<注意>独自解釈を多分に含みます。大丈夫だ、問題ない。という方はお読みいただけると嬉しいです。
___________________特に何の感慨もなく天に生きる者となった。
そこにはどんな努力もなかった。大した修行もなかった。する暇もなく唐突なことだった。なることだけに関して言えば、どんな苦しみもなかった。
そしてどんな達成感もなければ、どんな喜びもありはしなかった。
天界には、私とそう変わらない年齢の子もそれなりにいた。彼らは天人たる量の知識と教養をもってはいなかったが、やはりただの13,4の子供には到底及ばないだけのものは持っていた。
彼らの両親は当然、天人になるだけの能力、縁、力があったのだろう。天人になるその日を見越し、子供たちにも立派な教育を施したはずなのだから。
実際、天界へと至った時、子供たちは皆、どこか満足げな、確かな自信に満ちた表情をしていた。それは自分たちの今までの努力が、直接的に関係がなくとも、報われたように感じたからなのだと思う。
そして彼らは皆男子は凛々しく、女子は美しかった。
自分はその知識でも、教養でも、外見でもかなわないと思った。自分の体形は少し太めであることは自覚していたし、幼少からそれほど気を使っていなかった黒い髪は、邪魔にならないように簡単に短く切りそろえられていた。
そんな自分と比較したのも一因で、私は彼らのことをどこか尊敬にも似た思いで見ていた。
しかし彼らは、そんな彼らだからこそ、私を許さなかった。
天人になったとはいえ、その実はやはり13,4の童なのだから当然とも思える。大人でもそうなのだからなおさらだ。
周りは私がまるで絶対にしてはならない不正を働いたような目で私を見た。私は黙って下を向くことにした。それは多分、かなり正解に近いのではないかと私は思ったから。
そんな風に下を向いて生きていくのは楽だったけれど、退屈な日々から逃げることはできなかった。
私は何とかして彼らと仲良くしたかった。
天界には教育の場なんてなかったし、ないものを挙げればきりがなくて、寧ろ桃とお酒と楽器、後は簡単な遊戯道具ぐらいしかなかった。
彼らが毬蹴りに興じたり、談笑する様子に私はついに我慢できなかった。
「私も入れてくれる?」
確か、私が彼らに放った最初の言葉はこんな感じだったと思う。
それからすぐに後悔した。女の子も、男の子も、彼らが私を見る目は冷たかった。
私はすぐに言葉を取り消そうとしたが、そのうちの一人が笑顔でがこういってくれた。
「いいよ」
たった三文字の言葉だけれど、私は心の中で歓声を上げた。嬉しかった。自分が初めて受け入れられたと感じた。少し涙が出た。
「ありがと!」
私はそこで飛び跳ねたい気分だった。
いままで自分が感じていた冷たいものは、自分の勘違いだったんだと思い込んだ。それほどまでに私は嬉しかったのだ。
私はすぐにでも遊戯を再開しようと促したが、これはいったん終わりだと言われた。
「疲れましたから。少しお話でもしましょう」
私にいいよ、と言ってくれた女の子が笑顔のままそう言った。
私は正直少し残念だったが、彼らと話をしてみたいとも思ったので、皆と一緒に頷いた。
私はまずは自己紹介かな、と思い、少し恥ずかしかったけれど口火を切ろうとして
「えっと、私は」
「では、今日は======について」
その女の子に横から割り込まれた。彼女の言葉には、全く知らない人名と思われる単語が混じっていた。
「え…、ぇ?」
「あぁ、確かに=====の===は興味深い」
私の混乱を気にも留めず、彼らの話か、それとも議論なのか、はつづく。
「====」
「====」
「====」
「====」
「あ、あのっ…?」
「貴女はどう思います?不良天人さん」
一瞬、誰のことかわからなかったが、皆の視線が自分に集まっていることに気がついた。その時、私は不良天人が何なのかわかっていなかった。
だから私はしどろもどろに「…ご、ごめんなさい。分からない」とだけ答えた。彼らは顔色一つ変えなかった。
ただ、「そう」とだけ答えて話を続けた。
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
「====」
