守矢の神社には三人の神様が住んでいて。
一人は巫女の神様で、一人は蛙の神様で、一人は蛇の神様で。
見た人間は口々に言うそうだ。
「とても神様には見えなかった」と。
けれどもその後に、大概は続けて言うのだ。
「私も神様に産まれるのなら、きっとあんな風がいい」なんて。
あれでも昔はひどい喧嘩をしたものだけれど。
まあ、言われて悪い気はしない。もう少し威厳が欲しいと言えば欲しいけれど、まあそんなものはいつでもいい。
ん?ああ、私か。
私は、そうだな。蛇の神様と言えば分かるかな。
一応名乗っておくと、蛇の神様は八坂神奈子という。
ああ、今日もいい天気だ。次の日は雨模様だけれど。
雨がないと、命も困ってしまう。蛙だって困る。蛙の神様がきっとうるさい。
だから、決して雨は悪いものでもなくて。
まあ、洗濯物が干せないくらいか。それも、部屋で干せば干せないこともないし。
こうして日向でぼうっとしていると、自分が神様をやってることを忘れそうになる。
こんなだからきっと、「神様に見えない」とか言われてしまうのだろう。
けれど人間に身近な神様、というのもいいんじゃないのとも思う。いつかの紅白巫女に言ったけれど。
人の前に姿を現せなくなった果てに、私達はこの世界にやってきたのだから。
でもこんなことを言ったら、巫女の神様になんて言われるか分からないな。
だから、これは私と、あんただけの秘密だ。
まあ、あんたっていうのは、眼の前でひらひら飛んでた蝶に言ったんだけど。
気持ちのいい風が吹いていた。
日は登って、お昼時。
ただぼうっと日に当たって、こうして縁側でくつろぐ幸せが、いつまでも続かないかなと思う。
そう、いつまでも。
神様にだって、分からないことはある。
たとえば、未来なんか。
運命は変わっていくし、未来は未知に満ちている。
先の分かりきった世なんてつまらない。
明日には、また次の日が訪れて。
少しずつ世界が歳をとる。
それも知ってるけど、やっぱり不安だ。
神様にだって、怖いものはある。
「いつまでもって、いつまでだろうね」
「いつまでもは、いつまでもだよ」
ひょっこり、蛙の神様が顔を出す。
「おかえり」と言うと、「ただいま」と返ってきた。
そのまま、私の横に腰掛ける。
一応紹介しておくと、蛙の神様は洩矢諏訪子という。
目玉のついた変わった帽子を被っていて、まず見間違うことはない。
「なんか、考え事?」
「ああ、ちょっとね」
未来のことを。
そう言うと、諏訪子は「ふーん」と興味が無さそうにして、足をばたつかせていた。
しばらくその様子を眺めて、また、眼の前をひらひらと舞う蝶に目線を戻す。
ほとんど、気ままに目で追っているだけだけれど。
ふと気になり、訊ねてみる。
「早苗は?」
「麓に買い出しに行ったよ。信仰集めも兼ねてるんだって」
そう、と返して、蝶をまた追いかける。
一応紹介すると、早苗というのは巫女の神様のことで、名を東風谷早苗という。
この神社で唯一、人でありながら神でもある。
俗に言う、現人神という奴だ。
里の人間は「そうは見えないなあ」とまた言うのだけれど、それでいいと私は思っている。
だって、如何にも神様です、なんて人間がいても、人は近付き辛いだろうから。
それよりは彼女のように、「神様には見えない」と言われて、「これでも神様なんですよ」なんて答える方が人の信仰を集めやすい。
神様は人に忘れ去られたら存在できなくなる。
私が最も怖れることの一つで、隣にいる諏訪子も、早苗もきっとそれは同じだろう。
信仰を集める、なんて言うと少し怪しい響きだけれど、要は神様がいますよって、知ってもらえればいいんだ。
──そうすれば、もう早苗は二度と泣かずに済むだろうから。
「……神奈子?」
「ん、なんだい」
諏訪子が、少しだけ不思議そうにこちらを見た。
視界の隅にそれを見て、蝶から目線を外す。
私が彼女の方に向き直り、答えを待っていると。
ふいと顔を逸らして、「なんでもないよ」と言った。
私もまたそうして、「それならいい」と答える。
蝶は、もうどこかへ飛んでいってしまった。
しばらく何もない場所を、ぼうっと眺めていた。
日差しは暖かく、暑過ぎることもなく。
風は清々しく、冷え過ぎることもない。
風鈴が似合いそうなわけでもなく。
田んぼが淋しいというわけでもない。
聴こえるのは風の音と、鳥の鳴く声。虫の鳴く声。
目に映るのは境内の見慣れた景色。木。草。花。
目を凝らせば生き物も見られたかもしれないけれど、ぼうっとした視線はそれを捉えない。
穏やかだった。
疑いようもなく、静かで、居心地が良い。
そんな時でも不安を覚えるのは、私が未だに神様らしくなりきれていないからだろうか。
ちら、と隣を見る。少し目線を落とすと、ここにも神様が一人いた。
何気なく、その頭にぽん、と手を乗せて、帽子の上から撫で回してみる。
