花咲き乱れるお祭り騒ぎのような異変が過ぎ去ってしばらくのこと。
閻魔様に『もっと外の世界を見ろ』等と説教されたメディスン・メランコリーだがそんなアリガタイお言葉に従う気はさらさら無く、相変わらず鈴蘭畑に陣取りひがな一日ぼーっとしたり鈴蘭を愛でたり風見幽香と談笑したりしながら過ごしていた。
そんなメディスンにも目標はある。『人形解放』である。そもそもそれは何を目的としたのか?理由は?手段は?達成条件は?
んなもんは無い。メディスンは人形なので人形解放する。それで十分である。それを為すための努力とかも別にしてない。何から始めればいいのかもわからないからだ。とにかく人形解放すると言ったらする。それで十二分である。
ある日メディスンは聞き捨てならないことを幽香に教えられた。『人形遣い』の存在である。
人形であるメディスンの敵として、これほどおあつらえ向きのやつは他にいないだろう。しかも、聞けばその人形遣い、人形遣いであるというだけでも極刑ものだというのに、人形に炊事掃除家事全般をやらせるわ、人里で見せ物にするわ、なんと火薬を仕込んで爆弾としてまで使っているという。
メディスンは生まれて初めて憎しみというものを感じた。血の代わりに流れる毒が沸き立つような気もした。
幽香は傍から見れば太陽のような笑顔を浮かべ言った。
「で?そいつをどうするつもり?」
「殺してくるわ!」
「そう、がんばってね」
幽香は手伝ってくれはしないだろう、元々期待もしていない。メディスンは憎き人形遣いの名を聞いた。その名はアリスと言った。人形遣いらしいメルヘンチックな名前だなとメディスンは鼻で笑った。しかし自分は人形そのものだった。
メディスンは鈴蘭畑を飛び出した。武器も勇気も、メディスンはその身一つに宿している。毒を以って毒殺するのだ。弾幕ごっこ?スペルカードルール?知ったことか!メディスンには大義がある。憎き人形遣いを愛すべき同胞達の為抹殺するという使命がある。
ルールなんぞ邪魔なだけだ。メディスンは早速、だいたいの法とそれなりの秩序に守られた幻想郷に歯向かう決意を固めた。
メディスンは、前準備もなにも無しに人形遣いの住まう魔法の森へと一直線に飛び立つ。幽香と鈴蘭だけがそれを見送った。
敗因は何だったのか?それは、ずばり知識の不足にあったとメディスンは結論した。だって魔法の森があんなにおっかないところだとは思わなかったのだ。暗いし、狭いし、飛べないし、抜け出すことができたのは運がよかっただけだ。たまたま出口に辿り着けなければ、今もまださまよい続ける羽目になっていたかもしれない。
そもそもほとんど外にも出歩かないのに魔法の森を進むなんてもってのほかだったのだ。おかげでメディスンはその一日だけでどっと疲れ、しばらく動きたくなかった。なので、ひとまず魔法の森攻略は後まわしにして、人形遣いアリスに対しどんな手段で毒を盛るかについて考えることにした。顔も知らない人形遣いを、その日は8回殺して満足した。
別に年がら年中ひきこもっているわけではない。むしろ閻魔様に説教されてからはけっこういろんな所へ足を運んでいるつもりだ。メディスンはその日永遠亭へと向かった。永琳の手伝いの為というのもあるが、人形遣いについて聞いてみようと思っていたのだ。
鈴蘭畑まで迎えに来てくれていたうどんげに永琳のいる場所を聞き(永琳に教えてもらった愛称だが、本人はうどんげと呼ばれると苦い顔をする)、自室にいると思うと言われたので一人でそこへ向かった。
しかし、いざ扉を開けようとすると中から人の話し声が聞こえる。どうやら先客がいるようだった。メディスンは扉に耳を張り付け息を潜め、様子をうかがった。永琳は謎が多い。その客というのも気になった。
「何度来てもらっても、蓬莱の薬は渡せないわよ」
「無理を承知でお願いしてるの」
「あのねえ」
「じゃあ作り方だけでもいいわよ」
やはり一人は永琳に間違いない。もう一人の声は聞き覚えがなかった。
「作り方を教えた所で、貴女にどうにかなるものじゃないでしょう」
「そこをなんとかするのが魔法使いというものよ」
「魔法使いなら別に必要の無いものでしょう?なんでそんなものを」
「ただちょっと興味があるだけよ、不老不死の薬ってやつに」
「呆れたわね、興味本位で手を出していい代物じゃないってことがわからない?」
「わからないわね」
「……はあ。時に貴女、胡蝶夢丸もまともな使い方してないでしょう?魔法を使って変な用途に使ってもらっちゃ困るのだけど」
「な、なぜそれを……」
「薬は用法・容量を守って正しく……まあ別にいいわ。処方を続けてもらいたいなら、蓬莱の薬は諦めなさい」
「む……わかったわよ」
「あら、いやに物分かりがよくなったわね」
「ええ、やっぱり。魔法使いたるもの、人に頼ってばかりはいられないもの……不老不死の薬は、自分で作ることにするわ」
「……懲りてないのね」
「そういえば肩コリに効く薬ってない?最近疲れ気味で」
「これあげるから、今日は帰って頂戴」
「どーも」
何の話だかさっぱりわからなかった。しかし気になる言葉があった。『魔法使い』だって?
メディスンはつい最近『魔法』の森に行ったばかり。しかしお目当ての人物に出会うことすらできずに退散した苦い思い出だけが残っていた。
魔法使いなら魔法の森には詳しいだろう、というか魔法の森に住んでいるんじゃないだろうか?そりゃそうだ、魔法の森なのに魔法使いがいないというのもおかしな話だ。いや、人間の魔法使いが魔法の森に住んでいるというような話も聞いた覚えがあるが……忘れた。
メディスンは魔法使いに協力を頼むことにした。魔法の森の魔法使いなら人形遣いのことも知っているはずだし、永琳の知り合いなら話も通りやすい。
メディスンははやる気持ちを押さえず一気に扉を引いた。
「あいたっ」
「おっと」
するとおもいきり誰かにぶつかってしまった。しりもちをついて見上げると、そこにいたのは金髪の綺麗な女性。部屋には他に永琳しかいなかったのでこの人が例の『魔法使い』だろうが、とてもそうは見えなかった。少なくともメディスンの想像していた魔法使いのイメージとは大きく違っていた。もっと、こう、黒い三角帽で、ホウキに乗って空を飛ぶような……おや。そんなような奴と会ったことがあるような気がしたが……忘れた。
「あー、ごめんなさいね。大丈夫?」
「え?……あ、ありがとう」
手を引かれて立ち上がる。ぼそぼそと礼を言ったが、聞こえていたかはわからない。魔法使いは、永琳に『じゃあ』と短く告げると、そのまま開かれた扉を出ていってしまった。
「いらっしゃい。久しぶりね、メディスン」
メディスンは迷った。魔法使いを追いかけるべきか、予定通り永琳に話を聞くべきか……
間をとって、永琳にさっきの人の話を聞くことにした。永遠亭は広い、急げばすぐに追いつけるだろう。
「あのー、さっきの人って?」
「ああ。ちょっとだけ困った客なのよね」
でも無碍にはできないから余計に困りものだ、と永琳は息を吐いて呟く。
「魔法使いだ、って」
「そうね。魔法の森の魔法使い」
で、人形遣い。
永琳がさらっと放った一言は、メディスンの目を点にするには十分だった。
「どうしたの、いきなり固まって」
「……え?人形遣い?でも魔法使い?え?」
「人形遣いで魔法使いなんですって。魔法で人形を動かしているってことなんでしょう。……あら、そういえばメディスン、貴女は」
メディスンは一目散に永琳の部屋を飛び出した。道行く因幡を蹴倒し跳ね除け、屋敷を出た頃ついに見えた背中。
ここで会ったが百年目!
「待ちなさい!」
「え?……あら、さっきの」
当然、魔法使い、いや、人形遣いに、こんなところで呼び止められるいわれはない。
しかしメディスンはそいつの名前を忘れた事はない。憎き敵、不倶戴天の仇!
「ようやく会えたわね、人形遣い!……ええと……リリス!」
「えっ、そっちの名前を間違えられたのは初めてだわ……アリス・マーガトロイドよ」
「ご丁寧に自己紹介をどうも!私はメディスン・メランコリー。冥土の土産に覚えときなさい!」
「ええ、私の名前覚えてなかったのになんか図々しいわね……」
なんかごちゃごちゃ言ってるようだが、そんなことはメディスンには関係ない。これから死ぬ奴の言う事なんて聞く耳持たぬ。
「遺言があるならどうぞ……聞いてあげないけどね!」
「え、なに、なんなのよ?」
メディスンは魔法の森に敗れた後、やはり作戦は考えておかなければならないと思い直し、いくつか策を用意していた。といっても、魔法の森のことではなく人形遣いに対してのものだ。幸運にも、魔法の森突破の手間が省けた。
そして、相手と真正面から対峙した場合……先手必勝!殺られる前に殺れ!
