―――空に浮かぶ、一片の雲さえ妬ましく思える。
我ながら、笑ってしまう。あの雲に、何ができるわけでもないだろうに。
あんな雲より私の方が、よほど好き勝手に過ごせて、気楽なものだ。
だというのに、こうまで妬ましさにかられるのは何故なのだろう。
気付けば吸い込まれていきそうな、青い空が妬ましい。キラキラとまばゆい光を放つ、太陽も妬ましい。
気まぐれに地底を離れ、適当な草むらへと寝転びながら。私はそんなことを考えつつ、ただ、ぼんやりと過ごしてしていた。
(……何だか、眠たくなってくるわね)
ただでさえ、がやがやと騒がしい地底に比べ、ここは静かだ。
おまけに、まだ三月にもならないというのに、今日の日差しはやけに暖かい。春も近いという事か。
それでも、時折強く吹く風は、今が冬であることを再認識させてくれる。
(まあ、それも趣のあるものだけど。地底にいると、四季なんて感じようもないわけだし)
夏だろうが冬だろうが、地底には日の光など降り注がない。
春の暖かさも、秋の心地良い涼しさも、こうして地上に出てこなければ、決して味わえないものなのだ。
もっとも、下手に巫女にでも見つかった日には退治されかねないから、あまり堂々とも出て来れないのだが。あの巫女、見境なさすぎなのよ。
『びゅん』と音をたて、一際強い風が吹く。
「……寒っ」
一言呟き、寝返りをうつ。
今の時期の地上は、決して私に優しくないようだ。おまけに、流れる雲が、折角の太陽を隠してしまった。
もう少し暖かくなるのを待ってから来れば良かったかと思いつつ、今はまだ地底へ帰る気にもなれない。
結局、私はブルリと身を一つ震わせると、そのままの姿勢でじっと耐え忍ぶ道を選ぶのだった。
『びゅん』と音をたて、また風が吹き付ける。さあさあと、草花がなびく様子が見渡せる。
冷たい風に心まで凍えてしまうような、そんな錯覚を覚えてしまう。
(ああ、元々私の心なんて、凍えきっていたか)
自嘲。
他者を妬む事しかできない私には、所詮日陰がお似合いだ。
……ガッ。ドカン。ガガガ……。
ふと物音が聞こえ、そちらに注意を向けてみる。
すると、やたら騒がしい氷の妖精が、いつだったか私も会ったことのある魔法使いと戦っているのが見えた。
「いっくよー、魔理沙!凍符『パーフェクトフリーズ』!」
「こっちだって行くぜ!魔符『スターダストレヴァリエ』!」
「わわ、やったなー!?」
繰り広げられているのは、相も変わらぬ弾幕ごっこ。
本当に、元気なことだ。妬ましい。
橋姫である私には、あんな元気な真似はできそうにもない。あんな風に、明るく、楽しそうに振舞える訳がない。
それができるくらいなら、端から地底へと追いやられる訳もないではないか。
「……人生とかけて、潜水艦と解く。その心は『センボウキョウもあるんです』……か」
いつだったか聞いた事のある、こんな謎かけをふと思い出す。
潜望鏡はもちろん知っているけれど、このオチの意味は、よく分からない。ただ、何となく印象に残っていたから覚えているだけだ。
そういえば、この謎かけを知ったのは、もうどれくらい前の事だったか。はるか昔の事にも、つい最近の事の様にも思える。記憶なんて、曖昧なものだ。
分からないのが何となく悔しくて、オチについて真剣に考えたこともあった。が、すぐに諦めて、やめてしまった。私は頭の良い方ではない。
それに、わざわざ誰かに相談してまで、答えを導き出すような話でもないだろう。
大体、私は一々そんな些事を誰かに相談できるほど、多くの友人も持っていない。
こんなことをいつまでも真剣に考えるくらいなら、一人で大人しく酒でも飲んでいた方が、まだ有益というものだ。
「あるいは、あいつぐらい頭が良ければ分かるのかもしれないけどね」
「呼びました?パルスィさん」
「うわ!?……いつの間に来たのよ!」
突然の声に驚き、思わず、間抜けな声をあげてしまう。
見上げてみれば、そこには先程まで思い浮かべていた顔があった。
いつもと変わらぬ、眠たげな目。そして、今ひとつやる気の感じられない声。
