草木は次第に色を付け始め、流れる風も少しずつ暖かみを帯びてきた頃合い。
季節は、春。
「もうやだあああああああ!!」
そんな平和な幻想郷の中、八雲亭に一つ、大きな泣き声が響き渡った。
声の主は八雲紫。妖怪の賢者、幻想郷の管理者、境界に潜む妖怪…………呼び名は様々あれど、八雲紫を知る者は共通して彼女を胡散臭い、何を考えているかわからないと評する。まさかこのように駄々っ子のように泣き喚く八雲紫など想像だにしない。決して起こりうることのない光景が現実に起こってしまっていた。
「ど、どうしたら…………」
八雲藍はほとほと困り果てた。
自分の主が幼児退行を起こしている。それだけでも大問題であるのに、
「もう幻想郷の管理なんて、やめゆ!!」
「ちょ……ッ!?」
オマケとして幻想郷滅亡の危機までくっついてきた。
「ゆ、紫様、落ち着いてください! まずは私に何があったのかを教えてください!」
「うるさいうるさぁい! 藍も心の中では私のこと鬱陶しく思ってるんでしょ!」
「はぁ!?」
「もう、知らない! ふ、うぇ……うぇぇ~ん……」
そう言ったきり、紫は布団に包まってグズグズと泣き始めてしまった。藍がいくら話をしようと呼びかけても紫は応じない。ゆかつむりである。返ってくるのは泣き声ばかりだった。
「と、いうわけなんだ。どうか力を貸してほしい」
自分ひとりではどうにも対処できないと判断した藍は、紫に縁のある人物に声をかけ、八雲亭に集めた。
「全くあいつは……次から次へと厄介事を……」
「まぁ、いいじゃないか霊夢。紫の鼻水でぐじゅぐじゅになった顔を拝めるなんて、そうないぜ?」
「別に拝みたくないけど」
「いやぁ、紫とは付き合いが長いけど、こんなこと初めてだよ。酒の肴にいいかもね」
「いや、非常事態なんですけど……」
八雲亭に集まった霊夢、魔理沙、萃香は各々考え方の違いはあれど、基本的に事を軽く考えている。それが藍には不安だった。
「萃香様、今更こんなことは言わなくてもご承知のこととは存じますが、紫様がいなくちゃ結界の維持はできないんですからね? これは幻想郷のピンチなんです……霊夢と魔理沙も」
「わぁーかってるよぉー。だいじょぶだいじょぶ。私たちに任せとけってー」
萃香は赤い顔でそう言った。藍はやっぱり不安だった。
「しかしまぁ、確かにこんなことはないよな。今まではどんなに言っても暖簾に腕押しだった紫だもんな」
「まーた何か企んでるんじゃないの?」
「霊夢、頼むから紫様の前でそんなこと言わないでくれよ。紫様は今、なんだかすごく……」
言い淀む藍に、霊夢は怪訝な視線を向ける。
「すごく……何よ?」
「すごく――――少女なんだ」
「……はぁ?」
藍の突拍子も無い言葉に霊夢は目をぱちくりさせる。
「今……なんて? なんだかとっても紫に似合わない単語が聞こえた気がするんだけど」
「そういう反応が返ってくると思ったから言いづらかったんだ……。紫様は今、少女になっている」
「意味が伝わらないぜ。それはどういうことだ? 顔の小皺がなくなったってことか? 体型が幼くなったか?」
「紫様に小皺などない。無論、精神的にだ。今の紫様は、ちょっとしたことで傷つき、涙を流す。ものすごく繊細なんだ」
「あっはっは! めんどくせぇーなー紫は!」
酔っ払いが爆笑した。
「す、萃香様! お声を落として!」
しー、しー。
(紫様に聞こえたらどうするんですか!?)