メディスンの武器は毒だ。それを何かに混ぜてもいいし、直接相手に触れるのでもいい。最近はちょっと触ったくらいなら普通の人間でも大丈夫なよう力をコントロールできるようになったのだが、それをちょっと後悔していた。
「うわ。あぶなっ」
「む、避けたわね!」
メディスン渾身のタックルはあっさりと避けられた。相手の肌に触れ、皮膚の内から毒を流し一瞬で息の根を止めてやろうと思っていたのだが……どうやらうまくいかなかった。
「ほんとになんだってのよ……理由も無しに殺されたんじゃたまらないんだけど」
「理由?そんなもの、あんたが人形遣い、そして私が、人形だってことだけで十分よ!」
「はあ?人形?」
「そうよ!」
メディスンは高らかに語った。自分が毒を操る自律人形であること、そして一つの目標である人形解放。そのためには、人形遣いであるアリスは邪魔だということ。
これだけ言えばさすがに自分の置かれた立場がわかるだろうと思っていたのだが……アリスは話を真面目に聞いていたのかいなかったのか、メディスンの言葉を「ふーん」の一言で流し、あろうことか背を向けて歩き去ろうとしていた。
「ちょ、ちょっと!どこに行くつもり!?」
「帰るのよ。ごめんなさいね、頭がアレな子の相手をするのはちょっと……そうだ、あっちにいい病院があるわよ」
「あたまって……私はいたって健康よ!」
「ふーん?そうね。がんばってね」
「ちょっと!」
ひらひらと手を振りかまわず歩きだしたアリスを追いかける。なぜだかわからないが、メディスンは会って早々人形遣いに『頭がちょっとアレな子』として認識されているようだった。
「待ちなさいって、待って……ねえ!」
「はあ。まだ何かあるの?」
面倒くさそうに溜息を洩らしながらようやくアリスは立ち止った。『これ以上無駄に時間をかけさせるようならぶっとばすぞ』と目が言っている。
しかしメディスンも頭のおかしな子にされたまま引き下がるわけにはいかない。
「さっきからなんなのよ、人を気狂い呼ばわりして。私の話に何かおかしなところでもあった?」
私は人形だ。だから人形を解放したい。なので人形遣いは殺す。完璧だ。メディスンは自身の理論にいちゃもんつけられるいわれは無いと思っていた。
「人形が自分で歩けるわけないじゃないの。馬鹿なの?」
そこからかよ、とメディスンは思った。
「え、いや、ほら。目の前でこうして歩いてるじゃない」
「だからねえ」
アリスは首を振った。
「いい?人形は絶対自分じゃ歩かないし、言葉も話せないし、無謀な独立宣言を掲げたりはしないの!……はあ、もう人形ごっこはおしまいしして、おうちに帰りなさい。せっかくだから送って行ってあげましょうか?」
どうもこの人形遣い、メディスンが自立人形であるとこれっぽちも信じていないようだった。つまりアリスにとってのメディスン・メランコリーとは……『自分を人形だと頑なに主張する頭のアレな女の子』である。ついでにいきなり殺しにかかってくるわで、第一印象も最悪だ。
「いや、ほんとに人形なんだって!」
「はあー。じゃ、そこまで言うなら証拠を見せてみなさいよ」
「しょ、証拠って」
そんなものをいきなり見せろと言われても困る。
「無いの?じゃあ、そうね。爆発しなさい」
「ば……爆発!?」
「ええ。あなたが本当に人形ならできるはずよ。現に私の人形ならみんな爆発できるもの」
これ以上はないというほどの無茶な話だった。ただ毒を操る能力を持っているだけで、爆発機構が備わっているはずもない。仮にできたとしてもやりたくない。
「えー、これもできないの?じゃあせめて……うん、自爆が駄目なら自害しなさい」
「じが……嫌よ!」
「はあーあ。やれやれ、あれもだめこれもいや、全くとんだわがままちゃんね」
どっちがだ、という言葉をメディスンは危ういところで飲み込んだ。もうこいつの馬鹿に付き合わされるのはウンザリだ。このままでは人形遣いのペースに巻き込まれ、頭のおかしな子のレッテルを張られたままで終わってしまう。
メディスンはくだらない話をするためわざわざアリスを追いかけてきたわけではない。憎き人形遣いを抹殺すべく来たのだ。
そいつが思っていたよりなんだかアホというか抜けてるというか……なーんかいまいちパッとしない展開になってしまったがためにこっちにまでアホが移った。目の前のバカのせいだ。
そいつが阿呆だろうが馬鹿だろうが、人形遣いであることには変わりないのだ。なら余計な話をされる前に殺してしまうのがいい。それがいいそうしよう。
メディスンは落ち着きを取り戻した。人形遣いは油断している。絶好のチャンスだ。
「あーあ、時間の無駄だったわ。……あら?」
アリスは違和感を覚えた。変な臭いがして頭も痛い。そして目前では、自称人形の女の子が不敵に笑みを浮かべている。
「ふふふ、一瞬で楽にしてあげるつもりだったけど……気が変わったわ。じわじわ、苦しみながら死んでもらう」
「なに、これは貴女の仕業?」
「ええ!毒は私にとっての空気や水みたいなもの。あんたのお友達にはなれないでしょうけど、私の手足のように動く。この毒は吸い続けるとだんだん身体がしびれて、そのうち呼吸もままならなくなるわ。あんたがどんなふうに命乞いするのか今から楽しみね!あっはっはっはっはあっ!?」
メディスンの言葉を半分も聞かないうちから、アリスは走りだす。いきなり目の前に現れてもらっては何もできずに面食らうだけだ。
足を大きく振りかぶる、フリーキックの体勢。そしてメディスンの土手っ腹を、ありったけの力を込めて勢いよく蹴り飛ばした。
メディスンは飛んだ。ぐるんぐるんと回りながら飛んだ。初めての経験だった。『地球は丸い』ことの意味がわかった気がした。
「……前に、『人形を操っている間は無防備だろう』と私に直接向かってきた奴がいたわ。
数秒後、そいつはサッカーボールになっていた。なぜかしらね」
アリスはかがんでゆっくりと靴ひもを締め直し、一度も振り返ることなく、悠々と帰路についた。
メディスンは鈴蘭畑に突き刺さっていた。『なかなか斬新な帰宅だったわね』と幽香に笑われた。
やはり直接戦闘は避けるべきだったとメディスンは思う。だいたい、魔法を使うのか人形を遣うのかまさかの近接戦主体なのか、それすらもよくわからないような変な奴だ。
だったら後はもう暗殺しかない。飲み物に毒を仕込むとか、気づかれないよう後ろからサクッとか、考えられる方法はいくらでもある。
そのためにはやはり魔法の森攻略は必要不可欠だったが、意外にもあっさり解決してしまった。薬の届け先にでもなっているのか、うどんげがアリスの家の場所を知っていたのだ。
「じゃあ、私はこれで帰るけど」
「うん。ありがと、うどんげ」
ちょっとアリスの家に用があるから、と言うと簡単に案内してくれた。あとはアリスの家に忍び込んで、好きに毒殺すればいい。なーんだ簡単な作業じゃないかとメディスンは余裕を見せた。
さてどこから入ろうか、それがまず問題だったが……ものは試しと握ってみた正面の玄関扉が開いてしまった。中にいる時には鍵をかけないのか、単に出かけるときに忘れたのか。ともかく好都合、メディスンはなんの苦労も無く侵入を果たした。
アリスの家はさすがに人形遣いというだけあり、玄関から人形で埋め尽くされていた。今はどれも動かないが、おそらく有事には人形遣いの手足として働かされているのだろう。メディスンには、人形達の『助けて』という声が聞こえた。それは間違いなく幻聴かただの勘違いだったのだが、とにかくメディスンにはそう聞こえたのだ。
人形遣い抹殺の決意にさらなる鞭を入れ、メディスンは一歩一歩を慎重に進んでいく。奥からは物音が聞こえる。アリスは家にいるようだった。
これまで感じたことの無かった高揚と緊張が、メディスンの足を震えさせた。こんなことではいけない。目を閉じ、一回、二回と大きく息を吸い、吐く。まぶたの裏に浮かぶのは、あの憎き人形遣いだ。あの小馬鹿にしたような表情と、人の話を聞かない飄々とした態度はいつ思い出しても腹が立つ。
身体を毒で動かすメディスンの、今の原動力は憎しみだ。そして『人形達を守らなければならない』という義務感。二つがメディスンの心を動かしていた。人形遣いを殺すことでしか、それは満たされることはないだろう。
メディスンは懐から一つの透明な瓶を取り出した。一見何も入っていないように見えるその中には、今回用いる得物が詰まっている。前回使った時のもの以上に、致死性の高い猛毒だ。
狭い部屋の中で開ければ、人の命を奪うくらいはたやすい。魔法使いとやらがどれほど丈夫にできているのかはしらないが、身体の自由を奪うことくらいはできるだろう。意識のあるうちに、一発蹴りをかましてやらなければ気が済まない。これひとつで死んでくれないことを、メディスンは願っていた。
その時が迫っている。人形遣いの姿を確認したら、この瓶を開ける。しばらく待てばいい。異変に気付いた時にはもう手遅れだ。煮るなり焼くなり、どうにだってできるのだ。
メディスンは壁に背を付け、這うような速度でそろりそろりと進んでいく。人形遣いがいるらしき部屋のドアは全開で、ちょっと覗けば中の様子を窺うことができる。
いよいよだ。いよいよその時が来た。初の大仕事。人形解放に向けた最初の、そして大きな一歩……メディスンは、己の目を疑った。
確かに誰かはいた。誰かはいたのだが、誰なのかがわからなかった。そこにいたのは人形遣いとは似ているようで似ていない、年端のいかぬ子供だった。メディスンは入るべき家を間違えたのかと思った。うどんげがアリスの家を間違えて覚えていたのか?無いとは言い切れないが、あまり現実的ではなさそうだ。
だとしたら……あいつは誰だ?メディスンは、ここで一つの可能性を失念していたことに気がついた。『人形遣いが、必ずしも一人で暮らしているとは限らない』……
作戦は失敗だ。メディスンの身体から、先程まで溢れんばかりに滾っていた気持ちが流れてゆく。でも……本当にそれでいいのか?人形遣いの家族だというなら、同じような罪を負っているようなものじゃないか?
