幻想郷を包み込む博麗の大結界、そんな大規模の結界を維持するのは大変なもので、紫とその式である藍は、日々その修復に追われている。
今日もまた、紫は藍では直せないような結界の歪みを正し、家に帰るところであった。
「ふぅ、疲れたわ……」
泣き言を言っても、やらないわけにはいかない。
結界を失えば、幻想郷はただの郷へ成り下がる。そうすれば幻想郷に住む妖怪達は行き場を失い、その存在ごと消え去ってしまうだろう。
そうならない為にも大結界は必要であり、明日も仕事のために疲れを癒さねば。
紫は隙間を椅子代わりにして腰を下ろすと靴を脱いで、家の玄関に隙間で送り込んだ。
自分も座っていた隙間に滑り込み、自室へと移動して。
「お帰りなさい紫。ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?」
裸の上からエプロンを着た天子と目が合った。
ほとんど見えてるというのに、肩に掛けた紐をずらして鎖骨を見せびらかしてくる。
「ご飯で」
「やん、もう紫のいけず。据え膳食わぬはなんとやらよ」
「私は女だし、誰それ構わずに食べてたらお腹を壊すわ」
「そんなクールな紫も素敵! 抱いて!」
突然飛び掛かって来た天子を紫は冷静に受け流して、さっき使用したばかりの隙間に飛び込ませた。
「ゆかりぃぃぃぃぃ――――」とドップラー効果を起こしながら、天子の叫び声は隙間に消えていった。多分今頃は、大結界の端っこで頭を打っている頃だろう。
ここ最近、これが日常になってしまったなと思うと、紫はつい溜息を吐いた。
何故こんな事が日常になっているかと言うと、遡ること数ヶ月前。
天子が要石を博麗神社に仕掛け、紫にボコボコにされた少し後の事だ。
「紫様、お届け物です」
「あら、私に?」
家でのんびりしていると、藍が突然そんな事を言い出した。
しかし自分に物が届くなんて珍しい話で、紫は目を丸くして聞き返す。
「えぇ、先日の異変の首謀者の、比那名居天子からです」
「あの天人から……?」
どんな物が届いたのだろうか、と少し期待していた紫だったが、天子の名を聞いて警戒する。
相手はついこの間、怒りに任せて完膚なきまで叩きのめした相手である。爆弾でも入っていそうだ。
「中身の方は、私が確認しましたから大丈夫ですよ。危険なものは一切入っておりません。こちらの箱になります……どっこいしょお!」
そう言うと藍は、1メートルはありそうな大箱を部屋の中に持ち込んできた。
「って、大きすぎないかしら!?」
「扉を通すのが大変でした」
いやぁ、いい仕事をした。と藍はやり遂げた顔をしながら額を拭っているが、持ってこられた紫はと言うと、更に警戒心を強めて箱をまじまじと見つめていた。
「本当に危険なものは入ってないのよね」
「だから大丈夫ですよ。安心してくださって構いません」
と言われて安心できるような物じゃない。
巨大な箱にリボンが綺麗にラッピングされており、それがまた異様な雰囲気を醸し出している。
「まさか要石でも入っているんじゃないでしょうね」
もしそうだったら向こうからの宣戦布告だろう、その場合はもう一度叩きのめして、今度こそ再起不能にしてやる。
紫はリボンを外すと、意を決して箱を開けようとする。
すると、待ち切れないとばかりに蓋を押し退けて、中から人影が飛び出してきた。
「はぁーい! 紫、私を食べて!」
裸にリボンを身体に巻いた天子が、箱の中で悩殺ポーズを決めていた。
「は……?」
「私を食べて!」
「二度も言うな」
「あっ、ちなみに性的な意味でね」
「補足しなくていいから!」
予想外の展開に、流石の妖怪の賢者と言えど、頭の回転が追いつかなかった。
えーと、まず藍が箱を持ってきて、中を開けたら天子が出てきて、しかも裸にリボンだけで私を食べてと言って……。
「質問いいかしら」
「どうぞ好きなようにして」
「何で箱の中にいるの」
「良くぞ聞いてくれました!」
天子は待っていたとばかりに胸を張って、説明をしだす。
「あなた私を倒した時に、投我以桃、報之以李って言ったじゃない」
「言ったわね、それがどうしてこの状況に結びつくのかしら」
「あら、妖怪の賢者ともあろう方が、そんな事もわからないの?」
人を小馬鹿にするような目で、フッフーンと天子は笑ってくる。一発殴ってやりたい。
もったいぶった後に、仕方ないなぁと前置きして天子は説明しだした。やっぱり殴ってやりたい。
「投我以桃、報之以李とは、つまり桃を持ってきて誠意を見せれば許しましょうと言う事」
「そうね」
「だから私が桃よ! どうぞお食べになって!」
「食うか!」
「あだっ!」
思わず紫は近くに落ちていた蓋を、天子に向かって投げ飛ばした。
丁度蓋の角が天子の頭にクリーンヒットし、箱の中に崩れ落ちる。
「どうしてあなたを食べないといけないの! ……と言うか藍、あなたこれ知ってたのなら追い返しなさい!」
「何言ってるんですか紫様、身を差し出してまで謝罪しようとしているのに追い返すなんて失礼な。不肖この藍、箱のラッピングを手伝わせて頂きました! どうぞ頂いちゃって下さい!」
「こんの、色ボケ狐!」
この九尾、昔の中国で皇帝を落としたせいで、この手の事には異様な関心を示していたのを忘れていた。
後はお二人でごゆっくりと言い残し、藍は部屋から退場してしまう。
「ふふふ、邪魔者はいなくなったわ。さぁ、思う存分私を愛しなさい」
「しないから、勝手に押入れから布団を出さないで。と言うかあなた何、その……異変の時とキャラが違うんだけど」
「実は猫被ってた変態だったのよ!」
「自分で変態とか言わないで!」
被るならずっと被っとけよ! 対応が凄い疲れるんだよ!
