Coolier - 新生・東方創想話

ロマンチシズム

2011/02/05 10:57:19
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1.

 この日、妖怪の山では強い西よりの風が吹いていた。
 とっぷりと日が暮れても、なお風勢は弱まることがない。
 守矢神社の鳥居を明々と照らす松明の炎も風にあおられ揺れている。
 照らしだされた長短様々の影も、また土の上で踊りくねっていた。


 風は強まり弱まりを繰りかえしながら、延々と吹きつづいている。
 ときおり、その風をぬって妖怪たちが昇降する。
 道々に備えられた松明が、高々と舞い上がるその姿を照らしだす。
 その姿をぼんやりと眺めるうちに、ぬえの口からため息が漏れていった。


 ぬえは、眼下に広がる灯の海を鳥居の上から見渡した。
 石段を通りぬけふもとに至るまで、長々と松明の灯りがともされている。
 道は人通りで混雑し、さながら芋を洗うようであった。
 道端には屋台が所狭しと並び、香具師たちが声を上げ、客に呼ばわる。
 客らもまた歓声を上げ、この日を満喫していた。
 ぬえはガラスのコップに入った酒をひと息に飲み干し、くるりと回って鳥居から飛び降りた。
 とん、と音を立て地上に降り立つ。
 流しこんだ酒が腹の中で燃えたぎり、体が熱くなる。
 とたんにぐらりと世界が揺れた――否、揺れたのはぬえの目だ。
 ぐらつく足を踏みしめ踏みしめ、ぬえは石段を降りてゆく。


 石段を降りるにつれ、太鼓や笛の音が聞こえてくる。
 どん、どどん、ぴーひゃらら、と力強く、高く奏でられる音楽にぬえは酔った。
 隙間無く集った群衆の熱気に当てられたせいもあるだろう。
 横にそれ、木立にしゃがんで涼みつつ、うろんな視線を投げかける。
 老若男女・人妖精霊の別を問わず、誰もが笑い、歌い、集っている。
 肩を抱きあい大音声で歌い出す者や、それをはやして笑いだす者がいた。


 ぬえの酔いはふいに醒めた。
 冬の風が冷たく皮膚を刺し、髪をえぐった。
 頭痛と気分の悪さをおぼえ、暗がりにしゃがみ込んだままうなる。
 瞳を閉じ、突然訪れたこのむかつきを追い出そうとうなった。
 口の中に酸っぱいつばがたまり、とっさに吐き出した。


 吐き気はすぐに止んだ。
 ぬえの腹の中には、アルコール水以外たいしたものが入っておらず、それを出すと何もなくなったからだ。
 頭はまだ痛んだが、風に当たるうち、自然と和らいでくる。
 ひとつため息をついて、ごろりと横になる。
 よく冷えた土が髪にはりつき、服越しに背中をこわばらせる。
 ざわめきは止む所を知らず、耳を通してぬえの頭を揺さぶった。



――バカバカしい、これしきのことで

 ほうけたように枯れ木の先を見つめながら、ぬえは思った。
 今日はなんとも張りあいのない日だった。
 おそろしく暦と関係のない、まるで世捨て人のような生活を送っていたぬえは、今日ふと思い立って山に登った。
 道々夜祭の準備をする者たちの姿を不審に思いつつ、神社までの道のりを登ったのだ。
 そして驚いた――神社もまた常と装いが変わっていたからだ。
 ぱたぱたと走り回る風ほうりを捕まえて問うたところ、早苗は目を丸くして答える。

「今日は春節ですよ」
:REPLACED:
 ちょっとすみません、またあとで、と言い残して走り去る青い後ろ姿見ながら、ぬえは胸のむかつきをおぼえた。
 誰も彼もが正月を迎える準備で忙殺されていた。
 ぬえはぼんやりとそれを眺めるだけで、声をかけることも、かけられることもなかった。
 そのうちに日は暮れ、灯りが灯された。
 お祝の焼酎をわけてもらい、ひとり鳥居の上で飲んでいた。
 これが今日あったことの全てだ。


 むっくりと体を起こしつつ、ぬえは心の中でやる瀬のない憤りをぶちまけた。

――睦月ついたち・春節がなによ、おめかししちゃってさあ
――だいいち、あによう、正月なんてひと月まえにやったばかりじゃあない
――くっそう、すましやがってえ、飲んで騒いでりゃご満悦のくせしてえ

