『かわいい女の子を捜しています。……が特徴的な元気な女の子。年…………5歳……思い当たる方は……』
「どうしろっていうのよ」
鈴仙は思わずその立て看板に突っ込みを入れていた。
人が多く集まる広場近く、その付近を流れる水路のところを通り掛ったときのことだった。真新しい木製の看板が見えて何事かと近づいてみたら。
余計に疑問が増えた。
慌てて書いたため、耐水のことを何も考えていなかったのだろう。朝に降ったと思われる通り雨のせいで文字のところどころがくすみ、本来の目的が読み取れない。
何故薬売りを終えた後に暗号解読などしなくてはいけないというのか。
それに、だ。
「見つけたいのはこっちの方よ、まったくもう……」
鈴仙にも探し人がいるのだから。
約束の時間になってもその人物が現れないものだから。
軽くなった薬箱を背負いながら、人里をぶらぶら歩いていた結果が現状なのだから。
しかし、いつまでも棒立ちではいられないと、意味不明な看板を後にし飲食店が並ぶ通りへと足を運んだとき。
「ん?」
鈴仙の耳が、ぴくりと動いた。
ウグイスの鳴き声が消え、木々の枝に緑が目立ち始める頃。
ポカポカとした日差しの中で、一人の妖怪兎が上機嫌に鼻歌を鳴らしていた。その音は濁ったり澄んだりを繰り返しながら、人里の一画に響いている。
「お嬢ちゃん、何かいいことでもあったかい?」
その音に誘われるように団子屋の店主が音の主の後ろからやってきて、軒先に並べた長椅子に座るお客、その妖怪兎へと声を掛けた。
すると、耳を揺らしながら愛らしい顔が店主を見上げてきて。
「うん、あったよ。おじ様のこんなに美味しいお団子が食べられたんですもの♪」
なんて、ほんのり朱に染まった上目遣いに言う。
団子の串を握り締めたままの両手を頬に当て、うっとりと。
人間で言えば十歳を回ったくらいの可愛らしい少女にそんなことを言われて、悪い気がするはずもなく。
「はは、そう言って貰えるとおじさんも作り甲斐があるよ。ほら、こいつはおまけだ」
「わぁい、ありがとうおじ様」
長机に置かれていた皿の上にたっぷり密が掛かった団子が二本追加され、妖怪兎は幸せそうに微笑んで、また鼻歌を鳴らし始める。ときより濁るのはもぐもぐと団子を頬張りながら奏でるから。
座りながら足をぶらぶらと揺らし、団子を頬張って、楽しそうに人里の風景を眺める。
そんなお客の背を名残惜しそうに眺めてから、店主が店の中へと消えた。
昼食後の一服にしては遅すぎるし、おやつを楽しむ時間には早い。そのため、団子屋はその妖怪兎の貸切にすら見える。
だが、その静かなひと時は急な来訪者によって、
いや、
ズドンっという高い弾丸の音が、少女の平和な日常を引き裂いた。
「てぇぇぇゐぃぃぃっ!」
足元に落ちた弾丸の跡、そして悪意を剥き出しにして襲い来る魔物。
その魔の手が少女の柔肌を引き裂いて、人里の中に悲鳴と鮮血が、
「なぁ~んて、ね?」
「何がなぁ~んて、ね? なのよ!」
「ん、いやいやこっちの話。下手に年を重ねると刺激的な物語が欲しくなるのよ。ドロドロとした劇場っていうかねぇ」
「意味わかんないこと言わないで。そんなことより、薬の配達は終わったんでしょうね?」
暢気に油を売っているてゐを見かけて近付いてきた鈴仙は、おもいっきり疑いの目を向ける。薬売りの営業で精神をすり減らせたせいか、その目つきもなんだか怖い。
しかし、長い付き合いのてゐに見た目だけの怖さが通用するはずもなく。
「終わったよ~、私に掛かればちょちょいのちょ~いってね」
「……ホントに?」
「あったりまえよ。嘘だと思うんなら、そこに置いといた薬箱見てみればいいじゃない」
それだけ鈴仙に告げると、残り一本になった団子を口に運んで言葉を止める。
余裕綽々のてゐに何度か疑惑の視線を投げかける鈴仙であったが、とりあえず本日の売り上げを確かめるのが先だと判断し、長椅子の横に置かれた薬箱を開いた。
鈴仙が背負っているものと作りは同じなので、当然中身を調べるのもあっという間で、
「あれ?」
簡単なはずなのに鈴仙の手が、止まる。
驚きの表情のまま固まり、再度動かし、また固まる。
そんなことを3回ほど繰り返した後で、
「てゐ?」
「ん?」
「配達用以外の薬は?」
「え? 全部売ってきたけど?」
「ぜ、全部? 風邪薬も、塗り薬もっ?」
確かに、売上は多かった。
それが入った小箱のずっしりとした質感からも間違いない。
本来ならば、配達用の薬の金額だけがそこに入っていて、予備の薬は大半が残るはず。なのだが、根っからの商売人というか、交渉上手というか。そういった能力だけがずば抜けて高いてゐは、それすらも販売してきたらしい。
「あれ? あれあれ? ほとんど毎日人里の情勢見てる癖に、もしかして鈴仙ってば売れ残しちゃうわけ?」
「う、うるさいわね! 薬が全部売れててもお金がずれてたら駄目なんだからね!」
「あらあら、声裏返っちゃって。どうぞどうぞ、確かめてみてよ」
言われるまでもない。
鈴仙は意地になって小箱を取り出し、その中に入っているお金を確かめ始める。
一枚一枚、一個一個丁寧に。
その成果もあってか。鈴仙の顔に勝ち誇った笑みが浮かび上がって、
「あらあら、てゐさん。大口を叩くのも大概にしていただけるかしら? 何なのよこの金額、めちゃくちゃじゃないの。予定売上よりも二割も多いなんて、おつりの数え間違いでもしちゃった?」
ふん、と鼻を鳴らしててゐを見下ろす。
単純なミスを発見し、新人をいびるベテランのように。
けれど、てゐはそれを見つけられても動揺一つ見せず。
「お薬は適正価格、それにおつりもばっちりよ」
「それでこの金額になるわけがな――」
「私の特別手当」
「はっ?」
そんな手当てなど初耳である。
ときおり薬の実験台になる鈴仙には危険手当すらないというのに。
「なぁ~に馬鹿みたいな顔してるの? 簡単なことじゃない。まず、薬を配りに老夫婦の家にいったりするでしょ」
「うん、いくね」
「そこで世間話しながらさ、お薬を配って。それで何か困ったことがないですか? なんて優しい声でたずねるわけよ。そしたら『息子たちが違う家に住みだして寂しい』とか言うからさ、私が少しだけ子供の真似事をしてあげるなんて言って、肩とか揉んであげたりするわけよ」
「良い事じゃない」
「それで気分がよくなった老夫婦にね。お願いするのよ。この薬も買ってくれないかなぁ。置き薬だからいざというときに役に立つよ~。買ってほしいなぁ。なんて甘えたら、お駄賃といっしょに臨時収入が♪」
「うん、前言撤回♪」
一瞬でもこのいたずら兎を信じたのが馬鹿だった。
鈴仙は額に手を当ててうな垂れると、びしっと人里の真中あたりを指差した。
「何人の弱みにつけこんでんのよ! 返してきなさい今すぐ!」
「何いってんのよ。幸せだらけじゃない」
「どこがよ!」
「ほら、まず老夫婦、っていうか。おじいさんとおばあさんは、少しだけ家族の温もりを感じることができて幸せ、私はお仕事が順調に進むし、お駄賃が貰えるし、こうやって美味しいお団子にもありつけるし、で、お団子屋さんも売上が増えちゃうし。うわ、何この幸せの連鎖反応。幸せを呼ぶ兎過ぎるね! やっぱり人間と妖怪は持ちつ持たれつの関係でいるのが大事って言うか、なんて言うか」
誰だろう。
こんなやつに幸福関係の能力を与えた奴は。
「岡崎屋さんのみたらし団子♪ あっさり仕上げた三色団子♪ 幸せ一杯夢一杯♪」
「だまらっしゃい! さあ、帰るわよ」
考えるだけで神経性の頭痛が酷くなる中で、鈴仙はぐいっとてゐの手を掴む。
これ以上この妖怪兎をここに置いておくと何をするかわかったものではないからだ。
「わわ、ちょっと待ってよ! お金まだ払ってないんだからさ」
てゐは慌ててその手を振り解くと「ちょっと待ってて」と言い残し、団子屋の中へと入っていく。
そして、
「おじ様、また素敵なお団子を作ってね♪」
「ああ、もちろんさ」
ちゃっかり笹の葉で包まれたお土産を貰っている姿を見て、鈴仙はもう突っ込み気力すら失ったのだった。
