「おはようございます、文さん」
私の朝の目覚ましは椛の挨拶だ。
凛としたよく響く声は寝ぼけた脳によく染み渡る。
が、彼女が目覚ましに最適なのはそれだけではなかった。
心地良い音を出す目覚ましは意味を成さない。止める必要があるからこそ目覚ましであるのだ
「……おはよう椛。で、この手は何?」
寝巻き替わりのワイシャツ、その胸もとに掛けられた手を指さす。
「汗をかいていたのでお召し替えをと」
「どうして私が寝てる時にしようとしたのかな?」
子供相手に話すような、柔らかい言葉使いと笑顔で訊ねる。
「胸が見たかったからです。あと、寝間着を私の物にしようかと」
それはそれは素敵な笑顔で応えてくれる椛。
普段はむっつりとした無表情とのギャップは筆舌に尽くしがたい。
馬乗りになって服に手をかけている状況でなければもっと素敵だった。
「そうなんだぁ」
「はい」
こやつめ、ハハハ。
「このバカ犬!」
目標を撃ちぬくように撃つべし。風をまとった右ストレートは顎を正確に捉えた。
殴り飛ばされた椛がガラスを突き破る音によって今日の始まりを告げた。
◇
「今日の朝食は白米、豆腐と油揚げの味噌汁、鮭の塩焼き、きゅうりのぬか漬けです」
窓ガラスに頭から突っ込んだにも関わらず、椛の怪我は頬に絆創膏一枚ですんでいた。
何なんだろう。いくら殴ってもケロッとしているのは。
実は蓬莱の薬でも飲んでいるんじゃないだろうか。
「まあ、その、いつもありがとう。助かります」
「いえ、好きでやってることなので」
いつもの無表情で答える椛。さっき変態的な行為に及んだ人物と同じだとは信じられないくらいの豹変だ。
実際のところ、犬走椛という妖怪ははっきり言って出来過ぎている。
無駄にプライドの高い個体が多い天狗種なのに素直に相手の力量を評価する。
仕事は真面目にこなして不平不満は決して言わない。
高身長で顔立ちも整っていて、おまけに料理も掃除も得意。
ただひとつの欠点は――これを知っているのは私とにとりくらいだろうが。
「鮭は私がほぐしますよ。何なら食べさせてあげてもいいです。口移しでいいですか」
「いいわけないでしょうが!」
たまに、なんというか。アレなこと言い出す。
言い出すだけならまだいいが行動にうつす時があるからなお質が悪い。
「残念です」
無表情からは本気かどうかは窺い知れない。
黙ってればエプロンの似合うかっこいい白狼なのに。
「それはそうと、聞くところによると裸にエプロンが最高の組み合わせらしいのですが。今度試してみますか」
「誰が試すんですか」
「ペアルック、というのも一つのスタイルかもしれませんね」
「捨ててください、そんな考えは」
ふむ、と椛は視線を下げる。
その先にあるのは……。
「ふっ」
なっ! こいつ人の胸を鼻で笑ったな!
くそっ! 確かにあまり大きいとは言えないがまな板ほどじゃないんだぞ!
「いえいえ、なんでもないですよ」
「そんな目をして言うか!」
なんだその生暖かい視線は!
試験を受ける出来の悪い生徒に先生が向ける、まあ多分無理だろうけど万が一があるかもしれないよね、みたいな!
「いやいや、確かにエプロンは胸がないと映えないなんて思ってませんよ」
「わざとらしく背伸びをするな! その場で飛ぶな!」
エプロン越しでもわかる膨らみが揺れる光景は、男児にとっては桃源郷となりうるのかもしれない。しかし、女児にとっては唇をかむことしかできない。
私のほうが年上なのに……ッ!
なんて不公平ッ!
