藤原妹紅は空腹であった。朝食を抜いてきたから仕方ない。
米も味噌もタケノコもお酒も、まだまだ蓄えはあったがあえて食べてこなかった。
なぜならば。今日は輝夜の手料理を食べる『命令』を受けているからだ。畜生。
「いらっしゃーい」
満面の、悪意皆無の笑顔が逆に胡散臭い蓬莱山輝夜が、永遠亭玄関までわざわざ出迎えてきた。不吉だ。
というか、禍々しいオーラが部屋の奥から漂ってくるのが視認できた。
黒々と。
モクモクと。
呼吸を害している。
もっと一般の言葉で表すならば。
もっと単純に一言で表すならば。
もっと短く一文字で表すならば。
煙。
「……焦げてないか?」
「鍋をほったらかしにして来たから、焦げちゃってるかもしれないわね」
「はよ戻れアホ」
言いながら、妹紅はスタスタと上がり込む。良くも悪くも長いつき合いなのである程度の勝手は知っている。廊下を逃げ惑う兎を横目に、早足に煙の出所へ。妹紅の家よりも広いんじゃないかと思える台所では、火にかけられたままの鍋が黒煙を吐き出していた――のなら、どんなによかっただろう。
妹紅は目を引ん剥いた。
鍋から吐き出される黒煙の中で、赤黒い肉の塊が膨張しながら悶えていた。タコやイカとは明らかに構造の異なる触手が無数に生え、その表面はイボらしきもので淫らに覆われている。
「サ耶dあ夜、Yぉ炉しクnE」
しかも意味不明な発音で意味不明な言葉を投げかけてきた。知能があるのか? 知的生命体の誕生なのか?
もしかしたら生命の誕生の謎に迫る宇宙の神秘を解き明かす破滅の宴っぽい致命的な異変という名前の奇跡に立ち会っているのかもしれないが、藤原妹紅、あえて慈愛の笑みを浮かべた。
「うん、これは……火加減が弱すぎたんだな。まったく輝夜ったらそそっかしいなぁもう。炎のスペシャリストである私がフォローしてやらるのが優しさって奴よね」
と、右腕が爆発したかのように大炎上を起こした。
「コRe環……湖SU喪!?」
「鳳翼天翔ォォオオオッ!!」
「腐ェ煮っkU諏いっ鬼!?」
妹紅渾身の一撃によって、鍋の中の料理は奇怪な悲鳴を上げながら火達磨となった。
火の鳥が鍋の上で踊る。ある意味、料理漫画的ファンタジーな光景。
おっとりとした輝夜がやって来る頃にはもう、鍋の中のモノはあまりの高熱に蒸発してしまっていた。
「あら、せっかくの魚のスープが」
「川魚はよく寄生虫がいるけど、その点を理解して調理していたのか?」
「まあ。知らずに川魚をイナバに食べさせてしまったわ」
それで鈴仙の姿を見かけないのかと妹紅は納得した。
「やっぱりワサビを通常の三十倍の量で握ったのがいけなかったのかしら」
「それ以前の問題だった。ていうかそれってスシ? ワサビズシっていう罰ゲームじゃないの?」
「ちゃんとてゐに教わったのよ」
「鈴仙が犠牲者になった理由がよくわかったよ。さっきの魚のスープもか?」
「スープは永琳に教わったのよ。妹紅用になにか簡単なものをって頼んだら、レシピを渡されたわ」
「どうしてあんな事態になったのか酷く理解したよ」
「酷く理解したって言葉、ちょっと変じゃない?」
「この場合は酷くでいいんだよ」
「そうなの? まあいいわ、時とともに言葉の意味や使い方は変化していくものだし。妹紅はお座敷で、永琳と待ってて頂戴」
「死にたくないからてゐと遊んでるわ。どこ?」
「庭で落とし穴でも掘ってるんじゃないかしら」
「了解。ああそれと、私に出すのはちゃんと輝夜の考えた料理にしてくれ。てゐや永琳のじゃなく」
そう言い残し台所から去った妹紅は、お座敷に近づかないよう注意しながら庭へと向かった。
永遠亭の庭は、むしろ庭園と呼ぶ方が似合っているだろう。広く、美しく、植木や花々が調和を保っている。
予想通り庭にいた因幡てゐは、園芸用スコップで小さな穴を掘っていた。もし落とし穴として活用するなら、雀くらい小さくなけりゃ落っこちられそうにない。
「てゐ、なに掘ってるの?」
「種を植えようと思ってね」
振り返りもせず答えるてゐ。
今日妹紅が来訪する事はわかっているらしく、驚いた様子も無い。
「なんの種?」
「マンイーター」
と、鶏の卵ほどの大きさのある不気味な種が穴に落とされた。因幡てゐ、本日も平常運転なり。
誰が餌食になるのか? 普通に考えて鈴仙だろう。輝夜が引っかからないかなと妹紅は思い、次に今すぐ開花して永琳が襲われてくれればしばらくの安全を得られるのではないかと考えた。
「てゐ、今日の永琳は私を殺す気満々だったりするのか?」
「昨日、徹夜で蓬莱人を毒殺する薬の研究をしてたみたい。朝にはあきらめて爆弾作ってたけど、悪戯に使えそうだから無断で借りちゃった」
「そういうのは盗むって言うんじゃないの」
「そうとも言うウサ。でも今回に限れば妹紅の爆死を阻止したんだから感謝して欲しいウサ」
「そうだな、ナイスだ」
ウサウサとウサん臭いが、確かに助かった。しかもてゐの性格なら、今日一日妹紅の味方に回ってくれる可能性が高い。なにせ合法的に永琳をからかえる絶好のチャンス。姫様のお客様の身の安全のためだから仕方ないよね!
