「ウドンゲ、今日からあなたの名前はうどんげよ」
「……は?」
世に天才と呼ばれる人物は、しばしば凡人の理解が追いつかないようなことを口走るものである。
某ミスタージャイアンツ然り、私の師匠であるこの八意永琳然り。
「呼称を統一すべきだと思うのよ。みんなあなたをどう呼んだらいいものか判断に困っているわ」
今更そんなこと言われてもなあ。
そもそも、一体誰がこんなややこしい名前を付けたと思ってるんだろうか。
「普通に鈴仙と呼んでくれればいいだけの話じゃないですか。っていうかお師匠さまだけですよ? 私を変なあだ名で呼んでるのは」
「いいえ、永琳の言うとおりだわ」
突然押入れの戸が開き、中から輝夜様が姿を現した。
永夜抄EXストーリーばりの神出鬼没っぷりを見せてくれたのはいいんですけど、多分もう誰も覚えてませんよ。
「実を言うと、私もいつも困ってるのよ。頭の中では鈴仙だって分かってるんだけど、口を開くときどうしてもイナバって呼ばなきゃいけないような気分になるの」
「私が居ないところではちゃんと鈴仙って言ってるじゃないですか。そういえばお師匠さまもそうでしたっけ」
「とにかく、このまま曖昧な状態が続くのは好ましくないわ。ただでさえ私たちは界隈で扱い難いと言われてるんだから、出来ることから改善していかないと」
いらん心配はしないでください。わかってるヤツだけ残ればいいみたいなことを神主も言ってたじゃないですか。どっかのおまけテキストで。
「まあまあれいせ……うどんげ。お師匠様や姫様の言うとおりにしたほうが絶対いいって」
「てゐ、あなたまで……」
「よく考えてみなよ。鈴仙よりうどんげの方が何となく親しみが湧くでしょう? ここで思い切って改名しちゃえば人里での仕事も捗るってモンよ。私が言うんだから間違いないね」
どの口でそこまで言ってのけるのやら。この嘘つき兎め。
「ちなみに、あなたに拒否権は一切ありません。抵抗は無意味よ」
「そんな……それじゃ今までの議論はなんだったんですか」
「勘違いしないで。これは議論ではなく通告よ。それじゃあ天狗さんたち、周知よろしくね」
「えっ!?」
慌てて庭の方を見る。庭には二羽の天狗が居た。
片方はいつものアイツ、もう片方は……見たことないヤツだ。とりあえず名前でも付けてやるか。
「纏愚弐式(ルナセカンドパパラッチ)というのはどうかしら?」
「ちょっと、勝手に変な名前付けないでよ! だいたいルナってどっから出てきたのよ……とにかく文、どっちの新聞が先にこのニュースを広められるか、勝負よ!」
「本来なら兎の記事なんか載せたくないのですが……まあ勝負なら仕方ありませんね。はたて、あなたの新聞には速さが足りないということを、今回も証明してあげるわ!」
制止する間も無く、二羽の天狗は飛び去っていった。
もうお終いだ。奴らの仕事は無駄に速いことで有名だ。明日の太陽を待たずして私の名前は完全にうどんげになってしまうだろう。
「まあ、もうどうにでもなれって感じですよ。それにしてもアイツ、何だって兎を目の敵にするのかしら? この前も低俗とかさんざんな言われようをしたことがあったけど……」
「前にうどんげの寝相を記事にしたことがあったじゃない。何故かその号だけ天狗のお偉方の間でやたら評判が良くて、しばらくの間自信を失ってしまったらしいわ」
なるほど、そういう事情があったのか。
もう妖怪の山には近づかないようにしよう。性的な意味で食べられるのはイヤだからね。
「なにはともあれ、これからもよろしくね。うどんげ」
「頑張ってね。うどんげ」
「うどんげ、ファイト!」
うーむ、やっぱりこの名前は気に食わんなあ。
まあ今更私がどうこう言っても意味無いんだろうけど。
数日後、私は薬を売るために人里へと足を運んだ。
人々の反応は私が予想した以上のものであり、今までロクに口を利いたことのなかった人まで気さくに話しかけてくる有様だ。
「よう、うどんげさん! 名前変えたんだってな!」
「その名前、似合ってるよ! うどんげちゃん!」
「こんにちはうどんげさん。今日もお仕事ですか?」
「わーい、うどんげだうどんげだー!」
「こらこらお前たち……すまないなうどんげ。うちの生徒たちがどうしても挨拶したいと聞かなくてね」
「帰ったら輝夜にこう伝えろ。『ペットの名前を変えたくらいで、私が復讐を諦めると思うなよ!』……とな」
「改名したというのは本当だったのですね。縁起の編纂を進めないと……」
「あら、うどんげじゃない。午後からここで人形劇をやるから、よかったら見に来てね」
「ご機嫌よううどんげ。ごきげんようどんげ……ププッ」
「おーいみんな来てくれ! 風見幽香が自分のギャグで笑ってるぞー! ……ウボァー」
「我々は秘密結社の者です。うどんげさん、よかったらアンケートにご協力を……ダメ? あっそう」
「おっ、うどんげじゃないか。私がこっそり人里に来てるって事、みんなにはナイショだぜ」
「うどんげが、コンティニュー出来ないのさ!」
一部おかしい連中も混ざってはいたが、概ね好評を得られたようで何よりだ。
てゐが言った通りなのは少々癪に障るが、まあそれほど悪い気はしないかな。
「よーし、こうなった以上はうどんげとして心機一転頑張るしかないか! 目指せ脱非コミュ! おー!」
「随分と調子よさそうですねえ、鈴仙」
おおっと、ヒトが折角決意を改めたところだというのに、情報弱者さんに後ろから水を差されてしまったかな?
まあ天狗の仕事がいい加減なのは今に始まった事じゃないし、仕方ないっちゃー仕方ないか。
「すみません、私先日名前を改めまして……」
「ええ、勿論知ってますよ鈴仙。私には全てお見通しです」
なんということでしょう。
振り向いた私の眼に映ったもの、それは……。
「善行、積んでいますか?」
笑顔で悔悟の棒を振り上げる四季映姫・ヤマザナドゥと、その後ろで済まなそうに笑う小野塚小町の姿であった。
その直後、こめかみに強烈な一撃が加えられ、私の意識は断ち切られた。
「……度し難い……まったくもって度し難い……ブツブツ」
まるで念仏のような呟きを聞きながら、私は意識を取り戻した。
殴られた痛みに顔をしかめつつ、ゆっくりと目蓋を開いてみる。
「あら、ようやくお目覚めかしら?」
「……うえっ!?」
四季映姫・ヤマザナドゥが私の顔を覗き込んでいる。
寝起きの身には些かベヴィすぎるシチュエーションだ。
「なぜあなたがここに連れてこられたか、説明の必要は無いわね?」
ちょっと待て。何処よここ。
ていうかいつの間にか後ろ手に拘束されてるじゃない。縄が食い込んで痛いっつーの。
「この屋敷は言うなれば私の別荘のようなもの。泣けど叫べど助けは来ないわ」
「なんのつもりですか閻魔様! 悪ふざけも大概にして下さいよ!」
「悪ふざけですって……? 反省の色、まるで無し。つくづく救えない兎ね、あなた」
「反省って、私が一体何をしたっていうんですか!?」
彼女は私の質問には答えず、脇にあったテーブルに悔悟の棒を叩きつけた。
「ひっ……!」
「ピーピー喚く暇があるなら、自分の胸に手を当ててよーく考えてみることね」
「……じゃあ、この縄を解いてくださいよ」
「ああそうでした。それなら私が手を貸してあげましょう」
いやいや、あなたが私の胸を触っても意味ないでしょうに。
ていうか鼻息荒いし、どうか落ち着いて痛い痛い痛い痛いイタイ!
