※当作品集『くるくる迷路』の後日譚です
パチュリー様が朝起きると、まずは紅茶を所望されるから、私はそばに仕えていてすぐにお茶を淹れてあげる。
紅茶の種類は時々変わる。だいたいは、イギリスふうの葉がお好みだけど、ときどきちがったものが趣味になるから、私はそれをきちっと聞いていて、そのとおりに淹れてあげる。
あったまったお湯をティーポットにいれて、用意をしている間に、パチュリー様は枕元においていた本を(ときには抱いて寝ていることもある)読みはじめている。それから一日じゅうずっと本に目を落としているから、あんまりお顔を見ることができない。
可愛いお顔をしているから、見ていたいのに。私はそれが不満だ。
図書館はいつも、とても静かだ。パチュリー様が本の頁をめくる音と、お茶を飲んでティーカップをお皿に戻すときのことりとした音と、本の整理をするために飛び回る、私の羽根のぱたぱたした音が、だいたいの場合の図書館の音のすべて。
おおむねはパチュリー様と私のふたりきりで過ごす。レミリアお嬢様が遊びに来たり、魔理沙さんが泥棒に来たりすることもある。でも、やっぱりほとんどは、ふたりきりだ。
今日もそうかな、と思っていたら、レミリアお嬢様がやってきた。お嬢様が来るときは、親友であるパチュリー様ととりとめのないおしゃべりをするか、パチュリー様の知識を頼って、なにか相談にやってくるか、そのどちらか。
今日は、相談の日だった。
「妹から手紙が届いたわ」
とレミリア様が仰るのに、パチュリー様は「そう」とだけ返して、私が淹れたお茶を飲みつづけた。
妹様が家出したのはひと月前のことだった。お嬢様と喧嘩をして、大変なことになった。止めに入ったパチュリー様が力を使い果たして、しばらく寝たきりになってしまったほどだった。
ことりと、ティーカップをお皿に置く音が響いた。わずかな音でも、図書館は静かだから、しみわたるようによく聞こえる。お嬢様が言葉をつづける。
「魔理沙の家にひとりっきりでいるって。私と恋愛したいんだって」
「ふうん……」
本から目をあげようともしない。いつものことなので、レミリア様もいつもどおり、そのまま動かないで待っている。
少しして、パチュリー様の帽子の横っちょについている月のかたちのかざりが、ちょっとだけ動いた。
はじめは横に動いた。それから小刻みに、繰り返して前後に揺れた。パチュリー様は口に手を当てて、げほげほ咳き込んだ。
「げっほげっほ、うぇっほうぇっほ」
「大丈夫ですか」
駆け寄って、背中を撫でてあげた。
「うん、おお……紅茶が、変なところに入っちゃったわ」
「気をつけてくださいね」
「ええ」
それから元の姿勢に戻ると、パチュリー様は何も言わずに、また本を読みつづけた。
レミリアお嬢様はそれからしばらく、何か話してくれるんじゃないかと待っていたけれど、何にも出てこないのがわかったので(私はお茶すら出さなかった)、飽きたような顔をして帰ってしまった。
でも、次の日もやってきて、同じようなことを話して帰った。二日つづけてやって来るなんて、ほとんどないことだったので、お嬢様はこの件について、ずいぶん困っているんだと思った。その次の日もやってきた。その次の日も。私はパチュリー様とお嬢様が話しているのを、本の整理をしながら遠目に眺めていて、うらやましい、と思った。
それから何日かして、妹様が帰ってきた。泊めてもらっていた魔理沙さんの家も、紅魔館と同じように壊してしまって、それでしかたなく帰ってきたんだとか。
爆弾娘である。英語で言うと、ボンバーガールだ。やっぱり取り扱い注意ですね、と私は考えた。
妹様はときおり、どうなっているのかわからないが、心の均衡を失って、不安定になる。不安定になると、あたりかまわずものを壊すので、パチュリー様が魔法の方法を使っておさえこんで、なだめて、落ち着くまで戻してあげる。妹様のとんでもない力に対抗するためには、魔力はもちろんのこと、体力もそうとうに使ってしまう。
喘息持ちなうえ、普段から本ばかり読んでいるパチュリー様には大変に負担のかかる仕事で、そのあとはいつも寝こんでしまうのだ。
病気みたいなものだ。妹様も、それにレミリアお嬢様も。
おふたりとも、もうちょっとパチュリー様のことを考えて、おとなしくしていてくれればいいのに、と私は思っている。
滋養強壮のため、紅茶にはちみつをいれた。甘くて、ちょっとねっとりする味になった。
パチュリー様は気に入ってくださるだろうか。