 ぴーひゃらら、とこだまする笛の音が頭痛に染みこんで、彼女の怒りを増長した。
 むらむらと燃え上がる情動に身を任せ、ぬえはパッと立ち上がる。
 群衆の中へ割り込みイタズラでもしてやろうと、木立をかけぬけた。


 群列まであと10間と迫った時、突然笛の音が止んだ。
 ガヤガヤ騒ぐ人垣が道の端へとふた手にわかれ、屋台の間から木立の中へと飛び出る者もある。
 ぬえはその勢いに逆らって道の中央まで走り、そこで立ち止まった。
 突き飛ばされたいく人かはぬえを振り返る。
 しかし、万人は道をかけ上がってくる黒いほうき星に視線を注いでいる。
 それはダダダッと坂をかけ上がり、ぬえの姿を見て停止した。
 そしてぬえの周りを半回転して背中に回りこみ、肩をつかんでささやいた。

「めずらしいな、ぬえじゃないか、おめでとう!のんでるか?」

 ケラケラと心地良さそうに笑いだした、それは魔理沙だった。
 魔理沙の顔は赤らんでいて、酒臭い。
 とっさのことに理解が及ばず、ぬえはほうけた顔をさらして振り向いた。
 突然、魔理沙がぎゅっと体を縮め、ちょうど抱きしめるような格好でぬえの背後に丸まった。
 ぬえはびっくりして体をよじる。

「ちょっと!ひっつかないでよ!」
「わあ、暴れるなって!羽根が刺さって痛いだろ!」
「じゃあ離れればいいでしょ!」
「いいから、いいから。おい、イタイって!」


 ふたりはひらけた道の中央で、きゃあきゃあと騒ぎあった。
 腕を突っぱり、羽根を振り回して魔理沙を引き離そうとするぬえ。
 両手を回してしがみつき、巧みにぬえの矛先を避ける魔理沙。
 ふたりのキャットファイトに群衆の視線が集う。
 いや、群衆はキャットファイトから5、6間離れたところを注視している。

「そこの、おふたりさァん。道の、ド真ン中で、イチャコラするのは、やめにしましょうよねェ」

 重いアルトの声が響き渡る。
 ぬえと魔理沙は動きをやめ、声の方へ振り返る。
 声の主はずしずしと歩み寄って、ふたりから半間ばかりのところで立ち止まる。


 ぬえの目に映ったもの、それは怒りに燃えた1対の紅い瞳であり、風になびく紅いリボンだった。

「へェ、あんたたち、いつの間にデキてたの?お祝言はうちであげなさいよねェ」

 紅いリボンはふたりとの間を詰めてくる。
 ぬえは全身の酔いが吹き飛び、鳥肌が立つような感覚に襲われた。
 頭痛が、どこか遠くから語りかけてくる――三十六計不如走サンジュウロッケイニグルニシカズ)
 だが、背後の魔理沙はケラケラと笑いながら地面をけった。

「いってこい! マ・フィアンセー :REPLACED: ぬえ!」

 ぬえは周囲の樹木が水平線の下に沈むのを見ながら、胃袋が沈み込むような不快感に襲われた。
 強い風がその頬を打ち、頭がグラグラと回るのをおぼえる。
 続いて、地上から霊夢の呼ばわる声が聞こえた。

「ほォう、やるってんなら、やるわよォ」

 ぬえは視界の端で霊夢の地をけり空に舞い上がるのを捉え、驚きと恐怖にかられて叫んだ。

「わたしは関係ないでしょお!」
「ぬえ、おまえのフィアンセーの、一生の頼みだ!大丈夫、ふたりなら怖くないぜ」
「だれが、あんたと、いつ婚約したのよお!」
「今さっきだ!運命だったんだよ!」

