炬燵に入り、蜜柑を転がす。
転がせば甘くなるという迷信を信じてやっているわけではない。
炬燵に入ったまま出来る暇潰しとして、たまたまそれが選ばれただけ。
他に面白そうなものがあれば、それをやってるわ。
冬は退屈だ。
寒くなって、雪が降って、家に篭る日が多くなる。
だからと言って、丁度よい暇潰しがあるわけでもないし。
お茶か、お酒でも呑んで時間を潰すしかない。
ごく稀に異変も起きるけど。それを当てにしてもね。
神社の参拝客も途絶え、やるべきことも見つからない。
炬燵に入って、火鉢でつまみを焼いて、お酒を呑んで。ぼんやりと一日が過ぎるのを待つ。
実に退屈で平和な日々だ。
「そんなに暇なら、雪かきくらいしてきたら?」
ぼんやりしていると、その一言で意識を引き戻される。
もう少しで気持ちよくうたた寝できてたのに。
雪かきなんて面倒臭いこと思いださせないでよ。
炬燵の向こうに座っている居候に、恨みがましく言葉を返す。
「嫌よ。寒いし、疲れるもの」
「神社が雪に埋もれてると、参拝客も友人も来なくなるわよ」
「こんな寒い日に神社まで来る物好きなんていないわよ」
「それもそうね」
参拝客が来ないと自分で言うのもあれだけど。
事実だから仕方が無い。
「幽香がやってよ。居候なんだから、そのくらいやっても罰は当たらないわよ」
「嫌よ。寒いし、面倒臭いもの」
「あっそ」
それで会話が終わる。
私は蜜柑を転がす退屈な作業に戻り、向かいの居候はまた本を読み始める。
さっきまでと変わるところのない、静かな時間が流れる。
居候の名は、風見幽香。花が好きな妖怪で、それなりに強い。
どういう風の吹き回しか。ここ数年、冬になると神社に住み着くようになった。
たまにふらっとどこかに消えてしまうけど。
だいたいは神社で暖を取って、本を読むか、持ってきた鉢植えの世話をしている。
口には出さないけど。花の少ない冬は、一人でいても退屈なのだろう。
大して仲が良いわけでもない私の所に来た理由は、未だに謎。
小間使いとしても話し相手としても性能はいまひとつだけど。
特に悪さをするわけでもないので、なあなあで一緒に暮らしている。
たまになら家事も手伝ってくれるし。冬の間ずっと一人でいるよりは、いくらかマシなのは確かだから。
「そう言えば、炭が無くなったわよ」
幽香が思い出したように口を開く。
その言葉は、腑抜けた私の頭には刺激的過ぎた。
幽香は大したことないように喋ったけど、炭が無いと生命線の炬燵も火鉢も使えなくなる。
薪はたくさんあるから、どうにかならないこともないけど。やっぱり炭が無くなっては困る。
この時期の炭の備蓄の有無は、本気で命に関わるもの。
急いで炭の量を確認してみる。
火鉢には炭が一山置いてあり、上に載せてある鉄瓶から景気良く湯気が噴出している。
ほんのり赤くなっているものもあれば、まだ黒々としてるのもあって、しばらくは持ちそうだ。
掘りごたつの中も覗いてみるが、こちらもまだ十分な炭が置いてある。
今のところ、寒さに震える心配はなさそうに思える。
「まだ余裕あるわよね」
「今燃えてるので全部よ。もって明日までね」
「…………」
頭を抱える。もう少しマメに確認しておけばよかった。
いつも幽香が火の番をしてくれてるから、なおざりになってたかも。
外を見ると、幸いにして今日は晴れている。吹雪だったら詰んでいた。
背に腹はかえられないし、天気のいいうちに出かけることにしよう。
「午後になったら買い物に付き合って」
「いいわよ」
「外に出たくないなあ」
「今日行かなかったら、明日にはきっと凍死してるわよ」
幽香の軽口も、わりと洒落になっていないから困る。
冬の間はずっと温かい部屋に引き篭もっていたいのだけど。
炭と食材は、どうしたって里まで買出しに行かなくてはいけない。
週に何度かの買い物。こればっかりは、生きる上で避けられない定めなのだ。
紫のスキマがあればとても便利なのだけど、あいつは今頃冬眠してるのよね。