「もう、絶対てゐとは薬売りに行かない」
「え~、人に頼みごとしといてそういうこと言う普通?」
「いつもより一時間も遅くなっちゃったし、なんだか凄い疲れるし」
「私に売上負けちゃうし?」
「一言多い!」
普段なら夕暮れ時になる帰り道。
日に日に夜の時間が短くなっていくとは言っても、一時間も遅くなれば周囲はほとんど闇に閉ざされてしまうのが自然の摂理。
けれど、今宵は満月。
まん丸お月様のおかげで周囲は明るく、竹林までの細道を光の筋となって照らしていた。この林道を抜ければ、迷いの竹林まで目と鼻の先。
満月の夜はどうしても月の使者を意識してしまう鈴仙にとって、見慣れた風景が少しでも多くなるのは精神的にありがたいことだった。
それにてゐが、妖怪兎の仲間がいるということが大きな安心感に繋がっているのも確か。
「あ、そうそう、そういえばね」
だからだろうか。
満月の夜には怯えながら帰る道で、気軽に言葉が毀れるのは。
「人里で子供が迷子になったんだってさ」
「ふーん、竹林じゃあるまいし。すぐ見つかるでしょ」
「うわー、もうちょっとなんかないの? ほら、こう、どこで聞いたの? とか、そういう反応が――」
「ウーワー、スゴーイ、ドコデキイタノー オシエテオシエテー?」
「うん、凄くムカツク♪」
棒読みしながらであったが、てゐの耳が催促するようにぴくぴく動く。
聞かせてほしいという反応だと勝手に解釈した鈴仙は、とりあえず人里であったことを簡単に説明してみる。
真新しい看板が立っていたことと、その内容が奇妙だったこと。
というか、読み取ることすらできなかったこと。
一通り聞き終えたてゐは、少しだけ眉間にしわを寄せて腕を組む。
「雨で塗れて汚れた看板ねぇ。でも、普通、看板立てた張本人ならその場に行って様子見たりするよね? 誰か頼もしい人が興味をもってくれてないか、とかさ」
「……言われてみればそうだけど、見つかったから放置したのかも」
「もしかしたら、看板用の人員を拠点に残して、その他の家族で必死で探し回ってる。とか、そもそも立てた人が遠くに住んでるなんてのも考えられるんだろうけど、ねぇ、鈴仙」
と、そこまで推測したてゐが足を止めた。
並んで歩いていた鈴仙も同じくその場でぴたり、と停止して。
「何歳くらいだっけ?」
「……5歳っていうのは見えた」
「……5歳ね?」
妖怪兎でなければ、気づけない。
気づけるはずもない。
遠く、弱い音。
「……ぁぁぁぁっ! おかぁぁさぁぁっ」
それでも高く、はっきりと耳に残る悲鳴が二人の耳に飛び込んできた。
幼い子供の泣き声。
しかも、女の子で、
齢はずいぶん若く感じる。
近い、というか。もろに看板の探し人と合致した音が、聞こえてしまったのだ。
「あ~あ……、やっちゃった」
てゐはじっと、責めるように鈴仙を見つめる。
妙な話を振るから悪い、と。
鈴仙は、その視線から逃れるように視線を逸らした。
「ほ、ほら、てゐ? 触らぬ神に祟りなしっていうか。人里の外の人間がどうなろうと私たちの知ったことじゃないわけだし、ね?」
「それも良いと思うけどさ。一応人里にも世話になってるわけじゃない? ま、鈴仙がそれでいいなら、兎のリーダーとしての顔を立ててあげてもいいよ」
人間と妖怪。
幻想郷では、どちらが消えてもなりたたない。
故に、理性ある妖怪は人里の中で人間を襲うことはないし、人里の外でも人間以外の動物を食料とすることが多い。
そうしなければ、楽園の中で存在することができなくなるから。
しかし、人間の子供一人の命と、自分の命。
どちらを危険に晒すかと言われれば、選ぶまでもない。
「……こういうときだけ卑怯な言い方して、まったくもぅ」
「いいじゃない、責めるつもりはないからさ。そんなこと言ってる場合でもないみたいだし、ほら、なんだか声が近づいてる気がするんだけど?」
「う、うわ。本当だ、早く逃げないと。お腹を空かせた妖怪と鉢合わせして、厄介なことにならないうちにっ」
「ああ、うん。そうだね、確かに逃げたほうが良さそう」
そこで何故かてゐが満月を見る。
いくら綺麗だからと言って今そんなことをしなくてもいいだろう。
そんなことを考えながらも、鈴仙が釣られて空を仰ぎ見た。
そのとき――
「ねえ、鈴仙?」
「なに、てゐ?」
意識していないのに、鈴仙の声が震える。
てゐは普段どおりの声音なのに、不安定な音を抑えられない。
「何歳くらいだっけ? その、迷子」
「……5歳っていうのは見えた」
「……5歳ね? えっと、それってさ」
二人の視線の先にあるはずの満月。
雲の陰りもない。
綺麗な綺麗な、金色のかがり火。
その灯りはとある存在をその中央に映し出し、地上の憐れな兎に教えてくれる。
その姿はまさしく元気な女の子で、いびつな羽が特徴的な。
「それって、495歳って書いてあったとか?」
てゐが上空を見上げて尋ねた、その瞬間。
上空の人影ではなく、地上にもうひとつの変化が現れる。
てゐと鈴仙が歩いてきた道の両側にある林、その中から女の子が泣きながら飛び出してきたのだ。
見るからに妖怪であるてゐに抱きついて、たすけてと泣き叫ぶ。
確かに、5歳を少し上回った程度に見える、長い黒髪が特徴的な。
元気そうな女の子、である。
恐怖に顔が歪んでいなければ、だが。
「えっと、どっちが当たりだろうね……」
鈴仙は、喉がカラカラに渇ききる中で、無機質な笑い声だけを上げ。
「ねえ、あなたたちは簡単に壊れる妖怪?」
紅の剣を手にした夜の王。
「それとも、私を楽しませてくれる妖怪?」
幻想的な光を背負い大きく翼を広げる、幼い妖怪の姿を見据えた。
とくん。
その心音はどちらのものか。
それとも、てゐに抱きつく少女のものか。
とくん。
右腕を大きく振りかぶり攻撃姿勢を取るフランドール・スカーレットを前にして、てゐはつま先をとんっと地面の上で弾ませ鈴仙の意識を地上へと戻す。
「目は?」
「もう使ってるっ!」
「そりゃそうか、満月で狂気全開の相手だと……」
すでに瞳を紅に染める鈴仙の得意技。
相手を狂わせて、行動を抑制、及び操作するのが狂気の瞳の本質である。
だが、それは相手の波長を掴んでいるときに有効な手段であり……
大波が荒れ狂る中、小波をいくら立てたところで無意味。
それを再確認したてゐは、とん、とん、っとつま先を一定感覚で刻み続け。
「鈴仙、いい?」
「駄目って言っても、やらないと駄目なんでしょ」
全力の吸血鬼の速度は鴉天狗に匹敵し、長距離を逃げることは不可能に近い。
二人の縄張りである迷いの竹林にまで持ち込めればまだ見込みはあるが、近いとは言ってもまだ距離がある。
この状態で二人ができることと言えば。
初撃を避けて、少しでも竹林に近づくことだけ。
同時に別々な方向に逃げて少しでも時間を稼ぎ、フランドールを少しでも迷わせる。
どっちと遊んだほうが楽しいか。
どっちを壊すのが魅力的か。
それをほんの少しでも考えさせることができれば、いけるはず。
鈴仙はフランドールが右手を振り下ろすタイミングを逃さぬよう、意識を集中させ
「じゃ、パス♪」
ぽいっと、
「へ?」
飛んできた。
フランドールの攻撃じゃなく、てゐにしがみついていたはずの人間が。
「え、ぇぇ、ふぇぇっ!? ちょ、ちょまっ!?」
塞がれる視界。
そして、泣き叫んで頭に抱きつく子供。
耳元で泣き声が怒号となって響く中、鈴仙は確かに聞いた。
「てゐっ!」
バシュ、という通常のスペルカードバトルで使う弾幕の音を。
それは間違いなくてゐの攻撃であり、いくら先手を取ったとしてもフランドールの攻撃の前では紙クズ同然。
ということは、つまり。
――死ぬ。
今攻撃されたら間違いなく死ぬ。
鈴仙の中で明確なイメージが浮かび、子供だけでも引き剥がそうともがいた。
しかし余計に必死にしがみつく子供は耳や髪の毛まで掴んで離れようとしない。
ただ、そんなやり取りをそれをフランドールが待ってくれるはずもなく。
鈴仙は無防備な体勢で空気の唸る音を聞いた。
「……っ!」
