美しい満月が顔を見せた夜の中、はぁっと、私が見ている前で一人の兎がため息をこぼしていた。
はてさて、彼女が苦労人であるのはいつものことだけど、人前で、それも私の目の前でため息をこぼすのは本当に珍しいことだ。
足取りもとぼとぼとして、どこか頼りない。それどころか、すれ違う私にすら気がつかない始末。
そういうわけで、縁側ですれ違った彼女の襟首を引っつかんだのは、仕方のない不可抗力だったのである。
「ぐぇっ!?」と蛙を潰したような悲鳴を上げる彼女にかまわず、力任せに引き寄せる。
少々、気品のない行為だったかもしれないが、それよりも今は問い詰めなければいけないことがあるので、そこは大目に見て欲しい。
「ため息なんてついてどうしたのかしら? 私を無視していくんだから、大層な理由なんでしょうけど」
「ひ、姫!?」
ニコニコと笑顔で声をかければ、目の前の彼女――鈴仙・優曇華院・イナバはぎょっとした様子で、ようやく私のことに気がついたらしい。
サァーっと顔が真っ青になっていくイナバだけど、生憎、飼い主の私――蓬莱山輝夜を無視したそっちが悪い。挨拶もしないペットには自業自得なのだ。
……とまぁ、冗談はさておいて。
「まったく、あなたが私に気付かないなんて珍しいわね。疲れてるなら、あまり無理しないのよ?」
小さくため息をつきつつ、私は襟首を掴んでいた手を離した。
この子は私のお気に入りで、元々は月の兵隊だったという経歴を持つ変り種。
そのせいか、その性格はいたって真面目。面倒見もいいのだが、そのせいなのかよくよく苦労を背負い込む性分らしい。
そんな真面目な彼女が私に気付かないなんて、よっぽど疲れているのか、あるいは何かに悩んでいるからなのか。
「あはは、大丈夫ですよ姫。私は全然元気ですから!」
そんなことを言って、イナバは握りこぶしを作る。わかりやすい「私は元気です」アピールだろう。
確かに顔色はいいし、疲れがたまっている……というわけではなさそうだ。
となれば、なにか悩みがあるという事なんだろう。
彼女は隠しているつもりみたいだが、生憎とこちらは千年以上も生きた竹取物語のかぐや姫様なのである。
覚妖怪のように思考が読めるわけではないが、千年をかけて培われた目は、隠し事の有無ぐらいはわかってしまうものだ。
「いっちょ前に隠し事なんてしないの。ほら、私でよければ聞いてあげるから、言ってみなさいよ」
だからそんな言葉を紡いで、そっと背中を押してやるぐらいが丁度いい。
私は姫、そしてこの子はペットでもあり部下でもあるのだから、時にはこうやって悩みをそれとなく聞いてあげるのが私の務めだろう。
姫だからといって、毎日毎日グーたらと過ごしているだけでは誰もついて来やしないのだ。
一方、彼女は話していいものかどうかしばらく悩んでいたが、やがて小さくため息をつき、ポツポツと言葉をこぼし始めた。
「……実は、師匠のお勤めの手伝いで失敗しちゃって」
「それで、こっぴどく叱られたと」
私の言葉に無言のまま、彼女はこくんと頷いた。
真面目な彼女にしてみれば、それだけで落ち込む理由にはなるのだろう。
どんな人間にだって間違いはある。それは妖怪たちだって変わらず、私や彼女の師――八意永琳だってそうだ。
誰だって間違いをするし、だからこそそれをばねにして成長するのもまた人なのである。
彼女とて、それはわかっているはずだ。となれば、この話にはまだ続きがあるという事だろう。
そして案の定、イナバはポツポツと言葉をこぼし始めた。どこか不安そうな、そんな声で。
「私、時々怖くなるんです。こんなことで大丈夫なのかなって、みんなに必要とされてるのかなって。
姫や師匠に拾われて、ここが――永遠亭が私の居場所になった。帰る場所のなかった私に、居場所を与えてくれたのが他でもないお二人だったんです。
それなのに、地上のウサギ達は言う事を聞いてくれないし、いつも失敗ばかりで、自分が情けなくて」
