ここ数十年の間に外の世界から幻想郷に多くの物が流れ着くようになった。基本的に幻想郷に流れ着く物は、外の世界では忘れられた物である。
しかし、忘れた=使えない物ではなく大変便利なものも流れてくる。外の世界の道具の進歩は目覚ましく、今では天狗の新聞記者である私、射命丸 文も仕事道具として人間の作ったカメラという道具(改造はしているが)を使っている。1000年前では考えられない話だ。
だが、やはり人間は愚からしく、便利な道具でもすぐに忘れてしまう。幻想郷には製作されてから五年と経たない新しい物が最近は多くなっている。まったく、付喪神になる暇さえ無い忙しなさだ。
今回、私が取材をしようとしているアリス・マーガトロイドも、そんな外の世界で作られた物を手に入れた人物の一人である。
魔法使いであるアリス・マーガトロイドの棲む魔法の森は、木々が日光を遮り、ジメジメとしていて慣れない者には不快な場所である。特に今のような夏場には、名前も分からない虫が森に溢れており、飛んでいると口に飛び込んで来たりするので、本当に不愉快である。
夏の日差しと蝉の鳴き声にうんざりとしながら森の上を飛んでいると一部だけ禿げた様に木が無くなっている所がある。そこが彼女の住む場所である。
彼女の家の前に降り立つと窓から一体の人形が出てきた。人形と窓の間にはうっすらと魔法の糸が見えている。アリス・マーガトロイドは古今東西の様々な種類の人形を使う魔法使いだが、中でもこの上海人形が一番、使われている。
術者と同じブロンドの髪をした人形は手に剣を携えており、文の傍まで来ると剣を振り上げて襲ってくる。
しかし、文は別段と慌てる様子もなく手に持っていた団扇で剣の横っ腹を叩き、軌道を逸らす。追撃はなく、上海人形は剣をぶらりと下げたまま、その場に留まった。
文は、何事もなかったように玄関へと足を運ぶ。これぐらいで逃げ帰るようでは、幻想郷で新聞記者は務まらない。
「ごめんくださーい」そういうと返事も待たずに扉を開ける。家主が居るのは先程の遣り取りから分かっている。
玄関からは見えない位置で物が動く音がする。私は足を止めることなく、音のする方に向かう。物音がした部屋の前に立つと一言、失礼しますと扉を開けた。
部屋には先程、上海人形が出てきた窓が一つと中心に木で作られた作業台と椅子が一組。あとはそれを囲むように様々な種類の人形が壁に掛けられている。窓から日光が入って明るいが、その部屋の光景は妖怪である文の目から見ても不気味だ。一つ一つ丹精を込めて作られている人形は妖しい光を瞳に宿しており、その視線の中心に座る少女は、人形よりも端正な顔立ちと白い肌をしていた。その美しさが余計に不気味さに拍車を掛けている。
私が部屋に入ったことは気付いている筈だが、アリス・マーガトロイドは作業台に乗せられている銀色の物体から目を離さない。
その真剣な姿をみていると声を掛けるのを躊躇ってしまう。私は黙ったまま、アリスの横に移動して、一緒に銀色の物体を観察する。
銀色の物体は、全長30㎝ほどの大きさ。水飴で作った犬のように丸みを帯びた形をしていた。足のような物が三本とその足よりも細く短い尻尾が一本生えている。犬の顔にあたる部分には楕円の小さい板が二枚、ちょうど犬の耳の位置に付いていた。しかし、毛は無く、所々にひびが入っている。足も右前足の部分が一本足りず、不格好だ。
「これが噂の外の世界の人形ですか?」黙っている積もりだったが、痺れを切らして質問した。しかし、アリスは特に怒った様子もない。ただ、えぇと呟いたきり、また黙ってしまう。
会話が止まり、気まずい沈黙が再び生まれる。差し込む日光が怨めしい。私は、じっとしているのに耐えられず、壊れた人形の写真を撮り始めた。シャッター音だけが部屋に鳴り響く。
流石に目障りなのか、アリスがカメラを睨んだが撮り続ける。私は次第にいつもの調子が出てきて、無造作に犬の人形を掴み弄ってみる。毛が無いために触り心地はあまり良くない。ただ、夏場にはヒンヤリとした身体はいいかもしれない。夏場の毛がある人形はそこら辺が鬱陶しいから、外の世界の夏限定の納涼人形なのかもしれない。これなら、夏場に持ち歩いてもイライラしないだろう。
「ちょっと、あんまり乱暴に扱わないでよ!?」
アリスが慌てて、人形を奪い取る。私は盗られながらも人形を抱えたアリスの姿を撮っておく。
「いや、好奇心を抑えられませんでした」
幻想郷では好奇心に勝てる妖怪はあまりいないのだ。悪びれずに答えるとアリスは右手を上げた。部屋に掛けられていた幾つかの人形が動き出す。
「あややや!? 落ち着いて下さい! 争う気はありませんよ」
両手を挙げて降参の意思を示すと人形達の動きは止まったが、以前と臨戦態勢は崩さない。
「魔理沙さんから、外の世界の人形にアリスさんが夢中と聞いて取材に来たんですよ」
「その取材対象を随分乱暴に扱うのは頂けないわ」
「えっ? でも、もうこれ、すでに壊れてませんか?」
「うっ・・・」
私が訊ねるとアリスは抱えていた犬の人形を隠すように身体を横に向けた。
「あややや。直せないのですか? 人形の修理ならお手の物でしょう?」
外の人形とはいえ、人形遣いのアリスならば直せそうなものだ。
「外見なら直せるけど、それじゃ駄目なのよ」
「どういうことですか?」
アリスは渋々ながら説明を始めた。
この外の世界から来た犬の人形は、「アイボ」というらしい。いつものように魔理沙が香霖堂に行った際に盗ってきたものだが、自分では直しようがなく、アリスのところに持って来たということだ。
最初は外の世界の技術で作られた人形とはいえ、修理することなど造作もないと思っていたアリスだったが、壊れている足や皹などの外見は直せても、肝心の中身はアリスにとって、完全に未知の技術であり、お手上げだった。
「この人形、外の世界の自律人形らしいのよ」
そう、話すアリスの顔には悔しさが滲み出ていた。人形を抱く手にも力が入る。その姿がお預けをくらった子供のようで可愛い。
「なによ。なにか可笑しい?」
どうやら口元がにやついていたらしい。脹れた表情でこちらを睨む。
「いえいえ、アリスさんでも直せない人形というとネタとしては美味しいなぁと思いまして」
私の発言に呆れながらも納得したのかゆっくりと抱いていた人形を元の位置に戻す。ここで馬鹿正直に悔しがっているアリスさんが可愛くてと答えていたら、この照れ屋な魔女は私を追い出しかねない。嘘八割、本音二割は取材の基本である。
人形遣いのアリスが目指す目標は「自分の意志で動く自律人形」であることは以前の取材で文は聞いていた。そのヒントが目の前に転がっているというのに手も足もでないというのは、さぞ悔しいのだろう。置いた人形をまた、睨んでいる。
文はそんなアリスの姿をみると思わず笑みが溢れそうになるのを必死で抑えた。天狗にとって、他人が悔しがる様はそそられる。道具を操る側が道具に振り回される時は、それだけで記事になるからだ。その記事が笑い話になるか、感動のドキュメンタリーになるかは文の気分次第だ。
「河童の知り合いを紹介しましょうか?」
このまま、睨んでいるだけでは話が進まない。外の技術に関しては河童に聞くのが一番である。他にも外で使われる機械に詳しい外から住み着いた人間が人里にいるが、彼等は使い方を知っているだけで、作り方や仕組みを知っている者はいない。そのため、幻想郷では天狗や河童の住む山が一番、発展している。
基本的には山の妖怪の技術を外に教えたりすることはないが、今回のように外の技術を調べるのは山全体の発展の手助けになる可能性が高い。そういう場合ならば、特に問題は無い。あったとしても注意ぐらいで済むだろう。それに、やはり人形が動いたりしないと記事のインパクトに欠ける。
打算を考えながら、アリスに提案すると懐疑の目でこちらを見詰める。まぁ、天狗の文に対しては馴れしたんだ態度のため、営業用の微笑が崩れることはない。
「そうね。ダメ元で頼もうかしら」
手詰まりだったアリスが上から目線で賛成する姿は、どこか人形劇の喜劇を見ているようで、これまた可愛らしい。
