遠くから時計の鐘の音が響いてくる。
音に誘われ見上げてみれば、闇夜に浮かぶ大時計は12時を示していた。
ああ、もうそんな時間だったか。
よいしょ、と声を出して立ち上がる。
最近、日課になった月光浴はひとまずここまで。
約束に遅れるのは悪いことって言われてるしね。
待ち合わせ場所に急ごう。
ぐいっと一度伸びをしてから、私――フランドール・スカーレットは、寝転んでいた紅い屋根瓦を蹴って、その身を宙へと投げ出す。
目的地はこの紅魔館の敷地の反対側。
歩いて行くなら、30分はかかってしまうだろうけど飛んでいけばすぐだ。
自慢の宝石の翼を広げて、屋敷の空を目標めがけて一直線。
眼下を流れる紅い回廊。
紅の色彩に偏った花園。
何から何までほんと紅いなぁ、なんてどうでもいい事が思い浮かんだ。
そして、目的地が見えてくる。
この紅魔館では数少ないテラス。
着地地点に向けて、急降下。
ふと思い立って、捻りなんて加えてみたりして。
横向きに一回、二回、おまけにもう一回くるくる回転を加え、着地の間際に前方向にもぐるんと一回転。
そして、ビシッと両足で着地を決めてみせる。
うん、格好良くない? コレ。
思わず、にんまりと笑顔が浮かんでしまう。
ぱち、ぱち、ぱち。
と、手を叩く音が響く。
「……見事な体捌きと関心はするけどね。はしたないわよ、フラン」
「でも格好良いでしょ?」
「格好良いわ。ただ、スカートでやるのは止しなさいな。下着が丸見えじゃない」
「私は気にしないけど」
「私が気にするわよ。条例で規制されたらどうするのよ。最近は厳しいのよ」
「何言ってるのかわかんないよ」
相変わらず難しい事ばかりを言う。
で、そんな会話を交わすのは私の姉。この館の主である所のレミリアだ。
やたら意匠の凝ったテラステーブルに肘を付き、呆れた視線をこちらに向けている。
そして、12時ちょうどにと待ち合わせていた相手でもある。
先ほどから鳴り響いていた時計台の鐘がようやく12回目の音色を響かせた。
待ち合わせ的にはギリギリセーフって感じ?
まぁ、正確には何十秒かの遅刻って事になるんだろうけどさ。
遅れた事に何か言われないかと、ちょっとビクつきながら、テラステーブルの対面の席に付く。
「……」
「……」
うーん、お互いに言葉が無いなぁ。
「……ねぇ、フラン」
「な、なに?」
「そういえば、まだ言ってなかったわね。おはよう」
「あ、うん。おはよう、お姉様」
真夜中におはようってのも人間から見たら奇妙らしいけどね。
でも私たち吸血鬼だし?
で、再び会話が途切れてしまう。
うーん、困ったことに、ほんと話題が見つからない。
これじゃ、わざわざお願いして待ち合わせた意味が無いなぁ……とは思うには思うのだけれど……。
そう、何を隠そう、こうして時間を合わせて集まっているのは私の発案、というよりはお願いによるものだったりする。
いつぞやの騒動以来、地下から出てくる機会が多くなった私だけれど。
唯一の肉親である姉とは何百年って単位でまともに会話をしてこなかった。
それを一般には不和というらしい。
和やから不。
仲が悪い。
すなわち不和。
外の世界に触れて初めて知った事だ。
私は姉の事は決して嫌いじゃない……どころか、好きのに。まぁ、姉がどう思ってるかは知らないけど、そんな事関係無いじゃない? 私はお姉様が好き。
それ以上でもそれ以下でも無い。
そもそも、会話が無かったのだって、会話の必要性を感じ無かったからだし。
好きって気持ちがあれば、行動なんてどうでもいいと思うんだけどなぁ。
まぁ、世間一般ってやつはそうじゃないらしいしね。
外に出ようというなら、一般常識ってやつを勉強しろってのは、姉の言葉だ。
だから、がんばって勉強するし、身につける。
その勉強の一環として、家族の会話ってのをやってみたくて、こうして何日かに一度、待ち合わせ時間を決めて、一緒に過ごす時間を作ってもらってるんだけど。
「……お姉様?」
「何かしら」
「月がきれいね」
「そうね」
うーん、会話がほんと続かない。
時々図書館で見かける白黒いのに相談してみたところ「会話のコツはタチツテトだぜっ!」とか言ってたけど、意味わからなかったし。
辞書で調べても載ってなかったしね。
と、そんなこんなで困り果てる私の元に助け船がやってきた。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
両手にティーセットを抱えて現れたのは、この館のメイド長、咲夜だった。
思わずホッと安堵のため息が漏れる。
身の回りの世話をしてくれてるだけに、咲夜との会話経験は姉よりずっと多い。
それはきっと姉から見ても同じ事だろう。
これでいくらか会話がしやすくなるかな?