(大丈夫だろぉー)
途端、紫の部屋の方から「オギャーン!」とけたたましい泣き声が聞こえてきた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
まずい、聞こえてた。
一同、心が重なった瞬間だった。
「……な?」
「そ、そうね」
「マジなんだな……」
「えーっと……ごめんね?」
「いえ……とりあえず、紫様の部屋まで行きましょう」
三人はこくりと頷き、藍のあとについていった。
「紫様」
紫の部屋の前まで来た藍は襖越しに声をかけた。
「霊夢と魔理沙と萃香様が紫様を心配して来てくれましたよ。何があったのか、話してくれませんか?」
紫にかける藍の声はやわらかい。本当に自分の主を心配して、心から出た暖かみのある言葉だった。
しかし、そんな藍に投げつけられた紫の言葉は無情だった。
「嘘吐き」
「……え?」
「私、聞いてたもん! 霊夢はめんどくさがってるし、魔理沙は私を笑い者にする気だし、萃香に至っては笑い話にする気じゃない!」
あちゃー……。
四人は顔を見合わせた。
「そんなうわべだけの優しさなんて、いらないもん!」
「ゆ、紫様、どうかそうおっしゃらず……」
「知らない!」
ぼふん、と襖が撓んだ。枕でも投げつけたのだろう。
「これは……マジね」
「シャレじゃなかったんだな」
「言っただろう? 紫様は今、少女だって。私じゃもう話にならん。頼む。どうか紫様の心を開かせてくれ。優しくな?」
困り果てたように藍は言った。
「じゃあ、まず私から行こうかー」
「萃香」
「萃香様」
意外なことに、一番手に名乗りを上げたのは萃香だった。三人は驚いたように萃香を見る。
「意外ね、見学でもしてるかと思ったのに」
「そうだな、こういうの率先してやるとは思わなかったぜ」
「いや、まぁさ……」
萃香は決まりが悪そうに頬を掻いた。
「あの紫がここまで落ち込んでるのなんて初めて見たし、実際とどめを刺したのは私っぽいしさ」
「……それを言ったら、私たちだって同じでしょうよ」
「ああ、結構勝手なこと言っちゃってたかもな……」
そんな三人のやりとりを見て、藍は場違いな安心を感じていた。
――ああ、なんだかんだ言って、紫様だって愛されているじゃないか。
そんなことを思っていた。
「まあ、この中では私が一番付き合いが長いし、行かせておくれよ」
「まあ、そう言うんなら私たちは、ねぇ?」
「おぉ、そうだな。いっちょドカンを紫を起こしてやってくれ」
「はは、ドカンとはやめていただきたいかな――萃香様、頼みます」
「おぉ、任せとけ!」
むん、とない胸を張り、萃香は襖の前にどかっと座り込んだ。
「よ、紫。元気かい?」
当然、返事はない。
「はは、そうだよね、元気だったら寝込んでたりしないよなー」
萃香は続ける。
「なあ紫、どうしちゃったんだ? 言ってくれれば私でよければ力になるよ?」
「……つき」
「え?」
「嘘吐き」
紫は悲しそうに呟いた。
「そんなの嘘よ。だって、私なんてみんなに嫌われてるんですもの」
これには四人が顔を見合わせた。
「何言ってんだ? そんなことあるわけないじゃんか。なんだってそんな――」
「だって、言ってたじゃない!」
萃香の言葉を遮り、紫は叫んだ。
「私があの天人を探してるとき、萃香言ったじゃない!」
――嫌われてるじゃん? みんなから。
「おま……そんなこと言ったのか?」
「あんた、それはさすがにひどいわよ……」
「萃香様……」
三人の責めるような視線が萃香を刺す。
「い、いや! 違うんだよ! あれは、その……ノ、ノリ! ノリだって! 本気で言うわけないじゃんそんなこと!」
「言い訳は見苦しいぜ」
「あんたもう後ろでお酒でも飲んでなさいよ」
「反省してください」
「うぅ……」
べこんべこんに凹んだ萃香を放って、次に魔理沙が襖の前に座り込んだ。
「おす、紫。全く萃香もひどい奴だよなー。お前が不貞腐れるのもわかるよ。けど、私は違うぜ。私とお前は友達だよな?」
微塵も自分に落ち度はないと信じて疑わない魔理沙は、いい笑顔で紫に話しかける。
「永夜異変の時――」
「へ?」
「永夜異変の時、魔理沙は真っ先に私が犯人だって決めつけてた!」
「えぇ!? それはしょうがないだろ! だってお前前科あるし、誰だってお前を疑うだろ!」
「うえーん!」
「まぁーりぃーさぁー!」
