その日、華扇が博麗神社に向かう途中、ふと足を止めたのは空から聞こえたさえずりのためだった。
常人ならば気にも留めないその鳴き声に、桃色の髪にシニョンキャップをした少女は空を見げると、手の平に乗るような小鳥がパタパタと降り立って肩に止まる。
動物の言葉が聞けるがゆえの反応。それを裏付けるように、華扇の表情には笑みが浮かんでおり、肩にとまった小さな生命に言葉を投げかけた。
「あらあら、一体どうしたのかしら?」
問いかけるような、慈愛に満ちた優しい言葉。
それに答えるように鳴き声をあげる小鳥の言葉を親身になって聞き、それを聞き終えた彼女は「そう」と静かに、どこか納得したように声をこぼす。
友達が怪我をしている。助けてほしい。そう必死に訴えかける言葉を、どうして無視できようか。
「わかったわ、案内してくれる?」
そう語りかければ、小鳥は一声鳴いて羽ばたいた。
決して空高く羽ばたくことはせず、華扇の目で追えるように低い位置を飛行しながら。
その後ろをついていき、整理された道からはずれ、木々が多い茂る小さな森に入っていく。
それほど広くない木々の中を歩く。目の前には小さな体で翼を羽ばたかせ、友の元へと向かう小鳥の姿を追っていけば、小さな広場へと足を踏み入れることとなった。
空から見下ろせば、きれいな円形になっているだろう広場。さまざまな花が咲き乱れ、見るものを魅了するだろうその場所。
その中央の大きな切り株に、一人の妖精が物静かな様子で腰掛けていた。
妖精としては高めの身長に、黄緑色の髪は黄色のリボンでサイドテールにされており、顔立ちは童顔ではあるが整っている。
白のシャツに青い衣服、黄色のネクタイ、背中には鳥とも虫ともつかない縁のついた一対の羽。
ひじょうにかわいらしい、しかし妖精には似つかわしくないどこか落ち着いた雰囲気を感じる少女に、先ほどの小鳥が一目散に飛んでいった。
助けてほしいという友達は、目の前の妖精の少女で間違いないらしい。
よくよく見れば、妖精の足には大きな裂傷があり、真っ赤な血が痛々しく少女の脚を濡らしている。
見た目にも痛々しいその光景に、あの小鳥が必死になるわけだと華扇はどこかで納得した。
「あの、あなたは?」
どこか不安そうな言葉、怪我をしている身であれば、見知らぬ誰かと遭遇すれば不安に思うことだろう。
そんな少女を安心させるように、華扇は微笑んだ。
「大丈夫、私はその子に助けを求められた……いわゆる通りすがりですよ」
落ち着かせるような、安心させるような声色。心から少女の身を案じているとわかるその言葉。
華扇の細くしなやかな指は妖精の少女の肩に止まった小鳥に向けられ、彼女はぱちくりと目を瞬かせた。
「わかるんですか、この子達の言葉が」
「えぇ。さぁ、手遅れにならないうちに、脚を見せてください。応急処置ぐらいはできると思いますから」
苦笑しながら少女に歩み寄り、跪くように屈んで少女の脚を見る。
華奢な少女の脚には似つかわしくない深い裂傷からは、今もどくどくと真っ赤な血が溢れていた。
懐から予備の包帯を取り出すと、辺りを見回して薬に使えそうな草花を見繕う。
袖を破って傷口に当てて出血を止めながら、時には薬になるよもぎなどを塗ると、少女は顔を顰めてはいたが声は漏らさない。
痛いだろうに、少女は華扇を心配させまいと痛みを我慢し、声をこぼすまいときゅっと目を瞑っていた。
そんな彼女の様子に感心しながらも、治療に意識を集中する。
時には仙術を使いながら施された治療は見事に出血を抑え、少女の脚にはくるくると丁寧に包帯が巻かれていった。
「はい、もう大丈夫よ。ただ、傷が開くかもしれないから、しばらくは安静にね」
笑顔で紡がれた言葉に、妖精の少女はどこか恥ずかしそうにしながら「ありがとうございます」と礼儀正しく頭をたれた。
そのあまりにも自由奔放な妖精らしからぬ行動がおかしくて、華扇はクスクスと苦笑した。
何しろ、妖精というのは誰も彼もが陽気でいたずら好き、それでいて感情豊かなのが一般的だ。
けれど、目の前の妖精の少女は礼儀正しくてどこか控えめで、華扇の知る妖精のイメージからはずいぶんとは慣れていたものだから、それが新鮮だったのだ。
