰囲気がある。
軽い気持ちで頼んだ相談だったんだけど、あたしは大変なことを言っちゃったのかな。
椛さんと文さんの間になにかあったんだろうか。もしかしたら、あたしが入るようなことじゃないのかもしれない。
だから文さんはあたしに言うべきかこんなに悩んでるんだ、……と思う。
どれくらいたったのか。そろそろ待ち、思考を巡らすことにつかれてきたころ、
「はたて、ちょっと聞いてほしいことがあるの……」
考え終わったらしい文さんが話しかけてきた。真剣な顔は変わらない。
「この話は、あなたの今までの考え方を底からひっくり返すものかもしれないの。少なくとも、これからの記者生活にかかわると思うわ。それでもいいかしら?」
あたしの記者生活に?それならなおさら知りたいに決まってる。
「はい。お願いします」
「……そう。わかったわ。なら、全部説明しましょう。どこから話しましょうか……。まずは今朝に椛にいわれたことからかしらね。」
一瞬、文さんの表情が暗くなった気がした――
それから文さんはあたしにいろんなことを話してくれた。
椛さんとの会話、閻魔様に言われたこと、一度聞いただけじゃ頭が追い付かないくらいたくさんの事。その中でもひときわ強く残る言葉。
「新聞に真実を書くことはできないのよ」
信じられなくて、信じたくなくて、
「新聞は、真実を伝えるためのもの。そうですよね?」
肯定の返事など、返ってくるはずはないことはわかっていても、聞かずにいられなかった。
文さんは首をゆっくりと小さく、でも確かに横に振る。
自分の中の『何か』が壊れていく音を聞いた。
「できないのよ。残念だけどね。真実を伝えようとする気持ちは大切だけれど、それが実現しないことも知っておくべきだわ」
「じゃあ、どうすればいいんですか!」
あたしは叫ぶ。この不安な気持ちを治めてほしい。
文さんはさっきからずっと目を伏せ下を向いている。
「今まで真実は新聞で伝えられるものだと、それが記者の使命だと文さんに教えられて、それを信じてきました。でもそれが無理だというなら、あたしは!あたしはいったい何のために新聞を書いてるんですか!?」
「それくらい、自分で考えなさい」
そういった文さんの声は震えていた。無理やり感情を押し殺したような、そんな声。
「これは人に教えてもらうことじゃないのよ。気付かせてもらっただけでも感謝するべきなの。そもそも、私も人に説明できるほど確かな答えを持っているわけじゃないわ」
なんだか文さんらしくない。文さんが大切なところで厳しいのは知っている。
それでもこんな言い方はしない。……あれ?
「あの、文さんもしかして」
「言わないで」
震えているのは声だけじゃない。何かをこらえるように、全身を小さく震わしている。
「……なにをしているの。あなたも記者なら、はやく帰って答えを考えてきなさい。ほら、早く!」
不安なのはあたしだけじゃない。文さんも答えを持ってないって言った。
それなら文さんだって信じてたものをなくして不安になっているはずじゃないか。
「わかりました。相談に乗ってくださってありがとうございます。それでは」
結局あたしは文さんの受け売りだけで自分で考えることなんてしてこなかった。そんなあたしと文さん、どちらのショックが大きいかなんて考えるまでもない。
あたしは文さんの家を出る。日はすっかり落ちて、外は真っ暗だった。
想像だけど、文さんだって泣きたかったんじゃないだろうか。
でもあたしのためにそれをこらえて、最後まであたしの強い先輩でいようとしてくれたんだ。
あたしはその気持ちに応えないといけない。
そんなことを考えながらあたしは自分の家に帰った。
***
がちゃり。
ドアの閉まる音。
やっと帰ったか。もう取り繕う必要はない。
安心すると力が抜けて、自然と笑みがこぼれた。
今まで逃げ続けて、今日やっと向き合おうと決心した。
でも、これから私は何をする?結局、この妄想にしがみついて離れるこのなど出来はしないのだ。
所詮、口ばっかりのでたらめ記者か。
ああ、あの白狼天狗に、閻魔様に、そして、私のかわいい後輩に謝らないとなぁ。
ごめんなさい、私は嘘吐きだ。
………眠い
今は 何もかも忘れて
この 目を閉じたときの快楽に浸っていよう
おやすみなさい――
***
「ん……?もう朝か…」
大きく伸びをする。
体に染みついた癖というのは恐ろしいもので、毎日必ずこれぐらいの時間には目が覚める。
まだ眠かったが、二度寝をする気も起きなかったのでベッドから降りる。
簡単な朝食をとり、いつもの取材用の服を取ろうとして手が止まる。
今日はネタを探しに行く気が起きなかった。
昨日のことで記者としての自信を失くしたといえばそうかもしれない。
でも、それより外に出てあの白狼天狗に会いたくないというのが大きかった。
そんなわけで今日は家から出る気はないのだが、さすがに寝巻のままはまずいので普段着に着替える。
しかし、問題が一つある。
「……さて、何をしようかしら」
