寝ても覚めても薄暗い。
この霧雨亭はいつも薄暗かったが、その暗澹とした風は住人の魔理沙には心底好ましかった。
だから朝日が魔理沙の天敵になってしまったのは、しかたがなかった。
山積みになった本に半分も隠された窓が、朝日を、魔理沙の顔へ落としていた。魔理沙の一日はそれにおはようと言うところから始まった。
魔理沙は度々かんがえる。うちの周りの木々がもっと成長して、朝日を隠してくれはしないだろうかと。
顔を洗って口をすすぎ、かるい朝食をとると着替えをした。行き先はまだ決めていなかったが家を出た。
今日は晴天らしかった。木々の間から漏れた光の帯が、玄関前に立つ魔理沙の肩にかかってきた。
魔理沙は一刻もはやく森を抜けだし晴天へ踊り出ねばと思った。朝日は嫌いだが、太陽まではそうじゃない。
そこで魔理沙は気づいた。箒を持っていない。なくても飛べるが、ないと締まりがなくなる、しかし箒をわすれるなど魔理沙にしては珍しい。魔理沙も自分のことを珍しがりながら家へもどった。十数分もするとまた玄関前に魔理沙がいた。目当ての箒をもっていなかった。部屋をさがしまわり、箒がとうとう見つからなかった。箒の居場所に心あたりのなかった魔理沙は、しぶしぶ歩くことにした。
歩きがてら茸を採っていこうと魔理沙は思った。空を飛びながらだと茸には手が届かないので、今日は都合がよかった。
魔法の森は薄暗い。
しかし前述したように、今日は晴天のもよう、明るい。魔理沙の黒ずくめのとんがり帽子に、陽にあたりうっすら白みをおびている。
魔理沙は足元をみつめて歩いていった。
そうしていると前方の木陰がおおきく揺れ動いた。魔理沙の前に風呂桶ほどの大きさをした茸が現れた。魔理沙は驚いた。
「こんにちはマーガトロイドさん」
茸は口もないのに、どこからともなく声のようなものを発した。魔理沙はますますの驚きをかくせなかった。
「どうぞご案内させてください。 今日は特別な日なんですよ」
茸が森のほうへ進みだしたので、魔理沙は釈然としなかったが、とにかくついていった。茸はよちよちと歩くが、ときおりは飛び跳ねるようにしていた。
「いったい何が特別な日なんだ」
「ははあ。茸でないマーガトロイドさんは知らないのも当然ですね。今日という日は、茸にとっての記念日なんですよ。茸が草花から独立した素晴らしい日ですから、記念日になるのは極めて自然ですね」
魔理沙はもう一人いる森の住人と間違われている。だが魔理沙はそれを訂正しなかった。茸に人違いをされるくらい、どうってことはなかった。
「この日になると、毎年お祝いごとをするんですがね、どこでするかというと樹のうろの奥ですね」
「じめじめしていそうだな」
「ええ、それはもう大変じめじめでございます。ですから我々が集まってさわぐには恰好の場所なんです」
この茸は、声色から察するに嬉しそうだった。
魔理沙は茸の姿をみて、これはツルタケだと判断した。もちろんツルタケは風呂桶くらい大きくなりはしないし、喋るはずがない。ツルタケの妖怪なのだろう。
「しかしマーガトロイドさんがさきに見つかってよかった。霧雨魔理沙というヤツを見つけてしまったら、見つけられてしまったら。あやうく私はむしりとられていたでしょう」
その霧雨魔理沙は後ろにいるんだけどな。とは、魔理沙は口には出さなかった。だが顔にはそう書かれていた。口角の歪みは、いかにも「にやり」という擬音がにあう。
「あいつは悪いヤツで、我々の同胞をいくつも煮たり焼いたりしてきました。先日などは私の知り合いがむしりとられていき、二度と帰ってきません。きっと魔法の実験の材料にされてしまった。黒くて白い服装のあいつです。そういえばマーガトロイドさんも黒白でいらっしゃいますね」
「そりゃあだって、その悪いヤツは」
私だからな。
「私の友だちで、ちょっと服を借りている最中なんだ。いい生地をつかっているぜ」
「服の貸し借りをするほどの仲でしたか。いけませんよ。あいつは泥棒もやっていると聞いています。きっと、とっくに本くらいは盗まれているでしょう」
たしかに、魔理沙はアリスから本を借りているが、盗んだわけではない。返すめどをたてていないに過ぎない。
この様子から魔理沙は、自分の正体は伏せておいたほうがよいと決めた。マーガトロイドさんと呼ばれるのはくすぐったいものがあった。
ツルタケと一緒に歩くことしばらく、魔法の森をずっと深くへいったところで老齢と思わしき巨木にであった。巨木の根元にはぽっかりうろが空いており、そこが今から通る門に間違いなかった。既に周りにはさまざまな茸たちがそろい踏みだ。
エノキダケ。シメジ。テングダケ。キイロイグチ。ナラタケ。ツチグリ。まったく八百万の様相だった。
「みんな耳をかしておくれ、マーガトロイドさんも参加してくれるよ」
ツルタケのその言葉に、ほかのキノコたちは体をふるわした。喜んでいるようだ。彼らは魔理沙の足元にあつまってくると、口ぐちに歓迎した。
こんにちは、マーガトロイドさん。
はじめまして、魔法使いさん。
ごきげんよう、人形使いさん。
これだけいて、誰もかれも魔理沙を魔理沙と疑うものはいなかった。本人はさすがに苦笑いをせずにいられなかった。
「じゃあみんな。木のうろの底へいこうか」
ツルタケと魔理沙を先頭に巨木のうろへ近づいていく茸の一群だ。魔理沙はうろを覗きこんでみたが、いやに真っ暗な中身をしていた。けれど奥のほうから風が吹いていて、耳をすましてみると、風にのってなにか賑やかな音が聞こえてきた。
ツルタケがうろにむかって飛び込んだので、魔理沙もためらいながら続いた。
魔理沙は静かにおちていく。長かった。地面につくと足をくじくどころでは済まないぞと、ふいに不安にさせた。なにも見えない暗闇だったが、やがて底に光がみえてきた。と、思ったら、魔理沙の視界は急にひらけて明るくなって、すとんと苔むした地面に着地していた。
そこはとても広い。魔理沙の目測では紅魔館の玄関ホールほど広かった。地面は苔の絨毯ができあがっている。壁は樹肌で成り立っていて、そこかしこに行燈がつるされていた。
「ささ、ここに腰かけてください。苔の上に座るのはマーガトロイドさんは好まないでしょうから」
「もっともだ。スカートが湿ってかなわない」
ツルタケに案内されて、魔理沙は切り株に腰をおろした。
ここにも茸がたくさんいる。さらに今さっき通った天井の穴からも、茸がいくつも落下してくる。茸だらけのこの場所は、ただよう胞子も並みではない。さしもの魔理沙もくしゃみの感覚に襲われた。
