『STAR』
*
昔々。
ある所に魔法使いが2人いました。
一人は人間の魔法使い、もう一人は生粋の魔法使いでした。
二人はお互いを好き合っていました。
それはもう、誰の目にも明らかなくらいには。
彼女達は多くの時間を、二人きりの図書館で分かち合いました。
しかし、二人は違う種族。
過ぎる時間の重みは、あまりに違い過ぎました。
死期を悟った普通の魔法使いは、別れを告げました。笑いながら。
しかし、別れを告げられた魔法使いは、愕然とし、生まれて初めて取り乱しました。
離れないで。
離れないで。
離れないで。
そう何度も繰り返す大好きな人を前に、普通の魔法使いは困りました。
そして、少女が泣き止む様に、一つの約束をしました。
『何年後かわからないけど、うん、何年後かの君の誕生日、取っておきの魔法を見せるよ。
だからその日の夜は、空を見上げていてくれ。』
そう言って、普通の魔法使いは姿を消したのでした。
一条の流星の様に。
そして、喘息持ちの少女は待ち続けました。
幾年も、幾年も。
幾年も、幾年も。
そして、信じ続けるのも辛くなる程待ち続けたある日、その魔法は姿を現しました。
満天の星空に架る、七色の流星群。
それを見て、少女は呟きます。
ありがとう、と。
そして、静かに一筋の涙が落ちて行ったのでした。
めでたし、めでたし。
そう、この物語は紛う事なくハッピーエンド。
けれど。
零れた涙には、もう一つの物語があった。
これから紡ぐ物語は、謡われる事のなかった、
もう一人の魔法使いの物語。
*
「よう。アリス。」
そう言って、彼女はいつもの様に勝手に上がり混んできた。
「あら、今日は大人しく入ってきたのね。」
いつもは蹴破ってきそうな勢いなのに、と続けると、彼女は帽子を外し、頭を掻きながら笑った。
「いつもそんなだったか?」
「冗談よ。」
私も笑みを崩さずに返す。
彼女がいつもの自分がどう「だった」かを気にしているのは、たまらなく辛かった。
「お茶を淹れるわ。座ってて。」
「とびきりのを頼むぜ。」
「いつもの、よ。」
そう言って私は厨房に立ち、一番良いお茶を手に取ろうとした。
しかし、結局手を止め、淹れたのはいつものお茶。
彼女が、「いつもの」ままで終わりを望んでいるのだから。
「ほんとにいつものだな。」
紅茶をのせた盆を運ぶと、彼女は嬉しそうに笑った。
いつもので、よかった、と。
「言ったじゃない。」
「構わないぜ。お茶菓子は?」
「私の手作りで良ければ。」
そういって横にクッキーを置く。
これも、いつも通り。
「上出来だぜ。」
「もてなされる方が言う台詞じゃないわ。」
ソファに腰をかけると、向かいにいる彼女の姿が目に入った。
小さくなった、と思う。
それは、身体が小さくなったわけではなく、纏う魔力の減衰がそう見せているのだろう。
最近、著しくその力は減ったように思われる。あの漲るような力は、今の彼女からは感じられない。
今日の彼女は箒を持っていない。少しでも魔力の浪費を抑えるために、ここまで歩いてきたはずだ。
魔法に必要な要素は3つある。
理論、魔力、そして契機だ。
どれだけ非の打ちどころのない理論でも。
呪文や陣といった、契機だけを作っても。
術者本人の魔力が無ければ、魔法は完成しない。
魔力の減衰。それは、魔法遣いとしての終わりを指すのだ。
それでも、なけなしの魔力を使ってまで、私達の前に姿を見せる時、彼女はあの少女のままの姿をとる。
それは、あまり姿形の変わらない私達の前で、変わりゆく自分を見せまいとする彼女の矜持。
いや、私達、ではなく『あの子』、が正解なのだろう。
「それで?今日は何の用なのかしら?」
そんな思考を読み取られない様に、いつもの様に私は尋ねた。
それに、彼女は静かにに応える。
「ああ、こいつを、返しにきたぜ。」
ああ。
そうか。もう、おしまいなのか。
差し出されたのは、小さな人形。
かつて、地底の異変を解決する時に、私が彼女に持たせたもの。
死ぬまで借りるぜ。
それは、いつもの彼女の言葉。
そして、その裏にある意味。
彼女が借りている物を返す時。それは。
それでも、私は、私のまま応える。いつもの、を演じ続ける。
「あら、ずいぶん珍しいじゃない。どういう風の吹き回しかしら。」
「殊勝だろう?」
「自分で言うものではないわね。」
ああそうだ、と彼女は続ける。
「その人形、かなり大事に扱ったんだけど、破れてるところがあるんだよ。」
「あら、ほんとね。」
「私よりアリスが直した方がいいと思って、そのままにしておいたんだ。」
「わかった。後で直しておくわね。」
そう言って私は人形を傍らに置いた。
このまま。
このまま、いつも通りで終わらせてみせる。
いつも通りここで彼女はお茶を飲んで、
「またな、アリス。」と言って帰るのだ。
どこに?
聞くまでもないだろう。
それが、私の想いの形。
霧雨魔理沙という少女を好きになって、報われなかった、私の恋の終わり。
最期の時まで、いつも通りを演じて見せる。
だが。
私の決意と、思い描いていた終わりは、粉々に打ち砕かれる。
私が好きになった人の手によって。
「なぁ、アリス。お願いがあるんだ。」
嫌な、予感がした。
神妙な顔持ちの彼女。
それは、いつもの、にはない筈の表情。
聞いてはいけない、と思った。
でも、唇は思いに反して、動く。
大好きな人の、最後の頼みだから。
「何かしら?改まって。」
私は笑顔のまま訊ねた。
どうか。どうか、なんてことない願いである事を祈りながら。
そして、そこからの彼女の言葉は、覚えていない。
「ふざけないで!」
気がつけば口を出ていたのは、そんな台詞だった。
傍にある人形を投げつけられなかったのは、魔理沙が頭を下げていたから。
あの、魔理沙が。
「アリス。」
「嫌!絶対に嫌!」
呼びかけになんて応じられる訳なかった。
「貴女、自分がどれだけっ、どれだけふざけた事を言ってるかわかってるの!?」
怒鳴りつける。
それくらい、あまりにその願い事は残酷だった。
「わかってるっ…でもっ。」
魔理沙が顔を上げる。視線が合った。
やめて。
泣きそうな顔なんて、しないで。
でも、その後の言葉は聞きたくなかった。
「…アリスじゃないと、駄目なんだ。」
―っ!
