今年の幻想郷の冬は、特に寒いと評判だった。
「……寒いわねぇ」
「そうね」
「……ねぇ、アリス」
「何?」
「閑古鳥、何羽くらいうちの屋根にいる?」
「さっき数えてきたけれど、ざっと10匹はいたわね」
そのせいだろうか。
ここ、太陽の畑に佇む一軒のお店は、近頃、とても静かだった。
「立地的に、ここに足を運ぶ人は、よほどの理由がないと来ないものね」
窓から外を見る。
真っ白な銀世界が広がっている。大地を包む白のじゅうたんは、その厚さを、日ごとに増していた。
「……雪かき、もっとしないとダメかしら」
「あれで充分だと思うけど」
畑の入り口からここまで、毎日のように、このお店の店主、風見幽香は雪かきしている。もっと言えば、やらされている。
それをやらせているのは、言うまでもなく、この店のパトロンであるアリス・マーガトロイドだ。
もちろん、彼女も見ているだけではなく、その作業を手伝うし、手持ちの人形たちにお手伝いもさせている。
「唯一の救いは、この寒さのおかげで、生菓子であっても賞味期限が、多少は延びてること?」
「アリス。それ、あなたらしくもない冗談ね」
「そう思っておかないと、ここ数日の客の入りじゃねぇ……」
と、ちょうどその時、店のドアが開いた。
一様に『ゆうかりんファンクラブ』と書かれた鉢巻を締めた、たとえ冬の寒さの中であっても己の魂の炎を燃やす紳士淑女の皆様方のご来店である。
「ほら、幽香。お客さん、来たわよ」
「……なんか急に暑苦しくなったわ」
ちょっぴり、彼女がげんなりとした表情を浮かばせたのを見て、アリスは客に悟られないように、カウンターの裏で幽香の足を踏んづけた。
「やっぱり、うちは『これ』っていう一押しがないのがダメなのよね」
その日の夕方。
今日はもうお客さんも来ないだろうと、早目の店じまいを済ませた後、二人は店内で作戦会議を行っていた。
「……それ、地味にこたえるんだけど」
「あ、い、いや、幽香のお菓子がまずいとかそういう意味じゃないのよ?」
意外と、自分が入れ込んでいる点をネガティブに指摘されるとへこむタイプなのか、視線がうつむく幽香に、慌ててアリスは弁解する。
「その……え~っと……。
あ、そうそう。
ほら、『美味しいお菓子を食べたい』って言うだけなら、極論を言ってしまえば、近場の甘味処で充分じゃない?」
「……フォローのつもり……?」
「……あー」
……結構……いや、かなりめんどくさいわよね、意外と……。
そっち方面にかけては、右に出るものなどそうはいないと自負しているだけあって、やっぱり辛らつな意見には弱い一面があるらしい。
普段なら、『何よ、それ! どういう意味!?』とでも反発してきておかしくないのだろうが、ここ数日の客の入りのせいで、アリスの発言がある種の『現実味』を帯びていることも、それを後押ししているのだろうか。
「と、とにかく、続けるわよ。
あの紅魔館であっても、ここ数日の寒さと雪のせいで、客の入りが落ちていると聞くの」
「……へぇ」
ちょっぴり復活してきた幽香が、テーブルの上に手を出した。
洋菓子と言えば、東の『紅魔館』、西の『かざみ』というのが幻想郷住民の認識である。
いわば一種の商売敵であり、その商売敵も苦戦していると言う現実は、幽香にとっては明るいニュースであったようだ。
「けれど、それなら『どんな時でもうちに来たい』って思わせる企画を考えてくるの」
「たとえば?」
「最近だと、『メイドさんとの仲良しトーキング』っていうのをやっていたわね」
その詳細はというと、一時間500円を追加することで、紅魔館で働くメイド達と優雅な会話が楽しめるというサービスであるらしい。
一瞬、『それっていかがわしいお店じゃない?』と幽香は思ったが、本当に、ただ会話をするだけらしく、主な客はやっぱり男性であるが女性や子供の利用者もいるのだとか。
「従来どおりの客の入りというわけにはいかないみたいだけど、3割くらい、客足が戻ったらしいわ」
「……うちも、それ、やるの?」
ちょっぴり、幽香のほっぺたが赤い。
そういう企画をやるとすると、この店で『そういうこと』を担当するのは誰であるかなど言うまでもない。
「後追い二番煎じじゃ、お客は増えないわよ」
内心、幽香はほっと息をつく。
それを感じたのか、アリスは『そこでね』と言葉を続けた。
「幽香。何か企画を考えて」
「私が!?」
「そうよ。何を驚いてるのよ。
ここは、あなたのお店でしょ。私はあくまでパトロンであって、ここの経営に、必要以上に口出しはしないの。いい?」
「……だ、だけど、今回くらいは……」
「じゃあ、期待しているわね」
「あ、ち、ちょっと、アリス!」
帰るわよ、上海、と彼女は人形に声をかけ、それを連れて去っていく。
あまりにも一方的な彼女の態度に、しばし、幽香は呆然とした。
その意識が現実に引き戻されたのは、ドアの閉められる音が部屋の中に響いた時だ。
「……どうしろってのよ」
つぶやき、幽香は一人、ため息をつくのだった。
「こんにちはぁ」
「あの、すいません。今日は……」
店のドアをくぐってやってくる、今日の客は、約一名がとても珍しい客だった。
「……あの、幽香さん?」
しかし、その店の店主はと言えば、一人、客の応対もせずにテーブルに突っ伏している。
客の一人――魂魄妖夢の視線が、隣の相手に向く。
「あのぉ。もしもしぃ?」
彼女、西行寺幽々子の手が、そっと幽香の首筋をなでると、
「ひゃわぁっ!?」
何だかよくわからない悲鳴を上げて飛び起きた幽香が、そのまま、ごちんと椅子の上から床に落下した。
なかなか盛大な落下をして、痛みに呻いている彼女に、妖夢の顔が引きつる。
「なっ、何するのよ、いきなり!?」
「あらぁ、驚かせてしまってごめんなさぁい。
だけどぉ、ほらぁ。私ぃ、幽霊だからぁ、体温がぁ、普通の人よりもぉ、低いのよねぇ」
「ああ、もう、いらつくわね、その喋り方!」
ゆったりのんびりした喋り方が癖(?)な幽々子の態度に、幽香は怒鳴った後、その視線を妖夢へと。
彼女は申し訳なさそうに肩をすぼめて、ぺこりと頭を下げた。
主のいたずら好きにも困ったものだ。その顔はそう語っている。
「……ったく。何しに来たのよ、あんた達。
言っておくけど、冷やかしとかだったら……」
「あの、もうお店の開店時間と聞いていますが……」
「……あれ?」
寝起きであることに加えて、余計ないたずらで気が立っているのか、ぎりぎりとまなじり吊り上げていた幽香の視線が、間抜けに時計へと向いた。
時刻、午前11時を少し回ったところ。
「か、鍵は!?」
「かかってませんでしたよ」
「……え? ほんと?」
「はい」
「……」
「ある意味ぃ、人里から離れていてぇ、よかったわねぇ」
とはいえ、色々と本当のところはアレな幽香であろうとも、まだまだ世間一般的には『畏怖される大妖怪』だ。その相手のところに泥棒に入るなどと言う愚を犯す命知らずは、幻想郷にもそうはいないだろう。
文字通り、頬がバラ色に染まった幽香は、『う、うるさいわね!』と怒鳴った。
「あの。何をしてたんですか?」
「な、何でもいいでしょ!?」
「えっとぉ……どれどれぇ?」
「あ、こら、勝手に……!」
「なるほどぉ。新しいぃ、キャンペーンをぉ、するのねぇ」
ふわふわと、とらえどころのない幽々子の手がするりと幽香の脇を抜ける。
彼女に、テーブルの上に散らばっていた用紙を一枚取り上げられ、ますます幽香の顔が赤くなる。
しかし、そこでまた何かを言い返すかと思いきや、幽香は二人に背中を向けると、テーブルの上の片づけを始めてしまう。
「どうしてそんなことを?」
「……仕方ないでしょ。お客さん、来ないんだから」
ぼそっとつぶやく。
肩越しにちらりと見れば、妖夢の表情は『そんなこともあるんだ』と驚きの色に染まっていた。
「たとえばぁ、どんなことをぉ、するつもりだったのぉ?」
「……別に。新製品キャンペーンとか、試食コーナーを作ったりとか」
「楽しそうねぇ」
「食べ放題メニューも作ろうかなって思ったけど、うちだと採算が取れないからやめたわ」
「……残念」
ぼそりとつぶやく幽々子の声は、妙に冷え切っていた。
ちなみにどうでもいいが、この彼女、かつて紅魔館にて『全メニュー端から端まで制覇』をやってのけたため、紅魔館では最上級の客であると共に最大級の警戒が必要な厄介者扱いされていたりする。
「あとは、お店の内装と外装を変えて心機一転してみるとか。地道に人里でチラシを配ったりとか」
「よければお手伝いしますけど」
「別にいいわよ。
第一、その大半が、以前やったことなんだから」
「食べ放題もやったの!? 何で呼んでくれなかったの!」
「アリスに怒られたのよ! 『あんたのこだわりでそんなメニュー作ったら三日で店がつぶれる』って!」
食って掛かる幽々子の迫力に負けないために大声を出す幽香だが、完璧に腰が引けていたりする。
誠、食欲魔人の執念は恐ろしいものだ。
「あ、あの、何でそんなことをすることに?」
慌てて妖夢が横から割って入る。
幽香は、内心、ほっとしたような表情を浮かべて妖夢に向き直った。
「ここは人里から遠い上に、この雪と寒さでしょ。あんた達みたいに飛べる奴らですら躊躇するのに、歩いてお店まで足を運ぼうなんて思わないじゃない」
「……確かに、言われてみればそうですね」
「結局、うちは売りが弱いんだって」
アリスがそう言っていたわ、と幽香。
曰く、『美味しいお菓子を食べたいというだけなら、紅魔館で充分。あなたの店は、ここじゃなきゃダメだ、と客に思わせる要素に欠けている』ということらしい。
ずいぶん辛らつですね、と妖夢はコメントする。
しかし、幽香はと言うと、
「……別に」
そっぽを向くだけだった。
「冬の時期はぁ、きれいなお花もぉ、見られないものねぇ」
「そうなの。
私の得意の、花の蜜ケーキとかも、この時期は出せないもの。あれは、アリスの言う『うちじゃないと食べられないもの』だから、目玉商品なんだけどね」
「……ないの?」
「うっ……」
楽しみにしてたのに、という視線を向けてくる幽々子に、思わず、ずざっ、と音を立てて、幽香は足を引く。
肌寒い雨の日に、道端に捨てられている子犬や子猫が自分に助けを求めてきてるような、あんな感じが胸を貫いているらしい。
「あ、あの、私たちは予約のケーキを取りに来ただけですから……」
「……え? 予約?
