紅魔館テラスにて。
湖の見渡せるこの場所で、紅魔館の主である吸血鬼のレミリア・スカーレットと、その妹のフランドール・スカーレットがティータイムを楽しんでいた。
紅茶やケーキの並ぶテーブルの脇には、館で唯一の人間でありメイド長でもある十六夜咲夜が給仕として控えている。
姉であるレミリアは、妹のフランドールに気高き吸血鬼としての立ち居振る舞いを伝授しているようだ。
どこか得意げに話すレミリアと、しきりに頷きながら聞き入っているフランドールを眺めながら咲夜は思う。
幻想郷に来てから、このお二人は本当に変わられた。
以前はこうして一緒にお茶を飲むことはおろか、会話すらまともにない時期もあった。
他者との交流もなく、紅魔館という空間で一緒に暮らしながら、互いに存在しないかのように避けあっていた姉妹。
幻想郷に移り住んできた当初もそれは同じだったが、様々な人間や妖怪たちに関わるうちにいつしか二人は丸くなり、社交的になり、そして仲直りをした。
この館で唯一の血の繋がった姉妹でありながら、まるで他人のように振舞っていた彼女たちは、何百年ぶりかに『家族』に戻ったのだ。
楽しげな雰囲気に身を置きながら、どこか心地よい暖かさを感じるのは姉妹の和やかな表情だけが原因ではあるまい。
まだ2月の中旬とやや肌寒くはあるが、今日はいつになく暖かく、初春のように過ごしやすい。
春の息吹は芽吹きつつあるようだ。
と、会話にひと段落ついたらしいレミリアが私を見ていることに気づく。
自分の世界に没頭するあまり、紅茶かケーキのおかわりが遅れたのかと内心で焦ったが、どちらもまだ十分にある。
そこまでを一瞬で思考したところで、レミリアが口を開いた。
「ねえ、咲夜。いつかの夜にも一度聞いたけれど、もう一度聞かせてちょうだい。――貴女も私たちの同族にならない? そうすれば、ずっと一緒にいられるわ」
永い夜の異変で聞かれたその問いかけ。
あれからしばしの時を経た今でも、それへの返答を変えるつもりは毛頭ない。
目を閉じ、静かにかぶりを振る。
「いいえ、お嬢様のお願いとあっても、そればかりは聞き入れられませんわ」
「そう。咲夜がそう言うのなら仕方ないわね」
いつもはわがまま、気ままなお嬢様が、この件に関してだけは私の意志を尊重してくださる。
そのことに感謝しつつ、主に頭を下げる。
「もう下げて頂戴な。美味しかったわ」
「ごちそうさま、咲夜!」
主よりのお褒めの言葉に胸躍るものを感じつつ、時を止めて一瞬で片付ける。
テーブルに何も無くなった状態で時間停止を解除し、恭しく礼をして下がる。
どこまでも忠実な従者がいなくなったのを見て、フランドールが疑問を口にする。
「ねえお姉様、咲夜はどうして吸血鬼にならないのかなぁ? ずっと一緒の方が楽しいのに」
「なぜだろうね。寿命が短い連中の考えることはよく分からないわ」
寂しさを押し隠すように、肩をすくめながら軽い口調で返事をするレミリア。
だが、その顔には珍しく憂いを含んだ表情を見せている。
「さあ、お茶会はもうおしまい。部屋に戻りなさい、フラン」
「……」
そんな姉の姿を見たフランドールは、去っていくその後ろ姿を無言で見送った。
◆ ◆ ◆
「魔女になる方法を教えろですって?」
紅魔館地下の大図書館。
そこの主である魔法使い、パチュリー・ノーレッジのところにフランドールは来ていた。
珍しい来客にパチュリーは椅子を勧め、ついでに紅茶をと言ってくれたが先ほど飲んだばかりとあって遠慮した。
「うん。あのね、咲夜を魔女にしてほしいの」
「……ちょっと待って、話が見えないのだけれど」
目を閉じて頭の中を整理しはじめた生粋の魔女に求められるまま、フランドールは先ほどのことを説明した。
「成る程。咲夜が吸血鬼になってくれないから、魔法使いにして不老不死にしたいって事でいいかしら」
「うん。ナントカって虫を魔法でやっつけちゃえば、死ななくなるって魔理沙から聞いたことあるよ! だから、咲夜にその魔法を教えてあげてほしいなって」
捨虫の法。
人間の身体の中には、寿命を減らしている虫が存在しているという。
この魔法を習得することで、その虫を殺し、肉体の成長を止めることができる。
成長を止めるということは、言い換えれば老いを止めるということだ。
パチュリーは生まれつきの種族・魔法使いであるが、人間の魔法使いはこの魔法を習得することによって不老不死を得る。
期待のまなざしを送るフランドールを、しかしパチュリーは無表情で受け止めた。
「それは、咲夜が望むことなのかしら」
「うーん……わかんないよ。でも、パチュリーも咲夜にずっと居て欲しいでしょ?」
今度はすがるような視線を投げかけるフランドール。
その目を受け止めたパチュリーはため息を一つ。
できるだけゆっくり、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「いいかしら、妹様。咲夜は貴女のペット? 玩具? 奴隷?」
「ううん、違うよ。咲夜はそんなんじゃない」
「そう、レミィに仕える従者の立場でこそあるけれど、彼女はこの紅魔館の一員。言うなれば、ここで一緒に暮らす『仲間』であり、『家族』よ。ここまではいい?」
「うん」
こっくりと頷くフランドールを見て、やや表情を緩めるパチュリー。おそらく、フランドールには分からない程度であるが。
だが、それとは裏腹に言葉は鋭く、そして冷たい。
「そんな一つの独立した相手に対して。人間として生まれ、人間として死ぬことを望む彼女に、不老不死になることを強要するのは、相手の意思を尊重しない、とてもおこがましい行為よ」
「……」
「そういうのを、種族的強者の傲慢と呼ぶのよ」
「……」
持つものが持たざるものに「なぜ持たないのか」と問いかけるのは容易い。
だが、持たざるものにも事情があり、理由があり、そして信念がある。
生まれつき持っているものが、持っていないものにそれを問うのは礼を欠く。
それが分かっているからこそ、レミリアは戯れのように問いかけることがあっても、主従関係を利用して命令はしない。
パチュリーはそれをフランドールに教えたかったのだが、言葉を選ばなかった。もとい、どうしても選べなかった。
そのため、誤解と軋轢が生じてしまったらしい。
無言になった彼女をちらと見やると、大きな瞳にこんもりと涙を浮かべて身体を震わせていた。
そのまま回れ右をして走っていくフランドールを呼び止めることもできず、ただ見送るだけのパチュリー。
しまったという風に目を瞑り、再びため息を一つ。
「……言い過ぎたわ。私も感情のコントロールがまだまだ未熟ね……」
「パチュリー様……」
いつのまにか近くに来ていた小悪魔が、気遣うように声をかけてくる。
「こぁ、聞いていたの?」
「ええ、立ち聞きするつもりはなかったんですが……」
「見てのとおりよ。私としたことが、あの子を傷つけてしまったわ」
「でも、パチュリー様が言ったことが間違っているとは思いません」
「……」
頭に浮かぶは、いつも突然やってきては迷惑ばかりかけていく、閃光のような人間の魔法使いの少女。
以前、彼女に対して先ほどのフランドールと同じような事を言った記憶が甦る。
「貴女なら、捨虫の法を習得できる。もし望むなら、手伝うことは惜しまない」
それは純粋に、一緒の時を過ごしたいという想いからの言葉だった。
だが彼女は照れくさそうに頭をかきながら、その申し出を断った。
思わず感情的に理由を問い詰めるパチュリーに、その魔法使いは言った。
私は人間のまま強くなりたい。弾幕ルールあるとはいえ、妖怪と人間の潜在的力量差は圧倒的だ。
一部の、本当に一部の特別なやつらは自衛ができるかもしれないが、一般人は未だ狭い人間の里からほとんど出ようとしない。
だから私が、特別な血筋も能力もない普通の人間である私が、人間のまま強くなって幻想郷中を飛び回っていれば……弱い種族の人間でも、ここまで強くなれるんだって証明になるかもしれない。
だから私は妖怪にはならない。ヒトとして生き、ヒトとして死んでいく。
それが普通の魔法使いの私にできる、唯一のやり方なんだ。
この言葉を聞き、パチュリーは己の愚かさを恥じた。
ただ近くに居て欲しいという劣情にも似た感情から、彼女の崇高なる信念を侮辱したに等しいと考えた。
先ほどのフランドールの発言は、そんな過去の自分を見ているようでパチュリーには耳が痛かった。
ゆえに過去の自分を責め立てるかのように、言葉の端々に潜む棘を隠すことができなかった。
