時刻は早朝4時。
まだ薄暗い詰め所の一角、ベッドに潜り込んで安らかな寝息をたてているのは紅美鈴。
時々寝返りを打ち、その寝顔は見るもの全てを和ませ、いつまでも眺めていたいと思わせる。
早朝のわずかな時間に流れる平穏な空気。
「スタイリッシュ瀟洒アクション!」
それはガラスの割れるけたたましい音と叫びによって、朝の露のように消えてしまった。
窓から飛び込んできた何かはガラスを蹴散らし、ごろごろと床を転がると警戒するように周囲を見渡す。
「誰もいないわね……」
そう呟くのは紅魔館のメイド長、十六夜咲夜。
瀟洒が服を着ているような彼女だったが、今は眼の色が違う。別に傷符を使っているからとかそういうわけではなく。
「んー……ふみゅう……」
この騒乱の最中でも美鈴は目を覚まさなかった。
彼女の名誉のために言うならば、悪意あるものが近づいたならすぐにでも目を覚ますだろう。
しかし、それ以外ならばどんなにうるさかろうと眠り続けるスキルも持ち合わせていた。
そして咲夜。
「めーりんのねがおー。おーいえー」
右手を天に掲げ妙なテンション。キャラが完全に崩れている。
このメイド長、すこぶる朝に弱く、その上寝起きも悪い。
詰まるところ、寝ぼけている。
ただ寝顔を見たいという一点で行動している今の彼女は無意識に近い。
「可愛い……」
咲夜はベッドの脇にしゃがみ込み、子犬のように愛らしく眠り続ける美鈴をただ眺め続ける。
ほう、と息を吐く咲夜の表情は日向に置かれたアイス以上にとろけていた。
普段の彼女を知るものが見ればよく似た双子なんじゃないかと思うくらいにかけ離れているが、本来咲夜は甘えたがりな人間なのだ。
覚えている記憶で一番古いものは心配そうに自分を見る美鈴の顔だった。
紅魔館の前に倒れていて、どうしてそこにいたのか、どこから来たのか。何も思い出せない咲夜を美鈴が保護した。
それからレミリアの元につれて行かれ、いつの間にかメイドとして働くことになっていた。
働き始めたときは、どうしてこんなことをしているのだろう、と無気力な思考のままただ漫然と過ごしていた。
何しろ生きる気力も意味も見いだせなかったから、別に働く必要なんてないと思っていたのだ。
『次はがんばりましょう』
そんな風になぜ慰めてくれるのだろう。別に落ち込みなどしていなかったのに。
ただ、彼女が落ち込んでいる姿はあまり見たいとは思わなかった。
だから、ほんの気まぐれ、そのつもりでいつもより仕事をした。
そしたら、人の良さそうな笑顔で頭を撫でてくれた。
『頑張りましたね』
暖かくて大きな手にもっと撫でられたい。
今思えば子供じみた生きる理由。
だけど、自分にとってそれはとても大事なことだった。
「はぁ……美鈴可愛い……」
まあ、そんなわけで。
今では大人びた少女に成長した咲夜だったが、美鈴に対しては昔のままである。
気がつけば何時間も美鈴を眺めていることさえある。
時間を止めることが出来なければレミリアに叱られるのが日課になっていただろう。
そして今も時間を忘れていた。
「うん……うん?」
目覚めた美鈴と眼があった。
どうしてここにいるんだろう?