「まあ、それはともかく。冷める前に食べてください」
「ぬ……ぐぅ……」
言いたいことは山ほどあるのだが、真顔に戻られてはやりづらい。
渋々上げた腰を下ろして箸を持つ。
サケ? とかいう魚は初めて食べるが丁度いい塩気にご飯がすすむ。
味噌汁も気怠い朝にはとてもやさしい。
「美味しいですか?」
「ん、美味しいですよ。さすがですね」
「ありがとうございます」
褒められ、椛は薄く微笑む。
「……っ」
少し、鼓動が早まった。
ずっとその顔でいたらいいのに。ああ、だけどそれじゃ私の気が休まらないか。
「鮭は美味しいですか?」
「ええ、初めて食べましたがなかなか。けど、聞いたことがない魚ですね」
「鮭は川で生まれ海で育ち、再び川に戻るという変わった魚です」
「海? 幻想郷に海はないじゃないですか」
「ええ。だからスキマ妖怪から譲ってもらったんです」
「はぁ、紫さんから」
脳裏に胡散臭い笑顔が呼び起こされる。
外の世界と唯一繋がりのある彼女。その彼女からモノを受け取るということはそれなりの代価があったはずだが。
「山の警備図と引換でした」
「お前なにやってんの!?」
機密情報と魚一匹取り替えるとか馬鹿だろ!?
わらしべ長者だってもっと段階踏んでいただろ!
「文さんに喜んでもらいたくて……」
「わざとらしく泣き真似をするなせめて目薬を隠しなさい」
「まあ、嘘なんですけどね」
しれっと真顔に戻る椛。
このやり場のない怒りはどうしたらいいのだろう。
「けど、文さんに喜んで欲しかったのは本当なので嬉しかったです」
「ぐっ……」
畜生……ッ!
そんな事言われたら何も言えない……ッ!
「今日も取材ですか?」
「そのつもり。椛は?」
「私は非番ですので。掃除でもしてますよ」
「……休んでいていいんですよ」
むしろ、休みなさいというべきだろう。
何も言わないと彼女はなんでもやろうとする。
「好きでやってることなので」
それなのに、彼女はいつだってそう答える。
どうしてそこまで私に尽くす?
そんなことするほどの価値は私にないのに。
「……椛」
「あ、ご飯ついてますよ」
「はうっ!?」
耳に柔らかいものが触れた。
軽い痛みが走って、椛が甘噛みをしているのだと気がつくと体温が一瞬で限界を振り切った。
「も、椛! なにをして!」
「失礼、美味しそうだったので」
「美味しそうだったからじゃないですよ! は、離して……!」
「だが断る」
「はなしなさいってばー!」
◇
川のせせらぎを背景に取材休憩の昼食をにとりと食べる。
朝の出来事をにとりに話すと苦笑いが返ってきた。
「相変わらず、ってとこだね」
「ええ、日常になるくらいですよ。あのバカ犬の行動は」
ぐちぐち言いつつおにぎりを口に運ぶ。
毎日私とにとりの分まで作ってくれるのはありがたいけれど。
すごく美味しいし彩りも完璧な弁当はありがたいけど。
だからと言ってセクハラされていい道理はない。
「その割に嫌そうには見えないけどね」
「そう、ですか」
「むしろ、私が妬くくらい仲よさそうで。いや、羨ましいわ」
「……あのセクハラもですか」
「あれは、まぁね……」
あはは、と適当な笑いを返すにとりに溜息をつく。
「本当に酷いんですから。何度風呂場に乱入されたことか」
その言い訳もまた酷い。
『誰もいないと思っていました』じゃないわよ。
電気もついてて鼻歌も歌っていたし、そもそもどうしてカメラを持っているのよ。
「けど、文は本当に嫌だったらきっぱり言うじゃない。なんで何も言わないのさ?」
「それは、その」
どう返答したものか。
時間を稼ぐために豚肉の唐揚げをつまみ放り込む。
さっくりとした衣に包まれたそれは食べやすいように一口サイズにされており、簡単なものながらも椛の心遣いを感じさせる一品である。
「あ、椛のこと好きだから?」
「んぐっ!? うぅむっ!」
核心をつく一言に唐揚げが喉に詰まった。
いやいやそんな冷静に解説してる場合ではなくて!