「では、行きましょう」
私はそういうと出入り口に踵を返した。
「今から!?」
最終的にどういう記事になるかは別として、当分は退屈しなくてすむと思うと文から営業用ではない微笑が零れた。
「あぁ、これは動力の問題だね」
河童である河城にとりが機械で作られた犬をばらすこと20分。足を外され、機械が剥き出しになった状態の犬の人形をアリスははらはらとした様子で見守っている。その姿は病気の子供に付き添う母親に似ていて文は人形よりも、そっちのが印象的だった。
文はアリスを連れて、妖怪の山から流れる川の下流にやってきた。文の友人である河城にとりはいつも、その辺りで自分の作った機械の実験をしているからだ。
アリスも多少は霧雨魔理沙を通してにとりと面識があるそうだが、何かの目的があって訪ねるのは初めてらしい。まぁ、お互い外に出て活動するよりも、篭って研究するタイプなので文にとっては予想通りの展開であった。
「直せるの?」
アリスの声からは期待と不安が混じっていた。聞かれたにとりの方は人懐こい顔で、たぶん、平気ぃと相手に若干の不安を与える返事を返していた。
「まぁ、にとりさんが駄目だったら、潔く諦めるしかないので気楽に待ちましょうよ」
気軽に答える私にアリスはキッと睨め付けると、機械の犬から外された黒い箱を手に取る。黒い箱には幾つかのひびが入っていた。
「これが、壊れている原因の部分?」
「そうだよ。それは電気を貯める機械だよ。それがこの犬にとっては心臓であり、胃袋なんだよ」
「これさえ、どうにかすれば動くのね?」
「う~ん。断定はできないな。一応、そのほかに故障の原因になりそうな傷はないけど、ここまで、精密な機械だと見えない少しの破損でも動かないこともあるし・・・。でも、とりあえずはその部品を直さないことにはどうしようも無いね」
真剣な顔で訊ねるアリスと難しい顔で答えるにとり。二人の会話がドンドンとヒートアップしていくが、私としては会話にも入れず、記事に出来そうなことでもないので手持ち無沙汰だ。
「じゃあ、この黒い部品を魔力で動かす部品に変えても動くのね?」
「できると思うよ。私のアームも妖力を電力の代わりにして動くからね」
私が雲の数を数えている内にいつのまにか修理から改造の話に変わっているようである。
「あのう・・・個人的には、改造された人形ではなく、そのまま修理された人形を取材したいのですが?」
話の路線を修理路線に戻せないかと切り出してみたがアリスに睨まれ、にとりに呆れた顔されながら却下される。
「今度、壊れた時は私一人で直せるようにしたいのよ」
「無理だよ。こういう部品は同じ物を作るには時間が掛かりすぎる」
理由は違うが二人とも改造することで同意しているらしい。一番この件に関して発言力の無い私にはどうすることもできない。外の世界の技術そのままで動く人形の方が妖怪にはウケるので幻想郷の技術を使わずに直して欲しかった。
あとは、せめて幻想郷では見掛けない、あの楕円を切り貼りしただけのようなシャープなデザインのまま、直されるのを祈るだけだ。そうしなければ、記事で写真を載せた時にどこの人形なのか分からなくなってしまう。
「まぁ、今日はもう帰りなよ。私も明日までに色々と準備しておくから」
「えぇ、そうね。よろしく頼むわ」
どうやら、今日はおひらきのようだ。本格的な行動は明日かららしい。
「私は明日からは来ませんから、修理ができたら一番に教えて下さい」
「気が向いたらね」
「協力したんだから、それぐらいの特権は下さいよ!」
アリスは私に対しての興味を無くしているらしく、気のない返事をすると足早に帰ってしまう。
その後ろ姿を私が怨めしい目で見送っているとにとりが、気楽にいこうよと慰めた。
その日から一週間、人里に向かう川の下流辺りを飛んでいるとアリスとにとりが一緒にいる姿が目に付いた。
正直、私の目算では、八割方失敗すると考えている。河童の技術は優れてるとはいえ、外の技術と仕組みが違う部分が多々ある。アリスとにとりもそれを考えた上で修理ではなく改造を目標に動いてはいるが、直す対象は一体きりであり、一度でも失敗すれば終わりだ。また、成功したとしても幻想郷にある技術で直された人形は、文が特集にしたい外の世界の人形とは言い難い。
それでも記事にすればそこそこの発行部数を期待できるが、文としては既に期待半分、あきらめ半分といった感じである。
さらに一週間後。文は出し抜かれていた。
今朝、同僚である姫海棠はたての花果子念報により、アリス達が直していた犬の記事が書かれた新聞が天狗達に配られた。
花果子念報は、はたての念写能力で撮影した物を載せている。念写は一度、誰かが撮った物しか写すことができない。
今回、花果子念報に載っていた写真は、先日私も訪ねたアリスの工房で撮られた物のようだが、アリスしか載っておらず、此処で件の犬の写真が載っている記事を私が出せば、まだ挽回は出来るはずだ。ただ、姫海棠はたてが犬の写真を掲載した記事が、いつ発行されてもおかしくはない。文は、そう考えると急ぎアリスの居る魔法の森へ向かった。
「アリスさーん! 起きて下さい!」
魔法の森のアリス宅からは光は洩れておらず、家主は寝ているようだった。もし、アリスが熟年の魔法使いならば、睡眠などは不用の筈だ。これだから、若輩の妖怪は融通が利かない。
私は、舌打ちすると二度三度と扉を拳で叩いた。しかし、起きる気配はない。その場で、地団駄を踏むと団扇を取り出した。意識を団扇に集中する。朝の閑散としていた森が、ざわつき始める。アリス宅を中心とした魔法の森に風が吹き荒む。鳥たちが急な突風に驚き飛び立つが、風の勢いが強いため空中で、バランスを崩す有様だ。
人間ならば立っているのも辛い天狗風がアリス宅を襲う。窓はガタガタを激しい音を立て、家はギイギイと軋む。
「アーリースーさぁぁぁあぁぁん!」
このまま、出てこないようなら、扉を打ち壊して、目標の写真だけでも収めようかと真剣に考えが始めた時にようやく、扉が開いた。
しかし、急に風を止めることは出来ない。開けられた扉は風を一身に受けて、吹き飛ぶ。
扉を開けたのはアリス本人ではなく、上海人形を操って開けたらしく、ドアノブを掴んでいた上海人形も一緒に飛ばされた。
「あっ」
風が止み始めると、家の奥から出てきたアリスの白い顔が赤く染まっていた。
「こんな朝早くから、何の用かしら? 朝刊なら取っていない筈ですけど?」
「取材に来ましたぁ!!」
とりあえず、先日の来た時と同じアリスの工房に通された。
部屋に唯一ある椅子にはアリスが座っている。その手には先程、扉と一緒に飛ばされて、服や髪が乱れた上海人形が抱えられていた。小さな子供を扱うようにアリスは優しい手付きでそれを整えている。
その光景を見ながら、私は今朝、天狗達に配られた花果子念報の記事について説明をした。アリスは適当に相槌を返すが、その視線は人形に向けられたままである。
「あの写真はいつ、誰に撮られた物なんですか!? 私やはたて以外の天狗も此処に来たんですか!?」
顔が打つかりそうなほど詰め寄りながら、質問すると身なりを整え終わった上海人形が小さな手で文の額を殴った。
「あなた以外の天狗は来ていないわ」
アリスの声に合せて、上海人形が再度、文の額を小突く。痛くはないが鬱陶しい。
「多分、にとりから聞いたのではないかしら。ここ最近は頻繁に彼女の居る川に行っていたし、山に住む天狗なら気付く奴もいたでしょう。あの引き籠り天狗なら、私に聞くよりは、河童のにとりに取材すると思うわよ」
額を上海人形に何度も小突かれ、少しずつアリスから遠ざけられる。何回も同じ場所を叩かれると流石に痛くなってくる。
叩こうとする上海人形を掴み、後ろに放り投げる。くるくると回りながら飛んでいく姿は、ちょっとだけ私に和みを与えた。
「じゃあ、あのアリスさんの写真は誰が撮った物なんですか? 幻想郷でカメラを使うのは天狗だけですし、はたてと私以外で他の妖怪の記事を書く天狗を私は知りません」
この工房で撮られたと思われる記事の写真は誰が撮った物だというのか?