あれ? でも変だな。
咲夜には今日の12時にこのテラスで姉と待ち合わせる事は伝えていた。
普段なら、待ち合わせ時間ちょうどになるとティーセットをもって現れるのに。
ふと抱いた違和感。
まぁ、咲夜だって時には遅れる事もあるか。
そんな感じで納得して、そんな些細な違和感は消えてしまった。
咲夜が私と姉の前に、それぞれ紅い液体をたたえたティーカップと、お茶請けをのせた皿を置いた。
焼き菓子とか、最近の姉の趣味に合わせてかお饅頭とか羊羹とかが最近多かったのだけれど、今日のお茶請けはケーキだった。
「あれ? このケーキいつもと違う感じだね」
これまた姉の趣味なんだろうけど。
普段出てくるケーキは、イチゴとかラズベリーとか真っ赤なものが多いんだけど。
今日のはなんか黒い。
濃密な黒色の段と、それよりは幾らか薄い段とかが交互に積み重なり、全体にこれまた濃い茶色のパウダーが振ってある。
なんだろう。
ココア味?
「ああ、そうか。そういえばそんな時期だったかしら」
「はい、ちょっと時節的な物に因んでみようかと思いまして、今日はこんなものを用意させていただきました」
姉はいつもと違う趣向のケーキを一目見てピンときたようだった。
時節的なもの?
「ふふ……私たち魔性の者に、聖人の記念日に因んだ物を出すなんてね。なかなか皮肉が効いているじゃない」
「なんでもこの国では、記念日には由来を気にせず楽しむのが”粋”であるとの事でしたので」
「ああ、それでこんな味付けなのね」
「この国ではコレを使うのが一般的らしいです」
「いいわね。”粋”ってやつね」
「お気に召したようで」
「ええ。さすがね、咲夜。良い仕事よ」
「ありがとうございます」
うーん、何だかすっかり置いてけぼりだ。
まぁ、それは良い。いや、良くは無いんだけど、重要度は低い。
こうして外から観察すると、実感できる。
なるほど、これが自然な会話ってやつか。
会話を言葉のキャッチボールなんて言い表す事があるらしいけど。
私と姉とじゃこれだけキャッチボールが続く事なんてまず無いよね。
それに、何て言うのかな。お互いが相手の言わんとしている事を、言葉にするまでもなく理解しあっているような、一体感というか。
これも、私と姉の会話には決して無いものだ。
うん、まさしくこういう会話をしてみたくて、こうして時間をとってもらっているのにね。
和。調和。
調和の無い関係。
すなわち不和。
やりたいのに出来ない。
なりたいのになれない。
ああ、確かにこれは不和っていうのだろう。
うん、ようやく実感した。
嫌いじゃないというよりは好き。
そんな姉とこんな関係しか気づけていない事がちょっと胸に苦しい。
そして、結局。
咲夜を挟んでもその後の会話はまるで続かず……。
これまでと同じように、まともな会話が出来ないまま、その日の会合は終わる事となった。
甘い、甘い味付けのケーキは、なぜかほんのり苦かった。
▽
で。
私は考えた。
考えに考え抜いた。
本来ならもう寝る時間だけど、眠いの我慢して、がんばって考えた。
それなりに長い年月生きてきたけど、その中でひょっとしたら、一番考えたかもしれない。
きっと、これが一番の方法だ!
「弟子入りさせてください!」
「は?」
私のお願いに、咲夜は何故だかポカーンと呆けた表情を浮かべるだけだった。
あれ?
何かを頼むときは、できるだけわかりやすく簡潔に。
自分の思いをまっすぐにぶつけるべきだって、人形を連れた魔法使いが言ってたんだけど。
通じにくかったのかな?