「はい、お茶」
「んむぅっ!」
ごくごくごくごく。
「ふぅ……助かりました。あっ」
「なに?」
「間接キス、でしたね……」
ぽっと顔を赤らめ乙女のポーズ。
「そだね。それで、椛のコト好きなの?」
「い、いやそのですね……」
くそう誤魔化しきれなかった。
にとりの眼は好奇心に輝いてるし、逃げきるのは難しそうだ。
「言っちゃいなよ。本人がいるわけじゃないし」
「……はあ、わかりましたよ。言いますよ。私は椛のこと好きですよ」
半ばやけっぱちに言い放つ。
ああもう、どうとでもなれ。
「大きな背中も鋭い目も撫でると気持ちのいい髪も、全部好きですよ」
「いやはやそこまで言うかい。妬けるねぇ」
「本当のことですから」
「……こっちまで恥ずかしくなってきたよ。本人に言ってやればいいのに」
「……私なんかが彼女の隣にいていいのか。そう思ってしまうんですよ」
雄々しい白狼に薄汚れた烏が傍にいるのは不釣合いだから。
彼女に相応しい者は別にいるだろう。私なんかじゃ吊り合わない。
そう思っても離れられないのは、私が椛を好きで、彼女も私を好きだから。
それに甘えてずるずると今の関係を続けてきた。
深く重い溜息を吐き出した。
「ふぅん、相変わらず難しく考えるね」
「にとりが考えてないだけでしょう」
「そんなことないさ、私もちゃんと考えてるよ」
きゅうりを齧りながら、にとりは得意げに笑う。
「ま、私はまだ相思相愛の相手はいないけどさ。互いに好き合っているならそれでいいと思うよ」
「それは」
「単純すぎるってかい。難しく考えすぎるとつまらないよ。吊り合うだの合わないだの、そんなのは些細なことさ」
「些細なこと……」
「そうそう。身分違いの恋には障害があるものさ。両親だったり風習だったり。だけど、文は勝手に悩んで勝手に迷ってるだけ。もっと単純に考えなよ」
しかし、椛の作る弁当は美味しいねぇ。
呟きを遠くに聞いて空を見上げる。
私は烏で、彼女は狼だから一緒に空は飛べないと思ってた。
それも考えすぎなのだろうか? もっと単純な、簡単な問題だったのか?
水飴のような思考に答えは出なかった。
◇
「ただいま」
夕焼けに染まったドアを開ける。珍しく椛の出迎えはなかった。
「椛?」
呼んでみるが返事はない。
自宅に戻っているのだろうか。
それが当たり前のはずなのに、ずいぶん馴染んでしまっている自分に苦笑いをする。
一人が当たり前の時はただいまを言う事もなかったのに。
「っと、ここにいたの」
自室のベッドに身体を丸めるようにして椛は眠っていた。
床に箒が転がっているから、掃除をしてくれたのだろう。
ベッドに腰掛け、彼女の寝顔を見つめる。
普段の引き締まった顔は、今だけは子どものように緩んでいた。
時折ひくひくと耳を動かし、安らかに眠る彼女の頭を撫でてやる。
「……このまま寝たふりをしていればキスとかしてくれませんか。ちなみに寝言です」
「おはよう椛。掃除ありがとう」
キスの代わりに頬を引っ張ってやる。餅みたいによく伸びた。
「おはようございます。冗談です」
「なら、初めから言わない」
はぁ、と溜息を漏らす。
本当に何を考えているのだろう。
「冗談ですが、本気でした」
「……ろくなことは考えてないみたいね」
「私は文さんのことしか考えてませんよ」
また冗談を。
そう言おうと思った。だけど、椛の眼は真剣でじっと鋭い目は私を捉えて離さない。
積み重なっていた疑問は自然と口から漏れていた。
「……どうして、私にそこまで尽くすんですか?」
「あなたが好きだから、では不満ですか?」
「……狼は烏と一緒には飛べないんですよ」
「私は止まり木にもなれますよ。あなたが休むための」
椛は私の頬に手を添え、見つめ合う。
「気ままで、それでいて芯のぶれないあなたに惹かれたんです。静かだった私の枝を揺らしてくれたあなたに」
だから、詰まらないことは言わないでください。
それだけで胸が暖かくなった。