「疲れるんだよ、って顔をしてるわね紫。それは自分を抑えてるからよ、抑圧された自分を解き放てば大丈夫。だから一緒に布団に入りましょ! ね!?」
「入るかぁ!!」
いい加減ウンザリした紫が抑圧された自分を解き放ち、天子に横っ面に右ストレートを打ち込んだ。
「ありがとうございますっ!!」と断末魔を上げてきりもみしながら吹き飛ぶ天子を、即座に開いた隙間で天界まで送り付ける。
「今のは断末魔……?」
いや、考えないようにしよう。この世には自分が知らなくていい世界もあるんだ。
何にしても疲れた、とりあえず休もう。
そう考えた紫は、今しがた敷かれた布団に潜り込んで一休みする事にした。
これが本性を表した天子と紫が、初めて相対した時の話である。
紫は天子をなんとか追っ払ったが、これで二人の話は終わりとはならなかった。
天子が送られてきた日の翌日。紫が目を覚ましたのは昼の12時頃。
毎日この時間に起きる事は、式である藍も了承してるので、居間に行けばすぐに朝食が用意される。
寝惚けた目を擦りながら紫はのそのそと廊下を歩いて、居間の机に辿り着いた。
「おふぁよう、藍」
「おはようございます紫様」
「おはよ紫。はい、これ朝ご飯ね」
「ありがと」
欠伸をかみ殺しながら、紫は机に置かれた箸と茶碗を手に取った。
なんか声が一つ多かった気がするが、頭がよく働いてないから多分気のせいだろう。早く食べて頭をシャキっとさせよう。
やはり藍のご飯は美味しい、のだがいつもと味付けが違う気がする。まぁ、美味しい事には変わりないのでいいだろう。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした、これお茶ね」
「あら、藍ありがと。気が利く……」
差し出されたお茶を手に取ろうとしたが、目の前の人物を見て動きを止めた。
「どうしたのよ紫、固まっちゃって。あっ、やっぱり起きる時には目覚めのチューするべきだった!?」
「違う。それは絶対にやらなくていいから」
また何を言い出すんだこいつは。
と言うか、さっきから世話を焼いてくれていたのは。
「えーと、天子?」
「私が比那名居天子以外の、何に見えるって言うのよ」
さも当然のように天子が居座っていた。
「何であなたがここにいるの」
「うん、昨日紫に追い出されてから私は考えたのよ」
「考えたって、何を」
「紫に愛される方法!」
うわぁ。
「紫に愛を求めても、紫は私に愛をくれなかった。それはつまり、私からの愛が不足していたからよ! 私が紫を愛せば、いつか紫からの愛を受け取ることも出来るはず。どうよこの理論!」
「うん、一言で言えばドン引きね」
天子は握りこぶしを振り上げて力説しているが、紫から見たら何言ってんだこいつ、としか思えなかった。
ぶっちゃけ、愛とか言われてもただ痛いだけである。
「そこで手始めに紫のご飯を作ってあげたって訳よ」
「あら、もしかしてさっきの……」
「私が作ったのよ」
言ってる事はとんでもなかったが、やってる事は存外まともなようで少し驚く。
それに付け加えるように、藍が横から口を挟んできた。
「天子はだいぶ熱入ってますよ。朝一に押し掛けてきてから、紫様が起きていらっしゃるまで、ずっと待機してましたから」
「本当は私が起こしたかったんだけどね、声掛けても揺すっても起きないから待ってたのよ」
「ははは、紫様を起こすのは流石に無理だと思うぞ?」
「いいや、そんな事はないわ。今はスペルカードでも使わなきゃ起こせないだろうけど、好感度を上げ続ければ声を掛けるだけで起きてくれるようになる筈! 平行世界からそんな電波が来てる!」
「むしろあなた自身が電波発しすぎだから、お願いだから自重して」
喋ってるだけでその好感度がダダ下がりなのを、天子は気付いているのだろうか。
「天子、私に愛されたいとか愛したいとかは一先ず置いておいて、その変態な性格は何とかできないのかしら」
「猫を被って媚びてれば愛されると? それでは意味がないのよ、ありのままの私を愛して欲しい! だから私はありのままで行く!」
「はぁ、頭が痛くなってきたわ……」
「はい、頭痛薬」
「用意がいいのはありがたいけど、その気遣いを別のほうに回して欲しいわ……」
そうして紫の気持ちとかは無視して、天子からの一方的な愛の日々が始まった。
「言っても聞かないようだし、適当にあしらって向こうが諦めるのを待つしかなさそうね」
「本当に諦めるのでしょうかね」
「何が言いたいの藍」
「天子から随分昔に落とした男と、似たようなのを感じるんですよ。完全に虜になった者、特有の感じが」
「そんなまさか……」
――そして冒頭で天子が隙間に突っ込んだ数分後、つまりは天子が八雲家にやって来てから数ヵ月後。
「はい、紫あーんして」
「自分で食べれるからお箸寄越しなさい」
関係は相変わらず続いていた。
紫は食事の席で横から食べさせようとしてきた天子から箸を分捕り、改めて自分でご飯を食べ始める。
「まさかここまで続くなんて……」
「これぞ愛の力よ!」
「言ってて恥ずかしくないのかしらそれ」
だがやってる事は、正しく愛の力としか言えないような事ばかりだった。
今も紫と一緒にご飯を食べるためと言う理由だけで、幻想郷の果てから八雲家まで、魔法使いや鴉天狗もビックリの速度で飛んで来たばかりだ。裸エプロンで。
紫が天子を裸エプロンのまま外に送った事について、他人から見れば酷い事をしていると思うだろう。
確かに、数ヶ月前の紫なら流石に可哀想だろうと、縛り付けて動けなくするくらいにするのだが。
「それにしてもあんな格好で森の中に飛ばすなんて。ここに戻ってくるまで、誰かに見られてるじゃないかって思うと、興奮しちゃった」
「わざわざ報告しに来なくていいから……」
毎回こんな調子では、扱いも雑になってもしかたがなかった。
ちなみに縛ったら縛ったら「紫はS派なのね!? 大丈夫、私はSもMもどっちもイケるから!!」とか言い出す。要は何やっても悦ぶ。
毎日付き合っていて、本当に度し難い変態だと思う。
とは言え、彼女は変態であっても馬鹿ではなかった。本当に紫が嫌だと思うような事には手を出さないようにしている。
例えば、抵抗できない寝込みを襲ってくるような事はしないし、変態的な行動も紫が拒絶できる時にしかやってこない。
「ねぇ、紫。紫のパンツ被っていい?」
「いいけれど、それやったら、家に結界掛けて入れないようにするから」
「やだもう、冗談よ。紫ったら本気にしちゃって~」
こう言う事も、先に了承を取ろうとしてくる。余談だが、OKを出せばすぐに被ってると思う。
ちょっと不安になって藍に監視させたりもしたが、こっそり下着を盗んだりなどもしていないようだ。
「これで変態じゃなければ言う事なしなのに」
「だったら変態じゃなくなれば、すぐにでも布団にinって事!? そこまで好感度が上がってるのね!!」
「しないから、変態じゃなくなってもそんな事しないから」
「ちぇ、まだまだ足りないか。地道に上げるしかないわね」
「上げる端から崩して行ってるけれどね」
賽の河原の鬼達もびっくりの仕事の速さだ。
何度も言うが、変態じゃなければ言う事なしであるのに。
そんな変態な天子だが、式と式の式からの評判はかなりよかったりする。
式の式いわく「よく一緒に遊んでくれて楽しいです! 弾幕ごっこも強いし、藍様や紫様ほどじゃないけど尊敬しちゃうなぁ」
との事だ。だが天子のようになったりはしないで欲しい、そんな事になったマジ泣きしてしまう。
また式いわく「天子が来てから楽になりましたよ、よく家事をしてくれるので本当に助かります。猥談も楽しいですし」