……入ってたっけ?」
「……あの、もう一週間以上前に……」
「ちょっと待ってて……」
一度、厨房に引っ込んでいく幽香。
まもなくして、『あーっ!』という声が、向こうから響いてくる。
「……アリスさんがお手伝いしてなかったら、本当に、このお店、もう潰れているかもしれませんね」
「自由気ままが妖怪の信条であっても、そこから自分を変えるのは難しいと言うことね」
「え? あ、はい……」
「さて、それじゃ、少しの間、待ちましょうか」
うふふ、と口許を扇で隠して笑う幽々子。
先ほどまでの空気をきれいに一変させている彼女に、まだまだ底知れぬものを感じて、妖夢の頬に汗が一筋流れたのだった。
「けれどぉ、慣れるとぉ、ケーキと言うものもぉ、美味しいわよねぇ」
どでんとでっかいホールケーキを抱えながら食べている幽々子の顔は、それはそれは幸せそうだった。
幽香は顔を引きつらせ、妖夢はこっそり『……はぁ』とため息をつく。
「それでぇ、どんなことをぉ、やるのかしらぁ?」
いつの間にか、幽々子と妖夢が幽香の相談相手になっていた。
とはいえ、こういうことは、誰かと会話をしていた方が考えがまとまると言うこともある。
幽香は、彼女達が手伝ってくれるのならと、一応、邪険にせずに相手することにしたようだ。
「だから、うちならではの売りが欲しいのよ」
「それならぁ、いつでも食べられるぅ、美味しいぃ、ケーキをぉ、作ればいいんじゃないかしらぁ?」
「……ねぇ、あなた。彼女の喋り方、何とかならない?」
「……お気持ちはわかりますけど、無理です。ええ」
永琳さん並に、と妖夢は言った。
それで幽香も納得したのか、以後の要求は飲み込むことにしたらしい。
「いつでも食べられる美味しいもの、って言われてもね。
やっぱり、難しいものよ。
料理なんてみんなそう。その時その時の旬のものを使うのが一番美味しいのは言うまでもないけれど、料理人の腕で、その味も決まる。
けれど、それこそ突出した……そうね、人間や妖怪の頭では考え付かないレベルにまで突出した腕がない限り、ある程度のラインを超えると、引き出せる限界も見えてきてしまうわ」
諦めるのは嫌いだけれど、挑戦してもどうしようもないことに労力を費やすのは無駄である。
一見、矛盾したような言葉だが、それについては幽々子は何も言わなかった。うんうんとうなずきながら、しかし、ケーキと口の間を往復する手は止まらない。
「あ、そうだ」
ぱん、と妖夢が手を打った。
「あの、幽香さん。さっき、『花の蜜ケーキがうちの売り』って言ったじゃないですか?」
「言ったわね」
「けれど、冬の間は作れない、って言いましたよね?」
「まぁね」
「それって、冬の間は、花を育てることが出来ないからですよね?」
何を当然のことを、という視線を妖夢に向ける幽香。
しかし、妖夢は「それですよ」と声を上げる。
「幽香さん、『温室』って知ってますか?」
「何それ?」
「簡単に言うと、年がら年中、いつでも同じ気温に保てる部屋のことです」
ちょっと違うわね、と幽々子がつぶやく。もちろん、その声は、二人には聞こえなかった。
「そんなものがあるの?」
元々、花を育てたりするのが好きな幽香である。『年がら年中、暖かい部屋を作る技術がある』。そのフレーズに、彼女は興味を惹かれたらしい。
「はい。早苗さんに聞いたんですけど、外の世界では、そんな風に作物を作っているから、旬のものを、旬を気にせず、年中食べられるそうです」
ただ、それでも食べられなくなったものもあるらしいですけど、と付け加える。
しかし、幽香は『へぇ~!』と大きな声を上げた。
「じゃあ、その『温室』というものがあれば、いつでも花畑を作ることが出来るのかしら」
「そうですよ。
それで、いつでもお得意のケーキも作れますよ」
「……なるほど。それ、いいわね。
面白そう。
けれど、どうやって、その『温室』と言うのは作るの?」
「……えーっと」
そこまでは知らないために、妖夢の視線が泳ぐ。
「詳しい話はぁ、洩矢さんとぉ、河童さんにぃ、聞いたらいいんじゃないかしらぁ?」
横手から、一艘の助け舟。
振り向けば、9割がた、ケーキを平らげている幽々子の姿。彼女は真っ白なナプキンで口許をこすりつつ、
「ただぁ、必要なものはぁ、回りから隔絶した空間を作る技術とぉ、その空間をぉ、あっためるものが必要よねぇ」
「……なるほど。確かにそうね」
「あなたにぃ、そういう技術がぁ、あればいいんだけどねぇ」
「紅魔館にならありそうだけど、あいにく、私にはないわね」
「そうなるとぉ、どうするのかしらぁ?」
「話を聞きに行くとしようかしら」
面倒だけどね、と口では言いつつも、どこか言葉は軽い。
彼女は早速、「どうせ、今日も客はほとんど来ないでしょ」と『本日、閉店しました』のプレートをドアにかけると、お気に入りの傘を手に店の外へと歩いていく。
「食べ終わったら帰りなさい。鍵はかけなくてもいいわ」
「いいんですか?」
「ええ。
まぁ、ありがとう。感謝するわ」
ひょいと空へと舞い上がる彼女。
それを雪原の上で見送っていた妖夢は、幽香の姿が空の向こうに消えてから店の中へと戻っていく。
「妖夢もぉ、ちゃぁんとぉ、物覚えのいい子なのねぇ」
「……まぁ、はい。それは……」
「美味しいケーキが、ラインナップに増えるといいわね」
これ、ご褒美よ、と幽々子が笑う。そうして差し出されるケーキに、妖夢は最初、『幽々子様が』と言うのだが。
「いいから」
結局、その一言で押し切られるのだった。
さて、そんなこんなで、幽香が最初に向かったのはアリスの家である。
出迎えに出てきた彼女に、これこれこういうことをしようと思うの、と話すと『なるほど』と、すぐに彼女はそれを理解してくれた。
続けて、幽香はアリスを連れて守矢神社へ。
『温室』なるものの知識をふんだんに持っていると思われるそこの巫女を捕まえ、あれこれと話を聞きだし、さらにその彼女を連れて、今度は幻想郷随一の科学力を持つ河童たちの元へ。
かくて、『ゆうかりん温室』作成チームが結成されるわけである。
「温室って、わたしが知るものだと、二つあるんですよ」
「二つ?」
「はい。
まず一つはビニールハウスと言いまして、こう……ビニールが周りを覆ってるんです。
それからもう一つが、ガラスで出来た部屋をイメージして欲しいんですけど、それの規模のでっかい版です」
「やっぱり、やるなら規模が大きいほうがいいわよね。
ねぇ、早苗。それって、作るのにいくらくらいかかるの?」
「う~ん……。わたしも、詳しいことは知らないんですけど……やっぱり、外の世界の通貨単位で言うと、数百万とか数千万とかするんじゃないでしょうか?」
「だって。
にとり、あなた、いくらくらいでなら作れる?」
「ガラスの加工には手間がかかるからね。さすがに、紙幣数枚で作れ、って言われたら無理だけど……ま、そうだね。洩矢のお嬢さんの言う通り、最低でも百万単位は欲しいかな」
「……アリス。そんなお金、うちにあったかしら?」
「あるわよ」
「あるの!?」
「……あなた、会計を全部、私任せにしてるからそういうことになるのよ」
そんな作戦会議は、連日、続いた。
当然、早苗の知識だけでは心もとなかったため、幽香とにとりは紅魔館にも足を運ぶことになった。
その時の会話は、こんな感じである。
「温室?」
「何でも、年がら年中、同じ気温に保つことの出来る部屋らしくて、そこなら季節を問わずに色んなものを育てることが出来るし、色んなものを見ることが出来る、外の世界の技術らしいのさ」
「……へぇ。そんなものがあるのね。
私が魔法で作っている実験室のようなものかしら」
魔法の実験には、周囲の環境も影響するの、と図書館の主。
それに近いものがあるだろうね、とにとりは返した。
「温室を作るのでしたら、部屋の中を暖める機構が必要ですよ」
と、横手から意外な意見が飛び出してくる。
意見の主は小悪魔だった。
彼女は、一同に紅茶の入ったカップを渡しながら、「たとえば地熱を利用すると言うのが一般的ですね」と続けてくる。
「何、小悪魔。あなた、そういうのに詳しいの?」
「ええ。魔界は農業が盛んですから」
『………………………………え?』
「あれ、言ってませんでした?
私、こちらにお勤めする前は、魔界神さまから畑とか水田とかを、ざっと10ヘクタールくらい任されていたんですよ」
幽香とにとりの視線はパチュリーへ。
彼女は、『そんなものは、今、初めて聞いた。私は知らん』といわんばかりに首を左右に振っている。
「白蓮さんも、『魔界のお野菜やお米はとっても美味しいですね』って、意外と充実した食生活を楽しんでいました」
これもまた、意外な幻想郷の一面の発見であった。
それはともあれ、レールから脱線して空中でムーンサルトかましている話を、よっこいせ、と元の軌道に戻す一同。
「えーっと……それで、うちに、そういう関連の本がないか、ということね?」
「あ、ああ……まぁ、うん……そうだね」
「あったかしら。小悪魔」
「私が現地指導しますよ」
『………………………………………………』
そういうわけで、作成チームに小悪魔が加わることになった。
ちなみに、その話は紅魔館のお嬢様の耳にも入ったらしく、『先を越されたわね』と悔しがるお嬢様の姿が、その後、館の中で見られたという。
しかし、速攻で考え方を変えたのか、『それなら、いつでも、彼女の店であのケーキが食べられる』という結論に行き着き、後日、『資金面で不安があるならいつでも言いなさい』と言い出すのだが、それは別の話。
続けて、幽香と、今度はアリスのペアが訪れたのは命蓮寺である。
かくかくしかじかな理由である、と寺の主である聖白蓮に話をしたところ、『そうしたお話でしたら、ぜひ、お手伝いをさせてください』と協力を取り付けることが出来た。
寺から派遣されてきたのは、以下の人物である。
「つまり、地熱を利用すると言うことで、温泉を掘り当てようと。そういうことだね?」
「そうなるわね」
「ついでに、この辺りの雪をよけて、土地も確保しておきたい、と」
「そうなります」
「というわけだそうだ」
「……私は力仕事担当ですね。ええ、ええ、わかってますよ……」
やはり性別的に、『力持ち』と表現されるのは色々と精神的に厳しいものがあるのか、ちょっぴり肩を落としながら、寅丸星が用意されているシャベルを手に、雪かきに取り掛かる。
その横では、ダウジングロッドを両手に持ったナズーリンがてくてくすたすたと雪の上を歩き回り、温泉脈を探している。
「――で、大体、こんな感じでいいですね」
「ははぁ……なるほど。
ところで、小悪魔さん。この『強化ガラス』ってのは?」
「普通のガラスだと、強風とかで石がぶつかったりしたら危ないじゃないですか?」
そこから離れて、こちらは温室作成チームの実働部隊。
技術を持っている小悪魔とにとりが、図面と材料を前に作戦会議中だ。
「ああ、なるほどね。
で、どうやって作るんだい?」
「一番、簡単なのは空冷ですね」
「こんなところに特ダネはっけーん!!」
「私は旋風! 誰にも止められない! 熱風! 疾風! 射命丸推参っ!」
「天狗ならどうですか?」
「あ、いいですね。
文さん、頑張ってくださいね」
「え、何を!?」
温室作成班は、新たに引いた設計書を前に、色々と検討中。ちなみに、その図面を引いたのは小悪魔である。
にとり曰く、『こんな正確な図面は見たことがないよ』というほどのものであるらしい。
この小悪魔、なんとフリーハンドで一ミリの狂いもない直線が引けるのだ。相変わらず、隠し技の多い司書である。
さらにその一方――、
「う~ん……」
「どう? 早苗」
騒がしい外とは隔絶された、『かざみ』の厨房内。
せっかく、目玉となる施設を作るのだから、同じく目玉となる『商品』を作りなさい、とアリスは幽香に命じていた。
いつもの花の蜜ケーキでいいじゃないか、と幽香は反論したのだが、『それじゃ、物珍しさくらいしかお客さんを呼べないでしょ』と一蹴されてしまったのだ。
「……甘くて美味しいです」
「そう」
「けれど、甘すぎのような感じも……」
「……そうかしら。
生クリームがちょっと多めだったかもしれないわね」
幽香がチャレンジしているのは『季節を想起させるケーキ』である。
簡単に言うと、たとえば、『春は桜、夏はひまわり、秋は栗、冬は雪』と言う具合に、それぞれの季節季節の印象を強く押し出したケーキである。冬のみこれといった『花』がないのは、季節的な意味で仕方ない。
それら四つを一つのケーキで食べられるような、そんなケーキはどうだろうと考えたのだ。
そして、試食係は早苗である。最初は彼女も『ケーキ作りを手伝います』と言ってくれたのだが、その料理の腕前を見て、幽香は顔を青くして止めている。
「あと、砂糖を小さじ一杯分減らして……」
「あの、ところで幽香さん」
「何よ」
「……その、今日、わたしが食べたケーキって、どれくらいになりますか?」
「ランニング24時間分くらい」
「ちょっと腕立てとスクワットやってますので、出来上がったら教えてください」
甘いものは大好き。だけど増えていいのは幸せだけ、な女の子にとって、それは致命的な一言であった。
そうして、その翌日。
「見つけたよ」
「ここの下?」
「そうだね。
ここから、ざっと、地下300メートルくらいだ」
ナズーリンから一報があった。
駆けつけたアリスの前で、彼女は地面を指差し、『この下に温泉脈があるよ』と教えてくれる。ちなみに、その場所は、かざみから歩いて2~3分ほどの距離である。
「300メートルか……」
「……あの、さすがに300メートルを一人で掘れとは言いませんよね」
