『七つのクレヨン』
1
私のキャンバスは黒のクレヨンしか使いません。
黒一本で、私の描きたい絵は全て描けてしまうのです。
♪
生きてきた時間を、ほとんど地下室で過ごしてきました。
見える景色は黒一色です。
まぶたを閉じても、見える風景は変わりません。
聞こえるのは何かが滴る音と、耳によく通る低い音。
耳を閉じても、残響音は消えません。
初めの頃はとても耐えられませんでした。
目を閉じても開けても、何も見えない暗闇の中。
耳を塞いでも開いても、追いかけてくる叫び声。
とても正気ではいられません。
常に瞳は縮こまり、口の中は乾いています。
でも、それらも全て慣れてしまいました。
それは、私が狂っているからだそうです。
「あの娘は×××なのよ。生まれてきてはいけない娘だったのよ」
たくさんの者に言われ続けました。
気持ちの悪い笑顔をした者。
同情しているような、見下した目の者。
指を向け笑う者。
冷笑を浮かべる者。
そして、私より先に生まれたアイツ。
アイツは誰よりも優しい目で私を見てきました。絵本で読んだ、お姫様を助ける王子様のように。
その目はとても気味の悪いモノでした。
アイツは毎日地下室へ訪れました。
そして私に、上での出来事を語ります。
アイツは飽きもせず、毎日私の前に訪れました。
だから、殺してやりました。
ずっと気付かなかったのですが、私はとても強い力を持っていました。
手のひらに浮かぶモノを握り潰せば、相手は風船のように破裂し、×××が辺りに飛び散ります。
それはとても気持ちのいい事でした。
だから何度も、アイツを潰しました。でもアイツは弱いくせに意外にしぶといのです。
だから何度も潰しました。その度アイツは「ごめんなさい。ごめんなさい」と、私に謝り続けます。
私は可笑しく思います。
どうしてコイツは謝っているのだろう?
どうしてコイツは何度も私の前に現れるのだろう?
何でコイツは、私の欲しい物をくれないのだろう。その中途半端な優しさが、私をずっと苦しめているのに気付かないのでしょうか。
だからお前は……。
何百回潰した後の事でしょうか。アイツは段々、地下室に訪れなくなりました。
私は今まで通りの生活に戻りました。何も見えず何も聞こえず何も考えず。ただ生きることだけの生活を続けました。
2
ある日から、私は絵を描き始めました。
と言っても、この地下室に絵を描く道具など無いので、×××から集めた炭で壁にラクガキをする程度でした。
私のキャンバスは黒一色で表現できます。
それ以外の色なんていりません。たった一本の色で、世界を全て描けてしまいます。
それが私の全てでした。
ある日、地下室に訪れる者がいました。
一人はパチュリー・ノーレッジ、もう一人は小悪魔と名乗りました。
二人は私に紺色と黄色のクレヨンを渡して、地下室から出て行きました。
また別の日、また地下室に訪れる者がいました。
彼女は紅美鈴と名乗りました。ソイツも私に緑色とオレンジ色のクレヨンを渡して、地下室から出て行きました。
そしてまた別の日、地下室に訪れる者がいました。
彼女は十六夜咲夜と名乗り、私に青色と紫色のクレヨンを渡して、地下室から出て行きました。
あっという間に、私の持っているクレヨンが増えました。
でも私は、今まで通り黒しか使いませんでした。
どんなに色が増えたって、私の知っている世界は黒しかありません。どこでどう使えばいいのかすら、私にはわからないのです。
3
そして別の日、今度は「アイツ」が地下室へ訪れました。
アイツは私のクレヨンを見て、「ほとんど使っていないじゃない」と呟きます。
私は無視して絵を描きます。それを後ろから何も言わず、アイツは見ています。
「用がないなら帰れよ」
アイツは無視します。
私はアイツの右腕を潰しました。アイツは顔をしかめるだけで、そこから動こうとはしません。鈍い感情が走ります。