肩が、震えた。
卑怯、だろう。それは。
力が、抜ける。
「…私は、貴女が好きだった。」
「知ってる。」
「知ってて、それを私に頼むのね?」
「どれだけ自分勝手かも分かってる。でも…」
彼女の言葉を遮って、私は言った。
それ以上は聞きたくなかったから。
「いいわ。」
えっ、と魔理沙の口から洩れる。
「本当か!」
「ええ、やってあげる。その代わり…」
「ああ、なんだってする!」
なんだってする、か。
本当かしらね。
「じゃあ、残りの時間を私に頂戴。」
「え…?」
貴女がそんな残酷な仕打ちを望むなら。
私はもっと最低になろうと思う。
最低な女だった、そう思われてても、貴女の記憶に残るならそれでいい。
「貴女が死ぬまでの間、私を貴女の恋人にして。離れないで。」
「それ、は…」
「『あの子』にしたように、私にもして。」
固まった表情。
見開かれた目。
ほら、出来ないんでしょう?
それでいいの。
軽蔑した目を向けるかしら?
それとも、願い事を無かった事にして、いつもの態度に戻るのかしら?
いずれにせよ、これで、おしまい。
貴女は、私に背を向けて、『あの子』のところで最期の時を過ごす。
ねぇ、だから。
その泣きそうな顔をやめて?
怒り顔でも、強がりの笑顔でもいいから。
でも、聞こえたのは。
「…いいよ。」
え?
「何……を…」
そんなわけ…が…。だって…。
「いいよ、って言ったんだ。」
笑顔で。
そう、それはあまりにいつも通りの笑顔で、彼女は言った。
「今日から、私はアリスの恋人だ。よろしくな。」
ふざけないで、とも。
馬鹿にしないで、とも。
私に言う権利なんてある筈もなく。
こうして、私と魔理沙の最期の時間は始まったのだ。
誰が望んだのかも、わからないままに。
*
「アリス。起きろよ、朝だぜ。」
身体を揺さぶられる感覚。
「まだ…あと五分だけ…。」
「意外に朝弱かったんだな…。」
魔理沙みたいな声がする。
「まりさ…?」
「おう、アリスの好きな霧雨魔理沙さんだぜ。」
わたしの…好きな…。
「!?」
布団を蹴飛ばして、跳ね起きた。
「おはよう、アリス。」
「おは…よう、魔理沙。」
覗きこんだ笑顔。
そして、魔理沙の顔が思いのほか近くにある事に気づく。
「ごごごご、ごめん!」
そして思わずまた枕に顔をうずめてしまった。
「いや、何がごめんなのかわからんが…。」
上から魔理沙の声がする。
「とりあえず、服着ないか?アリスが寝る時裸だったとは…」
は…?
そして、気付く。自分が一糸纏わぬ姿である事を。
「いいい」
「いいい?」
自分が壊れた人形の様になっているのが分かる。
「いいい、いやあのね、寝間着がない方がよく眠れるって言うから最近試して…みたん…だけど、あの…、お願いだから、外に出てってもらえるとすごく…。」
尻すぼみになっていく。
「はいはい、誰にも言わないぜ。」
呆れた声と遠ざかる足音。
そして、ドアの締められる音。
「…。」
しばらく、枕から顔を上げられそうになかった。
*
少し気を抜けば、本当に恋人同士かと錯覚してしまいそうだった。
それは、ずっとそうしてきたかの様に。
あまりに自然に魔理沙は私の傍に居てくれた。
でも、分かってる。
これは、ある日の分岐の先に『あったかもしれない未来』。
今、この物語において、私の居場所はここではないのだ。
魔理沙が私に笑顔を向ける程。温もりをくれる程。
それだけの愛情を『あの子』に注いできたということなのだから。
その度に、私はもういいよ、と言いたくなる。
もう、無理しなくていいよ、と。
でも言えなかった。
「アリス。」
そう、呼びかけられるだけで。
私は自分が駄目になるのを感じる。
このままではいけない。
―名前を呼んでほしい。
『あの子』の傍が魔理沙の居場所なのに。
―触れてほしい。温めてほしい。
相反した想いが私の胸を渦巻いて。
それでも結局、その笑顔の前に何も言えなくなる。
ただ、その胸に顔をうずめたくなる。頭を撫でてほしくなる。
ああ、私は最低だ。
それでも。今この時だけ。
今この時だけでいいから、許されはしないだろうか。
誰に?
少なくとも、神様ではない。
一人の魔法使いに、だろう。
そうやって、私は溺れていったのだ。
『彼女達』の時を削って、身勝手な我儘で満たして。
*
「ほらアリス、出来たぜ。」
「またキノコ鍋なのね?」
「得意料理を食べたいって言ったのはアリスだろ?」
「3日も続くとは思わなかったのよ…。」
「唯一無二の得意料理だからな!」
「威張る所ではないわね…。ああほら、私がよそうから。」
「お?そうか?盛り付けまでが料理だぜ?」
「だって貴女、こぼしそうなんだもの。」
「こぼすところまで料理だぜ?」
「適当な事言わないの。…いただきます。」
「めしあがれ。」
「…あら?昨日と味つけが違うわね。」
「キノコ鍋だけで1年分のレパートリーがある…と信じたいからな!」
「何から突っ込んでいいのか分からないわね…。ほら、口元。」
「ん?」
「食べかすがついてる。いいわ、動かないで。」
「おお、任せるぜ…」
「…。」
「…いくらなんでも、直接口で、ってのは卑怯だぜ。」
「あら?顔が赤いわよ?」
「正直、アリスの方が真っ赤だぜ。照れるくらいならやりなさんな。」
「っ…いいじゃない。やってみたかったのよ。」
「ま、何事も経験だしな。お、アリス、動くなよ?」
「え?」
「…。」
「…ここに、食べかすがついてたのよね?」
「いいや?アリスは唇に食べかすをつけたままにしておく人か?」
「じゃあなんで口付けたのよ…。」
「ん?舌もご所望だったか?」
「聞いてないし…。」
「しょうがない奴だな、アリスは。鍋が吹きこぼれるぜ。」
「だって…。んっ…。」
貴女の唇で塞ぐのがどれだけ卑怯だとしても。
今、吹きこぼれそうなのはこの胸の想いだから。
ごめんね。
ごめんなさい。
*
魔理沙と、『恋人ごっこ』をするようになってから1週間。
その間に私達は、いえ、私は時を惜しむように、彼女との時間を過ごしていった。
一緒にご飯を食べ、お風呂に入った。
手を繋ぎ、唇を重ね、舌を這わせ、肌を重ね、抱き合って眠った。
それは、本当に幸せで。
そして、本当に残酷な時間。
私の中の弱い部分が、その甘さに溺れて、引き伸ばしてしまった時間。
…削った、『彼女達』の時間。
ごめんね。
でも、もう終わりにするから。
1週間後の夜。
魔理沙の、纏う魔力はもう、減衰なんて言葉では足りなかった。
気力だけで、今の姿を保っている様な状態。
魔法使いなら、誰だって分かる。
今夜で、終わりなのだ、と。
その時私は、返してもらった人形を繕おうとしていたと思う。
「アリス。」
声がかかる。
魔理沙は、いつも通りの笑顔だった。
あまりに、いつも通りで。
「どうしたの?」
「いや…、もう遅いぜ?明日にしたらどうだ?」
「そうね、明日手伝ってくれる?」
「もちろんだぜ。」
やっぱり彼女は、笑って応えた。
『明日』。
来るはずの無い明日への約束。
魔理沙は、最後までこの『ごっこ』を続けようとしている。
誰の為に?考えるまでもない。
「じゃあ、寝ましょうか。」
「今日はちゃんと寝間着を着てくれよ?」
「わかってるわよ!」
苦笑いしながら、私は着替える。
ああ、楽しかったな。
「…いいわよ。」
「おう、というかもうベッドに入らせてもらってるぜ。」
「…勝手知ったものね。」
「ここは寝室であって勝手じゃないぜ。」
よっ、と私もベッドに上がりこむ。
先に待っていた魔理沙が、いつものように腕を差し延べてきて。
私も、いつものようにそれを枕にする。
それは、いつか来るかもしれなかった、いつも通り。
「じゃあ、おやすみ、魔理沙。」
「おやすみだぜ、アリス。」
そして、いつもの様に、魔理沙の胸の中で目を閉じる。
そう、これで終わり。
…。
ほら、やっぱり無理だったでしょう?
