人里の寺子屋にて。
時計の針が終業の時刻を告げ、上白沢慧音が手にした書類を机の上でトントン、と整える。
「ではこれで一学期はお終い。明日からは夏休みとなるわけだが・・・」
慧音は逸る気持ちを、否、焦る気持ちを抑えながら寺子屋の子どもたちに夏休みの諸注意を述べる。
本当は事細かに注意を促さなければならないのだが、いかんせん子どもたちも逸る気持ちを抑えきれない。
普段は叱るべき状況でもあったが、今回だけは、慧音は自らの意思を優先した。
「あぁー・・・とにかく皆、怪我・病気には充分に注意し夏休みを満喫してくるように」
笑顔、笑顔と自分自身に言い聞かせなければ胸の内にある感情に押しつぶされてしまいそうだった。
『はぁい!!』と子どもたちは元気よく返事をすると、途端に駆けだしていく。
「あ!それと、宿題も忘れずにやってくること!!」
『はぁい・・・』さっきよりも明らかにトーンを落とした返事だが、やっぱり元気よく教室を後にする。
ふぅ、と溜め息を一つ漏らすと、自身の作った笑顔に影が生まれるのを感じた。
「・・・せい」
同時に慧音は教室内で気を抜いたことを後悔した。
気付くとそこには寺子屋の生徒である妖精・妖怪達が、子どもたち特製の屈託のない笑顔で話し掛けてくれていたのだ。
「あ、あぁ。すまん。ちょっと考え事をしていてね。どうしたんだい?」
再び笑顔の仮面で素顔を覆うも、それは時既に遅し・であった。
慧音から何かを感じ取った緑髪の妖精が
「あ、いや。何でもないです。・・・先生、また二学期にね!!」
と言い残し、他の四人を引き連れて教室を後にする。
(あぁ、しくじったな。自分がどうあれ、生徒たちに気を遣わせるとはな・・・)
今度は教室がしっかりと自分独りになったのを確認し肩を落とす。
しかし、自分の憔悴の理由をもう一度思い、慧音も教室を出た。
出来る限り早く、稗田の家に足を運ぶ。
*******************************
「失礼します」
相変わらず、丁寧な口調で慧音さんが訪れた。
午後の四時。
私は胸の内から溢れてくる感情をそのまま表情にして答えた。
「おかえりなさい」
慧音さんは私の言葉で一瞬だけ戸惑い、次に私の顔を見て一瞬顔を赤らめた。
「その・・・阿求殿。『おかえりなさい』はちょっと・・・」
「あら?慧音さん?私と話す時はきちんと私の顔を見てくださいな?」
「・・・その笑顔は反則かと・・・・・・」
あはは、と私は声を出して笑った。無論からかっているつもりはないが、顔を真っ赤に染めた彼女を見ているとつい意地悪をしてしたくなってしまうのだ。
年頃の男の子、というのもこんな感じだろうか?私とは一致はしないものの、気持ちは十二分に理解できた。
即ち、幸せなのだ。
『一度見た物を忘れない程度の能力』とは私の能力のことで、説明することもなく、その名の通り、私は記憶というものに絶対の自負があった。
お茶と茶菓子を机に出し、私達は向かい合って座った。
「初めてお会いした時は、まるで隙のない方でいらしたんですけどね?」
着物の袖を唇にあて、私は言った。
「それを言えば、阿求殿も物静かな方でしたよ」
「そうでしたか?私はずっと変わっていない・と記憶していますが?」
「ならば、あなたの能力に異変が起きているのか、もしくはあなたは阿求殿の偽物と言うことになりますな」
私達は、座して昔のことを思い出しあった。(といっても、殆どは私が話、慧音さんが思い出す。といった流れだったけれど)
初めて会った時のこと。
初めて一緒に里に買い物に行った時のこと。
初めて料理を振る舞った時のこと。・・・これは強烈で慧音さんもよく覚えていました。
その他にも、一緒に夜空を見た時の会話を一字一句までも。
「まぁ、明後日からは学校も休みだ。先一ヵ月程は毎日訪問することができるな」
「えぇ、そうですね」
「それに明日も終業式を行うのみだから、いつもよりも早く来ることができる」
「あら。ならば早めに用意を致しておきますね」
私達は微笑み合い、ふと、空を見る。慧音さんがいらしてから既に三時間ほどが経過しており、夜空には星達と丸い月が輝いていた。
「・・・今日はまだ満月では無いんですね」
「あぁそうだな。あれは満月の一日前の『小望月 (こもちづき)』と言う奴だな」
月たちに見とれている私の肩に、慧音さんが手を置いた。
「・・・阿求殿。本当は明日に告げようと思っていたのだが―――――。」
あれ?何?昨日の夜。あの方は私に何と言ったの?