「私か? 私がいけないのか!?」
藍に首根っこを掴まれ、ずるずると退場する魔理沙。藍はもう、霊夢に頼るしかなかった。
「はぁ……全く、魔理沙は……」
霊夢はどっこいしょ、と襖の前に座り、慰めるでもなく、問い詰めるでもなく、ただただ、普通に話しかけた。
「ねえ紫、どうしたの?」
「…………」
「何か言ってくれなきゃわからないわよ。私はさとりでもなんでもないし、あんたみたいに頭が回るわけでもない。教えてくれなきゃわかんないの」
そう言って、霊夢は黙った。我慢比べをしようとしているわけではない。紫を信じているとか、そういう青いことを考えているわけでもない。ただ、次は紫の番だから黙ったのだ。
いつもの霊夢。誰に対しても、何に対しても自然体。隣にいる者を落ち着かせる、霊夢にしか持ち得ない空気であった。
だからだろう。紫も次第に本当の心を見せ始めた。
「わ、私だって――」
「うん」
紫は意を決したように吐き出した。
「私だって、みんなに愛されたい!!」
………………。
…………。
……。
「はぁ?」
「もう、みんなに嫌われながらお仕事するのは嫌! ぐす……すんすん。みんなのことが好きだから、頑張ってるのに……嫌われたくないよぉ……ぐすん」
紫のまさかの告白に、四人は目を白黒とさせた。
「このままずっと八雲紫が嫌われ続けるんなら、私はもう八雲紫を辞めます!」
「ちょちょちょ、ちょっと待って。紫、本当に自分がみんなに嫌われてるって思ってるの?」
「だってそうだもん!」
「あれは萃香の馬鹿が適当ぶっこいただけでしょうに。そんなの本気にするんじゃないわよ」
「それだけじゃないもん!」
紫の悲痛な叫びは続く。
「いつも神社で宴会してるけど……」
「うん、してるわね」
「……私だけ、誘われたこと、ない」
「え――――」
皆が、ぽかんと口を開けた。
「え、だって、それは――」
「紫がいつも――」
「どこにいるかわからないから――」
「――ですよ」
と、最後は藍が締めた。
「…………え?」
「あんたまさか、それだけのことで自分が嫌われてるって勘違いしてたの?」
襖の向こうから返事はない。図星のようだった。
「あんたねぇ……」
「でもでも! みんな私のこと胡散臭いとか、ババアとかゆってるもん! みんな私の事が嫌いなんだー!」
プチン。
「プチン? おい、なんだ今の音?」
「いやぁ、見りゃわかるでしょ。霊夢だよ霊夢」
「この場に橙がいなくてよかったな……」
三人は霊夢から少し距離を取り、慌てて耳を塞いだ。
「こんの……馬鹿スキマがぁーッ!!!」
「ひっ……」
家全体がビリビリと震えるようながなり声が響く。
「本当にあんたのことが嫌いなら、誰も今ここにいないでしょうが! 布団に包まってぐしぐし泣くような根暗女、普通放っておくわよ! そうしないのは、あんたのことが、す、好きだからでしょ!? なんでそれがわかんないのよこの馬鹿ッ!!」
「あ、あぅ……」
言いたいことを一遍に言って、肩で息をする霊夢。顔も真っ赤であった。
「いい? 一度しか言わないからね」
ごほん、と咳払いをして、霊夢は言った。
「あんたのことを本当の友達だと思ってる奴の顔が見たかったら、出てきなさい――ゆっくりでも、時間がかかってもいいから」
逡巡。部屋の奥から布の擦れ合う音が聞こえる。紫が立ち上がったのだろう。
一歩一歩、恐怖と闘うように、畳の音が近づいてくる。
そして――襖は開かれた。
「ん、おはよ。ひどい顔ね、紫」
紫の顔は、それはひどいものであった。泣き腫らしたからだろう、目は赤く腫れ上がっていて、鼻も真っ赤になってしまっている。
けれど――
「でも、少女らしい、いい顔じゃないの」
にこりと、霊夢は紫に笑いかけ、そのひどい少女の顔を撫ででやった。
「ほ、ほんとに、私のこと好きでいてくれるの?」
捨てられた仔猫のような視線。霊夢はその視線を暖かく受け止める。
「あったり前でしょ。あんたとは何回コンビ組んだと思ってるのよ」
「まだ二回……」
「それだけ濃密な時間だったってことで」
そうして、紫にも笑顔が灯った。
「……うん」
「よし、それでいい」
「えへへ……」
「あー……」
魔理沙と萃香が気まずそうに紫に寄ってきた。
「えーと、その、紫……ごめん、な?」
「うん、私も、紫だからいいやって気持ちで、何も考えないでひどいこと言ってた。ごめんよぉ」