「何を言っているんだ、ご主人。あなた様のそのぱぅわーを今こそ見せる時ではないか。
と言うかむしろこういう時以外はほとんど活躍してないんだし」
ずぅ~んと肩を落とす星。その後ろ姿は、ちょっぴり哀れだった。
「ああ、その心配はいらないわ。
この子がお手伝いしてくれるから」
そう言ったアリスの後ろに『この子』がやってくる。
「ほら、ゴリアテ。『初めまして』のご挨拶をしなさい」
見上げるほど、とは言わないが、それでも普段、アリスが連れている人形たちよりもずっと大きなサイズの人形が一体、立っていた。
彼女はぺこりと二人に向かって頭を下げると、星ほどの大きさもあるシャベルを手に取り、ざっくざっくと雪を掘り始める。
「……もう。
ごめんなさい。この子、人見知りする上に無口なのよ」
人形なのに人見知りとはどういうことだ、と星とナズーリンは思ったが、とりあえず口には出さなかった。
世の中、そういう不思議なこともあるのだと納得したのだ。
そうして、その二人の見ている前で、見る見るうちにゴリアテ人形は雪をどけ、その下の地面へと到達する。
「……すごい力ですね」
「うちの力仕事全般を担当してくれるの。とてもいい子なんだけど、無愛想なのがね」
恥ずかしさの裏返しよ、とアリスは苦笑する。
「さて、ご主人。これで、渋る必要はなくなったね」
「……まだ色々と渋りたい気持ちはありますが、さすがに彼女一人に任せて、というのは……」
「今からにとりとかも連れてきて、掘削用の設備も整えるから。
それじゃ、悪いんですけれど、寅丸さん。お願いします」
「……ははは。わかりました、任されます」
二人そろって、穴掘りに精を出す姿はなかなか奇妙な光景だった。
一人は人形。一人は毘沙門天の遣い。しかし、その後ろ姿は、何だか妙に現在の作業が似合ってるから不思議である。
ナズーリンは『私も手伝うよ』と、アリスからシャベルを受け取ってその場へ残る。そしてアリスは、一度、『かざみ』へと帰還し、にとりの元へ。
「おっ、ついに温泉、見つかったか」
「と言うか早かったですね」
「その辺りは、彼女が有能なのよ」
「よーっし。それなら、早速、こいつを取り付けに行くとしますか」
「それは私がやるわ。人形たちに手伝わせるから」
岩盤掘削用のドリルや土砂搬出用の仕掛け、さらには、どこに用意していたのかダイナマイトまで取り出すにとりに、アリスは人形をどっさりと用意し、それらを持って温泉掘削隊の元へと戻っていく。
「さて、こりゃ、うちらもうかうかしてられませんね」
「そうですね。頑張って温室を作りましょう」
「……あの~、小悪魔さ~ん」
「はい。何ですか?」
「私、いつまでガラスをあおいでればいいんですか?」
「全部で400枚ほどのガラスを作りますので、それが全部、出来るまでですね」
「バイト代は出しますよ」
「はたてさんへるぷみーっ!」
「どうかしら。早苗。このケーキは」
幽香が厨房から、ホールケーキを一つ、持ってやってくる。
サイズは直径10センチほど。決して大きすぎず、一人でも食べきれるサイズだ。
「クリームそれぞれ、それからフロアごとの素材も若干変えて、あと、フレーバーも変えてみたの。
一つのケーキで四つの味。ちょっと奇抜かもね」
そのケーキは、四つの色を持ったケーキだった。
赤、薄い黄色、白、桃色。暖色系でまとめられた、不思議な感じの漂うケーキである。
それに、すっとナイフを入れると、ケーキを囲むクリームと同じ色のスポンジが現れる。
中に練り込まれたクリームの色は、ケーキをかたどるクリームよりも色が濃く、ほんのりと淡い香りを立てている。
そのクリームとスポンジの間に挟まれた果物もみずみずしさを保っており、端的に言って、とても美味しそうだ。
「はい、そう、かも、です、けどっ! おいし、そう、ですっ!」
「……止まりなさいよ」
店の中で腕立て腹筋背筋スクワット、さらにその場で全力ダッシュなど、考えうる限りのダイエットを実行している早苗に、幽香の頬に汗一筋。
「だけど! やっぱり! 体重はっ、乙女の、永遠の、敵、ですからっ!」
ダメだこいつ。色々と。
幽香はそう思った。
――もちろん、これは、幽香がそう簡単に太らない体質だから言えることだ。世の中の女の子というやつは、大好きなものを食べる際にも、決して忘れられない悪魔と戦っているのである。
これについては、早苗を責めるわけにはいかないだろう。責めるべきは、美味しいケーキなのだから。よくわからないが。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「……お疲れ様」
「ケーキ、食べますね!」
「落ち着いてから食べて。お願いだから」
汗だくのいい笑顔のまま言われても、何だか無性に罪悪感がこみ上げる。
幽香は内心、『私、この子に悪いことしてるんじゃなかろうか』と思いつつ、厨房から飲み物を持って戻ってくる。
もちろん、早苗に配慮して、飲み物はただの水である。
「それじゃ、いただきまーす」
「……どうぞ」
「……これ食べたら、また二時間くらい運動が必要ですね」
「そこまでして食べなくてもいいのよ!?」
「何を言ってるんですか! 幽香さんはわたしのご友人ですよ!
それだけじゃない……! そして、それだけじゃないっ!
わたしはケーキが大好きです! 甘いもの大好きです! 幻想郷には和菓子しかなくて、こっちに来た時、どれほど悲しい思いをしたか! 切ない涙で枕をぬらしたことか!
そこにっ!
そこに、幽香さんのケーキがありましたっ! 外の世界の、一時間並んでも食べたい超有名店ですら足下にも及ばないくらい美味しいケーキが!
わたしは、あなたに感謝しているんです! いわば、あなたはわたしの命の恩人なんです!
わたしは恩義は必ず返す女! だから、何の問題も心配もありません!」
びしっ、と親指立てる早苗。
そこまでこちらのことを慮ってくれているのかと感動すると共に、『やっぱりダメだ、この子』と思わせる熱弁であった。
早苗はぐっとフォークを掴み、目の前の皿へと立ち向かう。
真っ白なお皿の上に燦然と佇むケーキにフォークを入れて、それを一口する。
そうして、彼女は言う。
「これですよ!」
笑顔。
そして、『GJ!』と輝く白い歯。
「これはいけます!
ケーキは、確かに美味しいですけれど、やっぱり甘ったるいのが難点です! だけど、これは食べれば食べるほどに変わる味が、常に新しさをもたらしてくれます!
確かに、色物かもしれません! 奇抜かもしれません!
だけど!
そういう、『王道』から外れたチャレンジが、ここにはあるんです!
幽香さん、これはいけますよ! 大丈夫です!」
「そ、そう……」
「じゃあ、わたし、引き続きダイエットに励みますので!」
「……もう何も言うまい」
幽香は思った。
どうしてこう、幻想郷には変わり者が多いのだろう、と。
そして、幽香は気づかない。
そもそも変わり者じゃなきゃ、この幻想郷には存在できないのだという、どこの誰が作ったんだか知らないが、厳然としたルールが、この世界に存在すると言うことを。
人、それを『類は友を呼ぶ』という――。
「じゃあ、温室の作成を始めましょうか」
「あいさ。
文さん、お疲れさん」
「……う……腕が……腕がぁぁ……」
ひたすら、ここ数日間、ガラスをただあおぐだけの簡単なお仕事に従事していた文は、痙攣する両手を抱える形で地面の上に転がった。
用意されたガラスの枚数は、小悪魔が宣言したとおり、400枚以上。
それらが雪の上に積みあがっている光景は、なかなか壮観である。
とりあえず、雪の上でごろごろしている文はほったらかして、二人は『かざみ』の裏手側へ。
そこには、ここ数日の工事で完成した土台と柱など、建物の骨組みがあった。
「河童の方々の技術力はすごいですね」
「いやいや。小悪魔さんの図面やら何やらのおかげだよ」
そんな彼女達の元に、ふよふよアリスの人形たちが飛んでくる。
それじゃ、頑張りましょう、と小悪魔が彼女たちに声をかけ、温室作成の最終工程が始まった。
「ガラスは割れないように気をつけてくださいね」
人形一体につき、ガラスを一枚。意外に彼女たちは力が強いようだ。
図面に書かれている通りに、用意したガラスを骨組みの中へとはめ込み、溶接などで固めていく。
「温泉の方はどうなってるんだろうねぇ」
「昨日、アリスさんがダイナマイトを持っていきましたよ」
その言葉の直後、遠くから爆音が轟いた。
音の源へと視線を向ける二人。しばらく待っていると、そちらからアリスがやってくる。
「無事に温泉が湧いたわ」
「さすがですね」
「あとは、これをこっちまで引いてくればいいのよね?」
「あいさ。そうなりますね。
んで、あっちにあるポンプでお湯を汲み上げて、あっちの別の機械で温泉の熱を蓄熱してやって、その熱を、このパイプで室内に循環させれば温室の完成ですよ」
「わかったわ」
じゃあ、その作業を始めるわね、とアリス。
彼女を見送ってから、二人は作業を再開する。
ただし、温室を組み立てるのは人形たちに任せ、取り掛かるのは別の仕事だ。
「せっかくの温泉ですもんね」
「そういうことさ」
建物の裏手に、別途、用意しておいた資材を取り上げると、それを抱えて、こっそりと、よいせよいせと作っていた区画へと歩いていく。
「美味しいお茶とお菓子が食べられる温泉って、今までありませんでしたよね」
「ひまわりに囲まれた温泉なんて、それだけで客が来そうなもんですよね」
「あとは簡単なテラス風にすれば――」
「ちょっとした休憩所にもなりますわ」
実を言うと、自分たちが温泉に入りたかったのが、それを作る理由であるのだが。
しかし、世の中は、『物は言いよう』というものである。
一同は、さらに組み立てと温泉をお店まで引いてくる施設の構築に三日ほどを費やした。
無数のガラスから組み上げられる温室は、太陽の光をきらきらと反射し、見ているだけで引き込まれるような美しさだ。
建物の中に通す配管も、小悪魔が図面を引いている。空間の中、余すところなく熱がいきわたるように計算されて敷設された配管は、それ自体が幾何学的な模様を描き出すオブジェとして、建物の中を彩っている。
そうして、まず最初に、無事に温泉を利用した温室は完成した。
さらにその隣では、小悪魔とにとり手製の温泉も着々と組み上がっていく。
湯船を作り、そこの近くにお湯を汲み上げているパイプを運んでくる。それの下にといを作って、お湯が湯船の中にちょろちょろ流れ込むように設置して。
その近くには屋根のついた空間を作り上げる。事前に用意した図面に従い、テーブルと椅子の置けるスペースをきちんと考慮し、作り上げられていく空間は、一見、ただの四角いスペースだが、その実、そこから見える『景色』に配慮した『展望席』でもあった。
――そして。
「……大したものね」
「何、他人事みたいに驚いてるのよ」
温室の中に足を運んで、ぽつりとつぶやく幽香の背中をアリスが叩く。
恐らく、幻想郷初となる、本格的な温室の中は、とても冬とは思えないくらいに暖かい。
星とナズーリン、そしてゴリアテが掘り当てた温泉は、地下に埋め込んだパイプを通して温室の外に備えられている巨大な蓄熱機の近くにまで運ばれる。蓄熱機の側には大きなポンプがあり、そのポンプは温泉を汲み上げて、蓄熱機がその熱を充分に蓄えるタンクのような役目を果たす。
続けて、その蓄熱機とポンプから複数のパイプを通して、温泉のお湯と熱が温室内に送り込まれる。それによって、常時20度以上の気温を保つと言う仕組みである。
さらに、小悪魔とにとりの二人がこっそりと作った露天風呂にも、湯元となる場所から温泉は運ばれている。
その露天風呂は『かざみ』の店舗から外に伸びる、板張りの廊下を歩いていくことが出来るようになっている。こちらの工事は、後ほど、にとりが好意で行うとのことだった。
温泉は見事な檜風呂。そのすぐ近くに足湯のスペースも設け、さらには小さなテラスまで備えられている。
曰く、ここでお茶を飲みながら温泉を楽しめる空間を作った、とのことだ。さらに、これは今後の工事によるのだが、店から露天風呂まで続く道とテラスの二つの下にも蓄熱機からの配管を通すことで床暖房を実現し、たとえ冬であろうとも『冷え』から解放された、快適な露天環境になるとのことだ。
「……いくらかかったの?」
「えーっとですね、資材の代金に機材代、加工代、人件費、その他もろもろでこんなところです」
にとりが取り出した請求書を見て、幽香が一瞬、ふっ、と後ろに倒れそうになった。それを慌てて、ようやくダイエットに成功して、ケーキ試食三昧の日々の前の体重に戻した早苗が支えた。
「400と少し……か。端数は値引きにならない?」
「いやいや、アリスさん。これでも、相当、譲歩してるんですよ?」
「それはわかってるんだけどねぇ。
もうちょっと……これくらいなんてどう?」
「う~ん……。私も鬼じゃないですけどねぇ。けれど、これくらいはもらわないと割に合わないですよ」
「じゃあ、間を取ってこの辺り」
「いやいやいや」
そろばん片手に値引き交渉を始める二人を尻目に、天文学的(幽香にとっては)金額に目を回していた幽香が、何とか意識を取り戻す。
「あとは、この空間をどのように扱うかは幽香さん次第ですから」
その辺りは、私よりも詳しいでしょ? と小悪魔。
幽香は一応、虚勢を張って「と、当然よ」と胸を張る。しかし、つい一瞬前に、請求書を前に目を回したところだったので、その格好にはいつもの威圧感などどこにもなかった。
「だけど、幽香さん。花を育てたりするのって、すごく時間がかかりますよね?
