穏やかに花が咲き始めた陽気な湖畔に不釣り合いにそびえ立つ悪魔の住む家、紅魔館。もう春ではあるが湖のそばであるここは、太陽が真上に上るのにはまだ時間があるせいもあって微妙に肌寒いようにも思う。
それでも宙をふよふよと漂う上海人形は春の陽気に浮かれているように見える。
「お疲れ様、美鈴」
「ん。おはようございます。アリスさん」
私が声をかけると美鈴は顔を上げ、組んでいた腕を解いて微笑んだ。門に寄りかかって俯いていたが、眠っていたわけでは無いらしい。
紅魔館の門番である紅美鈴はやっぱり一応門番だった。
「今日もパチュリー様のところに?」
「んー、今日はちょっと違うわね……」
「へえ。図書館以外に用があるなんて珍しいですね。もしかして妹様のご相手を」
「それは無いわ」
相手が言い終わらない内に言い返す。残念ながら都会派の魔女である私は、あの危険少女の弾幕ごっこに付き合う程酔狂では無い。とはいえ最近は落ち着いてきている事だし、人形劇をやる位なら別に構わないけど。
「あの子の相手は魔理沙なのよ」
「そうですか。では何用で?」
「そうねぇ……」
さて、どうしたものか。私は無いと言えば無いのだけど、あると言えばあるのだ。
特に何も考えていなかったので、とりあえず腰を下ろすことにした。
「隣、いいかしら?」
「いや、別に良いですけど……」
私はほぼ返事を待たずに、門の向かって右側に立っている美鈴のさらに右側の地べたに体育座りした。そこら辺を浮いていた上海人形を自分の元に呼んで、体育座りをしている私のお腹に乗っける。
「貴女も座ったら?」
「はぁ……じゃあお言葉に甘えて」
彼女も服の裾を抑えて私の隣に座り込む。
「……」
「……」
横にちらりと視線を送ると、気まずそう、と言うよりちょっと困惑していた。こんなイマイチ意味がわからないシチュエーションなら当り前か。誰だってそーなる、私もそーなる。
このまま少し当惑している彼女を放って、湖の鑑賞をずっと楽しんでも良いのだが、この状況は私としても芳しくないので適当に話を振ることにした。
「ところでメイ……中国さん」
「合ってたのに何で変えるんですか?!」
「失礼、噛んだわ」
「違うわざとだ……」
「うん。嘘よ」
「開き直った!」
とか大分テンプレートな事をしてみたり。
「で、本題なんだけど」
「何ですか……?」
別に実のある話をしようと思ってきたわけではないので、本題どころか閑話しかないのだが。それはともかく日頃から気になっていたことがあったので、上海の腕をいじりながら聞いてみる。
「門番ってちょっと暇過ぎない?」
一時間位ならともかく何日も門前に立ち続けるとなると私には耐えられそうもない。
絶対に途中から門番業務そっちのけで、完全自立型人形の研究に取り組み始めると思う。挙句の果てに門の前に研究室をぶっ建ててもおかしくはない。魔女っていうのは概してそんなものである。
なんて考えていると、少し悩んだ後彼女はやんわりと否定した。
「暇っちゃ暇かもしれませんが、結構楽しいもんですよ」
「そう?」
「例えば湖にいるチルノちゃん達と遊んだり、太極拳やったり、気まぐれに掃除したり、たまに、お昼寝をしたり。それだけですぐ一日が終わっちゃうんですよ」
「たまに、をそんな強調しなくても誰も聞いちゃいないわよ……」
上海の頭をなでながら、ジト目で彼女を見る。
美鈴と私はかなり精神構造が異なるようだ。
ある程度限られた寿命の中で完全自立型の人形を作りだすという目標があるので、私にとって時間は無駄使いできない貴重な資本である。その一方で彼女は妖怪としての根源となる本能行動(食人、吸血等)を持っていたとしても、達成すべき使命のようなものは持っていないのだろう。
そう考えると彼女の方が妖怪らしいと言える。生きることが生きる目的で満足できるのだ。
まあ私の推測でしかないんだけど。
「雲の形が変わるのを見てるだけで何時間も過ぎてた、なんて日常茶飯事ですし」
「……そう」
空を見上げて笑顔でつぶやく彼女を見て、私は苦笑することしかできなかった。
本当に価値観が違うわね……人間に生まれていたら仙人到達最短記録を打ち立てられるかもしれない。仙人になる細かい条件は知らないが。