 魔理沙はぬえに抱きついたまま、その頬に軽くキスをした。
 そしてニカッと笑いかけると、はるか前方を見すえて呼びかけた。

「よーし、霊夢!かかってこい!怖じ気づいてもいいんだぜ!」
「ハン!寝言は寝てから言いなさい!いくわよ!」

:REPLACED:  霊夢が放った光弾の列があたりを照らしながらふたりに迫る。
 くっついたまま右へ跳び、かろうじて避けた。
 光弾は進路を緩やかに曲げながらぬえの左をかすめていく。
 ジリッと音がして、ぬえのスカートに小さな裂け目ができる。
 グレイズしたのだ。
 ゆるやかなカーヴを描きながら、光弾は次々とぬえたちの近くを通過する。
 熱を持ったそれが体や顔をかすめるたび、ぬえは腹の中で憤怒が溶岩のようにたぎっていくのを覚えた。
 魔理沙は相変わらず軽口をたたきながら笑い声をたてている。
 その笑い声も、またぬえのしゃくに障った。


 魔理沙はぬえを抱きしめたまま、右へ左へと跳躍をくりかえし、絶え間なく動き回って霊夢の攻勢をかわし続けていた。
 しかし、ふたりでくっついているせいもあって動きが鈍く、たびたび当たってしまう。
 寒々した夜では温かくてちょうど良いくらいだ、と思いつつ、よろよろ避けていたところ、突然世界が反転した。
 天地がひっくり返って空中に投げ出される。
 目の前にはぬえがいる。
 ぬえは目を伏せたまま、おもむろに光球をひとつはなった。
 それはねらい違わず魔理沙の胸に命中し、5、6尺余りその体を突き飛ばす。
 魔理沙はくるくると夜空の中を回ってから、地上を目指して落ちていく。
 落ちていくさなか、ぬえの顔が光弾に照らされてちらとかいま見えた。
 それは魔理沙にギリシア神話のメドゥーサを思い起こさせる、どう猛な表情だった。
:REPLACED:


 ぬえの怒り――それは今日の日に対するうっ憤の結晶であり、魔理沙の態度に対する憤激の融解であり、理不尽な霊夢の攻勢に対する激怒の揮発である。
 ぬえは、さながら奔馬と化したそれに手綱を付けることをやめ、その背にまたがり、しがみついた。


 怒号を上げながら、ぬえは手当たりしだいにねらいを付け、次々と光弾を発射した。
 赤ないし青い光を放つ方形のそれは、強い風の中を突っ切って霊夢を襲う。
 霊夢は自然に弾幕の隙間をぬいながら、ぬえとの間合いを計った。
 地上からの光に照らされて、ぬえの姿が3間ほど先に浮かびあがる。
 攻勢が途切れる間をぬって地上に目線をやった。
 魔理沙が落ちた場所は土の上の雪の上。
 妖怪たちとおぼしき数体の影が介抱しているようだ。
 もともと、彼女は魔理沙を追いかけてここへ至り、魔理沙と弾幕をはりあうつもりでいたのだ。
 それがどうしたことか、いつの間にか対戦相手が変わっている。
 アッと思った時には魔理沙は突き放され地上へ落ちてゆき、ぬえは怒声を上げながらやたらめったらに弾幕をはってきた。
 するすると隙をぬって応戦しつつ、霊夢は正面から吹きつける夜風を浴びた。
 それは光弾の熱によってあたためられ、さながら春一番のように感じられた。
 めんどくさい、と心の中で思いつつ、夜空に舞って弾幕をはった。


 ぬえは、ほとばしる熱い情念パトス)をそのまま弾幕に表した。
 赤々と輝く光弾をいくつもいくつも生みだし、放つ。
 風に乗り、ぬえの叫びに乗り、それは夜の闇へと走り出す。
 対する霊夢の攻勢も、絶え間なく続いている。
 しかし、ぬえはほとんど避けない。
 あるものはグレイズし、あるものはヒットする。
 それでもぬえは倒れない。
 ぬえの胸中を様々な思いが去来する。
 自分を眼中にさえ入れなかった山の連中、お茶も出してくれなかった早苗、不らちな魔理沙と不そんな霊夢、理不尽な弾幕の嵐、嵐、嵐!
 全てが彼女の怒りに火を注ぎ、やがてエネルギーとなり夜空をかけていく。
 感じるまま、めくらめっぽうに弾幕を張り巡らす。
 叫び声を上げ、今日1日かけてたまったうっ憤を夜空へと解きはなった。




2.