「師匠と呼ばせてください?」
「いえ、そういう事ではなく……」
「先生!」
「呼び方とかでも無く」
「むぅ」
これだから会話ってのは難しい。
どうやったら相手に気持ちを伝えられるのだろう。
言い方に悩む私に、咲夜は、まずは落ち着いてお話しましょうなんて声をかけてきた。
「まずは順を追ってお話ください。弟子入り……との事でしたが、何かをお学びになりたいのですか?」
「えーとね……」
なるほど。
まっすぐぶつけるだけでなく、順を追うってのも大事なんだね。
フラン、覚えた。
そして、一つ一つ、自分の思うこと。
最近の行動。
姉との不和な会話。
そういった事を順番に話していった。
「なるほど……」
「どうすれば、お姉様ともっと自然な会話ができるようになるのかな。それを教えて欲しいの」
咲夜は私のそのお願いに困ったような笑顔を浮かべた。
「私ごときが、妹様とお嬢様の会話でお教えできる事なぞとても無いと思うのですが……」
「だって、咲夜はいっつもお姉様とすごく自然に会話できるじゃない。お姉様だって楽しそうだし……私との会話じゃ絶対あんな風にならないし……」
思わず、尻すぼみの言葉になってしまう。
「……わかりました」
「ほんと!?」
「とはいえ、実際の所、会話というのは、誰かに教わって出来るようになるものではないですから、直接やり方という形でお教えする事はできないですが」
できないんだ。
思わず、気持ちがしぼんで肩を落としてしまう。
「ですが、切っ掛けになるお手伝いはできると思います」
「切っ掛け?」
「もし、私とお嬢様の会話に何か感じ入るものがあったのだとすれば、それは会話をこなした回数による差でしょう。」
「そうなの?」
「妹様がお嬢様を思う気持ち。お嬢様が妹様を思う気持ちは、私が抱く思いよりもずっと大きく、暖かなものです。何か切っ掛けさえあれば、きっと私よりもっとお嬢様と会話できるようになりますよ」
うーん。そうは言うけれど……。
その切っ掛けを探して、会う機会を増やしたりもしたけれど、効果無かったし。
「あら? そうですか?」
「え?」
「今日……といっても、もう昨日といってもいいかもしれませんが。昨夜お会いになられた時に、何かお話になりませんでしたか?」
「そりゃまぁ……。おはようとか。月がきれいとか。あと、私が規制されるとか」
「やはり」
「やっぱり私、規制されるの!?」
「ああ、いえ、そういう意味ではなくてですね。やはり、会話されていますよね。以前よりずっと」
以前より。
まぁ、それはそうだろう。
いつぞやの異変の前は、そもそも私地下から出てくる事も無かったし。
会話どころか年単位で姉と顔を合わせる機会が無いなんてザラだった。
そりゃ、その頃に比べれば会話はしてるだろうけど。
「昨夜、会話されました。私の記憶が確かなら、その前の日も夜に挨拶とお茶の時間にいくつかの会話をされていました」
そうだっけ?
良く覚えてるなぁ。
「長い年月をかけて築かれた関係というのは、すぐには変わるものではありません。100年の月日をかけて、出来た関係なら、それを変えるのだって、100年かかってもおかしくはないのですよ」
昨夜は諭すように優しく語りかけてくる。
「それをどうですか? 数百年かけて、数年に一度しか顔を合わせる事しかなかった関係が、わずかな期間の間に、毎日会話するような状態にまでなったのですよ。すごい進歩だと思いませんか?」
「物は言い様って感じはするけど……。まぁ、そうなのかな」
「妹様とお嬢様は、会話も成り立たない関係などではありません。すごい勢いでその距離を縮めて、誰よりも暖かく、大きな関係を気づきあげている最中なのですよ」
「うーん」
それって、屁理屈っていうんじゃないかなぁ。パチュリーとか好きそう。
でもまぁ。
うん。
その言葉を聞いて、なんだか心が軽くなった気がする。
「もっと距離を縮めたいのなら、贈り物などいかがですか?」
「贈り物?」
「ちょうど季節も、季節ですしね」
「ああ、そうだ。そういえば昨夜もお姉様とそんな事、言ってたけど。何の事?」
脳裏によぎるのは、昨日の黒っぽい感じの甘いはずなのに苦みのあるケーキ。
時節物がどうとか。
「外の世界の風習なのですが。今日は、親しい関係の相手に贈り物をする日なのですよ。日頃の感謝や、普段は言葉に出来ないような『想い』を込めて」
「『想い』……」
「昨日のケーキを覚えていらっしゃいますか? この国では『想い』を込めてチョコレートを贈るのだそうですよ」
「それで昨夜のケーキはああいうのだったんだ」
なるほど納得。
そして、自分のやるべき事がやっと見えた気がする。
確かに、何百年と距離のあった私たちはまだちゃんと自然に会話する事はできないけど。
嫌いと言うより好き。
むしろ大好きってぐらいの、この気持ちは、ずっとこの胸に抱き続けた物。
この『想い』なら咲夜にだって、きっと負けないぐらい大きな物!
それを込めて贈ろう。
言葉には出来ないけど。
想いを形にして贈ろう。
うん、決めた!