自分で言うのもあれだが私はじっとしていられない性格だ。
今までたいていの日は一日中外を飛び回っていたし、家にいるときだって新聞の記事について考えていた。
特にやることもなく、しかも一日中家にこもるなんてこと今日が初めてだった。
「………何をしようかしら」
誰に言うでもなく、もう一度呟いた。
***
あたしはまだ悩んでいた。
一日で答えを出せるような簡単なことじゃないってことはわかっていたけど、できるだけ早く答えを見つけ出したい。
自分の心のもやもやを晴らすために、そして文さんのために。
まあずっと家にいるのもどうかと思うので気分転換に今は外に出ている。
「う~ん。やっぱり朝は気持ちいいなぁ」
思いっきり伸びをして息を吸い込む。
まだ少し寝ぼけてた頭が完全に覚める。
何か面白いものでもないかと思ってあたりを見渡してみると、
「ん……?あの人は確か…」
少し行ったところに人影を見つけた。あたしは声をかける。
「おはようございます!椛さん」
「ん?ああ、おはようございます。はたてさんでしたっけ」
ちゃんとあいさつ返してくれた。
もう怒ってないみたい?まあ一応謝っておいたほうがいいのかな。
「この前はすみませんでした」
「あれ、なんであなたが謝るんですか?」
「いや、この前文さんについて話したら怒らしちゃったみたいだったんで」
椛さんはしばらく考えた後、ああ。と納得したような素振りを見せて、
「こちらこそすみませんでした。なんだか誤解を与えてしまったようですね」
笑顔で返してくれた。
怒ってたんじゃないならなんだったんだろうか。
「気になりますか?教えてもいいですが、あまりあなたにとって気分のいい話ではないと思いますよ」
あたしじゃないなら文さんが原因なのかな。
昨日の文さんの話を思えばなんとなくわかる気もするけど…。
「まあ隠しても仕方ないことですから、話しましょうか。そのほうがあなたの気もすむでしょうし。……この話を人に言うのは初めてですから少しわかりにくいかもしれませんが」
椛さんはゆっくり話し始めた。
***
――私が文さんと最初に会ったのは文さんが私に取材に来た時でした。
そのときは鴉天狗による白狼天狗の差別がひどい時でしたから、取材が来たとき『ああ、私は笑いものにされるのか』って思いましたよ。それでも、鴉天狗は我々白狼天狗の上司にあたりますからね。たとえ嫌でも頼みを断るなんてできませんよ。
その後で、取材に協力してくれたってことで私の記事の乗った新聞をもらったんですけどね。
まあ当時は、今でもですが、大概の白狼天狗はみんな鴉天狗のことが嫌いでしたし、自分の記事が載った新聞なんて読む気は起きなかったんです。
えー、どこまで話しましたっけ。
あー、そうそう、そうでした。
当時から妖怪の山に侵入しようなんて輩はほとんどいませんでした。まあつまり哨戒天狗ってのは基本暇だったわけです。
そうなると必然的に娯楽が必要なわけで、仲間の哨戒天狗や、ちょっと山を下ったところにいる河童やらと将棋を指すとかして時間をつぶしてたんですけどね……。
わかると思いますが、さすがに飽きます。
そこで思いついたのが貰った文さんの新聞でした。
それまでに何回か暇潰しとして新聞を読んだことはありましたが、どれも嘘ばかり。
でたらめの内容でとても読めたものじゃありませんでした。
だから、文さんの新聞にもたいして期待はしてなかったんですが…。
読んだときびっくりしましたよ、ええ。
私の言ったことがそのまま、ちゃんと記事になっていたんですから。
鴉天狗の中にもまともなのがいるのか。
そう思って、もう一度、文さんと話してみることにしたんです。
文さんの新聞は同族の皆さんには受けが悪かったようで、新聞を気に入ったと言ったらすごく喜んでくれました。
話してわかったことですが、あの方はすごいですね。
新聞に対する姿勢は尊敬するべきで、しかもその姿勢をずっと変えていない。本当にすごい方だと思います。
気付けば、彼女と話すことが私の毎日の楽しみになっていました。
……でも、文さんは私と比べて余りにも凄すぎたんです。
自分には到底追いつけないぐらいの能力を持ったひとを見たとき、私たちは何を思うのでしょうか?
……尊敬する、ですか。素直な人はそうでしょうね。
でも私は違いました。私は文さんの才能に嫉妬してしまったんです。
鴉と白狼というどうしようもない種族の差も手伝ったのかもしれません。
そしてある日、私はとうとう文さんの新聞を何かの拍子で“つまらない”と言ってしまったんです。
なんででしょうね、そんなこと思ってるわけもなかったのに。
文さんは驚いたのかどうなのか、『そんなことないわ』と一言だけ言ってどこかに行ってしまいました。
それから何度も謝ろうとしました。
でも、この醜い感情は消せませんでした。そして、そのまま今に至ります。
あなたの様子じゃもう今の関係はあらかた知ってるようですから言いませんね。
ただ、確かなのはもう前のような関係には戻れないということだけですよ。