今日明日では……」
「早苗。あなた、私を何の妖怪だと思ってるの」
「え?」
「私は花の妖怪よ」
ひょいと、手に持った傘を上に掲げ、それをくるりと回す彼女。
すると、一瞬のうちに、温室の中に花が咲き乱れた。
その技と、目の前の光景に目を奪われ、早苗が思わず声を上げる。
「すごいですねぇ……。紅魔館の花壇なんて目じゃないですよ……」
「当然ね。
よし。これで、うちも売りが出来たわね! そうでしょ、アリス!」
「よし! 私も、ケチなこと言わないわ! ここで手を打つ!」
「いやいや、アリスさん。これは負けすぎですよ! ここで!」
「もう一声!」
「……あの~……アリス~……」
「聞こえてないようだね」
「立派な会計係ですね」
「どこかの寺の誰かたちも、彼女くらいの金銭感覚を持ってくれればいいんだが」
「そんな方々がいるのですか」
「具体的には私の隣に」
「え?」
温泉掘削作業の後は、完成した温室の中で花壇の区画整理などの仕事に従事していた二人の漫才コンビの間に、微妙な空気が流れたりもするのだが。
「と、とりあえず、今日は、その……わ、私からのお礼よ! せっかく温泉も出来たんだから、あなた達、ご飯を食べて温泉に入っていきなさい!
以上、解散!」
ああ、忙しい忙しい、と言いながら幽香は温室を去っていく。
その後ろ姿を見送って、小さく、早苗は肩をすくめた。
「それじゃあ、皆さん。幽香さんのご好意に甘えましょう」
「ここ数日は土いじりしかしてないからね。温泉は素直に嬉しい話だ」
「私も、久々に疲れました~」
「あの、ナズーリン。さっきの一言の意味を聞きたいのですが。ちょっと、あの、いいですか? 私はですね――」
それぞれに、温室を後にする中。
「ここならどう!」
「これで!」
「だから、あともう一歩!」
「これ以上は譲れないね!」
両者の値引き合戦は、夜の夜中まで続いていたのであった。
ついでに、両腕が撃沈した文であったが、それをねぎらう意味で、一番最初に温泉を使わせてやったところ、ころっと自分への、それまでの扱いを忘れていたという。
「はぁ……疲れたわ……」
「あんな大見得切るからでしょ」
飲むや歌えの大宴会も今は後。
見事な星空の下、露天風呂に浸かっているのは幽香とアリスの二人である。
宴会に参加し、今回の温室作成に協力してくれた面々はすでに温泉を楽しんだ後であり、この場には、いつも通りにこの二人だけ。
ここ数日の疲れを癒すために温泉に入ったのはいいのだが、逆にリラックスしすぎてしまって、幽香は現在、湯船から動けない状態であった。
「……いいじゃない、別に。たまには見栄を張ったって」
「最近の幽香は、見栄とは全く縁遠いしね」
「ど、どういう意味よ」
「さあ」
暗に『あなたが、実はへたれなところはみんな知ってるわよ』と言われ、幽香は鼻白む。それをアリスは華麗に無視して、大きく体を伸ばした。
「けれど、なかなかいいアイディアだったわ」
「そ、そう?」
「これが全部、幽香のアイディアだったら、もっと株は上がったんだけどね」
「悪かったわね……。
けれど、実現させるために、私、色々やったじゃない」
「そうね。過程はどうあれ、結果は大事だわ」
これで紅魔館にも負けないくらいの『売り』が出来た、とアリスは言った。
お客さん、増えるといいわね、と続ける。
「……増えるかしら」
「何、自信ないの?」
「何となく……」
だって、と続ける幽香。
これまでに色々と、お客さんを呼び込むための手を打ってはきたものの、なかなかその成果が上がらなかったのは事実である。
その時は、やはり、個人経営商店はでっかい店に勝てないのだなと思ったものだ。
それでも幽香は頑張った。その甲斐あって、客は昔から比べて増えているのも事実だ。
しかし、ここ最近の閑古鳥っぷりを体験してしまうと、『やっぱりそんなことないのかな』と気弱になってしまうのだ。
「あなたらしくないわね」
「うぐ……」
「大丈夫よ。
ちょっと頼りないけど、ちゃんと宣伝係も捕まえているし。紅魔館の方でも、咲夜さんに頼んで、お店のチラシを置かせてもらえたし。
そんなに気にすることないわよ」
それに、新製品も用意したでしょ、とアリス。
「あれ、なかなか美味しかったわ。
確かに、ネタがちょっと奇抜だから、常日頃のお茶のお供に、とは言わないけれど、パーティー料理とか、誰かへのプレゼントとかには、結構、向いてると思うの。
もちろん、これに留まらずにネタが増えていくんだろうし?」
「ま、まぁね」
「なら、いいじゃない。
面白い売りも出来たし、新商品も作った。宣伝もしてる。おまけに、このお店の認知度もかなり高い。
それなら、お客さんが増えない理由はないでしょ」
「……物珍しさだけとか」
「そういう一見さんを取り込むのは、あなたの仕事」
その辺りは厳しい言葉だった。
「はいはい。そう言われると思ったわ」
「なら、言われないように頑張ってね。
まぁ、何か困ったことがあったら相談して。最低限の手伝いはするから」
逆に言えば、それ以上はやらないということだ。
相変わらずの手厳しい言葉に苦笑しながらも、はいはい、と幽香は返事をする。
そうして、何とかかんとかその場に立ち上がり、冬の冷たい空気に体を震わせる。
「せっかくだから、あの温室に、色々な虫とか鳥を連れてくるのもいいわね。その辺りの連中にも手伝わせようかしら」
「面白いかもしれないわね」
「ほら、見なさい。私だって、ちゃんと一人で、色々出来るのよ」
「そういうことにしておくわ」
いつも通りの、何となく皮肉っぽい返事をしてくるアリスに、幽香は笑った。
それじゃ、明日から頑張りましょう。
彼女の言葉に、幽香は大きく、体を伸ばして応えるのだった。
「幽々子さま」
「あらぁ、なぁにぃ?」
「あの、文さんがこんなものを」
「うちはぁ、彼女の新聞はぁ、とってなかったはずだけどぉ」
「そう言ったんですけど押し切られました」
けれどですね、と妖夢は手に持った新聞を幽々子の前に広げる。
その一面記事には、以下のようなものがあった。
~喫茶店『かざみ』に新施設オープン!~
本紙読者の諸兄は、すでに一度は足を運んだことがあると思われる、妖怪の風見幽香氏が経営する喫茶店『かざみ』に、このほど、新しい施設がオープンした。
喫茶店店舗の裏手に作られたのは、見事なガラス張りの建物であり、名前を『温室』というそうだ。
本紙記者が記事作成のために案内してもらったところ、まず驚いたのが、その空間の暖かさである。
名前通り、まるで常夏のような環境が、その空間には形成されており、冬の盛りである今ですら色とりどりの花が咲き乱れていた。
店主に話を伺ったところ、この部屋を作る際に河童の技術力を利用しているのだと言う。
お店の近くから湧出した温泉の熱を利用して作成されたこの空間には、先に述べた美しい花が植えられた花壇の他、鮮やかな蝶などの虫、聞いていて心の安らぐ鳥の声が響き渡っている。
また、この温室を作る上で湧出した温泉を利用して、『かざみ』特製の露天風呂も、同時にオープンしている。
こちらは利用は無料であり、利用時間の設定はあるものの、どなたでも利用が出来るとのことである。
そして、『かざみ』利用者にとってさらに嬉しいのは、この温室の完成によって、『かざみ』で最も愛されているケーキである『花の蜜ケーキ』が季節を問わず、食べられるようになったことである。
これまでは季節によって花の種類が変わることから、『あの時期のあのケーキを食べたい』となった場合、最悪、一年は待たないといけなかったところ、温室の完成によって、年中、花の栽培が可能になったことで、季節を問わずに望みのケーキを食べられるようになったのである。加えて、冬は、そもそも販売自体が取りやめられてしまっていたが、これからはそれを気にすることなく、お店で注文も可能となっている。
一風変わった施設である、美しい温室で自然を楽しみ、太陽の畑まで行って疲れた体を温泉で癒し、さらに美味しいお菓子とお茶が楽しめる。なんと素晴らしい話だろうか。
今回、この温室の完成記念として、新発売の『四季のケーキ』と『花の蜜ケーキ』の半額セールを行っているとのことである。
ぜひとも、新しくなった『かざみ』へと足を運び、この、幻想郷では初めての時間を楽しんできてはいかがだろうか。
「面白そうねぇ」
「はい。
それで、こんなものも」
「あらぁ。お手紙ぃ?」
新聞の間に挟まった、きれいな花模様の便箋。
それを丁寧に開いて、幽々子は手紙を一読する。
~西行寺幽々子さま 魂魄妖夢さまへ
『かざみ』店主の風見幽香です。
このたび、西行寺幽々子さま、魂魄妖夢さまからのアドバイスを頂きました、『かざみ』の新しい施設が完成しました。
つきましては、ぜひ一度、当店へ足を運んでいただきたく思います。
先日のお礼の意味も含めまして、当店の全商品8割引のチケットを同封させていただきました。
また、いらしてくださいました際には、露天風呂を無料で一時間、貸切とさせて頂く他、温室も一時間、貸切にさせていただきます。
少々、遠い道のりとはなってしまいますが、ぜひとも、当店にいらしてください。お待ちしております~
「それじゃ、行こうかしら?」
「はい。そうしましょう」
「やっぱり、人助けはしておくものね。情けは人のためならずとはよく言ったものだわ」
音一つ立てず、立ち上がった幽々子が、ふわふわと歩いていく。
その後を、妖夢が「幽々子さま、チケット忘れてますよ!」と追いかける。
「せっかくだからぁ、あのお店のケーキぃ、ぜぇんぶぅ、食べちゃいましょうかぁ」
「手加減してあげてくださいね?」
「うふふぅ。どうしようかなぁ」
せっかくのお誘いを断る理由もなく、二人が白玉楼を出発したのは、それから30分も過ぎないうちのことだった。
「……寒いわねぇ」
「そうね」
「……ねぇ、アリス」
「何?」
「閑古鳥、何羽くらいうちの屋根にいる?」
「さっき数えてきたけれど、ざっと10匹はいたわね」
そのせいだろうか。
ここ、太陽の畑に佇む一軒のお店は、近頃、とても静かだった。
