「あー、また負けた」
「あら、でも負け方は良くなっているからいいじゃない」
地面に伏していた顔を上げると風見幽香が笑顔で私を見詰めている。
「猪のように一直線に突っ込んでくるのを力でねじ伏せるのは快感よ」
「馬鹿力にはスピードで対抗すればいいと思ったんだがな」
これで、この妖怪に負けるのは何度目になるのだろう。
「魔理沙は戦い方をころころと変えすぎなのよ」
「弱い奴が強い奴に勝つためには工夫が必要だろう? 戦術が変わるのは当たり前だ」
いつまでも、上から見下ろされるのは癪に障る。身体のあちこちが痛むが無理をして起き上がった。痩せ我慢は私の十八番だ。
「そうね。智恵を絞って戦うのは人間の戦い方。でも、あなたは普通の魔法使いでしょう?」
私には幽香が何を言いたいのかが分からない。そもそも、こいつの様に強い妖怪は人間を煙に巻くだけ巻いて、実は意味などは特に無かったりするので真剣に聞くだけ無駄なことが多い。
「そうだよ。だから、色々と試しているのさ」
「試していたの? では、いつ結果を見せてくれるのかしら?」
帽子で顔を隠し、その質問に私は答えることをしなかった。何をいっても負け惜しみになるだけだ。
「さてと、私は行くところがあるから、失礼するぜ」
幽香の返事を待たずに魔理沙は箒に股がり飛んで行く。
夏の青空に消えていく霧雨魔理沙を風見幽香はただ、笑って見送っている。
暗く黴臭い図書館の中を魔理沙は家主に断りも無く歩いている。その通った跡には片付けないで床に投げ出された本が幾つも置かれていた。
「泥棒なら、痕跡を残さないように努力するべきね」
物色を続ける霧雨魔理沙の背中に十六夜咲夜が声をかける。
「紅魔館には優秀なメイドがいるからな。これぐらいなら、大丈夫だろう」
「片付けなさい」
おべっかを使ってみたが駄目なようだ。私はまだ、目当てのものを見付けていないので渋々に片付けを始める。まだ、追い出される訳にはいかないのだ。
「あ~この図書館は物があるのはいいことだが、広いのが難点だな」
綺麗好きの咲夜もこの図書館までは手が回らないのか、本の上には埃が目立つ。
先程まで多種多様の美しい花に囲まれた太陽の畑に居たせいか、いつもよりも汚れに敏感になっているようだ。
あらかた片付けると咲夜はもう、傍には居なかった。また、一人で捜してもいいが片付けるのは面倒なので、仕方なく私は図書館の主であるパチュリー・ノーレッジの元に向かう。彼女ならば目的の物のありかもわかるだろう。
「お~いパチュリーいるか~いないなら返事しろ~」
「居ないから静かに帰って頂戴」
いつのまにか背後に紅魔館のメイド長である十六夜咲夜が立っていた。
「なんだ、咲夜か。パチュリーを連れてきてくれ」
「私はパチュリー様から、あなたを追い出すように言われているのだけれど」
「客の意見を尊重するべきだと思うぜ」
「あなたは泥棒でしょう」
咲夜は口元に微笑を浮かべながら答える。その表情は、どこか花の妖怪に似ていて不愉快だった。
「いいから、案内しろよ」
声が荒くなるのが自分でも分かる。気にしないで欲しいが目の前にいるメイドは見逃さないだろう。
「今日は随分と余裕がないのね。あなたらしくもない」
咲夜のその発言は、今の私には一番触れてほしくないものだった。今日の私は普通でいることが難しいようだ。
こちらが黙っていると咲夜は少し考えるように私の目を見詰めてくる。こんな風に値踏みをされる様に見られるのは、今日は二回目だ。私はうんざりしながら、その視線を正面から受ける。逸らすほど私は弱くない。
「まぁ、いいか。パチュリー様なら南側の奥にいる。あとでお茶を持って行くから先に一人で行きなさい」
そういうと咲夜はもう、魔理沙に背中を向けてどこかに消えてしまう。
パチュリーのいる場所は丁度、ここから反対側だ。この広い図書館ならば飛んだ方が速いのだけれど、私は歩いて目的の場所まで行くことにした。会わなくてはいけない人だが、できれば会いたくはない。
天井まで伸びる本棚。その中に収められている本。それを取り出すために私の身長の3倍はある脚立。
これらは総べて木で作られた物だ。今は植物を連想する物を見てるだけで、私は風見幽香の姿を思いだしてしまう。
「ふん。腹いせに全部、吹き飛ばすか・・・」
そんな物騒なことを呟いても何も変わらない。不気味に其処にあるだけだ。
「こんなに此処は不気味なんだ。いつかは図書館自体が妖怪になるかもな」
そうなったら、風見幽香の様な強力な妖怪になるかも知れない。知識は力らしいからな。
そんな意味のない考えを巡らせて遊んでいる内に目的の場所に着いた。
机の上に置かれた10本程の蝋燭の灯りを頼りに、図書館の主である魔女パチュリー・ノーレッジは殴れば人が死ぬぐらいの厚い本を読んでいる。
私は声をかけずに手近な本棚からタイトルも読まずに一冊選ぶとパチュリーの隣にある椅子に座った。
先程の手に取った本はどうやら、料理本だったようだ。写真が添えられた書物は幻想郷では少ない。どうやら外の世界の本らしい。そこに書いてある食材は、どれも幻想郷では見たことが無く、調理法も分からないものが多い。
手に入らない食材に不可思議な調理法は、まるで魔法だ。
「お茶をお持ちしました」
咲夜がトレイにティーセットを乗せて表れた。一瞬、こちらに視線を向けたが特に声はかけてこない。
「咲夜、二人分はいらないと思うわよ」
先程から霧雨魔理沙を気にも懸けないで本を読んでいたパチュリーが初めて声を発した。
「おいおい、気を使って邪魔をしないようにしていたのに酷いぜ」
「腹いせに図書館を吹き飛ばそうと考えていたのは誰?」
本で顔を隠しながら答える魔女の声には、呆れの色が覗えた。どうやら監視されていたらしい。咲夜がその様子を見て、口だけを「まぬけ」と動かす。何奴も此奴も腹立たしい。
「結果を大事にしようぜ」
「過程に目を向けなければ進歩はない」
知識のある奴は説教くさい奴が多い。心が弱っている時はこういう手合いの