胸の内を吐露する彼女に、私はどんな顔をしていただろうか。
自分は必要とされてないのかもしれない。失敗ばかりの自身に対する苛立ち。
それが、真面目な彼女らしい悩み事。自分に自信の持てない、かわいいペットの不安。
そんな不安を打ち消してやるように、私はくしゃくしゃと頭を撫でた。
突然のことにきょとんとする彼女に、クスクスと笑顔を浮かべながら。
「馬鹿なこと言わないの。あなたがいないと、毎日が退屈で死んでしまうじゃない。これでも、あなたのことは気にいってるんだから、もう少し自分に自信を持ちなさいな」
少しでも、彼女の不安が拭えるようにと、紛れもない本心からの言葉で励ました。
誰だって、自分のことに不安を覚えるものだ。そして時には、思考の渦にはまり、思い悩んだまま抜け出せなくなってしまうこともあるだろう。
そんな時は、誰かが背中を押してあげればいい。優しく、励ますように、そいつが前へと歩んでいけるように。
人は誰しも、一人では生きていけない生き物なのだから。
彼女も、そして無論、この私も。
「あはは、今日は珍しくお優しいんですね」
「珍しいは余計よ。私はいつだって、誰に対しても優しいんですからね」
「ふふ、じゃあそういう事にしておきます」
くすくすと笑って、彼女はそんな言葉を口にする。
うん、よろしい。段々と普段の彼女らしくなってきた。
結局、その後はニ、三程言葉を交えて私達は別れ、それぞれの部屋へと足を運ぶ。
その途中、ふと疑問に思ったのだ。
件のイナバの師、八意永琳は彼女のことをどう思っているのだろうかと。
▼
八意永琳とは、もう随分と長い付き合いとなる友人である。
時には家庭教師だったり、時には蓬莱の薬を作った仲間だったり、そして時には月の追っ手から逃げる仲間であったり。
そんなわけで、友人というよりはすっかりと家族に近い彼女とは、気軽にタメ口で会話するような間柄だった。
先日のイナバの悩みを聞いてから一夜明けた今日、外はすっかりと昼間になって太陽の光が燦々と降り注いでいる。
そんな光景をぼんやりと自室から眺めつつ仕事する私の傍らに、永琳は静かに控えていた。
「はい、これ今月の予算表。出費はもう少し抑えてくれると助かるんだけど……そうも言ってられないか」
「悪いわね、輝夜。無理を言っちゃって」
「そう思うんならさ、ちゃんと患者からは代金頂戴しなさいよ。払うのはいつまでも待つなんて、商売人としては失格よね」
「半分は趣味みたいなものだからね。でもまぁ、払う人はちゃんと払うのだし、こうすればお金がない人だって生きながらえることが出来るでしょう?」
「押し付けがましい善意は、時には不気味に取られるものよ。それがわからないあなたじゃないと思うのだけど……」
「いいのよ、それでも。私が不気味に思われたとしても、誰かが生きながらえることが出来るなら、それは医者としては嬉しいものだから」
なんともまぁ、博愛精神に満ち溢れた生き様だこと。
こんなふうに意外と人のいいところのある彼女だけれど、こと敵がいれば容赦しないのもまた彼女だ。
天才の名を欲しいままにしたその頭脳を敵に回して、生きながらえることが出来る奴がはたしてどれほどいることか。
味方だと心強いが、敵に回すと恐ろしい。そんな言葉を、これ以上にないくらいに体現した人物だと、個人的には思ってる。
そんな永琳の弟子が、あの真面目で臆病者のイナバなのだ。改めて思うと、意外とチグハグな組み合わせなのかもしれない。
「そういえばさ、永琳ってイナバのことどう思ってるの?」
「うどんげのことですか?」
「そうそう。弟子なワケだし、あなたの目から見てあの子はどう映るのかなって」
「……昨日、うどんげから何か聞いたんですか?」
「さぁってね、ただ純粋にそう感じただけよ。昨日、妙に落ち込んでるふうだったからね」
固まった背筋を伸ばしながら、思ったままの言葉を口にする。
