目が覚めると、部屋には自分1人だけ取り残されていた。
いや、取り残されていた。という言い方は違うかもしれない。
ここは彼女の家ではなく、自分の家なのだから。
軽く伸びをして、布団から半身を出す。
朝の空気はひんやりとしており、少しだけ肌寒かった。
「……いたっ……」
伸びた拍子に、腕とかいろいろとピキリとした痛みが走った。
そして同時に、体全体になんとも言えない気だるさも生まれた。
あぁ、毎度のことだけど、いまだに慣れない。この感覚は。
腕やら腰やら、節々に痛みを感じるものの、ゆっくりと立ち上がり、のそのそと着替え始めた。
もう少しだけ眠っていたかったが、そうとも言ってられない。
誰のため、というわけではなく、自分のために。
やることはいろいろとあるのだ。
まぁ、とりあえずは。
グゥ~……
……空腹を満たすのが、先決である。
いつもの紅白な巫女服に着替え終えた霊夢は、勢いよく障子を開け、朝の光を部屋に招き入れた。
それだけでさっきまでの気だるさが嘘のように無くなり、体に活力が戻ってきた。
単純な自分の身体にちょっとした溜息をもらしながらも、霊夢はもう一度伸びをして、歩き出した。
ピキリとした痛みはまだあるが、まぁ、甘んじて受け入れるべきなのだろう。
そこでふと、立ち止まり縁側から外を眺めた。
当然そこにいるはずない彼女の姿を思い浮かべながら、ぼそりと呟く。
「……どうせ、ご飯は食べにくるのよねぇ、あいつは」
そこにいるはずのない彼女。
つい数時間前までは一緒にいた彼女の無邪気な顔を思い浮かべ、ため息が漏れた。
後頭部をかきながらも漏れる溜息だが。
それでも、霊夢の顔は幸せそうな笑みを浮かべていた。
部屋に敷かれている布団は1つ。
枕は2つ。
片側はほんのりとまだ温かく、
もう片側は、うっすらと冷えていた。
庭先で物音がしたのに気付いたのは、朝ご飯があらかたできたころだった。
あぁやっときたのか。と笑みをこぼしながらエプロンを外す霊夢。
その笑みは、普段の霊夢からはとても想像もできないものだった。
エプロンを外しながら縁側までやってきた霊夢の目に映ったのは、
「今日は遅かったわね、ま……」
「お邪魔してるわよ、霊夢」
説教仙人だった。
あれ?みたいな顔に変わり、そのまま動かない霊夢を尻目に、華扇はひょいひょいと縁側まで近づき、座り込む。
やっと現状を飲み込めた霊夢は、のんびりと座り込み「あ、いい匂いがするわね。今日のごはんはなにかしら?」なんて聞いてくる華扇の横に座った。
「なにしにきたのよ、こんな朝っぱらから」
「あら、ただ遊びに来るのはダメなの? 私たち友人ですよね?」
「あんたに出すごはんなんてないわよ」
「ひどい……そんなに邪険にしなくてもいいじゃない」
どこか芝居めいた華扇の言動に頭を痛めつつ、霊夢は再び立ち上がった。
そして、冷たく華扇を見下した。
「何してきたのか知らないけど、どうせ仙人はごはん食べないんでしょ? しらばくそこで待ってなさい」
「魔理沙なら、しばらく来ませんよ」
ボソリと。
ボソリと、呟いたようなその言葉に、霊夢の動きが止まった。
華扇は無表情とも、挑戦的ともとれるような顔で、霊夢を見上げている。
少しの間、沈黙が続いた。
先に口を開けたのは、霊夢だった。
「……なんで、そんな報告をするの?」
「いえ、なんとなくですが。他意なんてないですよ」
しれっとそう言い放つ華扇だが、明らかに他意が満載の発言だった。
霊夢が見下ろし、華仙が見上げているこの状況なのに、心理的な上下関係は、むしろ逆のように感じる。
周囲は怖いくらいに静かだ。
小鳥のさえずりが聞こえ、木々の触れ合う音が聞こえるのに、とても静かに感じる。