身を固める中、真上から圧倒的な力の奔流が振り下ろされたのだ。
「……え?」
鈴仙の肩を、掠めるようにして。
避けてなどいない。
そんな行動を取る時間なんてなかったのだから。
ならば、今の攻撃は……
「動きそうにないおもちゃより、元気に跳ね回るおもちゃの方がおもしろそうってことだよ。鈴仙」
「てゐっ!」
なんとか人間の少女を顔から取り外したとき、さっきまでてゐがいた地面が大きく抉り取られ、力の残滓が火の粉のように赤く瞬いていた。
声を手繰っててゐの姿を探せば、視界の端、ちょうど一本の木の幹を蹴ったところ。
『よかった』
無事だと安堵し、そうつぶやこうとした直後。
ドンッ、と。
その幹を少女の右手が易々と貫き、砕いた。
大人が抱えるほどの太さの木が、少女の腕を中心にして吹き飛んだのだ。
支えを失い、半ばから倒れる木の陰。
弾け飛ぶ木片が鈴仙に降りかかり、フランドールもその音で鈴仙に気付く。
が、一瞥するだけで背中を向けようとする。
「後で、ね♪」
美味しいものは先に食べないと。
そんなつぶやきにぞくりと鈴仙が背筋を凍らせる中。
にんまりと、笑みを作り小さな影を追う。
二兎を追うものは、一兎をも得ず。
そのコトワザに習った作戦はあっさりと打ち破られ、最悪の各個撃破というシナリオだけが残った。
「最悪……」
顔からは離れても鈴仙の足から離れようとしない人里の子供という足枷。
飛び跳ねながらフランドールを翻弄し、時折弾幕で牽制するものの段々と距離を詰められていくてゐ。
そして、地面も、木々も。
触れれば一瞬で粉々になる破壊の嵐。
もう、すべてが最悪で、これ以上なくて。
それでも、もっと最悪なのが……
「最悪だ、私」
鈴仙は爪が手のひらに突き刺さるのを感じながら、それでも強く拳を握る。
ターゲットとして選ばれなかった瞬間、素直に胸を撫で下ろした。
自分じゃなくてよかったと心から思う感じる自分自身に、嫌悪したからだ。
それでも、鈴仙は援護できない。
もし攻撃をして、狙いが移ったとき、今の状態で絶対に逃げられないとわかってしまうから。
それでも、鈴仙は逃げられない。
てゐが動き回っているのは時間を稼ぐためだとわかっているのに、どうしても割り切れない。
それでも、鈴仙は……
「この子を、目で操って囮に……でも……」
さっきまで人間の子供なんてどうでもいいと思っていたのに、どうしてもその一手が打てない。不安そうに見上げる瞳に、狂わせる波長をぶつけてやればいいだけだというのに、どうしても人里の風景が頭に浮かんでしまい躊躇いだけが残る。
だからもう、てゐを信じるしかなくて。
また、そんな情けない自分が嫌にな――
「でぃりゃぁっ!」
「ぎゃんっ!?」
と、負の方向へと向かい続ける鈴仙の顔めがけて、木製の薬箱が勢い良く飛んでくる。
あわてて左に飛んで避けると、続けざまに高い声があがった。
じっと鈴仙を見つめ、通路の上で足を止めたてゐから。
「おい、そこの吸血鬼!」
鈴仙ではなく、地面を蹴って今にも飛び掛ろうとするフランドールに向かって。
「私が弾幕で勝負を挑んだのよ? 私なんかより立派な吸血鬼様なら、相手の土俵に合わせるのが筋っていうんじゃないの?」
ぴたり、と。フランドールの動きが止まる。
遊び相手から提示された条件を思案するかのように、遊び道具の使い方を考えるように。
「弾幕勝負の後に、おもいっきり遊んでくれる?」
「私が勝ったら私たちと遊ぶのだけはやめてもらうけど、そっちが勝ったら好きにしていいよ?」
「うん、わかった! ほらほら、早く始めようよ! ルールはそっちで決めていいからさ」
なんでもいいから遊びたい。
その身の欲求を満たしたい。
たったそれだけの行動理念と、結果を求めるだけの狂気。
「じゃあ、とりあえず。相手に三つ弾を当てられたら勝ちってことでどうかな? 石ころでも魔力でもなんでもいいからさ」
「スペルカードは?」
「使っていいよ。私は使わないけどね」
「……ふーん、じゃあ私も使わないでおいてあげる」
それじゃあさっきと何も変わらないのではないか。
見守る鈴仙の中に、疑惑だけが残る。
しかも、さきほどからてゐの様子がおかしいのだ。
右腕を体の後ろに回して、まるで動かそうとはしない。鈴仙の位置からもその手の様子は知ることはできないが、異常だというのは理解できる。
「てゐ! やっぱり、私も!」
「来ないで!」
しかしてゐは迷わずその行動を止める。
そして、いたずらをするときの顔になって。
いつもみたいに笑って見せた。
「鈴仙は、鈴仙のできることをしてよ」
「私のできること?」
「そうだよ、ほら、ね? 覚えてる、鈴仙?」
笑顔のままフランドールに向き直り、小さな足でざっざと、地面を鳴らす。
澄み切った星空の下、その桃色の衣装に包んだ身は本当に小さい。
けれど鈴仙は思うのだ、何故かその姿を見ていると安心できる。
心からそう思えてしまう。
「さっき、フランドールが出てきた方向ってね」
信じてしまうような強さが確かにあって、
「女の子が出てきた方向と違うからさぁ……」
どこかに必ず根拠があって、
「がんばって、逃げてね♪」
再度振り返って、微笑を見せたときだった。
林の中からいきなり妖怪たちの咆哮が聞こえてきた。
鈴仙が驚き周囲の音を確認すれば、数匹程度の感ではない。
少なくとも10を超える妖怪たちが、おもいっきり鈴仙に向かってやってきているわけで、
「……へ? うぇ、ちょ、てゐ! あ、あんたってやつはぁぁぁぁっ!!」
「あ、そうそう、死にたくなかったら女の子手離しちゃだめだからね~」
さっき動かなかったからだが嘘のように、気軽に手を振って見送るてゐの姿を一瞥して、鈴仙は走る。
兎の脚力を存分に使い、地を蹴り、木々を蹴り。
子供を抱えたまま最高速で跳ね続ける。
「うん、やればできるじゃない」
鈴仙が離れるたびにそれを追う妖怪たちの群れも移動していく。
それに合わせて野生動物たちも逃げ出したせいで、鳥の声や虫の声も消え。
満月の下にあるのは、たった二つの呼吸だけ。
「さあ、遊ぼうか。吸血鬼のお嬢さん♪」
とんっと軽く体を浮かせたいたずら兎は、左腕を前に出して。
手のひらを上に向け、ちょいちょいっと指で誘う。
「ふふん、生意気!」
それにフランドールが紅の魔力弾で応え、戦いの開始を伝える火柱が上がった。
爆風と、飛び散る土埃。
それすらも攻撃だと言わんばかりにフランドールが力を行使する。
上空に飛び上がり、てゐがいる位置へ向けて絨毯爆撃。
耐えられなくなって飛び上がった瞬間を狙い打とうという、単純ながら強力な一手だ。
しかし、てゐは林が消えていくのをじっと眺めて。
魔力球も、木々の破片すら避ける。
「あーあー、無茶くちゃやるなー」
それでも、地面に攻撃が直撃するたびにてゐが身を隠す場所は消えていく。
何度も繰り返すたびに、てゐの周囲が丸裸にされていく。
「ねえ、当たった? 当たっちゃったかなぁ?」
そしてそれが十数回続いたとき、ぶすぶすと煙の上がる黒い焼け野原が完成する。
その中央にはてゐが頬を掻きながら佇み。
追い詰めたフランドールは大声を上げて笑う。
「残念だけど、全部掠りだね。あーあ、大事な一張羅が~」
焦げたスカートの先を左手でばさばさと揺らして、余裕を崩さない。
ふさふさの丸い尻尾も土埃は被っているものの、攻撃が当たった様子はなかった。
「だって、こそこそするから悪いんだよ。ほら、やっぱり広い場所で遊んだ方が楽しいし」
「手加減してくれてたってこと?」
「うん、こんなに満月が綺麗な夜に、それを覆い隠す場所で戦うのはつまらないもの。それにあいつだって言っていたもの」
くすり、と。
口元を手で隠しながら微笑むのは姉の真似事だろうか。
空中で足を組むという器用なことをしながら、ゆっくりと降りてきて。
20、いや、30メートルは離れた位置でつま先を地面に触れさせる。
「ライオンは兎を狩るときも全力で楽しむものなのでしょう?」
「窮鼠猫を噛む」
「ん?」
