紅魔館の当主である吸血鬼、レミリア・スカーレットと、動かない大図書館と呼ばれる魔女、パチュリー・ノーレッジは『親友』である。
関係はすこぶる良好で、半世紀を共に過ごしているが大きな喧嘩をしたこともなく、お互いのみに許した愛称で呼び合っている。
紅茶を片手に他愛もない話をしている時の二人は、他の者と一緒にいる時よりも緩んだ雰囲気を滲ませていて、遠目に見ているだけでも心地の良い温もりが伝わってくるほどだ。
繰り返す。
二人は『親友』である。
「そこのところどう思う? お姉様」
「どう思う、って……」
紅魔館地下、以前は独房でもあった一室にて。
レミリアは小さな円テーブル越しに妹に詰め寄られていた。
妹の名前はフランドール・スカーレット。愛称フラン。
最近ようやく能力を使いこなせるようになった、レミリアの自慢の妹である。
ジト目で睨んでくるフランドールにレミリアは視線を逸らしながら口ごもった。
その様子にフランドールはわざとらしく大きな溜息を吐くと、叱責の言葉を飛ばす。
「いつまで親友続ける気かって言ってるの! お姉様の意気地なしっ!」
「んなっ!?」
レミリアは可愛い妹にぶつけられた言葉でハートブレイクしかけながらも、姉としての意地を総動員して口端を吊り上げ微笑むと(多少ひくついてはいたが)紅茶のカップを口元に運びながら言った。
「心外ね、フラン。どこの誰が意気地なしなのよ。私とパチェは親友。それのなにが問題なの」
言葉の後、優雅に紅茶を口に含む。
「そんなこと言ってたら誰かに盗られちゃうよ」
「ぶばあっ!?」
噴いた。
「んびゃあっ!?」
ぴちゅーん。
顎から紅茶をぽたぽた滴らせる幼女(外見)と顔面をびちゃびちゃにされた幼女(外見)の完成である。
「ふふふふふふふらんっ!?」
「目が、目がああああっ!」
「ふらあああああああんっ!」
~少女錯乱中~
「もう一度言うよ、お姉様。いつまでこのままでいるつもりなの?」
フランドールはばっちいとでも言いたげにタオルでしつこく頬を拭きながら赤くなった目を細めてレミリアに問い掛ける。
「……」
レミリアはその様子に、娘に汚物扱いされる父親が抱く悲哀とよく似たものを感じながら無言を返した。
しばし続く沈黙。
痺れを切らし、先に口を開いたのはフランドールだった。
「……言い直すね。いつまでパチュリーを待たせるつもりなの、お姉様」
「ッ!?」
見て取れた明らかな動揺に、フランドールはニヤリと微笑むと、追い討ちをかけようと言葉を続ける。
「好きなら好きっていえばいいじゃん。かっこわる」
「フランに言われたくないわ!」
「っ!?」
妹には基本的に甘いレミリアだが、言われっぱなしで黙っていられるほど寛容ではない。
それに、常々思っていたことでもあった。
「自分だって咲夜とどうなのよ!? 見ていてもどかしいのよ!」
「なああああああっ!?」
悪魔の妹、フランドール・スカーレットは持って生まれた破壊の能力を上手く制御することが出来なかった。
その為この地下の一室で長い時を暇に過ごしてきたわけで、会うことの出来る人物と言えば食事を毎食運んできてくれる姉と、姉と共に時折訪れる魔女と、一番古参の従者である門番くらいのものであった。
だが、十年前のある日。
扉の向こう側から聞き覚えのない幼い声が掛かった。
「だれか、いるのですか?」
その声の主こそ、十六夜咲夜その人であった。
十六夜の輝く夜にレミリアに拾われて来た、十歳にも満たっていないやせっぽちの幼子。
幼子に名前を与えて猫可愛がりしていたレミリアは、危険を考慮して地下への出入りを禁止し、下手に興味を持たせないようにと理由も説明せずにいたのだが、それが逆に仇となった。
