「職業病のようなものよ」紫は言った。
職業病という言葉ほど、部外者の想像力をかき立て辛い言葉は無いな――そう思った私には、無論霊夢の気持ちは分からなかったけれど。
霊夢が何かに葛藤して、苦しんでいるという事実だけで、私を動かすには十分だった。
◇
霊夢という人間はよく分からない。
恐らく、霊夢の人生で最も長い間彼女と一緒に居るのは私なのだろう。それでも時折、霊夢の考える事には首を捻るしかない時がある。
そしてその日も、霊夢の言った事は意味不明だった。
「魔理沙」
「んー」
「首を吊る直前の人間って、どんな事を考えるのかしらね」
「ごほっ」
お茶で軽くむせた。寧ろお前の考えてる事を教えて欲しいくらいだ。
「なんだよいきなり」
「首を吊った直後でもいいわ。台を蹴り飛ばして、意識が飛ぶまでの間」
「質問に答えろ」
勿論霊夢はお茶をすするだけで、質問に答えなどしてくれなかった。まあいつもの事だしもういいや。
ただ、博麗神社の縁側で、私の左に座っている霊夢を見ると。いつもは何も思わない筈のその姿が今だけ、理由は分からないけどとても儚げなものに見えて。
「まさかお前、本気で首吊るつもりじゃないだろうな」
半ば――――八割方本気で、そんなあり得ない事を問いかける。
湯呑を両手で握った霊夢は、キョトンと私の顔を見つめ返してくる。
「……何よ、怖い顔しちゃって」
「してない」
「してるわよ、お手洗いに行って鏡見てきたら?」
「茶化すなよ。ちゃんと答えてくれ」
最後の方は懇願に近くなっていた。何故ここまで必死になるのか自分でも分からない。
それでも気持ちは伝わったらしかった。溜め息を吐いた霊夢は、湯呑を一度傾けてから言う。
「何で私が首吊らなきゃいけないの」
「……そっか。だよな」
ほっと胸を撫で下ろした。それがどうも顔に出てたようで、「何でそんな安心しきった顔してんのよ」と霊夢に苦笑交じりで突っ込まれてしまう。
当たり前だろ、私の大切な友達が首を吊らないでいてくれるんだから――その言葉は余りにも恥ずかしすぎて、私の心だけに留めておくことにした。
……なんか、ちょっと台詞自体がおかしいような……まあいいや。どうせお蔵入りだ。
「私は質問に答えたわよ。今度は魔理沙の番」
真顔に戻って霊夢が問う。
「あ? 何かあったっけ」
「首吊る直前の――」
「ああはいはい。首吊る直前って言ったら……死ぬ間際だよな。じゃあ走馬灯でも見るんじゃないのか?」
「ありきたりね、つまんない回答だわ」
「生憎、専門家じゃないからな」
「じゃあちょっと専門家紹介してくれない?」
首吊る直前の専門家ってどんなだよ。自分で言っておいて訳が分からなくなった。
「――でも、やっぱ走馬灯か。家族とか、友達とか、そういうの見るのかしらね」
そう言って霊夢はもう一口お茶を口に含む。
一時口に含み留めて、間もなく嚥下した喉を鳴らす。そんな一連の動作を済ませて霊夢は、その日の中で一番大きなため息を吐いた。
◇
霊夢が妖怪に襲われたのは、それから数日後の事だった。
アリスが私に知らせてくれたのだが、別段驚きもしなかった。自殺願望持ちの愚かしい雑魚妖怪が、無謀にも鬼の異名を持つ巫女へ玉砕しに行っただけだろうと。
そんな旨の言葉を茶化し気味にアリスへ返して、しかしアリスが一片の笑いも見せなかったとき。私はようやくただ事ではないという事を理解した。
小屋を飛び出して箒にまたがり、トップスピードで博麗神社まで飛んだ。アリスもついて来たのだが、いささか速すぎたのかすぐにアリスの姿は見えなくなった。
境内に乱暴な着陸をきめて、本殿まで走る。玄関は使わずに慣れ親しんだ縁側へ向かうと、そこの障子はキッチリと閉まっている。
破壊するかの如き勢いで、私は障子を思い切り左右に開いた。
「霊夢っ!」
「あら魔理沙いらっしゃい」
……
「えっ」
「一応言っておくけど、そのぶっ壊した障子弁償ね」
あの、どういう事ですかね……
残念ながらその言葉は、絶句した私の口から発する事はできなかった。
「だから、私は別に霊夢に何かあったとは言って無いでしょ」
「アリスめ、詐欺しやがって」
「魔理沙が早とちりしただけよ」
居間で霊夢、アリスとちゃぶ台を囲む。
一応確認しておくが、私が死ぬほど心配した霊夢さんはケロリとお茶をすすっている。うぐぐ……
「それじゃあ、霊夢が妖怪に襲われたってのは――」
「それは本当。で、ヘマやらかしたってのも本当なんでしょ、霊夢?」
「ボーっとしてただけよ」
「特攻してきた妖怪と直撃する寸前で、紫がスキマで助けたらしいわ」
アリスが淡々と事実だけを語る。霊夢は紫に助けられたという実に不名誉な事実に納得がいかないようで、アリスからそっぽを向いてお茶を飲んでいた。
「じゃあ、霊夢には何もないんだな?」
「なにそれ嫌味?」
「そういう意味じゃねえよ。何処も怪我しなかったんだな? って意味だぜ」
アリスと霊夢が即座に、そして同時に頷いた。
何かこう、その、要は取り越し苦労だったらしい。溜め息しか出ない。
「はあ……じゃあ私は帰るぜ。お茶も飲んだ事だしな」
「私も帰るわ。バイバイ霊夢」
「じゃあね。後魔理沙は次回障子の修理代持参ね」
「友達料金でチャラにしてくれ」
「殺すわよ」し、障子壊しただけで……?