との事だった。最後の一言は無視するとして、それを聞いたら今度は天子がどれだけ働いてくれてるのか知りたくなり、早速天子本人に聞いてみたりした。
「天子、あなたはよく働いてくれてるようだけど、どれくらいの事をしてくれてるのかしら?」
「おっ、紫ってば私に興味津々? って事はエロシーンまで後ちょっとって事なのね! うっひょう、テンション上がってきたわ!」
「いいから教えなさい」
「はい」
朝、藍が起床するよりも早く八雲家にやって来て、朝食を作る。
その後、紫を起こそうと奮闘するが、途中で諦めて自分の分の朝食を摂る。
「藍の分まで作ってくれてたのね」
「紫の家族は私の家族、当然の事をしたまでよ!」
「違うから、あなた私の家族じゃないから」
その後は食器洗い、洗濯、家の掃除を全て一人でこなす。
全て終わったら自由時間、適当にやりたい事やってすごす。
「やりたい事って、どんな事かしら」
「んー、その日によってまちまちだけど。基本的に紫の部屋にいることが多いわね」
「……ちょっと待ちなさい、何でよりによって私の部屋なの」
「紫の部屋だからこそよ。この時間があるからこそ、私は家事をさっさと終わらせる事ができる。いわば私の活力! エナジー!」
「変な事してないでしょうね」
「大丈夫よ、寝顔を見つめてるだけだし。後は目に焼き付けておいて、帰ってからおかずにするくらいだから」
「それ全然大丈夫じゃないから!!」
11時半頃から紫の朝食、兼自分と藍の昼飯の調理開始。
「最初に紫のご飯優先なところがポイントね」
「やたらと売り出してくるわね」
「せっかくのアピールチャンスだしね!」
「あなたは控えめになったほうがいいと思うわ」
12時頃、紫が起きるのを待ってから、一緒にご飯を食べる。
「紫と一緒にご飯を食べるのは、至福の一時!」
「はいはい、それでその後はどうしてるの」
「んー、紫がいる時は紫にひっついて」
「そして私が引き剥がして」
「紫が出払ってる間に、干してた洗濯物を取り込んで、畳んでしまって。夕食の準備して、お風呂沸かして……それくらいね」
指折りで数えながら述べていく天子に、それにしても本当によく働いているな、と紫は思わず感心する。
まるで家にいる時の藍のよう……。
「って、それ藍がやってた家事を全部じゃないのかしら。まさか財布まで預けてないでしょうね……」
「私にお金は渡さないわよ。買い物は全部藍がやってるわ」
よかった、そこまで任せてはいなかったか、と紫は安心する。
しかし本当によく尽くしてくれているんだな、と再確認した。まさかここまで家事を請け負っていたとは。
その時、藍が部屋に入ってきて、二人とも顔を上げた。
「天子、やっぱりここにいたか」
「どうしたの? さっきの無地のぱんつと縞々パンツの違いについて、の議論の続き?」
「あなた達何下らない事話してるの……」
どうもここ最近、天子の影響を受けて藍も変態よりになっている気がする。色んな男をたぶらかした九尾であるし、素養はあったのだろう。
「そうじゃなくてだな、夕食の買出しに行ってもらおうと思って。ほら財布」
「おー! ついに私が買い出しに!」
「ちょっと待ちなさい」
さも当然のように、天子に財布を渡そうとする藍に、紫が横槍を入れた。
「何ですか、紫様」
「何ですかじゃなくて、部外者の天子に易々と財布を渡すのはどうなの」
「いえ、天子の働きぶりを見てたら、任せても大丈夫と思いまして。本人からも強く希望されてましたし」
「天子から?」
紫の顔が天子に向く。
その表情はとても訝しげで、天子の事を怪しんでいるようだ。
「そんなに買い出しに行きたい理由は何? まさかネコババしていやらしい本でも買いに……」
「違うわよ! 流石の私も、人の金じゃ買わないわよ。それにそう言うのは、自分のお金で買ってこそ意義のあるものだし」
「そんな持論は今はいいから、何故なのかしら?」
天子は博麗神社の再建時に要石を仕込んだりと、抜け目のない人物だ。
怪しそうに睨みつけてくる紫に、天子は珍しく変態成分抜きで答えた。
「だって、愛する人の料理は、自分で献立考えたいじゃない!」
「うお、まぶしっ!?」
何が眩しいって、そう言い切った天子の気持ちいい笑顔がだ。
あんまりにもいい顔過ぎて、うっかりときめいた。
「わ、わかったわ。そこまで言うのなら……」
「ホント!? やったー!」
諸手を挙げて喜ぶ天子を見て、こんなに喜んで貰えるなら許可を出してよかったか、と紫も納得する。
それにしても、こんなに尽くしてくれてるのに何もなしと言うのは――
「……そうね、ついでだから毎回おつりは取っておいて構わないわ」
「えっ?」
「いつも頑張ってくれているから、それくらいのサービスはね」
それを聞くと、天子は感激に身を震わせると、堪えきれず紫に飛び付いてきた。
「ありがと、紫!」
「わ、ちょっと天子飛び付いてこな……」
「お礼にあつぅ~い、口付けを!」
「するかっ! さっさと買いに行ってきなさい!」
紫に引っ付いていた天子に、最近板に付いてきた右ストレートが突き刺り、そのまま隙間から人里に送り付けられる事となった。
それからと言うもの、毎日天子が人里に足を運び、自分で料理の材料を選ぶようになった。
材料の基準は紫が食べたいかどうかなのだが、これがあまりにも的確すぎて若干怖い。
その日の夕方に紫が魚を食べたいと思えば魚が、肉を食べたいと思えば肉が食卓に並ぶ。
今のところ100%の的中率で、実はさとり妖怪なのでは、と思ってしまうほどだった。本人いわく愛の力らしいが、凄すぎて少し引く。
ちなみにウニが食べたいと思うと、プリンと醤油を混ぜたものが出てきた。努力は認める。
~♥~♥~
「はい、お茶」
「ありがとう」
天子からお茶を受け取り一服。時計の短針は10の文字を差しており、そろそろ夜も更けてくる頃合だ。
もっとも妖怪である紫から見れば、まだまだこれからが活動時間だ。
天子もそれに付き合って、紫が寝るまで引っ付いてくる。天人だから寝なくても大丈夫らしい、明らかに使い方を間違えてると思う。
そんな天子だが、今日はいつにも増して嬉しそうにニコニコと笑っている。
「なんだかご機嫌のようね、嬉しい事でもあったのかしら?」
「わかる? 買い出しのおつりで、前から欲しかったものが手に入ったの!」
「へぇ、どんな物なのかしら」
「永遠亭で買った、股からナニが生える薬!」
「なんなのその怪しい薬!?」
そんな生命の神秘に喧嘩を売るような薬を、一般販売してていいのか永遠亭。そして買う方も買う方だ。
「と言うか、せっかく上げたお小遣いを、そんな使われ方するなんて。ゆかりんショック……」
「落ち込む紫を見てたら、つい劣情がこみ上げてくるわね。時間的にもバッチリだし、早速使ってナニしましょうよ!」
「そんな胡散臭い薬使うなんて、絶対にごめんよ!」
紫も女性だ、いくらなんでもそんな薬を飲んで、変なものが生えてくるなんて絶対に嫌だ。
「えー、人気商品で皆使ってるのに」
「……ごめん、処理が追いつかなかったんだけど、人気商品?」
「うん、手に入れるの大変だったんだから」
今日まで必死になって紫は幻想郷を支えてきた。多大な労力を消費して、時には寝る間も惜しんで結界の修復をした事もあった。
そんな幻想郷で、そんな薬が氾濫してるなんて。麻薬が流通するよりも精神的に辛い。
「ゆかりん泣いちゃいそう……」
「もしかして副作用とか心配してる? 大丈夫よ、私も一回使ったけど平気だったし。ちゃんと生えたし」
「しかも躊躇なく使用してるし……しかも今まで付きまとってた女の子が、実は生えてたとか……」
「大丈夫よ、紫のこと考えながら慰めたら消えたから」
「そこで私の名前出さないで!」
予想は出来てたけど、知りたくなかったそんな真実!