ああ、本当に椛はずるい。
そんな笑顔で言われたら、そう信じたくなる。
こんな私でも隣にいていいのだと思える。
「……あなたはそれでいいんですか?」
「あなたが笑っていられるなら」
迷いのない言葉は胸に染み入る。
素直に受け取ることのできなかったその言葉は、確かな実感として心に響き渡る。
「……わかりました。じゃあ、椛も笑っていてください。そうすれば私も幸せです」
「はい」
「それと」
息を吸って、深く吐く。
こんなに緊張したのは久しぶりだ。
手は震えるし、鼓動もうるさい。
それでも、言わないといけないんだ。
「私も、好きです。椛のことが」
彼女に負けないくらいの笑顔で微笑み、言った。
椛は珍しく、本当に珍しく驚き、赤面した顔を見せた。
「……はいっ」
たった一言。今まで言えなかった気持ち。
それだけで、今まで悩んでいたことが馬鹿らしくなるくらいの笑顔を彼女は見せてくれた。
単純に考えることも悪くない。
全身で彼女の体温を感じながらそう思った。
「……どこを触っているのかな」
「太ももです。すべすべで気持ちがいいですね」
「ありがとうございますこのバカ犬がぁ!」
私の朝の目覚ましは椛の挨拶だ。
凛としたよく響く声は寝ぼけた脳によく染み渡る。
が、彼女が目覚ましに最適なのはそれだけではなかった。
心地良い音を出す目覚ましは意味を成さない。止める必要があるからこそ目覚ましであるのだ
「……おはよう椛。で、この手は何?」
寝巻き替わりのワイシャツ、その胸もとに掛けられた手を指さす。
「汗をかいていたのでお召し替えをと」
「どうして私が寝てる時にしようとしたのかな?」
子供相手に話すような、柔らかい言葉使いと笑顔で訊ねる。
「胸が見たかったからです。あと、寝間着を私の物にしようかと」
それはそれは素敵な笑顔で応えてくれる椛。
普段はむっつりとした無表情とのギャップは筆舌に尽くしがたい。
馬乗りになって服に手をかけている状況でなければもっと素敵だった。
「そうなんだぁ」
「はい」
こやつめ、ハハハ。
「このバカ犬!」
目標を撃ちぬくように撃つべし。風をまとった右ストレートは顎を正確に捉えた。
殴り飛ばされた椛がガラスを突き破る音によって今日の始まりを告げた。
◇
「今日の朝食は白米、豆腐と油揚げの味噌汁、鮭の塩焼き、きゅうりのぬか漬けです」
窓ガラスに頭から突っ込んだにも関わらず、椛の怪我は頬に絆創膏一枚ですんでいた。
何なんだろう。いくら殴ってもケロッとしているのは。
実は蓬莱の薬でも飲んでいるんじゃないだろうか。
「まあ、その、いつもありがとう。助かります」
「いえ、好きでやってることなので」
いつもの無表情で答える椛。さっき変態的な行為に及んだ人物と同じだとは信じられないくらいの豹変だ。
実際のところ、犬走椛という妖怪ははっきり言って出来過ぎている。
無駄にプライドの高い個体が多い天狗種なのに素直に相手の力量を評価する。
仕事は真面目にこなして不平不満は決して言わない。
高身長で顔立ちも整っていて、おまけに料理も掃除も得意。
ただひとつの欠点は――これを知っているのは私とにとりくらいだろうが。
「鮭は私がほぐしますよ。何なら食べさせてあげてもいいです。口移しでいいですか」
「いいわけないでしょうが!」
たまに、なんというか。アレなこと言い出す。
言い出すだけならまだいいが行動にうつす時があるからなお質が悪い。
「残念です」
無表情からは本気かどうかは窺い知れない。
黙ってればエプロンの似合うかっこいい白狼なのに。
「それはそうと、聞くところによると裸にエプロンが最高の組み合わせらしいのですが。今度試してみますか」
「誰が試すんですか」
「ペアルック、というのも一つのスタイルかもしれませんね」
「捨ててください、そんな考えは」
ふむ、と椛は視線を下げる。
その先にあるのは……。
「ふっ」
なっ! こいつ人の胸を鼻で笑ったな!