古明地さとり。地霊殿の主であり、私と同じ地底の嫌われ者。
けれども楽園の最高裁判長・四季映姫の部下でもあり、少なくとも頭は私よりはるかに良いし、物知りだ。
「『普段から物静かすぎて、いるんだかいないんだか、いまいち分かり難いところが欠点だが』ですか。余計なお世話です。さっきからずっと居ましたよ」
「だったら、一声かけなさいよ」
「失礼。一人で黄昏ていたようでしたので」
つまり、空気を読んだ上で、あえて声はかけなかったと。そう言われてしまっては、こちらも強くは出れない。
「隣、いいですか?」の声と共に、さとりは私の横へと腰掛ける。
特に否定する理由もないので頷くと、私とさとりは上空で行われる弾幕合戦を、しばしの間ぼんやりと眺めるのだった。
……カッ。ガガ、ピチューン……
「くう、チルノもやるようになったなあ。今日の所は私の負けだぜ」
「あたいさいきょーなんだから、当然!でも、やっぱり魔理沙も強いね!明日も遊ぼうよ!」
「おう!じゃあ、またこの時間な!約束忘れるなよ?」
「むう、またそうやってバカにする!忘れるわけないでしょ、もう!」
「……仲のいいことね」
「そうですねえ」
「人間と妖精と、どうしてあんなに仲良くできるんだか」
「それを言ったら、博麗神社なんて妖怪のたまり場じゃないですか。神様よりも妖怪が多い神社というのも、どうかなと思いますよ。……でも、何だか良いですね。ああいう友情も」
「ええ。私たちには絶対無理だもの、あんなこと。妬ましい」
お互いに笑顔を浮かべながらやり取りをする二人を見て、私とさとりは呟く。
あれがいわゆる『青春』というものだろうか。隠れるようにして地底に暮らす私たちには、まったく縁のない話だが。
「羨ましいですね」
「ええ、妬ましいわ」
「私は『羨ましい』と言ったんですが」
「似たようなものよ。嫉妬なんて、結局は他人を羨む所から始まるものなんだから」
「そんなものでしょうか。私には、よく分かりませんけど」
私の説明にいまいち納得した様子のないまま、さとりは続ける。
「あの子……魔理沙さんですか。彼女は、宴会などの公の場でも社交的ですし、何だかんだで親友も多いようです」
「言われなくても知ってるわよ。人形遣いだとか魔女だとか、あの巫女だとか」
「ええ。親に勘当されたりもしているようですが、仲間も多く、好きなことに打ち込んでいて、理想的な毎日を送っているんじゃないでしょうか」
「それを言ったら、あの妖精の子だって。やたら無邪気で天真爛漫で恐れってものを知らなくて、誰からも好かれてる」
「本当に。あの位周りから好かれる子も、そうはいないと思いますよ」
「おまけに、妖精の中では郡を抜いて力を持っている存在だし。今日だって、あの魔理沙を相手にして、普通に勝ってるくらいで」
はあ、と二人揃ってため息。弾幕ごっこも終わり、静かになった周囲が、より陰鬱な気分を増長させる。
同じ人生だというのに、一体この差は何なんだ。そんなことを考えると、流石に落ち込まざるを得ない。
彼女たちには、多くの親友がいる。力がある。打ち込める物事がある。何処をとっても、非の打ち所があるようには見えない。
一方の私にあるのは、ちっぽけな嫉妬心。さとりには相手の心を読む能力があるが、どっちみち、そうそう好かれるものではない。
はたしてどちらがいいかなんて、そんなの、比べるまでもないではないか。
「あいつらは、私たちにとっては眩しすぎるわね……。眩しくて、いちいち妬ましいなんて、言ってみるのも馬鹿馬鹿しくなるくらい」
「本当です。私たちが持っていないものを、彼女たちは沢山持っていますから」
さとりの言葉に、私もこくりと頷く。
吹き抜ける冷たい風が、一際体に染みるような気がした。
悔しさやら、寂しさやら。
こんな事実に気付けば、そういった諸々の感情が起き上がってきそうなものだが、残念ながら私にはそれもない。
そんな感情は、鬼になった時に捨てた。逆に、そんな感情を持ったままでは、とても鬼になどなれない。今持っているものは、諦観と虚しさだけだ。