魔理沙も萃香も、素直な気持ちで謝った。
「い、いいのよ。私が勝手に勘違いして、被害妄想して……迷惑かけちゃったのはこっちの方だから……」
「いや、紫は悪くないって。親しき仲にも礼儀あり、だもんな。これからは気を付けるよ」
「そうだねぇ。長い付き合いってことに甘えちゃってた部分はあるからね。ごめんよ紫」
「二人とも……」
「紫様……」
「藍」
藍は穏やかな表情で紫に言った。
「おはようございます。長いお休みでしたね」
「ええ、ちょっと休みすぎちゃったわ。これから遅れた分を取り返さないと。だから――」
いつもの、凛とした表情で紫は言う。
「しっかり手伝いなさいよ、藍」
「……はい!」
その様子を見て、霊夢は満足そうに頷いた。。
「そうそう、あんたはそうじゃなきゃね」
「霊夢」
「でもね? 紫」
「うん?」
「なんでもかんでも、一人で溜め込んじゃ駄目よ? 何かあったら、すぐに私たちに言うの。せっかく、仮面じゃない、少女紫の表情を見せてくれたんだから、これからもそれを続けていかなきゃ駄目よ」
「えぅ……それはちょっと恥ずかしいのだけれど」
「だーめ。隠しごとは一切なし。それが友達ってもんでしょ?」
ぱちん、とウィンクをする霊夢に、にへらと鼻を掻く魔理沙。満足そうに酒を飲む萃香に、目に温かい涙を浮かべる藍。
紫の心に暖かい何かが灯った。
「わかった。これからは弱いところも見せる。隠しごともしない。それを受け入れてくれるって、私は信じられるから」
だから――
「霊夢のとっておきのお煎餅を食べちゃったのも、魔理沙のワンアップキノコを食べちゃったのも、萃香の角に落書きしたのも、みんな許してくれるわよね?」
紫は微塵も許してくれることを疑わずに告白した。
「――は?」
「おい……」
「紫ぃ……」
温度が変わった。
春も始まろうとしているこの季節。紫は真冬にも近い温度を確かに感じていた。
「え、なに? ちょ、許してくれる……わよ、ね?」
「それとこれとは――」
「話が――」
「違うだろぉー!」
「ぎゃーん!」
霊夢のお札が、魔理沙の魔法が、萃香の拳が紫に向かって放たれた。モロにそれを喰らった紫は、輝く太陽に向かって一直線に飛んでいった。
「こんなもんで済ませないわよ! 待ちなさい紫ー!」
「親しき仲にも礼儀ありってさっき言っただろうがぁー!」
「あれ落とすのすごい時間かかったんだぞー!」
一発では怒り冷めやらず、三人はきりもみ状態で飛んでいく紫を追って地を蹴った。
「…………はぁ」
残った藍は盛大に溜め息を吐いた。
しかし、その表情はどこか満足そうで、嬉しそうであった。
そのことに気付いているのは、はるか上空から少女たちを見下ろす、暖かな太陽だけであった。
終わり
弱気なゆかりんかわいいです。
ありがとうございました。
ゆかりん共々なでなでしたい
ゆかりんならやってくれるはずです、きっと……!
>KASAさん
読み返してみたら私も赤面しちゃいました!
>可南さん
ゆかりんはかまってちゃんです。でもそれが可愛いんです。
>15
どっちもどっちですねw
>19
ただのめんどくさい女(言ってしまった)
だがそれがいいィィィ!!
>奇声を発する程度の能力さん
あ、気付いちゃいました? そうです可愛いんです。
>過剰さん
思った以上にこっぱずかしくなっちゃいましたw
>35
なでなでしてもいいんですよー。
>42
コンタクトずれるほど同意。
↑何故か此処で身悶えた
これ、やばい…やばすぎる…
まったくゆかりんは可愛いったらないな!
なんか、そんなことないよ! って言ってあげたくなるセリフですよねw
>46
そのままでいいんですよー。
>60
逆のことも言えます。少女がゆかりんだった、と。
つまり少女という言葉はゆかりんのために作られた言葉だttndy!!
>61
言い得て妙。けど普通ですねw
>mthyさん
キャラ崩壊してる感は否めませんが、それでもぼくはゆかりんがすきなんだ。
>67
やー。とか言って可愛くいやがるゆかりん可愛い。
>70
面倒くさい女の子って好きです。変?
もったいないお言葉です。
ありがとうございました。
>82
作者の、ふわっとした脳内が伝わったのなら何よりです。
八雲紫だって少女なのです
正直イラッ☆とくる場面もあったけど概ねゆかりん面倒い可愛い
スーパーキノコもあるのかよ