それを疑問に思ったのか、少女は不思議そうな表情でこてんっと首をかしげている。
やだ、かわいらしい。などとこっそり思ったが、そんなことおくびにも出さず、華扇は何食わぬ顔で少女の隣に座った。
素直にいえば、興味がわいたのだ。この少し変わった、妖精らしからぬ少女に。
案の定、少女は不思議そうな表情を浮かべたままだったが、華扇は何食わぬ顔でポンポンッと彼女の頭に手を置いた。
妖精の中では背が高いとは言っても、やはり華扇よりは幾分か背が低い。
ちょうどいい高さに頭があったものだから、ついついそのまま頭をなでてしまう。
恥ずかしそうにうつむいて、なにやらごにょごにょと呟いていたが、生憎と華扇の耳にまでは届かない。
うん、やっぱりかわいい。
「少し休憩していこうと思うのだけど、御一緒してよろしいかしら?」
「は、はい! 助けてくださって、ありがとうございます!」
「ふふ、いいのですよ、このぐらい。勝手で悪いのですけど、少し話し相手になってくれますか?」
華扇の言葉に「えぇ!?」と驚きをあらわにした少女だったが、いまだ信じられないといった様子で自分の顔を指差した。
その少女の仕草を肯定するように、笑顔で頷いて見せる華扇は何を思っていたのやら。
やさしさが垣間見える笑顔。少女の身をいまだ案じているのだとわかる、柔らかな笑み。
それを見て、少女もどこか安心したのだろう。少し恥ずかしそうではあったが、柔らかな笑みを浮かべて見せた。
妖精にはあまり似つかわしくない、けれどもこの少女にはそれが「らしい」と思える、そんな笑顔で。
「はい。私でよければ、一緒にお話してもよろしいですか?」
そんな言葉を、どこか楽しそうに答えていた。
▼
お互いに自己紹介を終えた二人は、切り株に腰掛けて楽しげに談笑している。
妖精の少女には名がなく、彼女と親しいものは大妖精、あるいはそこからもじって大ちゃんと呼ばれているらしい。
華扇も彼女たちの友人に習い、大ちゃんと呼ぶことしたようで、最初こそ恥ずかしそうにしていた大妖精だったが、今では普通に受け答えしている。
そうやって会話に花を咲かせていれば、少女の話もいろいろと聞けた。
チルノという仲のいい妖精の少女がいるとか、ルーミアやリグル、ミスティアといった妖怪の友人の話も聞けた。
特にチルノという少女の話をするときの彼女は面倒見のいいお姉さんのよう。
華扇にとっても有意義な話であったし、なによりも彼女の話は新鮮でいろいろと興味深い話でもあった。
何より、大妖精の語る話はどれも楽しそうで、それでいて幸せそうで。
それが、こんなにも微笑ましいと思うぐらいには、華扇はこの妖精のことを気に入っていた。
「この間も、チルノちゃんってば無茶ばっかりするんですよ?」
「あはは、いいではないですか。妖精らしいと思えば、それも微笑ましいことです。それに、あなたも彼女といるのが好きで、そばにいるのでしょう?」
おかしそうに笑う華扇の言葉に、大妖精は満面の笑顔で「はい」と即答する。
垣間見える確かな絆。そのチルノという妖精も、こんなに思ってもらえてさぞ幸せなのだろうなと、華扇は思う。
人間よりも力の劣る妖精の存在を軽んじる者は、意外にも多い。
それは残念な事実ではあるが、この少女は妖精とも妖怪とも、深いつながりを持った友人がいる。
すばらしいことであり、そして幸せなことでもある。そのことに、この少女も気づいているのだろう。
だから、こんなにも優しい笑顔を浮かべられる。幸せそうな笑顔を、浮かべられるのだ。
そんな風に会話をしていると、空からふわふわと人影が姿を見せた。
人影は華扇の姿を見つけるとあきれたようにため息をつき、ゆっくりと彼女たちのいる広場に降下していく。
それに真っ先に気がついたのは華扇だ。
最近はすっかりとなじんだその気配に気づいて顔を上げると、仏頂面の巫女がめんどくさそうに広場に降り立った。
巫女――博麗霊夢の登場に驚く大妖精とは裏腹に、華扇は何かを思い出したのかポンッと手の平をたたいた。
「あんたねぇ、こんなところで何してるのよ。朝には来るとか言ってたくせに、もう昼過ぎよ?」
