そういえば、外の世界じゃもうすぐバレンタインなんだって、と私は呟いた。
そもそもバレンタインなるものがなんなのか、私はあまりよく知らない。誰に聞いたのかも忘れた。ただ、お世話になった人にチョコを渡す、というようなものらしい、ことくらいだけわかっていた。
こんな事をわざわざアリスの前で言ったのは、つまり普段私は散々あんたに引っ張り回されてるんだから日頃の感謝を込めてチョコレートの一つでも送ったらどうなんだこのやろう、という打算が働いたものだった。アリスの作るお菓子はおいしい。これは誰もが認める事だろうと思う。
もうそんな時期だったかしら、と呟き本をめくる手を止め、アリスは私に言った。
「メディ、バレンタインという日には人は二つに分けられる。それがなんだかわかるかしら?」
「え。そんなの……あげる人ともらう人、じゃないの」
「搾取する側、される側、よ」
どこもかしこも違っていた。私はバレンタインというものをまったく経験したことがないないし想像もしようがないが、少なくともそんなドブまみれの欲にまみれた行事ではない、と思う。
「ま、結局お菓子を売りたい企業の考えた私利私欲のための行事だからね。外の世界では知ってあえて乗っかってるみたいだけど、まったく馬鹿らしいわ」
幻想郷にいるはずなのに、日々私の幻想はぶち壊されていく。
「じゃ、アリスはバレンタインのことなんて知らんぷりするのね」
「あら、そうは言ってないわ」
心外だ、とアリスは続ける。
「当然、都会派たる私は搾取する側に回り、愛の代わりに富を頂戴するのよ。ははは。資本主義さまさまよね」
そう言って高らかに笑うアリスに、私は真心こもったチョコレートを期待するのをやめた。
しかし、アリスの暴挙を見て見ぬふりはできなかった。
またよからぬことを考えているならなんとしても止めなければならない。
「何をするつもりなの」
「あら、聞きたい?」
こういう馬鹿な事を考えている時のアリスは、実に楽しそうだ。
「なに、簡単な話よ。魔界で破格の値段で仕入れた原料を、私の持つ有り余る労働力を使い加工、大量生産。それを格安で売りつけるだけ。
ただでさえコストがかからない上、人件費がゼロだもの、これほど美味い話は無いわ。ああ、私、人形遣いでよかった!」
能力とコネの全身全霊をかけた無駄使いだ。すまない同胞たちよ、私の力が及ばないばかりに……
「そして、実はそのための準備はもうできているわ」
アリスが窓の外へ指を向ける。そこには一つの小屋が建っていた。雪の一つもかかっていない真新しい屋根に『マーガトロイド製菓工業』と、うさんくさい看板が掲げられている。昨日まではなかったはずなのに。こういうときばかり、アリスは感嘆するほどの手際の良さを見せつけてくれる。
あそこでこれから、人形達が強制労働に従事させられるのだろうか。胸が痛む。
「そして、完成したものがこちら」
アリスが隣の部屋から呼ぶ。そこにあったのは一面のチョコレートの山、山、山。綺麗に包装されたチョコレートの壁はあまりに厚い。これだけで一年間は空腹の心配は無いだろう……栄養はともかく。
いくらなんでも手際がよすぎじゃないかと思う。ほんとどうでもいいとこばっかり本気出しやがって、とも思う。
「そしてここまでかかったコストは、なんと驚きのウン千円。小売価格がほとんどそっくり利益として返ってくる形になるわ。ああ、ほんと、自分の才能が恨めしいわね。あっはっは!」
まったくだ、ここまで何もかもを無駄に使っているやつを他に知らない。その情熱、技術を少しでも世の為、人の為に役立てるつもりはないのだろうか?……ないんだろうなあ。
しかしだ、ここで一つ疑問もある。
「ねえアリス、売るとかじゃなくて、自分が渡す分はどうするのよ」
「え?私が?……あ、そうね。確かに。それを忘れてたわ」
一番忘れてはならないところを、これっぽちも考えていなかったようだ。バレンタインを商売の機会としてしか考えていなかったのだろう。
「これがこっちで、あれがあっち。人里の子供たちに渡す分、お世話になった店の人に渡す分、魔界のみんなに渡す分、それから……こんなものかしら。
あれ、おかしいわね?チョコレートが全部無くなってしまったわ」
こんだけの量を渡す分だけで捌き切れるというのも大したものだと思う。アリス、幻想郷以外の場所に変な友達多いからなあ。
あ、私は別に友達とかそういうんじゃない。断じてない。誰に言ってるんだ?
「あーあ、なんかこれ以上作るのも面倒だし、もういいわ」
一気にやる気が削がれたようで、アリスは椅子にぐでんと腰掛けると大きく溜息を吐いた。
どうやら、アリスの馬鹿な計画を止めることに成功したようだ。私は何もしてないけど。
「ま、いいか。そもそも私、別にお金に困ってるわけでもなかったし」
このやろう。
「はあ。チョコレート。貴方が」
「ええ、アリスの度肝を抜くようなものすごいやつを!」
それから私は一人永遠亭へ向かった。
理由とはいえば、チョコレートを作る為だ。アリスの度肝を抜くようなものすごいやつを。
どうやらアリスの頭からは私への日頃の感謝を籠めてチョコレートを渡す、という発想がすっぽりと抜けているようだった。
ならばと私は当初の作戦に見切りをつけ、こちらからチョコレートを渡し一ヶ月後のホワイトデーに三倍返しのお礼をふんだくる、名付けて『目先のおにぎりより柿の種』作戦に切り替えることにしたのだ。
バレンタインデーにもらった物に色をつけてお返しする『ホワイトデー』のことくらい、私だって知っていた。そんな素敵な発想の出来る私がなぜいまさら永遠亭に来たのかというと、ずばり私はチョコレートなど作った事が無いからだ。
アリスの家ではただ食べる事だけが専門だったし、料理一つもしたことない。
とりあえずチョコの作れそうな人で私の知り合い、アリス以外。というわけで、まず永琳をあたってみたのだった。
「まあ。チョコレートくらい作れない事も無いけれど」
「本当に!?」
やはり永琳はいつだって頼りになる。普段頼んでもいないのによけいなことをしでかすくせに、肝心な時にはてんで頼りにならないアリスとは大違いだ。
「と言っても、まさか原料から作るわけにはいかないでしょう?となると市販のチョコを溶かして作るしかないけど、幻想郷にそんなもの売ってるのかしら」
……ここで、私の常識というものも相当に狂っていたのだ、とうことを思い知らされた。
私はクッキーやらアイスクリームやらポテトチップやら、そしてチョコレートというものを、ごく自然におやつ感覚で食べていた。アリスの至極まっとうな趣味の一つが、お菓子作りだからだ。和から洋までそのメニューは多岐にわたり、そのどれもが一級品だ。相変わらず魔法や人形とはまるで関係がないけれど。
しかし、そんなアリスに毒された私がまともな考えに及ぶはずもなかった。料理なんぞやったことも無いので詳しくは知らないが……もしかして、チョコレートの原材料って、ここでは手に入らないものだったりするのだろうか。
「私は作れと言われたら原料からだってチョコレートを作る知識を持っているわ。伊達に長く生きてるわけじゃないものね。まあ、無駄知識だけど。ただ、ゼロから用意しろ、なんてのはさすがに困ってしまうわ」
永琳ですらお手上げのようだ。しかし、心の傷を負ったものの無駄足だったわけではない。少なくとも、これで方法は当てが付いた。
ならば、あと私が探すべきものは、チョコレートの原料『カカオ』か、『既成のチョコレート』だ。
アリスを頼ればそんなのいくらでも手に入りそうなものだが、私はそれをしようとは思わなかった。
私の目的は、アリスを唖然とさせるほどの、まったくケチのつけようのない、完璧にして美味なチョコレート、だ。それなのにアリスに相談しては意味がない。サプライズ、というのも重要なところだ。私がチョコレートを作ろうとしていることを知られるわけにはいかない。
かならず見つけてくる、と永琳に約束し、私は永遠亭を後にした。手ぶらでは帰らない所存である。バレンタインデーまで、ええと……そう。あと5日、だ。
それまでにチョコレートを完成させ、アリスのほっぺを叩き落とすのが私の目的だ。難題だが、それだけにやりがいもある、というものだ。
歩く間も惜しく、私は颯爽と竹林を飛び抜ける。とりあえず最初に行くところは決まっていた。
しかしやっぱり迷いそうだったので、引き返して案内を付けてもらい、因幡を急かして進んだ。
「……で。慌てて私の所にやってきて何かと思えば、『カカオをよこせ』と」
「うん」
幽香ならなんとかしてくれるだろうと、私はまず最初に向日葵畑へ向かった。雪の積もった冬の向日葵畑の風景はやはり寂しいが、幽香はそんなことおかまいなしにやっぱりそこにいた。寒くないのだろうか?私は寒い。
「時々、あなたが只者じゃないんじゃないかと思えることがあるわ。私に向かってそんな事言えるの、間違いなくあなただけよ」
何を褒められているのかはさっぱりわからないが、私にとって重要なのは、幽香の能力の内にカカオは含まれるのか、ということだ。カカオっていつの植物なんだろう。四季のフラワーマスターにどうしようもできないんじゃお手上げだ。ところでカカオの季節っていつだろうなあ。
「で?できるの?できないの?」
「やっぱり、あなたはすごいわよ」
向日葵畑を後にした私は、冬の冷たく暗い空を突っ切り天界へと向かっていた。カカオを用意するくらいたやすい、と言い切った幽香はしかし、ただで渡すのは面白くないと意地の悪い笑みを浮かべ、私に『この冬にも咲いている、綺麗な花を見せてごらんなさい』と難題ふっかけてきたのだった。その問いに意味はないだろう。ただ黙って協力してやるのは気に入らなかっただけに違いない。
私はこの真冬に咲く花なんてあるものか、と投げ出すことはせず、ちょっと考えて天界に行ってみることにした。こんな時、アリスを通じて無駄に広がった人脈が役に立ちそうだ。
とはいえ、私は天界になんて行ったことない。天界って言うくらいなら上の方にあるだろう、と深く考えず高く高くと飛び続けたのは失敗だったかもしれない。
暗いし、寒いし、うわ、雷だ。もう帰ろうかな、と思ったときだ。
ふわっ、と突然人影が現れ、とても驚いた。
「おやおや、わざわざ寒い中ごくろうさまです。この先は天界、退屈と雲以外何もないような場所ですが、なにか用事でも?」
まるで気配のない登場をしたこのひらひらした人を、どこかで見たような気がする。
そうだ、私の目当て、天子がお熱をあげているリュウグウノツカイの。
「ピースデストロイヤーさんでしたっけ」
「永江の衣玖です。なんですかその物騒な通り名」
そうだった、いくさんだ。
「あなたは鈴蘭畑の毒人形、メディスンさんでしょう。人形遣いの方は今日は一緒じゃないので?」
そんなに話したことのないような人にも、セット扱いされていたのか。
「私一人だよ。天界というか、天子に用事があるんだけれど」
「まあ、総領娘様に。わざわざ来ていただけるとは、きっとお喜びになることでしょう。
でも残念です、今総領娘様はお出かけになっていまして」
「え、そうなの?」
「はい。ついつい力んでぶっとばしてしまったので、今どこにいるかは……」
……ん。
「ぶ、ぶっとばした?」
「ええ。さすがの私も『私を殴れ!もしくは殴らせろ!』なんて情熱的な告白をされたのは初めてだったので、ついつい」
天子は何がしたかったのだろう。河原で寝そべって友情を確認したかったのか?
