紫様が、
「今日は橙の家に行きましょう」
と言ったので、私は焦って、あわてて、困ってしまった。
何か失礼があったらどうしよう。
「それはいいですね。今日は急ぎの仕事もないし。橙がどれだけがんばっているか、紫様に見てもらいましょう」
「い、いえいえいえいえいえ、そんな、私なんかまだまだで」
「猫をいっぱい、育てているんでしょう。なでたいのよ」
紫様が猫をなでたいと言うと、なんかいやらしいですね、藍ちょっとそこ座りなさい、とかなんとか、藍様も乗り気になって言っている。
べつにおかしなことはしてないし、修行もまじめにしているけど、不安になった。近ごろでは、手下の猫にもなんかなめられてるような気がするし。
しっぽをぱたぱたすると、藍様が頭に手をのせて、「大丈夫だよ」と言ってくれた。
家について、お茶をお出ししようと思って台所に行くと、手下の猫の一匹が横になって、ぐったりして倒れていた。
白い毛にうすい、金色に近いくらいの茶色の毛がかぶさったトラ猫で、子猫のときから面倒をみている、可愛い奴だ。びっくりして駆け寄って、おそるおそる手を伸ばしてお腹をなでてやると、小さな声で、苦しそうににゃあと鳴く。近くに、変なキノコがころがっていて、かじったあとがあった。
魔理沙からもらったキノコだった。見たことのないものだったから、危ないと思って食べなかったんだ。
(毒だったの……?)
と、私は思った。魔理沙がわざと、毒のキノコを渡したとは思わないけど、猫には悪いものだったのかもしれない。
取り置きの薬草を食べさせようとしたけど、口を開かないし、無理やり詰め込んでも飲み込まずに履き出してしまう。水を飲ませようとしても、舌をつけない。
心臓がどきどきして、頭がいっぱいになって、何も考えられなくなってしまった。
紫様が、
「橙。落ち着きなさい」
と言った。
「この猫は、あなたの手下でしょう。あなたがしっかりしなくて、どうするの。
私が永遠亭に行って、八意を呼んでくるから、藍、あなたは白澤を呼んできなさい。
早くするのよ」
「はい」
藍様が、外に飛び出そうとした。
それで思わず、私は叫んだ。
「い、いえ。私が行きます。私が、慧音を呼んできます!」
口に出すと、頭がすっきりして、少しは落ち着いた。
私はこの猫の親分なんだから、私が行かなきゃ、と思ったのだ。
慧音なら、原因のキノコのことを知っているかも知れないし、薬の作り方を知っているかもしれない。
それに……と、ごくりと唾を飲み込んで、考えた。どうしても、どうにもならなかったときは、なかったことにしてもらうんだ。
私がそれを、お願いするんだ。
「いいわ。行きなさい」
紫様が言った。藍は、猫を見ているのよ。
スキマを開いて、紫様はその中に消えた。私は弾丸のように、駆け出した。
一度も休まずに人里まで走っていった。途中から、自分が二本の足で走っているのか、それとも四つ足になっているのか、わからなくなった。
寺子屋に着くと、慧音が授業をしていて、びっくりした顔で私を出迎えた。
息が切れて、うまくしゃべれなくって、ちょっと泣いてしまった。でも大事なことは、なんとか伝えられたんだと思う。慧音はうなずくと、授業をおしまいにして、私と一緒に来てくれた。
戻ると、藍様がほっとした顔をしていた。紫様が、八意永琳と、何でかあの、姫様って奴を連れて、一緒にいる。私は息せき切って、だいじょぶだったんですか、助かったんですか、と訊いた。
「見てごらん」
と藍様が言う。倒れていた猫を見ると、生きていた。白くて、べたべたに濡れた小さな生き物が三匹いて、猫のお腹に吸いついていた。
「おっぱいを飲んでるのよ」