山に住む天狗以外の妖怪や人間の少女を記事にしようと取材をする者を私とはたて以外には思いつかない。新しいライバル記者が出てくるのは、あまり喜ばしいことではない。ただでさえ、最近は取材対象をはたてと争って大変だというのに。
「う~ん。特に撮られた記憶はないのよね」
「本当に? 心当たりはないのですか?」
アリスは頷くと右手を上げて、くるりと空中で回すと部屋に置かれていた人形が三体ほど動き始める。人形達は、文の横を通り過ぎて工房から出て行った。
入れ違いに文が放り投げた上海人形が別の部屋から椅子を持って戻ってきた。椅子を文の目の前に置くと、腰に手を当てて威張るように椅子を指差して座るように促す。
「まぁ、座りなさいよ。折角、上海が持って来てくれたんだから」
人形を操っている筈のアリスに促されるのは変な気分である。大人しく椅子に座ると上海が腕を組み、よろしいとでも言うように大仰に頷く。
「とりあえず、直した物を見せてくださいよ」
写真を撮った人物は誰か分からないが、とりあえず取材を始める。分からない犯人を捜すよりも記事を書く方が早い筈だ。
「その前に約束して欲しいことがあるわ」
アリスは手を口の前に組みながら文の顔をジッと見詰める。どうやら、ここでイエスと答えなければ、教える気がないらしい。
「内容もおっしゃらないで約束とは、些か狡くありませんか?」
アリスはニヤニヤと笑うだけで返事はない。なんだかだか、今日は面白くない展開が多くてイライラする。
「わかりました。善処します」
絶対に守ると誓う気はない。しかし、アリスは満足した様である。高等の妖怪は、約束を守らないことを嫌うのを知っているからだ。確約ではなくとも、この場でのイニシアチブはアリスが持つことが決定した。
「そんなに難しいことではないの。ただ、私がいいと言うまでその椅子から立ち上がってはいけないわ。もちろん、危害を加えるようなことはしないから安心して」
流石に攻撃されるようだったら、どちらにしろ抵抗はする気だが身の安全が確保されているのなら、一応は従おう。
両手を挙げて降参のポーズをするとアリスは本日初めてのご満悦の微笑を浮かべた。同性ながら、その表情は可愛らしい。それをカメラに収めれば良かったとあとで少しだけ損をした気分になった。
そんなやり取りをしていると人形達が部屋に戻ってきた。
人形達は座り心地の良さそうな丸いクッションを三体でバランスを取りながら運んでいる。クッションの真ん中には、件の犬の人形が鎮座していた。壊れていた前脚も直っているようである。
「どうして犬の人形に洋服を着せるんですかねぇ?」
犬の人形はタキシードを着ていた。銀色のボディに黒のタキシードは似合っていることは似合っているが、犬の形をしたものが着ているので滑稽に映った。
「仕方ないでしょう。直した動力部が大きくなりすぎて、服でも着せないと見栄えが悪いのよ」
アリスの目の前にある机の上に静かに置かれる。文の座っている位置からだと触れることはできない。
カメラを取り出すとアリスと犬の人形が両方が写るように写真を何枚か撮る。アリスはカメラに向かってピースサインをするほど協力的だ。思わず腰を浮かして近付こうとする
と文の近くにいた上海に肩を押さえられ元に戻される。魔力を込める量を変えたのか先程と違い無駄に力強く心の中で舌打ちをする。
「立ちませんよ。約束ですからね。あははは・・・。ところで結局、その犬は動くようになったのですか?」
「名前はアイボよ。アイボ。もちろん、直したわ」
自慢気に言うと犬の人形の顔の部分が青色に光る。すると足がピーンと広げ、まるで、身体を伸ばす様な動作をした後にゆっくりと立ち上がる。
「犬、動きましたよ! 犬!」
アリスは、アイボだってばと窘めると犬の頭を撫でる。尻尾を振りながら、顔の液晶がアリスに触れられる度に光が点滅を繰り返す。
「喜んでるんですかね? この犬・・・じゃなくて、アイボは?」
文が『アイボ』と声を発した瞬間、チラッと様子を窺うように顔を向けたが、すぐにアリスの方に顔を戻してしまう。
もしかして、名前を呼べば来るのかなと思い、何度か『アイボ』と呼んでみるが反応はない。
「呼んでも行かないわよ。この子は声を聞き分けることができるの」
「アリスさんが操っているという訳ではないのですか?」
「違うわ。この子は外の世界の式神みたいなものよ」
アイボは今度は寝そべり、腹を撫でてもらっている。アリスも頬笑みながら弄る姿は、本物の犬と戯れているように見える。アイボの愛敬のある行動も可愛らしい。
「ある程度の視覚、触覚、聴覚もあるのよ。そして、ある程度の成長もする」
「凄いですね。どれも幻想郷の人形では持っていない機能じゃないんですか?」
「そうね。作ろうと思えば出来なくもないけど、この子の様にはならない」
今のアリスの技術ではアリス自身の五感を人形と繋げることで感覚を得ることの出来る人形を作ることはできるが、アイボの様にその感覚で得た情報を蓄積することはできない。その蓄積されたデータを元に自ら成長をすることもできない。
「このまま成長すれば、しゃべれるようになったりするんですか?」
「成長のできる伸び代は決まっているから無理ね。でも、外の世界では出来ているのかもしれないわ」
「なるほど。私も触っていいですか?」
「動かない約束でしょう」
少し、意地悪すぎではないだろうか? 動こうとするといつの間にか、銀色の剣が握った上海が切っ先を向けて脅してくる。
「駄目よ。この子はまだ、生まれたてみたいなもので何に影響を受けるか分からないの。だから、あなたの行動で悪影響を受けさせる訳にはいかないのよ」
アリスが笑いながら説明する。悪影響と決め付けられているところが腹立たしい。こんな飼い殺しのような状態を見せてる方が悪影響だろう。
「この子には、感情を考慮して状況を理解できる程の能力はないのよ。そこら辺は普通の人形と同じよ。使用者に干渉をすることは無いの。影響を受けるだけ、何も返しはしない」
アイボは撫でられるのに飽きたのか、アリスの手を逃れて机の上を歩き回っている。机から落ちるのではないのかとハラハラと見ていたが、どうやら、ちゃんと高さを理解しているらしく落ちることはなかった。
「この子は自己防衛機能が高いのよ。赤ん坊みたいなものと言っても、ちゃんと危険を理解している。何も分からない人間の赤ん坊とは違うのよ」
歩くのに飽きたのか、今度は正面にいる文を目の無い顔で見ている。赤、青、緑と液晶が光輝く。そして、尻尾をパタパタと動かし始める。
「これは、私に触られたいのではないですかね?」
私はアリスを期待の目で見詰める。
「あら、犬みたいな目で見つめられても困るわ」
意地悪な微笑を浮かべながら、右手を差し出して触ることを許すポーズをとる。
人形のようにアリスの手で動かされるのは腹がたったが我満する。ようやく椅子から立ち上がり、アイボに近付くと文の近くにいた上海も一緒付いてきた。
「乱暴に扱ったら、それ以上にあなたを乱暴に扱うからね」
私は苦笑いを返すと机の上に座っているアイボに向き合う。目がないのに見詰め合うというのは初めての経験だ。動物であれば、天狗の文と目が合えば逃げるか服従する。動物の持っている野生の危機感が文との力の差を自然と理解するからだ。しかし、このアイボは違う、興味を持って観察をしているのだ。天狗の記者である私が逆に観察されているという事態が珍しく、さらにこの人形に興味を抱いてしまう。
「うーん。確かに、獣とは違いますね。びびりません」
「当然よ。人形なんだもの」
「これは魔力で動いているのですか?」
文の目はアイボのお腹の部分を見ている。先日、アリスが直すことができなかった動力部の部分だ。その場所からは、魔力が少し洩れているのが文の目には分かる。
「そうよ。完全に魔力で動いているわ。電気いらずよ」
アリスが腰に手を当てて得意げな表情をする。確かにこれならば、アイボにこれから何か遭っても、大抵は一人で直せるのかもしれない。仕組みを理解していない文の臆測だから、事実は分からないがそこは記事にしても面白くは無さそうなのでどうでもいい。
やはり、随分と幻想郷に毒された物になってしまった。ここは外の世界で使われてる技術で直して欲しかった。幻想郷では使われていない技術で動く物というアドバンテージが無くなったことに一人、心の中で舌打ちをした。
「結局、これは式神と自律人形のどちらなんですか?」
この人形を最初に見に来たときにアリスは外の世界の自律人形だと説明していた。アリスが魔法使いの人形師として、自己で考え行動する人形を作るのが目的ということは、随分前に藁人形の取材時に聞いた。これがアリスの目指す自律人形だとしたら、目的を達成したことになるはずだ。
質問を受けたアリスの眉間に皺が寄る。先程からの自信に満ちた表情と違い、どこか迷っている表情をしていた。
「これは、どちらでもないわ」