どうでもいい時に来るくせに、必要な時にいないなんて、ほんと迷惑な奴。
☆
日が高くなった頃、久方ぶりに里まで買い物に出かける。
肌が痛いと感じるほどの寒さ。春はまだまだ遠いようだ。
山間は雪が積もり氷の層が出来て滑りやすくなってるけど、飛んでしまえば足を取られる心配も無い。
あんまり高いところを飛んだり、速度を出すと風が冷たいけど。
私達は急ぐ性質でもないから、風除けを探しながらたらたら飛んでいる。
太陽と青い空を久しぶりに見た気がする。
雪景色は毎日家の中から飽きるほどみているのだけど、空を見上げることは稀だったから。
空が青く澄み、どこまでも飛んでいけそうな気がする。
魔理沙が言うには、冬の空は空気が澄んで、星が良く見えるらしい。
夜は寒すぎて外に出る気も起きないから、自分の目で確かめた事は無いけど。
あいつだって、寒さは苦手なはずじゃなかったっけ……?
「こんなところかしら」
「終わったなら、私は自分の買い物してくるわよ」
「あー、うん。先に帰ってる。ちゃんと荷物持ってきてよ」
「分かってるわ」
幽香が、買い溜めした炭の入った包みを持ってどこかへ歩いていく。
それなりの重さのはずだけど、片手で軽々と持って行ってしまう。
流石は妖怪。体力も腕力も、人間とは比べ物にならないみたい。
数日分の食料を抱え、ほどほどの高さを飛んで家路につく。
二人分の食料はそれなりに重いけど、炭の山を持って帰るよりは楽か。
煤で汚れるし、大変なのよねあれ。
人里にも雪が積もっていたけど、人通りの多いところはきちんと雪かきされて地面が見えていた。
里の周りにも、大小さまざまな雪だるまが置かれ、人の通れる道が出来ている。
人里を離れるほどにその道は狭くなり、道は消えていくつかの足跡が残るだけになる。
里から遠く離れ、神社のある山の麓まで来ると、人が通った形跡が全く見られなくなった。
地面も、木々も、全てが一様に深い雪に覆われている。
せいぜい、動物の足跡がいくつか残っているくらい。
修験者でもなければ、真冬にこんな山奥の神社まで参拝に来ないわよね。
境内へと続く石段を下から見上げてみる。
日当たりが悪いせいか、降った雪が融けずに積もって段差が分からなくなっている。
当然ながら参拝客の足跡は一つもない。
……。
誰も来ない神社。
分かってはいたけど、これを見るとちょっと凹む。
寒いし、早く家に帰って温まろう。
☆
もうすぐ日が落ちようという頃になって、ようやく幽香が帰ってきた。
炭が尽きる前に帰ってきたから、文句は言わないでおこう。
特に待っていたわけでもないし。
「炭は外に置いてきたわよ」
「ありがと」
「一人酒? 私が帰るまで待っててもよかったんじゃない?」
「寒かったのよ」
帰ってすぐに炬燵に入って火鉢にあたったけど、凍えた体を温めるには少し物足りなかった。
火を強くしようと思っても、肝心の炭は無いし。
仕方なく、火鉢で沸かしたお湯で熱燗を作って、一杯やっている。
そう、寒かったから仕方なく呑んでいるのだ。
いい具合に酔いが回って体も温かくなったけど。
いまいち気分が盛り上がらないのは何故なのだろう。
こんな日はさっさと寝るに限るわね。
幽香が炬燵の上に植木鉢を載せる。
多分、新しく買ってきたやつだ。
この部屋の一角が植木鉢で占領されているというのに、まだ増やすつもりなのか。
載せられた植木鉢を見てみると、花らしきものはついていなかった。
枝から緑の葉が生い茂り、上の方の葉は真っ赤に色づいている。
私の服のような、鮮やかな紅。
花は見えないけど、これはこれで綺麗な草だ。
赤い葉の鉢を見ていると、その隣にもう一つ植木鉢が置かれる。
同じ種類のようだけど、こちらは上の方の葉が雪のように白い。
いくらか黄色が混ざった、落ち着いた色合い。
「ポインセチア。綺麗な色が出てたから買ってきたのよ。二つ並べると、紅白で綺麗でしょ?」
