咲夜は紅天をバックに轟然と言い放つ。
「あの状態でお嬢様には勝てないわ。五分に持ち込めればいい方だけど、夜が来ればタイムリミット。太陽さえ消え果てれば、その時点で勝ちは決まる」
文は、霊夢の目配せが気になっていた。
本当に、この状況はレミリアに有利なのだろうか。
かつて紅魔館を攻略した博麗霊夢は、真夜中に構成員の全員を倒したというのに?
咲夜の盲信が正しいなら、レミリアはどうして今ここで出てくる。
夜を待てばいい。
紅霧異変など再び起こして、せっかく緊張のうちに平和を保っている幻想郷を刺激するほどのことはない。
そうしなければならないだけの――必然性があったとするなら。
「レミィ」と霊夢は例の穏やかな微笑みをレミリアにぶつける。
「あなたにも、あるのね。誰にも話せない、恥ずかしい秘密が」
「……なんのこと?」
あぁ、なんてわかりやすいへの字口だ。いくら年を取ろうとそれが幼女の宿命なのか。
咲夜など目をキラキラさせて身悶えている。
「ふあああお嬢様愚かぁ。でもそこがいい」
――美鈴といいカップルだよあんたは。文はこっそりカメラのシャッターを押した。
「レミィ、あなたの運命を操る程度の能力をもってしても、どうして私に勝てなかったのか。理解しているのかしら」
「スペルカードルールのせいに決まってるでしょ」とレミリアは答えた。
「負けるとわかっていても、その運命を選ぶのが最良というときもある。あなたを生かしておいた方が、後がおもしろかったのよ」
「そうね。あなたの能力のたったひとつの欠点は、あなたが楽しいことを大切にする性格だってことなの。だったら私は、それに合わせてルールを作り替えればいい」
霊夢の周囲に風が満ちる。
霧を少しずつ混ぜ込んで、溶かしていくような、夜のすすき野原に花の雨を散らせたような匂いのする風が。
「文、余計なことはしなくていいわ」と霊夢が咎めた。
あの目配せは「2対2」の合図じゃなかったのかと、文は肩をすくめた。
「どうしてですかー、メイド長弱ってる今がチャンス。霧を晴らせば霊夢さんが勝つんですよ」
文のおせっかいが成立するかは危険な賭けだ。レミリアは弱体化するが、咲夜の時を止める能力が加味される方がよほど厳しいという見方もある。
事実咲夜はこの一瞬のやり取りの間に、文の周りにナイフを張り巡らせていた。
「時、すでに遅し」
「だそうです。一人で頑張ってくださいね、霊夢さん」
「バイバイ、セリヌンティウス」と霊夢は茶化す。テーブルに手、椅子に体、ナイフで張り付けられた文を張り付けの男に見立てたのだ。
「バイバイは勘弁してください!」
「冗談よ」と霊夢はクスクス笑った。
「なんかやりにくいわね。いつものことだけど」とレミリアは羽の内側を掻いた。
「さて、レミィ」と霊夢は語りかける。
「あなたはその恥ずかしい秘密を守り通したいのよね? どうしても賭けたくない?」
「賭ける必要がないってこと、まだわからない? この運命で霊夢に勝つのは既に必然なのよ」
「じゃあ、レミィの恥ずかしい秘密を賭けて、その上で私に勝ったら、バケツにいっぱいのプリンを食べさせてあげるって言っても?」
「……え?」
「バケツに、いっぱいの、プリン」霊夢は天使のようににっこりと微笑んだ。
「健康マニアの咲夜が絶対に食べさせてくれない、バケツいっぱいのプリン。お腹がいっぱいになるまで、好きなだけ、食べれるの」
「あ、なるほど」と文は一人快哉した。
「美鈴が言ってましたね。健康マニアの咲夜さんが自家栽培のうんたらこうたらと……ええ確かに」
ならば当然、子供のレミリアとは食において対立することになる。
「……う、うー」
レミリアはわかりやすく頭を抱えて動揺し始めた。
「お嬢様、気をしっかり持ってください!」と咲夜が励ます。
「そんな健康に悪いこと、勝っても負けてもこの私がさせるわけありません!」
「……うー」レミリアは恨みがましい目で昨夜を見つめた。
「咲夜、毒入りのお茶は出すくせに、私がプリンを食べるの、邪魔するの?」
「いえ、ですからあれも健康を維持するためにですね」
「咲夜、本当は「自分の健康」マニアなんじゃないの。前から、思ってたんだけど」
「あー、あー、そんなことないんですよ!」と咲夜は慌てふためいた。
「毎日新鮮な血液を用意してるじゃないですかぁ」
「あれ、毎日同じ味なんだけど、何の血なの」
「いやー、えーっと、それはですね」
文は答えを知っていた。
あの働かないことで有名な蓬莱ニートが、実は不死身の体を活かして献血のバイトをしているらしいと、いたずらうさぎから聞き知っていたからだ。
「さる高貴な人間の血です」
と言って咲夜はにっこりと笑う。
「腐りかけですけどね」と文は小声でケタケタ笑う。