アリスはそう言うと説明をはじめた。
まず、式神は何かに術を憑依させて、術者の目的通りに動くことが要久される。そこには、明確な目的が存在する。そして、術者がプログラムを書き換えない限り、成長はない。在るとしても効率化をよくする程度のものだ。
アイボは伸び代があるとはいえ、個性が生まれる。個性とは物事を経験、蓄積しそれに適した行動態度をすることである。個性を獲得したアイボは今まで、やらなかった動作をするようになる。これは成長といえる。
式神の効率化とは、物事を経験し不用なものを削っていくことである。アイボの成長は逆に無駄なことが増えていくのである。
アリスの作ろうとしている自律人形は、自己を認識し、自己で考え行動する人形のことである。つまり、個性の獲得である。そして、その個性を元に自らが目的を決め、行動をおこすのだ。
「でも、アイボには目的がないの。獲た知識や経験で動くだけの成長。私の目指す自律人形は、自分の決めた目的のために行動し、知識や経験を溜めて成長をする」
それならば、これはアリスの目指す物とは違うのだろう。成長するプロセスが真逆では、それは別物だ。
アリスは人形を操り、鏡を持って越させた。
大きい鏡で、文の足から頭までの全体を写せるサイズだ。アリスはアイボを抱き上げると文に手渡す。
「私も抱き上げていいんですか?」
「えぇ、構わない。胸に抱いたまま鏡の前に立って頂戴」
アリスの言われるままにアイボを抱いて鏡の前に立つ。その間、剣を持っている上海は文の肩に乗っかている。いつでも、攻撃が出来るようにするところが用心深い。アイボよりも上海に思わず意識が行ってしまう。抱かれているアイボも同じなのか上海に顔を向けて液晶が点滅している。
「こうでいいんですか?」
「そう。アイボの顔を鏡に向けて、少しずつ鏡に近付いて」
胸に抱いているアイボを抱き直して、ゆっくりと近付く。鏡には、文、アイボ、上海が写っている。
鏡に向かって歩くとアイボの顔の液晶が点滅を繰り返す。一回ピシュッと音が鳴り、アイボの液晶が光った。驚いているとアリスが気にしないでいいと声を掛けてきた。ぎりぎりまで鏡に近付き、アイボの短い手でも触れることができる距離までいく。するとアイボは顔を少し上げて鏡に写っている文を見据える。次に上海の方にも同様の行動をした。
「もう、いいわ。アイボを下に置いて、あなたは鏡の前にそのままいて」
床に置かれたアイボは周囲を見渡す。上海も地面に降り立ち、アイボと同じ目線の高さになった。その光景は桃太郎の一場面を思い出だす。
アイボは首を動かし文と上海、そして鏡に写ったアイボと文、上海を交互に見比べると上海の方に近づき甘えるような動作をした。
「あっ、私の所に来ると思ったのに!」
人形は人形同士が好きなのか、文には寄りついてこない。その光景を見て、アリスが大きなため息をついた。
「屈んでアイボの方に手を伸ばせばあなたにも甘えるわよ」
アイボに手を伸ばすと確かに文の方へと向き直り甘えて来る。その行動に文は不快感を感じて顔をしかめた。アイボに上海人形と同列に扱われるのに抵抗を覚えてしまうのだ。
「これが、アイボが自律人形ではないという証明よ」
そう落ち込んだ声色でいうとアリスは説明を始めた。
自律人形の最大の難しさは自己の自覚を持つことであるという。
個性と自己は似ているようでまったく違う。自己は自身を認識することで、個性は他人が相手を識別するための行動や性格のことだ。同じ個性をを持っていても、自己があれば別の存在であり、他人からは同じと見られても違うというのは自身で認識できる。
アイボは鏡に写った自身をみて、自分と同じ存在というのは認識できるらしい。しかし、それだけだ。
アリスはここ最近、ある実験を何度も行っていた。幻想郷にある式神の技術を応用してある行動をするようにアイボにすり込ませていた。
『自己と同じ存在を発見した場合。攻撃すること』
アイボの頭脳には鏡をという存在を認識できる知識はない。アリスの考えでは、アイボが鏡をみて、同じ行動をする存在を見付けた場合は攻撃するはずであった。
だが、アイボには自己はなかった。アイボに音、温度、形を認識する機能は付いていても、それは他者の個性を見分けるためのものであり、自己を認識するためには使われていないのだ。
だから、アイボは自己を認識することができない。あるのは、他人だけだ。
文がアイボの頭を撫でると喜ぶように頭を擦付けてくる。
「これには、喜びとかはないんですね」
「そうね。嬉しくて懐いているように見えるだけ。喜ぶ自分が無いのよ」
文がアイボを抱き上げようとすると暴れ出す。まるで、束縛を嫌うように。
「外の世界の発想は面白いですね。意思のない生物を作り出そうとする。外の人間はこれに何を求めたのでしょう?」
「人形に人が求める物は決まっている。心の安寧よ」
「確かにこの人形は癒やされる動きをしますね。でも、いつか、飽きてしまう気がします。きっとそこら辺がアリスさんの目指す自律人形と違う所なんでしょうね」
「そんなことないわよ。私の考えている自律人形もに似たような物よ」
「そうでしょうか?」
「そうよ。ただ、私が作ろうとしているのは、その子よりも我が儘になるだけよ」
文の手の中で暴れるアイボの頭を撫でると静かになった。机の上に置いてあるアイボが乗ってきたクッションに傷付けないようにゆっくりとアイボを載せた。
「あなたの作ろうとしている物には共感を持つことが出来ますよ」
「あら、あなたも自律人形に興味が出てきた?」
「あなたが作ろうとしているものは、長く生きる妖怪には必要です」
アイボが眠るように動きを止める。その様子を見たアリスは上海人形も元にいた棚に戻らせる。
今、この場にはアリスと文しか動く物はない。生きてる二人だけが動いている。
文は、アリスの薄緑色の目を見詰める。上海人形と同じ色だが、そこには光が宿っており、犬の人形よりも感情が分かる気がした。
妖怪の一生は長い。どんなに強い妖怪でも一人で生きれば病んでしまう。誰か傍にいてほしいと思うのは当然だ。私だって、天狗社会に属していなければ生きるのは辛いのだ。
魔法使いのアリスが共に歩む存在を求めても妖怪なら誰も笑うことは出来ない。一人一種族のスキマ妖怪ですら、式神を作り、性を与えて共に過ごしている。
「最初の60年を迎えるまでに成果が出ることを祈ります」
この人間と関わることの多い魔法使いの周りから、知っている人間が姿を消す前に共に歩める存在が隣にいることを長く生きる妖怪の先輩として祈った。
取材を終えて妖怪の山に戻ると今度は出し抜かれないように直ぐに記事を書き始める。
そして、できあがった新聞をあとは配るだけになった時、窓に何かが打つかる音がした。
『第××回 花果子念報』
そこには、文がアイボを抱いている写真が載せられていた。
文は三度、アリス宅を訪ねた。
「どういうことなんですかあれは!?」
文が忿怒の形相で詰め寄るがアリスは涼しい顔だ。
「あぁ、私も最近、わかった機能なんだけど、このアイボにも写真機能が付いているのよ」
私の足元でじゃれついていたアイボの首元を掴み、自分の顔の高さまで持ち上げる。手足をジタバタさせているが、お構いなしだ。
「ちょっと、乱暴にしないでよね」
抗議の声が上がるが却下だ。どうせ壊れても直せるんだろう。
「どこに付いているんですか?」
今は、この駄犬が怨めしい。手の中で身体を引っくり返したりして調べるが分からない。
「顔の部分よ。外からだと分からないようになっているの」
文の手から、アイボが取り上げられる。
「新聞の写真は鏡に写ったものが使われていました。もしかして、最初から、そのつもりであんなことをさせたんですか?」
文の目の据わった視線からアリスが目を背ける。口元はニヤついていた。
「このアイボの写真機能はどうやってら起動するのですか? 教えて頂きますよ絶対に。もう、私がこの犬の記事を書くことは無いでしょう。二番煎じはお断りです。ですが、疑問は全て解決しておきたいのです」
それを聞くとアリスが笑いながら頷く。どうやら、最初から種明かしはするつもりでいたらしい。今回の取材はどこからかはわからないが、アリスの掌で踊らされていたようだ。
怒りが沸々と湧いてくるが我満する。お仕置きは後でも出来る。
「これよ。これ」
アリスの手には、外の世界の機械が握られている。確か、ケータイという機械だ。はたても同じようなもので念写していた筈だ。
アリスがケータイを手でカチカチと弄る。随分と慣れた手付きだ。
ピシュッと音がアイボから鳴り、目の部分が光る。先日、鏡の前で聞いた音と同じだった。
「はい。撮れたわよ」
そういうとアリスが携帯をこちらに向ける。そこにはアリスを睨む文が写っていた。どうやら、アイボから撮った写真はアリスの持つケータイに送られるらしい。シャッター音が天狗の使うカメラの音と違うために気付かなかった。