よく、今まで我慢したね。
でも、もういいの。
私は、もう大丈夫だから。
だから。
泣かないで。
「魔理沙。」
私を抱いている人の名前を呼ぶ。
「どうっ…しっ…た?ア…リス。」
そんなに肩を震わせて。
ごめんね。私が、ひどい事をしたね。
「もう、良いの。」
「なッ…に……、なに…が?」
ひっく、と小さく喉を鳴らして。彼女は応える。
「もう、無理しなくていいの。『恋人ごっこ』はおしまい。」
「だっ…てっ!それじゃ、それ…、じゃ、やくそくが…。」
大丈夫。
大好きな貴女の頼みだもの。
「大丈夫。ちゃんと、守るわ。」
貴女が、約束の為にこの1週間を演じ続けていた訳ではないと、信じてるから。
「で…も…、」
「いいの。ほら、時間ないんでしょう?『あの子』の所に行ってあげなきゃ。きっと待ってるわ。」
「アリス…。」
「魔理沙。私からの、最後のお願い。早く、『あの子』の所に行ってあげて。大好きな人と一緒に居るだけの事が、どれだけ幸せか、貴女は知っているでしょう。」
袖で彼女の顔を拭う。
泪にまみれた顔。でも、愛おしくてたまらなかった。
ほら、格好良くしていかなきゃね。
少しだけ私の袖を濡らして、私達の時間が終わる。
目元が紅かったけれど、魔理沙はもう、「いつもの」魔理沙だった。
「アリス。」
「何?」
私は、柔らかく笑う。笑えている、筈だ。
「ありがとう。」
「え…?」
それは、本当に一瞬だった。
一瞬だけの温もり。
それでも、離れた時の、
残る湿り気を風が撫でる寂しさは、
唇特有のもので。
たった一度だけ。
『ごっこ』じゃない、彼女からの口付け。
誰に許しを乞う事もない、一度だけの、淡い温もり。
魔理沙が言う。
「行くよ。」
今度は、笑えている確信があった。確かに、幸せだったから。
「ええ、気をつけてね。」
引きとめは、しない。
早く行ってくれないと、泪が零れそうだから。
魔理沙の立ちあがる気配。
私も身体を起こす。
彼女の背中が、離れていく。
でも、これでいい。
ドアノブに手をかけながら、一度だけ彼女は振り返った。
「またな、アリス。」
それは、いつも通りの笑顔で。
私も、いつも通り応える。
「またね、魔理沙。」
そう、これが、私達の終わり方。
私が望んだ、この物語の終わり方。
ドアが、閉じられた。
見渡すと目に入ったのは、直しかけの人形。
彼女と私の、来るかもしれなかった未来。
ぽたり、と。
手の甲に雫が落ちた感触がして。
「う…ぁ…?」
いくら拭っても消える事はなくて。
「う…ぁぁあぁああああああ!!」
人形を、抱きしめながら崩れる。
ごめんね。
ありがとう。
さよなら。
だいすき。
泪も声も枯らそう。
誰に許されなくても。
幕を閉じた私の物語に、泣いてあげられるのは私だけなのだから。
これで、私の物語は終わる。
声も出なくなった頃、夜空に一条の流星が流れた。
でもそれは、私の物語の終わりではなく、『彼女達』の物語の終わり。
そしてここからが、『彼女達』の舞台の幕間劇。
終わった私の物語に残された、ひとつの約束。
*
人気のない、小高い丘。
見上げると、満天の星空。
北極星が綺麗に見えた。
私は抱えていた箱をそっと地面に下ろす。
「随分待たせちゃったわね。」
そっと呟く。
誰に?
もちろん、頭上を走る、天の川に。
「約束を守りに来たわよ。」
今日は、『あの子』の誕生日。
何年経ったかは、忘れてしまった。
私の物語が終った事を割り切るには、それくらいの月日が必要だったのだ。
私は、箱に手をかけ、呟く。
「じゃあ、始めましょうか。」
たった一度きりの。
『貴女の』魔法を。
*
貴女がいなくなった後の私は、毎日の様に泣いてばかりいた。
自分でもこんなに泣けるのか、と思うくらいだった。
でも、当たり前でしょう?
私が涙を止められるのは、貴女の胸の中だけなのだから。
そこに入る事の許されなかった私には、貴女を想って泣くことしか、出来ないのだもの。
だから、泣き続けた。
泣いて、
泣いて、
泣いて。
どれほどの時間と涙が流れたか分からなくなった頃、私はゆっくりと動き出した。
また、私の物語を始めなくちゃ。
こんな私など、彼女は望まないのだから。
なにか、なんでもいいから、動き出さないと。
そうだ、魔理沙が返してくれた人形を繕おう。
それで、泣くのをお終いにしよう。
私は、人形を手に取った。
「え…?」
違和感があった。
帰ってきた人形は、部位で言えば腰の部分が大きくほつれていた。
その、ほつれた部分から、何かが覗いている。
慌てて、引っ張り出す。
入っていたのは、数枚の紙切れと、彼女が愛用していた八卦炉。
ああ…、これが私の役割なのね。
あの日、魔理沙が私にしたお願い事はただ一言。
「一回だけでいい、『あいつ』の誕生日に、『あいつ』の為に魔法を使ってくれないか?」
約束したものね。
『あの子』だってきっと、苦しんでるから。
『あいつ』の為だと貴女は言っていたけれど。
この魔法で、全て救われると、貴女は知っていたのよね?
