「ぶえ――――っくしょい! っはぁ!」
とんでもなくオヤジくさいくしゃみをしたのは普通の魔法使い、霧雨魔理沙。
「また花粉症ってやつか。まいったなあ」
手の甲でぐいと鼻水を拭い、それからぶんぶん手を振って鼻水を地面に落とす。もはや花も恥じらう乙女心の欠片もない。
しかし、それも無理のないことだ。朝起きたときから、今の今までずっとくしゃみが出続けているのである。止めようにも止められない。
軽く深呼吸すると「はっくしょい」。しゃがんで下を向くと「ぶえっくしょい」。太陽を見上げると「いっきし」。
そんな調子だから、朝のスープは口から霧状に噴き出してしまうし、読んでいた本のページは思いっ切り引きちぎってしまうし、足の小指はタンスの角にぶつける。
家の中にいるから散々な目にあうんだ。そう思い、キノコの採集をかねて魔法の森に来たものの、ますますくしゃみは酷くなるばかり。
「えっくし! うへぇ、涙まで出てきた。くそっ」
ずるずると汚い音を立てて鼻水を啜り上げる。無理やり歩を進めても、頭がぼんやりしてくらくらする。全身に力がうまく入らない。
外の世界ではスギ花粉が多く飛び交うが、ここ幻想郷ではそうした花粉で被害を受ける人がほとんどいない。杉の木がそこまで多くないからである。いわゆる花粉症と呼ばれる症状が出るのは、魔理沙くらいである。
「この森は――はくしょッ! 研究には最高なんだがなあ。春先はこう――いっきし! 花粉が多すぎてたまらないな」
そう、普通の人間なら住まない魔法の森に住居を構える魔理沙は、魔法の森特有の花粉で花粉症になってしまったのだ。
あまりにもひどいので、永琳に何とかできないかと頼んだことはある。しかし「魔法の森の花粉は種類が多すぎて簡単に治せないわ」と、高い医療費をふっかけられたので、今は無理やり我慢することにしている。
「はっくしょっい!」
我慢できてない。
魔理沙は大きく息をつき、朦朧とした視界で森を眺めた。
春先の太陽が柔らかい光を森に注ぎ、咲きはじめの花や生まれたての葉が彼女の四方を彩る。瘴気が漂っているとは思えないほどきれいな光景だったが、それもぼんやりとしか見えないほど、彼女の体は参っていた。
「くしゅん」
また小さくくしゃみをして、少しだけ視線を遠くに向けると、不思議なものを見つけた。
ばかでかい紫のキノコである。半径60センチ以上はあろうか。
魔理沙の胸がどきんと高鳴る。
「新しいキノコ――っくしゅ、じゃないか? やったっくしょい!」
はやる気持ちを抑えられず、キノコに向かって走りはじめた。
目の前が朦朧としていようと、今にもまたくしゃみが出ようと、なに、大したことじゃない! あんなにでかいキノコを逃してたまるか!
「ゲットだ……ぜ……は、は、は……」
キノコに触ろうと手を伸ばした瞬間、そのキノコが立ち上がって魔理沙の目の前に。
「わちきだ 『は――――――っくしょ――――――い!!!!』 だわ――――!?」
また魔理沙が大きなくしゃみをした。
「っふう、あー、つらいわー、マジ花粉症つらいわー……って、うん?」
そう言いつつ目を開けて足元を見ると、そこにはさっきまでキノコであったはずの、何かが転がっていた。
キノコじゃないのかよ。
それに気づいてしまい、魔理沙の顔が期待から落胆へと変わっていった。がっくりと肩が落ちる。
はあ、と大きなため息をついて、魔理沙は転がっているものに声をかけた。
「で、何してんだ? そんなとこで」
「あ、はう……」
小傘がトレードマークの紫の傘を抱いたまま、目を回してひっくり返っていた。
☆
「なんだよ、私を驚かそうとしてたのかよ――っくし」
「ど、どんなもんだい! 驚いたろ!」
「いや全然。気絶してたのはおまえだろ」
「うう……」
胸をはっていた小傘が、しょんぼりして傘をぎゅっと抱きしめる。彼女のオッドアイが涙に揺れはじめ、彼女は小さな声で隣に座る魔理沙にすがるように言葉を漏らす。
「やっぱり、わちきはもう時代遅れなのかなあ」
「いや、おまえが時代遅れなんじゃなくて、やり方が古いんだよ――っくしゅ」
「そうなのかな」
「はくしょん、ただ驚かすだけじゃな――くちん、もうひと捻り――っすん」
「……? なんか今日の魔理沙、変だね?」
小傘の顔から哀しみが消え、不思議そうに魔理沙を見つめる。じんわり目に涙を滲ませて、魔理沙は答えた。
「持病だな。春になるといつもこうなるんだよ――くしゅん」
「涙が出るほどつらいの?」
「ああ――いっきし、つらいな。森から離れるとおさまるんだが」
「薬とかは?」
「高すぎて手に入れられないんだよ。あのヤブ医者――ぶえっくしょい!」
「本当につらそう。なんとかしてあげたいな」
