Oh flying in the sky
Fly away, high away
He shows me the way
He calls my name from far away
『BLACK FLYS』/NICOTINE(アルバム『ADDICTIVE SHOT』)より引用
※
ブラック・フライズは私のスーパーヒーロー。
この名前は、私が勝手に付けた。彼女の名前を、私は知らないから、私は自分の中でだけこっそりこう呼んでいる。ブラック・フライズ。
誰にも言ったことは無いけど、この時私は鮮烈に彼女に憧れていた。
ブラック・フライズは私のヒーローなのだ。
誰にも言ったことが無い、と言うより、周りの大人たちはみんな彼女のことになると嫌そうな顔をするのだ。
だから正確には、誰にも言えたことが無い。特に私の親なんかは、隠そうともしないくらい顔をしかめるのだ。
なんであのカッコ良さを解ってくれないのかが解らない。
パパだけは嫌な顔はしていないが、なんだか複雑な表情だ。眼鏡の奥の目が、笑っているような気だけはしたけど。
夜の幻想郷の空を我が物顔で飛ぶ。まるで自分が夜空の主人のような顔で。
黒い装束を身に纏い、月の光に映し出される彼女は、バックライトを浴びて黒く輝いているようで、堪らなくカッコいい。
星屑を散らし、流星のように流れるその姿に、一発で心を奪われた。
彼女はそれだけで、全ての女性が美しいことを教えてくれるかのようだ。
こんな私でも、ただひたすらに憧れる。
彼女と会った夜が明ける。
太陽が昇り、次の朝が来ても、私はご機嫌だ。
誰かの背中ばかりを眺める私にも、新しい友達ができたのだ。
ブラック・フライズ。私の、私たちのスーパーヒーロー。彼女は今夜も、幻想郷の空を横切る。
妖怪たちと戦っている姿を見たことがあったが、その姿も私をハイにしてくれた。
人間の彼女が、妖怪や吸血鬼や、他の人間たちが敵わないような相手を前に堂々と戦う姿は、私に教えてくれるようだった。
「人間でも、妖怪たちには負けないぜ」彼女 はニカッと笑って、そう言うんだ。
太陽が昇り、次の朝が来ても、私はご機嫌だ。
月が輝き、次の戦いが始まれば、私にまた新しい世界を見せてくれる。
あのカッコよさを、貴女も知るべきだ。
あのカッコよさが、貴女にも解るはずでしょう?
空を飛ぶ。遠く、高く。
屋根を越えて、鳥よりも速く、星屑たちと戯れるみたいに。
彼女はそうやって、私に道を示すんだ。
遠く、遠くから、私の名前を呼んで。
「おいで、魔理沙」
太陽が昇り、次の日がくれば私はご機嫌だ。
月が輝き、次の戦いが始まれば私にまた新しい世界を見せてくれる。
あのカッコよさを、ママも知るべきだ。
あのカッコよさが、ママにも解るはずでしょ?
空を飛ぶ。遠く、高く。
雲すら突き抜け、天狗よりも疾く、月まで手を伸ばせそうなくらい。
彼女はそうやって、私に道を示すんだ。
遠く、遠くから、私の名前を呼んで。
ブラック・フライズ――
――黒装束で幻想郷の空を舞う、人間の魔法使い。
私が憧れてやまない彼女。
そして太陽が昇り、次の日が来れば、私も彼女のように飛べるようになってるんだ。
箒に跨り、颯爽と。幻想郷の空を、所狭しと。
私が未来に直面したら、彼女は先陣切って飛んでくれるはずだから。
いつものあの笑顔で、「行こうぜ、魔理沙」そう言って、月の光を浴びながら。
※
「いよう、香霖。相変わらず老けないな。憎たらしい男だぜ」
「やぁ、魔理沙。君はすっかり老け込んだね。幾つになっても生意気な女の子だ」
二人は笑いながら憎まれ口を叩き合う。もう数十年になる付き合いの二人に、余計な遠慮は無縁だった。
「年月ってのは恐ろしいもんだぜ。あの陰気な店主に嫁と娘ができるとはな。さらに人間の里に出戻りたぁ、立派な笑い話だ」
「君が年を取るのと同じくらいには、自分でも驚いてるよ。我ながら笑えるね」
ふん、と鼻で笑いながら、魔理沙は口の端を持ち上げる。深く刻まれた皺が、どうしようもなく楽しいと言わんばかりだった。
「そこでできた子どもに、“魔理沙”って名づけるセンスこそ笑えるがな」
その言葉に、霖之助も肩を竦めながら鼻で笑う。半分妖怪である彼でもそれなりに年を取った。その顔が、やはりどうしようもなく楽しげだった。
「これなら、いつかいなくなる君を、忘れずにいられるだろ?」
二人はその言葉に、大きく笑った。
「未練がましい男だぜ、まったく。嫁に知られた暁には盛大に怒鳴られろよ?」
「もう知ってるよ。だから家内は君の名前が出るたびにヒステリックで大変だ」
「そこに至って、私が“魔理沙”と一緒になって夜遊びしてるとなっちゃあ、私は殺されるかもしれんなぁ」
「僕は止めないけどね。あの子のやりたいようにやるのが一番さ」
「無責任な親だぜ」
「僕に人の親をやれって方が無責任なのさ」
「はっ、違いない」
また二人は大きく笑い出す。
夜の闇に、二人。月明かりが照らす。
「まったく、笑える。何もかも笑えるよ。さすがは幻想郷だぜ」
魔理沙はまだクスクスと笑っている。年老いた魔女は、笑ったままにガサガサと懐を探る。
「コイツを“魔理沙”にやるよ。渡してやってくれ」
「これは……ミニ八卦炉。っていうかまず僕に返しなよ」
「なんでオマエに。これは“私”が“魔理沙”に貸すのさ。死んだら返してくれ、ってちゃんと伝えておくんだぜ?」
ケラケラと笑いながら、しなびた手に乗る八卦炉を差し出す。
“魔理沙”から“魔理沙”へと。
「君が渡した方が喜ぶだろうに」
「だろうがね。私はしばらく森に隠居するよ。アリスと研究でもして過ごすさ」
魔理沙はそう言って、颯爽と背中を見せる。
「ヒーローはいつも颯爽と現れて、颯爽と消えてゆくのさ。私はきっかけを与えた。これから“魔理沙”をやるのはあの子だぜ。悪魔にでも師事して、魔界にでも遊びに行って、勘当でもされりゃ、立派な魔砲使いになるだろうよ」
ニカッと笑い、箒に跨り浮かび上がった。
その姿がかつての魔理沙とフラッシュバックする。
妖怪も亡霊も神も悪魔も恐れず、好奇心の赴くままに幻想郷の空を舞った彼女。
揺れる金の髪。輝く金の瞳。無邪気な笑顔。
何もかもがあの頃と同じで、何もかもがあの頃とは違っている。
「――また今度、魔理沙」
「――あぁ、またな、香霖」
短い挨拶だけを交わし、魔理沙は夜の空に飛び込んでゆく。月の光が映す彼女の姿は、確かに黒く輝いているようだった。
霖之助は手にした八卦炉を眺める。
彼は、これを間違いなく“魔理沙”に渡すだろう。
やはりコレは“魔理沙”の手にあるのが、一番収まりがいい、なんてことを考えながら。
“魔理沙”が幻想郷の空を飛ぶことを、想像しながら。