私も、貴女も、『あの子』も。
私は紙切れを広げた。
そこに書いてあったのは、人間として最高峰の域に上り詰めた、魔法使いの最期の傑作。
その、理論だった。
そして、魔理沙がいつも使っていた八卦炉。
触れなくとも分かる、そこに込められていたのは、魔理沙の魔力。
あの、漲るような力。
そうね。
魔法に必要な要素は3つ。
理論、魔力、そして契機。
理論だけでは事象には成りえず。
魔力だけでは何も起こらない。
そこにはある種の起爆装置が必要となる。
呪文や陣などが一番分かりやすいだろう。
魔法には契機が必要なのだ。
だが、ここにいない魔理沙には、それが出来ない。
長年の研究で、最高の魔法理論を創り上げた。
どれだけの失敗を経たのだろう。
日々減って行く魔力を、八卦炉に込めてプールした。
纏う魔力が著しく減ったのはそのせいだったのだろう。
その二つの問題をパスしてもなお、どうしても起爆装置だけは用意出来なかった。
だから、あの日私に頼みに来たのだ。
「『アイツ』の為に」使うのは私でも、使う魔法は魔理沙のものだった。
私は何も知らず、怒鳴りつけ、彼女をなじってしまった。
彼女の想いが込められた、八卦炉を抱く。
それは、いつかの温もりに似て。
ごめんね。
ちゃんと、守るから。
貴女の想いは、ちゃんと届かせるから。
そうしたら、また、笑える気がするから。
強く、誓った。
*
本当に大変なのは、そこからだった。
完璧な理論、とは言っても、もともとの魔術畑が違いすぎるのである。
完璧なのは分かるが、細部の部分になってくると私の知識だけでは理解が及ばなかった。
しかし、問題は、この幻想郷で一番の蔵書量を誇る図書館の力を借りる事が出来ない事である。
『彼女』に悟られることは、魔理沙が望まないと思ったからだ。
結局、自力でその理論を紐解くこととなった。
魔理沙の家の書物もあさった。
茸の研究もした。
お陰で、一年分くらいはキノコ鍋のレパートリーが増えた気がする程だ。
そして、全てを解読する頃には、何年経ったか分からなくなってしまった。
この研究を、人の身であるうちに完成させたのだ。
魔理沙は、紛う事なく天才だった。
あの天才は、この魔法にどれだけの想いを込めたのだろう。
その想いの中に、私へのものはあっただろうか。
今となっては分からない。
でも、楽しかった日々と人形に込めた八卦炉の温もりを、私は信じる。
そして今、その想いを解き放とう。
しがらみも、後悔も、涙も、全部笑顔に変える魔法。
魔法のような貴女の、最後の魔法。
私は、一枚のスペルカードを取りだす。
そして、箱の蓋を開けた。
くるくるっと踊り出てきたのは、あの日、繕った人形。
中には、魔理沙の魔力が込められた八卦炉が入っている。
そして、その人形から、幾重にも糸が伸びて、たくさんの小さな人形達が踊っている。
その数、534体。
さぁ、始めましょう。
指先に、力を込める。
八卦炉が入った人形から、糸を通して魔理沙の魔力が走る。
純粋な白色の、強い光。
その光が小さな人形達に届くと、人形達自身も光り出す。
光は強さを増して、目を開いているのも大変なくらい眩しくなる。
ああ、そうよね。これが貴女の魔法の眩しさだった。
え?こんなちまちました魔法は使わないって?
安心しなさい。ここからよ。
静かに、その役割を果たす。
――誓符「スターテイルアーティフルレヴァリエ」
一斉に。
一斉に小さな人形達から、白色の光の柱が放たれた。
それは、縦横無尽に、この夜空を覆い尽くす。
彼女の得意とした魔法。それを、あらゆる方向に打ち出す。
彼女の完璧な理論の中身。『魔法発現位置の時間的・空間的超越法論』。
貴女は、この理論にどんな想いを込めたの?
自分の「光」をいつでも、どこに居ても感じられるように、そう願ったんじゃないかしら。
誰が?
言うまでも、ない。
それは、流星群のように映っただろう。
それも、同じ方向に縛られることのない、自由気ままな少女の様な。
この幻想郷全部を明るく照らして、
一瞬で駆け抜けて行った、魔法使い。
全ての人に刻みつけるように、絶えることなく夜空を照らし続ける。
そう、ここまでが魔理沙の残した魔法だった。
どこを見渡しても、彼女の姿が浮かぶような魔法。
『あの子』はどんな顔して見てるかしら。
笑っているといいのだけど。
それを、彼女は望んだはずだから。
でも、ほんの少しだけ。
意地悪ではないけれど、少しだけ、この幕間劇でいい目を見てもいいかしら?