「立地的に、ここに足を運ぶ人は、よほどの理由がないと来ないものね」
窓から外を見る。
真っ白な銀世界が広がっている。大地を包む白のじゅうたんは、その厚さを、日ごとに増していた。
「……雪かき、もっとしないとダメかしら」
「あれで充分だと思うけど」
畑の入り口からここまで、毎日のように、このお店の店主、風見幽香は雪かきしている。もっと言えば、やらされている。
それをやらせているのは、言うまでもなく、この店のパトロンであるアリス・マーガトロイドだ。
もちろん、彼女も見ているだけではなく、その作業を手伝うし、手持ちの人形たちにお手伝いもさせている。
「唯一の救いは、この寒さのおかげで、生菓子であっても賞味期限が、多少は延びてること?」
「アリス。それ、あなたらしくもない冗談ね」
「そう思っておかないと、ここ数日の客の入りじゃねぇ……」
と、ちょうどその時、店のドアが開いた。
一様に『ゆうかりんファンクラブ』と書かれた鉢巻を締めた、たとえ冬の寒さの中であっても己の魂の炎を燃やす紳士淑女の皆様方のご来店である。
「ほら、幽香。お客さん、来たわよ」
「……なんか急に暑苦しくなったわ」
ちょっぴり、彼女がげんなりとした表情を浮かばせたのを見て、アリスは客に悟られないように、カウンターの裏で幽香の足を踏んづけた。
「やっぱり、うちは『これ』っていう一押しがないのがダメなのよね」
その日の夕方。
今日はもうお客さんも来ないだろうと、早目の店じまいを済ませた後、二人は店内で作戦会議を行っていた。
「……それ、地味にこたえるんだけど」
「あ、い、いや、幽香のお菓子がまずいとかそういう意味じゃないのよ?」
意外と、自分が入れ込んでいる点をネガティブに指摘されるとへこむタイプなのか、視線がうつむく幽香に、慌ててアリスは弁解する。
「その……え~っと……。
あ、そうそう。
ほら、『美味しいお菓子を食べたい』って言うだけなら、極論を言ってしまえば、近場の甘味処で充分じゃない?」
「……フォローのつもり……?」
「……あー」
……結構……いや、かなりめんどくさいわよね、意外と……。
そっち方面にかけては、右に出るものなどそうはいないと自負しているだけあって、やっぱり辛らつな意見には弱い一面があるらしい。
普段なら、『何よ、それ! どういう意味!?』とでも反発してきておかしくないのだろうが、ここ数日の客の入りのせいで、アリスの発言がある種の『現実味』を帯びていることも、それを後押ししているのだろうか。
「と、とにかく、続けるわよ。
あの紅魔館であっても、ここ数日の寒さと雪のせいで、客の入りが落ちていると聞くの」
「……へぇ」
ちょっぴり復活してきた幽香が、テーブルの上に手を出した。
洋菓子と言えば、東の『紅魔館』、西の『かざみ』というのが幻想郷住民の認識である。
いわば一種の商売敵であり、その商売敵も苦戦していると言う現実は、幽香にとっては明るいニュースであったようだ。
「けれど、それなら『どんな時でもうちに来たい』って思わせる企画を考えてくるの」
「たとえば?」
「最近だと、『メイドさんとの仲良しトーキング』っていうのをやっていたわね」
その詳細はというと、一時間500円を追加することで、紅魔館で働くメイド達と優雅な会話が楽しめるというサービスであるらしい。
一瞬、『それっていかがわしいお店じゃない?』と幽香は思ったが、本当に、ただ会話をするだけらしく、主な客はやっぱり男性であるが女性や子供の利用者もいるのだとか。
「従来どおりの客の入りというわけにはいかないみたいだけど、3割くらい、客足が戻ったらしいわ」
「……うちも、それ、やるの?」
ちょっぴり、幽香のほっぺたが赤い。
そういう企画をやるとすると、この店で『そういうこと』を担当するのは誰であるかなど言うまでもない。
「後追い二番煎じじゃ、お客は増えないわよ」
内心、幽香はほっと息をつく。
それを感じたのか、アリスは『そこでね』と言葉を続けた。
「幽香。何か企画を考えて」
「私が!?」
「そうよ。何を驚いてるのよ。
ここは、あなたのお店でしょ。私はあくまでパトロンであって、ここの経営に、必要以上に口出しはしないの。いい?」
「……だ、だけど、今回くらいは……」
「じゃあ、期待しているわね」
「あ、ち、ちょっと、アリス!」
帰るわよ、上海、と彼女は人形に声をかけ、それを連れて去っていく。
あまりにも一方的な彼女の態度に、しばし、幽香は呆然とした。
その意識が現実に引き戻されたのは、ドアの閉められる音が部屋の中に響いた時だ。
「……どうしろってのよ」
つぶやき、幽香は一人、ため息をつくのだった。
「こんにちはぁ」
「あの、すいません。今日は……」
店のドアをくぐってやってくる、今日の客は、約一名がとても珍しい客だった。
「……あの、幽香さん?」
しかし、その店の店主はと言えば、一人、客の応対もせずにテーブルに突っ伏している。
客の一人――魂魄妖夢の視線が、隣の相手に向く。
「あのぉ。もしもしぃ?」
彼女、西行寺幽々子の手が、そっと幽香の首筋をなでると、
「ひゃわぁっ!?」
何だかよくわからない悲鳴を上げて飛び起きた幽香が、そのまま、ごちんと椅子の上から床に落下した。
なかなか盛大な落下をして、痛みに呻いている彼女に、妖夢の顔が引きつる。
「なっ、何するのよ、いきなり!?」
「あらぁ、驚かせてしまってごめんなさぁい。
だけどぉ、ほらぁ。私ぃ、幽霊だからぁ、体温がぁ、普通の人よりもぉ、低いのよねぇ」
「ああ、もう、いらつくわね、その喋り方!」
ゆったりのんびりした喋り方が癖(?)な幽々子の態度に、幽香は怒鳴った後、その視線を妖夢へと。
彼女は申し訳なさそうに肩をすぼめて、ぺこりと頭を下げた。
主のいたずら好きにも困ったものだ。その顔はそう語っている。
「……ったく。何しに来たのよ、あんた達。
言っておくけど、冷やかしとかだったら……」
「あの、もうお店の開店時間と聞いていますが……」
「……あれ?」
寝起きであることに加えて、余計ないたずらで気が立っているのか、ぎりぎりとまなじり吊り上げていた幽香の視線が、間抜けに時計へと向いた。
時刻、午前11時を少し回ったところ。
「か、鍵は!?」
「かかってませんでしたよ」
「……え? ほんと?」
「はい」
「……」
「ある意味ぃ、人里から離れていてぇ、よかったわねぇ」
とはいえ、色々と本当のところはアレな幽香であろうとも、まだまだ世間一般的には『畏怖される大妖怪』だ。その相手のところに泥棒に入るなどと言う愚を犯す命知らずは、幻想郷にもそうはいないだろう。
文字通り、頬がバラ色に染まった幽香は、『う、うるさいわね!』と怒鳴った。
「あの。何をしてたんですか?」
「な、何でもいいでしょ!?」
「えっとぉ……どれどれぇ?」
「あ、こら、勝手に……!」
「なるほどぉ。新しいぃ、キャンペーンをぉ、するのねぇ」
ふわふわと、とらえどころのない幽々子の手がするりと幽香の脇を抜ける。
彼女に、テーブルの上に散らばっていた用紙を一枚取り上げられ、ますます幽香の顔が赤くなる。
しかし、そこでまた何かを言い返すかと思いきや、幽香は二人に背中を向けると、テーブルの上の片づけを始めてしまう。
「どうしてそんなことを?」
「……仕方ないでしょ。お客さん、来ないんだから」
ぼそっとつぶやく。
肩越しにちらりと見れば、妖夢の表情は『そんなこともあるんだ』と驚きの色に染まっていた。
「たとえばぁ、どんなことをぉ、するつもりだったのぉ?」
「……別に。新製品キャンペーンとか、試食コーナーを作ったりとか」
「楽しそうねぇ」
「食べ放題メニューも作ろうかなって思ったけど、うちだと採算が取れないからやめたわ」
「……残念」
ぼそりとつぶやく幽々子の声は、妙に冷え切っていた。
ちなみにどうでもいいが、この彼女、かつて紅魔館にて『全メニュー端から端まで制覇』をやってのけたため、紅魔館では最上級の客であると共に最大級の警戒が必要な厄介者扱いされていたりする。
「あとは、お店の内装と外装を変えて心機一転してみるとか。地道に人里でチラシを配ったりとか」
「よければお手伝いしますけど」
「別にいいわよ。
第一、その大半が、以前やったことなんだから」
「食べ放題もやったの!? 何で呼んでくれなかったの!」
「アリスに怒られたのよ! 『あんたのこだわりでそんなメニュー作ったら三日で店がつぶれる』って!」
食って掛かる幽々子の迫力に負けないために大声を出す幽香だが、完璧に腰が引けていたりする。
誠、食欲魔人の執念は恐ろしいものだ。
「あ、あの、何でそんなことをすることに?」
慌てて妖夢が横から割って入る。
幽香は、内心、ほっとしたような表情を浮かべて妖夢に向き直った。
「ここは人里から遠い上に、この雪と寒さでしょ。あんた達みたいに飛べる奴らですら躊躇するのに、歩いてお店まで足を運ぼうなんて思わないじゃない」
「……確かに、言われてみればそうですね」
「結局、うちは売りが弱いんだって」
アリスがそう言っていたわ、と幽香。
曰く、『美味しいお菓子を食べたいというだけなら、紅魔館で充分。あなたの店は、ここじゃなきゃダメだ、と客に思わせる要素に欠けている』ということらしい。
ずいぶん辛らつですね、と妖夢はコメントする。
しかし、幽香はと言うと、
「……別に」
そっぽを向くだけだった。
「冬の時期はぁ、きれいなお花もぉ、見られないものねぇ」
「そうなの。
私の得意の、花の蜜ケーキとかも、この時期は出せないもの。あれは、アリスの言う『うちじゃないと食べられないもの』だから、目玉商品なんだけどね」
「……ないの?」
「うっ……」
楽しみにしてたのに、という視線を向けてくる幽々子に、思わず、ずざっ、と音を立てて、幽香は足を引く。
肌寒い雨の日に、道端に捨てられている子犬や子猫が自分に助けを求めてきてるような、あんな感じが胸を貫いているらしい。
「あ、あの、私たちは予約のケーキを取りに来ただけですから……」
「……え? 予約?