「ごめんなさいね、霊夢。ちょっと緊急事態になったものだから」
「緊急事態……ねぇ」
いわれて隣にいた大妖精に視線を移した霊夢は、彼女の足に巻かれた包帯に気がついてため息をひとつつく。
大方の事情は察したようで、「しょうがないわねぇ」などとこぼしてはいるが、表情は不満そうに口を尖らせている。
その様子を見てオロオロとする大妖精だったが、彼女を安心させるようにぽんぽんと頭をなでてやる。
それを見た霊夢が一層不機嫌そうに顔をゆがめるのだが、あえて気がつかない不利をして「ごめんなさい」ともう一度謝罪。
小さく、気づかれないようにため息をひとつついた霊夢は、恨みがましい視線を華扇に向けつつ言葉を紡いだ。
「あんた、ただでさえ妖怪には狙われやすいんだから、ふらふらうろつくんじゃないの。まったく、これだからこいつは……」
「ふーん。もしかして霊夢、私のこと心配してくれたのですか?」
どこかからかうような華扇の言葉。それが図星だったようで、巫女の顔が瞬く間に真っ赤になった。
ふんっと顔をそらしてごまかしてはいたが、照れ隠しなのが丸わかりで、華扇がクスクスと笑いをこらえるのも無理もない話である。
それで一層、霊夢の視線が鋭くなったのだが華扇はそれを意に介さずどこ吹く風だ。
一方、霊夢と華扇の交互に視線を移してオロオロとする大妖精の心境は、わりと落ち着かないものだったかもしれないが。
やがて、先に折れたのは霊夢のほうだった。
何を言っても無駄だと悟ったのか、疲れたようにため息をついて傍にいた大妖精に視線を向ける。
「なんにしても、あんたも災難だったわね。こいつ、説教くさいでしょ?」
「いえ、そんなことなかったですよ霊夢さん。華扇さん、聞き上手でしたから」
「あらあら、二人とも知り合いなの?」
霊夢と大妖精が知り合いなのが意外だったのか、華扇は目を丸くして問いかける。
大妖精は「はい」と苦笑して、霊夢はというと「まぁね」とそっけない。
知り合いではあるが、親しい間柄……というわけでもない。
チルノたちに連れられて、博麗神社の宴会に参加したこともあるが、それでも霊夢と会話したことはあまりない。
むしろ、チルノたちに振り回されているうちに宴会が終わってしまうものだから、霊夢と話す機会が少ないのも当然といえた。
そんな二人の反応をどう受け取ったのか、華扇は少し考え込んだ後、ポンポンッと自分の隣をたたいて見せた。
「霊夢もこっちに座りましょう。たまには、こういうところでのんびりするのも悪くないでしょう」
「……まぁ、別にいいけどさ」
どこか納得のいっていない様子の霊夢だったが、特に異論はないのか大人しく華扇の隣に腰掛けた。
三人の少女が、大きな切り株に腰掛ける。霊夢と華扇がなにやら会話を交わしていたが、そんな二人の様子を大妖精はぼんやりと眺めていた。
自分が不注意で負った傷を癒してくれた、動物の言葉がわかるという不思議な女性。
小鳥に導かれて現れた彼女は、優しくて、頼もしくて、どこか安心する気配をまとった人。
素性はわからないけれど、詳しくは答えてもらえなかったけれど、それでもいいと、大妖精は思う。
血が止まらない中、痛みで飛ぶこともままならず、一人で蹲っていた中、彼女は救いのように現れた。
心細かった。
独りは、寂しかった。
いつもは一緒にいる友人が傍にいないことが、こんなにも恐ろしい。
誰かに襲われやしないかと震え、怯え、小さな物音にでも敏感に反応してしまい、神経をすり減らしていく。
そんな中、現れたのが華扇だったのだ。
嬉しかったし、心強かった。
治療されるたびに、言葉をかけられるたびに、感じていた不安や恐怖が薄らいでいった。
今もこうやって、不安を紛らわすように動けない自分の傍に寄り添って、話かけてくれる。
それがこんなにも、ありがたいと、そう思う。
「二人ともごめんなさい。私のせいで」
だからこそ、それ以上に申し訳なくも思ってしまう。
華扇には霊夢となにやら用事があったようだし、霊夢にも迷惑をかけてしまった。
そんな彼女の心情を察してか、華扇はクスクスと楽しそうに笑ってぽんぽんと頭をなでる。
それが心地よいと、そう思ってしまうのは不謹慎だろうか?