いつか、叱ってくれてもいいから。
全力で魔力を練り上げる。
消耗は激しい。でも、魔法使いの先輩として、意地を見せないとね。
魔理沙の魔力に、自分の魔力を加える。
糸を伝う、白色だった光が、七色に変わる。
打ち出される閃光を編みこませ、色を乗せる。
そして、たった一つの想いも乗せた。
ただ、ありがとう、と。
七色の流星群が、夜空を駆け巡っていった。
*
「ふぅ…。」
どれ程の時間、打ち出していたのだろう。
魔力を空にした私は、その場にへたり込んでいた。
鼓動が早い。汗もかいている。
もういいや。
服が汚れるのも気にせず、大の字になる。
余波か残り香か、空にはまだ少し、オーロラの様な光が見える。
今頃、神社では、今のを肴に宴会でも始めているかもしれない。
すこし冷たい風が、心地よかった。
これで、本当の終わりね。
また、私は生きていくの。
大丈夫。
だって、笑ってるでしょ?私。
涙を流すのも馬鹿らしくなるくらいの魔法だったんだから。
それに、ずっといてくれるんでしょう?『そこ』に。
だから、大丈夫。
もう、汗は引いただろうか。
私は立ちあがり、服の裾を払う。
「またね、魔理沙。」
返事はない。
でも、そこにいる。
また、心地よい風が吹いて。
ありがとう、という声が聞こえた気がした。
*
昔々。
ある所に魔法使いが2人いました。
一人は人間の魔法使い、もう一人は生粋の魔法使いでした。
二人はお互いを好き合っていました。
それはもう、誰の目にも明らかなくらいには。
彼女達は多くの時間を、二人きりの図書館で分かち合いました。
しかし、二人は違う種族。
過ぎる時間の重みは、あまりに違い過ぎました。
死期を悟った普通の魔法使いは、別れを告げました。笑いながら。
しかし、別れを告げられた魔法使いは、愕然とし、生まれて初めて取り乱しました。
離れないで。
離れないで。
離れないで。
そう何度も繰り返す大好きな人を前に、普通の魔法使いは困りました。
そして、少女が泣き止む様に、一つの約束をしました。
『何年後かわからないけど、うん、何年後かの君の誕生日、取っておきの魔法を見せるよ。
だからその日の夜は、空を見上げていてくれ。』
そう言って、普通の魔法使いは姿を消したのでした。
一条の流星の様に。
そして、喘息持ちの少女は待ち続けました。
幾年も、幾年も。
幾年も、幾年も。
そして、信じ続けるのも辛くなる程待ち続けたある日、その魔法は姿を現しました。
満天の星空に架る、七色の流星群。
それを見て、少女は呟きます。
ありがとう、と。
そして、静かに一筋の涙が落ちて行ったのでした。
めでたし、めでたし。
そう、この物語は紛う事なくハッピーエンド。
けれど。
零れた涙には、もう一つの物語があった。
これから紡ぐ物語は、謡われる事のなかった、
もう一人の魔法使いの物語。
*
「よう。アリス。」
そう言って、彼女はいつもの様に勝手に上がり混んできた。
「あら、今日は大人しく入ってきたのね。」
いつもは蹴破ってきそうな勢いなのに、と続けると、彼女は帽子を外し、頭を掻きながら笑った。
「いつもそんなだったか?」
「冗談よ。」
私も笑みを崩さずに返す。
彼女がいつもの自分がどう「だった」かを気にしているのは、たまらなく辛かった。
「お茶を淹れるわ。座ってて。」
「とびきりのを頼むぜ。」
「いつもの、よ。」
そう言って私は厨房に立ち、一番良いお茶を手に取ろうとした。
しかし、結局手を止め、淹れたのはいつものお茶。
彼女が、「いつもの」ままで終わりを望んでいるのだから。
「ほんとにいつものだな。」
紅茶をのせた盆を運ぶと、彼女は嬉しそうに笑った。
いつもので、よかった、と。
「言ったじゃない。」
「構わないぜ。お茶菓子は?」
「私の手作りで良ければ。」
そういって横にクッキーを置く。
これも、いつも通り。
「上出来だぜ。」
「もてなされる方が言う台詞じゃないわ。」
ソファに腰をかけると、向かいにいる彼女の姿が目に入った。
小さくなった、と思う。
それは、身体が小さくなったわけではなく、纏う魔力の減衰がそう見せているのだろう。
最近、著しくその力は減ったように思われる。あの漲るような力は、今の彼女からは感じられない。
今日の彼女は箒を持っていない。少しでも魔力の浪費を抑えるために、ここまで歩いてきたはずだ。
魔法に必要な要素は3つある。
理論、魔力、そして契機だ。
どれだけ非の打ちどころのない理論でも。
呪文や陣といった、契機だけを作っても。
術者本人の魔力が無ければ、魔法は完成しない。
魔力の減衰。それは、魔法遣いとしての終わりを指すのだ。
それでも、なけなしの魔力を使ってまで、私達の前に姿を見せる時、彼女はあの少女のままの姿をとる。
それは、あまり姿形の変わらない私達の前で、変わりゆく自分を見せまいとする彼女の矜持。
いや、私達、ではなく『あの子』、が正解なのだろう。
「それで?今日は何の用なのかしら?」
そんな思考を読み取られない様に、いつもの様に私は尋ねた。
それに、彼女は静かにに応える。
「ああ、こいつを、返しにきたぜ。」
ああ。
そうか。もう、おしまいなのか。
差し出されたのは、小さな人形。
かつて、地底の異変を解決する時に、私が彼女に持たせたもの。
死ぬまで借りるぜ。
それは、いつもの彼女の言葉。
そして、その裏にある意味。
彼女が借りている物を返す時。それは。
それでも、私は、私のまま応える。いつもの、を演じ続ける。
「あら、ずいぶん珍しいじゃない。どういう風の吹き回しかしら。」
「殊勝だろう?」
「自分で言うものではないわね。」
ああそうだ、と彼女は続ける。
「その人形、かなり大事に扱ったんだけど、破れてるところがあるんだよ。」
「あら、ほんとね。」
「私よりアリスが直した方がいいと思って、そのままにしておいたんだ。」
「わかった。後で直しておくわね。」
そう言って私は人形を傍らに置いた。
このまま。
このまま、いつも通りで終わらせてみせる。
いつも通りここで彼女はお茶を飲んで、
「またな、アリス。」と言って帰るのだ。
どこに?
聞くまでもないだろう。
それが、私の想いの形。
霧雨魔理沙という少女を好きになって、報われなかった、私の恋の終わり。
最期の時まで、いつも通りを演じて見せる。
だが。
私の決意と、思い描いていた終わりは、粉々に打ち砕かれる。
私が好きになった人の手によって。
「なぁ、アリス。お願いがあるんだ。」
嫌な、予感がした。
神妙な顔持ちの彼女。
それは、いつもの、にはない筈の表情。
聞いてはいけない、と思った。
でも、唇は思いに反して、動く。
大好きな人の、最後の頼みだから。
「何かしら?改まって。」
私は笑顔のまま訊ねた。
どうか。どうか、なんてことない願いである事を祈りながら。
そして、そこからの彼女の言葉は、覚えていない。
「ふざけないで!」
気がつけば口を出ていたのは、そんな台詞だった。
傍にある人形を投げつけられなかったのは、魔理沙が頭を下げていたから。
あの、魔理沙が。
「アリス。」
「嫌!絶対に嫌!」
呼びかけになんて応じられる訳なかった。
「貴女、自分がどれだけっ、どれだけふざけた事を言ってるかわかってるの!?」
怒鳴りつける。
それくらい、あまりにその願い事は残酷だった。
「わかってるっ…でもっ。」
魔理沙が顔を上げる。視線が合った。
やめて。
泣きそうな顔なんて、しないで。
でも、その後の言葉は聞きたくなかった。
「…アリスじゃないと、駄目なんだ。」
―っ!