「魔理沙は、今自宅でなにやら作業中でした。なにやら煮込んでいるようでしたが……はて、魔法関係なのか、はたまた料理なのか」
「聞いてないわよ、そんなこと」
「そうですか? 随分と、聞きたそうな顔をしてましたよ?」
小さく、挑発的にほほ笑む華扇。
霊夢は段々と自分が冷静になっていくのを感じた。
いや、それが冷静と呼べるものなのかは分からない。
ただ、今の状況を酷く冷めた目で見れているのは、確かだった。
「……あなたらしくも無いわね。いつもなら、そんな搦め手みたいな説教はしないじゃない」
「説教ですか……私は、そんなつもりはないですけども」
「いつもの説教口調になってるのに?」
「いつも通りです。まったく、失礼ね」
ぐっ。と、奥歯を強く噛む音が聞こえた。
霊夢のそれは、華扇にも聞こえているだろうが、特に反応はしていない。
華扇は自分のシニヨンを触りながらも、続ける。
「他の誰かと親交を深めるのはとても素晴らしいことです。博麗の巫女とて、孤独に生きていたは辛いものもあるでしょう。あくまでも人間、なのですから」
「…………」
華扇が突然しゃべりだす。
なんの話をしたいかは、霊夢にも分かった。
分からないのは、普段とは違う、えらく遠回しな物言いをする華扇自身である。
「ですが同時に、あまり入れ込みすぎるというのも、考え物です。これは博麗の巫女であろうが、普通の人間であろうが、ですね」
「……」
「世間の視線を気にしろ。ということではありません。道徳に縛られろ。ということではありません。常識にとらわれろ。ということではありません」
「……」
「ただ、常に気を付けていなくてはいけない。自分は異端なのだと。自分たちは、普通ではないのだと」
「……」
「いつものように、のらりくらりと生きていくだけでは、これから先は厳しいのだと」
そして、華扇はゆっくりと霊夢を指さす。
まるで罪を問うかのように。
まるで罰を下すかのように。
「そうしなければ、霊夢と魔理沙は、共に堕ちてしまいます。さらなる深みへと」
2人の間に、ふわりと風が通り抜ける。
それ以降、華扇は口を開けようとしない。
ただ、強い意志を秘めた視線で霊夢を見つめている。
霊夢もまた、見つめている。睨みつけている。
2人の視線が、力強くぶつかり合う。
「……という、ただの雑談です」
少しの間の後、華扇はそうつぶやいた。
当人の名前が出ているのに雑談もなにもないのだが、霊夢は視線をそのままに動かさない。
「……そう。まぁ、これも雑談なんだけど、そんなのは百も承知、万も承知ってやつね」
「へぇ……これは雑談なのですが、要らぬお節介でしたかね?」
「そうね……これは雑談なんだけど、そうかもしれないわね」
ぶつかり合っていた視線はふっと消え、華扇は小さく笑い、霊夢は力なく頭を掻いた。
それで話は終わり。というかのように華扇は立ち上がり、庭先へと歩いていく。
「あら、本当にごはんいらないの? なんだったらゆっくりしていけばいいのに」
「いえ、ただ雑談しにきただけですし……それに、」
空を見上げる。
遠くの方から、なにかがすごいスピードで近づいてくる。
そんな気がした。
「誰かさんも来たみたいね」
「……そうね」
霊夢が視線を空に向けている間にも、華扇はゆっくりと神社を出て行こうとしている。
本当にそれを言いに来ただけのようだ。
何か言葉をかけようか。霊夢がそう考えていると華扇は立ち止まり、振り返った。
「最後に」
「まだあるの?」
やっぱり説教仙人は説教仙人か。
と霊夢が溜息をもらすが、華扇はいたって真面目な顔だった。
「……いつかは"ソレ"が、心の迷いだとか、勘違いだとか、そういう事なんだって、思う事があるかもしれません。気付いてしまうかもしれません」