だがそれは、フランドールに単なる八つ当たりをしたのと変わらない。
彼女は自分より年上とはいえ、精神的にはまだまだ幼いのだ。
ああいう言い方をしてしまっては、伝わるものも伝わらない。
「大丈夫ですよ、パチュリー様。フラン様は根に持つようなお方じゃありませんから。でも、今度いらっしゃった時に優しく接してあげてくださいね」
「……そうね。ありがとう、こぁ」
「どういたしまして」
こちらの心を見透かしたかのように励ましてくれる小悪魔に微笑みかけ、パチュリーは読書に戻った。
◆ ◆ ◆
「ぐすっ、ふえ……めーりん……」
「ど、どうしたんですか、フラン様!?」
紅魔館の正門近く。
門番として立っている紅美鈴は、泣きながら走ってきたフランドールを優しく抱きとめた。
「パチュリーにね、怒られたの……ぐすん……」
「パチュリー様に? ふむ、何があったか教えていただけますか?」
優しくあやしながら問いかけると、鼻を鳴らしつつフランドールが事情を話し始めた。
全てを聞き終えた美鈴は、しゃがみこんでフランドールと同じ目線になると、目を見て微笑みかけた。
「私は、フラン様の優しい気持ちはとてもいいことだと思います」
「ほんと?」
「ええ、ですが……」
ポン、と頭の上に手を置き、安心させるように撫でながら美鈴が続ける。
「優しさというのは、受け取る側によっては時に優しさではなくなることがあるんです」
「……そうなの?」
「私は庭の花の世話をしています。花に水をやるのは、綺麗な花を咲かせてほしい、という一種の優しさです」
「うん」
「では、同じように私がフラン様に水をかけたらどうでしょう? 弾幕ごっこで汚れたから綺麗になってほしい、と私が言ったとしても、フラン様はお嫌でしょう?」
「うん、やだ……」
吸血鬼のフランドールは、流水が苦手だ。
それを聞き、美鈴がにっこり笑う。
「それと同じことです。フラン様の、咲夜さんが好きでずっと一緒に居て欲しいという優しさは、大切なことだと思います」
でも、と続けて、
「それは、人間として生をまっとうしたい咲夜さんにとって、もしかしたらほんの少し、困ったお願いなのかもしれません」
一息。
「一番大切なことは、相手の気持ちになって考えてあげることだと思いますよ」
「相手の……気持ちになって……」
フランドールは、今度は泣かなかった。
美鈴の言葉を聞き、頭に入れ、口に出し、そして胸に刻む。
自分のしようとしたことがどういうことだったのかを受け入れ、理解できた。
だが、悲しいという感情まではコントロールしきれなかった。
「わかった……。わたし、パチュリーに謝ってくる」
「ええ、ですがもう少し。もう一つだけ、私の話を聞いてください」
疑問符を宙に浮かべたような表情のフランドールに、美鈴は人差し指をピンと立ててウィンクをした。
◆ ◆ ◆
再び、図書館にて。
本を読んでいたパチュリーは、何者かに服の裾を、くい、と引っ張られてそちらを見た。
そこには先ほど泣いて出て行ったフランドールの姿があった。
「妹様……さっきは、」
「パチュリー、さっきはごめんね!」
パチュリーが謝るより先に、フランドールがぺこりと頭を下げた。
予想外の行動に面食らうパチュリーをよそに、目の前の少女が続ける。
「勝手に咲夜を不老不死にしようとしちゃだめだよね。もう言わないから、許してくれる……?」
眉尻を下げ、不安げに見つめてくるフランドールに、今度こそパチュリーが誰にでも分かるように微笑む。
「ええ、もちろん。私もさっきは言いすぎたわ。ごめんなさい」
「ううん、平気!」
二人の間にわだかまりが無くなったのを、近くで書庫整理をしていた小悪魔が優しく見守っている。
仲直りが終わり、フランドールがいつものように元気な調子で話し始める。
「あのね、ちょっと教えて欲しいことがあるの」
「何かしら?」
「春の七草って、なあに?」
「春の七草――古くは旧正月の七日目に、健康や長寿を願ってお粥に入れて食べた野草のことね。セリやナズナが挙げられるわ」
でもどうして、と問いかけるより前にフランドールが笑顔で、
「あのね、七草粥を作って、咲夜に食べてもらおうと思ってるの!」
「七草粥を、咲夜に?」
フランドールは美鈴との会話を話して聞かせた。
相手の意思を無視した優しさの押し付けは、時として相手の負担になりえること。
春の七草を粥にいれた七草粥は、昔から健康長寿を祈願して食べる習慣があること。
好きな人に健康で長生きして欲しいという気持ちは、誰しもが持つ自然な願いだということ。
私はどんな草か知らないので、仲直りがてら、パチュリー様に聞いてきてはどうかと言われたということ。
「なるほど……」
一部始終を聞いたパチュリーは、しばし考え、そして微笑んだ。
「いいんじゃないかしら。そういうことなら、私も協力させてもらうわ」
「ほんと? ありがとう!」
パッと顔を綻ばせるフランドールと、小悪魔を呼ぼうと辺りを見回すパチュリー。
そしてパチュリーは、植物図鑑を手にすぐ傍に控えている小悪魔を見つけ、微笑んだ。
◆ ◆ ◆
「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ……」
紅魔館を出たフランドールが、パチュリーに貸してもらった図鑑を読み上げる。
季節はおあつらえ向きに2月。
旧正月頃にあたる今の時期なら、これらを見つけるのは不可能ではないだろう。
この時期にしては日差しがやや強いため、日傘は必須であるが、夏場に比べれば屋外にいても危険は少ない。
どうやら貴重な図鑑を持たせてくれたらしく、幻想郷では珍しいカラー印刷と、それぞれの群生地などの情報も載っている。
フランドールが一人で探すことにパチュリーは反対したが、まだ寒さの残る折、身体の弱い彼女が付き添うことは難しい。
小悪魔もパチュリーのお世話があり、美鈴にも門番という役目がある。
咲夜に探させるのは論外であるし、レミリアに言えば一人での外出禁止令が出るのは想像に難くない。
メイド妖精に手分けして探させる手もあるが、妖精はあまり言うことを聞かないのと、咲夜のために頑張りたいというフランドールの意志を尊重し、レミリアや咲夜には無断で出てきた。
後で怒られるだろうが、三人とも庇ってくれると言ってくれたし、咲夜や、あれで存外寂しがり屋なところのある姉のためなら、怒られることは苦ではなかった。
「これぞ、春の七草、かあ。頑張らなくちゃ!」
「春? 春ですかー?」
大きめの独り言を呟いたフランドールの声に反応したものがあった。
振り向くと、そこには少女が一人。
「……あなた、誰?」
「春ですよー」
「ハル? それがあなたのお名前?」
「はーるでーすよー」
微妙にかみ合ってない会話を投げかけてくるのは、自分と同じくらい小柄な一人の少女。
何が楽しいのか、ずっと笑顔を絶やさないその表情から、敵意のようなものは読み取れない。
上下をゆったりした白い服に包み、頭にも白く、大きな塔のような帽子。
それぞれに赤い波線のラインがアクセントとして入っており、背中の大きな三対の羽から、妖精だと分かる。
春を告げる妖精、リリーホワイトだ。
2月と時期的にはまだ早いが、春先のような陽気につられ、平地に降りてきているのだろう。
だが、フランドールはリリーホワイトのことを知らない。
妖精といえば、館のメイド妖精や、湖に住んでいる氷の妖精、それにその友達の緑髪の妖精しか見たことがなかったフランドールは、一人で出てきた寂しさも相まって更なる会話を試みた。
「そう、あなたハルって言うのね。ねえハル。あなた妖精よね。妖精なら植物のある場所って分からない?」
そう言って、図鑑の春の七草のページを見せる。
言葉が通じたのか分からないが、しばし本を覗き込んでいたリリーホワイトは、やがて顔をあげると笑顔のまま、フランドールの手をとって歩き始めた。
◆ ◆ ◆
「すごい! ハルって天才ね!」
どこかの氷精のような台詞は、フランドールのもの。
リリーホワイトことハルに連れられるままについていくと、的確に七草のある場所に到着する。
まだ十分に育っていないものもあったが、このハルという妖精には特殊な力があるらしく、花や木に近づくだけで小さな芽は成長し、つぼみは大きくなり花開く。
フランドールは、図鑑の写真と慎重に見比べながらそれを収穫していく。