 東風谷早苗は、宵が更けようとするころ、人里でうろうろしていた。
 里の人々はそんな彼女の姿を見つけると、かけ寄って行ってあいさつをした。
 彼女はそのたびに立ち止まり、微笑んで礼を返す。
 足取りは遅々として進まず、いささかイラついていた。
 そもそも、彼女はあの封獣を探しに来ていたのだ。
 昼過ぎに神社で顔を合わせたが、ろくなあいさつもせず通り過ぎてしまった。
 よくよく思い出せば、目前の忙しさに捕らわれて、お茶も茶菓子も出さずじまいだったはずだ。
 ふた刻ほどして戻ってきた時は、ぬえは神社を出たあとだった。
 せっかくの祝日なのに、怒らせてしまったとすれば申し訳ない。
 なにより、彼女自身の気分が悪かった。
 松明をともしおわると、彼女には暇な時間ができた。
 神社を八坂様に任せて山を下り、ぬえ探しに出たのだった。


 手始めににぬえがよく宿っていた場所を3ヵ所ほど回った。
 そのどれもが留守だった。
 次に寺へ顔を出した。
 ソバ :REPLACED: を打って談笑するところにあいさつをし、ぬえを見なかったかと聞いてまわった。
 答えは皆一様に「知らない」「見ていない」だった。
 彼女は事情を伝え、もし出くわしたらひと言お伝えしてください、東風谷から昼のわびを入れたいと伝言をお願いして、寺をあとにした。
 そして、気もそぞろに落ち着かないまま、彼女はあてもなく人里をさまよった。
 あいさつには丁寧に返すものの、どこか上の空である。
 視線も落ち着かず、あたりをちらちらと伺っている。
 ある娘が、何かお探しでしょうか、と訪ねた。
 早苗は少し悩んだが、大丈夫です、なんでもないですと答えてごまかした。

――ひょっとしたら、顔も合わせたくないくらい怒っているのかも
――だったら、ムリに探し出しても意味無いよねえ

 早苗は悩む頭を抱えながら里の噴水広場で腰を下ろした。
 あたりはとっぷりと暮れきっている。
 宵闇の寒さに包まれて、早苗はひとつ身震いをした。
 この距離でも、妖怪の山の方からはほのかな灯りが見える。
 それは彼女たちがともしてまわった松明の灯りに他ならない。
 山の麓から中腹の滝まで斜めに登り、そこからくねくねと守矢神社まで続いている。
 徒歩だと、まる1刻はかかる道のりだろう。
 暗闇に燃えさかる黄色い線を見つめながら、彼女はぬえのことを想った。

――どこいっちゃったのかなあ
――さすがに怒るよね、あんなことされちゃあね
――いくら忙しかったって、われながらなかったなあ

 昼の自分を思うにつけ、早苗は憂うつになった。
 心が申し訳なさで一杯になった。
 はあ、とため息を吐くと、しゃがんだまま膝に顔を沈めた。
 目を閉じ、ぎゅっと体を縮めて、風の音に聞き入る。
 人里に吹く風は、神社で吹きすさんでいたそれより少し温かい。
 静かに息を整えながら、彼女は風の歌に聴き入った。



「東風谷さあん!東風谷さあん!」

 突然、現実に彼女の名前が呼ばれた。
 驚いて、反射的に立ち上がる。
 とたんにクラッときた。
 よろめく体を声の主が支える。

「おや、大丈夫ですか?」
「ありがとうございます、すみません。いきなり立ち上がったせいで……」

 早苗は体を伸ばし、スカートに付いた土を軽く払ってから、自分の名を呼んだカラステングに向き直った。

「ええっと、何の御用でしょうか?」
「あ、はい。お知らせがありまして。守矢神社の近くで、ぬえが見つかりました――」
「本当ですかっ!」

 早苗の目が輝いた。
 カラスは一瞬気おされたかのように顔を引いたが、すぐ苦笑しながら先を続けた。

「――ええ、お探しのかたが見つかりました。霊夢さんと弾幕ごっこ、やってます」
「わざわざ、ありがとうございます、すぐに参ります」

 早苗はそれだけ言うと、すぐに飛び上がった。
 よくよく目を凝らすと、たいまつの列が終わるあたりで光が乱れている。
 黄色い曲線を遮るように赤や青や、様々な色のネオンが弧を描いている。
 それへめがけて一直線に飛んだ。
 向かいから吹く風にあらがって、飛んだ。
 先のカラスが、その後ろ姿へ苦笑いを送っていることさえ気付かずに。




3.