と話すと気分が滅入ってしまう。
「今日は何の用事で来たの?」
咲夜が助け船をだすように会話に加わる。ここで初めてパチュリーが顔をこちらに向けてくれたが、本日、三度目の値踏みの目線なのがでうんざりする。
「短期間で自身の魔力を上げる方法が書いてある魔導書を貸して欲しい」
「そんな便利な物はないわ」
正直に言うとパチュリーに蔑視された。自分でも、都合のいいことだと分かっている。
本来、魔力は長い年月を懸けて練るものだ。一朝一夕であげる方法は確かに存在するが、そいう方法は大抵、命を削る。
「貴女には八卦炉があるじゃない」
八卦炉は確かに優れ物だ。人間である霧雨魔理沙でも妖怪と対等以上に戦える。しかし、風見幽香や幻想郷の強い妖怪達と戦うとなると話は違う。力と技を振り絞って何度かは勝つことが出来ても、その何倍もの負けを経験している。それに私の手にする勝利の大半は新しく編み出した魔法で奇襲するように勝つもので、次の時には通用しないことが多い。
つまり、必勝のパターンというのがないのだ。
単純に魔力が上がれば勝率が上がる訳ではないだろうが、今まで力が足りないからと諦めていた魔法も使えるようになるだろう。その中には必勝と呼べるものも在るかも知れない。
「道具を使わずに上げるとなると人間を辞めるのが一番よ。天人、仙人、魔法使い。好きなのを選びなさい。長く生きればその分、強くなる」
パチュリーは魔理沙から目を話し再び読書に戻る。話は終わりということらしい。
元からそこまで期待はしていない。私は素直に諦めて席を立とうとすると、先程から黙って話を聞いていた咲夜が私の肩を押さえて再び座らせる。
「まぁ、待ちなさい。もうすぐ、お菓子が来るから」
「お菓子で釣られる子供に見えるのか?」
「駄々をこねるのは子供のすることよ」
そう言っている内に一匹の妖精メイドがトレイに焼きたてのクッキーを乗せてやってきた。
赤や青などの元の食材が想像できない色をしたクッキーもあるが、基本的にはどれも美味しそうだ。
ここでムキになって帰ろうとしても子供なら、腹が膨れる子供の方がいい。私は渋々、咲夜の提案に従った。
「不味かったら帰るかな」
「あなた、帰る気がないでしょう」
自信をなくしている今の私にはその咲夜の自信が妬ましい。
運ばれてきたクッキーを一つ摘まむと口に放り込む。
「あっ」
その姿を見て咲夜が絶句する。
気にせずに一枚目を口の中に残したまま二枚目に手を出す。クッキーはしっとりとした肌触りが心地い。遅れて舌に激痛が襲う。
「辛いっっっっ!!!」
急いで自分のカップに残っていた紅茶を飲み干すが足りず、正面にあったパチュリーのも飲み干す。騒ぐ私の姿を見て、パチュリーは不快な表情をしたが気にしている余裕はない。
「咲夜、何をクッキーに入れたの?」
声が出せない魔理沙の変わりにパチュリーが訪ねた。
「カレー味のクッキーですので数種類のスパイスが入っています。全部いいますか?」
咲夜がクッキーを自分でも一枚食べてみる。
「確かに辛いですけど、驚くほどではないですよ」
パチュリーが咲夜と魔理沙を交互に見比べながら、恐る恐るクッキーを口にする。
「ん。確かに辛いけどそこまで驚くほどではないわね」
二人がこちらを貶むようにこちらを見詰めてくる。
「子供には、まだ早すぎるみたいね」
パチュリーが哀れんだ視線を向ける。お前だってちょっと、びびってたじゃないか。今日は、本当に散々な目に会う。なんだか、今の遣り取りで最後の体力を使い果たした気がした。
目の前のティーカップを机の脇に退けると私は、そのままその上に突っ伏した。
「駄目だ。疲れた。寝る」
最低限の言葉だけを伝えるとパチュリーが嫌そうな顔をしていた。私はちょっとだけ仕返しができた気になり、愉快な気持ちを感じながら目を閉じた。
夜空をニ人の少女が飛んでいる。幻想郷では見馴れた弾幕ごっこの風景だ。
赤と白の独特の巫女服を着た少女の周りには、たくさんの赤く光る御札が飛んでいる。
幾何学的に飛び回るそれは、神秘的な光景だが同じ色で構成された弾幕は華やかさに欠けているような気がする。
もう一人のメイド服を着た少女の周りには何も無い。向かってくる巫女の弾幕を避けるのに専念していた。
巫女の御札が当たると思った瞬間にメイドが急に視界から消え、別の場所に移動している。
不思議な光景に目が奪われる。
巫女の弾幕が止むと今度は巫女の周りを取り囲むように銀色のナイフが突然、顕れた。しかし、巫女は慌てることなく小さな動きでそれを避け続ける。
メイドの弾幕は不思議さに一瞬だけ目を奪われるが、手品の種さえ分かれば驚くことはない。
メイドは時間を止めるのだ。確かに破格の能力だが、それさえ分かれば、目の前の光景も厄介だと思うが致命的ではない。巫女は避けているが、私ならば周囲を吹っ飛ばせばいい。
夜空で行なわれる、人外の遊び。その光景を見ながら歯噛みをする。
私の魔法なら、彼女たちよりも、もっと華やかにこの夜空を彩ることができる。
巫女よりも秀麗な星を降らしてやろう。
メイドが唖然とほどの光を飛ばしてやろう。
それができるのが私の魔法だ。
――――私は証明するために箒に跨がり、夜空を舞う・・。
眠りから醒めると黴臭い臭いが鼻についた。寝惚け眼の視界の先には咲夜が本を読んで座っている。
「パチュリーはどうした?」
眠る前にメイドがいた場所にいた魔女のことを訊ねると咲夜は本から目を離すことなく質問に答えた。
「つい先ほど別の本を捜し行ったわ」
この広い図書館で本を捜すとなると時間が掛かるだろう。以前、パチュリーは系統別に本を分けているだけで、どの本がどの場所にあるかまでは完全に把握できていないと言っていた。不便だからどうにかすればいいとは思うのだが、普段はあまり動かない彼女のことを考えると本探しは丁度いい運動だろう。
「お茶でも飲む?」
咲夜の質問に片手をあげて賛成の意思を表す。どうにも、頭がすっきりしない。