聞こえなかったわけではない。
その言葉を聞いて、私は心の底から溢れてくる感情の津波に呑まれたのだから。
でも、どうして?どうしてその言葉を思い出せないの?
*******************************
慧音が稗田邸へと辿り着くと、八意永琳が神妙な面持ちで出迎えた。
「阿求殿の容体は?」
慧音は永琳に迫り、両の腕を掴む。
既に寺子屋で、限界まで己を律して来たのだ。今は取り繕う様子は見られない。
慧音はそれほど強く迫ったわけではないが、永琳はよろめいた。
昨夜、午後の八時頃、慧音が妹紅とともに永遠亭を訪れ、阿求が倒れたことを伝えた。
永琳には勿論のこと、付き合いの深い妹紅も見たことのない程の取り乱しようだった。
それから急いでこの稗田の屋敷へと馳せ参じ、休む間もなく看病をしていた。
「あ、も、申し訳ない・・・しかして、阿求殿の容体は・・・?」
辛うじて、謝罪を済ますも、慧音の頭の中は阿求のことしかないようだ。
「身体の外側、内側、中。即ち、上皮、内臓、体液などのことですが、どこにも異常は見られません。強いて言うならば、体を残して、魂だけが何処かへと引っ張られている・と、そんな様子かしら」
永琳はあくまで医者として、事実を告げる。
もう出来ることは無い・と。
永琳の言葉は予想通りに、慧音の心を打ち砕いた。
膝を付き、うなだれる慧音。
「・・・私達・蓬莱人には『死』が訪れません。しかし、その分、多くの『死』を目の当たりにしてきました。それは幸福なものから、それこそ死んでもやりきれない・と言った不幸なものまでありました」
永琳は唐突に、とうとうと話し始めるが、慧音は顔を上げる様子は見えない。
「幸福な死と、不幸な死を分けるものは、何だと思いますか?・・・偏に傍に誰がいてくれたかだと思います。阿求殿の命はまだ絶えた訳ではありません。どうぞ、いつも通りの、幸せなあなたで、彼女の傍にいてください・・・」
それだけ言うと、永琳は他の部屋へと姿を消した。
嘘だ・と永琳は心の中で呟いた。どんなに愛する人が傍らにいたとて、『死』を受け入れることが幸福には繋がらない。数多の『死』から永琳はそう感じ取った。
ならば、この嘘は誰の為だろうか?
阿求は死に、記憶を失う。
慧音は僅かばかりは立ち直るのが早くはなるのだろうが、それも些細な問題だ。
永琳はこう結論を出す。
今のは己を救うためのウソでは無いのか。
救えない命に遭遇した際に、心だけでも救った気になりたいのではなかったのだろうか?そのために、慧音をけし掛けたのではないか?