それからずっと平和な日々が流れていきました。
私と文さんは毎日のようにお互い悪口を言いあう。そんな関係にも慣れてきたころです。
あの花の異変が起きました。
そのとき、もちろん文さんも取材に出かけました。
60年に一度の大異変、絶好のネタですからね。
それはいいんですけど、ちょっと気になったことがあって…。
文さんが取材を終えて帰ってくるとき、文さんの表情が暗かったんです。
まるで、何か悩んでいるような。そんな感じのする表情でした。
本人は隠しているつもりみたいでしたが、私にはわかりました。
だって、文さんの顔は、いつか私が“つまらない”といった、その時の文さんの顔そのものだったんですから。
私は気になりました。
なぜ文さんはあんなに暗い顔をするのか、何をそんなに悩んでいるのか。
悩みを一人で抱えるのはつらい。
でもきっと私が聞いても文さんは答えてくれない。
そうして私がどうすればいいか悩んでいた時、あなたに会ったんです。
たとえ私には何も言ってくれなくても、弟子のあなたにならきっと話してくれるはず。
そう思って昨日、ちょっと文さんに鎌をかけさせてもらいました。
普段とは違って文さんの顔がゆがむのを見るのはつらかったですが、私にはそれぐらいしかできませんでした。
……後のことは、きっと文さんから聞いてるんじゃないですか?――
椛さんは話し終えると、最後に言った。
「私が話せるのはこれだけです。お願いです。あの異変の時、何があったんですか?文さんがあんなに苦しんでいる理由。もし文さんから何か聞いたなら、私に何が起きたのか教えてくれませんか?」
答えは、決まってる。
「はい、もちろんですよ」
椛さんは文さんのことを本当に想っている。
その気持ちが痛いほど伝わってきた。
***
あたしが話し終えるとしばらく椛さんは、うつむいていた。
椛さんは記者じゃないけど、この人ならわかってくれる。
そんな自信がなぜかあった。
「はたてさん、今すぐ文さんの家に行ってください」
顔を上げて椛さんが言う。なんだか焦っているようだった。
「えっ、もう昼ですよ?文さんは外に出てると思いますけど」
「今日は出てないんですよ。きっと家にいます。私はまだ、今日文さんを見てませんから」
「で、でも見てないからって外にいないって断言するのは早い気が。ほら、見逃したって可能性もありますし」
椛さんは残念そうに首を横に振る。
「そうであってくれればよかったのですが……。私に限ってそれはあり得ません。私は千里眼を持っているんです」
千里眼――千里先の物をも見通すといわれる力。
それほどのものを持っていれば文さんをとらえることも容易いのかもしれない。
「じゃあ……本当に………?」
「間違いありません。だから、はやく、行ってあげてください」
「椛さんも一緒に行きましょうよ」
「…私は行けません」
「……なんで?文さんのことが心配なんでしょ!?なんで来ないのよ!」
思わず敬語が外れる。もういい、構うもんか。
「私は行けません。はやく、行ってください」
答えになってない。
「私には、ここの見張りという仕事がありますから」
そんなこと。それこそ、千里眼を使えばいいじゃない。
「それに…………」
それに、なんなの。はっきり言いなさいよ。
「私なんかより、あなたのほうが適任です。私は文さんにとって新聞を否定する、“悪者”で、私自身からそうなってしまったんですから」
椛さんは、悲しそうに 笑った――
あれほど高ぶっていた気持ちが、自分でも驚くほど冷めていた。
なぜ気づかなかったんだろう。
椛さんだって、今すぐ文さんのもとへ行きたい気持ちは変わらないはずなのに。
「お願いです。行ってあげてください」
三度目の嘆願。断る理由なんて、どこにあるのだろう。
「わかりました」
椛さんが、安心したように小さくうなずいた。
***
「うぁー、た い く つ ね ー 」
この言葉を言うのは何度目だろうか。
そう考えて、考えるのも何度目だろうかと思い、面倒くさくなって、面倒くさくなったのも何度目かと思い、一周しそうなのでやめた。
……家に居続けるってこんなに暇だったのね。家にいるのはうんざりだったが、相変わらず外に出る気は起きなかった。
なんとなく外を見る。太陽がやっと南中を過ぎたあたりか。まだまだ一日は長いなと思うと、憂鬱な気分になる。
ああ、退屈だ。もう一度つぶやいて視線を外からはずす。
――いや、はずそうとした。
私の視線の先には今、一番見たくない姿がある。
はたてでも椛でも、ましてほかの天狗でもない。
緑の髪にやや小さめの体、そしてその姿に不釣り合いなほど立派な冠。
その姿を忘れるわけはない。
花の異変の取材に行ったとき、此岸の塚であった閻魔。
冥界の裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥがそこにいた。
なぜ?わざわざ冥界にいる閻魔様が何の用でここまで?