「兎の牙には気をつけろってこと。噛まれると痛いよ~」
「噛むのは、私たちの専売特許!」
逃げる場所を失ったてゐに向かって、指先から横一線に弾幕を放つ。
てゐの胸の高さほどの広範囲の弾だ。
どうしてもここは上に逃げたくなるところだが、
ダン、と。
てゐは躊躇なく前に屈んで弾幕の下を駆け抜けようとする。
その加速で焼け焦げた土が舞い上げ、相手の意識を分散させる意味を込めて。
派手な映像で上に逃げたと錯覚させるためだ。
だが、弾幕遊びの中のフランドールの純粋な集中力は――
「甘いね!」
紅白の巫女の反応速度にすら匹敵する。
右手に、奇怪な形の杖と、一枚のカードを握り締め。
「切り裂け! レーヴァンテイン!」
宣言と同時に、巨大な赤い刃で弾幕の下を凪ぐ。
弾幕と、荒れ狂う光条。
それを見たてゐは、ふぅっと軽く息を吐いて。
迷わずその身を弾幕に捧げた。
「ぐっ」
小さな体の上で炸裂する魔力弾。
それに向かって全速力で飛び、体を弾丸にして突き破る。
「えっ!」
煙を纏い、茶色の帯を引き。
無理やりに突っ込んでくる。
普通なら無理にでも逃げようとして細い隙間に体をねじ込もうとするはず。
そうやって、無理をすれば大きな隙が生まれ、必殺のタイミングが来る。
そこまで考えて、スターボウブレイクのカードを握り締めていた。
誰もが彼女の力に怯えて、逃げの一手を取る。
いくら範囲だけを考えて放ったと言っても、初手の攻撃にもそれなりの力を込めていたはずなのだから。真っ向から向かってくることなど考えていなかった。
「これで、一つ!」
けれど、てゐは止まらない。
レーヴァンテインを飛び越え、ふらつきながら着地しても、一瞬で最高速に加速する。
それが、地上の兎。
妖怪兎の中で第一位に君臨する脚力。
「く、その程度!」
てゐが突っ込みながら放つ広範囲の弾幕、それを避けながらフランドールは身を翻すが。
いくら距離を離そうとしても、てゐがついてくる。
最高速度では吸血鬼に軍配が上がるはず。
天狗に匹敵するのだ、それに達した吸血鬼をてゐが追いかけられるはずがない。
それなのについてくる。
砂埃を上げて、てゐがついてくる。
「ふん、鬼ごっこは得意ってことかしらっ!」
それを可能にするのは最高速に達するまでの加速。
左右に小刻みに揺れながら、フランドールにプレッシャーを掛けてくる。
そのてゐの動きを嫌い散発的な攻撃を繰り返して、もう一度仕掛けを作り始めた頃。
かつん。
てゐの足に、大きめの木片が当たる。
「へっ?」
地面にしっかり足がつかずに、大きく前のめりにバランスを崩した。
ちょうどその顔の前には、威嚇のために放った紅の弾丸が迫っていて、
「がぅっ!」
額に直撃を受けたその体が、大きく仰け反った。
足は前に出ようとしているのに、頭が爆風で後ろに無理やり持っていかれているのだ。
それで耐えろというほうが無理な話。
「ふふ、ドジな兎さん!」
気を失ったのか、瞳を閉じたまま空中に投げ出された体は、前進する力と後退する力に翻弄されて大きく空中で回転し、フランドールの眼前でそのまま地面に叩き付けられた。
「これで、二回目、なんだよね? それで……」
至近距離、そして潰れた蛙のように腹ばいになるてゐ。
勝機を得たフランドールは、そのまま右手を前に突き出し、
「これで、三回目!」
勝利を確信し、魔力弾を撃つ。
しかし地面に撃ったせいだろうか。
着弾した部分から予想外の量の砂煙が舞い上がり、二人の姿を覆い隠してしまった。
「けほっ」
さらに大きく口を開けていたせいで、フランドールは大きく咳き込むことになり。
「違うんだよねぇ……」
「っ!?」
視覚を奪わる直前、フランドールが見たその姿はもう足元にはない。
濃霧などとは比べ物にならないほど、周囲を覆い隠す黒い煙。
それが立ち込める場所で口を押さえていたフランドールはやっと気付いた。
視界が奪われたとき。
目標物を見失ったとき。
音で目標の位置を把握しなければいけなくなったとき。
吸血鬼と妖怪兎の立場が。
狩人と獲物の立場が逆転することに。
フランドールはなりふりかまわず、黒い霧から脱出しようと後ろへ飛び。
「三回じゃなくて……、三つ当てればいいっていったでしょ?」
「っ!?」
煙から脱出した瞬間に待ち構えていた狩人に、無防備な姿を晒してしまう。
そこでてゐは、このときのためにとっておいた勝利への鍵を。
右手に握る切り札を開放する。
そう、お土産に貰った『岡崎屋の三色団子』を、
「くらぇぇぇぃっ!」
「んむぅぅぅぅっ!?」
驚愕で開きっぱなしのフランドールの口に押し込んだのだった。
◇ ◇ ◇
「――ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」
波乱を生んだ満月が沈み、清々しい太陽が目を覚ました頃。
何度も何度も頭を下げる両親の元に、可愛らしい女の子は無事に送り届けられた。
瞳に一杯涙をためた親子の再開の姿を見せられると、鈴仙の胸にも熱くなるものがある。
「いえいえ、どういたしまぁぁしぃぃてぇぇっ!」
「いたい、いたいいたいいたいいたいっ!!」
そして、てゐの左右のこめかみには硬い拳がある。
容赦なくグリグリとひねりを加え続けられて、こちらも別な意味で涙を浮かべていた。
さすがにその痛がりようを見て、可哀想と思ったのか。
人間の家族から許しの声が出て、やっとてゐは地獄から開放された。
「信じられないね! 私、鈴仙助けてあげたのにさ!」
「何が助けた~、よ! 死ぬかと思ったじゃないの!」
「だから、女の子握り締めてれば大丈夫だっていったでしょ!」
てゐの能力は、幸運を与えること。
そしてその対象として一番効果があるのは、人間。
てゐは人間に抱きつかれたときにこっそり幸運の能力を発動し、鈴仙に預けたのだ。
「耳焦げたし、薬箱壊れちゃったし、売り上げ消えちゃったし!」
あの弾幕勝負の後、何があったかというと。
美味しい団子を無理やり押し込まれた結果、フランドールが戦いの欲求から開放されて大人しくなってしまい。服の中に隠していた残りの団子もフランドールにプレゼントしたら、大層気に入られてしまって。
お礼に何かしたいと申し出たから。
ほんのちょっと。
ちょぉぉぉっっっとだけ、鈴仙の手伝いをしてやろうと、追いかける妖怪たちの殲滅を依頼したら。またしても上空からの広範囲爆撃で、周囲を一掃してしまったわけで。
その中央に、服や耳を軽く焼かれた鈴仙とまるっきり無傷な少女が残ったというわけだ。
「命があっただけいいじゃない!」
「よーくーなーいっ! あの後、私が師匠からどんなお叱りを受けたと思ってるのよ!」
「あーあー、そうですか! じゃあ次は絶対助けてあげないからね!」
「いーりーまーせーん! 私一人でできるからっ!」
お互い腕を組み、ばちばちと視線で火花を散らす。
仲がいいのか悪いのか。
そんなケンカを少女の両親がなんとか宥めるのに成功したのは、太陽が少し高くなった頃。見苦しいところを見せたと、鈴仙が頭を下げ。
「あ、そういえばあれは片付けたほうがいいと思いますよ?」
頭を上げた瞬間に見つけた、探し人の立て看板。
テレを笑顔で誤魔化しながらそれを指差せば、
「え?」
全員から両親から上がるのは疑問の声だけ。
詳しく聞いたところ、立て看板を出す余裕なんてなかったのだという。
「そもそも、この子が迷子になったのは夕刻くらいでして」
「え、それじゃあ……誰が?」
てゐが言うには、フランドールを迎えに来た美鈴に看板のことを尋ねても知らないと返ってきたそうで。
「あ、あの看板ですか? あはは~、あれは僕のお嫁さん探しですよ。
『かわいい女の子を捜しています。笑顔が特徴的な元気な女の子。年齢は大体25歳くらいで思い当たる方は僕の胸まで飛び込んでおいでー♪』って――」
『じゃあ、飛び込む♪』
「ぶはぁっ!?」
二人の妖怪兎のタックルが、人里のとある若者の胸を直撃したのは、また別の話。
「どうしろっていうのよ」
鈴仙は思わずその立て看板に突っ込みを入れていた。
