1
ぽりぽり。
「メリー」
ぽりぽり。
「ねえ、メリー?」
「なに蓮子? あ、店員さんすみませーん。このらっきょ、おかわりくださーい」
年末。12月31日の昼だった。
「メリー。いくら何でも食べ過ぎじゃない?」
「だって、付け合わせはタダだって言うじゃない。やたら高かったんだから。それにこのらっきょおいしいし。蓮子も食べたら?」
私達秘封倶楽部の二人は、ここ、不死屋ホテルの食堂で名物のビーフカレーセットを堪能しているところだった。
老舗の名物ということではあったが、並のカレーの3倍近い価格帯の昼食は、特に裕福ではない学生の私達にとって、大変痛い出費だった。
が、確かに美味しい。
長時間煮ただろう牛肉の塊は、スプーンの背で軽く押しただけで崩れるようなもろさだった。
そのような牛肉のかけらが所々混じり合ったルーも、それだけの、スープ、としても通用するような、とても美味しい味だった。
辛いけど、いくらでも食べられる。いっそのこと一飲みにしたいくらい。あまりにも多くの食材が使われているようで、何が何の味なのか、全く分からない。
それなのに、なぜだか懐かしい。食べたことない、記憶にない味のはずなのに。
「それにしても、何の手がかりも無いとはね。わざわざ遠出してきたのに」
「ふぉふね」
メリー。お願いだから食べながら喋らないで。
「メリー、本当にここに境界が見えたの?」
「本当よ」
メリーはそういって、小皿に盛った食べかけのらっきょうをテーブルに起き、その隣に、ちょっとした銀の立方体を設置した。
しばらくすると、このホテルの小さな全体像が、立体的な像として私達の間に出現する。
『明治から続く伝統のサービス。歴史あるもてなし……』
特徴的な構造をした緑色の屋根が目を引く建築物だった。
「この宣伝に映ってる境界が、なにかで編集されてない限り、ね」
そんな物を持ち出されても、メリー以外には、この画像に境界は見えていない。
境界を見ることが出来るという、それ以上でもそれ以下でもない、実に気味が悪い能力をメリーは持っていた。
実際に、ホテルの従業員に聞いてみたのだが、この広告は今時にしては珍しく実際のこのホテルを撮影して作った物らしいし。
とすれば、メリーだけに見えているらしい、この画像に映っている境界とやらは、まず間違いなくホンモノ、と判断した方が合理的だった。
だけど、山の中腹に位置するここに実際に行っててみると、
「あらまあ、どこにもそれらしき跡はないわね」
と、これまた暢気そうにメリーさんは仰るのだ。
こんな事なら、二日掛けてたっぷり探索しようなどと考えて、宿を予約なんかしなくてもよかったかな。この出費は、一介の大学生にはつらすぎる。いやまあ、ここの不死屋ホテルは高すぎたので、実際に予約したのは隣の安旅館なんだけど。
私はため息を一つ。
「今回の探索の最大の収穫は、ここのカレーね」
「いいえ、カレーセットについてきたこのらっきょよ」
メリーは自分の人差し指を私の鼻先に押しつけて、のしを付けて突っ返してきた。
ああ、でも。
ぽりぽり。
まあ、いいや。
「じゃあ、ご飯食べたら、今朝相談した通り、この辺を捜索しましょう」
境界の捜索、というより、散策といった方が真実に近いのかもしれなかった。
だって、なにより、境界の手がかりは何一つないんですもの。
あるいは、「いつも通り」といった方が最もしっくり来るかな?
2
思ったより、この辺りは坂道が多かった。
「蓮子ー。まだー?」
メリーが、前方二十メートルくらい先の、上り坂の頂点で私に手を振って見せている。
「じゃあ手伝ってよ、メリー」
「いやよう。なんか服とか汚れそうなんだもの」
私がぴっちりとしたライダージャケットを着ているのとは対照的に、メリーはいつもの服で笑い声を上げて見せた。
私の懇願虚しく、私は私の運転してきた、二人乗りにかいぞうしてあるバイクを、たった一人でおさにゃならなかった。
頂上についた私を、メリーが茶化す。
「お疲れ様」
「お待たせしました、お姫様」
「ふふ、蓮子も変わってるわねえ。私の知り合いで、貴方くらいよ? 今時、化石燃料を消費するような、環境に悪いバイク使ってるなんて」
そういいつつも、私がそこにたどり着くやいなや、早速とばかりに後ろの座席にスタンバイするメリー。そうして、前を向いて両手を伸ばし、抱っこを待つような子供の体勢になった。別にいいけどね。
「いいじゃん」
たぶん、今の私の唇は尖っているんだろう。
メリーが私を見て、くつくつ、と微笑んだ。
21世紀だったかな? 電気自動車がこの世に現れて、最初はなかなか普及がすすまなかったらしいけど、それも今は昔、メリーの言うとおり、今では、世界的にほぼ全ての自動車が電気で動き回るようになった。
ガソリンを燃料とする車なんて、今では、それこそ石油が有り余っている中東かロシア辺りに行かなければ確実にはお目にかかれないんじゃないだろうか。
21世紀くらいには、日本国内でも、ガソリンスタンドとかいう施設がそこら中にあって、給油も自由自在。今の私のように、ガソリンを売ってくれる公民館などを探し回る様な手間暇が必要無かったらしいけど。まあ、時代も善し悪しね。
メリーがため息をつく。
「どうしてそんなオンボロにこだわるのよ。坂道も上れないじゃないの」
「これは、坂道が悪いってのもあるわ」私は、舗装が半ば剥げかけた道を指さす。
そういいつつも、メリーの言うことも尤もだと思いながら、なかばやけくそに近い形で、バイクのエンジンを入れ直した。
バルル、プスンプスン。ドルン。
お、今回はあっという間にかかったわ。
電気モーターでは決して経験出来ない、特有の振動が私達を包み込む。
「この振動よ、気持ちいいと思わない?」
「いやあ、別に」
そういいつつ、メリーは座席に座った私の腰に両手を回し、しっかりと抱きついた。
腰と背中全体に、メリーの身体の体温が伝わってくる。
「じゃあ、あらためて行きますか」
「あらためて、よろしくね」
「はーい」
私が念じたように、バイクはゆっくりと滑るように進み出す。
私は、前方に冷たい風を感じながら、他の車が全く通らないような山道を、のんびりとした速度で運転した。背中にメリーの感触を確かに感じながら。
シリーズ中、ガソリンエンジンを搭載した最後の形式。
その中古品を
、ネットオークションで買った物だから、正直いってこの子の状態はあまり良くない。多分、前の持ち主と合わされば、作られてから30年以上は経過しているはずだし。でも、私は、このバイクに名付けられた、カブとかいう言葉の響きが、何となく気に入ったのだ。
3
「あ、あそこ」
メリーがそういったのは、バイクで出発してから三時間以上が経過し、空がもう紅く染まりかけたときだった。逢魔が時、ともいう頃だ。
山道の途中。
彼女が指さした前方三十メートル先は、道が90度以上右に大きくカーブした形になっていて、その外郭に、一件だけ、不釣り合いにまでオンボロな一軒家が、ポツン、と建っていた。しかも、見た限りでは茅葺きだ。なんともこった建築様式だ事。
今の時代に茅葺き屋根だなんて。20世紀に平安貴族の屋敷を建てるような贅沢ね。
私は思わず、感嘆とも、只のため息ともとれぬ息を吐いた。
道のカーブの所から、外側に一本の小さな道が出来ていて、茅葺き屋根は、その道に沿って、小振りの長いすを屋外に設置してあった。
私はとりあえず、その小屋の軒先にバイクを止めた。
「メリー、ここに何か見えたの?」
「ううん。はっきりと見えた訳ではないんだけれど。なんというか、この辺り、境界の境目がとてもはっきりとしない感覚があるというか」
そういっているメリーは、なんだかいつもより顔が青くなっているように感じた。
メリー、あなた、大丈夫?