今度は左足を潰します。でも、アイツは帰ろうとせず、ずっと私の絵を見つめます。
「何も用がないなら帰れ。邪魔だ!」
私が叫んでも、アイツは帰ろうとしません。
「何故、私を潰さないの?」
アイツは静かに言いました。
頭に、低い音が響きました。
「お前なら私を簡単に潰せるだろう。ならなぜ私を潰さない?」
アイツの言葉に目眩を感じます。
私がどうしても潰せない物を、アイツは全て知っていました。
私は、アイツの×××から×××に渡り全て潰しました。
あんなに楽しかったアイツの鈍い声が、吐き気すら感じる程気持ち悪く聞こえます。
今度はアイツの右×××を潰し、×××を引きずり出します。もはやアイツは×××の物となりました。
でもやはり、アレだけは潰せません。
どうやってもどうやっても、潰すことができません。
「……わかっているのなら、何で私に優しくしてくれない」
私は吠えます。
「お前は知っていたんだろう? 私が欲しかった物を。私が望んでいた事を。なら、なんでそれをくれないんだよ! 私が苦しんでいるのを見るのが楽しかったのか? お前はあの卑しい者達と一緒だ!」
アイツは私に、いつもと変わらない口調で言います。
「そこまで気付いているんだったら、お前もわかるはずだろう? お前の欲しい物がどうやって手に入るのかを。もう一度、自分の世界を見渡してみるんだな」
アイツはそう言うと、体を引きずりながら地下室を出て行きました。
4
少女の足下には、使ったことのないクレヨンが数本ころがっていました。
少女は鼻をすすりながらそのクレヨンを拾い、キャンバスに色を乗せていきます。
「紅、美鈴」
少女は呟きます。
「すごく明るくて、顔が柔らかかった」
少女は緑とオレンジのクレヨンを使いました。
「パチュリー、ノーレッジ」
少女は呟きます。
「静かで、落ち着いていた。懐かしい匂いがした」
少女は紺色のクレヨンを使いました。
「小悪魔」
少女は呟きます。
「少しあたふたしていて、落ち着きがなかった。でも、小さくて可愛らしかった」
少女は黄色のクレヨンを使いました。
「十六夜、咲夜」
少女は呟きます。
「顔が硬かった。でも、すごく物腰が穏やかだった」
少女は青と紫のクレヨンを使いました。
♪
少女は一色足りないことに気がつきました。
さっきまでそこにいた、とても大切な人がいません。
少女は悲しい気持ちになりました。
あれだけ求めていた物はこんなに近くにあったのに、少女は気付かないフリをし続けていました。
少女はゆっくり立ち上がり、長い階段を上りました。
そして、ずっと開けようともしなかった大きな扉を開いて、地下室から出ました。
そこには、少女と同じ背丈の女の子がいました。
「お姉様」
少女は言います。
「何?」
「絵、描いたの」
「うん」
「色が、足りないの」
「うん」
「……」
少女は黙ってしまいました。
「それで、どうしたんだ?」
「色が、足りなくて……」
少女は俯きながら、
「お姉様がいないの」
泣きそうな声で言いました。
「みんないるのに、みんな私と一緒にいてくれているのに! お姉様だけいないの、どこにもいないの! だから……」
叫ぶ少女の頬を撫でて、
「ほら、私ならここにいるだろ」
お姉様と呼ばれた少女は、赤のクレヨンを彼女に渡しました。
「私ならずっとここにいる。お前の周りには、ずっとお前が欲しかった『家族』がいる。もうお前は一人じゃないんだ。フラン」
お姉様は言いました。
フランは、その赤いクレヨンで最後の色を乗せました。そこには、大きな虹が描かれていました。
「じゃ、それを『家族達』に見せに行こう。まずは図書館だな。おいで、フラン」
お姉様はそう言うと、フランの手を握り、歩き始めました。
フランは、姉の温かさをゆっくりと感じながら、歩いて行きました。
「見て。私、絵を描いたよ」
おしまい
1