レミリアを咲夜は心から慕っていたが、だからこそ幼い咲夜には隠しごとをされることが我慢ならなかったし、レミリアと共に地下に降りることを許されているパチュリーへの嫉妬の感情も日毎に増すばかりであった。
それらがあわさって、あの日咲夜はついに言いつけを破り、地下へと赴いたのだ。
運命などではない。
必然であった。
それから一ヶ月程、扉越しの会話が続いた。
人目を盗んでこっそりとフランドールに会いに来た咲夜は、いつもその日の天気を語った。
「妹様、今日はいい天気ですよ。陽射しがあったかくて気持ちがよかったです」
「今日は雨が降っています。屋根にぶつかる雨音が、まるで子守唄みたいで眠たくなりました」
「今日は曇りでした。お嬢様は日傘がなくても出歩けるとご機嫌で、お散歩のお供をさせていただきました。……いつか、妹様も外に出られるようになったら。一緒にお散歩に出掛けましょう」
いつの間にか。
フランドールは咲夜と話す短い時間を心待ちにしていた。
だが、その日。フランドールはいつにもまして力の制御がきかなかった。
破壊される扉。
背中越し。息を呑む声。
フランドールは粉々になった扉の向こうでへたりこんだ咲夜の方をけして向こうとしなかった。
背を向けたまま、力を押さえ込もうと歯を食いしばっていた。
「いもうと、さま……」
「来るなっ!」
近寄ってこようとした咲夜を大声で怒鳴りつけた。
――壊したくなかった。
この子だけは、絶対に傷付けたくないと思った。
事態に気が付いたレミリアとパチュリーが文字通り飛んで来たのはそれからすぐのことだった。
レミリアに抱き上げられてその場から去る咲夜の顔を、フランドールは最後まで見ようとはしなかったが。
「咲夜……もう、二度とここに来ないで」
そう言葉を送った。
壊してしまうくらいなら、もう二度と話が出来なくなってもいいから。
自分のいないところで、笑っていてほしいと思った。
思っていた、のだが。
翌日の晩、レミリアは夕食と一緒に白い封筒をフランドールへ手渡した。
それは、咲夜からの手紙だった。
手紙には、様々なことが書いてあったのだが。
文末の一行が、フランドールの涙腺を決壊した。
たったの一言なのに、それはフランドールの能力なんて目じゃないほどの破壊力だった。
――待っています。
フランドールは泣き笑いしながら手紙を何度も何度も読み返した後、返事を書くとレミリアに預けた。
レミリアはその手紙を咲夜に届け、咲夜も読み終わればまた返事を書き。
「何年も人を伝書鳩代わりに使って文通し続けたくせに、いまだになにやってるのよあんた達は!」
「う、うるさいうるさいうるさーいっ!」
幾年かの年月が流れ、紅霧異変を経て。
努力を重ねてようやっと力の制御をこなせるようになったフランドールは、ついに咲夜と対面した。
毎日毎日思い描いていたよりもずっと美しい、咲夜の星明りのような銀髪と透き通った眼差しに、フランドールの胸の鼓動は大暴れ。バクバクであった。
一方、咲夜の白い頬も、うっすらと赤みを帯びていた。
もちろんその様子をレミリアとパチュリーはこっそりと物影から見守っていたのだが、レミリアは大層複雑そうに顔を歪め、パチュリーはいつも通りの無愛想ながらも目をキラキラと輝かせていた。
「あ、あの、咲夜……」
「はい、妹様」
「あの、えっと……」
「……」
もじもじもじもじ。
外界で言うところの、中学生のような初々しさであった。
「……あ」
「あ?」
「会いたかった、よ」
「……はい」
フランドールが緊張で張り付く喉を使ってなんとか搾り出した本心に、咲夜は頬の赤みを深めながら嬉しそうに微笑んで答えた。
「お待ちしておりました。私も、お会いしたかったです。ずっと」
爆発した。
失敬、それくらいの衝撃がフランドールの全身を貫いた。
だからこそ。
「さ、さ、咲夜!」
「はい」
「咲夜っ、あ、あのね!」
「はい」
「わたし、私と……っ」
