今日は年に一度の七夕。
庭には短冊が幾つもかかっている竹が一本。
短冊には一つだけ願い事が書かれている。
『素敵な出会いがありますように 阿求』
乙女の一途な想いを綴ってみた。
私はおり姫とひこ星に憧れている。
一年に一度しか会えない不幸という幸せ。
今宵、天の川に星々の橋が架けられて、二人に刹那の幸せを与えるのだ。
天の川を挟んで語られる恋愛ドラマは、そろそろお年頃の私の憧れ。
でもそんなの私にとってはただの夢の話。
私には大事な人もいなければ、出会いもない。
いまのところは。
私は今、書道をしている。
『夏』をお題に一枚書くのである。
半紙の残りがあと二枚なので、一字一画に精を込めながら書く。
決して失態は許されない。
しかし、生憎今日は手の調子が悪くて堂々とした字が書けない。
正直、今日は面倒くさい。
それに加え、一年中変わらない『例の服』で書いているので、汗の量が尋常じゃない。
頬を伝う雫がとてもうざったい。
脇汗をかかないのが救いか。
胸下部を圧迫したら、脇汗をかきにくくなるらしい。
私は帯できつく紮げているので、一応効果が現れている。
節電の時代なのでクーラーはかけていない。
...........と言うか、私の家にはそんなものは無い。
障子を開けるので意味が無いからだ。
自然な風こそ心を癒せる。
それにそんなものにお金をかけるよりも、書道道具にかけたほうがよっぽどマシだ。
涼しくしてくれるものと言っても扇風機か団扇か扇子ぐらい。
現在は扇風機すらかけていないので灼熱地獄だ。
温度もイライラも順調に上がっていた。
汗が顎下から滴り落ちて、半紙に滲む。
今書いていた『常夏』の字のちょうど間に落ちた汗は、字をじわじわと侵す。
この一滴の雫がラスト二枚の半紙のうちの一枚を台無しにした。
私のこれまでの疲労も無駄となった。
「あ~も~最悪~」
半紙を適当にまるめて後ろに放る。
私の後ろには同じ事を繰り返した形跡が見られる。
まるめられた半紙がゴロゴロ転がっているのだ。
座布団をまくら代わりに寝っころがる。
暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い。
ものすんごく暑い。
さすがにそろそろ我慢の限界だ。
機械に頼ろう。
「扇風機付けよーっと」
よろけながらも扇風機のスイッチを押す。
ゆっくりとハネが回り出す。
だんだん早くなってくる。
残像が見えてきた。
もちろん設定は『強』。
リズムもしない。
首振りもしない。
扇風機の目の前で声を出してみる。
「あ゛~」
恒例行事。
夏と言えばこれでしょ。
手を水平にして、一定のリズムで喉に当てる。
「ワレワレハウチュウジンダ。チキュウヲシンリャクシニキタ」
自分の声がぶれているのに笑った。
なんて私は幼らしいことをしているのだろうか。
扇風機を座布団に座ってる状態の、ちょうど頭に当たるように高さを調節する。
「さてと、ラスト仕上げようかな」
大きく背伸びをしてから、ラスト一枚を書き上げる為に後ろを向いた。
後ろを向いた瞬間、扇風機の風が当たらなくなり、暑さが蘇る。
机には文鎮と筆と墨入りの硯と一枚の半紙がある。
..............はずだった。
「あ」
机には文鎮と筆と墨入りの硯と、それに半分が硯に浸かっているラスト一枚の半紙があった。
半紙の下半分が黒に染まっていた。
機械的な風に打たれて、ついにほぼ全部が浸かった。
机に向かい、半紙の浸かっていない場所を撮む。
硯に数滴の墨が滴り落ちた。
同時にそれが風に煽られて、白色の下敷きに飛び跳ねる。
後ろを向く。
正体ロックオン。
扇風機。
全てを台無しにした根源。
私に変なことをさせた犯人。
設定は『強』。
「あなたのせいで全てが台無しになったじゃん」
扇風機は俄然、知らん振りで強い風を吹き続ける。
半紙を硯に戻す。
全てが浸かり、撮める場所がなくなってしまった。
扇風機の電源を冷静に切り、コンセントを抜いた。
でも、扇風機は償うことはできなかった。
「あなたはもう一生使ってあげないから」
私は能無しの扇風機にそう告げて、乱雑に床に倒した。
その様子を見届けることもなく、机に戻る。
後ろで怪しい音がしたが気にしない。
さっきの言葉は、生涯忘れることは無いだろう。
「あ~あ。どうしよう」
机には点々と墨が散らばっており、硯には何故か一枚の半紙が浸かっている。
放肆状態。
変な光景。
私にとってはね。
昔から瀟洒だったから。
ごめん。
ウソついた。
「もう書けなくなっちゃった」
半紙から墨を落とす事などできるはずも無い。
余りの半紙も無い。
墨はあるのに。
筆もあるのに。
半紙が無い。
文鎮と下敷きはなくてもいいけど。
半紙が無いと意味が無い。
つまり、何も無い。
どないせぇっちゅうねん。
「そもそも墨が八方美人なのがいけないんだ」
そうだ。
そうに決まっている。
何で墨はあんなにも落ちないのか?