午前のお茶の時間になったので、持って行こうとしたところ、
「ばあー」
突然、目の前に顔があらわれた。さかさ向きだけど、可愛い顔だった。紅い服もさかさ向きになって、スカートがまくれ上がってドロワーズが丸見えになっていた。小さな体に、白くて細い手足と、重力に従ってばらばらになった金髪がくっついている。妹様だ。くるりとひっくり返った顔の、大きめの口が鼻より上になって、ぱっくり開いて牙を見せるようにしている。
口の中も服と同じように(そして瞳の色と同じように)、紅い色をしていた。
「驚かないの?」
「お久しぶりです。外はいかがでしたか」
「驚かないんだね」
「うわ、びっくり」
「よしよし」
宝石みたいな羽根が素早く動いて、体がくるっと回ってまっすぐになった。ちょっとだけ浮かんだまま、頭の高さを私と同じくらいにする。小悪魔は、と私のことを呼んだ。
「小悪魔はいつも落ち着いて仕事をしていて偉いね」
「最近はずっと落ち着いてましたね。妹様がいなかったから」
「うわ、ひどいなあ」
拗ねたような顔をして、そっぽを向く。
機嫌をそこねて、怪我をさせられてもつまらないので、私は手に持った紅茶を妹様にすすめた。
「ね、パチュリー様といっしょに飲みましょう。あちらにいらっしゃいます」
「パチュリー、やっぱり本ばっかり読んでるの」
「それはもう」
「小悪魔はパチュリーのことが好きなの」
「え?」
ちょっと間を置いて、はい、好きですよ、と言った。少しだけ顔が熱くなってしまった。
「そうなのかー」
両手をひろげて、
「これ、教えてもらったの」
ルーミアのポーズ。
「私は妹様のことも好きですよ」
「そうなのかー。……嘘だね。パチュリーのことが好きだから、私のことは邪魔っけに思っているんでしょう」
「そんなこと、ないですよ」
「そうかな? 私とパチュリーと、どっちが好き」
「パチュリー様」
「ほら、そうじゃん」
「違うんです。パチュリー様が好きなのは、ご主人様として好きなんであって、けっしてそういう……ネチョい感じではなくって……」
「ネチョい?」
ネチョい、について説明するのにずいぶん時間がかかった。
持って行こうとしていた紅茶がすっかり冷めてしまって、パチュリー様に怒られた。
その後、妹様がお嬢様に「お姉さまはネチョネチョになったことある?」と尋ねたそうだ。何故だか私のせいにされて、お嬢様からお仕置きミッションを与えられた。
メイド長である咲夜さんの着替え姿を十日間にわたって連続撮影するというもので、天性の難しい性癖とそれに裏打ちされた盗撮スキルを持っている私のような人材でなければ、けっしてつとまらない仕事だったろう。
戦利品である写真を見せて、私はパチュリー様に自慢した。
「どうですか。すごいでしょう」
「すごいわね。どうやったの」
「Photoshopを使いました」
「合成じゃない」
だって! 死んじゃうじゃないですか、と息を荒くして、私はパチュリー様に迫った。
本の影から、わずかに目を見せて、パチュリー様はこちらを見てくれた。呆れたような目だった。私はぞくぞくした。
「声を小さく」
「はい。睦言のように、ですよね」
「それは違う」
「パチュリー様は、ネチョネチョになったことありますか」
「はあ?」
「私は、あります」
とても昔のことだった。
「でも、どうしてなんでしょう。お嬢様なら、咲夜さんに、その場で脱げ、とご命令すれば済むことなのに。どうして、盗撮なんかさせたんでしょう」
「あなたと同じで、難しい性癖なのよ。恋愛も知らないのにね。馬鹿よ、レミィは」
「パチュリー様は」
「本の整理。昨日のつづきをしなさい」
「はい」
「早く行く」
「はい、と言いましたよ」
私はぱたぱた飛んでいって、昨日の仕事のつづきをした。
仕事が終わるまで夕方までかかった。いつもならその間に、お茶の給仕や、お菓子の用意なんかで呼びつけられるのに、その日は一度も声をかけられなかった。寂しかった。
一日中働いて、さすがに疲れて、パチュリー様の前に戻ると、パチュリー様は朝とまったく同じ姿勢で違う本を読んでいた。
だから私は、主人を前にして、勝手に話をはじめた。
あたしのことを。
パチュリー様に召喚されて、ここの司書になる前、あたしは別のところにいて、別のことをしていた。
恋人がいて、毎日ネチョネチョになっていた。
恋をするとはどういうことだろう。恋愛とはなんだろう。
パチュリー様とレミリアお嬢様が、毎日、そのお話をされていたのを、あたしは遠くから聞いていた。