私がそう声をかけようとした時、正面の小屋の扉が突然開いた。
「いらっしゃい。おや、珍しい、見ない顔だね」
10分後。
「おいしいわあ。お茶も、このお団子も」
メリーは目を丸くして、緑色のお団子をほおばっていた。
何のことはない、この小屋は茶屋だったのだった。
「そんなに好きなら、ほれ、どんどんお食べ」
そういいつつ、この店の唯一の主人である皺だらけのお婆ちゃんは、ニコニコしながら、私達の元へお茶とお団子をたくさん持って来てくれた。
それにしても。
「失礼ですけど、こんな所でお店出して、やっていけるもんなんですねえ」
「ああ、私の趣味でやっているような物だからねえ。採算なんか最初から考えてないよ」
「じゃあ、殆どお客さんいないんですか?」
「そうねえ。一の位を四捨五入すると、だいたい一日に平均して零人くらいかな」
「あらま」
おばあさんは長いすに座った私達に、二杯目の美味しい緑茶を煎れてくれた。
私はそれを飲みながら、ふと、今通ってきた上り坂を眺める。
ずいぶんと辺鄙な所まで来た物だわ。
私達の登ってきた道は、曲がりくねっているためにあまり遠くまで眺めることは出来なかった。
「でもねえ、ひとりだけ、常連と行ってもいいお客さんがいるのさ。たまーにふらっと歩いてきて、団子をまとめ買いしてくる客が」
「へえ」
「まあ、いまとなっては、その人の為だけにこのお店を開いているようなもんさねえ」
ここはお茶もお団子も美味しかったが、正直、物珍しい客が居た者だと思う。
少なくとも、私達の道のりからすると、ここから一番近い建物でも、二十分以上はかかった記憶がある。
私のオンボロバイクは殆ど速度らしい速度を出すことはなかったが、それでも結構な距離があることは断言できた。
ミステリアスな客も居た者だ。
「ねえ、お婆ちゃん。その客ってどういう――」
ヘッ……クシュン!
「きゃっ、汚っ!」
私の隣に座っていたメリーが唐突に盛大なくしゃみをしでかした。顔色が青いように見えたのは身体が冷えたせいか!
しかも、どういう訳だか私に向かってする物だから、顔全体にばっちいのがかかってしまった。
「ちょっと、メリー。そういうときは手を当ててよ、手を」
手ぬぐいを出して、顔を拭う。
「ごめんね、蓮子。本当に急に出た物だから」
顔を拭いた後、私の視界には、メリーのうしろに、
「……あら……まあ!」いつの間にか、日傘を持った、大変上品そうな女性が、白い手袋をした手で口を押さえながら、佇んでいた姿が写ったのだった。
お婆ちゃんが、気楽に私の背中に言う。
「この人だよ、さっきいった常連ってのは」
開口一番、
「ごめんなさいね、吃驚しちゃって。ここのお店に、私以外の方がいるのを見たのは始めてでした物で」
そう謝りつつも、その女性は常に笑顔を絶やさなかった。
その、コロコロと笑う様子はとてもとても可愛らしかった。
そういうと、とても喜んだ様子で、
「でも、家族なんかは、『胡散臭い』っていうのよ。酷いと思わない?」と、これまた可愛らしくぷりぷり怒って見せてくれた。
「ところで、いつものでいい?」お婆ちゃんが女性に言った。
「ええ、レンさん。お願いね。気を悪くしないでくださる? 私は別に、あなたのお団子の味を悪く言った訳じゃないわ」
メリーが会話に割ってはいる。
「そうですねー。ここのお団子、とっても美味しいですし。特にこの緑の。見た感じ着色料とか使ってなさそうなんだけど。何のお団子なのかしら?」
実は、私も、この緑色をしたお団子の正体が気になっていた。
「おや? あんた、ヨモギしらんのかい?」
「そうですねえ。もう、この時代、ヨモギのお団子は廃れちゃって、お団子と言えばみたらしかあんこ位しか無くなってしまいましたからね。私はヨモギが一番好きなのに」
驚いたような顔のお婆ちゃんと、憂いを含んだ表情の女性、二人の顔色が印象的だった。
「ところで、あなたたちは、あそこの乗り物で来たのかしら?」
女性は私のバイクを指さした。興味深そうとも無関心とも言えそうな目で見つめている。
「ええ、私が運転手で」私は、椅子の傍らに置いてある鈍色のヘルメットを撫でた。
「ああ、だから、貴方は今日は帽子をして居ないのよね」
奇妙な会話だ。まるで、私がいつもは帽子をかぶっているかのような話し方をする。まあ、実際そうなんだけど。
女性がメリーを指さす。
「あの、そのう、相方の女の子が素敵な帽子かぶってるでしょう? だから、いつもは、貴方も帽子かぶってるのかなー、なんて」
ああ、なるほど。この女性、案外見た目よりうっかりさんなのかもしれない。
と、いうか、本当はメリーもヘルメットかぶらなくちゃいけないんだけど。
「そういえば貴方たち、こんな所へ何をしに来たのかしら?」
「実は、私達、大学のオカルトサークルめいたようなよく分からない何かをしてるんです」
お茶を飲み終えたらしきメリーはそう言った。まあ、境界がどうとか言っても、普通の人は分からないでしょうからね。
だが、女性はそのへんてこな説明で何故か納得がいったようで、
「なるほどねえ。じゃあ、私が面白い『不思議な場所』を教えてあげるわ」
人差し指を唇に当てて、ウインクをして見せた。
この茶屋から出ている獣道じみた道を下ると、とても面白い『不思議』が体験できるだろう、とのこと。
どういう不思議なのかは、いくら聞いても、はぐらかすように笑うだけで誤魔化されてしまった。
「いまからじゃあ、ちょっとの時間しか堪能できないかもしれませんけどね」女性はそう、なぜか残念そうに言った。
「じゃあ、そろそろいきますかな? 私の運転手さん」
メリーが背伸びしながら立ち上がった。さっきは顔色が悪いように見えたが、今のメリーは健康そのものに見える。私の気のせいだったかもしれない。
「ええ、おばあちゃん、お会計お願いします」
お婆ちゃんのほうへ立ち上がった私を、女性がゆるりと遮って見せた。
「そうだ。ここは、私に奢らせて頂戴」
正直、その提案はとてもありがたかった。
ここのお団子があまりにも美味しすぎて、沢山食べ過ぎた気がしていたからだ。
事実、お婆ちゃんから、値段を聞くのが少し怖かった。
「ええ、いいんですか? ありがとうございます」
「いいわよ、そんなこと。私も、久しぶり。こんな時間を過ごせたのは貴方たちのおかげよ。お礼を言いたいのは私の方」
メリーと私のお礼を笑って受け止めた女性は、いってらっしゃい、とばかりに、手を振ってくれた。
「じゃあ私達はこれで」
そういって、バイクの方へ先行したメリーの方へ行こうとした瞬間、
「待って、貴方に、おまじないかけてあげる」
女性はそういって、私の腕をつかんだ。
そして静かに顔を近づけて、
――チュッ
そっと、優しく私の頬にキスをした。
いきなり何するのよ!
突然の事で、抗議しようとする私の顔を、女性は両手を私の肩にのせ、私の瞳を見つめてきた。唇同士がふれあいそうな距離にまでそのまま顔を近づけ、メリーに聞かれない位の、囁くような小さな声で言った。
「お友達のこと。最期まで、ずっと、ずうっと、仲良くしてあげてね」
メリーのこと? 何いってるの。私がメリーを嫌うわけないじゃない。
「本当? お願いよ。本当に、お願いね」
バイクの傍で、メリーが喋っている。
「蓮子、なにしてるのよ。はやくいこーよー」
わかった。すぐ行くわ。
そういおうとした私に、女性が、今度はとても古ぼけた御守りを、私の首にかけてきた。
「あげるわ、それ」女性が言う。御守りは、はるか昔には、赤系統の色をしていたんじゃないだろうか。
わたしはもう、なぜだか女性のことを許す気持ちになってしまっていた。
4
「でっかいわねえ」
「おおきいわねえ」
バイクから降り立った私達は、どこまでも続きそうな塀を前にして、二人でぽかんと口を開けていた。
正確には、塀ではなく、その奥に聳え立つようにある真っ赤な外壁の洋館だった。
ふいに、後ろから声をかけられた。
「あんたたち何の妖怪?」
振り返ると、緑色のチャイニーズドレスを着た赤髪の女性だった。
頭に『龍』と書かれた帽子をかぶってるあたり、中世の西洋人あたりが思いつきそうな東洋人の格好だった。
「たいへん、中国の方よ。蓮子、あなた中国語話せる? オゥ、ニーハオシェーシェーモーマンタイ」
「いやいや、自分、思い切り日本語喋ったじゃないですか」
「そうだった。ごめんなさい」
メリーの必死に謝る姿がかわいらしかった。
「あ、いや。私達、別にこのお屋敷に用事があるわけじゃないんですよ」
「用事を聞いたわけじゃ……って私の仕事的にはそっちのほうを聞くべきか」
その中国さんは、なにやらぶつぶつと呟いた後で、あらためて振り返った。
「なら、こんな人気のないところまで、何しにきたのかな?」
女性のさわやかな笑顔にのせられたかのように、メリーもわらって答えた。
「私達、ちょっとした旅行を楽しんでいるの。ええと、お名前を伺ってもいいかしら?」
「私? 多田野門番さ。それにしても旅行でこんなとこ来るとはねえ。なんというか、物好きというか」
多田野さんというのか。
「あと、不思議というか、面白そうなものを探して旅をしてるんです」
「ふーん。っていうか、私としてはそのお姉さんの乗り物も珍しい気がするけど」
「わかりますか?」
多田野さんが、まだエンジンをかけはなしたまま、微妙に振動を続けているバイクを指差した。
確かに、もう日本ではこの子みたいなのを見かけることは難しいだろう。いまどきのバイクは振動なんか全く起こさないのだ。
「なんていうか、私の知り合いがね。そういうの大好きで、そういうのをちょくちょくいじってるんだよ。そうだ、寄り道とかする暇があったら、できればその子に見せてやってくれないかな? 喜ぶと思うし、たぶん調整とかもしてくれるんじゃないかな。調子悪いんでしょ、その機械?」
「よくわかりますね」
「気の流れが内部で淀んでいるみたいだから」
そう、たしかにこの子のを買ったときから、排気周りの具合があまりよろしくないのだ。
私が詳しくないので、ほっておいたけど。
そのあと、私達は多田野さんと少しおしゃべりをした後、その場所を後にした。
どういうわけか、多田野さんは聞いたことのない、不思議な妖怪や妖精の話をとてもよく知っていて、私達に話をしてくれた。
どれもがとても面白く、中には、おなかを抱えて転げたくなるようなものもあった。
それにしても、多田野さんのあの格好ときたら!