「うぅ、何であなたそんなに私にご執心なのよ……」
「紫からはね、なんか誘われるフェロモンが出てるのよ、これはいわば少女臭!」
「言わないでよ、絶対他人の前で少女臭とか言わないでよ恥ずかしいから!」
「これのお陰で、どれだけ離れてても紫がどこにいるか匂いでわかるわ!」
「話し聞きなさい! それとすぐ捨てなさい、そんな能力!」
まるで話を聞かず、我が道を行く天子を紫は止める事はできなかった。
過去何度も繰り返された光景で、紫が必死に天子を止めるようとするが、収まる気配は微塵も感じられない。
「あなた、人前でもそんじゃ誰も近寄らなくなるわよ……」
「そんな事ないわよ。私って基本変態だけど、これだけハイテンションになるのは、紫の前でだけだし」
「私の前でも普通のままでいて、お願いだから」
「でも、どうしても紫の前だとこうなっちゃうのよ。これはいわば、ツンデレの新しい形!」
「全世界のツンデレに謝りなさい」
各方面の喧嘩売りすぎである。
月夜のない晩には背後から刺されたりしないうちに、天子のその変態性を露出させないようにしなくては。
「天子よく聞きなさい。もうこうなったら百歩でも一万歩でも譲って、この家では変態でもいいから、外で私と出会ったら抑えて普通に振舞いなさい。普通に」
「えー、どうしてよ」
「誰かに見られたら大変でしょうが! ドン引きされたくなかったらそうしなさい、いいわね?」
「むー……まぁいいや、家での方は許可が下りたんだし」
許可が下りる前から、散々やりたい放題だっただろうに。と文句を言いたくなったが、丸く収まりそうであるしなんとか言葉を飲み込む。
「とりあえず、許可が下りた事だしおっぱい揉むわね」
「ボディタッチは許可してないから駄目」
「ちっ」
~♥~♥~
「紫ぃ~」
「はいはい、引っ付かないの」
甘い猫撫で声を上げながら摺り付いて来る天子を、紫は鬱陶しげに引っぺがした。
天子が来てからと言うもの、この程度の事は日常茶飯事であり、いい加減手馴れたものだ。
今まではこの家にいるのは基本的に紫と藍だけであり、たまに橙が来る時以外は静かで落ちる着ける場所であった。
だが天子が来てからと言うもの、目が覚めてから眠りに就くまでコントのような会話をする場所になって久しい。
「私は出かけるから、後は好きにして頂戴」
「じゃあパンツ被ってもいいのね!?」
「そう言う意味じゃない! 常識の範囲内で、やりたい事やっておきなさい。それじゃ」
「いってらっしゃい」
「いってくるわね」
いってらっしゃい、なんて言う辺り、すっかり天子の存在が我が家に定着してるな。などと思いつつ、紫は隙間を開いて家を出た。
こうもしつこい相手と四六時中一緒にいるのは、いくら慣れても少々疲れるものだ。
そういう時は大体の場合紫から離れるのが、二人の間での暗黙の了解のようになっていた。
「紫は出かけちゃったし、今のうちに買い物に行くかな」
天子もその事は重々承知しているので、外へ行く紫に抱き付いて止めるような事はしない。
そんな時間はむしろ有効に使うべきと、大抵人里へと買い物に行くのが普通になっていた。
「まぁ、家に入れさせてもらえるだけで重畳だしね」
天子はテーブルの上に紫が用意してくれていた財布に目を移すと、手に取って中身を確かめた。
中には今日の買い出しには十分なお金が入っていて、それを確認すると財布を閉じポケットの中に突っ込んだ。
「こんな変態に引っ付かれても追い返さないなんて、紫もあれで結構優しいと言うか、なんと言うか」
部屋の隅に置かれていた、いつも使用している手提げ袋を拾いあげる。
「私なら、こんな変態に取り付かれたら、さっさとぶっ飛ばして近寄れないようにするけどね。いくら家事をしてくれるからって、こんなの傍に置くとか無理だわ」
アハハッ、と天子は快活そうに笑った。
外へ行く準備はよし。さぁ、後は人里へ行って食材を買いに行くだけだ。
だと言うのに、さっきまで天子はその場に座り込むとうなだれて、とても辛そうに言葉を漏らした。
「何でこんなやり方しか出来ないのよ、私の馬鹿」
紫に近づくなら、もっといい方法があっただろうに。紫の気を惹くなら、もっと上手い方法があっただろうに。
何故それが出来ないのか、何故こんな風にしかできなかったのか。そう思うと、自己嫌悪で潰されそうになる。
それでも、やっぱりここにいる比那名居天子は、こんなやり方しか出来ないのだから仕方ない。
何度目かもわからないぐらい繰り返された結論に達すると、重い頭を上げて目蓋を閉じ、あの日の事を思い出す。
天子の起こした異変の終わりの日にして、全ての始まりの日。
『美しく残酷に美しく残酷にこの大地から住ね!』
あの時思い知った怒りと、感じた恐怖を思い出し、それ故に思うのだ。
「紫の愛を感じたい」
そう思うと、天子の身体に力がみなぎってきた。
こんなやり方しか出来なくても、前に進もうと思えてきた。
「よっし、買い物行ってこよっと!」
両手で床を叩いて跳ねるように立ち上がると、足音を立てながら廊下を走り抜ける。
今日の晩御飯はどんなのなら紫は喜ぶかな、と考えながら、慌しく外へ出かけて行った。
~♥~♥~
家から出かけていった紫だが、ここのところ一人でいると逆にどこか落ち着かなくなる。
これも天子の影響だろうか、常に誰かが傍にいるのが慣れ過ぎてしまった。ともかくそうすると、紫が行きたい場所と思える場所も限られてくる。
知人がいてくつろげる場所、パッと思いつく限りでは該当する場所は二つあった。
一つは幽々子がいる白玉楼。幽々子と一緒にお茶でもしばきながら、庭を眺めて世間話に興じる。
そしてもう一つが。
「はい霊夢、ちゃんと修行してるかしら?」
「帰れババア」
博麗神社の霊夢にちょっかいを掛けにいく事だ。
ここには色んな人や妖怪がやってくるので、ただ居座ってるだけでも面白い。
「こんにちは、紫さん」
「あら、守矢の風祝さん、こんにちは」
今回は山の上の巫女がやってきていたようで、ちゃぶ台の前に座ってお茶をすすっていた。
傍に中身の詰まった鞄があるところを見ると、買い物に行った帰りだろうか。
