ずずず。
冬にしては日差しが暖かく、柔らかい風の舞う、アンニュイな午後。
霊夢はいつも通りお茶をすすっていた。それも、ちゃんとした包装がされた高級なお茶だ。数日前に、文にプレゼントされたものだ。
「ブン屋もなかなか粋なことするわ。美味しいこれ、いつもの出涸らしとは大違い」
にまにまと微笑みながら、彼女は卓の上のみかんに手を伸ばそうとする。これはこの間魔理沙がくれたのだ。
しかしその手は途中で止まった。
障子の向こう側、境内で、風がざざざと鳴るのが聞こえたからだ。
じっ、とそっちを見つめていると、がらりと障子が開いた。
「こんにちはー、清く正しい射命丸です!」
「はいはい。あんた、挨拶のたびにそれ言ってるの?」
「え、ええまあ。これによってキャラが立つと思いますし」
「ウザ度が上がるだけよ。しかもその肩書き嘘っぱちだし」
ははは、と薄笑いを浮かべながら文が畳に上がる。後ろ手に障子を閉める姿がどことなくそわそわしていて、視線がきょろきょろと忙しない。
なんでかとちらりと考えて、すぐに思い当たった。
「貰ったお茶、美味しくいただいてるわ。用意するから待ってて頂戴」
「あ、それはよかったです。いいんですか?」
「もちろん。くれた当人だしね」
霊夢と向き合う側から足をこたつにもぞもぞと入れ、文がえへへと笑う。頬も少し赤らんでいた。
……何その笑い。宗教?
不思議に思いながら、霊夢はこたつから抜け出た。湯呑を持ってきて、お茶を淹れる。
「はい」
「ありがとうございます……あの」
「ん?」
言いかけた文を見ると、視線を向かって左下に向け、何やらもじもじとしていた。
「何よ?」
「ええっと、ですね」
文にしては珍しく歯切れが悪い。口を小さく動かしてはいるが、声になっていない。
まあいいや、と霊夢はまたお茶をすする。ずずず。
ことん、と湯呑を置いて再び文を見やると、視線がこちらを向いていた。
……何かしら?
「えっと、ですねっ、その、私と、今度」
「あんたと?近藤……ああ、今度?」
「その、で、で、ででで」
……どこかの大王?
「ですから、その!今度、私とデーt」
「やっほー霊夢!遊びに来たぜっ……て、文屋もいた」
霊夢と文の視線が、勢いよく障子を開けて飛び込んできた少女に注がれる。
普通の(?)魔法使い。魔理沙だった。
いそいそと彼女は空いているこたつのスペースに足を滑り込ませた。
「今日はあったかいなー、ケープもいらないくらいだぜ」
「そうね。あったかいとあんたも元気で、人に迷惑かけまくるんでしょうね。たとえば私とか」
「へへへ、ひどい言い草だぜ。けれど本当は喜んでいる霊夢が可愛い」
「そんな私は地上に存在しないし、いたとしたら偽物。捕まえて火あぶりにするわ……って、文?なんだか顔がこう、早苗の髪みたいな色になっているけど、大丈夫?」
「……大丈夫ですよ、空前絶後の肩透かしをくらって、ちょっとダメージを受けただけですから」
霊夢と魔理沙は顔を見合わせ、よくわからん、と目でお互いに示した。
なぜかすっかり消沈した文を放って、霊夢はまたお茶を淹れた。魔理沙用だ。
「おー悪い。ありがたいぜ」
「これ美味しいから味わって飲みなさいよ、文にもらったの」
それを聞いた文の顔色がにわかに回復した。無意識にか、羽がばさりと動いた。
ふうん、と魔理沙はお茶をすする。ずず。
「たしかにうまいな」
「そ、そうでしょう。何たって私が霊夢さんの気を引くためゲフンゲフン、いえ、霊夢さんのために選んだんですから」
「え?わざわざ買ったのこれ?ありがたいけど、いいのよ?そこまでしてくれなくても。出涸らしのお茶はいつもあるし」
そう言うと、文はまたしまった、とばかりに顔を赤くして俯いた。
霊夢はそれを不思議そうに見つつ、魔理沙は何か考えつつ、お茶をすすった。ずずずずず。
「でもさ」
「ん?」
魔理沙が逆接から言葉を始めるのは珍しい。少しの驚きをこめて、霊夢が聞き返した。
「霊夢ってほうじ茶よりは緑茶が好きだよな。これほうじ茶だけど」
「ぅえ?」
文が頓狂な声を上げた。綺麗な身体のどこからそんな愉快な声が出るのか分からないような声だった。