妹様の件とその話が、とても密接に関わっているのだと、遠くからかすかに聞こえる声に聞き耳を立てながら、そういうふうに考えていた。たしかめていないけど、きっとそのとおりだったろう。
だからあたしは、あたしが恋をしていた時代を思い出してみた。ゆっくりと。とても幸せだった。
とけあって結びついて、傷ついて、ささいなことに気を遣って、つまらないものに熱を上げては、仰天し、不幸なことが起きたら泣いた。子どもみたいだった。幼くって、欠陥ばかり多くて、可愛かった。へまばっかりしていて、うぶで、お互いに許しあっていた。
ちょうど今の……。
「ちょうど今の、お嬢様と妹様みたいでした」
「嘘」
本から目をあげずに、パチュリー様がつぶやいた。
レミリア様がはじめに話をはじめたときと、同じような調子だった。
でも、今度は、会話の糸口がみえているように思った。
「嘘じゃないですよ」
逃さず、
「嘘じゃないです」
たたみかけた。
パチュリー様は黙ってしまった。
「きれいな子だったんです。あたしもじゅうぶんきれいな女ですが、あたしよりもきれいでした。おとなしい性分で、でも時々とても強情になるので、合わせるのに大変で、でも向こうも、同じように思っていたのにちがいなくって。
だから、あたしたち、知らなかったんです。お互いのことを。お互いがお互いに、許されているのを、知りもしないで」
小悪魔、とパチュリー様が声をかけてくれた。
私は言葉を切った。
「あたし、って言うのやめなさい」
常になら、私はすぐに言うことを聞くんだ。でもこのときは、ちがう言葉を返した。自分の言葉を。
あのころはあたしって言っていたから、思い出を話すときは、そのころみたいな気持ちでいたいんです、と、私は口ごたえをした。
どきどきした。するとパチュリー様は、いいから言うことを聞きなさい、と言う。
でも、と私はさらに言い募ろうとした。
そうしたら、
「小悪魔。ねえ小悪魔」
「だって」
「この前あなたと、乳首のつねり合いをする夢をみたわ」
「……」
今度は私のほうが、黙ってしまった。
「これ」
「……」
「これ、レミィが書いた手紙。家出をしていた妹様に、送るはずだった手紙よ。けっきょくは、そうしなかったけど。私が見てる前で書いたの。読んでいいわよ」
「……はい」
厚手の便箋を一枚、横に積んであった本の頁のあいだから取り出した。
私はそれを読んだ。
--------------------
可愛い妹、フランドール・スカーレットへ
早く帰ってきなさい。
といっても、あなたは素直にはきかないでしょう。ほんとうに手間のかかる妹です。あなたにならって、まわりのことを書くことにします。ここは図書館で、目の前にはパチェがいて、本を読むふりをして私の手元をじっとみています。いやらしい親友です。
雨も降っていないし、静かでちっとも音がしないから、書くことがないわね。つまらない。
あなたがしたことはだいたい全部、咲夜が調べておいてくれました。魔理沙は怪我をして、永遠亭に行ったみたいだけど、そんなに重い怪我じゃないから、あそこならすぐに治るそうよ。良かったわね。あのね、私がじきじきに、お見舞いに行ったのよ。帰ってきたら、ありがとうを言いなさいね。私に。
それから魔理沙に謝りに行って、あいつの家も直してやって……まったく、いらない仕事がどんどん増えること。
でも、咲夜でも調べられなかったことがあるし、私にだってわかっていなかったことがずいぶんあります。あなたからの手紙には、そういうことがたくさん書いてありました。私はびっくりして、それから、恥ずかしいけれど、とても感動したわ。これまでよりの何倍も、何万倍も――あなたが愛おしくなっちゃった。
可愛い妹。と私は書きました。私はあなたが生まれてからずっとそう思っているし、その気持ちが薄れたこともありません。ほんとうよ。知ってるでしょ? まあ、時には邪魔っけにすることもあるけど、でもそれは、あなたが子どもすぎるからで……いやいや、やめておきましょうね。また、ややっこしくなるだけだし。
早く帰ってきなさい。
この際だから白状するけど、私にだってわかってないことがたくさんあります。恋愛だって、そのひとつです(どう、ちゃんと答えを返すところが、魔理沙とは違うでしょう)。
でもまあ、姉妹で恋愛って、何か違う気もするわね。咲夜に聞きたいところだけど、咲夜はまだ未通娘だから、そんなのわからないでしょうね。で、パチェに聞いてみたら、恋愛に関する本をいくつも出してきてくれたけど、そんなの読むのはかったるいから、あなたの経験談を教えて、と言ったら、あいつも知らないんだよ。役に立たない知識人だ、ほんとに。