 霊夢はだんだんと焦れ始めた。
 その面には時を経るにつれ徐々に疲れの色がにじみ出している。
 ぬえの弾幕は濃かった。そして速かった。
 時折マフラーやスカートの先をかすめてゆく。
 風は最前から強く吹き続けている。
 姿勢の維持によけいな気を払わなければいけないことも、また彼女の神経を削った。
 そしてなによりも、ぬえがスペルカードに手を掛けようとしないことに苛立った。
 どちらかがスペルカードに手を掛ければ、ルール上いやでもこの弾幕戦にタイム・リミットがもうけられ、終わりが見えることになる。
 しかし、ここまでどちらもスペルカードを使用する意図を示していない。
 ぬえは怒りにまかせて弾を発生させているだけに、そこまで頭が回らないのかもしれない。
 一方の霊夢は、この時スペルカードを1枚しか持っていないのだ。
:REPLACED:  それゆえ、先に相手をタイムレースに持ち込むか、さもなければ必中の場所から撃ちたかった。
 ぬえは今のところほとんど回避行動をとっていない。
 撃てば当たる「だろう」。
 多分避けない「だろう」。
 おそらく、誰もがそう思っている。
 地上では野次馬と化した群衆が歓声を上げていた。
 時折ねらいのはずれた弾が接地し、パカッと音を立てて破裂した。
 中には観衆の近くではじける弾もある。
 キャーとかウォーとか喚声を上げてそれを避ける者たちは、霊夢がこのエキシビジョンを長引かせるためにスペルカードを撃たないのだと思っていることだろう。


 初めのうち、霊夢は状況を見、頃合をはかって撃とう、と思っていた。
 だが、いつのまにか霊夢の中にはためらう気持ちが生じていた。
 しかも、時が経つにつれそれは徐々にふくらんでいった。

――撃ちたくない

 神託のように降って湧いたその思いが、いつの間にか彼女の脳内を占拠していた。
 雨あられと注ぐぬえの攻勢をかわしながら、霊夢はとまどった。
 ときに横風が彼女を強く押した。
 気がつけば霊夢の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
 いつになく霊夢は焦った。
 ぬえが「撃たない」ことにも、自分が「撃てない」ことにも、強すぎる風が絶え間なく吹いていることにも。

――このままじゃあ、ジリ貧じゃない

 ふいに、青い光弾が霊夢の目の前をふさいだ。
 とっさに体をよじり、頭を伏せる。
 弾はリボンの端をかすって後ろへ飛んでいく。
 ぬえはもとの場所を動かず、うつむいたまま光弾を発生させていた。

――しかたがないなあ……

 霊夢は空中で1回転を行い、右に半間ほどずれて姿勢を立て直した。
 足下から歓声がわき上がる。
 気付かれないよう小さく舌打ちをし、リボンの中に織り込まれたお札を2枚取り出して投げる。
 それはゆっくりと左右に展開していく。
 するするとぬえの攻勢を避けながら、霊夢は今一度自分の内なる声に問いかけた。
 とまどいはある――撃たない方がいい、理由のない思いが罪悪感を伴って己の内に広がっていく。
 やがて、放ったお札がぬえを中心にして半径2間ほどの円弧を描く。

――今だ!撃とう!

 そう思った瞬間、すぐ右からやってくる青い方弾が目にとまった。
 とっさに前に飛び出ると、方弾ははるか後方を通過していった。
:REPLACED:  視線をぬえに戻すと、失中したお札がゆらゆらと羽ばたきながらぬえの周りに浮かんでいる。
 チッ、と大きな舌打ちが漏れた。
 撃発するためには、もういちどお札を軌道に乗せなければいけない。
 ふらふらと空中をさまよいながら、お札の羽ばたきを見守る。
 それはゆらゆらとさまよいながら、再びぬえの周りを回ろうとしていた。
 こんどこそ、と息を静め視線を集中させる。
 濃密なぬえの弾幕が霊夢の周りに集ってくる。