そういう視線を受け止めながら、咲夜は冷静に時を止める。
さて、自然な言い訳は何だろうか。時計を見ると時刻は5時半。少し早めに朝食を持ってきた。それでいいか。
先ほどまでとろけていた表情はすでに冷たいナイフのように引き締まっていた。
伊達や酔狂で瀟洒を名乗っているわけではない。
「さて、メニューはどうしようかしら」
ただ天然であるとは常日頃から言われていた。
「……うん? あれ咲夜さん?」
「おはよう美鈴。ご飯、持ってきたわよ」
時を止めた数十分の間に用意した朝食を美鈴に差し出す。
彼女は状況がつかめていないのか、二三度瞬きをして咲夜に不思議そうな顔を向ける。
「……ありがとうございます。あの、それはいったい……」
美鈴が指さした先にあったのは、スタイリッシュアクションの犠牲となった窓だった。
時間を止めたときに直しておけばよかったのに、忘れる辺りが天然と言われる所以である。
しかし、咲夜は顔色一つ変えずに応える。そこに動揺に色は見えない。
「セ○ールの仕業よ」
見えないだけでかなり動揺していた。
「○ガールですか」
はぁ、と美鈴は聞き返す。
「そうよ」
「じゃあ、仕方ないですね」
本当は違うんだろうなぁ、と思いつつ美鈴は追求しなかった。
しても仕方のないことだし、それよりも今は朝食のほうが大事だ。
「ああ、咲夜さん」
「なに?」
「おはようございます」
「おはよう」
微笑んで挨拶をする美鈴に咲夜も笑顔で応える。
彼女の一日はこうして始まる。
◇
咲夜とていつでも美鈴を眺めているわけではない。
主の起きてこない日中は廊下や部屋の掃除、洗濯物を干したりとメイドらしく働いている。
そして、パチュリーや美鈴のための昼食を作るのも仕事の一つである。
「とーきはーまさにーせいきまつー」
機嫌よく歌を口ずさみつつ、手際よく包丁でレタスとベーコン、トマトを刻んでいく。
手頃な大きさにしたそれらに手製のマスタードソースをかけ、パンで挟めば完成だ。
「うん、おいしい」
完成したBLTサンドを味見した咲夜は満足そうに頷く。これなら喜んでもらえるだろう。
わぁ、すごくおいしいです咲夜さん!
本当? よかった。
これから毎日私に味噌汁を作ってくれませんか?
え……それって……
はい……
「なーんてね、えへへ」
自身の脳内妄想に悶えてくるくる廻り出す咲夜。キャラが完全にブレていた。ブン屋には見せられない姿である。
ああ、だけどそんなことになったらどうしよう。仲人は誰にしてもらうべきだろう。やっぱりお嬢様かしら。いや、もしかしたらお嬢様は反対の立場で認めようとしないかもしれない。それを乗り越える二人の物語。いやはや素敵だ。これは書籍化されるべきだろう。そこにいるパチュリー様とかに
「……パチュリー様?」
キッチンの入り口に立っている人物、ジト眼と紫色のネグリジェに小脇に抱えた本。
それは紛れもなくパチュリー・ノーレッジその人だった。
「……」
「……」
眠たげなジト目を向けるパチュリーとニヤケ顔のまま固まった咲夜。
人の記憶を消すのはどうすればいいのだろうたしかそういう技があったようなええとなんだったかそうだ虚無指弾だよし消そう他の記憶も巻き添えになって構わないさ。
一瞬で物騒な判断を下した咲夜は怪しげなポーズを取りパチュリーと対峙する。
またか、と言うかのように彼女は溜息をつくと面倒臭そうに言う。
「……昼食はまだかしら。小悪魔が待ちわびているんだけど」
「あ、はい!ただいまお作りします!」
見られてないよかった助かった!
咲夜は安堵の息を吐き出し、かつてない手際の良さでサンドイッチを作り上げる。
美鈴の物とは違って、ハムとチーズのサンドイッチだ。
「出来ました!」
「時は止まってなかったのにずいぶん早いわね」
呆れたように言いながら皿を受け取る。
「パチュリー様、さっきの」
「なんのことかしら、何も見てないわよ」
「なんでもありません。失礼しました」
恭しく頭を下げる咲夜を半眼でパチュリーは眺める。
まあ、見てたけどね。それどころかずいぶん恥ずかしいことを口走っていたのも聞いたけどね。
それなのに追求しないのはパチュリーの優しさと言うよりも、余計な時間を使いたくないというのが一つ。
もう一つはいつものことだからというのが大きかった。
それにしても。あの無愛想な子どもがよくもここまで丸くなったものだ。
可愛げのない無表情のまま美鈴に連れられてきたときのことが懐かしい。