……入ってたっけ?」
「……あの、もう一週間以上前に……」
「ちょっと待ってて……」
一度、厨房に引っ込んでいく幽香。
まもなくして、『あーっ!』という声が、向こうから響いてくる。
「……アリスさんがお手伝いしてなかったら、本当に、このお店、もう潰れているかもしれませんね」
「自由気ままが妖怪の信条であっても、そこから自分を変えるのは難しいと言うことね」
「え? あ、はい……」
「さて、それじゃ、少しの間、待ちましょうか」
うふふ、と口許を扇で隠して笑う幽々子。
先ほどまでの空気をきれいに一変させている彼女に、まだまだ底知れぬものを感じて、妖夢の頬に汗が一筋流れたのだった。
「けれどぉ、慣れるとぉ、ケーキと言うものもぉ、美味しいわよねぇ」
どでんとでっかいホールケーキを抱えながら食べている幽々子の顔は、それはそれは幸せそうだった。
幽香は顔を引きつらせ、妖夢はこっそり『……はぁ』とため息をつく。
「それでぇ、どんなことをぉ、やるのかしらぁ?」
いつの間にか、幽々子と妖夢が幽香の相談相手になっていた。
とはいえ、こういうことは、誰かと会話をしていた方が考えがまとまると言うこともある。
幽香は、彼女達が手伝ってくれるのならと、一応、邪険にせずに相手することにしたようだ。
「だから、うちならではの売りが欲しいのよ」
「それならぁ、いつでも食べられるぅ、美味しいぃ、ケーキをぉ、作ればいいんじゃないかしらぁ?」
「……ねぇ、あなた。彼女の喋り方、何とかならない?」
「……お気持ちはわかりますけど、無理です。ええ」
永琳さん並に、と妖夢は言った。
それで幽香も納得したのか、以後の要求は飲み込むことにしたらしい。
「いつでも食べられる美味しいもの、って言われてもね。
やっぱり、難しいものよ。
料理なんてみんなそう。その時その時の旬のものを使うのが一番美味しいのは言うまでもないけれど、料理人の腕で、その味も決まる。
けれど、それこそ突出した……そうね、人間や妖怪の頭では考え付かないレベルにまで突出した腕がない限り、ある程度のラインを超えると、引き出せる限界も見えてきてしまうわ」
諦めるのは嫌いだけれど、挑戦してもどうしようもないことに労力を費やすのは無駄である。
一見、矛盾したような言葉だが、それについては幽々子は何も言わなかった。うんうんとうなずきながら、しかし、ケーキと口の間を往復する手は止まらない。
「あ、そうだ」
ぱん、と妖夢が手を打った。
「あの、幽香さん。さっき、『花の蜜ケーキがうちの売り』って言ったじゃないですか?」
「言ったわね」
「けれど、冬の間は作れない、って言いましたよね?」
「まぁね」
「それって、冬の間は、花を育てることが出来ないからですよね?」
何を当然のことを、という視線を妖夢に向ける幽香。
しかし、妖夢は「それですよ」と声を上げる。
「幽香さん、『温室』って知ってますか?」
「何それ?」
「簡単に言うと、年がら年中、いつでも同じ気温に保てる部屋のことです」
ちょっと違うわね、と幽々子がつぶやく。もちろん、その声は、二人には聞こえなかった。
「そんなものがあるの?」
元々、花を育てたりするのが好きな幽香である。『年がら年中、暖かい部屋を作る技術がある』。そのフレーズに、彼女は興味を惹かれたらしい。
「はい。早苗さんに聞いたんですけど、外の世界では、そんな風に作物を作っているから、旬のものを、旬を気にせず、年中食べられるそうです」
ただ、それでも食べられなくなったものもあるらしいですけど、と付け加える。
しかし、幽香は『へぇ~!』と大きな声を上げた。
「じゃあ、その『温室』というものがあれば、いつでも花畑を作ることが出来るのかしら」
「そうですよ。
それで、いつでもお得意のケーキも作れますよ」
「……なるほど。それ、いいわね。
面白そう。
けれど、どうやって、その『温室』と言うのは作るの?」
「……えーっと」
そこまでは知らないために、妖夢の視線が泳ぐ。
「詳しい話はぁ、洩矢さんとぉ、河童さんにぃ、聞いたらいいんじゃないかしらぁ?」
横手から、一艘の助け舟。
振り向けば、9割がた、ケーキを平らげている幽々子の姿。彼女は真っ白なナプキンで口許をこすりつつ、
「ただぁ、必要なものはぁ、回りから隔絶した空間を作る技術とぉ、その空間をぉ、あっためるものが必要よねぇ」
「……なるほど。確かにそうね」
「あなたにぃ、そういう技術がぁ、あればいいんだけどねぇ」
「紅魔館にならありそうだけど、あいにく、私にはないわね」
「そうなるとぉ、どうするのかしらぁ?」
「話を聞きに行くとしようかしら」
面倒だけどね、と口では言いつつも、どこか言葉は軽い。
彼女は早速、「どうせ、今日も客はほとんど来ないでしょ」と『本日、閉店しました』のプレートをドアにかけると、お気に入りの傘を手に店の外へと歩いていく。
「食べ終わったら帰りなさい。鍵はかけなくてもいいわ」
「いいんですか?」
「ええ。
まぁ、ありがとう。感謝するわ」
ひょいと空へと舞い上がる彼女。
それを雪原の上で見送っていた妖夢は、幽香の姿が空の向こうに消えてから店の中へと戻っていく。
「妖夢もぉ、ちゃぁんとぉ、物覚えのいい子なのねぇ」
「……まぁ、はい。それは……」
「美味しいケーキが、ラインナップに増えるといいわね」
これ、ご褒美よ、と幽々子が笑う。そうして差し出されるケーキに、妖夢は最初、『幽々子様が』と言うのだが。
「いいから」
結局、その一言で押し切られるのだった。
さて、そんなこんなで、幽香が最初に向かったのはアリスの家である。
出迎えに出てきた彼女に、これこれこういうことをしようと思うの、と話すと『なるほど』と、すぐに彼女はそれを理解してくれた。
続けて、幽香はアリスを連れて守矢神社へ。
『温室』なるものの知識をふんだんに持っていると思われるそこの巫女を捕まえ、あれこれと話を聞きだし、さらにその彼女を連れて、今度は幻想郷随一の科学力を持つ河童たちの元へ。
かくて、『ゆうかりん温室』作成チームが結成されるわけである。
「温室って、わたしが知るものだと、二つあるんですよ」
「二つ?」
「はい。
まず一つはビニールハウスと言いまして、こう……ビニールが周りを覆ってるんです。
それからもう一つが、ガラスで出来た部屋をイメージして欲しいんですけど、それの規模のでっかい版です」
「やっぱり、やるなら規模が大きいほうがいいわよね。
ねぇ、早苗。それって、作るのにいくらくらいかかるの?」
「う~ん……。わたしも、詳しいことは知らないんですけど……やっぱり、外の世界の通貨単位で言うと、数百万とか数千万とかするんじゃないでしょうか?」
「だって。
にとり、あなた、いくらくらいでなら作れる?」
「ガラスの加工には手間がかかるからね。さすがに、紙幣数枚で作れ、って言われたら無理だけど……ま、そうだね。洩矢のお嬢さんの言う通り、最低でも百万単位は欲しいかな」
「……アリス。そんなお金、うちにあったかしら?」
「あるわよ」
「あるの!?」
「……あなた、会計を全部、私任せにしてるからそういうことになるのよ」
そんな作戦会議は、連日、続いた。
当然、早苗の知識だけでは心もとなかったため、幽香とにとりは紅魔館にも足を運ぶことになった。
その時の会話は、こんな感じである。
「温室?」
「何でも、年がら年中、同じ気温に保つことの出来る部屋らしくて、そこなら季節を問わずに色んなものを育てることが出来るし、色んなものを見ることが出来る、外の世界の技術らしいのさ」
「……へぇ。そんなものがあるのね。
私が魔法で作っている実験室のようなものかしら」
魔法の実験には、周囲の環境も影響するの、と図書館の主。
それに近いものがあるだろうね、とにとりは返した。
「温室を作るのでしたら、部屋の中を暖める機構が必要ですよ」
と、横手から意外な意見が飛び出してくる。
意見の主は小悪魔だった。
彼女は、一同に紅茶の入ったカップを渡しながら、「たとえば地熱を利用すると言うのが一般的ですね」と続けてくる。
「何、小悪魔。あなた、そういうのに詳しいの?」
「ええ。魔界は農業が盛んですから」
『………………………………え?』
「あれ、言ってませんでした?
私、こちらにお勤めする前は、魔界神さまから畑とか水田とかを、ざっと10ヘクタールくらい任されていたんですよ」
幽香とにとりの視線はパチュリーへ。
彼女は、『そんなものは、今、初めて聞いた。私は知らん』といわんばかりに首を左右に振っている。
「白蓮さんも、『魔界のお野菜やお米はとっても美味しいですね』って、意外と充実した食生活を楽しんでいました」
これもまた、意外な幻想郷の一面の発見であった。
それはともあれ、レールから脱線して空中でムーンサルトかましている話を、よっこいせ、と元の軌道に戻す一同。
「えーっと……それで、うちに、そういう関連の本がないか、ということね?」
「あ、ああ……まぁ、うん……そうだね」
「あったかしら。小悪魔」
「私が現地指導しますよ」
『………………………………………………』
そういうわけで、作成チームに小悪魔が加わることになった。
ちなみに、その話は紅魔館のお嬢様の耳にも入ったらしく、『先を越されたわね』と悔しがるお嬢様の姿が、その後、館の中で見られたという。
しかし、速攻で考え方を変えたのか、『それなら、いつでも、彼女の店であのケーキが食べられる』という結論に行き着き、後日、『資金面で不安があるならいつでも言いなさい』と言い出すのだが、それは別の話。
続けて、幽香と、今度はアリスのペアが訪れたのは命蓮寺である。
かくかくしかじかな理由である、と寺の主である聖白蓮に話をしたところ、『そうしたお話でしたら、ぜひ、お手伝いをさせてください』と協力を取り付けることが出来た。
寺から派遣されてきたのは、以下の人物である。
「つまり、地熱を利用すると言うことで、温泉を掘り当てようと。そういうことだね?」
「そうなるわね」
「ついでに、この辺りの雪をよけて、土地も確保しておきたい、と」
「そうなります」
「というわけだそうだ」
「……私は力仕事担当ですね。ええ、ええ、わかってますよ……」
やはり性別的に、『力持ち』と表現されるのは色々と精神的に厳しいものがあるのか、ちょっぴり肩を落としながら、寅丸星が用意されているシャベルを手に、雪かきに取り掛かる。
その横では、ダウジングロッドを両手に持ったナズーリンがてくてくすたすたと雪の上を歩き回り、温泉脈を探している。
「――で、大体、こんな感じでいいですね」
「ははぁ……なるほど。
ところで、小悪魔さん。この『強化ガラス』ってのは?」
「普通のガラスだと、強風とかで石がぶつかったりしたら危ないじゃないですか?」
そこから離れて、こちらは温室作成チームの実働部隊。
技術を持っている小悪魔とにとりが、図面と材料を前に作戦会議中だ。
「ああ、なるほどね。
で、どうやって作るんだい?」
「一番、簡単なのは空冷ですね」
「こんなところに特ダネはっけーん!!」
「私は旋風! 誰にも止められない! 熱風! 疾風! 射命丸推参っ!」
「天狗ならどうですか?」
「あ、いいですね。
文さん、頑張ってくださいね」
「え、何を!?」
温室作成班は、新たに引いた設計書を前に、色々と検討中。ちなみに、その図面を引いたのは小悪魔である。
にとり曰く、『こんな正確な図面は見たことがないよ』というほどのものであるらしい。
この小悪魔、なんとフリーハンドで一ミリの狂いもない直線が引けるのだ。相変わらず、隠し技の多い司書である。
さらにその一方――、
「う~ん……」
「どう? 早苗」
騒がしい外とは隔絶された、『かざみ』の厨房内。
せっかく、目玉となる施設を作るのだから、同じく目玉となる『商品』を作りなさい、とアリスは幽香に命じていた。
いつもの花の蜜ケーキでいいじゃないか、と幽香は反論したのだが、『それじゃ、物珍しさくらいしかお客さんを呼べないでしょ』と一蹴されてしまったのだ。
「……甘くて美味しいです」
「そう」
「けれど、甘すぎのような感じも……」
「……そうかしら。
生クリームがちょっと多めだったかもしれないわね」
幽香がチャレンジしているのは『季節を想起させるケーキ』である。
簡単に言うと、たとえば、『春は桜、夏はひまわり、秋は栗、冬は雪』と言う具合に、それぞれの季節季節の印象を強く押し出したケーキである。冬のみこれといった『花』がないのは、季節的な意味で仕方ない。
それら四つを一つのケーキで食べられるような、そんなケーキはどうだろうと考えたのだ。
そして、試食係は早苗である。最初は彼女も『ケーキ作りを手伝います』と言ってくれたのだが、その料理の腕前を見て、幽香は顔を青くして止めている。
「あと、砂糖を小さじ一杯分減らして……」
「あの、ところで幽香さん」
「何よ」
「……その、今日、わたしが食べたケーキって、どれくらいになりますか?」
「ランニング24時間分くらい」
「ちょっと腕立てとスクワットやってますので、出来上がったら教えてください」
甘いものは大好き。だけど増えていいのは幸せだけ、な女の子にとって、それは致命的な一言であった。
そうして、その翌日。
「見つけたよ」
「ここの下?」
「そうだね。
ここから、ざっと、地下300メートルくらいだ」
ナズーリンから一報があった。
駆けつけたアリスの前で、彼女は地面を指差し、『この下に温泉脈があるよ』と教えてくれる。ちなみに、その場所は、かざみから歩いて2~3分ほどの距離である。
「300メートルか……」
「……あの、さすがに300メートルを一人で掘れとは言いませんよね」