「まあそうね。でもどっちも好きよ。日本茶は全部好き。まあ日本茶っていう分類に何が含まれるか知らないけど、和菓子に合うお茶は全部好き」
「そ、そうですよね!前に好みを聞いた時にはほうじ茶って」
「そっかー、まあでも、霊夢のことを考えたら、緑茶を選ぶべきだよなー、いや、これもすげーうまいけどな」
「何言ってるの、こんなもの貰ったら好みなんかどうでもいいわよ。高級だし美味しいし言うことないわ……あ、忘れてた。今日はちょっと新しくお札作んなきゃいけないんだった。すぐ終わるけど、まあ二人でくつろいでて」
……めんどくさいなあ、仕事。
霊夢はこの時、それだけを考えていた。席を立って、割と真面目に結界なんかがある部屋へと向かう。
後ろの二人の間で散っている、蒼白くそして暗い火花にも、気付いていなかった。
「どういうつもりですか魔理沙さん」
「いんや、他意はないぜー。別にお前が霊夢と仲良くするのを防ごうとかではないのぜー」
「ははあ、そうですかすみません。わざわざ分かりきったことを、説明口調で説明していただいてすみません。お願いですから、親切ついでに帰ってくださいよ」
「聞こえなかったぜ。ということでお前帰れだぜ。ほうじ茶なんかより、この間私の上げたみかんの方が霊夢は気に入ってるしな」
ちなみに、当然の帰結として、この少女二人の間の空気はすでに軋み切っている。空間が不可視の重力に引き絞られ、無言の悲鳴を上げていた。周辺の体感温度もすでに絶対零度へと向かっている。小動物を彼女らの間に置いたらその場で絶命するだろう。
しかしそれでも二人は笑顔だった。
目の全く笑っていない、女性にのみ可能な、天使のような悪魔の笑みだった。
永遠に続くかに見えた、冷たい陽炎がめらめらと燃えるその空気を、文が破った。無論、笑顔は崩さない。
「いいですよね、魔理沙さんは霊夢さんと同じで人間ですから、彼女と肩を並べて歩けるのが羨ましいです。特に才能とか。どんなに努力してもかなわない人がパートナーだなんて、もうなんか、惨めさが一周ぐるっと回ってむしろ感動的ですもんね!」
魔理沙の心に重い一撃。
才能の差、境遇の違いは、彼女が霊夢に対してずっと抱いているコンプレックスだ。霊夢のことを好きなくせに素直になれないのも、そういうことに起因している。
ぐら、と魔理沙の細い肩が揺らいだ。しかし倒れない。
冷や汗を感じつつ、魔理沙が反撃する。笑みは剥がれず、鉄仮面のように張り付いたままだ。
「いやいや。お前の方がずっと羨ましいぜ。お前はいいよなあ、霊夢より先に死ぬことって絶対ないもんな。霊夢亡きあと、幻影にすがりついて一か月ほど過ごし、適当な相手を見つけては「あなただけを愛しています」とアホみたいなセリフを囁いて肉体的欲求を満たしにかかるお前の姿が目に浮かぶよ。ああ、ロマンチックだぜ!昼ドラ的な!」
あまりにヘヴィな言葉の鎚が文の心を叩き潰す。
種族が違うことによる寿命の違いは、文にとって考えたくない事実だった。ずっと考えないようにしていたことだった。しかし魔理沙はそこを故意的に抉ってきた。
ぐらぐら、と痩身が揺れ、黒い翼がかなり畳の上に散った。
つー、と嫌な汗が文のこめかみを伝う。それでも、彼女は耐えた。
一層引きつった、生物が浮かべるにはあまりに完璧な笑みを浮かべ、文は口を開く。
「それはそうと、魔理沙さん、その年甲斐のない「だぜ」っていう語尾はあれですか?宗教ですか?もしくは霧雨家に伝わる伝統とか。ほら、大きな商店を継ぐ身ですから。家訓とか?あっ、ごめんなさい!あれでしたね、魔理沙さんは家出、つまり勘当、ていうか追い出されたんでしたね!すみません気が付かなくって!だから魔理沙さん、人間の里行きづらいんですよね!人間なのに。慎み深いなあ、逆の意味で」
魔理沙のハートが音を立てて砕けた。
実家のことは、魔理沙にとって触れてほしくない事柄ナンバーワンだ。そこはかなりデリケートというか、魔理沙の心の深い部分に刻まれた傷だった。しかも彼女の語尾は家を出たときに、少しでも自分を強く見せようと虚勢を張っていたために癖になったものなのだ。