次に続く言葉を想像した咲夜が息を呑んだ。
ついでに物陰の二人も息を呑んだ。
「私と――ッ!」
フランドールは、叫んだ。
「私と、交換日記してください!」
ずっこけた。
物陰の二人が。
咲夜は、といえば。
「……はい」
やはり、嬉しそうに微笑んだのであった。
「やっと文通の日々が終ったかと思ったら、今度は交換日記って! 中学生か! 中学生日記か!」
「うるさいってば! いいじゃんなにさ文句あっかーっ!」
~少女喧嘩中~
「……とにかく! 今は私と咲夜のことは関係ないんだよ」
フランドールは真っ赤な顔で咳払いし、自分にとって非常に好ましくない方向に脱線してしまっていた話を強引に終らせると、真っ直ぐにレミリアを見据えて真剣な声音で問い掛けた。
「お姉様はパチュリーが好きなんでしょう?」
幾拍かの沈黙の後。
「……好きよ」
フランドールの言葉に、レミリアはそう返答した。
「だったら!」
望んでいた答えが得られたことで勢い付いたフランドールを意に介さず、レミリアは言葉を続ける。
「でも、だったらなんなのよ」
「……え?」
「だったら、なんだっていうの。言ってどうするのよ。今まで楽しくやってきたわ。これからもきっとそう。それでいいじゃない」
静かな声でそう語るレミリアは、表情を消していた。
常ならぬその様子に、フランドールは戸惑い、言葉を失う。
「……それに」
冷え切った紅茶を飲み干して椅子から立ち上がったレミリアは、真っ直ぐに扉へと歩を進めると、静かにドアノブを回して開き、外に出る。
扉が閉まる瞬間に、消え入りそうな声で紡がれた言葉は、確かにフランドールの耳に届いた。
「パチェがその言葉を待っている保障なんて、どこにもないわ」
――……姉が出て行った部屋で、一人残された妹は呟く。
「……ヘタレだ」
「パチュリー様、お茶をお持ちしました」
涼やかな声にパチュリーは分厚い本から顔を上げる。
いつの間にか目の前に佇む咲夜と彼女の押してきた銀の台車を視界に納めると、パチュリーは「ありがとう」と礼を言いつつ本を閉じた。
優雅に紅茶をいれる咲夜を眺めつつ、パチュリーは問い掛ける。
「フランとはどう?」
咲夜は一瞬動きを止めた後、とてもやわらかな笑みを浮べて答えた。
「一昨日、一緒にお散歩いたしました」
パチュリーは呆れたように溜息をついた。
「それだけ?」
「それだけですが、それだけではないのです」
「は?」
「私にとっては、特別なことなのですよ」
咲夜があまりにも幸せそうにそう語るので、パチュリーはなんだか口の中が妙に甘ったるく感じられて、受け取った紅茶をはしたないとは思いつつもぐびぐびと飲んだ。
ストレートティーなのにものすっごく甘かった。その上熱かった。涙目である。
「パチュリー様はどうですか?」
「ん?」
「お嬢様と」
「……どうもなにも」
ふーふーと冷ましてから、さらに一口。
「親友よ。仲のいい。それだけだわ」
咲夜は、パチュリーをしばらく黙って眺めていたが、最後の一口をパチュリーが口に含んだ瞬間、言った。
「私の初恋の相手はお嬢様でした」
「ぶばあっ!?」
噴いた。
「な、ななな、って、あ、本!」
動揺が抜けきる前に本の心配をし始める、それが動かない大図書館クオリティである。
しかし心配も杞憂であったようで、流石は完全で瀟洒な従者というべきか、時を止めて空中で処理でもしたのだろうか。
辺りには一滴たりとて散ってはいなかった。
「失礼。驚かせてしまいましたか」
悪びれる様子も見せずに謝罪の言葉を述べた咲夜に、パチュリーは「絶対わざとでしょ、今の……」と呟いた後、はっと正気に返り話題を元に戻そうとする。
「じゃなくて! ……ごほっ!」
だが、少々興奮しすぎたらしい。
「けほっ、うっ、」
「っ大丈夫ですか、パチュリー様」
