**氷の世界**
雪に覆われた庭園が好き。
真っ白く塗り潰されたみたいなところが好き。
何もかもを埋め尽くす、白。白。白。
太陽の光を弾いて、きらきらと輝いて。
その強欲なまでの美しさが――けれども清涼さを感じさせるしたたかさが――私は好き。
三階の窓から眺めた視線の先に、美鈴の姿を見つけた。
ああ、こんな時でも、庭の手入れは欠かさないのね。
足元に咲いているのは、あれは水仙かしら?
庭園で働く美鈴の姿を見るのが、日々の楽しみとなっている。
花と向き合うひたむきさが、とても好ましい。
こんなに寒い時でも、春に向けて、色々やる事があるのでしょうね。
ああ、でも、どうしてかしら……。
……春なんて、来なければ良いのに。
ザ・ワールド。
時を止めて、氷の世界に貴女を繋ぎとめておく事が出来たなら。
貴女は花が恋しくて泣くのかしら?
色のない世界を嘆くかしら?
自由を求めて、闘いを挑んでくるかしら? 私に。この私に。
(それとも、世界を、私と共有してくれるのかしら……?)
美鈴の後ろ姿に合わせて、コツン、と指で窓を叩いた。
世界中の花を見せたいのだと、貴女は言った。
(そして彼女は、たくさんの花を育てた)
目の覚めるような、美しく、色鮮やかな弾幕を見せたいのだと、彼女は言った。
(そして彼女は、香り立つ花のスペルカードを作り上げた)
私には到底描けない色のある世界を、貴女はいとも簡単に作り出してゆく。
貴女から生み出される、色、花、世界、命。
コツン、コツン、と、いま一度窓を叩いた。
……ねえ、そろそろ気付いて。
花ではなく、色ではなく、
世界も命も生まなくていいから……
――ああ、振り返った。
「――咲夜さん!」
私に気付いて、綻ぶ顔。
まるで咲き誇る花のような鮮やかな表情に、目を細める。
微笑み返すと、ああ、なんて嬉しそうに笑うんだろう。
――ずくり、と胸の奥が疼いた。
この笑顔を、私以外の者にも向けているかもしれないなんて。
――そんな事、許せるわけがない。
ザ・ワールド。
今度こそ、時を止めた。
窓を開け放ち、窓枠を蹴る。
空間をいじれば、貴女はすぐそこ。
冷たい空気を切り裂いて、貴女へと堕ちていく。
……ねぇ、花も色もいらないから、
私はただ、貴女が欲しい――。
色のない氷の世界に、そっと美鈴を閉じ込めた。
固く凍りついた時を動かすまで、もう少しだけ、このままで。
**花**
花を育てたい。
花が好きで好きで堪らなくて、だから花を育てたかった。
ただ、それだけだった。
だけど今は、育てなきゃ、に変わっている。
沢山育てなきゃ、もっともっと美しい花を。
庭園を花で埋め尽くさなきゃ、もっともっと、色鮮やかに。
そうしないと、あの人に見てもらえないから。
見てもらいたいから、咲夜さんに。
咲夜さんは、私にとって、夜空に浮かぶ月のような人で。
孤高で、気高くて、美しくて。
妖怪である私では、全く釣り合わない存在。
手を伸ばしたところで、とても届かない。
もちろん、手を伸ばしてくれるはずもない。
だから、私は育てなきゃいけない。
目を引く花を咲かせなきゃいけない。
三階の窓から時折庭園を眺める咲夜さんの視線を、一秒でも長く繋ぎとめておきたいから。
宵闇の灯りの下に咲く、艶やかな娼婦のように。
美しい花で、あの人の目を惹きつけたい。
……ごめんね、と、足元で咲く水仙に言った。
醜い欲望のために育ててしまって、ごめんなさい。
純粋な、好き、っていう気持ちだけで育てられなくなってしまって、ごめんなさい。
でもね、同時に、どうしようもなく羨ましいんだよ。
美しく花を咲かせる貴女が憎いの、憎くて仕方ないの。
だって、貴女は咲夜さんの視線を繋ぎとめることが出来るんだから。
――馬鹿みたい。
ふいに、じわりと涙が滲み出てきて、慌てて空を仰いだ。
ゆらゆらと揺れる視界に、透明な青が飛び込んでくる。
咲夜さんの、瞳の色。その色を見せたくなくて、水仙を影に隠した。
……ああ、本当に馬鹿みたい。
育てたのは、他ならぬ私だっていうのに。
ふいに感じた視線に振り向けば、三階の窓に咲夜さんの姿を見つけた。
ああ、きっと水仙を見ているんだ。
良いなぁ、水仙は。咲夜さんに見てもらえて。
見て。
ねえ、私も見て――!
懇願にも似た思いで見つめたら、かちりと目が合った。
「――咲夜さん!」
反射的に叫んでいた。
視線を向けてくれた事が嬉しくて、自然と笑みが零れてしまう。
……あ、どうしよう。微笑んでくれた。
嬉しい、胸が締めつけられるくらい、嬉しい。
どきどきどきどき、鼓動が高鳴る。
ねぇ、お願いです。
見て。もっともっと、私を見て。
私だけを見て。
(――ああもういっそ、その手で手折ってくれたなら……!)
「美鈴」
一瞬の後、ごく間近で声が聞こえた。
続いて受ける強い抱擁。咲夜さんの、におい。
「何――?」
驚きと同時に理解する。
咲夜さんに、力を使われたのだと。
時を止めて、空間を捻じ曲げて来たのだと。
――手折られる。
そう思った瞬間、強くしがみついていた。
バランスを崩して、足元の水仙を踏み潰す。
くしゃり、と柔らかな感触。
その感触に罪悪感が募るのに、同時に優越感も湧き上がる。
選ばれた、ような、そんな浅ましい満足感が込み上げてくる。
「……ねえ、貴女をちょうだい?」
囁かれた言葉に、しがみつく事で応えた。
これは、夢……? 月が、ここまで堕ちてきたの?
それとも、浅ましく手を伸ばす私を、攫いに来たの……?
「あげます、あげるから、早く手折って」
衝動のままに乞う。
痛いくらいに、咲夜さんの拘束が強くなる。息が苦しい。
ふ、と微かに漏れた笑い声は、暗く、熱く、酷く淫靡で。
手折られる予感に、全身が震えた。
(……手折って、手折って。早く手折って――!)
高揚とした思いのまま、それだけを願った。
後は枯れるだけだとしても、水さえ与えられなくても、貴女の手で手折られたい。