その後、私に投げかけられた言葉は何もなかった。
私はただ、じっと下を向いて、時間が過ぎるのを待った。途中で「不良天人」にあてる漢字も理解した。
それから彼らは十分な時間を会話に費やしたのち、そのまま立ち上がってどこかへ行ってしまった。
私は独り、その場に座って残っていた。
私は彼らの前では決して泣かなかった。
今まで逃げてきたモノに追いつかれたような気分だった。
私は悲しみの勢いのままにお父様に今日あったことをぶちまけた。彼はその時私に何も言わなかった。
お父様からの返事は、直接ではなく、文書を通してのものだった。
その文面はひどく淡々としたもので、事務的であった。そこにはどんな感情もないようだったし、どんな思いも込められていないように思われた。
そしてどう読み返しても、その内容は私を批判していた。
私は無言でその文書を引出しにしまった。
私はその晩から家の書庫に籠った。
悔しかった。ひたすらに悔しかった。
涙が出た。涙が出るほどに悔しかった。全世界の悔しさを固めてもこれには及ばないと思った。
帰った私はそれこそ全力疾走で書庫に駆けこんだ。
お父様は訪れたが、初めの二回くらいでもう来なくなった。泣きはらした私の顔を見て顔をしかめていた。私はそれに特に何も感じなかった。
今思えば、お母様が亡くなってからしばらく経ち、彼は私を疎ましく感じているようだった。
私はお母様がなくなってから彼から愛情を感じたことはなかったし、天人になってからは特に私に興味を示さなくなった。
先ほども言ったが、天界の女性は皆美しい。そんな彼が、そんな世界で自分の娘の垢ぬけない泥臭い姿をうっとうしく感じるのは当然に思えた。
私は悔しさと対抗心を原動力に、ありとあらゆる知識を求めて書を読みふけり、内容を書き写し、暗記し、寝る間も惜しんで知識を詰め込んだ。
初めの一カ月。
それは地獄のような作業だった。
もともとそういう作業には不慣れであったし、基礎知識がないために一冊の本を理解し読破するのに何冊ものまた別の本が必要となり、さらにその本を理解するためには……。
それは永久に終わらない作業に思えた。
また、空腹と睡眠の不足が何よりも苦痛だった。天人の体は本来食事をほとんど必要としないし、睡眠も最低限でよい。究極的には必要ない。
しかし私はそれこそ突然天人などになってしまったため、それまで地上にいた時どおりの生活をしていた。
天人は肉体よりも精神に依存する。そういった意味では妖怪に似ていると言えなくもない。その結果、私は空腹感や眠気を感じるようになってしまっていたのだ。
徒に眠らず、徒に食さず。まずは天人に近付くため、私はこの二つを最低限に保つことにしたのだった。食事は侍女が持ってきていつの間にか入口の所においてくれている桃だった。
いくつもある中から毎日一つだけ食べた。
二か月目。
私は無理をしてその生活を続けた。するとある時期になって突然、空腹や眠気をを感じにくくなり、やがてそれは完全に消え去った。
つい数日前までの極度の空腹感と睡眠不足による吐き気や朦朧とした意識、頭痛、全てが嘘のようにきれいさっぱり消え去ってしまったのだ。
私はそれが嬉しくなって、ますます知識を詰め込む作業に没頭した。食事と睡眠時間はさらに少なくなり、完全に天人の体へとなっていくのを感じた。
この頃になるともう目的はあの子供たちに対する対抗心だけでなく、自らの知的好奇心を満たすためでもあった。
更に体調も一気に回復し、最低限の食事と睡眠で、私は逆に気分が良くなっていったように感じたぐらいだった。
三ヶ月目。
このころからは流石に一日に一度書庫の中で体を動かしたりもした。骨がすごい音を立ててなり、自分がどれだけの時間体を動かしてなかったかに気づいて苦笑したものだった。
そしてどれだけの間人に会っていないかに驚愕した。私は正真正銘この数ヶ月間をこの薄暗い書庫から出ずに過ごしていたのだった。
そのころにはもはや、悔しさは薄れなくとも原動力の一因に過ぎなかった。私の頭には膨大な基礎知識が叩きこまれ、もうどんな難解な書も難なく読破した。
この三カ月で私の世界は大きく広がった。たかが三カ月ではあるが、人間なら何年かかかりそうな量の知識であった。天人だからできる方法なのは言うまでもない。