咲夜は慌てた様子でパチュリーの背後に回り、背中に手を伸ばす。
「ごほっ、へ、平気よ。軽い発作だから」
「……すみません」
今度は、深い後悔がありありと滲み出ていた。
「平気だって、言っているでしょう、こほっ」
パチュリーの呼吸が落ち着くまで、咲夜はその背中をさすり続けた。
「本当にもう大丈夫よ、咲夜。ありがとう」
パチュリーの言葉に、咲夜の手が止まる。
そのまま動きを止めて背後に立ち尽くしている咲夜をいぶかしんだパチュリーが振り向こうとした瞬間に、咲夜は話し出した。
「……小さな頃」
「うん?」
「まだ私がお嬢様に拾われて間もなかった頃に、私が体調を崩した時、今私がしたのと同じように、パチュリー様が私の背をさすってくださいました」
思い返す。
小さくてやせっぽちだった咲夜。
拾われてきた当初、彼女の身体は酷く弱っていて、ちょっとしたことでもすぐに体調を崩した。
メイド達に任せる気にはなれなかったし、当時は今より多少物騒だったので門番にも仕事があった。レミリアはといえば脆弱な人間に戸惑うばかりで役に立たず、消去法で看病はもっぱらパチュリーが請け負っていたのだ。
「そんなことも、あったかしら」
「あったのです。私はその時、泣きそうになりました。あったかくて、心地がよくて、泣きそうになったのです。……だから、貴女を嫌えなかった」
「……咲夜?」
一呼吸置いて、咲夜は告げる。
「私はお嬢様が好きでした。幼い初恋と、親を求める心が入り混じったものではありましたが。確かに、好きだったのです」
僅かに掠れた語尾が、パチュリーの胸を貫いた。
「咲夜っ!」
パチュリーは躊躇いながらも勢いをつけて咲夜の方を振り返る。
もし、咲夜が悲しみに顔を歪めていたら。
自分のせいで、泣いていたとしたら。
自分も泣いてしまうかもしれない、と思いながら。
咲夜に読み書き算術その他諸々の教育を施したのだってパチュリーだ。
――情が移らないほうがおかしい。
だからこそ振り返るのには、咲夜の顔を見上げるのには、それなり以上の覚悟が必要だった。
「だから、随分と貴女に嫉妬したのですよ。そのおかげで、あの日言い付けを破り、妹様と出会えたわけですが」
――咲夜は、とても綺麗な笑みを浮べていた。
パチュリーの全身から力が抜ける。
百メートルを全速力で駆けた後のような脱力感を感じながら(実際にはそんなに走ったことなど一度もないが)テーブルに突っ伏した。
「……意地が悪いわ。そんなふうに育てた憶えはないわよ」
「すみません」と謝りながらも、咲夜は小さく鈴の音のような笑い声を響かせる。
その声を聞いていると、自然と自分の頬も緩んでいくのをパチュリーは感じた。
「ですけど、ねえ、パチュリー様」
パチュリーの隣に移動して、覗き込むように上体をかがませて。
いつもより、ほんの少し幼い口調で咲夜は話し出す。
「なあに、咲夜」
突っ伏したまま顔を横に向けて。
いつもより、ほんの少し優しい口調でパチュリーは応じる。
咲夜はその対応に、幼子のような笑みを浮べた。
「だからね、私が一番よくわかっているんですよ。パチュリー様とお嬢様が想いあっていらっしゃること」
無邪気な笑みと真っ直ぐな碧い瞳には、誤魔化そうという思いをかき消してしまう力があった。
パチュリーは苦笑を浮べながら細く息を吐き出し、数秒目を閉じた後口を開く。
「想いあう、ねえ。うん、そうね。私はレミィを想っているわ。あの子が好きよ。……多分、きっと、あの子も私を好いてくれているとも思うわ」
それを聞いた咲夜は、少し目を丸くして小首を傾げ疑問を口にする。
「それでは、何故?」
「何故? 何故親友のままの関係でいるのか? そうね、難しい質問ね。いいえ、とても簡単な質問でもあるわね」
謎かけのようなパチュリーの言葉に、咲夜はしばし沈黙した後。
「せんせい、わかりません」