相変わらず頭の回転が速い上に察しがいいけど、こういってしまえば深くは追求しないだろう。
実際、イナバにはどんな風に怒られたか詳しいことはほとんど聞いてないし、私が聞いたのはその悩みだけだ。
そういった事情まで察したかはわからないが、それでも私の疑問には答えてくれるらしい。
顎に手を当て、「そうねぇ」となんでもないように呟いた後。
「正直に言えば、才能はあると思うわ」
そんな、私にとっては大層意外な言葉を口にしたのだった。
八意永琳という人物は自他共に厳しいところがあり、そんな彼女からそのような評価をもらうという事は相当な事実だ。
意外そうに目を瞬かせている私を見て、永琳は苦笑をこぼしながら言葉を続けた。
「物覚えもいいし、性格も真面目、やることはしっかりとやるし、戦闘も申し分ない。医療の技術も確実に覚えてきているし、あと数ヶ月もすれば一人で任せても大丈夫なくらい。
問題は、あの人見知りの激しい臆病な性格でしょうけど……ま、この辺りはおいおい矯正するとしましょう」
「へぇ~、意外と有望株だったのね、イナバって。永琳ってあの子のことあまり褒めないから、てっきり才能なしと判断してると思ったわ」
「褒めすぎてもダメなものよ。いい見本が目の前にいることだし、今はスパルタの時期なの」
「耳が痛いわねぇ」
褒めて伸ばされたのが今ここにいる私なんで、非常に耳に痛い。
確かに、永琳にしてみれば私はわがままに育ちすぎたという事なんだろうけれど、どっちにしても失礼な話である。
ただまぁ、少し安心した。これであの子の悩みも少しはまぎれてくれることだろうから。
「永琳」
「ふふ、わかってるわよ。たまには褒めてあげるわ。カワイイカワイイ弟子なんですから」
「わかってるじゃない。いいこと、永琳? 言葉にしなきゃ思いは伝わらないんだから、たまにはちゃんと自分の口で言葉になさいな」
「あらあら、いつの間にか教え子に説教される立場になってしまったのね、私ってば」
「そういうこと。ささ、早くイナバのとこに行ってあげなさい。あの子は真面目だから、あなたの考えもちゃんと理解してくれるでしょう」
最後に念押しして、私はくぁっとため息を一つ。
そんな私の様子にクスクスとおかしそうに笑う永琳だけど、仕方ないじゃない。昨日のイナバの不安そうな表情が寝てる間も離れやしなかったんだから。
おかげで、今の私は絶賛寝不足中なのである。
寝不足中ではあるのだけれど、……でもまぁ、これであの子の不安が取り除けるなら安いものだ。
姫たるもの、時には影ながら部下の心の不安を取り除くのもまた重要な役目なのである。
最後に、他愛もない会話を交えて永琳は部屋を後にした。
こった肩をほぐす様に回せば、コキコキと非常にいい音が鳴った。姫らしからぬはしたない音である。
そんな私の入る部屋の前を、慌てた様子でイナバが走っていく姿が見えた。
「ま、大方永琳に呼ばれたってところかしらね」
後はまぁ、永琳がうまくやるだろう。
なんだかんだで、永琳も弟子のことは気にいってるし、イナバも師を尊敬している。
だったら、ちゃんと話せばよりよい関係を築けるのには間違いないんだから。
人間、誰しもひとりじゃ生きていけない。生きているつもりでも、心のどこかで誰かに支えられてる。それは妖怪だって例外じゃないはずだ。
だったら、私はその絆を何よりも大事にしたいと、そう思う。
私や永琳がそうだったように。
育ててくれたお爺さんとお婆さんがそうであったように。
妹紅には、あの半獣が支えてくれたように。
きっとそれは、何よりも素敵なことだと、そう思うから。
「さてさて、本日は清々しい晴れ模様。もう少ししたら妹紅も襲撃をかけてくるでしょうし、たまには丁重にもてなしてあげるのも悪くないかもしれないわね」
クスクスと笑みをこぼして、部屋の前を通りがかった兎にもてなしの準備の指示を出す。