メディスンは迷った。部屋の中にいた子供、よく似ていたのでおそらく妹……に、罪はあるといえるのだろうか。
蛙の子は蛙、と割り切ってしまうことはたやすい。人形遣いの家族ならそれだけで同罪、とこじつけてしまうのもたやすい。
それでもメディスンは迷った。迷い、そして、今更、誰かを殺すことの重さに気が付いたのだった。
幻想郷にはルールがある。スペルカードルール、それはなんのためにあるものだったのだろう?
なぜだか人形として生を受け、歩き始めたばかりのメディスンに、それは難しい、とても難しい問題だった。
そして追い打ちをかけるように、さらなる問題が生まれる。メディスンは少しばかり考えすぎていた。周りが見えなくなり、ついつい身を乗り出してしまっていた。
当然、中にいた少女にバレることとなった。
「え?」
「お?」
目があった。口が固まり、声も出ない。互いの動きが止まる。しかし時間は流れていた。
なんとか、声を絞り出すことができたのは少女のほうだった。
「……来なさい」
「……あ、」
「逃げようなんて考えるんじゃないわ。こっちに来るのよ……」
逆らおうとはなぜだか思えなかった。メディスンはのろのろと動きながら、部屋へと足を踏み入れた。
「扉を。閉めなさい」
言われたとおりにした。がちゃり、と金属質な音を最後に、静寂が包む。静かに過ぎて耳が痛い。
震えるような声のまま、少女は再度口を開いた。
「どうやって……ここへ入ったの?」
「え……普通に……玄関から」
「玄関から……そう。なんてこと……」
少女は頭を押さえ、ぶつぶつと何かを呟く。それが何だったのかは聞き取れなかった。
異様な雰囲気だ。メディスンは今すぐに帰りたくなった。なにがどうなっているのかわからない。
今にも死にそうな顔をしている少女は人形遣いとどんな関係が?自分のことではなく、どうやって入ったのかなんてことを最初に聞いたのはなぜだ?
この重い空気に負けず、メディスンは自分から口を開こうとした。『あなたは誰?』……
「……とにかく。あなたは知ってしまった。『アリス・マーガトロイドの正体が実はこんな子供で、魔法を使って姿を誤魔化しているだけだ』ということを」
「……
……
……え?」
メディスンは真っ白な頭で考えた。つまりこいつが、人形遣い。
そしてそれを知らなかったメディスンに、ペラペラと自分から全部話してしまったのも人形遣い!
「え。え。ちょっとまってよ」
「そして……この秘密を知ったやつを、生かしておくわけにはいかないわ。死んでもらう!」
「ええーっ!?」
なんてことだ、殺る前に殺られる。弱みを握ったはずなのに、そのおかげで死んでしまう。
今となっては誤解を解いたところで無駄だ。なんとかしようと、メディスンは必死で口を動かした。
「ま、まって!ほら……スペルカード!あれがあるから、こういうのは駄目なんでしょ?ここは穏便に……」
「ああ?んなもん知ったことじゃないわ!それに、前、先にふっかけてきたのはそっちだったじゃない。正当防衛よ!」
「そんなあ!」
人形遣いは両手にナイフ、ついでに人形にも剣を持たせて追いかけまわしてくる。このままではメディスンの首が飛ぶのも時間の問題だ。
「えーと、えーと。あ!ほら、人形遣いなんでしょ!?だったら私自律人形だし、そういうのに興味あるんじゃあないかしら?」
「まーだそんな馬鹿な妄想を続けているの?もういいから死んでくれる?」
「うわーあ!」
椅子を蹴飛ばし机を追いやり、メディスンは狭い部屋を飛び回って逃げる。しかしそれももう限界だった。
「うわわわ」
「やれやれ、手間をかけさせるんじゃないわ。さて……遺言があるなら聞いてあげましょう。聞くだけだけど、ね」
最早なりふりかまっている場合じゃなかった。メディスンは覚悟を決めた。プライドは捨てた。
膝をつき、手を張り、床を破る勢いで頭を下げ、言った。
「すいませんでした!もうしわけありません!生まれてきてごめんなさい!誰にも言わないから許してください!」
静寂が相変わらず耳に痛い。おでこもひりひりする。そして、大事な何かを失った気がした。
これでだめなら自害しよう、と思った。自爆もいいかもしれない、と思った。ハラキリとかは嫌だし、服毒自殺は仕様上不可能だ。
どれほど黙ったままだったのかはわからないが……ようやく重苦しい沈黙を破り、アリスが言った。
「……いいでしょう」
思わずメディスンは顔を上げた。
「ただし。その言葉に偽りがないか、確かめさせてもらうわ。そうねー、ええっと……一週間うちで働きなさい。そうすれば許してあげましょう」
どうして雑用が謝罪を信じることに繋がるかはわからなかったが、ともかく首の皮は繋がったのだ。メディスンは、初めて『生きているってすばらしい』と心の底から思った。
「返事は?」
「い、いえっさ!」
こうして命と引き換えに、メディスンはアリスの家で一週間雑用することになってしまった。かなりやっつけの思いつきのような罰だった。
事実、アリスは特に深い考えがあったわけではなかった。まあこれだけ言うなら許してやってもいいかと思ったが、なんとなくそのまま解放するのはちょっと惜しいような気がしただけだった。
さてその一週間、メディスンは何をしていたのか?何もしていなかった。ひがな一日ぼーっとしたりアリスに取って来てもらった鈴蘭を愛でたり人形達と他には聞こえない会話をしたりして過ごしていた。
なにしろ本当にやることがなかったのだ。メディスンに家事をやらせるというのも無謀な話だったし、永遠亭のように毒を分けるというようなことも必要ない。一度乗せられそうになったことはあったが。
「ねえメディ、ちょっとこの人形に毒を入れてみてくれない?」
「え?いいけど、何に使うのよ」
「これを爆発させたら、殺傷力が上がるかなと思って」
「ばっ……そんなの、いろんな意味で駄目に決まってるじゃない!」
「ええー?そう、ううん、いいアイデアだと思ったのに」
一日をぼーっと過ごしていたからと言って、別に楽だったというわけではない。むしろ何もしていないのに疲ればかりが溜まっていく。
メディスンはうんざりしていた。アリスにはもちろん、こんなのを必死に追いまわしていた自分にも、だ。
馬鹿と天才は紙一重、と誰かが言っていた。永琳は頭がいい。だれもが認める天才だ。アリスは馬鹿寄りの天才だった。『天才だけど馬鹿』というのがミソだ。
「はあーあ、食パンくわえた人形の女の子と通学途中にばったり出くわしたりしないものかしら」
「……何突然馬鹿な事を言っているの」
「馬鹿な事とは何よ、私の夢よ」
「前に言ってた『自律人形を自分で作る』ってのはどうしたのよ」
「ああ、そうね、それもあるわね。私が自律人形を作るか、街角でばったりぶつかってめくるめく青春ラブストーリーに発展するか、どっちが先かしらね」
「…………」
「あーあー、どーやったらかわいい人形の女の子と結婚できるのかしらね」
ついでにどうしようもない変態だった。これが友人なら付き合いを見直したくなるレベルだ。メディスンは友達どころか知り合いですらない、と思っているので問題ない。
「……そういえば、『食パン』とか『通学途中』なんて馬鹿なとこ除けば、私とアリスもそんな感じだったよね」
「そーね、あなたはどこからどう見ても人形ね。よかったわね。末長くお幸せにね」
「…………」
こういうところもむかっ腹が立つのだった。
ところでメディスンはアリスに『メディ』と愛称で呼ばれている。別に仲がいいからあだ名をつけた、とかそんなんではない、断じてない。
かといって深い理由は無い。強いて言うなら、やっぱりこれもアリスが阿呆だったからだ。
「おーい、メディック、メディーック!」
「だーれが衛生兵か!」
「メディック、そんなところにいたのね」
「直す気がさらさら無いのね!メディスンよ!」
「あー、そうだったかしら。『メディスン』てなんか長くない?メディって呼ぶわ」
「んなこと言うのアリスだけよ……もう好きに呼んでよ」
「メーデーメーデー!」
「やめろ!」
「ははは」
「笑うな!」
人前で『メディ』と呼ばれ、その変な理由、『衛生兵が云々』などということを話されてはたまらない。
メディスンは、初めて自分の名前というものを恨んだ。
日々メディスンの心労の種は尽きない。これでは一週間経つ前にストレスで死んでしまいそうだ。
でもまあ悪いことばかりかというと、それがそうでもないのだった。
例えばメディスンは、『食事』というものを知った。
「今日はチャーハンよ」
「……」
「どうしたの、ぶすっとして。チャーハン嫌い?」
「そうじゃなくて。私は人形だから食事は必要ないっていってるでしょ」
「あー、はいはい。そうね。食べなきゃ大きくなれないわよ」
「なによ、自分だって本当は……なんでもないです」
「文句言わずに食べなさい。無理矢理にでも口に入れるわよ」
「うわー、もがもが!……う、おいしい……」
「でしょう?」
「ああ、でも食べちゃって大丈夫なのかなあ。お腹の中で腐ったりしないのかなあ。これが積もり積もって爆発したりしないかなあ」
やっぱり心労のほうが大きいようだったが、それはそれでもう仕方のないことだ、と諦めるしかないだろう。
だが、とメディスンは思う。これが本当にあの人形遣いなのか?