小さく挙手をしてそう言った。
パチュリーは小さく噴出し、喉をくつくつと震わせて笑う。
「可愛いわね。可愛くて仕方ないからヒントをあげるわ、咲夜。レミィが言えなくて、私が言わないからよ」
とても大きなヒントを得た咲夜は、すぐに答えに行き着きついたらしく。
「もしかして……」
「わかったかしら?」
「……なんとなく、わかりました」
それでも自分の答えに半信半疑なのか、歯切れ悪くそう言った。
「じゃあ、答え合わせしましょうか」
パチュリーは照れ笑いしながら咲夜に回答を促す。
少しだけ口籠った後、咲夜は答えた。
「お嬢様はヘタレで、パチュリー様は乙女だ、ということですね」
「正解。さすが咲夜」
そんな理由だったのか、と。
隠せない呆れを滲ませる咲夜。
パチュリーはそんな咲夜の頭に手を伸ばすと、いい子いい子、と優しく撫でた。
その撫で方は、幼い頃咲夜を褒めた時と同じ撫で方だった。
自然と咲夜の身体からは力が抜けて、端正な顔にはゆるい笑みが浮かぶ。
陽だまりのようなあたたかさが、二人の間に広がった。
――咲夜が去った後。
パチュリーは呟いた。
「これ以上可愛い娘に心配させるわけにはいかないわね」
地下、フランドールの自室にて。
「つまり、お姉様はめちゃくちゃ安全牌なのに手を出す勇気のないヘタレで、パチュリーは告白待ちの恋する乙女ってことだね……」
紅茶を淹れながら事情を語った咲夜に、フランドールは大きな溜息を吐いてみせた。
咲夜はそれを見てくすくすと微笑んでいる。
「笑い事じゃないよ、咲夜。五十年だよ、五十年! お姉様もだけど、パチュリーもどうにかしようとは思わなかったのかな? 待っているのにも限度があるでしょ」
フランドールの疑問に、咲夜は口を開いた。
「……限度、などないのではないでしょうか」
「え?」
訝しげな顔をしたフランドールを真っ直ぐ見据えて、咲夜は続ける。
「待てるのではないでしょうか。本当に好きな方ならば、いつまでだって」
そう言った後、悪戯っぽい笑みを浮べて付け足す。
「それに、女はいつでも恋する乙女です。想いは相手から告げられたいものですよ」
フランドールは、顔を真っ赤にして沈黙した。
咲夜の台詞は自分達二人にも当て嵌めることが出来、なおかつそれを意識させる態度と言い回しを咲夜がわざととったことは明白だったからだ。
つまり。
催促されているのだろう。
それを無視する選択肢をフランドールは持たない。
フランドールも咲夜も双方乙女であるからして、先程の『恋する乙女理論』を採用するならフランドールから想いを伝えなければならない義務などどこにもありはしないはずだ。
しかし、外見はこんな(幼女)でもフランドールは咲夜よりずうっと年上なのだし……咲夜が、自分からはけして想いを口にすることはないということくらいとっくにフランドールは理解していた。
その理由が、フランドールを残してあっという間に逝ってしまう人間としてのけじめのようなものなのだということも、ちゃんと。
人間の人生は五十年だという。
咲夜が長生きしたとしても百年そこらが限度だろうし、時間の全てをフランドールと共に過ごせるわけでもない。
おわかれの時は、今この瞬間も確実に近付いている。
――二人には、無駄に出来る時間などありはしないのだ。
その貴重な時間の内十年という月日を待たせてしまったのだから、自分だってそれなりのけじめをつけないと女がすたる、とフランドールも思う。
「さ、咲夜」
「はい」
「す、す……」
「……」
思いは、するのだが。
「す、すすす、す……~ッ!」
どうしても。
たった一言言うことが、出来ないのだ。
これでは、姉のことをとやかくいう権利などない。
堪えられず赤い顔をテーブルに押し付けたフランドールの頭上から、声が掛かる。
「紅茶のおかわりはいかがですか、妹様」