時には殺しあう間柄だけど、たまにはこういうのも悪くない。
歪な形であるにせよ、コレもきっと私と妹紅の絆なのだろうから。
何しろ、千年以上続くとびっきりの関係だ。イイにせよ悪いにせよ、これもまた一つの絆の形に違いあるまい。
「さて、今日は何が起こるかしらね。あの子のきょとんとする顔が今から楽しみだわ」
ゆったりと立ち上がり、クスクスと笑みをこぼしながら部屋を後にする。
歌を口ずさみながら廊下を歩き、永琳の部屋の前を通り過ぎる、その刹那。
ドアの隙間から、イナバがうれし泣きをして永琳に抱きついている姿を目撃した。
しばらく眺めていたけど、満足げに微笑んだ私は、気付かれぬようにそっとその場を後にする。
あの場に私は必要ない。今の彼女達の邪魔をするような野暮なこと、どうしてこの私が出来ようか。
私は、ただ二人の背を押しただけ。ほんの少し、良い方に向くように力を添えただけなのだから。
「さって、妹紅はどんな顔をしてくれるかしら」
楽しそうに紡いだ言葉は誰に聞かれることもなく、澄んだ空気に溶けて消える。
空に輝く太陽はこれからの楽しい出来事を予兆するかのように、心地よい日差しを降り注がせながら燦々と輝いていた。
思ったように、わがままに、けれども誰かの思いを気遣うように。
今日も今日とて、かぐや姫様が誰かを見ているに違いない。
カラカラと楽しそうに、鈴のような声で、満面の優しい笑顔を浮かべながら。
はてさて、彼女が苦労人であるのはいつものことだけど、人前で、それも私の目の前でため息をこぼすのは本当に珍しいことだ。
足取りもとぼとぼとして、どこか頼りない。それどころか、すれ違う私にすら気がつかない始末。
そういうわけで、縁側ですれ違った彼女の襟首を引っつかんだのは、仕方のない不可抗力だったのである。
「ぐぇっ!?」と蛙を潰したような悲鳴を上げる彼女にかまわず、力任せに引き寄せる。
少々、気品のない行為だったかもしれないが、それよりも今は問い詰めなければいけないことがあるので、そこは大目に見て欲しい。
「ため息なんてついてどうしたのかしら? 私を無視していくんだから、大層な理由なんでしょうけど」
「ひ、姫!?」
ニコニコと笑顔で声をかければ、目の前の彼女――鈴仙・優曇華院・イナバはぎょっとした様子で、ようやく私のことに気がついたらしい。
サァーっと顔が真っ青になっていくイナバだけど、生憎、飼い主の私――蓬莱山輝夜を無視したそっちが悪い。挨拶もしないペットには自業自得なのだ。
……とまぁ、冗談はさておいて。
「まったく、あなたが私に気付かないなんて珍しいわね。疲れてるなら、あまり無理しないのよ?」
小さくため息をつきつつ、私は襟首を掴んでいた手を離した。
この子は私のお気に入りで、元々は月の兵隊だったという経歴を持つ変り種。
そのせいか、その性格はいたって真面目。面倒見もいいのだが、そのせいなのかよくよく苦労を背負い込む性分らしい。
そんな真面目な彼女が私に気付かないなんて、よっぽど疲れているのか、あるいは何かに悩んでいるからなのか。
「あはは、大丈夫ですよ姫。私は全然元気ですから!」
そんなことを言って、イナバは握りこぶしを作る。わかりやすい「私は元気です」アピールだろう。
確かに顔色はいいし、疲れがたまっている……というわけではなさそうだ。
となれば、なにか悩みがあるという事なんだろう。
彼女は隠しているつもりみたいだが、生憎とこちらは千年以上も生きた竹取物語のかぐや姫様なのである。
覚妖怪のように思考が読めるわけではないが、千年をかけて培われた目は、隠し事の有無ぐらいはわかってしまうものだ。
「いっちょ前に隠し事なんてしないの。ほら、私でよければ聞いてあげるから、言ってみなさいよ」
だからそんな言葉を紡いで、そっと背中を押してやるぐらいが丁度いい。
