深とした空気の中、簀垂れから毀れた光が明かりのない部屋に落ちる。
少し早めに出した風鈴が、ただただ騒がしく鳴り響く。
いつもだったら騒がしいはずの神社では、今はただ一人、巫女がお茶を啜っているだけ。
ずずずっ、と音を立て、傍らに置いた煎餅に手を伸ばす。
「ん~……」
煎餅を噛み砕きながら、ぼーっと空を見上げる。
いつもならこうしているだけで、「どこ見てる」という突っ込みが誰かしら来るはずなのに。
ただただ、沈んだ空気がそこには広がり、それを紛らわす音が聞こえるだけ。
「まぁ、これが本来の姿なんだけど」
静けさを誤魔化すように呟いた、霊夢の言葉に込められたもの。
何か遠い昔を見るように、近い過去をゆっくりと思い返してみる。
◆
ずっと一人で妖怪退治をしていた頃が、今は少しばかり懐かしく感じるのは、短い間にたくさんの出来事があったからかもしれない。
妖怪退治はなんだかんだ言って楽ではないし、疲れるし、いいことなんてない、と最初は思っていた。
今でも妖怪退治自体は大変ではあるが、その後があるから楽しいと今は思えるのだ。
早苗のように単純に妖怪退治が楽しいとか、魔理沙のように霊夢よりいち早く異変を解決したいとか、そんなことが喜びに繋がるのではない。
異変を起こし、その時は敵としか見ていなかった者達が、異変を解決した頃には何事もなかったかのように仲良くなっていること。
それが、霊夢にとって何よりも嬉しかったのだ。
妖怪を退治することは仕事であり、報酬さえ貰えればそれでいい。
そう思って始めた異変解決は、ただただ出てくる奴らが鬱陶しくて、面倒くさくてたまらなかった。
報酬をもらって、一息つこうとしたその時、一本角生やした剣士やかわいらしくもない悪霊が神社にやってきたのだ。
その時は逆襲しに来たのかと思い思わず構えたが、違った。
ただ単に、『一緒に話がしたい』それだけだった。
「本気で言ってんの?」
「なぜ嘘をつかなきゃいけないのかしら?」
「あんた悪霊でしょ。害悪の塊って感じがするんだけど」
「んなこたぁないさ。私は人間界の神よ?(うそ)」
平気な顔して嘘をつくあたり、悪霊だというのがすぐわかる。
成仏させてやろうとさえ霊夢は考えたが、どう頑張ってもこの悪霊は成仏しないだろうと思った。
「……ろくでなしめ」
冗談だか本気だかわからないことばかり喋っていた。
それは、鬱陶しいし面倒くさいと思うこともあるが、一人でいるよりはマシだ。
妖怪やらが純粋に楽しそうにしているのに対し、その時霊夢は、まだ純粋に楽しめずにいた。
だけど、また異変を一つ解決するごとに、周りに退治された妖怪達がやってくる。
退治されたのに、退治した側が怖くないのかと思うようになった。
あまりにも不思議だったので聞いてみると、当たり前のように言うのだ。
「いや、別にそんなのどうとも思わないよ。霊夢と出会って、なんだか気が合いそうだと思ったからこうして来るだけ」
「へぇ、そういうものなのね」
「私はそうってだけよ」
そういって妖怪は笑うのだ。
人間とまったく変わらない、愉快で楽しそうな顔で。
◆
紫と関わってからというもの、妙に境界とかどうとかっていうのを考えるようになった。
故に、人間と妖怪のどこが違うかということも、考えるようになった。
能力の有無だなんて、人間でも能力は持ってるし、妖怪にも劣らぬ力を持っている。
強度や寿命などといった身体能力的な面からみれば、確かに妖怪の方が上の部分があるが、そんな能力的なものはどうだっていい。
問題なのは、内面的なこと、心の持ち方として何が違うのか。
人と同じように笑い、人と同じように生きて、人と同じように、死ぬ。
喜怒哀楽を共に持つ生命体の、どこに境界線があるのか。
「ねぇ、実際のところ人間と妖怪の境界線ってどうなの?」
「あなたはどう思ってるのか聞かせてもらえたら、ね」
「半分が人で、半分が妖怪や幽霊の奴だっているじゃない。そいつら見てると人間よりも寿命とか身体能力がちょっと高くて、妖怪よりも劣ってるって感じしかしないのよね」
頭を掻き、う~んと一人唸る。
しばらく考えた後、釈然としない顔でこう言った。
「周りからの言われ方次第じゃないかしら。お前は人間だって言われたら人間だし、お前は妖怪だって言われたら妖怪。人間だと思えば人間で、妖怪と思えば妖怪ってくらい、曖昧なんじゃないの?」
「ふふ、そうね。それくらい、はっきりとしていないわ。私の能力を仮に人里の者が得たとしましょう。そうしたら、その者は『人間』のままか、それとも『妖怪』なのか。判断は難しいところよね」
「確かに……」
難しそうな表情をする霊夢の頭に、すとんと柔らかな手が落ちる。
ふと上目で見れば、紫がにっこりとほほ笑んでいた。