愛する人の死の淵に、もう一度向かわせたのではないか。
救えない命。救えない気持ち。それを肌で感じ、永琳は一人、自嘲する。
*******************************
鼓動が強くなるのを感じる。
心の臓は早鐘を打ち、感覚は目の前の少女にのみ集中する。
・・・阿求殿。本当は明日に告げようと思っていたのだが・・・・・・。
愛しています。あなたと、この先の歴史を一緒に創っていきたい。
「満月でもないのに、『歴史を創る』なんて変な言い回しですね。でも、そうですね。それも素敵な事かもしれませんね」
安堵が体の内側から溢れだし、それは私を包み込んだ。
確かな温もりを感じ、私達は肩を寄せ合った。
時計の針が終業の時刻を告げ、上白沢慧音が手にした書類を机の上でトントン、と整える。
「ではこれで一学期はお終い。明日からは夏休みとなるわけだが・・・」
慧音は逸る気持ちを、否、焦る気持ちを抑えながら寺子屋の子どもたちに夏休みの諸注意を述べる。
本当は事細かに注意を促さなければならないのだが、いかんせん子どもたちも逸る気持ちを抑えきれない。
普段は叱るべき状況でもあったが、今回だけは、慧音は自らの意思を優先した。
「あぁー・・・とにかく皆、怪我・病気には充分に注意し夏休みを満喫してくるように」
笑顔、笑顔と自分自身に言い聞かせなければ胸の内にある感情に押しつぶされてしまいそうだった。
『はぁい!!』と子どもたちは元気よく返事をすると、途端に駆けだしていく。
「あ!それと、宿題も忘れずにやってくること!!」
『はぁい・・・』さっきよりも明らかにトーンを落とした返事だが、やっぱり元気よく教室を後にする。
ふぅ、と溜め息を一つ漏らすと、自身の作った笑顔に影が生まれるのを感じた。
「・・・せい」
同時に慧音は教室内で気を抜いたことを後悔した。
気付くとそこには寺子屋の生徒である妖精・妖怪達が、子どもたち特製の屈託のない笑顔で話し掛けてくれていたのだ。
「あ、あぁ。すまん。ちょっと考え事をしていてね。どうしたんだい?」
再び笑顔の仮面で素顔を覆うも、それは時既に遅し・であった。
慧音から何かを感じ取った緑髪の妖精が
「あ、いや。何でもないです。・・・先生、また二学期にね!!」
と言い残し、他の四人を引き連れて教室を後にする。
(あぁ、しくじったな。自分がどうあれ、生徒たちに気を遣わせるとはな・・・)
今度は教室がしっかりと自分独りになったのを確認し肩を落とす。
しかし、自分の憔悴の理由をもう一度思い、慧音も教室を出た。
出来る限り早く、稗田の家に足を運ぶ。
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「失礼します」
相変わらず、丁寧な口調で慧音さんが訪れた。
午後の四時。
私は胸の内から溢れてくる感情をそのまま表情にして答えた。
「おかえりなさい」
慧音さんは私の言葉で一瞬だけ戸惑い、次に私の顔を見て一瞬顔を赤らめた。
「その・・・阿求殿。『おかえりなさい』はちょっと・・・」
「あら?慧音さん?私と話す時はきちんと私の顔を見てくださいな?」
「・・・その笑顔は反則かと・・・・・・」
あはは、と私は声を出して笑った。無論からかっているつもりはないが、顔を真っ赤に染めた彼女を見ているとつい意地悪をしてしたくなってしまうのだ。
年頃の男の子、というのもこんな感じだろうか?私とは一致はしないものの、気持ちは十二分に理解できた。
即ち、幸せなのだ。
『一度見た物を忘れない程度の能力』とは私の能力のことで、説明することもなく、その名の通り、私は記憶というものに絶対の自負があった。
お茶と茶菓子を机に出し、私達は向かい合って座った。
「初めてお会いした時は、まるで隙のない方でいらしたんですけどね?」
着物の袖を唇にあて、私は言った。
「それを言えば、阿求殿も物静かな方でしたよ」
「そうでしたか?私はずっと変わっていない・と記憶していますが?」
「ならば、あなたの能力に異変が起きているのか、もしくはあなたは阿求殿の偽物と言うことになりますな」
私達は、座して昔のことを思い出しあった。(といっても、殆どは私が話、慧音さんが思い出す。といった流れだったけれど)
初めて会った時のこと。
初めて一緒に里に買い物に行った時のこと。
初めて料理を振る舞った時のこと。・・・これは強烈で慧音さんもよく覚えていました。
その他にも、一緒に夜空を見た時の会話を一字一句までも。
「まぁ、明後日からは学校も休みだ。先一ヵ月程は毎日訪問することができるな」
「えぇ、そうですね」
「それに明日も終業式を行うのみだから、いつもよりも早く来ることができる」
「あら。ならば早めに用意を致しておきますね」
私達は微笑み合い、ふと、空を見る。慧音さんがいらしてから既に三時間ほどが経過しており、夜空には星達と丸い月が輝いていた。
「・・・今日はまだ満月では無いんですね」
「あぁそうだな。あれは満月の一日前の『小望月 (こもちづき)』と言う奴だな」
月たちに見とれている私の肩に、慧音さんが手を置いた。
「・・・阿求殿。本当は明日に告げようと思っていたのだが―――――。」
あれ?何?昨日の夜。あの方は私に何と言ったの?