いくさんの『ぶっとばしてしまった』なんて似合わないような一言も、それは、なんというか……仕方ない、のだろうか。
「お力になれないどころか邪魔をしてしまったようで、申し訳ありません」
「いや、まあ……別にいいよ、うん」
「そうですか。総領娘様が戻ってきたらあなたのことは伝えておきますので、一度地上に戻られては?」
「うーん、私も天子を探してみるわ」
「わかりました。それではお気を付けて」
いくさんはひらひらと飛び去って行った。
しかしまいった。天子がいないなんて。
こんな時期に花がある所なんて天界くらいしか思いつかなかった。だから天子に案内してもらおうと思ったのに。
一人でもこっそり行って花を取ってくるくらいは出来そうなものだけど、あいにく私はアリスや他の幻想郷民のように心が図太くできていない。知り合いも無しに行ったことのない場所を歩き回るなんて無理だ。
ずいぶんと遠回りになりそうだけど、まずどこかにぶっとばされたらしい天子を探しに行くことにした。
……あ、案内してもらうの、いくさんに頼めばよかった。
当ても無く幻想郷の空を飛び続け、ふと前を見ると魔理沙の姿を見つけた。箒に乗ってまっすぐ飛び、私を見かけては急カーブしてきた。意味も無く人に突っかかるのが好きなやつだ。
「よー、メディスン。あれ、お前一人なのか?」
私が一人でいちゃいけないのだろうか。
「魔理沙はこんなとこで何してんの」
「寒いから、霊夢にあったかい物を食わせてもらおうと。せっかくだし、暇ならお前もどうだ」
魅力的だった。やっぱり、このまま飛び続けたって天子が見つかる保証は無い。時間はあるのだし、おとなしくいくさんの連絡を待つのも手だろう。
私は魔理沙の後について、博麗神社へ向かった。
天子は神社の屋根に刺さっていたようだ。
「うう、なんで私がこんなことしなきゃいけないのよ」
「あんたがいきなり人ん家の屋根に突っ込んでくるからでしょうが」
天子は霊夢に指示を受け、穴のあいた箇所を修繕し、ちらかった床をせっせと片付けていた。こんなところまで飛ばされていたのか。
衣玖のせいだ、衣玖のせいだ、とぶつぶつ言いながら働いているが、私に言わせれば自業自得だと思う……たぶん。
「よう、相変わらず愉快なことになってるなあ」
「あら。魔理沙……に、メディスン?珍しいわね、あいつが居ないなんて」
こいつらは私をなんだと思っているのか?
霊夢のお茶を飲みながら、天子を呼んでもいいかと聞いてみる。一刻も早く神社を直してもらいたい霊夢はいい顔をしなかったが、天子が拘束されたままだと困るのだ。
休憩だ、と霊夢が告げると、天子は大きく息を吐いて腰を下ろし、湯呑みに手を伸ばした。
「あれ、メディスン?アリスは一緒じゃないの」
どうあっても私とアリスをひとくくりにしたいらしい。
「花?天界に?そりゃあるわよ」
あるみたいだ。
「一年中おんなじような景色で、季節感というものが無いのよね。こういうとこは地上を見習ってほしいわ。はあーあ」
どうも今日の天子は愚痴っぽい。ともかく、花があるなら話は早い。
「天子にお願いががあるの。天界から花を取って来てほしいのよ、できるだけ綺麗なやつ」
「花?またへんなお願いね。それは別にいいけど……あれを直すまで絶対逃がさん、て言われてんのよね」
すぐそばで霊夢が睨みを利かせている。逃げ出そうものなら殺しかねない眼つきだ。これは間違いなく元通りにするまで離さないだろう。
そしてどうやらこの作業、大分時間がかかる見込みらしい。複雑に壊れた個所を限定的に修復するのは手間がかかるようで、しかも人手は天子のみ。一度全部ぶっ壊して最初から建てるなんてのはできないし、やれば天子の首が飛ぶだろう。
時間は……まだ余裕はあるにはあるけど、やっぱりできることは早く終わらせてしまうのがいい。
「ねえ、天子。それ、私も手伝っていいかな」
そう言うと天子は目を丸くした。
「はあ?手伝い?……それはありがたいけど、どうしたのよ、突然」
天界へ一人で行くのは心細い、無理だ、とは言えなかった。
手伝いの申し出に霊夢も驚いていたけど、断る理由は無かっただろう。私は右手にトンカチを握り、口に釘をくわえ、左腕に木材を抱えると、まったくどんな勢いで突っ込めばこんな大惨事なるんだというほどの大穴に戦いを挑む。
こういうのはアリスの人形達の得意分野だろう。しかし私だってやろうと思えばできるに決まっている。自律人形のプライドだってあるのだ、これくらいはちゃちゃっと片付けてしまおう。
作業はただでさえ薄い日が落ちるまで続き、私たちは博麗神社に泊りこんで朝早くからも仕事を続けた。
一晩明け、翌日の昼ごろようやく完成。疲れた、眠い。もう二度とこんな重労働はゴメンだと思った。こういうとき、人形を操ることができたらどんなに楽か……だめだ、思考が自律人形としてはあらざる方向に傾いている。
あくびを噛み殺してから、天子が言った。
「いやー、助かったわ。これ一人でなんてやっぱり無茶だったわね」
前に神社を壊したときはどうしていたんだろう。
「ええと、何をお願いされてたんだったかしら。ああ、花だったっけ?じゃあちょいと採ってくるから、あんたはここで待ってなさいな。お礼には足りないかもしれないけどね」
疲れを見せずにさっと立ち上がり、びゅうと天界へ飛んでいく。あっというまに見えなくなってしまった。私も一緒に行こうと思っていたけれど、行ってしまったものは仕方ない。せっかくだから任せておくことにした。
霊夢にお茶を淹れてもらい、待つこと数十分。そろそろ来るかと空を眺めると、なにやら猛スピードで飛来する一つの影が。あれ、と思った時にはその姿がはっきりし、おや、と思った時にはすでに境内の石畳に突き刺さっていた。こんな芸当ができるのは天子の他に居ない。違う人なら死んでいる。
はたしてその飛行物体は天子であり、地面の一角にヒビをいれ頭から血を流してなお平然とそこに立ち上がる頑丈さは相変わらずだった。
「いやあ、途中で衣玖に会って。あんなことで怒るんなんて、あいつ意外にウブなのね」
天子の言葉一つで状況を推測するのはあまりに困難だ。流すことにした。
「とってきてくれた?」
「ええ。これでいいかしら」
懐から取り出したのは私にもなじみ深い、彼岸花。天界に咲く花はやっぱり丈夫なのか、あれだけの勢いで飛んで来た天子の懐にあったにも拘らず綺麗な形を維持していた。受け取って、お礼を言った。
「ありがとう、天子」
「ま、お互いさまよね」
天子は血をポタポタと垂らしながら笑った。これも流してしまったけど、大丈夫なのだろうか。
「そういえば、天界でアリスに会ったわよ。雲のはじっこに一人で寝転がって釣り糸垂らしてたわ」
なにをしているんだ、あいつは?
「何やってんのって聞いたら、そのまんま釣り、ですって。『メディがいないとなんだか創作意欲が湧かない』って愚痴ってたわよ。……ああ、あんたのことは黙っといたわ。訳ありみたいだし」
ちょっとヒヤリとしたけど、思っていた以上に天子は空気の読める人だった。
「魚釣る気なんてまるでないみたいで、釣り針で桃削って遊んでたわ。妙に芸術的だったんで、一個貰ってきちゃった。ほら」
自分の帽子を指差す。確かにそこにあった桃が一つ減って、代わりにサイズの小さいパイナップルが置かれていた。うかつに触るとケガしそうなほどで、完成度は高い。
また変な事をしているようだけど、それなりに大人しくしてくれているみたいだ。アリスの事は放っておいても大丈夫だろう。
「それじゃあね、天子。霊夢も」
私は二人に別れを告げ、さっそく向日葵畑へ向かうことにした。
「ええ、また」
「じゃーね」
「さて、私も帰ろっと」
「おい待て、あんたはあの血だまりを掃除してから行きなさい」
「うげぇ」
幽香に、約束通り持ってきた花を見せる。「まさか本当に持ってくるとは思わなかったわ。もっと捻った答えを期待していたのに」なんて言われても今さらだ。
「約束のブツは?」
「ここに」
冬の向日葵畑にはあまりにも不釣り合いな、南国気分を彷彿とさせる一本の木。そこに成る大きな実がカカオのようだ。さすが幽香だ、植物ならお手の物か。なんとか収穫。重い。
でもこれ一つで、どれくらいのチョコレートになるんだろう。苦労を覚悟でもう一つくらい持って行っておこうか。
「チョコレート作りたいんでしょう?だったらそれで十分だと思うわよ」
「え。なんで、私がチョコレート作ろうとしてるってわかったの?」
「……それでアメフトでもやるつもりだったのかしら」
「これ、内緒にしてよ。特にアリスには!」
「はいはい、わかってるわよ」
心配だけど、幽香を信じるしかないだろう。幽香は三度の飯より人をいじめるのが大好きな、アリスとは別ジャンルの変人だが、わざわざ協力してくれてからというのは……いや、逆に危ないような気がしてきた。不安になってきた。
幽香のことだ……『こんにちはアリス突然だけどメディスンがあなたの為にわざわざチョコレート作ってあげようとしてるんですってかわいいところもあるわよね』なんてことをいとも簡単に言ってしまいかねない。そうするとアリスがあらぬ誤解を抱く上にサプライズがだいなしになる。問題が増えてしまった。
しかしどうすれば幽香の口を封じることができるのかと言えばそんなもん見当もつかない。幻想郷最強の一角に喧嘩を売れるほど私は偉くも強くもないので、できることなどゴマをするくらいしかないのだが、幽香は土下座した相手の頭を踏み押し付けそのまま墓穴掘って埋めるくらい弱い者いじめが大好きなので、それもまた逆効果だ。どうしたものか。
「ちょっと、メディスン?何をそんなに青くなっているのよ」
「いや、どうやったら幽香に黙っててもらうことができるのかなぁって」
「え?」
あ、しまった。
「そんなに私は信用ないのかしら」
拗ねたような口ぶりで幽香が言う。それを私が慰めるという変な構図になった。
「そもそもべつに弱い者いじめが好きなわけじゃないのに、なんで変なイメージが定着してしまっているのよ。メディスンの頭の中の私は一体どんな怪物なの」
「いやあ、ほら……幽香強いから、どうしても怖く感じちゃうんだよ。あと人の心を読まないでください」
「怖そうなのなら他にもいるじゃないの、吸血鬼とか幽霊とか。私なんてかわいいものよ?」
「だって、幻想郷の鬼とかユーレイってあんまり怖くないし。幽香はほら、遠目からは『お花の好きそうなお姉さん』なのに、近付くと気配がタダモノじゃない上に笑顔が怖いから……」
「私は普通に笑ってるつもりなのよ」
「その普通が怖いのよ、もっと意識してマイルドに笑ってみたらいいんじゃないかしら」
「こう?」
「土下座したくなった」
「…………」
あーあ、すっかりふてくされてしまった。今の幽香はとても危険な妖怪には見えない、なんだかかわいそうになってきた。でも私にはどうすることもできない……時間が解決してくれるだろう。
「はあ、メディスンまで人をなんだと思っているの。怖がられないのもなんとなく妙な気はしたけど、いきなりころっと変えられてもそれはそれで不愉快なのよ」
そこで『不愉快』なんて単語がさらっと出てくるから怖いんだよなあ。
でも確かに、私が幽香を怖がるようになってしまったのはつい最近の話だ……怖がるといっても内心だけでだけど。実はその理由に心当たりはある。しかしどう考えても言ってはまずいことになるので言わないことにした。
「『心当たりがある』って顔してるわね。怒らないから言ってみなさい」
こうやって人の心を読むから怖いのだ。『怒らないから』なんて言っても怖い。ついでの笑顔も怖い。よって言うしかない。
「いやあ、ほんと、たいしたことじゃ……ただ、アリスが」
「アリスが?」
大丈夫だ、幽香とアリスは意外に長い付き合いらしいし、怒らないだろう。
「幽香の事を、ね?なんというか、いつも『怖い』とか『不気味』とか『生理的に相容れないタイプ』とか言ってるから、私にもうつったというか」
「へえ?」
あ、怖い。危険度カンスト最凶妖怪風見幽香の復活だ。
「そのうちあの子に会いに行く必要がありそうね。ああ、メディスンのことはちゃんと黙ってるわよ」
それを約束してくれて安心した。作ったチョコレートを墓に供えることにはならなければいいけど。
宣言通りにカカオを手に入れ永遠亭へと帰りついた私を待っていたのは、想像以上の地道かつ面倒な作業だった。実を開き、豆を炒り、砕き、皮なんかを取り除いて、砕く、砕く、砕く、砕く、ぐるぐる回してすりつぶす……くだくだ、いや、もうくたくただ。くそうぐだぐだだ。
「お疲れね、メディスン。もう十分でしょう」
助かった。これ以上スリコギを握り続けていたら、腕がコナゴナになっていたかもわからなかった。お菓子作りというものがこんなに重労働とは思わなかった。神社の修繕作業で酷使した腕が痛む。
ボウルの中にたっぷりの、丹精込めてかき回したカカオは、もうチョコと呼んでもまあ問題は無いのではないかというほどになっている。つまりこれはチョコレートと言ってしまっていいのである。やった。完成だ!