本を読んでやっても無反応で読みがいのない奴だったのだけど、いつごろからか年相応の顔も見せるようになったのは、何かと世話を焼いていた美鈴の成果だろうか。
「そう言えば、私と美鈴のは違うのね」
「はい、本を読みながらお食べになるようなので。こちらの方が食べやすいと思ったのですが、迷惑でしたか?」
「いつもそうしてるわけじゃないけどね。だけど、気遣いはありがたいわ」
言って、パチュリーはサンドイッチを口に運ぶ。
咀嚼し終えると少しだけ頬をゆるませ言う。
「うん、おいしい」
「ありがとうございます」
「けれど、美鈴に作ったものの方がおいしいんでしょうね」
「手を抜いたつもりはないのですが……」
意地悪そうに言うパチュリーに困ったような表情を咲夜は作る。
「スパイスが違うのよ」
「スパイス、ですか」
「ええ、あなたにしか作れないのものよ」
じゃあね、と軽く手を上げ立ち去るパチュリーを見送ると、咲夜は考えこむように顎に手を当てる。
私にしか作れないスパイスとは一体なんだろう? このマスタードソースのことだろうか。
パチュリー様は辛いのが苦手なようだったからマスタードソースは使っていなかったのだけど、物足りなかったのかもしれない。今度は辛めのソースを使ってみよう。
『スパイスは愛情』だとはっきりと言わなかったことをパチュリーが後悔したのは、次の日の昼食であった。
◇
午後3時頃。
起きだした吸血鬼姉妹たちが騒ぎ始める時間である。
「紅魔最終掌!」
「ああ! お姉さまの左手に全カリスマが集中している!」
「アレに触れたら一溜まりもないわ!」
煌々と赤く輝く左手を掲げるレミリアに対峙するのは、フランAとスペカで増やしたフランB。
大袈裟に叫んではいるが、別にカリスマによって輝いているわけでなく単に魔力で光らせているだけである。
「さあ、かかって来なさ」
「今よ! 私諸ともお姉さまを!」
「えっ」
いつの間にか後ろに回っていたフランCに羽交い絞めにされたレミリアは間の抜けた声を出す。
「くっ、ごめんなさい私!」
「少しは迷えよ!?」
レミリアのツッコミも虚しく、フランDはバールのようなレーヴァテインを振りかざし跳躍する。
だ、大丈夫。これはあくまで遊びだもの。だから、脳天を割られるような事にはならないわ。
お姉ちゃんは分かっているからね、フラン。
そう信じて、フランの目を見る。
姉と遊ぶ楽しさに顔を綻ばせる彼女の瞳には。
本気の色しか見えなかった。
あ、私死ぬかもしれない。
目の前に迫る鈍器を前にただ冷静にそう思った。
私生まれ変わったらパン屋さんになるんだ……。
「お茶の時間です妹様」
「わーい」
音もなく現れた咲夜の一言にフランはバールを放り出し急々と席に着く。
同時にスペカの効力も失われ、拘束を解かれたレミリアはそのまま崩れ落ちるように膝を付いた。
「どうかなさいましたかお嬢様?」
「見てわからない……?」
「仲良く遊んでいたのではないですか?」
「……もういいわ」
駄目だ、このメイド。
無感情だった頃とは別のベクトルで駄目になっている。
レミリアは泥のような溜息を吐くと、よろよろと席にへたれ込む。
「どうぞ」
恭しく差し出された紅茶をそっと口元に運ぶ。
紅茶の香りと色を楽しんでいる。わけではなくたまに毒のような紅茶が出されるため警戒しているのだ。
ただ苦いだけのお茶ならともかく、鈴蘭のお茶を出したときもあった。
幸い今回のものはただの紅茶であった。
「どうしてあなたは妙なお茶を煎れたがるのかしら?」
安堵の息をもらしつつ、レミリアは訊ねる。
咲夜は何を当たり前のことを聞くのか、と不思議そうに首を傾げる。
「喜んでもらえるかと」
「普通が一番よ」
「毎日変なモノは無いかと仰っているじゃないですか」
「それはそれ、これはこれよ」
これが謀反の意思の現れとかならば対処のしようがあるのだが、彼女は善意で行動している。
そして結果は間違っているが行動自体は間違っていないせいで強く否定もしづらい。
計算でしているなら大した奴だろうが、きっと天然だろう。
「ねー咲夜ー。今日のご飯何ー?」
「パスタにしようかと思っています」
「やった。ねえ、咲夜も一緒に食べようよ」
「折角のお誘いですが遠慮します」
「えー、なんでさ」
不満そうに頬を膨らませるフラン。
咲夜は苦笑しつつ答える。
「従者が同じ卓で食事するわけにはいきませんので」
「ああ、駄目よフラン。咲夜は私たちと食事するより美鈴と食事するほうがいいらしいから」
「そうなの?」