「よーし、咲夜。私、がんばる。お姉様にチョコレートを作って贈る!」
「ええ」
「そうとなれば、善は急げってやつだね。早速厨房に……」
「ああ、それは止めておいたほうがよろしいかと」
飛び出そうとした私を咲夜の声が、待ったをかける。
「え? 提案したのは咲夜でしょ?」
「まぁ、そうなのですが。妹様、普段ならもう就寝の時間ではありませんか?」
「そうだけど」
「料理というのは戦いです。戦闘行為なのです。ましてや、お嬢様にありったけの『想い』を込めて贈ろうという代物。寝不足の身で戦えるようなものではありません」
「む。一理あるかも」
「仮眠程度でも、一度お休みになられてはいかがですか? その間に私が、材料や道具の手配をしておきますから」
「んー、それもそうだね」
「それに片付けや証拠隠滅もしなければなりませんし」
「へ?」
なんか変な方向に会話が飛んだよ?
片付け? 証拠隠滅?
「あ、お気になさらず」
「すごく気になるんだけど」
「お気になさらず」
「でも」
「お気になさらず」
「……わかった」
頑なな様子の咲夜に、私のほうが折れた。
まぁ、それに眠らずにあれこれ考えていたせいで、すごく眠いのは事実だしね。
「それでは、何時間かしましたら、起こしに伺いますので、自室のほうでお休みください」
「うん、わかったー」
気になる事ではあるけれど。
ようやく進むべき道が見えた私には、そんな疑問は些細な事。
今はなんだかすごく心が軽い。
前に図書館の小悪魔が徹夜ハイがどうとか言ってたけど、まさしく今そんな感じ。
よーし、今はひとまず寝るぞー!
▽
そして。
私は、寝る為に意気込んで部屋に向かう妹様を見送った。
これから眠ろうというのに、あの様子で果たしてゆっくり休めるのかどうか怪しいところだが、まぁこればかりは成り行きに任せるしかないだろうか。
「さて」
気合いを入れ直さないと。
これからの数時間はさらに忙しくなる。
もう一人分の材料を。しかも同じようにある程度失敗を繰り返すことを見越して多めの材料を用意しないと。
「どうやらそういう事になりそうですが……いかがですか、お嬢様。納得のいくものはできましたか?」
くるりと、妹様を見送ったのは逆方向に向き直って呼びかける。
「……なんだか何もかも手の平の上って感じね。これも全て企みの上ってわけかしら?」
「いえいえ、企みなど、私ごときではとてもとても……」
呼びかけた方向からレミリアが姿を現す。
その姿格好は見慣れたものではなかった。
薄紅色のエプロンにおそろいの三角頭巾。
頬には数カ所、チョコレートが付着している。
やり方を聞いてから四苦八苦していた包装はうまくいったらしい、可愛らしいリボンのあしらわれたきれいな小包を両手で大事そうに持っている。
中身はもちろん知っている。
その作り方を指南したのは他ならぬ自分なのだ。
昨夜の出来事から、ずっと厨房にこもり、失敗すること16回。試行錯誤の果てにようやく完成した渾身の作品。
きっと、それに込められた『想い』は、これから数時間後に完成する、妹様のものにも比肩するものだろう。
「どの口が言うのやら……。それに何よ、証拠隠滅って」
「いえ、深い意味など無いのですが。この後、妹様もあの厨房を使うわけですから」
「むむ。あの戦場跡を……。確かにこれは証拠隠滅の必要があるわね」
戦場跡とは言い得て妙だ。
失敗作が並び、使い終えた調理器具が乱雑に転がるあそこはまさしくそんな様相である。
「咲夜。フランが起きるまでに、あの戦場跡を使用前以上に美しく片付けなさい。フランにこの私が6回も手間取った事など悟られては駄目よ」
「お嬢様、16回ですわ」
「私が6回と言ったら、6回なのよ!」
「そうですわね、10と6回です」
違うわよ!