「魔理沙」
帰り道で、突然スキマを広げた紫に遭遇した。
紫から私に話しかけてくるのは随分珍しい。
「何だよ? 珍しい」
「別に? ちょっとお茶でもと思って」
「はあ?」
何言ってんだコイツは。
「お茶ってどこで」
「あー、そうねえ。あの木の下とか」
「ピクニックするような時間じゃないぜ」
神社からは早々に撤収した筈だったが、辺りは既に夕焼けで染めあげられていた。
夕焼けというのは面白いもので、ただ赤いという言葉では表現しきれない何かがあると思う。
この世界に、空気に、空間に溶け込むような淡い赤色。言わば世界そのものが赤くなって、自分を包んでいるような感覚。地上よりも水中に近いその感覚が、私は好きだ。
しかし、時間は過ぎゆくもの。夜の入口である夕方に、呑気にお茶など飲んでいたらすっかり暗くなってしまうだろう。
「まあまあ、お茶を一番最初に飲んだ皇帝様はお茶の木の下で飲んだっていうじゃない?」
「そんな話もあったなー……」
「冬至が近い訳でもないんだし、そんなに早く夜も更けないわ。さ」
確かに今は、冬至からまるっきり反対の季節だけど。
もう1度、赤い光を放つ太陽を見上げた。地平線に沈んでしまうまでは……まだ時間があるだろうか。
「しゃーないな、少しだけだぜ」
快諾ではないが、条件付きで承諾する。
それに、普段話しかけてくる事の無い紫がこのタイミングで現れたのだ。何か面白い話が聞けるに違いない。
「どう、霊夢の様子は」
開口一番、紫が始めたのは霊夢の話である。思わずこけそうになった。
「こんな所で霊夢の話かよ」
「別に陰口じゃないんだし、ね?」
「そりゃそうだけどさ。気になるなら自分で見に行けよ」
そこで紫は苦笑する。
「だってあんな事の後じゃ、私だって会い辛いわ」
「あんな事って……霊夢が雑魚にやられそうになったっていう」
扇子を取り出して、口元を隠しながら紫は頷いた。
その言葉に、私は少し驚く。紫が人の気持ち、というよりプライドを尊重するような奴だと思わなかった。
夕方の温い風が吹いて、空を覆い隠す木々が音を立てる。数枚の葉っぱが私達の周りに落ちて、同時に木の青臭い匂いが鼻につく。
それで思い出したのか、紫は竹の水筒から冷たいお茶を蓋へ注いで、私に差し出した。
「霊夢、どうせ私に助けられたのが不満そうだったでしょう?」
注がれたお茶を一口で飲み干してから答える。
「まあな。分かりきってる事を聞くのも野暮だぜ」
「それもそうねえ。じゃあ『妖怪にやられそうになった』事にはどうだった? 悔しそうだった?」
「それは……」
何も無かった、としか言えない。紫に助けられたというアリスの言葉には嫌そうな顔を見せていたけど、ヘマやらかしたという言葉にはどう反応しただろうか。
『ボーっとしてただけよ』と、平然とした顔で言っただけ。特に嫌そうな顔も見せなかったのは、もう終わった事だという達観だろうか。それとも――
「最近の霊夢は、おかしいわ」
紫は断言する。少し驚いて、眼前に座り込む紫の顔を見つめる。
「貴方も気付いているのでしょう? 最近の霊夢はおかしい、と」
「おかしい……って、具体的にどこが」
「それを言わせる事こそ野暮だと思わない?」
その時の紫の表情は――少し怖かった。有無を言わせぬ圧迫感があって、私は自分でもよく分からない呻き声を上げて俯いてしまう。
でも落ち着いて考えれば確かにそうだ。霊夢のどこがおかしいかなんて――少し考えれば、答えは出る。
「……この前、首を吊る直前の気持ちについて訊いてきたよ。あれはちょっとおかしい」
「珍妙な問いかけね」
「適当なこと言って流したけどさ。普通そんな事訊いてこないだろ?」
再び紫は扇子を口元まで持ち上げて、思案気に少し俯いた。
微妙に吹いていた風も止んで、木々のざわめきも聞こえなくなる。落ちかけていた太陽も更に落ちて、辺りは一層暗さを深くする。
夜になろうとしていた。
「……私は、ああいう巫女を何度か見てきたわ」
紫が口を開く。
「……ああいう巫女、って?」
「先代以前の博麗巫女。夜も近いから単刀直入に言うけれど――」
それから数分かけて、紫は私に語った。自分が今まで見てきた、『霊夢と同じような』巫女の話を。
それからすぐ、私と紫は別れる。夕日は完全に落ちた。夜が始まる。
完全に夜が更けてしまうまでに、さっさと家まで戻らないと。いくら私でも、幻想郷の夜道は歩き回るものではない。
◇