文化革命から何年たったと思っているのだろう。
あんなベタベタな中国人はいまさら居ないわ。やっぱり、多田野さんは中世か古代あたりの中国マニアなのかしら?
おおきなお屋敷を背にバイクを運転してる中、メリーもそう思ったようで、
「やっぱり、あの館の住人って、みんな中国フリークなのかな?」
「さあ、それにしては外観は全くの洋館だったけど」
「それは、好きなのはあくまで古代中国だからよ。さすがに住居までまねはできないって。でね、屋敷のお嬢様が、これまた間違った方向の中国フリークで、夜な夜な人肉食とか嗜んじゃったりするの。道行く人に『ぎゃおー! たーべちゃうぞー!』って襲い掛かったりして」
私は思わずふきだした。
「ないない」
5
このときすでに、私は多田野さんのお友達にも会う気になっていた。
教えられたとおりの道を進むと、運よく、川の傍にいるお友達の方に出会うことができた。
多田野さんの紹介だといっても、しきりに首をひねっていたがけど、名前は多田野さんの言うとおり河城にとりさんという方だったので、あの人に間違いないと思う。
それにしても、河城さんの、この子に対する情熱はすさまじかった。
私がバイクに乗っているのを見るなり、
「ちょっと全解体してみていい?」との一言。
丁重に断るものの、とても名残惜しそうな目つきで、色々弄り回すことを条件に、ただで整備することを快諾してくれるくらいだった。
「うわあ、こんな構造のカブ、見たことないや!」
そういいながら目を輝かせる河城さんは、まるで大好きなお人形をプレゼントしてもらった幼稚園児みたいだった。
河城さんの直してくれたバイクはすこぶる具合が良くなっていた。
絶好調といっていい。
私は今、私がこの子を買ってから、初めてといっていいくらいの速度を出していた。
安全走行ができる程度の速さだけど。
河城さんは、本当にこの子をしっかりと整備してくれたみたい。
そのせいか、辺りは完全に夜になってしまい、月と無数の星が、空を占領していた。
気のせいかいつもより星の数が多く見える気がする。
空気が澄んでいるせいかな?
見知らぬ地で、地図もなく、頼りになる明かりは月のあかりとこの子のライトだけ。
しかも通るは獣道とほとんど変わらない道。
通常の私の感覚なら、ゾッとしないでもない状況だった。
それでも。
メリーと私。二人なら、この先どこまででもいける。いつまででもいける。
今の私は、そういうことを思いつくくらいに強気だった。
「この先といえばさあ」
後部座席のメリーが言った。
「蓮子、あなたって、やっぱり院に進むの? その、大学」
「ええ。奨学金が取れれば、の話だけど」
「へー。学力は問題ない、と」
「ふっふっふ。あまりこの蓮子さんをなめないでよ」
「それはおみそれしました。ははーっ!」
おどけたように謝るメリーに、ふと、聞いてみたくなった。
「メリーは?」
少しの沈黙の後、
「……どうしようかな」
「院には進まないの?」
「ちょっとそれも悩んでるの」
「そういえば、メリー。大学を卒業したら、国に帰るんだっけ?」
「うん、最初はそのつもりだったわ。秘封倶楽部を立ち上げた時だっけ? そういう風にあなたにいったのは」
「ええ、そのくらいじゃないかな。同じころに、私達でルームシェアを始めた」
「そのくらいね。ねえ、蓮子。院に行ったら、今借りてる部屋、どうするの?」
「そりゃあ、別の、もっと小さな部屋に引っ越すかな。もしメリーがこのままあの部屋に住む、というなら話は別だけど」
「じゃあ、仮に、あなたが院にいる間も私が居るとして、その後は? 院を卒業したら、あなたはどうするつもり?」
「できれば、今の学問の研究職に進みたいな」
「そう……」
「私、京都に住み続けたい。蓮子のいる日本にいたい。でも、私の専攻じゃ、あんまり将来はなさそうなのよね」
私は今バイクを運転しているから、メリーの表情を見ることはできない。
「私が日本でも食べていけるようなお仕事ってないかな……そうだ、小説家なんてどうかな? 秘封倶楽部の活動記録とかを、もちろん編集はちゃんとして、フィクションとして書くの」
「さすがにそれは売れないんじゃない?」
「売れないわよねー」
しばらくの沈黙の後、メリーが私の腰にまわしている両腕を、ぎゅっと強く締めてきた。
「……れない、かな……」
何か呟いたようだけど、私には何を言ってたのか全く聞き取れなかった。
「メリー、バイクのスピード速い? 速度落とす?」
「そうしてちょうだい。もっとゆっくりでいいわ。そう、目的地に到着するのはずっと後でいい」
「わかったわ」私は、バイクの速度を緩める。
私達に吹いてきた冷たい向かい風が、ゆるやかになった。
6
日付を越える前に、年越しそばにありつくことができた。
獣道を走行中、少しだけ開けたところで、一軒だけぽつんと屋台が開いていたのだ。
体が冷えていたせいもあったが、食べたことのない出汁の香りがしてとてもおいしかった。
「おいしい。女将さんの腕は一流ね!」
「やだわあ、お客さん。ほめたって何にも出ませんよう」
メリーの言葉に、割烹着を着た女将さんが顔を真っ赤にする。けなげ、という言葉がまさにぴったりな印象をもたせる女将さんだった。
「でも、ほんとこれおいしい。なんというか、山の香りがする」
私も、メリーの言葉に同意したかった。決してお世辞ではない。
屋台も、建材とかを厳選して作ったのだろう。品のいい古風さで、女将さんの割烹着姿と大変よくマッチしていた。でもまあ、背中につけてる巨大な羽の飾りはちょっとどうかと思ったけど。
そんなことを思っていたら、もんぺを履いた女の子が暖簾をくぐってやってきた。
なぜか、金髪の少女を縄でぐるぐる巻きにしたものを脇に抱えている。
え、不良? それともそれ以上の何か?