本を読むのを止めて、お茶を煎れるメイドの手付きを気の抜けた表情で眺めていると咲夜が苦笑する。
「どうやら、寝たら余裕ができたみたいね」
気の緩んでいるこの状態を余裕があると捉えていいのだろうか。
「ここに来た時の貴女はぎすぎすしていたもの。今の方がいつもの貴女に近いわ」
お茶を差し出され。一口飲むと紅茶と口内にほろ苦さが広がり意識を少しだけ覚醒させる。
「私はいつもそんなに脳天気にみえるのかい?」
「普段は悩みなんて無さそうよね」
馬鹿にされて私は咲夜を睨むが、受けている当人は微笑を浮かべるだけだ。その花の妖怪似た表情を見ても、今は胸がざわつくことはない。目を離すと、私は紅茶の香りを楽しむのに専念した。寝る前に飲んだときには、それを楽しむ余裕がなかったのは認めざる得ない。紅魔館で出されるお茶は基本的に質の良い物なので味わうことをしないと損だ。咲夜は読書を再開し、図書館に似付かわしい静寂な時間が流れる。
私は、夢の中の光景を思いだしていた。そうすることで、私がこれから何をすればいいのかが漠然と纏まってきた。
紅茶も飲み終わり、そろそろ家に帰ろうとすると咲夜が読んでいた本を差し出した。
「帰るなら、これを片付けてから帰って頂戴」
「自分で片付けろよ」
「私は置いてあった元の場所を知らないもの」
差し出された本に目を向けると、私が寝る前に読んでいた外の世界の料理本だった。
本を受け取るが私も元の場所を忘れたので、適当に空いている本棚に戻した。
「なにか、参考になりそうなことは書いてあったかい?」
「えぇ、幻想郷にある道具や食材でも代わりに使えそうなものがあるから、今度試してみるわ」
私は、そう語る咲夜に共感を覚えた。本場の味とは違う物ができるかも知れないが咲夜なら、きっと美味い物を作るだろう。
「まるで、魔法使いだな」
「そんなカビ臭いものじゃないわよ」
褒めたつもりだが、どうやら紅魔館のメイドは自分の職業に誇りがあるらしく唇を尖らせて不満を口にした。
「あら、黴臭くて悪かったわね」
いつのまにか、咲夜の後ろには紅魔館専属の魔女であるパチュリー・ノーレッジが数十冊の魔導書を両手に抱えて佇んでいた。
狼狽える咲夜を見て私は声を出して笑ってしまう。普段、隙がない彼女の慌てる姿が新鮮だった。私は唇だけ動かして「まぬけ」と呟くと咲夜が怨めしそうにこちらを睨みつけるが、私から笑みを消すことはできない。
「さぁて、私はそろそろ御暇するぜ」
「捜し物はあったの?」
「見付からないけど、やれそうなことならあったぜ」
今日、初めてパチュリーに笑って答えることができた。ようやく、いつもの自分が戻ってきたのだろう。
持ってきた魔導書を机の上に置くとパチュリーはため息を吐いた。何故か不満そうだ。
「そう。なら、早く帰りなさい」
どこか冷たい声で帰路を促すパチュリーと私のやりとりを見て、狼狽えていた咲夜が机に置かれた魔導書から1冊手に取ると私に投げて寄越した。
「紅魔館に泥棒が入って何も盗る物がなかったと思われるのは癪だから、それを持って行きなさい」
急に顔を赤くしたパチュリーが咲夜を睨みつけるが、メイドはいつもの瀟洒な態度に戻り、その姿勢を崩すことはなかった。
渡された魔導書をざっと読むとどうやら、魔力の運用の仕方について書かれているらしい。
「役に立ちそうだから、有難く借りていくぜ。他の魔導書もこれに似た内容なのか?」
「そうよ」
パチュリーは顔を俯けて、ぶっきらぼうに答えた。
「そうか。今日は流石に全部は持って行けないから、また近い内に借りに来るよ」
私は、渡された魔導書を帽子の中に容れると箒を掴み図書館の出口に向かう。
「勝手にしなさい」とパチュリーがぼそぼそと私の背中に向けて呟く。私は振り向かずに右手でバイバイをすると図書館をあとにした。
魔理沙が図書館を去ったのを感じるとパチュリーは顔を上げた。
「咲夜」
「私にはお礼も説教も嫌みもいりませんよ」
「じゃあ、命令よ。この本を次に魔理沙が来るまで、あなたの部屋で預かりなさい」
そう命令された咲夜は、進まぬ顔で魔導書を抱えて図書館を出た。霧雨魔理沙は泥棒というよりは疫病神かもしれない。そもそも、ああいう手合いを防ぐ為の奴が働いていないのが問題だ。
そう、結論付けると恐らく寝ている門番にも責任をとらせるため、自分の部屋ではなく屋敷の門の方へと向かうのであった。
夏の夕暮れの博麗神社は蝉の鳴き声と風鈴の音色に包まれていた。蝉も少なくなり、そろそろ風鈴の音が寒く聞こえるようになっていた。
湿気の含む風が縁側に座る博麗霊夢の頬を撫でる。
霊夢は手に持っている麦茶を床に置くと隣に座る風見幽香を睨みつけた。
「珍しく、来たと思えばお茶を飲みに来ただけ? 私は忙しいのだけれど」
幽香が来てから、一刻ほど経つがこうして縁側で話もせずにお茶を飲むだけだ。妖怪には馴れている妖怪対治の専門家とはいえ、幽香ほどの強い妖怪が何もせずにただ、隣に居るのは不気味だ。
特にこいつは好戦的な妖怪なので気が抜けない。博麗神社の巫女として、少しでも早くこの妖怪を退治するか用件を済ませて帰ってもらわなければ、参拝客も安心して来れないであろう。
「正直な話、霊夢に用事はないのよ」
「冷やかし?」
やはり、対治するしかないかと身構えるが、幽香は質問に答えずに涼しげに裏庭の茂みを眺めている。
女の私から見てもその慈しみ深い表情は綺麗だ。
不覚にもその姿に毒気を抜かれてしまい、私はその場に床に寝転んだ。床に触れた背中がひんやりとして気持ちいい。縁側からはみ出た足をぷらぷらとさせながら、風鈴の音色を楽しむ。
「そろそろ、夏も終わりね」
幽香の声は風鈴よりも清艶だった。私は、黙って頷いた。
「ここ最近、魔理沙と遊んでいたわ。随分と綺麗な弾幕を咲かせる様になった」
「この間、魔理沙から聞いた。あんた、二連敗中なんでしょう?」
天井にぶら下がる風鈴を見ながら、自慢しに来た魔理沙の顔を思い出す。いつも笑っている魔理沙だが、その日は終始、にやにやとして気持ちが悪かった。