「だから、妖怪も人間も似たような者。私も能力さえなければただの女の子よ?」
「何年生きてるかは知らないけどね」
「そこはいいのよ」
くすくすと、いたずらっぽく笑う紫を見て、改めて霊夢は思うのだ。
こんなに人間味のあるような者らが妖怪もいれば、同じ人を殺し平気でいる人間もいる。
前者の方が人間で、後者が妖怪であってもおかしくはない。
それほど、人間と妖怪とは曖昧なのだ。
なんだか、深く考えていた自分が馬鹿みたいに思えた霊夢は、自嘲気味に笑った。
そんな出来事もあってか、それ以降は紫が異変解決のサポートに回ってくれた。
今まで一人でもいいと思っていたのに、それなのにただ隣に誰かがいるだけで、これほどまで力になるのかと、感じた時だった。
辛いって思った時、大丈夫よと肩を叩いてくれる、余裕だと思った時、油断しないでと注意してくれる。
紫だけじゃない。
地霊の異変の時は、萃香や文だって力を貸してくれた。
直接隣にいなくとも、ただその声が聞こえるだけで霊夢は良かったのだ。
それさえあれば、誰にだって勝てる。そんな気がしていたから。
◆
そして、今。
妖怪と共に生きてきたが故か、一人が寂しいと妙に感じるようになったみたいだ。
異変が滅多に起こらなくっても、いつものように妖怪たちはやってくるというのに。
紫は言う。
「いつだって貴女の隣にいるから。寂しくなったら名前を呼びなさい」
と、優しく微笑みながら。
「ねぇ、紫」
だけれど、隙間が開かれることはなく、ただただ静寂がそこにあるのみ。
文は言う。
「私が必要であれば、名前を呼んでくださいね。風が私の元まで声を届けてくれますから!」
と、若々しい笑顔で。
「ねぇ、文」
だけれど、ただ小さな風が吹き抜けるだけで、あの騒がしい天狗は来ない。
萃香は言う。
「私は幻想郷を漂う霧みたいなもんさ。私が恋しくなったら呼ぶといい。隣に現れてやるからさ」
と、豪快に笑いながら。
「ねぇ、萃香」
だけれど、隣に誰も来ることはなく、あの豪快な笑い声も聞こえない。
幽香は言う。
「花は皆仲良しなの。だから皆がみんないろんな事を知ってる。貴女が寂しがってたら、すぐにわかるのよ?」
と、悪戯っぽく笑いながら。
「ねぇ、幽香」
だけれど、花は風に揺られるだけで、話をしているようには見えない。
「ねぇ、魔理沙」
なんとなく、お前の気持ちがわかるから、そういってくれた魔理沙も、今はいない。
ただ、一人。
はぁ、と一つため息をつく。
ふと、大好きなお茶が切れたことに気付いた霊夢が、ゆっくりと立ち上がったその時だった。
隙間から伸びたその手には、新しい急須があり、お茶のいい香りが鼻腔をくすぐった。
集まった霧は形となり、霊夢に座れと促した。
空からは、凄まじい風を引き連れた天狗と、その風によろめきながら向かってくる魔女。
そして、向こうの階段からは、幽雅に日傘を差して歩いてくる緑髪の根無し草。
「どうかしたの? 霊夢」
代表するように、紫がその言葉を発した。
皆がみな、様々な表情を浮かべながら。
優しい笑みや、心配そうな顔、にっこり笑った顔に、ちょっぴりいやらしい笑みもあった。
それぞれが、その人物を表しているようで、だけれどそれが嬉しくて。
泣き出しそうになったけれど、それを一生懸命押さえながら。
今、霊夢ができる精一杯の笑顔で。
「ありがとう」
誰かのぬくもりを知らなければ、昔のまま、一人でも大丈夫だったのかもしれない。
だけど、このぬくもりを知ってしまったから。
誰かと共にいることの心地よさを知ってしまったから。
後戻りはできないけれど、後悔なんてあるわけがない。
何より、他の誰かといることが霊夢にとって、
「幸せ」
なのだから。
みんな霊夢を想って支えてくれるんだなぁ・・・
誰かと寄り添って生きていくというのはある意味において弱さであるかもしれないけど、それと同時に強さでもあるのかもしれないな、とか考えさせられました
ただ自分としては人と妖怪の違いを考察するに当たって身体の強度と寿命差を簡単に排除してしまったのはちょっといただけなかった感が残りました
心は自分の置かれた状況と周りの環境で育まれるもの、であるならば死ににくい身体、遠い寿命というのはこれを形成する上で避けては通れないような気がするからです
結果が同じ海に流れる川であっても、高低差のある短い川と高低差の無い長い川とではその内容は別物であると思えてならないのです
霊夢は愛されてるなぁ…
ふと寂しくなるとき、そんなときにこういう風に来てくれたらどれだけ嬉しいことか…
ちくしょう、愛されてる霊夢が妬ましいぜ!!
ありがとうございました。
ちょっぴりノスタルジックな霊夢も愛らしいですね。
幽香を出してくれたことに感謝