「まだ完成までは時間がかかるけど、頑張りなさい」
……くっ。
永琳は私のいない間、カカオ以外のこまかな材料や道具を用意してくれていたらしい。とてもありがたいことだ。いちいちアリスのように『こんなこともあろうかと!』と無駄なエフェクトで演出してこないのがとくにありがたい。さて、ここからの作業はそれらの材料と粉末にしたカカオを混ぜることだったのだけど。
「あら……おかしいわね。砂糖を切らしてしまっているわ。まだ残っていたはずなのだけど」
とのことなので、私が買いに行こうと申し出た。場所や材料を借りるだけっていうのも、なんだかおちつかないし。
「そう?うどんげにでも行かせようと思ったけど……じゃあお願いできるかしら」
「まかせて!」
そんなこんなで人里に着いた。一人で来るのは初めてだけど、行ったことがないというわけではない。知り合いもいるし、大丈夫だ。
早速砂糖を買いに行くことにしよう。
「これください」
「あいよ。これお釣りね」
「ありがとーございました」
買った。帰ろう。
こんなにあっさりと終わるはずがない。だれかさんのせいで無意味に研ぎ澄まされた私の『やっかいごと感知レーダー』が告げている。これは『行きはよいよい、帰りは怖い』のパターンとみた。細心の注意を払い、不穏な気配があれば巻き込まれることのないよう慎重に、かつ大胆に進むことにする。
「右よし、左よし、手元の砂糖の無事を確認……前進」
周りからは挙動不審なヘンテコ妖怪がいるぞと思われてしまいそうだが、仕方がない。これくらいはしないと、幻想郷での平穏無事な生活は望めないのである。……あれ。
そういえば、今はアリスがいないのだから、こんなことする必要はないんじゃないか。そうとも、私がやっかいごとに巻き込まれるのは十中八九アリスのせいだ。なんだ、気をつかって損した。急に恥ずかしくなってきた。誰かに今の奇行を見られては……うわッ!
「なにやってんのさ、変なカッコで」
チルノがいた。なんでよりによって今会うんだ。
「こんにちわぁ」
あ、大妖精もいたんだ。時々見る変なコンビだけど、今日はこんなところにまで来て何をやっているんだろう。
「アリスさんならあっちにいるけど、一緒に行かないの?」
「そういえばあんたいなかったね」
先に聞かれたのは最近のお約束になっているようなセリフだ。もういちいち答えるのも面倒だ。
「別に、一人でここに用があっただけよ。……アリスは何してた?」
なんとなく聞いておかないと気が済まない。人里でなにかやらかすなんてことはないだろうけど。
チルノは妙にニヤニヤして、懐から何かを取り出した。人形だ、しかもチルノにそっくりな。
「視聴者参加型即興人形劇ぼりゅーむスリー。へへ、もらっちゃった」
「あ、私も」
二人とも自身にそっくりな人形を持っていた。適度にデフォルメされてはいるものの特徴を押さえ、一目で誰かわかるほどだ。本職だけあって完成度は高い。チルノの羽なんて実際に浮いてるように見えるけど、どんな仕組みなんだろう。
でも、妖精が人形なんてもらって嬉しいものなのだろうか。
「タダでもらえるものは何でももらっておく、キホンよね」
「はいはい、よかったねチルノちゃん。この芸術が理解出来ないなんて愚かだね、かわいそうにね」
大妖精がなんだか怖いけど、聞かなかったことにしておこう。ともかくアリスにしてはやることがまともだったようで、安心した。
チルノ達はアリスの人形劇目当てだったようなので、もう帰るとのこと。私も用事は済ませたので、永遠亭に戻るとしよう。何事もなさそうでよかった。
……というようなことを思ってしまうと何かが起こるというのがいわゆる『フラグ』というやつなのだなあと気づいた時には手遅れだった。私はなぜだか人里の子供たちと鬼ごっこなんかをしていて(『おねえちゃん』の響きには勝てなかったのだ)、石に蹴っつまづいて転び(私の身体能力はそこらの子供程度でしかない、くやしいことに)、砂糖を入れておいた袋が宙を舞い(きっちり閉じてあるので中身は無事だろうけど)、それをたまたまそこにいたミスティアが空中でキャッチして(ほんとになんでこんなとこにいるんだ、人形劇でも見てたのか?)、あろうことか私の静止の声も聞かず、そのまま持ち去ってしまった(どう考えてもおかしなことだというのに、ミスティアは私にまるで気が付く様子はなかった)。
やはり面倒な事になってしまった。買い直すお金なんて無いので取り返すしかない。
子供たちに別れを告げ(また遊ぼうね、と言ってくれたのでうれしかった)、沈みかけた太陽の光を頼りにミスティアを追いかける。冬なんだから鳥らしく大人しくしていてもらいたいものだ。寒くないのだろうか?私はとても寒い。これは『懐が寒い』ということをかけた高度な冗談なのだが……一人でやってもむなしいだけだ。
「こらー!」
「♪♪♪……あら?」
なんとか接近して呼び続けて、ミスティアはようやくこちらに気がついた。鼻歌なんて歌っている、こっちは疲れているのに。
しかしミスティアは振り返って私の姿を認めたのにもかかわらず、止まろうとしない。むしろスピードを上げて振り切ろうとしているようにも思える。
「なんで止まらないのよ!」
「止まる理由がないもの?」
こいつめ、しらばっくれていやがる。
「その袋。私のよ、返して!」
「これ?」
「そう!」
「いやーよ。私が拾ったのだから、私のものでしょ?」
この鳥、ハンバーグにされたいのか?
「それとも、この袋があんたのものだって証拠でもあるのかしら?」
証拠を出せと言われても、そんなものは無い。しまったな、領収書を切ってもらうべきだった。
ただ、『それじゃあ諦めます、あなたにあげます』なんてのもありえない。
「証拠、確かにそんなものは無いわ」
「へえ。じゃあ私のものよね?」
「だから、まずあんたをボッコボコにする。そのあとゆっくりそれを返してもらうとするわ!」
言ってもわからない馬鹿には、実力行使が手っ取り早い。そもそも幻想郷じゃ話し合いで何かを解決、なんてほうが珍しいのだ。十数行会話が続けばたいしたものである。
「ふーん?そんなに大事なものなの。ますますあげたくなくなったなー」
「だーかーら。あんたの気持ちは聞いてないよ」
時間が惜しい、もう死んでもらおう。
勝った。人生の勝利者。
「うっそお、早すぎる。強すぎるう」
「食べ物の恨みは恐ろしいのよ。調味料だけど」
「さしすせそー♪さしすせそー♪」
「毒に苦しみ悶えたあげくに死ね」
空白の一行に何があったかはお察し下さい。こんなのに時間かけてられないのだ。砂糖は取り返した、永遠亭に戻ろう。
かなり帰りが遅くなったので心配された。人里で遊んでおいかけっこして弾幕ごっこしてました……とは言えないので、私は適当な事を並べて永琳をごまかした。
さあ、砂糖も買ってきたし、チョコレート作りの再開だ!
と気合を入れ直したのだが、もうすっかり遅い時間だ。続きは明日でもいいだろうと言われた。途中でほったらかしにしても大丈夫なのか心配だったが(そもそも帰りがあまりに遅くなった時点で手遅れだが)、そこは永琳がうまいことなんとかしてくれるそうだ。私は疲れていたので、ぐっすり眠った。
朝だ。バレンタインまであと三日。チョコレートは今日中には完成するだろう。自分で作る物が完成に近づくというのは、なかなか胸が高まるものだ。
朝食は焼き魚だった。誰かが川で釣ってきたのだろうか。ニンジンの漬物も味が染みておいしい。アリスは基本的には洋食派なので、久しぶりの白米がすすむ。神社じゃお茶を飲み続けてお腹一杯になってしまったからなあ。でも箸の扱いにはなかなか慣れない……私の手は小さいので、こういうのには向いてないんだ。
……永琳がさっきからこっちを見ている。なんでもないわ、とはぐらかされた。
「さて、そろそろ続きを始めましょうか?」
どんとこい。
台所には私が昨日力の限りを注いで砕いたカカオ、そのほかに永琳が用意してくれたらしい色んな材料が既に並んでいる。これらを一つにまとめてひたすら混ぜ続ける、それが私のやるべきことだ……最後まで力仕事だ。
混ぜる、混ぜる……さて。『愛情は最高のスパイス』だと言ったのは誰だったか知らないが、とにかく気持ちを込めて作ればおいしくなるよ、ということだろう。しかし私はアリスなんぞに愛情なんてものは持ち合わせていないので、代わりに日頃のうらみつらみを存分にぶち込むことにする。なあに、味なんて変わりはしない。アリスも言ってた、『気持ちで味がよくなるならシェフなんていらない』と。
混ぜる、混ぜる……そういえば、花に音楽を聞かせたり話しかけたりすると綺麗に咲く、と聞いたことがある。植物にゲージュツを理解する心があるなら、あながち嘘でもないだろう。現に、鈴蘭の毒で動く私にも心はあるじゃないか。カカオも植物だ、ちょっと話しかけてみようか。
「もしもし、きこえますか?」
「…………」
「聞こえてたら返事をしてください」
「…………」
「もしもーし」
「…………」
「聞こえているけど、返事をする手段がなかったりするんですか」
「…………」
「おおい、この。まぜるぞ」
さて。永琳の私を見る目が白くなりつつあるので、ここらでやめにしておこう。所詮カカオはカカオだった。
混ぜる、混ぜる……おや。なんだかそれっぽくなってきた。おいしそうだ。ちょっと味見をしてみたくなった。どれ、一口。
……チョコレートだと言えばチョコレートだけど、なんだか、ううん、まあ……チョコレートだ。悪くはない。初めてならこんなもんだろう、と割り切ることにする。砂糖と塩を間違える、なんてベタな事にもなっていないし。
『見てメディ、ついにお菓子の家を作ることに成功したわ』
『うわっ、いつのまに』
『もちろん全部食べられるわよ。魔法のおかげで衛生面も完璧、常温でも二年は問題なく保存が可能、味も折り紙つき。まさに魔法使いの夢の結晶と言えるわね』
『これのために最近夜更かししてたの……?』
『いや、なんとなく作りたくなって、やってみたらできたわ。何事もやってみるものね、ははは』
……なんでアリスの声が聞こえるんだ?くそ、イライラしてきた。
混ぜる、混ぜる……疲れてきた。
混ぜる、混ぜる……もういいんじゃないか?