「ちぃーっす、おかみ」
そして、不良さんは、私達を一瞥するなり、
「ああ、なるほどね」と、一人で勝手に納得していた。
「妹紅さん、いらっしゃい。と、ルーミアちゃん? どうしたの?」
「屋台の周りで、こいつをはじめとして、目をぎらぎらさせたやつらがたむろしてきたから。全員のしてきたんだ」
「ああ、そうなんだ。お怪我はありませんか?」
「ねぇみすちー。ちょっとは私の心配してよう」
「あなたは怪我すると顔に出るから。見た感じ大丈夫だし」
「否定できないのがかなしいなー」
ルーミアと呼ばれた少女は、縄でぐるぐる巻きにされているにもかかわらず、ニコニコと嗤っている。
「それで、妹紅さん、今日はなにを?」
「いつものでいいや。ただし、こいつの分も作ってやってくれ。今日は誰かと飲みたい気分なんだ」
金髪の少女が残念そうに言う。
「私はもっと活きのいい、生っぽいやつが食べたいけどねー」
「ふふ、ルーミアちゃん。いっしょにさくら肉のお刺身でもつくるわ」
「ほんとに? じゃあ我慢するー」
変な会話だ事。
お刺身以上に生っぽいご飯があるとでも言うみたい。
ここは料理は本当においしいけど、なんと言うか、色々変わっていた。
支払いを済ませるためにお金を出したら、女将さんに思い切り顔を傾げられたし。
しきりに、私の払ったおさつを不思議そうに凝視していた。
極めつけは、屋台をでようとしたら、
「あ、ちょっとまって。妹紅さん、この二人を送ってもらっていいですか? ほら、この二人、このあたりに住む人じゃないみたいだから」と、女将さんが言い出したことだった。
「えー。わたしは早く呑みたいんだけどな」
不良さんは心底嫌そうな顔をした。私も少し同意見だ。ちょっと怖いし。
「だって、このお二方、道に迷ったらしいんですよ。ですから」
「わかったわかった」
不良さんはそういって、何かををメリーにぽんと投げてよこす。
両手で受けったメリーが手を開くと、それは赤いお守りだった。
裏側には、金色の刺繍で博麗神社とあった。
「やるよ。そん中にはあの腹黒馬鹿兎の髪の毛が入ってるから、野蛮な連中に襲われるような危険はなくなるだろ。最も、原因になりそうなやつらはたいていその辺で倒れてるし」
メリーと私はあいまいなお礼をいって、バイクに戻った。
なんだったんだろう。
「どうする?」私はメリーに聞いた。
「んー、持ってく。捨てちゃ悪い気がするし」
そういって、メリーはポケットにそれをしまいこんだのだった。
7
屋台を出て、体感で一時間弱。
誰にも出会わない、闇夜の二人だけの旅が続いた。
私達は、森の中の道を走っている。
メリーが途中でおおきなくしゃみをしたくらいで、ほかはびっくりするくらい何も変化がなかった。
と、思ってたら、いきなり前方に海岸が広がった。
おかしいわね。昼に出発したホテルからは、相当行かないと海には出ないはずなのに。
そう思いながら、誰も居ない海岸を、海に沿って三十分走った。
そのころには、私もメリーも、話すことがなくなって、無言だった。
少し休憩しようと思って、バイクを岸に止める。
私達は、しばらく真っ暗な海を眺めながら、砂浜に、並んで座り込んだ。
「なんだか、海を眺めるの、ずいぶん久しぶりな気がするわ」メリーが言った。
「そうね。京都には海はないものね」
メリーが首をかしげる。静かに。
「何でかしら。この海、私の記憶の中の海とは、ずいぶんと印象が違って見えるわ」
「そういえば、私達ふたりがそろって海を眺めるの、これが始めてのような気がする」
「そういえばそうね」
メリーが少し震えている。
私は、自分が着ていたライダージャケットを片腕だけ脱いで、隣に座るメリーにかけた。
それでも服の尺が足りないので、メリーの肩を抱き寄せる。
メリーが息を吐いた。白い息が、バイクのヘッドライトに照らされて、きらきらと輝いている。
「この海岸、どこまで続くのかな」
「結構長そうね」
「私達、いつまでこの旅を続けられるんだろう」
「さあ」
「この時間が、いつまでも続けばいいのに」
「えー。私はちょっと勘弁だな」
えっと振り向くメリーに、私は言った。
「だって寒いじゃん。私はとっととホテルに帰って、メリーと一緒にゆっくり温泉につかりたいな。そして、並べられたお布団に入り込んで、どちらかが睡魔に負けてしまうまでずうっとおしゃべりするの」
「ふふっ。そうね。私もそっちのほうがいいかも」
メリーが微笑み、私のほうへ、体をもっと摺り寄せてきた。
大学時代。
私の人生のなかでは、たぶんそういうくくりとして、記憶のアルバムに閉じ込められるであろう一ページ。
たったの四年間でしかないけれど、その価値は、本当にかけがえのないもので。
このさき、未来はどうなるかわからないけれど。
私は、このメリーのぬくもりを、一生大事にしていきたい。
心底、そう思った。
「ねえ、メリー」
ふと、言ってみたくなった。
「何?」
「私は好き。大好き」
「何が?」
「ふふ、秘密」
私は、メリーの肩にジャケットのすべてを預け、立ち上がった。
ところで、今何時だろう。
私は空を仰ぎ見た。
あれ?
おかしいな。
なんだか、星座の形がほんの少し変わっているような気がする。
それに、今夜は満月だったと思うのに、月の姿が見当たらない。
どこだろう?
さがそうと思った矢先、
「いました依姫さま、こちらです」
私達に向けられたらしき、幼い声がした。
見ると、こちらへ向かってくる人影が二つ。
ヘルメットをかぶった小さな子と、刀を持った物騒な人だった。
小さな子が物騒な人の手をつないでこちらに先導してきている。
耳当てをヘルメットの上からつけている、へんちくりんな子だった。
物騒な人がきつめの声を出した。
「あなたたち、ここに何の用? 困るのよね、穢れを持ち込んでしまって」
失敬な、汚れだなんて。私のバイクは、排気ガスをちょびっとだすだけよ。
そう言おうとした私を制し、メリーが温和に切り出した。
「私達、実は迷子になってしまって」
物騒な人は、おもむろに深いため息をついた。
「ああ、そういうことね。こまるわ、実際。ここはあなたがたのような人間がほいほい来ていいところではないのだけれど」
「え、ここって私有地? ごめんなさい、全然気がつかなくて」
なるほど。そういうことね。
この二人はこの海岸の所有者の関係者なのか。あるいは、ひょっとして、管理を任されているのかもしれない。
こんな夜中に、誰とも知らない人間が自分達の敷地に入り込んできたのだから、ピリピリしてしまうのも仕方のないことね。これは、私達が悪かったわ。
「ごめんなさい。そうとは知らずに入り込んでしまって」
「ところで、不死屋ホテルってご存じないですか? 私達、そのあたりを目指しているんですけど」
メリーの言葉に、物騒な人は、大きなため息をひとつついて、投げやりに左手である一点を指差した。
「大体の事情は把握しました。安心なさい、悪いようにはしないわ。私のほうからお姉様にいっておくから。あなた達は、あちらの方角へひたすら進みなさい。そうすれば、あなた達二人、望む結末へたどり着くことができるでしょう」
8
私は、物騒な人の言うとおりの方角へバイクを走らせていた。
海岸を出発してから十分以上たつ頃か。
荒野といっていい、何も無い地を疾走している。
景色も何も無ければ、音も、バイクのエンジン音以外、何も聞こえなかった。
ふと、私の右肩に、不自然な重みを感じる。
ちょっとだけ振り返ると、メリーがこっくり、こっくりと頭を泳がせていた。
そうね、もう、深夜と言っていい時間帯だものね。
そう思った瞬間。
私達とバイクを、一種の無重力の感覚が包み込んだ。
その後、下方からの鈍い衝撃。
「あいたたた……」
危険防止のため、バイクのエンジンを切る。
ふと見回すと、いつの間にか、辺りは藪に包まれていた。
さわさわと、草が揺れる音がする。同時に、虫の音も、か細く鳴き出していた。
後ろを振り返る。
すぐそこには、十メートルはあろうかという断崖が、上方に向かって切り立っていた。
あたり一面の荒野を走っていたと思っていたけど、私達は高台を走っていたのね。
「いったあ~」
メリーがバイクから降り、お尻をさすっていた。
「メリー、怪我ない?」
「私は大丈夫。蓮子、ひょっとして、あそこから落ちたの?」
「そうみたい」
私達は、がけの頂点を見やる。
その上空には、満月が輝いていた。
「ずいぶんとまあ、高いところから落ちたものね」メリーが言った。
「そうねえ」
「さて、これからどこに言ったものか――」
そういいつつ振り返った私達のすぐ前方に、例の不死屋ホテルの、特徴的な屋根が姿を見せていた。
「なあんだ。近場をぐるぐると回ってただけだったのね」
メリーが半分がっかりとしたような、素っ頓狂な声を上げた。
私も同感。いろいろなところへ行ったような気がしたのになあ。所詮は近場だったのかな。
空を見上げる。
自分の今いる詳細な場所がわかっているのならば、すぐわかる。私の能力が使える。
あと……三秒、二秒、一秒……ゼロ。
「メリー」
「なあに、蓮子?」振り返ったメリーに、私は言った。
「おめでとう」
きっかり一秒キョトンとした顔を見せたメリーは、にっこりと微笑んだ。
「ああ、今年もよろしくね。あけまして、おめでとう」
ぽりぽり。
「メリー」
ぽりぽり。
「ねえ、メリー?」
「なに蓮子? あ、店員さんすみませーん。このらっきょ、おかわりくださーい」
