注:この作品は作者の紅魔館関係の過去作品の設定を引き継いでおります。
雪が降る。
冬の夜空からしんしんと。
幻想郷に雪が降ったのは一月も半ばの事。
朝から降りだしたそれらは静かに降り積り、辺りを雪景色に染めている。
夜闇の中で薄ぼんやりと光る銀の大地だけがそこにはある。
門扉の前でコートの裾を合わせながらただ美鈴はそれを眺めていた。
天から落ちる白い粉は勢い止まずにただ舞い続けている。
辺りは静寂。吐く息は白く、すぐに霧散して消えていく。
「美鈴」
と、声がした。
同時に彼女の前に人影が舞い降りる。
蜂蜜色の髪、色とりどりの宝石をぶら下げた枯れ枝の様な羽。
紅いコートを羽織ったフランドールだ。
彼女は白い大地を踏みしめて美鈴の前へと立つ。
「暖かいもの持って来たよ」
満面の笑顔で手にした水筒を掲げた。
「ありがとうございます」
「うん!」
並んで座って、フランドールは水筒の蓋を外す。
内蓋と外蓋が付いているタイプで、それぞれに中身を注いだ。
乳白色の液体が注がれて、湯気を立てる。
甘いミルクティーだ。美鈴もフランドールもこれが大好きなのだ。
それをフランドールから受け取って美鈴は一口。
感じ入った様に味わってから、再び白い息を吐く。
「おいしい?」
窺う様なフランドールの問いに笑顔でおいしいですよと美鈴は応じる。
「私が淹れてみたんだ」
「お上手ですね」
「えへへ」
嬉しそうに、本当に嬉しそうにフランドールが頬を染める。
それから何も言わずにしばらく甘い感触を味わった。
「雪、綺麗だね」
やがてフランドールがぽつりと呟いた。
「私は、雪が好きなの」
彼女は手を伸ばして舞い降りる白を掴む。
引き寄せて開いた掌には氷の結晶。
何時までも溶けない。
フランドールは冷たいから。
死者の体は冷たいから。
寒暖の差などほとんど感じる事は無い。
「こうして、全てを白に染めてしまう雪が大好き。
嫌な事も、悲しい事も、不安な事も、全部全部、白く染めてしまうから」
空を見上げた眼差しは、幼い容姿に似合わずとても大人びている。
美鈴はそんな彼女に手を伸ばして、優しく抱き寄せる。
「なにか、ありましたか?」
そして静かに問いかけた。
フランドールはただ身を寄せて、小さく肯定の息を吐く。
「美鈴の事だよ?」
「私の事ですか」
それからしばらく言葉は無い。
口を開きかけて、戸惑うように閉じて。
ただ美鈴は待った。
時間はたっぷりとある。
焦る必要などない。この降り積もる雪を見ながらただ待とうと。
「優しくて残酷な美鈴」
やがてフランドールが口を開いた。
「私は貴方に告白したよね」
「はい」
しばし前の事。
フランドールは美鈴に愛している事を告げたのだ。
娘としてでは無くて、一人の吸血鬼として愛していると。
しかし、美鈴にとってフランドールは娘同然の存在だった。
「貴方は時間が欲しいと言った。
私は待つつもりだったのよ……でも……辛い」
フランドールは幼い。
五百年の人生のほとんどを引き篭もっていたが故に。
己として行動した期間は未だに僅か。
そして、それを気遣い傍にあり続けたのが美鈴。
だからこそ、フランドールは美鈴を愛してしまった。
子を生さぬ吸血鬼にとって、性別などはささいな問題に過ぎなかったのだ。
「待つのが辛い、美鈴は告白した後も変わらずに接してくれていて、それは嬉しくもあり不安でもあるの」
しんしんと降り積もる雪。
何もかもを白く染めてしまう雪。
「だって、変わらない。変わらな過ぎて告白した事が無意味な事に思えてしまうの」
この想いも白く染めて埋めてしまえればいいのにと。
そうすれば、心穏やかに待つ事が出来る。何時になるか分からない美鈴の心の割り切りを待つ事が出来る。
「ねえ、苦しいよ、美鈴。貴方を思うほどに不安になって胸が張り裂けそうになるの。
このまま、ずうっと何も変わらないんじゃないかって。美鈴は何時までも私を娘としか見れないんじゃないかって」
美鈴は吐息。
ただ一度だけ瞳を閉じる。
フランドールは幼い。
だからこそ、素直だ。
どうしようもないほど素直でまっすぐで。
何よりも純粋に美鈴を愛していて。
吸血鬼は支配する立場の種族だ。
独占欲や支配欲の強さは折り紙つきである。
普段は明るくて、聞き分けの良い子であるフランドールもその例に漏れない。
いわば本能と言ってよいほどの美鈴への想いを、考えてみれば抑えていられるわけがなかったのだ。
美鈴はそれを知っていた。
だって、彼女自身もフランドールの父親からの寵愛を受けていたのだから。
「妹様」
美鈴は静かに呼びかける。
それから両手を広げて微笑む。
「おいで下さい」
言葉に、フランドールが少しだけ驚いた様子を見せる。
それから躊躇う事も無く、彼女の膝へと向き合うように座った。
美鈴はフランドールに手をまわして抱き寄せる。
フランドールはなされるがままに身を寄せた。
