深々と沈んだ夜の帳に、ぽっかりとまん丸の月が空に浮かぶ。
本来、静寂を強くイメージさせるはずの深夜の時間帯、けれども、ここ博麗神社ではその静寂を打ち破るような騒がしさに満ちている。
飲めや歌えのドンちゃん騒ぎ。人間と妖怪が入り乱れる大宴会は、人が寝静まるはずの丑三つ時であっても衰えを知らない。
「一番、橙、一発芸行きます!! 付け鼻つければあら不思議、ジャッ○ー・橙(チェン)!!」
ドッとあたりの妖怪が笑いこげ、「いいぞいいぞー」と野次を飛ばす。
いい具合に酒の入った化け猫は気を良くしたらしく、カンフーのつもりなのかへんてこな構えで踊っていた。
動きに合わせて野次馬から手拍子が入っているあたり、ドイツもこいつもノリがいいことだ。
そんなことを思考しながら、この神社の主――博麗霊夢は酒の注がれたお猪口を傾けて、一人ため息を付く。
明日から行わなければいけないだろう掃除にめまいを覚えそうだが、気にしても仕方がないので今は考えない。
そんな現実逃避をしながら、霊夢は縁側に腰掛けながら目の前の馬鹿騒ぎを眺めている。
いつもどおりの光景、いつもどおりの風景、いつもどおりの馬鹿らしくて、けれどもどこか楽しい宴会の時間。
「なんだいなんだい、さっぱり飲んでないじゃないか」
ふと、その光景を眺めていると、唐突に現れた気配に声をかけられた。
隣に現れた気配に視線を向ければ、飲兵衛の鬼――伊吹萃香が、いかにも酔っ払っているといわんばかりの赤い顔で話しかけてくる。
強烈なアルコールのにおいが鼻につんと付くが、霊夢は気にした風もなく「別に」と言葉を返して一口煽る。
空になった器に、萃香はとくとくと次の酒を注ぐ。
酒がいるかも問いかけず、「さぁさぁ」と遠慮なく注ぐそのさまは間違うことなくたちの悪い酔っ払いだ。
「飲むなんていってないんだけど?」
「何を言うか。いつもは前後不覚になるまで飲むくせに」
「気分じゃないのよ」
「ふーん、珍しいこともあるもんだねぇ」
特に気にした風もなく、ケタケタと赤い顔で豪快に笑いながら、酒の詰まった瓢箪をこれまた豪快に煽って一気飲み。
ゴクゴクと大量の酒を嚥下しながら、ぷはーっと一息ついたその表情は実に上機嫌である。
なんとも彼女らしいその様子に苦笑して、「あんまり飲みすぎるんじゃないわよ」などと無駄な忠告などひとつこぼしてみる。
どうせこの酔っ払いのことだ、きっと天狗の射命丸文や姫海棠はたて、犬走椛、あるいは友人の紫と朝まで飲んでいるに違いなかった。
そんなわけで、忠告もそこそこに再び霊夢は目の前の宴会に視線を向ける。
アリスやパチュリーに白蓮と共に会話が弾んでいる魔理沙、うらみつらみを向ける妹紅と、それを受け流す輝夜の飲み比べ。
レミリアと天子はお互いの従者を自慢しあい、紫と幽々子は暢気に雑談しながら酒を楽しんでいる。
さとりが暴走しがちなペットを押さえ、早苗は悪酔いしたのか服を脱ぎだし、フランから下着だけを引っこ抜いた小悪魔が逃げ回り、最終的にはフランにとっつかまってマウントポジションでボッコボコにされていた。
そんないつもどおりの光景に苦笑して、霊夢は酒を煽る。
喉を通るアルコールの焼けるような感覚が心地よい。程よく酒が脳に回り、くらくらとなんだか上機嫌な気分になってくる。
隣から「いいのみっぷりだねぇ」なんて言葉が聞こえたがそれには取り合わず、相変わらず頼みもしないで酌をする小鬼に苦笑した。
そんな中で、ふと、誘ったはずの顔が見えないことに気が付いて、霊夢は顔をしかめた。
(あいつ、せっかく私が誘ってやったっていうのに)
むすっとした顔で辺りを見回すが、やはり目的の人物の顔は見つからない。
ここ最近、博麗神社に顔を出すようになったどこぞの仙人は、どういうわけかあまり宴会には参加したがらなかった。
たまには付き合えと無理やり誘い、首を縦に振らせたというのに、肝心のこの場にいないのでは意味がないではないか。