そして半年がたった。
かなり広いとはいえ、ランプと本しかない一つの空間に籠るには非常識に思えるが、天人の寿命を考えるならそれは決して不可能でない期間だった。
お父様が扉越しにほんの数回私の身を案じるようなことを聞いてきたが、私はそれに適当な相槌を返したと記憶している。その時私は読書の妨げになるのでうっとうしいと感じていた。
私はそんなある日、一冊の本を読み終わり、それを棚に戻して気が付いてしまったのだ。
「あ、」
その本は書庫に並ぶ30近い書架の一番左側、その一番下の左に位置するものだった。
つまり、それは、その本が、この書庫の最後の一冊であることを示していた。
私はしばらく茫然とその場に立ちすくみ、そして自然と口角が上がるのを感じた。
「ぷふ…ふふ、あは、あははははははははは」
そして意図せず笑い声が止まらなくなった。
何だかとても満ち足りた気分だった。
温かくて、フワフワした柔らかい何かが胸に湧き上がってきて、それに呼応して笑ってしまうのだ。
「これが、これが達成感…えへへへ」
私は胸に手を置いて十分にその感覚を味わった後、ふぅと一息ついて、顔を引き締めた。そしてこの半年でそれなりに伸びた髪を後ろへ払う。
そして書庫の扉の前に立つ。半年ぶりの外だ。
私はもう何も知らず、何も考えない無知なものではなかった。だから自分はまだ完全には程遠いことも、理解していた。
自分はまだ、天人の足元にも及ばないと。
そしてその次の日には、私は再び書庫で泣いていた。
あの後、私は外へ飛び出し、適当な同世代と思しき天人達に声をかけた。
私にも悪いところはあった。
半年という期間は、天人の寿命を考えれば短いモノであるし、それは事実だ。
しかし精神が衰弱し、埃をかぶるには十分な時間だった。そして何より、あまりに自分の外見に無頓着すぎた。
精神は外見にも変化をもたらす。根本は変わらないが、生活状態と精神状態によって肌や髪はその瑞々しさを失い、眼窩はくぼみ、頬はこける。
私自身がどんな状態だったかまでは鏡を見ていないので分からないが、恐らく、よっぽどひどいのだろうと思えた。
しかしそれでも、彼らの浴びせた罵声はひどいと思った。私も以前とは違って色々おもうところもあったから、当然言い返そうとも思った。
そして結局、彼らの外見を貶めることはできなかった。
別に彼らがどんな欠点もない訳ではない。この半年の間、彼らは酒を飲み桃を喰らい戯れに興じたのだろう。
一番初めに見たときのような優雅さを何とか保つ者もいたが、装飾にまみれ、すっかり貪欲や狡猾にその外見を歪ませたものがほとんどだった。
しかし私はそれ以上に醜い格好をしていたのだろう。この半年で来ているものは書庫の埃で黒ずみ、やはり多少は伸びた髪はぼさぼさ。
彼らが私を見る目は同じ種族のモノを見る目ではなかった。
しかし私が不良天人の何某だと誰かが気づくや、彼らはその嫌悪感をそのままに、態度を一変させた。
女子はまるで私が何か狼藉でも働いたかのように悲鳴を上げ、男子の一人が私の腕を乱暴につかんだ。どちらもその口元には笑みを浮かべていた。
その時私が対峙していたのは天人等ではなかった。私が来るまで浮かべていた上品な笑み、大人に対する優雅な仕草は完全になりを潜め、その裏側にあるものが渦巻いていた。
恐らく、それは私の誇張表現に過ぎず、彼らは私という玩具で遊ぼうとしただけなのだろうが。
私は手をつかまれたとき、その力に突如、ひどく恐怖した。
当然女子として扱ってもらえるはずもない。体の大きな男子に肩を突き飛ばされ、そのまま逃げるように帰った。
この涙は悲しみではなく、やはり悔しさのように思えた。
しかし前回のように身体の中で燃え上がるような怒りをはらんでいるわけではなく、冷静なものだった。自分の過失も十分理解できた。
ただ自分より身体の大きな者に突き飛ばされたとき、私を支配した恐怖は今だに消え去ることなく肩を震わした。
あの時、もし私が逃げていなくても、彼らは適当に私‘で”遊んだ後、すぐに飽きてどこかへいったのであろう。恐らくこの推測は正解だ。
ただもし、そうでなかったらと、そう考えると体が震えだす。