「なるほど、わかりました。あの時、上海が剣を持ったまま私の横に張り付いていたのは、この操作に気付かれないようにするためだったんですね」
流石に文でも隣で剣を突きつけられていたら、そちらに意識が行ってしまう。もし、あの時に上海が居なければ、アリスの動きに気付き、何をしているか訊ねたはずだ。
「そのケータイは姫海棠はたてから貰ったのですか?」
「違う。これは、にとりから頼まれた依頼をこなした報酬よ」
「にとり? まぁ、確かに持っていても不思議では無いですが何のために?」
「それは言えないわよ。守秘義務って奴ね。それにこの件ににとりは別段、協力してない」
なんの守秘義務かは知らないが、そうだろう。にとりは基本的にこういう悪巧みはできない。善良な河童なのだ。
「ということは、はたてとあなたの共犯ということでよろしいですか?」
「別に打ち合わせをした訳では無いけどね」
「結果は同じです!」
机を叩くとアイボがびっくりして耳を回している。どうやら、新しい動作を覚えたらしい。あんな動きを実際の犬はしない。どんどん、犬から離れているようだ。
「まぁ、これでお相子ね」
「はい?」
「前の藁人形の記事で私が釘を刺しているところの写真を撮っていたでしょう? あの写真のお陰でしばらくの間、それが酒の肴になって嫌な思いをしたのよ。あなたも盗撮される辛さを学びなさい」
「なっ!? あれはちゃんとあなたも協力するといったじゃないですか!」
「あの写真が載ると分かっていたら却下していたわ」
お互い睨み合う。だが、どちらにしろ今回は文の負けである。新聞はもう配られたのだ。
「この借りはいずれ、きっちり返させてもらいますからね!」
いつ、どんな形で返すかはわからないが、文は新しくできた目標を手帳に書き込んだ。
-了-
しかし、忘れた=使えない物ではなく大変便利なものも流れてくる。外の世界の道具の進歩は目覚ましく、今では天狗の新聞記者である私、射命丸 文も仕事道具として人間の作ったカメラという道具(改造はしているが)を使っている。1000年前では考えられない話だ。
だが、やはり人間は愚からしく、便利な道具でもすぐに忘れてしまう。幻想郷には製作されてから五年と経たない新しい物が最近は多くなっている。まったく、付喪神になる暇さえ無い忙しなさだ。
今回、私が取材をしようとしているアリス・マーガトロイドも、そんな外の世界で作られた物を手に入れた人物の一人である。
魔法使いであるアリス・マーガトロイドの棲む魔法の森は、木々が日光を遮り、ジメジメとしていて慣れない者には不快な場所である。特に今のような夏場には、名前も分からない虫が森に溢れており、飛んでいると口に飛び込んで来たりするので、本当に不愉快である。
夏の日差しと蝉の鳴き声にうんざりとしながら森の上を飛んでいると一部だけ禿げた様に木が無くなっている所がある。そこが彼女の住む場所である。
彼女の家の前に降り立つと窓から一体の人形が出てきた。人形と窓の間にはうっすらと魔法の糸が見えている。アリス・マーガトロイドは古今東西の様々な種類の人形を使う魔法使いだが、中でもこの上海人形が一番、使われている。
術者と同じブロンドの髪をした人形は手に剣を携えており、文の傍まで来ると剣を振り上げて襲ってくる。
しかし、文は別段と慌てる様子もなく手に持っていた団扇で剣の横っ腹を叩き、軌道を逸らす。追撃はなく、上海人形は剣をぶらりと下げたまま、その場に留まった。
文は、何事もなかったように玄関へと足を運ぶ。これぐらいで逃げ帰るようでは、幻想郷で新聞記者は務まらない。
「ごめんくださーい」そういうと返事も待たずに扉を開ける。家主が居るのは先程の遣り取りから分かっている。
玄関からは見えない位置で物が動く音がする。私は足を止めることなく、音のする方に向かう。物音がした部屋の前に立つと一言、失礼しますと扉を開けた。
部屋には先程、上海人形が出てきた窓が一つと中心に木で作られた作業台と椅子が一組。あとはそれを囲むように様々な種類の人形が壁に掛けられている。窓から日光が入って明るいが、その部屋の光景は妖怪である文の目から見ても不気味だ。一つ一つ丹精を込めて作られている人形は妖しい光を瞳に宿しており、その視線の中心に座る少女は、人形よりも端正な顔立ちと白い肌をしていた。その美しさが余計に不気味さに拍車を掛けている。
私が部屋に入ったことは気付いている筈だが、アリス・マーガトロイドは作業台に乗せられている銀色の物体から目を離さない。
その真剣な姿をみていると声を掛けるのを躊躇ってしまう。私は黙ったまま、アリスの横に移動して、一緒に銀色の物体を観察する。
銀色の物体は、全長30㎝ほどの大きさ。水飴で作った犬のように丸みを帯びた形をしていた。足のような物が三本とその足よりも細く短い尻尾が一本生えている。犬の顔にあたる部分には楕円の小さい板が二枚、ちょうど犬の耳の位置に付いていた。しかし、毛は無く、所々にひびが入っている。足も右前足の部分が一本足りず、不格好だ。
「これが噂の外の世界の人形ですか?」黙っている積もりだったが、痺れを切らして質問した。しかし、アリスは特に怒った様子もない。ただ、えぇと呟いたきり、また黙ってしまう。
会話が止まり、気まずい沈黙が再び生まれる。差し込む日光が怨めしい。私は、じっとしているのに耐えられず、壊れた人形の写真を撮り始めた。シャッター音だけが部屋に鳴り響く。
流石に目障りなのか、アリスがカメラを睨んだが撮り続ける。私は次第にいつもの調子が出てきて、無造作に犬の人形を掴み弄ってみる。毛が無いために触り心地はあまり良くない。ただ、夏場にはヒンヤリとした身体はいいかもしれない。夏場の毛がある人形はそこら辺が鬱陶しいから、外の世界の夏限定の納涼人形なのかもしれない。これなら、夏場に持ち歩いてもイライラしないだろう。
「ちょっと、あんまり乱暴に扱わないでよ!?」
アリスが慌てて、人形を奪い取る。私は盗られながらも人形を抱えたアリスの姿を撮っておく。
「いや、好奇心を抑えられませんでした」
幻想郷では好奇心に勝てる妖怪はあまりいないのだ。悪びれずに答えるとアリスは右手を上げた。部屋に掛けられていた幾つかの人形が動き出す。
「あややや!? 落ち着いて下さい! 争う気はありませんよ」
両手を挙げて降参の意思を示すと人形達の動きは止まったが、以前と臨戦態勢は崩さない。
「魔理沙さんから、外の世界の人形にアリスさんが夢中と聞いて取材に来たんですよ」
「その取材対象を随分乱暴に扱うのは頂けないわ」
「えっ? でも、もうこれ、すでに壊れてませんか?」
「うっ・・・」
私が訊ねるとアリスは抱えていた犬の人形を隠すように身体を横に向けた。
「あややや。直せないのですか? 人形の修理ならお手の物でしょう?」
外の人形とはいえ、人形遣いのアリスならば直せそうなものだ。
「外見なら直せるけど、それじゃ駄目なのよ」
「どういうことですか?」
アリスは渋々ながら説明を始めた。
この外の世界から来た犬の人形は、「アイボ」というらしい。いつものように魔理沙が香霖堂に行った際に盗ってきたものだが、自分では直しようがなく、アリスのところに持って来たということだ。
最初は外の世界の技術で作られた人形とはいえ、修理することなど造作もないと思っていたアリスだったが、壊れている足や皹などの外見は直せても、肝心の中身はアリスにとって、完全に未知の技術であり、お手上げだった。
「この人形、外の世界の自律人形らしいのよ」
そう、話すアリスの顔には悔しさが滲み出ていた。人形を抱く手にも力が入る。その姿がお預けをくらった子供のようで可愛い。
「なによ。なにか可笑しい?」
どうやら口元がにやついていたらしい。脹れた表情でこちらを睨む。
「いえいえ、アリスさんでも直せない人形というとネタとしては美味しいなぁと思いまして」
私の発言に呆れながらも納得したのかゆっくりと抱いていた人形を元の位置に戻す。ここで馬鹿正直に悔しがっているアリスさんが可愛くてと答えていたら、この照れ屋な魔女は私を追い出しかねない。嘘八割、本音二割は取材の基本である。
人形遣いのアリスが目指す目標は「自分の意志で動く自律人形」であることは以前の取材で文は聞いていた。そのヒントが目の前に転がっているというのに手も足もでないというのは、さぞ悔しいのだろう。置いた人形をまた、睨んでいる。
文はそんなアリスの姿をみると思わず笑みが溢れそうになるのを必死で抑えた。天狗にとって、他人が悔しがる様はそそられる。道具を操る側が道具に振り回される時は、それだけで記事になるからだ。その記事が笑い話になるか、感動のドキュメンタリーになるかは文の気分次第だ。
「河童の知り合いを紹介しましょうか?」