魔理沙はこそばゆくなった鼻をしずめながら、この空間を見渡した。じめじめしていることを除けば、わるくはない場所だ。行燈のほどよい薄明るさは、夜中に蝋燭を灯すかたわらで本をよんでいるような気分にさせた。ところどころに苔が集まる塊があったが、岩か樹の根が芯にあるのだろう。
ちょこんとしている魔理沙のもとへマツタケが近寄ってきた。彼はしゃがれた声で挨拶をはじめた。
「マーガトロイドさん。よくぞおいでくださいました。この記念祭に茸以外が参加することは実に稀で、去年はからすが参加いたしました。おととしはかげろうが参加いたしまして、もっと前にはねずみが参加いたしましたが、あれはもう二度とここに来ることはないでしょう。我々は頭をかじられて大変でしたからな」
「そうか、災難だったな。けど茸はおいしいから仕方ないぜ」
「そんな残酷なことをおっしゃらないでください。おいしいとはいえ、我々も好き好んで食べられているわけではありません」
茸にも権利はあるというわけだが、魔理沙には感心がなかった。
「我々は鈍足ですから、どうしても採取されてしまうのです。そうなりますと。我々にとってもっとも危険なのは人間ですな。特に人間の霧雨魔理沙は注意しすぎるに越したことはありません。あれこそが我々にとっての鬼といっても差し支えありません」
ずいぶんな言われようだった。
「ときに、マーガトロイドさんはもっと白いうえに、青や赤も交えられていたはずですが、今日は黒いようですね」
「毎日おなじ服ばかり着ているわけないぜ。たまには黒白の服も着ないとな」
「おしゃれですな。しかし霧雨魔理沙とそっくりになってしまうのはいけません。ほかの茸に不安をあたえてしまいますからね」
これからは注意するぜ、などと、魔理沙は口にこそ出したが、内実改める気はない。
話を終えたマツタケは、ここにある切り株のなかでもとびきり幅広いものに登った。それは壇上のようで、実際マツタケはそこに登ったときから厳かになりはじめ、いかにもな咳払いをした。そのごほんという音ひとつで、それまで沸きたっていた茸たちは水に打たれた。これだけで、彼がよほど威厳のある茸であると分かる。
「どうもみなさんお集まりいただいて、まことに光栄です。今年の記念祭もうんと愉快なものになってくれそうですね。ねずみの時のようにはなってほしくありませんな。ところで、そう、今年はある特別な人を呼んできていまして、実はもうあすこにおられるんですよ。はい、あの切り株に座っているお嬢さん。紹介しましょう、アリス・マーガトロイドさんです」
魔理沙はたちまち茸たちの喝采につつまれた。なりは小さな茸たちでも、発する声は一人前の様子だったので、魔理沙は圧倒されながらおっかなびっくり立ちあがった。
マツタケが手招きをしたので魔理沙は茸たちを踏まないよう気をつけて、切り株の壇上へあがった。目のない茸たちからの視線を一斉にあびた。
「マーガトロイドさん。どうですか、この記念祭は」
「あー。みんな楽しそうで、なによりだな」
「それはもちろん楽しいでしょう。なんたって祭りですからね、さだめて楽しいでしょう」
唐突に連れてこられた魔理沙なのだから、これ以上の発言ができなかったのは仕方がないが、いったい茸のために回す舌がありはするだろうか。
魔理沙は作り笑いでもってして茸たちからの歓声を受け止めた。
そのあとマツタケが途切れることなく喋り続けた。その間、魔理沙はよこに立ちんぼうで、何をしてよいか分からず、いつ戻ってよいのかも分からず、非常にむずむずしていた。
なんだか話を聞いていると思いのほか複雑そうだった。
茸はよく妖精に腰かけられる。それは邪魔で、笠も傷ついてみすぼらしくなってしまうため、あれを止めさせたいとのこと。
(なんだこりゃあ。お祝いの場でする話じゃないぜ)と魔理沙はいぶかしく思いながら耳をかたむけた。
またそこで、飛び出てくる意見が物騒なものばかりだった。胞子をありったけふりかければ撃退できるが、それでは懲りた試しがない。いっそ茸を肺にでも寄生させてやろう。とか。樹木とキョウドウセンセンを張って、茸にすわってきたとみるや樹木がたに枝のひとつでもつららのように落としてもらおう。果物の砲弾をあびせるのもいい。とか。穏やかではない。
魔理沙は居心地がわるいのに加え、すこし怖くなってきた。自分がマーガトロイドに間違われていてよかったと、いまさらながらに思えてきた。
「ところでマーガトロイドさん。あなたにも意見をうかがいたいのですが」
「ん、ああ、そうだな、妖精はコーヒーの香りが苦手だからな。キョウドウセンセンを張るならコーヒーノキと組んだほうがいい」
「さすがはマーガトロイドさんですね。ずいぶん的確じゃありませんか」
再び茸たちからの歓声を、魔理沙は全身に受け止めざるをえなくなった。耳がきいんとした。さっき言ったことは、もちろんデタラメだ。
「ではみなさん。我々には妖精以外にも恐るべき敵がいますね。そう、霧雨魔理沙。我々はあの人間から身を守るにはどうすればいいのか。さあ、どうでしょうみなさん」
また自分の名前が出てきた。私ってこんなに有名人かしら、などと、魔理沙は思いながら、茸たちがざわついている様子を眺めた。そんな中で魔理沙の気を惹いたものが、ちょうど彼女とは対岸に位置する壁際にあった苔の塊だ。それはとりわけ奇妙な形をしていたので、魔理沙の暇をつぶすには最適だった。つまり、魔理沙は、あれがどんな形に見えてくるだろうかと想像をはじめた。
岩にしては曲線が多かった。樹の根っこのようだった。いや、魔理沙はそこにあるものを見出した。苔が生えている下の物はおもしろく曲がりくねっているが、その曲がり方に特徴がある。大半はずんどうのようだが、もっとも頂点にぽつんと突き出た丸いものが、興味深い。
魔理沙はたちまち息をのんだ。
なぜ特徴が分かったのか、それはだって、魔理沙が毎日、目にしているからに他ならない。苔のせいでぼやけているが、あの滑らかな丸みとある規則に従った造形は、ほぼ間違いがなかった。魔理沙の目はすばやく他にあった苔の塊を見渡していった。苔の繁殖具合が異なるが、いずれにも特徴がふくまれていることを確信した。
魔理沙の想像ゆたかな頭脳が、アレの正体を思いついてしまったのは仕方がない。またそれは先入観のせいでもあった。肺に茸を生やしてやれだとか、枝をつららのように突きさせだとか、彼らのそういう言動を見た後なのだから。よからぬ不安を掻き立てられるのは誰だってそうだろう。
魔理沙は驚きこそしたが、決して表にはださなかった。苔むすアレが何であろうと、結局は知らないフリをしてしまえば一緒だ。