「レミィ」と霊夢は優しく話しかける。
「咲夜の言いつけなんて、どうでもいいじゃない。あなたが主人なのよ? あなたの賭け事はあなたの意志で決めればいいの。バケツいっぱいのプリンとたったひとつの恥。しかも運命はあなたの勝利に決まっているのよ。これで賭けない方がおかしいわよね?」
「……うー」
「ダメですお嬢様! 霊夢は「ただ異変を解決するのがめんどうで」こんなことを言ってるんです」と咲夜がナイフのような鋭い見解を述べた。
「恥物語を約束してしまったら、お嬢様があられもなく恥ずかしがる姿を楽しみに、この巫女の戦闘力は何処までもあがります!」
「……うーうー」
レミリアは頭を抱えて苦しんでいる。――運命を読んでいるのか。自分が勝利しバケツプリンを食べる最良の未来を探し、変えるべく。
――しかし。
これで駆け引きは有利になるのかと文は再び考える。
霊夢のやる気がブーストされるのは確かに大きいが、レミリアもプリンパワーでやる気が跳ね上がるに違いない。ならば差し引きゼロ。むしろ欲望が強い分だけレミリアの方が……。
射命丸文は考える。それこそ時が止まったかのような高速思考。霊夢の目配せ、咲夜の存在。2対2の否定。だがこのまま霊夢を戦わせるのは不安要素が強い。
「いいわ」とレミリアが、自信満々の笑みと共に顔を上げる。
「その条件で受けてあげる。私が勝ったらバケツいっぱいのプリン。あなたが勝ったら恥を一つ持っていきなさい」
レミリアが条件を飲んだ、ということは。この状況下でレミリアの運命を操る程度の能力が勝利を決定したということだ。
考えろ。
文は目を閉じ高速思考に集中する。
霊夢の言うとおり、レミリアの能力が特定の状況下において運命を切り開くものだとすれば。
彼女が想定する状況を変化させれば、勝ちの目が出てくる。
最初の夜、霊夢がレミリアに勝ったのは、スペルカードルールの問題ではない。
「想定通りに運命を切り開く」相手に、「想定以上の強さ」を見せて、レミリアの能力を打ち破ったからなのだ。
――バイバイ、セリヌンティウス。
――お嬢様が恥ずかしがる姿を楽しみに――。
並行して想起した様々な言葉が、文の脳内で繋がる。
「――なるほど。それが勝ち筋ですか」
文の口元に邪悪な微笑みが蘇った。
そして試合が始まった。通常弾幕を針に切り替えた霊夢に、レミリアの高速弾が襲いかかる。咲夜の弾幕のような緻密な「組立て」こそないものの、空間ごと紅く染めあげるような血の花の連鎖は、「不確定」だからこそ避けにくい。
避けるという反応が、撃ち返すという本能が、既に敗北という運命に組み込まれているのだとしたら。
何をやっても無駄という無力感の中で、いつしか心が死に絶える。
殺し合いだけではない。「まいった」を言わせるスペルカードルールにおいても、レミリアの強さは圧倒的なのだ。
だからこそ、文は待った。
レミリアの勝利が「結果」に変わるぎりぎりの瞬間を。
咲夜の本音が軋んで弾けるその寸前を。
迷いもあった。
――あるいは霊夢なら、「運命の拘束ですら脱することができる」彼女なら、文の手助けなしでもこのまま勝ってしまうかもしれない。
霊夢は今までも、これからも、一人でのほほんと生きて暮らしていけるのかもしれない。
誰の助けも必要とせず。
レミリアのレッド・マジックが濃さを増していく。
限定される回避空間。血にまみれて届かない針。何よりもレミリアの表情でわかる。次のスペルでチェックメイトだ。
傍らの咲夜が、ほうっと小さくため息をつく。
今だ。
文は、霊夢の表情を伺った。
果たして自分は、霊夢に必要とされているのだろうか?
――「地霊」騒ぎの時、私は本当にあなたの役に立てたんですか?
――どうなんですか、霊夢さん?
霊夢は、降りしきる血飛沫の中で、宙返りしながら文を見た。
目が、合った。
――この状況下で、私のことを見てくれている。
文の心の霧は晴れた。
「咲夜さん」
咲夜が眉をひそめて文をにらむ。
「あなた、知りたくないんですか? お嬢様の恥ずかしい秘密」
そう言うのと同時に、文は椅子とテーブルを粉砕してナイフの呪縛から逃れた。地を蹴って飛び上がる。一息でたどり着くは庭園の上空三百メートル。手には伝説の芭蕉扇。
「あらゆるものを吹き飛ばす」、天狗が天狗である証。
――構える。ここが最大の賭けだった。芭蕉扇の攻撃範囲では、背後から突如として現れるナイフには対応できない。咲夜が文の「誘惑」を跳ね返し、本気で殺しにかかってきたら――。
だが、文は、回避行動を取らなかった。
そのまま扇を振りかぶる。
2対2ではなく3対1。
従順なメイドが自分への「萌え」で転ぶことを、おこちゃま吸血鬼は想定できたか?