それなのに、私は今、博麗神社の境内に降り立っている。
「……ちぇ」
思わず舌打ち。高地にある博麗神社は、これぐらい夜になっても未だに強めの風が吹いていて、その度に境内脇の木々は音を立てて私を迎えてくれる。
足早に本殿へ向かう。風が強いからとか単純な理由じゃない、一刻も早く霊夢に会って話がしたかった。
今度は縁側から飛び込んだりせず、玄関の戸を叩く。暫くすると戸の向こう側に人の気配がして、間もなく戸が開いた。
「……魔理沙? 何よ忘れ物?」
「いーや。まあ入れてくれ」
「嫌よ。こんな時間にいきなり入れてなんて」
……まさか突っぱねられるとは思わなかった。
いや、当然か。宴会でもあるまいし、夜に理由も無く家に入れろなんて図々しいにも程がある。
何か適当な理由を付けようとしたけど、それもすぐ霊夢に見透かされてしまうだろう。
なら、本当の事を言えば疑われる事も無い……よな。
「霊夢の顔が見たかったんだよ。霊夢に会いたくて、な」
……まあ間違っちゃいない。
霊夢は一瞬虚を突かれたような表情になってから、微妙に頬を赤らめる。
「……バカじゃないの?」
「さあな」
「……寒いでしょ、早く入りなさい」
そう言って、霊夢は私を招いてくれた。
夏の風は温くて全然寒くなんてなかったのだが、それを指摘すると一転帰らされそうだったので黙っておく。
居間に着いてすぐ、霊夢はお茶を出してくれた。
取りあえずお茶を一口。ふうと息をついてから、霊夢は湯呑を置きながら問いかけてくる。
「で、用事は何?」
先程『霊夢の顔が見たかった』と言ったばかりなのだが、やはり口八丁のでまかせだとばれていたらしい。
それならばもう、遠回しにすることもない。単刀直入に言ってしまおう。
「霊夢」
「ん」
「お前――妖怪の攻撃を避けなかったの、わざとだろ」
その言葉に、霊夢は何か反応する訳でも無かった。
時が来た、と諦観するような目で、ただ質問を返してくる。
「……紫ね?」
「……ああ」
「ったく、アイツは本当にお喋りなんだから」
「職業病のような物よ」
そう紫は言った。
「職業病? って巫女の?」
「そう。そして博麗の巫女として致命的な職業病よ」
博麗の巫女の職業病で、かつ巫女には致命的。
「掃除をさぼる! とか」
「何を今更」
めっちゃ冷静に返された。んまあ、確かに今更だけど。
となると、一体何だろう。少し落ち着いて考えてみる。
「――あ」
すると、割とあっさり答えは思いついた。
「霊夢は、件(くだん)の妖怪による攻撃を避ける気が――無かったわ。寧ろ、自分から当たろうとしていたみたいだった」
「というと――」
博麗の巫女の本職は『妖怪退治』だ。悪い妖怪を退治してこの幻想郷のバランスを保っている。
そんな巫女の致命的な事は、最早考えるまでも無い。
「――妖怪を、霊夢は退治できない」
「ご明察」
勿論、霊夢に妖怪を退治する力がなくなった訳では無く。
もっと『精神的な意味で』――霊夢は妖怪を倒せなくなってしまった。
「魔理沙と紫の想像通りよ」
障子の向こう側から、夏虫の鳴き声が聞こえてくる静かな夜。
霊夢の落ち着いた声は、そんな夏の雰囲気に溶け込んでしまっているようで。私は集中して、霊夢の言葉を聴く。
「私はもう、妖怪を退治しない――いいや、できないわ」
「……どうして」
「それは――」
そこまで言って、霊夢は突然口ごもる。
不思議そうに私が霊夢を見つめていると、彼女は唇を噛んでボソリと言う。
「……笑わない?」
「っ……笑う訳ないだろっ」
思わず正座する膝を叩き、怒鳴りつける。霊夢の中の私は、彼女の人生を笑うような最低な奴として認識されていたのか、と。
しかし霊夢がビクリと身体を引いたのを見て、色々燻りながらも言葉を喉元に押し込んだ。
「……悪い……でも、そんな事言うなよ。笑う訳……ないだろ」
「……ごめん。私が悪かった」
重い沈黙。お互いの呼吸音が聞こえてくる程、その場は静かになる。
ただただ夏虫が鳴き、月明かりが上窓から居間を照らす。それから暫くお互い黙ったままで、のち先に口を開いたのは霊夢だった。
「……妖怪を見るとね。アンタ達の事を思い出すの」
「……私達?」
「厳密に言えば魔理沙は違うんだろうけど……でも、今まで関わってきた奴ら全員の顔が、その妖怪に被って見える」
そう呟くように言う霊夢の顔は、冷静なようで――寂しげだった。
それは何に対して? 私? 紫? それとも知り合い全てに対して?