「修行なんて面倒でやってらんないわ。今はしなくても困らない気がするし」
「明らかに勘の使い方間違ってますよねそれ。その上全然修行しなくてもあんなに強いなんて、羨ましい」
「以前、天子の異変で神社が倒壊したのは、異変が起こっていることに早く気付かなかったからよ。修行していればあんな事にはならなかったわ」
「最後には解決して建て直ったんだから、それでいいのよ」
面倒の一言で、紫からの忠告を斬って捨てる霊夢。
最終的に全て解決すれば、その過程で宿無しになろうが構わない。なんとも無頓着でドライな少女である。
だが家に帰れば、常に色んな意味で濃い天子と顔をあわせる紫から見れば、この淡白な性格はむしろ清涼剤のようにも感じられた。
「うふふ」
「なによ気持ち悪い。変な顔して気持ち悪い」
「……二度言わなくてもいいじゃないの」
「霊夢さんって、容赦ないですよね」
いつのまにか顔に出てしまっていたようで、霊夢から手痛い仕打ちを受ける。それにしても物怖じしない巫女だ。
慌ててなんでもないような表情に戻して、いつもどおりに振舞う。
「いやなに、その内痛い目にあったら面白いと思っただけよ」
「趣味の悪いやつね、天子とどっこいどっこいだわ」
天子の名を聞いて、ピクリと紫は肩を揺らした。
表面上は取り繕ってなんでもないように見せているが、内心もの凄く焦っていた。表情を隠すために、扇子で口元を隠す程度には焦っていた。
まさか本性を表してしてはいないだろうな? と不安が高まる。
「あの天人とどっこいどっこいとは、どういう意味なのかしら」
「面白ければそれでいいみたいな物言いが、ちょっと天子と被っただけよ。気に入らない?」
「そう言う訳ではないけれど……」
「天子さんって、面白い事が起きそうならなんでもやりそうな方ですよね」
「あら、あなたも天子の事は知っているのね。異変の時は関わっていなかったのに」
横から口を挟んできた早苗も天子の事を知っているようで、それとなく探りを入れてみた。
「天子さんは、色んなところに顔を出してるみたいですから。私のところにも来ましたよ、手土産に持って来た桃が美味しかったです」
「ここにもよく来るわね。でもよく顔出してるからって桃も持ってこないし、その上お茶とか強請ってくるし、面倒ったらありゃしないわ」
「へぇ……」
「来るのが午前中だけなのが幸いね、あんなのに四六時中引っ付かれたらたまったもんじゃないわ」
「午後になったら姿を消しますよね、どこに行ってるんでしょうか」
目の前の妖怪に四六時中引っ付いている、とは言えなかった。
そう言えば、紫が寝ている間は好きな事をやっていると、天子が言っていたのを思い出す。
「それで、天子はいつもどうしてるのかしら」
「やれ弾幕しようだの、やれ遊べだの五月蝿いのよ……それにしても天子の事をしつこく聞いてくるわね。そんなに気になるの?」
「また悪さでもしてないか、と思ってね」
本当の事を言っても面倒な事になりそうなので、適当に誤魔化しておく。
フーン、と霊夢は怪しむような目で見つめてきたが、結局何も追求する事無く話題は終了する。
紫としても知りたい事は知ったのでそれでいい。外では異変の時のように、普通にやりたい放題やっているようで(それはそれで周りに迷惑であろうが)一先ず安心だ。
だが何故自分がこんなにも天子に気を遣わなくてはいけないのか。普段から紫の世話を率先してやっているのに、逆に世話されるなんてしょうがない娘だ。
その後は当たり障りのない話題で時間を潰していった。
信仰がどうのと早苗が唱えたり。修行してないのに強い霊夢さんずるいと早苗が主張したり。と言うかそんなに痩せてるのが何よりも許しがたいです、こっちは必死になってダイエットしてるのに! と早苗が怒り出したりした。
途中でうるさし、と霊夢が札を投げつけたりするのを眺めながら、のんびりとする。
「そう言えばあんた、最近よく来るじゃない。あんまり来られても鬱陶しいんだけど」
「あなたって本当に容赦ないわねぇ」
唐突に霊夢は紫に顔を向けると、思い出したように質問をしてきた。
しかしいきなり大妖怪相手に鬱陶しいとは、根性が据わった巫女だ。
「思った事そのまま言っただけよ。それより実際なんで来るのよ、最近なんて三日に一度くらい来るじゃない」
「それはなんと言うかね……」
天子が家にいるのが原因だとは、やっぱり面倒な事になりそうなので言えなかった。
またなんとか誤魔化そうとするが、その前に早苗が横槍を入れてきた。
「あっ、まさか紫さんって霊夢さんに気があるとか!?」
「ふふっ、冗談が上手いわね、山の巫女は」
「もしそうだったらぞっとしないわ」
それこそまさかだ、と笑い飛ばし紫だったが、ドサッと何かを落とす音がどこからか聞こえて来た。
開けっ放しの襖の向こう、神社の外側へと三人が顔を向けるとそこにいた人物と目が合った。
恐らくは、早苗と同じように買い物の帰りなのであろう天子と目が合った。
あっ、これなんかやばい。
「て、天子? そんなところで何を」
「浮気ね!? 浮気なのね紫!!?」
「やっぱりか! もうちょっと持ちなさいよ!!」
抑えろって言ったよな、普通にしてろって言ったよなあ。そんな紫の心情を知ってか知らずか、天子は何の気兼ねもなく、あっという間に暴走した。
いきなりの事に霊夢と早苗は呆気に取られて、目をパチパチさせている。
「外じゃ自重しなさいって私言ったわよねぇ!?」
「ごめん、無理だった! 紫が女二人もはべらしてるの見たら抑えられなかった!!」
「違う! そんな趣味ないわよ!」
「私はこんなにも紫を愛しているのに浮気なんて! ハッ、それともまさかの寝取られプレイ!?」
「まず浮気も何も、そう言う関係じゃないでしょ! それと寝取られとかプレイとか言わない!!」
「じゃあNTR」
「同じじゃないのそれ……」
まるで話を聞かない天子に紫が頭を痛めていると、突然早苗が机を叩いて立ち上がった。
「その通り! 紫さんは私たち巫女コンビが頂きました!」
「えぇー!?」
何ですっごいノリノリなのこの巫女!?