だんだん腹立たしくなってきた霊夢はがたっと立ち上がり、かの頑固者を探そうと歩みを進めようとして。
「あいつなら、神社の裏だよ」
その声を耳にして、彼女は驚いたように振り向いた。
声の主は、先ほどまで隣にいた萃香のものだ。
けれど、どういったことか先ほどと同じように笑っているというのに、どこかそっけない印象を受けるのだ。
気のせいかと首をかしげる霊夢だったが、どっちにしても深く追求するのは霊夢の柄ではない。
一言だけ「ありがとう」と簡単な礼だけを述べた霊夢は、裏の方へと誰にも気づかれないように歩みを進めた。
そんな彼女の背中を見送り、萃香はグビッと瓢箪を乱暴に煽る。
熱く焼けるようなアルコールの喉越しが心地よくて、けれども気分はイマイチ。
ぷはっと瓢箪から口を離して空を見上げれば、まん丸の月が視界に入った。
「やれやれ、何してるんだか」
そうつぶやいた鬼の言葉は、誰に向けられたものだったか。
霊夢にか、それともこの場に顔を見せぬ誰かにか、あるいは――言葉を発した自分自身か。
しばらく考えていたが、どうでもいいかと酒をあおり、目の前の宴会を眺める。
うるさく陽気な喧騒はいっそう深くなっていく。どうやら、まだまだ宴会の終わりは先らしかった。
▼
神社から聞こえてくる声は騒々しく、けれどもどこか楽しそうに騒ぎ立てている。
そんな喧騒を耳に聞きながら、桃色の髪の少女は空を見上げて酒を煽っていた。
小さな池からは人が乗れそうなほどの大きな亀が顔を出し、ジッと少女を見上げている。
自身を心配しているのがわかって、少女は優しく亀の頭をなでていく。
「ありがとう、心配してくれているのね」
少女――茨木華扇はそんな言葉をつむいで、小さく微笑んだ。
亀もおそらくは彼女の言葉がわかっているのだろう。まるで、肯定するかのように池から這い出した大亀は華扇の隣でうずくまった。
その様子に苦笑して、華扇はちびちびとお酒を口にする。
見上げれば大きな月が顔を覗かせていて、聞こえてくる喧騒も酒の肴にはちょうどいい。
「今頃、霊夢は楽しく飲んでるのかしら」
ポツリとつぶやいてみた言葉は、誰にも届かずとけて消える。
誘ってもらって悪いが、自分はあの輪に混じるわけにはいかないと、華扇はそう思っていた。
人間と、旧地獄のつながりを封じたい。そう思っている彼女が、どうしてあの場に居合わせることができようか。
誘ってくれた霊夢には悪いが、自分はここでこうやって一人酒を飲んでいるほうがいい。
余計ないざこざは、起こさないに限る。
「地上に住めるのは、善人と、聖人と――」
――それと、大悪党だけだ――
怨霊を握りつぶしたときにつむいだ言葉。
罪人の魂を、容赦なく握りつぶし、輪廻の輪から外れさせたあのときのつぶやき。
地上にあふれ出た怨霊に対する見せしめのつもりだったのか、あるいは……己の立場を再認識するためだったのか。
考えたところで、程よく酒の入った華扇には解答が導き出せず、小さくため息をついて杯に視線を落とす。
旧地獄と人間とのつながりを断ち切りたい彼女にとって、霊夢が地底のものたちと面識があるのはなかなかに頭の痛い事実である。
かといって、ああも仲良さそうに宴会をしている中で、そう思っているのは華扇一人だけ。
そんな中で地底のものたちに関して思いのたけを口にすることもできず、半ば逃げるように宴会から離れてここにきてしまった。
「……はぁ~、なんだか惨めだなぁ。私ってば」
耳に届く喧騒はなんとも楽しそうで、それが余計に自分を惨めにさせている気がしてしまう。
もちろん、そんなことはないはずなのだけれど、彼女は背後の大木に背を預けるように目を閉じる。
「こっそりと帰ってしまおうかしら?」
口にしてみたその案は、今の華扇にはとても魅力的なように見えた。
黙って帰ってしまったことに霊夢は怒るだろうけれど、体調が悪くなったとでも言えば強くは言及しないだろう。
正直、このままいていつ旧地獄の者たちに感情を爆発させるかわからないよりは、自宅に帰ってしまったほうが双方のためになるような気がする。