「風神一扇!」
――大風が霧を散らす。
円形に空いた青空の穴から、庭園に、陽光の道が開かれる。
――太陽が沈まぬうちに負けはない。
それが巫女の持ち出した、古臭い逸話(メロス)の呪い(スペル)だった。
「やっちゃえ、メロス」
「信じていたわセリヌンティウス」
霊夢は文の開いた道を突っ切る。
袖口からは無数のおふだがわきい出る。バラバラバラバラダダダダダダダダ、ドミノ倒しをするかのように、眩しさにたじろぐレミリアを四方八方から覆っていく。
「――こ、こんなの、卑怯よ!」
「性懲りもなく霧を使った悪い子に、かける情けは持たないわ」
「この卑劣漢! 悪党!」
「この身元より善悪の外。――八方鬼縛陣!」
レミリアの全身をおふだが覆う。
べっとりと張り付き、いくらもがいても取れないうっとおしさはまさに天下一品。
レミリアはあえなく地に落ちて、ミイラのように外皮を覆われ、うーうーとうごめくだけの物体に変わってしまった。
あのスペル、日光から肌を守っているのだなと、文は好意的に解釈した。
「ごめんなさいお嬢様ぁ」と咲夜は日陰で力なく崩れ落ちている。
「わ、私はくだらない……美鈴と同レベルの性根のためにお嬢様をこんなめに……」
「いいんです、咲夜さん」いつの間にか復活した美鈴が、彼女の肩に手を置いた。
「罪悪感と萌えの相乗効果は、悪魔をも天使に変えるんです。私と一緒に奈落の底まで落ちましょう」
「いいコンボだったわね」霊夢は文のところまでふわふわ飛んできた。
「太宰治って、借金抱えて走り回った体験から走れメロスを思いついたらしいわ。まさに天才ね」
「あなたとよくお似合いです」と言って、文は霊夢に抱きついた。
「わ、ちょっと、何よ」
「べつに、なんでもないですよ?」
――やっぱり霊夢は最高だと、文は頬ずりしながら思った。
これからも、この人と一緒に遊ぶために、新聞を書き続けよう。
「さて、ご褒美タイムね」
レミリアの寝室で、弱った彼女に向かって霊夢は優雅に微笑んだ。
「ご褒美、ターイム。レミリアちゃんの、恥ずかしい、ひ、み、つ。うふふふふ」
「……人間って汚い」とレミリアは枕にすりすりしている。
「邪魔が入った勝負なんて無効です」と、傍らで咲夜が毅然とした態度で言った。
「邪魔も何も」と文は言う。「そちらが自分に有利なように整えた条件を、元に戻しただけですが?」
「霧があるからお嬢様は勝負する気になったの。なくなった時点で無効よ」
「後からならなんとでも言えますよねー」
「もういいわ裏切り者」とレミリアは咲夜に向けてこれみよがしにため息をついた。
「あっちに行ってなさい。咲夜には後で人には言えないような恥ずかしいことをたっぷりとしてあげるから」
「えぇ、そんなぁ」
「なにその締まりのない返事。まさか嬉しいんじゃないでしょうね?」
「いいえそういうわけでは……」
咲夜は未練がましくチラチラとレミリアを見つめる。レミリアの恥ずかしい秘密が気になって仕方がないのだ。
「ゲラウト。ほら早くうせろ」
レミリアはしっしと犬でも追い払うかのように咲夜を最小限の動きで部屋の外に追い出すと、深い溜息をついて、ふとんを頭まですっぽり被ってから話し始めた。
「……槍の、練習をしていたの」
とレミリアは言った。
「槍って、グングニルのこと?」と霊夢はベッドに腰掛けて相の手を入れる。「そう言えば、使ってこなかったわね」
「ちょっと、やりづらくなっちゃって」
レミリアはふとんの中でもぞもぞと動いている。
――それは半月ほど前のこと。
夜になると血が騒ぐ性質(たち)のレミリアは、近くにある凍った湖の上空で槍のフォームチェックをしていたのだそうだ。満月の夜は湖面が照り輝いて鏡のようになるという。ひゅんひゅんと景気のいい音をさせつつかっこいいポーズを決めていると、湖面にもう一つ、別の小さな影が映ったのだそうだ。
「チルノね」
「チルノよ」
チルノはレミリアの傍に飛んできて、「あたいも槍を使いたい!」と喚いたのだそうだ。
レミリアは大事な槍をバカに渡すつもりはなかった。だいたい、こんなに月が大きな夜に、夜の支配者たる吸血鬼に声をかけて来る時点で不遜だと思ったのだそうだ。
「ありえないわ。あの妖精、分というものを欠片も解さないんだから」
「それで、貸してあげたの?」
「……ずーっと、見てくるのよ」
チルノはレミリアが次々と繰り出すかっこいいポーズに口を開けて見とれてしまっていたらしい。
――すごいなぁすごいなぁ。
――あたいもあんな風になれたらなぁ。
子供じみた素直な憧れに、ついついレミリアも情が移ったのか。それとも得意になったのか。
「まあ、ちょっとだけなら、さわってもいいって、言ってしまったの」
チルノは三秒と持たずに槍を氷漬けにしてしまった。
それほど興奮してしまったというだけの話なのだが、レミリアは激怒した。
「だって、ひどすぎるわ。宝物だから絶対大事にしなさいって言ったのに、あの妖精、てんで言うこと聞かないの」
レミリアはもぞもぞして、すっかりふとんの中から出てこない。
「でも、あなたならそれぐらいの運命、予測できたんじゃないの? チルノに貸したらどうせそうなるって、私でもわかるけど」と霊夢が首をかしげる。
「……そうよ。だから、恥なのよ」
――わかっていて、許してやろうと思って、貸してやったのに。
いざそうされたら、我慢できなくなってしまった。
「スペカをフルで使って、ぼこぼこにしてしまったの……」とレミリアは言った。「雑魚相手に、この私が」
「それは……かわいそうですね」と文が思ったままを口にする。
「だから恥だと言ってるでしょう」とレミリアは声を荒らげた。
「……次の、十六夜の夜に様子を見に行ったらね。あのバカ妖精、すっかり忘れてしまってるのよ。今日は槍の練習しないのって、バカみたいに、無邪気な声で」
――あたい、今日は絶対に凍らせないから。
――もう一回、やらせて。お願い!