なんだか最初に会った時とはイメージがかけ離れてしまっている。メディスンが勝手な想像を膨らませていた名もなき『人形遣い』になんてかすりもしない。ただ外では猫かぶっているだけなのだろうか。
ともかくメディスンはアリスに振りまわされつつも、健気に一週間を耐え忍ぼうとしていた。
早くもついに一週間である。ちょっと名残惜しいとかそんなことはまるでなく、メディスンは『これでやっと解放される』と思うとすぐにでも外に出て飛び跳ねて大声で叫びながら全身で喜びを表現したくなるほどだった。
当然、当初の目的、『人形遣いの抹殺』なんてもの忘れている。むしろ逆に『あれを喋ったら殺す』と脅される立場になってしまっていた。
しかしそんなのはもう全部どうでもよかった。今日からは自由の身。この馬鹿に付き合う必要なんて無くなるんだと思うだけで生きるのが楽しくて仕方がない。まさに今が、幸せの絶頂と言えた。
「うーん、これでこの家も寂しく……いや、あんまり変わりそうにないわね」
アリスはそんな失礼な事を言うが、どことなくつまらなそうではあった。
「あっはは!辛気臭いわね、アリス!そんな顔して生きるの楽しい?あっはは!」
「メディはテンション高すぎよ……そんなに出ていけるのが嬉しい?」
「うん!」
考えるまでも無い。即答した。アリスは苦笑いするしかなかった。
「……まあ、いいけどね。今まで何してたかは知らないけど、そんなにやりたいことでもあったの?」
「やりたいこと?うーん……」
言われて考えるが、メディスンはただ自由になれるのが嬉しいだけで、その後の事は何も考えていなかった。
「アリスは?これからどうするの?」
試しに聞き返してみることにした。こいつが普段何をしているのかというのも気になった。メディスンと一緒にいると、くだらない発想がわんさかでてくるそうで、いつも忙しそうだったのだ。
「私?そうね、ええと。ああ、蝋人形館を見に行こうと思ってたんだわ。イギリスに」
「……は?」
蝋人形、イギリス。メディスンにはなじみの無い言葉ばかりだった。
それは幻想郷のどこにあるのかと聞くと、幻想郷にあるわけないじゃない、とわけのわからん答えをされた。
「え、じゃあどこにあるのよ」
「どこって、外だけど」
外。
アリスの家の外、なわけない。つまりは幻想郷の外。
メディスンにはなじみのなさすぎる言葉だった。
「え?いや、そんな簡単に言うけど、外って……」
「なあに、何事も抜け穴というのはあるものよ。法律、テストの監視員、結界にだって」
魔界経由でちょろっとね、とアリスは言う。またもメディスンにとって、なじみどころか聞いたことも無い言葉だった。
幽香や永琳も大概だが、ここまで常識はずれなやつがいるものか。呆れを通り越して唖然とした。
「いや、いやいや。そんなことしてみろ、怒られるどころじゃすまないんじゃ……幻想郷を追い出されたりするかも」
「ま、その時はその時よね。なに、バレなきゃいいのよ」
ばれなきゃ何やってもいいとはいかがなものか。メディスンは、まず人の常識を疑う前に、自分の常識を疑うことにした。……やっぱりそんなのありえないだろ、と結論した。
私は何も間違えていないはずだ、とつい不安になるほど、アリスは堂々とんでもないことを言ったのだ。
「じゃあね、メディ。短い間だったけど。そっちはずいぶんな言いようでも、私は楽しかったわよ」
「いやまて、まて待て!」
早くも締めにかかっているアリスを、必死になって呼びとめる。メディスンは、方法なんてわかんなくても、『とにかくこいつをなんとかしなければならない』と思っていた。誰に言われたわけでもない、ただただそう思った。
アリスは『まだなにかあるの?』と先程までとは打って変って渋い表情をした。なんとなく既視感があった。
そんなものに挫けるメディスンではない。なんとか、とにかくなんとかしようと躍起になった。
「なーに言ってんのよ、さらっとまた変なことを!駄目に決まってるでしょ、そんなの!」
「駄目に決まってるって……だれが決めたってのよ、そんなの」
「え?えーと……幻想郷の偉い人が、よ」
「その幻想郷でそれなりに偉い紫がひょいひょい外の世界に行ってるんだもの。私が行っちゃいけない理由は無いわ」
「うぐぐ……とにかく、駄目なものは駄目なのよ……多分!」
メディスンが内心『やっぱりこいつは私では止められないのかもしれない』と思ったころ、アリスは何かを閃いた。
すると突然笑顔になって、メディスンは身構えた。
「な、なによ」
「そんなに行きたいの?私と一緒に」
「んな!」
そんなわけがない、と叫ぼうとした口を……閉じてみて、よく考える。
別に……別に、外の世界に行ってみたい訳ではない。ないが、アリスを一人で外に行かせてしまっていいものか?
わざわざ騒ぎを起こすようなことはしないだろうと思う。しかし、しばらくメディスンは後悔に苛まれることだろう。『ああ、なんであれを野放しにしてしまったんだ!』
口ぶりからして初犯ではない。常習だ。だったら……だったら、なおさら、放っておくわけにはいかないのでは?
間違いなく、これを知っているのはメディスン一人。それを誰かに伝えることができないなら……そう、自分がなんとかするしかない。
自分を置いて他に居ないのだから……やるしかない。やるしかないのだ、自分だけができるなら。
メディスンは腹を括った。悲壮な決意と共にだ。短く、行きたい、と告げた。
まさか人里や神社の場所すら覚えていないのに、外の世界へ向かうことになるとは、誰が予想できただろう?少なくともメディスン自身には予想もつかなかった。振り返ってみれば、幸せのピークはあまりに短かった。
そしてこの時、ふとした拍子に、メディスンは自分の本来の目的を思い出した。『人形解放』、そして『人形遣いの抹殺』。
無理だ、と悟った。私にこいつを殺そうなんて、土台無理な話だったのだ。
これでは、人形解放の方も怪しいものだ。なにかと意味不明な人形遣いに、人形だと信じてすらもらえない自律人形。
メディスンの夢は遠く暗く、しかし今が良ければいいやと刹那的に生きることもできなかったので、やむなくアリスと共にいる。
これからどうなってしまうのだろう?メディスンの疑問に答えを出してくれるものはない。
永琳なら、『それは自分で見つけるものだ』と言うかもしれない。幽香なら、『もう答えは出てるんじゃないの?』と言うかもしれない。
アリスなら……『知るか』とでも言うだろうか。それはさすがにメディスンの考えすぎかもしれない。
何が見つかるかなんてわかったもんじゃないが、それでもメディスンは行くことを決めた。もうどうにでもなれ、とやけっぱちになったつもりはない。
ただちょっとだけ、ほんのちょっとだけ……やりたいこともやりたくないこともやったっても別にいいんじゃないか、と思ったのだ。
怒られる時はアリスも一緒だ。『反省』という言葉がどこにも見当たらないようなやつだ、こんなときにこれほど心強いものもない。
アリスとメディスンは魔界へと向かう。そしてその直前に紫に見つかり。
二人は手を取り合って逃げ出した。
メディスンは『どうして私がこんな目に』と叫んだかもしれない。アリスと一緒に笑ったかもしれない。
とにかくその後、幽香に言われたこと。
「あなた、最近楽しそうね?」それを思い出しては。
メディスンは、いよいよ自分というものがわからなくなるのだった。
閻魔様に『もっと外の世界を見ろ』等と説教されたメディスン・メランコリーだがそんなアリガタイお言葉に従う気はさらさら無く、相変わらず鈴蘭畑に陣取りひがな一日ぼーっとしたり鈴蘭を愛でたり風見幽香と談笑したりしながら過ごしていた。
そんなメディスンにも目標はある。『人形解放』である。そもそもそれは何を目的としたのか?理由は?手段は?達成条件は?