振り返ったてゐと目が合う妹紅。
ニヤリと、どちらからともなく笑った。
「いやぁ、姫様もたまにはいい仕事するね~」
「まー、タダ飯はありがたいんだけど、永琳の嫉妬オーラが怖いよ」
「だいじょーぶ。今日は姫様も妹紅も眼中に無いウサ。狙うはお師匠様のみ! ……鈴仙はもう寝てるしね~」
鈴仙は常にターゲットだが、これはてゐの歪んだ愛情表現なのだろうと妹紅は認識している。
自分も、似たような部分が多分、あるから。
「そういえば」
マンイーターの種に土をかぶせながらてゐが問う。
「どうして姫様の手料理を妹紅が食べに来る事になったのさ?」
「ああ、それはね」
こうして妹紅は語り出した。
今さらながらに語り出した。
起承転結の起に当たる出来事を――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「喰らえ鳳翼天翔ー!」
「フッ……新難題『デスクィーン島に咲いた一輪の花』!!」
「ぎゃー、やーらーれーたー」
「じゃあ今回は妹紅が罰ゲームね。明日、私の試作料理の味見をしなさい」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……という事があってね」
「章を切り替える意味あったの?」
呆れ果てるてゐ。種に土をかぶせ終わるのと同程度の時間で話が終わるとは、さすがに思わなかった。
それにしても、ただの殺し合いにはそろそろ飽きてしまったのだろうか。負けた方が罰ゲームだなんて面白い事態になっているとわかっていれば暇潰しに観戦くらいはしたかもしれないのに。今までの罰ゲームの内容も気になった。バニースーツでご奉仕とか、一週間下着の着用禁止とか、そういう罰ゲームを是非とも鈴仙にさせたい。
「チビ兎、物凄い不気味な笑い方してるぞ」
「気にしない気にしない」
不気味な笑みを不吉な笑みに変えて、黒々とした気配を発する白兎。
だがその程度の邪気はてゐにとって戯れにすぎず、それは妹紅も同様で気にも留めない。
そんなてゐが歩き出すと、行き先を気にせずついて行く妹紅。縁側に上がって、仕事をしているのかいないのかよくわからない兎達と行き違いながら、今まで足を踏み入れた事がない廊下へと入っていく。幾つもの襖を通りすぎ、なんの変哲も無いひとつの部屋へと誘われる。
「ようこそ私の部屋へ」
なるほど、てゐの部屋か。
「お邪魔しまーす」
青い畳に金色の刺繍が見事な座布団、磨かれた卓の上にはガラスの花瓶に白い紫陽花が飾られていた。チラリと本棚を見れば健康に関する本が何冊も並んでいた。他には子供向けの漫画や、小難しそうな学術書、幻想郷百景という題名の画集、幻想郷縁起、スペルカードに関する書物など様々な種類があった。乱読家なのか。
小説も多くあったが、どうも推理小説が多いようだ。きっと絶妙なタイミングで犯人の名前を赤ペンで丸く囲み「こいつが犯人ウサ」とかネタバレ仕込んでるんだろう。
「ん、なにか読む?」
「うん」
部屋に案内された意図はまだわからないが、とりあえず適当な推理小説を手に取り、己の推理が正しいかどうか確認しようとして本を開いてみると、目次のページにもう、犯人の名前とトリックが書かれていた。
やるじゃないか。
だが目次に書かれる各章の名前に見覚えがあったので題名を確認してみると、何年か前に読んだ事のある推理小説だと思い出した。なかなか面白かった。まさかの犯人まさかのトリックで結構印象深い。だから気づく、てゐが書いただろう犯人の名前とトリックが違っている。なるほど。本当の犯人を教えるなら、ある程度読み進め、物語に移入した頃合を見計らえばダメージは大きくなる。それなのに初っ端で嘘のネタ晴らしをする理由は、読む気を真っ先に失せさせ、それでも読もうというつわものの心をさらに挫くための罠。嘘のネタ晴らしを信じて読んでしまっているから、作中の情報はすべて嘘のネタ晴らしに合わせて補正される。これでは物語を読んでて楽しくないし、真相を知れば「ネタ晴らしを信じなければ楽しめたのに」とショックを受ける。
やるじゃないか。
納得したので本棚に戻すのとほぼ同時に物を置く音が背後から聞こえ、振り向く。てゐが卓に小瓶を置いていた。中には土気色の錠剤がつまっている。
「それは?」
「胃薬。私のお手製だから安心してね」
「全然安心できないっていうか蓬莱人だから薬って効かないんだよね」
「正確には消化にいい植物やらなにやらを丸薬にしただけだから、薬ってほどのものじゃないよ。蓬莱人でも、焼き芋を食べればガスが出やすくなるでしょう? それとも妹紅の場合は火が出るのかな」
「口からなら出るよ」
フッと強く吹くと、妹紅の唇から鋭い紅蓮がほとばしり大きな兎の耳の間を通り抜け、その背後の壁に触れる前に消失した。さすがに驚いたてゐは一瞬硬直したが、すぐ楽しげに口笛を吹いた。
「ヒューッ、かっこいー」
「度の強い酒を口に含めば、お前でもできるぞ。宴会の時にやれば盛り上がる」
「生憎だけど、私のキャラクターには合わない芸だねぇ」
「ところで輝夜は昨日、いったいどんな料理を作ったんだ?」
念のため、探りを入れてみる。
天才肌の輝夜ではあるが、永琳の悪知恵のような方向に突き進んでは蓬莱人といえど生命の危機を感じる。
「んー、昨日の晩ご飯はねぇ」
「うん」
「タケノコの蜂蜜漬けを木っ端微塵にしてふりかけの如くご飯にかけたり」
「わーい甘そうだぁ」
「ツチノコの生き血を赤ワインで割ったり」
「わーい精力抜群だぁ」
「お味噌汁の具はツチノコの肉とアルゴスの目玉とマンドラゴラの根っ子とマイコニド」
「わーい幻想動植物盛り沢山だぁ」
「バジリスクの玉子焼きは塩や砂糖といった既存のアイディアから逸脱して、マムシの毒を入れたり、ハブの毒を入れたり、コブラの毒を入れたり、タランチュラの毒を入れたり、カモノハシの毒を入れたり、どくけしそうの粉末を入れて相殺を試みて失敗していたよ」
「わーい不死身の蓬莱人ならではの発想だぁ」
「ハンバーグはルーミアから分けてもらったっていう得体の知れないひき肉を材料にして、幻想郷に海が無いのになぜか海亀のスープも作っちゃってたよ」
「わぁい人肉率が高そうだぁ」