しかし、それに変わって幽香は別段と変化が無いので、言われるまで魔理沙との弾幕ごっこの件を思い出すことが出来なかった。
「あら、知っていたの? そうなの負けっ放しなのよ。だから、今日はリベンジに来たのだけれど、あの子は来ないみたいね」
「直接、魔理沙の家に行けばいいじゃない」
「行ったわよ。昔の貴女達を見倣って夜中にね。でも、居なかったわ」
「じゃあ、そのまま魔理沙の家で待ち伏せでもしてなさい。神社に妖怪が居座られると迷惑なのよ」
「両方とも却下ね。あの森はジメジメとして気持ち悪いから長居はしたくないし、神社に参拝客なんて来ないから別に構わないでしょう」
お互い、不満の色を隠さずに睨み合う。蝉の鳴き声がミーンミーンと流れてくると私達はどちらともなく興が醒めてしまう。
「もう、面倒臭いわね。魔理沙が来ても別の場所に移動してやってよ」
「嫌。あなたの見てる前で、こてんぱんにしないと意味がないわ」
やっぱり、負けたことは気にしているらしい。魔理沙は私と妖怪退治を競う間柄だ。その私の目の前で魔理沙が負ければ、ただ負けるよりも辛いだろう。
「あんたって、相変わらずえげつない」
責めたつもりだが、幽香は愉快そうに笑うだけだ。少しだけ魔理沙に同情してしまう。厄介な奴に喧嘩を売ったもんだ。
「魔理沙、流石にここでは戦わないんじゃない?」
いくら、脳天気な魔理沙でも幽香の意図していることはわかるだろう。そうしたら、負けず嫌いの彼女のことだ。私の前では戦わない気がする。
幽香の笑顔がこちらに向けられる。そして、仰向けに寝転がる私の上に覆い被さる。自分よりも背の高い向日葵に見下ろされるような感覚だ。綺麗だが威圧感を感じて気味が悪い。
「私はやると思う。誰が居ても弾幕勝負なら受ける」
「なんで、言い切ることができるの?」
幽香の瞳が突き刺すように私を見据える。これから発言する言葉に対して、私がどう反応するのか、じっくりと観察するつもりなのだろう。強い妖怪は、人間を言葉で玩ぶ。知能が高いと驕る人間の得た道徳や価値観で、自らを苦しめる姿が妖怪にはたまらなく甘美なのだ。だから、妖怪対治の専門家である私はその視線を真っ向から受け止める。これから逃げるようでは妖怪と対等には戦えない。
「スペルカードルールを作ったのは貴女だけれども、人間の中で一番にこの遊びを理解しているのは魔理沙よ。あなたは妖怪対治のためにこの遊びを利用していだけ。使命のために仕方無くね。でも、魔理沙は違う。自分を示すためにやっているのよ。そして相手だけではなく周りにも魅せるための弾幕を覚えた。だから、ここに貴女が居ても魔理沙は受ける」
幽香の手が私の頬に触れる。妖怪に血は流れているのだろうか。触れている感触は人の肌よりも冷たく固い。姿形は人間と同じでも、温もりを期待してはいけない。彼女達はやはり、人外なのだ。近づけば肝を冷やす。
「あなたは、美しさも勝敗の要素にいれた。がさつな貴女にしては良いと思うわ。でも、あなたは、それを重要視していない。魔理沙は重要視している。これが何を意味するか分かる?」
私は返事をしない。でも、答えはなんとなくわかる。それは、使命のために弾幕ごっこを利用する私には必要ないことだ。
表情に変化の無い私を見て、満足した顔を風見幽香は浮かべる。
「あなたには遊びがないのよ。『ごっこ』というからには遊んだ方が勝者よ」
覆い被さる幽香の後ろから魔理沙が飛んでくるのが見える。夕焼けに照らされる白黒の衣裳が鴉のように見えた。なんか、不吉だな。
「楽しみなさい霊夢。貴女の方が魔理沙よりも強いかもしれないけど綺麗なのは魔理沙よ」
幽香が私の上から退くと遠くを飛ぶ魔法使いを見上げる。幽香は、もう私を見ていない。
それが、なんだか寂しいと感じるのは夕暮れだからだと思う。
あと半刻もすれば月が幻想郷を照らす。そうすれば、弾幕ごっこは一段と栄えるだろう。魔理沙はもしかしたら、出てくる機会を窺っていたのかもしれない。
「綺麗なものは好きよ。さぁ、派手に散らしてあげる」
白黒の魔女に引き寄せられるように飛んでいく花の妖怪を見ながら、私は、今晩の夕食について考えていた。
「酒の肴には丁度いいかもね」
多分、これが私の見るこの夏、最後の花火になる。今から、楽しめるだけ楽しもうと私は準備を始めた。
目が醒めると見馴れた天井が視界入る。ただ、自分の家の天井ではない。
「魔理沙、起きたの?」
この建物の主である博麗霊夢が私を呼ぶが無視した。身体のあちこちが重く、動かすと痛くて喋るのが億劫なのだ。
身体の不調に歯を食いしばって耐えている私の視界に覗き込む霊夢の姿が写る。
「起きているなら返事ぐらいしなさい」
そういう、霊夢はいつもの紅白の巫女服ではなく、寝間着の薄衣姿だ。
「今、何時だ?」
「そろそろ、日が昇るころよ」
私は昨日のことを振り返る。
日が沈む頃に博麗神社に来たら、何故か居た風見幽香に弾幕勝負を挑まれた。私は連勝中だったので意気揚揚と受けたが結果は見事に負けた。
ぼろぼろになった私を勝者である幽香が当て付けるように霊夢の居る博麗神社に運んだ。
先日、霊夢に幽香をボコボコにしたと息巻いて語っていた私は、酷く惨めな気持ちを味わうことになった。その後の記憶ははっきりとしない。
「幽香は?」
「魔理沙の呻き声を肴にお酒飲んでいたんだけどね。ちょっと前に帰ったわ」
凄く腹立たしい。何がではなく、何もかもがだ。
「そうだ。幽香からの伝言よ」
――――綺麗だったわよ。
一瞬だがほろりと涙が落ちそうになる。たぶん、痛みでだ。だから、私は堪えた。
「何、泣きそうな顔をしているのよ」
霊夢の細い指が私の前髪を撫でる。不意にされた優しさに思わず顔が熱くなる。
「うるせぇ」
「・・・私も綺麗だったと感じた」
「えっ!?」
霊夢が私を素直に褒めるなんて珍しいので、思わず声が裏返ってしまう。
しかも、顔を赤らめてそそくさと逃げるなんてらしくない。どうした霊夢?