見たところ誰かを探しているようだけど…。誰を?私を。
きっとそうだ、あの生真面目な閻魔様は、私が教えを理解しているか確かめに来たんだ。
今の私を見て閻魔様はどういうだろう。
怒るだろうか、絶望するだろうか、それとも……。
考え始めると止まらない。気が付けば体が震えている。我ながら、情けない。
閻魔様が私を見つけないように。私はただそれだけを祈った。
***
木をよけながら、あたしは出せる最高速度で飛んでいく。
一刻も早く文さんのところに行かないと、取り返しのつかないことになるような気がした。
理由なんかないけど、あたしの勘がそう告げていた。
文さんはつよい。万が一でもそんなことにはならないだろう。
だけど、なぜかそう思えてならなかった。
まあ、あたしが一人で考えていても意味がない。早く文さんのとこ――
「きゃあ!」
危うく人にぶつかるところだった。なんとか避けたけど、結局隣の木にぶつかってしまった。
「いったー……」
こんなに早く飛ぶことってなかなかないから、このスピードにあまり慣れてなかったんだった。油断したなぁ。
「あの、大丈夫ですか?」
あたしがさっきぶつかりそうになった人が訪ねてくる。
よほど盛大なぶつかり方をしたらしい。ずいぶんと心配そうな顔をしている。
背はあまり高くない、というかむしろやや低いぐらいだが、引き締まった表情と緑の髪がきれいな人だなぁと思う。
頭には随分大きな冠をかぶっていて、誰が見ても妖怪の山には不釣り合いな容姿。
「はい、ありがとうございます。ところで、いったい誰でしょうか。山の警備をくぐってここまで来るのは大変だと思いますが」
いい人そうだけど、警戒は怠らない。部外者であることには変わりはない。
「ああ、自己紹介が遅れましたね。私は四季映姫と申します。普段は冥界で、霊を裁いているのですが、今日は人を探しにここまで来ました」
「霊を裁く…。もしかして、閻魔様でいらっしゃいますか?」
「ふむ、そう呼んだほうがわかりやすいかもしれませんね」
やっぱり。この人が文さんの悩みの原因だろうか。
じゃあ、探している人っていうのは……。嫌な予感が全身を襲う。
「見たところあなたは鴉天狗のようですね。なら、あなたに聞きます。射命丸文という鴉天狗がどこいるか、知っていますか」
何故、嫌な予感ほどあたってしまうのだろう。当たらなくていいのに。
拒否やごまかしを一切許さない。圧倒的な威圧感がそこにあった。
これが、閻魔様。あたしは恐怖に身がすくむのを感じた。
***
「………行ったわね」
思わず、安堵のため息が漏れる。
でも、逃げてるだけじゃ、駄目だ。
向き合うのが怖いからなんて理由では閻魔様は納得しない。
もし、今日私を見つけられなかったら、いつかもう一度この山に来るだろう。
それでも駄目だったならまた、何度でも来るかもしれない。
何にせよ、いずれ見つかるのだ。その時までに答えを考えておかないと。
「…ふふっ」
乾いた自嘲気味の笑いがでる。
考えようとして考えられるなら、苦労はしない。
閻魔様の説教を聞いてから私の中で膨らんできた恐怖の感情は、もはや私一人では簡単に抑えられないようになっている。もはや、何に怯えているかもわからないのに。
……本当に馬鹿らしいことが、怖れの感情は確かに私を侵している。
「誰か…助けてください……」
本心から出たこの声を誰かに聞いてほしい。
でも、こんな弱い自分を知られたくない。
「私は、どうすればいいんですか………?」
窓の外では、日が傾き始めている。
***
「ところで、閻魔様はなぜ文さんを探していらっしゃるのですか」
「そんな丁寧に話さなくて結構ですよ。今は勤務時間外ですしね」
閻魔に勤務時間ってあったのか。
「射命丸さんには花の異変の時に彼女の新聞について話をしたのですが、その時の話をちゃんと理解しているか、確かめに来たんですよ。異変の時の話は、あなたはもうすでに知っているようですね」
「はい、文さんから聞きました。なぜそのことを?」
「顔を見ればたいていのことはわかりますよ。あなたは花の異変の話と聞いて、思い当たりのあるような顔をしましたから」
さすがは閻魔様というところか、たくさんの表情を見てきたんだろう。あたしも嘘はつかないほうがいい。
「それに自分で言うのもどうかと思いますが、私は閻魔の中でも優秀なほうであると自負していますので」
「閻魔様って何人もいるんですか」
「ええ、さすがに一人ですべての死者を裁くことができるほど私たちはよくできません。ところで、あなたも鴉天狗のようですが、新聞を書いているので?」
「まあ、一応は。まだ新米で、文さんのもとで学ばしてもらってます」
「ほう、そうですか。文のもとで……。では、問います。姫海棠はたて、あなたは新聞はどのようなものであると思いますか」
「あたしは、その問いの答えを持っていません。少し前までは真実を伝えることが新聞の役目と思っていましたが、今はそれは違うと思っています」
「それは、なぜ?」
「新聞に真実を書いているつもりでも、必ず自分の主観が含まれます。真実だけをそのまま記すことはできません」
「そうですね。まあ、10点ぐらいあげましょうか」
ずいぶんと低い。だけど、実際そんなものなのかもしれない。
「あなたが今言ったことのほとんどは、他人から聞いたことですよね。他人の受け売りでは成長しません。一つ助言を与えますので、あとはだれにも頼らず、自分の力で答えにたどり着きなさい」
言われなくてもそのつもりだったけど、まあ確かに行き詰っていたし、閻魔様から直々にアドバイスをもらえる機会なんていうのは滅多にない。
有り難く受けることにした。
「新聞に事実は書けない。その理由は二つあります。一つは筆者の主観が入るから、二つは読者がいるということを記事に含めないからです。新聞に書いた事実は歪んでしまいますが、逆に言えば新聞には事実を変える力があるということです」
なるほど、そういう考え方もあるのか、思いもしなかった。
「ここまで言えば十分でしょう。あとは自分で考えなさい」
事実を変える力、か。家に帰ったらもう一度ゆっくり考えてみよう。
いつの間にか、もうすぐ文さんの家というところまできていた。
「あそこが、文さんの家です」
「ああ、ここだったのですか。さっき来たんですが、私としたことが気づきませんでした。ありがとうございます」
閻魔様は文さんに何を言うつもりだろう。不安が募る。
「さて、いきますか。長い説教になりそうですね」
そう言ってほほ笑む閻魔様は、なぜか楽しそうに見えた。
***
――コンコン
ノックの音が転がる。誰だろうか。
「鍵を開けなさい。射命丸文」
体がこわばる。
その声、口調を聞いただけで、分かった。心臓がなり、息が詰まる。
ずいぶんと怖がり過ぎではないか、と自分でも思うが体が反応してしまっていた。
「開けなさい。いるんでしょう?はやく鍵を開けなさい」
もう何に怯えているのかもわからない。
ただ、理由を失った恐怖が文の中で暴れていた。
「どうしても、開けないというのならば…実力行使もやむをえませんよ?」
やめて。こないで。いやだ。あいたくない。にげたい。うごかない。――
――バキィ!