「他にも色々あったけど忘れちゃった。ていうか途中で逃げ出したから知らないや。てへっ」
「さすが輝夜、独創性では他の追随を許さないな」
「ぶっちぎりでね」
二人は馬鹿みたいに大口を開けて笑い声を張り上げた。愉快愉快。台所で輝夜がどんな料理を作ってるかとてもとてもとてもとてもとーっても楽しみだぁヒャッホウッ! という気持ちで投げやりに笑っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
レディース・アンド・ジェントルメン。
この言葉はとても失礼だ。侮辱にも等しい。いや、等しいどころではない。明確な侮辱である。
なぜならば、レディースという言葉の中に輝夜と妹紅が含んでいるからだ。
彼女はレディーではない。
輝夜は月の姫、妹紅は貴族の出自。
レディーもジェントルマンも平民を指す言葉だ。大統領だろうが首相だろうが大富豪だろうが、平民は平民。
時に貴族の権力が平民に劣る時代があったとしても、権威は常に上なのだ。生まれ持った身分が違うのだ。
先祖が貴族なら、例え貴族制度が廃止されても永遠に貴族として扱うという国も外の世界には存在するという。
だからこそ、貴族を平民と一緒くたにしてレディース・アンド・ジェントルメンなどと抜かすのは、侮辱となる。
故に、輝夜と妹紅がいるこの場では、ノウブルズ・アンド・ソウルジャーズという言葉が相応しい。
そういった事情を重々理解している知識人の因幡てゐは、広間にてマイクを片手に言った。
「フール・アンド・サクリファイス! 今日は姫様の創作料理の発表に参加してくれてありがとー」
レディーうんぬん以前の問題だった。
集まったのは愚者と生贄であると断ぜられた。
うんちくが無駄になった。台無しにされた。
「わぁ……い」
「ひゃっ……ほぉー……」
「うさ……ウサ……」
用意されている座布団は五つ。
その半数以上を占めてローテンションな歓声を上げるのは、試食係に選ばれた栄誉ある三匹の兎。生贄とも言う。
「今日はあなたも一緒なのね」
客人妹紅の隣で笑顔を浮かべているのは、月の頭脳八意永琳だ。月の煩悩とも言う。愚者とも言う。
「なんか私じゃ一万年かけてもたどり着けない領域の炎を永琳から感じるんだけど。嫉妬の炎属性の殺気を」
姫様の手料理をご馳走になるという僥倖に恵まれた藤原妹紅。罰ゲームを賭けた弾幕ごっこに勝てなかった愚者であり、輝夜の三日坊主率が非常に高い突発的趣味の生贄でもある。
つまりてゐの「フール・アンド・サクリファイス」は、残念な事に完璧な使い方だったのだ。完璧だからこそ残念なのだ。残念でないのはとっくにリタイアして療養中の鈴仙だった。
「えー、ちなみに鈴仙は先んじで姫様特製の松竹梅粥とはしばみ草のお茶で療養を深めてるはずだよ!」
訂正。
鈴仙も残念な目に遭っていた。
「今日はご機嫌なゲストがいるから、姫様は昨日以上に張り切ってるよこりゃ参ったね! HAHAHA! 因幡てゐ秘蔵の胃薬は持ったかな? 持ってない兎は安心して! 今この場で三割引で売っちゃう! きゃー、太っ腹ぁ!」
試食係の兎のうち一匹が慌てててゐの元へ行き、三割引らしい胃薬を壱万円札で買い取った。定価幾らだ。
「そう……姫様は張り切っているのね。昨日以上に。妹紅がいるせいかしら……藤原妹紅がいるせいかしら……」
ブツブツと呪詛めいた響きが隣席から聞こえるが、きっと気のせい気のせい邪気のせい。
「てゐー、今日のメニューはなんじゃらほい?」
邪気が強まって鬱陶しいが気さくな調子を崩さない妹紅。崩したら邪気が雪崩れ込んできそうなので。
「いやー、それは台所にいる姫様と手伝い兎しか知らないよ。運ばれてきてからのお楽しみって奴だねー。アハッ」
妹紅、永琳、兎三匹と、てゐ。この人数に食べさせるとなると、普通の一般家庭で出てくる昼食や夕食なんかだとありがたい。
しかしである、輝夜である。
そんなありきたりな真似をしてくるとは思えない。
バケツよりも大きなどんぶりいっぱいのラーメンの上に肉と野菜を山盛りにした特盛りラーメン一杯というオチもある。
あるいは百皿くらいの料理を作ってきて、それぞれの皿から一口食べるだけで満腹になるかもしれない。
日の丸弁当を人数分なんてのもあるかも。銀シャリとか抜かして白米だけだったらバックドロップ決めてやろう。
タケノコご飯は食べ飽きたし、普通の混ぜご飯なら大歓迎。松茸が入ってると香りと歯ごたえが最高になる。
米を食べるなら他にも……カレーライスやチャーハンをスプーンでガツガツ食うのもいいよな。
そういえば早苗の奴、ハンバーグが得意だったな……トマトソースがまた抜群でさ。
ホットドッグやフランクフルトにケチャップとマスタードをたっぷり! はしたなくてもいい、大口を開けてガブリ!
ピッツァが食べたいなぁ、シンプルなマルゲリータ。パスタならカルボナーラがいい。飲み物はワインでいいや。
などと、輝夜の料理というより自分が食べたい物を空想し始める妹紅。
最近質素な和食続きだったので、豪勢な洋食を胃袋が欲している。豪勢なら和食でもいいという寛大な心もある。
「お待たせー」
と、妄想で空腹感が存分にあおられたタイミングで、やり遂げた面差しの輝夜がやって来た。手ぶらで。その後ろから続くお手伝い兎が頭の上にお盆を載せてぴょんぴょん跳ねていた。汁物もあるようだが全然こぼれる気配が無い。あまりの器用さに妹紅は感動すら覚えた。あいつ等は大道芸でも食っていけるだろう。
「さあイナバ、私の創作料理を妹紅達の前に並べなさい」
どうやら料理は、お盆に載っている物ですべてらしい。一般家庭の昼食程度の量だ。
となれば気になるのは献立。一般家庭の昼食同様、極普通の和食だったりするのだろうか。
いやいや輝夜に限ってそれはない。きっと予想の斜め上を行ってくれるだろう。
「うさー」
「どうも」
兎に配膳され、さてどんな塩梅かと確かめると、それはもうありきたりで没個性な献立だった。
一般家庭のありきたりな昼食だった。
ホッカホカの白いご飯。
ホッカホカの味噌汁。
ホッカホカの野菜炒め。
ホッカホカの玉子焼き。
ああ、普通って素晴らしい! 普通万歳!