「私だったら門番ずっとやってろ、なんて言われたら、あの吸血鬼に対してストを起こすわ」
「ははは。そんなことしたら、咲夜さんのナイフが飛んできますよ」
何か後半は目が死んでいたような。不憫な子だ……
その姿が余りに可哀想だったのか上海人形が彼女の方へふよふよと飛び、肩を叩いて「キット、イイコトアルヨー」と慰めた。美鈴は「ありがと……」と涙目で返して、さっきまでの私と同じように上海をお腹に乗っけて抱きしめる。
「というか何でアンタ、門番なんかしてるの?パチュリーがその気になれば、魔理沙を阻む警備用の魔法を設置する程度出来ると思うけど」
時間さえあれば、魔女は大体のことはできる。
加えて魔女としてはベテランに属するパチュリーなら、尚更造作も無い事だろう。
「あ、それはナイスアイデアですねー」
……おい。紅魔館の住人達は今まで何を考えて生きてきたんだ。外の世界の人件費削減の傾向に対して喧嘩でも売ってるのか。
何となくムカついたので上海に美鈴をぽかり、と殴らせるよう指示したら彼女は「オイタは駄目ですよー」と上海を笑顔でギュッと抱きしめた。
どうやら彼女は上海が気に入った様子。お金を積まれてもあげないけど。
「にしてもあのお嬢様の気まぐれも困ったものね」
「でも確か私は特にレミリア様から門番やれ、なんて命令もらった覚えないですけど」
「はぁ……?」
意味がわからない。そんな酔狂な命令下すのはアイツ以外に思いつかない。
パチュリー……は確かに言いだしてもおかしくは無いが。
「それとも、あれ?自分で勝手にずっと居るの?」
「まあそういう事になりますね。道場破りだのヴァンパイアハンターだのとかに、この館を嗅ぎつけられるようになってからは仕事の一つとして認められましたけど」
「じゃあ何で門番するようになったのよ」
「さあ、どうしてでしょう……?何分かなり昔のことですしね」
「……」
頭痛い。
この華人小娘は本当にアバウトに生きているらしい。いつから恋をし始めたのか、とかそういう漠然とした感情のことを聞いているわけでもないのに。
ここまで来ると呆れを通り越して、羨ましいとさえ思う。
「ああ、そうだそうだ。思い出しました」
「良かった……で、いつのことなの?」
「昔々、あるところに……」
「おとぎ話か」
昔々、あるところに吸血鬼姉妹とその姉の親友、ついでにその三人に何故かヘッドハンティングされた中国風の服装を身に纏う妖怪が居ました。館にメイドはまだ一人もいない頃です。幻想郷に流れ着く前でもあります。
ある時、吸血鬼の姉が急に「甘いケーキが食べたい!」と言い始めたので、そのスカウトされた妖怪が材料を買いに行くことになりました。雨が災害レベルで降っていた日のことです。
『何もこんな歩くのもままならない豪雨の日に言いださなくたって……』
そこそこに屋敷は田舎にあったので、ダッシュで野越え山を越えケーキの材料を揃えました。無茶なパシリのせいで妖怪は自慢のスタミナ底をつき、まさに満身創痍です。
館に着くころには雨も何とか止みました。へとへとになって拾った木の棒をつきながら帰ってきた妖怪は、館の門の前に立つ主君達の姿を見ます。
そして吸血鬼の姉が帽子で目を隠し、ぼそりと言いました。
『おかえりなさい』
吸血鬼の主人は、途中でわざわざこんな日に彼女を外に出したことを流石に反省して、門番の帰りをずっと待っていたのです。普段のワガママな主人からすると、考えられない行動でした。
『ただいま帰りました』
その時の表情は、泣きながら笑うというヘンテコなものだったそうです。
心身ボロボロになっていた妖怪には、『おかえり』という言葉が涙が滲むほどに心に染みました。
その時妖怪は門にいつもおかえりを言う人がいたらいいな、と思ったのです。
「紅魔館ってひろいからおかえり、って言える場所にいる人はまず居ないんですよねー。で、その後暇な時に門の前に立っているのを続けている内に、門番の需要も出てきてサボりが許されない仕事になったと」
美鈴はそう嬉しそうな表情で語った。たったそれだけのことが、彼女にとっては宝物なのだろう。