んなもんは無い。メディスンは人形なので人形解放する。それで十分である。それを為すための努力とかも別にしてない。何から始めればいいのかもわからないからだ。とにかく人形解放すると言ったらする。それで十二分である。
ある日メディスンは聞き捨てならないことを幽香に教えられた。『人形遣い』の存在である。
人形であるメディスンの敵として、これほどおあつらえ向きのやつは他にいないだろう。しかも、聞けばその人形遣い、人形遣いであるというだけでも極刑ものだというのに、人形に炊事掃除家事全般をやらせるわ、人里で見せ物にするわ、なんと火薬を仕込んで爆弾としてまで使っているという。
メディスンは生まれて初めて憎しみというものを感じた。血の代わりに流れる毒が沸き立つような気もした。
幽香は傍から見れば太陽のような笑顔を浮かべ言った。
「で?そいつをどうするつもり?」
「殺してくるわ!」
「そう、がんばってね」
幽香は手伝ってくれはしないだろう、元々期待もしていない。メディスンは憎き人形遣いの名を聞いた。その名はアリスと言った。人形遣いらしいメルヘンチックな名前だなとメディスンは鼻で笑った。しかし自分は人形そのものだった。
メディスンは鈴蘭畑を飛び出した。武器も勇気も、メディスンはその身一つに宿している。毒を以って毒殺するのだ。弾幕ごっこ?スペルカードルール?知ったことか!メディスンには大義がある。憎き人形遣いを愛すべき同胞達の為抹殺するという使命がある。
ルールなんぞ邪魔なだけだ。メディスンは早速、だいたいの法とそれなりの秩序に守られた幻想郷に歯向かう決意を固めた。
メディスンは、前準備もなにも無しに人形遣いの住まう魔法の森へと一直線に飛び立つ。幽香と鈴蘭だけがそれを見送った。
敗因は何だったのか?それは、ずばり知識の不足にあったとメディスンは結論した。だって魔法の森があんなにおっかないところだとは思わなかったのだ。暗いし、狭いし、飛べないし、抜け出すことができたのは運がよかっただけだ。たまたま出口に辿り着けなければ、今もまださまよい続ける羽目になっていたかもしれない。
そもそもほとんど外にも出歩かないのに魔法の森を進むなんてもってのほかだったのだ。おかげでメディスンはその一日だけでどっと疲れ、しばらく動きたくなかった。なので、ひとまず魔法の森攻略は後まわしにして、人形遣いアリスに対しどんな手段で毒を盛るかについて考えることにした。顔も知らない人形遣いを、その日は8回殺して満足した。
別に年がら年中ひきこもっているわけではない。むしろ閻魔様に説教されてからはけっこういろんな所へ足を運んでいるつもりだ。メディスンはその日永遠亭へと向かった。永琳の手伝いの為というのもあるが、人形遣いについて聞いてみようと思っていたのだ。
鈴蘭畑まで迎えに来てくれていたうどんげに永琳のいる場所を聞き(永琳に教えてもらった愛称だが、本人はうどんげと呼ばれると苦い顔をする)、自室にいると思うと言われたので一人でそこへ向かった。
しかし、いざ扉を開けようとすると中から人の話し声が聞こえる。どうやら先客がいるようだった。メディスンは扉に耳を張り付け息を潜め、様子をうかがった。永琳は謎が多い。その客というのも気になった。
「何度来てもらっても、蓬莱の薬は渡せないわよ」
「無理を承知でお願いしてるの」
「あのねえ」
「じゃあ作り方だけでもいいわよ」
やはり一人は永琳に間違いない。もう一人の声は聞き覚えがなかった。
「作り方を教えた所で、貴女にどうにかなるものじゃないでしょう」
「そこをなんとかするのが魔法使いというものよ」
「魔法使いなら別に必要の無いものでしょう?なんでそんなものを」
「ただちょっと興味があるだけよ、不老不死の薬ってやつに」
「呆れたわね、興味本位で手を出していい代物じゃないってことがわからない?」
「わからないわね」
「……はあ。時に貴女、胡蝶夢丸もまともな使い方してないでしょう?魔法を使って変な用途に使ってもらっちゃ困るのだけど」
「な、なぜそれを……」
「薬は用法・容量を守って正しく……まあ別にいいわ。処方を続けてもらいたいなら、蓬莱の薬は諦めなさい」
「む……わかったわよ」
「あら、いやに物分かりがよくなったわね」
「ええ、やっぱり。魔法使いたるもの、人に頼ってばかりはいられないもの……不老不死の薬は、自分で作ることにするわ」
「……懲りてないのね」
「そういえば肩コリに効く薬ってない?最近疲れ気味で」
「これあげるから、今日は帰って頂戴」
「どーも」
何の話だかさっぱりわからなかった。しかし気になる言葉があった。『魔法使い』だって?
メディスンはつい最近『魔法』の森に行ったばかり。しかしお目当ての人物に出会うことすらできずに退散した苦い思い出だけが残っていた。
魔法使いなら魔法の森には詳しいだろう、というか魔法の森に住んでいるんじゃないだろうか?そりゃそうだ、魔法の森なのに魔法使いがいないというのもおかしな話だ。いや、人間の魔法使いが魔法の森に住んでいるというような話も聞いた覚えがあるが……忘れた。
メディスンは魔法使いに協力を頼むことにした。魔法の森の魔法使いなら人形遣いのことも知っているはずだし、永琳の知り合いなら話も通りやすい。
メディスンははやる気持ちを押さえず一気に扉を引いた。
「あいたっ」
「おっと」
するとおもいきり誰かにぶつかってしまった。しりもちをついて見上げると、そこにいたのは金髪の綺麗な女性。部屋には他に永琳しかいなかったのでこの人が例の『魔法使い』だろうが、とてもそうは見えなかった。少なくともメディスンの想像していた魔法使いのイメージとは大きく違っていた。もっと、こう、黒い三角帽で、ホウキに乗って空を飛ぶような……おや。そんなような奴と会ったことがあるような気がしたが……忘れた。
「あー、ごめんなさいね。大丈夫?」
「え?……あ、ありがとう」
手を引かれて立ち上がる。ぼそぼそと礼を言ったが、聞こえていたかはわからない。魔法使いは、永琳に『じゃあ』と短く告げると、そのまま開かれた扉を出ていってしまった。
「いらっしゃい。久しぶりね、メディスン」
メディスンは迷った。魔法使いを追いかけるべきか、予定通り永琳に話を聞くべきか……
間をとって、永琳にさっきの人の話を聞くことにした。永遠亭は広い、急げばすぐに追いつけるだろう。
「あのー、さっきの人って?」
「ああ。ちょっとだけ困った客なのよね」
でも無碍にはできないから余計に困りものだ、と永琳は息を吐いて呟く。
「魔法使いだ、って」
「そうね。魔法の森の魔法使い」
で、人形遣い。
永琳がさらっと放った一言は、メディスンの目を点にするには十分だった。
「どうしたの、いきなり固まって」
「……え?人形遣い?でも魔法使い?え?」
「人形遣いで魔法使いなんですって。魔法で人形を動かしているってことなんでしょう。……あら、そういえばメディスン、貴女は」
メディスンは一目散に永琳の部屋を飛び出した。道行く因幡を蹴倒し跳ね除け、屋敷を出た頃ついに見えた背中。
ここで会ったが百年目!
「待ちなさい!」
「え?……あら、さっきの」
当然、魔法使い、いや、人形遣いに、こんなところで呼び止められるいわれはない。
しかしメディスンはそいつの名前を忘れた事はない。憎き敵、不倶戴天の仇!
「ようやく会えたわね、人形遣い!……ええと……リリス!」
「えっ、そっちの名前を間違えられたのは初めてだわ……アリス・マーガトロイドよ」
「ご丁寧に自己紹介をどうも!私はメディスン・メランコリー。冥土の土産に覚えときなさい!」
「ええ、私の名前覚えてなかったのになんか図々しいわね……」
なんかごちゃごちゃ言ってるようだが、そんなことはメディスンには関係ない。これから死ぬ奴の言う事なんて聞く耳持たぬ。
「遺言があるならどうぞ……聞いてあげないけどね!」
「え、なに、なんなのよ?」
メディスンは魔法の森に敗れた後、やはり作戦は考えておかなければならないと思い直し、いくつか策を用意していた。といっても、魔法の森のことではなく人形遣いに対してのものだ。幸運にも、魔法の森突破の手間が省けた。
そして、相手と真正面から対峙した場合……先手必勝!殺られる前に殺れ!