「どうせ、凍らせるに決まってるのよ。あの子はそれがわかってないし、私はそれがわかっているの。――だから、貸せない。とは言わない。だって、損をする運命だろうと、その方が楽しいってことは、あるから」
チルノは槍が持てればそれでよく。
レミリアは「やっぱり」バカなことをしたチルノを散々あざける。
それで誰も損をしないはずだったのに。
「私の器は、私が想定していたよりも小さかったってことよ。それがとっても恥ずかしいこと。はい終わり。気が済んだ?」
「済んだわ」と言って、霊夢はレミリアにふとんの上から抱きついた。
「レミィ、なんにも恥ずかしがることはないって私が言うこと、予測済みかしら?」
「……そうね。あなたは心にもないことを言うわ」
「また、負けるために出てきたのね。可愛いなぁ、レミィ」
霊夢はすりすりとふとんに身を寄せる。
文は霊夢の言葉の意味を考えようとして、諦めた。考えなくてもわかるし、何より霊夢が色っぽかったからだ。
「きっと、今度は大丈夫よ。レミィは笑って負けてあげられるわ。私には出来てチルノには出来ないなんてことはない。――可愛いと、思ったんでしょう?」
「……うるさい」とレミリアはくぐもった声で言った。
「私の話は終わったわ。次は霊夢の番よ。あなたの一番恥ずかしい秘密。言わないとここから出さないわ」
「そんなの約束してたかしら?」
「いいから、言って」とレミリアはせがんだ。
「あなたが何を恥ずかしいと思ってるのか、私にはさっぱり想定できない。ひどいことも平気でするし、優しいことも平気で言うし。いったいなんなの?」
霊夢はベッドを離れてしばらくふわふわと浮いた。
レミリアはふとんから顔を出して霊夢を見つめる。
文もさっぱりわからなかった。
霊夢の恥とはなんなのか。
「生きていくなら一人で十分」と霊夢は言った。
「恋をしたいなら二人で十分。命をはぐくみたいなら三人で十分。それ以上は、互いに邪魔をしないで、損をさせないように生きていくだけの、ただの他人」
「……それは、なんです?」と文は尋ねた。「それがあなたの哲学ですか?」
「人間が最終的にたどり着く答え、らしいわ。紫によると」と霊夢は言った。
「いろんなものを忘れていって、最後に残るのは、いつもたった一つの答えだったり、たった一人の人間だったり、たった一つの共同体だったりするの。他のものはみんな幻。見えない世界、ふれえない世界は全てが幻想。――無限に広がる幻想郷」
「くだらない」とレミリアは言った。
「そんな運命に縛られるのは人間ぐらいなものだわ」
「私ね、それでいいと思ってたの」と霊夢は言った。
「目の前の平和を邪魔するものは容赦しない。平和に平和に、互いが互いに干渉し合わないように。先に干渉して食い止める。レミィが片手でできることを、私はふわふわ飛びながら、体一つでやるってわけ」
「――それの、何処が恥ずかしいの?」とレミリアは言った。
「あなたの行いはくだらないなりに正しいでしょう」
「でもね、私は自分が守っているものなんてどうでもいいと思ってた」と霊夢は言った。
「私は私がそうしたいしそうするべきだと思っているから、平和を守る。私の中で完結してるのね。他には誰も必要ないし、他の誰にも囚われない。――はっきり言って、必要ない。少しばかりお賽銭を恵んでくれたら嬉しいけれど、お賽銭を恵んでくれないから助けないなんて、あこぎなことはしない」
――その通りだと文は思った。
博麗の巫女は代々そういう存在だった。
「でもね、うっかりおもしろかったのよ」と霊夢は言った。
「べつに読みたくもない新聞を暇つぶしに読んでたら、うっかりおもしろかったの。天狗や河童の日常が。――どうしてかしらね。未だによくわかっていないんだけれど」
「……うー?」とレミリアが不可解げに唸る。
「それの、何処が恥ずかしいのよ」
「だから……。あのね、私は今、珍しくも、自分で異変を起こしてるようなものなのよ?」と霊夢は腰に手を当てた。
「必要もないのに他人の隠してる日常を知って、それをおもしろがるなんて。今やっているこの行いこそが、私にとっては恥ずかしいのよ」
「あ、なるほど。天狗なんかと同じレベルで動いてるのが恥ずかしいってことね」とレミリアはクスクス笑った。
「ずるいわ霊夢。そんな誰が見ても恥ずかしいことを開き直られたら、糾弾のしようがない」
「何を言ってるんです」と文は憮然とした。
「私は恥ずかしいなんてこれっぽっちも思いませんね。自他の区別なんて物を知らない人間だけがこだわるんです。天狗の認識欲こそこの世界の唯一にして最高の欲望なんですからね」
「なら、あなたは何が恥ずかしいの、射命丸」とレミリアは文に矛先を向ける。
「ここまでやっておいて、あなただけ逃げるなんてなしよ」
「あいにく、私は逃げ足の速い女なんです」
文はすすき野原に花をこぼしたような風をまき散らして、窓からささっと逃げてしまった。
空が、燃えるような夕日に染まっている。
文の心に満足の火が灯っていた。
自分の新聞が、巫女の在り方を変えたのだ。
「私の恥ずかしいことはですね、霊夢さん」文はぽつりと、風の中で独り言を言った。
「けっこうあなたに、ハマっちゃってることですかね」
飄々とした、楽園の素敵な巫女。
天狗よりも客観的な、自分すらも完璧に「俯瞰」できる唯一の女。
「ハマっちゃってることなんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
文の心臓が痛いほどに飛び上がった。
振り向くと、咲夜がいた。
――時間を止めながら、追いついてきたのだ。
「言いふらしましょう。あなたの恥も私のもの」
そしてパッと、空中に掻き消える。
時間を止めて、今頃はもう、館の中か。
文は頭から足の先までを紅葉のように真っ赤に染めて、超音速で茜色の空を駆け戻るのだった。
(完)
「あの状態でお嬢様には勝てないわ。五分に持ち込めればいい方だけど、夜が来ればタイムリミット。太陽さえ消え果てれば、その時点で勝ちは決まる」
文は、霊夢の目配せが気になっていた。
本当に、この状況はレミリアに有利なのだろうか。
かつて紅魔館を攻略した博麗霊夢は、真夜中に構成員の全員を倒したというのに?