スズナ(カブ)やスズシロ(大根)は野生のものが見当たらなかったが、竹林の中に住まいを構えるフジワラという人間に事情を話して分けてもらった。
集めている理由を話したとき、一瞬だけ切ないような寂しいような、曰く表現しがたい表情を見せたのが印象に残っている。
その人間に草を入れる手提げのカゴをもらい、種類別に並べる。
「セリ、ナズナ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ……残りはゴギョウだけだね!」
「春ですよー」
リリーホワイトは嬉しそうに宙を舞い、羽を小刻みに振動させて奇妙な音を立てている。
一緒に喜んでくれているのだろうと判断し、嬉しくなる。
「もう一つだけだから、これもお願いね、ハル!」
ゴギョウの写真を指差し、リリーホワイトに見せる。
リリーホワイトはそれを確認し、春ですよーと言いながら足取りも軽やかに歩いていく。
フランドールは横に並んで歩きながら、ふと後ろを振り返る。
二人が歩いた後には、色とりどりの花木が芽吹き、景色に彩を添えている。
紅魔館の庭の花も綺麗だが、外にこうして生えている花の美しさに見とれていると、後ろで何やら怒鳴り声が聞こえ、先行していたリリーホワイトが驚いたような声を挙げていた。
「やい、お前! なんでもう出てきてるんだ!」
「は、春ですよー?」
「あれ、チルノ?」
リリーホワイトに人差し指を突きつけ、怒り心頭の様子で言葉を浴びせているのは、紅魔館のすぐ傍の湖に住まう氷の妖精、チルノだった。
チルノとフランドールは見知った仲で、いつも一緒に居る大妖精も交えて遊ぶこともある。
今日のところは、大妖精の姿は見えないようだが。
「フランじゃん。どうしてここに、ってそれより……」
チルノはフランドールの存在に一瞬気を取られたようだが、すぐにリリーホワイトの方に向き直る。
「お前が出てくると、レティが困るんだ! まだ冬は終わらせないから帰れ!」
「春ですよぅ……」
「まだ春じゃないやいっ! あっちいけ!」
その言葉とともに辺りの気温が下がり、チルノの周りに氷が出現する。
氷精特有の、氷の弾幕だ。
その狙いはフランドールにもわかる。
どうやらチルノは、このハルという妖精を嫌っているらしい。
狙われているのはリリーホワイトにも分かっているが、気温が比較的高いとはいえまだ季節は冬。
全盛期の力はないためか、立ちすくんで逃げ遅れていた。
いつも笑顔を絶やさないその表情にも、焦りの色が見える。
「凍符『パーフェクトフリー……』」
「チルノやめて!」
「ッ……!?」
フランドールが両手を広げ、今まさに弾幕を放とうとしていたチルノとリリーホワイトの間に割ってはいる。
その手には、カゴはもちろん日傘もない。
放り出した日傘は無風の宙を舞い、ふわりとチルノの傍に落ちた。
それを見たチルノは驚いた表情を浮かべ、すんでのところで弾幕の狙いを空中へと変更した。
フランドールがほっと胸をなでおろしたのもつかの間、チルノが怒りの矛先をこちらへと向けてきた。
「何するのさフラン! そこどきなよ! あたいの邪魔をするなら、いくらアンタでもやっつけちゃうからね!」
本気でやりあえば妖精が吸血鬼に敵うわけがないのだが、そこは友達同士。
フランドールはチルノへの攻撃姿勢も見せず、なおも両手を広げてリリーホワイトを守ろうと立ちふさがっていた。
2月とは言え太陽の光がフランドールの身体に突き刺さる。
チリチリと火傷にも似た痛みが、肌の露出した部分を焼く。
だがフランドールは、それには一切構うことなく、
「ハルのこと、いじめないで!」
「ハル? その春告精のこと?」
「うん。ハルは、わたしが春の七草を集めるのを手伝ってくれてるの。だから、お願い」
「そんなのっ……あたいには関係ないよ! そいつが出てきたら、レティは居なくなっちゃうんだ!」
目をぎゅっと瞑り、搾り出すように叫ぶチルノ。
レティという名前には、フランドールも聞き覚えがあった。
「レティ、って、チルノがいつも言ってる?」
「そうだよ、レティは冬の妖怪だから、冬しかあたいと遊べないんだ」
そして、フランドールの後ろで怯えたように縮こまっているリリーホワイトを憎々しげに睨み付ける。
「その春告精が出てくると、冬は終わっちゃう。今日は暑くてレティが元気なくて、偵察にきたらあちこちで花が咲いて……だから花が咲いているところをずっと追ってきたんだ!」
そこでリリーホワイトを見つけ、追い払って春がくるのを阻止しようとしたのだ。
目じりに涙まで浮かべて、チルノがリリーホワイトに吼える。
「まだ2月なのに……レティともっともっと遊びたいのに! お前なんかどっかいっちゃえ!」
ずきり、とフランドールの胸が痛む。
好きな相手と一緒に居られなくなる悲しみは、身近な人を失った経験の無い自分にはよく分からない。
でも、レミリアや咲夜、他の紅魔館のみんなが、もし自分の傍から居なくなったら――
そんなこと、考えたくもなかった。
“優しさというのは、受け取る側によっては時に優しさではなくなることがあるんです”
美鈴が自分に言ってくれたことを思い出す。
ハルの存在は、春の七草を集めたいわたしにとって、とても優しく、そして頼もしい。
だけどチルノにとっては、大好きなレティとの別れを象徴する、不吉な存在。
“一番大切なことは、相手の気持ちになって考えてあげることだと思いますよ”
「あ……」
リリーホワイトを守ろうとするフランドールの両手が、力なく下がっていく。
想像してしまったのだ。
もし、自分がチルノだったら。
憎くて仕方ない相手を追い払おうとして、その相手を友達が庇っていたら。
泣きたく、なるだろう。今、目の前で泣いている友人のように。
「チル、ノ……わたし……」
名前を呼ぶ声に応じて、はらはらと泣きぬらしているチルノと目が合う。
だが、かける言葉は見つからない。
チルノの気持ちに立って考えたら、自分がやったことは、とても酷い。
「ぐすっ、どいて……」
溢れる涙を袖で乱暴にぬぐい、歩いてくるチルノ。
もはやそれを止める力も言葉もなく、そのまま体勢を横にして、道をあけてしまう。
横目で、すがるように自分を見つめるハルの姿が見えたが、がんじがらめになったフランドールの心は、動くことを許さない。
「お前さえいなきゃ……!」
リリーホワイトの前に立ったチルノが、右腕を振り上げる。
弾幕が背後に展開され、今まさに発動しようとしたその時――
「待ちなさい、チルノ」
凛と響く声が、その動きを制した。
◆ ◆ ◆
「レティ!」
今しがたまで怒りに満ちていたチルノが、その声の主を見ただけで頬を緩ませる。
だが、すぐに焦りの表情を浮かべる。
レティと呼ばれたのは、薄紫を基調とした服に身を包んだ、落ち着いた雰囲気の女性。
フランドールもチルノに話は聞かされていたが、こうして実際に会うのは初めてだ。
レティ・ホワイトロック。
冬の忘れ物。
冬にのみ活動する妖怪。
チルノはリリーホワイトのことなど忘れたかのように、レティの元へ駆け寄っていく。
「レティ、今日は暑いから、木陰から出ちゃだめって言ったじゃない!」
並んで立つと、チルノはレティのみぞおちくらいまでの身長しかない。
キャンキャンわめいているチルノと、それをなだめる様子も相まって、まるで親子のようだ。
「あたいが今からあいつをやっつけるから! 春なんてこさせない! ずっと冬が続けば、レティとずっとずーっと一緒にいられるんだから!」
子供のようにはしゃぐチルノを、レティが静かな目で見つめる。
そして、大きな青いリボンが映えるその頭に優しく手をかざし、緩やかな口調で話し始めた。
「チルノ、貴女が私を想って、そうやって行動してくれる気持ちはとても嬉しいわ」
でもね、と言葉を繋ぎ、
「貴女が言うように、ずっと冬が続いたらどうなると思う?」
「どうなるって、ずっと一緒に……」
自分を見つめるレティの目が真剣なことに気づいたのだろう、チルノの発言が尻すぼみになって消える。
しばしの無音。
そしてレティが、
「永遠に続く冬。それはもはや四季の境界をなくすと言ってもいい。そして、やがて冬が冬でなくなる」
リリーホワイトと、いつの間にか移動してその傍に寄り添っているフランドールを見やって。
「私やそこの春告精のように四季に縛られた存在は、四季が移ろい行くからこそ存在意義を保てるの」
一息。
「四季の区別が無くなれば、私たちの存在も消える。誰も春を知らなかったら、春を告げたって誰も聞きやしない。誰も冬を知らなかったら、忘れ物はただの忘れ物でしかない」