突然の音。
暴走していた思考が中断される。
固まっている体を無理やり動かし、音がしたほうを見る。
そこで見たものは。
「…………ぁ…」
声にならない驚きの声。
いや、恐怖か。そんなことはどうでもいい。
私の視線の先。そこには鍵ごと破壊された家のドアがあった。
そして、
「鴉天狗ともあろう者がずいぶんと情けない姿ですね。射命丸文」
ドアの上に立っている閻魔――四季映姫裁判長は、そういって笑った。
***
「な、情けないとはなんです。それより、勝手に人の家のドアを壊してただで済むとでも思ってるんですか」
自分でも声が震えているのがわかったが、精一杯の強がりで何とか言い返す。
「私の前で何かを隠すのはやめなさい。たとえ自分の気持ちであっても。いえ、だから、というべきですかね」
そう言うと、閻魔様は部屋に上がり私に近づいてきた。
やはり、下手な取り繕いは効かないか。
この人の前では、嘘はつけないと改めて悟った。
「そう怖がらないでください。今日はあなたを助けに来たんですよ」
今、なんて…?
『助け』
確かそう聞こえたはずだ。
私が待ち望んでいた、たった二文字の言葉。
まさかこの方の口からきくとは思わなかった。
「死者を裁くことだけが閻魔の役目だとは私は思いません。生者を死後、地獄へ落ちないよう、正しい方向へ導くのも私の役目だと思っています。まあ、これは私の趣味も兼ねてますが」
「とりあえず、座ったらどうですか。今日の話は前回より長いですよ」
「……あぁ、はい。そうですね」
さっきまで、凍ったように動かなかった四肢が今は動く。そのことが、私が平静を取り戻しつつあるのだと知らせてくれる。
「それで、今日は何の用事でいらっしゃったのでしょうか。閻魔様」
答えはわかりきっている。
「あなたもわかっているでしょう?私は、前回あなたと会ったとき。つまり花の異変の時に、あなたと新聞について話をしましたね?あれから、ちゃんと私の教えを理解したか、確認しに来たのですよ」
「……………」
何も言えなかった。
結局、私がしてきたことは卑怯な言い訳だけだ。
そんな言い訳を理由に逃げてきた。
こんな私が閻魔様を前に言えることは、たった一つ。
「……すみません」
「何故、謝るのですか」
「私は閻魔様の教えを受けたにもかかわらず、そのことについて考えることを放棄し、逃げてきました。今まで信じてきたものが崩れてしまうのが、怖かったのです」
これが、私の気持ち。
声に出すととても短く、不思議と胸がすっきりした。
「……本当なら、厳しく指導するところです。自分のしていることが間違いと知りながら、なおそれをし続けることは重い罪ですからね。その罪をすべて背負う覚悟があるならさておき。ふむ……まあ今回は『お話』ぐらいで許してあげましょう。射命丸文、あなたはいい弟子を持ちましたね」
私の弟子?話が見えない。
「もしかして、はたてと会ったのですか?」
「ええ、ここまで案内してもらいました。『文さんはもう十分に悩んでるんですから、きつく怒ったりしないでくださいね!』なんて言われましたよ」
「あの子が……」
なるほど、道理で家がわかったわけだ。
これは感謝するべきだろうか。
私がもう一度立ち直るきっかけを与えてくれたこの状況に、そしてはたてに。もちろん閻魔様にも。
……私はもう一度決意する。今度こそ、逃げない。
今度は言葉だけで終わらせない。私は閻魔様を見て、はっきりと言った。
「閻魔様、私は今まで逃げるだけで何もしてきませんでした。こんな私にも、もう一度考えるチャンスがあるのなら、今一度あなたの教えを私に説いていただけませんか」
最後の答えは自分で出すべきとはわかっていたが、一人では何もできなかった。
「いいでしょう。己にしっかりと向き合うのは勇気のいること。ならば射命丸文、私はあなたの勇気に応えましょう。心して聞くように。仏の顔は三度までですよ?」
長いお話の始まりだ。
***
――まず、言っておきますが私が今から話すことはあくまでヒントです。
あなたは今まで“逃避”という罪を犯したのですから、簡単に答えを教えてもらえるなどとは思わないように。
……わかっているようですね、では。
そもそも、なぜ人々は新聞を読むのか。
もちろん、たくさんの情報を得るためです。
そうして手に入れた情報には有益なものも無益なものもあるはずです。
それらの中から有益なものだけを取り出して人々は新聞を読むのです。
……なぜこんなことを話しているのか、解らないという顔ですね。
要するに、新聞と言ってもその程度のものだということですよ。
書いてあることが嘘でも本当であっても、読者はそんなこと気にしませんし、記事を読んで誰かが何らかの行動をすれば、何らかの事件が起こるということに変わりありません。
ただ、こうして起きた事件の原因はすべて新聞に収束します。
ですから、新聞を書くのなら書いた記事だけでなく、記事を読んだ人々の行動、さらにはそれらの行動によって起きる新たな事件に対しても責任を持つ必要があります。
もちろん行動を起こした本人も責任を負いますが……ん?