と思いはしたが、ここで隠していた爆弾がある。今は魔理沙はアリス・マーガトロイドとして認められており、歓迎されているが、もし魔理沙だとバレてしまうとどうなるだろう。何十と集まっている茸の山のなかで、彼らの天敵はまさにココにいるとバレてしまうと、どうなるのだろう。
「マーガトロイドさんは、たしか霧雨魔理沙のおともだちでしたな」
「ともだちというか、知り合いというか」
「なにか知っていませんか。霧雨魔理沙の弱点など」
「お腹をくだす毒茸は食べたくないって、言っていたぜ」
「けしからんヤツですな。口にするほうが悪だというのに、茸のほうを悪者にするとは。まったく逆恨みも甚だしい」
さいわい、このやりとりの限りでは魔理沙はまだ大丈夫なはずだった。まだ魔理沙は平静そのもので、それを貫きとおす自信さえなまなかではない。このまま何事もなく、記念祭を終えて、茸たちのもとから離れて家へ帰るつもりだった。
「もし、そのけしからんヤツですが、どんな風貌でしたっけ」
ある茸がそう質問をなげかけた。マツタケは甲高い咳払いをした。
「ああ、それはまあ言うまでもないことだが、質問とあれば答えなければなるまい。霧雨魔理沙という人間は、ふだん魔法使いのような姿をしている。黒いとんがり帽子をかぶっていて、黒と白のエプロンドレスを着こなす。実は今ここにいるマーガトロイドさんと極めてそっくりなわけなんだよ。けれどみんな早まってはいけない。マーガトロイドさんは今日はおめかしをしているから、こんな姿をしているだけで、魔理沙は霧雨魔理沙では決してない。あと、特徴としてはいつも箒にのっている。口調はなんだかヘンテコだ。総合すると、マーガトロイドさんのような人間が霧雨魔理沙なわけだ」
「いやだなあ。あいつなんかと一緒にしてほしくないぜ」
「ははは。でしょうなあ。泥棒猫ですものなあ」
全体がにわかに盛り上がった。みんながけらけらと笑うさなか、魔理沙は気が気ではない。そこにおいて、実はひそかに、ここの空気が蒸し暑いばかりでなくいやにぴりぴりしていることを感じていた。
ひとしきり笑い終えたマツタケは、魔理沙を案内したツルタケを指名してこんなことを聞きだした。
「ツルタケくん。ところで君は、どうやって霧雨魔理沙にそっくりだったマーガトロイドさんを、それと見分けて連れてこられたのかな」
「魔法の森に住んでいる手前、顔さえみれば誰だって分かりますよ」
分かっていないじゃないかと、魔理沙はツルタケの笠を見下ろした。
「だからこうして、マーガトロイドさんとして連れてきたんですよ」
魔理沙は静止した。
今の言葉を、過敏になっていた魔理沙が一語一句として聞き逃すはずはない。そこにこめられた意味も。
とたんに魔理沙の筋肉は張りつめて、心情をかくすことができなくなってしまった。まったく表情の見当たらない茸たちから垂れこめる、明らかな威圧を、今はもう痛いほど感じた。なぜ得体の知れない茸にやすやすついていったのだろう、という後悔が一瞬よぎりはしたが、そこは腐っても魔理沙だ、魔理沙の頭は既に逃げるための算段をくみたてていた。
「霧雨魔理沙」
魔理沙はそばにいるマツタケからはじめて名前を言われた。マツタケが言うと、ほかの茸たちも魔理沙の名を繰り返しはじめた。
霧雨魔理沙の合唱が釣瓶のように大きな茸たちから沸きあがるのは、禍々しかった。
簡単なことだ。ここに入ったときの縦穴が天井にある。飛び上がってそこから逃げ出せばいいだけだ。まさか茸たちが飛びはしない限り、魔理沙は必ず逃げおおせる。
もはやとどまる必要はない。
魔理沙はいつものように颯爽と離陸すると、天井にある穴へ真っすぐ向かい、突入した。縦穴はやはり暗かったが、一方通行だと分かっていたので速度をゆるめない。茸たちが追ってくる様子もないので、魔理沙はハヤくも笑顔をとりもどしていた。
ところが縦穴に入ってから間もなく急停止をしなければならなくなった。
弾幕ごっこに明け暮れている魔理沙だからこそ分かったものの、普通はこの暗闇でそれを感じとるのはむずかしいだろう。一方通行だと思われていた縦穴は、途中で突きあたりになり、T字路のように左右へわかれていた。八卦路で明かりを灯して、改めて視覚として壁をみとめた魔理沙はかるい目まいをおぼえた。
(絶対におかしいぜ。入るときは真っすぐ落っこちたじゃないか)
しかたなく右へ行くことを選んだ魔理沙は、さっきよりも勢いがなく、慎重にくらやみのなかを進んでいった。すると今度は水平に四つ、上下に二つの計八方向へわかれた通路へでくわした。
ここで魔理沙は迷わず上を昇ったが、ややすると、またしても通路は複数あらわれ、みち行く者を決して直進させはしなかった。
まがってはすすみ、まがってはすすみ、そうして七回目か八回目かになって、魔理沙はとうとう止まってしまう。自分が今どこにいるのか、見当つかなくなっていた。
魔理沙は五つの通路と対峙していた。前と右と左と上と、ななめ前右上。八卦路の明かりを強めて、通路のさきを照らしてみるも、先が見えないか、また枝わかれしているかのどちらかだった。
と、そのとき何かが見えた。魔理沙は目をこらした、こらして、アッと声をあげた。照らされた通路の先に茸がいたからだ。明かりを知ってこちらへやってくるのは明白だったので、魔理沙はあわてて上を目指した。
そう。魔理沙は追いつめられていた。逃げたと思った場所は実は迷路で、茸たちはそこで草刈りを行っているようなものだった。となると魔理沙はバッタだ。すべての草が刈り取られたとき、魔理沙のからだは茸たちの前に晒されてしまう。
しかも、その結末はそう遠くないことが、じわじわとだが魔理沙は気づきはじめていた。分岐した通路に出会うたび、必ずある方向から茸の声がしてくるようになった。左右はもちろん上からも下からも。茸たちは包囲網を完成させようとしているが、魔理沙はまだ地上にでる目星すらついていなかった。
必死に上へ上へと急いでいった。もう魔理沙を呼ぶ声は背中にかかるほどまで迫っていた。
そこでついに魔理沙はある茸とばったりはち合わせてしまった。目の前に現れたテングダケに、魔理沙は左腕をつかまれた。魔理沙は仰天して声を裏返した。魔法を唱えて、流星の弾幕をぶつけた。通路はたちまち虹色にかがやき、テングダケは吹き飛ぶと動かなくなった。
魔理沙は半べそをかきながら尚進み続けて、やがて頭上に一条の光を見出すと、空を飛んでいるときと変わりないばかりの速度をつけにかかった。
やっと外に出られるのだ!