年末。12月31日の昼だった。
「メリー。いくら何でも食べ過ぎじゃない?」
「だって、付け合わせはタダだって言うじゃない。やたら高かったんだから。それにこのらっきょおいしいし。蓮子も食べたら?」
私達秘封倶楽部の二人は、ここ、不死屋ホテルの食堂で名物のビーフカレーセットを堪能しているところだった。
老舗の名物ということではあったが、並のカレーの3倍近い価格帯の昼食は、特に裕福ではない学生の私達にとって、大変痛い出費だった。
が、確かに美味しい。
長時間煮ただろう牛肉の塊は、スプーンの背で軽く押しただけで崩れるようなもろさだった。
そのような牛肉のかけらが所々混じり合ったルーも、それだけの、スープ、としても通用するような、とても美味しい味だった。
辛いけど、いくらでも食べられる。いっそのこと一飲みにしたいくらい。あまりにも多くの食材が使われているようで、何が何の味なのか、全く分からない。
それなのに、なぜだか懐かしい。食べたことない、記憶にない味のはずなのに。
「それにしても、何の手がかりも無いとはね。わざわざ遠出してきたのに」
「ふぉふね」
メリー。お願いだから食べながら喋らないで。
「メリー、本当にここに境界が見えたの?」
「本当よ」
メリーはそういって、小皿に盛った食べかけのらっきょうをテーブルに起き、その隣に、ちょっとした銀の立方体を設置した。
しばらくすると、このホテルの小さな全体像が、立体的な像として私達の間に出現する。
『明治から続く伝統のサービス。歴史あるもてなし……』
特徴的な構造をした緑色の屋根が目を引く建築物だった。
「この宣伝に映ってる境界が、なにかで編集されてない限り、ね」
そんな物を持ち出されても、メリー以外には、この画像に境界は見えていない。
境界を見ることが出来るという、それ以上でもそれ以下でもない、実に気味が悪い能力をメリーは持っていた。
実際に、ホテルの従業員に聞いてみたのだが、この広告は今時にしては珍しく実際のこのホテルを撮影して作った物らしいし。
とすれば、メリーだけに見えているらしい、この画像に映っている境界とやらは、まず間違いなくホンモノ、と判断した方が合理的だった。
だけど、山の中腹に位置するここに実際に行っててみると、
「あらまあ、どこにもそれらしき跡はないわね」
と、これまた暢気そうにメリーさんは仰るのだ。
こんな事なら、二日掛けてたっぷり探索しようなどと考えて、宿を予約なんかしなくてもよかったかな。この出費は、一介の大学生にはつらすぎる。いやまあ、ここの不死屋ホテルは高すぎたので、実際に予約したのは隣の安旅館なんだけど。
私はため息を一つ。
「今回の探索の最大の収穫は、ここのカレーね」
「いいえ、カレーセットについてきたこのらっきょよ」
メリーは自分の人差し指を私の鼻先に押しつけて、のしを付けて突っ返してきた。
ああ、でも。
ぽりぽり。
まあ、いいや。
「じゃあ、ご飯食べたら、今朝相談した通り、この辺を捜索しましょう」
境界の捜索、というより、散策といった方が真実に近いのかもしれなかった。
だって、なにより、境界の手がかりは何一つないんですもの。
あるいは、「いつも通り」といった方が最もしっくり来るかな?
2
思ったより、この辺りは坂道が多かった。
「蓮子ー。まだー?」
メリーが、前方二十メートルくらい先の、上り坂の頂点で私に手を振って見せている。
「じゃあ手伝ってよ、メリー」
「いやよう。なんか服とか汚れそうなんだもの」
私がぴっちりとしたライダージャケットを着ているのとは対照的に、メリーはいつもの服で笑い声を上げて見せた。
私の懇願虚しく、私は私の運転してきた、二人乗りにかいぞうしてあるバイクを、たった一人でおさにゃならなかった。
頂上についた私を、メリーが茶化す。
「お疲れ様」
「お待たせしました、お姫様」
「ふふ、蓮子も変わってるわねえ。私の知り合いで、貴方くらいよ? 今時、化石燃料を消費するような、環境に悪いバイク使ってるなんて」
そういいつつも、私がそこにたどり着くやいなや、早速とばかりに後ろの座席にスタンバイするメリー。そうして、前を向いて両手を伸ばし、抱っこを待つような子供の体勢になった。別にいいけどね。
「いいじゃん」
たぶん、今の私の唇は尖っているんだろう。
メリーが私を見て、くつくつ、と微笑んだ。
21世紀だったかな? 電気自動車がこの世に現れて、最初はなかなか普及がすすまなかったらしいけど、それも今は昔、メリーの言うとおり、今では、世界的にほぼ全ての自動車が電気で動き回るようになった。
ガソリンを燃料とする車なんて、今では、それこそ石油が有り余っている中東かロシア辺りに行かなければ確実にはお目にかかれないんじゃないだろうか。
21世紀くらいには、日本国内でも、ガソリンスタンドとかいう施設がそこら中にあって、給油も自由自在。今の私のように、ガソリンを売ってくれる公民館などを探し回る様な手間暇が必要無かったらしいけど。まあ、時代も善し悪しね。
メリーがため息をつく。
「どうしてそんなオンボロにこだわるのよ。坂道も上れないじゃないの」
「これは、坂道が悪いってのもあるわ」私は、舗装が半ば剥げかけた道を指さす。
そういいつつも、メリーの言うことも尤もだと思いながら、なかばやけくそに近い形で、バイクのエンジンを入れ直した。
バルル、プスンプスン。ドルン。
お、今回はあっという間にかかったわ。
電気モーターでは決して経験出来ない、特有の振動が私達を包み込む。
「この振動よ、気持ちいいと思わない?」
「いやあ、別に」
そういいつつ、メリーは座席に座った私の腰に両手を回し、しっかりと抱きついた。
腰と背中全体に、メリーの身体の体温が伝わってくる。
「じゃあ、あらためて行きますか」
「あらためて、よろしくね」
「はーい」
私が念じたように、バイクはゆっくりと滑るように進み出す。
私は、前方に冷たい風を感じながら、他の車が全く通らないような山道を、のんびりとした速度で運転した。背中にメリーの感触を確かに感じながら。
シリーズ中、ガソリンエンジンを搭載した最後の形式。
その中古品を
、ネットオークションで買った物だから、正直いってこの子の状態はあまり良くない。多分、前の持ち主と合わされば、作られてから30年以上は経過しているはずだし。でも、私は、このバイクに名付けられた、カブとかいう言葉の響きが、何となく気に入ったのだ。
3
「あ、あそこ」
メリーがそういったのは、バイクで出発してから三時間以上が経過し、空がもう紅く染まりかけたときだった。逢魔が時、ともいう頃だ。
山道の途中。
彼女が指さした前方三十メートル先は、道が90度以上右に大きくカーブした形になっていて、その外郭に、一件だけ、不釣り合いにまでオンボロな一軒家が、ポツン、と建っていた。しかも、見た限りでは茅葺きだ。なんともこった建築様式だ事。
今の時代に茅葺き屋根だなんて。20世紀に平安貴族の屋敷を建てるような贅沢ね。
私は思わず、感嘆とも、只のため息ともとれぬ息を吐いた。
道のカーブの所から、外側に一本の小さな道が出来ていて、茅葺き屋根は、その道に沿って、小振りの長いすを屋外に設置してあった。
私はとりあえず、その小屋の軒先にバイクを止めた。
「メリー、ここに何か見えたの?」
「ううん。はっきりと見えた訳ではないんだけれど。なんというか、この辺り、境界の境目がとてもはっきりとしない感覚があるというか」
そういっているメリーは、なんだかいつもより顔が青くなっているように感じた。
メリー、あなた、大丈夫?
私がそう声をかけようとした時、正面の小屋の扉が突然開いた。
「いらっしゃい。おや、珍しい、見ない顔だね」
10分後。
「おいしいわあ。お茶も、このお団子も」
メリーは目を丸くして、緑色のお団子をほおばっていた。
何のことはない、この小屋は茶屋だったのだった。
「そんなに好きなら、ほれ、どんどんお食べ」
そういいつつ、この店の唯一の主人である皺だらけのお婆ちゃんは、ニコニコしながら、私達の元へお茶とお団子をたくさん持って来てくれた。
それにしても。
「失礼ですけど、こんな所でお店出して、やっていけるもんなんですねえ」
「ああ、私の趣味でやっているような物だからねえ。採算なんか最初から考えてないよ」
「じゃあ、殆どお客さんいないんですか?」
「そうねえ。一の位を四捨五入すると、だいたい一日に平均して零人くらいかな」
「あらま」
おばあさんは長いすに座った私達に、二杯目の美味しい緑茶を煎れてくれた。
私はそれを飲みながら、ふと、今通ってきた上り坂を眺める。
ずいぶんと辺鄙な所まで来た物だわ。
私達の登ってきた道は、曲がりくねっているためにあまり遠くまで眺めることは出来なかった。
「でもねえ、ひとりだけ、常連と行ってもいいお客さんがいるのさ。たまーにふらっと歩いてきて、団子をまとめ買いしてくる客が」
「へえ」
「まあ、いまとなっては、その人の為だけにこのお店を開いているようなもんさねえ」
ここはお茶もお団子も美味しかったが、正直、物珍しい客が居た者だと思う。
少なくとも、私達の道のりからすると、ここから一番近い建物でも、二十分以上はかかった記憶がある。
私のオンボロバイクは殆ど速度らしい速度を出すことはなかったが、それでも結構な距離があることは断言できた。
ミステリアスな客も居た者だ。
「ねえ、お婆ちゃん。その客ってどういう――」
ヘッ……クシュン!