混ぜる、混ぜる……いつまで続ければいいんだろう。
混ぜる、混ぜる……もうやめたい。
混ぜる、混ぜる、混ぜる、混ぜる、混ぜる、混ぜる、混ぜる、混ぜる、混ぜる、混ぜる……
お湯で温めながら混ぜる混ぜる。混ぜ続けて……そして終わった。ようやく終わった。終わったのだ。
「あとは型に入れて冷やすだけよ。どれがいい?」
永琳の持ってきた、ハートや星やダイヤや丸やらの型にチョコレートを流し入れる。これで冷やせば立派なチョコレートの完成だ。
なんだか意味も無い引き延ばしやしなくていい遠回りばかりしてきたような気がする。が、終わったことだ。疲れた。でもなんだかいい気分だ。
バレンタインまではまだ余裕がある。
「永琳、これでアリスを死ぬほど驚かせることはできるかしら」
「死ぬほどとはいかないでしょうけど……メディスンが一人で作ったという事を教えたら、きっと驚くでしょうね。味も申し分ないようだし」
永琳め、こっそりつまみ食いしていたな。でも味に問題がないようで安心した。うっかり毒でも入れてたらどうしようかと思った。
しかし、いい具合に出来上がったのはいいけれど……やはり、どこかインパクトに欠ける。見た目も普通、味も可もなく不可もなく……これではアリスのほっぺを叩き落とすという当初の目的が果たせないのだ。
かといって、今の段階ではこれが精一杯の力作だ。これ以上見た目などに工夫を凝らすのは難しいだろう。どうしようか。
永琳に聞いてみると、それなら包装にこだわってみればいいのでは、と言う。
なるほど、包装。贈り物ならではだ。たしかにプレゼントとして渡す物なら、これも大事だろう。
それに、せっかく自分で一から作り上げたチョコレートだ。できるならとことんまで凝ってみたいとも思う。ううん、なんだかアリスの気持ちもよくわかるような。
ともかく、そうと決まれば、早速探してみる事にする。
「永遠亭には、こういう物に合った箱や紙なんかは無いわね。どこにあるかしら」
またひたすらに飛び回る羽目になりそうだ。まあ、ここまで来たのだから。時間もある、ゆっくり行こう。
永琳にチョコレートの無事を保証して貰い、私はまた一人空へ向かった。
今回はまるであてが無い。どこからか現物とまではいかなくても、なにかヒントのようなものが降ってきたりしないだろうか。
空を見上げてみる。晴れた冬の青空だ。まだ陽は高い。小さな雲が流れている。風がそこそこ強く寒い。鳥だ。二羽でくるくる飛んでいる。何か私の役に立ちそうなものが降ってくる気配はない。
視線を下げてみる。木だ。土だ。あたりまえだ。人も妖怪も見当たらない。おや、妖精がいた。弾を放ってきた。返り討ちにした。何か私のためになりそうなものが落ちている気はしない。
まあ、道端に置いてあるようなら苦労はない。とりあえず誰かを尋ねてみようか。どこがいいかな……
たまたま近くだったので、昨日に続いて人里に来た。これは正解かもしれない。誰かにもらおうと思うとまたおつかいさせられるような気がするので、自分で買うのが一番手っ取り早いだろう。
でも綺麗な紙や箱なんてのは、どこに売っているんだ?こういうことこそ聞いてみよう。
「すいません」
前にいた変な帽子の女の人に声をかけてみる。振り向いた。知り合いだった。慧音だ。
「何か用か?おや、メディスン」
変な帽子ですね、と思ったことは黙っておこう。それにしても変な帽子だなあ。重くないのだろうか。
「ああ、慧音。ちょっと聞きたいことが」あるんだけど。……きょろきょろして、どうしたんだろう。
「おや?アリスはいないのか」
どうせ聞かれるんだろうなあ、とは思っていた。案の定だ、ちくしょう。
「一人だよ。アリスに用事でもあったの?」
「いや、昨日の礼をしていなかったからな」
昨日。アリスは人形劇をしていたようだったけど、それのことだろうか。あれの趣味みたいなものなのだから、お礼なんていらないと思うけど。
「急な用事ができてしまって、臨時休校のつもりだった寺子屋を代わりに任せていたんだ。さすがだよ、魔法使いの知識というのは侮れないな」
どうもアリス、最近じゃ趣味が高じて教師を始めたらしい。なんだ……?あいつはいったいなんなんだ……?
「おまけに人形劇まで披露してくれたようで、子供たちも大喜びだったよ。ああいうところは私も見習いたいものだ、どうも堅物先生と思われているふしがあるからな」
子供の扱いがうまいというか、精神年齢が同レベルというか……そういえば妖精とも仲いいよなあ。
どうしてあのちゃらんぽらんが人里では気のいいお姉さんで通っているのか、じつに不思議でならない。『幻想郷一人七不思議』の一つだ。おそらくあと六つでは収まらないだろうけど。
……む、どうしてこんなところでまでアリスの話をしなくちゃいけないんだ。くだらないことに時間を使ってしまった。私はやるべきことがあるのだ。
「ねえ慧音、さっきはいいそびれたけど聞きたいことが」あるんだけど。……なんで私は手を引かれているんだ?
「せっかくだ、お礼代わりにみっちり勉強を教えてあげよう。なに、遠慮することはない」
……?……おかしいな……
なんで……アリスのお礼代わりに、私が勉強しなくちゃいけないんだ……?それは、なんというか、お門違いというか……そもそもお礼になっていないだろう、いや、あれ……?どういうことなんだ……?
「え?あ?お?あの、慧音?」
「心配することはないさ、子供たちはみんなお前の事は知ってるし、わからない所は丁寧に教えてやれる」
そういうことじゃなくて……あれ、なんで私はそんなに有名人なんだ。
いや、そもそも妖怪が人里に入らないようにするのが慧音の仕事なんじゃなかったっけ?昨日もそうだったけど、なんだか警備が甘くないだろうか。信用してくれるのはうれしいけど、人里の守護者がそんなことでいいのか、大丈夫なのか。
「勉強はいいぞ、進んで勉強するのはもっといいぞ!いやあ、なかなか見上げた心意気だ。近頃の子供は勤勉だが、自分から何かをしようとする気持ちに欠ける。その点おまえは、生まれたばかりの妖怪ながら礼儀正しく、自ら学ぼうとする珍しい奴だな。いやはや、どっかの妖怪じみた巫女にも見習ってもらいたいね」
なんだ、人の話を聞かないのが最近はやっているのか?いつから私は寺子屋で勉強しようと思っていたんだ?……なんなんだ、アリスは、離れていようがお構いなしに私に厄介事を押しつけるつもりなのか。……そうだ、これもあいつのせいだ、みんなみんなアリスのせいだ。この世の不幸の七割はアリスのせいだ、少なくとも私の不運は九割九分アリスの責任だ。どうなっているんだ、神様はいないのか、私を見放したのか?その神様がアリスを生んだんだ!神は死んだ!死ね!
「突然だが今日一日一緒に勉強することになった」
「メディスン・メランコリーです」
私が内心の愚痴を口に出してぶつけないのは、言ったところでどうにもならんと身に染みてわかっているからだ。力ない物はNOと言うことすら許されないのは、どこの世界でも同じことだろう。あーあ、妖怪としての威厳がかたなしだ。いや、そんなものはもともとなかったか。
別にカリスマだの地位だのを欲しいとは思わないが、しかし複雑な気持ちだ……アリスは何を考えて普通の人間たちと仲良くしているんだろう?あいつは人間じみた妖怪なのか、妖怪じみた人間なのかがよくわからないので参考にならない。『とんでも人間』というのがしっくりくるな。ああなったら妖怪としてはオシマイだろう。
「じゃあ、お前はそこの空いてる席に着け」
あ、隣は昨日一緒に遊んだ子だ。少し心細かったので安心した。授業が終わったらまた遊ぼうって?いいね、それ。
……ん?