なんかちょっと可愛いぞ。
――――負けっぷりがね。
そう言い残すと笑いながら霊夢が部屋を出て行く。
ぅあ・・・あっ・・・あぁ・・・・・・。
「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
Fin
「あら、でも負け方は良くなっているからいいじゃない」
地面に伏していた顔を上げると風見幽香が笑顔で私を見詰めている。
「猪のように一直線に突っ込んでくるのを力でねじ伏せるのは快感よ」
「馬鹿力にはスピードで対抗すればいいと思ったんだがな」
これで、この妖怪に負けるのは何度目になるのだろう。
「魔理沙は戦い方をころころと変えすぎなのよ」
「弱い奴が強い奴に勝つためには工夫が必要だろう? 戦術が変わるのは当たり前だ」
いつまでも、上から見下ろされるのは癪に障る。身体のあちこちが痛むが無理をして起き上がった。痩せ我慢は私の十八番だ。
「そうね。智恵を絞って戦うのは人間の戦い方。でも、あなたは普通の魔法使いでしょう?」
私には幽香が何を言いたいのかが分からない。そもそも、こいつの様に強い妖怪は人間を煙に巻くだけ巻いて、実は意味などは特に無かったりするので真剣に聞くだけ無駄なことが多い。
「そうだよ。だから、色々と試しているのさ」
「試していたの? では、いつ結果を見せてくれるのかしら?」
帽子で顔を隠し、その質問に私は答えることをしなかった。何をいっても負け惜しみになるだけだ。
「さてと、私は行くところがあるから、失礼するぜ」
幽香の返事を待たずに魔理沙は箒に股がり飛んで行く。
夏の青空に消えていく霧雨魔理沙を風見幽香はただ、笑って見送っている。
暗く黴臭い図書館の中を魔理沙は家主に断りも無く歩いている。その通った跡には片付けないで床に投げ出された本が幾つも置かれていた。
「泥棒なら、痕跡を残さないように努力するべきね」
物色を続ける霧雨魔理沙の背中に十六夜咲夜が声をかける。
「紅魔館には優秀なメイドがいるからな。これぐらいなら、大丈夫だろう」
「片付けなさい」
おべっかを使ってみたが駄目なようだ。私はまだ、目当てのものを見付けていないので渋々に片付けを始める。まだ、追い出される訳にはいかないのだ。
「あ~この図書館は物があるのはいいことだが、広いのが難点だな」
綺麗好きの咲夜もこの図書館までは手が回らないのか、本の上には埃が目立つ。
先程まで多種多様の美しい花に囲まれた太陽の畑に居たせいか、いつもよりも汚れに敏感になっているようだ。
あらかた片付けると咲夜はもう、傍には居なかった。また、一人で捜してもいいが片付けるのは面倒なので、仕方なく私は図書館の主であるパチュリー・ノーレッジの元に向かう。彼女ならば目的の物のありかもわかるだろう。
「お~いパチュリーいるか~いないなら返事しろ~」
「居ないから静かに帰って頂戴」
いつのまにか背後に紅魔館のメイド長である十六夜咲夜が立っていた。
「なんだ、咲夜か。パチュリーを連れてきてくれ」
「私はパチュリー様から、あなたを追い出すように言われているのだけれど」
「客の意見を尊重するべきだと思うぜ」
「あなたは泥棒でしょう」
咲夜は口元に微笑を浮かべながら答える。その表情は、どこか花の妖怪に似ていて不愉快だった。
「いいから、案内しろよ」
声が荒くなるのが自分でも分かる。気にしないで欲しいが目の前にいるメイドは見逃さないだろう。
「今日は随分と余裕がないのね。あなたらしくもない」
咲夜のその発言は、今の私には一番触れてほしくないものだった。今日の私は普通でいることが難しいようだ。
こちらが黙っていると咲夜は少し考えるように私の目を見詰めてくる。こんな風に値踏みをされる様に見られるのは、今日は二回目だ。私はうんざりしながら、その視線を正面から受ける。逸らすほど私は弱くない。
「まぁ、いいか。パチュリー様なら南側の奥にいる。あとでお茶を持って行くから先に一人で行きなさい」
そういうと咲夜はもう、魔理沙に背中を向けてどこかに消えてしまう。
パチュリーのいる場所は丁度、ここから反対側だ。この広い図書館ならば飛んだ方が速いのだけれど、私は歩いて目的の場所まで行くことにした。会わなくてはいけない人だが、できれば会いたくはない。
天井まで伸びる本棚。その中に収められている本。それを取り出すために私の身長の3倍はある脚立。
これらは総べて木で作られた物だ。今は植物を連想する物を見てるだけで、私は風見幽香の姿を思いだしてしまう。
「ふん。腹いせに全部、吹き飛ばすか・・・」
そんな物騒なことを呟いても何も変わらない。不気味に其処にあるだけだ。
「こんなに此処は不気味なんだ。いつかは図書館自体が妖怪になるかもな」
そうなったら、風見幽香の様な強力な妖怪になるかも知れない。知識は力らしいからな。
そんな意味のない考えを巡らせて遊んでいる内に目的の場所に着いた。
机の上に置かれた10本程の蝋燭の灯りを頼りに、図書館の主である魔女パチュリー・ノーレッジは殴れば人が死ぬぐらいの厚い本を読んでいる。
私は声をかけずに手近な本棚からタイトルも読まずに一冊選ぶとパチュリーの隣にある椅子に座った。
先程の手に取った本はどうやら、料理本だったようだ。写真が添えられた書物は幻想郷では少ない。どうやら外の世界の本らしい。そこに書いてある食材は、どれも幻想郷では見たことが無く、調理法も分からないものが多い。
手に入らない食材に不可思議な調理法は、まるで魔法だ。
「お茶をお持ちしました」
咲夜がトレイにティーセットを乗せて表れた。一瞬、こちらに視線を向けたが特に声はかけてこない。
「咲夜、二人分はいらないと思うわよ」
先程から霧雨魔理沙を気にも懸けないで本を読んでいたパチュリーが初めて声を発した。
「おいおい、気を使って邪魔をしないようにしていたのに酷いぜ」
「腹いせに図書館を吹き飛ばそうと考えていたのは誰?」
本で顔を隠しながら答える魔女の声には、呆れの色が覗えた。どうやら監視されていたらしい。咲夜がその様子を見て、口だけを「まぬけ」と動かす。何奴も此奴も腹立たしい。
「結果を大事にしようぜ」