その純粋な笑顔に見ているこっちまで恥ずかしくなったので、私は姿勢を前傾させて、膝に載せた腕の上に彼女と目を合わせないよう左向きにうつ伏せになった。
「アンタって、結構に馬鹿だよね」
「なっ……人が涙頂戴の回想を語ったのに、何ですかその反応は!」
本当に良い奴過ぎる。他人思いで優しい、紅の悪魔の館という名前に不釣り合いな妖怪だ。
非常に妖怪らしい時間に無頓着な価値観を持つ一方、そんじょそこいらの人間に負けない位の人情味に溢れている。
「うん、中々に面白い話も聞けたし満足だわ」
「あ、帰るんですか」
立ち上がってお尻の汚れをはたいて落としてから、ひょい、と魔力の糸を手繰って上海を美鈴から回収する。そんな寂しそうな顔しても無駄だ。
彼女ものそりと立ち上がり、服の汚れを払う。
「じゃ。今日は楽しかったわ」
「それは良かったです。また来てくださいね」
そう笑顔で門番が言った。
侵入者を駆逐することより、彼女は送り出すことと迎え入れることの方を重要に思っているのかもしれない。
うん、何だか気分がいい。幸せをおすそ分けしてもらったみたいだ。
しかしそれと同時に、少しだけ胸をチクリと刺す罪悪感がある。
数メートルほど飛んでから、私は振り返り彼女に告げた。
「言い忘れたけど私、囮だから」
「え?」
返事を待たず、そのまま私は飛び去る。
「アリスさーん!どういう事ですかー!」
聞かれたので(心の中で)かいつまんで説明すると、勤労感謝の日というものを図書館で知ったフランドールが、周りには内緒で美鈴にプレゼント用意したいと魔理沙に協力を求めたのである。
まあ勤労感謝の日は十一月二十三日なんだけど……あまりフランに日付は関係無かった模様。そもそもそんなに先だと忘れてしまうだろう。
そして門番にばれるのを避けるために、私が美鈴を引きつけて、その内に魔理沙がプレゼントを買うために、フランを内緒で人里へ連れ出そうとした。というわけである。
別に普通に外出許可を取ることも出来たかもしれないが、「そっちの方が面白いいだろう?」と魔理沙が言い、私が美鈴の注意をそらす事になったのである。
能力の関係上、真相を知ってしまうレミリアも多分、水面下で協力してくれた事だろう。
ちなみに今、メイド長が門に出てきたので作戦は成功したようである。
「妹様が居なくなってて、部屋には魔理沙の【フランは頂いたぜ!】という書置きがあったんだけど……門番はちゃんと仕事していたのかしら、美鈴?」
「え、いや、ちょっ。アリスさん!?アリスさぁああああああん?!!」
なにやら遥か後方から楽しそうな声が聞こえるが、恐らく私には関係ないだろう。
魔理沙からマジックアイテムを報酬にもらうのが待ち遠しい。
「でも折角良い話を話してもらったのにこの扱いも酷いから、次からはお菓子でも持って行ってあげようかしらね」
「シャンハーイ」
微妙に肌寒かった空気も、もう十分に春らしく暖かくなった。私の胸もぽかぽかとしていて、春度に満ちている。
自然と自分の家族のことを思い出す。そういえば随分長いこと「おかえりなさい」という言葉を聞いていない気がする。過保護な母親や姉たちが首を長くして待っているかもしれない。一番最初におかえりを言ってくれるのは多分サラ姉さんだろう。母さんが泣きながら抱きついてきたり、夢子姉さんが呆れ顔でそれを引っぺがしたり……何だか自然と顔がほころんできた。
そろそろ里帰りしようかな。そんな気分になった。
「ナ……ナイフはッ!咲夜さんらめぇええええええええッ!!」
でも美鈴に勤労感謝するのに美鈴に被害がでたら本末転倒な気もしないでもない。
センチメンタル!
じゃあもう一回、ほのぼのとした良い紅魔館でした
フランちゃんが美鈴にプレゼントをあげるシーンは脳内補完ですねわかります。
予想していたよりも早めの作者様との再会、当方にとっては嬉しい限り。
それにしてもフランちゃんの話が後付けとな? そいつはグッドな閃きだったと個人的には感心しきり。
てっきりアリスの秘めた乙女心炸裂な流れだと思っていたので、とても嬉しい不意打ちでした。
とにもかくにも美鈴に幸あれかし。