顔を上げ、上目遣いで見上げれば、優しい微笑み。
フランドールは眉を下げ、情けない笑みを浮べながら。
「ちょうだい。……私、咲夜の紅茶、大好きだよ」
精一杯の愛の言葉を口にした。
「……ありがとうございます。フラン様」
「ッ……!」
不意打ちの聞き慣れない呼び方で、フランドールの顔はテーブルに逆戻りしてしまったので。
残念ながら、赤く染まった咲夜の顔を見ることは出来なかった。
「余計なお世話なのよ、妹のくせに……」
レミリアはフランドールの部屋を後にした後、中庭へとやって来た。
窓(パチュリー作紫外線完全遮断の特別製)から見えた空が絶好の曇り具合だったので、綺麗に整えられた花壇でものんびり眺めていれば気晴らしになるだろうと思ったのである。
「ん?」
花壇の傍に座り込んでいる人影に気付く。
この館に相応しい、真っ赤な長い髪を持つ女性だ。
「あ、お嬢様。お散歩ですか?」
愛想の良い朗らかな笑みを浮べて声を掛けてきたのは、最古参の従者である門番、紅美鈴だった。
小走りに近付いてきた背の高い彼女を見上げながら、レミリアは軽口を投げ掛ける。
「なによ、サボリ? 紅魔館のサボマイスタ」
「ははっ、違いますよー。今日は夜勤なんです。だから、お花のね、調子を見にきたんですよ。ちょっと気になっている子達が何本かいたもので。肥料をあげて、ここしばらく様子を見ていたんですが」
この庭に咲き誇る花々は、美鈴が趣味で植えたものだ。
飽きて投げ出すこともせず、何十年も一人で管理を続けている。
「元気になってくれたみたいでほっとしました。これで安心して眠れそうです」
そう言って、大きく伸びをする美鈴の緩い仕草と台詞を、レミリアはふんと鼻で笑った。
「そりゃ良かったわね。それじゃあ今のうちに十分な睡眠とっておきなさい。仕事中に寝ないように」
「はーい、了解です。……お嬢様」
「ん?」
朗らかな、笑み。
「なにかありましたか」
問い掛けに疑問符は含まれていなかった。
確定事項の確認である。
「……相変わらずね」
レミリアが溜息を吐いて見せても、美鈴はいつも通りの笑みを崩さない。
――昔から、こうなのだ。
もしレミリアがなにも言わなかったとしても、これ以上追求してくることは絶対にないだろう。
「……今のままでも、十分幸せだと思うのよ」
だからこそ。
彼女の前では、いつもレミリアの口は軽くなる。
「毎日、とても平和だし。フランも力の制御が上手くなって、咲夜だっていい子に育ってくれた。妖精メイド達は相変わらず頼りないけど、私を主と慕ってくれて可愛い。……美鈴、貴女だっている。信頼しているわ。心から。だけど、だから」
レミリアの言葉が止まった。
美鈴は、ただ静かに続きを待っている。
風が吹いてざあっと葉擦れが響き、それに背中を押されるようにレミリアはまた話し出した。
「この幸せを、壊したくないの。私は欲張りだから。他の全てがあったとしても、あの子が、パチェが、私から離れていってしまったとしたら……きっともう、笑えない」
喉から搾り出した声は酷く掠れていて、あまりの情けなさにレミリアはぎゅうっと目を瞑った。
「ストックの花言葉、知っていますか」
瞼の裏。
その暗闇に灯る光のような、優しい声で紡がれた美鈴の言葉。
「え……?」
目を開ける。
美鈴は、近くの花壇を指差していた。
そこには、赤、ピンク、黄などの色鮮やかな花が植わっている。
「この子達を初めて植えたのはね、お嬢様がパチュリー様を連れて帰ってきた日なんです」
「美鈴? っ!」
ぽん、と。
頭に優しく置かれた手。
主人相手だというのに気にする様子もなく、レミリアの頭を帽子越しに撫でながら美鈴は言った。
「ストックの花言葉は、永遠の恋。豊かな愛。見詰める未来、です。お二人を見て、植えようと思ったんですよ」