外に出た魔理沙を待ち受けていたものは、どしゃぶった雨と地面からたちのぼる霧に、そこら一帯をとりかこんだ巨木さながらの茸たちだった。
「霧雨魔理沙」それは脱出の際、再三耳につっこまれてきた言葉だ。茸たちの笠がずんずん広がっていき雨をふさいでいく。魔理沙は目をしばたかせると急上昇し、笠がふさぎきる前に空へとむかった。
もっと上昇しながら、わざと自分の家から離れ、うんと遠回りをしながら帰路をいそいだ。
霧雨亭についてからも、丹念にあたりを警戒した。自室へもどってから雨と汗で濡れそぼった服を脱ぎ捨てて、ベッドへもぐりこんでしまった。
ふたたび目覚めた魔理沙にきこえていたものは、やはり雨音だった。
魔理沙は気だるい体を起き上がらせると、水をのむために台所へむかった。
台所には、霖之助からもらったペットボトルに入れている水がある。いちいち井戸まで歩いていく手間がはぶけるので愛用していた。
台所にきた魔理沙は、そこに出されていたまな板の上に、茸の刻まれた破片を見つけた。よこに目をやると水を張った桶に鍋がひたされていた。
茸鍋をしたのだったか、と、魔理沙はぼんやり思い出しながらコップへ水を注いだ。
そう、たしかにした。昨日したはずだった。ある実験のためにたらふく掻き集めた茸だったが、たらふく余ってしまったので、危険なものは除き、まとめて鍋で煮こんだ。新しい味に挑戦しようと、濃いめになってしまったことをよく覚えていた。
なんだ。
魔理沙は原因が分かると、たちまち脱力におそわれた。
はじめから、立ち歩く茸も、木のうろの奥にある集会場もなかったわけだ。すべては魔理沙の中に芽生えた幻覚、よからぬ茸にあたってしまったにすぎなかった。そして、そりゃあそうに決まっていると自身も呟いた。
いや、しかし、そうなると寂しいものでもあると魔理沙は思った。あれだけの体験がまさか幻の出来事だったとは。本当はこれから茸たちを探そうかとも計画していた魔理沙だから、そのあっけなさはひとしおだ。幻覚は、こうも劇的な演出をあたえてくれるものか。例えば苔の生えていたアレを思い出しながら、オオトリの巨大茸群にうっすらおののきを覚えながら、魔理沙の頬はゆるんでいた。
そのときに魔理沙はちらと見た。自分の左腕の、ある部分が赤く腫れていることを知った魔理沙は、もうそれだけで言葉を失った。腫れているだけで痛みもかゆみもない。
もしや、前の文をはやくも撤回しなければならないかもしれない。やはり茸に追いかけまわされた小一時間は幻ではなかったのか。
幻覚や思いこみによって、人の体に実際に症状が巻き起こる事例がないわけではない。今日の魔理沙があえなくそれに当てはまってしまったに過ぎないだけかもしれない。
(本当にそうか)
魔理沙は自問自答をした。
まな板のうえに散乱した茸の破片を集めて、まじまじと観察にかかった。自分が何を食べてしまったのかを探ろうというのだ。残念ながら、茸はよほど細かく切り刻まれており、いくら茸に関して博識ある魔理沙でも「これはアレソレかもしれない」とあいまいな言葉しか浮かんでこなかった。
茸の作用が幻覚をもたらしたと、これでとうとう断言できなくなってしまった。
そうなると魔理沙は、昨日おおといの行動までもを思い出さなければならなくなった。実験の影響が如実にあらわれたとも考えたが、それが答えとは思えなかった。
魔理沙はおいてけぼりにされたような気分でいた。本に半分も遮られている窓の前に立った。箒は窓へたてかけてあった。
魔法の森をじっと見つめた。薄暗い。魔法の森はつねに瘴気に満ちている。慣れた人間でさえ、ときおりは調子を崩すことがあるのかもしれない。
樹のかげに何かが動いたのを見てとった魔理沙は、これも瘴気のせいだろうと考えた。
この霧雨亭はいつも薄暗かったが、その暗澹とした風は住人の魔理沙には心底好ましかった。
だから朝日が魔理沙の天敵になってしまったのは、しかたがなかった。
山積みになった本に半分も隠された窓が、朝日を、魔理沙の顔へ落としていた。魔理沙の一日はそれにおはようと言うところから始まった。
魔理沙は度々かんがえる。うちの周りの木々がもっと成長して、朝日を隠してくれはしないだろうかと。
顔を洗って口をすすぎ、かるい朝食をとると着替えをした。行き先はまだ決めていなかったが家を出た。
今日は晴天らしかった。木々の間から漏れた光の帯が、玄関前に立つ魔理沙の肩にかかってきた。
魔理沙は一刻もはやく森を抜けだし晴天へ踊り出ねばと思った。朝日は嫌いだが、太陽まではそうじゃない。
そこで魔理沙は気づいた。箒を持っていない。なくても飛べるが、ないと締まりがなくなる、しかし箒をわすれるなど魔理沙にしては珍しい。魔理沙も自分のことを珍しがりながら家へもどった。十数分もするとまた玄関前に魔理沙がいた。目当ての箒をもっていなかった。部屋をさがしまわり、箒がとうとう見つからなかった。箒の居場所に心あたりのなかった魔理沙は、しぶしぶ歩くことにした。
歩きがてら茸を採っていこうと魔理沙は思った。空を飛びながらだと茸には手が届かないので、今日は都合がよかった。
魔法の森は薄暗い。
しかし前述したように、今日は晴天のもよう、明るい。魔理沙の黒ずくめのとんがり帽子に、陽にあたりうっすら白みをおびている。
魔理沙は足元をみつめて歩いていった。
そうしていると前方の木陰がおおきく揺れ動いた。魔理沙の前に風呂桶ほどの大きさをした茸が現れた。魔理沙は驚いた。
「こんにちはマーガトロイドさん」
茸は口もないのに、どこからともなく声のようなものを発した。魔理沙はますますの驚きをかくせなかった。
「どうぞご案内させてください。 今日は特別な日なんですよ」
茸が森のほうへ進みだしたので、魔理沙は釈然としなかったが、とにかくついていった。茸はよちよちと歩くが、ときおりは飛び跳ねるようにしていた。