咲夜の盲信が正しいなら、レミリアはどうして今ここで出てくる。
夜を待てばいい。
紅霧異変など再び起こして、せっかく緊張のうちに平和を保っている幻想郷を刺激するほどのことはない。
そうしなければならないだけの――必然性があったとするなら。
「レミィ」と霊夢は例の穏やかな微笑みをレミリアにぶつける。
「あなたにも、あるのね。誰にも話せない、恥ずかしい秘密が」
「……なんのこと?」
あぁ、なんてわかりやすいへの字口だ。いくら年を取ろうとそれが幼女の宿命なのか。
咲夜など目をキラキラさせて身悶えている。
「ふあああお嬢様愚かぁ。でもそこがいい」
――美鈴といいカップルだよあんたは。文はこっそりカメラのシャッターを押した。
「レミィ、あなたの運命を操る程度の能力をもってしても、どうして私に勝てなかったのか。理解しているのかしら」
「スペルカードルールのせいに決まってるでしょ」とレミリアは答えた。
「負けるとわかっていても、その運命を選ぶのが最良というときもある。あなたを生かしておいた方が、後がおもしろかったのよ」
「そうね。あなたの能力のたったひとつの欠点は、あなたが楽しいことを大切にする性格だってことなの。だったら私は、それに合わせてルールを作り替えればいい」
霊夢の周囲に風が満ちる。
霧を少しずつ混ぜ込んで、溶かしていくような、夜のすすき野原に花の雨を散らせたような匂いのする風が。
「文、余計なことはしなくていいわ」と霊夢が咎めた。
あの目配せは「2対2」の合図じゃなかったのかと、文は肩をすくめた。
「どうしてですかー、メイド長弱ってる今がチャンス。霧を晴らせば霊夢さんが勝つんですよ」
文のおせっかいが成立するかは危険な賭けだ。レミリアは弱体化するが、咲夜の時を止める能力が加味される方がよほど厳しいという見方もある。
事実咲夜はこの一瞬のやり取りの間に、文の周りにナイフを張り巡らせていた。
「時、すでに遅し」
「だそうです。一人で頑張ってくださいね、霊夢さん」
「バイバイ、セリヌンティウス」と霊夢は茶化す。テーブルに手、椅子に体、ナイフで張り付けられた文を張り付けの男に見立てたのだ。
「バイバイは勘弁してください!」
「冗談よ」と霊夢はクスクス笑った。
「なんかやりにくいわね。いつものことだけど」とレミリアは羽の内側を掻いた。
「さて、レミィ」と霊夢は語りかける。
「あなたはその恥ずかしい秘密を守り通したいのよね? どうしても賭けたくない?」
「賭ける必要がないってこと、まだわからない? この運命で霊夢に勝つのは既に必然なのよ」
「じゃあ、レミィの恥ずかしい秘密を賭けて、その上で私に勝ったら、バケツにいっぱいのプリンを食べさせてあげるって言っても?」
「……え?」
「バケツに、いっぱいの、プリン」霊夢は天使のようににっこりと微笑んだ。
「健康マニアの咲夜が絶対に食べさせてくれない、バケツいっぱいのプリン。お腹がいっぱいになるまで、好きなだけ、食べれるの」
「あ、なるほど」と文は一人快哉した。
「美鈴が言ってましたね。健康マニアの咲夜さんが自家栽培のうんたらこうたらと……ええ確かに」
ならば当然、子供のレミリアとは食において対立することになる。
「……う、うー」
レミリアはわかりやすく頭を抱えて動揺し始めた。
「お嬢様、気をしっかり持ってください!」と咲夜が励ます。
「そんな健康に悪いこと、勝っても負けてもこの私がさせるわけありません!」
「……うー」レミリアは恨みがましい目で昨夜を見つめた。
「咲夜、毒入りのお茶は出すくせに、私がプリンを食べるの、邪魔するの?」
「いえ、ですからあれも健康を維持するためにですね」
「咲夜、本当は「自分の健康」マニアなんじゃないの。前から、思ってたんだけど」
「あー、あー、そんなことないんですよ!」と咲夜は慌てふためいた。
「毎日新鮮な血液を用意してるじゃないですかぁ」
「あれ、毎日同じ味なんだけど、何の血なの」
「いやー、えーっと、それはですね」
文は答えを知っていた。
あの働かないことで有名な蓬莱ニートが、実は不死身の体を活かして献血のバイトをしているらしいと、いたずらうさぎから聞き知っていたからだ。
「さる高貴な人間の血です」
と言って咲夜はにっこりと笑う。
「腐りかけですけどね」と文は小声でケタケタ笑う。
「レミィ」と霊夢は優しく話しかける。