「きゃっ、汚っ!」
私の隣に座っていたメリーが唐突に盛大なくしゃみをしでかした。顔色が青いように見えたのは身体が冷えたせいか!
しかも、どういう訳だか私に向かってする物だから、顔全体にばっちいのがかかってしまった。
「ちょっと、メリー。そういうときは手を当ててよ、手を」
手ぬぐいを出して、顔を拭う。
「ごめんね、蓮子。本当に急に出た物だから」
顔を拭いた後、私の視界には、メリーのうしろに、
「……あら……まあ!」いつの間にか、日傘を持った、大変上品そうな女性が、白い手袋をした手で口を押さえながら、佇んでいた姿が写ったのだった。
お婆ちゃんが、気楽に私の背中に言う。
「この人だよ、さっきいった常連ってのは」
開口一番、
「ごめんなさいね、吃驚しちゃって。ここのお店に、私以外の方がいるのを見たのは始めてでした物で」
そう謝りつつも、その女性は常に笑顔を絶やさなかった。
その、コロコロと笑う様子はとてもとても可愛らしかった。
そういうと、とても喜んだ様子で、
「でも、家族なんかは、『胡散臭い』っていうのよ。酷いと思わない?」と、これまた可愛らしくぷりぷり怒って見せてくれた。
「ところで、いつものでいい?」お婆ちゃんが女性に言った。
「ええ、レンさん。お願いね。気を悪くしないでくださる? 私は別に、あなたのお団子の味を悪く言った訳じゃないわ」
メリーが会話に割ってはいる。
「そうですねー。ここのお団子、とっても美味しいですし。特にこの緑の。見た感じ着色料とか使ってなさそうなんだけど。何のお団子なのかしら?」
実は、私も、この緑色をしたお団子の正体が気になっていた。
「おや? あんた、ヨモギしらんのかい?」
「そうですねえ。もう、この時代、ヨモギのお団子は廃れちゃって、お団子と言えばみたらしかあんこ位しか無くなってしまいましたからね。私はヨモギが一番好きなのに」
驚いたような顔のお婆ちゃんと、憂いを含んだ表情の女性、二人の顔色が印象的だった。
「ところで、あなたたちは、あそこの乗り物で来たのかしら?」
女性は私のバイクを指さした。興味深そうとも無関心とも言えそうな目で見つめている。
「ええ、私が運転手で」私は、椅子の傍らに置いてある鈍色のヘルメットを撫でた。
「ああ、だから、貴方は今日は帽子をして居ないのよね」
奇妙な会話だ。まるで、私がいつもは帽子をかぶっているかのような話し方をする。まあ、実際そうなんだけど。
女性がメリーを指さす。
「あの、そのう、相方の女の子が素敵な帽子かぶってるでしょう? だから、いつもは、貴方も帽子かぶってるのかなー、なんて」
ああ、なるほど。この女性、案外見た目よりうっかりさんなのかもしれない。
と、いうか、本当はメリーもヘルメットかぶらなくちゃいけないんだけど。
「そういえば貴方たち、こんな所へ何をしに来たのかしら?」
「実は、私達、大学のオカルトサークルめいたようなよく分からない何かをしてるんです」
お茶を飲み終えたらしきメリーはそう言った。まあ、境界がどうとか言っても、普通の人は分からないでしょうからね。
だが、女性はそのへんてこな説明で何故か納得がいったようで、
「なるほどねえ。じゃあ、私が面白い『不思議な場所』を教えてあげるわ」
人差し指を唇に当てて、ウインクをして見せた。
この茶屋から出ている獣道じみた道を下ると、とても面白い『不思議』が体験できるだろう、とのこと。
どういう不思議なのかは、いくら聞いても、はぐらかすように笑うだけで誤魔化されてしまった。
「いまからじゃあ、ちょっとの時間しか堪能できないかもしれませんけどね」女性はそう、なぜか残念そうに言った。
「じゃあ、そろそろいきますかな? 私の運転手さん」
メリーが背伸びしながら立ち上がった。さっきは顔色が悪いように見えたが、今のメリーは健康そのものに見える。私の気のせいだったかもしれない。
「ええ、おばあちゃん、お会計お願いします」
お婆ちゃんのほうへ立ち上がった私を、女性がゆるりと遮って見せた。
「そうだ。ここは、私に奢らせて頂戴」
正直、その提案はとてもありがたかった。
ここのお団子があまりにも美味しすぎて、沢山食べ過ぎた気がしていたからだ。
事実、お婆ちゃんから、値段を聞くのが少し怖かった。
「ええ、いいんですか? ありがとうございます」
「いいわよ、そんなこと。私も、久しぶり。こんな時間を過ごせたのは貴方たちのおかげよ。お礼を言いたいのは私の方」
メリーと私のお礼を笑って受け止めた女性は、いってらっしゃい、とばかりに、手を振ってくれた。
「じゃあ私達はこれで」
そういって、バイクの方へ先行したメリーの方へ行こうとした瞬間、
「待って、貴方に、おまじないかけてあげる」
女性はそういって、私の腕をつかんだ。
そして静かに顔を近づけて、
――チュッ
そっと、優しく私の頬にキスをした。
いきなり何するのよ!
突然の事で、抗議しようとする私の顔を、女性は両手を私の肩にのせ、私の瞳を見つめてきた。唇同士がふれあいそうな距離にまでそのまま顔を近づけ、メリーに聞かれない位の、囁くような小さな声で言った。
「お友達のこと。最期まで、ずっと、ずうっと、仲良くしてあげてね」
メリーのこと? 何いってるの。私がメリーを嫌うわけないじゃない。
「本当? お願いよ。本当に、お願いね」
バイクの傍で、メリーが喋っている。
「蓮子、なにしてるのよ。はやくいこーよー」
わかった。すぐ行くわ。
そういおうとした私に、女性が、今度はとても古ぼけた御守りを、私の首にかけてきた。
「あげるわ、それ」女性が言う。御守りは、はるか昔には、赤系統の色をしていたんじゃないだろうか。
わたしはもう、なぜだか女性のことを許す気持ちになってしまっていた。
4
「でっかいわねえ」
「おおきいわねえ」
バイクから降り立った私達は、どこまでも続きそうな塀を前にして、二人でぽかんと口を開けていた。
正確には、塀ではなく、その奥に聳え立つようにある真っ赤な外壁の洋館だった。
ふいに、後ろから声をかけられた。
「あんたたち何の妖怪?」
振り返ると、緑色のチャイニーズドレスを着た赤髪の女性だった。
頭に『龍』と書かれた帽子をかぶってるあたり、中世の西洋人あたりが思いつきそうな東洋人の格好だった。
「たいへん、中国の方よ。蓮子、あなた中国語話せる? オゥ、ニーハオシェーシェーモーマンタイ」
「いやいや、自分、思い切り日本語喋ったじゃないですか」
「そうだった。ごめんなさい」
メリーの必死に謝る姿がかわいらしかった。
「あ、いや。私達、別にこのお屋敷に用事があるわけじゃないんですよ」
「用事を聞いたわけじゃ……って私の仕事的にはそっちのほうを聞くべきか」
その中国さんは、なにやらぶつぶつと呟いた後で、あらためて振り返った。
「なら、こんな人気のないところまで、何しにきたのかな?」
女性のさわやかな笑顔にのせられたかのように、メリーもわらって答えた。
「私達、ちょっとした旅行を楽しんでいるの。ええと、お名前を伺ってもいいかしら?」
「私? 多田野門番さ。それにしても旅行でこんなとこ来るとはねえ。なんというか、物好きというか」
多田野さんというのか。
「あと、不思議というか、面白そうなものを探して旅をしてるんです」
「ふーん。っていうか、私としてはそのお姉さんの乗り物も珍しい気がするけど」
「わかりますか?」
多田野さんが、まだエンジンをかけはなしたまま、微妙に振動を続けているバイクを指差した。
確かに、もう日本ではこの子みたいなのを見かけることは難しいだろう。いまどきのバイクは振動なんか全く起こさないのだ。
「なんていうか、私の知り合いがね。そういうの大好きで、そういうのをちょくちょくいじってるんだよ。そうだ、寄り道とかする暇があったら、できればその子に見せてやってくれないかな? 喜ぶと思うし、たぶん調整とかもしてくれるんじゃないかな。調子悪いんでしょ、その機械?」
「よくわかりますね」
「気の流れが内部で淀んでいるみたいだから」
そう、たしかにこの子のを買ったときから、排気周りの具合があまりよろしくないのだ。
私が詳しくないので、ほっておいたけど。
そのあと、私達は多田野さんと少しおしゃべりをした後、その場所を後にした。
どういうわけか、多田野さんは聞いたことのない、不思議な妖怪や妖精の話をとてもよく知っていて、私達に話をしてくれた。
どれもがとても面白く、中には、おなかを抱えて転げたくなるようなものもあった。
それにしても、多田野さんのあの格好ときたら!