私は姫、そしてこの子はペットでもあり部下でもあるのだから、時にはこうやって悩みをそれとなく聞いてあげるのが私の務めだろう。
姫だからといって、毎日毎日グーたらと過ごしているだけでは誰もついて来やしないのだ。
一方、彼女は話していいものかどうかしばらく悩んでいたが、やがて小さくため息をつき、ポツポツと言葉をこぼし始めた。
「……実は、師匠のお勤めの手伝いで失敗しちゃって」
「それで、こっぴどく叱られたと」
私の言葉に無言のまま、彼女はこくんと頷いた。
真面目な彼女にしてみれば、それだけで落ち込む理由にはなるのだろう。
どんな人間にだって間違いはある。それは妖怪たちだって変わらず、私や彼女の師――八意永琳だってそうだ。
誰だって間違いをするし、だからこそそれをばねにして成長するのもまた人なのである。
彼女とて、それはわかっているはずだ。となれば、この話にはまだ続きがあるという事だろう。
そして案の定、イナバはポツポツと言葉をこぼし始めた。どこか不安そうな、そんな声で。
「私、時々怖くなるんです。こんなことで大丈夫なのかなって、みんなに必要とされてるのかなって。
姫や師匠に拾われて、ここが――永遠亭が私の居場所になった。帰る場所のなかった私に、居場所を与えてくれたのが他でもないお二人だったんです。
それなのに、地上のウサギ達は言う事を聞いてくれないし、いつも失敗ばかりで、自分が情けなくて」
胸の内を吐露する彼女に、私はどんな顔をしていただろうか。
自分は必要とされてないのかもしれない。失敗ばかりの自身に対する苛立ち。
それが、真面目な彼女らしい悩み事。自分に自信の持てない、かわいいペットの不安。
そんな不安を打ち消してやるように、私はくしゃくしゃと頭を撫でた。
突然のことにきょとんとする彼女に、クスクスと笑顔を浮かべながら。
「馬鹿なこと言わないの。あなたがいないと、毎日が退屈で死んでしまうじゃない。これでも、あなたのことは気にいってるんだから、もう少し自分に自信を持ちなさいな」
少しでも、彼女の不安が拭えるようにと、紛れもない本心からの言葉で励ました。
誰だって、自分のことに不安を覚えるものだ。そして時には、思考の渦にはまり、思い悩んだまま抜け出せなくなってしまうこともあるだろう。
そんな時は、誰かが背中を押してあげればいい。優しく、励ますように、そいつが前へと歩んでいけるように。
人は誰しも、一人では生きていけない生き物なのだから。
彼女も、そして無論、この私も。
「あはは、今日は珍しくお優しいんですね」
「珍しいは余計よ。私はいつだって、誰に対しても優しいんですからね」
「ふふ、じゃあそういう事にしておきます」
くすくすと笑って、彼女はそんな言葉を口にする。
うん、よろしい。段々と普段の彼女らしくなってきた。
結局、その後はニ、三程言葉を交えて私達は別れ、それぞれの部屋へと足を運ぶ。
その途中、ふと疑問に思ったのだ。
件のイナバの師、八意永琳は彼女のことをどう思っているのだろうかと。
▼
八意永琳とは、もう随分と長い付き合いとなる友人である。
時には家庭教師だったり、時には蓬莱の薬を作った仲間だったり、そして時には月の追っ手から逃げる仲間であったり。
そんなわけで、友人というよりはすっかりと家族に近い彼女とは、気軽にタメ口で会話するような間柄だった。
先日のイナバの悩みを聞いてから一夜明けた今日、外はすっかりと昼間になって太陽の光が燦々と降り注いでいる。
そんな光景をぼんやりと自室から眺めつつ仕事する私の傍らに、永琳は静かに控えていた。
「はい、これ今月の予算表。出費はもう少し抑えてくれると助かるんだけど……そうも言ってられないか」
「悪いわね、輝夜。無理を言っちゃって」
「そう思うんならさ、ちゃんと患者からは代金頂戴しなさいよ。払うのはいつまでも待つなんて、商売人としては失格よね」