「ちょっと、何してるんですか! やめ……っ!」
「どう? 己の愚かしさを自覚できそうかしら?」
「わかった! わかりましたよっ! どうせ名前を変えた件でお説教しに来たんでしょう!? 早く離してっ!」
このタイミングで現れたということは、おそらくそういう事なのだろう。っていうか他に心当たりないし。
いみじくも私の読みどおり、彼女は満足げな笑みを浮かべて手をどけた。
「……何が気に入らないっていうんですか。そりゃあ私だって本当はうどんげなんて頭の悪さ全開な名前嫌ですよ。でも仕方ないじゃないですか」
「何がどう、仕方がないのかしら?」
「さあね? ご自慢の鏡でも覗いてみればいいじゃないですか。どうせとっくの昔にお見通しなんで……ぐうっ!?」
彼女は私の腹に棒を突きたて、ぐりぐりと抉るように捻りを加える。
反抗的な態度が裏目に出てしまったか。とりあえず、息が苦しい……。
「どうして……? どうしてあなたはいつもそうなの……? ねえ……?」
「何を……ううっ! 言って……」
「私がこんなにもあなたの為を思って話をしているのに、あなたはまるで私の話を聞こうともせず、己が罪から目を背けてばかり……」
口調も表情も穏やかなのに、やってる事は拷問だ。
このヒト、根っからのドSだな。
「四季さまー、程ほどにしておかないとそいつ泣いちゃいますよー」
部屋の隅っこで小町が面白そうに囃し立てる。
ていうか見てないで助けろよ。お前の上司だろうが、コレ。
「挙句の果てにあなたは鈴仙の名前を捨てることで、月の兎であったという事実からも逃れようとしている……度し難い、まったくもって度し難い」
「そ、それは誤解ですって! 私は師匠に無理矢理改名を迫られた上、天狗たちが勝手にそれを広めて……」
「それは単なる口実に過ぎない。現にあなたは、うどんげうどんげ言われて舞い上がっていたではないですか。違うの? ねえ? 違うの?」
彼女はまくし立てながら、悔悟の棒を何度も何度も私の腹に突き立てる。
重い。一振り一振りがやたらに重い。
なんかだんだんお腹の感覚が無くなってきた……一度精密検査を受けたほうがいいかもしれないなあ。無事に帰れたらの話だけど。
「四季様、ストップです。それ以上やったらあたいの仕事が増えちゃいますよ」
「離しなさい小町。これも全て彼女のため、罪を清算するためには……」
「はいはい、どうどう……おーい、生きてるかー?」
正直言って、自信は無い。
「あんた……プロでしょ? どうよ、私まだ生きてる……?」
「ふーむ、顔面蒼白なれどこの悪態。安心しな、まだまだ医者の領分だ」
そいつは良か……あまり良くないか。
とりあえず閻魔様も落ち着いたみたいだし、生命の危機は脱することができたかな。
「今日はこれ位にしておいてあげましょう、鈴仙・優曇華院・イナバ」
「うう……今日はってことは、まだ続きがあるんですか……?」
「当たり前よ。次に会うときまでに決めておきなさい。鈴仙とうどんげ、どちらの名を名乗るのかをね……」
そんなに大事なことなのか、その二択。
「もっとも、どちらを選ぶことが罪の清算に繋がるのかなんて、考えるまでもないことだけれどね。小町、少し休んだら解放してやりなさい。私は少し横になります」
「了解です。お疲れ様でした」
閻魔様は、少しよろめきながら部屋を後にした。
「いやあ、災難だったねえ。でも映姫様の気持ちも分かってやっておくれよ。あの人は本気でお前さんを心配してくれているんだ」
「ありがたい話ね。ありがたすぎて血反吐が出そうだわ」
小町が苦笑しながら縄を解き、私は束の間の自由を取り戻した。
手足は痺れるし、お腹はズキズキ痛むけど、どうにか歩けないことも無さそうだ。
「運が良かったわね。私の体調が万全だったら、あんたをボコボコにして溜飲を下げていたところよ」
「おーこわ。まあ頭を冷やしてよく考えてみることだね。あたいだって好き好んでこんな事やってるわけじゃないんだ」
「どうだかね。見てる分には楽しそうだったけど」
竹林まで送ってやろうか、という彼女の申し出を固辞して、私は屋敷を後にした。
里での仕事もまだ残っているし、なによりコイツの世話になるのは癪だからね。
別荘とやらは幻想郷の中でも大分外れの方にあったらしく、里までは結構な距離があった。
出発した頃はそれほどでもなかったのだが、歩みを進めるにつれしこたま殴られた腹の痛みが増してくる。
「うあー気持ち悪い、吐きそう……」
少しでも気分を紛らわそうと、あたりの風景を眺めてみる。
いつの間にか湖に差し掛かっていたらしく、湖上では妖精たちが弾幕ごっこなどをして遊んでいた。
「ああ……妖精はいいなあ。自由で、呑気で、楽しそうで……」
無邪気に飛び回る彼女たちを見ていると、腹の痛みを堪えて仕事に戻ろうとしている自分が情けなくなってくる。
命ある限り馬車馬の如くこき使われ、死後は地獄で永遠の責め苦を受けるのだろう。
一体どこで道を間違えたのやら。
「……なーんか、馬鹿らしくなってきたわ」
そこからしばらく歩いた先で気力が尽き、私は大地に身体を預けた。
「思えば甲斐の無い生涯であった。私は穢土の塵となって果てるのだ……」
「ちょっとちょっと、ウチの前で塵になられちゃ困りますって」
わき腹をつつかれる感触。誰だ、ヒトの眠りを妨げるやつは。
「うえっ、酷い顔。薬にばっかり頼ってるからそういう事になるんですよ」
赤いおさげ髪の女が覗き込んできた。こいつには見覚えがある。
ああそうか、ここは……。
「ホン……魔館……」
「混ざってる混ざってる」
紅魔館の門番、紅美鈴は私を抱え起こすと、ブレザーとシャツを脱がしにかかった。
抵抗しようにも身体がいうことを聞かない。万事休すとはこの事か。
「どっちの意味で食べるつもりか知らないけど、お願いだから優しくしてね……」
「戯言ぬかす元気はあるみたいね。……あー、なるほど。お腹の気の流れがメチャクチャだわ」
彼女は呼吸を整えた後、私の腹に掌底をブチ込んだ。
鬼か、貴様は……。
「先に逝って待っててやるから楽しみにして……あれ? 痛くない」
「あくまで応急措置ですから。ちゃんとした医者に診てもらうまで激しい運動は避けたほうがいいですよ」
なるほど、気を使う程度の能力は伊達じゃないってことか。
これは大きな借りができてしまったかな。
「それにしても酷くやられたもんですねえ。ここまでくるとお仕置きというより虐待じゃないですか」
「うーん……あなた何か誤解しているかもしれない」
「えっ? あの竹ヤブ医者にやられたんじゃないの? 私てっきり……」
「話すと長くなるわ」
余程ヒマを持て余していたのか、彼女は私の話を興味深そうに聞いてくれた。
一応当たり障りの無い範囲で話したつもりだが、何かが彼女の琴線に触れたらしく、興奮した様子が伝わってくる。
「なるほど、名前の事で難儀しているという訳ですね。わかります、その気持ちすっごくわかりますよ……!」
「ああ……そこに反応するんだ……」
拳を震わせ虚空を見つめる彼女の姿に、何か鬼気迫るものを感じた。
「思えば私にも、名前について苦労した時期があったものです」
「そうなの? わりと覚えやすい名前だと思うけど……」
「あなたと比べりゃ誰だってそうですよ。それなのに、ヤツらときたら……!」
ヤツら? ヤツらって誰だ。
まさか、この館の連中だったりしないだろうね。
「その話、ここでしても大丈夫な話なの?」
「へ? ああ、あなたも誤解してますね。心配しなくても大丈夫ですよ。もう大体終わった話ですから」
「終わったって……?」
「話すと長くなりますよ?」
それからしばらくの間、私は彼女の愚痴に付き合わされることとなった。
その大半は彼女が今まで受けてきた理不尽な扱いについてのものであり、私にとっても少なからず共感のできる内容であった。
「くそ面白くも無い名前ネタ、脈絡の無い虐待オチ、そしてあの口にするのも忌まわしいサクサク病! ……辛い時代でした」
「ねえ、ヤバくない? 館の連中聞いてるかもしれないわよ?」
「大丈夫ですって。今はもう咲夜さんたちとも良好な関係を保てていますから。それに……」
「それに?」
彼女は唇の端を吊り上げ、今まで見たことの無いほど邪悪な笑みを浮かべてみせた。
「そういったネタを喜んで扱うような連中はもう、あらかたこの手で片付けましたからね。いやあ、よい時代になったものです」
メタはやめろ! と言いたいところではあるのだが、今更なので黙っておく。
「片付けたって、どういう事なの……?」
「読んで字のごとく、ですよ。最近あまり見なくなったでしょう? 私がさっき挙げたようなネタ」
「言われてみればそうだけど……まさかあなたがそんな活躍をしていたとはね」
「私がやるしかないでしょう? 泣いてたって誰も助けちゃくれないんですから」
うーん、なんだろう。すごくいい事を言っているように思えるんだけど、なにかモヤモヤするなあ。
「門番として勤める傍ら、わずかな時間を見つけては正義の使者として拳をふるったものです……紅美鈴の名の下にね」
「キツそうな二重生活ね。そりゃ居眠りでもしなきゃ体が持たない筈だわ。ゴメン、今まであなたの事誤解してたみたい」
「うーむ……シェスタの件についてはあえてコメントを控えさせていただきます」
ああ、そっちは否定しないのね。
謙虚なヒトだこと。
「と、兎に角! あなたも悩んでいることがあるのなら、さっさと原因を取り除いてしまうべきですよ」
「取り除くって言われても……ねえ」
私を悩ませている人物は、現在のところ約二名。
うどんげと名乗るよう命じた師匠と、鈴仙と名乗るよう“忠告”してきた閻魔様。
どちらを排除するにせよ、正直言って無理ゲーくさい。
「やられる側から脱却するには、やる側に回るしかないのです。そこの認識を誤魔化す者は、生涯地を這う……!」
「……まあ、善処してみるわ」
「孔子曰く“一を以て之を貫く”。私はここで祈ってますよ。あなたが己の道を貫き通さんことを……」
ううっ、久々に人の親切に触れた気がする……。
潤んだ瞳を彼女に見られないよう別れを告げ、私は人里への道を歩み始めた。
里に着いたまではよかったのだが、どういう訳かどこのお宅も留守だった。
首を傾げつつ通りを歩いていると、広場になにやら人が集まっているのが見えた。