「……」
「それでも。その後でも、あなたは魔理沙と共に歩いていけますか?」
真面目な顔でなにを言うかと思えば。
なにを、バカなことを。
なにを、今更なことを。
そんな気持ち、
そんな覚悟、
そんな感情、
もう考えるまでもないというのに。
「……今更、だったわね」
そんな霊夢の心を理解したのか、華扇は首を振ると、再び歩き出した。
霊夢はなにを言うわけでもなく、引き留めるわけでもなく、それを見送った。
ふと気づくと、なにやら焦げ臭い匂いが漂ってきた。
あぁ、そういえば、料理中だったんじゃないか、今は。
なんてことを考えていると、庭に魔理沙が飛び降りてきた。
ホウキから颯爽と飛び降りた魔理沙の顔は、満面の笑みだった。
「お、どうした霊夢。ボーっとつったって」
「……ちょっとね」
「ん、大丈夫か? 元気ないみたいだけど」
力なく笑う霊夢に、心配そうに魔理沙が近づいてきた。
そういえば、魔理沙はなにをしていたのだろう。
一言も、何も残さずにいなくなっていたんだった。
「なんでもないわよ。それより、なにか書置きでも残して行ってくれればよかったのに」
「ん? あぁ、今朝の話か? 悪かったって」
「……どうせまた、恥ずかしかったから。とか言うんでしょ?」
図星なのか、近づいてくる足をピタリと止める魔理沙。
顔を若干赤らめる魔理沙を見て、霊夢は胸の奥がほんわりとするのを感じた。
あぁ、なんだこいつ。すげぇかわいいなチクショウ。みたいな。
「ったく、相変わらずね魔理沙ってば」
「う、うるせぇ。しょうがないだろ」
ブツブツと不満そうにしている魔理沙だが、そこで異臭に気付く。
焦げている。すっごい焦げている臭いである。
「ん……なぁ霊夢、なんか変な臭いが」
「ねぇ魔理沙?」
鼻をヒクヒクさせながら霊夢に近づく魔理沙は、霊夢の呟くようなその声に反応した。
顔を向けてみると、どこかさみしげな顔だった。
なんとなく、なにかがあったのを、魔理沙は悟った。
「……どうかしたか、霊夢」
「私のこと、好き?」
「あぁ、好きだぜ」
少しの間も無く、瞬時に答えられた。
何をいまさら。と言いたげな顔だ。
それでも。そんな顔を向けられても、霊夢は力なく顔を下へ向けた。
「……大好き?」
「あぁ、大好きだぜ」
「……愛してる?」
「あぁ、愛してるぜ」
「……誰よりも?」
「あぁ。世界中の誰よりも愛してる」
「……今、めんどくさい?」
「あぁ、めんどくさいぜ」
「え?」
マジで?
と顔を上げると、すごく近くに魔理沙の顔があった。
そして軽い、触れるだけのキスを一度された。
「なにか難しいこと考えてたんだろ? そりゃあめんどくさいぜ」
「……魔理沙」
「言っただろ? お前を好きだって言った時に。お前が好きだって言ってくれた時に。私は、誰が反対しようと、誰が妨害しようと、」
魔理沙の手が、霊夢の後頭部に添えられる。
優しく撫で回すように。
愛おしくさする様に。
目と鼻の先にある魔理沙の顔は、とても、失礼な言い方だが、男前だった。
「霧雨魔理沙は、博麗霊夢のことを、ずっと、ずっっっっと、愛し、守っていく。ってな」
「……まり、」
さ。
と、呟くころには、その唇は塞がれていた。
後頭部に添えられた手のせいで、頭を動かすことはできず。
優しく、そして徐々に情熱的に。
数秒後か、はたまた数分後か。
2人の唇が離れるころには、異臭はもうどうしようもないレベルまで達してしまっていた。
完全に、焦げてしまっている。
しかしそんなことも気にならないほどに、2人は見つめあっていた。
ボーっと見つめる霊夢と、顔を真っ赤にしている魔理沙と。