「半分は趣味みたいなものだからね。でもまぁ、払う人はちゃんと払うのだし、こうすればお金がない人だって生きながらえることが出来るでしょう?」
「押し付けがましい善意は、時には不気味に取られるものよ。それがわからないあなたじゃないと思うのだけど……」
「いいのよ、それでも。私が不気味に思われたとしても、誰かが生きながらえることが出来るなら、それは医者としては嬉しいものだから」
なんともまぁ、博愛精神に満ち溢れた生き様だこと。
こんなふうに意外と人のいいところのある彼女だけれど、こと敵がいれば容赦しないのもまた彼女だ。
天才の名を欲しいままにしたその頭脳を敵に回して、生きながらえることが出来る奴がはたしてどれほどいることか。
味方だと心強いが、敵に回すと恐ろしい。そんな言葉を、これ以上にないくらいに体現した人物だと、個人的には思ってる。
そんな永琳の弟子が、あの真面目で臆病者のイナバなのだ。改めて思うと、意外とチグハグな組み合わせなのかもしれない。
「そういえばさ、永琳ってイナバのことどう思ってるの?」
「うどんげのことですか?」
「そうそう。弟子なワケだし、あなたの目から見てあの子はどう映るのかなって」
「……昨日、うどんげから何か聞いたんですか?」
「さぁってね、ただ純粋にそう感じただけよ。昨日、妙に落ち込んでるふうだったからね」
固まった背筋を伸ばしながら、思ったままの言葉を口にする。
相変わらず頭の回転が速い上に察しがいいけど、こういってしまえば深くは追求しないだろう。
実際、イナバにはどんな風に怒られたか詳しいことはほとんど聞いてないし、私が聞いたのはその悩みだけだ。
そういった事情まで察したかはわからないが、それでも私の疑問には答えてくれるらしい。
顎に手を当て、「そうねぇ」となんでもないように呟いた後。
「正直に言えば、才能はあると思うわ」
そんな、私にとっては大層意外な言葉を口にしたのだった。
八意永琳という人物は自他共に厳しいところがあり、そんな彼女からそのような評価をもらうという事は相当な事実だ。
意外そうに目を瞬かせている私を見て、永琳は苦笑をこぼしながら言葉を続けた。
「物覚えもいいし、性格も真面目、やることはしっかりとやるし、戦闘も申し分ない。医療の技術も確実に覚えてきているし、あと数ヶ月もすれば一人で任せても大丈夫なくらい。
問題は、あの人見知りの激しい臆病な性格でしょうけど……ま、この辺りはおいおい矯正するとしましょう」
「へぇ~、意外と有望株だったのね、イナバって。永琳ってあの子のことあまり褒めないから、てっきり才能なしと判断してると思ったわ」
「褒めすぎてもダメなものよ。いい見本が目の前にいることだし、今はスパルタの時期なの」
「耳が痛いわねぇ」
褒めて伸ばされたのが今ここにいる私なんで、非常に耳に痛い。
確かに、永琳にしてみれば私はわがままに育ちすぎたという事なんだろうけれど、どっちにしても失礼な話である。
ただまぁ、少し安心した。これであの子の悩みも少しはまぎれてくれることだろうから。
「永琳」
「ふふ、わかってるわよ。たまには褒めてあげるわ。カワイイカワイイ弟子なんですから」
「わかってるじゃない。いいこと、永琳? 言葉にしなきゃ思いは伝わらないんだから、たまにはちゃんと自分の口で言葉になさいな」
「あらあら、いつの間にか教え子に説教される立場になってしまったのね、私ってば」
「そういうこと。ささ、早くイナバのとこに行ってあげなさい。あの子は真面目だから、あなたの考えもちゃんと理解してくれるでしょう」
最後に念押しして、私はくぁっとため息を一つ。
そんな私の様子にクスクスとおかしそうに笑う永琳だけど、仕方ないじゃない。昨日のイナバの不安そうな表情が寝てる間も離れやしなかったんだから。
おかげで、今の私は絶賛寝不足中なのである。
寝不足中ではあるのだけれど、……でもまぁ、これであの子の不安が取り除けるなら安いものだ。