「ふふ、大ちゃんが気にすることはないのですよ。私が好きでしたことですから」
「そうそう、他人の善意は素直に受け取っておきなさい。私もまぁ、別にここにいるのは嫌じゃないし」
どちらも気にする必要はないと、方や優しく、方やどこか照れくさそうに。
そんな彼女たちの言葉にも、「でも」と大妖精は言葉をこぼしてしまう。
だって、大妖精は彼女たちに何も返せていない。
自分の不安を拭い去ってくれて、怪我の治療をしてくれた華扇にも。
なんだかんだと、ここにとどまって一緒に会話してくれる霊夢にも。
何かお礼をしたいと思うのに、今の大妖精には何をすればいいのか思いつけないでいた。
そんな彼女の気持ちを察したのだろう、華扇はやさしげな笑みを浮かべて、頭をなでながら言葉を紡ぐ。
「それなら、私はあなたの歌が聞いてみたいですね。お友達とよく歌うのでしょう?」
「歌……ですか?」
ぱちくりと目を瞬かせる大妖精に、「はい」と華扇は答える。
確かに、華扇には友達の話をしたときに、屋台の客寄せなどで一緒に歌ったことがあると話はした。
けれど、生憎と大妖精自身は自分の歌にあまり自信がない。
そんな彼女を元気付けるように、無言で、けれど力強く頷いてみせる華扇。
それで、心は決まってくれた。大妖精は笑顔を浮かべ「はい」と頷いて見せる。
「霊夢も、いいかしら?」
「いいんじゃない? 私もちょっと興味あるし」
華扇の言葉に、暇をもてあますように脚をぷらぷらとさせていた霊夢はあっさりと了承の言葉。
彼女らしいあっさりとしたその言葉に華扇は苦笑して、視線を大妖精に移して頷いてみせる。
それが合図となったのか、大妖精は大きく深呼吸をして、心を落ち着かせる。
誰かに歌を聞かせるのは慣れていないし、あまり自信もないけれど、せめて少しでも恩が返せるように、精一杯に歌おうと、そう思った。
一度、二度と、深呼吸を繰り返した。心がだんだんと落ち着いて、心が澄んでいくような錯覚。
目を瞑れば、心が凪いだ湖のように落ち着いてくれた。
そうして、妖精の少女は歌い始めた。
高いソプラノの声は鈴のようで、耳に心地よい澄んだ声だった。
優しく、暖かな旋律を奏でながら、少女の歌はこの広場に流れていく。
時にはビブラートを利かせたり、時には心の赴くままに言葉を紡ぎ。
時折聞こえる鳥の鳴き声が、彼女の歌を彩る合唱団のよう。
優しく、何もかも包んでしまうような慈愛に満ち溢れた、暖かな歌と旋律。
黙って、二人は耳を傾けている。
静かに目を瞑り、歌に聞き入る二人の少女は何を思うのか。
やがて、その歌に誘われてかさまざまな動物が集まってきた。
それに驚いた大妖精だったが、にっこりと微笑んで、そのまま歌い続けた。
いつまでそうしていただろう。
気がつけば観客は霊夢と華扇たちだけでなく、どこからか聞きつけたのかさまざまな動物たちが集まっている。
鹿に始まり、犬、猫、さらには熊や虎なんてものまで現れてさすがにぎょっとした三人だが、喧嘩をするつもりもなく、静かに大妖精の歌に聞き入っていた。
それにほっとしたのは一体誰だったか。
けれども、歌は続いているのでそれもきっと瑣末事だろう。
そうやって歌い続け、それが楽しくて、いつまでもいつまでも歌い続ける。
この場にいる霊夢たちも、そして動物たちも、彼女の歌をいつまでも聴いていたくて、ただただ静かに耳を傾けていた。
優しい歌声は、包み込むような暖かさで、この広場に旋律をかなで続ける。
いつまでもいつまでも、誰もが安心できるような、そんな声で。
▼
後日、博麗神社にて。
あれからずいぶんとたった今日この日、博麗神社の縁側には茨木華扇のほかに、珍しくも大妖精とチルノの姿があった。
おかげで、夏だというのにずいぶんと涼しい。大妖精の手には「先日のお礼です」ということで、籠いっぱいの山の幸。
それを素直に受け取りつつ、「どうせならゆっくりしていきなさい」ということで縁側には霊夢、華扇、チルノ、大妖精と並ぶこととなった。
なんとも珍しい光景だが、それもいいか、なんてぼんやりと霊夢は思う。
ふと、なんとなしに隣に視線を向ける。
そこでは、華扇と大妖精が楽しそうな表情で、一緒に歌を歌っている。
チルノはというと暑さにやられているのかけだるそうだったが、けれど友人の歌を聞いてどこか楽しそうなのが垣間見えた。
やれやれと、霊夢は空を仰ぐ。