肩が、震えた。
卑怯、だろう。それは。
力が、抜ける。
「…私は、貴女が好きだった。」
「知ってる。」
「知ってて、それを私に頼むのね?」
「どれだけ自分勝手かも分かってる。でも…」
彼女の言葉を遮って、私は言った。
それ以上は聞きたくなかったから。
「いいわ。」
えっ、と魔理沙の口から洩れる。
「本当か!」
「ええ、やってあげる。その代わり…」
「ああ、なんだってする!」
なんだってする、か。
本当かしらね。
「じゃあ、残りの時間を私に頂戴。」
「え…?」
貴女がそんな残酷な仕打ちを望むなら。
私はもっと最低になろうと思う。
最低な女だった、そう思われてても、貴女の記憶に残るならそれでいい。
「貴女が死ぬまでの間、私を貴女の恋人にして。離れないで。」
「それ、は…」
「『あの子』にしたように、私にもして。」
固まった表情。
見開かれた目。
ほら、出来ないんでしょう?
それでいいの。
軽蔑した目を向けるかしら?
それとも、願い事を無かった事にして、いつもの態度に戻るのかしら?
いずれにせよ、これで、おしまい。
貴女は、私に背を向けて、『あの子』のところで最期の時を過ごす。
ねぇ、だから。
その泣きそうな顔をやめて?
怒り顔でも、強がりの笑顔でもいいから。
でも、聞こえたのは。
「…いいよ。」
え?
「何……を…」
そんなわけ…が…。だって…。
「いいよ、って言ったんだ。」
笑顔で。
そう、それはあまりにいつも通りの笑顔で、彼女は言った。
「今日から、私はアリスの恋人だ。よろしくな。」
ふざけないで、とも。
馬鹿にしないで、とも。
私に言う権利なんてある筈もなく。
こうして、私と魔理沙の最期の時間は始まったのだ。
誰が望んだのかも、わからないままに。
*
「アリス。起きろよ、朝だぜ。」
身体を揺さぶられる感覚。
「まだ…あと五分だけ…。」
「意外に朝弱かったんだな…。」
魔理沙みたいな声がする。
「まりさ…?」
「おう、アリスの好きな霧雨魔理沙さんだぜ。」
わたしの…好きな…。
「!?」
布団を蹴飛ばして、跳ね起きた。
「おはよう、アリス。」
「おは…よう、魔理沙。」
覗きこんだ笑顔。
そして、魔理沙の顔が思いのほか近くにある事に気づく。
「ごごごご、ごめん!」
そして思わずまた枕に顔をうずめてしまった。
「いや、何がごめんなのかわからんが…。」
上から魔理沙の声がする。
「とりあえず、服着ないか?アリスが寝る時裸だったとは…」
は…?
そして、気付く。自分が一糸纏わぬ姿である事を。
「いいい」
「いいい?」
自分が壊れた人形の様になっているのが分かる。
「いいい、いやあのね、寝間着がない方がよく眠れるって言うから最近試して…みたん…だけど、あの…、お願いだから、外に出てってもらえるとすごく…。」
尻すぼみになっていく。
「はいはい、誰にも言わないぜ。」
呆れた声と遠ざかる足音。
そして、ドアの締められる音。
「…。」
しばらく、枕から顔を上げられそうになかった。
*
少し気を抜けば、本当に恋人同士かと錯覚してしまいそうだった。
それは、ずっとそうしてきたかの様に。
あまりに自然に魔理沙は私の傍に居てくれた。
でも、分かってる。
これは、ある日の分岐の先に『あったかもしれない未来』。
今、この物語において、私の居場所はここではないのだ。
魔理沙が私に笑顔を向ける程。温もりをくれる程。
それだけの愛情を『あの子』に注いできたということなのだから。
その度に、私はもういいよ、と言いたくなる。
もう、無理しなくていいよ、と。
でも言えなかった。
「アリス。」
そう、呼びかけられるだけで。
私は自分が駄目になるのを感じる。
このままではいけない。
―名前を呼んでほしい。
『あの子』の傍が魔理沙の居場所なのに。
―触れてほしい。温めてほしい。
相反した想いが私の胸を渦巻いて。
それでも結局、その笑顔の前に何も言えなくなる。
ただ、その胸に顔をうずめたくなる。頭を撫でてほしくなる。
ああ、私は最低だ。
それでも。今この時だけ。
今この時だけでいいから、許されはしないだろうか。
誰に?
少なくとも、神様ではない。
一人の魔法使いに、だろう。
そうやって、私は溺れていったのだ。
『彼女達』の時を削って、身勝手な我儘で満たして。
*
「ほらアリス、出来たぜ。」
「またキノコ鍋なのね?」
「得意料理を食べたいって言ったのはアリスだろ?」
「3日も続くとは思わなかったのよ…。」
「唯一無二の得意料理だからな!」
「威張る所ではないわね…。ああほら、私がよそうから。」
「お?そうか?盛り付けまでが料理だぜ?」
「だって貴女、こぼしそうなんだもの。」
「こぼすところまで料理だぜ?」
「適当な事言わないの。…いただきます。」
「めしあがれ。」
「…あら?昨日と味つけが違うわね。」
「キノコ鍋だけで1年分のレパートリーがある…と信じたいからな!」
「何から突っ込んでいいのか分からないわね…。ほら、口元。」
「ん?」
「食べかすがついてる。いいわ、動かないで。」
「おお、任せるぜ…」
「…。」
「…いくらなんでも、直接口で、ってのは卑怯だぜ。」
「あら?顔が赤いわよ?」
「正直、アリスの方が真っ赤だぜ。照れるくらいならやりなさんな。」
「っ…いいじゃない。やってみたかったのよ。」
「ま、何事も経験だしな。お、アリス、動くなよ?」
「え?」
「…。」
「…ここに、食べかすがついてたのよね?」
「いいや?アリスは唇に食べかすをつけたままにしておく人か?」
「じゃあなんで口付けたのよ…。」
「ん?舌もご所望だったか?」
「聞いてないし…。」
「しょうがない奴だな、アリスは。鍋が吹きこぼれるぜ。」
「だって…。んっ…。」
貴女の唇で塞ぐのがどれだけ卑怯だとしても。
今、吹きこぼれそうなのはこの胸の想いだから。
ごめんね。
ごめんなさい。
*
魔理沙と、『恋人ごっこ』をするようになってから1週間。
その間に私達は、いえ、私は時を惜しむように、彼女との時間を過ごしていった。
一緒にご飯を食べ、お風呂に入った。
手を繋ぎ、唇を重ね、舌を這わせ、肌を重ね、抱き合って眠った。
それは、本当に幸せで。
そして、本当に残酷な時間。
私の中の弱い部分が、その甘さに溺れて、引き伸ばしてしまった時間。
…削った、『彼女達』の時間。
ごめんね。
でも、もう終わりにするから。
1週間後の夜。
魔理沙の、纏う魔力はもう、減衰なんて言葉では足りなかった。
気力だけで、今の姿を保っている様な状態。
魔法使いなら、誰だって分かる。
今夜で、終わりなのだ、と。
その時私は、返してもらった人形を繕おうとしていたと思う。
「アリス。」
声がかかる。
魔理沙は、いつも通りの笑顔だった。
あまりに、いつも通りで。
「どうしたの?」
「いや…、もう遅いぜ?明日にしたらどうだ?」
「そうね、明日手伝ってくれる?」
「もちろんだぜ。」
やっぱり彼女は、笑って応えた。
『明日』。
来るはずの無い明日への約束。
魔理沙は、最後までこの『ごっこ』を続けようとしている。
誰の為に?考えるまでもない。
「じゃあ、寝ましょうか。」
「今日はちゃんと寝間着を着てくれよ?」
「わかってるわよ!」
苦笑いしながら、私は着替える。
ああ、楽しかったな。
「…いいわよ。」
「おう、というかもうベッドに入らせてもらってるぜ。」
「…勝手知ったものね。」
「ここは寝室であって勝手じゃないぜ。」
よっ、と私もベッドに上がりこむ。
先に待っていた魔理沙が、いつものように腕を差し延べてきて。
私も、いつものようにそれを枕にする。
それは、いつか来るかもしれなかった、いつも通り。
「じゃあ、おやすみ、魔理沙。」
「おやすみだぜ、アリス。」
そして、いつもの様に、魔理沙の胸の中で目を閉じる。
そう、これで終わり。
…。
ほら、やっぱり無理だったでしょう?