と思ってはいけない。
今、妹紅の脳裏に蘇っているのは因幡てゐが暴露した先日の創作料理。
――タケノコの蜂蜜漬けを木っ端微塵にしたふりかけをご飯にかけたり。
――ツチノコの生き血をワインで割ったり。
――お味噌汁の具はツチノコの肉とアルゴスの目玉とマンドラゴラの根っ子とマイコニド。
――バジリスクの卵の玉子焼きは塩や砂糖といった既存のアイディアから逸脱して、マムシの毒を入れたり、ハブの毒を入れたり、コブラの毒を入れたり、タランチュラの毒を入れたり、カモノハシの毒を入れたり、どくけしそうの粉末を入れて相殺を試みて失敗していたよ。
――ハンバーグはルーミアから分けてもらったっていう得体の知れないひき肉を材料にして、ト幻想郷に海が無いのになぜか海亀のスープも作っちゃってたよ。
――他にも色々あったけど忘れちゃった。ていうか途中で逃げ出したから知らないや。てへっ。
チラリと永琳に目を向ければ、満面の作り笑いを強張らせていた。
試食係の兎三匹も重苦しく沈んでしまっている。
やはり見かけ通りとはいくまい。妹紅は輝夜を見た。
「なあ、創作料理……って、見かけは真っ当だけど、いったいなにをやったんだ?」
天女のような微笑を浮かべて振り向いた輝夜は、えっへんと胸を張る。
「うふふ。それは食べてからのお楽しみよ」
「でもなぁ、お前、料理始めたの最近なんだろ? 素人の創作料理ってほぼ確実に失敗するよ。アレンジっていうのはさ、基礎がしっかりできてる人がやる事だから」
「あら、じゃあ今日も失敗してしまったかしら」
「昨日作ったらしい創作料理は失敗だったと思ってるのか?」
「ええ。だってイナバが具合を悪くしてしまったもの。やっぱり毒を入れたのは間違いだったわね、不死身だから気づかなかったわ」
「そうか、じゃあ今日は毒は入ってないんだな」
「もちろんよ、だから安心して食べていいわ。というより、妹紅なら毒なんて効果無いんだから、最初から心配無用じゃないの」
「ははは、こりゃ一本取られたよ」
その会話はあまりにも平穏で。
その会話はあまりにも不穏で。
永琳と兎達は背筋を冷たくさせた。見かけが真っ当だからこそ想像がつかない。
「さあ。冷めないうちに食べて、感想を聞かせて頂戴な。永琳ったらやれ独創的だ不思議な味わいだばっかりで、ちっとも具体的な意見を言ってくれなくて……参考にならないんですもの」
「うぐっ……も、申し訳ありません……」
昨日、精いっぱいのフォローを考えに考え抜き、それでも正直であろうとした永琳の忠誠心。その想いは全然届いていなかった。不憫と言えば不憫。しかし。
(くくく……藤原妹紅め、私の愛しい輝夜の手料理を食すという栄誉は今日だけだ! お前は正直な感想を言い、輝夜のいたいけなハートを傷つけるがいい! そうすれば輝夜は二度とお前を招待などしないだろう……そして傷ついた輝夜を私がこの私がこの永琳がこの八意永琳がこの月の頭脳八意永琳が癒すのだァー!)
同情しなくてもよさそうだった。
「じゃ、さっそく頂くとするか」
まだ輝夜の料理を体験していない妹紅が一番槍となった。箸を手に取り、なんの変哲も無いように見える白米のお椀を持ち上げる。ああいい香りだ。炊き立ての香りだ。頬をほころばせながら、妹紅は白米を食べた。
「もぐ、もぐ、もぐ……」
「どう? 妹紅」
「うん、歯ごたえがあっていいんじゃないかな。うまいよ」
「やったわ、大成功ね」
胸の前でポンと手を合わせた輝夜は、ほんのわずかに身をよじって喜びを示した。
だがそんな輝夜の可憐な動きよりも、永琳は妹紅の笑みを睨んでいた。
(な、なにぃ~!? 演技の気配がしない……まさかッ、そんなッ、輝夜の料理がおいしいとでもいうの!? 確かに見た目は普通、でも、しかし……歯ごたえって!? 白米よね? 歯ごたえがあるの? どういう意味!?)
永琳と同じ事を、試食兎三匹も考えていた。
しかし食べねば終わらない。そう、この悪夢の宴は終わらないのだ。
故に、あれこれと考える永琳より先んじで一匹の兎が白米を食べた。
「ブフォッ」
噴飯した。
白米は、確かに歯ごたえがあった。炊き具合が足りず芯が硬いままだったのだ。でもそんなのは些細な問題だ。その程度なら吐き出すほどの事ではない。つまり。その程度ではない事を施されていた!
「しょ……しょっぱいのか、甘いのか……わ、わからなか……がっくーん」
兎は食事不能に陥った!