その中央にはお立ち台が設けられており、そこで一人の少女が熱弁を振るっている。
「……と、いうわけで、今こそ八坂様のため、守矢神社のために皆さんの力が必要なのです!」
お山の神社の風ナントカさん、東風谷早苗だ。
苦手なんだよなあ、アイツ。
「なるほど! 巫女さんのいう事はいちいちもっともだ!」
「俺っちも八坂様を信仰するぜ!」
『守矢神社の信仰者が2500人増えました。人里の住民安定度が6下がりました』
なんだ今のメッセージは。
そんなに人いねえだろ。しかもなぜか治安が悪くなってるし。
「ふふふ、これなら神奈子様もお喜びになるでしょう」
今日の勧誘活動は終わったらしく、彼女はホクホク顔で里の人々を見送っている。
なるほどねえ。こうやって信仰とやらを集めているって訳だ。
「おや、あなたは……うどんげさん?」
やべっ、見つかってしまった。
「駄目じゃないですか、妖怪が人間の里をうろついてちゃ。退治しちゃいますよ?」
「やめておいた方がいいですよ。増えたばかりの信者の前で、痴態を晒すのがお望みでなければね」
「逃げ出してきた臆病者のくせに、大した自信ですねえ」
「あなたたちだって夜逃げしてきたんでしょうに」
いかんいかん、ついケンカ腰になってしまった。
いつもなら路地裏にでも連れ込んでメタメタに狂わせてやるところだけど、今はちょっとマズイ。
たぶん負ける。下手すりゃ死ねる。
「あなた、いつもあんな感じで勧誘やってるの? わたしも里にはよく来る方だけど、あんな集まり初めて見たわ」
「ああ、実は今日が初めてなんですよ。まさかここまで上手くいくなんて、自分の才能が怖いです。フッフッフ……」
「才能ねえ……まあいいけど」
よし、上手いこと話題を逸らすことができたみたいだ。
この際だから、前から気になっていたあの質問でもしてしまおう。
「ところで早苗さん、前から聞こうと思ってたことがあるんですけど……」
「なんですか?」
「あなた、どうして東風谷なんですか?」
「……は?」
そんな顔しないで欲しい。
「いや、だっておかしいじゃないですか。洩矢諏訪子の子孫であるあなたの名字が、まるで関係の無い東風谷だなんて」
「……何が言いたいんです?」
「だから、あなたが本来名乗るべきは東風谷じゃなくて、例えば……モリヤサナ」
「ストップ! そこまでです!」
うわっ、びっくりした。
いきなり大声出さないでよ。
「その名前を軽々しく口にしてはなりません!」
「なによ、例を挙げてみただけじゃない」
「駄目なものは駄目なんです! 禁則事項です!」
この反応……何か隠してるな。
よし、それならば……。
「あんまり大声を出さないの。私の能力で音を抑えていなかったら、今頃私たち注目の的よ?」
「ううっ、しかしですね……」
「なあに? ああそうか、どうせなら大勢の人たちに理由を聞いてもらいたいって訳ね! ご町内のみなさ~ん!」
「わあっ、わかりました! あなたにだけ教えてあげますから大声出さないで下さい!」
なんだ、あっさり落ちやがった。
つまらんな。
「それで? あなたがモリヤの姓を名乗れないのには、一体どういった理由があるというの?」
「ほら、東方のタイトルって新キャラの名前の一部が入るじゃないですか。東風谷じゃないと風神録にならないんですよ」
「理由になってないわね。それならタイトルを『洩神録』や『守神録』に変えるか、あなたがモリヤ風子とでも名乗れば済む話じゃない」
「そんな……あなた言ってることメチャクチャですよ。大体なんですか洩神録って……」
あんたにドン引きされると、なんていうかその、傷つく。
普段が普段なだけに。
「そもそも、私が知りたいのはモリヤサナ」
「禁則事項!」
「それそれ。その理由を聞いてるのよ」
彼女はしばらく渋っていたが、やがてお互いの息がかかる距離まで近寄ってきて、ヒソヒソと囁きはじめた。
「実は……既にいらっしゃるんですよ。リアルな話で」
「リアルって……じゃあその、モリヤのサナエさんがあなたの他にいるってことなの?」
「私の他にっていうか、ぶっちゃけた話元ネタです。さすがに同姓同名はマズいだろうってことで、私は東風谷になりました」
「よくわからないわねー。名前が被ったところで何が問題なのかしら? 『この作品はフィクションです。実在のなんたらかんたら~』とか言っておけば大丈夫なんじゃない?」
「あなたは……! 他人事だからそんなことが言えるんですよっ!」
他人事ねえ……。そういや私にも名前が被ってるやつがいたっけか。
元気にしているかなあ、彼女。
「まあ大体の事情は分かったし、私も満足したからこの辺で……ん?」
帰ろうとする私の手を、どういう訳か彼女が掴まえて離さない。
「なに? この手は」
「帰しません」
「は?」
「帰さないと言ったんです。秘密を知ってしまった以上はね。一緒に神社まで来て、誰にも話さないって誓ってもらいますから」
やばいこいつ、目が諏訪って、もとい据わってる。
「神奈子様と諏訪子様の前で誓ってもらいます。もしも誓いを破ったら、それはそれは恐ろしい呪いが降りかかるように……」
「うーん、そうしてあげたいのもヤマヤマなんだけど、生憎私は仕事の途中なのよね。それに山には登らないって今朝決めたばかりだし」
「あなたの事情なんざ知ったこっちゃねーです。来てください」
「ちょっ、引っ張らないでよ。周りの人たちにバラすわよ。いいの?」
「そん時ゃそん時です。あなたも含めて派手に口封じするだけですから」
こいつはやる。やると言ったら絶対やる。なんというかその、スゴ味がある。
なんかまたお腹がシクシク痛みはじめてきた。こうなったら……。
「あっ見て早苗! お空にでっかいUFOが!」
「青UFOとかマジ要んねーです。そんなことより一緒に来て……」
「いいから見て! すごいわ、まるでインディペンデンス・デイみたい!」
「何を馬鹿な……うわああぁっ!?」
空を見上げた彼女の瞳には、さぞかし巨大な円盤が映っていることだろう。
勿論、私が作り上げた幻覚なのだが。
「なにこれうどんげさん……なにこれって聞いてんですようどんげさん。なあ、おい、うどんげさん! なんだよこれ? なんなんだよこれおいうどんげさん!」
よーし、彼女は大分錯乱しているな。
私は彼女の手をそっと外し、気配を消してその場を後にした。
仕事はまだ残っていたけど、そんな事を気にしている場合でもなさそうだな。お腹痛いし。
その夜、私は自室で一人物思いに耽っていた。
『悩みがあるなら原因を取り除かねばねばねばねばねば……』
『同姓同名はマズイんじゃないですかすかすかすかすか……』
瞳を閉じると、なぜか美鈴と早苗の声が頭の中を木霊する。残響音付きで。
ねばねば、すかすか。ねばねば、すかすか。
ネヴァダ州スカンジナビア。何を考えているのだ、私は。
『あなたは、まだまだ自分の罪を直視していない……』
そもそも私の罪とはなんだ?
閻魔様は見殺しにしたと言ったが、月の都は今も余裕で健在。
当時の仲間も皆元気にしている。たまに交信だってするし。
『貴方は一人だけのほほんと暮らしている』
馬鹿言うな。向こうとこっちじゃ、文字通り天と地ほどの違いがあるわ。
あーあ、どうして私はこんなところに居るのだろうか。
私は一体、何から逃げて来たというのだ……?
「本当にもう、訳がわからないわよ……あーお腹痛い」
お腹のダメージについてはまだ、師匠たちには何も話してはいない。
閻魔様との一件をあれこれ尋ねられても面倒なだけだからね。
地獄に落ちるのが嫌だから名前を元に戻したい、なんて言ったところで、まともに聞いてくれるような人々ではないのだ。
『やられる側から脱却するには、やる側に回るしかないのです』
私が心の平穏を取り戻すためには、師匠と閻魔様のどちらかをどうにかしなければならない。
だが現実は非情だ。師匠は殺しても死なないし、首尾よく閻魔様を片付けたとしてもまた次のヤマザナドゥが来るだけだろう。
八方塞がりとはまさにこのこと。私の人生、どん詰まりだ。
「ほんと、どこで間違っちゃったんだろう、わたし」
何もかもが間違っているこの人生、もう一度やり直すことができればいいのになあ……ん? 待てよ。
「間違いを……やり直す……そうよ、これだわ!」
突如私の脳髄に、稲妻のごとく一つの閃きが走った。
数多の欠陥を補完し、あらゆる矛盾を相殺させ、全ての因果を覆すためのアイディアが。
そのためには必要なのは、私そのものを分解して、一から全てを組み直すことだ。
『私は何者だ?』
『なぜここにいる?』
『果たすべき使命は何だ?』
『どうなることを望んでいるのだ?』
……検証と再構成が完了する頃にはもう、東の空が明るくなり始めていた。
少々寝不足気味ではあるものの、腹の痛みが治まってくれたため、私は清々しい気分で朝日を迎えることができそうだ。
そう、私はこの日生まれ変わる。くだらない名前だの、有りもしない罪だのに悩まされる人生はもう終わったのだ。
『悩んでいることがあるのなら、さっさと原因を取り除いてしまうべきですよ』
『さすがに同姓同名はマズいだろうってことで、私は東風谷になりました』
よくよく考えてみれば、彼女たちの言葉の中に答えがあったのだ。
準備には早くても数日はかかるだろうが、勝算は充分にある。
「首を洗って待ってなさいよ、四季映姫・ヤマザナドゥ……!」
私は誰にも聞かれぬように、ターゲットの名を呟いた。
それから一週間後。
小町を通じて閻魔様にアポイントメントをとった私は、はるばる彼岸まで足を運んだ。
そこでは相変わらず気だるそうに突っ立っている小町と、私に裁きを下すのを待ちきれない様子の閻魔様が待っていた。
「まさか、あなたの方から私に会いに来てくれるなんてね。よい心がけです、鈴仙」
「獲物を前に舌なめずりするのは、三流のやることよ」
「何か言ったかしら?」
「いえ、何も」
全ての準備は整っている。
細工は流々、仕上げをご覧、ってね。
「では聞かせてもらいましょうか。鈴仙とうどんげ、あなたがどちらの名を名乗るのかを」
「フッフッフッ……あはっ、あはははははは!」
「何が可笑しいのです?」
突然の私の高笑いに、閻魔様の表情が怪訝そうなものに変わる。
「さすがの天狗も、是非曲直庁までは新聞を届けていないようですね。私の名前はうどんげに変わったのですよ? ほんの一週間ほど前にね」