よく、今まで我慢したね。
でも、もういいの。
私は、もう大丈夫だから。
だから。
泣かないで。
「魔理沙。」
私を抱いている人の名前を呼ぶ。
「どうっ…しっ…た?ア…リス。」
そんなに肩を震わせて。
ごめんね。私が、ひどい事をしたね。
「もう、良いの。」
「なッ…に……、なに…が?」
ひっく、と小さく喉を鳴らして。彼女は応える。
「もう、無理しなくていいの。『恋人ごっこ』はおしまい。」
「だっ…てっ!それじゃ、それ…、じゃ、やくそくが…。」
大丈夫。
大好きな貴女の頼みだもの。
「大丈夫。ちゃんと、守るわ。」
貴女が、約束の為にこの1週間を演じ続けていた訳ではないと、信じてるから。
「で…も…、」
「いいの。ほら、時間ないんでしょう?『あの子』の所に行ってあげなきゃ。きっと待ってるわ。」
「アリス…。」
「魔理沙。私からの、最後のお願い。早く、『あの子』の所に行ってあげて。大好きな人と一緒に居るだけの事が、どれだけ幸せか、貴女は知っているでしょう。」
袖で彼女の顔を拭う。
泪にまみれた顔。でも、愛おしくてたまらなかった。
ほら、格好良くしていかなきゃね。
少しだけ私の袖を濡らして、私達の時間が終わる。
目元が紅かったけれど、魔理沙はもう、「いつもの」魔理沙だった。
「アリス。」
「何?」
私は、柔らかく笑う。笑えている、筈だ。
「ありがとう。」
「え…?」
それは、本当に一瞬だった。
一瞬だけの温もり。
それでも、離れた時の、
残る湿り気を風が撫でる寂しさは、
唇特有のもので。
たった一度だけ。
『ごっこ』じゃない、彼女からの口付け。
誰に許しを乞う事もない、一度だけの、淡い温もり。
魔理沙が言う。
「行くよ。」
今度は、笑えている確信があった。確かに、幸せだったから。
「ええ、気をつけてね。」
引きとめは、しない。
早く行ってくれないと、泪が零れそうだから。
魔理沙の立ちあがる気配。
私も身体を起こす。
彼女の背中が、離れていく。
でも、これでいい。
ドアノブに手をかけながら、一度だけ彼女は振り返った。
「またな、アリス。」
それは、いつも通りの笑顔で。
私も、いつも通り応える。
「またね、魔理沙。」
そう、これが、私達の終わり方。
私が望んだ、この物語の終わり方。
ドアが、閉じられた。
見渡すと目に入ったのは、直しかけの人形。
彼女と私の、来るかもしれなかった未来。
ぽたり、と。
手の甲に雫が落ちた感触がして。
「う…ぁ…?」
いくら拭っても消える事はなくて。
「う…ぁぁあぁああああああ!!」
人形を、抱きしめながら崩れる。
ごめんね。
ありがとう。
さよなら。
だいすき。
泪も声も枯らそう。
誰に許されなくても。
幕を閉じた私の物語に、泣いてあげられるのは私だけなのだから。
これで、私の物語は終わる。
声も出なくなった頃、夜空に一条の流星が流れた。
でもそれは、私の物語の終わりではなく、『彼女達』の物語の終わり。
そしてここからが、『彼女達』の舞台の幕間劇。
終わった私の物語に残された、ひとつの約束。
*
人気のない、小高い丘。
見上げると、満天の星空。
北極星が綺麗に見えた。
私は抱えていた箱をそっと地面に下ろす。
「随分待たせちゃったわね。」
そっと呟く。
誰に?
もちろん、頭上を走る、天の川に。
「約束を守りに来たわよ。」
今日は、『あの子』の誕生日。
何年経ったかは、忘れてしまった。
私の物語が終った事を割り切るには、それくらいの月日が必要だったのだ。
私は、箱に手をかけ、呟く。
「じゃあ、始めましょうか。」
たった一度きりの。
『貴女の』魔法を。
*
貴女がいなくなった後の私は、毎日の様に泣いてばかりいた。
自分でもこんなに泣けるのか、と思うくらいだった。
でも、当たり前でしょう?
私が涙を止められるのは、貴女の胸の中だけなのだから。
そこに入る事の許されなかった私には、貴女を想って泣くことしか、出来ないのだもの。
だから、泣き続けた。
泣いて、
泣いて、
泣いて。
どれほどの時間と涙が流れたか分からなくなった頃、私はゆっくりと動き出した。
また、私の物語を始めなくちゃ。
こんな私など、彼女は望まないのだから。
なにか、なんでもいいから、動き出さないと。
そうだ、魔理沙が返してくれた人形を繕おう。
それで、泣くのをお終いにしよう。
私は、人形を手に取った。
「え…?」
違和感があった。
帰ってきた人形は、部位で言えば腰の部分が大きくほつれていた。
その、ほつれた部分から、何かが覗いている。
慌てて、引っ張り出す。
入っていたのは、数枚の紙切れと、彼女が愛用していた八卦炉。
ああ…、これが私の役割なのね。
あの日、魔理沙が私にしたお願い事はただ一言。
「一回だけでいい、『あいつ』の誕生日に、『あいつ』の為に魔法を使ってくれないか?」
約束したものね。
『あの子』だってきっと、苦しんでるから。
『あいつ』の為だと貴女は言っていたけれど。
この魔法で、全て救われると、貴女は知っていたのよね?