誂うようなレミリアの言葉と無邪気なフランの視線。
咲夜は穏やかな笑みを浮かべ応える。
「一人の食事は味気ないだろうから一緒なだけですよ」
「あら、子供の時は美鈴にべったりだったのに。その三つ編みだって『お姉ちゃんと一緒がいい』って」
「紅茶のおかわりは如何ですかお嬢様」
「熱っ!? ちょっ、零れてる! 溢れてるから!」
「そんな遠慮なさらずに」
「人の話聞けよ!」
「あははは、お姉さま楽しそう」
「そう思うなら代わってホゥアッチャー!」
「あらお嬢様は伝承者だったのですか」
主と従者の馬鹿騒ぎ。
これも日常の一つであった。
◇
午後9時。仕事を引き継がれた美鈴が咲夜と食事する時間。咲夜が最も楽しみにしている時間でもある。
「ごちそうさまでした」
「ん、お粗末さまでした」
満足気に手を合わせる彼女に咲夜の顔も綻ぶ。
薄暗い室内でランプの柔らかい明かりに照らされた彼女はいつもよりも優しげで暖かく視える。
この彼女が4番目位に好きな彼女だった。
「料理上手になりましたよね、咲夜さん」
「あなたが教えてくれたもの。誰だって上手になるわ」
「今じゃ私より上手ですからね」
「かもね」
そう言って咲夜は立ち上がると食器を片付けていく。
「あ、咲夜さん。折角ですから一杯付き合ってくれません?」
「何が折角なのかわからないけど、まあ一杯ならいいわよ」
「ありがとうございます」
機嫌よく準備を始める美鈴に肩をすくめ、咲夜は食器を重ねてキッチンに向かう。
あまり酒に強くはないから翌日に仕事がある時は飲まないようにしていたのだけど、今日は飲んでもいい気分だった。
それこそ折角だから、かもしれない。
そんなことを思いつつ、洗剤を浸したスポンジで皿を洗っていく。
子どもの時から繰り返してきた毎日の仕事。
「咲夜さんは色んなことが出来るようになりましたね」
背中越しに掛けられた美鈴の声は嬉しそうで、何処か寂しげだった。
「それが?」
「私が教えることはもうないのかな、って思うと少し寂しいですね。咲夜さん、なんでも出来ますから」
「私にだって出来ないことはあるわよ。就業中に昼寝することとか」
「あははは……」
痛いところを突かれた美鈴は苦笑いでごまかす。
「ねえ、美鈴」
咲夜は独り言のように、なんでもないことのように喋り始める。
「なんですか?」
「私が笑えるようになったのはあなたのおかげよ」
もし美鈴や主人に出会わなかったらどうなっていただろう。
無愛想で冷めた価値観のままだったのか、それとも生きることも出来なかっただろうか。
「生きることも結構面白いって思えた。あれだけ無気力だったのにね」
生きる意味なんて未だにわからないけど、生きる理由はいくらでもある。
それに気がつくことが出来たのは彼女たちのおかげだった。
「出来ないこともたくさんあったけどあなたやお嬢様、パチュリー様のおかげで色々なことが出来るようになった」
だからね。
振り向いて微笑みかける。
あの頃よりもずっと上手になった笑顔で。
「これからも色々なこと教えてね」
美鈴は少しだけ見惚れて、
「はいっ!」
力強くしっかりと笑い返した。
寂しさなんて消えていた。それよりも大きく成長していた喜びが勝った。
彼女は自分を頼ってくれる。
なら、その期待に応えて見せようじゃないか。
どこまで成長するのか、最後の時まで見守ろう。
「それじゃあ、折角だからとっておきの奴も開けちゃいましょう」
「あなたが飲みたいだけじゃないの?」
「咲夜さんと飲みたいんです」
「はいはい」
今夜はいつもよりも長い夜になりそうだった。
「…………それで。どうして1階の窓が悉く割れているのかしら」
「ジャッ○ーの仕業ですお嬢様」
「ねえよ」
まだ薄暗い詰め所の一角、ベッドに潜り込んで安らかな寝息をたてているのは紅美鈴。
時々寝返りを打ち、その寝顔は見るもの全てを和ませ、いつまでも眺めていたいと思わせる。
早朝のわずかな時間に流れる平穏な空気。
「スタイリッシュ瀟洒アクション!」
それはガラスの割れるけたたましい音と叫びによって、朝の露のように消えてしまった。
窓から飛び込んできた何かはガラスを蹴散らし、ごろごろと床を転がると警戒するように周囲を見渡す。
「誰もいないわね……」
そう呟くのは紅魔館のメイド長、十六夜咲夜。
瀟洒が服を着ているような彼女だったが、今は眼の色が違う。別に傷符を使っているからとかそういうわけではなく。
「んー……ふみゅう……」
この騒乱の最中でも美鈴は目を覚まさなかった。