「そう、それがあなたの答えということね」
閻魔様は再びにこやかな笑みを浮かべた。
さて、ここからが正念場だ。
「ならば私は何度でも教えてあげましょう。あなた自身が背負った、罪の重さというものをね!」
「いつもいつも一方的に裁判ができると思わないことね! 法廷でモノを言うのは弾幕でも驕り高ぶった裁判官でもない! 証人と証言、そして証拠! それが全てよ!」
「なん……ですって?」
「レイセン、来いっ!」
私の呼びかけに呼応して周囲の空間に揺らぎが生じ、一羽の玉兎が姿を現した。
何の因果か私と同じ名を名乗ることになってしまった元餅つき兎、レイセンの登場だ。
「あなたは……?」
「えーっと、月の使者って言えばわかってもらえますでしょうか?」
「月の使者? ……なるほど、そういうことですか」
閻魔様は浄玻璃の鏡を用いて、レイセンの素性を把握した様子だ。
こういう時に話が早くて助かるね。
「どういうつもりかしら鈴仙? これがあなたの言っていた証人だとでも言うつもりなの?」
「はい? 何ですか?」
「いやいや、あなたじゃなくてそっちのレイセンよ。……ああもう、ややこしいわね」
「レイセン、閻魔様に例のものを」
「了解です!」
レイセンは鞄から一枚の書状を取り出し、閻魔様に突きつけた。
「これが証拠品とやらなのかしらね? なになに……」
彼女は眉を顰めつつ、書かれた内容を読み始める。
『飼い主としての権限に基づき、レイセン(地上名:鈴仙・優曇華院・イナバ)の名を以後うどんげへと改めることとする。綿月豊姫 印』
「……何よこれ!?」
「読んで字のごとくですよ。我々の主従関係はまだ解消された訳ではありませんからね」
「豊姫様はこう仰ってました。“複数のペットに同じ名前をつけるなんて、そんなおかしな話は無いわね”って」
私は少なくとも一人知ってるけどね。そういうおかしなヒトのこと。
「こんなものは認められません! あなたは月から逃げ出した身よ。主従関係などとうに切れているはずでしょう!」
「やれやれですね。ま、これだけで理解していただけるとは思ってませんよ。レイセン、もう一枚の方を」
「はーい」
レイセンが二枚目の書状を取り出すと、閻魔様はそれをひったくって目を通し始めた。
「これは……命令書かしら」
『貴官に地上での特別任務を命ずる。なお、月の都に混乱を招く恐れがあるため、地上に降りるまで本件は極秘事項として扱うこと。綿月依姫 印』
「……っ!?」
「命令書の日付は西暦一九六九年、かの有名なアポロ11号の打ち上げよりも前になっております。これが何を意味するのか、説明の必要はありませんね?」
私は“戦争の直前に逃げ出した”ということになっていたっけか。
今になって考えてみれば、そんな必要などどこにも無かったっていうのにね。
「馬鹿げている……! こんなこと、あっていいはずがない……!」
「それらの書状の正当性は保証されてますよ。あなたに白黒つけてもらうまでもなく、ね」
ここでネタばらし。
先日レイセンを介して私と綿月姉妹の間に、ある密約が交わされた。
即ち、私が師匠である八意永琳のプライベートな情報を逐一報告する代わりに、姉妹は私の罪を帳消しにすること。
これにより逃亡の罪は闇へと葬り去られ、任務に忠実な月の使者、うどんげが誕生したという訳だ。
私にとって師匠の情報など惜しむ必要は無く、姉妹としても、失ったはずの兎が役に立つのなら断る理由などどこにも無い。
これこそが私の必勝の策であり、起死回生のアイディアであった。
ちなみに二枚目の名義を依姫様にしたのは、公式文書との整合性を図る為である。豊姫様だと色々と矛盾が出てきてしまうからね。小説版儚月抄第三話的に考えて。
「閻魔様は以前、罪は裁き以外では清算出来ないと仰いましたけどそれは間違いですね。罪そのものが無くなってしまえば、ホラ。なんてことありません」
「あなたはっ……! 己の過去を捏造してまでその罪から逃れようというのかっ……!」
「捏造とは人聞きの悪い。私はただ、不自然かつ不完全な己の経歴を埋めてみただけですよ。結果的に罪の清算につながったのですから、これって善行ですよね? 閻魔様」
「黙りなさい。白か黒かは私の一存で決めること。この悔悟の棒の一撃で、己の罪の重さを知るがいい!」
閻魔様は悔悟の棒を振り上げ、私の頬を横殴りに一閃した。
だがその一撃は以前とは比べ物にならないほど軽く、まるで乾いたタオルで撫でられたかのような感触しかもたらさなかった。
「んにゃっ……!?」
「うふふっ、閻魔様もそんな可愛い声が出せるんですねえ」
悔悟の棒の重さは、書かれた罪の重さに比例して増すと聞く。
つまりは……。
「この裁判、どうやら私の完全勝訴(パーフェクトヴィクトリー)のようですね。裁判長殿(エイキチャンペロペロチュッチュ)?」
「よ、よしなさい! 気味の悪い読み仮名を当てるのはよしなさいっ!」
「レイセン、閻魔様が控訴するまえに取り押さえるのよ!」
「任せてください! 捕縛の腕には自信があります!」
レイセンは鞄からフェムトファイバーを取り出し、慣れた手つきで閻魔様を亀甲に縛り上げる。
「あなたたち……! こんなことをして、ただで済むと思っているの……!?」
「流石にこれ以上は何もしませんって。私たちはね」
私とレイセンは協力して、閻魔様をいつの間にか眠りこけていた小町の傍へ運んだ。
「それじゃあ私たちは帰りますね。縄は記念に差し上げますので、死神さんが起きたら解いてもらうといいでしょう」
「彼女が変な考えを起こさなければ、ですがね。部下の忠誠心を試すいい機会です」
「待ちなさい! このっ、こんな縄ごとき……ああっ!」
無駄ですよ閻魔様。
もがけばもがくほどその縄はきつく食い込むのですから。
「せいぜい病み付きにならないよう気をつけてくださいね。行きましょう、レイセン」
「はい! うどんげさん!」
芋虫のように悶える閻魔様を背に、私たちは足取りも軽くその場を後にした。
「こまちーっ! 小町、起きなさい! いつまで寝てるのです! こまーちっ!」
「うーんむにゃむにゃ……休日くらいゆっくり寝かせてくださいよぉ、しきさまぁ」
いつもなら耳を千切り捨てたくなるような閻魔様の怒鳴り声も、今の私には心地よい。
なるほど、これがやる側の気分というものか。
「悪くないわ」
「はい?」
「ううん、何でもない」
私はかつての自分と同じ名を持つ彼女を抱き寄せ、しばしの間喜びに浸ることとした。
「バッチリ貫き通してきたわよ。私の道ってやつをね」
「まさかホントにやるとは思いませんでしたよ。ともあれようこそ、やる側の世界へ」
翌日、私は紅魔館の門番の元を訪れていた。
思えば彼女には随分と世話になったものだ。
「大したお礼は出来ないのだけれど……これ、よかったら使って」
私は背負ってきた薬箱を降ろし、彼女に手渡した。
「人間用だから余り効かないかもしれないけど……いざとなったらそこそこの値段で売れるはずよ」
「その薬、大事な商品でしょう? マズいんじゃないですか」
「いいのいいの。里の連中には適当な幻覚を見せて、お金だけ頂戴しておくから」
「なんとまあ、悪いウサギさんだこと」
美鈴が邪悪な笑みを浮かべ、私も同じ笑顔で応える。
「おやおや……不良妖怪が二匹も揃って、一体何の相談かしら?」
聞き覚えのある声が響き、私の笑顔は凍りつく。
そう、振り向けば奴がいる。楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥが。
「縄を帰しに来ましたよ、うどんげ」
穏やかな表情とは裏腹に、フェムトファイバーを引き伸ばす腕は力強い。
もうちょっと力を込めたら切れてしまうんじゃないか? 月の技術の結晶なのに、それ。
「いえいえ結構ですって。そのロープ、私のものではありませんので」
「遠慮する必要は無いわ。あなたのような性悪兎は首に縄でもつけておかないと、何をしでかすか知れたものではありませんから」
「そのロープ、ちょーっと待ったあ!」
空の彼方から響く声。
まさかの救世主の登場か!?
「その兎を縛るのはあっ! この私の役目だああっ!」
閻魔様と同じ髪の色。
閻魔様のものとは違い、うねうね動く縄を手にしたその少女。
東風谷早苗……よりによってこのタイミングで現れるか!
「見つけましたようどんげさん! さあ大人しくお縄を頂戴しなさい!」
「お縄って……あなたそれ、蛇じゃないの!」
「蛇じゃねーです。蛇に見えるのは八坂様の神徳のおかげですよ、多分!」
「ふふふ、どうやら年貢の納め時のようね。うどんげ」
前門の閻魔、後門の現人神。
まともにやりあえば勝機は、ない。
「ええい、こうなったらタッグマッチよ! 美鈴、力を貸して……」
美鈴に助けを求めたのだが、彼女は既に夢の中。
ああ、シェスタの邪魔はしちゃいけないって、どっかの本にも書いてあったっけ。
っていうかお前、絶対狸寝入りだろ!
「つーかまーえた♪」
「きゃあっ!?」
しまった、美鈴に気を取られた隙に……!
どっちだ? この縄は……フェムトファイバー、閻魔様か!
「私でした♪」
「なっ、私の縄が……! いつの間に!?」
ちょっ、レイセン!?
あんたまだ地上に居たの!?
「依姫様からの伝言です。“たまには里帰りでもして、皆に顔を見せに来なさい”って。いやあ、間に合ってよかった」
「里帰りって……マジですか依姫様」
まあ、今の私なら月の都に帰っても問題は無いだろうけど……。
「ちょっとちょっと、何二人で盛り上がってるんですか」
「二人ともそこに正座なさい。いいから正座なさい」
やべっ、こいつらの事忘れてた。
このままでは二人とも兎鍋だ。どうにかして注意を逸らせないものか……。
「ぬおおおおおおっ!? おのれ太歳星君めえええええ!」
突然響き渡る謎の咆哮。
誰が発したかは……言うまでもないか。
「来るなら来てみろ! 宇宙の平和は、この紅美鈴が守るッ! ……はっ、ドリームか……」
なにはともあれ、閻魔様と早苗が呆気にとられている今がチャンスだ。
「飛びます」
「お願い」
レイセンが月の羽衣を展開し、私は彼女にしがみついて大地を蹴る。
「!? 二人とも、何を……」
「なんですそれ! なんかすっごい楽しそう!」
今更気が付いても遅いよ。
もはや私たちを捕らえることなどできんぞ!