耳に届くのは、あのときに聴いた優しい旋律。
その旋律に、今度は自分と親しい仙人のものまで混ざっている。
まったく持って奇妙な状態ではあるのだけれど。
――ま、悪くないわよね。
そんな風に思えて、霊夢は笑った。
お茶を一口飲んで、それからその旋律に身を任せるように目を瞑る。
そうして、霊夢の口からも彼女たちと同じ旋律が紡がれた。
優しくて、暖かくて、包み込むような慈愛に満ちた、そんな歌が。
博麗神社に、珍しくも優しい歌が響く。
三つだった歌声はやがて四つになり、魔法使いも合流してやがて五つになる。
いつもとは少し違う、ちょっと騒がしい博麗神社。
だけど、きっとそんな日も悪くない。
博麗神社には、今も優しい少女たちの歌声が響いている。
常人ならば気にも留めないその鳴き声に、桃色の髪にシニョンキャップをした少女は空を見げると、手の平に乗るような小鳥がパタパタと降り立って肩に止まる。
動物の言葉が聞けるがゆえの反応。それを裏付けるように、華扇の表情には笑みが浮かんでおり、肩にとまった小さな生命に言葉を投げかけた。
「あらあら、一体どうしたのかしら?」
問いかけるような、慈愛に満ちた優しい言葉。
それに答えるように鳴き声をあげる小鳥の言葉を親身になって聞き、それを聞き終えた彼女は「そう」と静かに、どこか納得したように声をこぼす。
友達が怪我をしている。助けてほしい。そう必死に訴えかける言葉を、どうして無視できようか。
「わかったわ、案内してくれる?」
そう語りかければ、小鳥は一声鳴いて羽ばたいた。
決して空高く羽ばたくことはせず、華扇の目で追えるように低い位置を飛行しながら。
その後ろをついていき、整理された道からはずれ、木々が多い茂る小さな森に入っていく。
それほど広くない木々の中を歩く。目の前には小さな体で翼を羽ばたかせ、友の元へと向かう小鳥の姿を追っていけば、小さな広場へと足を踏み入れることとなった。
空から見下ろせば、きれいな円形になっているだろう広場。さまざまな花が咲き乱れ、見るものを魅了するだろうその場所。
その中央の大きな切り株に、一人の妖精が物静かな様子で腰掛けていた。
妖精としては高めの身長に、黄緑色の髪は黄色のリボンでサイドテールにされており、顔立ちは童顔ではあるが整っている。
白のシャツに青い衣服、黄色のネクタイ、背中には鳥とも虫ともつかない縁のついた一対の羽。
ひじょうにかわいらしい、しかし妖精には似つかわしくないどこか落ち着いた雰囲気を感じる少女に、先ほどの小鳥が一目散に飛んでいった。
助けてほしいという友達は、目の前の妖精の少女で間違いないらしい。
よくよく見れば、妖精の足には大きな裂傷があり、真っ赤な血が痛々しく少女の脚を濡らしている。
見た目にも痛々しいその光景に、あの小鳥が必死になるわけだと華扇はどこかで納得した。
「あの、あなたは?」
どこか不安そうな言葉、怪我をしている身であれば、見知らぬ誰かと遭遇すれば不安に思うことだろう。
そんな少女を安心させるように、華扇は微笑んだ。
「大丈夫、私はその子に助けを求められた……いわゆる通りすがりですよ」
落ち着かせるような、安心させるような声色。心から少女の身を案じているとわかるその言葉。
華扇の細くしなやかな指は妖精の少女の肩に止まった小鳥に向けられ、彼女はぱちくりと目を瞬かせた。
「わかるんですか、この子達の言葉が」
「えぇ。さぁ、手遅れにならないうちに、脚を見せてください。応急処置ぐらいはできると思いますから」
苦笑しながら少女に歩み寄り、跪くように屈んで少女の脚を見る。
華奢な少女の脚には似つかわしくない深い裂傷からは、今もどくどくと真っ赤な血が溢れていた。
懐から予備の包帯を取り出すと、辺りを見回して薬に使えそうな草花を見繕う。
袖を破って傷口に当てて出血を止めながら、時には薬になるよもぎなどを塗ると、少女は顔を顰めてはいたが声は漏らさない。
痛いだろうに、少女は華扇を心配させまいと痛みを我慢し、声をこぼすまいときゅっと目を瞑っていた。
そんな彼女の様子に感心しながらも、治療に意識を集中する。
時には仙術を使いながら施された治療は見事に出血を抑え、少女の脚にはくるくると丁寧に包帯が巻かれていった。
「はい、もう大丈夫よ。ただ、傷が開くかもしれないから、しばらくは安静にね」