チルノはもう、レティを見ていなかった。
レティの服にすがりつき、顔を埋めている。
こちらからは見えないが、肩を震わせて泣いているのだろう。
自分がやろうとしていたことの重大さを理解して。
レティはそんなチルノの背中をポンポンと優しく慰めてやりながら、尚も続ける。
「大丈夫。実際にはそんなことできないし、貴女の優しさはちゃんと分かっているから」
でも、と続けて。
「チルノが私のために誰かを傷つけたって、私は嬉しくない。ううん、むしろ悲しいわ。そんな私の気持ちを分かってくれるなら、どうすればいいか、分かるわね……?」
こちらに背を向けたまま、チルノが頷くのが分かる。
そして泣きぬらした顔のままわたしとハルのそばに来て、謝罪の言葉を口にした。
「びどいごどじで、ごべんなざい……」
わたしには、チルノの気持ちが痛いほど分かった。
好きな相手のためにやったことが、実はその人にとって重荷になっていたら――
でも、わたしもチルノも幸せだ。
間違った行動をしたときに、それに気づいてちゃんと叱ってくれる人が、すぐそばに居るんだから。
わたしもハルも、笑顔でチルノと仲直りをした。
◆ ◆ ◆
「春ですよー」
「あ、あった!」
ハルが指差す先には、まだ花こそつけていないものの、図鑑の写真とそっくりなゴギョウが生えている。
十分な大きさなので花を咲かせてもらうことはせずに、摘んでいく。
そこから少し離れたところで、レティとチルノがわたしたちを眺めていた。
チルノが落ち着いたあと、春の七草を集めている理由を聞いたレティは、こう言った。
「私たちは幻想郷が在り続ける限り、毎年こうして会うことができる。でも人間は、どんなに長くても数十年しか生きられない。それがどんなに寂しいことか、貴女にもわかるわよね?」
問われたチルノは目じりを擦りながら頷く。
その頭を、レティが愛しそうに撫でている光景が記憶に残っている。
そんなことを思っていると、いつの間にかレティが近づいてきてわたしたちに話しかけた。
「お願いがあるんだけど、いいかしら?」
「なあに?」
「良かったら、そこのゴギョウを少し分けてもらえないかしら……?」
「うん、いいよ!」
わたしが少しスペースを開けると、レティがありがとうと言って数本のゴギョウを摘み取り、ハルに向かって、
「さっきは私のせいで怖い思いをさせてしまってごめんなさいね」
「春ですよー……」
「もし許してもらえるのなら、このゴギョウの花を咲かせてもらえないかしら?」
そう言って、手に軽く握ったゴギョウをハルの方に差し出す。
ハルはレティとゴギョウを交互に見て、にっこり微笑みながらゴギョウごと、レティの手を包み込むように握る。
するとゴギョウは瞬く間につぼみをつけ、黄色く美しい花を咲かせた。
「ありがとう。貴女たちも優しい子ね。よかったら、これからもあの子と仲良くしてあげてね」
「うん! チルノは友達だよ!」
「春! ですよー!」
レティはわたしたちの頭を優しく撫でてくれながら、
「ありがとう。お詫びのはずがお願いばかりになってしまってごめんなさい」
そうして、
「チルノ」
黄色く彩られたゴギョウを受け取ったレティは、後ろでぼんやりと見ていたチルノに振り返り、
「これを、貴女に」
「え? あ、ありがとう……」
突然のプレゼントに戸惑った様子のチルノに、クス、と笑いかけて、レティ。
「ゴギョウの花言葉は確か、『いつも思う』だったわ」
腰を落とし、チルノと同じ目線になったレティが続ける。
「例え傍にいなくても、会いたいときに会えなくても、いつも相手のことを思っている。それが本当の優しさじゃないかしら。ほら、もう元気を出して?」
「……うん!」
それを聞いたわたしは、ハルに頼んでまた数本のゴギョウに花を咲かせてもらうことにした。
◆ ◆ ◆
紅魔館。
レティやチルノと別れて帰途に着く。
門をくぐるわたしの後ろには、ハルの姿もある。
どうやら今日一日で、すっかり懐かれてしまったらしい。それは、あまりお友達のいないわたしにとっても嬉しいことだ。
辺りは既に薄暗く、門に美鈴の姿はない。
館の扉を開けたところで、腕を組んで怒った様子のお姉様と、少し後ろに控える咲夜が目に入った。
さらにその後ろには、パチュリーと小悪魔、そして美鈴の姿も見える。
「おかえり、フラン」
「……ただいま、お姉様」
「他に何か言うことは無いかしら?」
「……ごめんなさい」
覚悟はしていたものの、やっぱり怒られるとしょんぼりしてしまう。
けれど、それを聞いていたお姉様は腰に手を当てて、ふう、と息を吐いた。
「もう、そうしおらしく謝られちゃ、これ以上怒れないじゃないの。勝手に出歩いた理由も理由だし、ね。特別に今回は不問にしてあげるわ」
その言葉にパッと顔を上げると、苦笑しているお姉さまの後ろで、美鈴が親指を立ててウィンクしてて。
パチュリーと小悪魔も微笑んでて。
「さ、フラン。咲夜に何か渡したいもの、あるんでしょう?」
「え……?」
その声を挙げたのは、咲夜。
気づけばお姉様も笑顔で、私を後押ししてくれる。
後ろに控えていた咲夜も、美鈴に押される格好で前にでてきて。
一人だけ何も聞かされてない様子の咲夜は、キョトンとしてて。
わたしは、腕にひっかけていたカゴを両手に持ち直して、咲夜に話しかける。
「えっとね、咲夜にプレゼントがあるの」
「フラン様が、私にですか? 光栄ですわ」
ふ、と柔らかい笑みを浮かべてくれた咲夜に、カゴに載せていた布切れを取って見せる。
緑、白、黄色、ピンク……色とりどりの七草を渡す。
「これ、春の七草っていうの。あのね、これでお粥を作って食べると、健康で長生きできるんだって。だからね、咲夜に食べてもらいたいなって」
「……フラン様……」
カゴを手に持っていた咲夜が、いつの間にか膝をついて。
カゴを両手で床に置いて、空いたその手で私を抱きしめてくれた。
「ありがとうございます……。こんなに想ってもらえて私は、幸せです」
「えへへ……ずっと元気で、長生きしてね。咲夜は、わたしたちの大事な家族なんだからね!」
「はい、もちろん。身寄りの無い私にとって、『同族』になることよりも、こうして『家族』になれたことこそ、至上の喜びですわ」
暖かな空気が流れる中、開きっぱなしだった玄関の扉から、リリーホワイトが顔を覗かせる。
レミリアがそれに気づき、声をかける。
「あら、見慣れない妖精ね。ウチのメイドでもないようだし……」
「あ、その子はハルっていうの! わたしが七草を集めるのを、ずーっと手伝ってくれたんだよ!」
「そうだったの。ハル、遠慮せず入っていらっしゃい」
「春ですよー」
羽を震わせながら入ってくるリリーホワイト。
和やかな雰囲気に、心が軽くなっているようだ。
「ようこそ、紅魔館へ。妹がお世話になったそうね。姉として、お礼を言うわ」
スカートの裾を指で軽くつまみ上げ、貴族式の礼をするレミリア。
対するリリーホワイトは首をかしげ、そして全く同じ仕草をした。
「あら、なかなか行儀のいい子ね。フランとも仲良くなったのなら、この館で雇ってもいいかもね。特別高待遇でいいわ。ねえ、咲夜?」
そんな提案をするお姉様に、わたしは言う。
人差し指をピンと立てて、ちょっとだけ得意顔で。
「だめだよ、お姉様。ハルには、幻想郷に春を知らせるっていう大切な役目があるの」
「春? 春ですよー」
「いくら高待遇にしたって、それはハルのためにならないの」
それにね、と繋いで
「一番大切なことは、相手の気持ちになって考えてあげることなんだよ。わかった?」
誰かさんの受け売りをして、美鈴にウィンクしてみせる。
それを見た美鈴も、ウィンクを返してくれる。
お姉様はというと、肩をすくめて苦笑を一つ。
「やれやれ、説教してやるつもりで待ち構えてたのに、逆にされちゃったわね」
そのまま回れ右をして、屋敷の奥に歩いていく。
そして、
「フラン。夕食には、その妖精も招いてあげなさい。それくらいなら、構わないでしょう?」
その言葉にわたしは嬉しくなって、ハルみたいに羽を震わせて喜んだ。
「うんっ!」
その日の食卓には、黄色い花を咲かせたゴギョウが、小さな可愛い花瓶に飾られていた。
◆ ◆ ◆
数週間後。
幻想郷の空を、一人の妖精が飛ぶ。
その妖精が通った後には、眼下の木々や花々が咲き乱れている。
「春ですよー。はーるでーすよー」
春は、もうすぐそこにきている。