しかし文はそこにピンポイントで言葉の弾幕を撃ってきた。難易度ルナティックのラストスペル級の弾幕を。ボムもなく、魔理沙の心はズタズタのボロボロだ。
しかしそれでも、心が割れ砕けようと、魔理沙は倒れない。顔色がちょっと尋常でないが、倒れない。なぜなら、ここで負ければ、霊夢が取られてしまう。そういう戦いだから、彼女は倒れられないのだ。
脂汗を震える手で拭い、魔理沙が言葉を紡ぐ。笑顔だった。形容し辛い、完全で瀟洒、人間らしさの欠落した笑み。
「なあ文、こーりんから聞いた。お前、新聞出すたび、まめにこーりんの店に行って、感想訊くらしいな。しつこいくらいに訊くって言われたぜ。ていうかしつこくてウザいってあいつが言っててさ。でも私は違うと思う。読者の意見を取り入れて、新聞の完成度を高めようとしてるんだろ?素晴らしいことだと思う。まあ、それを訊く相手がこーりんだけってのが残念だけど。本当に残念無念。でも大丈夫、夜雀の屋台で新聞は重宝してるんだってよ!そりゃあもちろん、油をよく吸うからな!」
文の心は――考えるのをやめた。
死ぬ寸前で、自衛のために、彼女の心は勝手に閉じたのだった。どこかの地底の妹が心を閉じたのと、様相は似ていた。
違うのは、悪意ある相手の手によって心が引き裂かれている点。文も、自分の新聞を真剣に読んでくれている人が少ないのは知っていた。ただあんまり考えないようにしていたのだ。自分の新聞が無意味と、どうしても彼女は思いたくなかったのだ。地味に、霖之助がそんな風に言っていたというのも精神に効いていた。彼女は正直、泣きそうだった。
しかししかし、倒れはしない。
愛する霊夢のため、彼女の隣というポジションを得るため。絶対に負けられない戦いが、今、ここにあった。
彼女の脳裏に、たくさんの小さな自分がばたばたと弾幕に倒れていき、けれど立ち上がり戦おうとしている、いじらしい幻覚が見えていた。
死んだ魚の目をたくさん集めて煮たみたいな顔色で、それでも文は言葉という刃を錬成する。標的魔理沙。目標は、ターゲットの精神の死。もちろん、笑顔だった。殺人愛好家の浮かべる笑みに似ているようにも見える。死刑執行人が笑うなら、こんな感じだろう。
魔理沙も負けていない、永琳が診たらすぐに入院しろと言われるであろう蒼い顔で、なお喋る。文の心を掻き切ろうと。割ろうと。裂こうと。粉微塵にして幽香の畑の肥料にでもしてやろうと。
文も応戦する。てゐが匙を遠投するほどの不幸を一身に受けたような顔で、なお語る。もうぐちゃぐちゃにしてやろうと。魔理沙の精神という精神、心という心を、もう完膚なきまでに殲滅し虐殺し煮沸消毒し転生させてやろうと。
戦いは続いた。
長く長く、それは永く続いた。
すでに時刻は夕刻。西の空が紅い。
霊夢はさして疲れてもいないような顔で、肩を回しながら居間に戻ってきた。手には何やら大判の本を持っている。
「ただいま。ああ疲れた……こんなにかかると思わなかったわ。でも面白いもの見つけたのよ、見てこれ……って、うわっ!」
彼女の驚きももっともだ。
居間にいたのは、真っ白く燃え尽きたといわんばかりに壁に寄りかかって死んでいる(比喩)魔理沙、だらりと黒翼を垂らしてこたつに突っ伏している文だった。
さしもの霊夢も絶句して、持っている冊子を胸に抱えて、どうすればいいか分からなくなってしまった。本には「業務日誌」と書かれている。
そこで急に文がむくりと起き上った。びくっと霊夢が後ずさる。
それもそのはず。
横顔から見える文の瞳はどこか、この世のものではない闇を宿していた。妖怪とか何とかそんなちゃちなものでは断じてない、もっと恐ろしいものの片鱗というか、闇そのものがそこでぎらついていた。
着衣も何だか乱れていて、扇情的といえばそうかもしれない。しかし、あまりに雰囲気が妖しい。化物か、と霊夢はもう一歩後ずさった。
おびえる霊夢に追い打ちをかけるように魔理沙も目を開いた。霊夢が無言でまた一歩退く。似たような光が瞳に宿っていた。過去に重大な精神的トラウマでもあるのかと思うような暗黒の瞳だった。