俯いたままそんな事を思っていると、さとりが何かを呟き始めた。
「……でも、ですね」
「? 何よ、さとり」
「さっきの謎かけ、覚えてますか?」
「ああ、『人生とかけて潜水艦と解く』ってやつ?」
「そうです。その心は『センボウキョウもあるでしょう』……パルスィさんは、これが分からなかったんですよね?」
「ええ。どうせ考えたって分からないから、放置してたのだけど」
唐突に変えられた話題に、私は眉を潜める。
何故、今その話が出てくるのだろうか。
そんなことを疑問に思いつつも、私はとりあえずさとりの問いに頷いてみせる。
すると、さとりは珍しく、にこりと微笑みを浮かべた。
「この謎かけは『潜望鏡』と『羨望、今日』というのが引っかかっているんです。潜水艦には、潜望鏡がある。一方で人生には、今日も明日も明後日も、常に誰かへ対しての羨望がある。そういう気持ちは、誰にでも、必ずあるはずなんです」
「……何が言いたい訳?」
「魔理沙さんたちも、私たちも、同じなんじゃないでしょうか」
「同じ?」
さとりの言葉があまりに意外で、私は目を丸くした。
それはそうだろう。あんなに眩しい笑顔を見せていた魔理沙たちと、日陰でひっそりと生きる私たちの、何が同じだというのか?
「私たちとあいつらじゃ、性質からしてまったく違うんじゃないの?」
「そう思うでしょう」
「そりゃ、ね」
「でも、今日私たちが彼女を羨んでいたように、前に魔理沙さんを宴会で見たとき、彼女は霊夢さんに対して、たしかな羨望を抱いていたんです」
「霊夢に?」
「ええ。彼女がじーっと霊夢さんの方を見ていたものですから、いけないとは思いつつも、ちょっと心を覗かせて頂いたんです。『いいなあ、霊夢は。あの鋭い勘と圧倒的な強さは、流石に私も真似できないぜ』だそうですよ」
「へえ。あの子がねえ」
「チルノさんもそうです。レミリアさんを見て『あたいもいつか、こーまかんみたいなでっかい家に住みたい!それで、咲夜みたいな立派な従者から『おじょーさま』って呼ばれるんだ!』なんて考えてまして。可愛いなあと思って、笑っちゃいました」
そう言うと、さとりはさも可笑しそうに、クスクスと笑ってみせる。
「だから、同じなんです。誰かが羨ましい、あんな風になりたい、なんて常日頃考えてる時点で。私たちも、あの子達も」
「……そんなに、単純なものかしら。要は、満たされていない人も、一見満たされてる様に見える人でも、常に何かを欲してるって事?」
「そうです。案外と、そんなものですよ。……それとですね」
「何よ」
「この謎かけには『センボウキョウ』の他に、もう一個答えがあるんです。人生とかけて、潜水艦と解く」
「その心は?」
「沈むことも多いですが、いつかは必ず浮き上がってくるでしょう」
「……」
「言い得て妙だと思いませんか?それに、そういう風にでも考えなきゃ、長い人生やっていられないでしょうし」
「……沈みっぱなしの私には、関係のない話だわ」
上手い事を言うなあと思いつつも、それを素直に認められなくて、私はプイと顔を背けた。
だが、さとりは笑みを崩そうともせずに「そうでしょうか」と返してくる。
「現に、私から見たパルスィさんは羨ましい存在です。勇儀さんやヤマメさん、キスメさんみたいに、親友だって多いですし」
「ヤマメとキスメはともかく、勇儀は鬱陶しいだけよ!」
「自慢じゃないですけど、私だって、結構羨ましがられたりするんですよ?レミリアさんからは、よく、妹と仲良くなる方法についてアドバイスを求められます」
「……それに答えられるほど、仲良かったっけ?あんたとこいしって」
「失礼な。夜は一緒のベッドで寝る仲ですよ?」
「な!?こ、この変態!」
「……別に、貴女が今考えてるような、やましい事はしていませんよ。本当に、ただ一緒に寝てるだけです」
顔を真っ赤にする私に対し、さとりは呆れたような目を向けてくる。
うう、はめられた。悔しい。よく考えたら、こんなヘタレなさとりが、妹に手を出せるわけがないじゃないか。