「……昔と考え方が正反対だな。お前がアイツらの事を気にするなんて」
「アンタもよ、魔理沙」
きっと、今挙げたどれでもない。霊夢が寂しがっているのは――昔の自分自身だ。
「自分でも気づいて無かった訳じゃないわ。……ただ信じたくなかっただけ。アンタとか、アリスとか、紫とか、レミリアとか――私の外側に居る人間が内側へいっぱい入ってきて、私の意志とはまるで逆に、私の人生を塗り替えていくことに」
「……」
「それでも、一定の線は引くことは出来てたわ。私や魔理沙は人間で、アイツらは妖怪。そこには切っても切れない境界線があって、それがあれば私は私でいられるんだってね」
出来ていた。過去形。何かがあったのだ、霊夢の心を変えてしまう程の、とてつもなく大きな出来事が。
それもまた、少し考えれば分かる事だった。答えは出来事じゃなくて、今もこの幻想郷にある、とてつもなく大きな存在。
「白蓮の話を聞いた時はまだ、そんなの綺麗事だって思ってたけど。知らない間に、もし本当にそうだったらって、考える時があるの」
「……人間と妖怪が平等だ、って?」
「やんなっちゃうわよね。綺麗事だ綺麗事だって自分で思い込もうとしてるのに、アイツの寺ばっか信仰が増えるんだから」
少し霊夢が笑った。自嘲気味に、でも作り笑いじゃない笑顔。
「……魔理沙、聞いてる?」
「っ……あ、ああ勿論」
その顔に、私は思わず見とれてしまっていた。霊夢の言葉に慌てて取り繕うも、彼女は憮然とした顔でこちらを見つめている。
でも、今自分の抱いている気持ちだけは、絶対に取り繕えそうも無い。
きっと彼女はこう言うのだろう。妖怪を殺すのは、私達を殺すのと同じだから、だから殺す訳にはいかないと。
その為なら、妖怪の攻撃も甘んじて受けて、命を落とす事さえ構わない、と。
――ふざけるな。霊夢が居なくなったら、私はどれだけのものを無くすと思ってる。
私の大好きな霊夢の笑顔は、もう2度と見られない。思い出の中の霊夢も、夕焼けのように世界に溶け込んで、曖昧なものとなってしまう。
そうなったら、私はどうすればいい? 私の内側に入り込んだ霊夢という存在を埋められるものなんて、どこにもないのに。どうすれば?
「だからね、私決めたの。もう……巫女を辞めようって。そうすればもうアンタ達には会えないけど――『アンタ達を殺さなくて済む』もの」
「……やだ」
「……はっ?」
「やだ、って言ったんだよ。お前が死ぬのも、居なくなるのも、お前に会えなくなるのも、全部全部嫌だって言ったんだ」
おもむろに立ち上がって言い放つ。霊夢が素っ頓狂な声を漏らして、でも私はもう止められそうになかった。
首を吊る奴の気持ちなんて、自殺行為に出た妖怪の気持ちなんて、そいつの見た走馬灯なんて――そんなの知るか!
「……何よそれ、私の気持ちは無視ってこと?」
「ああそうさ、お前の気持ちだって知ったこっちゃない。ただ私が嫌だから、お前には死なせないし巫女を辞めさせもしない」
「ア、 アンタは何――」
「自己中だって事くらい分かってる、自分勝手だってことぐらい分かってる――でもさ、お前は考えたことあるか? お前が私達の心の内側の、どこまで深い所に入り込んでるかって」
「っ――」
「死んでもいいとか……巫女を辞めて私達には二度と会わないとか……そういう事、普通に言うなよっ! お前が居なくなったら、皆が作ってたお前の居場所はどうすんだよ……埋められるわけないだろっ! お前以外で埋められる奴なんて誰もいないんだよっ!」
「雑魚妖怪も、私も、みんなも、お前が思ってるみたいに同じじゃない……っ! 全員の中に、全員の霊夢が居るって――それぐらい、分かれよ……」
「ぁ……」
最後の方は、もう何も考えていなかった。頭に血が上って、ただ思いついた事を言葉にして。きっと無茶苦茶な事を言ったのだと、記憶がない中でも思う。
辺りは一気に静かになる。夏虫すら鳴くのをやめた。月明かりだけは今も煌々と私達を照らしあげて、こちらを見つめ続けている。
不意に、見下ろす霊夢の顔がぼやけて見えた。私は泣いてるんだろうか。なら情けない、説教じみたこと言いながら無くなんて、本当に情けない――
拳を握りしめて直後、遠くに見えていた霊夢の顔が近くなる。涙で距離感覚が狂ったのだと思った――けど、違った。
霊夢の身体が、情けなく泣きじゃくる私の身体を――抱き寄せる。
「霊……夢」
「……魔理沙は、作ってくれる……? 私の場所を、魔理沙の中に」
霊夢が、私の耳元に口を寄せて言った。
……何を今更。さっきから言ってるじゃないか、答えは。
「もう、出来てる」
◇
数日後、そこには人里で障子の新調に付き合わされている霧雨魔理沙の姿が。
どうしてこうなった……。
「普通に障子直ってたじゃねーか! どこに新調する必要があるんだよ! しかも私の自腹っ!」
「弁償なんだから自腹は当たり前でしょー?」
「だから壊してないっ!」
コイツ、絶対この機会に私から金をむしり取るつもりだ。なんつー……
当の霊夢といえば、怒りをあらわにする私の横でクスクス笑ってやがる。霊夢の笑顔は好きだから許す――何てことは無い。理不尽なものは理不尽だ。
「まあいいでしょ? ――これからずっと付き合ってく場所の物なんだから……さ?」
そう意固地になっていた私が、まさかこんなに早く陥落するとは、予想外だった。