「咲夜の言いつけなんて、どうでもいいじゃない。あなたが主人なのよ? あなたの賭け事はあなたの意志で決めればいいの。バケツいっぱいのプリンとたったひとつの恥。しかも運命はあなたの勝利に決まっているのよ。これで賭けない方がおかしいわよね?」
「……うー」
「ダメですお嬢様! 霊夢は「ただ異変を解決するのがめんどうで」こんなことを言ってるんです」と咲夜がナイフのような鋭い見解を述べた。
「恥物語を約束してしまったら、お嬢様があられもなく恥ずかしがる姿を楽しみに、この巫女の戦闘力は何処までもあがります!」
「……うーうー」
レミリアは頭を抱えて苦しんでいる。――運命を読んでいるのか。自分が勝利しバケツプリンを食べる最良の未来を探し、変えるべく。
――しかし。
これで駆け引きは有利になるのかと文は再び考える。
霊夢のやる気がブーストされるのは確かに大きいが、レミリアもプリンパワーでやる気が跳ね上がるに違いない。ならば差し引きゼロ。むしろ欲望が強い分だけレミリアの方が……。
射命丸文は考える。それこそ時が止まったかのような高速思考。霊夢の目配せ、咲夜の存在。2対2の否定。だがこのまま霊夢を戦わせるのは不安要素が強い。
「いいわ」とレミリアが、自信満々の笑みと共に顔を上げる。
「その条件で受けてあげる。私が勝ったらバケツいっぱいのプリン。あなたが勝ったら恥を一つ持っていきなさい」
レミリアが条件を飲んだ、ということは。この状況下でレミリアの運命を操る程度の能力が勝利を決定したということだ。
考えろ。
文は目を閉じ高速思考に集中する。
霊夢の言うとおり、レミリアの能力が特定の状況下において運命を切り開くものだとすれば。
彼女が想定する状況を変化させれば、勝ちの目が出てくる。
最初の夜、霊夢がレミリアに勝ったのは、スペルカードルールの問題ではない。
「想定通りに運命を切り開く」相手に、「想定以上の強さ」を見せて、レミリアの能力を打ち破ったからなのだ。
――バイバイ、セリヌンティウス。
――お嬢様が恥ずかしがる姿を楽しみに――。
並行して想起した様々な言葉が、文の脳内で繋がる。
「――なるほど。それが勝ち筋ですか」
文の口元に邪悪な微笑みが蘇った。
そして試合が始まった。通常弾幕を針に切り替えた霊夢に、レミリアの高速弾が襲いかかる。咲夜の弾幕のような緻密な「組立て」こそないものの、空間ごと紅く染めあげるような血の花の連鎖は、「不確定」だからこそ避けにくい。
避けるという反応が、撃ち返すという本能が、既に敗北という運命に組み込まれているのだとしたら。
何をやっても無駄という無力感の中で、いつしか心が死に絶える。
殺し合いだけではない。「まいった」を言わせるスペルカードルールにおいても、レミリアの強さは圧倒的なのだ。
だからこそ、文は待った。
レミリアの勝利が「結果」に変わるぎりぎりの瞬間を。
咲夜の本音が軋んで弾けるその寸前を。
迷いもあった。
――あるいは霊夢なら、「運命の拘束ですら脱することができる」彼女なら、文の手助けなしでもこのまま勝ってしまうかもしれない。
霊夢は今までも、これからも、一人でのほほんと生きて暮らしていけるのかもしれない。
誰の助けも必要とせず。
レミリアのレッド・マジックが濃さを増していく。
限定される回避空間。血にまみれて届かない針。何よりもレミリアの表情でわかる。次のスペルでチェックメイトだ。
傍らの咲夜が、ほうっと小さくため息をつく。
今だ。
文は、霊夢の表情を伺った。
果たして自分は、霊夢に必要とされているのだろうか?
――「地霊」騒ぎの時、私は本当にあなたの役に立てたんですか?
――どうなんですか、霊夢さん?
霊夢は、降りしきる血飛沫の中で、宙返りしながら文を見た。
目が、合った。
――この状況下で、私のことを見てくれている。
文の心の霧は晴れた。
「咲夜さん」
咲夜が眉をひそめて文をにらむ。
「あなた、知りたくないんですか? お嬢様の恥ずかしい秘密」
そう言うのと同時に、文は椅子とテーブルを粉砕してナイフの呪縛から逃れた。地を蹴って飛び上がる。一息でたどり着くは庭園の上空三百メートル。手には伝説の芭蕉扇。
「あらゆるものを吹き飛ばす」、天狗が天狗である証。
――構える。ここが最大の賭けだった。芭蕉扇の攻撃範囲では、背後から突如として現れるナイフには対応できない。咲夜が文の「誘惑」を跳ね返し、本気で殺しにかかってきたら――。
だが、文は、回避行動を取らなかった。
そのまま扇を振りかぶる。
2対2ではなく3対1。
従順なメイドが自分への「萌え」で転ぶことを、おこちゃま吸血鬼は想定できたか?