結局永遠亭に帰りついたのは日も落ちてからで、それなのに収穫は全く無かった。そもそも私は人里へ包装用の紙やらを買いに行くつもりだったのだ、ということを思い出したのがたった今だ。私は何をやっていたんだ?ただ寺子屋でぶつぶつとお話を聞いて、子供たちと遊んだだけで帰ってきてしまった。いやでも、あの子のお母さんが作ってくれたゴハンはおいしかったなあ。
……おっと、いけない。このままでは私まで堕落の一途、目も当てられない惨状、アリスの二の舞。私は違う。大丈夫だ。うん。
そう思わないとやっていけないのでそう思うことにした。なんとかなるだろう。
「遅かったわねメディスン。いいものは見つかった?」
永琳の部屋には永琳がいた。とうぜんか。
「いやあ、はは」
「なかったのね」
そんなシャレたものがどっかに転がっているはずもなかった。結局手ぶらで戻ってきたので今日はもうやることがない。作ったチョコレートはもう固まっていたので、それを眺めて過ごした。一口サイズの小さなチョコレートが片手には余るほどの数。うん、やはり自分で一から作ったものだけに愛着もひとしおだ。
しかし、やはりこれだけでは不十分。アリスを驚きでひっくり返すためには、素敵な包装の獲得は必須だろう。……でもなんだか、やっぱり。アリスに渡してしまうのはもったいないような気もしてきた。全部自分で食べてしまいたい。そうしようか、そうすればもう面倒事はきれいさっぱりなくなるのだ。
いや……そもそも、私がこれまで苦労を重ねたのは何のためだったか。寄り道ばかりしているので忘れそうだが、第一にはアリスをぎゃふんと言わせること。そして……あれ?なにか他にあったような気もするけど。まあいいや、なんにせよここで諦めるのもくやしい。あと少しだ、明日も頑張ってみようか。
朝だ。バレンタインまで、あと二日だ。期限まであと二日って、何事にしろなんだか微妙だよなあ。慌てたくなるようで、まだ余裕はあるさと思いたくもなる。
なので、ほどほどに慌てることにしよう。ほどほどが一番だ。
しかし朝ごはんを食べすぎた私は、出かけるのがおっくうになって昼過ぎまでぐうたらしていた。なに、二日もあるのだ。さっきと言ってることが違うような気がしないでもないが、こういうものはその場その場の対応というものが肝心なのだ。
それに、なんだかいやに眠い。ここにきてこれまでの疲れがどっと現れたのかもしれない。そもそも『眠る』ということを知らず、夜の間は日が昇るまでずっと星を眺めていた頃の私とは大違いだが……とにかく眠いものは眠い。眠いったら眠い。
なので、ちょっとばかり昼寝してから行動を始めることにする。一時間、いや二時間だけだ……
おや。朝だ。
……バレンタインは、明日だ。
「おはよう、永琳」
「あら、おはよう」
「あ、メディスン?今日はここに泊まってたのね」
うどんげがいた。そういえば、今回うどんげの顔を見ていなかった。入れ違いになっていたのだろうか?相変わらず耳はしおれているようで、なによりだ。あれ取り外しが可能って誰か言ってたような気がするけど、ほんとかなあ。でも引っ張ったら怒られそうだ。やめておこう。
さあ、朝ごはんだ。これがないと一日は始まらない。いや別に食べる必要はないわけだけど、習慣というのは恐ろしい。もう出来上がっているようだ。席につく。正座にはいつまでも慣れそうにない。
ところで、目玉焼きって、玉子焼きの一種だと思う。同じ玉子を焼くだけなのに、まるで別のものみたいになってしまうのだ。料理って難しいなあ。お菓子も似たようなものだ。あのガンガン殴ったら人を殺せそうなカカオの実が、砕いて混ぜたらチョコレートになる。じつはすごいことなんじゃないだろうか。
まあ、どうでもいいことだ。ごちそうさま。さあ、これからどうしようかな。
……バレンタインは、明日だ。
じわり、じわりと……焦りというやつがにじみでてきた。朝起きた時に、『あ、これはまずいぞ』と思わなかったわけではない。ただ、それを理解していなかったのか、わかりたくもなかったのか、とにかく……今更になって思うのだ。『あ、これはまずいぞ。ヤバいぞ!』
こんなときに大事なのは、落ちつくことだ。慌てたっていいことなんかない。そうだ、覚えたばかりの円周率を数えて落ちつくんだ。円周率は孤独な数字……というわけでもないが。とにかく、何かを数えるとリラックスできるはずだ。眠れない時に羊を数えるのと同じ原理だ。
3.14176947274089709986409829375829117265323374981726348761……
「メ、メディスン?」
うどんげがおそるおそる、という風に声をかけてきた。どうしたんだろう。ひょっとして、3.14の後から全部はデタラメだってことがばれてしまったのだろうか。
「もうおよそ3でいいわ。何、うどんげ」
「いや、いきなりぶつぶつ言い始めたから、どうしたのかと……大丈夫?」
うん、どうやら慌てるあまり周りが見えなくなっていたようだ。いよいよまずい。客観的にも自分から見ても私は不安定だ。
とにかく、とにかく……そうだ、やるべきことを思い出そう。『アリスに渡すチョコの包み紙を探す』、これだ。それを今日一日でなんとかすればいいだけの話だ。なんとかなるだろう……いや!
確かにバレンタインに渡すつもりではあったが……それが『いつ』なのか、はっきりとしたことはない。つまりチョコレートを渡すのは14日の午後11時59分でも問題ないだろう……ということ!
これで、今日と明日、二日分の余裕があることになる。余裕はいいものだ。いつまでも余裕ある生活を送りたいものだ。
だからといってぐずぐずしていられない。一日は短い。いやというほど思い知った。
「うどんげ!」
「え、あ、大丈夫そうね。なに?」
「なんというか、こう……プレゼント用の包装紙って、どこにあると思う?」
うまく言いにくいな。
「プレゼント?はあ……そうね。何に使うのかは知らないけど、そういうのは洋風っぽいところにあるんじゃないかしら。たぶん」
洋風……洋館?
洋館か。
「ありがと、うどんげ!」
「え?……あー、いっちゃった」
幻想郷で洋館と言えば紅魔館だ。いかにも洋の雰囲気が漂っているじゃないか。
あ、でも門番は中華っぽいぞ。大丈夫かな。
「こんにちわ、美鈴」
「あ、メディスン。……あれ?」
「アリスならいないよ、私一人で」
ふん、どうせ言わせるんだろうと思っていたのだ。しまいにゃ泣くぞ。
「なにか用事でも?」
「うん、入ってもいいのかしら」
「どうぞどうぞ。いまはお嬢様と咲夜さんもいないしね」
「そうなの?ありがとう」
……いいのかなあ。まあ、苦労せずに入れてもらえるならそれに越したことはない。
門をくぐり、紅魔館へと足を踏み入れた。
やたらと広い。おまけに辺り一面赤一色でなんとも目に優しくないな。かといって虹色だったり真っ黒だったりしても困る。なんにせよ、あまり長居はしたくない所だ。
そこらをまわって、いい具合の箱が余っているなら譲ってもらえないかと誰かに聞いてみようか。でもメイド妖精はみんな忙しそうに動き回っている。仕事をしているようにも見えないのに、なにをしているのだか。
どこかにうまいこと落ちていないかなあと、きょろきょろ探ってみる。まあ、あるわけない……ん?これは。
足を止めると、目についたのはカーテンだ。残念ながらぽんと箱が落ちていたわけではない。吸血鬼の館だけあって、少ない窓にもきっちり遮光カーテンが備えられている。
そのカーテンもまた赤いのだが、これは使えるかもしれない。なんのだかはよくわからないが綺麗な刺繍も入っていて、うまく切り取ってこれに包めば、私の作ったごく普通のチョコレートもちょっとは洒落て見えるだろう。
黙って持っていくわけにもいかないので、このカーテンの予備を探すことにする。どうやら紅魔館で使われているカーテンのほとんどはこれと同じ物のようなので、どこかにはあるだろう。無かったら……あまり使っていない部屋からこっそりもらって、後で謝りに行こうか。
メイド妖精とは何度もすれ違っているけど、どうも話しかける気にはならない。というよりも、なんだか声をかけづらい。慌しく駆け回っていてきっかけが掴めないのだ。ひょっとして忙しく働いているフリでもしているのだろうか?
まあ、どうでもいいことだ。……と。なにやら他とは違った扉を発見。どうやら物置を見つけた。鍵はかかっていないみたいだ。
お邪魔します。あれ、明りがついてる。
「え。メディスン?」
「あ、フラン」
フランドールがいた。なんでこんなところに?……向こうのセリフか。
「どうしてここに……あれ、そういえば」
「アリスならいないけど」
どうせ言われるんだろう?
「ふうん、一人なんだ。珍しいね。私はあの、なんというか……暇潰し?」
倉庫で何をするでもなくぼーっとしていたあたり、どうやらフランは相当に暇だったらしい。
「メディスンはなにしにきたの、こんなところまで?」
それを聞かれると、ちょっと苦しい。見る人が見れば泥棒になりかねない。でもまあ、フランになら正直に話しても大丈夫だろう。
チョコレートのくだりは面倒なので省き、プレゼントに使う包装を探しているんだと答えた。
「それで、カーテンのあまりをもらえないかなって」
「カーテン?そんなのでよければいくらでもあげるけど。……あ、待って!」
さっきまでの『暇で暇で死にそうだ』というような表情を吹き飛ばし、いきなり喜色満面でフランは言った。どこかで覚えのあるパターンだ、嫌な予感がするぞ。
「代わりにさ、私と遊んでよ。暇で暇で壊しそうになってたんだ」
壊しそうに、とはいかにもフランらしい。まあ面倒な事にはならないようで安心した。それくらいならお安い御用、と……
待てよ。
フランは自分の言ったセリフの重大さを理解しているのか?こともあろうに私に向かって『遊ぼう』などとは。
こっちは普通の人間の子供と鬼ごっこしただけでヒィヒィ息が上がるような弱小自律人形にすぎないんだ、フランと遊ぶなんて、そんなことすれば死んじゃうじゃないか。
しかし断ればどうなる?一方的に遊びという名の虐殺の的になるぞ。これがほんとの『鬼ごっこ』か、スリルと恐怖とサスペンスが段違いだ。もっと余裕のある暮らしをしたいと嘆いたってもう遅い。
どうしたものか。うっかりここが恐ろしい『吸血鬼の館』だということを失念していた。こうなれば、なんとかアリスを地獄に道連れにする方法を考えなければならない。枕元に化けて出る程度では足りないのだ。
しかしそもそも、自律人形である私が死んだらどうなるのか?考えたことも無かった。三途の河を渡るのか、それとも消えてあとかたもなくなるのか。人はどこから生まれ、そしてどこへゆくのか……なるほど、これが現実逃避というやつだ。
「おーい、メディスン?」
飛躍に跳躍を重ねぶっ飛んだ心が、フランの呼び声で戻ってきた。それは私にとって地獄の鬼の招く声にも等しい。せめて痛みのないように、やすらかにいかせてください。
「センコロとKOF、どっちがいい?」
あ、そっちか。ティンスプはないの?
「うぐぐ。く、くそ!また負けた……」
「ふふふ、伊達に500年近く生きてるわけじゃないのよ!」
くそう、どうやったってこの経験の差は埋められないのか……ん、そんなに昔からあったのか……?
「とにかくもう一回よ!」
「うふふ。何度だって遊んであげる!」
「ああフラン、こんなところにいたの。……ん」
あ、レミリアだ。
「お帰り、お姉さま」
「おじゃましてまーす」
「え?ああ、はいはい。……?」
腑に落ちないような顔をして、レミリアはそのまま去っていった。なんだったんだろう……あ!ちょっと目を離した隙にやられている!
「咲夜、なんか……なんというのか、いいのかしら?これって」
「喜ばしい事じゃないですか。妹様が楽しそうでなによりです」
「いやでも、泣く子も黙る紅魔館が、なんのへんてつもない一般家庭の一室に見えたわよ、今。部屋を覗いたら、あ、友達連れてきてたんだ、と微妙に気まずい思いをする姉の気持ちだったわよ、今」
「姉離れをされて寂しいのはわかりますが、これも仕方のないことですわ」
「えー?」
ちょっと夢中になりすぎたみたいだ。もう外は真っ暗だぞ。
「あー、おもしろかった」
フランはスッキリとした顔をしている。元気だなあ。私はもうクタクタだ。
もう十分遊んだことだし、そろそろ帰ろう。
「フラン、私はもう帰るよ」
「そう?残念。また今度ね」
おっと、忘れるところだった。ちゃんとカーテンをもらってからだ。
「ああ、そうだったわ。ええと……これでいいか。えいっと」
うわっ、何を思ったかフランはいきなり、その部屋にかかっていたカーテンを無理矢理引きちぎった。はいこれ、と渡されても……いやもらうけど、いいのかなあ。
「大丈夫、大丈夫。明日には直ってるから」
誰かの仕事がまた増えるんだろうな。私には関係のないことだ。さあ、帰ろう……と、踵を返しかけた途端にフランが言った。
「ねーメディスン。それプレゼントに使うって言ってたけど、誰に渡すの?」
それを聞かれるとは……いや、やましいことはなにもないぞ。
「誰にって、アリスにだけど……」
「へー。ふーん」
なんだこいつ、にやにやして。幽香のものと同じ雰囲気を感じた。だからどうなんだということもないけど……
フランは私の言葉で何か思い出したのか、また私を呼びとめた。
「あ、そういえば昨日、アリスを見たよ。図書館でパチュリーと一緒にいたっけ」
あいつはほんとに、ひきこもってるかフラフラしてるかの両極端だなあ。もっと落ちつきを持てないものか?