メディスンの武器は毒だ。それを何かに混ぜてもいいし、直接相手に触れるのでもいい。最近はちょっと触ったくらいなら普通の人間でも大丈夫なよう力をコントロールできるようになったのだが、それをちょっと後悔していた。
「うわ。あぶなっ」
「む、避けたわね!」
メディスン渾身のタックルはあっさりと避けられた。相手の肌に触れ、皮膚の内から毒を流し一瞬で息の根を止めてやろうと思っていたのだが……どうやらうまくいかなかった。
「ほんとになんだってのよ……理由も無しに殺されたんじゃたまらないんだけど」
「理由?そんなもの、あんたが人形遣い、そして私が、人形だってことだけで十分よ!」
「はあ?人形?」
「そうよ!」
メディスンは高らかに語った。自分が毒を操る自律人形であること、そして一つの目標である人形解放。そのためには、人形遣いであるアリスは邪魔だということ。
これだけ言えばさすがに自分の置かれた立場がわかるだろうと思っていたのだが……アリスは話を真面目に聞いていたのかいなかったのか、メディスンの言葉を「ふーん」の一言で流し、あろうことか背を向けて歩き去ろうとしていた。
「ちょ、ちょっと!どこに行くつもり!?」
「帰るのよ。ごめんなさいね、頭がアレな子の相手をするのはちょっと……そうだ、あっちにいい病院があるわよ」
「あたまって……私はいたって健康よ!」
「ふーん?そうね。がんばってね」
「ちょっと!」
ひらひらと手を振りかまわず歩きだしたアリスを追いかける。なぜだかわからないが、メディスンは会って早々人形遣いに『頭がちょっとアレな子』として認識されているようだった。
「待ちなさいって、待って……ねえ!」
「はあ。まだ何かあるの?」
面倒くさそうに溜息を洩らしながらようやくアリスは立ち止った。『これ以上無駄に時間をかけさせるようならぶっとばすぞ』と目が言っている。
しかしメディスンも頭のおかしな子にされたまま引き下がるわけにはいかない。
「さっきからなんなのよ、人を気狂い呼ばわりして。私の話に何かおかしなところでもあった?」
私は人形だ。だから人形を解放したい。なので人形遣いは殺す。完璧だ。メディスンは自身の理論にいちゃもんつけられるいわれは無いと思っていた。
「人形が自分で歩けるわけないじゃないの。馬鹿なの?」
そこからかよ、とメディスンは思った。
「え、いや、ほら。目の前でこうして歩いてるじゃない」
「だからねえ」
アリスは首を振った。
「いい?人形は絶対自分じゃ歩かないし、言葉も話せないし、無謀な独立宣言を掲げたりはしないの!……はあ、もう人形ごっこはおしまいしして、おうちに帰りなさい。せっかくだから送って行ってあげましょうか?」
どうもこの人形遣い、メディスンが自立人形であるとこれっぽちも信じていないようだった。つまりアリスにとってのメディスン・メランコリーとは……『自分を人形だと頑なに主張する頭のアレな女の子』である。ついでにいきなり殺しにかかってくるわで、第一印象も最悪だ。
「いや、ほんとに人形なんだって!」
「はあー。じゃ、そこまで言うなら証拠を見せてみなさいよ」
「しょ、証拠って」
そんなものをいきなり見せろと言われても困る。
「無いの?じゃあ、そうね。爆発しなさい」
「ば……爆発!?」
「ええ。あなたが本当に人形ならできるはずよ。現に私の人形ならみんな爆発できるもの」
これ以上はないというほどの無茶な話だった。ただ毒を操る能力を持っているだけで、爆発機構が備わっているはずもない。仮にできたとしてもやりたくない。
「えー、これもできないの?じゃあせめて……うん、自爆が駄目なら自害しなさい」
「じが……嫌よ!」
「はあーあ。やれやれ、あれもだめこれもいや、全くとんだわがままちゃんね」
どっちがだ、という言葉をメディスンは危ういところで飲み込んだ。もうこいつの馬鹿に付き合わされるのはウンザリだ。このままでは人形遣いのペースに巻き込まれ、頭のおかしな子のレッテルを張られたままで終わってしまう。
メディスンはくだらない話をするためわざわざアリスを追いかけてきたわけではない。憎き人形遣いを抹殺すべく来たのだ。
そいつが思っていたよりなんだかアホというか抜けてるというか……なーんかいまいちパッとしない展開になってしまったがためにこっちにまでアホが移った。目の前のバカのせいだ。
そいつが阿呆だろうが馬鹿だろうが、人形遣いであることには変わりないのだ。なら余計な話をされる前に殺してしまうのがいい。それがいいそうしよう。
メディスンは落ち着きを取り戻した。人形遣いは油断している。絶好のチャンスだ。
「あーあ、時間の無駄だったわ。……あら?」
アリスは違和感を覚えた。変な臭いがして頭も痛い。そして目前では、自称人形の女の子が不敵に笑みを浮かべている。
「ふふふ、一瞬で楽にしてあげるつもりだったけど……気が変わったわ。じわじわ、苦しみながら死んでもらう」
「なに、これは貴女の仕業?」
「ええ!毒は私にとっての空気や水みたいなもの。あんたのお友達にはなれないでしょうけど、私の手足のように動く。この毒は吸い続けるとだんだん身体がしびれて、そのうち呼吸もままならなくなるわ。あんたがどんなふうに命乞いするのか今から楽しみね!あっはっはっはっはあっ!?」
メディスンの言葉を半分も聞かないうちから、アリスは走りだす。いきなり目の前に現れてもらっては何もできずに面食らうだけだ。
足を大きく振りかぶる、フリーキックの体勢。そしてメディスンの土手っ腹を、ありったけの力を込めて勢いよく蹴り飛ばした。
メディスンは飛んだ。ぐるんぐるんと回りながら飛んだ。初めての経験だった。『地球は丸い』ことの意味がわかった気がした。
「……前に、『人形を操っている間は無防備だろう』と私に直接向かってきた奴がいたわ。
数秒後、そいつはサッカーボールになっていた。なぜかしらね」
アリスはかがんでゆっくりと靴ひもを締め直し、一度も振り返ることなく、悠々と帰路についた。
メディスンは鈴蘭畑に突き刺さっていた。『なかなか斬新な帰宅だったわね』と幽香に笑われた。
やはり直接戦闘は避けるべきだったとメディスンは思う。だいたい、魔法を使うのか人形を遣うのかまさかの近接戦主体なのか、それすらもよくわからないような変な奴だ。
だったら後はもう暗殺しかない。飲み物に毒を仕込むとか、気づかれないよう後ろからサクッとか、考えられる方法はいくらでもある。
そのためにはやはり魔法の森攻略は必要不可欠だったが、意外にもあっさり解決してしまった。薬の届け先にでもなっているのか、うどんげがアリスの家の場所を知っていたのだ。
「じゃあ、私はこれで帰るけど」
「うん。ありがと、うどんげ」
ちょっとアリスの家に用があるから、と言うと簡単に案内してくれた。あとはアリスの家に忍び込んで、好きに毒殺すればいい。なーんだ簡単な作業じゃないかとメディスンは余裕を見せた。
さてどこから入ろうか、それがまず問題だったが……ものは試しと握ってみた正面の玄関扉が開いてしまった。中にいる時には鍵をかけないのか、単に出かけるときに忘れたのか。ともかく好都合、メディスンはなんの苦労も無く侵入を果たした。
アリスの家はさすがに人形遣いというだけあり、玄関から人形で埋め尽くされていた。今はどれも動かないが、おそらく有事には人形遣いの手足として働かされているのだろう。メディスンには、人形達の『助けて』という声が聞こえた。それは間違いなく幻聴かただの勘違いだったのだが、とにかくメディスンにはそう聞こえたのだ。
人形遣い抹殺の決意にさらなる鞭を入れ、メディスンは一歩一歩を慎重に進んでいく。奥からは物音が聞こえる。アリスは家にいるようだった。
これまで感じたことの無かった高揚と緊張が、メディスンの足を震えさせた。こんなことではいけない。目を閉じ、一回、二回と大きく息を吸い、吐く。まぶたの裏に浮かぶのは、あの憎き人形遣いだ。あの小馬鹿にしたような表情と、人の話を聞かない飄々とした態度はいつ思い出しても腹が立つ。
身体を毒で動かすメディスンの、今の原動力は憎しみだ。そして『人形達を守らなければならない』という義務感。二つがメディスンの心を動かしていた。人形遣いを殺すことでしか、それは満たされることはないだろう。
メディスンは懐から一つの透明な瓶を取り出した。一見何も入っていないように見えるその中には、今回用いる得物が詰まっている。前回使った時のもの以上に、致死性の高い猛毒だ。
狭い部屋の中で開ければ、人の命を奪うくらいはたやすい。魔法使いとやらがどれほど丈夫にできているのかはしらないが、身体の自由を奪うことくらいはできるだろう。意識のあるうちに、一発蹴りをかましてやらなければ気が済まない。これひとつで死んでくれないことを、メディスンは願っていた。
その時が迫っている。人形遣いの姿を確認したら、この瓶を開ける。しばらく待てばいい。異変に気付いた時にはもう手遅れだ。煮るなり焼くなり、どうにだってできるのだ。
メディスンは壁に背を付け、這うような速度でそろりそろりと進んでいく。人形遣いがいるらしき部屋のドアは全開で、ちょっと覗けば中の様子を窺うことができる。
いよいよだ。いよいよその時が来た。初の大仕事。人形解放に向けた最初の、そして大きな一歩……メディスンは、己の目を疑った。
確かに誰かはいた。誰かはいたのだが、誰なのかがわからなかった。そこにいたのは人形遣いとは似ているようで似ていない、年端のいかぬ子供だった。メディスンは入るべき家を間違えたのかと思った。うどんげがアリスの家を間違えて覚えていたのか?無いとは言い切れないが、あまり現実的ではなさそうだ。
だとしたら……あいつは誰だ?メディスンは、ここで一つの可能性を失念していたことに気がついた。『人形遣いが、必ずしも一人で暮らしているとは限らない』……
作戦は失敗だ。メディスンの身体から、先程まで溢れんばかりに滾っていた気持ちが流れてゆく。でも……本当にそれでいいのか?人形遣いの家族だというなら、同じような罪を負っているようなものじゃないか?