笑顔で紡がれた言葉に、妖精の少女はどこか恥ずかしそうにしながら「ありがとうございます」と礼儀正しく頭をたれた。
そのあまりにも自由奔放な妖精らしからぬ行動がおかしくて、華扇はクスクスと苦笑した。
何しろ、妖精というのは誰も彼もが陽気でいたずら好き、それでいて感情豊かなのが一般的だ。
けれど、目の前の妖精の少女は礼儀正しくてどこか控えめで、華扇の知る妖精のイメージからはずいぶんとは慣れていたものだから、それが新鮮だったのだ。
それを疑問に思ったのか、少女は不思議そうな表情でこてんっと首をかしげている。
やだ、かわいらしい。などとこっそり思ったが、そんなことおくびにも出さず、華扇は何食わぬ顔で少女の隣に座った。
素直にいえば、興味がわいたのだ。この少し変わった、妖精らしからぬ少女に。
案の定、少女は不思議そうな表情を浮かべたままだったが、華扇は何食わぬ顔でポンポンッと彼女の頭に手を置いた。
妖精の中では背が高いとは言っても、やはり華扇よりは幾分か背が低い。
ちょうどいい高さに頭があったものだから、ついついそのまま頭をなでてしまう。
恥ずかしそうにうつむいて、なにやらごにょごにょと呟いていたが、生憎と華扇の耳にまでは届かない。
うん、やっぱりかわいい。
「少し休憩していこうと思うのだけど、御一緒してよろしいかしら?」
「は、はい! 助けてくださって、ありがとうございます!」
「ふふ、いいのですよ、このぐらい。勝手で悪いのですけど、少し話し相手になってくれますか?」
華扇の言葉に「えぇ!?」と驚きをあらわにした少女だったが、いまだ信じられないといった様子で自分の顔を指差した。
その少女の仕草を肯定するように、笑顔で頷いて見せる華扇は何を思っていたのやら。
やさしさが垣間見える笑顔。少女の身をいまだ案じているのだとわかる、柔らかな笑み。
それを見て、少女もどこか安心したのだろう。少し恥ずかしそうではあったが、柔らかな笑みを浮かべて見せた。
妖精にはあまり似つかわしくない、けれどもこの少女にはそれが「らしい」と思える、そんな笑顔で。
「はい。私でよければ、一緒にお話してもよろしいですか?」
そんな言葉を、どこか楽しそうに答えていた。
▼
お互いに自己紹介を終えた二人は、切り株に腰掛けて楽しげに談笑している。
妖精の少女には名がなく、彼女と親しいものは大妖精、あるいはそこからもじって大ちゃんと呼ばれているらしい。
華扇も彼女たちの友人に習い、大ちゃんと呼ぶことしたようで、最初こそ恥ずかしそうにしていた大妖精だったが、今では普通に受け答えしている。
そうやって会話に花を咲かせていれば、少女の話もいろいろと聞けた。
チルノという仲のいい妖精の少女がいるとか、ルーミアやリグル、ミスティアといった妖怪の友人の話も聞けた。
特にチルノという少女の話をするときの彼女は面倒見のいいお姉さんのよう。
華扇にとっても有意義な話であったし、なによりも彼女の話は新鮮でいろいろと興味深い話でもあった。
何より、大妖精の語る話はどれも楽しそうで、それでいて幸せそうで。
それが、こんなにも微笑ましいと思うぐらいには、華扇はこの妖精のことを気に入っていた。
「この間も、チルノちゃんってば無茶ばっかりするんですよ?」
「あはは、いいではないですか。妖精らしいと思えば、それも微笑ましいことです。それに、あなたも彼女といるのが好きで、そばにいるのでしょう?」
おかしそうに笑う華扇の言葉に、大妖精は満面の笑顔で「はい」と即答する。
垣間見える確かな絆。そのチルノという妖精も、こんなに思ってもらえてさぞ幸せなのだろうなと、華扇は思う。
人間よりも力の劣る妖精の存在を軽んじる者は、意外にも多い。
それは残念な事実ではあるが、この少女は妖精とも妖怪とも、深いつながりを持った友人がいる。
すばらしいことであり、そして幸せなことでもある。そのことに、この少女も気づいているのだろう。
だから、こんなにも優しい笑顔を浮かべられる。幸せそうな笑顔を、浮かべられるのだ。
そんな風に会話をしていると、空からふわふわと人影が姿を見せた。
人影は華扇の姿を見つけるとあきれたようにため息をつき、ゆっくりと彼女たちのいる広場に降下していく。
それに真っ先に気がついたのは華扇だ。
最近はすっかりとなじんだその気配に気づいて顔を上げると、仏頂面の巫女がめんどくさそうに広場に降り立った。