思わず、ぷっと吹き出してしまう。
「んなっ」
「……かっこいいこと言ってるくせに、顔真っ赤じゃない」
「う、うるせぇ!!」
添えられたままの後頭部の手で頭をガシガシと乱雑に撫で回す。
そしてそのまま縁側にあがると台所まで歩いて行った。
「つーか焦げちゃってるんじゃないかこれ? なにしてるんだよ霊夢ぅー」
「なによ、ちょっとした失敗じゃない。ドジっ子ってやつよ」
「本当のドジっ子は自分から進言することはないんだぜ?」
霊夢はその場に立ち止まったままで、魔理沙の声は段々と遠くなっていった。
台所の方で魔理沙が何か言っているが、霊夢は庭先の、その先を見ていた。
華扇が去って行ったその先を。
『そうしなければ、霊夢と魔理沙は、共に堕ちてしまいます。さらなる深みへと』
華扇の、さきほどの言葉が頭に浮かんだ。
華扇は、やっぱり分かっていないのだろう。
それは仙人ゆえか、それとも、常識にとらわれているからなのか。
霊夢からしてみれば、もうすでに、堕ちてしまっているのだ。
とことんまで。
深みの深みまで。
取り返しのつかない場所まで。
魔理沙への愛は、もはや誰がどうしたって取り返しのつかないくらいまで高まっているし、
誰かがそれを責めるたびに、自分の中にある背徳感が刺激されるのだ。
取り返しのつかないことをしている背徳感に、酔いしれているのだ。
そのまま続くにしろ、どこかで終わってしまうにしろ、取り返しのつかない所までいってしまっている背徳感に、酔いしれてしまっているのだ。
それを、深みに堕ちてしまっていると言わずして、なんと言うのだろうか。
いつから、こんなになってしまったのか。
きっと、魔理沙に恋した瞬間に、そうなってしまったのだろう。
きっと、魔理沙と出会ってしまった瞬間に、そうなってしまったのだろう。
もう、取り返しがつかないのなら。
いっそ、深くまで。堕ちるところまで、堕ちてしまおうじゃないか。
それが、自分たちに残された道なんじゃないだろうか。
いつのまにかボーっとしていた霊夢の目の前に、魔理沙の顔があった。
ひどく心配した顔だ。
「……やっぱ、おかしいぜ霊夢」
「なによ、おかしいのはお互い様じゃない」
「ん……まぁ、否定はできないけどな。つーかやっぱ焦げてたぞ。ほら、鍋真っ黒」
ばつの悪そうな笑みを浮かべつつ、真っ黒なナニカが入った鍋を見せてきた。
こんなに近くにあると、それはもう臭かった。
鼻が曲がるほどに臭かった。
「……ごはんのおかずが、一品減っちゃったわね」
「……ったく、しょうがねぇな」
真っ黒な鍋をつかみつつ、霊夢は溜息をもらした。
そんな霊夢を見つつ、どこかドヤ顔な魔理沙が1つの風呂敷を取り出した。
鍋からの異臭を感じさせないほどに、芳しい香りだ。
「魔理沙さんお手製の煮物だぜ!」
「……あぁ、」
華扇の言ってたのは、これか。と。
わざわざ家に帰ってやってたのは、これを作るためか。と。
魔理沙のその行動に、霊夢はふっと笑みがこぼれた。
「それじゃあ、ごはんにしましょうか。魔理沙さんお手製の煮物で」
「おう、今回はけっこう自信作だぜ。たぶん霊夢惚れ直しちゃうんじゃないか?」
「はいはい、楽しみにしておくわよ」
これ以上どう惚れろってのよ。とは言わずに。
魔理沙の持つ風呂敷を受け取り、台所へと歩き出した。
このままもうお昼に近いけど朝ご飯を一緒にとって、そのまま一緒に過ごすことになるだろう。
極力離れることは無く、まったりと過ごすことになるだろう。
寝室には、布団が1つ。
そして、枕が2つあった。
もう這い上がれないほどに、深く、
いや、取り残されていた。という言い方は違うかもしれない。
ここは彼女の家ではなく、自分の家なのだから。