彼女の名誉のために言うならば、悪意あるものが近づいたならすぐにでも目を覚ますだろう。
しかし、それ以外ならばどんなにうるさかろうと眠り続けるスキルも持ち合わせていた。
そして咲夜。
「めーりんのねがおー。おーいえー」
右手を天に掲げ妙なテンション。キャラが完全に崩れている。
このメイド長、すこぶる朝に弱く、その上寝起きも悪い。
詰まるところ、寝ぼけている。
ただ寝顔を見たいという一点で行動している今の彼女は無意識に近い。
「可愛い……」
咲夜はベッドの脇にしゃがみ込み、子犬のように愛らしく眠り続ける美鈴をただ眺め続ける。
ほう、と息を吐く咲夜の表情は日向に置かれたアイス以上にとろけていた。
普段の彼女を知るものが見ればよく似た双子なんじゃないかと思うくらいにかけ離れているが、本来咲夜は甘えたがりな人間なのだ。
覚えている記憶で一番古いものは心配そうに自分を見る美鈴の顔だった。
紅魔館の前に倒れていて、どうしてそこにいたのか、どこから来たのか。何も思い出せない咲夜を美鈴が保護した。
それからレミリアの元につれて行かれ、いつの間にかメイドとして働くことになっていた。
働き始めたときは、どうしてこんなことをしているのだろう、と無気力な思考のままただ漫然と過ごしていた。
何しろ生きる気力も意味も見いだせなかったから、別に働く必要なんてないと思っていたのだ。
『次はがんばりましょう』
そんな風になぜ慰めてくれるのだろう。別に落ち込みなどしていなかったのに。
ただ、彼女が落ち込んでいる姿はあまり見たいとは思わなかった。
だから、ほんの気まぐれ、そのつもりでいつもより仕事をした。
そしたら、人の良さそうな笑顔で頭を撫でてくれた。
『頑張りましたね』
暖かくて大きな手にもっと撫でられたい。
今思えば子供じみた生きる理由。
だけど、自分にとってそれはとても大事なことだった。
「はぁ……美鈴可愛い……」
まあ、そんなわけで。
今では大人びた少女に成長した咲夜だったが、美鈴に対しては昔のままである。
気がつけば何時間も美鈴を眺めていることさえある。
時間を止めることが出来なければレミリアに叱られるのが日課になっていただろう。
そして今も時間を忘れていた。
「うん……うん?」
目覚めた美鈴と眼があった。
どうしてここにいるんだろう?
そういう視線を受け止めながら、咲夜は冷静に時を止める。
さて、自然な言い訳は何だろうか。時計を見ると時刻は5時半。少し早めに朝食を持ってきた。それでいいか。
先ほどまでとろけていた表情はすでに冷たいナイフのように引き締まっていた。
伊達や酔狂で瀟洒を名乗っているわけではない。
「さて、メニューはどうしようかしら」
ただ天然であるとは常日頃から言われていた。
「……うん? あれ咲夜さん?」
「おはよう美鈴。ご飯、持ってきたわよ」
時を止めた数十分の間に用意した朝食を美鈴に差し出す。
彼女は状況がつかめていないのか、二三度瞬きをして咲夜に不思議そうな顔を向ける。
「……ありがとうございます。あの、それはいったい……」
美鈴が指さした先にあったのは、スタイリッシュアクションの犠牲となった窓だった。
時間を止めたときに直しておけばよかったのに、忘れる辺りが天然と言われる所以である。
しかし、咲夜は顔色一つ変えずに応える。そこに動揺に色は見えない。
「セ○ールの仕業よ」
見えないだけでかなり動揺していた。
「○ガールですか」
はぁ、と美鈴は聞き返す。
「そうよ」
「じゃあ、仕方ないですね」
本当は違うんだろうなぁ、と思いつつ美鈴は追求しなかった。
しても仕方のないことだし、それよりも今は朝食のほうが大事だ。
「ああ、咲夜さん」
「なに?」
「おはようございます」
「おはよう」
微笑んで挨拶をする美鈴に咲夜も笑顔で応える。
彼女の一日はこうして始まる。
◇
咲夜とていつでも美鈴を眺めているわけではない。
主の起きてこない日中は廊下や部屋の掃除、洗濯物を干したりとメイドらしく働いている。
そして、パチュリーや美鈴のための昼食を作るのも仕事の一つである。
「とーきはーまさにーせいきまつー」
機嫌よく歌を口ずさみつつ、手際よく包丁でレタスとベーコン、トマトを刻んでいく。
手頃な大きさにしたそれらに手製のマスタードソースをかけ、パンで挟めば完成だ。
「うん、おいしい」
完成したBLTサンドを味見した咲夜は満足そうに頷く。これなら喜んでもらえるだろう。
わぁ、すごくおいしいです咲夜さん!