巫女――博麗霊夢の登場に驚く大妖精とは裏腹に、華扇は何かを思い出したのかポンッと手の平をたたいた。
「あんたねぇ、こんなところで何してるのよ。朝には来るとか言ってたくせに、もう昼過ぎよ?」
「ごめんなさいね、霊夢。ちょっと緊急事態になったものだから」
「緊急事態……ねぇ」
いわれて隣にいた大妖精に視線を移した霊夢は、彼女の足に巻かれた包帯に気がついてため息をひとつつく。
大方の事情は察したようで、「しょうがないわねぇ」などとこぼしてはいるが、表情は不満そうに口を尖らせている。
その様子を見てオロオロとする大妖精だったが、彼女を安心させるようにぽんぽんと頭をなでてやる。
それを見た霊夢が一層不機嫌そうに顔をゆがめるのだが、あえて気がつかない不利をして「ごめんなさい」ともう一度謝罪。
小さく、気づかれないようにため息をひとつついた霊夢は、恨みがましい視線を華扇に向けつつ言葉を紡いだ。
「あんた、ただでさえ妖怪には狙われやすいんだから、ふらふらうろつくんじゃないの。まったく、これだからこいつは……」
「ふーん。もしかして霊夢、私のこと心配してくれたのですか?」
どこかからかうような華扇の言葉。それが図星だったようで、巫女の顔が瞬く間に真っ赤になった。
ふんっと顔をそらしてごまかしてはいたが、照れ隠しなのが丸わかりで、華扇がクスクスと笑いをこらえるのも無理もない話である。
それで一層、霊夢の視線が鋭くなったのだが華扇はそれを意に介さずどこ吹く風だ。
一方、霊夢と華扇の交互に視線を移してオロオロとする大妖精の心境は、わりと落ち着かないものだったかもしれないが。
やがて、先に折れたのは霊夢のほうだった。
何を言っても無駄だと悟ったのか、疲れたようにため息をついて傍にいた大妖精に視線を向ける。
「なんにしても、あんたも災難だったわね。こいつ、説教くさいでしょ?」
「いえ、そんなことなかったですよ霊夢さん。華扇さん、聞き上手でしたから」
「あらあら、二人とも知り合いなの?」
霊夢と大妖精が知り合いなのが意外だったのか、華扇は目を丸くして問いかける。
大妖精は「はい」と苦笑して、霊夢はというと「まぁね」とそっけない。
知り合いではあるが、親しい間柄……というわけでもない。
チルノたちに連れられて、博麗神社の宴会に参加したこともあるが、それでも霊夢と会話したことはあまりない。
むしろ、チルノたちに振り回されているうちに宴会が終わってしまうものだから、霊夢と話す機会が少ないのも当然といえた。
そんな二人の反応をどう受け取ったのか、華扇は少し考え込んだ後、ポンポンッと自分の隣をたたいて見せた。
「霊夢もこっちに座りましょう。たまには、こういうところでのんびりするのも悪くないでしょう」
「……まぁ、別にいいけどさ」
どこか納得のいっていない様子の霊夢だったが、特に異論はないのか大人しく華扇の隣に腰掛けた。
三人の少女が、大きな切り株に腰掛ける。霊夢と華扇がなにやら会話を交わしていたが、そんな二人の様子を大妖精はぼんやりと眺めていた。
自分が不注意で負った傷を癒してくれた、動物の言葉がわかるという不思議な女性。
小鳥に導かれて現れた彼女は、優しくて、頼もしくて、どこか安心する気配をまとった人。
素性はわからないけれど、詳しくは答えてもらえなかったけれど、それでもいいと、大妖精は思う。
血が止まらない中、痛みで飛ぶこともままならず、一人で蹲っていた中、彼女は救いのように現れた。
心細かった。
独りは、寂しかった。
いつもは一緒にいる友人が傍にいないことが、こんなにも恐ろしい。
誰かに襲われやしないかと震え、怯え、小さな物音にでも敏感に反応してしまい、神経をすり減らしていく。
そんな中、現れたのが華扇だったのだ。
嬉しかったし、心強かった。
治療されるたびに、言葉をかけられるたびに、感じていた不安や恐怖が薄らいでいった。
今もこうやって、不安を紛らわすように動けない自分の傍に寄り添って、話かけてくれる。
それがこんなにも、ありがたいと、そう思う。
「二人ともごめんなさい。私のせいで」
だからこそ、それ以上に申し訳なくも思ってしまう。
華扇には霊夢となにやら用事があったようだし、霊夢にも迷惑をかけてしまった。
そんな彼女の心情を察してか、華扇はクスクスと楽しそうに笑ってぽんぽんと頭をなでる。
それが心地よいと、そう思ってしまうのは不謹慎だろうか?