「不安にさせてしまったようですね」
「……うん」
お互いを感じるかのようにしばし抱き合って。
やがてフランドールの冷たい唇が美鈴の首筋へと当てられた。
軽く牙を立てて噛む。美鈴は驚きもせずにただフランドールを抱きしめたまま。
甘噛みだ。
吸血鬼の独自の甘える為の方法。
血は吸えずとも、擬似的な吸血行為をする事によって心を誤魔化して満たすのだ。
「妹様、私も怖いのです」
返事は無い。ただ、フランドールは美鈴の首筋を食んでいる。
「貴方は娘でした。あの方の忘れ形見。ですが……」
そこでいったん息を吐く。
ただ、美鈴の声色が代わった事をフランドールは感じ取った。
「覚えて……いないのです」
それは暗く重く。
まるで罪の告白の様な響きだった。
「もう、あの方の顔も、声も。あんなに愛したのに、永遠だと思っていたのに」
フランドールは甘噛みをやめて美鈴へと視線を移す。
「何も思い出せない、五百年の歳月が、全てを埋めてしまった」
そこには疲れた様な顔があった。
五百年の月日を刻んだ、どこか空虚な表情。
「残っているのは僅かな記憶。あの方と過ごした日々の出来事だけが、味気ない小説の様に記憶されているだけ」
「美鈴……」
フランドールの視線に気が付いて、それが笑みを作る。
「それすらも忘れてしまうのが怖かった。新しい恋をして、上書きされて忘れてしまうのが怖かった」
震えていると、フランドールは思った。
あの美鈴が震えているのだ。
ただのか弱い娘の様に。
「ごめんね」
フランドールは言った。
「勝手に告白して、勝手に待つのが怖いと当てつけて。
怖いのは私だけだって、そんな事思っていて、でも……」
そのまま、今度はフランドールからきゅうっと抱きしめる。
「美鈴も、怖かったんだね」
美鈴の存在を感じる様に強く、ただ強く抱く。
「私が……全部受け止めるから」
「……妹様」
「美鈴の恐怖も、悲しみも、一緒に背負っていきたいの」
それから瞳を見つめる。
湖面の様な深い青と真紅の瞳が交わる。
「……迷惑かな?」
瞳には真摯な光がある。
幼い故にまっすぐで、でも何よりも強い。
「いいえ」
だから美鈴はそう答えた。
「こんな事を誰かに話したのは初めてです。
そして、背負ってくれるなんて言ってもらえたのも初めて」
そして珍しい事に、美鈴は照れたように頬を朱に染める。
「参りました。私は、妹様に随分と影響されていたようです。
変わらないなんてとんでもない、変り始めていたのに……気が付くのを怖がっていたのは私の方だったのです」
「………」
「少しずつ、歩み寄らせて下さい。これから……時間をかけて、一歩ずつ」
「うん」
しばし、見つめ合う。
フランドールの目に映るのは、何時もの優しくて暖かい美鈴では無く。
どこか途方に暮れた、一人の少女に映る。
辺りには雪が降る。
銀の粉が振り続いて、辺りを真白に染めている。
此処には何もない。
音も、景色も、生物さえも。
抱き合う二人を除いて、何もない。
だからこそ、普段とはかけ離れた、どこかぼんやりとした……まるで夢の中の様な雰囲気が満ちていて。
フランドールの冷たい掌が美鈴の頬へと当てられた。
「私は美鈴が好き」
冷たい。死者の手。
「だから、歩み寄りたいの」
「はい」
はっきりと美鈴を見据えて、彼女は言う。
「ねえ、キスしよう?」
美鈴の瞳が戸惑う様に揺れて、でも構わずフランドールは顔を寄せる。
唇が重なったのはほんの一瞬。
すぐに離れて、フランドールは照れたように美鈴の胸元に顔をうずめる。
美鈴も何かを誤魔化す様に無言で天を仰ぐ。
そのまま、いつもよりもずうっと早くなった鼓動を意識して、ただ苦笑する。
フランドールは娘だったはずだ。
それなのに。どうしてこんなに意識してしまうのだろう。
それは恐らく、遠慮が無かったから。
誰も遠慮して踏み込んで来なかった美鈴の心に、何のためらいも無く入り込んできたから。
「まいったわ……」
呟く言葉は無意識に。
「そういえば、押しに弱かったわねぇ……私」
遠い昔、あの方に口説かれた時もそうだった。
押されて押されて、押し切られて、気が付けば好きになっていた。
「そうなんだ」
フランドールが呟いて。
美鈴は初めて言葉に漏れていた事を悟る。
「じゃあ、これからはどんどんアタックするね」
瞳をキラキラさせるフランドール。
「不安は、もう無いよ。だって美鈴も変わってきた事が分かったから」
それから、困惑を浮かべる美鈴に宣言する。
「そして覚悟して、美鈴。すぐに私に夢中にさせちゃうんだから」
美鈴はやや参った様な表情でお手柔らかにと呟いて。
どうしようかなーと意地悪い笑み交じりでフランドールが笑った。
ただ、降り注ぐ雪だけがそれを見届けていて、何もかもを埋める様に舞い落ちていく。
-終-
フランを応援したいけども、咲夜さんも頑張れ!
「あれ、後書きフツーだ」と思ったのは秘密