「風神一扇!」
――大風が霧を散らす。
円形に空いた青空の穴から、庭園に、陽光の道が開かれる。
――太陽が沈まぬうちに負けはない。
それが巫女の持ち出した、古臭い逸話(メロス)の呪い(スペル)だった。
「やっちゃえ、メロス」
「信じていたわセリヌンティウス」
霊夢は文の開いた道を突っ切る。
袖口からは無数のおふだがわきい出る。バラバラバラバラダダダダダダダダ、ドミノ倒しをするかのように、眩しさにたじろぐレミリアを四方八方から覆っていく。
「――こ、こんなの、卑怯よ!」
「性懲りもなく霧を使った悪い子に、かける情けは持たないわ」
「この卑劣漢! 悪党!」
「この身元より善悪の外。――八方鬼縛陣!」
レミリアの全身をおふだが覆う。
べっとりと張り付き、いくらもがいても取れないうっとおしさはまさに天下一品。
レミリアはあえなく地に落ちて、ミイラのように外皮を覆われ、うーうーとうごめくだけの物体に変わってしまった。
あのスペル、日光から肌を守っているのだなと、文は好意的に解釈した。
「ごめんなさいお嬢様ぁ」と咲夜は日陰で力なく崩れ落ちている。
「わ、私はくだらない……美鈴と同レベルの性根のためにお嬢様をこんなめに……」
「いいんです、咲夜さん」いつの間にか復活した美鈴が、彼女の肩に手を置いた。
「罪悪感と萌えの相乗効果は、悪魔をも天使に変えるんです。私と一緒に奈落の底まで落ちましょう」
「いいコンボだったわね」霊夢は文のところまでふわふわ飛んできた。
「太宰治って、借金抱えて走り回った体験から走れメロスを思いついたらしいわ。まさに天才ね」
「あなたとよくお似合いです」と言って、文は霊夢に抱きついた。
「わ、ちょっと、何よ」
「べつに、なんでもないですよ?」
――やっぱり霊夢は最高だと、文は頬ずりしながら思った。
これからも、この人と一緒に遊ぶために、新聞を書き続けよう。
「さて、ご褒美タイムね」
レミリアの寝室で、弱った彼女に向かって霊夢は優雅に微笑んだ。
「ご褒美、ターイム。レミリアちゃんの、恥ずかしい、ひ、み、つ。うふふふふ」
「……人間って汚い」とレミリアは枕にすりすりしている。
「邪魔が入った勝負なんて無効です」と、傍らで咲夜が毅然とした態度で言った。
「邪魔も何も」と文は言う。「そちらが自分に有利なように整えた条件を、元に戻しただけですが?」
「霧があるからお嬢様は勝負する気になったの。なくなった時点で無効よ」
「後からならなんとでも言えますよねー」
「もういいわ裏切り者」とレミリアは咲夜に向けてこれみよがしにため息をついた。
「あっちに行ってなさい。咲夜には後で人には言えないような恥ずかしいことをたっぷりとしてあげるから」
「えぇ、そんなぁ」
「なにその締まりのない返事。まさか嬉しいんじゃないでしょうね?」
「いいえそういうわけでは……」
咲夜は未練がましくチラチラとレミリアを見つめる。レミリアの恥ずかしい秘密が気になって仕方がないのだ。
「ゲラウト。ほら早くうせろ」
レミリアはしっしと犬でも追い払うかのように咲夜を最小限の動きで部屋の外に追い出すと、深い溜息をついて、ふとんを頭まですっぽり被ってから話し始めた。
「……槍の、練習をしていたの」
とレミリアは言った。
「槍って、グングニルのこと?」と霊夢はベッドに腰掛けて相の手を入れる。「そう言えば、使ってこなかったわね」
「ちょっと、やりづらくなっちゃって」
レミリアはふとんの中でもぞもぞと動いている。
――それは半月ほど前のこと。
夜になると血が騒ぐ性質(たち)のレミリアは、近くにある凍った湖の上空で槍のフォームチェックをしていたのだそうだ。満月の夜は湖面が照り輝いて鏡のようになるという。ひゅんひゅんと景気のいい音をさせつつかっこいいポーズを決めていると、湖面にもう一つ、別の小さな影が映ったのだそうだ。
「チルノね」
「チルノよ」
チルノはレミリアの傍に飛んできて、「あたいも槍を使いたい!」と喚いたのだそうだ。
レミリアは大事な槍をバカに渡すつもりはなかった。だいたい、こんなに月が大きな夜に、夜の支配者たる吸血鬼に声をかけて来る時点で不遜だと思ったのだそうだ。
「ありえないわ。あの妖精、分というものを欠片も解さないんだから」
「それで、貸してあげたの?」
「……ずーっと、見てくるのよ」
チルノはレミリアが次々と繰り出すかっこいいポーズに口を開けて見とれてしまっていたらしい。
――すごいなぁすごいなぁ。
――あたいもあんな風になれたらなぁ。
子供じみた素直な憧れに、ついついレミリアも情が移ったのか。それとも得意になったのか。
「まあ、ちょっとだけなら、さわってもいいって、言ってしまったの」
チルノは三秒と持たずに槍を氷漬けにしてしまった。
それほど興奮してしまったというだけの話なのだが、レミリアは激怒した。
「だって、ひどすぎるわ。宝物だから絶対大事にしなさいって言ったのに、あの妖精、てんで言うこと聞かないの」
レミリアはもぞもぞして、すっかりふとんの中から出てこない。
「でも、あなたならそれぐらいの運命、予測できたんじゃないの? チルノに貸したらどうせそうなるって、私でもわかるけど」と霊夢が首をかしげる。
「……そうよ。だから、恥なのよ」
――わかっていて、許してやろうと思って、貸してやったのに。
いざそうされたら、我慢できなくなってしまった。
「スペカをフルで使って、ぼこぼこにしてしまったの……」とレミリアは言った。「雑魚相手に、この私が」
「それは……かわいそうですね」と文が思ったままを口にする。
「だから恥だと言ってるでしょう」とレミリアは声を荒らげた。
「……次の、十六夜の夜に様子を見に行ったらね。あのバカ妖精、すっかり忘れてしまってるのよ。今日は槍の練習しないのって、バカみたいに、無邪気な声で」
――あたい、今日は絶対に凍らせないから。
――もう一回、やらせて。お願い!