軽く伸びをして、布団から半身を出す。
朝の空気はひんやりとしており、少しだけ肌寒かった。
「……いたっ……」
伸びた拍子に、腕とかいろいろとピキリとした痛みが走った。
そして同時に、体全体になんとも言えない気だるさも生まれた。
あぁ、毎度のことだけど、いまだに慣れない。この感覚は。
腕やら腰やら、節々に痛みを感じるものの、ゆっくりと立ち上がり、のそのそと着替え始めた。
もう少しだけ眠っていたかったが、そうとも言ってられない。
誰のため、というわけではなく、自分のために。
やることはいろいろとあるのだ。
まぁ、とりあえずは。
グゥ~……
……空腹を満たすのが、先決である。
いつもの紅白な巫女服に着替え終えた霊夢は、勢いよく障子を開け、朝の光を部屋に招き入れた。
それだけでさっきまでの気だるさが嘘のように無くなり、体に活力が戻ってきた。
単純な自分の身体にちょっとした溜息をもらしながらも、霊夢はもう一度伸びをして、歩き出した。
ピキリとした痛みはまだあるが、まぁ、甘んじて受け入れるべきなのだろう。
そこでふと、立ち止まり縁側から外を眺めた。
当然そこにいるはずない彼女の姿を思い浮かべながら、ぼそりと呟く。
「……どうせ、ご飯は食べにくるのよねぇ、あいつは」
そこにいるはずのない彼女。
つい数時間前までは一緒にいた彼女の無邪気な顔を思い浮かべ、ため息が漏れた。
後頭部をかきながらも漏れる溜息だが。
それでも、霊夢の顔は幸せそうな笑みを浮かべていた。
部屋に敷かれている布団は1つ。
枕は2つ。
片側はほんのりとまだ温かく、
もう片側は、うっすらと冷えていた。
庭先で物音がしたのに気付いたのは、朝ご飯があらかたできたころだった。
あぁやっときたのか。と笑みをこぼしながらエプロンを外す霊夢。
その笑みは、普段の霊夢からはとても想像もできないものだった。
エプロンを外しながら縁側までやってきた霊夢の目に映ったのは、
「今日は遅かったわね、ま……」
「お邪魔してるわよ、霊夢」
説教仙人だった。
あれ?みたいな顔に変わり、そのまま動かない霊夢を尻目に、華扇はひょいひょいと縁側まで近づき、座り込む。
やっと現状を飲み込めた霊夢は、のんびりと座り込み「あ、いい匂いがするわね。今日のごはんはなにかしら?」なんて聞いてくる華扇の横に座った。
「なにしにきたのよ、こんな朝っぱらから」
「あら、ただ遊びに来るのはダメなの? 私たち友人ですよね?」
「あんたに出すごはんなんてないわよ」
「ひどい……そんなに邪険にしなくてもいいじゃない」
どこか芝居めいた華扇の言動に頭を痛めつつ、霊夢は再び立ち上がった。
そして、冷たく華扇を見下した。
「何してきたのか知らないけど、どうせ仙人はごはん食べないんでしょ? しらばくそこで待ってなさい」
「魔理沙なら、しばらく来ませんよ」
ボソリと。
ボソリと、呟いたようなその言葉に、霊夢の動きが止まった。
華扇は無表情とも、挑戦的ともとれるような顔で、霊夢を見上げている。
少しの間、沈黙が続いた。
先に口を開けたのは、霊夢だった。
「……なんで、そんな報告をするの?」
「いえ、なんとなくですが。他意なんてないですよ」
しれっとそう言い放つ華扇だが、明らかに他意が満載の発言だった。
霊夢が見下ろし、華仙が見上げているこの状況なのに、心理的な上下関係は、むしろ逆のように感じる。
周囲は怖いくらいに静かだ。
小鳥のさえずりが聞こえ、木々の触れ合う音が聞こえるのに、とても静かに感じる。
「魔理沙は、今自宅でなにやら作業中でした。なにやら煮込んでいるようでしたが……はて、魔法関係なのか、はたまた料理なのか」
「聞いてないわよ、そんなこと」