ねえフランドール、私はあなたの悪いところを、十も百も数えあげることができるわ。でもそれ以上に、いいところを、千も一万も言うことができる。ほんとうよ。帰ってきたら、ベッドの中で全部言ってあげるから、だから帰ってきなさい。
なんだっけな、何かの物語で、そういう事ができるのがほんとうの友達なんだって、言ってたんだよ。私たちは姉妹で、お前は私と恋人になりたいんだろうから(恋愛をすると、うまくいくとそのふたりは恋人になるのよ)友達とはちょっと違うんだろうけど、こんな言葉もあります。「友達からはじめよう」。
姉妹だから友達とはまた違うんだけど、まあとにかく、恋人になるその前の地点から、はじめる必要があるってことよ。どう? やっぱりお姉さまは、賢いでしょう。
かしこ
P.S.
賢いついでに教えてあげるけど、世間一般では、私たちのような関係のことを、背徳的といいます。パチェが言ってました。
言葉の意味はよくわからないけど、なんかこう、興奮するわよね。
かしこ
P.S. 2
ちなみに、P.S. とは、追伸のことです。
どう、お姉さまは、とっても賢いでしょう。
かしこ
P.S. 3
それから、あのね、ごめんね。
かしこ
あなたの聡明なお姉さま
レミリア・スカーレット
--------------------
「読んだ?」
「はい」
「どう思う」
「出さなかったんですか?」
「ええ。私は良いと思うんだけどね、レミィが結局、恥ずかしくなっちゃって、自分で魔理沙の家まで飛んでいって、妹様をお尻ぺんぺんして、それで連れて帰ってきたそうよ。ほんと、しかたのない。ぜんぜん進歩ないわ。
で、どう思う? その手紙」
「欠陥ばっかりで、子どもじみてると思います」
「昔のあなたと、あなたの相手みたいに?」
「……今の私と、パチュリー様みたいに」
「ふん」
パチュリー様はお茶を飲もうとして、カップを手に取ったが、からなのに気づいて、ティーポットからお茶を注ごうとしたがそれもからで、からなのに傾けすぎたから、ティーポットの蓋が外れて机に落ちて、ころころ転がってしまった。
私がそれを拾った。もとに戻す。
「私は自分が時々、馬鹿みたいに思えるときがあるわ」
と言って、パチュリー様は肩をすくめた。
時間が止まったみたいだった。図書館はとても静かで、いつもはパチュリー様が本の頁をぺらぺらめくる音と、お茶を飲むときの音と、それから私が飛び回る羽根の音と……それだけがしていて、なくなると、静かすぎて耳が痛くなるんだ。
しばらくそのまま、私たちは固まっていた。
あの、と声をかけようとした瞬間、パチュリー様が口を開いた。
本を持っていなかったので――唇の動きが、私から見えた。
「写真」
「え?」
「咲夜の写真、なくなってるわよ」
机の上から、咲夜さんの盗撮写真がなくなっていた。
まずまちがいなく、メイド長の仕業だろうと私は考えた。でも、咲夜さんはつめがあまい。瀟洒なくせに、天然なところがある。
私は得意げに話し出した。
「ふふっ、馬鹿め! 元データはPC内にあるのさ!」
「どうせ合成でしょう」
「そう思います?」
パチュリー様は、何かに気づいたみたいに目をぱちくりさせて、それから今まで読んでた本を持ちなおすと、
「……写真だと、咲夜は巨乳だったわね」
「へへへ」
私は、えへら、と笑った。
久しぶりに笑ったみたいね、とパチュリー様が言った。
パチュリー様が朝起きると、まずは紅茶を所望されるから、私はそばに仕えていてすぐにお茶を淹れてあげる。
紅茶の種類は時々変わる。だいたいは、イギリスふうの葉がお好みだけど、ときどきちがったものが趣味になるから、私はそれをきちっと聞いていて、そのとおりに淹れてあげる。
あったまったお湯をティーポットにいれて、用意をしている間に、パチュリー様は枕元においていた本を(ときには抱いて寝ていることもある)読みはじめている。それから一日じゅうずっと本に目を落としているから、あんまりお顔を見ることができない。
可愛いお顔をしているから、見ていたいのに。私はそれが不満だ。
図書館はいつも、とても静かだ。パチュリー様が本の頁をめくる音と、お茶を飲んでティーカップをお皿に戻すときのことりとした音と、本の整理をするために飛び回る、私の羽根のぱたぱたした音が、だいたいの場合の図書館の音のすべて。