「……仕方ないな。今回だけだぜ」
職業病という言葉ほど、部外者の想像力をかき立て辛い言葉は無いな――そう思った私には、無論霊夢の気持ちは分からなかったけれど。
霊夢が何かに葛藤して、苦しんでいるという事実だけで、私を動かすには十分だった。
◇
霊夢という人間はよく分からない。
恐らく、霊夢の人生で最も長い間彼女と一緒に居るのは私なのだろう。それでも時折、霊夢の考える事には首を捻るしかない時がある。
そしてその日も、霊夢の言った事は意味不明だった。
「魔理沙」
「んー」
「首を吊る直前の人間って、どんな事を考えるのかしらね」
「ごほっ」
お茶で軽くむせた。寧ろお前の考えてる事を教えて欲しいくらいだ。
「なんだよいきなり」
「首を吊った直後でもいいわ。台を蹴り飛ばして、意識が飛ぶまでの間」
「質問に答えろ」
勿論霊夢はお茶をすするだけで、質問に答えなどしてくれなかった。まあいつもの事だしもういいや。
ただ、博麗神社の縁側で、私の左に座っている霊夢を見ると。いつもは何も思わない筈のその姿が今だけ、理由は分からないけどとても儚げなものに見えて。
「まさかお前、本気で首吊るつもりじゃないだろうな」
半ば――――八割方本気で、そんなあり得ない事を問いかける。
湯呑を両手で握った霊夢は、キョトンと私の顔を見つめ返してくる。
「……何よ、怖い顔しちゃって」
「してない」
「してるわよ、お手洗いに行って鏡見てきたら?」
「茶化すなよ。ちゃんと答えてくれ」
最後の方は懇願に近くなっていた。何故ここまで必死になるのか自分でも分からない。
それでも気持ちは伝わったらしかった。溜め息を吐いた霊夢は、湯呑を一度傾けてから言う。
「何で私が首吊らなきゃいけないの」
「……そっか。だよな」
ほっと胸を撫で下ろした。それがどうも顔に出てたようで、「何でそんな安心しきった顔してんのよ」と霊夢に苦笑交じりで突っ込まれてしまう。
当たり前だろ、私の大切な友達が首を吊らないでいてくれるんだから――その言葉は余りにも恥ずかしすぎて、私の心だけに留めておくことにした。
……なんか、ちょっと台詞自体がおかしいような……まあいいや。どうせお蔵入りだ。
「私は質問に答えたわよ。今度は魔理沙の番」
真顔に戻って霊夢が問う。
「あ? 何かあったっけ」
「首吊る直前の――」
「ああはいはい。首吊る直前って言ったら……死ぬ間際だよな。じゃあ走馬灯でも見るんじゃないのか?」
「ありきたりね、つまんない回答だわ」
「生憎、専門家じゃないからな」
「じゃあちょっと専門家紹介してくれない?」
首吊る直前の専門家ってどんなだよ。自分で言っておいて訳が分からなくなった。
「――でも、やっぱ走馬灯か。家族とか、友達とか、そういうの見るのかしらね」
そう言って霊夢はもう一口お茶を口に含む。
一時口に含み留めて、間もなく嚥下した喉を鳴らす。そんな一連の動作を済ませて霊夢は、その日の中で一番大きなため息を吐いた。
◇
霊夢が妖怪に襲われたのは、それから数日後の事だった。
アリスが私に知らせてくれたのだが、別段驚きもしなかった。自殺願望持ちの愚かしい雑魚妖怪が、無謀にも鬼の異名を持つ巫女へ玉砕しに行っただけだろうと。
そんな旨の言葉を茶化し気味にアリスへ返して、しかしアリスが一片の笑いも見せなかったとき。私はようやくただ事ではないという事を理解した。
小屋を飛び出して箒にまたがり、トップスピードで博麗神社まで飛んだ。アリスもついて来たのだが、いささか速すぎたのかすぐにアリスの姿は見えなくなった。
境内に乱暴な着陸をきめて、本殿まで走る。玄関は使わずに慣れ親しんだ縁側へ向かうと、そこの障子はキッチリと閉まっている。
破壊するかの如き勢いで、私は障子を思い切り左右に開いた。
「霊夢っ!」
「あら魔理沙いらっしゃい」
……
「えっ」
「一応言っておくけど、そのぶっ壊した障子弁償ね」
あの、どういう事ですかね……
残念ながらその言葉は、絶句した私の口から発する事はできなかった。
「だから、私は別に霊夢に何かあったとは言って無いでしょ」
「アリスめ、詐欺しやがって」
「魔理沙が早とちりしただけよ」
居間で霊夢、アリスとちゃぶ台を囲む。
一応確認しておくが、私が死ぬほど心配した霊夢さんはケロリとお茶をすすっている。うぐぐ……
「それじゃあ、霊夢が妖怪に襲われたってのは――」
「それは本当。で、ヘマやらかしたってのも本当なんでしょ、霊夢?」
「ボーっとしてただけよ」
「特攻してきた妖怪と直撃する寸前で、紫がスキマで助けたらしいわ」
アリスが淡々と事実だけを語る。霊夢は紫に助けられたという実に不名誉な事実に納得がいかないようで、アリスからそっぽを向いてお茶を飲んでいた。
「じゃあ、霊夢には何もないんだな?」
「なにそれ嫌味?」
「そういう意味じゃねえよ。何処も怪我しなかったんだな? って意味だぜ」
アリスと霊夢が即座に、そして同時に頷いた。
何かこう、その、要は取り越し苦労だったらしい。溜め息しか出ない。
「はあ……じゃあ私は帰るぜ。お茶も飲んだ事だしな」
「私も帰るわ。バイバイ霊夢」
「じゃあね。後魔理沙は次回障子の修理代持参ね」
「友達料金でチャラにしてくれ」
「殺すわよ」し、障子壊しただけで……?