文化革命から何年たったと思っているのだろう。
あんなベタベタな中国人はいまさら居ないわ。やっぱり、多田野さんは中世か古代あたりの中国マニアなのかしら?
おおきなお屋敷を背にバイクを運転してる中、メリーもそう思ったようで、
「やっぱり、あの館の住人って、みんな中国フリークなのかな?」
「さあ、それにしては外観は全くの洋館だったけど」
「それは、好きなのはあくまで古代中国だからよ。さすがに住居までまねはできないって。でね、屋敷のお嬢様が、これまた間違った方向の中国フリークで、夜な夜な人肉食とか嗜んじゃったりするの。道行く人に『ぎゃおー! たーべちゃうぞー!』って襲い掛かったりして」
私は思わずふきだした。
「ないない」
5
このときすでに、私は多田野さんのお友達にも会う気になっていた。
教えられたとおりの道を進むと、運よく、川の傍にいるお友達の方に出会うことができた。
多田野さんの紹介だといっても、しきりに首をひねっていたがけど、名前は多田野さんの言うとおり河城にとりさんという方だったので、あの人に間違いないと思う。
それにしても、河城さんの、この子に対する情熱はすさまじかった。
私がバイクに乗っているのを見るなり、
「ちょっと全解体してみていい?」との一言。
丁重に断るものの、とても名残惜しそうな目つきで、色々弄り回すことを条件に、ただで整備することを快諾してくれるくらいだった。
「うわあ、こんな構造のカブ、見たことないや!」
そういいながら目を輝かせる河城さんは、まるで大好きなお人形をプレゼントしてもらった幼稚園児みたいだった。
河城さんの直してくれたバイクはすこぶる具合が良くなっていた。
絶好調といっていい。
私は今、私がこの子を買ってから、初めてといっていいくらいの速度を出していた。
安全走行ができる程度の速さだけど。
河城さんは、本当にこの子をしっかりと整備してくれたみたい。
そのせいか、辺りは完全に夜になってしまい、月と無数の星が、空を占領していた。
気のせいかいつもより星の数が多く見える気がする。
空気が澄んでいるせいかな?
見知らぬ地で、地図もなく、頼りになる明かりは月のあかりとこの子のライトだけ。
しかも通るは獣道とほとんど変わらない道。
通常の私の感覚なら、ゾッとしないでもない状況だった。
それでも。
メリーと私。二人なら、この先どこまででもいける。いつまででもいける。
今の私は、そういうことを思いつくくらいに強気だった。
「この先といえばさあ」
後部座席のメリーが言った。
「蓮子、あなたって、やっぱり院に進むの? その、大学」
「ええ。奨学金が取れれば、の話だけど」
「へー。学力は問題ない、と」
「ふっふっふ。あまりこの蓮子さんをなめないでよ」
「それはおみそれしました。ははーっ!」
おどけたように謝るメリーに、ふと、聞いてみたくなった。
「メリーは?」
少しの沈黙の後、
「……どうしようかな」
「院には進まないの?」
「ちょっとそれも悩んでるの」
「そういえば、メリー。大学を卒業したら、国に帰るんだっけ?」
「うん、最初はそのつもりだったわ。秘封倶楽部を立ち上げた時だっけ? そういう風にあなたにいったのは」
「ええ、そのくらいじゃないかな。同じころに、私達でルームシェアを始めた」
「そのくらいね。ねえ、蓮子。院に行ったら、今借りてる部屋、どうするの?」
「そりゃあ、別の、もっと小さな部屋に引っ越すかな。もしメリーがこのままあの部屋に住む、というなら話は別だけど」
「じゃあ、仮に、あなたが院にいる間も私が居るとして、その後は? 院を卒業したら、あなたはどうするつもり?」
「できれば、今の学問の研究職に進みたいな」
「そう……」
「私、京都に住み続けたい。蓮子のいる日本にいたい。でも、私の専攻じゃ、あんまり将来はなさそうなのよね」
私は今バイクを運転しているから、メリーの表情を見ることはできない。
「私が日本でも食べていけるようなお仕事ってないかな……そうだ、小説家なんてどうかな? 秘封倶楽部の活動記録とかを、もちろん編集はちゃんとして、フィクションとして書くの」
「さすがにそれは売れないんじゃない?」
「売れないわよねー」
しばらくの沈黙の後、メリーが私の腰にまわしている両腕を、ぎゅっと強く締めてきた。
「……れない、かな……」
何か呟いたようだけど、私には何を言ってたのか全く聞き取れなかった。
「メリー、バイクのスピード速い? 速度落とす?」
「そうしてちょうだい。もっとゆっくりでいいわ。そう、目的地に到着するのはずっと後でいい」
「わかったわ」私は、バイクの速度を緩める。
私達に吹いてきた冷たい向かい風が、ゆるやかになった。
6
日付を越える前に、年越しそばにありつくことができた。
獣道を走行中、少しだけ開けたところで、一軒だけぽつんと屋台が開いていたのだ。
体が冷えていたせいもあったが、食べたことのない出汁の香りがしてとてもおいしかった。
「おいしい。女将さんの腕は一流ね!」
「やだわあ、お客さん。ほめたって何にも出ませんよう」
メリーの言葉に、割烹着を着た女将さんが顔を真っ赤にする。けなげ、という言葉がまさにぴったりな印象をもたせる女将さんだった。
「でも、ほんとこれおいしい。なんというか、山の香りがする」
私も、メリーの言葉に同意したかった。決してお世辞ではない。
屋台も、建材とかを厳選して作ったのだろう。品のいい古風さで、女将さんの割烹着姿と大変よくマッチしていた。でもまあ、背中につけてる巨大な羽の飾りはちょっとどうかと思ったけど。
そんなことを思っていたら、もんぺを履いた女の子が暖簾をくぐってやってきた。
なぜか、金髪の少女を縄でぐるぐる巻きにしたものを脇に抱えている。
え、不良? それともそれ以上の何か?