おおむねはパチュリー様と私のふたりきりで過ごす。レミリアお嬢様が遊びに来たり、魔理沙さんが泥棒に来たりすることもある。でも、やっぱりほとんどは、ふたりきりだ。
今日もそうかな、と思っていたら、レミリアお嬢様がやってきた。お嬢様が来るときは、親友であるパチュリー様ととりとめのないおしゃべりをするか、パチュリー様の知識を頼って、なにか相談にやってくるか、そのどちらか。
今日は、相談の日だった。
「妹から手紙が届いたわ」
とレミリア様が仰るのに、パチュリー様は「そう」とだけ返して、私が淹れたお茶を飲みつづけた。
妹様が家出したのはひと月前のことだった。お嬢様と喧嘩をして、大変なことになった。止めに入ったパチュリー様が力を使い果たして、しばらく寝たきりになってしまったほどだった。
ことりと、ティーカップをお皿に置く音が響いた。わずかな音でも、図書館は静かだから、しみわたるようによく聞こえる。お嬢様が言葉をつづける。
「魔理沙の家にひとりっきりでいるって。私と恋愛したいんだって」
「ふうん……」
本から目をあげようともしない。いつものことなので、レミリア様もいつもどおり、そのまま動かないで待っている。
少しして、パチュリー様の帽子の横っちょについている月のかたちのかざりが、ちょっとだけ動いた。
はじめは横に動いた。それから小刻みに、繰り返して前後に揺れた。パチュリー様は口に手を当てて、げほげほ咳き込んだ。
「げっほげっほ、うぇっほうぇっほ」
「大丈夫ですか」
駆け寄って、背中を撫でてあげた。
「うん、おお……紅茶が、変なところに入っちゃったわ」
「気をつけてくださいね」
「ええ」
それから元の姿勢に戻ると、パチュリー様は何も言わずに、また本を読みつづけた。
レミリアお嬢様はそれからしばらく、何か話してくれるんじゃないかと待っていたけれど、何にも出てこないのがわかったので(私はお茶すら出さなかった)、飽きたような顔をして帰ってしまった。
でも、次の日もやってきて、同じようなことを話して帰った。二日つづけてやって来るなんて、ほとんどないことだったので、お嬢様はこの件について、ずいぶん困っているんだと思った。その次の日もやってきた。その次の日も。私はパチュリー様とお嬢様が話しているのを、本の整理をしながら遠目に眺めていて、うらやましい、と思った。
それから何日かして、妹様が帰ってきた。泊めてもらっていた魔理沙さんの家も、紅魔館と同じように壊してしまって、それでしかたなく帰ってきたんだとか。
爆弾娘である。英語で言うと、ボンバーガールだ。やっぱり取り扱い注意ですね、と私は考えた。
妹様はときおり、どうなっているのかわからないが、心の均衡を失って、不安定になる。不安定になると、あたりかまわずものを壊すので、パチュリー様が魔法の方法を使っておさえこんで、なだめて、落ち着くまで戻してあげる。妹様のとんでもない力に対抗するためには、魔力はもちろんのこと、体力もそうとうに使ってしまう。
喘息持ちなうえ、普段から本ばかり読んでいるパチュリー様には大変に負担のかかる仕事で、そのあとはいつも寝こんでしまうのだ。
病気みたいなものだ。妹様も、それにレミリアお嬢様も。
おふたりとも、もうちょっとパチュリー様のことを考えて、おとなしくしていてくれればいいのに、と私は思っている。
滋養強壮のため、紅茶にはちみつをいれた。甘くて、ちょっとねっとりする味になった。
パチュリー様は気に入ってくださるだろうか。
午前のお茶の時間になったので、持って行こうとしたところ、
「ばあー」
突然、目の前に顔があらわれた。さかさ向きだけど、可愛い顔だった。紅い服もさかさ向きになって、スカートがまくれ上がってドロワーズが丸見えになっていた。小さな体に、白くて細い手足と、重力に従ってばらばらになった金髪がくっついている。妹様だ。くるりとひっくり返った顔の、大きめの口が鼻より上になって、ぱっくり開いて牙を見せるようにしている。
口の中も服と同じように(そして瞳の色と同じように)、紅い色をしていた。
「驚かないの?」
「お久しぶりです。外はいかがでしたか」
「驚かないんだね」
「うわ、びっくり」
「よしよし」
宝石みたいな羽根が素早く動いて、体がくるっと回ってまっすぐになった。ちょっとだけ浮かんだまま、頭の高さを私と同じくらいにする。小悪魔は、と私のことを呼んだ。
「小悪魔はいつも落ち着いて仕事をしていて偉いね」
「最近はずっと落ち着いてましたね。妹様がいなかったから」