「余計なお世話です。さて、そういう訳で、私はそろそろ行きますね」
「あ、待ちなさいよ、こら!」
「はいはい。……大体、貴女だって、いつまでも勇儀さんに手を出せないヘタレじゃないですか。人の事なんて、言えたもんじゃないですよ」
「うっさい!!」
私の怒号になど聞く耳持たずとばかりに、ひらひらと手を振りながら去っていくさとり。
あいつと話していると、いつもこうだ。何だか悔しくて、私はしばらく歯噛みしながらさとりの後ろ姿を見送った。
「適当なことを言ってくれるわよね……私たちとあの子たちが似てるとか、そんなわけないじゃない」
『バタン』と地面へ横になりつつ、私は呟く。
頭のいいやつというのは、人のあしらい方まで上手いから困り者だ。
特にあいつの場合は、読心術を駆使した会話で相手を自分のペースに巻き込み、最後は煙に巻いてしまう。どうやったって、嫌われるはずだ。
それに、自分だって今まで散々苦労してきたくせに「いつかは浮き上がる」も無いものだろう。世の中は、そこまで人にも妖怪にも優しいものじゃない。
あいつだって、そんなことはよく分かっているはずなのに。
(それでも……少しは、そう思ってみないと、ダメなのかしらね。最初から諦めてたんじゃ、浮かべるものも浮かべない……)
誰もいなくなった草むらで、私は一人、さとりからかけられた言葉を振り返る。
浮き上がるのがいつになるかなんて、誰にも分からない。
もしかしたら、そんな日は生涯訪れないのかもしれない。
けれども、初めから浮かぶ気もない潜水艦は、永遠に水底へと沈んだままだ。
(一度思いっきり沈んでるわけだし、浮かび上がるのは、そんなに簡単なことじゃないんでしょうけどね。それでも、私だって、きっといつかは)
はあ、と大げさなため息を一つつき。
ごろりと寝返りをうちながら、私は珍しく(ちょっとはあいつに感謝しないとね)などと高尚なことを考える。
他人に対してこんな感情を抱くのは、いつ以来だろうか。もちろん、感謝の言葉を口に出すような真似は、絶対にしないけど。
(だって、『あんたの言葉を聞いて、少し救われたわ』なんて、口が裂けても言えないわよねえ)
想像するだに、ぞっとしない事態だ。
もし、口が滑ってそんなことを言ってしまえば。というより、そんなことを思っていること自体を知られてしまえば。
さとりはおそらく、それをネタにして、しばらくの間からかってくるだろう。
どんなに気にしないフリをしたとしても、あいつには通じないのだからタチが悪い。
「そういえば、以前の謎かけの話ですが」なんて振られて、あいつはニヤニヤと私の反応を見て楽しむに違いないのだ。
(そんなのは御免被るわよ、絶対。まったく、面倒なやつなんだから)
「こんな気持ちがバレてたまるか」と、決意を新たにして。
ふと、空を見上げてみる。先程まで太陽を覆っていた雲は何処かへと行ってしまい、また暖かい日の光が差し込んできた。
風も止み、気候は先程までよりも一層、穏やかなものとなる。
歌うような声に振り向けば、夜雀が気持ち良さそうに飛んで行く様子がうかがえた。
「……本当、妬ましいわね。毎日、この日差しの下で生活できる連中が。眩しい太陽が。流れていく雲が……」
(ああ、結局こうなるのか)などと思いつつ。
先程までと何も変わっていない自分に苦笑して。
それでも、その方が自分らしいと、目に映るもの全てに、相も変わらぬ妬ましさを覚えながら。
私はまた、一人ぼんやりとした時間を過ごすのだった。
配役素敵でした。
人生=潜水艦って何それ?って最初思ったけど納得!
流石の説得力です。ビシッ お嬢様
緑の文字色はパルスィの視点を表しているのですね。青い空は何色に見
えるか!?て感じのお話でございました。ビシッ 冥途蝶
おねいさぁんなさとりさんがヨカッタです。私も毎日目に映る全ての人
にパルパルしてます!さとりさんに励ましてもらいたいです。ビシッ
超門番
いつか、彼女が自分自身を羨めるくらいの幸せに囲まれますように。
とか思ったけど沈んだら浮き上がる、か。なんか元気出ました!