「過程に目を向けなければ進歩はない」
知識のある奴は説教くさい奴が多い。心が弱っている時はこういう手合いの
と話すと気分が滅入ってしまう。
「今日は何の用事で来たの?」
咲夜が助け船をだすように会話に加わる。ここで初めてパチュリーが顔をこちらに向けてくれたが、本日、三度目の値踏みの目線なのがでうんざりする。
「短期間で自身の魔力を上げる方法が書いてある魔導書を貸して欲しい」
「そんな便利な物はないわ」
正直に言うとパチュリーに蔑視された。自分でも、都合のいいことだと分かっている。
本来、魔力は長い年月を懸けて練るものだ。一朝一夕であげる方法は確かに存在するが、そいう方法は大抵、命を削る。
「貴女には八卦炉があるじゃない」
八卦炉は確かに優れ物だ。人間である霧雨魔理沙でも妖怪と対等以上に戦える。しかし、風見幽香や幻想郷の強い妖怪達と戦うとなると話は違う。力と技を振り絞って何度かは勝つことが出来ても、その何倍もの負けを経験している。それに私の手にする勝利の大半は新しく編み出した魔法で奇襲するように勝つもので、次の時には通用しないことが多い。
つまり、必勝のパターンというのがないのだ。
単純に魔力が上がれば勝率が上がる訳ではないだろうが、今まで力が足りないからと諦めていた魔法も使えるようになるだろう。その中には必勝と呼べるものも在るかも知れない。
「道具を使わずに上げるとなると人間を辞めるのが一番よ。天人、仙人、魔法使い。好きなのを選びなさい。長く生きればその分、強くなる」
パチュリーは魔理沙から目を話し再び読書に戻る。話は終わりということらしい。
元からそこまで期待はしていない。私は素直に諦めて席を立とうとすると、先程から黙って話を聞いていた咲夜が私の肩を押さえて再び座らせる。
「まぁ、待ちなさい。もうすぐ、お菓子が来るから」
「お菓子で釣られる子供に見えるのか?」
「駄々をこねるのは子供のすることよ」
そう言っている内に一匹の妖精メイドがトレイに焼きたてのクッキーを乗せてやってきた。
赤や青などの元の食材が想像できない色をしたクッキーもあるが、基本的にはどれも美味しそうだ。
ここでムキになって帰ろうとしても子供なら、腹が膨れる子供の方がいい。私は渋々、咲夜の提案に従った。
「不味かったら帰るかな」
「あなた、帰る気がないでしょう」
自信をなくしている今の私にはその咲夜の自信が妬ましい。
運ばれてきたクッキーを一つ摘まむと口に放り込む。
「あっ」
その姿を見て咲夜が絶句する。
気にせずに一枚目を口の中に残したまま二枚目に手を出す。クッキーはしっとりとした肌触りが心地い。遅れて舌に激痛が襲う。
「辛いっっっっ!!!」
急いで自分のカップに残っていた紅茶を飲み干すが足りず、正面にあったパチュリーのも飲み干す。騒ぐ私の姿を見て、パチュリーは不快な表情をしたが気にしている余裕はない。
「咲夜、何をクッキーに入れたの?」
声が出せない魔理沙の変わりにパチュリーが訪ねた。
「カレー味のクッキーですので数種類のスパイスが入っています。全部いいますか?」
咲夜がクッキーを自分でも一枚食べてみる。
「確かに辛いですけど、驚くほどではないですよ」
パチュリーが咲夜と魔理沙を交互に見比べながら、恐る恐るクッキーを口にする。
「ん。確かに辛いけどそこまで驚くほどではないわね」
二人がこちらを貶むようにこちらを見詰めてくる。
「子供には、まだ早すぎるみたいね」
パチュリーが哀れんだ視線を向ける。お前だってちょっと、びびってたじゃないか。今日は、本当に散々な目に会う。なんだか、今の遣り取りで最後の体力を使い果たした気がした。
目の前のティーカップを机の脇に退けると私は、そのままその上に突っ伏した。
「駄目だ。疲れた。寝る」
最低限の言葉だけを伝えるとパチュリーが嫌そうな顔をしていた。私はちょっとだけ仕返しができた気になり、愉快な気持ちを感じながら目を閉じた。
夜空をニ人の少女が飛んでいる。幻想郷では見馴れた弾幕ごっこの風景だ。
赤と白の独特の巫女服を着た少女の周りには、たくさんの赤く光る御札が飛んでいる。
幾何学的に飛び回るそれは、神秘的な光景だが同じ色で構成された弾幕は華やかさに欠けているような気がする。
もう一人のメイド服を着た少女の周りには何も無い。向かってくる巫女の弾幕を避けるのに専念していた。
巫女の御札が当たると思った瞬間にメイドが急に視界から消え、別の場所に移動している。
不思議な光景に目が奪われる。
巫女の弾幕が止むと今度は巫女の周りを取り囲むように銀色のナイフが突然、顕れた。しかし、巫女は慌てることなく小さな動きでそれを避け続ける。
メイドの弾幕は不思議さに一瞬だけ目を奪われるが、手品の種さえ分かれば驚くことはない。
メイドは時間を止めるのだ。確かに破格の能力だが、それさえ分かれば、目の前の光景も厄介だと思うが致命的ではない。巫女は避けているが、私ならば周囲を吹っ飛ばせばいい。
夜空で行なわれる、人外の遊び。その光景を見ながら歯噛みをする。
私の魔法なら、彼女たちよりも、もっと華やかにこの夜空を彩ることができる。
巫女よりも秀麗な星を降らしてやろう。
メイドが唖然とほどの光を飛ばしてやろう。
それができるのが私の魔法だ。
――――私は証明するために箒に跨がり、夜空を舞う・・。
眠りから醒めると黴臭い臭いが鼻についた。寝惚け眼の視界の先には咲夜が本を読んで座っている。
「パチュリーはどうした?」
眠る前にメイドがいた場所にいた魔女のことを訊ねると咲夜は本から目を離すことなく質問に答えた。
「つい先ほど別の本を捜し行ったわ」
この広い図書館で本を捜すとなると時間が掛かるだろう。以前、パチュリーは系統別に本を分けているだけで、どの本がどの場所にあるかまでは完全に把握できていないと言っていた。不便だからどうにかすればいいとは思うのだが、普段はあまり動かない彼女のことを考えると本探しは丁度いい運動だろう。
「お茶でも飲む?」
咲夜の質問に片手をあげて賛成の意思を表す。どうにも、頭がすっきりしない。
本を読むのを止めて、お茶を煎れるメイドの手付きを気の抜けた表情で眺めていると咲夜が苦笑する。