「そうね。目も醒める様な色合いね」
並べられた紅白の葉。
私の服にちなんだ、洒落たインテリアだ。
さして広くもない炬燵の上に二つも鉢が載せられると、幾分窮屈そうに思えるけど。些細なことよね。
酒の肴としては十分すぎる土産物だ。
「隣、邪魔するわよ」
花を見ていると、幽香が横に座ってきて押しのけられる。
隣合わせに、同じ面から炬燵に脚を入れる格好になる。
他の場所も空いてるのに、なんで狭くなるようなことをするのよ。
「狭い」
「外を歩いたせいで、体が冷えてるのよ。懐炉代わりにちょうどいいと思って」
そう言って幽香が控えめに体を寄せてくる。
帰ってきたばかりで、幽香の体が冷えきっている。
服からも冷たい空気が漂ってきてる気がする。
折角お酒で温まったのに、また寒くなってきたじゃない。
紅白の葉を肴に、もう少し呑んでおこうか。
お猪口を取ろうとした手が空を切る。
幽香が、私が取ろうとした猪口を取り上げ、私の飲みさしに勝手に口をつける。
「ちょっと、勝手に呑まないでよ」
「杯がこれしかないんだから、仕方ないじゃない」
「自分で新しいのを持ってきなさいよ。私が飲めなくなるでしょ」
「猩猩木」
「なによそれ」
「ポインセチアの別名。呑みすぎて、猩猩みたいに真っ赤になる前に控えておくことね」
「日本酒でそこまで酔わないわよ」
幽香が私のお酒を美味しそうに呑んでいる。
返せと言っても聞く耳持たないし。
熱燗を飲むなら、新しい猪口を用意するしかないけど。寒いから炬燵を出たくない。
幽香の体も冷たいから、どっちもどっちな気がするけど。
…………。
はあ。
お酒は諦めよう。それなりに体は温かくなったし、炬燵から出るのも面倒臭い。
炬燵の天板に頬をつける。
ひんやりとして、火照った顔に心地よい。
明日は、少し雪かきでもしてみようか。
雪が無くなれば人が来るわけでもないだろうけど。
忘れられた道のように雪に埋もれてしまうのは、流石に忍びない。
今日は早めに寝て、明日の雪かきに備えよう。
幽香が頭を撫でてくる。
私の熱燗を呑んだおかげで、いくらか体が火照っているみたい。
私のお酒を盗った相手に愛想を良くするのも癪なのでそっぽを向いてやる。
幽香は気にした様子も無く、紅白の葉を肴に酒を呑んでいる。
やっぱり、お猪口もう一つ持ってこようかなあ。
☆
ざく。 ざす。
ざりざりざり。
昨日は炬燵に入ったまま、いつの間にか眠っていたらしい。
目を覚ましたときには毛布がかけられていて、夕飯の用意もしてくれていた。
放任主義なのかと思えば、時々こんな風に面倒見が良かったりする。
居候なりに気を使っているのかもしれないけど。幽香が何を考えているのか、いまいちよく分からない。
ざくざく。
どしゃっ。
萃香に頼めば、こんな雪かきくらいすぐに終わらせてくれそうだけど。
あいつは今頃、天界から地上の雪を眺めて酒盛りしてるんだろうし。
呼べば来るかもしれないけど、これ以上居候が増えでもしたら面倒だ。
吐く息が白くなり、手袋をしてるのに手がかじかんでくる。
きっと鼻も赤くなってることだろう。
家の中でぬくぬく過ごしてる幽香が恨めしく思えてくる。
あいつにも手伝わせたいけど、どうやって働かせるかなあ。
交換条件を出すのもいいけど、あんまり無茶を言われても困るし。
雪かきをする手間と、幽香の我侭に付き合う苦労、どっちが大変か少し検討してみよう。
雪にスコップを差し込み、そのまま押す。
雪原が削れ、凍った地面が顔を出す。
重くて押せなくなったら、掬った雪を遠くに放り投げる。
ひたすらそれの繰り返し。
雪かきした部分と、それ以外とでくっきりと境が出来る。
成果が目に見えるのは楽しいけど、疲れるだけの単純作業。
骨折って綺麗にしたところで、一度雪が降れば元の木阿弥。
全く以ってやりがいが無い。
諦めてお茶でも飲もうかと考えたけど、たまには体を動かさないと不健康だし。
退屈を持て余すよりは、雪かきでもしてる方が少しはマシか。