姫たるもの、時には影ながら部下の心の不安を取り除くのもまた重要な役目なのである。
最後に、他愛もない会話を交えて永琳は部屋を後にした。
こった肩をほぐす様に回せば、コキコキと非常にいい音が鳴った。姫らしからぬはしたない音である。
そんな私の入る部屋の前を、慌てた様子でイナバが走っていく姿が見えた。
「ま、大方永琳に呼ばれたってところかしらね」
後はまぁ、永琳がうまくやるだろう。
なんだかんだで、永琳も弟子のことは気にいってるし、イナバも師を尊敬している。
だったら、ちゃんと話せばよりよい関係を築けるのには間違いないんだから。
人間、誰しもひとりじゃ生きていけない。生きているつもりでも、心のどこかで誰かに支えられてる。それは妖怪だって例外じゃないはずだ。
だったら、私はその絆を何よりも大事にしたいと、そう思う。
私や永琳がそうだったように。
育ててくれたお爺さんとお婆さんがそうであったように。
妹紅には、あの半獣が支えてくれたように。
きっとそれは、何よりも素敵なことだと、そう思うから。
「さてさて、本日は清々しい晴れ模様。もう少ししたら妹紅も襲撃をかけてくるでしょうし、たまには丁重にもてなしてあげるのも悪くないかもしれないわね」
クスクスと笑みをこぼして、部屋の前を通りがかった兎にもてなしの準備の指示を出す。
時には殺しあう間柄だけど、たまにはこういうのも悪くない。
歪な形であるにせよ、コレもきっと私と妹紅の絆なのだろうから。
何しろ、千年以上続くとびっきりの関係だ。イイにせよ悪いにせよ、これもまた一つの絆の形に違いあるまい。
「さて、今日は何が起こるかしらね。あの子のきょとんとする顔が今から楽しみだわ」
ゆったりと立ち上がり、クスクスと笑みをこぼしながら部屋を後にする。
歌を口ずさみながら廊下を歩き、永琳の部屋の前を通り過ぎる、その刹那。
ドアの隙間から、イナバがうれし泣きをして永琳に抱きついている姿を目撃した。
しばらく眺めていたけど、満足げに微笑んだ私は、気付かれぬようにそっとその場を後にする。
あの場に私は必要ない。今の彼女達の邪魔をするような野暮なこと、どうしてこの私が出来ようか。
私は、ただ二人の背を押しただけ。ほんの少し、良い方に向くように力を添えただけなのだから。
「さって、妹紅はどんな顔をしてくれるかしら」
楽しそうに紡いだ言葉は誰に聞かれることもなく、澄んだ空気に溶けて消える。
空に輝く太陽はこれからの楽しい出来事を予兆するかのように、心地よい日差しを降り注がせながら燦々と輝いていた。
思ったように、わがままに、けれども誰かの思いを気遣うように。
今日も今日とて、かぐや姫様が誰かを見ているに違いない。
カラカラと楽しそうに、鈴のような声で、満面の優しい笑顔を浮かべながら。
月の住人なのに人間くさいというか
それが伝わってきますし、魅力的にかかれていたなあと
こんな二人に見守られる鈴仙はきっと幸せ。すごくよかったです。
格好いい姫様は大好きだ
ただ、思慮深さをだすためか地の文にご高説がちょっと多い気がする。
特にこういう一人称視点だと、あまり語らせすぎると自分に酔ってるみたいで逆に小者っぽくなる(この作品はそこまでじゃないけど)
言わぬが花ってのが俺は好きかな
なんとなく、この姫様の前では妹紅との完全な和解もそう遠いことではないように思いますね。
素敵な姫様をありがとうございました!
次回作も楽しみにしてます♪
うどんげもよかった。
なにこの永遠亭住みたい
某WEB漫画てもこたんがベ○ラゴン使うアレかー?
あの姫様は壊れてたなぁ
たっぽい!!
簡単な事だけど、永琳が敵に対しては容赦が無いけど味方に対しては優しいキャラだという解釈を見て凄く納得出来ました。
使者殺しの冷酷さと人里助けの優しさとの印象が合わなくて。
良い意味で二次創作らしい二次創作だと思いました。永遠亭への想像力が深まります。