ああ、そうですね。
もしかすると、この世界のすべての責任を負う必要が出てくることもあるかもしれません。
想像もつかないほどに、大きすぎる責任です。
でも、逆に言えばこの責任をすべて背負いきる覚悟があるなら、何を書いてもいいということになります。
ああ、ちなみに今話した責任については真実を書こうと、嘘を書こうと背負うことになります。
まあ当然ですね。しかし、できるだけ真実に近づけて書いたほうが責任は軽くなります。
なぜなら、真実に近ければ別にあなたが新聞で伝えなくても第三者が、“当事者が”かもしれませんが、それらの人々が伝える可能性が高いからです。
あなたが事件を伝えなくても、誰かが事件を知りそれに基づく行動をしたとするなら、誰かによるその行動はあなただけの責任で発生したわけではないということです。
いわゆる、責任の分散ですね。
逆に嘘の場合、それと同じ嘘をあなた以外がつく可能性は極めて低いので、その分責任が集中します。
その点では、以前のあなたも他の天狗よりはましですね。
罪を意識していなかったのが問題だっただけで。
……さて、以上のことは花の異変の時にも言ったことを詳しくしただけなのですが、正直なところ話で重要なのはこれぐらいです。
つまり、ヒントとしてはこれで十分なはずなんですよ。
天狗は頭がきれると聞きますしね。
……最後まで聞きなさい。
せっかくの機会ですから、私も同じ話の繰り返しだけで終わるつもりはありませんよ。
ま、ほんの少しですが。
続けます。
さっきも言ったように新聞を書く際には否応なしに大きな責任が生じます。
それでは何故そこまでして新聞を書かなければいけないのか。
それは新聞という媒体は真実を歪ませることができるからです。
“歪む”というと聞こえが悪いですが、“変える”といっても差し支えないでしょう。
人の口でもできると思うかもしれませんが、これだけ広い範囲に一様の情報を与えることができるのは新聞ぐらいのものです。
新聞は事実を変える力を持つのです。
真実を変える力は何よりも大きい。
その力をどう使うか。それはあなたが考えることです。
ここまで言えば頭のいいあなたなら自力でたどり着けるでしょう。
それに、使い方は人それぞれですから。……その使い方が善か悪かはわかりませんがね。
では、あなたが善行に励むことを期待します。――
閻魔様はそういうと私の家から去って行った。
いつのまにか、私は頭を下げていた。
***
閻魔様が文さんの家に入っていった。
きっと長い話になるだろう。
閻魔様はあたしの言ったことを聞いてくれるだろうか。
閻魔様だし約束を破ることはないだろうけど…。
今、文さんの心は不安定だからなぁ。
……って、あーもう。何であたしが文さんの気持ちを勝手にきめてるのよ。
さっきも勢いで閻魔様に言ってしまったけど、文さんの気持ちはあたしなんかじゃ到底わかるわけもないのに。
文さんの気持ちは文さんのものだ。文さんしかわからない。
いろいろ考えていると、あたしがここにいる意味はないような気がしてきた。
今はとにかく閻魔様と文さん自身に任せるしかないんだから。
残念だけど、あたしは部外者だ。
たとえ文さんの弟子でも、新聞記者を目指している身であっても。
あたしはとんだ勘違いをしていた。
これはあたしに関係あることなんかじゃなかった。文さんだけの問題だったんだ。
あたしが変なことを言ったから文さんが教えてくれただけ。
あたしは、何の関係もない。……駄目だ。
思考がどんどんネガティブになっていく。
帰ろう、どうせあたしにできることなんて何もないのだから。
もう、日が沈む。
***
「真実を変える力…か」
閻魔様が出て行ってから、私はずっと考えていた。
この言葉を聞いたときは答えへの光が見えた気がした。
まさに、目からうろこというやつだ。
でも、いざこの力をどう使うかを考えるといい案が思い浮かばない。
あまりにもその力が大きすぎて、使うのにためらってしまう。
「まあ、そんなに簡単に思いついたら世話ないわよね」
分かっていても、答えが出せない自分がもどかしい。
自分の気持ちに決着をつけたいというのもあるけど、自分のために動いてくれた閻魔様やはたての期待に応えたかった。
私がはやく答えをだし、新聞を書く。それが私なりの恩返しだ。
彼女たちがいたから私は自分の間違いを正せたんだ。
…………ん?今何か思い浮かんだような……
……期待?いや、違う
………恩返し?近いような、でもこれじゃない
……………間違いを、正す?
………これだ!
