その声と共に、天高く下駄が空を飛ぶ。というか、ここは天界なのだから、天高くという表現もどうかと思うのだけど、それよりも他に言いたいことがたくさんある。
「ねぇ、これは一体何のつもり?」
「何のつもり、って、説明が必要かしら?」
「必要でしょうが! こっちはいろいろと突っ込みどころが多すぎて、何から言えばいいのか迷ってるくらいなのよ!」
下駄を飛ばした本人である紫は、首をかしげて不思議そうな視線をこちらに向けてくる。湧きあがる感情を抑えつつ、私は話を切り出した。
「まず、この行為そのものについてよ。これは一体何が目的なの?」
「いや、だからそのまんま……」
「まんまって何なのよ! 下駄占いって、天気を占うものでしょう? それが何? 語尾が『でーれ』って。願望ですらないし、そもそも天気ですらないでしょう?」
「だから、明日はあなたが私にデレデレーってしてくれるのよって契約で……」
「そんな契約結ぶか!」
いけない、怒りが増すばかりで口調が荒くなっている。いったん落ち着こう。すぅ…… はぁ…… よし。
「……さて、次に、あなたって普段からはいてたっけ?」
「はいてるわよ。え? まさか、あなた、はいてないとか?」
「どこを見て何を指していってるのよ。下駄よ下駄。普段はちゃんとした靴をはいてたんじゃなかったっけ?」
「そんな些細なことを気にしちゃいけません。」
「なんで叱られてるの。なんで私が叱られる立場になってるの。」
何だろう、理不尽と言いたいところなんだけど、紫の言うとおりこれは些細なこと。まだ重要な話は残っている。
「さて、私が聞き間違えていたら失礼だから、改めて確認させてもらうわ。下駄を飛ばした時に言った言葉を、もう一度言ってみて。」
「あーしたてんこが……」
「はい、そこ。やっぱり言ってたわね。いい? 私の名前は『てんし』。大事なことだからもう一度言うわ。私の名前は『てんし』なのよ。私のことを指す言葉に『てんこ』という言葉はないわ。名は体を表すって言葉もあるのよ。おわかり?」
「わかったわ…… てんこ。」
「わかってなーい! あなた、私にデレて欲しいんでしょう? せめて名前くらいはちゃんと呼びなさいよ。」
「わかったわ…… てんこ。」
くぅ…… なんだか紫のペースに引き込まれている気がする。こっちは感情がかき乱されているというのに、紫は顔色一つ変わっていない。ずーっと笑顔のまんまだ。もぅ、ほんと腹がたってきた。次で最後にしておこう。
「てんこじゃないっての。最後に、そもそもあなた、今日は何のために来たの? くだらないことで私をからかおうっていうことなら、とっとと帰りなさいよ。」
すると、それまで笑顔だった紫が、一瞬だけはっとした表情を見せた。顔を少し斜め下に向けて、腕を身体の前で交差させてもじもじしてる。えっと、どういうことだろう?
「目的なんて、初めに言ったじゃないの。」
「いや、来て早々下駄を飛ばして叫んだことしか思い出せないんだけど。」
「だから、そのまんまなのよ。明日は私にデレデレーってして欲しいなって。」
「あぁ、いちおう願掛けではあったのね。でも、残念でした。私はデレないわよ。誰がデレるもんですか、って、ちょ、ちょっと、紫、何を?」
こういうとき、どういう反応をするのが正解なんだろう。目の前でもじもじしていた紫が、突然意を決したかのように私の胸元に倒れこんできた。私の両腕をつかんで身体を支えつつ、顔をあげて上目づかいでこちらを見ている。なんだか目に涙が浮かんでうるうるしている。どうしよう。両腕が使えないから振り払うこともできない。
どうすることもできず、ただただ視線を交わすだけの時間を過ごす。しばらくして、ようやく紫が口を開いた。
「どうしてもだめだっていうから、とっておきの手段を使う。」
「え……? とっておきの?」
「今日は私がデレる日にする。だから、明日はあなたの番。」
なんで? なんでこうなったの? 相変わらず紫は胸元にいるし、私は動けないし。もしかして、これって、紫の作戦? わかったって言わないと解放してあげない、みたいな?
「紫、とりあえず、はなしてもらえないかしら。これじゃ、私、うごけない。」
「じゃあ、明日はデレてくれる?」
「あぁ、やっぱり…… だめよ。絶対にデレません。」
「どうしても?」
「どうしても。」
「おねがい。」
「ききません。」
どうしてだろう。紫の目からだんだんと涙があふれてこぼれおちている。あれ、これって、私が泣かせちゃったとか? いや、でも、私が悪いってわけじゃないよね。たしかに、お願いを聞かないのは意地悪だって言われるかもしれないけど、そもそも初めはお願いする態度じゃなかったし、こっちだって神経逆なでされるようなことされてるわけだし。
そんなことを考えていると、両腕にかかっていた力が緩むのを感じた。紫が手を離して、私から離れたみたいだ。数歩離れてこちらを見る紫の顔は、なんだかとても悲しそうな表情に見えた。
「わがままいっちゃってごめんなさい。考えてみれば、私もいけないのよね。お願いする立場なのに、あなたをからかったりして。」
「あ、あれ? 紫?」
「今日はもう帰るわ。じゃあね、てんし。」
あ、今『てんし』って言った。それに気づいたとき、既に紫は背を向けていて、空間の裂け目のスキマの中に入ろうとしていた。声をかけるべきか迷っていると、私の目にあるものが飛び込んできた。
「紫、ちょっと待って!」
「え?」
それは、天界の空から舞い降りてきた。いや、戻ってきたというべきだろうか。コーンと軽快な音を立てて弾んだそれは、数回跳ねまわった後、花緒を上にして止まっていた。
「下駄占い、結果が出たみたいよ。」
「……えぇ、そうみたいね。」
「花緒が上ということは、天気だったら晴れだけど。……しかたないわね。」
下駄に免じて、紫を許してあげることにしよう。私は軽く深呼吸をして心を落ち着ける。
「明日、また来なさいよ。もし来なかったら……」
「ちょっと待って!」
意を決して言おうとした言葉を遮られた。なんだか紫の方が少しあわててるけど、どういうことだろう。
「今日はまだデレちゃだめ。デレるなら、明日。」
何を言うのかと思ったら…… 紫の言葉を聞いて呆気にとられてしまった。それでも紫の顔はなぜか真剣だったりする。むぅ、考えがぜんぜんわからない。
「そう。それじゃわかったわ。わかったから、今日はもう帰りなさい。あ、下駄忘れるんじゃないわよ。」
そう言って、下駄をポンと投げ渡す。紫は下駄を受け取ると笑顔を見せ、その場で下駄をはきなおし、スキマの中に入って行った。
さて、なんだか妙な約束をしちゃったなぁ。デレっていうけど、デレってどうすればいいんだろう。ま、なんとかなるか。下駄じゃないけど、占いじゃないし、いいよね。私ははいていた靴を片方だけ脱いで、そのままつま先にひっかける。そして、軽く足を振り、靴を上空に向けてほうりだした。
「あーしたてんこがでーれ!」
明日は紫と衣玖による天子祭りですね、もふります。
ふとしたときに口ずさんでしまいそうです