腕を組んで小傘は考え込む。その姿を見て、妖怪のくせに変なところだけ妙に優しいのがいけないんじゃないか、と魔理沙は熱っぽい頭で思う。
「べつにいいよ。おまえがなんとかできるとも思わないし」
「むっ、失礼だね! 何もできないわけじゃないよ!」
「そんなこと言われてもな――っえっくし」
「そんなに信用ないの……」
また涙目になってうつむく小傘。だが、少しすると唐突に顔がぱっと明るくなった。
「わちき、いいことに気づいた!」
「んあ、なんだよ」
「そのくしゃみがおさまったら、魔理沙、驚くでしょ!?」
「ん? ああ、驚くな」
魔理沙の答えを聞いて、小傘は勢いよく立ち上がる。
「だったら、魔理沙の鼻水を止めればいいんだ! 魔理沙の鼻水が止まれば、魔理沙は嬉しい。しかも魔理沙が驚いてわちきも嬉しい! 二兎追うものは一兎も得ず!」
「だから、そんな古いボケはいらないっくし」
「じゃあ、ちょっとそこで待ってて魔理沙。どこにも行かないでね!」
そう言い残し、小傘は走り去って魔理沙の視界から消えてしまった。
木の下でぼんやり小傘の消えていった方を見つめながら、魔理沙はひとりごちる。
「はっくしゅん」
☆
しばらくすると小傘が帰ってきた。どうやら背中に何かを隠しているらしく、にやにやと怪しげな笑みを浮かべている。どうせ何か驚かそうとしてるんだろ、と魔理沙はため息混じりに思う。
「ふふふ、魔理沙、いいもの持ってきた」
「……なんだ」
「デデーン!」
何かの罰を思わせるような効果音と共に、小傘は魔理沙の鼻先にあるものを突き出してきた。
「あ、なんだこれ――――あッ!?」
魔理沙の顔が驚きに歪み、小傘の目はますます細くなる。
「おま、これ……う……っくし、はっくしょ、はっくしょ、はっくしょい!」
「綺麗でしょ?」
小傘が魔理沙に差し出したのは、大きくて真っ赤な花だった。激しく甘い匂いが漂い、中心のおしべ付近には誰にでも見えるほど大量の花粉が舞っていた。
小傘はそれをぐいっと押しつけるように魔理沙に近づけた。
「この花の匂いを嗅げば、くしゃみも止まるかなって」
「かふ――はっくっしょ! かふんしょ、ぶえっくしょ! やめ、やめろ! は――っくしょい!」
「え、ちょ、ちょっと魔理沙!?」
「はな、せ! そいつをどっか遠くに、ぶえっしょくい! なげ、くしゅん、はっくしょい!」
魔理沙のくしゃみが止まらなくなり、体が痙攣しはじめる。彼女の視界は白くなりはじめ、意識がくしゃみに飛びそうになってきた。うまく思考を紡ぐことさえできない。
魔理沙のあまりの様子に小傘の顔が白くなりはじめた。
「ま、ま、魔理沙?」
「は、はっくょん! 投げろ!」
魔理沙に言われるままに、あわてて花を遠くに放り投げた。
そして、くしゃみと震えが止まらない魔理沙に泣きつくようにしてしがみついた。
「ごめんなさいごめんなさい! わちきが悪かった! 魔理沙、死なないで!」
小傘はぎゅっと魔理沙を抱きしめる。長い間、魔理沙のくしゃみは止まらず、ずっと小傘の中で体を震わせていた。
それでもやがて、少しずつ彼女のくしゃみも震えもおさまってきた。そして魔理沙は大きく息をついてゆっくりと目を開き、ぼんやりと小傘を見て言った。
「はっくしょ、おま、う、えっくしょい……はあ、もう……私を殺す気か」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの」
「わかってるさ、死にはしないし――くしゅぅ、わかってるが、私は花粉症だから花はダメなんだ、くちゅん」
「そうだったの。本当に、ごめんなさい」
魔理沙の胸の中で、小傘は今にも涙をこぼしそうだった。唇が小さく震えているのが魔理沙の目に映る。空色の髪が少し乱れているのも。
ああ、こいつはそんなに必死だったんだなあ、とほとんど動かない頭で魔理沙は心の隅で感じた。自分が悪いことをしたわけではないが、少しばかりの申し訳なさが芽生える。
「くしゅん、悪い、また驚かせちまったな」
「うう。もうわちき、ダメダメすぎるよ……」
「そんなことないさっくしょ」
魔理沙はそっと小傘の頭の上に手を置いた。そして彼女の空色の髪を奏でるように優しく撫でる。
「妖怪としてはあれかもしれないが、おまえの優しさは悪いもんじゃない」
「そ、そうなのかな」
「まあ、それにたまにはこういう日もあるもんさ。それから、私はそういうおまえが嫌いじゃない。むしろ好きだ」
その言葉に小傘が顔を上げて魔理沙を見つめた。滲んでいた涙が消え、唇の震えはおさまっていた。そして頬にわずな赤みが差している。
あっ、と魔理沙は今自分が言ったことの意味をようやく理解した。しまった、ぼんやりしてて何も考えずに言ってしまった! 恥ずかしい!