「いったい何が特別な日なんだ」
「ははあ。茸でないマーガトロイドさんは知らないのも当然ですね。今日という日は、茸にとっての記念日なんですよ。茸が草花から独立した素晴らしい日ですから、記念日になるのは極めて自然ですね」
魔理沙はもう一人いる森の住人と間違われている。だが魔理沙はそれを訂正しなかった。茸に人違いをされるくらい、どうってことはなかった。
「この日になると、毎年お祝いごとをするんですがね、どこでするかというと樹のうろの奥ですね」
「じめじめしていそうだな」
「ええ、それはもう大変じめじめでございます。ですから我々が集まってさわぐには恰好の場所なんです」
この茸は、声色から察するに嬉しそうだった。
魔理沙は茸の姿をみて、これはツルタケだと判断した。もちろんツルタケは風呂桶くらい大きくなりはしないし、喋るはずがない。ツルタケの妖怪なのだろう。
「しかしマーガトロイドさんがさきに見つかってよかった。霧雨魔理沙というヤツを見つけてしまったら、見つけられてしまったら。あやうく私はむしりとられていたでしょう」
その霧雨魔理沙は後ろにいるんだけどな。とは、魔理沙は口には出さなかった。だが顔にはそう書かれていた。口角の歪みは、いかにも「にやり」という擬音がにあう。
「あいつは悪いヤツで、我々の同胞をいくつも煮たり焼いたりしてきました。先日などは私の知り合いがむしりとられていき、二度と帰ってきません。きっと魔法の実験の材料にされてしまった。黒くて白い服装のあいつです。そういえばマーガトロイドさんも黒白でいらっしゃいますね」
「そりゃあだって、その悪いヤツは」
私だからな。
「私の友だちで、ちょっと服を借りている最中なんだ。いい生地をつかっているぜ」
「服の貸し借りをするほどの仲でしたか。いけませんよ。あいつは泥棒もやっていると聞いています。きっと、とっくに本くらいは盗まれているでしょう」
たしかに、魔理沙はアリスから本を借りているが、盗んだわけではない。返すめどをたてていないに過ぎない。
この様子から魔理沙は、自分の正体は伏せておいたほうがよいと決めた。マーガトロイドさんと呼ばれるのはくすぐったいものがあった。
ツルタケと一緒に歩くことしばらく、魔法の森をずっと深くへいったところで老齢と思わしき巨木にであった。巨木の根元にはぽっかりうろが空いており、そこが今から通る門に間違いなかった。既に周りにはさまざまな茸たちがそろい踏みだ。
エノキダケ。シメジ。テングダケ。キイロイグチ。ナラタケ。ツチグリ。まったく八百万の様相だった。
「みんな耳をかしておくれ、マーガトロイドさんも参加してくれるよ」
ツルタケのその言葉に、ほかのキノコたちは体をふるわした。喜んでいるようだ。彼らは魔理沙の足元にあつまってくると、口ぐちに歓迎した。
こんにちは、マーガトロイドさん。
はじめまして、魔法使いさん。
ごきげんよう、人形使いさん。
これだけいて、誰もかれも魔理沙を魔理沙と疑うものはいなかった。本人はさすがに苦笑いをせずにいられなかった。
「じゃあみんな。木のうろの底へいこうか」
ツルタケと魔理沙を先頭に巨木のうろへ近づいていく茸の一群だ。魔理沙はうろを覗きこんでみたが、いやに真っ暗な中身をしていた。けれど奥のほうから風が吹いていて、耳をすましてみると、風にのってなにか賑やかな音が聞こえてきた。
ツルタケがうろにむかって飛び込んだので、魔理沙もためらいながら続いた。
魔理沙は静かにおちていく。長かった。地面につくと足をくじくどころでは済まないぞと、ふいに不安にさせた。なにも見えない暗闇だったが、やがて底に光がみえてきた。と、思ったら、魔理沙の視界は急にひらけて明るくなって、すとんと苔むした地面に着地していた。
そこはとても広い。魔理沙の目測では紅魔館の玄関ホールほど広かった。地面は苔の絨毯ができあがっている。壁は樹肌で成り立っていて、そこかしこに行燈がつるされていた。
「ささ、ここに腰かけてください。苔の上に座るのはマーガトロイドさんは好まないでしょうから」
「もっともだ。スカートが湿ってかなわない」
ツルタケに案内されて、魔理沙は切り株に腰をおろした。
ここにも茸がたくさんいる。さらに今さっき通った天井の穴からも、茸がいくつも落下してくる。茸だらけのこの場所は、ただよう胞子も並みではない。さしもの魔理沙もくしゃみの感覚に襲われた。
魔理沙はこそばゆくなった鼻をしずめながら、この空間を見渡した。じめじめしていることを除けば、わるくはない場所だ。行燈のほどよい薄明るさは、夜中に蝋燭を灯すかたわらで本をよんでいるような気分にさせた。ところどころに苔が集まる塊があったが、岩か樹の根が芯にあるのだろう。
ちょこんとしている魔理沙のもとへマツタケが近寄ってきた。彼はしゃがれた声で挨拶をはじめた。
「マーガトロイドさん。よくぞおいでくださいました。この記念祭に茸以外が参加することは実に稀で、去年はからすが参加いたしました。おととしはかげろうが参加いたしまして、もっと前にはねずみが参加いたしましたが、あれはもう二度とここに来ることはないでしょう。我々は頭をかじられて大変でしたからな」
「そうか、災難だったな。けど茸はおいしいから仕方ないぜ」
「そんな残酷なことをおっしゃらないでください。おいしいとはいえ、我々も好き好んで食べられているわけではありません」
茸にも権利はあるというわけだが、魔理沙には感心がなかった。
「我々は鈍足ですから、どうしても採取されてしまうのです。そうなりますと。我々にとってもっとも危険なのは人間ですな。特に人間の霧雨魔理沙は注意しすぎるに越したことはありません。あれこそが我々にとっての鬼といっても差し支えありません」
ずいぶんな言われようだった。
「ときに、マーガトロイドさんはもっと白いうえに、青や赤も交えられていたはずですが、今日は黒いようですね」