「どうかしたの?」
神様は上目気味にこちらを向いて、なんでもなさそうに言う。
それになんだか答えあぐねて、しばらくそのまま頭を撫で回していた。
私が答えないことが分かると、あちらも何も言わずにこちらから目線を外す。
諏訪子は、何を見ているだろう。
私と同じように、境内をぼうっと眺めているだろうか。
それとも、私には理解できない、全く別の何かを見ているのかもしれない。
きっとそうなんだろう。
そう思って、撫で回すのをぴた、と止める。
またこちらに向き直った彼女に「お茶でも淹れてくるよ」と言い、腰を上げる。
湯呑みを二つ持って縁側に戻ると、諏訪子はまたこちらを見上げた。
一つ湯呑みを渡して、縁側に再び腰掛ける。
「ありがと」と彼女が言うので、「どういたしまして」と返した。
熱いから気をつけるんだよ、とも言いかけたけれど、なんだか自分が母親にでもなった気分になりそうだったので、やめた。
少し茶を啜って、我ながら中々上手く淹れられたかな、などと考えていると。
「美味しいじゃない」
と、隣から聞こえてきた。
私が満更でもない笑みを浮かべると、続けて。
「でも、早苗の方が上手ね」
ときたので、早々に苦笑いになった。
でも、彼女の言うことも尤もだなと思ったから。
「帰ったら、淹れ方を教えてもらいましょうかね」
と返した。
すると彼女は少し表情を崩して言う。
「神様が人間に教えてもらうのって、なんかおかしいね」
「でも、早苗も神様には違いない」
「にしたって、よりにもよってお茶の淹れ方だよ?」
長いこと一緒にいるのにね、と諏訪子はけろけろ笑った。
私はそれが、何故だか久しく見たような顔に思えて、どきりとした。
照れ隠しにもう一度頭に手を伸ばしたけれど、見切ったと言わんばかりに払われた。
ぽかん、とした私に、諏訪子が得意げな顔でまた笑ったから。
口をもごもごさせて、茶を啜った。味がよく分からなかった。
湯呑みから口を離して、ふ、と息を吐く。
お茶の熱が身体に染みて、顔の熱が冷める。
少し年寄りっぽかったかな、と反省していると、案の定諏訪子に「神奈子おばさんくさい」とからかわれた。
言い返す言葉に迷って、「あんたはいつまで子供なのよ」と返す。
すると彼女は唇に指を当てて、少し考え込んだ。
目を細めて、うーむと声を出して。少しわざとらしかった。
私が目線を外す頃に、諏訪子はふぅと息を吐いた。それから、
「私、大きくなった方がいいかなぁ」
なんて聞こえてきたので、思わず口に含んだ茶を噴き出しかけた。
必死で堪えて、なんとか飲み下す。
「これくらいの大きさの方が動きやすくていいんだけど、やっぱり早苗より小さいのはなぁ」
「いいよ、いい。私が悪かった」
私が両手を挙げて降参の意を示すと、諏訪子は「あ、そう?」なんて言って、いたずらっぽく笑った。
ああ、からかわれてばかりだなぁ。
けれども、別に怒りも湧いてこなかった。昔は些細なことでよく喧嘩をしたけれど、今はそうでもない。
それは私が成長したのか、 それとも彼女が丸くなったのか。
けろけろ愉快そうに笑う諏訪子を見て、ふと胸の内の不安が薄くなっているのに気が付く。
心の中が穏やかになって、むしろ安らいでいたことに気が付く。
「ふふ」と、思わず声が漏れる。
不思議そうに見上げる諏訪子が、なんだか我が子のように思えた。
神様なのに、ねぇ。
これを言ったら絶対怒りそうだから、そうだね。
これは、私の中に仕舞っておこう。
「変な神奈子」
「神様が変でなくって、どうする」
にっ、と笑い返してやると、諏訪子は呆れたような顔をして、ぷいっと顔を背けた。
私は満足して、茶を一口啜って、湯呑みを脇に置く。
ふあ、と声を漏らしながら、ぐいと身体を反らして伸びをする。
遠くから、私と、もう一人の神様を呼ぶ声がした。
目を凝らすと、遠くに巫女の神様の姿が見えて。
ああ、お茶の淹れ方でも聞こうかな、などと考えながら、私はゆっくりと腰を上げる。
「先に早苗の話聞こうね」と後ろから聞こえてきたので、「分かってるさ」と返す。
「どうだかねぇ」と言う彼女の声は、心なしか楽しげだった。
「八坂様、洩矢様、ただいま帰りました!」
守矢の神社には三人の神様が住んでいて。
一人は巫女の神様で、一人は蛙の神様で、一人は蛇の神様で。
見た人間は口々に言うそうだ。
「とても神様には見えなかった」と。
けれどもその後に、大概は続けて言うのだ。
「私も神様に産まれるのなら、きっとあんな風がいい」なんて。
「だってあんなに幸せそうなの、見てて微笑ましくなっちゃうもの」
守矢の神社には今日も、神様の笑い声が響く。
「神様」が「三人」というのも響きがほのぼのしてて良い。
(このお話だと柱って数え方はちょっと物々しい感じがする)
こういう話すごい好きだ。