と紫様が言った。橙も、生まれたときはこうだったんでしょうねえ、と言って、扇子で口元を隠して、でも笑ったのがわかった。
私はその日、それからずっと、母猫になった猫と、生まれたての子猫を見てすごした。
すごくかわいかった。私はいつも、自分が藍様みたいに狐だったら良かったのに、と思ってたんだけど、猫もやっぱりいいなと思った。
次の日、藍様と一緒に寝た。紫様と一緒に寝なくて、いいんですか、とお訊きすると、
「紫様とはたくさん一緒に寝たからね。今日は、橙と一緒に寝たいんだよ」
と言ってくれた。私はうれしくて、あんまり眠れなかった。
春になって紫様が起きだしてくると、藍様は紫様と一緒にいることが多くなる。それでいろいろなお話を、紫様に聞いてもらう。
冬の間、藍様はとてもさみしい思いをされているのだ。私も藍様がいないとさみしいから、よくわかる。でも、そうなると、今度は私がさみしいんだ。
藍様は紫様と、どんなお話をされているのですか、と訊いた。
「どんな、ねえ。どんな話でもするよ。橙とする話と、そんなに変わらないよ」
「嘘です。いっつも、私にはわかんないような、むずかしいお話をされているじゃないですか」
「そうかな」
「そうですよ。私、さみしいんです」
「橙も大きくなったんだね」
「もう」
布団の中で、藍様の胸を叩いた。真っ暗で、何も見えないからできることだ。顔が見えたら、恥ずかしくって、とてもできない。
藍様は背が高くて、大きくて、きれいで、かっこいい。私は藍様の腕の中に、すっぽりとおさまってしまう。
昨日も今日も、猫の母子をずっと見ていた。子猫たちがおっぱいを飲んでいるのを見て、私も藍様のおっぱいを吸ってみたいな、と思ったのだ。でも、出ないだろうし、怒られるかもしれない、と思ったし、自分がほんとうにしたいことは、そういうことじゃないんだ、とも思った。
私は赤ちゃんじゃないし、藍様の子どもでもない。そうだったらいいな、と思ったことはある。
でも、私はそうじゃない。
「藍様」
私は小さな声で言った。同じ布団で寝ているから、どんなに小さな声でも、藍様の耳に入る。藍様は、何、と言った。
「藍様に子どもができたら、私、面倒をみます。そのためにも、私、がんばって立派な式神になります」
藍様はちょっと、体をこわばらせたようだったが、すぐに笑って、そうか、それは楽しみね、と言った。
「今日は橙の家に行きましょう」
と言ったので、私は焦って、あわてて、困ってしまった。
何か失礼があったらどうしよう。
「それはいいですね。今日は急ぎの仕事もないし。橙がどれだけがんばっているか、紫様に見てもらいましょう」
「い、いえいえいえいえいえ、そんな、私なんかまだまだで」
「猫をいっぱい、育てているんでしょう。なでたいのよ」
紫様が猫をなでたいと言うと、なんかいやらしいですね、藍ちょっとそこ座りなさい、とかなんとか、藍様も乗り気になって言っている。
べつにおかしなことはしてないし、修行もまじめにしているけど、不安になった。近ごろでは、手下の猫にもなんかなめられてるような気がするし。
しっぽをぱたぱたすると、藍様が頭に手をのせて、「大丈夫だよ」と言ってくれた。
家について、お茶をお出ししようと思って台所に行くと、手下の猫の一匹が横になって、ぐったりして倒れていた。
白い毛にうすい、金色に近いくらいの茶色の毛がかぶさったトラ猫で、子猫のときから面倒をみている、可愛い奴だ。びっくりして駆け寄って、おそるおそる手を伸ばしてお腹をなでてやると、小さな声で、苦しそうににゃあと鳴く。近くに、変なキノコがころがっていて、かじったあとがあった。
魔理沙からもらったキノコだった。見たことのないものだったから、危ないと思って食べなかったんだ。
(毒だったの……?)
