「バレンタインなのよ」
パルスィは言った。
「……へえ?」
霊夢は気のない返事を返した。
寒々しい朝の博麗神社、その境内である。
気だるげに昇り始めた太陽の光は博麗神社の鳥居に真っ直ぐに差し込んでくる。
太陽と鳥居を背に水橋パルスィは腕を組み、無表情に石畳に佇んでいた。
片や霊夢は寝起きで、しかも面倒な奴が来たと迷惑そうな顔を隠しもしない。
パルスィは霊夢が「へえ」としか答えなかったので、話を続けた。
「バレンタインというのは」
「知ってるわよそのくらい」
霊夢は気分を害したように話を遮った。
べつにバレンタインの意味が分からなかったから固まっていたわけではない。
「宗教的な意味で? 商業的な意味で?」
「両方。どこかの神父が死んだ日ってのと、それが転じてチョコを渡す日なんでしょ」
「知っているなら話は早いわね」
「早くない」
パルスィは首をかしげた。
「そうかしら?」
「ええ、今日がバレンタインだって事と、アンタの要求の繋がりが分からないわ」
霊夢はパルスィを睨みつけた。
「なんで結界を緩めて、アンタを外界に出さなきゃいけないわけ?」
そう、パルスィの要求は単純だった。
朝一番にやってきて霊夢を叩き起こし、開口一番に外に繋がる道を開けろと言ったのだ。
そして理由を尋ねたら、「バレンタインだから」である。
「博麗大結界は幻想郷に妖怪を隔離するものよ。そこから妖怪が出て行こうとするのを、博麗の巫女が見逃すと思う?」
「大丈夫よ、明日には帰ってくるもの」
「お出かけ!?」
そう簡単に行き来できないように結界を張っている、という明快な理由をガン無視である。
「そう、お出かけよ。今さら外の世界に興味もないもの」
「じゃあなんで幻想郷から出たがるのよ?」
「今日じゃないといけないのよ」
「はあ?」
「バレンタインは恋人たちの日よ。あるいは虚栄心の競技かしら」
「日本語で」
「まずはチョコを貰えるかどうか。誰が誰に与え、貰ったか。次は幾つ貰ったか、形は、大きさは?」
パルスィは淡々と列挙する。
「簡単に言えばね、バレンタインは敗者の多い競技なのよ」
「まあ……目に見える結果も出ちゃうしね」
ひとつもチョコを貰えなければひとつ貰った相手に嫉妬する。
ひとつチョコを貰えば二つ貰った相手に嫉妬する。
十個も二十個も貰えば他人を妬む気分は生まれないかもしれないが、それだけ貰えるのは日本全体で何パーセント程度なのか。
「この日、日本は嫉妬で充満するわ」
「それが理由?」
霊夢はふと、多々良小傘の顔を思い出していた。
妖怪は人間を食べるが、それは肉だけではない。感情を食べる妖怪も多く存在する。
パルスィもそれの類で嫉妬の感情を食い散らかすタイプなのだろう。
「バレンタインは私にとって見れば24時間バイキング。嫉妬食べ放題、甘露飲み放題のスペシャルイベント」
「無表情で言わないでそれ」
「結界一枚隔てた所に、そんなグルメが転がっているなら、行きたくなるのは道理でしょ?」
そこに山があるから、とでも言うような口ぶりだった。
そういえばクリスマスの日も神社の近くを怪しい人影がうろついていた気がする。
霊夢は額に手を当てた。
「妖怪のお出かけのために結界を解除する巫女がどこに居るか」
「何事も先達って偉大よね」
「嫌よそんなフロンティア精神」
「別に嫌でも構わないわ。弾幕ごっこで勝てば言うことを聞かせられるのよね」
あのねえ、と霊夢は呆れた声を出す。
「決闘を受けないって選択肢もあるんだけど」
弾幕ごっこは「遊び」である。
勝ったほうの言う事を聞くというルールはあるが、無制限ではない。
負けたら死ねだの家を寄越せだのと言っても、ヤだよそんな遊び、でいいのである。
「賭けが不成立じゃ勝負にならないわね」
紫が茶々を入れるが、パルスィは無視して思案げに眉を寄せる。
「それは想定外ね。……せっかく新しいスペルも用意してきたのに」
「たとえば?」
パルスィは懐から拳サイズの大きさの物体を取り出した。
リンゴのような形をしていて、オリーブ色で、キーホルダーのようなピンが付いている。
「ジェラシーボンバーよ」
「M67手榴弾にしか見えないんだけど」
「リア充爆発しろ! と叫ぶ。ピンを抜く。三秒数える。投げる。すると爆発するのよ」
「たぶん叫ぶ必要ないわ、それ」
「他にもあるのよ」
パルスィは言いながら自称ジェラシーボンバーを懐に収める。
そして代わりに腰に差していたコルト・ガバメントを引き抜いた。
銭型警部の拳銃と言いたい所だが、残念なことに91年の復刻版である。
「こっちはジェラシーガン。叫ぶ、引き金を引く、相手は死ぬ」
「絶対叫ぶ必要ないわ、それ」
紫が何気ない動きでパルスィに歩み寄り、ひょいと自称ジェラシーガンを取り上げた。
「これは没収」
「妬ましいわ」
「どうせ拾い物でしょう。幻想郷にこの手のものは持ち込み禁止よ」
紫が腕の中でガバメントをくいと捻ると、あっと言う間にフレーム、スライド、マガジンに分解。そのまま手を離し、銃の部品はスキマに落ちていく。
霊夢は紫にジト目を向けた。