「毎日おなじ服ばかり着ているわけないぜ。たまには黒白の服も着ないとな」
「おしゃれですな。しかし霧雨魔理沙とそっくりになってしまうのはいけません。ほかの茸に不安をあたえてしまいますからね」
これからは注意するぜ、などと、魔理沙は口にこそ出したが、内実改める気はない。
話を終えたマツタケは、ここにある切り株のなかでもとびきり幅広いものに登った。それは壇上のようで、実際マツタケはそこに登ったときから厳かになりはじめ、いかにもな咳払いをした。そのごほんという音ひとつで、それまで沸きたっていた茸たちは水に打たれた。これだけで、彼がよほど威厳のある茸であると分かる。
「どうもみなさんお集まりいただいて、まことに光栄です。今年の記念祭もうんと愉快なものになってくれそうですね。ねずみの時のようにはなってほしくありませんな。ところで、そう、今年はある特別な人を呼んできていまして、実はもうあすこにおられるんですよ。はい、あの切り株に座っているお嬢さん。紹介しましょう、アリス・マーガトロイドさんです」
魔理沙はたちまち茸たちの喝采につつまれた。なりは小さな茸たちでも、発する声は一人前の様子だったので、魔理沙は圧倒されながらおっかなびっくり立ちあがった。
マツタケが手招きをしたので魔理沙は茸たちを踏まないよう気をつけて、切り株の壇上へあがった。目のない茸たちからの視線を一斉にあびた。
「マーガトロイドさん。どうですか、この記念祭は」
「あー。みんな楽しそうで、なによりだな」
「それはもちろん楽しいでしょう。なんたって祭りですからね、さだめて楽しいでしょう」
唐突に連れてこられた魔理沙なのだから、これ以上の発言ができなかったのは仕方がないが、いったい茸のために回す舌がありはするだろうか。
魔理沙は作り笑いでもってして茸たちからの歓声を受け止めた。
そのあとマツタケが途切れることなく喋り続けた。その間、魔理沙はよこに立ちんぼうで、何をしてよいか分からず、いつ戻ってよいのかも分からず、非常にむずむずしていた。
なんだか話を聞いていると思いのほか複雑そうだった。
茸はよく妖精に腰かけられる。それは邪魔で、笠も傷ついてみすぼらしくなってしまうため、あれを止めさせたいとのこと。
(なんだこりゃあ。お祝いの場でする話じゃないぜ)と魔理沙はいぶかしく思いながら耳をかたむけた。
またそこで、飛び出てくる意見が物騒なものばかりだった。胞子をありったけふりかければ撃退できるが、それでは懲りた試しがない。いっそ茸を肺にでも寄生させてやろう。とか。樹木とキョウドウセンセンを張って、茸にすわってきたとみるや樹木がたに枝のひとつでもつららのように落としてもらおう。果物の砲弾をあびせるのもいい。とか。穏やかではない。
魔理沙は居心地がわるいのに加え、すこし怖くなってきた。自分がマーガトロイドに間違われていてよかったと、いまさらながらに思えてきた。
「ところでマーガトロイドさん。あなたにも意見をうかがいたいのですが」
「ん、ああ、そうだな、妖精はコーヒーの香りが苦手だからな。キョウドウセンセンを張るならコーヒーノキと組んだほうがいい」
「さすがはマーガトロイドさんですね。ずいぶん的確じゃありませんか」
再び茸たちからの歓声を、魔理沙は全身に受け止めざるをえなくなった。耳がきいんとした。さっき言ったことは、もちろんデタラメだ。
「ではみなさん。我々には妖精以外にも恐るべき敵がいますね。そう、霧雨魔理沙。我々はあの人間から身を守るにはどうすればいいのか。さあ、どうでしょうみなさん」
また自分の名前が出てきた。私ってこんなに有名人かしら、などと、魔理沙は思いながら、茸たちがざわついている様子を眺めた。そんな中で魔理沙の気を惹いたものが、ちょうど彼女とは対岸に位置する壁際にあった苔の塊だ。それはとりわけ奇妙な形をしていたので、魔理沙の暇をつぶすには最適だった。つまり、魔理沙は、あれがどんな形に見えてくるだろうかと想像をはじめた。
岩にしては曲線が多かった。樹の根っこのようだった。いや、魔理沙はそこにあるものを見出した。苔が生えている下の物はおもしろく曲がりくねっているが、その曲がり方に特徴がある。大半はずんどうのようだが、もっとも頂点にぽつんと突き出た丸いものが、興味深い。
魔理沙はたちまち息をのんだ。
なぜ特徴が分かったのか、それはだって、魔理沙が毎日、目にしているからに他ならない。苔のせいでぼやけているが、あの滑らかな丸みとある規則に従った造形は、ほぼ間違いがなかった。魔理沙の目はすばやく他にあった苔の塊を見渡していった。苔の繁殖具合が異なるが、いずれにも特徴がふくまれていることを確信した。
魔理沙の想像ゆたかな頭脳が、アレの正体を思いついてしまったのは仕方がない。またそれは先入観のせいでもあった。肺に茸を生やしてやれだとか、枝をつららのように突きさせだとか、彼らのそういう言動を見た後なのだから。よからぬ不安を掻き立てられるのは誰だってそうだろう。
魔理沙は驚きこそしたが、決して表にはださなかった。苔むすアレが何であろうと、結局は知らないフリをしてしまえば一緒だ。
と思いはしたが、ここで隠していた爆弾がある。今は魔理沙はアリス・マーガトロイドとして認められており、歓迎されているが、もし魔理沙だとバレてしまうとどうなるだろう。何十と集まっている茸の山のなかで、彼らの天敵はまさにココにいるとバレてしまうと、どうなるのだろう。
「マーガトロイドさんは、たしか霧雨魔理沙のおともだちでしたな」
「ともだちというか、知り合いというか」
「なにか知っていませんか。霧雨魔理沙の弱点など」
「お腹をくだす毒茸は食べたくないって、言っていたぜ」
「けしからんヤツですな。口にするほうが悪だというのに、茸のほうを悪者にするとは。まったく逆恨みも甚だしい」