「サンキュー美鈴、助かったわ!」
「ありがとう、親切な門番の人!」
「ありゃ? もうお帰りですか。ともあれ道中お気をつけて!」
「待ちなさい! あなた方には山程お説教が……!」
「宇宙ですか!? 宇宙行くんですかそれ! 待ってー!」
高度が上がるにつれ、月の羽衣が持つ効果でだんだんと意識が遠のいてくる。
完全に眠りについてしまう前に、一つだけ彼女に聞いておかねばならない。
「ねえレイセン」
「何ですか?」
「羽衣、一枚しかないけど……二人で月まで行けるのかしら?」
「……あっ」
やれやれ。
まあ、もうどうにでもなれってやつだ。
「おやすみ、レイセン」
「おやすみなさい、うどんげさん」
多少時間がかかるかもしれないが、運がよければ月の都まで辿り着けるだろう。
不思議と穏やかな気分のまま、私はそっと瞳を閉じた。
「……は?」
世に天才と呼ばれる人物は、しばしば凡人の理解が追いつかないようなことを口走るものである。
某ミスタージャイアンツ然り、私の師匠であるこの八意永琳然り。
「呼称を統一すべきだと思うのよ。みんなあなたをどう呼んだらいいものか判断に困っているわ」
今更そんなこと言われてもなあ。
そもそも、一体誰がこんなややこしい名前を付けたと思ってるんだろうか。
「普通に鈴仙と呼んでくれればいいだけの話じゃないですか。っていうかお師匠さまだけですよ? 私を変なあだ名で呼んでるのは」
「いいえ、永琳の言うとおりだわ」
突然押入れの戸が開き、中から輝夜様が姿を現した。
永夜抄EXストーリーばりの神出鬼没っぷりを見せてくれたのはいいんですけど、多分もう誰も覚えてませんよ。
「実を言うと、私もいつも困ってるのよ。頭の中では鈴仙だって分かってるんだけど、口を開くときどうしてもイナバって呼ばなきゃいけないような気分になるの」
「私が居ないところではちゃんと鈴仙って言ってるじゃないですか。そういえばお師匠さまもそうでしたっけ」
「とにかく、このまま曖昧な状態が続くのは好ましくないわ。ただでさえ私たちは界隈で扱い難いと言われてるんだから、出来ることから改善していかないと」
いらん心配はしないでください。わかってるヤツだけ残ればいいみたいなことを神主も言ってたじゃないですか。どっかのおまけテキストで。
「まあまあれいせ……うどんげ。お師匠様や姫様の言うとおりにしたほうが絶対いいって」
「てゐ、あなたまで……」
「よく考えてみなよ。鈴仙よりうどんげの方が何となく親しみが湧くでしょう? ここで思い切って改名しちゃえば人里での仕事も捗るってモンよ。私が言うんだから間違いないね」
どの口でそこまで言ってのけるのやら。この嘘つき兎め。
「ちなみに、あなたに拒否権は一切ありません。抵抗は無意味よ」
「そんな……それじゃ今までの議論はなんだったんですか」
「勘違いしないで。これは議論ではなく通告よ。それじゃあ天狗さんたち、周知よろしくね」
「えっ!?」
慌てて庭の方を見る。庭には二羽の天狗が居た。
片方はいつものアイツ、もう片方は……見たことないヤツだ。とりあえず名前でも付けてやるか。
「纏愚弐式(ルナセカンドパパラッチ)というのはどうかしら?」
「ちょっと、勝手に変な名前付けないでよ! だいたいルナってどっから出てきたのよ……とにかく文、どっちの新聞が先にこのニュースを広められるか、勝負よ!」
「本来なら兎の記事なんか載せたくないのですが……まあ勝負なら仕方ありませんね。はたて、あなたの新聞には速さが足りないということを、今回も証明してあげるわ!」
制止する間も無く、二羽の天狗は飛び去っていった。
もうお終いだ。奴らの仕事は無駄に速いことで有名だ。明日の太陽を待たずして私の名前は完全にうどんげになってしまうだろう。
「まあ、もうどうにでもなれって感じですよ。それにしてもアイツ、何だって兎を目の敵にするのかしら? この前も低俗とかさんざんな言われようをしたことがあったけど……」
「前にうどんげの寝相を記事にしたことがあったじゃない。何故かその号だけ天狗のお偉方の間でやたら評判が良くて、しばらくの間自信を失ってしまったらしいわ」
なるほど、そういう事情があったのか。
もう妖怪の山には近づかないようにしよう。性的な意味で食べられるのはイヤだからね。
「なにはともあれ、これからもよろしくね。うどんげ」
「頑張ってね。うどんげ」
「うどんげ、ファイト!」
うーむ、やっぱりこの名前は気に食わんなあ。
まあ今更私がどうこう言っても意味無いんだろうけど。
数日後、私は薬を売るために人里へと足を運んだ。
人々の反応は私が予想した以上のものであり、今までロクに口を利いたことのなかった人まで気さくに話しかけてくる有様だ。
「よう、うどんげさん! 名前変えたんだってな!」
「その名前、似合ってるよ! うどんげちゃん!」
「こんにちはうどんげさん。今日もお仕事ですか?」
「わーい、うどんげだうどんげだー!」
「こらこらお前たち……すまないなうどんげ。うちの生徒たちがどうしても挨拶したいと聞かなくてね」
「帰ったら輝夜にこう伝えろ。『ペットの名前を変えたくらいで、私が復讐を諦めると思うなよ!』……とな」
「改名したというのは本当だったのですね。縁起の編纂を進めないと……」
「あら、うどんげじゃない。午後からここで人形劇をやるから、よかったら見に来てね」
「ご機嫌よううどんげ。ごきげんようどんげ……ププッ」
「おーいみんな来てくれ! 風見幽香が自分のギャグで笑ってるぞー! ……ウボァー」
「我々は秘密結社の者です。うどんげさん、よかったらアンケートにご協力を……ダメ? あっそう」
「おっ、うどんげじゃないか。私がこっそり人里に来てるって事、みんなにはナイショだぜ」
「うどんげが、コンティニュー出来ないのさ!」
一部おかしい連中も混ざってはいたが、概ね好評を得られたようで何よりだ。
てゐが言った通りなのは少々癪に障るが、まあそれほど悪い気はしないかな。
「よーし、こうなった以上はうどんげとして心機一転頑張るしかないか! 目指せ脱非コミュ! おー!」
「随分と調子よさそうですねえ、鈴仙」
おおっと、ヒトが折角決意を改めたところだというのに、情報弱者さんに後ろから水を差されてしまったかな?
まあ天狗の仕事がいい加減なのは今に始まった事じゃないし、仕方ないっちゃー仕方ないか。
「すみません、私先日名前を改めまして……」
「ええ、勿論知ってますよ鈴仙。私には全てお見通しです」
なんということでしょう。
振り向いた私の眼に映ったもの、それは……。
「善行、積んでいますか?」
笑顔で悔悟の棒を振り上げる四季映姫・ヤマザナドゥと、その後ろで済まなそうに笑う小野塚小町の姿であった。
その直後、こめかみに強烈な一撃が加えられ、私の意識は断ち切られた。
「……度し難い……まったくもって度し難い……ブツブツ」
まるで念仏のような呟きを聞きながら、私は意識を取り戻した。
殴られた痛みに顔をしかめつつ、ゆっくりと目蓋を開いてみる。
「あら、ようやくお目覚めかしら?」
「……うえっ!?」
四季映姫・ヤマザナドゥが私の顔を覗き込んでいる。
寝起きの身には些かベヴィすぎるシチュエーションだ。
「なぜあなたがここに連れてこられたか、説明の必要は無いわね?」
ちょっと待て。何処よここ。
ていうかいつの間にか後ろ手に拘束されてるじゃない。縄が食い込んで痛いっつーの。
「この屋敷は言うなれば私の別荘のようなもの。泣けど叫べど助けは来ないわ」
「なんのつもりですか閻魔様! 悪ふざけも大概にして下さいよ!」
「悪ふざけですって……? 反省の色、まるで無し。つくづく救えない兎ね、あなた」
「反省って、私が一体何をしたっていうんですか!?」
彼女は私の質問には答えず、脇にあったテーブルに悔悟の棒を叩きつけた。
「ひっ……!」
「ピーピー喚く暇があるなら、自分の胸に手を当ててよーく考えてみることね」
「……じゃあ、この縄を解いてくださいよ」
「ああそうでした。それなら私が手を貸してあげましょう」
いやいや、あなたが私の胸を触っても意味ないでしょうに。
ていうか鼻息荒いし、どうか落ち着いて痛い痛い痛い痛いイタイ!