このまま、睨んでいるだけでは話が進まない。外の技術に関しては河童に聞くのが一番である。他にも外で使われる機械に詳しい外から住み着いた人間が人里にいるが、彼等は使い方を知っているだけで、作り方や仕組みを知っている者はいない。そのため、幻想郷では天狗や河童の住む山が一番、発展している。
基本的には山の妖怪の技術を外に教えたりすることはないが、今回のように外の技術を調べるのは山全体の発展の手助けになる可能性が高い。そういう場合ならば、特に問題は無い。あったとしても注意ぐらいで済むだろう。それに、やはり人形が動いたりしないと記事のインパクトに欠ける。
打算を考えながら、アリスに提案すると懐疑の目でこちらを見詰める。まぁ、天狗の文に対しては馴れしたんだ態度のため、営業用の微笑が崩れることはない。
「そうね。ダメ元で頼もうかしら」
手詰まりだったアリスが上から目線で賛成する姿は、どこか人形劇の喜劇を見ているようで、これまた可愛らしい。
「では、行きましょう」
私はそういうと出入り口に踵を返した。
「今から!?」
最終的にどういう記事になるかは別として、当分は退屈しなくてすむと思うと文から営業用ではない微笑が零れた。
「あぁ、これは動力の問題だね」
河童である河城にとりが機械で作られた犬をばらすこと20分。足を外され、機械が剥き出しになった状態の犬の人形をアリスははらはらとした様子で見守っている。その姿は病気の子供に付き添う母親に似ていて文は人形よりも、そっちのが印象的だった。
文はアリスを連れて、妖怪の山から流れる川の下流にやってきた。文の友人である河城にとりはいつも、その辺りで自分の作った機械の実験をしているからだ。
アリスも多少は霧雨魔理沙を通してにとりと面識があるそうだが、何かの目的があって訪ねるのは初めてらしい。まぁ、お互い外に出て活動するよりも、篭って研究するタイプなので文にとっては予想通りの展開であった。
「直せるの?」
アリスの声からは期待と不安が混じっていた。聞かれたにとりの方は人懐こい顔で、たぶん、平気ぃと相手に若干の不安を与える返事を返していた。
「まぁ、にとりさんが駄目だったら、潔く諦めるしかないので気楽に待ちましょうよ」
気軽に答える私にアリスはキッと睨め付けると、機械の犬から外された黒い箱を手に取る。黒い箱には幾つかのひびが入っていた。
「これが、壊れている原因の部分?」
「そうだよ。それは電気を貯める機械だよ。それがこの犬にとっては心臓であり、胃袋なんだよ」
「これさえ、どうにかすれば動くのね?」
「う~ん。断定はできないな。一応、そのほかに故障の原因になりそうな傷はないけど、ここまで、精密な機械だと見えない少しの破損でも動かないこともあるし・・・。でも、とりあえずはその部品を直さないことにはどうしようも無いね」
真剣な顔で訊ねるアリスと難しい顔で答えるにとり。二人の会話がドンドンとヒートアップしていくが、私としては会話にも入れず、記事に出来そうなことでもないので手持ち無沙汰だ。
「じゃあ、この黒い部品を魔力で動かす部品に変えても動くのね?」
「できると思うよ。私のアームも妖力を電力の代わりにして動くからね」
私が雲の数を数えている内にいつのまにか修理から改造の話に変わっているようである。
「あのう・・・個人的には、改造された人形ではなく、そのまま修理された人形を取材したいのですが?」
話の路線を修理路線に戻せないかと切り出してみたがアリスに睨まれ、にとりに呆れた顔されながら却下される。
「今度、壊れた時は私一人で直せるようにしたいのよ」
「無理だよ。こういう部品は同じ物を作るには時間が掛かりすぎる」
理由は違うが二人とも改造することで同意しているらしい。一番この件に関して発言力の無い私にはどうすることもできない。外の世界の技術そのままで動く人形の方が妖怪にはウケるので幻想郷の技術を使わずに直して欲しかった。
あとは、せめて幻想郷では見掛けない、あの楕円を切り貼りしただけのようなシャープなデザインのまま、直されるのを祈るだけだ。そうしなければ、記事で写真を載せた時にどこの人形なのか分からなくなってしまう。
「まぁ、今日はもう帰りなよ。私も明日までに色々と準備しておくから」
「えぇ、そうね。よろしく頼むわ」
どうやら、今日はおひらきのようだ。本格的な行動は明日かららしい。
「私は明日からは来ませんから、修理ができたら一番に教えて下さい」
「気が向いたらね」
「協力したんだから、それぐらいの特権は下さいよ!」
アリスは私に対しての興味を無くしているらしく、気のない返事をすると足早に帰ってしまう。
その後ろ姿を私が怨めしい目で見送っているとにとりが、気楽にいこうよと慰めた。
その日から一週間、人里に向かう川の下流辺りを飛んでいるとアリスとにとりが一緒にいる姿が目に付いた。
正直、私の目算では、八割方失敗すると考えている。河童の技術は優れてるとはいえ、外の技術と仕組みが違う部分が多々ある。アリスとにとりもそれを考えた上で修理ではなく改造を目標に動いてはいるが、直す対象は一体きりであり、一度でも失敗すれば終わりだ。また、成功したとしても幻想郷にある技術で直された人形は、文が特集にしたい外の世界の人形とは言い難い。
それでも記事にすればそこそこの発行部数を期待できるが、文としては既に期待半分、あきらめ半分といった感じである。
さらに一週間後。文は出し抜かれていた。
今朝、同僚である姫海棠はたての花果子念報により、アリス達が直していた犬の記事が書かれた新聞が天狗達に配られた。
花果子念報は、はたての念写能力で撮影した物を載せている。念写は一度、誰かが撮った物しか写すことができない。
今回、花果子念報に載っていた写真は、先日私も訪ねたアリスの工房で撮られた物のようだが、アリスしか載っておらず、此処で件の犬の写真が載っている記事を私が出せば、まだ挽回は出来るはずだ。ただ、姫海棠はたてが犬の写真を掲載した記事が、いつ発行されてもおかしくはない。文は、そう考えると急ぎアリスの居る魔法の森へ向かった。
「アリスさーん! 起きて下さい!」
魔法の森のアリス宅からは光は洩れておらず、家主は寝ているようだった。もし、アリスが熟年の魔法使いならば、睡眠などは不用の筈だ。これだから、若輩の妖怪は融通が利かない。
私は、舌打ちすると二度三度と扉を拳で叩いた。しかし、起きる気配はない。その場で、地団駄を踏むと団扇を取り出した。意識を団扇に集中する。朝の閑散としていた森が、ざわつき始める。アリス宅を中心とした魔法の森に風が吹き荒む。鳥たちが急な突風に驚き飛び立つが、風の勢いが強いため空中で、バランスを崩す有様だ。
人間ならば立っているのも辛い天狗風がアリス宅を襲う。窓はガタガタを激しい音を立て、家はギイギイと軋む。
「アーリースーさぁぁぁあぁぁん!」
このまま、出てこないようなら、扉を打ち壊して、目標の写真だけでも収めようかと真剣に考えが始めた時にようやく、扉が開いた。
しかし、急に風を止めることは出来ない。開けられた扉は風を一身に受けて、吹き飛ぶ。
扉を開けたのはアリス本人ではなく、上海人形を操って開けたらしく、ドアノブを掴んでいた上海人形も一緒に飛ばされた。
「あっ」
風が止み始めると、家の奥から出てきたアリスの白い顔が赤く染まっていた。
「こんな朝早くから、何の用かしら? 朝刊なら取っていない筈ですけど?」
「取材に来ましたぁ!!」
とりあえず、先日の来た時と同じアリスの工房に通された。
部屋に唯一ある椅子にはアリスが座っている。その手には先程、扉と一緒に飛ばされて、服や髪が乱れた上海人形が抱えられていた。小さな子供を扱うようにアリスは優しい手付きでそれを整えている。
その光景を見ながら、私は今朝、天狗達に配られた花果子念報の記事について説明をした。アリスは適当に相槌を返すが、その視線は人形に向けられたままである。
「あの写真はいつ、誰に撮られた物なんですか!? 私やはたて以外の天狗も此処に来たんですか!?」
顔が打つかりそうなほど詰め寄りながら、質問すると身なりを整え終わった上海人形が小さな手で文の額を殴った。
「あなた以外の天狗は来ていないわ」
アリスの声に合せて、上海人形が再度、文の額を小突く。痛くはないが鬱陶しい。
「多分、にとりから聞いたのではないかしら。ここ最近は頻繁に彼女の居る川に行っていたし、山に住む天狗なら気付く奴もいたでしょう。あの引き籠り天狗なら、私に聞くよりは、河童のにとりに取材すると思うわよ」
額を上海人形に何度も小突かれ、少しずつアリスから遠ざけられる。何回も同じ場所を叩かれると流石に痛くなってくる。
叩こうとする上海人形を掴み、後ろに放り投げる。くるくると回りながら飛んでいく姿は、ちょっとだけ私に和みを与えた。
「じゃあ、あのアリスさんの写真は誰が撮った物なんですか? 幻想郷でカメラを使うのは天狗だけですし、はたてと私以外で他の妖怪の記事を書く天狗を私は知りません」
この工房で撮られたと思われる記事の写真は誰が撮った物だというのか?