思わず魔理沙は視線を小傘から空に移し、心を落ち着けようとした。
「はくしゅん」
小さくくしゃみをして見る空は、さっきよりも少し澄んでいるように思えた。小傘に抱きつかれたまま、ぼんやりと思う。
ま、家の中にずっといるよりはよかったか。キノコは見つからなかったけど、なんだかんだでこいつに出会えて面白かったしな。
☆
魔理沙に撫でられるのはくすぐったくて、少し気持ちいい、と小傘は思った。
驚かすこともできなかったし、花を持っていってあれだけ苦しめたのに、それでも魔理沙はそんな自分を許してくれて、好きだと言ってくれた。そんな魔理沙に少し心惹かれる自分がいることに、小傘は気がついた。
魔理沙の顔は春の光に照らされ、いつもよりも少し輝いて見えた。どこか満足気で、出会ったときの憂鬱感はどこかへ去っているようだった。目元にはくしゃみのときの涙が滲んでいて、宝石のように煌めいた。
そのままじっと小傘は彼女の顔を見つめていた。
すると、空を見上げる魔理沙の鼻からとろりと何かが垂れてくた。小傘は少し驚いてじっとそれを見つめた。
不思議な柔らかさを持ち、向こうの景色が見えるほどに透き通っている液状の何か。太陽の光に照らされ、その輪郭が七色に煌めいている。
そのかたちに、小傘の頭の中にあるものが浮かんできた。
夏の夜。囃子と太鼓の音が柔らかく包むお祭り。じゅうじゅうと食欲をそそる屋台が両隣にある。少し明かりが暗いその店に並ぶものは、真っ赤なものを透明で包んだ、リンゴ飴。
提灯に照らされてきらきら光るそれを遠くから眺めて、いつか口にしてみたいと思っていた。
ぺろ。
☆
魔理沙の後頭部からうなじまで、唐突に芋虫が這い降りるような感覚がした。
ぞぞわ、ぞぞわ。
その感覚が鼻の下から何度も何度も肌を伝ってくる。
目を開けると、小傘の顔がすぐ目の前にあって、口から伸びた舌が、なんと自分の鼻の下を舐めているではないか!
「うわあぁぁあ!?」
魔理沙は思わず悲鳴を上げた。身を引こうにも木に背中を預けていて逃げられない。鼻の下から穴に今度は感覚が移ってくる。初めての感覚に体の力がまるで入らない。舐められている間、ただ喉から情けない声が漏れるだけだった。
やがて小傘は魔理沙から顔を離し、満足そうに笑って自分の唇を舐めた。
「なんかしょっぱいね」
「お、おおおおお、おまえ……おまえ!」
「甘いのかなって思ってたけど、違うんだ」
「なな、な」
言葉を紡げない魔理沙に両腕を絡めたまま、小傘はうっとりとした表情で語りかける。
「くしゃみ止まったでしょ」
「あ? ……あ、本当だ。だけど、おまえ」
「くしゃみも止まったし、驚いた顔も見れた。わちき、満足だ」
「な、う、確かに、そうだが……」
小傘に抱きつかれたまま、魔理沙はどうすればいいのかわからず、ただため息をついて視線を遠くに向けた。
花粉に苦しめられて、小傘を慰めるはめになって、それで鼻水を舐めとられて。なんだこれ。なんだっていうんだ。今日はついているんだかついていないんだか。
まあ、それでも。
自分の胸に顔を寄せる小傘を見つめる。久々に人の驚きを味わったのか、今まで見たどの表情よりも、ずっと満足気で明るかった。空色の髪が微風に揺れて綺麗に陽光を映していた。
ま、こいつのこういう顔を見られたなら、それはそれで悪くないか。たまにはこういう日もあるって、自分でも言ってしまったし、そういうことなんだろう。
「ありがとう、魔理沙」
赤と青の瞳で見つめ返されてそう言われてると、どうにも照れくさくなる。
まったく、こういう素直なところが妖怪らしくないというか。そんな調子じゃあ、これからも人を驚かすには苦労するだろうが。まあ、それはそれでいいか。
そう思いながら、魔理沙は大きく息を吸い、安息のため息をつこうとした。
「はっくしょん」
ため息はくしゃみになって、爽やかな春の森に響いた。
いや、くしゃみ止まってないじゃん。
嫌いじゃない
そろそろ次のステップとして下かr(ry
こうしたかったんでーこうしましたー!みたいな単純で味気ない空気が淡々と進むのでね、もうちょっと踏み出して欲しい。倒錯的なところでもいいし、小傘のずれた部分でもいいし、魔理沙の内面でもいいから。
ところで体液系作家なんて本当に目指してるの?
前よりも引っ掛かる所がかなり減りました。文章がかなり読みやすくなってます。
あとは、作品の見所として読者を引き付ける部分があれば化けると思います。