しかし遺言を残してくれたために、永琳は味を想像して口に運ぶ事ができた。
「んぐっ……」
芯の残った米は、塩と砂糖で十二分に味つけされているようだった。塩はわかる。塩おにぎりとかあるし。でもなぜ砂糖? 永琳の脳裏に浮かんだイメージは次のようなものだった。
ご飯にお塩を入れましょー。あら、しょっぱくなりすぎちゃったわ。じゃあお砂糖の甘さで相殺~。あら、甘くなりすぎちゃったわ。お塩をのしょっぱさで相殺~。以下繰り返し。
こんな具合だったのだろう。
(ああ輝夜、それは相殺ではなく相乗と言うのよ。しかもこれ、茶碗いっぱいの白米を食べたら塩が人間の致死量を迎えるんじゃないかしら……毒なんか入れなくても、十分殺人的料理よ……)
がっくりとうなだれながら、不死身の肉体を駆使して永琳は黙々と箸を動かした。米をひたすら呑み込んだ。
噛まずに。味わわずに。
その隣で、ガツガツと白米をたいらげていくのは藤原妹紅。
「輝夜、これなんか味が濃くない?」
「秘密の味つけをしてあるのよ」
「ふーん。でもさ、白米って他のオカズと一緒に食べたりするんだし、余計なモンは入れない方がいいよ。混ぜご飯やチャーハンならともかくさ」
「それもそうね、失態だったわ。適切なアドバイスありがとう」
和気藹々と会話する二人。
な、ん、だ、これは。
永琳はビキビキとこめかみに力を込めた。血管が浮き上がるほどに。
演技か? 妹紅は演技しているのか? 輝夜の独創的な料理を褒め称え、他の永遠亭住人を地獄から逃さぬ腹か? しかし妹紅が敵視しているのは永遠亭ではなく輝夜個人のはず。
おいしいと言って食べ、そしてアドバイスをする。
そんな真似をして、輝夜にどんなマイナスがあるというのだ。むしろプラスになるんじゃないか。妹紅は輝夜を貶める気は無い? つまり褒めているのは本心からではなく、輝夜を懐柔するため。それしか考えられない。
月の頭脳は素早く結論を導き出し、それが正解であると確信した。
愛情と憎悪は表裏一体。おのれこの焼き鳥娘、いつの間に輝夜に色目を使うようになりおったか。
(よかろう藤原妹紅ッ、貴様がそのつもりならこの八意永琳、全身全霊を懸けて輝夜の料理を完食し、最大最高の賛辞にて輝夜の笑顔を引き出そうではないか!!)
テンションが上がりすぎて脳内口調が滅茶苦茶になっていたが、脳内口調なので気にかける人物は皆無だった。
「こっちも味が濃いぞ。ていうか、具のバランスも悪い」
「えー、そう?」
永琳があれこれと思考している間にもう、妹紅は味噌汁を口にしていた。
先を越された! 屈辱からわずかに唇を歪める永琳。今このタイミングで白米を褒めても滑稽なだけだ。自分もいち早く味噌汁を分析し、独創的な味わいをオブラートに包んで褒め称えなくては。
素早く、味噌汁を口に入れる永琳。具を、汁を、まとめて口内分析。
この味、この歯ごたえ、この香り。
「ぎゅぐんぎゅぐんぎゅぐぐぐるーん」
意味不明な声らしきものが唇の隙間から漏れた。
輝夜と妹紅がいぶかしげに視線を向ける。
「永琳?」
「どうかしたか?」
「いえ……あまりのおいしさにビックリしてしまって歓喜の喘ぎが漏れました」
ありえないありえないありえないありえないありえないありえない……永琳の頭脳をその言葉が埋め尽くしていた。だってこの味噌汁、いや、味噌汁と呼称する事すらはばかられるこれは、いったいなんなのだ。
確かに味噌を使っている。味噌の汁ではある。しかし味噌の味などしなかった。その原因は、味噌の味を上書きするほど濃密な肉汁を出している、このやけに弾力のある肉で、ゴムでも噛んでいるような錯覚をしてしまう。
「これなんの肉? 噛み切りにくいんだけど」
「マーラさん」
「知らん。なんだそれ?」
「最近幻想郷にやって来た神様よ。大きなキノコみたいな身体で、触手が生えてるの。おねだりして触手を一本分けてもらっちゃった」
「神様つーか知的生命体の肉なんか食べさせるなよ……」
「でも食べられるってマーラさんから言ってきたんだもん」
二人の会話を聞きながら、永琳は口元に手を当て、吐き気をこらえながらホロホロと涙をこぼしていた。
彼女の記憶が確かなら、マーラとは釈迦の瞑想を妨げるために現れたとされる魔神であり魔王。その名前は男性の陰茎の隠語である魔羅の語源となっており、その姿は輝夜が言ったキノコというより、男性の股間に生えるアレそのものである。しかもとびきりご立派な。
汚れてしまった。自分だけでなく、それに接した輝夜もまた汚れてしまった。
泣くしかなかった。永琳は泣き続けた。真実を告げるなんてできやしない。
あまりにも残酷で。
あまりにも醜悪で。
あまりにも卑猥で
あまりにもご立派で。
(ていうか殺す。その魔神、三日以内に探し出して殺すわ)
永琳は己の忠誠に誓った。
そんな事をしているから、またもや妹紅に先を越される。
「まあいいや。この大根みたいなのは?」
「根が足みたいに二つ分かれて畑を走り回ってた不思議大根をゆずってもらったの」
「不思議つーか不気味だな。こっちのタケノコは? 竹林のじゃないよね?」
「タケノコ魔人タケノッコーンに分けてもらったの」
「これ三つ葉?」