折角だから雪だるまでも作ろうかしら。
ざくざく。
体が冷えて動かなくなってきたので、今日はこれで終わりにしよう。
正面はそれなりにスペースが出来て、見栄えがよくなった。
残りはまた今度、気が向いたときに。
石段だけど、これはなあ…………。
これは幽香に頼むしかないか。
私一人じゃ無理。
というか、面倒臭すぎてやる気が起きない。
「ご苦労様。お風呂沸かしといたから、入るといいわ」
「ありがと」
幽香の労いの言葉を聞いてから、玄関に置いてあったタオルで服を拭いてお風呂に向かう。
お酒でも呑んで温まろうと思っていたけど、これは非常にありがたい。
気が利くのはいいんだけど、どうせなら雪かきも手伝って欲しかったな。
「湯加減はどう?」
「今はいい感じ」
最初は熱すぎて入れたものじゃなかったけど、水を入れたら丁度よい湯加減になった。
あまりの気持ちよさに、少し寝そうになってたけど。
疲れているせいかな。勿体無いけど、あんまり長湯はしないでおこう。
「そう、じゃあ私も入ろうかしら」
「ん?」
私の返事も聞かず、引き戸を開けて幽香が入ってくる。
裸なのは当然なのだけど。タオルで体を隠そうともせず、見せ付けるようにしてくる。
自慢したくなるほど綺麗な体だってのは分かったけどさ。
嫉妬心が湧いてきて精神衛生上あまりよろしくない。
腹立たしいからさっさと上がってしまおうか。
「今日は寒いから、ちゃんと温まった方がいいわよ」
その一言で冷静になる。
確かに夜は冷えるし、お風呂は気持ちいい。
もう少しじっくりと体を温めておこう。
幽香の方は、出来るだけ見ないようにしてと。
「狭い」
「大きな胸でごめんなさいね」
「そこは関係ないから」
幽香が体を流し、髪をまとめて湯船に浸かる。
こちらを向いて、斜向かいに腰を下ろす。
幽香を見てると目つきが悪くなりそうなので、視線を横に逸らす。
幽香が来た途端に、花の香りが広がったのは気のせいじゃないと思う。
一人で入っていたときより窮屈だけど、せいぜい脚がぶつかる程度でそれほど圧迫感は無い。
結構な量のお湯が溢れて勿体無い気がしたけど、気にしても仕方ないか。
「…………」
私は幽香のほうを見ないようにしているというのに。
さっきから幽香に無遠慮な視線を向けられている気がする。少しは遠慮しなさいよ。
湯船にタオルを入れるわけにもいかないし、隠しようがないんだけど。
「なによ」
「少し太ったんじゃない?」
「あ?」
思わず柄の悪い声が漏れる。青筋の一つも立っているかもしれない。
ここがお風呂じゃなかったら、夢想封印の一つも叩き込んでる所よ。
「太ってないわよ」
「そう? お腹の辺りがぷにっとしてる気がするんだけど」
自分のお腹辺りを見る。
太って……ない。絶対に。
「だってほら」
「抓むな!」
いきなり手が伸びてお腹を触ってきたので、手首をぐいと捻ってやる。
普通の人間なら痛みで飛びのいたり、倒れたりしてもおかしくないはずなのだけど。
幽香は痛そうなそぶりも見せない。どうなってるのよ。
かけ方が間違ってるわけでもないし。妖怪に通じないわけじゃないと思うのだけど。
「食べてばかりで、ろくに動かないから太るのよ」
「太ってない」
「不健康に痩せてるよりは、血色いいほうが可愛いけどね」
「太ってない」
「はいはい」
幽香の腕をぐいぐいと捻ってやる。
痛くないはずはないのだけど。
「ねえ、そろそろ手を離してくれないかしら。妖怪でも、痛いものは痛いのよ?」
「謝ったら放してあげる」
「太ってるなんて言ってごめんなさい」
「よし」
意外とあっさりと折れて、殊勝に頭を下げてくる。
口先だけの気がしないでもないけど。
謝られた以上、無下にするわけにもいかず。
やりすぎて反撃されても面倒なことになるし。
真に不本意ながら、仕方なく放してやることにした。
ため息をついて腕をさすってたから、やっぱり痛かったんだと思うけど。
やせ我慢してたの?