 第1派は右からきた、体を引いて避ける。

 第2派が正面を襲う、左に避ける。

 第3派は再び右から、前方へう回する。

 青い光列が霊夢の背後を通過した。
 霊夢が目を凝らすと、あのお札はまさにその焦点を合わせようとしていた。

――あとみっつ!
 散発の方弾に体をひねって避ける。
 右のお札が周回軌道に入る。

――あとふたつ!
 ぬえの周辺で赤い帯が形成されつつある。
 第4派が来る前に撃発したい、焦りが募る

――あとひとつ!
 赤い帯が徐々に距離を詰め始める。
 霊夢の頬を冷や汗が伝っていく。




「霊夢さあん!」

 まさに撃発しようとした、その時だ。
 頓狂な叫び声に霊夢は思わず振り向いた。
 早苗がこちらを見ていた。
 大きな瞳をより大きく丸くしてこちらを見ていた。

 次の瞬間、霊夢を激しい衝撃が襲った。
 わあッと、悲鳴を上げて、霊夢はバランスを崩した。
 再び天地は逆転する。
 強い風が彼女の体を宙に放りだす。
 そしてゆっくりと落下する。
 霊夢は自分の口からきゃあッという悲鳴が漏れるのを聞き、そのまま雪の中へザフッと埋まって、意識が遠のくのを感じた。
 とっさに体を浮かせると、ぬれた頭が風に当たり、今度は鋭い痛みを引き起こした。
 瞳に涙を浮かべながら空を見やると、ぬえはもう弾を撃ってはいなかった。

 急きょ始まった弾幕戦は、青いちん入者のせいで急きょ中止になったのだった。




4.

 ゴウゴウと音を立てて風が流れていく。
 顔に当たった冷気は容赦なく早苗の体温を奪っていった。
 早苗はとっさに手で目を覆った。
 あまりの痛さに涙がにじんでいて、前がよく見えなくなったからだ。
 それでも速度をゆるめず、ややうつむきながら先を急ぐ。

――ぬえと霊夢さんが弾幕ごっこ!
――あんまり頭に来たんで、なにかしでかしたのかも!

 そう思うと、自分が引き金を引いただけにいっそう申し訳なくなり、心がざわついた。 暗闇におおわれた地上には人影がない。
 やがて墨色の草原が途絶え、樹木のシルエットが浮かび上がってきた。
 早苗は指の間から前方を見た。
 ぼやけた視線の中央にふたつのシルエットが浮かんでいる。
 手前側は紅く大きなリボンで髪を結っている――これが霊夢だろう。
 とすれば奥側はぬえだ。
 早苗の位置からは霊夢と弾幕が邪魔でぬえの姿はよく見えなかった。


 霊夢は右に左にと動き回りながら、じっと前方を見つめている。
 流れ弾を避けるため、早苗は右側をう回してふたりに接近をはかった。
 ふと、霊夢が身を引いた瞬間、たいまつに照らし出されたその横顔が見えた。
 早苗は驚きに目を見開いた。

――霊夢さん、泣いている?

 実際のところ、それは汗の粒だった。
 本人は全く気付いていなかったが、グレイズした弾の熱気と焦りとで霊夢はひどく汗をかいている。
 そのため、いつしか顔面の汗が滝のように流れて、早苗が遠目から見た所ではあたかも涙のように見えたのだった。


 霊夢は真剣そのものの表情を保ったまま、いくらか苦しそうに体を揺すり、弾を避けている。
 早苗は霊夢から半町ばかりのところで思わず名前を呼ばわってしまった。
 霊夢が振り向く。
 その瞳が驚きで大きく見開かれた瞬間、赤い弾幕が霊夢に命中し、彼女はくるくると回って落っこちた。
 早苗がアッと声を上げるより先に、霊夢は雪中に埋まった。
 とっさに降下を始めると、後ろから肩をつかまれる。
 それはさっきのカラスだった。

「東風谷さん、あなたはぬえの方に行って下さい。霊夢さんは私が引き受けますから」

 ね、とウインクひとつを残し、彼女は早苗を追い越して、霊夢の側へとダイヴしていく。
 早苗は、その妖怪たちが地面にひっくり返った霊夢を抱き起こし始めたのを確認してから空を見上げた。