なんて、そんな愛らしい叫びを聞きながら、私は件の厨房に向かう。
仕事は膨大。
決して容易なものでは無いし、この後に同じだけの苦労が待っているのは間違いない。
だが、従者としてこれほど幸いな苦労が他にあるだろうか。
こんな苦労なら自ら喜んで背負って見せよう。
自分ごときが立ち入る隙間も無いぐらいに、誰よりも想いあっているのに、誰よりすれ違ってしまったあの姉妹の為ならば。
こんなもの苦労には入らない。
止められぬ笑みを浮かべ、私は戦場に向かうのだった。
▽
その後の姉妹の関係の行く末はといえば――もはや言葉にするまでも無い事である。
音に誘われ見上げてみれば、闇夜に浮かぶ大時計は12時を示していた。
ああ、もうそんな時間だったか。
よいしょ、と声を出して立ち上がる。
最近、日課になった月光浴はひとまずここまで。
約束に遅れるのは悪いことって言われてるしね。
待ち合わせ場所に急ごう。
ぐいっと一度伸びをしてから、私――フランドール・スカーレットは、寝転んでいた紅い屋根瓦を蹴って、その身を宙へと投げ出す。
目的地はこの紅魔館の敷地の反対側。
歩いて行くなら、30分はかかってしまうだろうけど飛んでいけばすぐだ。
自慢の宝石の翼を広げて、屋敷の空を目標めがけて一直線。
眼下を流れる紅い回廊。
紅の色彩に偏った花園。
何から何までほんと紅いなぁ、なんてどうでもいい事が思い浮かんだ。
そして、目的地が見えてくる。
この紅魔館では数少ないテラス。
着地地点に向けて、急降下。
ふと思い立って、捻りなんて加えてみたりして。
横向きに一回、二回、おまけにもう一回くるくる回転を加え、着地の間際に前方向にもぐるんと一回転。
そして、ビシッと両足で着地を決めてみせる。
うん、格好良くない? コレ。
思わず、にんまりと笑顔が浮かんでしまう。
ぱち、ぱち、ぱち。
と、手を叩く音が響く。
「……見事な体捌きと関心はするけどね。はしたないわよ、フラン」
「でも格好良いでしょ?」
「格好良いわ。ただ、スカートでやるのは止しなさいな。下着が丸見えじゃない」
「私は気にしないけど」
「私が気にするわよ。条例で規制されたらどうするのよ。最近は厳しいのよ」
「何言ってるのかわかんないよ」
相変わらず難しい事ばかりを言う。
で、そんな会話を交わすのは私の姉。この館の主である所のレミリアだ。
やたら意匠の凝ったテラステーブルに肘を付き、呆れた視線をこちらに向けている。
そして、12時ちょうどにと待ち合わせていた相手でもある。
先ほどから鳴り響いていた時計台の鐘がようやく12回目の音色を響かせた。
待ち合わせ的にはギリギリセーフって感じ?
まぁ、正確には何十秒かの遅刻って事になるんだろうけどさ。
遅れた事に何か言われないかと、ちょっとビクつきながら、テラステーブルの対面の席に付く。
「……」
「……」
うーん、お互いに言葉が無いなぁ。
「……ねぇ、フラン」
「な、なに?」
「そういえば、まだ言ってなかったわね。おはよう」
「あ、うん。おはよう、お姉様」
真夜中におはようってのも人間から見たら奇妙らしいけどね。
でも私たち吸血鬼だし?
で、再び会話が途切れてしまう。
うーん、困ったことに、ほんと話題が見つからない。
これじゃ、わざわざお願いして待ち合わせた意味が無いなぁ……とは思うには思うのだけれど……。
そう、何を隠そう、こうして時間を合わせて集まっているのは私の発案、というよりはお願いによるものだったりする。
いつぞやの騒動以来、地下から出てくる機会が多くなった私だけれど。
唯一の肉親である姉とは何百年って単位でまともに会話をしてこなかった。
それを一般には不和というらしい。
和やから不。
仲が悪い。
すなわち不和。
外の世界に触れて初めて知った事だ。
私は姉の事は決して嫌いじゃない……どころか、好きのに。まぁ、姉がどう思ってるかは知らないけど、そんな事関係無いじゃない? 私はお姉様が好き。
それ以上でもそれ以下でも無い。
そもそも、会話が無かったのだって、会話の必要性を感じ無かったからだし。
好きって気持ちがあれば、行動なんてどうでもいいと思うんだけどなぁ。
まぁ、世間一般ってやつはそうじゃないらしいしね。
外に出ようというなら、一般常識ってやつを勉強しろってのは、姉の言葉だ。
だから、がんばって勉強するし、身につける。
その勉強の一環として、家族の会話ってのをやってみたくて、こうして何日かに一度、待ち合わせ時間を決めて、一緒に過ごす時間を作ってもらってるんだけど。
「……お姉様?」
「何かしら」
「月がきれいね」
「そうね」
うーん、会話がほんと続かない。
時々図書館で見かける白黒いのに相談してみたところ「会話のコツはタチツテトだぜっ!」とか言ってたけど、意味わからなかったし。
辞書で調べても載ってなかったしね。
と、そんなこんなで困り果てる私の元に助け船がやってきた。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
両手にティーセットを抱えて現れたのは、この館のメイド長、咲夜だった。
思わずホッと安堵のため息が漏れる。
身の回りの世話をしてくれてるだけに、咲夜との会話経験は姉よりずっと多い。
それはきっと姉から見ても同じ事だろう。
これでいくらか会話がしやすくなるかな?