「魔理沙」
帰り道で、突然スキマを広げた紫に遭遇した。
紫から私に話しかけてくるのは随分珍しい。
「何だよ? 珍しい」
「別に? ちょっとお茶でもと思って」
「はあ?」
何言ってんだコイツは。
「お茶ってどこで」
「あー、そうねえ。あの木の下とか」
「ピクニックするような時間じゃないぜ」
神社からは早々に撤収した筈だったが、辺りは既に夕焼けで染めあげられていた。
夕焼けというのは面白いもので、ただ赤いという言葉では表現しきれない何かがあると思う。
この世界に、空気に、空間に溶け込むような淡い赤色。言わば世界そのものが赤くなって、自分を包んでいるような感覚。地上よりも水中に近いその感覚が、私は好きだ。
しかし、時間は過ぎゆくもの。夜の入口である夕方に、呑気にお茶など飲んでいたらすっかり暗くなってしまうだろう。
「まあまあ、お茶を一番最初に飲んだ皇帝様はお茶の木の下で飲んだっていうじゃない?」
「そんな話もあったなー……」
「冬至が近い訳でもないんだし、そんなに早く夜も更けないわ。さ」
確かに今は、冬至からまるっきり反対の季節だけど。
もう1度、赤い光を放つ太陽を見上げた。地平線に沈んでしまうまでは……まだ時間があるだろうか。
「しゃーないな、少しだけだぜ」
快諾ではないが、条件付きで承諾する。
それに、普段話しかけてくる事の無い紫がこのタイミングで現れたのだ。何か面白い話が聞けるに違いない。
「どう、霊夢の様子は」
開口一番、紫が始めたのは霊夢の話である。思わずこけそうになった。
「こんな所で霊夢の話かよ」
「別に陰口じゃないんだし、ね?」
「そりゃそうだけどさ。気になるなら自分で見に行けよ」
そこで紫は苦笑する。
「だってあんな事の後じゃ、私だって会い辛いわ」
「あんな事って……霊夢が雑魚にやられそうになったっていう」
扇子を取り出して、口元を隠しながら紫は頷いた。
その言葉に、私は少し驚く。紫が人の気持ち、というよりプライドを尊重するような奴だと思わなかった。
夕方の温い風が吹いて、空を覆い隠す木々が音を立てる。数枚の葉っぱが私達の周りに落ちて、同時に木の青臭い匂いが鼻につく。
それで思い出したのか、紫は竹の水筒から冷たいお茶を蓋へ注いで、私に差し出した。
「霊夢、どうせ私に助けられたのが不満そうだったでしょう?」
注がれたお茶を一口で飲み干してから答える。
「まあな。分かりきってる事を聞くのも野暮だぜ」
「それもそうねえ。じゃあ『妖怪にやられそうになった』事にはどうだった? 悔しそうだった?」
「それは……」
何も無かった、としか言えない。紫に助けられたというアリスの言葉には嫌そうな顔を見せていたけど、ヘマやらかしたという言葉にはどう反応しただろうか。
『ボーっとしてただけよ』と、平然とした顔で言っただけ。特に嫌そうな顔も見せなかったのは、もう終わった事だという達観だろうか。それとも――
「最近の霊夢は、おかしいわ」
紫は断言する。少し驚いて、眼前に座り込む紫の顔を見つめる。
「貴方も気付いているのでしょう? 最近の霊夢はおかしい、と」
「おかしい……って、具体的にどこが」
「それを言わせる事こそ野暮だと思わない?」
その時の紫の表情は――少し怖かった。有無を言わせぬ圧迫感があって、私は自分でもよく分からない呻き声を上げて俯いてしまう。
でも落ち着いて考えれば確かにそうだ。霊夢のどこがおかしいかなんて――少し考えれば、答えは出る。
「……この前、首を吊る直前の気持ちについて訊いてきたよ。あれはちょっとおかしい」
「珍妙な問いかけね」
「適当なこと言って流したけどさ。普通そんな事訊いてこないだろ?」
再び紫は扇子を口元まで持ち上げて、思案気に少し俯いた。
微妙に吹いていた風も止んで、木々のざわめきも聞こえなくなる。落ちかけていた太陽も更に落ちて、辺りは一層暗さを深くする。
夜になろうとしていた。
「……私は、ああいう巫女を何度か見てきたわ」
紫が口を開く。
「……ああいう巫女、って?」
「先代以前の博麗巫女。夜も近いから単刀直入に言うけれど――」
それから数分かけて、紫は私に語った。自分が今まで見てきた、『霊夢と同じような』巫女の話を。
それからすぐ、私と紫は別れる。夕日は完全に落ちた。夜が始まる。
完全に夜が更けてしまうまでに、さっさと家まで戻らないと。いくら私でも、幻想郷の夜道は歩き回るものではない。
◇
