何か幻想郷縁起の足しになるものでもありはしないかと、散歩をしていた時の事でございます。
妖怪の山の方から流れております小川の水面に、きらきらしているそれを私は見つけたのでした。
「こんにちは」
私が声をかけますと、それはかぷかぷと笑いました。
「驚いたなあ。僕に話しかける人が居るだなんて」
「失礼。責務のこともありまして、貴方のような生き物に話しかけずにはいられませんで」
「ふうん? 君には僕が生きているように見えるの」
「ええ。自分でも不思議ですが。今までに見たどの生き物とも違う姿をしてらっしゃるのに、最初からそう思えて仕方なかったのです」
「そうか。なら僕は多分生き物なんだろうなあ」
遅ればせながら、私は以前に読んだ本の事を思い出しました。
その中に出てきたクラムボンという名前が、私の目の前のそれにはぴったりに思えたのです。
「私は稗田阿求。貴方の事をクラムボンさんとお呼びしても?」
「別にいいよ。今まで名前なんてなかったんだから」
「ではお言葉に甘えて。クラムボンさんの事を色々とお聞きしたいのですが」
「僕? 僕のどんなこと?」
「どういった存在なのかとか、普段どんなことをなさっているかとか」
「分からない」
クラムボンは悲しそうにしました。
「僕は何なんだろうか。君が話しかけてくるまで、僕はここに居なかったようにすら思えるんだ」
「ついさっき生まれたばかりということですか?」
「ううん。僕はずっとここに居たよ。ずっと一人でここに居た。だから何も分からなかったんだ。何も出来ないままさ」
「ずっと、ここに」
「そう。だから僕は自分がどんな姿をしているのか、何が出来るのかも分からないんだ」
「水面を見てごらんなさい。クラムボンさんの姿が映っていますよ」
「僕は何かを見る事が出来ないんだ」
「でも、私の話を聞いたり、しゃべったりすることは出来ます」
「うん。それを教えてくれてありがとう。僕は初めてそれを知る事が出来たよ」
おそらく、クラムボンはその時息をはきたかったのだと思います。
けれどもクラムボンはそれが出来ないのか、ただ安寧とした何かしらがクラムボンからにじみ出て、空気に溶けたようでした。
「やっぱり僕は今までここにも居なかったのかもしれない。君が話しかけてくれてようやく、僕は僕になった気がする」
「お役に立てて何よりです。もしかしたら、私はもっと役に立てるかもしれません」
「どういう意味?」
「私は幻想郷縁起という書に人妖問わず様々な存在についてをつづっています。そもそもクラムボンさんに話しかけようと思ったのだって、その一頁に書き加えられるかもしれないと思ったからなのです」
「僕の事を本に書こうって?」
「そうすれば私はクラムボンさんの事をより深く知ろうとします。そうして得たクラムボンさんについてを、より多くの人に知ってもらえます」
「そうすれば、僕はもっと僕らしくなれるのかな」
「きっと」
なぜだか私には確信めいたものがありました。
「どうして僕のためにそこまでしてくれるの?」
「それが私の使命だから、というのは建前ですね。せっかく知り合えたのですからもっと相手の事を知りたいというのは当たり前じゃないですか」
「ありがとう。僕も君の事を知ってみたい。どうか僕の身体をすくい上げてくれないか?」
「それはまたどうして」
「その手に包まれてようやく、僕は自分がどういう姿をしているのかが分かると思うんだ」
私は頷き、水面に手を沈めました。
流れに押されて重たい袖を川底に一度こすりつけるようにしながらも、何とかクラムボンの周りの水ごとをすくいあげました。
指の間から水がこぼれ落ちて、とうとう私はクラムボンに直に触れて。
クラムボンは、はじけてしまいました。
「クラムボンは死んだよ」
その声は背後から聞こえてきました。
「封獣ぬえ、さん」
「クラムボンは死んだ。でもあんたが殺したわけじゃない。……ああ、やっぱりだ」
ぬえはしゃがみこんで、私の足下から何かを拾い上げました。
「落としたとしたらこの辺りだと思ったんだよね。正体不明の種」
「じゃあクラムボンさんは」
「この種が付いた何かだったろうね。でも、今回みたいなパターンは珍しい。正体不明に
「私がただ縁起の足しになるものをとしか思っていなかったから」
「もっと明確なイメージをしていたら見えたものは違ったかもしれない。でも結果は同じだったと思うよ。名前を与えられ、触られまでしたら、それは
ふっと、ぬえは種に息を吹きかけました。
まるで綿毛か何かのように、それは飛んでいきました。
「クラムボンさんは死んだんですよね」
「うん。死んだ」
「死んだということは、生きていたということですよね」
「うん。あんたの中では」
「なら、それで充分ですよ」
最後に私は、青空をただよう種にクラムボンの面影を見ました。
それはかぷかぷと笑っていたのです。
……まさか、"やまなし"オチなしイミなしって
かぷかぷ笑ってて唐突に死んだコイツが何なのかさっぱりわからんのだよなあ
ただ冒頭でかぷかぷ笑ってるだけのコレが何なのか訊かれて苦笑いしてた教師の顔は今でも覚えてる
とうとうコイツも幻想入りしたか…
…ただ最近その記憶の中の教師にけーねの姿がダブり始めてて困る
今でも教科書に載ってるんでしょうかね?コメント見ると知らない人も多いっぽいけど
某文芸雑誌の宮沢賢治特集によれば、クラムボンの正体で1本論文が書けるらしい。
一般読者どころか研究者レベルの人達もみんな気になってるんですなw
まさにクラムボン。
とても面白かったです。