 夜空の中央で華やかに輝いていた弾幕は、すでにひとつ残らず消え去っている。
 星々がきらめく夜空の中央に、黒い影がポツンと取り残されている。
 早苗はそれに近づいていった。
 その影は微動だにしないまま、こちらに視線を注いでいる。
 早苗はゆっくりとした接近をはかりながら、相手の表情を注意深く見守る。
 時折すすり上げる音がする。
 それは確かに泣いていた。
 両の目を大きく開きながら、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
 白く細い両手がほつれた漆黒のスカートの端をつかんでいた。

:REPLACED: 「ぬえ――」

 早苗が呼びかけた時、ぬえはとっさに背を向けた。
 彼女は今さらながら自分が泣いていたことに気付き、鼻をすすり、袖で涙をぬぐった。
 流れ出た涙は風にうたれてすぐ蒸発してしまい、乾いた頬がパリパリと音を立てた。
 真後ろに早苗の気配を感じる。
 不思議と風が弱まっていた。

「ぬえ、ごめんなさい」

 早苗は優しく言葉を掛けながら、そっとぬえの腰に手を回した。
 そして、そうっと抱きしめた。
 ぬえの細い腰が一瞬ビクッと動いたが、あとはされるがままになっている。
 早苗はぬえの頭に自分のあごを乗せ、目を閉じた。
 ぬえの堅い頭髪が早苗のあごをなでる。
 その感覚に身を任せたまま、ぬえの答えを待った。

 夜空に瞬いた星々が、ふたりを静かに見守る。
 いつしか風は止んでいる。
 感情にまかせて暴れたあとの極度の疲労の中、ぬえは背中の柔らかい感触に心を揺さぶられた。
 吐息の音が静かに響き渡る中、ぬえは不思議な気分を味わっていた。
 それは誰かと共にある快感であり、静穏に対する畏怖であり、自分に対する不安であった。


 自分が永らくこの手の「快感」を味わったことがないことに、ぬえは気付いた。
 夜空が美しい星々で満ち、包み込んでくれることに驚いた。
 そしてまた、自分がこんなにも口べただっただろうか、といぶかしんだ。
 早苗の吐息がすぐ頭上から響いてくる。
 こそばゆいような、こ恥ずかしいような、不思議な感慨で四肢が満ち、ぬえは唇をかんでうつむいた。
 早苗がもぞもぞと動き、しっかりと手を組んで抱きしめてくる。

「ごめんなさい」

 早苗がまた同じ言葉を口にした。
 やや震えている、その「ごめんなさい」はぬえの胸を締め付ける。
 ひとしずくの涙がぬえの頬を伝っていく。
 何かを言おうとしては、言葉が消えてしまう。
 自分の語いを呪いながら、ぬえは白い吐息を見つめた。


 ふと、早苗の腕にこもる力が弱まった。
 その手がほどかれ、背中に触れていた暖かみが遠のく。
 ぬえは急激に体が冷え、支えを失ってまた泣きそうになった。
 スッと、早苗の腕が引っ込められた瞬間、ぬえは振り返ってその胸に飛び込んだ。
 ぬえは両手で力一杯抱きしめる。

:REPLACED: 「さ、なえ……」

 ぬえのかすれた声を聞きながら、早苗は驚きで固まってしまう。

「……ぎゅって、して?」

 風ほうりの胸に顔を静めたまま、ぬえがささやく。

「……わたし、だって……さびしいのよぅ……」

 早苗はどうにか右手を動かして、ぬえの頭をなでる。

「わ、私でいいんですか?」

 自分の声がうわずっていることに気付いたが、早苗はおっかなびっくりぬえの髪をすいた。
 ぬえが小さくうなずく。

「……さなえがいいの」

 こわばった腕に力を込め、早苗はゆっくりとぬえを抱きしめる。
 心を込めて、力を込める。

――カミサマ、ありがとうございます
――そして、ぬえ……




5.

 霊夢は空を見上げながら毒づいた。

「あによ、あれ!あ、あ、手なんか握っちゃってさ!早苗もぬえも顔真っ赤じゃない!ハレンチよ!」
 その脇で何羽かのカラスがシャッターを切った。
 その内のひとり・文が霊夢の絶叫に気付いてあゆみより、諭すように言った。

「霊夢さん、それくらい良いじゃないですか。今日は祝日ですよ、聖なる日じゃないですか!祝福してあげましょうよう!」

 霊夢は文をにらみつけて、また毒づいた。

「ハン!今日は春節よ!新年よ!クリスマスでも、バレンタインデーでもないの!
だいいち、あんたいつからクリスチャンになったのよ!」
「まあ、まあ、まあ、まあ。ほら、これでも飲んでくださいよう」