「うわ、ひどいなあ」
拗ねたような顔をして、そっぽを向く。
機嫌をそこねて、怪我をさせられてもつまらないので、私は手に持った紅茶を妹様にすすめた。
「ね、パチュリー様といっしょに飲みましょう。あちらにいらっしゃいます」
「パチュリー、やっぱり本ばっかり読んでるの」
「それはもう」
「小悪魔はパチュリーのことが好きなの」
「え?」
ちょっと間を置いて、はい、好きですよ、と言った。少しだけ顔が熱くなってしまった。
「そうなのかー」
両手をひろげて、
「これ、教えてもらったの」
ルーミアのポーズ。
「私は妹様のことも好きですよ」
「そうなのかー。……嘘だね。パチュリーのことが好きだから、私のことは邪魔っけに思っているんでしょう」
「そんなこと、ないですよ」
「そうかな? 私とパチュリーと、どっちが好き」
「パチュリー様」
「ほら、そうじゃん」
「違うんです。パチュリー様が好きなのは、ご主人様として好きなんであって、けっしてそういう……ネチョい感じではなくって……」
「ネチョい?」
ネチョい、について説明するのにずいぶん時間がかかった。
持って行こうとしていた紅茶がすっかり冷めてしまって、パチュリー様に怒られた。
その後、妹様がお嬢様に「お姉さまはネチョネチョになったことある?」と尋ねたそうだ。何故だか私のせいにされて、お嬢様からお仕置きミッションを与えられた。
メイド長である咲夜さんの着替え姿を十日間にわたって連続撮影するというもので、天性の難しい性癖とそれに裏打ちされた盗撮スキルを持っている私のような人材でなければ、けっしてつとまらない仕事だったろう。
戦利品である写真を見せて、私はパチュリー様に自慢した。
「どうですか。すごいでしょう」
「すごいわね。どうやったの」
「Photoshopを使いました」
「合成じゃない」
だって! 死んじゃうじゃないですか、と息を荒くして、私はパチュリー様に迫った。
本の影から、わずかに目を見せて、パチュリー様はこちらを見てくれた。呆れたような目だった。私はぞくぞくした。
「声を小さく」
「はい。睦言のように、ですよね」
「それは違う」
「パチュリー様は、ネチョネチョになったことありますか」
「はあ?」
「私は、あります」
とても昔のことだった。
「でも、どうしてなんでしょう。お嬢様なら、咲夜さんに、その場で脱げ、とご命令すれば済むことなのに。どうして、盗撮なんかさせたんでしょう」
「あなたと同じで、難しい性癖なのよ。恋愛も知らないのにね。馬鹿よ、レミィは」
「パチュリー様は」
「本の整理。昨日のつづきをしなさい」
「はい」
「早く行く」
「はい、と言いましたよ」
私はぱたぱた飛んでいって、昨日の仕事のつづきをした。
仕事が終わるまで夕方までかかった。いつもならその間に、お茶の給仕や、お菓子の用意なんかで呼びつけられるのに、その日は一度も声をかけられなかった。寂しかった。
一日中働いて、さすがに疲れて、パチュリー様の前に戻ると、パチュリー様は朝とまったく同じ姿勢で違う本を読んでいた。
だから私は、主人を前にして、勝手に話をはじめた。
あたしのことを。
パチュリー様に召喚されて、ここの司書になる前、あたしは別のところにいて、別のことをしていた。
恋人がいて、毎日ネチョネチョになっていた。
恋をするとはどういうことだろう。恋愛とはなんだろう。
パチュリー様とレミリアお嬢様が、毎日、そのお話をされていたのを、あたしは遠くから聞いていた。
妹様の件とその話が、とても密接に関わっているのだと、遠くからかすかに聞こえる声に聞き耳を立てながら、そういうふうに考えていた。たしかめていないけど、きっとそのとおりだったろう。
だからあたしは、あたしが恋をしていた時代を思い出してみた。ゆっくりと。とても幸せだった。
とけあって結びついて、傷ついて、ささいなことに気を遣って、つまらないものに熱を上げては、仰天し、不幸なことが起きたら泣いた。子どもみたいだった。幼くって、欠陥ばかり多くて、可愛かった。へまばっかりしていて、うぶで、お互いに許しあっていた。
ちょうど今の……。
「ちょうど今の、お嬢様と妹様みたいでした」
「嘘」
本から目をあげずに、パチュリー様がつぶやいた。
レミリア様がはじめに話をはじめたときと、同じような調子だった。
でも、今度は、会話の糸口がみえているように思った。
「嘘じゃないですよ」
逃さず、
「嘘じゃないです」
たたみかけた。