「ちょっと、何してるんですか! やめ……っ!」
「どう? 己の愚かしさを自覚できそうかしら?」
「わかった! わかりましたよっ! どうせ名前を変えた件でお説教しに来たんでしょう!? 早く離してっ!」
このタイミングで現れたということは、おそらくそういう事なのだろう。っていうか他に心当たりないし。
いみじくも私の読みどおり、彼女は満足げな笑みを浮かべて手をどけた。
「……何が気に入らないっていうんですか。そりゃあ私だって本当はうどんげなんて頭の悪さ全開な名前嫌ですよ。でも仕方ないじゃないですか」
「何がどう、仕方がないのかしら?」
「さあね? ご自慢の鏡でも覗いてみればいいじゃないですか。どうせとっくの昔にお見通しなんで……ぐうっ!?」
彼女は私の腹に棒を突きたて、ぐりぐりと抉るように捻りを加える。
反抗的な態度が裏目に出てしまったか。とりあえず、息が苦しい……。
「どうして……? どうしてあなたはいつもそうなの……? ねえ……?」
「何を……ううっ! 言って……」
「私がこんなにもあなたの為を思って話をしているのに、あなたはまるで私の話を聞こうともせず、己が罪から目を背けてばかり……」
口調も表情も穏やかなのに、やってる事は拷問だ。
このヒト、根っからのドSだな。
「四季さまー、程ほどにしておかないとそいつ泣いちゃいますよー」
部屋の隅っこで小町が面白そうに囃し立てる。
ていうか見てないで助けろよ。お前の上司だろうが、コレ。
「挙句の果てにあなたは鈴仙の名前を捨てることで、月の兎であったという事実からも逃れようとしている……度し難い、まったくもって度し難い」
「そ、それは誤解ですって! 私は師匠に無理矢理改名を迫られた上、天狗たちが勝手にそれを広めて……」
「それは単なる口実に過ぎない。現にあなたは、うどんげうどんげ言われて舞い上がっていたではないですか。違うの? ねえ? 違うの?」
彼女はまくし立てながら、悔悟の棒を何度も何度も私の腹に突き立てる。
重い。一振り一振りがやたらに重い。
なんかだんだんお腹の感覚が無くなってきた……一度精密検査を受けたほうがいいかもしれないなあ。無事に帰れたらの話だけど。
「四季様、ストップです。それ以上やったらあたいの仕事が増えちゃいますよ」
「離しなさい小町。これも全て彼女のため、罪を清算するためには……」
「はいはい、どうどう……おーい、生きてるかー?」
正直言って、自信は無い。
「あんた……プロでしょ? どうよ、私まだ生きてる……?」
「ふーむ、顔面蒼白なれどこの悪態。安心しな、まだまだ医者の領分だ」
そいつは良か……あまり良くないか。
とりあえず閻魔様も落ち着いたみたいだし、生命の危機は脱することができたかな。
「今日はこれ位にしておいてあげましょう、鈴仙・優曇華院・イナバ」
「うう……今日はってことは、まだ続きがあるんですか……?」
「当たり前よ。次に会うときまでに決めておきなさい。鈴仙とうどんげ、どちらの名を名乗るのかをね……」
そんなに大事なことなのか、その二択。
「もっとも、どちらを選ぶことが罪の清算に繋がるのかなんて、考えるまでもないことだけれどね。小町、少し休んだら解放してやりなさい。私は少し横になります」
「了解です。お疲れ様でした」
閻魔様は、少しよろめきながら部屋を後にした。
「いやあ、災難だったねえ。でも映姫様の気持ちも分かってやっておくれよ。あの人は本気でお前さんを心配してくれているんだ」
「ありがたい話ね。ありがたすぎて血反吐が出そうだわ」
小町が苦笑しながら縄を解き、私は束の間の自由を取り戻した。
手足は痺れるし、お腹はズキズキ痛むけど、どうにか歩けないことも無さそうだ。
「運が良かったわね。私の体調が万全だったら、あんたをボコボコにして溜飲を下げていたところよ」
「おーこわ。まあ頭を冷やしてよく考えてみることだね。あたいだって好き好んでこんな事やってるわけじゃないんだ」
「どうだかね。見てる分には楽しそうだったけど」
竹林まで送ってやろうか、という彼女の申し出を固辞して、私は屋敷を後にした。
里での仕事もまだ残っているし、なによりコイツの世話になるのは癪だからね。
別荘とやらは幻想郷の中でも大分外れの方にあったらしく、里までは結構な距離があった。
出発した頃はそれほどでもなかったのだが、歩みを進めるにつれしこたま殴られた腹の痛みが増してくる。
「うあー気持ち悪い、吐きそう……」
少しでも気分を紛らわそうと、あたりの風景を眺めてみる。
いつの間にか湖に差し掛かっていたらしく、湖上では妖精たちが弾幕ごっこなどをして遊んでいた。
「ああ……妖精はいいなあ。自由で、呑気で、楽しそうで……」
無邪気に飛び回る彼女たちを見ていると、腹の痛みを堪えて仕事に戻ろうとしている自分が情けなくなってくる。
命ある限り馬車馬の如くこき使われ、死後は地獄で永遠の責め苦を受けるのだろう。
一体どこで道を間違えたのやら。
「……なーんか、馬鹿らしくなってきたわ」
そこからしばらく歩いた先で気力が尽き、私は大地に身体を預けた。
「思えば甲斐の無い生涯であった。私は穢土の塵となって果てるのだ……」
「ちょっとちょっと、ウチの前で塵になられちゃ困りますって」
わき腹をつつかれる感触。誰だ、ヒトの眠りを妨げるやつは。
「うえっ、酷い顔。薬にばっかり頼ってるからそういう事になるんですよ」
赤いおさげ髪の女が覗き込んできた。こいつには見覚えがある。
ああそうか、ここは……。
「ホン……魔館……」
「混ざってる混ざってる」
紅魔館の門番、紅美鈴は私を抱え起こすと、ブレザーとシャツを脱がしにかかった。
抵抗しようにも身体がいうことを聞かない。万事休すとはこの事か。
「どっちの意味で食べるつもりか知らないけど、お願いだから優しくしてね……」
「戯言ぬかす元気はあるみたいね。……あー、なるほど。お腹の気の流れがメチャクチャだわ」
彼女は呼吸を整えた後、私の腹に掌底をブチ込んだ。
鬼か、貴様は……。
「先に逝って待っててやるから楽しみにして……あれ? 痛くない」
「あくまで応急措置ですから。ちゃんとした医者に診てもらうまで激しい運動は避けたほうがいいですよ」
なるほど、気を使う程度の能力は伊達じゃないってことか。
これは大きな借りができてしまったかな。
「それにしても酷くやられたもんですねえ。ここまでくるとお仕置きというより虐待じゃないですか」
「うーん……あなた何か誤解しているかもしれない」
「えっ? あの竹ヤブ医者にやられたんじゃないの? 私てっきり……」
「話すと長くなるわ」
余程ヒマを持て余していたのか、彼女は私の話を興味深そうに聞いてくれた。
一応当たり障りの無い範囲で話したつもりだが、何かが彼女の琴線に触れたらしく、興奮した様子が伝わってくる。
「なるほど、名前の事で難儀しているという訳ですね。わかります、その気持ちすっごくわかりますよ……!」
「ああ……そこに反応するんだ……」
拳を震わせ虚空を見つめる彼女の姿に、何か鬼気迫るものを感じた。
「思えば私にも、名前について苦労した時期があったものです」
「そうなの? わりと覚えやすい名前だと思うけど……」
「あなたと比べりゃ誰だってそうですよ。それなのに、ヤツらときたら……!」
ヤツら? ヤツらって誰だ。
まさか、この館の連中だったりしないだろうね。
「その話、ここでしても大丈夫な話なの?」
「へ? ああ、あなたも誤解してますね。心配しなくても大丈夫ですよ。もう大体終わった話ですから」
「終わったって……?」
「話すと長くなりますよ?」
それからしばらくの間、私は彼女の愚痴に付き合わされることとなった。
その大半は彼女が今まで受けてきた理不尽な扱いについてのものであり、私にとっても少なからず共感のできる内容であった。
「くそ面白くも無い名前ネタ、脈絡の無い虐待オチ、そしてあの口にするのも忌まわしいサクサク病! ……辛い時代でした」
「ねえ、ヤバくない? 館の連中聞いてるかもしれないわよ?」
「大丈夫ですって。今はもう咲夜さんたちとも良好な関係を保てていますから。それに……」
「それに?」
彼女は唇の端を吊り上げ、今まで見たことの無いほど邪悪な笑みを浮かべてみせた。
「そういったネタを喜んで扱うような連中はもう、あらかたこの手で片付けましたからね。いやあ、よい時代になったものです」
メタはやめろ! と言いたいところではあるのだが、今更なので黙っておく。
「片付けたって、どういう事なの……?」
「読んで字のごとく、ですよ。最近あまり見なくなったでしょう? 私がさっき挙げたようなネタ」
「言われてみればそうだけど……まさかあなたがそんな活躍をしていたとはね」
「私がやるしかないでしょう? 泣いてたって誰も助けちゃくれないんですから」
うーん、なんだろう。すごくいい事を言っているように思えるんだけど、なにかモヤモヤするなあ。
「門番として勤める傍ら、わずかな時間を見つけては正義の使者として拳をふるったものです……紅美鈴の名の下にね」
「キツそうな二重生活ね。そりゃ居眠りでもしなきゃ体が持たない筈だわ。ゴメン、今まであなたの事誤解してたみたい」
「うーむ……シェスタの件についてはあえてコメントを控えさせていただきます」
ああ、そっちは否定しないのね。
謙虚なヒトだこと。
「と、兎に角! あなたも悩んでいることがあるのなら、さっさと原因を取り除いてしまうべきですよ」
「取り除くって言われても……ねえ」
私を悩ませている人物は、現在のところ約二名。
うどんげと名乗るよう命じた師匠と、鈴仙と名乗るよう“忠告”してきた閻魔様。
どちらを排除するにせよ、正直言って無理ゲーくさい。
「やられる側から脱却するには、やる側に回るしかないのです。そこの認識を誤魔化す者は、生涯地を這う……!」
「……まあ、善処してみるわ」
「孔子曰く“一を以て之を貫く”。私はここで祈ってますよ。あなたが己の道を貫き通さんことを……」
ううっ、久々に人の親切に触れた気がする……。
潤んだ瞳を彼女に見られないよう別れを告げ、私は人里への道を歩み始めた。
里に着いたまではよかったのだが、どういう訳かどこのお宅も留守だった。
首を傾げつつ通りを歩いていると、広場になにやら人が集まっているのが見えた。
その中央にはお立ち台が設けられており、そこで一人の少女が熱弁を振るっている。
「……と、いうわけで、今こそ八坂様のため、守矢神社のために皆さんの力が必要なのです!」
お山の神社の風ナントカさん、東風谷早苗だ。
苦手なんだよなあ、アイツ。
「なるほど! 巫女さんのいう事はいちいちもっともだ!」
「俺っちも八坂様を信仰するぜ!」
『守矢神社の信仰者が2500人増えました。人里の住民安定度が6下がりました』
なんだ今のメッセージは。
そんなに人いねえだろ。しかもなぜか治安が悪くなってるし。