「何を言っているんだ、ご主人。あなた様のそのぱぅわーを今こそ見せる時ではないか。
と言うかむしろこういう時以外はほとんど活躍してないんだし」
ずぅ~んと肩を落とす星。その後ろ姿は、ちょっぴり哀れだった。
「ああ、その心配はいらないわ。
この子がお手伝いしてくれるから」
そう言ったアリスの後ろに『この子』がやってくる。
「ほら、ゴリアテ。『初めまして』のご挨拶をしなさい」
見上げるほど、とは言わないが、それでも普段、アリスが連れている人形たちよりもずっと大きなサイズの人形が一体、立っていた。
彼女はぺこりと二人に向かって頭を下げると、星ほどの大きさもあるシャベルを手に取り、ざっくざっくと雪を掘り始める。
「……もう。
ごめんなさい。この子、人見知りする上に無口なのよ」
人形なのに人見知りとはどういうことだ、と星とナズーリンは思ったが、とりあえず口には出さなかった。
世の中、そういう不思議なこともあるのだと納得したのだ。
そうして、その二人の見ている前で、見る見るうちにゴリアテ人形は雪をどけ、その下の地面へと到達する。
「……すごい力ですね」
「うちの力仕事全般を担当してくれるの。とてもいい子なんだけど、無愛想なのがね」
恥ずかしさの裏返しよ、とアリスは苦笑する。
「さて、ご主人。これで、渋る必要はなくなったね」
「……まだ色々と渋りたい気持ちはありますが、さすがに彼女一人に任せて、というのは……」
「今からにとりとかも連れてきて、掘削用の設備も整えるから。
それじゃ、悪いんですけれど、寅丸さん。お願いします」
「……ははは。わかりました、任されます」
二人そろって、穴掘りに精を出す姿はなかなか奇妙な光景だった。
一人は人形。一人は毘沙門天の遣い。しかし、その後ろ姿は、何だか妙に現在の作業が似合ってるから不思議である。
ナズーリンは『私も手伝うよ』と、アリスからシャベルを受け取ってその場へ残る。そしてアリスは、一度、『かざみ』へと帰還し、にとりの元へ。
「おっ、ついに温泉、見つかったか」
「と言うか早かったですね」
「その辺りは、彼女が有能なのよ」
「よーっし。それなら、早速、こいつを取り付けに行くとしますか」
「それは私がやるわ。人形たちに手伝わせるから」
岩盤掘削用のドリルや土砂搬出用の仕掛け、さらには、どこに用意していたのかダイナマイトまで取り出すにとりに、アリスは人形をどっさりと用意し、それらを持って温泉掘削隊の元へと戻っていく。
「さて、こりゃ、うちらもうかうかしてられませんね」
「そうですね。頑張って温室を作りましょう」
「……あの~、小悪魔さ~ん」
「はい。何ですか?」
「私、いつまでガラスをあおいでればいいんですか?」
「全部で400枚ほどのガラスを作りますので、それが全部、出来るまでですね」
「バイト代は出しますよ」
「はたてさんへるぷみーっ!」
「どうかしら。早苗。このケーキは」
幽香が厨房から、ホールケーキを一つ、持ってやってくる。
サイズは直径10センチほど。決して大きすぎず、一人でも食べきれるサイズだ。
「クリームそれぞれ、それからフロアごとの素材も若干変えて、あと、フレーバーも変えてみたの。
一つのケーキで四つの味。ちょっと奇抜かもね」
そのケーキは、四つの色を持ったケーキだった。
赤、薄い黄色、白、桃色。暖色系でまとめられた、不思議な感じの漂うケーキである。
それに、すっとナイフを入れると、ケーキを囲むクリームと同じ色のスポンジが現れる。
中に練り込まれたクリームの色は、ケーキをかたどるクリームよりも色が濃く、ほんのりと淡い香りを立てている。
そのクリームとスポンジの間に挟まれた果物もみずみずしさを保っており、端的に言って、とても美味しそうだ。
「はい、そう、かも、です、けどっ! おいし、そう、ですっ!」
「……止まりなさいよ」
店の中で腕立て腹筋背筋スクワット、さらにその場で全力ダッシュなど、考えうる限りのダイエットを実行している早苗に、幽香の頬に汗一筋。
「だけど! やっぱり! 体重はっ、乙女の、永遠の、敵、ですからっ!」
ダメだこいつ。色々と。
幽香はそう思った。
――もちろん、これは、幽香がそう簡単に太らない体質だから言えることだ。世の中の女の子というやつは、大好きなものを食べる際にも、決して忘れられない悪魔と戦っているのである。
これについては、早苗を責めるわけにはいかないだろう。責めるべきは、美味しいケーキなのだから。よくわからないが。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「……お疲れ様」
「ケーキ、食べますね!」
「落ち着いてから食べて。お願いだから」
汗だくのいい笑顔のまま言われても、何だか無性に罪悪感がこみ上げる。
幽香は内心、『私、この子に悪いことしてるんじゃなかろうか』と思いつつ、厨房から飲み物を持って戻ってくる。
もちろん、早苗に配慮して、飲み物はただの水である。
「それじゃ、いただきまーす」
「……どうぞ」
「……これ食べたら、また二時間くらい運動が必要ですね」
「そこまでして食べなくてもいいのよ!?」
「何を言ってるんですか! 幽香さんはわたしのご友人ですよ!
それだけじゃない……! そして、それだけじゃないっ!
わたしはケーキが大好きです! 甘いもの大好きです! 幻想郷には和菓子しかなくて、こっちに来た時、どれほど悲しい思いをしたか! 切ない涙で枕をぬらしたことか!
そこにっ!
そこに、幽香さんのケーキがありましたっ! 外の世界の、一時間並んでも食べたい超有名店ですら足下にも及ばないくらい美味しいケーキが!
わたしは、あなたに感謝しているんです! いわば、あなたはわたしの命の恩人なんです!
わたしは恩義は必ず返す女! だから、何の問題も心配もありません!」
びしっ、と親指立てる早苗。
そこまでこちらのことを慮ってくれているのかと感動すると共に、『やっぱりダメだ、この子』と思わせる熱弁であった。
早苗はぐっとフォークを掴み、目の前の皿へと立ち向かう。
真っ白なお皿の上に燦然と佇むケーキにフォークを入れて、それを一口する。
そうして、彼女は言う。
「これですよ!」
笑顔。
そして、『GJ!』と輝く白い歯。
「これはいけます!
ケーキは、確かに美味しいですけれど、やっぱり甘ったるいのが難点です! だけど、これは食べれば食べるほどに変わる味が、常に新しさをもたらしてくれます!
確かに、色物かもしれません! 奇抜かもしれません!
だけど!
そういう、『王道』から外れたチャレンジが、ここにはあるんです!
幽香さん、これはいけますよ! 大丈夫です!」
「そ、そう……」
「じゃあ、わたし、引き続きダイエットに励みますので!」
「……もう何も言うまい」
幽香は思った。
どうしてこう、幻想郷には変わり者が多いのだろう、と。
そして、幽香は気づかない。
そもそも変わり者じゃなきゃ、この幻想郷には存在できないのだという、どこの誰が作ったんだか知らないが、厳然としたルールが、この世界に存在すると言うことを。
人、それを『類は友を呼ぶ』という――。
「じゃあ、温室の作成を始めましょうか」
「あいさ。
文さん、お疲れさん」
「……う……腕が……腕がぁぁ……」
ひたすら、ここ数日間、ガラスをただあおぐだけの簡単なお仕事に従事していた文は、痙攣する両手を抱える形で地面の上に転がった。
用意されたガラスの枚数は、小悪魔が宣言したとおり、400枚以上。
それらが雪の上に積みあがっている光景は、なかなか壮観である。
とりあえず、雪の上でごろごろしている文はほったらかして、二人は『かざみ』の裏手側へ。
そこには、ここ数日の工事で完成した土台と柱など、建物の骨組みがあった。
「河童の方々の技術力はすごいですね」
「いやいや。小悪魔さんの図面やら何やらのおかげだよ」
そんな彼女達の元に、ふよふよアリスの人形たちが飛んでくる。
それじゃ、頑張りましょう、と小悪魔が彼女たちに声をかけ、温室作成の最終工程が始まった。
「ガラスは割れないように気をつけてくださいね」
人形一体につき、ガラスを一枚。意外に彼女たちは力が強いようだ。
図面に書かれている通りに、用意したガラスを骨組みの中へとはめ込み、溶接などで固めていく。
「温泉の方はどうなってるんだろうねぇ」
「昨日、アリスさんがダイナマイトを持っていきましたよ」
その言葉の直後、遠くから爆音が轟いた。
音の源へと視線を向ける二人。しばらく待っていると、そちらからアリスがやってくる。
「無事に温泉が湧いたわ」
「さすがですね」
「あとは、これをこっちまで引いてくればいいのよね?」
「あいさ。そうなりますね。
んで、あっちにあるポンプでお湯を汲み上げて、あっちの別の機械で温泉の熱を蓄熱してやって、その熱を、このパイプで室内に循環させれば温室の完成ですよ」
「わかったわ」
じゃあ、その作業を始めるわね、とアリス。
彼女を見送ってから、二人は作業を再開する。
ただし、温室を組み立てるのは人形たちに任せ、取り掛かるのは別の仕事だ。
「せっかくの温泉ですもんね」
「そういうことさ」
建物の裏手に、別途、用意しておいた資材を取り上げると、それを抱えて、こっそりと、よいせよいせと作っていた区画へと歩いていく。
「美味しいお茶とお菓子が食べられる温泉って、今までありませんでしたよね」
「ひまわりに囲まれた温泉なんて、それだけで客が来そうなもんですよね」
「あとは簡単なテラス風にすれば――」
「ちょっとした休憩所にもなりますわ」
実を言うと、自分たちが温泉に入りたかったのが、それを作る理由であるのだが。
しかし、世の中は、『物は言いよう』というものである。
一同は、さらに組み立てと温泉をお店まで引いてくる施設の構築に三日ほどを費やした。
無数のガラスから組み上げられる温室は、太陽の光をきらきらと反射し、見ているだけで引き込まれるような美しさだ。
建物の中に通す配管も、小悪魔が図面を引いている。空間の中、余すところなく熱がいきわたるように計算されて敷設された配管は、それ自体が幾何学的な模様を描き出すオブジェとして、建物の中を彩っている。
そうして、まず最初に、無事に温泉を利用した温室は完成した。
さらにその隣では、小悪魔とにとり手製の温泉も着々と組み上がっていく。
湯船を作り、そこの近くにお湯を汲み上げているパイプを運んでくる。それの下にといを作って、お湯が湯船の中にちょろちょろ流れ込むように設置して。
その近くには屋根のついた空間を作り上げる。事前に用意した図面に従い、テーブルと椅子の置けるスペースをきちんと考慮し、作り上げられていく空間は、一見、ただの四角いスペースだが、その実、そこから見える『景色』に配慮した『展望席』でもあった。
――そして。
「……大したものね」
「何、他人事みたいに驚いてるのよ」
温室の中に足を運んで、ぽつりとつぶやく幽香の背中をアリスが叩く。
恐らく、幻想郷初となる、本格的な温室の中は、とても冬とは思えないくらいに暖かい。
星とナズーリン、そしてゴリアテが掘り当てた温泉は、地下に埋め込んだパイプを通して温室の外に備えられている巨大な蓄熱機の近くにまで運ばれる。蓄熱機の側には大きなポンプがあり、そのポンプは温泉を汲み上げて、蓄熱機がその熱を充分に蓄えるタンクのような役目を果たす。
続けて、その蓄熱機とポンプから複数のパイプを通して、温泉のお湯と熱が温室内に送り込まれる。それによって、常時20度以上の気温を保つと言う仕組みである。
さらに、小悪魔とにとりの二人がこっそりと作った露天風呂にも、湯元となる場所から温泉は運ばれている。
その露天風呂は『かざみ』の店舗から外に伸びる、板張りの廊下を歩いていくことが出来るようになっている。こちらの工事は、後ほど、にとりが好意で行うとのことだった。
温泉は見事な檜風呂。そのすぐ近くに足湯のスペースも設け、さらには小さなテラスまで備えられている。
曰く、ここでお茶を飲みながら温泉を楽しめる空間を作った、とのことだ。さらに、これは今後の工事によるのだが、店から露天風呂まで続く道とテラスの二つの下にも蓄熱機からの配管を通すことで床暖房を実現し、たとえ冬であろうとも『冷え』から解放された、快適な露天環境になるとのことだ。
「……いくらかかったの?」
「えーっとですね、資材の代金に機材代、加工代、人件費、その他もろもろでこんなところです」
にとりが取り出した請求書を見て、幽香が一瞬、ふっ、と後ろに倒れそうになった。それを慌てて、ようやくダイエットに成功して、ケーキ試食三昧の日々の前の体重に戻した早苗が支えた。
「400と少し……か。端数は値引きにならない?」
「いやいや、アリスさん。これでも、相当、譲歩してるんですよ?」
「それはわかってるんだけどねぇ。
もうちょっと……これくらいなんてどう?」
「う~ん……。私も鬼じゃないですけどねぇ。けれど、これくらいはもらわないと割に合わないですよ」
「じゃあ、間を取ってこの辺り」
「いやいやいや」
そろばん片手に値引き交渉を始める二人を尻目に、天文学的(幽香にとっては)金額に目を回していた幽香が、何とか意識を取り戻す。
「あとは、この空間をどのように扱うかは幽香さん次第ですから」
その辺りは、私よりも詳しいでしょ? と小悪魔。
幽香は一応、虚勢を張って「と、当然よ」と胸を張る。しかし、つい一瞬前に、請求書を前に目を回したところだったので、その格好にはいつもの威圧感などどこにもなかった。
「だけど、幽香さん。花を育てたりするのって、すごく時間がかかりますよね?