私も、貴女も、『あの子』も。
私は紙切れを広げた。
そこに書いてあったのは、人間として最高峰の域に上り詰めた、魔法使いの最期の傑作。
その、理論だった。
そして、魔理沙がいつも使っていた八卦炉。
触れなくとも分かる、そこに込められていたのは、魔理沙の魔力。
あの、漲るような力。
そうね。
魔法に必要な要素は3つ。
理論、魔力、そして契機。
理論だけでは事象には成りえず。
魔力だけでは何も起こらない。
そこにはある種の起爆装置が必要となる。
呪文や陣などが一番分かりやすいだろう。
魔法には契機が必要なのだ。
だが、ここにいない魔理沙には、それが出来ない。
長年の研究で、最高の魔法理論を創り上げた。
どれだけの失敗を経たのだろう。
日々減って行く魔力を、八卦炉に込めてプールした。
纏う魔力が著しく減ったのはそのせいだったのだろう。
その二つの問題をパスしてもなお、どうしても起爆装置だけは用意出来なかった。
だから、あの日私に頼みに来たのだ。
「『アイツ』の為に」使うのは私でも、使う魔法は魔理沙のものだった。
私は何も知らず、怒鳴りつけ、彼女をなじってしまった。
彼女の想いが込められた、八卦炉を抱く。
それは、いつかの温もりに似て。
ごめんね。
ちゃんと、守るから。
貴女の想いは、ちゃんと届かせるから。
そうしたら、また、笑える気がするから。
強く、誓った。
*
本当に大変なのは、そこからだった。
完璧な理論、とは言っても、もともとの魔術畑が違いすぎるのである。
完璧なのは分かるが、細部の部分になってくると私の知識だけでは理解が及ばなかった。
しかし、問題は、この幻想郷で一番の蔵書量を誇る図書館の力を借りる事が出来ない事である。
『彼女』に悟られることは、魔理沙が望まないと思ったからだ。
結局、自力でその理論を紐解くこととなった。
魔理沙の家の書物もあさった。
茸の研究もした。
お陰で、一年分くらいはキノコ鍋のレパートリーが増えた気がする程だ。
そして、全てを解読する頃には、何年経ったか分からなくなってしまった。
この研究を、人の身であるうちに完成させたのだ。
魔理沙は、紛う事なく天才だった。
あの天才は、この魔法にどれだけの想いを込めたのだろう。
その想いの中に、私へのものはあっただろうか。
今となっては分からない。
でも、楽しかった日々と人形に込めた八卦炉の温もりを、私は信じる。
そして今、その想いを解き放とう。
しがらみも、後悔も、涙も、全部笑顔に変える魔法。
魔法のような貴女の、最後の魔法。
私は、一枚のスペルカードを取りだす。
そして、箱の蓋を開けた。
くるくるっと踊り出てきたのは、あの日、繕った人形。
中には、魔理沙の魔力が込められた八卦炉が入っている。
そして、その人形から、幾重にも糸が伸びて、たくさんの小さな人形達が踊っている。
その数、534体。
さぁ、始めましょう。
指先に、力を込める。
八卦炉が入った人形から、糸を通して魔理沙の魔力が走る。
純粋な白色の、強い光。
その光が小さな人形達に届くと、人形達自身も光り出す。
光は強さを増して、目を開いているのも大変なくらい眩しくなる。
ああ、そうよね。これが貴女の魔法の眩しさだった。
え?こんなちまちました魔法は使わないって?
安心しなさい。ここからよ。
静かに、その役割を果たす。
――誓符「スターテイルアーティフルレヴァリエ」
一斉に。
一斉に小さな人形達から、白色の光の柱が放たれた。
それは、縦横無尽に、この夜空を覆い尽くす。
彼女の得意とした魔法。それを、あらゆる方向に打ち出す。
彼女の完璧な理論の中身。『魔法発現位置の時間的・空間的超越法論』。
貴女は、この理論にどんな想いを込めたの?
自分の「光」をいつでも、どこに居ても感じられるように、そう願ったんじゃないかしら。
誰が?
言うまでも、ない。
それは、流星群のように映っただろう。
それも、同じ方向に縛られることのない、自由気ままな少女の様な。
この幻想郷全部を明るく照らして、
一瞬で駆け抜けて行った、魔法使い。
全ての人に刻みつけるように、絶えることなく夜空を照らし続ける。
そう、ここまでが魔理沙の残した魔法だった。
どこを見渡しても、彼女の姿が浮かぶような魔法。
『あの子』はどんな顔して見てるかしら。
笑っているといいのだけど。
それを、彼女は望んだはずだから。
でも、ほんの少しだけ。
意地悪ではないけれど、少しだけ、この幕間劇でいい目を見てもいいかしら?
いつか、叱ってくれてもいいから。
全力で魔力を練り上げる。
消耗は激しい。でも、魔法使いの先輩として、意地を見せないとね。
魔理沙の魔力に、自分の魔力を加える。
糸を伝う、白色だった光が、七色に変わる。
打ち出される閃光を編みこませ、色を乗せる。
そして、たった一つの想いも乗せた。
ただ、ありがとう、と。
七色の流星群が、夜空を駆け巡っていった。
*
「ふぅ…。」
どれ程の時間、打ち出していたのだろう。
魔力を空にした私は、その場にへたり込んでいた。
鼓動が早い。汗もかいている。
もういいや。
服が汚れるのも気にせず、大の字になる。
余波か残り香か、空にはまだ少し、オーロラの様な光が見える。
今頃、神社では、今のを肴に宴会でも始めているかもしれない。
すこし冷たい風が、心地よかった。
これで、本当の終わりね。
また、私は生きていくの。
大丈夫。
だって、笑ってるでしょ?私。
涙を流すのも馬鹿らしくなるくらいの魔法だったんだから。
それに、ずっといてくれるんでしょう?『そこ』に。
だから、大丈夫。
もう、汗は引いただろうか。
私は立ちあがり、服の裾を払う。
「またね、魔理沙。」
返事はない。
でも、そこにいる。
また、心地よい風が吹いて。
ありがとう、という声が聞こえた気がした。
最後にふっきれたアリスを描写し、後味を良く見せているけど一週間と引換に何年もの時間を奪っているんですよね。
お願いする魔理沙と実行するアリスは、愛する人のためとはいえ、そのようなことをできるものでしょうか・・・? 所詮お話の中と言ってしまえばそれまでですが。
うがった見方かもしれませんが、そのような作品を「素敵な」と自称しているのが自分とは合いませんでした。
たしかにここじわじわ来るなw
素敵って…ww
ちと自惚れてんのが…w