あれ? でも変だな。
咲夜には今日の12時にこのテラスで姉と待ち合わせる事は伝えていた。
普段なら、待ち合わせ時間ちょうどになるとティーセットをもって現れるのに。
ふと抱いた違和感。
まぁ、咲夜だって時には遅れる事もあるか。
そんな感じで納得して、そんな些細な違和感は消えてしまった。
咲夜が私と姉の前に、それぞれ紅い液体をたたえたティーカップと、お茶請けをのせた皿を置いた。
焼き菓子とか、最近の姉の趣味に合わせてかお饅頭とか羊羹とかが最近多かったのだけれど、今日のお茶請けはケーキだった。
「あれ? このケーキいつもと違う感じだね」
これまた姉の趣味なんだろうけど。
普段出てくるケーキは、イチゴとかラズベリーとか真っ赤なものが多いんだけど。
今日のはなんか黒い。
濃密な黒色の段と、それよりは幾らか薄い段とかが交互に積み重なり、全体にこれまた濃い茶色のパウダーが振ってある。
なんだろう。
ココア味?
「ああ、そうか。そういえばそんな時期だったかしら」
「はい、ちょっと時節的な物に因んでみようかと思いまして、今日はこんなものを用意させていただきました」
姉はいつもと違う趣向のケーキを一目見てピンときたようだった。
時節的なもの?
「ふふ……私たち魔性の者に、聖人の記念日に因んだ物を出すなんてね。なかなか皮肉が効いているじゃない」
「なんでもこの国では、記念日には由来を気にせず楽しむのが”粋”であるとの事でしたので」
「ああ、それでこんな味付けなのね」
「この国ではコレを使うのが一般的らしいです」
「いいわね。”粋”ってやつね」
「お気に召したようで」
「ええ。さすがね、咲夜。良い仕事よ」
「ありがとうございます」
うーん、何だかすっかり置いてけぼりだ。
まぁ、それは良い。いや、良くは無いんだけど、重要度は低い。
こうして外から観察すると、実感できる。
なるほど、これが自然な会話ってやつか。
会話を言葉のキャッチボールなんて言い表す事があるらしいけど。
私と姉とじゃこれだけキャッチボールが続く事なんてまず無いよね。
それに、何て言うのかな。お互いが相手の言わんとしている事を、言葉にするまでもなく理解しあっているような、一体感というか。
これも、私と姉の会話には決して無いものだ。
うん、まさしくこういう会話をしてみたくて、こうして時間をとってもらっているのにね。
和。調和。
調和の無い関係。
すなわち不和。
やりたいのに出来ない。
なりたいのになれない。
ああ、確かにこれは不和っていうのだろう。
うん、ようやく実感した。
嫌いじゃないというよりは好き。
そんな姉とこんな関係しか気づけていない事がちょっと胸に苦しい。
そして、結局。
咲夜を挟んでもその後の会話はまるで続かず……。
これまでと同じように、まともな会話が出来ないまま、その日の会合は終わる事となった。
甘い、甘い味付けのケーキは、なぜかほんのり苦かった。
▽
で。
私は考えた。
考えに考え抜いた。
本来ならもう寝る時間だけど、眠いの我慢して、がんばって考えた。
それなりに長い年月生きてきたけど、その中でひょっとしたら、一番考えたかもしれない。
きっと、これが一番の方法だ!
「弟子入りさせてください!」
「は?」
私のお願いに、咲夜は何故だかポカーンと呆けた表情を浮かべるだけだった。
あれ?
何かを頼むときは、できるだけわかりやすく簡潔に。
自分の思いをまっすぐにぶつけるべきだって、人形を連れた魔法使いが言ってたんだけど。
通じにくかったのかな?