湖の見渡せるこの場所で、紅魔館の主である吸血鬼のレミリア・スカーレットと、その妹のフランドール・スカーレットがティータイムを楽しんでいた。
紅茶やケーキの並ぶテーブルの脇には、館で唯一の人間でありメイド長でもある十六夜咲夜が給仕として控えている。
姉であるレミリアは、妹のフランドールに気高き吸血鬼としての立ち居振る舞いを伝授しているようだ。
どこか得意げに話すレミリアと、しきりに頷きながら聞き入っているフランドールを眺めながら咲夜は思う。
幻想郷に来てから、このお二人は本当に変わられた。
以前はこうして一緒にお茶を飲むことはおろか、会話すらまともにない時期もあった。
他者との交流もなく、紅魔館という空間で一緒に暮らしながら、互いに存在しないかのように避けあっていた姉妹。
幻想郷に移り住んできた当初もそれは同じだったが、様々な人間や妖怪たちに関わるうちにいつしか二人は丸くなり、社交的になり、そして仲直りをした。
この館で唯一の血の繋がった姉妹でありながら、まるで他人のように振舞っていた彼女たちは、何百年ぶりかに『家族』に戻ったのだ。
楽しげな雰囲気に身を置きながら、どこか心地よい暖かさを感じるのは姉妹の和やかな表情だけが原因ではあるまい。
まだ2月の中旬とやや肌寒くはあるが、今日はいつになく暖かく、初春のように過ごしやすい。
春の息吹は芽吹きつつあるようだ。
と、会話にひと段落ついたらしいレミリアが私を見ていることに気づく。
自分の世界に没頭するあまり、紅茶かケーキのおかわりが遅れたのかと内心で焦ったが、どちらもまだ十分にある。
そこまでを一瞬で思考したところで、レミリアが口を開いた。
「ねえ、咲夜。いつかの夜にも一度聞いたけれど、もう一度聞かせてちょうだい。――貴女も私たちの同族にならない? そうすれば、ずっと一緒にいられるわ」
永い夜の異変で聞かれたその問いかけ。
あれからしばしの時を経た今でも、それへの返答を変えるつもりは毛頭ない。
目を閉じ、静かにかぶりを振る。
「いいえ、お嬢様のお願いとあっても、そればかりは聞き入れられませんわ」
「そう。咲夜がそう言うのなら仕方ないわね」
いつもはわがまま、気ままなお嬢様が、この件に関してだけは私の意志を尊重してくださる。
そのことに感謝しつつ、主に頭を下げる。
「もう下げて頂戴な。美味しかったわ」
「ごちそうさま、咲夜!」
主よりのお褒めの言葉に胸躍るものを感じつつ、時を止めて一瞬で片付ける。
テーブルに何も無くなった状態で時間停止を解除し、恭しく礼をして下がる。
どこまでも忠実な従者がいなくなったのを見て、フランドールが疑問を口にする。
「ねえお姉様、咲夜はどうして吸血鬼にならないのかなぁ? ずっと一緒の方が楽しいのに」
「なぜだろうね。寿命が短い連中の考えることはよく分からないわ」
寂しさを押し隠すように、肩をすくめながら軽い口調で返事をするレミリア。
だが、その顔には珍しく憂いを含んだ表情を見せている。
「さあ、お茶会はもうおしまい。部屋に戻りなさい、フラン」
「……」
そんな姉の姿を見たフランドールは、去っていくその後ろ姿を無言で見送った。
◆ ◆ ◆
「魔女になる方法を教えろですって?」
紅魔館地下の大図書館。
そこの主である魔法使い、パチュリー・ノーレッジのところにフランドールは来ていた。
珍しい来客にパチュリーは椅子を勧め、ついでに紅茶をと言ってくれたが先ほど飲んだばかりとあって遠慮した。
「うん。あのね、咲夜を魔女にしてほしいの」
「……ちょっと待って、話が見えないのだけれど」
目を閉じて頭の中を整理しはじめた生粋の魔女に求められるまま、フランドールは先ほどのことを説明した。
「成る程。咲夜が吸血鬼になってくれないから、魔法使いにして不老不死にしたいって事でいいかしら」
「うん。ナントカって虫を魔法でやっつけちゃえば、死ななくなるって魔理沙から聞いたことあるよ! だから、咲夜にその魔法を教えてあげてほしいなって」
捨虫の法。
人間の身体の中には、寿命を減らしている虫が存在しているという。
この魔法を習得することで、その虫を殺し、肉体の成長を止めることができる。
成長を止めるということは、言い換えれば老いを止めるということだ。
パチュリーは生まれつきの種族・魔法使いであるが、人間の魔法使いはこの魔法を習得することによって不老不死を得る。
期待のまなざしを送るフランドールを、しかしパチュリーは無表情で受け止めた。
「それは、咲夜が望むことなのかしら」
「うーん……わかんないよ。でも、パチュリーも咲夜にずっと居て欲しいでしょ?」
今度はすがるような視線を投げかけるフランドール。
その目を受け止めたパチュリーはため息を一つ。
できるだけゆっくり、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「いいかしら、妹様。咲夜は貴女のペット? 玩具? 奴隷?」
「ううん、違うよ。咲夜はそんなんじゃない」
「そう、レミィに仕える従者の立場でこそあるけれど、彼女はこの紅魔館の一員。言うなれば、ここで一緒に暮らす『仲間』であり、『家族』よ。ここまではいい?」
「うん」
こっくりと頷くフランドールを見て、やや表情を緩めるパチュリー。おそらく、フランドールには分からない程度であるが。
だが、それとは裏腹に言葉は鋭く、そして冷たい。
「そんな一つの独立した相手に対して。人間として生まれ、人間として死ぬことを望む彼女に、不老不死になることを強要するのは、相手の意思を尊重しない、とてもおこがましい行為よ」
「……」
「そういうのを、種族的強者の傲慢と呼ぶのよ」
「……」
持つものが持たざるものに「なぜ持たないのか」と問いかけるのは容易い。
だが、持たざるものにも事情があり、理由があり、そして信念がある。
生まれつき持っているものが、持っていないものにそれを問うのは礼を欠く。
それが分かっているからこそ、レミリアは戯れのように問いかけることがあっても、主従関係を利用して命令はしない。
パチュリーはそれをフランドールに教えたかったのだが、言葉を選ばなかった。もとい、どうしても選べなかった。
そのため、誤解と軋轢が生じてしまったらしい。
無言になった彼女をちらと見やると、大きな瞳にこんもりと涙を浮かべて身体を震わせていた。
そのまま回れ右をして走っていくフランドールを呼び止めることもできず、ただ見送るだけのパチュリー。
しまったという風に目を瞑り、再びため息を一つ。
「……言い過ぎたわ。私も感情のコントロールがまだまだ未熟ね……」
「パチュリー様……」
いつのまにか近くに来ていた小悪魔が、気遣うように声をかけてくる。
「こぁ、聞いていたの?」
「ええ、立ち聞きするつもりはなかったんですが……」
「見てのとおりよ。私としたことが、あの子を傷つけてしまったわ」
「でも、パチュリー様が言ったことが間違っているとは思いません」
「……」
頭に浮かぶは、いつも突然やってきては迷惑ばかりかけていく、閃光のような人間の魔法使いの少女。
以前、彼女に対して先ほどのフランドールと同じような事を言った記憶が甦る。
「貴女なら、捨虫の法を習得できる。もし望むなら、手伝うことは惜しまない」
それは純粋に、一緒の時を過ごしたいという想いからの言葉だった。
だが彼女は照れくさそうに頭をかきながら、その申し出を断った。
思わず感情的に理由を問い詰めるパチュリーに、その魔法使いは言った。
私は人間のまま強くなりたい。弾幕ルールあるとはいえ、妖怪と人間の潜在的力量差は圧倒的だ。
一部の、本当に一部の特別なやつらは自衛ができるかもしれないが、一般人は未だ狭い人間の里からほとんど出ようとしない。
だから私が、特別な血筋も能力もない普通の人間である私が、人間のまま強くなって幻想郷中を飛び回っていれば……弱い種族の人間でも、ここまで強くなれるんだって証明になるかもしれない。
だから私は妖怪にはならない。ヒトとして生き、ヒトとして死んでいく。
それが普通の魔法使いの私にできる、唯一のやり方なんだ。
この言葉を聞き、パチュリーは己の愚かさを恥じた。
ただ近くに居て欲しいという劣情にも似た感情から、彼女の崇高なる信念を侮辱したに等しいと考えた。
先ほどのフランドールの発言は、そんな過去の自分を見ているようでパチュリーには耳が痛かった。
ゆえに過去の自分を責め立てるかのように、言葉の端々に潜む棘を隠すことができなかった。