くそっ! 確かにあまり大きいとは言えないがまな板ほどじゃないんだぞ!
「いえいえ、なんでもないですよ」
「そんな目をして言うか!」
なんだその生暖かい視線は!
試験を受ける出来の悪い生徒に先生が向ける、まあ多分無理だろうけど万が一があるかもしれないよね、みたいな!
「いやいや、確かにエプロンは胸がないと映えないなんて思ってませんよ」
「わざとらしく背伸びをするな! その場で飛ぶな!」
エプロン越しでもわかる膨らみが揺れる光景は、男児にとっては桃源郷となりうるのかもしれない。しかし、女児にとっては唇をかむことしかできない。
私のほうが年上なのに……ッ!
なんて不公平ッ!
「まあ、それはともかく。冷める前に食べてください」
「ぬ……ぐぅ……」
言いたいことは山ほどあるのだが、真顔に戻られてはやりづらい。
渋々上げた腰を下ろして箸を持つ。
サケ? とかいう魚は初めて食べるが丁度いい塩気にご飯がすすむ。
味噌汁も気怠い朝にはとてもやさしい。
「美味しいですか?」
「ん、美味しいですよ。さすがですね」
「ありがとうございます」
褒められ、椛は薄く微笑む。
「……っ」
少し、鼓動が早まった。
ずっとその顔でいたらいいのに。ああ、だけどそれじゃ私の気が休まらないか。
「鮭は美味しいですか?」
「ええ、初めて食べましたがなかなか。けど、聞いたことがない魚ですね」
「鮭は川で生まれ海で育ち、再び川に戻るという変わった魚です」
「海? 幻想郷に海はないじゃないですか」
「ええ。だからスキマ妖怪から譲ってもらったんです」
「はぁ、紫さんから」
脳裏に胡散臭い笑顔が呼び起こされる。
外の世界と唯一繋がりのある彼女。その彼女からモノを受け取るということはそれなりの代価があったはずだが。
「山の警備図と引換でした」
「お前なにやってんの!?」
機密情報と魚一匹取り替えるとか馬鹿だろ!?
わらしべ長者だってもっと段階踏んでいただろ!
「文さんに喜んでもらいたくて……」
「わざとらしく泣き真似をするなせめて目薬を隠しなさい」
「まあ、嘘なんですけどね」
しれっと真顔に戻る椛。
このやり場のない怒りはどうしたらいいのだろう。
「けど、文さんに喜んで欲しかったのは本当なので嬉しかったです」
「ぐっ……」
畜生……ッ!
そんな事言われたら何も言えない……ッ!
「今日も取材ですか?」
「そのつもり。椛は?」
「私は非番ですので。掃除でもしてますよ」
「……休んでいていいんですよ」
むしろ、休みなさいというべきだろう。
何も言わないと彼女はなんでもやろうとする。
「好きでやってることなので」
それなのに、彼女はいつだってそう答える。
どうしてそこまで私に尽くす?