パチュリー様は黙ってしまった。
「きれいな子だったんです。あたしもじゅうぶんきれいな女ですが、あたしよりもきれいでした。おとなしい性分で、でも時々とても強情になるので、合わせるのに大変で、でも向こうも、同じように思っていたのにちがいなくって。
だから、あたしたち、知らなかったんです。お互いのことを。お互いがお互いに、許されているのを、知りもしないで」
小悪魔、とパチュリー様が声をかけてくれた。
私は言葉を切った。
「あたし、って言うのやめなさい」
常になら、私はすぐに言うことを聞くんだ。でもこのときは、ちがう言葉を返した。自分の言葉を。
あのころはあたしって言っていたから、思い出を話すときは、そのころみたいな気持ちでいたいんです、と、私は口ごたえをした。
どきどきした。するとパチュリー様は、いいから言うことを聞きなさい、と言う。
でも、と私はさらに言い募ろうとした。
そうしたら、
「小悪魔。ねえ小悪魔」
「だって」
「この前あなたと、乳首のつねり合いをする夢をみたわ」
「……」
今度は私のほうが、黙ってしまった。
「これ」
「……」
「これ、レミィが書いた手紙。家出をしていた妹様に、送るはずだった手紙よ。けっきょくは、そうしなかったけど。私が見てる前で書いたの。読んでいいわよ」
「……はい」
厚手の便箋を一枚、横に積んであった本の頁のあいだから取り出した。
私はそれを読んだ。
--------------------
可愛い妹、フランドール・スカーレットへ
早く帰ってきなさい。
といっても、あなたは素直にはきかないでしょう。ほんとうに手間のかかる妹です。あなたにならって、まわりのことを書くことにします。ここは図書館で、目の前にはパチェがいて、本を読むふりをして私の手元をじっとみています。いやらしい親友です。
雨も降っていないし、静かでちっとも音がしないから、書くことがないわね。つまらない。
あなたがしたことはだいたい全部、咲夜が調べておいてくれました。魔理沙は怪我をして、永遠亭に行ったみたいだけど、そんなに重い怪我じゃないから、あそこならすぐに治るそうよ。良かったわね。あのね、私がじきじきに、お見舞いに行ったのよ。帰ってきたら、ありがとうを言いなさいね。私に。
それから魔理沙に謝りに行って、あいつの家も直してやって……まったく、いらない仕事がどんどん増えること。
でも、咲夜でも調べられなかったことがあるし、私にだってわかっていなかったことがずいぶんあります。あなたからの手紙には、そういうことがたくさん書いてありました。私はびっくりして、それから、恥ずかしいけれど、とても感動したわ。これまでよりの何倍も、何万倍も――あなたが愛おしくなっちゃった。
可愛い妹。と私は書きました。私はあなたが生まれてからずっとそう思っているし、その気持ちが薄れたこともありません。ほんとうよ。知ってるでしょ? まあ、時には邪魔っけにすることもあるけど、でもそれは、あなたが子どもすぎるからで……いやいや、やめておきましょうね。また、ややっこしくなるだけだし。
早く帰ってきなさい。
この際だから白状するけど、私にだってわかってないことがたくさんあります。恋愛だって、そのひとつです(どう、ちゃんと答えを返すところが、魔理沙とは違うでしょう)。
でもまあ、姉妹で恋愛って、何か違う気もするわね。咲夜に聞きたいところだけど、咲夜はまだ未通娘だから、そんなのわからないでしょうね。で、パチェに聞いてみたら、恋愛に関する本をいくつも出してきてくれたけど、そんなの読むのはかったるいから、あなたの経験談を教えて、と言ったら、あいつも知らないんだよ。役に立たない知識人だ、ほんとに。
ねえフランドール、私はあなたの悪いところを、十も百も数えあげることができるわ。でもそれ以上に、いいところを、千も一万も言うことができる。ほんとうよ。帰ってきたら、ベッドの中で全部言ってあげるから、だから帰ってきなさい。
なんだっけな、何かの物語で、そういう事ができるのがほんとうの友達なんだって、言ってたんだよ。私たちは姉妹で、お前は私と恋人になりたいんだろうから(恋愛をすると、うまくいくとそのふたりは恋人になるのよ)友達とはちょっと違うんだろうけど、こんな言葉もあります。「友達からはじめよう」。
姉妹だから友達とはまた違うんだけど、まあとにかく、恋人になるその前の地点から、はじめる必要があるってことよ。どう? やっぱりお姉さまは、賢いでしょう。
かしこ
P.S.