「幻想郷の銃器はちゃんと管理しときなさいよ。ちょっと前にチルノがショットガン手に入れちゃって二面で死人がごろごろ出てたでしょ」
「リロードの概念がない妖精で良かったわね」
「ところで紫、いつから居たの?」
「六十行目あたりから。気付いて無視してるんだと思ってたわ」
「私は気付いて無視してたけどね」
「私もアンタを無視しときゃ良かったと心から思ってるわよ」
霊夢のジト目が紫からパルスィにスライドする。
「無視しても構わないけれど、外の世界に出してくれないというのならここに居座るわよ」
「お茶用意しなきゃね」
「お掃除ができないわ」
カラカラ笑う紫とため息をつく霊夢。
「あんまり嫌がらないのね」
「どうせバレンタインが終わったら帰るんでしょ。お天道さんの下に長々居たいタイプじゃないだろうし」
「む」
「制限時間いっぱい逃げきるのは慣れてるのよ」
霊夢は肩をすくめた。
結界は開かない、勝負も交渉も受けないとなればパルスィも引き下がるしか無いだろう。
「まいったわね」
パルスィはそう呟いてから、ふと気がついたように紫を見た。
毒にも薬にもならない感じで胡散臭く笑っているが、この妖怪は境界操作にかけては幻想郷一である。
「あなたは私を外の世界に送ることできる?」
「できるとしたら?」
「別に無差別に人を襲おうってわけじゃないわ。ただちょっと食事がしたいだけなのだし、お目こぼししてくれない?」
「目こぼしねえ」
「ついでにちょっと出口でも作ってくれれば嬉しいわ」
「嬉しがらせてどうするってのよ……」
霊夢がゲンナリ呟く。
紫はというと、思案げにパルスィを見つめると、おもむろに扇子の先で空をなぞった。
まるでよく切れる包丁で裂いたように空間に切れ目が走り、スキマが広がる。
「このスキマに飛び込めば外の世界に繋がっているわ」
「最初からそうすればいいのよ」
「ただし、望み通りにはいかないわ」
紫は扇子を広げ、口元を隠した。
「?」
スキマに飛び込もうと手をかけたパルスィが首を傾げる。
「これに飛び込んだら、出口は十六歳の冴えない男子高校生の三十センチ頭上よ」
「あ?」
「ぶつかった拍子にちゅーくらいしちゃうかもしれないわね」
「あの、ちょっと何言ってるか分かんないです」
パルスィのツッコミを無視して紫は滔々と続ける。
「そして始まる冴えない男子高校生といきなり空から振ってきた女の子との同居生活ね」
「いや、それ私のこと?」
「幻想郷に帰れないのだから仕方ないわね」
「いや帰してよ」
「そして三つ編み眼鏡の幼なじみと空から振ってきた女の子の間で揺れ動く男のラブコメ時空に捕らわれるのよ。オプションで先輩と委員長と妹も付くわ」
想像してみたのか、パルスィは首筋に浮かんだ鳥肌を掻きむしった。
懐から手榴弾を取り出し、ピンを抜く。
「リア充爆発しろ!!」
スキマにジェラシーボンバーをボレーシュート。
「冴えない男子高校生はいきなり空から振ってきた手榴弾とぶつかって爆死を遂げるわね」
「ジェラシーボンバーも本望だわ」
パルスィは渋い顔でスキマを脇へどけた。
紫がひょいとそれをつまみ上げ、洗濯物にでもするように四つ折りに畳んでしまう。
「で、そろそろ諦める?」
「諦めろと言われたら、諦めたくなくなるのが人情。もうこうなったら強引に行くわ」
そう言ってパルスィはくるりと本殿に向き直った。
結界関係のものは本殿にあるだろうという見当である。
さすがに妖怪を本殿に上げるわけにはいかないと霊夢は札を構えようとする。
パルスィが足を踏み出そうとする。
紫がひょいと扇子を振る。
ピッと地面に亀裂が走った。
パルスィが足を下ろした先に、ちょうどいいタイミングでスキマが開いた。
「あ」
前のめりに倒れるように、パルスィの体がスキマに沈んだ。
あーあ、とスキマを覗き込んで呟く霊夢。紫は肩をすくめてスキマを閉じた。
「どこに送ったの?」
「地底の一番深くまで。上がってくる頃には日付も変わっているわ」
「いったいなんだったのかしら? 今の」
「お腹が空いたから上がってきたんでしょ。パンを求める民衆のデモだと思えばタイムリーなんじゃないかしら」
「ヒグマが里に下りてくるノリね」
「人間のすみかと動物のすみかの境界。人間のすみかと妖怪のすみかの境界」
「ここはだいぶあやふやね。アンタみたいな妖怪が来るせいで」
「お茶くらい出してくれてもいいのよ」
調子に乗るな、と霊夢は紫を小突く。
「そもそも、アンタはなんでここに居るのかしら」
「哲学的ね」
「だってアンタ、冬は冬眠なんでしょ?」
「そうね」
「何しに来たの?」
パルスィをからかうために来たわけじゃないんでしょ、と霊夢は言う。
紫はそうね、と頷いた。
「バレンタインなのよ」
「……へえ?」
おもむろに取り出したカラフルな包みを霊夢に差し出し、紫はにこりと笑った。
「だからチョコを渡しに来たの」
<了>
○博麗
×幻想卿
○幻想郷
ラブコメあたりがなんか楽しくて好きです。
よろしければ私の嫉妬心もいかがかな?
バレンタイン爆発しませんかねぇ~
なるほど、愛のために冬眠さえも中断とはすごいな