「どうやら、寝たら余裕ができたみたいね」
気の緩んでいるこの状態を余裕があると捉えていいのだろうか。
「ここに来た時の貴女はぎすぎすしていたもの。今の方がいつもの貴女に近いわ」
お茶を差し出され。一口飲むと紅茶と口内にほろ苦さが広がり意識を少しだけ覚醒させる。
「私はいつもそんなに脳天気にみえるのかい?」
「普段は悩みなんて無さそうよね」
馬鹿にされて私は咲夜を睨むが、受けている当人は微笑を浮かべるだけだ。その花の妖怪似た表情を見ても、今は胸がざわつくことはない。目を離すと、私は紅茶の香りを楽しむのに専念した。寝る前に飲んだときには、それを楽しむ余裕がなかったのは認めざる得ない。紅魔館で出されるお茶は基本的に質の良い物なので味わうことをしないと損だ。咲夜は読書を再開し、図書館に似付かわしい静寂な時間が流れる。
私は、夢の中の光景を思いだしていた。そうすることで、私がこれから何をすればいいのかが漠然と纏まってきた。
紅茶も飲み終わり、そろそろ家に帰ろうとすると咲夜が読んでいた本を差し出した。
「帰るなら、これを片付けてから帰って頂戴」
「自分で片付けろよ」
「私は置いてあった元の場所を知らないもの」
差し出された本に目を向けると、私が寝る前に読んでいた外の世界の料理本だった。
本を受け取るが私も元の場所を忘れたので、適当に空いている本棚に戻した。
「なにか、参考になりそうなことは書いてあったかい?」
「えぇ、幻想郷にある道具や食材でも代わりに使えそうなものがあるから、今度試してみるわ」
私は、そう語る咲夜に共感を覚えた。本場の味とは違う物ができるかも知れないが咲夜なら、きっと美味い物を作るだろう。
「まるで、魔法使いだな」
「そんなカビ臭いものじゃないわよ」
褒めたつもりだが、どうやら紅魔館のメイドは自分の職業に誇りがあるらしく唇を尖らせて不満を口にした。
「あら、黴臭くて悪かったわね」
いつのまにか、咲夜の後ろには紅魔館専属の魔女であるパチュリー・ノーレッジが数十冊の魔導書を両手に抱えて佇んでいた。
狼狽える咲夜を見て私は声を出して笑ってしまう。普段、隙がない彼女の慌てる姿が新鮮だった。私は唇だけ動かして「まぬけ」と呟くと咲夜が怨めしそうにこちらを睨みつけるが、私から笑みを消すことはできない。
「さぁて、私はそろそろ御暇するぜ」
「捜し物はあったの?」
「見付からないけど、やれそうなことならあったぜ」
今日、初めてパチュリーに笑って答えることができた。ようやく、いつもの自分が戻ってきたのだろう。
持ってきた魔導書を机の上に置くとパチュリーはため息を吐いた。何故か不満そうだ。
「そう。なら、早く帰りなさい」
どこか冷たい声で帰路を促すパチュリーと私のやりとりを見て、狼狽えていた咲夜が机に置かれた魔導書から1冊手に取ると私に投げて寄越した。
「紅魔館に泥棒が入って何も盗る物がなかったと思われるのは癪だから、それを持って行きなさい」
急に顔を赤くしたパチュリーが咲夜を睨みつけるが、メイドはいつもの瀟洒な態度に戻り、その姿勢を崩すことはなかった。
渡された魔導書をざっと読むとどうやら、魔力の運用の仕方について書かれているらしい。
「役に立ちそうだから、有難く借りていくぜ。他の魔導書もこれに似た内容なのか?」
「そうよ」
パチュリーは顔を俯けて、ぶっきらぼうに答えた。
「そうか。今日は流石に全部は持って行けないから、また近い内に借りに来るよ」
私は、渡された魔導書を帽子の中に容れると箒を掴み図書館の出口に向かう。
「勝手にしなさい」とパチュリーがぼそぼそと私の背中に向けて呟く。私は振り向かずに右手でバイバイをすると図書館をあとにした。
魔理沙が図書館を去ったのを感じるとパチュリーは顔を上げた。
「咲夜」
「私にはお礼も説教も嫌みもいりませんよ」
「じゃあ、命令よ。この本を次に魔理沙が来るまで、あなたの部屋で預かりなさい」
そう命令された咲夜は、進まぬ顔で魔導書を抱えて図書館を出た。霧雨魔理沙は泥棒というよりは疫病神かもしれない。そもそも、ああいう手合いを防ぐ為の奴が働いていないのが問題だ。
そう、結論付けると恐らく寝ている門番にも責任をとらせるため、自分の部屋ではなく屋敷の門の方へと向かうのであった。
夏の夕暮れの博麗神社は蝉の鳴き声と風鈴の音色に包まれていた。蝉も少なくなり、そろそろ風鈴の音が寒く聞こえるようになっていた。
湿気の含む風が縁側に座る博麗霊夢の頬を撫でる。
霊夢は手に持っている麦茶を床に置くと隣に座る風見幽香を睨みつけた。
「珍しく、来たと思えばお茶を飲みに来ただけ? 私は忙しいのだけれど」
幽香が来てから、一刻ほど経つがこうして縁側で話もせずにお茶を飲むだけだ。妖怪には馴れている妖怪対治の専門家とはいえ、幽香ほどの強い妖怪が何もせずにただ、隣に居るのは不気味だ。
特にこいつは好戦的な妖怪なので気が抜けない。博麗神社の巫女として、少しでも早くこの妖怪を退治するか用件を済ませて帰ってもらわなければ、参拝客も安心して来れないであろう。
「正直な話、霊夢に用事はないのよ」
「冷やかし?」
やはり、対治するしかないかと身構えるが、幽香は質問に答えずに涼しげに裏庭の茂みを眺めている。
女の私から見てもその慈しみ深い表情は綺麗だ。
不覚にもその姿に毒気を抜かれてしまい、私はその場に床に寝転んだ。床に触れた背中がひんやりとして気持ちいい。縁側からはみ出た足をぷらぷらとさせながら、風鈴の音色を楽しむ。
「そろそろ、夏も終わりね」
幽香の声は風鈴よりも清艶だった。私は、黙って頷いた。
「ここ最近、魔理沙と遊んでいたわ。随分と綺麗な弾幕を咲かせる様になった」
「この間、魔理沙から聞いた。あんた、二連敗中なんでしょう?」
天井にぶら下がる風鈴を見ながら、自慢しに来た魔理沙の顔を思い出す。いつも笑っている魔理沙だが、その日は終始、にやにやとして気持ちが悪かった。
しかし、それに変わって幽香は別段と変化が無いので、言われるまで魔理沙との弾幕ごっこの件を思い出すことが出来なかった。
「あら、知っていたの? そうなの負けっ放しなのよ。だから、今日はリベンジに来たのだけれど、あの子は来ないみたいね」