意外な伏兵の登場に紫が驚いていていると、早苗は親指を立てて天子に聞こえない声量で囁く。
「私、一度修羅場というものを経験してみたかったんです」
「これは修羅場なんかじゃないから、もっと得体の知れないギャグ的な何かだから!!」
常識捨てすぎだろう、山の二柱は一体どんな教育をしているんだ。
そう紫が嘆こうが嘆くまいが、突っ走る天子が話をどんどん斜め上の方向へ引っ張っていく。
「上等ぉ! 表出なさい2Pカラー!」
「おっ、いいんですか? 奇跡使っちゃいますよいいんですか? 今こそ神の威光を示す弾幕で……」
「ゆかてんナックルパンチィィァア!!!」
「ちょぉぉお!!?」
いざ弾幕を、と外へ飛び出た早苗に、天子は肉薄すると紫のツッコミもかくや鋭い右ストレートを仕掛けてきた。
いきなりの攻撃にも早苗はなんとか反応し、慌てて身体を反らして拳を避ける。
「弾幕ごっこじゃないんですか!? 何でいきなり肉体言語!!?」
「だって今緋想の剣持ってないし。と言う訳で往生しなさい、青巫女!!」
「くっ、いいでしょう、守矢の神の力をもってすればこのくらい……あっ、ちょっ、まっ、すいませんちょっと謝りますから、ストップ、ストップ!!!」
「愛の力キィィック!!!」
「あぶなっ!?」
よくわからない事を叫びながら肉弾戦を仕掛けてくる天子に、早苗は必死になって逃げ回る。
勝負とは名ばかりの一方的な追いかけっこを見て、思わず紫が頭を抱えていると、今まで成り行きを見守っていた霊夢が話しかけてきた。
「ねぇ、アレなに」
「比那名居天子、天界に住む不良天人、大地を操る程度の能力を持つ」
「そうじゃなくて、愛がどうとか叫んでる事について」
「……本性らしいわ」
「うわぁ……」
あー、やっぱり引かれてる。
こうなると思ったから忠告したり、天子の事をあんまり言わないように気を遣いながら話ていたというのに。
「意味無しじゃないの、はぁ……」
「えーと、話だけなら聞いてもいいけど」
「心遣いありがとう……」
落ち込む紫を見かねてか、珍しく優しい言葉を霊夢が掛けてくれた。
その言葉に慰められて、紫は天子に関する話を洗いざらい霊夢に話した。
来たときの話から、それ以来どんな日々を過ごしているのかを語り尽くす。
「それで、せめて家の中でなら変態のままでいいから、外では抑えなさいって言ったのよ、それなのに忠告ガン無視で……」
「一言言っていい?」
「なにかしら」
「惚気は他でやれババア」
「惚気って、どこがなの」
「要約したら、天子が通い妻状態だって事でしょが!」
霊夢はイラついたように机を叩いて、今現在の紫の状態を簡潔にして話す。
それを聞いて、紫は押し黙った。
変態の部分にばかり目が行って気付かなかったが、霊夢の言う通りだ。
天子からは他人から見られれば羨ましく思えるほど尽くして貰っているし、それを甘んじて受けていると言う事は、周りから見れば紫も天子の事を好いていると思うだろう。
「実際さぁ、本当に迷惑してるなら結界張って、家に入って来れなくするなりできるでしょ。それをしないって事は、あんたも天子の事を好きなんじゃないの」
「……わからないわ」
「はぁ?」
いや、本当に気付かなかったのか――?
「だったら何で天子を家に入れてるのよ。自分に好意があるやつをただ顎に使うほど、趣味の悪いやつだったとは思えないけど」
違う、本当は気付いていた。
天子がどれだけ自分に尽くしてくれているのかも。それを受け入れず、跳ね除けずで中途半端な事をしているのを。
けれどそれらから目を背け続けていた。
「あんなに、一途に愛してきたのは、天子が初めてだったから」
式の藍や、そのまた式の橙から受ける敬愛とはまた違う、とても真っ直ぐな愛。
今まで紫は愛する事はあっても、同じように愛される事はなかった。
しかし天子は違った。紫に真っ直ぐな愛をぶつけてきて、そしてそれはとても心地よくて、ついそれに甘えてしまっていた。
「甘えてたのね、私は。天子が愛してくれるのが心地よくて、好きか嫌いか決める事すら放棄していた」
初めてだった、そんな相手は。
紫は常に孤高であった。
友ができど、家族ができど、決して弱みを見せることはせない。そうやって生きてきた。
そうやって生きてきたのに、天子は、そんな紫が初めて甘えることが出来る存在だったのだ。
「酷い話ね、あんたらしくもない」
「……そうね、甘えるなんて私らしくはないし、とても残酷な事をしてしまっていたわ」
そうやってぬるま湯に浸かるような毎日をただ享受し、こちらからは何も返さない。酷い話だ。
せめて、その愛に応えられるのか――天子が好きなのかどうかは、決めなくてはならなかったのに。
「そうね、もう決めないと」
甘えるのは、止めにしよう。
天子が好きか? と言う問いに対し、答えを出そうじゃないか。
「そっ、まぁ気付けたならそれでよかったんじゃない」
「ふふ、ありがとうね。あなたに話してなければ、ずっと甘え続けていたかもしれない」
「いつにするの」
「……今夜、一つだけ天子に質問をして、その後に」
紫から何度か投げかけて質問があった。しかし天子はそれに対して、いつも適当な答えではぐらかしてきた。
今日まで甘えていた紫はそれでもよしとして来たが、もうそうはいかない。
その質問に答えてもらって、そしてこちらの答えを示すのだ。
「ふぅん、早い方がいいだろうしね。けどその前に」
霊夢は面倒臭そうに神社の外を指差したので、そちらに顔を向ける。
「おらー! 待ちなさい!!」
「待てって言われても、さっきから殺す気で掛かって来てませんか!!?」
「愛の奪い合いに殺傷沙汰は付き物よ!」
「じょ、冗談じゃ……!」
追いかけっこ継続中の二人組みが目に入った。
「アレ止めて来なさい」
「はぁ、あの変態なところがなければって、何度思った事か……」
頭を抑えながら、紫は天子を止めるために縁側から外へと出た。
ふと、思い立って東の方角を見る。
幻想郷の東端である博麗神社から見る空は暗くなり、ほんの僅かに月が顔を出していた。
「今夜は満月、シチュエーションとしては最高ね」
今夜に、決着をつけようと、紫は再び決心を固めた。
「よっしゃー、マウント取ったー!」
「管制室、ちゃんと援護し……いや、もうこれネタ言ってる場合でなくて。顔は止めて下さいよ、顔は!!?」
「天子止めなさい、それ冗談じゃすまないから」
~♥~♥~
夜の帳は下りた。月は空で輝き、虫達が草むらで鳴き声を上げる。
紫と天子の二人は、縁側に腰を下ろして月を見上げていた。
早寝早起きの生活をしている藍は、既に眠りに就いている。邪魔が入らず、二人っきりで話せる環境は整った。
いつもは紫の横で騒がしくしている天子は、この時に限って静かに佇んでいた。
ずっと紫に愛を向け、ずっと紫を見つめていた天子だからこそ、何か大切な話があると察していたのだ。
「天子、何で私なの」
短い言葉だったが、意味を理解するには十分だった。