……なんだ、簡単なことだったんじゃないか。
ただやみくもに真実を変えるだけじゃ、駄目だ。
記事にすることで事実がどう変わるかも考えて、世の中を良くするように事実を変えていくのだ。
そうして変わっていく世界に私は責任を持つ。そう変えようとしたのは私なのだから。
「……世を正す、か。我ながらずいぶんと大層なことを思いついたものね」
声に出してみると実感が出てきた。
私はやっと、答えにたどり着いた気がした。
――私は、世を正す様に新聞を書く。
事実を変え、この世を良くしていくのだ。――
よし、明日に備えて今日は寝よう。おやすみなさい。
***
「………うぁ……………」
いつも通りの時間に起きる。
昨日のようなだるさは一切ない。気持ちのいい目覚めだった。
簡単な朝食をとり、着替えながら今日の予定を組み立てる。
と言ってもほとんど予定は決まっていて、昨日出した答えをはたてと椛に伝えに行くのだけれども。
先にどっちに行こうか。やっぱりはたてかな。
昨日の閻魔様の言葉から察するに、結構心配かけたみたいだし。
そのあとで椛のところに行こう。閻魔様のところには……まだいいや。
私はこの答えが正しいと思っているし、これが善行なのか悪行なのかは死んだときにわかることだ。
それまで楽しみに待っていよう。
取材用の服に着替え終わって外に出る準備をする。
家を出て、昨日とりあえず形だけでも直しておいたドアを閉める。
……早くちゃんと直さないとなぁ。河童にでも頼もうか。
まあ、閻魔様の教えを受けた代金と思えば安いものだ。
私は、はたての家を目指して飛び去った。
***
山の中を飛び続けて、10分ぐらいか。はたての家についた。
本気を出せば1分もかからないが疲れるので、いつもはわりとのんびり飛ぶ。
家の前に降りるとノックをする。
まあはたても起きているころだろう。
しばらく待っていると、はたてが出てきた。
「…こんな朝からいったい誰よ……って文さん!?」
「おはよう、はたて。今日はちょっと連絡があってね。あがらしてもらうわよ」
「は、はぁ…。まあ、いいですけど……」
突然の訪問に戸惑っているみたいだ。
無理もないか。私は勧められたとおりに椅子に座る。
はたての家に来るのもずいぶん久しぶりな気がする。
「それで、連絡ってなんですか、文さん」
同じく椅子に座ったはたてが聞いてくる。
「ふふん。前に話した新聞の在り方について、やっと答えが出たからそれを伝えにね」
「まじっすか!?文さん!」
「ええ、本当。あとなんか変な言葉よ、それ」
「ああ、すみません。ちょっと驚いたもので……」
「もっと時間がかかると思っていたのかしら?」
「いえ、そうじゃなくて。あたしはまだ答えの“こ”の字も見えてませんから、やっぱり文さんはすごいなあって思っただけです」
「そりゃあまあ、一応あなたの師匠だからねぇ。それに私一人の力で出した答えじゃないわ。
閻魔様やほかの人たちからたくさんのヒントをもらって出した答えなんだから。あなたにも感謝してるわ。心配してくれてたみたいね。ありがとう、はたて」
「……迷惑じゃ、なかったですか?」
「え?」
いきなり何を言い出すんだ、この子は。
「あれは文さん自身の問題だったのに、横から入って、勝手なことをして、迷惑じゃなかったですか?」
「何のことを言っているのかわからないわね。だって私はあなたに助けられこそしたけど、邪魔なことなんて少しもされた覚えはないんだから。もし、迷惑をかけていると思っていたなら、それは完全にあなたの思い込みね」
「……ありがとうございます」
はたての目に涙がにじんでいる。
この子はこの子なりに、何かつらいことをため込んでいたんだろう。
これ以上は、深く聞かないようにしよう。
「で、私はあなたに感謝してるし、私が出した答えをあなたに教えてあげてもいいけど、どうする?」
「いえ、もうちょっと自分で考えてみたいと思います」
「そう?じゃ、いいけど。自分で考えるのは悪いことじゃないわ。聞きたくなったらいつでも言いなさい」
「はい、ありがとうございます。……あ、そうだ。文さん、椛さんのところにはもういきましたか?」
「いえ、今から行くところよ」
「早くいってあげてください。彼女待ってると思いますよ」
「そうかしら……。はたても一緒に行く?」
「いや、あたしはいいですよ。一人で行ってあげてください」
「そう。じゃ、私だけで行かしてもらうわ。あなたがどんな答えを出すのか、楽しみにしてるわよ。……何にやにやしているの?」
「いえ、なんでも」
まったく、何なのかしら……。そんなことを思い、はたての家を後にした。
目指すは例の白狼天狗、椛のところだ。
***
「確か、この辺にいたはず……」
山の中を飛んでいると、緑の中に白いシルエットが浮かんできた。
そのシルエットは近づくにつれて大きくなっていき、それが椛であると認識できる距離まで近づいた。
珍しいことにまだこちらには気付いてないらしい。
椛のうしろ姿を見ていると、妙に心がうきうきして、椛に会うのが楽しみになっている自分に気付いた。この前のことで、やっと言い返せるからだろうか。
こんな気持ち、前にあったような気がする。
だけど、思い出せない。そんなことで頭がもやもやしていたら
「ん?文さんじゃないですか」
椛に気付かれた。
私は、とりあえずこのもやもやを置いておいて昨日の答えについて話すことにした。
「椛、今日は話があるのよ」
「話ですか?そんなことより一昨日の返答が聞きたいんですけど」
やっぱり覚えていたか。
「ああ、話っていうのはそのことよ。昨日、答えが出たから言いに来ようと思って」
「ほう、そうですか。では聞かせてください、文さんの答えを」
私は話した、閻魔様からヒントをもらい、はたてに助けてもらい、やっと見つけ出した、私なりの答えを。
これが私の出した答え。文句があるなら言ってみろ。
「……世を正す、ですか。また大きいことを言い始めましたね。私にしてみれば、そんなの無茶苦茶です。できるはずがありませんよ。ですが……」
「ですが?」