人が多く集まる広場近く、その付近を流れる水路のところを通り掛ったときのことだった。真新しい木製の看板が見えて何事かと近づいてみたら。
余計に疑問が増えた。
慌てて書いたため、耐水のことを何も考えていなかったのだろう。朝に降ったと思われる通り雨のせいで文字のところどころがくすみ、本来の目的が読み取れない。
何故薬売りを終えた後に暗号解読などしなくてはいけないというのか。
それに、だ。
「見つけたいのはこっちの方よ、まったくもう……」
鈴仙にも探し人がいるのだから。
約束の時間になってもその人物が現れないものだから。
軽くなった薬箱を背負いながら、人里をぶらぶら歩いていた結果が現状なのだから。
しかし、いつまでも棒立ちではいられないと、意味不明な看板を後にし飲食店が並ぶ通りへと足を運んだとき。
「ん?」
鈴仙の耳が、ぴくりと動いた。
ウグイスの鳴き声が消え、木々の枝に緑が目立ち始める頃。
ポカポカとした日差しの中で、一人の妖怪兎が上機嫌に鼻歌を鳴らしていた。その音は濁ったり澄んだりを繰り返しながら、人里の一画に響いている。
「お嬢ちゃん、何かいいことでもあったかい?」
その音に誘われるように団子屋の店主が音の主の後ろからやってきて、軒先に並べた長椅子に座るお客、その妖怪兎へと声を掛けた。
すると、耳を揺らしながら愛らしい顔が店主を見上げてきて。
「うん、あったよ。おじ様のこんなに美味しいお団子が食べられたんですもの♪」
なんて、ほんのり朱に染まった上目遣いに言う。
団子の串を握り締めたままの両手を頬に当て、うっとりと。
人間で言えば十歳を回ったくらいの可愛らしい少女にそんなことを言われて、悪い気がするはずもなく。
「はは、そう言って貰えるとおじさんも作り甲斐があるよ。ほら、こいつはおまけだ」
「わぁい、ありがとうおじ様」
長机に置かれていた皿の上にたっぷり密が掛かった団子が二本追加され、妖怪兎は幸せそうに微笑んで、また鼻歌を鳴らし始める。ときより濁るのはもぐもぐと団子を頬張りながら奏でるから。
座りながら足をぶらぶらと揺らし、団子を頬張って、楽しそうに人里の風景を眺める。
そんなお客の背を名残惜しそうに眺めてから、店主が店の中へと消えた。
昼食後の一服にしては遅すぎるし、おやつを楽しむ時間には早い。そのため、団子屋はその妖怪兎の貸切にすら見える。
だが、その静かなひと時は急な来訪者によって、
いや、
ズドンっという高い弾丸の音が、少女の平和な日常を引き裂いた。
「てぇぇぇゐぃぃぃっ!」
足元に落ちた弾丸の跡、そして悪意を剥き出しにして襲い来る魔物。
その魔の手が少女の柔肌を引き裂いて、人里の中に悲鳴と鮮血が、
「なぁ~んて、ね?」
「何がなぁ~んて、ね? なのよ!」
「ん、いやいやこっちの話。下手に年を重ねると刺激的な物語が欲しくなるのよ。ドロドロとした劇場っていうかねぇ」
「意味わかんないこと言わないで。そんなことより、薬の配達は終わったんでしょうね?」
暢気に油を売っているてゐを見かけて近付いてきた鈴仙は、おもいっきり疑いの目を向ける。薬売りの営業で精神をすり減らせたせいか、その目つきもなんだか怖い。
しかし、長い付き合いのてゐに見た目だけの怖さが通用するはずもなく。
「終わったよ~、私に掛かればちょちょいのちょ~いってね」
「……ホントに?」
「あったりまえよ。嘘だと思うんなら、そこに置いといた薬箱見てみればいいじゃない」
それだけ鈴仙に告げると、残り一本になった団子を口に運んで言葉を止める。
余裕綽々のてゐに何度か疑惑の視線を投げかける鈴仙であったが、とりあえず本日の売り上げを確かめるのが先だと判断し、長椅子の横に置かれた薬箱を開いた。
鈴仙が背負っているものと作りは同じなので、当然中身を調べるのもあっという間で、
「あれ?」
簡単なはずなのに鈴仙の手が、止まる。
驚きの表情のまま固まり、再度動かし、また固まる。
そんなことを3回ほど繰り返した後で、
「てゐ?」
「ん?」
「配達用以外の薬は?」
「え? 全部売ってきたけど?」
「ぜ、全部? 風邪薬も、塗り薬もっ?」
確かに、売上は多かった。
それが入った小箱のずっしりとした質感からも間違いない。
本来ならば、配達用の薬の金額だけがそこに入っていて、予備の薬は大半が残るはず。なのだが、根っからの商売人というか、交渉上手というか。そういった能力だけがずば抜けて高いてゐは、それすらも販売してきたらしい。
「あれ? あれあれ? ほとんど毎日人里の情勢見てる癖に、もしかして鈴仙ってば売れ残しちゃうわけ?」
「う、うるさいわね! 薬が全部売れててもお金がずれてたら駄目なんだからね!」
「あらあら、声裏返っちゃって。どうぞどうぞ、確かめてみてよ」
言われるまでもない。
鈴仙は意地になって小箱を取り出し、その中に入っているお金を確かめ始める。
一枚一枚、一個一個丁寧に。
その成果もあってか。鈴仙の顔に勝ち誇った笑みが浮かび上がって、
「あらあら、てゐさん。大口を叩くのも大概にしていただけるかしら? 何なのよこの金額、めちゃくちゃじゃないの。予定売上よりも二割も多いなんて、おつりの数え間違いでもしちゃった?」
ふん、と鼻を鳴らしててゐを見下ろす。
単純なミスを発見し、新人をいびるベテランのように。
けれど、てゐはそれを見つけられても動揺一つ見せず。
「お薬は適正価格、それにおつりもばっちりよ」
「それでこの金額になるわけがな――」
「私の特別手当」
「はっ?」
そんな手当てなど初耳である。
ときおり薬の実験台になる鈴仙には危険手当すらないというのに。
「なぁ~に馬鹿みたいな顔してるの? 簡単なことじゃない。まず、薬を配りに老夫婦の家にいったりするでしょ」
「うん、いくね」
「そこで世間話しながらさ、お薬を配って。それで何か困ったことがないですか? なんて優しい声でたずねるわけよ。そしたら『息子たちが違う家に住みだして寂しい』とか言うからさ、私が少しだけ子供の真似事をしてあげるなんて言って、肩とか揉んであげたりするわけよ」
「良い事じゃない」
「それで気分がよくなった老夫婦にね。お願いするのよ。この薬も買ってくれないかなぁ。置き薬だからいざというときに役に立つよ~。買ってほしいなぁ。なんて甘えたら、お駄賃といっしょに臨時収入が♪」
「うん、前言撤回♪」
一瞬でもこのいたずら兎を信じたのが馬鹿だった。
鈴仙は額に手を当ててうな垂れると、びしっと人里の真中あたりを指差した。
「何人の弱みにつけこんでんのよ! 返してきなさい今すぐ!」
「何いってんのよ。幸せだらけじゃない」
「どこがよ!」
「ほら、まず老夫婦、っていうか。おじいさんとおばあさんは、少しだけ家族の温もりを感じることができて幸せ、私はお仕事が順調に進むし、お駄賃が貰えるし、こうやって美味しいお団子にもありつけるし、で、お団子屋さんも売上が増えちゃうし。うわ、何この幸せの連鎖反応。幸せを呼ぶ兎過ぎるね! やっぱり人間と妖怪は持ちつ持たれつの関係でいるのが大事って言うか、なんて言うか」
誰だろう。
こんなやつに幸福関係の能力を与えた奴は。
「岡崎屋さんのみたらし団子♪ あっさり仕上げた三色団子♪ 幸せ一杯夢一杯♪」
「だまらっしゃい! さあ、帰るわよ」
考えるだけで神経性の頭痛が酷くなる中で、鈴仙はぐいっとてゐの手を掴む。
これ以上この妖怪兎をここに置いておくと何をするかわかったものではないからだ。
「わわ、ちょっと待ってよ! お金まだ払ってないんだからさ」
てゐは慌ててその手を振り解くと「ちょっと待ってて」と言い残し、団子屋の中へと入っていく。
そして、
「おじ様、また素敵なお団子を作ってね♪」
「ああ、もちろんさ」
ちゃっかり笹の葉で包まれたお土産を貰っている姿を見て、鈴仙はもう突っ込み気力すら失ったのだった。
「もう、絶対てゐとは薬売りに行かない」
「え~、人に頼みごとしといてそういうこと言う普通?」
「いつもより一時間も遅くなっちゃったし、なんだか凄い疲れるし」