魔理沙も髪が乱れ、帽子が何故か裏返しになってみかんの上に載っている。何があったのか。シュールだったが、霊夢は笑えなかった。そういう空気では、なかった。
「なあ文」
意外にも口火を切ったのは魔理沙だった。霊夢は固まったまま、ぎぎぎぎぎと軋むその空気に耐えていた。
「これだけやってすっきりした。だから」
「ええ……私も晴れやかですよ。清々しい。ついつい椛を滝壺に突き落とそうとしてしまったあの秋晴れの日のようです」
「だろ?だからまずは、話の中で出てきた皆に挨拶をしに行かないか?いや、行こうぜ」
「ああ……私はまず霖之助さんに訊いてきます。新聞、どう思うか。それに関連して私をどう思っていたか。時に優しくそして激しく訪ねたいと思います。拷問とも言いますか」
「私もだ。文のお蔭で助かった。マスパをたくさん準備して、幻想郷中飛び回らなきゃな」
二人は同時にゆらりと動いた。出口へと向かって行く。魔理沙は帽子をかぶり直し、文は胸のボタンを直す。
そして同時に振り向いた。霊夢は内心、涙が出そうなほど怯えていた。霊夢はこういう、オンナの争いが起きた後の空気には縁がなかったのだ。彼女はこの空気の圧力の正体を知らないから、本当に心から怯えていた。
そして、オンナ二人はいい笑顔を浮かべた。それはいい笑顔だった。やるべきことを終えた戦士の笑顔だった。夕焼けの河原で殴り合ったあとの少年たちの笑顔だった。
「またな。霊夢」
「ではまた、霊夢さん」
「う、ん。また、またね」
魔理沙が障子を開け、文は歩きながら風を起こして、部屋に散らばった黒い自身の羽を外へと吹き飛ばした。
そして何やら目線を交わすと、旋風のように東西へ飛んで行った。その速度たるや、地から飛び立つ流星のごとし、と形容してもよい程。
一人ぽつんと取り残され、霊夢はまず動悸を落ち着けるためにこたつに入ってお茶を淹れた。文のくれたほうじ茶だ。
そしてみかんを剥いた。魔理沙がくれたものだ。
「ふう……おいし」
みかんもお茶も平等に美味しい。ので、ひとまず霊夢は難しく考えないように決めた。さっきの二人の間に何があったのかも、もう気にしないようにしよう、と誓った。触れてはいけない禁忌のような
気がしたのだった。
ところで、と霊夢は卓に置いた、さっき持ってきた大判の冊子を見やった。
業務日誌。
中を開くと、三ページ目までは綺麗な字、おそらく先代の字で内容が書き込んである。今日初めて雪が降ったとか、里に子供が生まれたとか。日記みたいになっているが、一応業務日誌だ。
「こんなのあったのね。いつからあるんだか知らないけど、三ページ目までしか書いてないし。先代もぐうたらだったのかしら」
先代。それはつまり霊夢の母だ。
霊夢は母をよく知らない。霊夢が小さいころに亡くなったからだ。
ただ、とてもやさしく温かい人だったとは覚えている。
「……お母さん……」
呟いて、はっと気付いた。
何をしんみりしているのか。
「違う違う、暇つぶしにこれ、書こうと思って持って来たんだから」
何となく目頭が熱くなったのを、霊夢は頭を振って振り払う。
お母さんがいなくても、私には友達がいるんだから。
文に魔理沙に、他にもたくさん。変な奴らばっかりだけど。
でも、友達なのは間違いないから。
だから、大丈夫。
今日も博麗霊夢は健康で、異常なく。友達も、まあ…………異常なく。
「……今日も私は元気だよ。だから安心して、お母さん」
古ぼけた日誌の四ページ目。霊夢はそこへと筆を走らせる。
ページの一番下、一日の総評、というちいさな欄へと。
『今日も神社は異常なし』――――と。
だが事実として娘の霊夢を産んでいる
が、がんばれ、文、魔理沙、他の面々ッ!
魔理沙とのガチのぶつかり合いだと!
けしからん続きを要求する
魔里沙の心の深い部分に刻まれた傷だった。の後文章が
魔里沙の心はズタズタのボロボロだ。の後にも出て来てます。
意図的だったらごめんなさい。
相手への深い理解を感じる…
本当はあやまりなんだろう?w
その辺のバランス感覚は読んでいるだけの私には分からないので
とりあえず点だけ入れておきます