「ふふ、大ちゃんが気にすることはないのですよ。私が好きでしたことですから」
「そうそう、他人の善意は素直に受け取っておきなさい。私もまぁ、別にここにいるのは嫌じゃないし」
どちらも気にする必要はないと、方や優しく、方やどこか照れくさそうに。
そんな彼女たちの言葉にも、「でも」と大妖精は言葉をこぼしてしまう。
だって、大妖精は彼女たちに何も返せていない。
自分の不安を拭い去ってくれて、怪我の治療をしてくれた華扇にも。
なんだかんだと、ここにとどまって一緒に会話してくれる霊夢にも。
何かお礼をしたいと思うのに、今の大妖精には何をすればいいのか思いつけないでいた。
そんな彼女の気持ちを察したのだろう、華扇はやさしげな笑みを浮かべて、頭をなでながら言葉を紡ぐ。
「それなら、私はあなたの歌が聞いてみたいですね。お友達とよく歌うのでしょう?」
「歌……ですか?」
ぱちくりと目を瞬かせる大妖精に、「はい」と華扇は答える。
確かに、華扇には友達の話をしたときに、屋台の客寄せなどで一緒に歌ったことがあると話はした。
けれど、生憎と大妖精自身は自分の歌にあまり自信がない。
そんな彼女を元気付けるように、無言で、けれど力強く頷いてみせる華扇。
それで、心は決まってくれた。大妖精は笑顔を浮かべ「はい」と頷いて見せる。
「霊夢も、いいかしら?」
「いいんじゃない? 私もちょっと興味あるし」
華扇の言葉に、暇をもてあますように脚をぷらぷらとさせていた霊夢はあっさりと了承の言葉。
彼女らしいあっさりとしたその言葉に華扇は苦笑して、視線を大妖精に移して頷いてみせる。
それが合図となったのか、大妖精は大きく深呼吸をして、心を落ち着かせる。
誰かに歌を聞かせるのは慣れていないし、あまり自信もないけれど、せめて少しでも恩が返せるように、精一杯に歌おうと、そう思った。
一度、二度と、深呼吸を繰り返した。心がだんだんと落ち着いて、心が澄んでいくような錯覚。
目を瞑れば、心が凪いだ湖のように落ち着いてくれた。
そうして、妖精の少女は歌い始めた。
高いソプラノの声は鈴のようで、耳に心地よい澄んだ声だった。
優しく、暖かな旋律を奏でながら、少女の歌はこの広場に流れていく。
時にはビブラートを利かせたり、時には心の赴くままに言葉を紡ぎ。
時折聞こえる鳥の鳴き声が、彼女の歌を彩る合唱団のよう。
優しく、何もかも包んでしまうような慈愛に満ち溢れた、暖かな歌と旋律。
黙って、二人は耳を傾けている。
静かに目を瞑り、歌に聞き入る二人の少女は何を思うのか。
やがて、その歌に誘われてかさまざまな動物が集まってきた。
それに驚いた大妖精だったが、にっこりと微笑んで、そのまま歌い続けた。
いつまでそうしていただろう。
気がつけば観客は霊夢と華扇たちだけでなく、どこからか聞きつけたのかさまざまな動物たちが集まっている。
鹿に始まり、犬、猫、さらには熊や虎なんてものまで現れてさすがにぎょっとした三人だが、喧嘩をするつもりもなく、静かに大妖精の歌に聞き入っていた。
それにほっとしたのは一体誰だったか。
けれども、歌は続いているのでそれもきっと瑣末事だろう。
そうやって歌い続け、それが楽しくて、いつまでもいつまでも歌い続ける。
この場にいる霊夢たちも、そして動物たちも、彼女の歌をいつまでも聴いていたくて、ただただ静かに耳を傾けていた。
優しい歌声は、包み込むような暖かさで、この広場に旋律をかなで続ける。
いつまでもいつまでも、誰もが安心できるような、そんな声で。
▼
後日、博麗神社にて。
あれからずいぶんとたった今日この日、博麗神社の縁側には茨木華扇のほかに、珍しくも大妖精とチルノの姿があった。
おかげで、夏だというのにずいぶんと涼しい。大妖精の手には「先日のお礼です」ということで、籠いっぱいの山の幸。
それを素直に受け取りつつ、「どうせならゆっくりしていきなさい」ということで縁側には霊夢、華扇、チルノ、大妖精と並ぶこととなった。
なんとも珍しい光景だが、それもいいか、なんてぼんやりと霊夢は思う。
ふと、なんとなしに隣に視線を向ける。
そこでは、華扇と大妖精が楽しそうな表情で、一緒に歌を歌っている。
チルノはというと暑さにやられているのかけだるそうだったが、けれど友人の歌を聞いてどこか楽しそうなのが垣間見えた。
やれやれと、霊夢は空を仰ぐ。
耳に届くのは、あのときに聴いた優しい旋律。
その旋律に、今度は自分と親しい仙人のものまで混ざっている。
まったく持って奇妙な状態ではあるのだけれど。
――ま、悪くないわよね。
そんな風に思えて、霊夢は笑った。
お茶を一口飲んで、それからその旋律に身を任せるように目を瞑る。
そうして、霊夢の口からも彼女たちと同じ旋律が紡がれた。
優しくて、暖かくて、包み込むような慈愛に満ちた、そんな歌が。
博麗神社に、珍しくも優しい歌が響く。
三つだった歌声はやがて四つになり、魔法使いも合流してやがて五つになる。
いつもとは少し違う、ちょっと騒がしい博麗神社。
だけど、きっとそんな日も悪くない。
博麗神社には、今も優しい少女たちの歌声が響いている。
自然の化身ということやチルノと対照的に描かれることが多いからか、
確かになんとな~く歌が上手いイメージありますね大ちゃん。
誤字?報告
ひじょうにかわいらしい→非常にかわいらしい
華扇の知る妖精のイメージからはずいぶんとは慣れていたものだから→華扇の知る妖精のイメージからはずいぶんと離れていたものだから
上のはわざとかもしれませんが