「直接、魔理沙の家に行けばいいじゃない」
「行ったわよ。昔の貴女達を見倣って夜中にね。でも、居なかったわ」
「じゃあ、そのまま魔理沙の家で待ち伏せでもしてなさい。神社に妖怪が居座られると迷惑なのよ」
「両方とも却下ね。あの森はジメジメとして気持ち悪いから長居はしたくないし、神社に参拝客なんて来ないから別に構わないでしょう」
お互い、不満の色を隠さずに睨み合う。蝉の鳴き声がミーンミーンと流れてくると私達はどちらともなく興が醒めてしまう。
「もう、面倒臭いわね。魔理沙が来ても別の場所に移動してやってよ」
「嫌。あなたの見てる前で、こてんぱんにしないと意味がないわ」
やっぱり、負けたことは気にしているらしい。魔理沙は私と妖怪退治を競う間柄だ。その私の目の前で魔理沙が負ければ、ただ負けるよりも辛いだろう。
「あんたって、相変わらずえげつない」
責めたつもりだが、幽香は愉快そうに笑うだけだ。少しだけ魔理沙に同情してしまう。厄介な奴に喧嘩を売ったもんだ。
「魔理沙、流石にここでは戦わないんじゃない?」
いくら、脳天気な魔理沙でも幽香の意図していることはわかるだろう。そうしたら、負けず嫌いの彼女のことだ。私の前では戦わない気がする。
幽香の笑顔がこちらに向けられる。そして、仰向けに寝転がる私の上に覆い被さる。自分よりも背の高い向日葵に見下ろされるような感覚だ。綺麗だが威圧感を感じて気味が悪い。
「私はやると思う。誰が居ても弾幕勝負なら受ける」
「なんで、言い切ることができるの?」
幽香の瞳が突き刺すように私を見据える。これから発言する言葉に対して、私がどう反応するのか、じっくりと観察するつもりなのだろう。強い妖怪は、人間を言葉で玩ぶ。知能が高いと驕る人間の得た道徳や価値観で、自らを苦しめる姿が妖怪にはたまらなく甘美なのだ。だから、妖怪対治の専門家である私はその視線を真っ向から受け止める。これから逃げるようでは妖怪と対等には戦えない。
「スペルカードルールを作ったのは貴女だけれども、人間の中で一番にこの遊びを理解しているのは魔理沙よ。あなたは妖怪対治のためにこの遊びを利用していだけ。使命のために仕方無くね。でも、魔理沙は違う。自分を示すためにやっているのよ。そして相手だけではなく周りにも魅せるための弾幕を覚えた。だから、ここに貴女が居ても魔理沙は受ける」
幽香の手が私の頬に触れる。妖怪に血は流れているのだろうか。触れている感触は人の肌よりも冷たく固い。姿形は人間と同じでも、温もりを期待してはいけない。彼女達はやはり、人外なのだ。近づけば肝を冷やす。
「あなたは、美しさも勝敗の要素にいれた。がさつな貴女にしては良いと思うわ。でも、あなたは、それを重要視していない。魔理沙は重要視している。これが何を意味するか分かる?」
私は返事をしない。でも、答えはなんとなくわかる。それは、使命のために弾幕ごっこを利用する私には必要ないことだ。
表情に変化の無い私を見て、満足した顔を風見幽香は浮かべる。
「あなたには遊びがないのよ。『ごっこ』というからには遊んだ方が勝者よ」
覆い被さる幽香の後ろから魔理沙が飛んでくるのが見える。夕焼けに照らされる白黒の衣裳が鴉のように見えた。なんか、不吉だな。
「楽しみなさい霊夢。貴女の方が魔理沙よりも強いかもしれないけど綺麗なのは魔理沙よ」
幽香が私の上から退くと遠くを飛ぶ魔法使いを見上げる。幽香は、もう私を見ていない。
それが、なんだか寂しいと感じるのは夕暮れだからだと思う。
あと半刻もすれば月が幻想郷を照らす。そうすれば、弾幕ごっこは一段と栄えるだろう。魔理沙はもしかしたら、出てくる機会を窺っていたのかもしれない。
「綺麗なものは好きよ。さぁ、派手に散らしてあげる」
白黒の魔女に引き寄せられるように飛んでいく花の妖怪を見ながら、私は、今晩の夕食について考えていた。
「酒の肴には丁度いいかもね」
多分、これが私の見るこの夏、最後の花火になる。今から、楽しめるだけ楽しもうと私は準備を始めた。
目が醒めると見馴れた天井が視界入る。ただ、自分の家の天井ではない。
「魔理沙、起きたの?」
この建物の主である博麗霊夢が私を呼ぶが無視した。身体のあちこちが重く、動かすと痛くて喋るのが億劫なのだ。
身体の不調に歯を食いしばって耐えている私の視界に覗き込む霊夢の姿が写る。
「起きているなら返事ぐらいしなさい」
そういう、霊夢はいつもの紅白の巫女服ではなく、寝間着の薄衣姿だ。
「今、何時だ?」
「そろそろ、日が昇るころよ」
私は昨日のことを振り返る。
日が沈む頃に博麗神社に来たら、何故か居た風見幽香に弾幕勝負を挑まれた。私は連勝中だったので意気揚揚と受けたが結果は見事に負けた。
ぼろぼろになった私を勝者である幽香が当て付けるように霊夢の居る博麗神社に運んだ。
先日、霊夢に幽香をボコボコにしたと息巻いて語っていた私は、酷く惨めな気持ちを味わうことになった。その後の記憶ははっきりとしない。
「幽香は?」
「魔理沙の呻き声を肴にお酒飲んでいたんだけどね。ちょっと前に帰ったわ」
凄く腹立たしい。何がではなく、何もかもがだ。
「そうだ。幽香からの伝言よ」
――――綺麗だったわよ。
一瞬だがほろりと涙が落ちそうになる。たぶん、痛みでだ。だから、私は堪えた。
「何、泣きそうな顔をしているのよ」
霊夢の細い指が私の前髪を撫でる。不意にされた優しさに思わず顔が熱くなる。
「うるせぇ」
「・・・私も綺麗だったと感じた」
「えっ!?」
霊夢が私を素直に褒めるなんて珍しいので、思わず声が裏返ってしまう。
しかも、顔を赤らめてそそくさと逃げるなんてらしくない。どうした霊夢?
なんかちょっと可愛いぞ。
――――負けっぷりがね。
そう言い残すと笑いながら霊夢が部屋を出て行く。
ぅあ・・・あっ・・・あぁ・・・・・・。
「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
Fin
年を経た妖怪からすれば楽しく遊ぶ子供のほうがみてて楽しいな
っていうか、幻想郷で弾幕ごっこに興じる少女達は皆可愛いよ!
もっと評価されて欲しい