「四つ葉のクローバーよ。幸運を呼ぶらしいから入れてみたの」
「んー、悪くはないんだけどさぁ、やっぱり味が濃いよ。肉の味が染み込みすぎてて、味噌の味が全然しない。マーラって神様には悪いけど、これは人間が食べる物じゃないよ」
「そう? 残念ね、ウナギの一万倍の精力がつくとその筋では評判らしいのに」
「その筋ってどの筋」
「さあ? まあいいわ、次は野菜炒めをどうぞ」
にこやかに、輝夜は次なる料理という名前の兵器を薦めた。
嬉しさを精いっぱい表現した永琳の笑顔は、これ以上ないくらい引きつっていたそうだ。
兎達はすでに虫の息だった。
創作料理という兵器を食べて平気なのは、妹紅だけだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
三日後。
八意永琳、重態。
鈴仙・優曇華院・イナバ、意識不明。
兎達、全滅。
永遠亭、機能停止。
「みんなどうしちゃったのかしら?」
「どうかしちゃったんだと思うよ」
「
すっかりさびしくなった永遠亭の縁側にて。
のんびりとお茶を飲んでいるのは、輝夜とてゐと……無数の触手を生やした悪性腫瘍の如き肉塊であった。
輝夜の手料理とも言う。
「相変わらずクリームシチューの言葉は発音が滅茶苦茶で聞き取れないわねぇ」
「ていうかクリームシチューのビジュアルと、喋ってお茶を飲んでる事に疑問を持って欲しいなぁ……」
「
「鳳翼天翔ー!」
クリームシチューは炎に包まれた。
「腐味海苔ー!」
クリームシチューは灰になった。
風が吹いて灰がさらさらと流れた。
さらばクリームシチュー。
安らかに眠れ。
「あら妹紅、いらっしゃい」
「食べ物で遊ぶなって、前も言ったろ」
庭には眉根をしかめた妹紅が立っていた。右手は、まだ炎の残滓が揺らいでいる。
「お百姓さん達が丹精込めて作った食材を、あんな訳のわからん異次元生命体にして……」
「遊んでた訳じゃないのよ? 永琳が具合を悪くしてしまったから、永琳に合うご飯を作ろうと思って、永琳が妹紅用にって渡してくれたレシピ通りに作ったのだけど……ほら、永琳自作のレシピだし、永琳も妹紅も蓬莱人だし、レシピの料理って永琳にも相性がいいと思って。でも駄目ね。天才薬師のレシピは料理としてのレベルも別格みたいで、永琳のレシピだけは上手に作れないわ」
要約すると、永琳のレシピ以外の料理は上手に作れているという事である。
本気でそう思ってるから困る。てゐは天を仰ぎ、今日はどうやって姫様の料理から逃れようかと思案した。
てゐが無事な理由。
それはもちろん胃薬のおかげなんかではなく、健康オタクならではの危機回避能力の賜物であった。
味のみに問題がある場合はみずからの味覚を麻痺させて食したり、香りが最悪な場合は嗅覚を麻痺させたり、歯ごたえがミソッカスならば触覚をも麻痺させたし、見た目がクトゥルフ神話なら視覚をも封じた。料理から不気味な呪詛が聞こえた時は聴覚を麻痺させた。五感を駆使して戦い抜いたのだ。
胃に入れるという行為に問題がある場合は、外見だけそっくりに作った自作料理とすり替えたり、輝夜の目の届かない所で食べてきたフリをしたりといった、至って普通の回避方法である。面白味に欠けるとも言えるが、生死がかかっている状況でそんな贅沢は言っていられない。シンプル・イズ・ベスト。単純な手段は強力なのだ。
てゐ以外の要領のよくない兎は全滅した。
律儀な鈴仙は語るのも哀れ。
永琳は輝夜への愛情から料理を食べ尽くしついに限界を迎えた。
だのになぜだ。
てゐは思う。
だのになぜ、妹紅は無事でいるのだ。
蓬莱人だからという理由は通用しない、蓬莱人であり月の民でもある永琳の方が圧倒的に耐性が高いはずなのにすでに重態。
輝夜の兵器を食べて平気なんてありえない。
口や腹の中で焼却処分でもしているのだろうか。いや、それなら妖力の動きでわかる。てゐとて名の知れた大妖なのだ。妹紅は輝夜の兵器を食べている時、別段、変わった事をしていない。
文句を言いながら、普通に食していた。
いったいどういうつもりなのか訊ねようとしたが、タイミングに恵まれずにいる。
今日あたり、聞けるかもしれない。てゐはそう思った。
今日あたり、死ねるかもしれない。てゐはそう思った。
永遠亭面子が輝夜とてゐ以外全滅した今、てゐは確実に生贄に選ばれる立場にあった。
五感に訴えかけるのみで胃袋には無害な料理ならば、なんとかなるだろう。
だがしかし、胃袋を物理的に破壊する料理だった場合、なんと言い逃れをしたものか。
輝夜の料理をすり替えるにしても仕込むにしても、囮となる兎がもう残っていない。
ていうか、もう温めるだけで食べられる準備ができてるのだ。
というか、妹紅がそろそろやって来るだろうと温めたのがあのクリームシチューなのだ。
色々と隙をうかがい事態の打破を目論んだてゐだが、今日はもう絶望しか見えない。
なぜならば。
「今日は妹紅のために、今までの集大成とも言える究極の料理を完成させたわ」
と輝夜が申したからです。
そんな、それほどの料理だと知っていれば、多少無茶をしてでも妨害工作を働いたのに。
永遠亭全滅料理の集大成って、どんな破壊力?