「師匠と呼ばせてください?」
「いえ、そういう事ではなく……」
「先生!」
「呼び方とかでも無く」
「むぅ」
これだから会話ってのは難しい。
どうやったら相手に気持ちを伝えられるのだろう。
言い方に悩む私に、咲夜は、まずは落ち着いてお話しましょうなんて声をかけてきた。
「まずは順を追ってお話ください。弟子入り……との事でしたが、何かをお学びになりたいのですか?」
「えーとね……」
なるほど。
まっすぐぶつけるだけでなく、順を追うってのも大事なんだね。
フラン、覚えた。
そして、一つ一つ、自分の思うこと。
最近の行動。
姉との不和な会話。
そういった事を順番に話していった。
「なるほど……」
「どうすれば、お姉様ともっと自然な会話ができるようになるのかな。それを教えて欲しいの」
咲夜は私のそのお願いに困ったような笑顔を浮かべた。
「私ごときが、妹様とお嬢様の会話でお教えできる事なぞとても無いと思うのですが……」
「だって、咲夜はいっつもお姉様とすごく自然に会話できるじゃない。お姉様だって楽しそうだし……私との会話じゃ絶対あんな風にならないし……」
思わず、尻すぼみの言葉になってしまう。
「……わかりました」
「ほんと!?」
「とはいえ、実際の所、会話というのは、誰かに教わって出来るようになるものではないですから、直接やり方という形でお教えする事はできないですが」
できないんだ。
思わず、気持ちがしぼんで肩を落としてしまう。
「ですが、切っ掛けになるお手伝いはできると思います」
「切っ掛け?」
「もし、私とお嬢様の会話に何か感じ入るものがあったのだとすれば、それは会話をこなした回数による差でしょう。」
「そうなの?」
「妹様がお嬢様を思う気持ち。お嬢様が妹様を思う気持ちは、私が抱く思いよりもずっと大きく、暖かなものです。何か切っ掛けさえあれば、きっと私よりもっとお嬢様と会話できるようになりますよ」
うーん。そうは言うけれど……。
その切っ掛けを探して、会う機会を増やしたりもしたけれど、効果無かったし。
「あら? そうですか?」
「え?」
「今日……といっても、もう昨日といってもいいかもしれませんが。昨夜お会いになられた時に、何かお話になりませんでしたか?」
「そりゃまぁ……。おはようとか。月がきれいとか。あと、私が規制されるとか」
「やはり」
「やっぱり私、規制されるの!?」
「ああ、いえ、そういう意味ではなくてですね。やはり、会話されていますよね。以前よりずっと」
以前より。
まぁ、それはそうだろう。
いつぞやの異変の前は、そもそも私地下から出てくる事も無かったし。
会話どころか年単位で姉と顔を合わせる機会が無いなんてザラだった。
そりゃ、その頃に比べれば会話はしてるだろうけど。
「昨夜、会話されました。私の記憶が確かなら、その前の日も夜に挨拶とお茶の時間にいくつかの会話をされていました」
そうだっけ?
良く覚えてるなぁ。
「長い年月をかけて築かれた関係というのは、すぐには変わるものではありません。100年の月日をかけて、出来た関係なら、それを変えるのだって、100年かかってもおかしくはないのですよ」
昨夜は諭すように優しく語りかけてくる。
「それをどうですか? 数百年かけて、数年に一度しか顔を合わせる事しかなかった関係が、わずかな期間の間に、毎日会話するような状態にまでなったのですよ。すごい進歩だと思いませんか?」
「物は言い様って感じはするけど……。まぁ、そうなのかな」
「妹様とお嬢様は、会話も成り立たない関係などではありません。すごい勢いでその距離を縮めて、誰よりも暖かく、大きな関係を気づきあげている最中なのですよ」
「うーん」
それって、屁理屈っていうんじゃないかなぁ。パチュリーとか好きそう。
でもまぁ。
うん。
その言葉を聞いて、なんだか心が軽くなった気がする。
「もっと距離を縮めたいのなら、贈り物などいかがですか?」
「贈り物?」
「ちょうど季節も、季節ですしね」
「ああ、そうだ。そういえば昨夜もお姉様とそんな事、言ってたけど。何の事?」
脳裏によぎるのは、昨日の黒っぽい感じの甘いはずなのに苦みのあるケーキ。
時節物がどうとか。
「外の世界の風習なのですが。今日は、親しい関係の相手に贈り物をする日なのですよ。日頃の感謝や、普段は言葉に出来ないような『想い』を込めて」
「『想い』……」
「昨日のケーキを覚えていらっしゃいますか? この国では『想い』を込めてチョコレートを贈るのだそうですよ」
「それで昨夜のケーキはああいうのだったんだ」
なるほど納得。
そして、自分のやるべき事がやっと見えた気がする。
確かに、何百年と距離のあった私たちはまだちゃんと自然に会話する事はできないけど。
嫌いと言うより好き。
むしろ大好きってぐらいの、この気持ちは、ずっとこの胸に抱き続けた物。
この『想い』なら咲夜にだって、きっと負けないぐらい大きな物!
それを込めて贈ろう。
言葉には出来ないけど。
想いを形にして贈ろう。
うん、決めた!