「どうせ太るんだったら、その貧相な胸に肉が付けばいいのにね」
「幽香、その喧嘩買うわよ」
「お手柔らかにね」
その日の夜、冬の空に久しぶりに大輪の花が咲いた。
幽香とやりあうのは久しぶりだったけど。相変わらずタフな奴だ。
汗をかいたせいでお風呂に入り直すことになったけど、楽しかったからいいか。
たくさん動いたおかげで、今日はよく眠れそうだ。
☆
その翌日。
今日は昼までぐっすり寝て、幽香の作ってくれた昼食を食べた。
山菜中心のさっぱりとした料理。
今朝、花見のついでに採ってきたらしい。
何の花を見てきたのかは知らないけど、随分と元気なことで。
考えてみたら。
里では野菜が買えるし、たまに迷い込んでくる兎とか鳥とかを狩れば肉も不自由なく食べられる。
秋に仕込んでおいた保存食もまだしばらくは持ちそうだし。
食べるものに困ってるわけじゃないのよね。
それでここのところずっと、家の中で炬燵に入ってるだけの生活をしてたから。
…………。
今日からは、少し体を動かす事にしよう。
まずは雪かきを終わらせてしまおうか。
「ダイエット?」
「ダイエットが必要なほど贅肉ついてないし」
昨日は30分ほど撃ち合って、寒いから引き分けにして早めに切り上げたけど。
失礼な事を言えないようにコテンパンにして置けばよかったか。
幽香に雪かきを頼んでみたら、意外とあっさり引き受けてくれた。
神社の空いてる場所を幽香専用の花壇にするのが条件だったけど。
今までも好き勝手に花を植えて育てていたから、今更な気がしないでもない。
私が損をするわけでもないし、幽香がそれでいいならいいんだけどね。
「ねえ、幽香」
「ん?」
「あんた、こういう力仕事けっこう好きでしょ」
「嫌いじゃないわね」
埋もれてしまった石段をやってもらうことにしたのだけど、これが予想以上に凄い。
ざくざくと、私が運べる三倍くらい量の雪の塊をぽんぽんと林の方に投げていく。
底の方にある氷の塊も意に介さず、がりがりと削って放り投げる。
本当、頼りになるわよね。
この長い石段も、案外あっさりと片がついてしまうのかもしれない。
こうも勢い良く雪かきをしてくれると、見てる方も楽しいわね。
いつまでも眺めていても仕方ない。私が雪かきをしないと意味が無いのだから。
今日は屋根の雪を落として、神社の周りをもう少し綺麗にしようかな。
「温まるわね」
「そうね」
「働いた後のお酒は格別でしょ」
「ここにあるお酒はいつだって格別よ」
「ふふ、それもそうね」
雪かきが終わって、一緒にお風呂に入って、それから、仲良く熱燗で一杯やっている。
疲れた体にアルコールが染み渡り、思ったよりも早く酔いが回ってきそうだ。
もしかしたら、猩猩みたいに顔が真っ赤になっているかもしれない。
幽香が持ってきた向日葵の種を食べる。
殻を剥くのが手間だけど、ぽりぽりしてて意外と美味しい。酒のつまみとしても悪くない。
種まき用のは別に保管してあるから、好きなだけ食べていいと言われたけど。
一抱えもある包みで持ってこられてもねえ。
当分はつまみの心配をしなくてもよさそうだ。