山に住む天狗以外の妖怪や人間の少女を記事にしようと取材をする者を私とはたて以外には思いつかない。新しいライバル記者が出てくるのは、あまり喜ばしいことではない。ただでさえ、最近は取材対象をはたてと争って大変だというのに。
「う~ん。特に撮られた記憶はないのよね」
「本当に? 心当たりはないのですか?」
アリスは頷くと右手を上げて、くるりと空中で回すと部屋に置かれていた人形が三体ほど動き始める。人形達は、文の横を通り過ぎて工房から出て行った。
入れ違いに文が放り投げた上海人形が別の部屋から椅子を持って戻ってきた。椅子を文の目の前に置くと、腰に手を当てて威張るように椅子を指差して座るように促す。
「まぁ、座りなさいよ。折角、上海が持って来てくれたんだから」
人形を操っている筈のアリスに促されるのは変な気分である。大人しく椅子に座ると上海が腕を組み、よろしいとでも言うように大仰に頷く。
「とりあえず、直した物を見せてくださいよ」
写真を撮った人物は誰か分からないが、とりあえず取材を始める。分からない犯人を捜すよりも記事を書く方が早い筈だ。
「その前に約束して欲しいことがあるわ」
アリスは手を口の前に組みながら文の顔をジッと見詰める。どうやら、ここでイエスと答えなければ、教える気がないらしい。
「内容もおっしゃらないで約束とは、些か狡くありませんか?」
アリスはニヤニヤと笑うだけで返事はない。なんだかだか、今日は面白くない展開が多くてイライラする。
「わかりました。善処します」
絶対に守ると誓う気はない。しかし、アリスは満足した様である。高等の妖怪は、約束を守らないことを嫌うのを知っているからだ。確約ではなくとも、この場でのイニシアチブはアリスが持つことが決定した。
「そんなに難しいことではないの。ただ、私がいいと言うまでその椅子から立ち上がってはいけないわ。もちろん、危害を加えるようなことはしないから安心して」
流石に攻撃されるようだったら、どちらにしろ抵抗はする気だが身の安全が確保されているのなら、一応は従おう。
両手を挙げて降参のポーズをするとアリスは本日初めてのご満悦の微笑を浮かべた。同性ながら、その表情は可愛らしい。それをカメラに収めれば良かったとあとで少しだけ損をした気分になった。
そんなやり取りをしていると人形達が部屋に戻ってきた。
人形達は座り心地の良さそうな丸いクッションを三体でバランスを取りながら運んでいる。クッションの真ん中には、件の犬の人形が鎮座していた。壊れていた前脚も直っているようである。
「どうして犬の人形に洋服を着せるんですかねぇ?」
犬の人形はタキシードを着ていた。銀色のボディに黒のタキシードは似合っていることは似合っているが、犬の形をしたものが着ているので滑稽に映った。
「仕方ないでしょう。直した動力部が大きくなりすぎて、服でも着せないと見栄えが悪いのよ」
アリスの目の前にある机の上に静かに置かれる。文の座っている位置からだと触れることはできない。
カメラを取り出すとアリスと犬の人形が両方が写るように写真を何枚か撮る。アリスはカメラに向かってピースサインをするほど協力的だ。思わず腰を浮かして近付こうとする
と文の近くにいた上海に肩を押さえられ元に戻される。魔力を込める量を変えたのか先程と違い無駄に力強く心の中で舌打ちをする。
「立ちませんよ。約束ですからね。あははは・・・。ところで結局、その犬は動くようになったのですか?」
「名前はアイボよ。アイボ。もちろん、直したわ」
自慢気に言うと犬の人形の顔の部分が青色に光る。すると足がピーンと広げ、まるで、身体を伸ばす様な動作をした後にゆっくりと立ち上がる。
「犬、動きましたよ! 犬!」
アリスは、アイボだってばと窘めると犬の頭を撫でる。尻尾を振りながら、顔の液晶がアリスに触れられる度に光が点滅を繰り返す。
「喜んでるんですかね? この犬・・・じゃなくて、アイボは?」
文が『アイボ』と声を発した瞬間、チラッと様子を窺うように顔を向けたが、すぐにアリスの方に顔を戻してしまう。
もしかして、名前を呼べば来るのかなと思い、何度か『アイボ』と呼んでみるが反応はない。
「呼んでも行かないわよ。この子は声を聞き分けることができるの」
「アリスさんが操っているという訳ではないのですか?」
「違うわ。この子は外の世界の式神みたいなものよ」
アイボは今度は寝そべり、腹を撫でてもらっている。アリスも頬笑みながら弄る姿は、本物の犬と戯れているように見える。アイボの愛敬のある行動も可愛らしい。
「ある程度の視覚、触覚、聴覚もあるのよ。そして、ある程度の成長もする」
「凄いですね。どれも幻想郷の人形では持っていない機能じゃないんですか?」
「そうね。作ろうと思えば出来なくもないけど、この子の様にはならない」
今のアリスの技術ではアリス自身の五感を人形と繋げることで感覚を得ることの出来る人形を作ることはできるが、アイボの様にその感覚で得た情報を蓄積することはできない。その蓄積されたデータを元に自ら成長をすることもできない。
「このまま成長すれば、しゃべれるようになったりするんですか?」
「成長のできる伸び代は決まっているから無理ね。でも、外の世界では出来ているのかもしれないわ」
「なるほど。私も触っていいですか?」
「動かない約束でしょう」
少し、意地悪すぎではないだろうか? 動こうとするといつの間にか、銀色の剣が握った上海が切っ先を向けて脅してくる。
「駄目よ。この子はまだ、生まれたてみたいなもので何に影響を受けるか分からないの。だから、あなたの行動で悪影響を受けさせる訳にはいかないのよ」
アリスが笑いながら説明する。悪影響と決め付けられているところが腹立たしい。こんな飼い殺しのような状態を見せてる方が悪影響だろう。
「この子には、感情を考慮して状況を理解できる程の能力はないのよ。そこら辺は普通の人形と同じよ。使用者に干渉をすることは無いの。影響を受けるだけ、何も返しはしない」
アイボは撫でられるのに飽きたのか、アリスの手を逃れて机の上を歩き回っている。机から落ちるのではないのかとハラハラと見ていたが、どうやら、ちゃんと高さを理解しているらしく落ちることはなかった。
「この子は自己防衛機能が高いのよ。赤ん坊みたいなものと言っても、ちゃんと危険を理解している。何も分からない人間の赤ん坊とは違うのよ」
歩くのに飽きたのか、今度は正面にいる文を目の無い顔で見ている。赤、青、緑と液晶が光輝く。そして、尻尾をパタパタと動かし始める。
「これは、私に触られたいのではないですかね?」
私はアリスを期待の目で見詰める。
「あら、犬みたいな目で見つめられても困るわ」
意地悪な微笑を浮かべながら、右手を差し出して触ることを許すポーズをとる。
人形のようにアリスの手で動かされるのは腹がたったが我満する。ようやく椅子から立ち上がり、アイボに近付くと文の近くにいた上海も一緒付いてきた。
「乱暴に扱ったら、それ以上にあなたを乱暴に扱うからね」
私は苦笑いを返すと机の上に座っているアイボに向き合う。目がないのに見詰め合うというのは初めての経験だ。動物であれば、天狗の文と目が合えば逃げるか服従する。動物の持っている野生の危機感が文との力の差を自然と理解するからだ。しかし、このアイボは違う、興味を持って観察をしているのだ。天狗の記者である私が逆に観察されているという事態が珍しく、さらにこの人形に興味を抱いてしまう。
「うーん。確かに、獣とは違いますね。びびりません」
「当然よ。人形なんだもの」
「これは魔力で動いているのですか?」
文の目はアイボのお腹の部分を見ている。先日、アリスが直すことができなかった動力部の部分だ。その場所からは、魔力が少し洩れているのが文の目には分かる。
「そうよ。完全に魔力で動いているわ。電気いらずよ」
アリスが腰に手を当てて得意げな表情をする。確かにこれならば、アイボにこれから何か遭っても、大抵は一人で直せるのかもしれない。仕組みを理解していない文の臆測だから、事実は分からないがそこは記事にしても面白くは無さそうなのでどうでもいい。
やはり、随分と幻想郷に毒された物になってしまった。ここは外の世界で使われてる技術で直して欲しかった。幻想郷では使われていない技術で動く物というアドバンテージが無くなったことに一人、心の中で舌打ちをした。
「結局、これは式神と自律人形のどちらなんですか?」
この人形を最初に見に来たときにアリスは外の世界の自律人形だと説明していた。アリスが魔法使いの人形師として、自己で考え行動する人形を作るのが目的ということは、随分前に藁人形の取材時に聞いた。これがアリスの目指す自律人形だとしたら、目的を達成したことになるはずだ。
質問を受けたアリスの眉間に皺が寄る。先程からの自信に満ちた表情と違い、どこか迷っている表情をしていた。
「これは、どちらでもないわ」
アリスはそう言うと説明をはじめた。
まず、式神は何かに術を憑依させて、術者の目的通りに動くことが要久される。そこには、明確な目的が存在する。そして、術者がプログラムを書き換えない限り、成長はない。在るとしても効率化をよくする程度のものだ。
アイボは伸び代があるとはいえ、個性が生まれる。個性とは物事を経験、蓄積しそれに適した行動態度をすることである。個性を獲得したアイボは今まで、やらなかった動作をするようになる。これは成長といえる。
式神の効率化とは、物事を経験し不用なものを削っていくことである。アイボの成長は逆に無駄なことが増えていくのである。
アリスの作ろうとしている自律人形は、自己を認識し、自己で考え行動する人形のことである。つまり、個性の獲得である。そして、その個性を元に自らが目的を決め、行動をおこすのだ。
「でも、アイボには目的がないの。獲た知識や経験で動くだけの成長。私の目指す自律人形は、自分の決めた目的のために行動し、知識や経験を溜めて成長をする」