 文はなみなみと液体の注がれたコップを差し出した。
 霊夢はそれを乱暴にひっつかむと、臭いを嗅いでからひと息にあおる。
 喉がカアッとあつくなり、やがて熱は腹に留まった。

「さすがあ!良い飲みっぷり!ささ、もうひとついかがです?」

 文は後ろに置いてあった一升瓶をつかみとり、霊夢に酌をしながらあおる。
 霊夢は注がれるままにカパカパとコップを干し、また干しながら絶え間なく毒づく。
 そんな彼女らの後ろから歓声が上がり続けていた。



 早苗とぬえが、互いの体温を確かめ合った時、地上はにわかに歓声に包まれた。
 ふたりはびっくりして下を見る。
 足下の道は影であふれかえっており、わあわあとはしゃぎながら手をたたいていた。
 霊夢が墜落した時、興味をなくして帰ったものもあったが、大半は残った。
 そして、頭上に浮かんだひとりと1体の抱擁、その一部始終をつぶさに眺めていたのだった。
:REPLACED:  人は皆、この熱い抱擁に乾杯した。
 ふたりは顔を見合わせる。
 どちらの視線からも、熟したトマトのように赤くなった顔が見えた。
 ふたりはしばらく上空でまごまごしていたが、やがて手に手を取ってゆっくりと降下し始めた。
 歩調を合わせ、さながらヴァージン・ロードを歩くような足取りで、お互いのいっぽを確かめながら、ゆっくりと旋回しながら、地上を目指した。
 拍手・口笛・歓声・乾杯・怒号――派手なスタンディングオべーションがその一挙一動に合わせて巻き起こる。

 やがてふたりは衆人の中央に設けられた空き地へと、静かに着地した。

 ふいに静かな瞬間が訪れる。
 宣誓の瞬間を見守ろうと身を乗り出す群衆を見て、早苗は腹を決めた。  ぬえを振りかえり、ゆっくりと顔を近づける。
 万人の目線が自分に注がれていることを感じながら、静かにキスをした。
 赤く熟れたぬえの頬へチュッと吸い付いた。

 途端に巻き起こる歓声!
 わっと走りよりふたりの肩をたたく者、顔を真っ赤にして立ちすくむ者、金切り声で何事かを叫ぶ者……

 東の空がゆっくりと明らんでいた。


:REPLACED:

こう見えても、私はロマンチシストなんですよ。



 本作品は11.2/4夜にこちらへ投稿させていただいた『ロマンチック・ウィンド』とほぼ同内容の作品です。
 『ロマンチック・ウィンド』は投稿ミスの為、いったん削除いたしました。
 大変申し訳ありませんでした。
  なお、変更点は以下の通りです。
 では。


 記
 タイトル、書式(フォントおよびサイズ)、構成(段落の設定および改行の追加と削除)、一部表現を改めました。(2/5)

大笠ゆかり
[email protected]
http://
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コメント



0.620簡易評価
7.80奇声を発する程度の能力削除
ぬえ可愛いよぬえ
8.100名前が無い程度の能力削除
ここの人に評価される感じじゃないけれど
後を引く甘くて温かい感じが好きです
幻想郷全体に仄かに甘みのある空気が漂ってる気がして、気持ちがホッとしました
9.70名前が無い程度の能力削除
柔らかくて叙情的、まさにロマンチックな感じですね
好みなんですが魔理沙のフォローが欲しかったのでこの点で
11.80名前が無い程度の能力削除
ぬえの気持ちには共感できるなぁ
理由はわからないけど読みづらいと感じたのでこの点数。
18.90ずわいがに削除
さぬえ~

ぬえは災難だったかもしれないけど霊夢も結構とばっちりww
それにしても幻想郷はホント情と弾幕がアツイやつばかりだわね
19.80名前が無い程度の能力削除
前作との時系列的繋がりをあえて意識させたいのであれば、冒頭なりタグなりで明記するのも良いかと。

私も他の方に同意で、文体描写ともに上品に描かれているところが好きです。
言葉とは意識された文体あっての生きもの。またそれが作者の人となりを知る一会でもあり。

また投稿してください。