「私に売上負けちゃうし?」
「一言多い!」
普段なら夕暮れ時になる帰り道。
日に日に夜の時間が短くなっていくとは言っても、一時間も遅くなれば周囲はほとんど闇に閉ざされてしまうのが自然の摂理。
けれど、今宵は満月。
まん丸お月様のおかげで周囲は明るく、竹林までの細道を光の筋となって照らしていた。この林道を抜ければ、迷いの竹林まで目と鼻の先。
満月の夜はどうしても月の使者を意識してしまう鈴仙にとって、見慣れた風景が少しでも多くなるのは精神的にありがたいことだった。
それにてゐが、妖怪兎の仲間がいるということが大きな安心感に繋がっているのも確か。
「あ、そうそう、そういえばね」
だからだろうか。
満月の夜には怯えながら帰る道で、気軽に言葉が毀れるのは。
「人里で子供が迷子になったんだってさ」
「ふーん、竹林じゃあるまいし。すぐ見つかるでしょ」
「うわー、もうちょっとなんかないの? ほら、こう、どこで聞いたの? とか、そういう反応が――」
「ウーワー、スゴーイ、ドコデキイタノー オシエテオシエテー?」
「うん、凄くムカツク♪」
棒読みしながらであったが、てゐの耳が催促するようにぴくぴく動く。
聞かせてほしいという反応だと勝手に解釈した鈴仙は、とりあえず人里であったことを簡単に説明してみる。
真新しい看板が立っていたことと、その内容が奇妙だったこと。
というか、読み取ることすらできなかったこと。
一通り聞き終えたてゐは、少しだけ眉間にしわを寄せて腕を組む。
「雨で塗れて汚れた看板ねぇ。でも、普通、看板立てた張本人ならその場に行って様子見たりするよね? 誰か頼もしい人が興味をもってくれてないか、とかさ」
「……言われてみればそうだけど、見つかったから放置したのかも」
「もしかしたら、看板用の人員を拠点に残して、その他の家族で必死で探し回ってる。とか、そもそも立てた人が遠くに住んでるなんてのも考えられるんだろうけど、ねぇ、鈴仙」
と、そこまで推測したてゐが足を止めた。
並んで歩いていた鈴仙も同じくその場でぴたり、と停止して。
「何歳くらいだっけ?」
「……5歳っていうのは見えた」
「……5歳ね?」
妖怪兎でなければ、気づけない。
気づけるはずもない。
遠く、弱い音。
「……ぁぁぁぁっ! おかぁぁさぁぁっ」
それでも高く、はっきりと耳に残る悲鳴が二人の耳に飛び込んできた。
幼い子供の泣き声。
しかも、女の子で、
齢はずいぶん若く感じる。
近い、というか。もろに看板の探し人と合致した音が、聞こえてしまったのだ。
「あ~あ……、やっちゃった」
てゐはじっと、責めるように鈴仙を見つめる。
妙な話を振るから悪い、と。
鈴仙は、その視線から逃れるように視線を逸らした。
「ほ、ほら、てゐ? 触らぬ神に祟りなしっていうか。人里の外の人間がどうなろうと私たちの知ったことじゃないわけだし、ね?」
「それも良いと思うけどさ。一応人里にも世話になってるわけじゃない? ま、鈴仙がそれでいいなら、兎のリーダーとしての顔を立ててあげてもいいよ」
人間と妖怪。
幻想郷では、どちらが消えてもなりたたない。
故に、理性ある妖怪は人里の中で人間を襲うことはないし、人里の外でも人間以外の動物を食料とすることが多い。
そうしなければ、楽園の中で存在することができなくなるから。
しかし、人間の子供一人の命と、自分の命。
どちらを危険に晒すかと言われれば、選ぶまでもない。
「……こういうときだけ卑怯な言い方して、まったくもぅ」
「いいじゃない、責めるつもりはないからさ。そんなこと言ってる場合でもないみたいだし、ほら、なんだか声が近づいてる気がするんだけど?」
「う、うわ。本当だ、早く逃げないと。お腹を空かせた妖怪と鉢合わせして、厄介なことにならないうちにっ」
「ああ、うん。そうだね、確かに逃げたほうが良さそう」
そこで何故かてゐが満月を見る。
いくら綺麗だからと言って今そんなことをしなくてもいいだろう。
そんなことを考えながらも、鈴仙が釣られて空を仰ぎ見た。
そのとき――
「ねえ、鈴仙?」
「なに、てゐ?」
意識していないのに、鈴仙の声が震える。
てゐは普段どおりの声音なのに、不安定な音を抑えられない。
「何歳くらいだっけ? その、迷子」
「……5歳っていうのは見えた」
「……5歳ね? えっと、それってさ」
二人の視線の先にあるはずの満月。
雲の陰りもない。
綺麗な綺麗な、金色のかがり火。
その灯りはとある存在をその中央に映し出し、地上の憐れな兎に教えてくれる。
その姿はまさしく元気な女の子で、いびつな羽が特徴的な。
「それって、495歳って書いてあったとか?」
てゐが上空を見上げて尋ねた、その瞬間。
上空の人影ではなく、地上にもうひとつの変化が現れる。
てゐと鈴仙が歩いてきた道の両側にある林、その中から女の子が泣きながら飛び出してきたのだ。
見るからに妖怪であるてゐに抱きついて、たすけてと泣き叫ぶ。
確かに、5歳を少し上回った程度に見える、長い黒髪が特徴的な。
元気そうな女の子、である。
恐怖に顔が歪んでいなければ、だが。
「えっと、どっちが当たりだろうね……」
鈴仙は、喉がカラカラに渇ききる中で、無機質な笑い声だけを上げ。
「ねえ、あなたたちは簡単に壊れる妖怪?」
紅の剣を手にした夜の王。
「それとも、私を楽しませてくれる妖怪?」
幻想的な光を背負い大きく翼を広げる、幼い妖怪の姿を見据えた。
とくん。
その心音はどちらのものか。
それとも、てゐに抱きつく少女のものか。
とくん。
右腕を大きく振りかぶり攻撃姿勢を取るフランドール・スカーレットを前にして、てゐはつま先をとんっと地面の上で弾ませ鈴仙の意識を地上へと戻す。
「目は?」
「もう使ってるっ!」
「そりゃそうか、満月で狂気全開の相手だと……」
すでに瞳を紅に染める鈴仙の得意技。
相手を狂わせて、行動を抑制、及び操作するのが狂気の瞳の本質である。
だが、それは相手の波長を掴んでいるときに有効な手段であり……
大波が荒れ狂る中、小波をいくら立てたところで無意味。
それを再確認したてゐは、とん、とん、っとつま先を一定感覚で刻み続け。
「鈴仙、いい?」
「駄目って言っても、やらないと駄目なんでしょ」
全力の吸血鬼の速度は鴉天狗に匹敵し、長距離を逃げることは不可能に近い。
二人の縄張りである迷いの竹林にまで持ち込めればまだ見込みはあるが、近いとは言ってもまだ距離がある。
この状態で二人ができることと言えば。
初撃を避けて、少しでも竹林に近づくことだけ。
同時に別々な方向に逃げて少しでも時間を稼ぎ、フランドールを少しでも迷わせる。
どっちと遊んだほうが楽しいか。
どっちを壊すのが魅力的か。
それをほんの少しでも考えさせることができれば、いけるはず。
鈴仙はフランドールが右手を振り下ろすタイミングを逃さぬよう、意識を集中させ
「じゃ、パス♪」
ぽいっと、
「へ?」
飛んできた。
フランドールの攻撃じゃなく、てゐにしがみついていたはずの人間が。
「え、ぇぇ、ふぇぇっ!? ちょ、ちょまっ!?」
塞がれる視界。
そして、泣き叫んで頭に抱きつく子供。
耳元で泣き声が怒号となって響く中、鈴仙は確かに聞いた。
「てゐっ!」
バシュ、という通常のスペルカードバトルで使う弾幕の音を。
それは間違いなくてゐの攻撃であり、いくら先手を取ったとしてもフランドールの攻撃の前では紙クズ同然。
ということは、つまり。
――死ぬ。
今攻撃されたら間違いなく死ぬ。
鈴仙の中で明確なイメージが浮かび、子供だけでも引き剥がそうともがいた。
しかし余計に必死にしがみつく子供は耳や髪の毛まで掴んで離れようとしない。
ただ、そんなやり取りをそれをフランドールが待ってくれるはずもなく。
鈴仙は無防備な体勢で空気の唸る音を聞いた。
「……っ!」
身を固める中、真上から圧倒的な力の奔流が振り下ろされたのだ。
「……え?」
鈴仙の肩を、掠めるようにして。
避けてなどいない。
そんな行動を取る時間なんてなかったのだから。