本当? よかった。
これから毎日私に味噌汁を作ってくれませんか?
え……それって……
はい……
「なーんてね、えへへ」
自身の脳内妄想に悶えてくるくる廻り出す咲夜。キャラが完全にブレていた。ブン屋には見せられない姿である。
ああ、だけどそんなことになったらどうしよう。仲人は誰にしてもらうべきだろう。やっぱりお嬢様かしら。いや、もしかしたらお嬢様は反対の立場で認めようとしないかもしれない。それを乗り越える二人の物語。いやはや素敵だ。これは書籍化されるべきだろう。そこにいるパチュリー様とかに
「……パチュリー様?」
キッチンの入り口に立っている人物、ジト眼と紫色のネグリジェに小脇に抱えた本。
それは紛れもなくパチュリー・ノーレッジその人だった。
「……」
「……」
眠たげなジト目を向けるパチュリーとニヤケ顔のまま固まった咲夜。
人の記憶を消すのはどうすればいいのだろうたしかそういう技があったようなええとなんだったかそうだ虚無指弾だよし消そう他の記憶も巻き添えになって構わないさ。
一瞬で物騒な判断を下した咲夜は怪しげなポーズを取りパチュリーと対峙する。
またか、と言うかのように彼女は溜息をつくと面倒臭そうに言う。
「……昼食はまだかしら。小悪魔が待ちわびているんだけど」
「あ、はい!ただいまお作りします!」
見られてないよかった助かった!
咲夜は安堵の息を吐き出し、かつてない手際の良さでサンドイッチを作り上げる。
美鈴の物とは違って、ハムとチーズのサンドイッチだ。
「出来ました!」
「時は止まってなかったのにずいぶん早いわね」
呆れたように言いながら皿を受け取る。
「パチュリー様、さっきの」
「なんのことかしら、何も見てないわよ」
「なんでもありません。失礼しました」
恭しく頭を下げる咲夜を半眼でパチュリーは眺める。
まあ、見てたけどね。それどころかずいぶん恥ずかしいことを口走っていたのも聞いたけどね。
それなのに追求しないのはパチュリーの優しさと言うよりも、余計な時間を使いたくないというのが一つ。
もう一つはいつものことだからというのが大きかった。
それにしても。あの無愛想な子どもがよくもここまで丸くなったものだ。
可愛げのない無表情のまま美鈴に連れられてきたときのことが懐かしい。
本を読んでやっても無反応で読みがいのない奴だったのだけど、いつごろからか年相応の顔も見せるようになったのは、何かと世話を焼いていた美鈴の成果だろうか。
「そう言えば、私と美鈴のは違うのね」
「はい、本を読みながらお食べになるようなので。こちらの方が食べやすいと思ったのですが、迷惑でしたか?」
「いつもそうしてるわけじゃないけどね。だけど、気遣いはありがたいわ」
言って、パチュリーはサンドイッチを口に運ぶ。
咀嚼し終えると少しだけ頬をゆるませ言う。
「うん、おいしい」
「ありがとうございます」
「けれど、美鈴に作ったものの方がおいしいんでしょうね」
「手を抜いたつもりはないのですが……」
意地悪そうに言うパチュリーに困ったような表情を咲夜は作る。
「スパイスが違うのよ」
「スパイス、ですか」
「ええ、あなたにしか作れないのものよ」
じゃあね、と軽く手を上げ立ち去るパチュリーを見送ると、咲夜は考えこむように顎に手を当てる。
私にしか作れないスパイスとは一体なんだろう? このマスタードソースのことだろうか。
パチュリー様は辛いのが苦手なようだったからマスタードソースは使っていなかったのだけど、物足りなかったのかもしれない。今度は辛めのソースを使ってみよう。
『スパイスは愛情』だとはっきりと言わなかったことをパチュリーが後悔したのは、次の日の昼食であった。
◇
午後3時頃。
起きだした吸血鬼姉妹たちが騒ぎ始める時間である。
「紅魔最終掌!」