さいわい、このやりとりの限りでは魔理沙はまだ大丈夫なはずだった。まだ魔理沙は平静そのもので、それを貫きとおす自信さえなまなかではない。このまま何事もなく、記念祭を終えて、茸たちのもとから離れて家へ帰るつもりだった。
「もし、そのけしからんヤツですが、どんな風貌でしたっけ」
ある茸がそう質問をなげかけた。マツタケは甲高い咳払いをした。
「ああ、それはまあ言うまでもないことだが、質問とあれば答えなければなるまい。霧雨魔理沙という人間は、ふだん魔法使いのような姿をしている。黒いとんがり帽子をかぶっていて、黒と白のエプロンドレスを着こなす。実は今ここにいるマーガトロイドさんと極めてそっくりなわけなんだよ。けれどみんな早まってはいけない。マーガトロイドさんは今日はおめかしをしているから、こんな姿をしているだけで、魔理沙は霧雨魔理沙では決してない。あと、特徴としてはいつも箒にのっている。口調はなんだかヘンテコだ。総合すると、マーガトロイドさんのような人間が霧雨魔理沙なわけだ」
「いやだなあ。あいつなんかと一緒にしてほしくないぜ」
「ははは。でしょうなあ。泥棒猫ですものなあ」
全体がにわかに盛り上がった。みんながけらけらと笑うさなか、魔理沙は気が気ではない。そこにおいて、実はひそかに、ここの空気が蒸し暑いばかりでなくいやにぴりぴりしていることを感じていた。
ひとしきり笑い終えたマツタケは、魔理沙を案内したツルタケを指名してこんなことを聞きだした。
「ツルタケくん。ところで君は、どうやって霧雨魔理沙にそっくりだったマーガトロイドさんを、それと見分けて連れてこられたのかな」
「魔法の森に住んでいる手前、顔さえみれば誰だって分かりますよ」
分かっていないじゃないかと、魔理沙はツルタケの笠を見下ろした。
「だからこうして、マーガトロイドさんとして連れてきたんですよ」
魔理沙は静止した。
今の言葉を、過敏になっていた魔理沙が一語一句として聞き逃すはずはない。そこにこめられた意味も。
とたんに魔理沙の筋肉は張りつめて、心情をかくすことができなくなってしまった。まったく表情の見当たらない茸たちから垂れこめる、明らかな威圧を、今はもう痛いほど感じた。なぜ得体の知れない茸にやすやすついていったのだろう、という後悔が一瞬よぎりはしたが、そこは腐っても魔理沙だ、魔理沙の頭は既に逃げるための算段をくみたてていた。
「霧雨魔理沙」
魔理沙はそばにいるマツタケからはじめて名前を言われた。マツタケが言うと、ほかの茸たちも魔理沙の名を繰り返しはじめた。
霧雨魔理沙の合唱が釣瓶のように大きな茸たちから沸きあがるのは、禍々しかった。
簡単なことだ。ここに入ったときの縦穴が天井にある。飛び上がってそこから逃げ出せばいいだけだ。まさか茸たちが飛びはしない限り、魔理沙は必ず逃げおおせる。
もはやとどまる必要はない。
魔理沙はいつものように颯爽と離陸すると、天井にある穴へ真っすぐ向かい、突入した。縦穴はやはり暗かったが、一方通行だと分かっていたので速度をゆるめない。茸たちが追ってくる様子もないので、魔理沙はハヤくも笑顔をとりもどしていた。
ところが縦穴に入ってから間もなく急停止をしなければならなくなった。
弾幕ごっこに明け暮れている魔理沙だからこそ分かったものの、普通はこの暗闇でそれを感じとるのはむずかしいだろう。一方通行だと思われていた縦穴は、途中で突きあたりになり、T字路のように左右へわかれていた。八卦路で明かりを灯して、改めて視覚として壁をみとめた魔理沙はかるい目まいをおぼえた。
(絶対におかしいぜ。入るときは真っすぐ落っこちたじゃないか)
しかたなく右へ行くことを選んだ魔理沙は、さっきよりも勢いがなく、慎重にくらやみのなかを進んでいった。すると今度は水平に四つ、上下に二つの計八方向へわかれた通路へでくわした。
ここで魔理沙は迷わず上を昇ったが、ややすると、またしても通路は複数あらわれ、みち行く者を決して直進させはしなかった。
まがってはすすみ、まがってはすすみ、そうして七回目か八回目かになって、魔理沙はとうとう止まってしまう。自分が今どこにいるのか、見当つかなくなっていた。
魔理沙は五つの通路と対峙していた。前と右と左と上と、ななめ前右上。八卦路の明かりを強めて、通路のさきを照らしてみるも、先が見えないか、また枝わかれしているかのどちらかだった。
と、そのとき何かが見えた。魔理沙は目をこらした、こらして、アッと声をあげた。照らされた通路の先に茸がいたからだ。明かりを知ってこちらへやってくるのは明白だったので、魔理沙はあわてて上を目指した。
そう。魔理沙は追いつめられていた。逃げたと思った場所は実は迷路で、茸たちはそこで草刈りを行っているようなものだった。となると魔理沙はバッタだ。すべての草が刈り取られたとき、魔理沙のからだは茸たちの前に晒されてしまう。
しかも、その結末はそう遠くないことが、じわじわとだが魔理沙は気づきはじめていた。分岐した通路に出会うたび、必ずある方向から茸の声がしてくるようになった。左右はもちろん上からも下からも。茸たちは包囲網を完成させようとしているが、魔理沙はまだ地上にでる目星すらついていなかった。
必死に上へ上へと急いでいった。もう魔理沙を呼ぶ声は背中にかかるほどまで迫っていた。
そこでついに魔理沙はある茸とばったりはち合わせてしまった。目の前に現れたテングダケに、魔理沙は左腕をつかまれた。魔理沙は仰天して声を裏返した。魔法を唱えて、流星の弾幕をぶつけた。通路はたちまち虹色にかがやき、テングダケは吹き飛ぶと動かなくなった。
魔理沙は半べそをかきながら尚進み続けて、やがて頭上に一条の光を見出すと、空を飛んでいるときと変わりないばかりの速度をつけにかかった。
やっと外に出られるのだ!