「ふふふ、これなら神奈子様もお喜びになるでしょう」
今日の勧誘活動は終わったらしく、彼女はホクホク顔で里の人々を見送っている。
なるほどねえ。こうやって信仰とやらを集めているって訳だ。
「おや、あなたは……うどんげさん?」
やべっ、見つかってしまった。
「駄目じゃないですか、妖怪が人間の里をうろついてちゃ。退治しちゃいますよ?」
「やめておいた方がいいですよ。増えたばかりの信者の前で、痴態を晒すのがお望みでなければね」
「逃げ出してきた臆病者のくせに、大した自信ですねえ」
「あなたたちだって夜逃げしてきたんでしょうに」
いかんいかん、ついケンカ腰になってしまった。
いつもなら路地裏にでも連れ込んでメタメタに狂わせてやるところだけど、今はちょっとマズイ。
たぶん負ける。下手すりゃ死ねる。
「あなた、いつもあんな感じで勧誘やってるの? わたしも里にはよく来る方だけど、あんな集まり初めて見たわ」
「ああ、実は今日が初めてなんですよ。まさかここまで上手くいくなんて、自分の才能が怖いです。フッフッフ……」
「才能ねえ……まあいいけど」
よし、上手いこと話題を逸らすことができたみたいだ。
この際だから、前から気になっていたあの質問でもしてしまおう。
「ところで早苗さん、前から聞こうと思ってたことがあるんですけど……」
「なんですか?」
「あなた、どうして東風谷なんですか?」
「……は?」
そんな顔しないで欲しい。
「いや、だっておかしいじゃないですか。洩矢諏訪子の子孫であるあなたの名字が、まるで関係の無い東風谷だなんて」
「……何が言いたいんです?」
「だから、あなたが本来名乗るべきは東風谷じゃなくて、例えば……モリヤサナ」
「ストップ! そこまでです!」
うわっ、びっくりした。
いきなり大声出さないでよ。
「その名前を軽々しく口にしてはなりません!」
「なによ、例を挙げてみただけじゃない」
「駄目なものは駄目なんです! 禁則事項です!」
この反応……何か隠してるな。
よし、それならば……。
「あんまり大声を出さないの。私の能力で音を抑えていなかったら、今頃私たち注目の的よ?」
「ううっ、しかしですね……」
「なあに? ああそうか、どうせなら大勢の人たちに理由を聞いてもらいたいって訳ね! ご町内のみなさ~ん!」
「わあっ、わかりました! あなたにだけ教えてあげますから大声出さないで下さい!」
なんだ、あっさり落ちやがった。
つまらんな。
「それで? あなたがモリヤの姓を名乗れないのには、一体どういった理由があるというの?」
「ほら、東方のタイトルって新キャラの名前の一部が入るじゃないですか。東風谷じゃないと風神録にならないんですよ」
「理由になってないわね。それならタイトルを『洩神録』や『守神録』に変えるか、あなたがモリヤ風子とでも名乗れば済む話じゃない」
「そんな……あなた言ってることメチャクチャですよ。大体なんですか洩神録って……」
あんたにドン引きされると、なんていうかその、傷つく。
普段が普段なだけに。
「そもそも、私が知りたいのはモリヤサナ」
「禁則事項!」
「それそれ。その理由を聞いてるのよ」
彼女はしばらく渋っていたが、やがてお互いの息がかかる距離まで近寄ってきて、ヒソヒソと囁きはじめた。
「実は……既にいらっしゃるんですよ。リアルな話で」
「リアルって……じゃあその、モリヤのサナエさんがあなたの他にいるってことなの?」
「私の他にっていうか、ぶっちゃけた話元ネタです。さすがに同姓同名はマズいだろうってことで、私は東風谷になりました」
「よくわからないわねー。名前が被ったところで何が問題なのかしら? 『この作品はフィクションです。実在のなんたらかんたら~』とか言っておけば大丈夫なんじゃない?」
「あなたは……! 他人事だからそんなことが言えるんですよっ!」
他人事ねえ……。そういや私にも名前が被ってるやつがいたっけか。
元気にしているかなあ、彼女。
「まあ大体の事情は分かったし、私も満足したからこの辺で……ん?」
帰ろうとする私の手を、どういう訳か彼女が掴まえて離さない。
「なに? この手は」
「帰しません」
「は?」
「帰さないと言ったんです。秘密を知ってしまった以上はね。一緒に神社まで来て、誰にも話さないって誓ってもらいますから」
やばいこいつ、目が諏訪って、もとい据わってる。
「神奈子様と諏訪子様の前で誓ってもらいます。もしも誓いを破ったら、それはそれは恐ろしい呪いが降りかかるように……」
「うーん、そうしてあげたいのもヤマヤマなんだけど、生憎私は仕事の途中なのよね。それに山には登らないって今朝決めたばかりだし」
「あなたの事情なんざ知ったこっちゃねーです。来てください」
「ちょっ、引っ張らないでよ。周りの人たちにバラすわよ。いいの?」
「そん時ゃそん時です。あなたも含めて派手に口封じするだけですから」
こいつはやる。やると言ったら絶対やる。なんというかその、スゴ味がある。
なんかまたお腹がシクシク痛みはじめてきた。こうなったら……。
「あっ見て早苗! お空にでっかいUFOが!」
「青UFOとかマジ要んねーです。そんなことより一緒に来て……」
「いいから見て! すごいわ、まるでインディペンデンス・デイみたい!」
「何を馬鹿な……うわああぁっ!?」
空を見上げた彼女の瞳には、さぞかし巨大な円盤が映っていることだろう。
勿論、私が作り上げた幻覚なのだが。
「なにこれうどんげさん……なにこれって聞いてんですようどんげさん。なあ、おい、うどんげさん! なんだよこれ? なんなんだよこれおいうどんげさん!」
よーし、彼女は大分錯乱しているな。
私は彼女の手をそっと外し、気配を消してその場を後にした。
仕事はまだ残っていたけど、そんな事を気にしている場合でもなさそうだな。お腹痛いし。
その夜、私は自室で一人物思いに耽っていた。
『悩みがあるなら原因を取り除かねばねばねばねばねば……』
『同姓同名はマズイんじゃないですかすかすかすかすか……』
瞳を閉じると、なぜか美鈴と早苗の声が頭の中を木霊する。残響音付きで。
ねばねば、すかすか。ねばねば、すかすか。
ネヴァダ州スカンジナビア。何を考えているのだ、私は。
『あなたは、まだまだ自分の罪を直視していない……』
そもそも私の罪とはなんだ?
閻魔様は見殺しにしたと言ったが、月の都は今も余裕で健在。
当時の仲間も皆元気にしている。たまに交信だってするし。
『貴方は一人だけのほほんと暮らしている』
馬鹿言うな。向こうとこっちじゃ、文字通り天と地ほどの違いがあるわ。
あーあ、どうして私はこんなところに居るのだろうか。
私は一体、何から逃げて来たというのだ……?
「本当にもう、訳がわからないわよ……あーお腹痛い」
お腹のダメージについてはまだ、師匠たちには何も話してはいない。
閻魔様との一件をあれこれ尋ねられても面倒なだけだからね。
地獄に落ちるのが嫌だから名前を元に戻したい、なんて言ったところで、まともに聞いてくれるような人々ではないのだ。
『やられる側から脱却するには、やる側に回るしかないのです』
私が心の平穏を取り戻すためには、師匠と閻魔様のどちらかをどうにかしなければならない。
だが現実は非情だ。師匠は殺しても死なないし、首尾よく閻魔様を片付けたとしてもまた次のヤマザナドゥが来るだけだろう。
八方塞がりとはまさにこのこと。私の人生、どん詰まりだ。
「ほんと、どこで間違っちゃったんだろう、わたし」
何もかもが間違っているこの人生、もう一度やり直すことができればいいのになあ……ん? 待てよ。
「間違いを……やり直す……そうよ、これだわ!」
突如私の脳髄に、稲妻のごとく一つの閃きが走った。
数多の欠陥を補完し、あらゆる矛盾を相殺させ、全ての因果を覆すためのアイディアが。
そのためには必要なのは、私そのものを分解して、一から全てを組み直すことだ。
『私は何者だ?』
『なぜここにいる?』
『果たすべき使命は何だ?』
『どうなることを望んでいるのだ?』
……検証と再構成が完了する頃にはもう、東の空が明るくなり始めていた。
少々寝不足気味ではあるものの、腹の痛みが治まってくれたため、私は清々しい気分で朝日を迎えることができそうだ。
そう、私はこの日生まれ変わる。くだらない名前だの、有りもしない罪だのに悩まされる人生はもう終わったのだ。
『悩んでいることがあるのなら、さっさと原因を取り除いてしまうべきですよ』
『さすがに同姓同名はマズいだろうってことで、私は東風谷になりました』
よくよく考えてみれば、彼女たちの言葉の中に答えがあったのだ。
準備には早くても数日はかかるだろうが、勝算は充分にある。
「首を洗って待ってなさいよ、四季映姫・ヤマザナドゥ……!」
私は誰にも聞かれぬように、ターゲットの名を呟いた。
それから一週間後。
小町を通じて閻魔様にアポイントメントをとった私は、はるばる彼岸まで足を運んだ。
そこでは相変わらず気だるそうに突っ立っている小町と、私に裁きを下すのを待ちきれない様子の閻魔様が待っていた。
「まさか、あなたの方から私に会いに来てくれるなんてね。よい心がけです、鈴仙」
「獲物を前に舌なめずりするのは、三流のやることよ」
「何か言ったかしら?」
「いえ、何も」
全ての準備は整っている。
細工は流々、仕上げをご覧、ってね。
「では聞かせてもらいましょうか。鈴仙とうどんげ、あなたがどちらの名を名乗るのかを」
「フッフッフッ……あはっ、あはははははは!」
「何が可笑しいのです?」
突然の私の高笑いに、閻魔様の表情が怪訝そうなものに変わる。
「さすがの天狗も、是非曲直庁までは新聞を届けていないようですね。私の名前はうどんげに変わったのですよ? ほんの一週間ほど前にね」
「そう、それがあなたの答えということね」
閻魔様は再びにこやかな笑みを浮かべた。
さて、ここからが正念場だ。
「ならば私は何度でも教えてあげましょう。あなた自身が背負った、罪の重さというものをね!」
「いつもいつも一方的に裁判ができると思わないことね! 法廷でモノを言うのは弾幕でも驕り高ぶった裁判官でもない! 証人と証言、そして証拠! それが全てよ!」
「なん……ですって?」
「レイセン、来いっ!」
私の呼びかけに呼応して周囲の空間に揺らぎが生じ、一羽の玉兎が姿を現した。
何の因果か私と同じ名を名乗ることになってしまった元餅つき兎、レイセンの登場だ。
「あなたは……?」
「えーっと、月の使者って言えばわかってもらえますでしょうか?」
「月の使者? ……なるほど、そういうことですか」
閻魔様は浄玻璃の鏡を用いて、レイセンの素性を把握した様子だ。
こういう時に話が早くて助かるね。
「どういうつもりかしら鈴仙? これがあなたの言っていた証人だとでも言うつもりなの?」
「はい? 何ですか?」