だがそれは、フランドールに単なる八つ当たりをしたのと変わらない。
彼女は自分より年上とはいえ、精神的にはまだまだ幼いのだ。
ああいう言い方をしてしまっては、伝わるものも伝わらない。
「大丈夫ですよ、パチュリー様。フラン様は根に持つようなお方じゃありませんから。でも、今度いらっしゃった時に優しく接してあげてくださいね」
「……そうね。ありがとう、こぁ」
「どういたしまして」
こちらの心を見透かしたかのように励ましてくれる小悪魔に微笑みかけ、パチュリーは読書に戻った。
◆ ◆ ◆
「ぐすっ、ふえ……めーりん……」
「ど、どうしたんですか、フラン様!?」
紅魔館の正門近く。
門番として立っている紅美鈴は、泣きながら走ってきたフランドールを優しく抱きとめた。
「パチュリーにね、怒られたの……ぐすん……」
「パチュリー様に? ふむ、何があったか教えていただけますか?」
優しくあやしながら問いかけると、鼻を鳴らしつつフランドールが事情を話し始めた。
全てを聞き終えた美鈴は、しゃがみこんでフランドールと同じ目線になると、目を見て微笑みかけた。
「私は、フラン様の優しい気持ちはとてもいいことだと思います」
「ほんと?」
「ええ、ですが……」
ポン、と頭の上に手を置き、安心させるように撫でながら美鈴が続ける。
「優しさというのは、受け取る側によっては時に優しさではなくなることがあるんです」
「……そうなの?」
「私は庭の花の世話をしています。花に水をやるのは、綺麗な花を咲かせてほしい、という一種の優しさです」
「うん」
「では、同じように私がフラン様に水をかけたらどうでしょう? 弾幕ごっこで汚れたから綺麗になってほしい、と私が言ったとしても、フラン様はお嫌でしょう?」
「うん、やだ……」
吸血鬼のフランドールは、流水が苦手だ。
それを聞き、美鈴がにっこり笑う。
「それと同じことです。フラン様の、咲夜さんが好きでずっと一緒に居て欲しいという優しさは、大切なことだと思います」
でも、と続けて、
「それは、人間として生をまっとうしたい咲夜さんにとって、もしかしたらほんの少し、困ったお願いなのかもしれません」
一息。
「一番大切なことは、相手の気持ちになって考えてあげることだと思いますよ」
「相手の……気持ちになって……」
フランドールは、今度は泣かなかった。
美鈴の言葉を聞き、頭に入れ、口に出し、そして胸に刻む。
自分のしようとしたことがどういうことだったのかを受け入れ、理解できた。
だが、悲しいという感情まではコントロールしきれなかった。
「わかった……。わたし、パチュリーに謝ってくる」
「ええ、ですがもう少し。もう一つだけ、私の話を聞いてください」
疑問符を宙に浮かべたような表情のフランドールに、美鈴は人差し指をピンと立ててウィンクをした。
◆ ◆ ◆
再び、図書館にて。
本を読んでいたパチュリーは、何者かに服の裾を、くい、と引っ張られてそちらを見た。
そこには先ほど泣いて出て行ったフランドールの姿があった。
「妹様……さっきは、」
「パチュリー、さっきはごめんね!」
パチュリーが謝るより先に、フランドールがぺこりと頭を下げた。
予想外の行動に面食らうパチュリーをよそに、目の前の少女が続ける。
「勝手に咲夜を不老不死にしようとしちゃだめだよね。もう言わないから、許してくれる……?」
眉尻を下げ、不安げに見つめてくるフランドールに、今度こそパチュリーが誰にでも分かるように微笑む。
「ええ、もちろん。私もさっきは言いすぎたわ。ごめんなさい」
「ううん、平気!」
二人の間にわだかまりが無くなったのを、近くで書庫整理をしていた小悪魔が優しく見守っている。
仲直りが終わり、フランドールがいつものように元気な調子で話し始める。
「あのね、ちょっと教えて欲しいことがあるの」
「何かしら?」
「春の七草って、なあに?」
「春の七草――古くは旧正月の七日目に、健康や長寿を願ってお粥に入れて食べた野草のことね。セリやナズナが挙げられるわ」
でもどうして、と問いかけるより前にフランドールが笑顔で、
「あのね、七草粥を作って、咲夜に食べてもらおうと思ってるの!」
「七草粥を、咲夜に?」
フランドールは美鈴との会話を話して聞かせた。
相手の意思を無視した優しさの押し付けは、時として相手の負担になりえること。
春の七草を粥にいれた七草粥は、昔から健康長寿を祈願して食べる習慣があること。
好きな人に健康で長生きして欲しいという気持ちは、誰しもが持つ自然な願いだということ。
私はどんな草か知らないので、仲直りがてら、パチュリー様に聞いてきてはどうかと言われたということ。
「なるほど……」
一部始終を聞いたパチュリーは、しばし考え、そして微笑んだ。
「いいんじゃないかしら。そういうことなら、私も協力させてもらうわ」
「ほんと? ありがとう!」
パッと顔を綻ばせるフランドールと、小悪魔を呼ぼうと辺りを見回すパチュリー。
そしてパチュリーは、植物図鑑を手にすぐ傍に控えている小悪魔を見つけ、微笑んだ。
◆ ◆ ◆
「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ……」
紅魔館を出たフランドールが、パチュリーに貸してもらった図鑑を読み上げる。
季節はおあつらえ向きに2月。
旧正月頃にあたる今の時期なら、これらを見つけるのは不可能ではないだろう。
この時期にしては日差しがやや強いため、日傘は必須であるが、夏場に比べれば屋外にいても危険は少ない。
どうやら貴重な図鑑を持たせてくれたらしく、幻想郷では珍しいカラー印刷と、それぞれの群生地などの情報も載っている。
フランドールが一人で探すことにパチュリーは反対したが、まだ寒さの残る折、身体の弱い彼女が付き添うことは難しい。
小悪魔もパチュリーのお世話があり、美鈴にも門番という役目がある。
咲夜に探させるのは論外であるし、レミリアに言えば一人での外出禁止令が出るのは想像に難くない。
メイド妖精に手分けして探させる手もあるが、妖精はあまり言うことを聞かないのと、咲夜のために頑張りたいというフランドールの意志を尊重し、レミリアや咲夜には無断で出てきた。
後で怒られるだろうが、三人とも庇ってくれると言ってくれたし、咲夜や、あれで存外寂しがり屋なところのある姉のためなら、怒られることは苦ではなかった。
「これぞ、春の七草、かあ。頑張らなくちゃ!」
「春? 春ですかー?」
大きめの独り言を呟いたフランドールの声に反応したものがあった。
振り向くと、そこには少女が一人。
「……あなた、誰?」
「春ですよー」
「ハル? それがあなたのお名前?」
「はーるでーすよー」
微妙にかみ合ってない会話を投げかけてくるのは、自分と同じくらい小柄な一人の少女。
何が楽しいのか、ずっと笑顔を絶やさないその表情から、敵意のようなものは読み取れない。
上下をゆったりした白い服に包み、頭にも白く、大きな塔のような帽子。
それぞれに赤い波線のラインがアクセントとして入っており、背中の大きな三対の羽から、妖精だと分かる。
春を告げる妖精、リリーホワイトだ。
2月と時期的にはまだ早いが、春先のような陽気につられ、平地に降りてきているのだろう。
だが、フランドールはリリーホワイトのことを知らない。
妖精といえば、館のメイド妖精や、湖に住んでいる氷の妖精、それにその友達の緑髪の妖精しか見たことがなかったフランドールは、一人で出てきた寂しさも相まって更なる会話を試みた。
「そう、あなたハルって言うのね。ねえハル。あなた妖精よね。妖精なら植物のある場所って分からない?」
そう言って、図鑑の春の七草のページを見せる。
言葉が通じたのか分からないが、しばし本を覗き込んでいたリリーホワイトは、やがて顔をあげると笑顔のまま、フランドールの手をとって歩き始めた。
◆ ◆ ◆
「すごい! ハルって天才ね!」
どこかの氷精のような台詞は、フランドールのもの。
リリーホワイトことハルに連れられるままについていくと、的確に七草のある場所に到着する。
まだ十分に育っていないものもあったが、このハルという妖精には特殊な力があるらしく、花や木に近づくだけで小さな芽は成長し、つぼみは大きくなり花開く。
フランドールは、図鑑の写真と慎重に見比べながらそれを収穫していく。
スズナ(カブ)やスズシロ(大根)は野生のものが見当たらなかったが、竹林の中に住まいを構えるフジワラという人間に事情を話して分けてもらった。