「そうですか? 随分と、聞きたそうな顔をしてましたよ?」
小さく、挑発的にほほ笑む華扇。
霊夢は段々と自分が冷静になっていくのを感じた。
いや、それが冷静と呼べるものなのかは分からない。
ただ、今の状況を酷く冷めた目で見れているのは、確かだった。
「……あなたらしくも無いわね。いつもなら、そんな搦め手みたいな説教はしないじゃない」
「説教ですか……私は、そんなつもりはないですけども」
「いつもの説教口調になってるのに?」
「いつも通りです。まったく、失礼ね」
ぐっ。と、奥歯を強く噛む音が聞こえた。
霊夢のそれは、華扇にも聞こえているだろうが、特に反応はしていない。
華扇は自分のシニヨンを触りながらも、続ける。
「他の誰かと親交を深めるのはとても素晴らしいことです。博麗の巫女とて、孤独に生きていたは辛いものもあるでしょう。あくまでも人間、なのですから」
「…………」
華扇が突然しゃべりだす。
なんの話をしたいかは、霊夢にも分かった。
分からないのは、普段とは違う、えらく遠回しな物言いをする華扇自身である。
「ですが同時に、あまり入れ込みすぎるというのも、考え物です。これは博麗の巫女であろうが、普通の人間であろうが、ですね」
「……」
「世間の視線を気にしろ。ということではありません。道徳に縛られろ。ということではありません。常識にとらわれろ。ということではありません」
「……」
「ただ、常に気を付けていなくてはいけない。自分は異端なのだと。自分たちは、普通ではないのだと」
「……」
「いつものように、のらりくらりと生きていくだけでは、これから先は厳しいのだと」
そして、華扇はゆっくりと霊夢を指さす。
まるで罪を問うかのように。
まるで罰を下すかのように。
「そうしなければ、霊夢と魔理沙は、共に堕ちてしまいます。さらなる深みへと」
2人の間に、ふわりと風が通り抜ける。
それ以降、華扇は口を開けようとしない。
ただ、強い意志を秘めた視線で霊夢を見つめている。
霊夢もまた、見つめている。睨みつけている。
2人の視線が、力強くぶつかり合う。
「……という、ただの雑談です」
少しの間の後、華扇はそうつぶやいた。
当人の名前が出ているのに雑談もなにもないのだが、霊夢は視線をそのままに動かさない。
「……そう。まぁ、これも雑談なんだけど、そんなのは百も承知、万も承知ってやつね」
「へぇ……これは雑談なのですが、要らぬお節介でしたかね?」
「そうね……これは雑談なんだけど、そうかもしれないわね」
ぶつかり合っていた視線はふっと消え、華扇は小さく笑い、霊夢は力なく頭を掻いた。
それで話は終わり。というかのように華扇は立ち上がり、庭先へと歩いていく。
「あら、本当にごはんいらないの? なんだったらゆっくりしていけばいいのに」
「いえ、ただ雑談しにきただけですし……それに、」
空を見上げる。
遠くの方から、なにかがすごいスピードで近づいてくる。
そんな気がした。
「誰かさんも来たみたいね」
「……そうね」
霊夢が視線を空に向けている間にも、華扇はゆっくりと神社を出て行こうとしている。
本当にそれを言いに来ただけのようだ。
何か言葉をかけようか。霊夢がそう考えていると華扇は立ち止まり、振り返った。
「最後に」
「まだあるの?」
やっぱり説教仙人は説教仙人か。
と霊夢が溜息をもらすが、華扇はいたって真面目な顔だった。
「……いつかは"ソレ"が、心の迷いだとか、勘違いだとか、そういう事なんだって、思う事があるかもしれません。気付いてしまうかもしれません」
「……」
「それでも。その後でも、あなたは魔理沙と共に歩いていけますか?」
真面目な顔でなにを言うかと思えば。