そんな風に考えながら、自分の後ろ向きな考えに辟易して、くぴくぴと酒を飲む。
そうやって、酒をたしなむ華扇の元に、ざく、ざく、と踏みしめるような足音が近づいてきた。
その足音に気づいてそちらに視線を向ければ、自身を誘った張本人がそこにいて、華扇は目を丸くする。
「霊夢? どうしたのですか、こんなところで」
「そりゃこっちの台詞よ。せっかく誘ったっていうのにどこかいってさ」
むすっとした顔で文句をたれて、霊夢は華扇の前へと歩みを進める。
ふと、華扇の隣にたたずむ大亀を見つけ、「あんたも久しぶりねぇ」と頬を緩めた。
大亀は顔を上げ、うっすらと笑ったように見えて、華扇は目を丸くする。
霊夢にしては珍しいと思えて、そんなことを考えている間に華扇の隣に霊夢が座った。
「むこう、いかなくていいのですか?」
「いいのよ。あっちは勝手に盛り上がってるんだから、宴会に一人離れて寂しく酒飲んでる馬鹿の相手ぐらいしてやるわよ」
「……霊夢に馬鹿といわれるのは心外ね」
「ならド馬鹿って言ってやるわよ。もしくは阿呆ね」
言いたい事言われて反論しようとした華扇だったが、反論は聞く耳ないのか霊夢は問答無用で華扇の杯に酒を注ぐ。
並々に注がれた自分の杯には目もくれず、華扇はただただじっと霊夢の顔を覗き込んでいる。
月の明かりだけに照らされた霊夢の顔は、淡い印象を抱かせてどこか幻想的ですらある。
そんな彼女の表情はいまだ不機嫌そうで、華扇の視線に気づいたのか霊夢はジトっとした視線を投げかける。
「何、なにか文句あんの?」
「いえ、そんなことはないけれど……」
「その割には、何か言いたそうだけど……」
まぁいいわ、と言葉をこぼして、霊夢はとくとくと自分の杯に酒を注ぎ始めた。
宴会の喧騒がどこか遠く、まるでこの場所だけが異界に切り取られたかのようだった。
隣に少女のぬくもりを感じながら、華扇はくいっと、杯を煽る。
今まで飲んでいた酒と変わらないはずなのに、どうしてか、今のお酒は驚くほどおいしく感じられて。
我ながら、現金な性格だなぁと華扇は思う。望んでいた誰かがそばにいるだけで、こんなにもお酒がおいしく感じられるようになるのだから。
しばらく、お互い無言のまま酒をたしなむ。
何も言わず、語らず、けれどもお互いに不快なものはなくて、ただただ静かに酒の旨みを楽しんでいた。
けれど。
「それで、あんたはいったい誰を避けてんの?」
霊夢のその言葉に、華扇は驚いて彼女に視線を向けた。
くりくりとした瞳は静かに華扇を覗き込んでいて、そのまま見ていたらその瞳の中に吸い込まれてしまいそう。
そんな、かわいさと、恐ろしさを併せ持った瞳が、華扇の心を覗こうと輝いているような気がした。
息が、詰まる。
悟られていないと思っていたのに、そんなそぶりは見せなかったはずなのに、この少女はいきなり確信へと足を踏み込んできた。
言葉が、凍りつく。
そんなことはないと、つむごうとした言葉はその瞳に押し込められ、代わりに出たものは言葉にもならない情けない声だった。
「あー」だの「うー」だの、困ったように視線を彷徨わせる華扇を見やり、霊夢はというと「はぁー」っとこれ見よがしにため息をついて、隣の仙人の心に深々とナイフをつきたてやがったのである。
「……まぁ、言いたくないなら別にいいけどさ」
「うぐぅ……」
「でも、意外ね。あんたにも苦手なやつがいるんだ」
本当は、そうじゃない。そう言葉にするのは簡単で。
けれども、その言葉を紡ぐのは憚られて。
結局、華扇は本心を口にできず、困ったように笑って「そうですね」って返事をする。
そんななんでもない言葉を。
自分のお気に入りの、いとしいとさえ思う少女に対して。
息をするように、当たり前のように――嘘を、ついた。
チクリと、心が痛む。
針が突き刺さったような胸の痛み、胸に何かがつっかえるような違和感。