私は思った。
弱いのは、ダメだ。話にならない、と。
私は独りなのだ。一人ではない。上品に微笑めば、誰かが守ってくれるわけではないのだ。
いくら知識を蓄えても、「話し合い」というお互いがある程度、上辺だけでも対等な立場にならないと、そう、ホントに話にならない。
ここでいう対等は別に同じ位の、などと高望みしているわけでない。
せめて、同じ種族、同じ天人として、いや、同じ知性をもつ者として、相手と対等と話せるだけの力が必要なのだ。
犬と人は話し合いなんてしない。私はここでは犬だ。犬ではいけない。
「私は、やればできる子…、のはず」
一度そこまで思ってしまうと、もうどんなみじめさも感じなくなった。
それに書庫での半年間は、私に知識だけでなく、ある一種の自信も与えてくれていた。
自分に言い聞かせるようにそう呟いてから、私は立ち上がった。もうこの書庫は私のいるべき場所ではなかった。
「今まで、ありがとね」
私はこの半年間お世話になった小さな机を撫で、書庫を後にした。
「…ここ、でいいか」
見渡す限りの桃の木。
天界はもう少しで飽和状態になる、などと聞いたことがあるが、それは天人たちが自分たちの「特権」をこれ以上多くの者に渡すまいという考えから出たものなのだと、私は知った。
それなりに歩いたとは思うものの、ひたすらモノの少ないほうへ歩いて行くと、苦もなくこのように何もない場所へとたどり着くことができる。
私は家の蔵から一本の刀と、書庫から数冊の指南書だけを持って飛び出した。食料は桃の数だけある。
さらにこれは文献から得た知識なのだが、天界の桃は天人の身体を天人にふさわしいものへと変容させるものらしい。
道理で天界には桃と酒しかないのだなと妙に関心したものだ。
私はその日から桃をできるだけ食べるようにした。後は睡眠。これはやはり多少は必要だと思いなおした。
自分の髪や肌の様子がそれを物語っていた。
私はまず要石を操ることから始め、他の時間は剣にささげた。
驚くべきことに、ほんの数カ月足らずで、私は要石を自在に操り、当初は重くて振り回すことさえできなかった刀を自在に使えるようになった。
ずっと桃を食べ続けたせいか、いつしか私の髪はくすんだそれから映える濃蒼へと変化し、身体は想像もつかないほど頑強なものになった。
剣の腕前は冗談のように上達し、指南書が役に立ったのは初めの数週間だけであった。
技は必要なかった。その圧倒的腕力の前にはどんな鉄くずも、どんな名刀も、等しく唯の凶器となり果てたからだ。
これが天人なのかと、私は何故から落胆にも似た気持ちを感じた。
半ば諦めかけていたが、この生活を始めてからまたたく間に肌や髪にはつやが戻り、瑞々しくなった。
気づかなかったが、あの書庫での半年間で私は痩せほそっており、つい最近にようやく健康的な身体を取り戻したのであった。
「…」
私は自身のしなやかな筋肉に覆われ、しかし華奢な両腕をまじまじと眺めた。
一度衰弱してから身体を桃だけで作り上げたのが良かったのか、その肌はまさに天人にふさわしいものだった。
匂いを嗅げば、何だか桃っぽい匂いがする。血の代わりに果汁が流れているんじゃないかと思うことも度々である。
髪の色が変化したあたりで、私は自身の本質が根本から変容していくのを感じていた。思考は透き通り、あの半年間で詰め込んだ知識が繋がり、整理され、より明確なものになる。
ひと度力を込めれば自信の体から緋色の闘気がほとばしり、地を割る。
「結局、あの半年間の知識と桃が、私を天人に昇華させたのね…」
天人とは何度も言うように、精神に深く依存する存在だ。非想非非想天というのはすなわち無色界の極地でもあるのだから、本来は肉体からも解放された存在の住む領域である。
天人になるためには当然それなりの「精神」が必要となるわけで、そこにはやはりそれなりの知識と教養が必要なのだ。直接的に等号を結べるとは言えないが、それが重大な一要素であったのは明らかだった。
その基礎作りこそが、私にとってのあの半年間であり、子供たちにとっての教育だったのだろう。
私は天界にいながら、天人ではなかったのだ。
今となってはもう悔しさや対抗心なんて気持ちも消えている。