「よーし、咲夜。私、がんばる。お姉様にチョコレートを作って贈る!」
「ええ」
「そうとなれば、善は急げってやつだね。早速厨房に……」
「ああ、それは止めておいたほうがよろしいかと」
飛び出そうとした私を咲夜の声が、待ったをかける。
「え? 提案したのは咲夜でしょ?」
「まぁ、そうなのですが。妹様、普段ならもう就寝の時間ではありませんか?」
「そうだけど」
「料理というのは戦いです。戦闘行為なのです。ましてや、お嬢様にありったけの『想い』を込めて贈ろうという代物。寝不足の身で戦えるようなものではありません」
「む。一理あるかも」
「仮眠程度でも、一度お休みになられてはいかがですか? その間に私が、材料や道具の手配をしておきますから」
「んー、それもそうだね」
「それに片付けや証拠隠滅もしなければなりませんし」
「へ?」
なんか変な方向に会話が飛んだよ?
片付け? 証拠隠滅?
「あ、お気になさらず」
「すごく気になるんだけど」
「お気になさらず」
「でも」
「お気になさらず」
「……わかった」
頑なな様子の咲夜に、私のほうが折れた。
まぁ、それに眠らずにあれこれ考えていたせいで、すごく眠いのは事実だしね。
「それでは、何時間かしましたら、起こしに伺いますので、自室のほうでお休みください」
「うん、わかったー」
気になる事ではあるけれど。
ようやく進むべき道が見えた私には、そんな疑問は些細な事。
今はなんだかすごく心が軽い。
前に図書館の小悪魔が徹夜ハイがどうとか言ってたけど、まさしく今そんな感じ。
よーし、今はひとまず寝るぞー!
▽
そして。
私は、寝る為に意気込んで部屋に向かう妹様を見送った。
これから眠ろうというのに、あの様子で果たしてゆっくり休めるのかどうか怪しいところだが、まぁこればかりは成り行きに任せるしかないだろうか。
「さて」
気合いを入れ直さないと。
これからの数時間はさらに忙しくなる。
もう一人分の材料を。しかも同じようにある程度失敗を繰り返すことを見越して多めの材料を用意しないと。
「どうやらそういう事になりそうですが……いかがですか、お嬢様。納得のいくものはできましたか?」
くるりと、妹様を見送ったのは逆方向に向き直って呼びかける。
「……なんだか何もかも手の平の上って感じね。これも全て企みの上ってわけかしら?」
「いえいえ、企みなど、私ごときではとてもとても……」
呼びかけた方向からレミリアが姿を現す。
その姿格好は見慣れたものではなかった。
薄紅色のエプロンにおそろいの三角頭巾。
頬には数カ所、チョコレートが付着している。
やり方を聞いてから四苦八苦していた包装はうまくいったらしい、可愛らしいリボンのあしらわれたきれいな小包を両手で大事そうに持っている。
中身はもちろん知っている。
その作り方を指南したのは他ならぬ自分なのだ。
昨夜の出来事から、ずっと厨房にこもり、失敗すること16回。試行錯誤の果てにようやく完成した渾身の作品。
きっと、それに込められた『想い』は、これから数時間後に完成する、妹様のものにも比肩するものだろう。
「どの口が言うのやら……。それに何よ、証拠隠滅って」
「いえ、深い意味など無いのですが。この後、妹様もあの厨房を使うわけですから」
「むむ。あの戦場跡を……。確かにこれは証拠隠滅の必要があるわね」
戦場跡とは言い得て妙だ。
失敗作が並び、使い終えた調理器具が乱雑に転がるあそこはまさしくそんな様相である。
「咲夜。フランが起きるまでに、あの戦場跡を使用前以上に美しく片付けなさい。フランにこの私が6回も手間取った事など悟られては駄目よ」
「お嬢様、16回ですわ」
「私が6回と言ったら、6回なのよ!」
「そうですわね、10と6回です」
違うわよ!
なんて、そんな愛らしい叫びを聞きながら、私は件の厨房に向かう。
仕事は膨大。
決して容易なものでは無いし、この後に同じだけの苦労が待っているのは間違いない。
だが、従者としてこれほど幸いな苦労が他にあるだろうか。
こんな苦労なら自ら喜んで背負って見せよう。
自分ごときが立ち入る隙間も無いぐらいに、誰よりも想いあっているのに、誰よりすれ違ってしまったあの姉妹の為ならば。
こんなもの苦労には入らない。
止められぬ笑みを浮かべ、私は戦場に向かうのだった。
▽
その後の姉妹の関係の行く末はといえば――もはや言葉にするまでも無い事である。
全くです
素敵なお話でした
やっぱこーゆー関係がいいよね
吸血鬼姉妹とその従者は