ならば、今の攻撃は……
「動きそうにないおもちゃより、元気に跳ね回るおもちゃの方がおもしろそうってことだよ。鈴仙」
「てゐっ!」
なんとか人間の少女を顔から取り外したとき、さっきまでてゐがいた地面が大きく抉り取られ、力の残滓が火の粉のように赤く瞬いていた。
声を手繰っててゐの姿を探せば、視界の端、ちょうど一本の木の幹を蹴ったところ。
『よかった』
無事だと安堵し、そうつぶやこうとした直後。
ドンッ、と。
その幹を少女の右手が易々と貫き、砕いた。
大人が抱えるほどの太さの木が、少女の腕を中心にして吹き飛んだのだ。
支えを失い、半ばから倒れる木の陰。
弾け飛ぶ木片が鈴仙に降りかかり、フランドールもその音で鈴仙に気付く。
が、一瞥するだけで背中を向けようとする。
「後で、ね♪」
美味しいものは先に食べないと。
そんなつぶやきにぞくりと鈴仙が背筋を凍らせる中。
にんまりと、笑みを作り小さな影を追う。
二兎を追うものは、一兎をも得ず。
そのコトワザに習った作戦はあっさりと打ち破られ、最悪の各個撃破というシナリオだけが残った。
「最悪……」
顔からは離れても鈴仙の足から離れようとしない人里の子供という足枷。
飛び跳ねながらフランドールを翻弄し、時折弾幕で牽制するものの段々と距離を詰められていくてゐ。
そして、地面も、木々も。
触れれば一瞬で粉々になる破壊の嵐。
もう、すべてが最悪で、これ以上なくて。
それでも、もっと最悪なのが……
「最悪だ、私」
鈴仙は爪が手のひらに突き刺さるのを感じながら、それでも強く拳を握る。
ターゲットとして選ばれなかった瞬間、素直に胸を撫で下ろした。
自分じゃなくてよかったと心から思う感じる自分自身に、嫌悪したからだ。
それでも、鈴仙は援護できない。
もし攻撃をして、狙いが移ったとき、今の状態で絶対に逃げられないとわかってしまうから。
それでも、鈴仙は逃げられない。
てゐが動き回っているのは時間を稼ぐためだとわかっているのに、どうしても割り切れない。
それでも、鈴仙は……
「この子を、目で操って囮に……でも……」
さっきまで人間の子供なんてどうでもいいと思っていたのに、どうしてもその一手が打てない。不安そうに見上げる瞳に、狂わせる波長をぶつけてやればいいだけだというのに、どうしても人里の風景が頭に浮かんでしまい躊躇いだけが残る。
だからもう、てゐを信じるしかなくて。
また、そんな情けない自分が嫌にな――
「でぃりゃぁっ!」
「ぎゃんっ!?」
と、負の方向へと向かい続ける鈴仙の顔めがけて、木製の薬箱が勢い良く飛んでくる。
あわてて左に飛んで避けると、続けざまに高い声があがった。
じっと鈴仙を見つめ、通路の上で足を止めたてゐから。
「おい、そこの吸血鬼!」
鈴仙ではなく、地面を蹴って今にも飛び掛ろうとするフランドールに向かって。
「私が弾幕で勝負を挑んだのよ? 私なんかより立派な吸血鬼様なら、相手の土俵に合わせるのが筋っていうんじゃないの?」
ぴたり、と。フランドールの動きが止まる。
遊び相手から提示された条件を思案するかのように、遊び道具の使い方を考えるように。
「弾幕勝負の後に、おもいっきり遊んでくれる?」
「私が勝ったら私たちと遊ぶのだけはやめてもらうけど、そっちが勝ったら好きにしていいよ?」
「うん、わかった! ほらほら、早く始めようよ! ルールはそっちで決めていいからさ」
なんでもいいから遊びたい。
その身の欲求を満たしたい。
たったそれだけの行動理念と、結果を求めるだけの狂気。
「じゃあ、とりあえず。相手に三つ弾を当てられたら勝ちってことでどうかな? 石ころでも魔力でもなんでもいいからさ」
「スペルカードは?」
「使っていいよ。私は使わないけどね」
「……ふーん、じゃあ私も使わないでおいてあげる」
それじゃあさっきと何も変わらないのではないか。
見守る鈴仙の中に、疑惑だけが残る。
しかも、さきほどからてゐの様子がおかしいのだ。
右腕を体の後ろに回して、まるで動かそうとはしない。鈴仙の位置からもその手の様子は知ることはできないが、異常だというのは理解できる。
「てゐ! やっぱり、私も!」
「来ないで!」
しかしてゐは迷わずその行動を止める。
そして、いたずらをするときの顔になって。
いつもみたいに笑って見せた。
「鈴仙は、鈴仙のできることをしてよ」
「私のできること?」
「そうだよ、ほら、ね? 覚えてる、鈴仙?」
笑顔のままフランドールに向き直り、小さな足でざっざと、地面を鳴らす。
澄み切った星空の下、その桃色の衣装に包んだ身は本当に小さい。
けれど鈴仙は思うのだ、何故かその姿を見ていると安心できる。
心からそう思えてしまう。
「さっき、フランドールが出てきた方向ってね」
信じてしまうような強さが確かにあって、
「女の子が出てきた方向と違うからさぁ……」
どこかに必ず根拠があって、
「がんばって、逃げてね♪」
再度振り返って、微笑を見せたときだった。
林の中からいきなり妖怪たちの咆哮が聞こえてきた。
鈴仙が驚き周囲の音を確認すれば、数匹程度の感ではない。
少なくとも10を超える妖怪たちが、おもいっきり鈴仙に向かってやってきているわけで、
「……へ? うぇ、ちょ、てゐ! あ、あんたってやつはぁぁぁぁっ!!」
「あ、そうそう、死にたくなかったら女の子手離しちゃだめだからね~」
さっき動かなかったからだが嘘のように、気軽に手を振って見送るてゐの姿を一瞥して、鈴仙は走る。
兎の脚力を存分に使い、地を蹴り、木々を蹴り。
子供を抱えたまま最高速で跳ね続ける。
「うん、やればできるじゃない」
鈴仙が離れるたびにそれを追う妖怪たちの群れも移動していく。
それに合わせて野生動物たちも逃げ出したせいで、鳥の声や虫の声も消え。
満月の下にあるのは、たった二つの呼吸だけ。
「さあ、遊ぼうか。吸血鬼のお嬢さん♪」
とんっと軽く体を浮かせたいたずら兎は、左腕を前に出して。
手のひらを上に向け、ちょいちょいっと指で誘う。
「ふふん、生意気!」
それにフランドールが紅の魔力弾で応え、戦いの開始を伝える火柱が上がった。
爆風と、飛び散る土埃。
それすらも攻撃だと言わんばかりにフランドールが力を行使する。
上空に飛び上がり、てゐがいる位置へ向けて絨毯爆撃。
耐えられなくなって飛び上がった瞬間を狙い打とうという、単純ながら強力な一手だ。
しかし、てゐは林が消えていくのをじっと眺めて。
魔力球も、木々の破片すら避ける。
「あーあー、無茶くちゃやるなー」
それでも、地面に攻撃が直撃するたびにてゐが身を隠す場所は消えていく。
何度も繰り返すたびに、てゐの周囲が丸裸にされていく。
「ねえ、当たった? 当たっちゃったかなぁ?」
そしてそれが十数回続いたとき、ぶすぶすと煙の上がる黒い焼け野原が完成する。
その中央にはてゐが頬を掻きながら佇み。
追い詰めたフランドールは大声を上げて笑う。
「残念だけど、全部掠りだね。あーあ、大事な一張羅が~」
焦げたスカートの先を左手でばさばさと揺らして、余裕を崩さない。
ふさふさの丸い尻尾も土埃は被っているものの、攻撃が当たった様子はなかった。
「だって、こそこそするから悪いんだよ。ほら、やっぱり広い場所で遊んだ方が楽しいし」
「手加減してくれてたってこと?」
「うん、こんなに満月が綺麗な夜に、それを覆い隠す場所で戦うのはつまらないもの。それにあいつだって言っていたもの」
くすり、と。
口元を手で隠しながら微笑むのは姉の真似事だろうか。
空中で足を組むという器用なことをしながら、ゆっくりと降りてきて。
20、いや、30メートルは離れた位置でつま先を地面に触れさせる。
「ライオンは兎を狩るときも全力で楽しむものなのでしょう?」
「窮鼠猫を噛む」
「ん?」
「兎の牙には気をつけろってこと。噛まれると痛いよ~」
「噛むのは、私たちの専売特許!」
逃げる場所を失ったてゐに向かって、指先から横一線に弾幕を放つ。
てゐの胸の高さほどの広範囲の弾だ。