メディスンは迷った。部屋の中にいた子供、よく似ていたのでおそらく妹……に、罪はあるといえるのだろうか。
蛙の子は蛙、と割り切ってしまうことはたやすい。人形遣いの家族ならそれだけで同罪、とこじつけてしまうのもたやすい。
それでもメディスンは迷った。迷い、そして、今更、誰かを殺すことの重さに気が付いたのだった。
幻想郷にはルールがある。スペルカードルール、それはなんのためにあるものだったのだろう?
なぜだか人形として生を受け、歩き始めたばかりのメディスンに、それは難しい、とても難しい問題だった。
そして追い打ちをかけるように、さらなる問題が生まれる。メディスンは少しばかり考えすぎていた。周りが見えなくなり、ついつい身を乗り出してしまっていた。
当然、中にいた少女にバレることとなった。
「え?」
「お?」
目があった。口が固まり、声も出ない。互いの動きが止まる。しかし時間は流れていた。
なんとか、声を絞り出すことができたのは少女のほうだった。
「……来なさい」
「……あ、」
「逃げようなんて考えるんじゃないわ。こっちに来るのよ……」
逆らおうとはなぜだか思えなかった。メディスンはのろのろと動きながら、部屋へと足を踏み入れた。
「扉を。閉めなさい」
言われたとおりにした。がちゃり、と金属質な音を最後に、静寂が包む。静かに過ぎて耳が痛い。
震えるような声のまま、少女は再度口を開いた。
「どうやって……ここへ入ったの?」
「え……普通に……玄関から」
「玄関から……そう。なんてこと……」
少女は頭を押さえ、ぶつぶつと何かを呟く。それが何だったのかは聞き取れなかった。
異様な雰囲気だ。メディスンは今すぐに帰りたくなった。なにがどうなっているのかわからない。
今にも死にそうな顔をしている少女は人形遣いとどんな関係が?自分のことではなく、どうやって入ったのかなんてことを最初に聞いたのはなぜだ?
この重い空気に負けず、メディスンは自分から口を開こうとした。『あなたは誰?』……
「……とにかく。あなたは知ってしまった。『アリス・マーガトロイドの正体が実はこんな子供で、魔法を使って姿を誤魔化しているだけだ』ということを」
「……
……
……え?」
メディスンは真っ白な頭で考えた。つまりこいつが、人形遣い。
そしてそれを知らなかったメディスンに、ペラペラと自分から全部話してしまったのも人形遣い!
「え。え。ちょっとまってよ」
「そして……この秘密を知ったやつを、生かしておくわけにはいかないわ。死んでもらう!」
「ええーっ!?」
なんてことだ、殺る前に殺られる。弱みを握ったはずなのに、そのおかげで死んでしまう。
今となっては誤解を解いたところで無駄だ。なんとかしようと、メディスンは必死で口を動かした。
「ま、まって!ほら……スペルカード!あれがあるから、こういうのは駄目なんでしょ?ここは穏便に……」
「ああ?んなもん知ったことじゃないわ!それに、前、先にふっかけてきたのはそっちだったじゃない。正当防衛よ!」
「そんなあ!」
人形遣いは両手にナイフ、ついでに人形にも剣を持たせて追いかけまわしてくる。このままではメディスンの首が飛ぶのも時間の問題だ。
「えーと、えーと。あ!ほら、人形遣いなんでしょ!?だったら私自律人形だし、そういうのに興味あるんじゃあないかしら?」
「まーだそんな馬鹿な妄想を続けているの?もういいから死んでくれる?」
「うわーあ!」
椅子を蹴飛ばし机を追いやり、メディスンは狭い部屋を飛び回って逃げる。しかしそれももう限界だった。
「うわわわ」
「やれやれ、手間をかけさせるんじゃないわ。さて……遺言があるなら聞いてあげましょう。聞くだけだけど、ね」
最早なりふりかまっている場合じゃなかった。メディスンは覚悟を決めた。プライドは捨てた。
膝をつき、手を張り、床を破る勢いで頭を下げ、言った。
「すいませんでした!もうしわけありません!生まれてきてごめんなさい!誰にも言わないから許してください!」
静寂が相変わらず耳に痛い。おでこもひりひりする。そして、大事な何かを失った気がした。
これでだめなら自害しよう、と思った。自爆もいいかもしれない、と思った。ハラキリとかは嫌だし、服毒自殺は仕様上不可能だ。
どれほど黙ったままだったのかはわからないが……ようやく重苦しい沈黙を破り、アリスが言った。
「……いいでしょう」
思わずメディスンは顔を上げた。
「ただし。その言葉に偽りがないか、確かめさせてもらうわ。そうねー、ええっと……一週間うちで働きなさい。そうすれば許してあげましょう」
どうして雑用が謝罪を信じることに繋がるかはわからなかったが、ともかく首の皮は繋がったのだ。メディスンは、初めて『生きているってすばらしい』と心の底から思った。
「返事は?」
「い、いえっさ!」
こうして命と引き換えに、メディスンはアリスの家で一週間雑用することになってしまった。かなりやっつけの思いつきのような罰だった。
事実、アリスは特に深い考えがあったわけではなかった。まあこれだけ言うなら許してやってもいいかと思ったが、なんとなくそのまま解放するのはちょっと惜しいような気がしただけだった。
さてその一週間、メディスンは何をしていたのか?何もしていなかった。ひがな一日ぼーっとしたりアリスに取って来てもらった鈴蘭を愛でたり人形達と他には聞こえない会話をしたりして過ごしていた。
なにしろ本当にやることがなかったのだ。メディスンに家事をやらせるというのも無謀な話だったし、永遠亭のように毒を分けるというようなことも必要ない。一度乗せられそうになったことはあったが。
「ねえメディ、ちょっとこの人形に毒を入れてみてくれない?」
「え?いいけど、何に使うのよ」
「これを爆発させたら、殺傷力が上がるかなと思って」
「ばっ……そんなの、いろんな意味で駄目に決まってるじゃない!」
「ええー?そう、ううん、いいアイデアだと思ったのに」
一日をぼーっと過ごしていたからと言って、別に楽だったというわけではない。むしろ何もしていないのに疲ればかりが溜まっていく。
メディスンはうんざりしていた。アリスにはもちろん、こんなのを必死に追いまわしていた自分にも、だ。
馬鹿と天才は紙一重、と誰かが言っていた。永琳は頭がいい。だれもが認める天才だ。アリスは馬鹿寄りの天才だった。『天才だけど馬鹿』というのがミソだ。
「はあーあ、食パンくわえた人形の女の子と通学途中にばったり出くわしたりしないものかしら」
「……何突然馬鹿な事を言っているの」
「馬鹿な事とは何よ、私の夢よ」
「前に言ってた『自律人形を自分で作る』ってのはどうしたのよ」
「ああ、そうね、それもあるわね。私が自律人形を作るか、街角でばったりぶつかってめくるめく青春ラブストーリーに発展するか、どっちが先かしらね」
「…………」
「あーあー、どーやったらかわいい人形の女の子と結婚できるのかしらね」
ついでにどうしようもない変態だった。これが友人なら付き合いを見直したくなるレベルだ。メディスンは友達どころか知り合いですらない、と思っているので問題ない。
「……そういえば、『食パン』とか『通学途中』なんて馬鹿なとこ除けば、私とアリスもそんな感じだったよね」
「そーね、あなたはどこからどう見ても人形ね。よかったわね。末長くお幸せにね」
「…………」
こういうところもむかっ腹が立つのだった。
ところでメディスンはアリスに『メディ』と愛称で呼ばれている。別に仲がいいからあだ名をつけた、とかそんなんではない、断じてない。
かといって深い理由は無い。強いて言うなら、やっぱりこれもアリスが阿呆だったからだ。
「おーい、メディック、メディーック!」
「だーれが衛生兵か!」
「メディック、そんなところにいたのね」
「直す気がさらさら無いのね!メディスンよ!」
「あー、そうだったかしら。『メディスン』てなんか長くない?メディって呼ぶわ」
「んなこと言うのアリスだけよ……もう好きに呼んでよ」
「メーデーメーデー!」
「やめろ!」
「ははは」
「笑うな!」
人前で『メディ』と呼ばれ、その変な理由、『衛生兵が云々』などということを話されてはたまらない。
メディスンは、初めて自分の名前というものを恨んだ。
日々メディスンの心労の種は尽きない。これでは一週間経つ前にストレスで死んでしまいそうだ。
でもまあ悪いことばかりかというと、それがそうでもないのだった。
例えばメディスンは、『食事』というものを知った。
「今日はチャーハンよ」
「……」
「どうしたの、ぶすっとして。チャーハン嫌い?」
「そうじゃなくて。私は人形だから食事は必要ないっていってるでしょ」
「あー、はいはい。そうね。食べなきゃ大きくなれないわよ」
「なによ、自分だって本当は……なんでもないです」
「文句言わずに食べなさい。無理矢理にでも口に入れるわよ」
「うわー、もがもが!……う、おいしい……」
「でしょう?」
「ああ、でも食べちゃって大丈夫なのかなあ。お腹の中で腐ったりしないのかなあ。これが積もり積もって爆発したりしないかなあ」
やっぱり心労のほうが大きいようだったが、それはそれでもう仕方のないことだ、と諦めるしかないだろう。
だが、とメディスンは思う。これが本当にあの人形遣いなのか?