「それにしても…、何というか、反則ね。これ。ずるいわ」
私は今まで腰かけていた岩を携えていた刀で両断した。ほとんど抵抗を感じないほどの腕力。その断面は滑らかで煙を上げている。
私が握っていた刀も同様に煙を上げており、刃はこぼれにこぼれてもはや峰と刃の区別もつかない損傷度合いだ。
「刀で岩を切るなんて、本当なら達人技よね」
昔、まだ人間であったときに読んだ物語。その主人公達のようだと思った。
彼らはたった数十ページのうちに、挫折も苦悩も乗り越えて、あらゆる試練を成し遂げ、強くなる。
そのころ私は彼らのことをよくずるいと思ったものだ。
世の中はそんな簡単じゃない。苦悩は本当に苦しくて、挫折はその人の人生を通せんぼしてしまうこともあるんだといってやりたかった。
「ま、そんな私がこれじゃ、文句も言えないか…」
その言葉に乗せた感情は、私にもよくわからなかった。
私はその後も家に帰ろうとは思わなかったので、天界中を放浪していた。
もう家を空けて随分____人間にとってはとても長い時間____になるが、お父様は特に心配もしていないようだ。というよりも私の存在を忘れているのではないかと思った。
というのも、私のいる場所は大抵かなりの辺境だったが、そこは天界、本気で捜索すれば見つかる場所にいる時も多くあった。
一度も私を探すような動きが見えないということは、つまり、そういうことなのだ。当然といえば当然か。
悲しくはない。といえば嘘になるが、そう思える程度には悲しみは少なかった。
その頃私は、まぁよくある話だが、色々な物を見たくなった。
様々な知識を得て、人が思うのはやはりそういうことなのだろうと思う。私は天人だが。
そして天界をふらふらと渡り歩くのにも飽きがきていた。
天界はそれなりに広いが、それとは関係なく目新しいものはない。桃の木しかない。となれば眼下に広がる幻想郷とかいう世界や、文献でしか知らない冥界に行くのもいいと思った。
「どちらにせよ、一度くらいは家に帰らないとね」
私はそう呟いて久方ぶりの帰路につくことにした。
放浪中、剣の扱いやら腕力が上がっただけでなく、私はかなり図太くなったと思う。堂々と偽名を使って放浪するには繊細な女子でいるのは面倒くさかったのだろう。
それだけではない。私はそれまで天人とは父親やあの子供たちのようなものだと考えていたがそれは間違いであることを知った。
ただひたすらに知識を求め、天人にして賢者を志す者。ひたすらに肉体を鍛えるもの。そして剣を極めようとする者。本当に悟りを開いたような者までいた。
そんな人間臭いがさまざまな天人が少数ながらいたのだ。
彼らは皆、天人が成長できることを私に教えてくれた。
賢者を志す者は信じられないほどの知識と教養をもち、意地が悪くて話術は巧み。私は初めて言葉で征服されるという本当の意味を知った。けして変な意味ではない。
肉体を鍛える者は光にも等しいと思える速さと、空気さえ砕きそうな力を持っていた。私は初めて圧倒的敗北という意味を知った。その後何度も挑戦して、一撃入れることができたのはいい思い出である。
剣を極めんとする者は私の刀を見て激怒した。私は初めて自分がしていたのがチャンバラ遊びなのだと思い知った。それからは少し自分の刀をいたわるようになった。
彼らは、私が不思議に抱いた天人への虚無感を打ち砕いてくれたのだった。
そうして私が本当に久方ぶりへ家へと帰ってみれば、そこは嘗てに比べて随分と大きな屋敷になっていた。
どうやらお父様の、彼のそれなりに狡猾なやり方は案外にこの天界に適合し、うまくいったようだ。
私が初対面の門番に、この屋敷の総領様に会いたい、お伝えしたい要件があるという旨を伝えると、彼は訝しげに私を見たが、一時の武器没収と一人の見張り人をつけることで許可してくれた。
娘だと言わなかったのは、どう考えても最後に自分がこの家を飛び出したときの姿と今の姿ではややこしいことになりそうだったからだ。
直接お父様に伝えたほうが早いと思う。
「しかし突然総領様にお会いしたいとは、お嬢さんは一体どこの家の方で?」
応接間までの間にそう聞かれて私は何とも言えない気持ちになりつつも笑ってごまかした。