自分に気を使ってここに来てくれた、大事な少女に平然と嘘をつくことへの痛みなのか。
あるいは、もっと別の理由があったのか。
そのすべてを覆い隠すように、華扇は笑った。
嘘も、痛みも、少女に見せまいとするかのように。
「ふーん、まぁいいけどさ」
そんな華扇の笑みを、言葉を、博麗霊夢はどのように捉えただろうか。
無表情に見えるその顔は、どこか納得していないようにも見える。
そう見えるのは、華扇が後ろめたく思っているからか、それとも本当に納得していないのか。
どっちにしても、霊夢はぐいっと酒を煽っては、また自分の杯に酒を注いでいる。
けれども。
「途中で帰るのだけは、絶対に許さないわよ。嘘をつくのもごまかすのもかまわないけど、最後まで付き合いなさい」
そんな風に言葉をつむいだ霊夢は、ふんっとそっぽを向いて酒を煽った。
ぱちくりと目をしばたかせた華扇が霊夢を凝視すると、うっすらと頬が朱色に染まっているような気がした。
きっと、その朱色の原因はアルコールだけが原因じゃない。
そう思えて、彼女が照れているのがわかって――やっと、華扇は心から笑えた気がした。
「ふふ、そうね。霊夢の言うとおりかしらね」
「わかってんならあんたも飲む。それから、片付けも手伝ってもらうからね」
「はいはい、わかっていますよ。せっかく宴会に誘っていただいたのですから、御礼に後片付けを手伝うのもよいでしょう」
そんな風に、いつものやり取りを交えながら、二人は笑う。
先ほどの陰鬱な気持ちを振り切るような、朗らかな笑みを。
そんな笑顔を見て、霊夢はようやく、いつもの華扇が戻ってきたような気がした。
華扇が何を隠しているのか、何を避けているのか、勘の鋭い霊夢でも、そこまではわからない。
けれども、それを無理やり聞き出すほど霊夢は無粋ではない。
話してくれないのは、少しさびしくはあるけれど。
(でもまぁ、気が向いたら話してくれるでしょ)
そんな、無意識の信頼から、霊夢は自然と笑うことができていた。
そっと、頭を華扇の体に預けると、彼女は驚いた表情を一瞬したものの、柔らかな笑みを浮かべて華扇も同じように霊夢に頭を預けた。
こつんっと、お互いの体が触れ合って、何気なく空を見上げればきれいな満月が浮いている。
今はお酒よりも、言葉よりも、ただ一緒にこの月を見上げていたい気分だった。
どっと、神社のほうから喧騒が増した。大方、誰かがまた馬鹿なことでもおっぱじめたのだろう。
そのことに思い至った二人は、くすくすと苦笑した。
そんな二人を見上げていた大亀は、もう大丈夫と思ったのか、あるいは邪魔者は退散しようと思い至ったのか、気づかれないように池に戻る。
そのことに気がついた華扇は、心の中で大亀に感謝しながら、静かに酒を煽った。
こうして、二人で飲む酒は不思議と一人でいるよりもおいしくて。
大事な少女の暖かさを感じながら、華扇はうれしそうに、幸せそうに、静かな笑みを浮かべていた。
二人の少女を見守るように、まんまるの月が輝いている。
宴会の喧騒も、二人の密かな月見酒も、まだまだ終わりそうにない。
そんな神社の景色を眺めて、小さな鬼がケタケタと笑っているような気がした。
怒る?
しんみりして良いなぁ
萃香もどういう意味合いであれ、素直になるべきだと思うんだな。
玄爺もなんやかんやと元気そうですな。
物語上では嘘をついている(←騙し討ちの件)酒呑童子の恋人または義兄弟な鬼……まぁ、仙人になってるから嘘ついてもいいのかな?
それはそれとして、しんみりした空気がよかったッス!
投稿者コメントも紳士的で好感でした。
次回作も頑張ってください
(`∇´ゞ
玄爺……ナイスです。
さりげなくいつものノリのこあフラがいて嬉しかったり。
華扇が抱える言葉を霊夢に伝えることができる日が来ますように……
華仙ちゃんは、時々自己嫌悪に陥っちゃうタイプ、それを支えるのは、霊夢の役目ですかね。
P.S."はくはくちぇん"氏だと思ってた自分をしばきたい