なにを、バカなことを。
なにを、今更なことを。
そんな気持ち、
そんな覚悟、
そんな感情、
もう考えるまでもないというのに。
「……今更、だったわね」
そんな霊夢の心を理解したのか、華扇は首を振ると、再び歩き出した。
霊夢はなにを言うわけでもなく、引き留めるわけでもなく、それを見送った。
ふと気づくと、なにやら焦げ臭い匂いが漂ってきた。
あぁ、そういえば、料理中だったんじゃないか、今は。
なんてことを考えていると、庭に魔理沙が飛び降りてきた。
ホウキから颯爽と飛び降りた魔理沙の顔は、満面の笑みだった。
「お、どうした霊夢。ボーっとつったって」
「……ちょっとね」
「ん、大丈夫か? 元気ないみたいだけど」
力なく笑う霊夢に、心配そうに魔理沙が近づいてきた。
そういえば、魔理沙はなにをしていたのだろう。
一言も、何も残さずにいなくなっていたんだった。
「なんでもないわよ。それより、なにか書置きでも残して行ってくれればよかったのに」
「ん? あぁ、今朝の話か? 悪かったって」
「……どうせまた、恥ずかしかったから。とか言うんでしょ?」
図星なのか、近づいてくる足をピタリと止める魔理沙。
顔を若干赤らめる魔理沙を見て、霊夢は胸の奥がほんわりとするのを感じた。
あぁ、なんだこいつ。すげぇかわいいなチクショウ。みたいな。
「ったく、相変わらずね魔理沙ってば」
「う、うるせぇ。しょうがないだろ」
ブツブツと不満そうにしている魔理沙だが、そこで異臭に気付く。
焦げている。すっごい焦げている臭いである。
「ん……なぁ霊夢、なんか変な臭いが」
「ねぇ魔理沙?」
鼻をヒクヒクさせながら霊夢に近づく魔理沙は、霊夢の呟くようなその声に反応した。
顔を向けてみると、どこかさみしげな顔だった。
なんとなく、なにかがあったのを、魔理沙は悟った。
「……どうかしたか、霊夢」
「私のこと、好き?」
「あぁ、好きだぜ」
少しの間も無く、瞬時に答えられた。
何をいまさら。と言いたげな顔だ。
それでも。そんな顔を向けられても、霊夢は力なく顔を下へ向けた。
「……大好き?」
「あぁ、大好きだぜ」
「……愛してる?」
「あぁ、愛してるぜ」
「……誰よりも?」
「あぁ。世界中の誰よりも愛してる」
「……今、めんどくさい?」
「あぁ、めんどくさいぜ」
「え?」
マジで?
と顔を上げると、すごく近くに魔理沙の顔があった。
そして軽い、触れるだけのキスを一度された。
「なにか難しいこと考えてたんだろ? そりゃあめんどくさいぜ」
「……魔理沙」
「言っただろ? お前を好きだって言った時に。お前が好きだって言ってくれた時に。私は、誰が反対しようと、誰が妨害しようと、」
魔理沙の手が、霊夢の後頭部に添えられる。
優しく撫で回すように。
愛おしくさする様に。
目と鼻の先にある魔理沙の顔は、とても、失礼な言い方だが、男前だった。
「霧雨魔理沙は、博麗霊夢のことを、ずっと、ずっっっっと、愛し、守っていく。ってな」
「……まり、」
さ。
と、呟くころには、その唇は塞がれていた。
後頭部に添えられた手のせいで、頭を動かすことはできず。
優しく、そして徐々に情熱的に。
数秒後か、はたまた数分後か。
2人の唇が離れるころには、異臭はもうどうしようもないレベルまで達してしまっていた。
完全に、焦げてしまっている。
しかしそんなことも気にならないほどに、2人は見つめあっていた。
ボーっと見つめる霊夢と、顔を真っ赤にしている魔理沙と。
思わず、ぷっと吹き出してしまう。
「んなっ」
「……かっこいいこと言ってるくせに、顔真っ赤じゃない」
「う、うるせぇ!!」
添えられたままの後頭部の手で頭をガシガシと乱雑に撫で回す。