当然ながら屋敷の内装は私が知るものとは大きく異なっていた。廊下はずっと長くなり、部屋はいくつも増えていた。
「ここで総領様がお待ちです。では、入りましょう」
そう言われるままに、私は応接間へと入った。
「うわぁ…」
思わず声が漏れてしまった。応接間の内装は他にもまして立派なものだった。意外にも成金特有の嫌らしさは無かった。それなりに多くのモノを見たからわかるが、本当に価値のあるものをそろえた空間だった。
「へぇ、お嬢さん」
聞かれてしまったようで、見張り役はにやりと笑った。
「ここにある品の価値がわかるということは、やはり侍女やただの天人というわけではなさそうですね」
「いえ、そういうわけでは。ただ以前にこういうものを見る機会があったので」
適当な理由をつけて話を流した。実際嘘は付いていない。男は肩をすくめてそのまま奥へと私を導いた。
応接間の中央。その腰かけに、お父様が腰かけていた。
その姿を見て、私は取り乱したり、果てに涙を流すことになるかと思っていたが、実際そういうこともなく、むしろいつも以上に冷静だった。
男に促されて客用の腰かけに一礼してから座る。クッションの感覚が素晴らしかった。
対面に座るお父様の表情は私の知るものとは違い、それなりに威厳のある笑みを浮かべている。
「私が名居家、ひいては比那名居家の当主であるが…一体今日はどのような御用向きか」
どうやら私のことを完全にどこかの他家の使いか何かと思い込んでいるようだった。
私だと気づいてくれるとは期待していなかったが、ここまで完全に疑われもしないと、逆に清々しいというか、呆れてしまう。
しかし私も以前とは違う。そんなことおくびにも出さずに会話を続けた。
「突然の訪問をお許しください。用、という程のものではないのですが、私的な用件なので、できれば二人でお話し申し上げたいことがあるのですが」
そう言って横の見張り役の男をちらりと伺うと、彼はまた肩をすくめた。癖らしい。
「いえ、申し訳ないが貴女は身元が分かりませぬゆえ、そう言うわけにはいかんのです」
「はぁ、そうですか」
できれば誰も知らぬままに一時の帰郷の報告をと思っていたが、そういうわけにもいかないらしい。
「では」
私は見張り役のほうに眼を向けた。
「それ程重要なことではないのですが、色々面倒なのは好まないので。恐縮ですが、これからのことは聞かなかったことにしてもらえますか?」
私は家に縛られるのだけは勘弁だったため、一応予防線を張ることにした。
「内容によりますが、比那名居家に何か影響の無いことであれば、お約束しましょう」
「それは有り難いです」
思いのほか、男が真摯に答えてくれたので、私は笑顔でお礼を言ってから、そのまま正面に向き直った。
「それで、私的なご用件とは何か?」
「あ、はい」
少し緊張した様子で聞くのに対し、私はひどく軽い調子で答えた。
「ただいまです。お父様」
結果から言えば、見張り役の男にとってこれは比那名居家に影響のあることだったらしい。
私の帰郷は次の日には屋敷の者全てが知る常識となり果てていた。
昨夜の私のただいま発言は、私が思っていた以上に大きな意味を持っていたらしい。
あの後、お父様は一瞬時がとまったようにかたまり、それから十秒ゆっくりたった後、驚愕。
私に何度も問いただしたのち、ふらりと倒れ、すぐに見張り役の男に救護室へ連れて行かれた。
そういう彼も、目をひんむいて驚いていたわけだが。
私は私で侍女たちに浴場に運び込まれ揉みくちゃにされた後、髪を整えられ比那名居家の正装を着せられた。
姿見に映った私は、まさに天人といった容貌であった。濃蒼の長い髪は艶があり瑞々しく、肌はどこまでも白い。
私の嘗てを知る者は私が比那名居天子であることを疑い、知らぬものは私を美しい、可愛らしいといった。
侍女たちは私を羨望の眼差しで見た。私はその眼を知っていた。私がかつて、その眼をしていたからだ。
私はなんだかうんざりとした気分になった。そしてこんな視線を受けて得意げだった彼らに、完全に冷めてしまった。
お父様は姫様に接するかのように私に接した。まぁ確かに私は比那名居家の姫君となってしまったわけなのだが。