「ああ! お姉さまの左手に全カリスマが集中している!」
「アレに触れたら一溜まりもないわ!」
煌々と赤く輝く左手を掲げるレミリアに対峙するのは、フランAとスペカで増やしたフランB。
大袈裟に叫んではいるが、別にカリスマによって輝いているわけでなく単に魔力で光らせているだけである。
「さあ、かかって来なさ」
「今よ! 私諸ともお姉さまを!」
「えっ」
いつの間にか後ろに回っていたフランCに羽交い絞めにされたレミリアは間の抜けた声を出す。
「くっ、ごめんなさい私!」
「少しは迷えよ!?」
レミリアのツッコミも虚しく、フランDはバールのようなレーヴァテインを振りかざし跳躍する。
だ、大丈夫。これはあくまで遊びだもの。だから、脳天を割られるような事にはならないわ。
お姉ちゃんは分かっているからね、フラン。
そう信じて、フランの目を見る。
姉と遊ぶ楽しさに顔を綻ばせる彼女の瞳には。
本気の色しか見えなかった。
あ、私死ぬかもしれない。
目の前に迫る鈍器を前にただ冷静にそう思った。
私生まれ変わったらパン屋さんになるんだ……。
「お茶の時間です妹様」
「わーい」
音もなく現れた咲夜の一言にフランはバールを放り出し急々と席に着く。
同時にスペカの効力も失われ、拘束を解かれたレミリアはそのまま崩れ落ちるように膝を付いた。
「どうかなさいましたかお嬢様?」
「見てわからない……?」
「仲良く遊んでいたのではないですか?」
「……もういいわ」
駄目だ、このメイド。
無感情だった頃とは別のベクトルで駄目になっている。
レミリアは泥のような溜息を吐くと、よろよろと席にへたれ込む。
「どうぞ」
恭しく差し出された紅茶をそっと口元に運ぶ。
紅茶の香りと色を楽しんでいる。わけではなくたまに毒のような紅茶が出されるため警戒しているのだ。
ただ苦いだけのお茶ならともかく、鈴蘭のお茶を出したときもあった。
幸い今回のものはただの紅茶であった。
「どうしてあなたは妙なお茶を煎れたがるのかしら?」
安堵の息をもらしつつ、レミリアは訊ねる。
咲夜は何を当たり前のことを聞くのか、と不思議そうに首を傾げる。
「喜んでもらえるかと」
「普通が一番よ」
「毎日変なモノは無いかと仰っているじゃないですか」
「それはそれ、これはこれよ」
これが謀反の意思の現れとかならば対処のしようがあるのだが、彼女は善意で行動している。
そして結果は間違っているが行動自体は間違っていないせいで強く否定もしづらい。
計算でしているなら大した奴だろうが、きっと天然だろう。
「ねー咲夜ー。今日のご飯何ー?」
「パスタにしようかと思っています」
「やった。ねえ、咲夜も一緒に食べようよ」
「折角のお誘いですが遠慮します」
「えー、なんでさ」
不満そうに頬を膨らませるフラン。
咲夜は苦笑しつつ答える。
「従者が同じ卓で食事するわけにはいきませんので」
「ああ、駄目よフラン。咲夜は私たちと食事するより美鈴と食事するほうがいいらしいから」
「そうなの?」
誂うようなレミリアの言葉と無邪気なフランの視線。
咲夜は穏やかな笑みを浮かべ応える。
「一人の食事は味気ないだろうから一緒なだけですよ」
「あら、子供の時は美鈴にべったりだったのに。その三つ編みだって『お姉ちゃんと一緒がいい』って」
「紅茶のおかわりは如何ですかお嬢様」
「熱っ!? ちょっ、零れてる! 溢れてるから!」
「そんな遠慮なさらずに」
「人の話聞けよ!」
「あははは、お姉さま楽しそう」
「そう思うなら代わってホゥアッチャー!」
「あらお嬢様は伝承者だったのですか」
主と従者の馬鹿騒ぎ。
これも日常の一つであった。
◇
午後9時。仕事を引き継がれた美鈴が咲夜と食事する時間。咲夜が最も楽しみにしている時間でもある。
「ごちそうさまでした」