「どうせ、凍らせるに決まってるのよ。あの子はそれがわかってないし、私はそれがわかっているの。――だから、貸せない。とは言わない。だって、損をする運命だろうと、その方が楽しいってことは、あるから」
チルノは槍が持てればそれでよく。
レミリアは「やっぱり」バカなことをしたチルノを散々あざける。
それで誰も損をしないはずだったのに。
「私の器は、私が想定していたよりも小さかったってことよ。それがとっても恥ずかしいこと。はい終わり。気が済んだ?」
「済んだわ」と言って、霊夢はレミリアにふとんの上から抱きついた。
「レミィ、なんにも恥ずかしがることはないって私が言うこと、予測済みかしら?」
「……そうね。あなたは心にもないことを言うわ」
「また、負けるために出てきたのね。可愛いなぁ、レミィ」
霊夢はすりすりとふとんに身を寄せる。
文は霊夢の言葉の意味を考えようとして、諦めた。考えなくてもわかるし、何より霊夢が色っぽかったからだ。
「きっと、今度は大丈夫よ。レミィは笑って負けてあげられるわ。私には出来てチルノには出来ないなんてことはない。――可愛いと、思ったんでしょう?」
「……うるさい」とレミリアはくぐもった声で言った。
「私の話は終わったわ。次は霊夢の番よ。あなたの一番恥ずかしい秘密。言わないとここから出さないわ」
「そんなの約束してたかしら?」
「いいから、言って」とレミリアはせがんだ。
「あなたが何を恥ずかしいと思ってるのか、私にはさっぱり想定できない。ひどいことも平気でするし、優しいことも平気で言うし。いったいなんなの?」
霊夢はベッドを離れてしばらくふわふわと浮いた。
レミリアはふとんから顔を出して霊夢を見つめる。
文もさっぱりわからなかった。
霊夢の恥とはなんなのか。
「生きていくなら一人で十分」と霊夢は言った。
「恋をしたいなら二人で十分。命をはぐくみたいなら三人で十分。それ以上は、互いに邪魔をしないで、損をさせないように生きていくだけの、ただの他人」
「……それは、なんです?」と文は尋ねた。「それがあなたの哲学ですか?」
「人間が最終的にたどり着く答え、らしいわ。紫によると」と霊夢は言った。
「いろんなものを忘れていって、最後に残るのは、いつもたった一つの答えだったり、たった一人の人間だったり、たった一つの共同体だったりするの。他のものはみんな幻。見えない世界、ふれえない世界は全てが幻想。――無限に広がる幻想郷」
「くだらない」とレミリアは言った。
「そんな運命に縛られるのは人間ぐらいなものだわ」
「私ね、それでいいと思ってたの」と霊夢は言った。
「目の前の平和を邪魔するものは容赦しない。平和に平和に、互いが互いに干渉し合わないように。先に干渉して食い止める。レミィが片手でできることを、私はふわふわ飛びながら、体一つでやるってわけ」
「――それの、何処が恥ずかしいの?」とレミリアは言った。
「あなたの行いはくだらないなりに正しいでしょう」
「でもね、私は自分が守っているものなんてどうでもいいと思ってた」と霊夢は言った。
「私は私がそうしたいしそうするべきだと思っているから、平和を守る。私の中で完結してるのね。他には誰も必要ないし、他の誰にも囚われない。――はっきり言って、必要ない。少しばかりお賽銭を恵んでくれたら嬉しいけれど、お賽銭を恵んでくれないから助けないなんて、あこぎなことはしない」
――その通りだと文は思った。
博麗の巫女は代々そういう存在だった。
「でもね、うっかりおもしろかったのよ」と霊夢は言った。
「べつに読みたくもない新聞を暇つぶしに読んでたら、うっかりおもしろかったの。天狗や河童の日常が。――どうしてかしらね。未だによくわかっていないんだけれど」
「……うー?」とレミリアが不可解げに唸る。
「それの、何処が恥ずかしいのよ」
「だから……。あのね、私は今、珍しくも、自分で異変を起こしてるようなものなのよ?」と霊夢は腰に手を当てた。
「必要もないのに他人の隠してる日常を知って、それをおもしろがるなんて。今やっているこの行いこそが、私にとっては恥ずかしいのよ」
「あ、なるほど。天狗なんかと同じレベルで動いてるのが恥ずかしいってことね」とレミリアはクスクス笑った。
「ずるいわ霊夢。そんな誰が見ても恥ずかしいことを開き直られたら、糾弾のしようがない」
「何を言ってるんです」と文は憮然とした。
「私は恥ずかしいなんてこれっぽっちも思いませんね。自他の区別なんて物を知らない人間だけがこだわるんです。天狗の認識欲こそこの世界の唯一にして最高の欲望なんですからね」
「なら、あなたは何が恥ずかしいの、射命丸」とレミリアは文に矛先を向ける。
「ここまでやっておいて、あなただけ逃げるなんてなしよ」
「あいにく、私は逃げ足の速い女なんです」
文はすすき野原に花をこぼしたような風をまき散らして、窓からささっと逃げてしまった。
空が、燃えるような夕日に染まっている。
文の心に満足の火が灯っていた。
自分の新聞が、巫女の在り方を変えたのだ。
「私の恥ずかしいことはですね、霊夢さん」文はぽつりと、風の中で独り言を言った。
「けっこうあなたに、ハマっちゃってることですかね」
飄々とした、楽園の素敵な巫女。
天狗よりも客観的な、自分すらも完璧に「俯瞰」できる唯一の女。
「ハマっちゃってることなんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
文の心臓が痛いほどに飛び上がった。
振り向くと、咲夜がいた。
――時間を止めながら、追いついてきたのだ。
「言いふらしましょう。あなたの恥も私のもの」
そしてパッと、空中に掻き消える。
時間を止めて、今頃はもう、館の中か。
文は頭から足の先までを紅葉のように真っ赤に染めて、超音速で茜色の空を駆け戻るのだった。
(完)
セリフを誰が言ったのかをほんの一瞬ではありますが考えてしまうところが何ヶ所かあり、
少しテンポが悪い感じがしました。
とりあえず此処までお疲れさまでした
レミリアとチルノの話やら霊夢の語り。
オチも綺麗です。
一話を読んで、もっとキャラをとぼした作品になるのかと勝手に思ってた自分が恥ずかしい。
続きでも、また新しい作品でも作者様のお話をお待ちしております。
この面白さを、端的に表現できない自身が恥ずかしい。
更に面白いお話を書いて下さる事を願ってこの点数とさせていただきます。
レミリアに打ち勝つ流れも綺麗だし、霊夢の恥の内容もしっくり来ました