見上げる。
この館の守護者は、いつも通り心まで包み込んで護るような笑みでこちらを見下ろしていた。
「大丈夫。貴女はただ、自分の気持ちに素直になればいい。それを一番望んでいるのは、他ならないパチュリー様だと思いますよ。……ねえ、そうでしょう?」
美鈴の言葉の最後は、レミリアの背後へと向けられていた。
――まさか。
「レミィ」
背中越し。
掛かる声は、よく知ったものだ。
それにその呼び名は、ただ一人にしか、許してはいない。
「パチェ……」
動きが止まる。
振り向くことが、出来ない。
「――お嬢様」
レミリアの頭に置かれていた美鈴の手に、ほんの少し力がこもった。
優しい眼差しが、頑張れと言っている。
「……っ」
その想いを無視したくはなかったから、レミリアは震えそうになる拳をギュッと握り締めてパチュリーへと向き直った。
美鈴はそんなレミリアの小さな背中を、とんと一押ししてからその場を後にする。
「アイリスの花束でも準備しましょうか」
館に入る直前、そう小さく呟き、美鈴は笑った。
「……」
勇気を振り絞って振り向いたものの、レミリアの口からは言葉が出てこなかった。
後頭部からはいやな汗が吹き出て、堪らずパチュリーから逸らした視線は地面を彷徨う。
一方パチュリーは、とても落ち着いた様子でレミリアを見詰めていた。
「レミィ」
名を呼ばれても反応を返すことも出来ないのは、心の底から大切だからだ。
どうでもいい相手なら、レミリアは言葉に詰まった時点で不夜城レッドをお見舞いしている。
嫌われたくない、なんて。
紅い悪魔のくせに、そんなことを考えているのだ。
「レミィ」
名を呼ぶ声が近付いた。
地に這わせた視界にパチュリーの爪先が入って来る。
レミリアは思わず顔を上げた。
「ぶにゃ」
顔を上げた途端、伸びてきたパチュリーの指に頬をつねって引っ張られた。
「ぴゃ、ぴゃちぇ?」
「誰よ、ぴゃちぇって。私はそんな魚類を連想するような名前じゃないわ」
――はたしてぴゃちぇと聞いて魚類を連想する者が何人いるのか?
どうでもいい疑問にレミリアは一瞬思考を埋め尽くされた。
そんなレミリアの様子に、パチュリーは小さく噴出す。
「間抜けな顔」
「にゃっ!?」
耳まで真っ赤になったレミリアは顔をブンブンと振ってパチュリーの指から逃れた。
しかし、その仕草をパチュリーは「濡れた犬か猫みたい」と言ってまた笑う。
「な、なんなんだ、さっきから! パチェ、いくら貴女でも戯れがすぎるわよ! この私を誰だと思っている!?」
頭に来てレミリアは怒鳴った。
パチュリー相手にこんなに大きな声を出したのは、初めてかもしれない。
だってなんだか、酷く傷付いてしまったのだ。
自分ばっかり、一生懸命になっていると思ったから。
自分ばっかり、パチュリーのことを想っていると思ったから。
「誰だと思っている、ねえ? さあね、誰かしら。言ってみなさいな。貴女はどこの誰かしら」
試すようなパチュリーの問い掛けに。
「私は、この館の主。紅い悪魔。夜を統べる王。誇り高き吸血鬼! レミリア・スカーレット様よ!」
レミリアは沸騰した頭のまま、大きな声でそう答えた。
「そうね」
その返答に、パチュリーは満足気に笑って。
「初めて会った時から、貴女はそうだったわ。まるで世界の中心は自分だとでも思っているんじゃないかっていうのが第一印象だったもの」
紫水晶の瞳で、真っ直ぐに紅玉の瞳を見据えて。
「そんな貴女だから、惹かれたの」
芯の通った声で。
「レミィ。貴女はね、誰よりも我侭な王様でいればいいわ。欲しいものは欲しいって言えばいいのよ。ねえ、レミィ」
求められることを、求めた。
「私が欲しいって、言いなさい」
――素直な貴女が、好きなのよ。
パチュリーは笑う。
頬を真っ赤に染めて、愛しそうに。
誰に対して?