それなのに、私は今、博麗神社の境内に降り立っている。
「……ちぇ」
思わず舌打ち。高地にある博麗神社は、これぐらい夜になっても未だに強めの風が吹いていて、その度に境内脇の木々は音を立てて私を迎えてくれる。
足早に本殿へ向かう。風が強いからとか単純な理由じゃない、一刻も早く霊夢に会って話がしたかった。
今度は縁側から飛び込んだりせず、玄関の戸を叩く。暫くすると戸の向こう側に人の気配がして、間もなく戸が開いた。
「……魔理沙? 何よ忘れ物?」
「いーや。まあ入れてくれ」
「嫌よ。こんな時間にいきなり入れてなんて」
……まさか突っぱねられるとは思わなかった。
いや、当然か。宴会でもあるまいし、夜に理由も無く家に入れろなんて図々しいにも程がある。
何か適当な理由を付けようとしたけど、それもすぐ霊夢に見透かされてしまうだろう。
なら、本当の事を言えば疑われる事も無い……よな。
「霊夢の顔が見たかったんだよ。霊夢に会いたくて、な」
……まあ間違っちゃいない。
霊夢は一瞬虚を突かれたような表情になってから、微妙に頬を赤らめる。
「……バカじゃないの?」
「さあな」
「……寒いでしょ、早く入りなさい」
そう言って、霊夢は私を招いてくれた。
夏の風は温くて全然寒くなんてなかったのだが、それを指摘すると一転帰らされそうだったので黙っておく。
居間に着いてすぐ、霊夢はお茶を出してくれた。
取りあえずお茶を一口。ふうと息をついてから、霊夢は湯呑を置きながら問いかけてくる。
「で、用事は何?」
先程『霊夢の顔が見たかった』と言ったばかりなのだが、やはり口八丁のでまかせだとばれていたらしい。
それならばもう、遠回しにすることもない。単刀直入に言ってしまおう。
「霊夢」
「ん」
「お前――妖怪の攻撃を避けなかったの、わざとだろ」
その言葉に、霊夢は何か反応する訳でも無かった。
時が来た、と諦観するような目で、ただ質問を返してくる。
「……紫ね?」
「……ああ」
「ったく、アイツは本当にお喋りなんだから」
「職業病のような物よ」
そう紫は言った。
「職業病? って巫女の?」
「そう。そして博麗の巫女として致命的な職業病よ」
博麗の巫女の職業病で、かつ巫女には致命的。
「掃除をさぼる! とか」
「何を今更」
めっちゃ冷静に返された。んまあ、確かに今更だけど。
となると、一体何だろう。少し落ち着いて考えてみる。
「――あ」
すると、割とあっさり答えは思いついた。
「霊夢は、件(くだん)の妖怪による攻撃を避ける気が――無かったわ。寧ろ、自分から当たろうとしていたみたいだった」
「というと――」
博麗の巫女の本職は『妖怪退治』だ。悪い妖怪を退治してこの幻想郷のバランスを保っている。
そんな巫女の致命的な事は、最早考えるまでも無い。
「――妖怪を、霊夢は退治できない」
「ご明察」
勿論、霊夢に妖怪を退治する力がなくなった訳では無く。
もっと『精神的な意味で』――霊夢は妖怪を倒せなくなってしまった。
「魔理沙と紫の想像通りよ」
障子の向こう側から、夏虫の鳴き声が聞こえてくる静かな夜。
霊夢の落ち着いた声は、そんな夏の雰囲気に溶け込んでしまっているようで。私は集中して、霊夢の言葉を聴く。
「私はもう、妖怪を退治しない――いいや、できないわ」
「……どうして」
「それは――」
そこまで言って、霊夢は突然口ごもる。
不思議そうに私が霊夢を見つめていると、彼女は唇を噛んでボソリと言う。
「……笑わない?」
「っ……笑う訳ないだろっ」
思わず正座する膝を叩き、怒鳴りつける。霊夢の中の私は、彼女の人生を笑うような最低な奴として認識されていたのか、と。
しかし霊夢がビクリと身体を引いたのを見て、色々燻りながらも言葉を喉元に押し込んだ。
「……悪い……でも、そんな事言うなよ。笑う訳……ないだろ」
「……ごめん。私が悪かった」
重い沈黙。お互いの呼吸音が聞こえてくる程、その場は静かになる。
ただただ夏虫が鳴き、月明かりが上窓から居間を照らす。それから暫くお互い黙ったままで、のち先に口を開いたのは霊夢だった。
「……妖怪を見るとね。アンタ達の事を思い出すの」
「……私達?」
「厳密に言えば魔理沙は違うんだろうけど……でも、今まで関わってきた奴ら全員の顔が、その妖怪に被って見える」
そう呟くように言う霊夢の顔は、冷静なようで――寂しげだった。
それは何に対して? 私? 紫? それとも知り合い全てに対して?