そんなことするほどの価値は私にないのに。
「……椛」
「あ、ご飯ついてますよ」
「はうっ!?」
耳に柔らかいものが触れた。
軽い痛みが走って、椛が甘噛みをしているのだと気がつくと体温が一瞬で限界を振り切った。
「も、椛! なにをして!」
「失礼、美味しそうだったので」
「美味しそうだったからじゃないですよ! は、離して……!」
「だが断る」
「はなしなさいってばー!」
◇
川のせせらぎを背景に取材休憩の昼食をにとりと食べる。
朝の出来事をにとりに話すと苦笑いが返ってきた。
「相変わらず、ってとこだね」
「ええ、日常になるくらいですよ。あのバカ犬の行動は」
ぐちぐち言いつつおにぎりを口に運ぶ。
毎日私とにとりの分まで作ってくれるのはありがたいけれど。
すごく美味しいし彩りも完璧な弁当はありがたいけど。
だからと言ってセクハラされていい道理はない。
「その割に嫌そうには見えないけどね」
「そう、ですか」
「むしろ、私が妬くくらい仲よさそうで。いや、羨ましいわ」
「……あのセクハラもですか」
「あれは、まぁね……」
あはは、と適当な笑いを返すにとりに溜息をつく。
「本当に酷いんですから。何度風呂場に乱入されたことか」
その言い訳もまた酷い。
『誰もいないと思っていました』じゃないわよ。
電気もついてて鼻歌も歌っていたし、そもそもどうしてカメラを持っているのよ。
「けど、文は本当に嫌だったらきっぱり言うじゃない。なんで何も言わないのさ?」
「それは、その」
どう返答したものか。
時間を稼ぐために豚肉の唐揚げをつまみ放り込む。
さっくりとした衣に包まれたそれは食べやすいように一口サイズにされており、簡単なものながらも椛の心遣いを感じさせる一品である。
「あ、椛のこと好きだから?」
「んぐっ!? うぅむっ!」
核心をつく一言に唐揚げが喉に詰まった。
いやいやそんな冷静に解説してる場合ではなくて!
「はい、お茶」
「んむぅっ!」
ごくごくごくごく。
「ふぅ……助かりました。あっ」
「なに?」
「間接キス、でしたね……」
ぽっと顔を赤らめ乙女のポーズ。
「そだね。それで、椛のコト好きなの?」
「い、いやそのですね……」
くそう誤魔化しきれなかった。
にとりの眼は好奇心に輝いてるし、逃げきるのは難しそうだ。
「言っちゃいなよ。本人がいるわけじゃないし」
「……はあ、わかりましたよ。言いますよ。私は椛のこと好きですよ」
半ばやけっぱちに言い放つ。
ああもう、どうとでもなれ。
「大きな背中も鋭い目も撫でると気持ちのいい髪も、全部好きですよ」
「いやはやそこまで言うかい。妬けるねぇ」
「本当のことですから」
「……こっちまで恥ずかしくなってきたよ。本人に言ってやればいいのに」
「……私なんかが彼女の隣にいていいのか。そう思ってしまうんですよ」
雄々しい白狼に薄汚れた烏が傍にいるのは不釣合いだから。
彼女に相応しい者は別にいるだろう。私なんかじゃ吊り合わない。
そう思っても離れられないのは、私が椛を好きで、彼女も私を好きだから。
それに甘えてずるずると今の関係を続けてきた。
深く重い溜息を吐き出した。
「ふぅん、相変わらず難しく考えるね」
「にとりが考えてないだけでしょう」
「そんなことないさ、私もちゃんと考えてるよ」
きゅうりを齧りながら、にとりは得意げに笑う。
「ま、私はまだ相思相愛の相手はいないけどさ。互いに好き合っているならそれでいいと思うよ」
「それは」
「単純すぎるってかい。難しく考えすぎるとつまらないよ。吊り合うだの合わないだの、そんなのは些細なことさ」
「些細なこと……」
「そうそう。身分違いの恋には障害があるものさ。両親だったり風習だったり。だけど、文は勝手に悩んで勝手に迷ってるだけ。もっと単純に考えなよ」
しかし、椛の作る弁当は美味しいねぇ。
呟きを遠くに聞いて空を見上げる。
私は烏で、彼女は狼だから一緒に空は飛べないと思ってた。
それも考えすぎなのだろうか? もっと単純な、簡単な問題だったのか?