それならば、これはアリスの目指す物とは違うのだろう。成長するプロセスが真逆では、それは別物だ。
アリスは人形を操り、鏡を持って越させた。
大きい鏡で、文の足から頭までの全体を写せるサイズだ。アリスはアイボを抱き上げると文に手渡す。
「私も抱き上げていいんですか?」
「えぇ、構わない。胸に抱いたまま鏡の前に立って頂戴」
アリスの言われるままにアイボを抱いて鏡の前に立つ。その間、剣を持っている上海は文の肩に乗っかている。いつでも、攻撃が出来るようにするところが用心深い。アイボよりも上海に思わず意識が行ってしまう。抱かれているアイボも同じなのか上海に顔を向けて液晶が点滅している。
「こうでいいんですか?」
「そう。アイボの顔を鏡に向けて、少しずつ鏡に近付いて」
胸に抱いているアイボを抱き直して、ゆっくりと近付く。鏡には、文、アイボ、上海が写っている。
鏡に向かって歩くとアイボの顔の液晶が点滅を繰り返す。一回ピシュッと音が鳴り、アイボの液晶が光った。驚いているとアリスが気にしないでいいと声を掛けてきた。ぎりぎりまで鏡に近付き、アイボの短い手でも触れることができる距離までいく。するとアイボは顔を少し上げて鏡に写っている文を見据える。次に上海の方にも同様の行動をした。
「もう、いいわ。アイボを下に置いて、あなたは鏡の前にそのままいて」
床に置かれたアイボは周囲を見渡す。上海も地面に降り立ち、アイボと同じ目線の高さになった。その光景は桃太郎の一場面を思い出だす。
アイボは首を動かし文と上海、そして鏡に写ったアイボと文、上海を交互に見比べると上海の方に近づき甘えるような動作をした。
「あっ、私の所に来ると思ったのに!」
人形は人形同士が好きなのか、文には寄りついてこない。その光景を見て、アリスが大きなため息をついた。
「屈んでアイボの方に手を伸ばせばあなたにも甘えるわよ」
アイボに手を伸ばすと確かに文の方へと向き直り甘えて来る。その行動に文は不快感を感じて顔をしかめた。アイボに上海人形と同列に扱われるのに抵抗を覚えてしまうのだ。
「これが、アイボが自律人形ではないという証明よ」
そう落ち込んだ声色でいうとアリスは説明を始めた。
自律人形の最大の難しさは自己の自覚を持つことであるという。
個性と自己は似ているようでまったく違う。自己は自身を認識することで、個性は他人が相手を識別するための行動や性格のことだ。同じ個性をを持っていても、自己があれば別の存在であり、他人からは同じと見られても違うというのは自身で認識できる。
アイボは鏡に写った自身をみて、自分と同じ存在というのは認識できるらしい。しかし、それだけだ。
アリスはここ最近、ある実験を何度も行っていた。幻想郷にある式神の技術を応用してある行動をするようにアイボにすり込ませていた。
『自己と同じ存在を発見した場合。攻撃すること』
アイボの頭脳には鏡をという存在を認識できる知識はない。アリスの考えでは、アイボが鏡をみて、同じ行動をする存在を見付けた場合は攻撃するはずであった。
だが、アイボには自己はなかった。アイボに音、温度、形を認識する機能は付いていても、それは他者の個性を見分けるためのものであり、自己を認識するためには使われていないのだ。
だから、アイボは自己を認識することができない。あるのは、他人だけだ。
文がアイボの頭を撫でると喜ぶように頭を擦付けてくる。
「これには、喜びとかはないんですね」
「そうね。嬉しくて懐いているように見えるだけ。喜ぶ自分が無いのよ」
文がアイボを抱き上げようとすると暴れ出す。まるで、束縛を嫌うように。
「外の世界の発想は面白いですね。意思のない生物を作り出そうとする。外の人間はこれに何を求めたのでしょう?」
「人形に人が求める物は決まっている。心の安寧よ」
「確かにこの人形は癒やされる動きをしますね。でも、いつか、飽きてしまう気がします。きっとそこら辺がアリスさんの目指す自律人形と違う所なんでしょうね」
「そんなことないわよ。私の考えている自律人形もに似たような物よ」
「そうでしょうか?」
「そうよ。ただ、私が作ろうとしているのは、その子よりも我が儘になるだけよ」
文の手の中で暴れるアイボの頭を撫でると静かになった。机の上に置いてあるアイボが乗ってきたクッションに傷付けないようにゆっくりとアイボを載せた。
「あなたの作ろうとしている物には共感を持つことが出来ますよ」
「あら、あなたも自律人形に興味が出てきた?」
「あなたが作ろうとしているものは、長く生きる妖怪には必要です」
アイボが眠るように動きを止める。その様子を見たアリスは上海人形も元にいた棚に戻らせる。
今、この場にはアリスと文しか動く物はない。生きてる二人だけが動いている。
文は、アリスの薄緑色の目を見詰める。上海人形と同じ色だが、そこには光が宿っており、犬の人形よりも感情が分かる気がした。
妖怪の一生は長い。どんなに強い妖怪でも一人で生きれば病んでしまう。誰か傍にいてほしいと思うのは当然だ。私だって、天狗社会に属していなければ生きるのは辛いのだ。
魔法使いのアリスが共に歩む存在を求めても妖怪なら誰も笑うことは出来ない。一人一種族のスキマ妖怪ですら、式神を作り、性を与えて共に過ごしている。
「最初の60年を迎えるまでに成果が出ることを祈ります」
この人間と関わることの多い魔法使いの周りから、知っている人間が姿を消す前に共に歩める存在が隣にいることを長く生きる妖怪の先輩として祈った。
取材を終えて妖怪の山に戻ると今度は出し抜かれないように直ぐに記事を書き始める。
そして、できあがった新聞をあとは配るだけになった時、窓に何かが打つかる音がした。
『第××回 花果子念報』
そこには、文がアイボを抱いている写真が載せられていた。
文は三度、アリス宅を訪ねた。
「どういうことなんですかあれは!?」
文が忿怒の形相で詰め寄るがアリスは涼しい顔だ。
「あぁ、私も最近、わかった機能なんだけど、このアイボにも写真機能が付いているのよ」
私の足元でじゃれついていたアイボの首元を掴み、自分の顔の高さまで持ち上げる。手足をジタバタさせているが、お構いなしだ。
「ちょっと、乱暴にしないでよね」
抗議の声が上がるが却下だ。どうせ壊れても直せるんだろう。
「どこに付いているんですか?」
今は、この駄犬が怨めしい。手の中で身体を引っくり返したりして調べるが分からない。
「顔の部分よ。外からだと分からないようになっているの」
文の手から、アイボが取り上げられる。
「新聞の写真は鏡に写ったものが使われていました。もしかして、最初から、そのつもりであんなことをさせたんですか?」
文の目の据わった視線からアリスが目を背ける。口元はニヤついていた。
「このアイボの写真機能はどうやってら起動するのですか? 教えて頂きますよ絶対に。もう、私がこの犬の記事を書くことは無いでしょう。二番煎じはお断りです。ですが、疑問は全て解決しておきたいのです」
それを聞くとアリスが笑いながら頷く。どうやら、最初から種明かしはするつもりでいたらしい。今回の取材はどこからかはわからないが、アリスの掌で踊らされていたようだ。
怒りが沸々と湧いてくるが我満する。お仕置きは後でも出来る。
「これよ。これ」
アリスの手には、外の世界の機械が握られている。確か、ケータイという機械だ。はたても同じようなもので念写していた筈だ。
アリスがケータイを手でカチカチと弄る。随分と慣れた手付きだ。
ピシュッと音がアイボから鳴り、目の部分が光る。先日、鏡の前で聞いた音と同じだった。
「はい。撮れたわよ」
そういうとアリスが携帯をこちらに向ける。そこにはアリスを睨む文が写っていた。どうやら、アイボから撮った写真はアリスの持つケータイに送られるらしい。シャッター音が天狗の使うカメラの音と違うために気付かなかった。
「なるほど、わかりました。あの時、上海が剣を持ったまま私の横に張り付いていたのは、この操作に気付かれないようにするためだったんですね」
流石に文でも隣で剣を突きつけられていたら、そちらに意識が行ってしまう。もし、あの時に上海が居なければ、アリスの動きに気付き、何をしているか訊ねたはずだ。
「そのケータイは姫海棠はたてから貰ったのですか?」
「違う。これは、にとりから頼まれた依頼をこなした報酬よ」
「にとり? まぁ、確かに持っていても不思議では無いですが何のために?」
「それは言えないわよ。守秘義務って奴ね。それにこの件ににとりは別段、協力してない」
なんの守秘義務かは知らないが、そうだろう。にとりは基本的にこういう悪巧みはできない。善良な河童なのだ。
「ということは、はたてとあなたの共犯ということでよろしいですか?」
「別に打ち合わせをした訳では無いけどね」
「結果は同じです!」
机を叩くとアイボがびっくりして耳を回している。どうやら、新しい動作を覚えたらしい。あんな動きを実際の犬はしない。どんどん、犬から離れているようだ。
「まぁ、これでお相子ね」
「はい?」
「前の藁人形の記事で私が釘を刺しているところの写真を撮っていたでしょう? あの写真のお陰でしばらくの間、それが酒の肴になって嫌な思いをしたのよ。あなたも盗撮される辛さを学びなさい」
「なっ!? あれはちゃんとあなたも協力するといったじゃないですか!」
「あの写真が載ると分かっていたら却下していたわ」
お互い睨み合う。だが、どちらにしろ今回は文の負けである。新聞はもう配られたのだ。
「この借りはいずれ、きっちり返させてもらいますからね!」
いつ、どんな形で返すかはわからないが、文は新しくできた目標を手帳に書き込んだ。
-了-
もう生産終わっちゃったのかぁ…
育てると言えばたまごっちやデジモンが印象的だけどAIBOもあったなあ
直ぐに飽きそうって点が納得出来るけどやっぱり切ないでした
外の世界で完成したロボットが先に幻想入りするか、それともアリスの自律人形が先に完成するか