今日明日では……」
「早苗。あなた、私を何の妖怪だと思ってるの」
「え?」
「私は花の妖怪よ」
ひょいと、手に持った傘を上に掲げ、それをくるりと回す彼女。
すると、一瞬のうちに、温室の中に花が咲き乱れた。
その技と、目の前の光景に目を奪われ、早苗が思わず声を上げる。
「すごいですねぇ……。紅魔館の花壇なんて目じゃないですよ……」
「当然ね。
よし。これで、うちも売りが出来たわね! そうでしょ、アリス!」
「よし! 私も、ケチなこと言わないわ! ここで手を打つ!」
「いやいや、アリスさん。これは負けすぎですよ! ここで!」
「もう一声!」
「……あの~……アリス~……」
「聞こえてないようだね」
「立派な会計係ですね」
「どこかの寺の誰かたちも、彼女くらいの金銭感覚を持ってくれればいいんだが」
「そんな方々がいるのですか」
「具体的には私の隣に」
「え?」
温泉掘削作業の後は、完成した温室の中で花壇の区画整理などの仕事に従事していた二人の漫才コンビの間に、微妙な空気が流れたりもするのだが。
「と、とりあえず、今日は、その……わ、私からのお礼よ! せっかく温泉も出来たんだから、あなた達、ご飯を食べて温泉に入っていきなさい!
以上、解散!」
ああ、忙しい忙しい、と言いながら幽香は温室を去っていく。
その後ろ姿を見送って、小さく、早苗は肩をすくめた。
「それじゃあ、皆さん。幽香さんのご好意に甘えましょう」
「ここ数日は土いじりしかしてないからね。温泉は素直に嬉しい話だ」
「私も、久々に疲れました~」
「あの、ナズーリン。さっきの一言の意味を聞きたいのですが。ちょっと、あの、いいですか? 私はですね――」
それぞれに、温室を後にする中。
「ここならどう!」
「これで!」
「だから、あともう一歩!」
「これ以上は譲れないね!」
両者の値引き合戦は、夜の夜中まで続いていたのであった。
ついでに、両腕が撃沈した文であったが、それをねぎらう意味で、一番最初に温泉を使わせてやったところ、ころっと自分への、それまでの扱いを忘れていたという。
「はぁ……疲れたわ……」
「あんな大見得切るからでしょ」
飲むや歌えの大宴会も今は後。
見事な星空の下、露天風呂に浸かっているのは幽香とアリスの二人である。
宴会に参加し、今回の温室作成に協力してくれた面々はすでに温泉を楽しんだ後であり、この場には、いつも通りにこの二人だけ。
ここ数日の疲れを癒すために温泉に入ったのはいいのだが、逆にリラックスしすぎてしまって、幽香は現在、湯船から動けない状態であった。
「……いいじゃない、別に。たまには見栄を張ったって」
「最近の幽香は、見栄とは全く縁遠いしね」
「ど、どういう意味よ」
「さあ」
暗に『あなたが、実はへたれなところはみんな知ってるわよ』と言われ、幽香は鼻白む。それをアリスは華麗に無視して、大きく体を伸ばした。
「けれど、なかなかいいアイディアだったわ」
「そ、そう?」
「これが全部、幽香のアイディアだったら、もっと株は上がったんだけどね」
「悪かったわね……。
けれど、実現させるために、私、色々やったじゃない」
「そうね。過程はどうあれ、結果は大事だわ」
これで紅魔館にも負けないくらいの『売り』が出来た、とアリスは言った。
お客さん、増えるといいわね、と続ける。
「……増えるかしら」
「何、自信ないの?」
「何となく……」
だって、と続ける幽香。
これまでに色々と、お客さんを呼び込むための手を打ってはきたものの、なかなかその成果が上がらなかったのは事実である。
その時は、やはり、個人経営商店はでっかい店に勝てないのだなと思ったものだ。
それでも幽香は頑張った。その甲斐あって、客は昔から比べて増えているのも事実だ。
しかし、ここ最近の閑古鳥っぷりを体験してしまうと、『やっぱりそんなことないのかな』と気弱になってしまうのだ。
「あなたらしくないわね」
「うぐ……」
「大丈夫よ。
ちょっと頼りないけど、ちゃんと宣伝係も捕まえているし。紅魔館の方でも、咲夜さんに頼んで、お店のチラシを置かせてもらえたし。
そんなに気にすることないわよ」
それに、新製品も用意したでしょ、とアリス。
「あれ、なかなか美味しかったわ。
確かに、ネタがちょっと奇抜だから、常日頃のお茶のお供に、とは言わないけれど、パーティー料理とか、誰かへのプレゼントとかには、結構、向いてると思うの。
もちろん、これに留まらずにネタが増えていくんだろうし?」
「ま、まぁね」
「なら、いいじゃない。
面白い売りも出来たし、新商品も作った。宣伝もしてる。おまけに、このお店の認知度もかなり高い。
それなら、お客さんが増えない理由はないでしょ」
「……物珍しさだけとか」
「そういう一見さんを取り込むのは、あなたの仕事」
その辺りは厳しい言葉だった。
「はいはい。そう言われると思ったわ」
「なら、言われないように頑張ってね。
まぁ、何か困ったことがあったら相談して。最低限の手伝いはするから」
逆に言えば、それ以上はやらないということだ。
相変わらずの手厳しい言葉に苦笑しながらも、はいはい、と幽香は返事をする。
そうして、何とかかんとかその場に立ち上がり、冬の冷たい空気に体を震わせる。
「せっかくだから、あの温室に、色々な虫とか鳥を連れてくるのもいいわね。その辺りの連中にも手伝わせようかしら」
「面白いかもしれないわね」
「ほら、見なさい。私だって、ちゃんと一人で、色々出来るのよ」
「そういうことにしておくわ」
いつも通りの、何となく皮肉っぽい返事をしてくるアリスに、幽香は笑った。
それじゃ、明日から頑張りましょう。
彼女の言葉に、幽香は大きく、体を伸ばして応えるのだった。
「幽々子さま」
「あらぁ、なぁにぃ?」
「あの、文さんがこんなものを」
「うちはぁ、彼女の新聞はぁ、とってなかったはずだけどぉ」
「そう言ったんですけど押し切られました」
けれどですね、と妖夢は手に持った新聞を幽々子の前に広げる。
その一面記事には、以下のようなものがあった。
~喫茶店『かざみ』に新施設オープン!~
本紙読者の諸兄は、すでに一度は足を運んだことがあると思われる、妖怪の風見幽香氏が経営する喫茶店『かざみ』に、このほど、新しい施設がオープンした。
喫茶店店舗の裏手に作られたのは、見事なガラス張りの建物であり、名前を『温室』というそうだ。
本紙記者が記事作成のために案内してもらったところ、まず驚いたのが、その空間の暖かさである。
名前通り、まるで常夏のような環境が、その空間には形成されており、冬の盛りである今ですら色とりどりの花が咲き乱れていた。
店主に話を伺ったところ、この部屋を作る際に河童の技術力を利用しているのだと言う。
お店の近くから湧出した温泉の熱を利用して作成されたこの空間には、先に述べた美しい花が植えられた花壇の他、鮮やかな蝶などの虫、聞いていて心の安らぐ鳥の声が響き渡っている。
また、この温室を作る上で湧出した温泉を利用して、『かざみ』特製の露天風呂も、同時にオープンしている。
こちらは利用は無料であり、利用時間の設定はあるものの、どなたでも利用が出来るとのことである。
そして、『かざみ』利用者にとってさらに嬉しいのは、この温室の完成によって、『かざみ』で最も愛されているケーキである『花の蜜ケーキ』が季節を問わず、食べられるようになったことである。
これまでは季節によって花の種類が変わることから、『あの時期のあのケーキを食べたい』となった場合、最悪、一年は待たないといけなかったところ、温室の完成によって、年中、花の栽培が可能になったことで、季節を問わずに望みのケーキを食べられるようになったのである。加えて、冬は、そもそも販売自体が取りやめられてしまっていたが、これからはそれを気にすることなく、お店で注文も可能となっている。
一風変わった施設である、美しい温室で自然を楽しみ、太陽の畑まで行って疲れた体を温泉で癒し、さらに美味しいお菓子とお茶が楽しめる。なんと素晴らしい話だろうか。
今回、この温室の完成記念として、新発売の『四季のケーキ』と『花の蜜ケーキ』の半額セールを行っているとのことである。
ぜひとも、新しくなった『かざみ』へと足を運び、この、幻想郷では初めての時間を楽しんできてはいかがだろうか。
「面白そうねぇ」
「はい。
それで、こんなものも」
「あらぁ。お手紙ぃ?」
新聞の間に挟まった、きれいな花模様の便箋。
それを丁寧に開いて、幽々子は手紙を一読する。
~西行寺幽々子さま 魂魄妖夢さまへ
『かざみ』店主の風見幽香です。
このたび、西行寺幽々子さま、魂魄妖夢さまからのアドバイスを頂きました、『かざみ』の新しい施設が完成しました。
つきましては、ぜひ一度、当店へ足を運んでいただきたく思います。
先日のお礼の意味も含めまして、当店の全商品8割引のチケットを同封させていただきました。
また、いらしてくださいました際には、露天風呂を無料で一時間、貸切とさせて頂く他、温室も一時間、貸切にさせていただきます。
少々、遠い道のりとはなってしまいますが、ぜひとも、当店にいらしてください。お待ちしております~
「それじゃ、行こうかしら?」
「はい。そうしましょう」
「やっぱり、人助けはしておくものね。情けは人のためならずとはよく言ったものだわ」
音一つ立てず、立ち上がった幽々子が、ふわふわと歩いていく。
その後を、妖夢が「幽々子さま、チケット忘れてますよ!」と追いかける。
「せっかくだからぁ、あのお店のケーキぃ、ぜぇんぶぅ、食べちゃいましょうかぁ」
「手加減してあげてくださいね?」
「うふふぅ。どうしようかなぁ」
せっかくのお誘いを断る理由もなく、二人が白玉楼を出発したのは、それから30分も過ぎないうちのことだった。
早苗さんも地味に凄い気がしますなーw
魔界で農業が盛んというのは怪3面アリス戦の背景とかを見るに
魔界の自然は豊かみたいですから結構うなずける気がします
>意外な幻想郷の一面
魔界は幻想郷とは別では? とかちょっと思いました。
幻想郷の皆様がいるから、のようです。
そんな店あったら毎日通うw
いやむしろ住み込むな。
でもこれで儲けは出るんだろうかw
ゆうかりんかわいい。
余計、ゆうかの作るケーキが食べたくなった。
文章が丁寧で、すらすらっと読めました。
この作品は優しさでできています。
ゴリ星……だと………!?
四季のケーキはえらい手間かかってて、原価やたらかかるんじゃないかと思ったけど、考えてみたら幽香の能力があれば、植物性の材料はほとんど原材料費ゼロで済みそうですね(小麦粉みたいにやたら広い耕作地が必要なものは別でしょうけど)。
……しかし、ゆゆ様に8割引チケット……結果は火を見るより明らかだな。
そして、ゴリアテさん、ガンバ!
このシリーズでの幽香を取り巻く人間関係が面白いですね。