でもパチュリーといたということは、珍しく真面目に魔法の研究でもしていたのだろうか。
「天井にも届く勢いのトランプタワーを作ってたね。それがまた絶妙なバランスで、私ですら壊すのをためらうほどだったわ」
それが魔法の勉強に繋がる……とは考えにくい。魔法使いという種族は遊んでないと死んじゃう病気にでもかかっているのだろう。
アリスのことはもういい、と話を打ち切り、私はフランに別れを告げた。
「じゃあね」
「うん、また」
とにかく、これで準備はできた。さて、戻ろう。
暗い夜道を、カーテンを抱え一人ゆっくりと飛ぶ。やっと全部終わりそうなのだ、気分は軽い。今のうちにこのあとの予定でも立てておこうか。
まず永遠亭に戻ったら、もらったカーテンを使って袋を作る。これだけの量があればいくら失敗しても困らない。なに、裁縫は見て覚えた。私にもできないことはないだろう。
明日、つまりバレンタインデー当日に、チョコレートを包んだそれをアリスに渡す。アリスは飛び上がるほどに驚き、私への評価を改め、今後の扱いも良くなる。
すると私の平穏な幻想郷生活が約束され、心に余裕が生まれ、世界は平和になる。私の世界限定だが。他なんて知ったことか。
我ながら素晴らしい計画だ。これまでの苦労も報われるというものだ。どちらかといえば無駄な苦労ばかりだったような気がするが……それはもういい。
とにかく私の偉大な人形解放計画は、明日がスタートとなる。第一歩、それは私自身の解放なのだ。他の人形?それは、まあ、そのうち……
なんだか目的が途中から二転三転しているような気がしないでもない。だが悪いことではないだろう。よりよく、楽しく、安全に!をモットーとする私の『人形解放素敵計画』はいまだ未完成。どう転ぶかなんて、私にもまだわからないのだから。
いっそう足取り軽く、永遠亭に向かう。こうも暗いと、夜行性の妖怪以外で出歩く奴は少ない。つまり障害が少ない。いきなりけしかけてくるようなのが出てきたらぶっとばしてやろう。今のは私は気分がいいのだ。たまってた宿題を全部一息に終わらせてしまったような晴々とした気分だ!
ランナーズ・ハイだ、深夜のテンションだ!今ならなんでもできる気がする、勢いにまかせてスーさんパーティーだ!うわっ!
……突然、私の前を高速弾がかすめた。カリッ。右手の方向に、どうやら弾幕ごっこをしているやつらがいる。流れ弾が飛んで来たらしい。
危ないな、こんな時間にまで。巻き込まれるのは嫌なので、早々に去ることにする。しかしどうやらこっちに向かっているらしい。はち合わせてしまいそうだ。高度を下げ、しばらく歩くことにした。
いったいどこのどいつだろう?寒い中、まったくごくろうさまだ。
……あれ、見覚えがあるぞ。
「いつまで逃げるつもり?鬼ごっこにも飽きてきたところなんだけど」
「あんたが追いかけてこなくなるまで……よ!」
うげっ、アリスと幽香だ。こんなところで会うなんて。弾幕ごっこというより幽香が一方的に追いかけているだけみたいだけど。こっちには気づいていないみたいなので、こっそり様子を窺ってみることにする。
「じゃ、観念することね。まさか、私から逃げ切れると思っているのかしら」
「はん、思っているから逃げているのよ。私を誰だと思っているの?」
逃げてるだけなのに、アリスは態度だけはやたらふてぶてしい。
「一向に戦うつもりも見せないのね。どうしたのアリスちゃん、本気で向かってきてくれてもいいのよ?」
見え見えの挑発だが……アリスもここで引こうとは思っていないようだ。たまには威勢のいいことでも言ってくれるのだろうか。
「お望みとあらば見せてあげましょうか?この私、『逃げる』一点に関して本気を出し惜しみすることは……ない!」
なんだ……?かっこいい顔して、言ってることはめちゃめちゃみっともないぞ……
「へえ?なら試してみたいものね。あなたがどこまで、私に抵抗できるものなのか」
そう言って幽香は笑う。あーあ、ノリノリだ。これはもう死んだんじゃないのか。
だがアリスも、態度だけは負けていない。態度だけは。幽香に笑い返し、言う。
「そうやって余裕を見せていられるのも、今が最後になりそうね」
「なんですって?」
どうせ適当なこといってるだけのくせに、なんでそこまで自信満々なんだろう。
「気づいていないの、幽香?もう勝負は終わっている……いや、そもそも勝負になってすらいなかった。私は逃げる。あんたは追う。その前提だって成り立っていなかったのよ」
「……まさか」
「人形よ……あんたと会話している『私』もね」
なるほど、つまり怖くて……幽香の前には生身すら晒したくなかったのだな。ここで、実はアリスは幽香を出しぬけるほどキレる奴だったのかと誤解する奴はまだまだだ。アリスの戦法の七割はハッタリでできている。
「ふん、まんまとしてやられたというわけね」
幽香は苦々しげな顔をして吐き捨て、多少は感心したような様子を見せた。
アリスそっくりの人形は、もう完膚無きまでの完全勝利と言わんばかりに余裕たっぷり、幽香を見下している。どんなにやられても痛くもかゆくもないとなると、人はここまで強気になれるのか。
調子に乗ってるとそのうち足元をすくわれるぞ……あれ、幽香の姿が見えない。いつの間にか消えている。どこへ行ったんだ?
「あら、諦めて帰ったのかしら?ま、しかたないわよね。……うわッ、幽香っ!?」
そんなあわただしい独り言を最後に、アリスそっくりの人形は突然がくりと力を失って、ぽとりと地に落ちた。それきり動かない。何が起こったのか……?
どうするべきか決めあぐね、何をするでもなく突っ立っていると、突然その人形はひとりでに爆発した。驚く間もなく、煙と火薬の臭いを残して、それはもうあとかたも無くなってしまった。なるほど、あんなものが道端に倒れていたら大騒ぎだ。きっと制御ができなくなると勝手に自爆するようにしてあったのだろう、うまい隠滅の仕方を考えたものだ。……でも、自分そっくりの人形を爆破するのにためらいはなかったのだろうか。
幽香もアリスもいない、するともうここらは何事も無かったかのように平静を取り戻し、私は気を取り直して永遠亭へと向かうのだった。
でも、なんでアリスは幽香に追いかけられていたんだ?どうせまたなんかいらないこと言って逆鱗に触れたのだろう。生きていればいいんだけど。
作業は難航した。見よう見まねで裁縫なんてやはり無理があったのだ。大きな赤のカーテンは少しずつ少しずつ切り取られ、いつのまにやらもう半分も残っていない。横に積んであるのはぞうきんとしても使えないような布の山だ。あれよあれよと膨れ上がって、ついにゴミ箱を埋め尽くしたのだ。
永琳やうどんげは手伝おうかと言ってきてくれたが、私はそれを断った。ここまできたら意地だ。なんとしても一人で完成させたい。しかし、どうしてこううまくいかないのだろう?布を繋げて縫っておしまいの簡単なおしごとのはずだ。なのに私ときたら、針の穴に糸を通すのにすら苦戦するありさまだ。
そもそも私は人形だぞ。どちらかといえば針を通される方だ。そんなことされた覚えはないけど。くそう、とにかくこういう作業は向いてないんだ!
いらいらしてきた。もうやけだ、勢いだ、適当だ!布を切る、ばっさばさと切る。端を折って縫う、ざくざく縫う!あーしてこーして紐で結んでどうだ、完成だ!……あっ、できた。
なにやら成功してしまった。これも私の日頃の行いのたまものだろう。中に紙を敷いて汚れないようにして、チョコレートを入れれば、ほら!立派になった。とても私が一人で作り上げたとは思えない出来だ。
バレンタイン前日にして、やっと完成か。最初はここまで苦労するものだとは思っていなかったけど……うん、それだけに嬉しい。あとは明日アリスに渡してミッションコンプリート、だが気は抜かない。
アリスは自分で作ったチョコレートを渡すために魔界へ行き、家を空けるだろう。いつ戻ってくるのかはわからない。なので大目に見積もって24時間、私はこいつを守り通さねばならない。世の中何が起こるかわからないのだ、突然空からミサイルが降ってきてピンポイントに私のチョコレートを爆撃、なんて事態もありうる。用心に用心を重ねて過ぎるということはない。
寝る時も肌身離さず……というのは溶けてしまうのでやらないが、目につくところには置いておきたい。明日は早起きしよう。早いうちにアリスの家に辿り着いて籠城するのがおそらく一番安全だ。
そうと決まったらもう寝る。細かい作業を続けて疲れた。
朝だ。今日はバレンタインデーだ。
チョコレートの安全を確認。中身も無事だ。紐をスカートの腰に結び付けておくことにする。今から私と私の分身たるこの小さな袋は一蓮托生。こいつの使命が果たされない時は私の死ぬ時だ。
「メディスン、起きてる?」
「所属と階級を言え!」
「え?」
おっと、ピリピリするあまりわけのわからないことを口走った。どうやらうどんげが朝食に起こしに来てくれたらしい。早起きしたつもりでも、ぐっすり眠ってしまったみたいだ。寝ぼけていた、と言ってごまかした。
今日は体力はもちろんのこと、集中力との戦いにもなるだろう。しっかり食べておこう。エネルギーにはならないが、何事も気の持ちようだ。朝ごはんを食べると頑張れる気がする。うーん、でもそろそろパンが恋しくなってきたかもしれない。
茶碗を平らげ、味噌汁をすすっていると、また永琳がこっちを見て何か言いたげだ。いいかげんに気になってきた。
「どうしたの?」
「え?いえ……」
永琳らしくもなく、歯切れが悪い。言いづらいことはぱぱっと言ってしまうのがお互いの為だ。
「最近メディスン、アリスに似てきたわね」
「だぼばあ」
味噌汁を吹きだしそうになった。一体どうしたんだ永琳は、ついに天才がひっくり返ってバカになったのか!?
「な、なにを言い出すのよ永琳。そんなことがあってたまるもんですか」
私とアリスが似てるってなんだ、目をシロアリにでも喰われたか?これ以上は無いと言うほどの侮辱だ。いくら永琳といえど許せないぞ。
「でも、特に必要でもないのに食事や睡眠をとるところなんてそっくりよ?」
なんだ、人形は食べちゃいけないっていうのか。自分でも食べた物がどうなるのかは知らないので考えないようにしてるけど。
「別にいいじゃないの、味覚はあるんだから……なぜか」
ほんとになんで味がわかるんだろうか。自分の身体なのに、どうにも知らないことが多すぎる。
「悪いことだとは言ってないわよ?長く生きるなら、少しでも楽しみは多いほうがいいものね」
そう言って永琳は柔らかな笑みを浮かべた。
なるほど、楽しみか。不老不死の永琳が言うとなんだか深みのある言葉ような気がしてくる。食事や睡眠もその一つということだろうか。悪い物じゃない。私も他に何か見つけてみようか、最近、なにやらいろいろ体験できたわけだし。
アリス?参考にはなるけどあいつは見境なさすぎだ、もっと趣味を絞ったほうがいい。
「とにかく、私がアリスに似てるなんてことはありえないので訂正してください」
「はいはい」
永琳め、私をからかっていたのか……?