洗っても落ちないのか?
理由は八方美人だからである。
墨が相手に丁寧に慇懃に振る舞うから、洗われても相手が離そうとしないのである。
相性が合うのではなく、無理矢理合わせているのである。
私はそんな墨に畏敬の念を抱いた。
「八方美人かぁ」
おり姫とひこ星は互いが互いの事が好きであんな関係なんだけど、墨は相手に合わせる。
『真の愛』と『偽の愛』だ。
真の愛は難しいが、偽の愛はこちらの気持ち次第で発展する。
強引に毅然と動くのである。
そうすれば私にだって.........
「あ。常夏忘れてた」
書道。
正直今日はもうやる気が起こらない。
扇風機も壊れたし。
壊れてなくても使わないけど。
そもそも道具が汚くなってしまった。
『偽の愛』によって侵されてしまったのである。
あの愛の契約は拭いにくい。
今日は、もうやめよう。
「夜空になるまで涼んでよう」
とは言っても、扇風機は使い物にならなくなってしまった。
団扇で仰ぐのも怠い。
扇子も怠い。
涼みたい。
でも面倒い。
つまり涼めない。
何しようか。
「庭に出て水を浴びよう」
臨機応変に行動する。
そこは私の良いところ。
サンダルを履いて、いざ庭へ。
容赦無く紫外線が私を襲う。
一応片手には扇子を握っている。
もう片手にはタオル。
汗を拭う為だ。
何故かあの竹の前に来た。
短冊が幾つも吊り下がっている。
私が書いたのもちゃんとある。
徐に竹の周りを一周する。
すると、私が書いた短冊とは正反対の位置に、一枚だけ、内容が書かれたピンク色の短冊があった。
匿名だが。
その短冊にはこう書かれていた。
『今日の夜、阿求さんと星空を見れますように』
ポッと私の頬が赤くなるのが、自分でも判った。
暑いからではないの言うのも判った。
恥ずかしかったのでもないとも判った。
たぶん、嬉しかったのだろう。
自分でも判らない感情が生まれた。
これは『偽の愛』ではなく、『真の愛』として発展するだろう。
なんとなくそんな予感が、私の脳を過った。
本当なのかも判らなかったけど、そんな気がした。
私は何時の間にか家の縁側に座り、素足になって扇子を仰いでいた。
目的が変わった。
「やっぱりここで涼んでよう」
空はギラギラと輝く太陽。
地は容赦無い熱気。
前は竹と幾つもの短冊。
後は乱れた部屋。
決して環境は良くは無いが、ある一つの出来事が私を暑さから救っていた。
顔は暑いが。
私は天に向かって言った。
「今日の夜が私にとってかけがえのないものになりますように」
一人称で書こうとしているが妙な文章
いや単語の羅列になっていて不快
恋をするにもハードルが高かろう
そんな一コマを垣間見た気がした
こういうときに地が出ちゃうと微笑ましい。
今からでも遅くはない。私は書くぞ!