私のキャンバスは黒のクレヨンしか使いません。
黒一本で、私の描きたい絵は全て描けてしまうのです。
♪
生きてきた時間を、ほとんど地下室で過ごしてきました。
見える景色は黒一色です。
まぶたを閉じても、見える風景は変わりません。
聞こえるのは何かが滴る音と、耳によく通る低い音。
耳を閉じても、残響音は消えません。
初めの頃はとても耐えられませんでした。
目を閉じても開けても、何も見えない暗闇の中。
耳を塞いでも開いても、追いかけてくる叫び声。
とても正気ではいられません。
常に瞳は縮こまり、口の中は乾いています。
でも、それらも全て慣れてしまいました。
それは、私が狂っているからだそうです。
「あの娘は×××なのよ。生まれてきてはいけない娘だったのよ」
たくさんの者に言われ続けました。
気持ちの悪い笑顔をした者。
同情しているような、見下した目の者。
指を向け笑う者。
冷笑を浮かべる者。
そして、私より先に生まれたアイツ。
アイツは誰よりも優しい目で私を見てきました。絵本で読んだ、お姫様を助ける王子様のように。
その目はとても気味の悪いモノでした。
アイツは毎日地下室へ訪れました。
そして私に、上での出来事を語ります。
アイツは飽きもせず、毎日私の前に訪れました。
だから、殺してやりました。
ずっと気付かなかったのですが、私はとても強い力を持っていました。
手のひらに浮かぶモノを握り潰せば、相手は風船のように破裂し、×××が辺りに飛び散ります。
それはとても気持ちのいい事でした。
だから何度も、アイツを潰しました。でもアイツは弱いくせに意外にしぶといのです。
だから何度も潰しました。その度アイツは「ごめんなさい。ごめんなさい」と、私に謝り続けます。
私は可笑しく思います。
どうしてコイツは謝っているのだろう?
どうしてコイツは何度も私の前に現れるのだろう?
何でコイツは、私の欲しい物をくれないのだろう。その中途半端な優しさが、私をずっと苦しめているのに気付かないのでしょうか。
だからお前は……。
何百回潰した後の事でしょうか。アイツは段々、地下室に訪れなくなりました。
私は今まで通りの生活に戻りました。何も見えず何も聞こえず何も考えず。ただ生きることだけの生活を続けました。
2
ある日から、私は絵を描き始めました。
と言っても、この地下室に絵を描く道具など無いので、×××から集めた炭で壁にラクガキをする程度でした。
私のキャンバスは黒一色で表現できます。
それ以外の色なんていりません。たった一本の色で、世界を全て描けてしまいます。
それが私の全てでした。
ある日、地下室に訪れる者がいました。
一人はパチュリー・ノーレッジ、もう一人は小悪魔と名乗りました。
二人は私に紺色と黄色のクレヨンを渡して、地下室から出て行きました。
また別の日、また地下室に訪れる者がいました。
彼女は紅美鈴と名乗りました。ソイツも私に緑色とオレンジ色のクレヨンを渡して、地下室から出て行きました。
そしてまた別の日、地下室に訪れる者がいました。
彼女は十六夜咲夜と名乗り、私に青色と紫色のクレヨンを渡して、地下室から出て行きました。
あっという間に、私の持っているクレヨンが増えました。
でも私は、今まで通り黒しか使いませんでした。
どんなに色が増えたって、私の知っている世界は黒しかありません。どこでどう使えばいいのかすら、私にはわからないのです。
3
そして別の日、今度は「アイツ」が地下室へ訪れました。
アイツは私のクレヨンを見て、「ほとんど使っていないじゃない」と呟きます。
私は無視して絵を描きます。それを後ろから何も言わず、アイツは見ています。
「用がないなら帰れよ」
アイツは無視します。
私はアイツの右腕を潰しました。アイツは顔をしかめるだけで、そこから動こうとはしません。鈍い感情が走ります。
今度は左足を潰します。でも、アイツは帰ろうとせず、ずっと私の絵を見つめます。