なんだか最初に会った時とはイメージがかけ離れてしまっている。メディスンが勝手な想像を膨らませていた名もなき『人形遣い』になんてかすりもしない。ただ外では猫かぶっているだけなのだろうか。
ともかくメディスンはアリスに振りまわされつつも、健気に一週間を耐え忍ぼうとしていた。
早くもついに一週間である。ちょっと名残惜しいとかそんなことはまるでなく、メディスンは『これでやっと解放される』と思うとすぐにでも外に出て飛び跳ねて大声で叫びながら全身で喜びを表現したくなるほどだった。
当然、当初の目的、『人形遣いの抹殺』なんてもの忘れている。むしろ逆に『あれを喋ったら殺す』と脅される立場になってしまっていた。
しかしそんなのはもう全部どうでもよかった。今日からは自由の身。この馬鹿に付き合う必要なんて無くなるんだと思うだけで生きるのが楽しくて仕方がない。まさに今が、幸せの絶頂と言えた。
「うーん、これでこの家も寂しく……いや、あんまり変わりそうにないわね」
アリスはそんな失礼な事を言うが、どことなくつまらなそうではあった。
「あっはは!辛気臭いわね、アリス!そんな顔して生きるの楽しい?あっはは!」
「メディはテンション高すぎよ……そんなに出ていけるのが嬉しい?」
「うん!」
考えるまでも無い。即答した。アリスは苦笑いするしかなかった。
「……まあ、いいけどね。今まで何してたかは知らないけど、そんなにやりたいことでもあったの?」
「やりたいこと?うーん……」
言われて考えるが、メディスンはただ自由になれるのが嬉しいだけで、その後の事は何も考えていなかった。
「アリスは?これからどうするの?」
試しに聞き返してみることにした。こいつが普段何をしているのかというのも気になった。メディスンと一緒にいると、くだらない発想がわんさかでてくるそうで、いつも忙しそうだったのだ。
「私?そうね、ええと。ああ、蝋人形館を見に行こうと思ってたんだわ。イギリスに」
「……は?」
蝋人形、イギリス。メディスンにはなじみの無い言葉ばかりだった。
それは幻想郷のどこにあるのかと聞くと、幻想郷にあるわけないじゃない、とわけのわからん答えをされた。
「え、じゃあどこにあるのよ」
「どこって、外だけど」
外。
アリスの家の外、なわけない。つまりは幻想郷の外。
メディスンにはなじみのなさすぎる言葉だった。
「え?いや、そんな簡単に言うけど、外って……」
「なあに、何事も抜け穴というのはあるものよ。法律、テストの監視員、結界にだって」
魔界経由でちょろっとね、とアリスは言う。またもメディスンにとって、なじみどころか聞いたことも無い言葉だった。
幽香や永琳も大概だが、ここまで常識はずれなやつがいるものか。呆れを通り越して唖然とした。
「いや、いやいや。そんなことしてみろ、怒られるどころじゃすまないんじゃ……幻想郷を追い出されたりするかも」
「ま、その時はその時よね。なに、バレなきゃいいのよ」
ばれなきゃ何やってもいいとはいかがなものか。メディスンは、まず人の常識を疑う前に、自分の常識を疑うことにした。……やっぱりそんなのありえないだろ、と結論した。
私は何も間違えていないはずだ、とつい不安になるほど、アリスは堂々とんでもないことを言ったのだ。
「じゃあね、メディ。短い間だったけど。そっちはずいぶんな言いようでも、私は楽しかったわよ」
「いやまて、まて待て!」
早くも締めにかかっているアリスを、必死になって呼びとめる。メディスンは、方法なんてわかんなくても、『とにかくこいつをなんとかしなければならない』と思っていた。誰に言われたわけでもない、ただただそう思った。
アリスは『まだなにかあるの?』と先程までとは打って変って渋い表情をした。なんとなく既視感があった。
そんなものに挫けるメディスンではない。なんとか、とにかくなんとかしようと躍起になった。
「なーに言ってんのよ、さらっとまた変なことを!駄目に決まってるでしょ、そんなの!」
「駄目に決まってるって……だれが決めたってのよ、そんなの」
「え?えーと……幻想郷の偉い人が、よ」
「その幻想郷でそれなりに偉い紫がひょいひょい外の世界に行ってるんだもの。私が行っちゃいけない理由は無いわ」
「うぐぐ……とにかく、駄目なものは駄目なのよ……多分!」
メディスンが内心『やっぱりこいつは私では止められないのかもしれない』と思ったころ、アリスは何かを閃いた。
すると突然笑顔になって、メディスンは身構えた。
「な、なによ」
「そんなに行きたいの?私と一緒に」
「んな!」
そんなわけがない、と叫ぼうとした口を……閉じてみて、よく考える。
別に……別に、外の世界に行ってみたい訳ではない。ないが、アリスを一人で外に行かせてしまっていいものか?
わざわざ騒ぎを起こすようなことはしないだろうと思う。しかし、しばらくメディスンは後悔に苛まれることだろう。『ああ、なんであれを野放しにしてしまったんだ!』
口ぶりからして初犯ではない。常習だ。だったら……だったら、なおさら、放っておくわけにはいかないのでは?
間違いなく、これを知っているのはメディスン一人。それを誰かに伝えることができないなら……そう、自分がなんとかするしかない。
自分を置いて他に居ないのだから……やるしかない。やるしかないのだ、自分だけができるなら。
メディスンは腹を括った。悲壮な決意と共にだ。短く、行きたい、と告げた。
まさか人里や神社の場所すら覚えていないのに、外の世界へ向かうことになるとは、誰が予想できただろう?少なくともメディスン自身には予想もつかなかった。振り返ってみれば、幸せのピークはあまりに短かった。
そしてこの時、ふとした拍子に、メディスンは自分の本来の目的を思い出した。『人形解放』、そして『人形遣いの抹殺』。
無理だ、と悟った。私にこいつを殺そうなんて、土台無理な話だったのだ。
これでは、人形解放の方も怪しいものだ。なにかと意味不明な人形遣いに、人形だと信じてすらもらえない自律人形。
メディスンの夢は遠く暗く、しかし今が良ければいいやと刹那的に生きることもできなかったので、やむなくアリスと共にいる。
これからどうなってしまうのだろう?メディスンの疑問に答えを出してくれるものはない。
永琳なら、『それは自分で見つけるものだ』と言うかもしれない。幽香なら、『もう答えは出てるんじゃないの?』と言うかもしれない。
アリスなら……『知るか』とでも言うだろうか。それはさすがにメディスンの考えすぎかもしれない。
何が見つかるかなんてわかったもんじゃないが、それでもメディスンは行くことを決めた。もうどうにでもなれ、とやけっぱちになったつもりはない。
ただちょっとだけ、ほんのちょっとだけ……やりたいこともやりたくないこともやったっても別にいいんじゃないか、と思ったのだ。
怒られる時はアリスも一緒だ。『反省』という言葉がどこにも見当たらないようなやつだ、こんなときにこれほど心強いものもない。
アリスとメディスンは魔界へと向かう。そしてその直前に紫に見つかり。
二人は手を取り合って逃げ出した。
メディスンは『どうして私がこんな目に』と叫んだかもしれない。アリスと一緒に笑ったかもしれない。
とにかくその後、幽香に言われたこと。
「あなた、最近楽しそうね?」それを思い出しては。
メディスンは、いよいよ自分というものがわからなくなるのだった。
相変わらずのアリスの抜け具合。
次回作も楽しみにしています!
ここからメディスンのあの振り回されっぷりに繋がると思うと、
気の毒のような笑えてくるような、とにかくニヤニヤが止まらない。
とりあえずメディ頑張れ
あなたの過去作読んでくる
出会った時から既に振り回されていたのか……メディ可愛いよメディ。
衝撃の事実があかされた気がするけど、アリスはやはりアリスだったw
『鯉符』で顔を洗って出直してきます。
いやあ、ろくでもない出会い方したものだと思うとともに出会いの瞬間から振り回されるメディスンに敬礼
メディスンはどのタイミングで人形だと信じてもらえたんですかね。まさかまだ信じられてないとか?
フリーダムすぎる
このコンビが妙にツボに入ったので、過去作を巡ってきます
あなたのハイテンションアリスが大好きです。
しかしロリス設定は久しぶりに見たような気が…いや、単に俺が読めてないだけかな? とにかく面白かったw
こんなホイホイ外に行っちまうなんて、流石都会派は格が違った!
毎度の如くの抱腹絶倒。
お腹痛いのです。
この二人に幸あれ。いやアリスは心配しておりませんが。
この組み合わせは最高です。