ここ数日お世話になったお礼を言って、私は永遠亭を発つことにした。向かうはアリスの家。玄関まではうどんげが見送りに来てくれた。
「それじゃあね。私はたいして手伝えることもなかったけど」
「ううん、ありがとう」
科学的に証明はされていないが、うどんげの耳は見るだけでストレス解消の効果があるともっぱらの評判だ。薬ではなく、癒しを求めて永遠亭を訪れる人は少なくない。おかげで私も気持ちよく出発できるというものだ。
「何しに行くかは知らないけど、気を付けて。……あら、郵便受けに何か入ってる」
うどんげが手を伸ばすと、そこには紙の添えられた小さな袋があった。
「ええと、『日頃の感謝と御愛顧を込めて (有)マーガトロイド製菓』……なにこれ?
あ、チョコレートが入ってるわ」
まーたアリスがわけのわからないことをやっているな。そんなやっつけで立ち上げた会社の宣伝なんかして、どうしようっていうんだ?
届けたのは人形だろうか。あいつの無駄な行動力はそのほとんどが人形に依存している。人形をなんとかできれば、少しはおとなしくなるかもしれない。
奇しくもそれは、私の『人形解放』という目的に一致するように思えたが……やめよう、今考えたってどうしようもないことだ。別に前一度失敗したからって弱気になっているわけではない。
出鼻をくじかれた。いきなりアリス関連のものに遭遇するとは不吉極まりない。この調子では無事にたどり着けるか不安だが、かといってじっとしているわけにもいかないだろう。気を取り直そう。今度こそ戸を開け、冷たい朝の空気を吸い込んで、吐き出して、雪を踏みしめて、出発だ!アリスめ、首を洗ってまっていろよ。
……さて!
恐ろしい事に、何事もなく魔法の森に辿り着き、そのままアリスの家まで来てしまった。そんなことはありえないというのに。
断言しよう、そんなことはありえないのだ。何かあるに決まっていやがる。後が怖いパターンが一番嫌なのだ。
もちろん、何事もなくおしまい、というのも当然それはそれで歓迎なのだが、『確実に何かが起こる』と警戒するくらいがちょうどいい。油断は死に繋がると考えよう。なーんでバレンタインのチョコを渡しに行っただけで命の危機に晒されなきゃいけないんだ、と文句を言う奴がここにいたら真っ先に死ぬのがそいつだ。私も内心理不尽に思っているが、決して口にはしない。幻想郷は戦場だ。長生きしたければ、口を固く閉ざしておくことだ……
玄関扉の前に立つ。おそらくアリスは留守にしているだろうけど、とりあえず確認しておきたい。
呼び鈴を鳴らそうとして……慌てて引っ込めた!
危ない所だった。私が思いとどまることができたのは、なにも嫌な予感がしたからというわけではない。経験によるものだ。以前私がなにげなくチャイムを鳴らすと、家が爆発したことがあった。
それがスイッチになっていたなんてアホみたいな設計ミスではなく、『結果として』そうなってしまったことがあったのだ。
どうしてそれで家が爆発なんて事態になったのか?それを考えるのはキリがない、時間のムダだ。『そういうものなのだ』と無理矢理納得するしかない。
アリスと一緒にいれば、そういったドミノ倒し的ハプニングの予兆という物はだいたいわかってくる。しかし今回はしばらく会っていないので、今この家がどうなっているのか、私にも全く予想がつかないのだ。
だったらできるのは、とりあえず逃げ腰になっておくことだ。私は炎の中を平気で歩けるような頑丈な妖怪でもなければ、秒読みで変化する事態に対応できるほどの身のこなしをもっているわけでもない。焼いたり刺されたりしたらあっけなく死んじゃうだろう。
だから直前の心構えと最中での冷静さは大事なのだ。『なにが起こるかわからない』と不安になるより、『なんでもきやがれ』と大胆に。かつ、冷静に。うん、難しい。私にはとても無理なはなしだ。だからもういい、行ったれ!
……
とりあえず押してみた。何も起こらない。杞憂だったようだ。アリスもやっぱり留守らしい。
鍵がかかっているので、合鍵を取りに行こう。裏手に並んでいる植木鉢の、右から4番目、それを持ち上げればぽんと置かれている。
前は窓を割って入っていたけど、何度もやったらさすがに怒られた。
鍵を回し、開ける時はゆっくりと。どうやら問題ない。一気に力が抜けた。入る時が一番緊張する。が、中ならもう大丈夫だろう。
おっと、まだゆっくりしている暇はないのだった。しっかり安全を確保しておかなければ。鍋に火をかけっぱなしだったり、くすぶった暖炉の近くに燃えやすい物が転がっていたり、時限爆弾人形のタイマーを切り忘れていたりするかもしれない。
しばらくはそんなアリスがやらかしかねないもろもろの事を確認していた。……どうやら特に危ない所はないようだ。
肩を下ろし、椅子に腰かける。やっと一息つけた。あとはゆっくりアリスの帰りを待つだけだ。
待つだけなのだが……
ただひたすら待つというのも暇で仕方が無い。
なので、今からアリスを驚かせるために一工夫してみることにしよう。
チョコレートとの相乗効果で、さらなるインパクトを狙うのだ。
じゃあ具体的に何をしようか?それが思いつかない。やっぱり大人しくしているのが一番だろうか……
考えあぐねていると、突然ぴんぽんとベルの音がする。来客のようだ。アリスはいないけど、居留守というのも気分が悪い。代わりに出て、用件を聞いておいてやろう。
「はあい?」
扉を開ける。……が、誰も見当たらない。なんだ、そこらの妖精のいたずらだろうか?
「お、メディスンか?最近よく会うな」
誰かの声。離れた木の陰から、様子を窺うようにして現れたのは、魔理沙だった。
「どうしてそんなとこにいるの?」
「……前に呼び鈴鳴らしたら、いきなり勢いよく扉が開いて、ひどい目にあったことがあるんだ」
ご愁傷さまだ。私の時は何もなかったが運がよかったのか。
「何か用事?アリスならいないんだけど」
「え、留守なのか?」
まいったな、と呟き魔理沙は溜息を吐いた。
「あいつ、私との約束忘れてるんじゃないだろうな。お前は何か聞いてないか?」
そう言われても、こっちだって最近会っていないのだから知るはずもない。
アリスのことだ、一度した約束を破るようなことは……やりそうだけど。
なんにせよ、家を探せば何かわかるかもしれない。魔理沙に『約束』のことを聞いてみた。
「ほら、今日は外の世界じゃ『バレンタイン』なるものがあるそうじゃないか。世話になった男に女がお菓子をあげるんだとか。
だから香霖にでもくれてやろうと思ったんだが……私は、なんというか、ほら、あれだ……察しろよ!
時間もないし、やむなくアリスに頼んでいたんだ、代わりに菓子を。そいつを受け取りに来たんだ」
なるほど、魔理沙もまたバレンタインデーの波に乗っかるうちの一人だったか。私が聞いた物とはどこか違うような気がしないでもないが、どっちでもたいして違いはないだろう。アリスにものを頼むというのはそれなりのリスクを背負うことと同じだが、それを覚悟しての事なら、魔理沙の気合の入れようも窺える。
アリスが約束をちゃんと守っていれば、どこかに魔理沙の為のお菓子があるはずだ。探してあげることにした。
「おお、助かるぜ。いや、私はここで待ってるよ。いやいや別に遠慮なんかしてないぜ?ただ外に立っていたい気分なだけだ、本当に」
なにか嫌な思い出でもあるのか、魔理沙は頑なにアリスの家へは上がろうとしなかった。寒くないのだろうか?私はけっこう寒い。
やはりというかなんというか、あれだけ部屋を埋め尽くしていたチョコレートも、今は一つとして残っていなかった。永遠亭のように適当に人形に配らせたか、魔界に持っていったかでもしたのだろう。
となると、魔理沙のお菓子はどこにあるのか。ためしに冷蔵庫を開けてみた。
一つ、とても目立ったものがある。かなり手の込んだチョコレートケーキだ。他の量産されたチョコレートとは質が違う、おそらくアリスが自分で作ったものだろう。もちろん、人形の作ったものだって私が馬鹿にできるようなものではないのだけど。
他には特に見当たらないので、これがきっと魔理沙に渡すためのものだ。アリスもたまにはいいとこあるじゃないか。『魔理沙が作ったように見せかける』という意味ではこれはあまりに出来が良すぎるが、そのあたりは自分で判断するだろう。魔理沙の事だ、正直に話すのだと思う。
「おーい、見つけたよ、魔理沙」
「本当か?」
いい具合にぴったりのバスケットがあったので、それに入れて渡した。中を確認した魔理沙も、やっぱり予想以上のものに驚いていた。それならそれで、と納得したようだ。
「悪かったな、メディスン。アリスにも言っといてくれ」
「ん」
「じゃあな」
魔理沙は足早に去っていった。
早いもので、もう昼時だ……アリスはまだ帰ってこない。やはりこれ以上なにかする気力も無くなってしまったので、このまま帰りを待つことにした。安全にチョコレートの無事を確保できるなら、余計な事をする必要はない。とりあえず私のチョコは冷蔵庫にしまっておく。お昼ご飯でも食べながら、ゆっくりしよう。
カップラーメン……便利なものだ。しかしアリスがこれを食べている姿は想像がつかない、どんなつもりで常備しているのだろう?食べ始めてから思ったが、期限とかは大丈夫なのだろうか。
ラベル脇にはこうある。『一世紀経っても食べられる、信頼の魔界製!三つ星シェフも認めた味!』……うーん?
まあ、一般人が魔界に突っ込みを入れても仕方が無い。黙って食べておこう。
最近はかなり忙しかったので、こうしてだらだらとくつろぐのは久々のことだ。思い返せばたった五日前のこと、それでも私はもうそういうのはお腹いっぱいだ。これくらいがちょうどいい。ああ、眠くなってきた……
はっと目が覚めた。いつの間にやら外は暗い。こんなことが前にもあったような気がする……今何時だ?アリスは……
まだ帰っていないみたいだ。
いくらなんでもそろそろ帰ってきてもいい頃だろう。ううん、なんだか落ちつきが無くなってきた。なにを緊張しているんだか……
意味もなく部屋をうろうろしていると、がちゃりと、扉の開く音。足音。
アリスだ。
「あら、メディ?いたのね」
あっさりと挨拶して、人形に持たせた大荷物をどかどかと並べた。適当に放り投げて、ベッドにダイブ。相当に疲れているらしい。よく見れば服もボロボロだ、なにがあったのか?
「ふう……魔界から帰った後、幽香に見つかってね。なんでか知らないけど昨日から追いかけてくるのよ。やっと撒いてこられたけど、もう死にそうだわ……」
こっちはこっちで災難続きらしい。ごくろうなことだ。
抱えていた大荷物は魔界でもらったものだとか。あ、さっき私の食べたカップ麺もある。チョコレートなんかもあるぞ。バレンタインにもらったものだろうか。そもそも魔界にもバレンタインがあるのか……?