幽香はあれだけの重労働をした後だというのに大して疲れた様子も無く。
背筋をしゃんと伸ばしてお酒を呑んでいる。
まだ酔いも回ってないようだし、人間とは体力が違うみたい。
「ねえ、幽香」
「なにかしら」
「昨日は何で雪かき手伝ってくれなかったの?」
「頼まれなかったもの」
「ああ、そう」
全く悪びれない態度に、文句を言う気も失せてしまう。
どうせ断られるだろうと思って頼まなかった私も悪いけどさあ。
頼んでないのに、お風呂は沸かしてくれたくせに。
嫌いじゃない雪かきは頼まれないとやらないなんて、どんだけ捻くれてるのよ。
むすっとした私を見て、幽香が意味ありげな笑みを浮かべる。
「最初から私が手伝ったら、それを当てにして自分でやらなくなるじゃない。
あなたも、少しは苦労しなさい」
何も言い返せなかったので、黙って向日葵の種をつまむことにした。
紫ほど煩くはないけど、幽香も時々こうして説教をしてくる。
子ども扱いされているようで、少し腹立たしい。
100年を軽く生きる大妖怪からすれば、私は生意気盛りの小娘みたいなものなのかもしれないけど。
それならそれで、もう少し甘やかしてくれてもいいんじゃないの、幽香おばあちゃん?
☆
雪が降っている。
無理して出かけるほどの用事もないので、仕方無く神社に引き篭もって炬燵で温まっている。
雪化粧で覆われていく世界を眺めるのは、中々に風情がある。
天気が良くなったら、また雪かきをしよう。
それまでは、雪を肴にお酒でも呑むとしようか。
あまりに暇だったので、幽香が読んでいた本を覗いてみることにした。
表紙には褪せた色合いで花の絵が描かれていて、幽香は冬に入ってからずっとこの本を読んでいる。
楽しそうに、何度も読み返しているみたいで、少し興味が湧く。
幽香の後ろに回って本の中身を見てみると、それは小説とは様子が異なっていた。
手書きで数字と文字と、花のスケッチが描かれている。
小説か何かだと思ってたけど、これって幽香のメモ帳なのかしら。
「こーらっ。勝手に見ないの」
拳骨で小突かれる。
力を入れてないのか、それほど痛くはなかったけど。
「日記でもつけてるの?」
「まあ、そんなところね」
隠そうとするわけでもないので、もっとよく見てみることにした。
毎日の天気と、花の開花情報と、簡単なイラストが描かれている。
場所は大雑把にしか書かれてないし、時間も太陽の高さが書かれているだけであまり参考にはならないけど。
幽香にはこれで十分なのだろう。
メモなんて取らなくても、今年咲いた花の場所くらい全部覚えていそうだけど。
幽香がこんな几帳面なことをしていたのに驚く。
花のことになると、面倒を惜しまないみたい。
「こうして暇なときに見直すと楽しいし。花屋の子に見せると喜んでくれるのよ」
そう言って優しく笑う。
私相手だと、滅多に見せないような優しい笑顔。
本当に花が好きなんだと分かる。
でもそれと同時に、疑問が湧いてくる。
神社に居候しているというのに、私よりも花にかまけているみたいだし。
わざわざうちに居候する必要も無かったんじゃない?