「何も用がないなら帰れ。邪魔だ!」
私が叫んでも、アイツは帰ろうとしません。
「何故、私を潰さないの?」
アイツは静かに言いました。
頭に、低い音が響きました。
「お前なら私を簡単に潰せるだろう。ならなぜ私を潰さない?」
アイツの言葉に目眩を感じます。
私がどうしても潰せない物を、アイツは全て知っていました。
私は、アイツの×××から×××に渡り全て潰しました。
あんなに楽しかったアイツの鈍い声が、吐き気すら感じる程気持ち悪く聞こえます。
今度はアイツの右×××を潰し、×××を引きずり出します。もはやアイツは×××の物となりました。
でもやはり、アレだけは潰せません。
どうやってもどうやっても、潰すことができません。
「……わかっているのなら、何で私に優しくしてくれない」
私は吠えます。
「お前は知っていたんだろう? 私が欲しかった物を。私が望んでいた事を。なら、なんでそれをくれないんだよ! 私が苦しんでいるのを見るのが楽しかったのか? お前はあの卑しい者達と一緒だ!」
アイツは私に、いつもと変わらない口調で言います。
「そこまで気付いているんだったら、お前もわかるはずだろう? お前の欲しい物がどうやって手に入るのかを。もう一度、自分の世界を見渡してみるんだな」
アイツはそう言うと、体を引きずりながら地下室を出て行きました。
4
少女の足下には、使ったことのないクレヨンが数本ころがっていました。
少女は鼻をすすりながらそのクレヨンを拾い、キャンバスに色を乗せていきます。
「紅、美鈴」
少女は呟きます。
「すごく明るくて、顔が柔らかかった」
少女は緑とオレンジのクレヨンを使いました。
「パチュリー、ノーレッジ」
少女は呟きます。
「静かで、落ち着いていた。懐かしい匂いがした」
少女は紺色のクレヨンを使いました。
「小悪魔」
少女は呟きます。
「少しあたふたしていて、落ち着きがなかった。でも、小さくて可愛らしかった」
少女は黄色のクレヨンを使いました。
「十六夜、咲夜」
少女は呟きます。
「顔が硬かった。でも、すごく物腰が穏やかだった」
少女は青と紫のクレヨンを使いました。
♪
少女は一色足りないことに気がつきました。
さっきまでそこにいた、とても大切な人がいません。
少女は悲しい気持ちになりました。
あれだけ求めていた物はこんなに近くにあったのに、少女は気付かないフリをし続けていました。
少女はゆっくり立ち上がり、長い階段を上りました。
そして、ずっと開けようともしなかった大きな扉を開いて、地下室から出ました。
そこには、少女と同じ背丈の女の子がいました。
「お姉様」
少女は言います。
「何?」
「絵、描いたの」
「うん」
「色が、足りないの」
「うん」
「……」
少女は黙ってしまいました。
「それで、どうしたんだ?」
「色が、足りなくて……」
少女は俯きながら、
「お姉様がいないの」
泣きそうな声で言いました。
「みんないるのに、みんな私と一緒にいてくれているのに! お姉様だけいないの、どこにもいないの! だから……」
叫ぶ少女の頬を撫でて、
「ほら、私ならここにいるだろ」
お姉様と呼ばれた少女は、赤のクレヨンを彼女に渡しました。
「私ならずっとここにいる。お前の周りには、ずっとお前が欲しかった『家族』がいる。もうお前は一人じゃないんだ。フラン」
お姉様は言いました。
フランは、その赤いクレヨンで最後の色を乗せました。そこには、大きな虹が描かれていました。
「じゃ、それを『家族達』に見せに行こう。まずは図書館だな。おいで、フラン」
お姉様はそう言うと、フランの手を握り、歩き始めました。
フランは、姉の温かさをゆっくりと感じながら、歩いて行きました。
「見て。私、絵を描いたよ」
おしまい
何というかちょっと唐突気味かなぁ…と。
でもハッピーエンドで良かったです