「それを聞くって事は、とうとうなのね」
紫の言葉を理解した天子は、そう言った。
それを聞いて、あぁ、この娘は私が甘えていた事にも知っていただな、と紫は気付く。
「そうよ、今日まであなたにとても酷い事をしてきた。その事に気付いたから、答えを出したいの」
「別に気にしなくたっていいわ。紫が甘えてくれるのは、嬉しかったし」
静かに言い放つ天子の声が、少し揺れたようにも思えた。
もうすぐ紫から答えを聞くのがわかったから、その事に怯えたのだ。
けれど、怖くても進まなくてはならない。
「もう一度聞くわ。天子、何故あなたが愛したのは私なの」
だからこそ、紫はもう一度、今度はハッキリと問いただした。
今まで何度か聞いて、はぐらかされた疑問を投げ掛けた。
ずっと不思議に思っていた事だ。何故異変の際に天子に怒りを向け、恐怖させた紫に好意を抱くのか。
問われた天子は、そうねと呟くと、紫の髪の毛に手を伸ばした。
「紫の綺麗な髪が好きだし、他のところも全部好き」
天子がうつろげな目をして紫を見詰める。
けれど紫は、天子の目にはまるで自分の事が映っていないように思えた。
「整った顔が好き、色んなものを映す目が好き、プルンと震える唇が好き、調和を崩さない鼻立ちが好き、陶器のような手が好き、舐めたくなるような首筋が好き、柔らかそうな胸がすき、痩せ過ぎず細い腰が好き、スラっと伸びた脚が好き、胡散臭い振舞いが好き。でもそんなのは全部後付け、私が本当に好きなのは」
いや違う、自分の表面が映っていないのだ。
天子が見ているのはそのもっと奥。紫の心の底にあるもの。
「幻想郷を包み込む、大きすぎる愛が好き」
紫は自分の芯のような物を、鷲掴みにされたかのような錯覚を覚えた。
天子は髪に伸ばした手を、今度は紫の頬に添えて顔を自分へと向けさせる。
紫の目を、その奥の心を、覗き込もうとするように。
「あの日、博麗神社の落成式中に紫が割り込んできて怒りをぶつけてきた時、本当に怖かった。しばらくの間、思い出すだけで震えが止まらなかった。だけど思ったのよ。あぁ、あんなにも怒ったあなたは、どれだけこの郷を愛しているんだろう! って」
頬に添えた手が滑り、紫の背中に回される。
天子はゆっくりと、力強く紫を抱きしめて、全身で存在を感じる。
「そして思ったの。そんな紫に愛されるなんて、どれだけ素晴らしいことなんだろうってね」
「それで、あんな格好でやって来たのね」
最初に天子が八雲家にやってきた時の事が思い出される。
裸リボンで箱に入ってやってきて「私を食べて!」と言って来たのは、そう言う理由からだったのか。
「結局振られちゃって、どうしようって思い悩んで。だったら紫の愛と同じくらい愛せば、応えてくれるんじゃないかと思った。そうして、紫に愛されたくて今日までやって来たのよ」
それだけの事で、それだけの為に、天子は今まで紫に尽くしてきた。頑張ってきた
「愛しても、愛されるとは限らないじゃない。それなのにどうしてもどこまであなたは頑張れるの」
「言うじゃない、恋は盲目ってね」
少しおどけた風に言うと、天子は紫から離れてもう一度紫の目を見つめる。
「私には紫に愛される未来しか見えてないの、それ以外は目に入らない。たとえ紫が他の誰かを愛しても、最後には私に向く未来しか」
「恋、ね……」
「そう、恋よ。私は紫の深い、深い深い、とっても深い愛に恋をしたの」
あぁ、そうか。だから天子はこんなにも頑張ってこれたのか。
紫は今まで天子の事がわかっていなかった。何でそんなに必死になれるのか、何でそんなに自分を求めてくるのか。
だけど今、初めて天子の心に触れた。彼女の内面を知り得た。
なんて無知で無垢で、真っ直ぐな愛。
「でも今決まるのね」
「えぇ、決めるわ」
「紫の事だから、振った相手は近づけないようにするでしょ」
「わかるのね」
「えぇ、わかるわ。紫なら、きっと自分にこだわらずに、新しい相手を見つけて欲しいって思う。だからきっと距離を置くわ」
ここで振られてしまえば、たとえ天子が諦めなくても、二度とチャンスは巡ってこない。
それを聞いて紫が口を閉ざしたのが、何よりの肯定だ。
もしそうなったらと、天子の肩が僅かに震える。
今、全てが決まるのだ。
「それじゃ紫、今示して見せて」
天子の顔が徐々に近づいてくる。
「私の想いは届いているのか、返ってくるのか」
紫を見つめていた目が閉じる、顔は以前近寄ってくるまま。
その顔を見ながら、紫は天子がここに来てからの日々を思い返していた。
突然やって来て、抱いてと迫ってきて、それが無理なら愛を与える側に回る。
真っ直ぐで、行き当たりばったりだ、それだけ必死なのだろうが、もっとマシな方法があっただろうに。
だが「どうしても紫の前だとこうなっちゃうのよ」と天子が言ったのを思い出した。
天子には、こんなやり方しか出来なかったのではないか。ともすれば、他のやり方をできない自分自身に嫌気が差した事もあっただろうに。
それでも、己のやり方を貫き通してきた。とても不器用で、けれど強い娘。
それはなんて無知で無垢で、真っ直ぐな愛で。
天子が紫の深い愛に惹かれたというのなら、紫は、天子の真っ直ぐな愛に、心を射抜かれたのだな、と気付いた。
二人の影が重なった。
両者とも目を閉じたまま、息もせず固まっていた。
虫の鳴き声だけが響き渡る。
どれくらいそうしていたか、いい加減息が苦しくなってくると、どちらともなく顔を離した。
ゆっくりと息を吸い、肺に新しい空気を満たす。
「は、あはは……」
すると天子は満足そうな顔をすると、嬉しそうに笑った。
「やった、届いてたじゃない。私の愛」
「もしかしたら、今のは私の気まぐれかもしれないわよ?」
「ないわ、紫はそんなやつじゃないから」
そんな天子を見て、紫も微笑む。
この組み合わせにしては不自然なくらい、ゆったりとした時間が流れる。
「ねぇ、紫」
「何かしら?」
「ここに永遠亭の生える薬があります」
「却下」
訳がなかった。
静かな雰囲気から一転して、騒がしい声が虫の声を掻き消す。
「えー、ここまで来たんだから最後まで行くべきよ。さぁ今すぐ布団を敷きましょ!」
「そうね、そろそろ寝る時間だものね。それじゃあ天子は隙間で送ってあげるから」
「ハッ、焦らし!? 焦らしプレイなのね!!?」
「変わらないわねあなた……いいから帰りなさい」
「あん、もう紫のいけず!」
足元に開いた隙間が、天子の身体を飲み込んだ。
ズズズと少しずつ隙間の中に天子が引きずり込まれていく。
「紫!」
全身が飲み込まれるその前に、天子は紫に指差して大見得を切った。
「明日こそ、紫の愛を受けてやるんだから!」
「そう、おやすみなさい」
「おやすみ!」
ニヤリと笑みを浮かべたのを最後に、天子は隙間に消えていった。
一人になった紫は、月を見上げて想いふける。
「幻想郷と同じくらい、天子を愛する、か」
天子の最終的な願いはそれで、ならば紫もそれを叶えてやりたいと思う。
だが果たしてできるだろうか?