水飴のような思考に答えは出なかった。
◇
「ただいま」
夕焼けに染まったドアを開ける。珍しく椛の出迎えはなかった。
「椛?」
呼んでみるが返事はない。
自宅に戻っているのだろうか。
それが当たり前のはずなのに、ずいぶん馴染んでしまっている自分に苦笑いをする。
一人が当たり前の時はただいまを言う事もなかったのに。
「っと、ここにいたの」
自室のベッドに身体を丸めるようにして椛は眠っていた。
床に箒が転がっているから、掃除をしてくれたのだろう。
ベッドに腰掛け、彼女の寝顔を見つめる。
普段の引き締まった顔は、今だけは子どものように緩んでいた。
時折ひくひくと耳を動かし、安らかに眠る彼女の頭を撫でてやる。
「……このまま寝たふりをしていればキスとかしてくれませんか。ちなみに寝言です」
「おはよう椛。掃除ありがとう」
キスの代わりに頬を引っ張ってやる。餅みたいによく伸びた。
「おはようございます。冗談です」
「なら、初めから言わない」
はぁ、と溜息を漏らす。
本当に何を考えているのだろう。
「冗談ですが、本気でした」
「……ろくなことは考えてないみたいね」
「私は文さんのことしか考えてませんよ」
また冗談を。
そう言おうと思った。だけど、椛の眼は真剣でじっと鋭い目は私を捉えて離さない。
積み重なっていた疑問は自然と口から漏れていた。
「……どうして、私にそこまで尽くすんですか?」
「あなたが好きだから、では不満ですか?」
「……狼は烏と一緒には飛べないんですよ」
「私は止まり木にもなれますよ。あなたが休むための」
椛は私の頬に手を添え、見つめ合う。
「気ままで、それでいて芯のぶれないあなたに惹かれたんです。静かだった私の枝を揺らしてくれたあなたに」
だから、詰まらないことは言わないでください。
それだけで胸が暖かくなった。
ああ、本当に椛はずるい。
そんな笑顔で言われたら、そう信じたくなる。
こんな私でも隣にいていいのだと思える。
「……あなたはそれでいいんですか?」
「あなたが笑っていられるなら」
迷いのない言葉は胸に染み入る。
素直に受け取ることのできなかったその言葉は、確かな実感として心に響き渡る。
「……わかりました。じゃあ、椛も笑っていてください。そうすれば私も幸せです」
「はい」
「それと」
息を吸って、深く吐く。
こんなに緊張したのは久しぶりだ。
手は震えるし、鼓動もうるさい。
それでも、言わないといけないんだ。
「私も、好きです。椛のことが」
彼女に負けないくらいの笑顔で微笑み、言った。
椛は珍しく、本当に珍しく驚き、赤面した顔を見せた。
「……はいっ」
たった一言。今まで言えなかった気持ち。
それだけで、今まで悩んでいたことが馬鹿らしくなるくらいの笑顔を彼女は見せてくれた。
単純に考えることも悪くない。
全身で彼女の体温を感じながらそう思った。
「……どこを触っているのかな」
「太ももです。すべすべで気持ちがいいですね」
「ありがとうございますこのバカ犬がぁ!」
これで後3年は戦える!!
文の方が壊れてるのはよく見かけますが椛が壊れてるのは珍しいですね。
まぁ、大好物なんですけどねwwwwwww
素晴らしいあやもみご馳走様でした!!
文より、ないすばでぃーな椛は新鮮に感じた。
タイトルの元ネタはヨッシーアイランドですか?
ただ、少々描写や過程が足りないかな、とそこだけが残念。お手軽に読める点は素直にありがたかったです。
そのままのあなたでいて・・・
お互いに意を決しての告白だったと思うのですが、その割にはちょっとあっさりしてたのが少し気になりました。
でも告白のやり取りはよかったです。
実は私……隠してたけど変態椛大好きなんです。
まだクリアできないんですよね、あそこ。
「私は止まり木にもなれますよ。あなたが休むための」
こんな台詞も出せる辺りにくいね