と、私は思った。魔理沙がわざと、毒のキノコを渡したとは思わないけど、猫には悪いものだったのかもしれない。
取り置きの薬草を食べさせようとしたけど、口を開かないし、無理やり詰め込んでも飲み込まずに履き出してしまう。水を飲ませようとしても、舌をつけない。
心臓がどきどきして、頭がいっぱいになって、何も考えられなくなってしまった。
紫様が、
「橙。落ち着きなさい」
と言った。
「この猫は、あなたの手下でしょう。あなたがしっかりしなくて、どうするの。
私が永遠亭に行って、八意を呼んでくるから、藍、あなたは白澤を呼んできなさい。
早くするのよ」
「はい」
藍様が、外に飛び出そうとした。
それで思わず、私は叫んだ。
「い、いえ。私が行きます。私が、慧音を呼んできます!」
口に出すと、頭がすっきりして、少しは落ち着いた。
私はこの猫の親分なんだから、私が行かなきゃ、と思ったのだ。
慧音なら、原因のキノコのことを知っているかも知れないし、薬の作り方を知っているかもしれない。
それに……と、ごくりと唾を飲み込んで、考えた。どうしても、どうにもならなかったときは、なかったことにしてもらうんだ。
私がそれを、お願いするんだ。
「いいわ。行きなさい」
紫様が言った。藍は、猫を見ているのよ。
スキマを開いて、紫様はその中に消えた。私は弾丸のように、駆け出した。
一度も休まずに人里まで走っていった。途中から、自分が二本の足で走っているのか、それとも四つ足になっているのか、わからなくなった。
寺子屋に着くと、慧音が授業をしていて、びっくりした顔で私を出迎えた。
息が切れて、うまくしゃべれなくって、ちょっと泣いてしまった。でも大事なことは、なんとか伝えられたんだと思う。慧音はうなずくと、授業をおしまいにして、私と一緒に来てくれた。
戻ると、藍様がほっとした顔をしていた。紫様が、八意永琳と、何でかあの、姫様って奴を連れて、一緒にいる。私は息せき切って、だいじょぶだったんですか、助かったんですか、と訊いた。
「見てごらん」
と藍様が言う。倒れていた猫を見ると、生きていた。白くて、べたべたに濡れた小さな生き物が三匹いて、猫のお腹に吸いついていた。
「おっぱいを飲んでるのよ」
と紫様が言った。橙も、生まれたときはこうだったんでしょうねえ、と言って、扇子で口元を隠して、でも笑ったのがわかった。
私はその日、それからずっと、母猫になった猫と、生まれたての子猫を見てすごした。
すごくかわいかった。私はいつも、自分が藍様みたいに狐だったら良かったのに、と思ってたんだけど、猫もやっぱりいいなと思った。
次の日、藍様と一緒に寝た。紫様と一緒に寝なくて、いいんですか、とお訊きすると、
「紫様とはたくさん一緒に寝たからね。今日は、橙と一緒に寝たいんだよ」
と言ってくれた。私はうれしくて、あんまり眠れなかった。
春になって紫様が起きだしてくると、藍様は紫様と一緒にいることが多くなる。それでいろいろなお話を、紫様に聞いてもらう。
冬の間、藍様はとてもさみしい思いをされているのだ。私も藍様がいないとさみしいから、よくわかる。でも、そうなると、今度は私がさみしいんだ。
藍様は紫様と、どんなお話をされているのですか、と訊いた。
「どんな、ねえ。どんな話でもするよ。橙とする話と、そんなに変わらないよ」
「嘘です。いっつも、私にはわかんないような、むずかしいお話をされているじゃないですか」
「そうかな」
「そうですよ。私、さみしいんです」
「橙も大きくなったんだね」
「もう」
布団の中で、藍様の胸を叩いた。真っ暗で、何も見えないからできることだ。顔が見えたら、恥ずかしくって、とてもできない。
藍様は背が高くて、大きくて、きれいで、かっこいい。私は藍様の腕の中に、すっぽりとおさまってしまう。
昨日も今日も、猫の母子をずっと見ていた。子猫たちがおっぱいを飲んでいるのを見て、私も藍様のおっぱいを吸ってみたいな、と思ったのだ。でも、出ないだろうし、怒られるかもしれない、と思ったし、自分がほんとうにしたいことは、そういうことじゃないんだ、とも思った。
私は赤ちゃんじゃないし、藍様の子どもでもない。そうだったらいいな、と思ったことはある。
でも、私はそうじゃない。
「藍様」
私は小さな声で言った。同じ布団で寝ているから、どんなに小さな声でも、藍様の耳に入る。藍様は、何、と言った。
「藍様に子どもができたら、私、面倒をみます。そのためにも、私、がんばって立派な式神になります」
藍様はちょっと、体をこわばらせたようだったが、すぐに笑って、そうか、それは楽しみね、と言った。
後書き、おい。
しかし、本編があっさりしすぎかな。
本編は短く収まっていて良かったです
長編の続きも期待してますよ。
あとがきで良くも悪くも台無しだよww ちくしょうwww