「ねえ幽香。なんでうちに居候しようと思ったの?」
「んー? どうしてそういうことを聞くのかしら?」
「何となく」
「私がいないほうがいい?」
「そういうわけじゃないんだけど。少し、不思議に思ったから」
「あなたが心配だからよ。今は紫もいないし、何かあったとき一人じゃ困るでしょ」
「ああ、そう」
「霊夢が好きだから、とでも言って欲しかったの?」
「別にそんなんじゃないわよ」
「構って欲しいなら、素直にそう言えばいいのに」
「だから違うって」
幽香と顔を合わせる気にならなかったので、背中合わせに座る。
幽香は炬燵に入ってるけど、私の方には何もなくて少し寒い。
「貸してあげる」
「……ありがと」
頭に黄色い毛布が被せられたので、お礼を言って受け取る。
足に巻くと温かい。
自分が思ってるよりもずっと、幽香はちゃんと私のことを見ているのかもしれない。
ふとそんな気がした。
「霊夢が年頃になって、今よりずっと綺麗になって、花よりも魅力的な女性になったら。
その時は、もうちょっと愛情を注いであげてもいいわよ」
幽香がよく分からない事を言い出す。
背中合わせになってるせいで、幽香がどんな顔をしているのか分からない。
からかっているようにも思えないけど。だとしたら余計性質が悪いか。
「花も恥らう乙女になれるといいわね」
「綺麗に咲くように、愛情こめて育てるのが園芸じゃないの?」
「甘やかしすぎると子供は駄目になるのよ」
「子供じゃないっての」
私は子供で、幽香が保護者。そういう設定らしい。
私はいつまで子ども扱いされなきゃいけないのかしら。
☆
七草粥で簡単に朝食を済ませた後、縁側に出て外の景色を眺める。
里の雪もあらかた溶け、往来も活発になっている。
山にはまだ雪が残っているけど、気温が上がればすぐに消えてしまうことだろう。
そうなれば、少しは参拝客も来るようになるだろうか?
先の心配をして暗くなっても仕方ない。
参拝客が来ないのは、今に始まったことでもないものね。
溶けていく雪を見ながら、いつも通りお茶でも飲むことしよう。
庭では福寿草が咲いている。
日差しが温かくなり、春が近いことを肌で感じる。
幽香の話では、もう梅が咲いているらしい。
山もすぐに新緑で覆われ、冬眠していた動物達も目を覚ますことだろう。
春の花が咲いて、庭も賑やかになる。
桜が咲けば、自然と人が集まり、毎日のように宴会が開かれるに違いない。
一人で静かにお茶が飲めるのは、きっと今だけ。
幽香は、今頃どこにいるのだろう。
花が見たいと言って、少し前にどこかへ消えてしまった。
幽香がうちに居候するのは、冬の間だけ。
花が咲き誇る季節になれば、花の匂いを追ってどこかへ行ってしまう。
毎年のことだから、別にいいのだけど。
別れの挨拶も済ませたし、引き止めるほどの理由もないもの。
ただ、幽香がいなくなってからの数日、一人では何事も張り合いがなくなってしまった。
あんな奴でも、いてくれた方がありがたかったみたい。
次に幽香に会うのは、桜の花見の時。
それまではどこいるのか知れないし、きっと神社に来る事もない。
桜が咲くまで、退屈にならなきゃいいけど。
☆
「神社に人が来ないのは、雪のせいじゃなくて霊夢の人徳のせいだったみたいね」
「あんたら妖怪が来るから、参拝客が来づらくなるんじゃない」
「それもまた、あなたの人徳ゆえよ。妖怪神社の巫女さん」
縁側でうたた寝していると、いつの間にか幽香が来ていた。
しばらく会うこともないと思っていただけに、少し驚かされた。
「一人で寂しいんじゃない?」
「そうでもないわ」
寂しいと思う気持ちがないわけではないけど。
それで付けこまれるのも嫌だから、表には出さない。
隠してもバレてるのかもしれないし。私がなんと答えようと関係ないのかもしれないけど。
「春まで来ないと思ってたけど」
「そのつもりだったんだけどね。霊夢が一人で寂しそうにしてたから、放っておけなくて」
「お気遣いどうも。暇潰しの種は持ってきてくれたの?」