「……昔と考え方が正反対だな。お前がアイツらの事を気にするなんて」
「アンタもよ、魔理沙」
きっと、今挙げたどれでもない。霊夢が寂しがっているのは――昔の自分自身だ。
「自分でも気づいて無かった訳じゃないわ。……ただ信じたくなかっただけ。アンタとか、アリスとか、紫とか、レミリアとか――私の外側に居る人間が内側へいっぱい入ってきて、私の意志とはまるで逆に、私の人生を塗り替えていくことに」
「……」
「それでも、一定の線は引くことは出来てたわ。私や魔理沙は人間で、アイツらは妖怪。そこには切っても切れない境界線があって、それがあれば私は私でいられるんだってね」
出来ていた。過去形。何かがあったのだ、霊夢の心を変えてしまう程の、とてつもなく大きな出来事が。
それもまた、少し考えれば分かる事だった。答えは出来事じゃなくて、今もこの幻想郷にある、とてつもなく大きな存在。
「白蓮の話を聞いた時はまだ、そんなの綺麗事だって思ってたけど。知らない間に、もし本当にそうだったらって、考える時があるの」
「……人間と妖怪が平等だ、って?」
「やんなっちゃうわよね。綺麗事だ綺麗事だって自分で思い込もうとしてるのに、アイツの寺ばっか信仰が増えるんだから」
少し霊夢が笑った。自嘲気味に、でも作り笑いじゃない笑顔。
「……魔理沙、聞いてる?」
「っ……あ、ああ勿論」
その顔に、私は思わず見とれてしまっていた。霊夢の言葉に慌てて取り繕うも、彼女は憮然とした顔でこちらを見つめている。
でも、今自分の抱いている気持ちだけは、絶対に取り繕えそうも無い。
きっと彼女はこう言うのだろう。妖怪を殺すのは、私達を殺すのと同じだから、だから殺す訳にはいかないと。
その為なら、妖怪の攻撃も甘んじて受けて、命を落とす事さえ構わない、と。
――ふざけるな。霊夢が居なくなったら、私はどれだけのものを無くすと思ってる。
私の大好きな霊夢の笑顔は、もう2度と見られない。思い出の中の霊夢も、夕焼けのように世界に溶け込んで、曖昧なものとなってしまう。
そうなったら、私はどうすればいい? 私の内側に入り込んだ霊夢という存在を埋められるものなんて、どこにもないのに。どうすれば?
「だからね、私決めたの。もう……巫女を辞めようって。そうすればもうアンタ達には会えないけど――『アンタ達を殺さなくて済む』もの」
「……やだ」
「……はっ?」
「やだ、って言ったんだよ。お前が死ぬのも、居なくなるのも、お前に会えなくなるのも、全部全部嫌だって言ったんだ」
おもむろに立ち上がって言い放つ。霊夢が素っ頓狂な声を漏らして、でも私はもう止められそうになかった。
首を吊る奴の気持ちなんて、自殺行為に出た妖怪の気持ちなんて、そいつの見た走馬灯なんて――そんなの知るか!
「……何よそれ、私の気持ちは無視ってこと?」
「ああそうさ、お前の気持ちだって知ったこっちゃない。ただ私が嫌だから、お前には死なせないし巫女を辞めさせもしない」
「ア、 アンタは何――」
「自己中だって事くらい分かってる、自分勝手だってことぐらい分かってる――でもさ、お前は考えたことあるか? お前が私達の心の内側の、どこまで深い所に入り込んでるかって」
「っ――」
「死んでもいいとか……巫女を辞めて私達には二度と会わないとか……そういう事、普通に言うなよっ! お前が居なくなったら、皆が作ってたお前の居場所はどうすんだよ……埋められるわけないだろっ! お前以外で埋められる奴なんて誰もいないんだよっ!」
「雑魚妖怪も、私も、みんなも、お前が思ってるみたいに同じじゃない……っ! 全員の中に、全員の霊夢が居るって――それぐらい、分かれよ……」
「ぁ……」
最後の方は、もう何も考えていなかった。頭に血が上って、ただ思いついた事を言葉にして。きっと無茶苦茶な事を言ったのだと、記憶がない中でも思う。
辺りは一気に静かになる。夏虫すら鳴くのをやめた。月明かりだけは今も煌々と私達を照らしあげて、こちらを見つめ続けている。
不意に、見下ろす霊夢の顔がぼやけて見えた。私は泣いてるんだろうか。なら情けない、説教じみたこと言いながら無くなんて、本当に情けない――
拳を握りしめて直後、遠くに見えていた霊夢の顔が近くなる。涙で距離感覚が狂ったのだと思った――けど、違った。
霊夢の身体が、情けなく泣きじゃくる私の身体を――抱き寄せる。
「霊……夢」
「……魔理沙は、作ってくれる……? 私の場所を、魔理沙の中に」
霊夢が、私の耳元に口を寄せて言った。
……何を今更。さっきから言ってるじゃないか、答えは。
「もう、出来てる」
◇
数日後、そこには人里で障子の新調に付き合わされている霧雨魔理沙の姿が。
どうしてこうなった……。
「普通に障子直ってたじゃねーか! どこに新調する必要があるんだよ! しかも私の自腹っ!」
「弁償なんだから自腹は当たり前でしょー?」
「だから壊してないっ!」
コイツ、絶対この機会に私から金をむしり取るつもりだ。なんつー……
当の霊夢といえば、怒りをあらわにする私の横でクスクス笑ってやがる。霊夢の笑顔は好きだから許す――何てことは無い。理不尽なものは理不尽だ。
「まあいいでしょ? ――これからずっと付き合ってく場所の物なんだから……さ?」
そう意固地になっていた私が、まさかこんなに早く陥落するとは、予想外だった。
「……仕方ないな。今回だけだぜ」
いいものを読ませていただきました。
障子紙が薄汚れたんなら張替えりゃいいじゃん。
職人霧雨の匠の技に期待だ。
魔理沙かっこいいよ魔理沙!
もぉ末永く幸せになっていただきたいです!!