急用をでっち上げ、永遠亭から逃げるという手段は使えない。
だって、鈴仙が意識不明だから。
現段階では命に別状は無いと八意永琳が太鼓判を押しているが、いつ目覚めるかは不明であるとの事。そして意識不明という状態で強制的休息を取った鈴仙がもしタイミング悪く目覚めれば、力をつけるためにと姫様は張り切って鈴仙のために手料理を振る舞うだろう。しかも集大成を。
病み上がりの鈴仙がそんなものを食しては、最悪、死を覚悟せねばなるまい。
だから――てゐは逃げる訳にはいかないのだ。鈴仙がいつ目覚めるかわからないから。鈴仙のために、逃げない。
……最後の晩餐の幕が上がる……。
本日のメニュー。
ペペロンチーノ。"鷹の爪"が山盛り。輝夜が鷹狩りをしてきたのは知っていたが、てっきり鷹の肉を振る舞われるのだと思っていた。それがまさか、鷹の爪とは。鳥の、猛禽類の、鷹の、爪とは。あのね鷹の爪って食材は確かにあるけれどそれは本当に鷹の爪なんじゃなくて鷹の爪に似てるねって事から鷹の爪って名づけられたトウガラシなのよ? しかし鷹の爪くらいなら大目に見れる。食べられない事はないはずだ。しかしペペロンチーノがなぜ黒い液体に沈んでいるのだ、なぜ泡立ちながら呪詛が聞こえるのだ。
オリジナルピッツァ。チーズとマタンゴとコーンとバジリスクのササミとバジルとカレー粉と金粉が載ってます。ピザ生地は抹茶とメロンを混ぜたおかげで緑色だ。
野菜スープ。具はマンドラゴラの根っ子とタケノッコーンとジャックオーランタンと河童印高級キュウリと大根とアルラウネの葉。隠し味はメデューサの涙と大ガマの油と禁断の果実の果汁。
ゼリー。素材の味を大切にするため、スライムを固めただけ。生前は龍神様の鱗さえ溶かした猛者。
「ごめんなさい」とてゐは屈した土下座した。
こんなモノはとてもじゃないけど食べられません。
だがしかし。そんなてゐの前で繰り広げられる光景は理解を越えていた。
「なんだ? どうかしたのか? モグモグ」
ピッツァを頬張りながらのん気にしている妹紅。なぜだ。なぜ食える。
「お腹でも痛いの?」
いぶかしむ輝夜。ここまで鈍いともうわざとなんじゃないかと思える。
孤立無援なのだとてゐは思い知らされた。
藤原妹紅がまさかここまで悪食だったとは。
因幡てゐは涙をこらえた。
けれど。
「ふ、ふ、ふ」
肩を揺らして。
「くっ、くっ、くっ」
立ち上がって。
「やぁってられるかぁーッ!!」
こらえられなかったのは魂の叫び。
ついについに因幡てゐは、すべての感情を吐き出した。
「不味い! 壊滅的に不味い! 殺人的に不味い! 兎達が倒れたのも、お師匠様が重態なのも、鈴仙が意識不明なのも、姫様の最低最悪に不味いドグサレ料理のせいに決まってんだろ! いい加減ッ気づけやボケェー! 珍しくなくていいから人里の商店街で売ってる材料を使え! 微妙な出来になっても料理本の通りに作れ! てめーの味覚はウンコ味のウンコをカレー味のカレーだと誤認するくらい腐ってんのか? あん? ナニをどーやったらあんな糞不味い糞料理ができるのかマジで理解不能だわ。で、妹紅。お前だよ藤原妹紅。なに食っちゃってんの。なに平気に食っちゃってんの? ねえ? お前、姫様の宿敵だろ? 怨敵だろ? けなせよ! 不味いって言えよ! 食卓引っくり返せよ! 入院確実ゲロマズ暗黒料理にまともなアドバイスなんかできるわきゃねぇーだろ! なにアドバイスとかしちゃってんの! それでちっとも改善されてないのになんで平気で食い続けられる!? 鋼鉄の胃袋でも持ってんのか! どういう意図で姫様の料理を食ってんだ! 正直に言ってみろや藤原妹紅ォー!!」
言った。
言い切った。
輝夜は呆然としている。まさかてゐが、こんな事を思っていただなんて、今でも信じられないようだ。
妹紅は。
「確かに不味いけどさ」
不気味な色合いのピッツァをかじりながら。
「だからって食べなかったらアドバイスできないし、アドバイスしなかったらいつまで経っても不味いままじゃないか」
食べなきゃアドバイスできない、というレベルの料理ではない。
しかし妹紅はそう考えていないようだ。
でも。
「だからって、限度があるでしょ? 普通の人間なら一口で致死レベルの、料理と呼ぶもおこがましいこれを、どうして食べられる!? 私は一度だってまともに食べてない。五感を封じたり、偽物とすり替えたり、そうやって回避していたのに、どうして妹紅は食べられる? 食べ続けられる? 発狂するほど不味い料理をなぜ食べるんだ! 蓬莱人だからか? いいや、蓬莱人で、しかも月人のお師匠様でさえ重態に陥ったのに、あれだけ食べたら蓬莱人だろうと、死ぬ! 蓬莱の薬までも汚染されて死ぬ!!」
「実を言うと何度か死んだ」
あっさりと妹紅は白状した。
「でも外傷ができた訳じゃないし、静かに素早くリザレクションすれば、まあ、気づかれないわな。でも死んだのは不味さのせいじゃなくて、材料のせいだ。胃が燃えたり凍ったり石化したり爆発したりして死んだだけだ。うん、不味かったけどな」
「じゃあ! その不味さにどうして耐えられた!?」
「耐えられるさ」
「どうして!」
「だって」
妹紅はとびっきりの笑顔を作った。
あまりにも健やかで、あまりにも輝かしいそれは、てゐの暴言によって瞳を濡らしていた輝夜の頬を紅潮させるほどであった。
も、こ、う。
輝夜の唇がそう動くのを、てゐは見た。
理由。妹紅が、輝夜の料理を、不味くても食べ続けた理由。
それは。
「輝夜の料理が不味ければ不味いほど、それを言いふらすのが楽しくなるじゃないか! 天狗から取材の予約も入ってるからな、遅くとも明日には幻想郷全土に知れ渡るぜ? 輝夜の料理の酷さがな。はっはっはっ!」
「金閣寺の一枚天井」
黄金に輝く巨大な天板のフルスイングによって、蓬莱山輝夜渾身の一撃によって、天井を突き破って幻想郷の空に消える藤原妹紅。
こうして、因幡てゐは地獄の終わりを清々しい気持ちで迎えましたとさ。
めでたし、めでたし。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
天狗の新聞を読み終えたてゐは、自室を出て、人気の無い永遠亭の廊下を静々と歩き出した。
未だ輝夜の残した傷跡は深く、快気しない住人は寝込んで呻いている。
かろうじて意識を取り戻した鈴仙は衰弱が激しく絶対安静をしいられ、今朝もお粥を一口しか食べられず点滴に頼っている。