バレンタイン。と、いえば。
そうだ……渡しておかなければ。
ここ数日の私の労力の結晶、通り道と回り道に囲まれた苦難の先で作り上げた物、愛着すら湧いたそれを。全てはこの日の為に、そして先の未来の平穏の為に……
渡すぞ。
渡すんだぞ。
渡しちゃうぞ。
……渡せよ!
いや、これはだめだ……足が動かない。いざ渡すとなると……これは、相当にこっ恥ずかしい。普段から顔を合わせているだけに、なんというか……無理無理、これは無理だ。不可能だ。私がアリスに?チョコを渡すだって?あーははは!ちょっと客観的に考えてみろ、大爆笑ものだ!ありえないって、そんなもの!なーに考えていたんだか!
……私の苦労は、いったいなんだったのだろう……
「……あ、そういえばまだメディには渡してなかったわよね?チョコ」
むくりと起き上がり、ぼーっとしたままアリスが言った。
気持ちは嬉しいが、今の私は想像を絶するショックを受けているのだ。十把一絡げの量産チョコでは気休めにもなりはしない。
ふらふらと歩いたアリスは、冷蔵庫の戸を開け……
「あれ、おかしいわね。……あれ?」
しきりに首を捻っては、何度も開け閉めしたり奥を覗いてみたり。確かにしまったはずなのに、おかしいなとぶつぶつ繰り返す。
確かそこには、ええと。
「ひょっとしてアリスが言ってるのって、そこに入ってたチョコレートケーキ……?」
「あ、知ってたの?どこにあるか知らない?」
確かに知っていた。今は誰かの胃袋の中か……
「それならその。魔理沙に……」
「魔理沙?なんでここで魔理沙がでてくるのよ」
「いやだって、約束してあったって言うし。それっぽいのがそこにあったから」
「え、約束……?そんなもの……あっ」
こいつ、忘れてやがったな。
「それにアリスも、私にはくれないようなことを言ってたし」
「え。言ったかしら、そんなこと」
確かに聞いた。言われたような気がする。
多分聞いた。言われていたっけ?
聞いたような、聞いてないような……
……聞いてないや。
じゃあなんだ……?私の早とちりで全部台無しだったってことになるのか。あーあ!
「どうしたのよ、メディ……」
ほっといて欲しい。いつも頭がお花畑なアリスには、私の気持ちなんぞわからないだろう。「あら?何か見慣れないものがあるわね」もう好きにてくれ。私は二度寝する。邪魔はしないでほしい。ん、何を見つけたって……?
アリスが冷蔵庫から取り出したものは私にとってはもう見慣れた物、渾身の気合を込めて作ったチョコレートだ。冷蔵庫に入れっぱなしだったの、すっかり忘れていた!
「あ、それは!」
「中身はチョコレート、かしら。え、メディの?」
しまった、このタイミングは墓穴だったか!
どうする……!今なら私が誰かからもらった物、としてごまかしが効く。しかし勢いで渡してしまうには絶好のチャンスじゃないか……?いやでもなんか、どうするべきだ!?
冷静になろう。まずは冷静になるんだ……素数でも円周率でも羊でもなんでもいいから数えて、落ちつくんだ……
0、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144、233、377、610……
「あ、おいしいわね、これ」
こ……こいつ!
アリスが勝手に私のチョコを食べてしまったので、なし崩し的にそれを作ったのは私だと説明してしまった。
アリスは失礼なくらい驚いた。「まったまた、4月はまだ先よ?」……イラッときたが、『驚かせる』という目標は達成できたのでよしとする。
「本当に一人で作ったの?」
「そうよ」
「へえ……これは、ちゃんとお返ししないといけないわね」
何のことだろう、と思ったが、なんてことはない、ホワイトデーだ。最初の私の目的がそれだったってこと、忘れていた。いつの間にかチョコレートを作るのに夢中になっていたからなあ。
終わりよければ……というやつだろうか?せっかくアリスが作ってくれたケーキは食べ損ねたが、なんだかんだで悪い結果にはならなかった。苦労も報われる。残念ながら人形解放とまではいかなかったが。
一ヶ月後が楽しみだ。難しいことは考えなくても、おいしいものを食べてぐっすり眠れば、それなりに幸せな生活は送れるのだろう。我ながらゲンキンだ、自律人形としてそれはどうなんだ?……どうでもいい。そんなことよりおなかがすいたよ、カップ麺一つじゃやっぱり足りなかった。
「何食べたい?」
「洋食」
「お好み焼きにしましょうか」
「決まってるなら聞かないでよ……」
ホワイトデーだ。月日が経つのは早い。
私は意気揚々とアリスの家に向かった。玄関は開いていた。なにかがあふれていた。
……なんだ?
アリスは家の外にいた。自分でも入れないらしい。
「アリス」
「あら、メディ。いいところに」
アリスにとってタイミングがいいということは、私にとっては真逆だろう。
「なにこれ?」
「お返しにもらったお菓子」
これ全部が?三倍返しってもんじゃないぞ。包みが何個も外に転がり落ちてるじゃないか。
「ああもう、直接転送するなら事前に言ってくれれば……」
そういう問題なのだろうか。間違いなく原因は送りすぎにあると思う。こんなの好きなペースで食べていても、三年間は軽い。ちまちま食べれば十年くらいは持ちそうだ。あ、煙突からもはみ出ている。
「いいところに来た、って」
「食べるの手伝って欲しいのよ」
……無理だ!何年かかるのか!
「でもなんとかしないと、私、家に入れないんだけど。メディへのお返しのやつも奥に埋まってるだろうし」
うう、それは欲しい。
「誰かに配ってきたら?」
「何を言っているのよ。私の為にくれたものを、わざわざ他の奴に渡すなんてごめんだわ」
そのくせに、私には手伝えっていうんだな。そのあたりのラインがはっきりしていないのか。
「ううん……仕方がない。一旦全部他の所に運びましょう。それからゆっくり食べていけばいいわ」
「こんなにたくさん、どこに置けるっていうの」
「あそこ」
あ、有限会社マーガトロイド製菓。まだあったんだ、即時解体されているものだと思ってた。
人形を使った人海戦術は相変わらず優秀だ。あっという間に運び終え、看板は書き換えられた。
『3/14倉庫 一号』
来年になったら建物が増えていたりするのだろうか?魔界人の悪ノリが幻想郷の環境に影響を及ぼすことになるぞ。
「はー、やっと片づいたわ」
これに懲りたら、もう少し大人しくしていてもらいたい。いろいろと。口で言っても聞かないだろうから黙っていた。
アリスにもらったお返しのお菓子はおいしかった。私が真似しようと思えば何年かかるかわからない。
これでやっとバレンタインでの苦労が報われたかな、と思ったが、そもそも。
私はわざわざチョコレートを作ってあげてお返しをもらうなんてまわりくどいやり方をしなくても、頼めばいつでもお菓子くらいもらえるのだった。今気がついた。私はほんとうに、いったいなにがやりたかったんだ?馬鹿なのだろうか?
考えるほどにむなしくなってくるので、やめた。今この味をかみしめよう。涙の味がするぞ。人形からも涙が流れるのか、すてきだな……
食べ終わると、やけにニコニコしたアリスと目があった。
「それにしても、メディがチョコを手作りしてくれるなんてね」
「……そんなにいいもんじゃなかったでしょ」
アリスの物と比べるなら、ビー玉と宝石くらい違う。仮に見た目はごまかせても、味の差がどこで出るのかまるでわからない。何か作るっていうのはとことんまで奥が深いもののようだ。
「あら、そんなことなかったわよ?来年も楽しみにしてるからね」
……ん、来年?私としては、一回ポッキリの気まぐれのつもりだったんだけど。
「ホワイトデーというのが何のためにあるのか、知らないのね?バレンタインへのお返しだけなら、三倍返しなんてローカルルールが浸透するはずもない。
これは、暗に来年のバレンタインデーにも期待しているぞ、というメッセージの表れなのよ」
な、なんだって!
「さて、メディ」
「う」
「食べたわね?綺麗に。さらりと。ぱっくり」
「う、う」
「おいしかった?」
う、お、お?お!
「ちくしょう、おいしかったわよ、こんちくしょう」
「おそまつさまでした」
涙の味は深まるばかりだ。泣きたい。もう泣いているのか……
後、77.77って凄いww
メディスンがいい感じにぶっとんでいて、実に俺に良し。大変面白かったです。
ん? ちょっと言い方が悪いな。貴方のアリスほど何をしても憎めないキャラはいない、と言った方が良いか。
とにかく相変わらずのアリスワールド全開で何よりです。
そしてメランコ、君は心のうちを上手く伝えられない不器用なギャルゲのヒロインかね、まったくこのラブポイズンめ!
永琳先生が指摘するまでもなく、嗜好も思考もついでに志向もアリス一直線なのに気付いていないのかね?
フィボナッチ数を持ち出さずとも、ほんまぐろさんのメディアリは至高の黄金比。だから爆発しろ、おまいら!
<<向かい合って初めて、アリスと似てきていることに気付く>>
妙な方向に成長してるメディスンのモノローグが、読んでてとても楽しかったです。
苦労のあまりフラグに敏感になりすぎているのを成長と呼ぶのかどうかはさておき。
メディスンかわいいなあ
自分で作ったケーキを用意しておくあたり、アリスもメディスンの事は特別に思ってるんですね
すごくいいコンビなので見てて楽しいです
このメディとアリスはいつも好きですね
相変わらずアリスの頭のネジが飛んでいる
メディのフリーダム度が上がってるな、前は突っ込みタイプだったのにwww
アリスさんは相変わらずパネェっす!
生きるのが楽しくて仕方がないキャラクター達で、魅了されっぱなしです。
手作りチョコうれしかったんだねw
アリスも相変わらず素晴らしいが
今回のはメディが可愛すぎる
(客観的に見ると)アリスのために一生懸命なとこがたまらん
完全に感化されてしまった暴走メディとアリスの二人で異変おこして欲しいw
感覚的には遊び人の金さんに近いです(金さんも一見するとただのプータローです)
まぐろさんのメディアリコンビはホンマに魅力的やでえ。
メディスンもそうだけど、みんな多かれ少なかれずれてるのがおもしろいです
それにしてもアリスがメディスンに送ろうとしてたのが初っぱなに諦めた心のこもったチョコだったことや、最後のご機嫌具合からいってメディスンが考えてる以上にアリスはメディスンのことを特別に思ってるんだろうなってことがわかってほほえましいです
妹みたいに思ってるんですかね。旧作設定いきてるのを考えればアリスは末っ子ですし
センコロも幻想入りしたのか…
もったいない事をしたわ
ん…アリスがプー…でもメディもホームレs(ry
アリスがちゃんとメディに特別にチョコ作ってたりメディは相変わらず可愛かったり
もう止まりませんね…ニヤニヤ
アリスのぶっ飛び具合と自由で奔放な幻想郷の人妖が素敵でした
そしてメディスン可愛い
この二人りはシリーズだったんですかね?初めての創造話だったんですが、話にのめり込んで一気に読んでしまいました。
素敵な関係ですねぇ…(*´д`)