聞こえなかったわけではない。
その言葉を聞いて、私は心の底から溢れてくる感情の津波に呑まれたのだから。
でも、どうして?どうしてその言葉を思い出せないの?
*******************************
慧音が稗田邸へと辿り着くと、八意永琳が神妙な面持ちで出迎えた。
「阿求殿の容体は?」
慧音は永琳に迫り、両の腕を掴む。
既に寺子屋で、限界まで己を律して来たのだ。今は取り繕う様子は見られない。
慧音はそれほど強く迫ったわけではないが、永琳はよろめいた。
昨夜、午後の八時頃、慧音が妹紅とともに永遠亭を訪れ、阿求が倒れたことを伝えた。
永琳には勿論のこと、付き合いの深い妹紅も見たことのない程の取り乱しようだった。
それから急いでこの稗田の屋敷へと馳せ参じ、休む間もなく看病をしていた。
「あ、も、申し訳ない・・・しかして、阿求殿の容体は・・・?」
辛うじて、謝罪を済ますも、慧音の頭の中は阿求のことしかないようだ。
「身体の外側、内側、中。即ち、上皮、内臓、体液などのことですが、どこにも異常は見られません。強いて言うならば、体を残して、魂だけが何処かへと引っ張られている・と、そんな様子かしら」
永琳はあくまで医者として、事実を告げる。
もう出来ることは無い・と。
永琳の言葉は予想通りに、慧音の心を打ち砕いた。
膝を付き、うなだれる慧音。
「・・・私達・蓬莱人には『死』が訪れません。しかし、その分、多くの『死』を目の当たりにしてきました。それは幸福なものから、それこそ死んでもやりきれない・と言った不幸なものまでありました」
永琳は唐突に、とうとうと話し始めるが、慧音は顔を上げる様子は見えない。
「幸福な死と、不幸な死を分けるものは、何だと思いますか?・・・偏に傍に誰がいてくれたかだと思います。阿求殿の命はまだ絶えた訳ではありません。どうぞ、いつも通りの、幸せなあなたで、彼女の傍にいてください・・・」
それだけ言うと、永琳は他の部屋へと姿を消した。
嘘だ・と永琳は心の中で呟いた。どんなに愛する人が傍らにいたとて、『死』を受け入れることが幸福には繋がらない。数多の『死』から永琳はそう感じ取った。
ならば、この嘘は誰の為だろうか?
阿求は死に、記憶を失う。
慧音は僅かばかりは立ち直るのが早くはなるのだろうが、それも些細な問題だ。
永琳はこう結論を出す。
今のは己を救うためのウソでは無いのか。
救えない命に遭遇した際に、心だけでも救った気になりたいのではなかったのだろうか?そのために、慧音をけし掛けたのではないか?
愛する人の死の淵に、もう一度向かわせたのではないか。
救えない命。救えない気持ち。それを肌で感じ、永琳は一人、自嘲する。
*******************************
鼓動が強くなるのを感じる。
心の臓は早鐘を打ち、感覚は目の前の少女にのみ集中する。
・・・阿求殿。本当は明日に告げようと思っていたのだが・・・・・・。
愛しています。あなたと、この先の歴史を一緒に創っていきたい。
「満月でもないのに、『歴史を創る』なんて変な言い回しですね。でも、そうですね。それも素敵な事かもしれませんね」
安堵が体の内側から溢れだし、それは私を包み込んだ。
確かな温もりを感じ、私達は肩を寄せ合った。
・・・は…にした方がよいと思います
これに気をつけるだけで随分と全体の見栄えが良くなります