永琳は爆薬を飲んで爆死して復活という荒業で無理やり体調を整えたが、精神に負ったダメージまでは回復できず、縁側に座り込んで、すくすく成長しているマンイーターを見つめながら「あれに食べられれば楽になれるかしら」「むしろあれに食べさせれば」「食べる食べない食べる食べない」「食べ食べ食べべべべべるぜばぶーん」などと呟いている。
活動しているのは初期に被害を受けた兎達である。回復期間を長く持てたというのもあるが、まだ健康だった永琳の治療を受けられたという点も大きい。身内の看護で手いっぱいの永遠亭はもちろん休業中。
よって、永遠亭で今現在無事と言えるのはその少数の兎と、因幡てゐ、そして。
「姫様ー」
丸めた新聞で襖に軽いノックをしながら、今回の元凶に呼びかけた。
返事は無い。眠っているのかもしれない。でも起きて無視しているだけかもしれないので、てゐは続けた。
「新聞を持ってきたよー、暇なら読んでみたら?」
「いらない」
返事がした。夕刻とはいえ最近よく不貞寝しているので、起きていてくれて好都合だとてゐは微笑む。
「まぁまぁ、そう言わずに」
「どうせ、私の下手っぴな料理の記事なんでしょう?」
「んーん、妹紅の悪口」
部屋からかすかに物音がした。多分布団から這い出たのだろう。
催促の言葉は無かったが、輝夜が興味を持ったと確信し、さらに続けるてゐ。
「えとねー、妹紅が取材をボイコットしたらしく、礼儀がなってないっていう非難が乱暴に書かれてるよ。姫様の料理の記事は、一文字も見当たらないよ。どーしてだろ?」
「……天井で殴られたダメージが大きすぎて、取材に間に合わなかったんでしょ。いい気味よ」
襖の向こうから聞こえる声は不貞腐れていた。
てゐはあえて軽い口調で答える。
「かもね。それは十分にありえる可能性。取材の話は妹紅が持ちかけたんだろうし、あのブン屋の評判は知っているはずだし、取材の約束を破ったりしたら、そりゃ、ターゲットは自分になっちゃうよね。でも、もしかしたら姫様、天井で殴られてふっ飛ばされて竹林に突っ込んで地面を転がって岩にぶつかって頭蓋を粉砕して盛大に血痕を残したりしたかもしれない妹紅がさ」
まるで確認してきたかのように言う。
実際、被害を確認をしてきたのかもしれないてゐは、少々口調を改める。
「傷ついたから、気づいたかもしれないよ、傷つけてしまったって」
ちょっぴり格好つけて。
「姫様を傷つけてしまったって、反省したかもしれない。反省したから、取材をボイコットしたのかもしれない。なぁんて、私は考えてみたりしたのだけれど、姫様はどう思う? 1%くらいなら、そんな可能性があるかもしれないって思わない?」
「思わない」
だが返ってきたのは辛辣な響き。
「100%嫌がらせのためだったのよ。私を馬鹿にして、私を、馬鹿にして、笑いものにするために。それ以外の理由なんて無いわ」
「そうでもないと思うよ」
確信の込められた輝夜の言葉を、確信を込めててゐは否定する。
「だって、料理に対するアドバイスは至極真っ当だったもの。完全に嫌がらせ目的なら、さて、どんなアドバイスをしていただろうね?」
嫌がらせ目的なら。
どんなアドバイスをしただろう。
あえて褒めて、おだてて、いい気にさせて、もっと多くの人に食べてもらうべきだとか言って、殺人料理を大勢の人に食べさせて、大恥をかかせる事だってできたかもしれない。
辛辣に、悪辣に、ひたすら不味いとけなし、お前には料理の才能は無いからやめちまえ。これは悪口じゃなくアドバイスだと、辛辣に、悪辣に、嘲笑する事だって。
もっと酷くなるように。もっと不味くなるように。料理を悪化させるようなアドバイスだって、やろうと思えば、簡単に。
でも。
これなんか味が濃くない?
白米ってさ他のオカズと一緒に食べたりするんだし、余計なモンは入れない方がいいよ。
味が濃いぞ。ていうか、具のバランスも悪い。
やっぱり味が濃いよ。肉の味が染み込みすぎてて、味噌の味が全然しない。
悪いところを指摘し、改善できるようにと。
罰ゲームとして嫌々食べにきた藤原妹紅は、あの悪夢のような試作料理を、あの地獄のような創作料理を、あの絶望のような暗黒料理に、あの終末のような殺人料理を。
誰よりも真摯に。
食べてくれた。
もういいだろう。
もう自分の出番は必要無いだろう。
「新聞、置いとくねー」
廊下に放り、きびすを返して歩き出したてゐは廊下を曲がった時、襖が開く音をその鋭敏な兎耳で確かに聞いた。
新聞を見た輝夜は、少なくとも取材のボイコットが嘘ではないと知るだろう。
その次は、てゐの推測が正しいかどうか確かめに行くだろう。
喧嘩するほど仲がいい。
一生死ぬまで、せいぜい仲良く喧嘩すればいい。
それは一生死なない退屈を満たすご馳走だ。
「やれやれ。手間のかかるお姫様だ」
肩をすくめて苦笑するてゐ。
「
そのかたわらで触手をうねうねさせる醜悪な肉塊。
「……まだいたのか」
輝夜の料理の生き残りに遭遇したてゐは眼差しを凍らせると、マンイーターの餌にしてしまおうと決心して肉塊を連れて庭に向かったが、マンイーターの食虫植物のような口に頭を突っ込もうとしている永琳を発見し、不死者の自殺をやめさせるのに大変な苦労をするのだった。
しかもその騒動の間に肉塊は永遠亭から姿を消しており、おぞましい被害が出やしないかと心配になって竹林を探したが足跡が掴めぬまま数日が経ち――地底で新種の肉塊妖怪が料亭を開き、魔王マーラの触手料理ブームを起こしたという噂を聞いて、もうどうでもいいやと放置を決め込みつつ、絶対に地底で食事はしまいと誓うのだった。
輝夜と妹紅はどうなったか?
相変わらず毎日殺し合いする程度の関係です。
どうしてか、読むうちにてゐが非常に可愛く思えました。
長さを感じさせず、あっという間に読んでしまいました。
毒とどくけしそうの相殺…気になる。
あれって主人公「ふみのり」じゃなくて「ゆきのり」じゃなかったっけ?
それともクリームシチューは別作品なのかな
かぐやがかわいかったなぁ
それと永琳落ち着けw
今作は構成その他あまり練られていないように感じた。
あとがきで全てを理解した
「アハッ」
可愛くないか?
二次創作だと言われればそれまでだけども
てゐが肉塊をマンドラゴラに食べさせようとしていたのにはさすがというか、後書きのオチはちょっと想像してましたがもこたん優し過ぎるよね。
ハチャメチャぶりはある意味見事。
このてゐと一緒にご飯食べたい。
その他の壊れっぷりを相殺しきった二人のやりとりがよかったです。