「……文さんのそういうところが私は好きですよ」
そういって、椛は笑った。その笑顔は私の思い出を呼び起こし、
………ああ、そうだ。今やっと思い出した。
あの気持ちはなんだったのか。
私と椛が出会ったばっかりの時、椛が私の新聞を読んでいてくれていた時、はたてに出会う前。
私は椛に会うのが楽しみだった。
どうして今みたいな関係になったのか、その理由は思い出せないけど、その時がとても懐かしく感じられた。
「ねぇ、椛。聞きたいことがあるんですが」
「な、なんですか。急に敬語なんか使って、何を考えているんですか?」
「椛は、私たちが初めて会った時のころのこと、覚えてますか?」
一瞬、椛の目が大きく見開かれたような気がした。
「…ええ、覚えていますよ」
「もう一度、あのころのような関係に、戻ってくれません…かね……?今、もう一度、私の新聞を、読んでくれますか……ね?」
椛はしゃべらない。
体が小刻みに震え、怒っているようにも見える。
「……ははっ、そりゃそうですよね。いきなりこんなこと言われても了解なんてできませんよね。すみませんでした」
私は、飛び立とうとした。
「…待ってください」
「いや、返事はいいですよ。どうせ、断られるんですから」
断りの返事を聞くぐらいなら、返事なんて聞かないほうがましだ。
「………新聞をください」
「ははっ、そんなこといって。仲間にでもさらして笑いものにするんですか?」
そうやって、日ごろのストレスでも解消しているのだろうか。
「……………いいかげんにしてください!」
「な、なんですか。いきなり」
急に怒鳴られるとは思わなかった。
「なんで一人で勝手に決めつけるんですか。断るなんて、笑いものにするなんて一言も言ってないじゃないですか!勝手に、人の言葉を決めつけないで下さいよ…!」
「つまり、どういうことですか?」
「私は、文さんのその言葉を、ずっと待ってたんですよ。私はずっと戻りたかったんです、前の関係に。でも、文さんは私のこと嫌っているみたいだったし、階級も私のほうが下ですから言えなかったんです。文さんに言われたとき、うれしさと驚きで何も言えなかったんですよ。勘違い、しないでください……」
言い終わると同時に、椛の目から涙があふれてきた。
そうか。椛はずっと待っていたんだ。
私は大事なことを忘れてしまっていた。
何が世を正すだ。こんな近くのことも見えないで記者なんてやれるはずもない。
だから、この日をずっと残しておきたいと思った。
これからの戒めとして、大切な思い出として。
私が大事なことに気付いた日。
忘れていたたくさんの大切なことを思い出した日。
今日は、特別な日だから。
「ふふっ、もーみじっ!」
「わわっ、なんですか文さん!」
「いいから、前を向きなさい」
椛に後ろから抱きつくようにして顔を並べる。
私の手には一つのカメラ。だったらやることは一つ。
腕を伸ばして、二人の顔の前にカメラがくるようにする。そして、
「ちょ、ちょっと!せめて涙をふいてか「ハイ、チーズ!」」
カメラのシャッターがきられた。
***
「……よっと…………」
ベッドから起きる。
昨日遅くまで起きて原稿を書いていたせいかまだ眠い。
ベッドの横には一つの写真立て、私の大切な日の記録。
あの日から一年たった。
椛とはまあうまくやれている。
ちょいちょい私の新聞に口出ししてくるけど。
しかもそれが的確なのがちょっと腹立たしい。
はたては結局私に答えを聞いてきたし、文文。新聞の読者はいまだ少ないし、世が正されている気も一向にしない。
結局一年たったからって特に変わったことがあるわけでもない。
ああ、山に神様が引っ越してきたっけ。まあ変わったとしてもそれぐらい。
今日の予定はどうしようか。
昨日、書き上げた新聞を配ってはたての相手をして、まあ、やることはいっぱいあるけど最初は…そう。
まず、あの生意気な白狼天狗のところに新聞を持っていこう。
私は机の上にある一つの写真立てを見る。
小さく笑みをつくり、修理の終わったドアを開けると、我慢できずに飛び立つ。
写真立ての中の写真には、この世で、一番の泣き顔が二つおさまっていた。
今後の参考にしたいのでもしよろしければお聞かせください。
お願いいたします。
東方ファンの集まるサイトにおいて原作やってませんと堂々と宣言することの意味をもう少し考えてください。
文が悩んだ末に出す答え&あやもみという二大主軸って感じは伝わらないでもないんですが……
個人的には、どちらも曖昧に終わってしまって、読後感の悪さがありますね。
文とはたてが師弟関係っていうのは斬新。初めて見る関係だったので結構新鮮でした。だからこそ脇キャラだったのが残念。
とはいえ、今の話にそのままはたても絡ませると尚更主軸がぼやけるので……この関係を主軸にした別のSSなんてのも見てみたいと思いました。
>東方ファンの集まるサイトにおいて原作やってませんと堂々と宣言することの意味をもう少し考えてください。
すみません。軽々しく書いてしまったこと反省しています。
あとがきは、修正させていただきました。
>結局、一番伝えたかった事は何なのだろう。
>文が悩んだ末に出す答え&あやもみという二大主軸って感じは伝わらないでもないんですが……
>個人的には、どちらも曖昧に終わってしまって、読後感の悪さがありますね。
>
>文とはたてが師弟関係っていうのは斬新。初めて見る関係だったので結構新鮮でした。だからこそ脇キャラだったのが残念。
>とはいえ、今の話にそのままはたても絡ませると尚更主軸がぼやけるので……この関係を主軸にした別のSSなんてのも見てみたいと思いました。
ご指摘ありがとうございます。
こちらとしても、若干無理やり終わらしてしまったような感じはしていたのですが、
これ以上書くと本当にわけのわからない文章になってしまいそうだったのでやめました。
まだまだ未熟者ですので文とはたての関係はもっと精進してから、書きたいと思います。
そのときにもしかしたら、この作品も書き直すかもしれません。