そしてそのまま縁側にあがると台所まで歩いて行った。
「つーか焦げちゃってるんじゃないかこれ? なにしてるんだよ霊夢ぅー」
「なによ、ちょっとした失敗じゃない。ドジっ子ってやつよ」
「本当のドジっ子は自分から進言することはないんだぜ?」
霊夢はその場に立ち止まったままで、魔理沙の声は段々と遠くなっていった。
台所の方で魔理沙が何か言っているが、霊夢は庭先の、その先を見ていた。
華扇が去って行ったその先を。
『そうしなければ、霊夢と魔理沙は、共に堕ちてしまいます。さらなる深みへと』
華扇の、さきほどの言葉が頭に浮かんだ。
華扇は、やっぱり分かっていないのだろう。
それは仙人ゆえか、それとも、常識にとらわれているからなのか。
霊夢からしてみれば、もうすでに、堕ちてしまっているのだ。
とことんまで。
深みの深みまで。
取り返しのつかない場所まで。
魔理沙への愛は、もはや誰がどうしたって取り返しのつかないくらいまで高まっているし、
誰かがそれを責めるたびに、自分の中にある背徳感が刺激されるのだ。
取り返しのつかないことをしている背徳感に、酔いしれているのだ。
そのまま続くにしろ、どこかで終わってしまうにしろ、取り返しのつかない所までいってしまっている背徳感に、酔いしれてしまっているのだ。
それを、深みに堕ちてしまっていると言わずして、なんと言うのだろうか。
いつから、こんなになってしまったのか。
きっと、魔理沙に恋した瞬間に、そうなってしまったのだろう。
きっと、魔理沙と出会ってしまった瞬間に、そうなってしまったのだろう。
もう、取り返しがつかないのなら。
いっそ、深くまで。堕ちるところまで、堕ちてしまおうじゃないか。
それが、自分たちに残された道なんじゃないだろうか。
いつのまにかボーっとしていた霊夢の目の前に、魔理沙の顔があった。
ひどく心配した顔だ。
「……やっぱ、おかしいぜ霊夢」
「なによ、おかしいのはお互い様じゃない」
「ん……まぁ、否定はできないけどな。つーかやっぱ焦げてたぞ。ほら、鍋真っ黒」
ばつの悪そうな笑みを浮かべつつ、真っ黒なナニカが入った鍋を見せてきた。
こんなに近くにあると、それはもう臭かった。
鼻が曲がるほどに臭かった。
「……ごはんのおかずが、一品減っちゃったわね」
「……ったく、しょうがねぇな」
真っ黒な鍋をつかみつつ、霊夢は溜息をもらした。
そんな霊夢を見つつ、どこかドヤ顔な魔理沙が1つの風呂敷を取り出した。
鍋からの異臭を感じさせないほどに、芳しい香りだ。
「魔理沙さんお手製の煮物だぜ!」
「……あぁ、」
華扇の言ってたのは、これか。と。
わざわざ家に帰ってやってたのは、これを作るためか。と。
魔理沙のその行動に、霊夢はふっと笑みがこぼれた。
「それじゃあ、ごはんにしましょうか。魔理沙さんお手製の煮物で」
「おう、今回はけっこう自信作だぜ。たぶん霊夢惚れ直しちゃうんじゃないか?」
「はいはい、楽しみにしておくわよ」
これ以上どう惚れろってのよ。とは言わずに。
魔理沙の持つ風呂敷を受け取り、台所へと歩き出した。
このままもうお昼に近いけど朝ご飯を一緒にとって、そのまま一緒に過ごすことになるだろう。
極力離れることは無く、まったりと過ごすことになるだろう。
寝室には、布団が1つ。
そして、枕が2つあった。
もう這い上がれないほどに、深く、
なんてことだと俺がさらに喜ぶ展開。
らぶらぶちゅっちゅもいいけどこういうのもね!
悩むのなんか、とうに通り越してるんだろうね。
ちと華扇が出オチ過ぎるのが難ですかね。
もうちょっと華扇サイドの話があればなー。
これ続き見たいなぁほんと
もっと華扇の所をもっと掘り下げて