外に出た魔理沙を待ち受けていたものは、どしゃぶった雨と地面からたちのぼる霧に、そこら一帯をとりかこんだ巨木さながらの茸たちだった。
「霧雨魔理沙」それは脱出の際、再三耳につっこまれてきた言葉だ。茸たちの笠がずんずん広がっていき雨をふさいでいく。魔理沙は目をしばたかせると急上昇し、笠がふさぎきる前に空へとむかった。
もっと上昇しながら、わざと自分の家から離れ、うんと遠回りをしながら帰路をいそいだ。
霧雨亭についてからも、丹念にあたりを警戒した。自室へもどってから雨と汗で濡れそぼった服を脱ぎ捨てて、ベッドへもぐりこんでしまった。
ふたたび目覚めた魔理沙にきこえていたものは、やはり雨音だった。
魔理沙は気だるい体を起き上がらせると、水をのむために台所へむかった。
台所には、霖之助からもらったペットボトルに入れている水がある。いちいち井戸まで歩いていく手間がはぶけるので愛用していた。
台所にきた魔理沙は、そこに出されていたまな板の上に、茸の刻まれた破片を見つけた。よこに目をやると水を張った桶に鍋がひたされていた。
茸鍋をしたのだったか、と、魔理沙はぼんやり思い出しながらコップへ水を注いだ。
そう、たしかにした。昨日したはずだった。ある実験のためにたらふく掻き集めた茸だったが、たらふく余ってしまったので、危険なものは除き、まとめて鍋で煮こんだ。新しい味に挑戦しようと、濃いめになってしまったことをよく覚えていた。
なんだ。
魔理沙は原因が分かると、たちまち脱力におそわれた。
はじめから、立ち歩く茸も、木のうろの奥にある集会場もなかったわけだ。すべては魔理沙の中に芽生えた幻覚、よからぬ茸にあたってしまったにすぎなかった。そして、そりゃあそうに決まっていると自身も呟いた。
いや、しかし、そうなると寂しいものでもあると魔理沙は思った。あれだけの体験がまさか幻の出来事だったとは。本当はこれから茸たちを探そうかとも計画していた魔理沙だから、そのあっけなさはひとしおだ。幻覚は、こうも劇的な演出をあたえてくれるものか。例えば苔の生えていたアレを思い出しながら、オオトリの巨大茸群にうっすらおののきを覚えながら、魔理沙の頬はゆるんでいた。
そのときに魔理沙はちらと見た。自分の左腕の、ある部分が赤く腫れていることを知った魔理沙は、もうそれだけで言葉を失った。腫れているだけで痛みもかゆみもない。
もしや、前の文をはやくも撤回しなければならないかもしれない。やはり茸に追いかけまわされた小一時間は幻ではなかったのか。
幻覚や思いこみによって、人の体に実際に症状が巻き起こる事例がないわけではない。今日の魔理沙があえなくそれに当てはまってしまったに過ぎないだけかもしれない。
(本当にそうか)
魔理沙は自問自答をした。
まな板のうえに散乱した茸の破片を集めて、まじまじと観察にかかった。自分が何を食べてしまったのかを探ろうというのだ。残念ながら、茸はよほど細かく切り刻まれており、いくら茸に関して博識ある魔理沙でも「これはアレソレかもしれない」とあいまいな言葉しか浮かんでこなかった。
茸の作用が幻覚をもたらしたと、これでとうとう断言できなくなってしまった。
そうなると魔理沙は、昨日おおといの行動までもを思い出さなければならなくなった。実験の影響が如実にあらわれたとも考えたが、それが答えとは思えなかった。
魔理沙はおいてけぼりにされたような気分でいた。本に半分も遮られている窓の前に立った。箒は窓へたてかけてあった。
魔法の森をじっと見つめた。薄暗い。魔法の森はつねに瘴気に満ちている。慣れた人間でさえ、ときおりは調子を崩すことがあるのかもしれない。
樹のかげに何かが動いたのを見てとった魔理沙は、これも瘴気のせいだろうと考えた。
導入も引き込まれる感じですんなり読めました。
オチがないのが寂しいといえば寂しいのですが、これはこれで怖さが後を引く感じでいいかと思います。
あと、>魔理沙には感心がなかった。
の部分なのですが、関心かなぁと。意図したものだったならすいません。ジャンピング土下座させていただきます。
面白かったよ。
素晴らしい気味の悪さをありがとうござあます!
おもしろかったです
ゾッとした。
>箒は窓へたてかけてあった。
再びゾッとした。
こんなに恐怖したのも久々です。ありがとうございました。もう眠れません。
文章も読みやすくて面白かったです
楽しめましたが確かにオチは弱いと思うのでこの点で
>マーガトロイドさんとして
↑背筋が凍りますね…
じめじめとした場所に群生し、胞子を飛ばす茸は本当に気味が悪い。
そんな茸達に囲まれ、全員を敵にまわしてしまったとしたら……。
茸に慣れた魔理沙でなければ恐怖で動くことも適わないでしょうね。