数日間はそんな生活にも我慢できたが、婚約相手の話をされた日にとうとう我慢の限界が訪れた。
その相手が、嘗て私を突き飛ばした男子だったのだから笑うしかない。しかも彼が私の姿を見てその話に非常に肯定的だというからもう笑うことさえできなかった。
もうこんな生活はまっぴらだ。
放浪を続けているうちに私は自由奔放を好むようになっていたし、件の男子との婚約などやってられなかった。
そして何より、ここにも私と対等でいてくれるものはいなかった。
私はまだ独りであることを思い知った。
そしてついに夜のうちに屋敷から逃げ出してやったのだ。部屋に用意された装飾過剰な服の中から比較的動きやすそうな一着を選び、かかっていた黒い桃のついた帽子を引っ掴んで窓から外へ出る。
そのまま真っ直ぐ蔵に向かい、適当に得物を探していると、かすかに緋色に色づく太刀が眼に着いた。
感じるものもあったので、躊躇なくそれを引っ掴んだ。
それから私は再び天界を放浪し、不良天人として堂々と天界をまわった。偶然引っ掴んだ刀が、天界の宝剣の一つ緋想の剣だったことも原因で不良天人として有名になってしまったのは言うまでもなく……
私が痺れを切らしてあの地震騒動緋想異変を起こすのがそのちょうど100年後であった
目的はひとつ。私と対等な。いや。私の、友達を______________________
__________________________
「______と、まぁこんな感じで、この娘もいろいろ苦労したのよ。これが」
そうしめてから、スキマ妖怪兼幻想郷の守護者である八雲紫は、満足げにニヒルな笑みを浮かべながら上品に酒を飲む。
話を聞いていた面々は何となく、紫にもたれかかって寝息を立てている天子を生温かい目で見ていた。
「ほぉー、意外…ってなんでおまえがそんなこと知ってんだよ!」
そう声を上げたのは黒白の魔法使いこと霧雨魔理沙である。それに対して紫は余裕の笑みで返した。
「それがつい昨日の夜、私の隙間が彼女の記憶領域とたまたま繋がちゃったのよ。こういうことは珍しくないから別に驚くほどのことではないんだけれど。
すぐ閉じようと思ったら何やらおもしろそうじゃないって思っちゃって、結局スキマ固定して貫徹朝まで見てたってわけなのよ」
紫が説明すると話を聞いていた面々がげんなりとした顔をする。
「いや、あんた。記憶のぞくわそれをこんな大勢の前で暴露するわ…流石の私でもそこの天人に同情するわ…」
「天子にも人権はあるんだぜ…」
紅白の巫女さんこと博麗霊夢は天子に同情の視線を送る。
「何よ何よその眼は。私だって暴露っていいことと悪いことの区別くらいつくわよ」
それを紫は心外そうに言い返した。
「あややや~、しかしそこの天人さんもなかなか生意気な天人だと思ってましたが、一皮むけば寂しがり屋の女の子とは、これはからかい甲斐があいそうです!にひひ」
「もう、文さんまたそんなことを…。でも何だか感激しました!!悔しい想いを努力で乗り越えていく天子さんに!!私は!私はぁあ!!」
「ちょ、早苗落ち着いて」
言いながらばんばんテンションが上がって目をキラキラさせる風祝兼現人神を隣にいた諏訪子と神奈子がなだめる。
「すばらしい!あぁ!何て美しい!どんな仕打ちを受けようとも決して復讐にはしらず己を高めようとするその心!この聖白蓮!感服です!南無三!」
「姐さん落ち着いて!」「聖!」
もう一人テンションがあがり続けて悶えているが、実害はないので大丈夫だろう。
そんな面々を見て紫はふぅと溜息をついた。
「そこまで良い話だったかしら?私にはわからないわ」
「いや紫様、一晩中号泣してたじゃないですか。泣き声がうるさくてうるさくて…」
「あら紫。嘘はいけないわ~」
式に色々暴露された挙句、友人の亡霊にダメだしされて紫はその夜枕をぬらしたとかぬらさなかったとか。
「しっかし、ホント幸せそうな顔で寝てるぜ」
「いや、まぁ寝てて正解でしょうね。こいつ褒められんのとか苦手だし」
「ま、それもそうだな。意地っ張りだしな」
「そうそう」
鍋を沸かす火の緋色の光が、月光とともに彼女たちを優しく照らしていた。
<happy end>
ゆかりんwww
いい幻想郷
とても幸せになりました!