集めている理由を話したとき、一瞬だけ切ないような寂しいような、曰く表現しがたい表情を見せたのが印象に残っている。
その人間に草を入れる手提げのカゴをもらい、種類別に並べる。
「セリ、ナズナ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ……残りはゴギョウだけだね!」
「春ですよー」
リリーホワイトは嬉しそうに宙を舞い、羽を小刻みに振動させて奇妙な音を立てている。
一緒に喜んでくれているのだろうと判断し、嬉しくなる。
「もう一つだけだから、これもお願いね、ハル!」
ゴギョウの写真を指差し、リリーホワイトに見せる。
リリーホワイトはそれを確認し、春ですよーと言いながら足取りも軽やかに歩いていく。
フランドールは横に並んで歩きながら、ふと後ろを振り返る。
二人が歩いた後には、色とりどりの花木が芽吹き、景色に彩を添えている。
紅魔館の庭の花も綺麗だが、外にこうして生えている花の美しさに見とれていると、後ろで何やら怒鳴り声が聞こえ、先行していたリリーホワイトが驚いたような声を挙げていた。
「やい、お前! なんでもう出てきてるんだ!」
「は、春ですよー?」
「あれ、チルノ?」
リリーホワイトに人差し指を突きつけ、怒り心頭の様子で言葉を浴びせているのは、紅魔館のすぐ傍の湖に住まう氷の妖精、チルノだった。
チルノとフランドールは見知った仲で、いつも一緒に居る大妖精も交えて遊ぶこともある。
今日のところは、大妖精の姿は見えないようだが。
「フランじゃん。どうしてここに、ってそれより……」
チルノはフランドールの存在に一瞬気を取られたようだが、すぐにリリーホワイトの方に向き直る。
「お前が出てくると、レティが困るんだ! まだ冬は終わらせないから帰れ!」
「春ですよぅ……」
「まだ春じゃないやいっ! あっちいけ!」
その言葉とともに辺りの気温が下がり、チルノの周りに氷が出現する。
氷精特有の、氷の弾幕だ。
その狙いはフランドールにもわかる。
どうやらチルノは、このハルという妖精を嫌っているらしい。
狙われているのはリリーホワイトにも分かっているが、気温が比較的高いとはいえまだ季節は冬。
全盛期の力はないためか、立ちすくんで逃げ遅れていた。
いつも笑顔を絶やさないその表情にも、焦りの色が見える。
「凍符『パーフェクトフリー……』」
「チルノやめて!」
「ッ……!?」
フランドールが両手を広げ、今まさに弾幕を放とうとしていたチルノとリリーホワイトの間に割ってはいる。
その手には、カゴはもちろん日傘もない。
放り出した日傘は無風の宙を舞い、ふわりとチルノの傍に落ちた。
それを見たチルノは驚いた表情を浮かべ、すんでのところで弾幕の狙いを空中へと変更した。
フランドールがほっと胸をなでおろしたのもつかの間、チルノが怒りの矛先をこちらへと向けてきた。
「何するのさフラン! そこどきなよ! あたいの邪魔をするなら、いくらアンタでもやっつけちゃうからね!」
本気でやりあえば妖精が吸血鬼に敵うわけがないのだが、そこは友達同士。
フランドールはチルノへの攻撃姿勢も見せず、なおも両手を広げてリリーホワイトを守ろうと立ちふさがっていた。
2月とは言え太陽の光がフランドールの身体に突き刺さる。
チリチリと火傷にも似た痛みが、肌の露出した部分を焼く。
だがフランドールは、それには一切構うことなく、
「ハルのこと、いじめないで!」
「ハル? その春告精のこと?」
「うん。ハルは、わたしが春の七草を集めるのを手伝ってくれてるの。だから、お願い」
「そんなのっ……あたいには関係ないよ! そいつが出てきたら、レティは居なくなっちゃうんだ!」
目をぎゅっと瞑り、搾り出すように叫ぶチルノ。
レティという名前には、フランドールも聞き覚えがあった。
「レティ、って、チルノがいつも言ってる?」
「そうだよ、レティは冬の妖怪だから、冬しかあたいと遊べないんだ」
そして、フランドールの後ろで怯えたように縮こまっているリリーホワイトを憎々しげに睨み付ける。
「その春告精が出てくると、冬は終わっちゃう。今日は暑くてレティが元気なくて、偵察にきたらあちこちで花が咲いて……だから花が咲いているところをずっと追ってきたんだ!」
そこでリリーホワイトを見つけ、追い払って春がくるのを阻止しようとしたのだ。
目じりに涙まで浮かべて、チルノがリリーホワイトに吼える。
「まだ2月なのに……レティともっともっと遊びたいのに! お前なんかどっかいっちゃえ!」
ずきり、とフランドールの胸が痛む。
好きな相手と一緒に居られなくなる悲しみは、身近な人を失った経験の無い自分にはよく分からない。
でも、レミリアや咲夜、他の紅魔館のみんなが、もし自分の傍から居なくなったら――
そんなこと、考えたくもなかった。
“優しさというのは、受け取る側によっては時に優しさではなくなることがあるんです”
美鈴が自分に言ってくれたことを思い出す。
ハルの存在は、春の七草を集めたいわたしにとって、とても優しく、そして頼もしい。
だけどチルノにとっては、大好きなレティとの別れを象徴する、不吉な存在。
“一番大切なことは、相手の気持ちになって考えてあげることだと思いますよ”
「あ……」
リリーホワイトを守ろうとするフランドールの両手が、力なく下がっていく。
想像してしまったのだ。
もし、自分がチルノだったら。
憎くて仕方ない相手を追い払おうとして、その相手を友達が庇っていたら。
泣きたく、なるだろう。今、目の前で泣いている友人のように。
「チル、ノ……わたし……」
名前を呼ぶ声に応じて、はらはらと泣きぬらしているチルノと目が合う。
だが、かける言葉は見つからない。
チルノの気持ちに立って考えたら、自分がやったことは、とても酷い。
「ぐすっ、どいて……」
溢れる涙を袖で乱暴にぬぐい、歩いてくるチルノ。
もはやそれを止める力も言葉もなく、そのまま体勢を横にして、道をあけてしまう。
横目で、すがるように自分を見つめるハルの姿が見えたが、がんじがらめになったフランドールの心は、動くことを許さない。
「お前さえいなきゃ……!」
リリーホワイトの前に立ったチルノが、右腕を振り上げる。
弾幕が背後に展開され、今まさに発動しようとしたその時――
「待ちなさい、チルノ」
凛と響く声が、その動きを制した。
◆ ◆ ◆
「レティ!」
今しがたまで怒りに満ちていたチルノが、その声の主を見ただけで頬を緩ませる。
だが、すぐに焦りの表情を浮かべる。
レティと呼ばれたのは、薄紫を基調とした服に身を包んだ、落ち着いた雰囲気の女性。
フランドールもチルノに話は聞かされていたが、こうして実際に会うのは初めてだ。
レティ・ホワイトロック。
冬の忘れ物。
冬にのみ活動する妖怪。
チルノはリリーホワイトのことなど忘れたかのように、レティの元へ駆け寄っていく。
「レティ、今日は暑いから、木陰から出ちゃだめって言ったじゃない!」
並んで立つと、チルノはレティのみぞおちくらいまでの身長しかない。
キャンキャンわめいているチルノと、それをなだめる様子も相まって、まるで親子のようだ。
「あたいが今からあいつをやっつけるから! 春なんてこさせない! ずっと冬が続けば、レティとずっとずーっと一緒にいられるんだから!」
子供のようにはしゃぐチルノを、レティが静かな目で見つめる。
そして、大きな青いリボンが映えるその頭に優しく手をかざし、緩やかな口調で話し始めた。
「チルノ、貴女が私を想って、そうやって行動してくれる気持ちはとても嬉しいわ」
でもね、と言葉を繋ぎ、
「貴女が言うように、ずっと冬が続いたらどうなると思う?」
「どうなるって、ずっと一緒に……」
自分を見つめるレティの目が真剣なことに気づいたのだろう、チルノの発言が尻すぼみになって消える。
しばしの無音。
そしてレティが、
「永遠に続く冬。それはもはや四季の境界をなくすと言ってもいい。そして、やがて冬が冬でなくなる」
リリーホワイトと、いつの間にか移動してその傍に寄り添っているフランドールを見やって。
「私やそこの春告精のように四季に縛られた存在は、四季が移ろい行くからこそ存在意義を保てるの」
一息。
「四季の区別が無くなれば、私たちの存在も消える。誰も春を知らなかったら、春を告げたって誰も聞きやしない。誰も冬を知らなかったら、忘れ物はただの忘れ物でしかない」