「ちぃーっす、おかみ」
そして、不良さんは、私達を一瞥するなり、
「ああ、なるほどね」と、一人で勝手に納得していた。
「妹紅さん、いらっしゃい。と、ルーミアちゃん? どうしたの?」
「屋台の周りで、こいつをはじめとして、目をぎらぎらさせたやつらがたむろしてきたから。全員のしてきたんだ」
「ああ、そうなんだ。お怪我はありませんか?」
「ねぇみすちー。ちょっとは私の心配してよう」
「あなたは怪我すると顔に出るから。見た感じ大丈夫だし」
「否定できないのがかなしいなー」
ルーミアと呼ばれた少女は、縄でぐるぐる巻きにされているにもかかわらず、ニコニコと嗤っている。
「それで、妹紅さん、今日はなにを?」
「いつものでいいや。ただし、こいつの分も作ってやってくれ。今日は誰かと飲みたい気分なんだ」
金髪の少女が残念そうに言う。
「私はもっと活きのいい、生っぽいやつが食べたいけどねー」
「ふふ、ルーミアちゃん。いっしょにさくら肉のお刺身でもつくるわ」
「ほんとに? じゃあ我慢するー」
変な会話だ事。
お刺身以上に生っぽいご飯があるとでも言うみたい。
ここは料理は本当においしいけど、なんと言うか、色々変わっていた。
支払いを済ませるためにお金を出したら、女将さんに思い切り顔を傾げられたし。
しきりに、私の払ったおさつを不思議そうに凝視していた。
極めつけは、屋台をでようとしたら、
「あ、ちょっとまって。妹紅さん、この二人を送ってもらっていいですか? ほら、この二人、このあたりに住む人じゃないみたいだから」と、女将さんが言い出したことだった。
「えー。わたしは早く呑みたいんだけどな」
不良さんは心底嫌そうな顔をした。私も少し同意見だ。ちょっと怖いし。
「だって、このお二方、道に迷ったらしいんですよ。ですから」
「わかったわかった」
不良さんはそういって、何かををメリーにぽんと投げてよこす。
両手で受けったメリーが手を開くと、それは赤いお守りだった。
裏側には、金色の刺繍で博麗神社とあった。
「やるよ。そん中にはあの腹黒馬鹿兎の髪の毛が入ってるから、野蛮な連中に襲われるような危険はなくなるだろ。最も、原因になりそうなやつらはたいていその辺で倒れてるし」
メリーと私はあいまいなお礼をいって、バイクに戻った。
なんだったんだろう。
「どうする?」私はメリーに聞いた。
「んー、持ってく。捨てちゃ悪い気がするし」
そういって、メリーはポケットにそれをしまいこんだのだった。
7
屋台を出て、体感で一時間弱。
誰にも出会わない、闇夜の二人だけの旅が続いた。
私達は、森の中の道を走っている。
メリーが途中でおおきなくしゃみをしたくらいで、ほかはびっくりするくらい何も変化がなかった。
と、思ってたら、いきなり前方に海岸が広がった。
おかしいわね。昼に出発したホテルからは、相当行かないと海には出ないはずなのに。
そう思いながら、誰も居ない海岸を、海に沿って三十分走った。
そのころには、私もメリーも、話すことがなくなって、無言だった。
少し休憩しようと思って、バイクを岸に止める。
私達は、しばらく真っ暗な海を眺めながら、砂浜に、並んで座り込んだ。
「なんだか、海を眺めるの、ずいぶん久しぶりな気がするわ」メリーが言った。
「そうね。京都には海はないものね」
メリーが首をかしげる。静かに。
「何でかしら。この海、私の記憶の中の海とは、ずいぶんと印象が違って見えるわ」
「そういえば、私達ふたりがそろって海を眺めるの、これが始めてのような気がする」
「そういえばそうね」
メリーが少し震えている。
私は、自分が着ていたライダージャケットを片腕だけ脱いで、隣に座るメリーにかけた。
それでも服の尺が足りないので、メリーの肩を抱き寄せる。
メリーが息を吐いた。白い息が、バイクのヘッドライトに照らされて、きらきらと輝いている。
「この海岸、どこまで続くのかな」
「結構長そうね」
「私達、いつまでこの旅を続けられるんだろう」
「さあ」
「この時間が、いつまでも続けばいいのに」
「えー。私はちょっと勘弁だな」
えっと振り向くメリーに、私は言った。
「だって寒いじゃん。私はとっととホテルに帰って、メリーと一緒にゆっくり温泉につかりたいな。そして、並べられたお布団に入り込んで、どちらかが睡魔に負けてしまうまでずうっとおしゃべりするの」
「ふふっ。そうね。私もそっちのほうがいいかも」
メリーが微笑み、私のほうへ、体をもっと摺り寄せてきた。
大学時代。
私の人生のなかでは、たぶんそういうくくりとして、記憶のアルバムに閉じ込められるであろう一ページ。
たったの四年間でしかないけれど、その価値は、本当にかけがえのないもので。
このさき、未来はどうなるかわからないけれど。
私は、このメリーのぬくもりを、一生大事にしていきたい。
心底、そう思った。
「ねえ、メリー」
ふと、言ってみたくなった。
「何?」
「私は好き。大好き」
「何が?」
「ふふ、秘密」
私は、メリーの肩にジャケットのすべてを預け、立ち上がった。
ところで、今何時だろう。
私は空を仰ぎ見た。
あれ?
おかしいな。
なんだか、星座の形がほんの少し変わっているような気がする。
それに、今夜は満月だったと思うのに、月の姿が見当たらない。
どこだろう?
さがそうと思った矢先、
「いました依姫さま、こちらです」
私達に向けられたらしき、幼い声がした。
見ると、こちらへ向かってくる人影が二つ。
ヘルメットをかぶった小さな子と、刀を持った物騒な人だった。
小さな子が物騒な人の手をつないでこちらに先導してきている。
耳当てをヘルメットの上からつけている、へんちくりんな子だった。
物騒な人がきつめの声を出した。
「あなたたち、ここに何の用? 困るのよね、穢れを持ち込んでしまって」
失敬な、汚れだなんて。私のバイクは、排気ガスをちょびっとだすだけよ。
そう言おうとした私を制し、メリーが温和に切り出した。
「私達、実は迷子になってしまって」
物騒な人は、おもむろに深いため息をついた。
「ああ、そういうことね。こまるわ、実際。ここはあなたがたのような人間がほいほい来ていいところではないのだけれど」
「え、ここって私有地? ごめんなさい、全然気がつかなくて」
なるほど。そういうことね。
この二人はこの海岸の所有者の関係者なのか。あるいは、ひょっとして、管理を任されているのかもしれない。
こんな夜中に、誰とも知らない人間が自分達の敷地に入り込んできたのだから、ピリピリしてしまうのも仕方のないことね。これは、私達が悪かったわ。
「ごめんなさい。そうとは知らずに入り込んでしまって」
「ところで、不死屋ホテルってご存じないですか? 私達、そのあたりを目指しているんですけど」
メリーの言葉に、物騒な人は、大きなため息をひとつついて、投げやりに左手である一点を指差した。
「大体の事情は把握しました。安心なさい、悪いようにはしないわ。私のほうからお姉様にいっておくから。あなた達は、あちらの方角へひたすら進みなさい。そうすれば、あなた達二人、望む結末へたどり着くことができるでしょう」
8
私は、物騒な人の言うとおりの方角へバイクを走らせていた。
海岸を出発してから十分以上たつ頃か。
荒野といっていい、何も無い地を疾走している。
景色も何も無ければ、音も、バイクのエンジン音以外、何も聞こえなかった。
ふと、私の右肩に、不自然な重みを感じる。
ちょっとだけ振り返ると、メリーがこっくり、こっくりと頭を泳がせていた。
そうね、もう、深夜と言っていい時間帯だものね。
そう思った瞬間。
私達とバイクを、一種の無重力の感覚が包み込んだ。
その後、下方からの鈍い衝撃。
「あいたたた……」
危険防止のため、バイクのエンジンを切る。
ふと見回すと、いつの間にか、辺りは藪に包まれていた。
さわさわと、草が揺れる音がする。同時に、虫の音も、か細く鳴き出していた。
後ろを振り返る。
すぐそこには、十メートルはあろうかという断崖が、上方に向かって切り立っていた。
あたり一面の荒野を走っていたと思っていたけど、私達は高台を走っていたのね。
「いったあ~」
メリーがバイクから降り、お尻をさすっていた。
「メリー、怪我ない?」
「私は大丈夫。蓮子、ひょっとして、あそこから落ちたの?」
「そうみたい」
私達は、がけの頂点を見やる。
その上空には、満月が輝いていた。
「ずいぶんとまあ、高いところから落ちたものね」メリーが言った。
「そうねえ」
「さて、これからどこに言ったものか――」
そういいつつ振り返った私達のすぐ前方に、例の不死屋ホテルの、特徴的な屋根が姿を見せていた。
「なあんだ。近場をぐるぐると回ってただけだったのね」
メリーが半分がっかりとしたような、素っ頓狂な声を上げた。
私も同感。いろいろなところへ行ったような気がしたのになあ。所詮は近場だったのかな。
空を見上げる。
自分の今いる詳細な場所がわかっているのならば、すぐわかる。私の能力が使える。
あと……三秒、二秒、一秒……ゼロ。
「メリー」
「なあに、蓮子?」振り返ったメリーに、私は言った。
「おめでとう」
きっかり一秒キョトンとした顔を見せたメリーは、にっこりと微笑んだ。
「ああ、今年もよろしくね。あけまして、おめでとう」
多田野さんww
幻想少女達に幸あれ、ついでに多田野さんにも
それにしても思い出の一ページっぽい雰囲気が切ない。
色々な物語を感じさせる一話でした。これ一本で様々な二次創作が出来そうなくらい。
レンさんって、まさか…
色々と、なんだか物寂しい雰囲気が素敵でした。
元々のキャラがそうだから仕方ないですが、…依姫の態度はどこ行っても好感持てたことはないなぁ(しみじみ)
好きだわーこういうの。
>正座
星座
でもいい作品でした
ほんと秘封らしい
私もこんな大学生活送りたかった。
感想はせつなくて、楽しく私の語彙が貧弱で言葉にできません。
とにかく良い秘封倶楽部でした。
なんだかシュンとした気分になっちゃったなあ。