「いやいや、あなたじゃなくてそっちのレイセンよ。……ああもう、ややこしいわね」
「レイセン、閻魔様に例のものを」
「了解です!」
レイセンは鞄から一枚の書状を取り出し、閻魔様に突きつけた。
「これが証拠品とやらなのかしらね? なになに……」
彼女は眉を顰めつつ、書かれた内容を読み始める。
『飼い主としての権限に基づき、レイセン(地上名:鈴仙・優曇華院・イナバ)の名を以後うどんげへと改めることとする。綿月豊姫 印』
「……何よこれ!?」
「読んで字のごとくですよ。我々の主従関係はまだ解消された訳ではありませんからね」
「豊姫様はこう仰ってました。“複数のペットに同じ名前をつけるなんて、そんなおかしな話は無いわね”って」
私は少なくとも一人知ってるけどね。そういうおかしなヒトのこと。
「こんなものは認められません! あなたは月から逃げ出した身よ。主従関係などとうに切れているはずでしょう!」
「やれやれですね。ま、これだけで理解していただけるとは思ってませんよ。レイセン、もう一枚の方を」
「はーい」
レイセンが二枚目の書状を取り出すと、閻魔様はそれをひったくって目を通し始めた。
「これは……命令書かしら」
『貴官に地上での特別任務を命ずる。なお、月の都に混乱を招く恐れがあるため、地上に降りるまで本件は極秘事項として扱うこと。綿月依姫 印』
「……っ!?」
「命令書の日付は西暦一九六九年、かの有名なアポロ11号の打ち上げよりも前になっております。これが何を意味するのか、説明の必要はありませんね?」
私は“戦争の直前に逃げ出した”ということになっていたっけか。
今になって考えてみれば、そんな必要などどこにも無かったっていうのにね。
「馬鹿げている……! こんなこと、あっていいはずがない……!」
「それらの書状の正当性は保証されてますよ。あなたに白黒つけてもらうまでもなく、ね」
ここでネタばらし。
先日レイセンを介して私と綿月姉妹の間に、ある密約が交わされた。
即ち、私が師匠である八意永琳のプライベートな情報を逐一報告する代わりに、姉妹は私の罪を帳消しにすること。
これにより逃亡の罪は闇へと葬り去られ、任務に忠実な月の使者、うどんげが誕生したという訳だ。
私にとって師匠の情報など惜しむ必要は無く、姉妹としても、失ったはずの兎が役に立つのなら断る理由などどこにも無い。
これこそが私の必勝の策であり、起死回生のアイディアであった。
ちなみに二枚目の名義を依姫様にしたのは、公式文書との整合性を図る為である。豊姫様だと色々と矛盾が出てきてしまうからね。小説版儚月抄第三話的に考えて。
「閻魔様は以前、罪は裁き以外では清算出来ないと仰いましたけどそれは間違いですね。罪そのものが無くなってしまえば、ホラ。なんてことありません」
「あなたはっ……! 己の過去を捏造してまでその罪から逃れようというのかっ……!」
「捏造とは人聞きの悪い。私はただ、不自然かつ不完全な己の経歴を埋めてみただけですよ。結果的に罪の清算につながったのですから、これって善行ですよね? 閻魔様」
「黙りなさい。白か黒かは私の一存で決めること。この悔悟の棒の一撃で、己の罪の重さを知るがいい!」
閻魔様は悔悟の棒を振り上げ、私の頬を横殴りに一閃した。
だがその一撃は以前とは比べ物にならないほど軽く、まるで乾いたタオルで撫でられたかのような感触しかもたらさなかった。
「んにゃっ……!?」
「うふふっ、閻魔様もそんな可愛い声が出せるんですねえ」
悔悟の棒の重さは、書かれた罪の重さに比例して増すと聞く。
つまりは……。
「この裁判、どうやら私の完全勝訴(パーフェクトヴィクトリー)のようですね。裁判長殿(エイキチャンペロペロチュッチュ)?」
「よ、よしなさい! 気味の悪い読み仮名を当てるのはよしなさいっ!」
「レイセン、閻魔様が控訴するまえに取り押さえるのよ!」
「任せてください! 捕縛の腕には自信があります!」
レイセンは鞄からフェムトファイバーを取り出し、慣れた手つきで閻魔様を亀甲に縛り上げる。
「あなたたち……! こんなことをして、ただで済むと思っているの……!?」
「流石にこれ以上は何もしませんって。私たちはね」
私とレイセンは協力して、閻魔様をいつの間にか眠りこけていた小町の傍へ運んだ。
「それじゃあ私たちは帰りますね。縄は記念に差し上げますので、死神さんが起きたら解いてもらうといいでしょう」
「彼女が変な考えを起こさなければ、ですがね。部下の忠誠心を試すいい機会です」
「待ちなさい! このっ、こんな縄ごとき……ああっ!」
無駄ですよ閻魔様。
もがけばもがくほどその縄はきつく食い込むのですから。
「せいぜい病み付きにならないよう気をつけてくださいね。行きましょう、レイセン」
「はい! うどんげさん!」
芋虫のように悶える閻魔様を背に、私たちは足取りも軽くその場を後にした。
「こまちーっ! 小町、起きなさい! いつまで寝てるのです! こまーちっ!」
「うーんむにゃむにゃ……休日くらいゆっくり寝かせてくださいよぉ、しきさまぁ」
いつもなら耳を千切り捨てたくなるような閻魔様の怒鳴り声も、今の私には心地よい。
なるほど、これがやる側の気分というものか。
「悪くないわ」
「はい?」
「ううん、何でもない」
私はかつての自分と同じ名を持つ彼女を抱き寄せ、しばしの間喜びに浸ることとした。
「バッチリ貫き通してきたわよ。私の道ってやつをね」
「まさかホントにやるとは思いませんでしたよ。ともあれようこそ、やる側の世界へ」
翌日、私は紅魔館の門番の元を訪れていた。
思えば彼女には随分と世話になったものだ。
「大したお礼は出来ないのだけれど……これ、よかったら使って」
私は背負ってきた薬箱を降ろし、彼女に手渡した。
「人間用だから余り効かないかもしれないけど……いざとなったらそこそこの値段で売れるはずよ」
「その薬、大事な商品でしょう? マズいんじゃないですか」
「いいのいいの。里の連中には適当な幻覚を見せて、お金だけ頂戴しておくから」
「なんとまあ、悪いウサギさんだこと」
美鈴が邪悪な笑みを浮かべ、私も同じ笑顔で応える。
「おやおや……不良妖怪が二匹も揃って、一体何の相談かしら?」
聞き覚えのある声が響き、私の笑顔は凍りつく。
そう、振り向けば奴がいる。楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥが。
「縄を帰しに来ましたよ、うどんげ」
穏やかな表情とは裏腹に、フェムトファイバーを引き伸ばす腕は力強い。
もうちょっと力を込めたら切れてしまうんじゃないか? 月の技術の結晶なのに、それ。
「いえいえ結構ですって。そのロープ、私のものではありませんので」
「遠慮する必要は無いわ。あなたのような性悪兎は首に縄でもつけておかないと、何をしでかすか知れたものではありませんから」
「そのロープ、ちょーっと待ったあ!」
空の彼方から響く声。
まさかの救世主の登場か!?
「その兎を縛るのはあっ! この私の役目だああっ!」
閻魔様と同じ髪の色。
閻魔様のものとは違い、うねうね動く縄を手にしたその少女。
東風谷早苗……よりによってこのタイミングで現れるか!
「見つけましたようどんげさん! さあ大人しくお縄を頂戴しなさい!」
「お縄って……あなたそれ、蛇じゃないの!」
「蛇じゃねーです。蛇に見えるのは八坂様の神徳のおかげですよ、多分!」
「ふふふ、どうやら年貢の納め時のようね。うどんげ」
前門の閻魔、後門の現人神。
まともにやりあえば勝機は、ない。
「ええい、こうなったらタッグマッチよ! 美鈴、力を貸して……」
美鈴に助けを求めたのだが、彼女は既に夢の中。
ああ、シェスタの邪魔はしちゃいけないって、どっかの本にも書いてあったっけ。
っていうかお前、絶対狸寝入りだろ!
「つーかまーえた♪」
「きゃあっ!?」
しまった、美鈴に気を取られた隙に……!
どっちだ? この縄は……フェムトファイバー、閻魔様か!
「私でした♪」
「なっ、私の縄が……! いつの間に!?」
ちょっ、レイセン!?
あんたまだ地上に居たの!?
「依姫様からの伝言です。“たまには里帰りでもして、皆に顔を見せに来なさい”って。いやあ、間に合ってよかった」
「里帰りって……マジですか依姫様」
まあ、今の私なら月の都に帰っても問題は無いだろうけど……。
「ちょっとちょっと、何二人で盛り上がってるんですか」
「二人ともそこに正座なさい。いいから正座なさい」
やべっ、こいつらの事忘れてた。
このままでは二人とも兎鍋だ。どうにかして注意を逸らせないものか……。
「ぬおおおおおおっ!? おのれ太歳星君めえええええ!」
突然響き渡る謎の咆哮。
誰が発したかは……言うまでもないか。
「来るなら来てみろ! 宇宙の平和は、この紅美鈴が守るッ! ……はっ、ドリームか……」
なにはともあれ、閻魔様と早苗が呆気にとられている今がチャンスだ。
「飛びます」
「お願い」
レイセンが月の羽衣を展開し、私は彼女にしがみついて大地を蹴る。
「!? 二人とも、何を……」
「なんですそれ! なんかすっごい楽しそう!」
今更気が付いても遅いよ。
もはや私たちを捕らえることなどできんぞ!
「サンキュー美鈴、助かったわ!」
「ありがとう、親切な門番の人!」
「ありゃ? もうお帰りですか。ともあれ道中お気をつけて!」
「待ちなさい! あなた方には山程お説教が……!」
「宇宙ですか!? 宇宙行くんですかそれ! 待ってー!」
高度が上がるにつれ、月の羽衣が持つ効果でだんだんと意識が遠のいてくる。
完全に眠りについてしまう前に、一つだけ彼女に聞いておかねばならない。
「ねえレイセン」
「何ですか?」
「羽衣、一枚しかないけど……二人で月まで行けるのかしら?」
「……あっ」
やれやれ。
まあ、もうどうにでもなれってやつだ。
「おやすみ、レイセン」
「おやすみなさい、うどんげさん」
多少時間がかかるかもしれないが、運がよければ月の都まで辿り着けるだろう。
不思議と穏やかな気分のまま、私はそっと瞳を閉じた。
イカしたネーミングセンスだ。纏愚弐式(ルナセカンドパパラッチ)に惚れた。
なんとも共感を呼ばないキャラ達によるナンセンスコメディ、ちょっとモンティ・パイソンを思い出しました。
早苗は生きてるのが楽しそうだなぁ。
ラストも好き。突き放したような、それでいて微かにロマンチックな香りが漂うラストが。
〝不思議と穏やかな気分〟
確かにね。当方の読後感もそんな感じでした。
ただ、「里の連中には適当な幻覚を見せて、お金だけ頂戴しておく」
さえ無ければもっと高評価だったんですが……
鈴仙かっこいいなぁ
他のキャラの動きも良かった
>『守矢神社の信仰者が2500人増えました。人里の住民安定度が6下がりました』
徴兵ミニゲームを…パーフェクト…だと…早苗ちゃん、貴様話術はいくつだ!?