チルノはもう、レティを見ていなかった。
レティの服にすがりつき、顔を埋めている。
こちらからは見えないが、肩を震わせて泣いているのだろう。
自分がやろうとしていたことの重大さを理解して。
レティはそんなチルノの背中をポンポンと優しく慰めてやりながら、尚も続ける。
「大丈夫。実際にはそんなことできないし、貴女の優しさはちゃんと分かっているから」
でも、と続けて。
「チルノが私のために誰かを傷つけたって、私は嬉しくない。ううん、むしろ悲しいわ。そんな私の気持ちを分かってくれるなら、どうすればいいか、分かるわね……?」
こちらに背を向けたまま、チルノが頷くのが分かる。
そして泣きぬらした顔のままわたしとハルのそばに来て、謝罪の言葉を口にした。
「びどいごどじで、ごべんなざい……」
わたしには、チルノの気持ちが痛いほど分かった。
好きな相手のためにやったことが、実はその人にとって重荷になっていたら――
でも、わたしもチルノも幸せだ。
間違った行動をしたときに、それに気づいてちゃんと叱ってくれる人が、すぐそばに居るんだから。
わたしもハルも、笑顔でチルノと仲直りをした。
◆ ◆ ◆
「春ですよー」
「あ、あった!」
ハルが指差す先には、まだ花こそつけていないものの、図鑑の写真とそっくりなゴギョウが生えている。
十分な大きさなので花を咲かせてもらうことはせずに、摘んでいく。
そこから少し離れたところで、レティとチルノがわたしたちを眺めていた。
チルノが落ち着いたあと、春の七草を集めている理由を聞いたレティは、こう言った。
「私たちは幻想郷が在り続ける限り、毎年こうして会うことができる。でも人間は、どんなに長くても数十年しか生きられない。それがどんなに寂しいことか、貴女にもわかるわよね?」
問われたチルノは目じりを擦りながら頷く。
その頭を、レティが愛しそうに撫でている光景が記憶に残っている。
そんなことを思っていると、いつの間にかレティが近づいてきてわたしたちに話しかけた。
「お願いがあるんだけど、いいかしら?」
「なあに?」
「良かったら、そこのゴギョウを少し分けてもらえないかしら……?」
「うん、いいよ!」
わたしが少しスペースを開けると、レティがありがとうと言って数本のゴギョウを摘み取り、ハルに向かって、
「さっきは私のせいで怖い思いをさせてしまってごめんなさいね」
「春ですよー……」
「もし許してもらえるのなら、このゴギョウの花を咲かせてもらえないかしら?」
そう言って、手に軽く握ったゴギョウをハルの方に差し出す。
ハルはレティとゴギョウを交互に見て、にっこり微笑みながらゴギョウごと、レティの手を包み込むように握る。
するとゴギョウは瞬く間につぼみをつけ、黄色く美しい花を咲かせた。
「ありがとう。貴女たちも優しい子ね。よかったら、これからもあの子と仲良くしてあげてね」
「うん! チルノは友達だよ!」
「春! ですよー!」
レティはわたしたちの頭を優しく撫でてくれながら、
「ありがとう。お詫びのはずがお願いばかりになってしまってごめんなさい」
そうして、
「チルノ」
黄色く彩られたゴギョウを受け取ったレティは、後ろでぼんやりと見ていたチルノに振り返り、
「これを、貴女に」
「え? あ、ありがとう……」
突然のプレゼントに戸惑った様子のチルノに、クス、と笑いかけて、レティ。
「ゴギョウの花言葉は確か、『いつも思う』だったわ」
腰を落とし、チルノと同じ目線になったレティが続ける。
「例え傍にいなくても、会いたいときに会えなくても、いつも相手のことを思っている。それが本当の優しさじゃないかしら。ほら、もう元気を出して?」
「……うん!」
それを聞いたわたしは、ハルに頼んでまた数本のゴギョウに花を咲かせてもらうことにした。
◆ ◆ ◆
紅魔館。
レティやチルノと別れて帰途に着く。
門をくぐるわたしの後ろには、ハルの姿もある。
どうやら今日一日で、すっかり懐かれてしまったらしい。それは、あまりお友達のいないわたしにとっても嬉しいことだ。
辺りは既に薄暗く、門に美鈴の姿はない。
館の扉を開けたところで、腕を組んで怒った様子のお姉様と、少し後ろに控える咲夜が目に入った。
さらにその後ろには、パチュリーと小悪魔、そして美鈴の姿も見える。
「おかえり、フラン」
「……ただいま、お姉様」
「他に何か言うことは無いかしら?」
「……ごめんなさい」
覚悟はしていたものの、やっぱり怒られるとしょんぼりしてしまう。
けれど、それを聞いていたお姉様は腰に手を当てて、ふう、と息を吐いた。
「もう、そうしおらしく謝られちゃ、これ以上怒れないじゃないの。勝手に出歩いた理由も理由だし、ね。特別に今回は不問にしてあげるわ」
その言葉にパッと顔を上げると、苦笑しているお姉さまの後ろで、美鈴が親指を立ててウィンクしてて。
パチュリーと小悪魔も微笑んでて。
「さ、フラン。咲夜に何か渡したいもの、あるんでしょう?」
「え……?」
その声を挙げたのは、咲夜。
気づけばお姉様も笑顔で、私を後押ししてくれる。
後ろに控えていた咲夜も、美鈴に押される格好で前にでてきて。
一人だけ何も聞かされてない様子の咲夜は、キョトンとしてて。
わたしは、腕にひっかけていたカゴを両手に持ち直して、咲夜に話しかける。
「えっとね、咲夜にプレゼントがあるの」
「フラン様が、私にですか? 光栄ですわ」
ふ、と柔らかい笑みを浮かべてくれた咲夜に、カゴに載せていた布切れを取って見せる。
緑、白、黄色、ピンク……色とりどりの七草を渡す。
「これ、春の七草っていうの。あのね、これでお粥を作って食べると、健康で長生きできるんだって。だからね、咲夜に食べてもらいたいなって」
「……フラン様……」
カゴを手に持っていた咲夜が、いつの間にか膝をついて。
カゴを両手で床に置いて、空いたその手で私を抱きしめてくれた。
「ありがとうございます……。こんなに想ってもらえて私は、幸せです」
「えへへ……ずっと元気で、長生きしてね。咲夜は、わたしたちの大事な家族なんだからね!」
「はい、もちろん。身寄りの無い私にとって、『同族』になることよりも、こうして『家族』になれたことこそ、至上の喜びですわ」
暖かな空気が流れる中、開きっぱなしだった玄関の扉から、リリーホワイトが顔を覗かせる。
レミリアがそれに気づき、声をかける。
「あら、見慣れない妖精ね。ウチのメイドでもないようだし……」
「あ、その子はハルっていうの! わたしが七草を集めるのを、ずーっと手伝ってくれたんだよ!」
「そうだったの。ハル、遠慮せず入っていらっしゃい」
「春ですよー」
羽を震わせながら入ってくるリリーホワイト。
和やかな雰囲気に、心が軽くなっているようだ。
「ようこそ、紅魔館へ。妹がお世話になったそうね。姉として、お礼を言うわ」
スカートの裾を指で軽くつまみ上げ、貴族式の礼をするレミリア。
対するリリーホワイトは首をかしげ、そして全く同じ仕草をした。
「あら、なかなか行儀のいい子ね。フランとも仲良くなったのなら、この館で雇ってもいいかもね。特別高待遇でいいわ。ねえ、咲夜?」
そんな提案をするお姉様に、わたしは言う。
人差し指をピンと立てて、ちょっとだけ得意顔で。
「だめだよ、お姉様。ハルには、幻想郷に春を知らせるっていう大切な役目があるの」
「春? 春ですよー」
「いくら高待遇にしたって、それはハルのためにならないの」
それにね、と繋いで
「一番大切なことは、相手の気持ちになって考えてあげることなんだよ。わかった?」
誰かさんの受け売りをして、美鈴にウィンクしてみせる。
それを見た美鈴も、ウィンクを返してくれる。
お姉様はというと、肩をすくめて苦笑を一つ。
「やれやれ、説教してやるつもりで待ち構えてたのに、逆にされちゃったわね」
そのまま回れ右をして、屋敷の奥に歩いていく。
そして、
「フラン。夕食には、その妖精も招いてあげなさい。それくらいなら、構わないでしょう?」
その言葉にわたしは嬉しくなって、ハルみたいに羽を震わせて喜んだ。
「うんっ!」
その日の食卓には、黄色い花を咲かせたゴギョウが、小さな可愛い花瓶に飾られていた。
◆ ◆ ◆
数週間後。
幻想郷の空を、一人の妖精が飛ぶ。
その妖精が通った後には、眼下の木々や花々が咲き乱れている。
「春ですよー。はーるでーすよー」
春は、もうすぐそこにきている。
心に響きました。
優しいお話をありがとうございます。
素敵なお話をありがとう。