天子=不良天人……と、あっさり流してしまうのではなく、そこに至る経緯をリアルに、かつ面白く描いてありました。
感情のジェットコースターですね。天人としては正しくなかったかもしれませんが、天子は間違いなく良き人になりましたよ。
いやぁ、とにかく色々感想はありますが、あえてまとめるとやはりこうなります。
「て ん こ あ い し て る」
あなたは私ですか?
素敵な物語をありがとうございます。
とにかく、結論としては天子ちゃん可愛いよ天子ちゃんです。
これ今年の流行語クルワァ……
いい仲間も出来てよかった さすがは俺の婚約者だ
天子ちゃんかわいい。
出来るなら、過去話だけでなく、TOT氏の書く本編以降の天子様の話も読んでみたい。
或いは、作中に出てくる芯の通った天人の皆さんと交流した時の話とか。
皆さんの感想を見ていると、中には自分でも気付けなかったこの拙作の良点と言えるところを皆さんに見つけていただいた感があります。
自分が好きで描いた作品のそういう発見はとてもうれしいものです。
これもひとえに足りないところを想像力で補っていただいたおかげなのですが(笑)
今回は「天子の記憶を客観的に天子が見たような」視点で書かせていただいたので色々省いたりしましたが、もし機会があれば、そのあたりも物語にしたいと思います。
とにかく天子っていいキャラしてるなぁとだけ!!
本当にありがとうございました。 TOT
素敵な天子ちゃんをありがとう。
74氏の評のお陰で作品の本質とタイトルの意味が理解できました。ありがとうございました。
とにかく天子ちゃんかわいい。
74氏のお陰でより納得できた
衣玖さんとの出会いの話なんかも見てみたいですね
天子のどこがかわいいかってまさしく文の言うとおりなわけですよ!
あと号泣しちゃうゆかりんもかわいい
ありがとうございます。
やっぱり天子はこうでないといけない。
天人から天子へと自分を形づくって行く過程は大好物だ。
よかったです。
何度か読み返したんですが、少し文章の荒さ(誤記、言葉の使い方共)が気になりました。
ホント、話は良かったんで、今後の更なる活躍を期待して、老婆心ですが一言ご指摘しておきます。
温かい目で見ていただいて、本当にありがとうございます。天子の可愛さおかげですかね(笑)
102さん、わざわざ批評していただき感謝です!助かります!
私は結構読んでる作家さんが独特で偏っているので、辺に触発されて言い回しとか変なの自覚してましたが、やはりでてましたか…。次に書く際は念頭に入れて書きます。有難うございます!
しかしSSって大変ですね。30KBでも6時間ちかくかかってしまいました…。100KB越えとかそれだけで感激ですよね!
なにはともあれ有難うございました! TOT
面白かったです。
てんこあいしてると言わざるを得ない。
>>62は天子ちゃんを突き飛ばした彼ですか?ハハハちょっと誰が婚約者にふさわしいか肉体言語でお話しようか。
筆者の方の世界観を表すには必要だったのかも知れませんが。
一つの話としてまとめると、統一されてないようでもあります。
まぁ最終的には、最後まで天子の独白でシリアス物として締めるか、
天子が皆に愛されて良かったね、の差異だと思います。
てんこあいしてる
俺も天子みたいに努力しなきゃ…
天子が好きになりました。
最後のシーンの清々しさ、忘れられそうにありませんぜ。
と別に今の自分には少し刺さりすぎて少し痛い
ぼくの生活を。
天子のひたむきさをしっかりと追いかけられたので物語性はむしろ潤沢でした。
質素にして堅実な描写はとても無駄が少なく、
紫の記憶を追いかけて、長い時間をぎゅっと縮めて、
一人の健気な子をずっと見守ってきたような清々しさがありました。
その天子ちゃんが、何より非常に魅力的だったので嬉しかったです。
これからもずっと応援したくなる女の子でした。
うぉー!てんこうぉー!
南無三!
後書きの通り優しいお話でした。天子かわいい。