どうしてもここは上に逃げたくなるところだが、
ダン、と。
てゐは躊躇なく前に屈んで弾幕の下を駆け抜けようとする。
その加速で焼け焦げた土が舞い上げ、相手の意識を分散させる意味を込めて。
派手な映像で上に逃げたと錯覚させるためだ。
だが、弾幕遊びの中のフランドールの純粋な集中力は――
「甘いね!」
紅白の巫女の反応速度にすら匹敵する。
右手に、奇怪な形の杖と、一枚のカードを握り締め。
「切り裂け! レーヴァンテイン!」
宣言と同時に、巨大な赤い刃で弾幕の下を凪ぐ。
弾幕と、荒れ狂う光条。
それを見たてゐは、ふぅっと軽く息を吐いて。
迷わずその身を弾幕に捧げた。
「ぐっ」
小さな体の上で炸裂する魔力弾。
それに向かって全速力で飛び、体を弾丸にして突き破る。
「えっ!」
煙を纏い、茶色の帯を引き。
無理やりに突っ込んでくる。
普通なら無理にでも逃げようとして細い隙間に体をねじ込もうとするはず。
そうやって、無理をすれば大きな隙が生まれ、必殺のタイミングが来る。
そこまで考えて、スターボウブレイクのカードを握り締めていた。
誰もが彼女の力に怯えて、逃げの一手を取る。
いくら範囲だけを考えて放ったと言っても、初手の攻撃にもそれなりの力を込めていたはずなのだから。真っ向から向かってくることなど考えていなかった。
「これで、一つ!」
けれど、てゐは止まらない。
レーヴァンテインを飛び越え、ふらつきながら着地しても、一瞬で最高速に加速する。
それが、地上の兎。
妖怪兎の中で第一位に君臨する脚力。
「く、その程度!」
てゐが突っ込みながら放つ広範囲の弾幕、それを避けながらフランドールは身を翻すが。
いくら距離を離そうとしても、てゐがついてくる。
最高速度では吸血鬼に軍配が上がるはず。
天狗に匹敵するのだ、それに達した吸血鬼をてゐが追いかけられるはずがない。
それなのについてくる。
砂埃を上げて、てゐがついてくる。
「ふん、鬼ごっこは得意ってことかしらっ!」
それを可能にするのは最高速に達するまでの加速。
左右に小刻みに揺れながら、フランドールにプレッシャーを掛けてくる。
そのてゐの動きを嫌い散発的な攻撃を繰り返して、もう一度仕掛けを作り始めた頃。
かつん。
てゐの足に、大きめの木片が当たる。
「へっ?」
地面にしっかり足がつかずに、大きく前のめりにバランスを崩した。
ちょうどその顔の前には、威嚇のために放った紅の弾丸が迫っていて、
「がぅっ!」
額に直撃を受けたその体が、大きく仰け反った。
足は前に出ようとしているのに、頭が爆風で後ろに無理やり持っていかれているのだ。
それで耐えろというほうが無理な話。
「ふふ、ドジな兎さん!」
気を失ったのか、瞳を閉じたまま空中に投げ出された体は、前進する力と後退する力に翻弄されて大きく空中で回転し、フランドールの眼前でそのまま地面に叩き付けられた。
「これで、二回目、なんだよね? それで……」
至近距離、そして潰れた蛙のように腹ばいになるてゐ。
勝機を得たフランドールは、そのまま右手を前に突き出し、
「これで、三回目!」
勝利を確信し、魔力弾を撃つ。
しかし地面に撃ったせいだろうか。
着弾した部分から予想外の量の砂煙が舞い上がり、二人の姿を覆い隠してしまった。
「けほっ」
さらに大きく口を開けていたせいで、フランドールは大きく咳き込むことになり。
「違うんだよねぇ……」
「っ!?」
視覚を奪わる直前、フランドールが見たその姿はもう足元にはない。
濃霧などとは比べ物にならないほど、周囲を覆い隠す黒い煙。
それが立ち込める場所で口を押さえていたフランドールはやっと気付いた。
視界が奪われたとき。
目標物を見失ったとき。
音で目標の位置を把握しなければいけなくなったとき。
吸血鬼と妖怪兎の立場が。
狩人と獲物の立場が逆転することに。
フランドールはなりふりかまわず、黒い霧から脱出しようと後ろへ飛び。
「三回じゃなくて……、三つ当てればいいっていったでしょ?」
「っ!?」
煙から脱出した瞬間に待ち構えていた狩人に、無防備な姿を晒してしまう。
そこでてゐは、このときのためにとっておいた勝利への鍵を。
右手に握る切り札を開放する。
そう、お土産に貰った『岡崎屋の三色団子』を、
「くらぇぇぇぃっ!」
「んむぅぅぅぅっ!?」
驚愕で開きっぱなしのフランドールの口に押し込んだのだった。
◇ ◇ ◇
「――ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」
波乱を生んだ満月が沈み、清々しい太陽が目を覚ました頃。
何度も何度も頭を下げる両親の元に、可愛らしい女の子は無事に送り届けられた。
瞳に一杯涙をためた親子の再開の姿を見せられると、鈴仙の胸にも熱くなるものがある。
「いえいえ、どういたしまぁぁしぃぃてぇぇっ!」
「いたい、いたいいたいいたいいたいっ!!」
そして、てゐの左右のこめかみには硬い拳がある。
容赦なくグリグリとひねりを加え続けられて、こちらも別な意味で涙を浮かべていた。
さすがにその痛がりようを見て、可哀想と思ったのか。
人間の家族から許しの声が出て、やっとてゐは地獄から開放された。
「信じられないね! 私、鈴仙助けてあげたのにさ!」
「何が助けた~、よ! 死ぬかと思ったじゃないの!」
「だから、女の子握り締めてれば大丈夫だっていったでしょ!」
てゐの能力は、幸運を与えること。
そしてその対象として一番効果があるのは、人間。
てゐは人間に抱きつかれたときにこっそり幸運の能力を発動し、鈴仙に預けたのだ。
「耳焦げたし、薬箱壊れちゃったし、売り上げ消えちゃったし!」
あの弾幕勝負の後、何があったかというと。
美味しい団子を無理やり押し込まれた結果、フランドールが戦いの欲求から開放されて大人しくなってしまい。服の中に隠していた残りの団子もフランドールにプレゼントしたら、大層気に入られてしまって。
お礼に何かしたいと申し出たから。
ほんのちょっと。
ちょぉぉぉっっっとだけ、鈴仙の手伝いをしてやろうと、追いかける妖怪たちの殲滅を依頼したら。またしても上空からの広範囲爆撃で、周囲を一掃してしまったわけで。
その中央に、服や耳を軽く焼かれた鈴仙とまるっきり無傷な少女が残ったというわけだ。
「命があっただけいいじゃない!」
「よーくーなーいっ! あの後、私が師匠からどんなお叱りを受けたと思ってるのよ!」
「あーあー、そうですか! じゃあ次は絶対助けてあげないからね!」
「いーりーまーせーん! 私一人でできるからっ!」
お互い腕を組み、ばちばちと視線で火花を散らす。
仲がいいのか悪いのか。
そんなケンカを少女の両親がなんとか宥めるのに成功したのは、太陽が少し高くなった頃。見苦しいところを見せたと、鈴仙が頭を下げ。
「あ、そういえばあれは片付けたほうがいいと思いますよ?」
頭を上げた瞬間に見つけた、探し人の立て看板。
テレを笑顔で誤魔化しながらそれを指差せば、
「え?」
全員から両親から上がるのは疑問の声だけ。
詳しく聞いたところ、立て看板を出す余裕なんてなかったのだという。
「そもそも、この子が迷子になったのは夕刻くらいでして」
「え、それじゃあ……誰が?」
てゐが言うには、フランドールを迎えに来た美鈴に看板のことを尋ねても知らないと返ってきたそうで。
「あ、あの看板ですか? あはは~、あれは僕のお嫁さん探しですよ。
『かわいい女の子を捜しています。笑顔が特徴的な元気な女の子。年齢は大体25歳くらいで思い当たる方は僕の胸まで飛び込んでおいでー♪』って――」
『じゃあ、飛び込む♪』
「ぶはぁっ!?」
二人の妖怪兎のタックルが、人里のとある若者の胸を直撃したのは、また別の話。
纏まりもないし、戦闘描写も薄い。
内容的に迷子探しか戦闘ものか分けた方が良かったように
感じました。
でも.オチのつこたはおもしろい
この二人のコンビネーションは何だかんだでやっぱ良いね
何がいけないんだろう。
女の子でも良かった。最後は蛇足に感じた。