「ふきのとうを拾ったから、これでお昼にしましょ」
そう言って包みを見せてくる。
相変わらず、花を追って山に入り、適当に山菜を採って帰ってきてるらしい。
人間じみていて、本当に妖怪なのか疑わしくなってきた。
「それじゃあ、お昼を作ってくるから適当に時間潰してて」
「はーい」
ふきのとうで一足早く春を感じるのも悪くは無い。
思っていたよりもずっと早く、春が近づいているのかもしれない。
包みを受け取って勝手口まで行こうとすると、幽香が私の顔をまじまじと見つめているのに気付く。
「ねえ、霊夢」
「なに?」
「あなた、少し大きくなった? 言っておくけど、胸のことじゃないわよ」
「一言余計よ」
つくづく失礼な奴だ。
幽香と並んで、目線の高さを確かめてみる。
変わったような、変わってないような。
後で霖之助さんのところに行って測ってもらおう。
本当に背が伸びてるのなら、服も新調してもらわなきゃいけないし。
暇潰しついでにそのうち行くとしよう。
「気のせいだったかしら?」
私の髪を潰して頭の高さを確かめた後、ぽんぽんと私の頭を叩いてくる。
髪が崩れるのが嫌だったので、幽香の手を払う。
「気が済んだなら、私はお昼の用意をしてくるわよ」
幽香が、今度は撫でるように私の頭に手を載せる。
髪が崩れるからやめなさいよ。
「人間って、ちょっと目を離した隙にすぐ大きくなっちゃうのよね。
私もいつの間にか、霊夢に追い越されてたりするのかしら?」
「どうかしらね」
まだしつこく私の顔を見てくる。
何なのよ一体。
「なによ」
「少しは綺麗になったかなって思って」
「私はいつだって綺麗よ」
「そうね。そうだったわね」
おかしそうに笑われる。本当、失礼な奴だ。
こんな奴の相手してないで、さっさとお昼の仕込みでもしてこよう。
幽香は、私を花と同じような感覚で見ている。
育てて、どう咲くのか楽しみにしている。
その割には気紛れで、優しさが足りてないけど。
私がどんな女性になったとしても、それはそれで可愛がってくれると思う。
でもどうせなら。
目の覚めるような美人になって驚かせてやりたい。
そうね、まずは。
紅でも入れて、少し化粧でもしてみようか。
花も恥らう乙女って、口にするのも恥ずかしいけど。
少しくらい、背伸びしてみてもいいかもしれない。
いつまでも子ども扱いされてちゃ悔しいものね。
急に綺麗になったら、幽香はどんな顔をするだろう。
幽香より背が高くなって、今度は幽香を子ども扱いしてやりたい。
私は人間で、成長するし、変わってゆく。
いつまでも子供じゃないって、思い知らせてあげないと。
気紛れなお姉さんで、柔らかいお母さんな幽香さん良いですね。
人差し指でコロコロと蜜柑を転がしている情景を思い浮かべるとですね、私は大変幸福な心持ちになるのです。
てな訳で、ブラボー!!
淡々とした文章が、逆に想像力を掻き立てますねぇ、冒頭のシーン以外にも色々と。
幽香さんはどんな表情で本を読んだり鉢植えのお世話をしているんだろう。
霊夢が話しかける時は? 幽香が話しかけられた時は? 二人で会話する時は?
お風呂の場面は自重するとして、頭の片隅でそのようなことを想像しながら物語を読ませて頂きました。
そして何よりも作品全体を優しく包む空気、これがいい。
のんびりゆったり和みまくりだ。拝読している間は、時間の流れが緩やかに過ぎていく感じでした。
言い方は悪いですがこの物語は小品だと思う。
でも、この作品に出会えたのは幸運だった。投稿して下さった作者様には大いなる感謝を。
ああ、二人とも美しい…
雰囲気いいですね。この距離感がたまらない。
姉妹みたいな感じを受けました
脳内で二人のやり取りが余すことなく再生されました。
素晴らしく、素敵なお話をありがとうございました。
霊夢サイド一辺倒という感じでソフトでライトなのもこの二人「らしさ」が出ていていいのですが、幽香の内面が見える言葉が少なくライトすぎる感じもしました。