「……っ」
決まっている。
「……欲しいものなんて、いっぱいあったわ。私、欲張りだもの。全部手に入れてきたわ。だって、私はレミリア・スカーレットだもの」
レミリアは。
泣きそうだ、と思いながら。
「パチェ。パチュリー・ノーレッジ。……貴女が欲しい。一番、欲しい。どんな宝物より、欲しくてたまらない。ずっと、ずっと欲しかった。この私が。レミリア・スカーレットがよ。光栄だと胸を張るといいわ」
尊大に、言い放った。
「私の物になりなさい」
その要求にパチュリーは幸せそうに頷いて、言った。
「私の心はとっくの昔に貴女の物だわ、レミィ」
「っ!」
堪えきれずに涙を溢れさせながら、レミリアはパチュリーの腕を引き寄せ、唇を奪った。
重なったやわらかなそれにパチュリーは一瞬目を見開いた後、嬉しそうに微笑んでレミリアの背に腕を回しぎゅっと抱き締めた。
ようやっと想いが通じ合った二人を祝福するように、雲の切れ間から眩しい日光が降り注ぐ。
レミリアが焦げた。
だが二人共気にしなかった。
愛し合う二人の前ではそんなもの、些細な問題なのである。
「お二人ともやっと結ばれ、って、ちょ、焦げてる、煙出てますよ!?」
フランドールの部屋からの帰り道、廊下の窓から偶然二人を目撃した咲夜が急いで日傘を持ってやってきた。
「結婚式の前にお葬式をなさるおつもりですか!?」
咲夜の叱責を受けて、レミリアとパチュリーは顔を見合わせ。
「そうね、結婚式をあげなくちゃ!」
と、笑いあうのであった。
けど行間を無駄に開けすぎている感があります。
幸せな気持ちになれました
後、出来れば少しだけ空行を減らして頂ければな~と思ったり…
私も確かに行間は気になります
若干読み辛さを感じました
だが悶えた
行間に関しては意図があっての事かと思いますがやはり長すぎるように感じました。
次回作も期待しております。
読み終えた頃には胸がいっぱいになっていましたし、レミリアとパチェらしい言葉運びがなんとも心地よかったです。
告白辺りは雰囲気に結構合ってて気にならなかったのですが、
序盤は冗長に感じられてしまったかも…
>中学生か!中学生日記か!
もうココでツボってしまったっ…
まさかそんな突っ込みが来るとはw
乙女ぱっちぇさんいい、すごくいい
主をヘタレ呼ばわりする咲夜さんもまたよし
めでたしめでたし、ですね。
情景が容易に想像できる丁寧な描写、読む際にストレスを感じさせない平易で滑らかな文章。
好感度大ってやつですね、私にとっては。
行間については気にならないレベル。ただ、行を空けることによって得られる〝間〟って言うんですかね、
それに伴って読者に与えられるドラマチックな印象は薄れてしまうかもしれない書き方であるとは少し思いました。
それにしてもストックからアイリスへ、ですか。
開花時期や花言葉の受け渡しが実にスマート。美鈴はオイシイとこさらっていくなぁ。
早春にふさわしいとても爽やかで甘い香りの漂う良いお話でした。
本当に良かった
最高です!!
ストライクゾーンを
抉るような作品を
ありがとうございました!
最高でした!!
咲夜さん大人やなあ。
フラン頑張ったなあ。
美鈴がいいポジだった。
次回作も期待してます。
素晴らしいへたれ姉妹を頂きました!
母娘なパチュリーと咲夜が特にツボでした。
ありがとうございます!
ハートフルで読んでて優しい気持ちになれました!
さすが、めーりんさんだな!
甘くて愛らしい紅魔館をありがとうございました!
咲フラ最高でした!
噴いたじゃねえか!