いや、できるだろうな。
何故なら、きっと天子から受けている愛は、紫が幻想郷に注ぐ愛情に引けを取らないぐらい深いだろうから。
なら、きっとできるだろう。
それから、二人の関係は結構変わってきた。
「紫、朝よー」
「うん……」
まず、朝は天子に起こされるようになった。
最初に起きた時は、天子はやたらとはしゃいだりした。
「私の声で紫が起きた! これはつまり紫の好感度がMAXまで上がったのね、キャッホー!!」
本当の事なので紫は何もいえなかったが、それはそれで恥ずかしかったので「お黙り」と扇子で頭を軽く叩いたが、その程度だった。
それと、天子からのスキンシップをいくらか応えるようになってきた。
「紫、はいあーん」
「だから自分で食べれるからよしてって……」
「あっ、口移しのほうがよかった!?」
「そうじゃない! それだったら、まだ普通に食べさせてくれる方が……」
「だったら、はいあーん」
「あ、あー……ん」
こんな具合である、ちなみにこの後目の前に藍がいる事に気付いて、羞恥心から猛烈に死にたくなったとか。
そして、最後で最大の変化がこれである。
「紫様、藍は家を出ようと思います」
「……は?」
突然の申し出に、紫は開いた口が塞がらなかった。
隣にいる天子も、呆気に取られた表情で藍を見ている。
「え、藍今なんて……」
「だから、ここから出て行くと申しております」
「ど、どうしてなの? いきなりそんな……」
「どうして……ですって……?」
藍は俯いて肩を震わせると、抑えていた感情を爆発させて吼えた。
「朝から晩まで二人でイチャイチャ、イチャイチャ! 家事は全部天子がやってしまっているし、こちとら居場所がなくて肩身が狭いんじゃー!!!」
「ら、らぁーん!!?」
こうして、八雲家は紫と天子の愛の巣と化したのである!
「愛の巣って何!?」
「この家だと、何人くらい育てれるかしら」
「いや、私はあの薬使う気ないから」
「つまり紫が受けね!」
「もう勝手にして……」
そんなこんなで、紫は変態的な天子に振り回されながら日々を過ごしている。本人もまんざらじゃないようだ。
しかし。
「紫ー、一緒に布団入りましょうよー、ねー」
「あなた、絶対に何かしてくるでしょう」
「当然じゃない!」
「だから嫌なのよ!」
天子は中々紫からの愛を受けることが出来ない点について、少々ご不満のようだった。
「キスまでしたんだし、そろそろ紫の愛を受けたーい。いい加減、焦らし過ぎよ」
「そ、そう言うのには順序と言うものがあるのよ」
「順序って何よ」
ムスっとした顔で天子が問い詰めてくると、紫は顔を赤面して照れながら、おずおずと言葉を紡いだ。
「け、結婚、してから、とか……」
「は?」
精一杯声を振り絞って紫が言うと、天子はほんの少しの間固まって、意味を理解すると。
「ブーーーーッ!!!」
「ついに鼻血まで出たー!?」
鼻から血液を噴射されて、畳が真っ赤に染まる。と言うかこれ致死量越えてないか!?
「あーん、もう紫ってば可愛すぎ! 大和撫子とかたまらない、って言うか我慢できなーい!!」
紫の仕草がツボに入ったのか、天子は身をクネクネさせた後、抑え切れないリビドーのままに紫に飛びつこうとした。
「え、ぶ、ぶらり廃駅下車の旅!」
「ぶべっ!?」
そこでカウンターで入った紫のスペルカードが、「ゆかりぃぃぃぃ――――」と叫ぶ天子を空の彼方まで運んでいった。
しばらくハァハァと肩で息をさせていた紫だが、やがて落ち着くと自分一人で布団の中に入り込む。
とりあえず、いつ親御さんに挨拶しに行こうか、と考えながら眠りに就いた。
紫と天子、そして、あなたのゆかてん愛に乾杯。
そういうの、大好きです!
奇跡使ったいますよ>奇跡使っちゃいますよ
天子ちゃんにここまで愛される紫にちょいパルですが、素晴らしいですねw
何気に藍様の負担がかなり軽減されているようで、天子もただの変態では無かったところがまた良いです。
>奇声を発する程度の能力さん
元々書き始めた理由も「そそわには、圧倒的にゆかてん分が足りねぇ!」って理由だけですしね。
ゆかてんは原点であり終点であり本能。
>コメント7さん
変態キャラって、そう言うのが嫌いな人もいるけれど、そうじゃなければ見てて楽しいキャラですよね。ついでに書いてても楽しい。
完全に余談だけれども、ゆかりんを虐めるのも楽しかった。
>コメント16さん
変態だからって、何も進展せずに終わるのは嫌だったので、なんとか進めたらこうなりました。
>コメント17さん
ババアと乙女! この世にこれほど相性のいいものがあるだろうかッ!?
>コメント27さん
その一言が自分の活力、ありがとございます。
>コメント33さん
唯一神であるゆかてん、なんて言葉が出てきた。
ゆかてん教か……ふむ。
>コメント37さん
次回はこれよりもっとを目指して頑張ります。
>コメント42さん
変態は変態でも、やっぱり気持ちのいい変態でなくてはね。
いわゆる紳士的な、天子は女だけど。
>コメント43さん
今の所は、また変態天子を書く気はないのですが、気が乗れば書くかも……? いややっぱり期待しない方向で。すみません。
>コメント51さん
書くからには可愛くないと。
できれば霊夢や早苗さんも可愛くしたいけど、出番の短さ的に難しい……。
>桜田ぴよこさん
自分も大好きです!
いつか変態キャラだらけの猥談でも書いてみたい気がしなくもない。
>コメント61さん
誤字報告ありがとう御座います。
個人的に天子は紫の嫁、ゆかてんバンザーイ!。
暇になった藍様は、とりあえず橙のところに転がり込んだそうです
>コメント74さん
やっぱり、笑ってくれたとか吐いてくれたとかコメントで知ると嬉しいなぁ、と再確認
もっとやらせて頂きます
こういう気の利く変態はとても好きです。
>「じょ、冗談じゃ……!」
から
早苗「おい、早く加勢してくれ!」
霊夢「助ける気など元よりない…」
まで連想した自分は立派なコジマ汚染患者
今更ですが誤字報告を
》途中でうるさし、と霊夢が札を投げつけたりするのを
うるさ「い」
》あぁ、この娘は私が甘えていた事にも知っていただな
知っていた「ん」だな