「ん、お粗末さまでした」
満足気に手を合わせる彼女に咲夜の顔も綻ぶ。
薄暗い室内でランプの柔らかい明かりに照らされた彼女はいつもよりも優しげで暖かく視える。
この彼女が4番目位に好きな彼女だった。
「料理上手になりましたよね、咲夜さん」
「あなたが教えてくれたもの。誰だって上手になるわ」
「今じゃ私より上手ですからね」
「かもね」
そう言って咲夜は立ち上がると食器を片付けていく。
「あ、咲夜さん。折角ですから一杯付き合ってくれません?」
「何が折角なのかわからないけど、まあ一杯ならいいわよ」
「ありがとうございます」
機嫌よく準備を始める美鈴に肩をすくめ、咲夜は食器を重ねてキッチンに向かう。
あまり酒に強くはないから翌日に仕事がある時は飲まないようにしていたのだけど、今日は飲んでもいい気分だった。
それこそ折角だから、かもしれない。
そんなことを思いつつ、洗剤を浸したスポンジで皿を洗っていく。
子どもの時から繰り返してきた毎日の仕事。
「咲夜さんは色んなことが出来るようになりましたね」
背中越しに掛けられた美鈴の声は嬉しそうで、何処か寂しげだった。
「それが?」
「私が教えることはもうないのかな、って思うと少し寂しいですね。咲夜さん、なんでも出来ますから」
「私にだって出来ないことはあるわよ。就業中に昼寝することとか」
「あははは……」
痛いところを突かれた美鈴は苦笑いでごまかす。
「ねえ、美鈴」
咲夜は独り言のように、なんでもないことのように喋り始める。
「なんですか?」
「私が笑えるようになったのはあなたのおかげよ」
もし美鈴や主人に出会わなかったらどうなっていただろう。
無愛想で冷めた価値観のままだったのか、それとも生きることも出来なかっただろうか。
「生きることも結構面白いって思えた。あれだけ無気力だったのにね」
生きる意味なんて未だにわからないけど、生きる理由はいくらでもある。
それに気がつくことが出来たのは彼女たちのおかげだった。
「出来ないこともたくさんあったけどあなたやお嬢様、パチュリー様のおかげで色々なことが出来るようになった」
だからね。
振り向いて微笑みかける。
あの頃よりもずっと上手になった笑顔で。
「これからも色々なこと教えてね」
美鈴は少しだけ見惚れて、
「はいっ!」
力強くしっかりと笑い返した。
寂しさなんて消えていた。それよりも大きく成長していた喜びが勝った。
彼女は自分を頼ってくれる。
なら、その期待に応えて見せようじゃないか。
どこまで成長するのか、最後の時まで見守ろう。
「それじゃあ、折角だからとっておきの奴も開けちゃいましょう」
「あなたが飲みたいだけじゃないの?」
「咲夜さんと飲みたいんです」
「はいはい」
今夜はいつもよりも長い夜になりそうだった。
「…………それで。どうして1階の窓が悉く割れているのかしら」
「ジャッ○ーの仕業ですお嬢様」
「ねえよ」
そんなノリで幕を開けた物語、閉じる頃には微笑ましいほのぼのしさだけが残る。
やっぱ幸せそうな彼女達の笑顔を眺めるのは良い。
ノーガール・ノークライですよね。
もうこの時点で吹いたよww
この二人はやっぱり可愛いですね
ありがとう
結果として怒られましたOrz
だけど面白くてよかったです!
ねーよwww
しかし、寝ぼけたら窓割りとか。いちいち被害が大きいなw
めーさくわっほい!!
咲夜さんマジ瀟洒。
流石紅魔館。伊達に悪魔の館じゃないな。
ミストバーンかよお嬢様
内容も楽しかったけど「スタイリッシュ瀟洒アクション」には負けるw
そして、それ以外も全体的に私のドストライクゾーンっ!!
500点入れたいくらいでございます。
そして最高だこのメイド長
闘魔最終掌なんて覚えてる人どれくらいいるんだwww
これも咲夜と美鈴の仲が良いせいですね。