賢いついでに教えてあげるけど、世間一般では、私たちのような関係のことを、背徳的といいます。パチェが言ってました。
言葉の意味はよくわからないけど、なんかこう、興奮するわよね。
かしこ
P.S. 2
ちなみに、P.S. とは、追伸のことです。
どう、お姉さまは、とっても賢いでしょう。
かしこ
P.S. 3
それから、あのね、ごめんね。
かしこ
あなたの聡明なお姉さま
レミリア・スカーレット
--------------------
「読んだ?」
「はい」
「どう思う」
「出さなかったんですか?」
「ええ。私は良いと思うんだけどね、レミィが結局、恥ずかしくなっちゃって、自分で魔理沙の家まで飛んでいって、妹様をお尻ぺんぺんして、それで連れて帰ってきたそうよ。ほんと、しかたのない。ぜんぜん進歩ないわ。
で、どう思う? その手紙」
「欠陥ばっかりで、子どもじみてると思います」
「昔のあなたと、あなたの相手みたいに?」
「……今の私と、パチュリー様みたいに」
「ふん」
パチュリー様はお茶を飲もうとして、カップを手に取ったが、からなのに気づいて、ティーポットからお茶を注ごうとしたがそれもからで、からなのに傾けすぎたから、ティーポットの蓋が外れて机に落ちて、ころころ転がってしまった。
私がそれを拾った。もとに戻す。
「私は自分が時々、馬鹿みたいに思えるときがあるわ」
と言って、パチュリー様は肩をすくめた。
時間が止まったみたいだった。図書館はとても静かで、いつもはパチュリー様が本の頁をぺらぺらめくる音と、お茶を飲むときの音と、それから私が飛び回る羽根の音と……それだけがしていて、なくなると、静かすぎて耳が痛くなるんだ。
しばらくそのまま、私たちは固まっていた。
あの、と声をかけようとした瞬間、パチュリー様が口を開いた。
本を持っていなかったので――唇の動きが、私から見えた。
「写真」
「え?」
「咲夜の写真、なくなってるわよ」
机の上から、咲夜さんの盗撮写真がなくなっていた。
まずまちがいなく、メイド長の仕業だろうと私は考えた。でも、咲夜さんはつめがあまい。瀟洒なくせに、天然なところがある。
私は得意げに話し出した。
「ふふっ、馬鹿め! 元データはPC内にあるのさ!」
「どうせ合成でしょう」
「そう思います?」
パチュリー様は、何かに気づいたみたいに目をぱちくりさせて、それから今まで読んでた本を持ちなおすと、
「……写真だと、咲夜は巨乳だったわね」
「へへへ」
私は、えへら、と笑った。
久しぶりに笑ったみたいね、とパチュリー様が言った。
ところで夢の話の続きはまだですか?
パチェこあは小悪魔が情熱的でパチェさんが優しくて、素敵でした。あたし称で語る小悪魔、いいなぁ。
エロ可愛い。
お嬢様は良い姉じゃないか。
番外を先に読んだので、前作読んでくる。
本をたくさん読めば僕も素敵な夢が見れるのだろうか。
ところでお嬢様が咲夜さんは未通なのを知っているのはどうしてなのかな。
そこんとこ興味があります。
ゆくゆくは恋愛をしていけばいいさ
小悪魔もパチュリーも不器用で、だからいい
そして魔理沙が無事なようで良かったよ。
前作読んできます。