※この話は『東方茨歌仙 ~ Wild and horned hermit.』の新キャラがメインです。
※本編のネタばれは極力避けていますが、気になる方は「戻る」をお願いします。
ざっざっ
ざっざっ
ざっざっ
竹の箒が境内の石畳を引く音が、空しく響く。
幻想郷の境目、博麗神社。
いつもこの時期は雪が積もっているけれど、最近は珍しく曇っているだけで、境内はいつも通りの姿だった。
……そう、何時も通りだった。
「……はぁ」
思わず、溜息が出てしまう。
今日は12月25日。きっと幻想郷の各所で、人妖が各々の時間を楽しく過ごしていると思う。
クリスマス。キリストの生誕祭だと言うのに、どうしてこの幻想郷にもそんな風習が存在するんだか。
紅魔館で馬鹿騒ぎをすると言うなら、判らなくもない。ある意味一番判らないかもしれないけれど。
吸血鬼ですら、今日は家族と一緒にクリスマスパーティでもしている事だと思う。
まあ、キリストの生誕を祝う意味で騒いでいる奴なんて、本当に一握りだろうけどね。
結局のところ、騒ぎたい奴は騒げる理由を『クリスマスだから』と言う事にしているだけなんだろうな。
……そう。みんなみんな、そうなんだ。
自分の大事な人と一緒に、ただ今日と言う特別な日を過ごしたいだけ……。
……誰一人、例外なんていない……。
「……………」
箒を操っていた手が、止まる。
何時も神社に来る白黒は、魔法使い仲間で楽しんでいるらしい。
何時も神社にいる小さな鬼は、地底の旧地獄に遊びに行っている。
何時も神社に来る鴉天狗は、妖怪の山で天狗や河童達と呑めや食えやで騒いでいるだろう。
……そして、何時も神社に来る“あいつ”は、冬の間は顔を出してくれない……。
「……ゆ…り……」
自分でも聞こえないほどに、私は“あいつ”の名前を呟いた。
何時からなんだろうな。たった一人の妖怪の事を、こんなにも思うようになったのは。
絶対に口には出せないけれど、ね……。
……私がこの日を一緒に過ごしたい人とは、絶対に一緒にいる事は出来ない。
仕方のない事だ。あいつが冬眠するのは、あいつの妖怪としての特性。私にもあいつにも、どうこう出来る事じゃない。
判っては、いるんだけどね……。
……普段なら、一人でいる事は何の苦痛でもない。
でも、今日は……冬の間の貴重な、そして特別な日なだけに……。
「……寒いなぁ……」
普段の巫女服に、マフラーだけ巻いた今のこの姿。
冬の間でもこの姿でいる事にには、もう慣れたけど……。
寒くないのに、寒い。
今日の私は、どうしようもなく心がからっぽだ。
みんなみんな、誰かが隣にいる日のはずなのに……なんで、私には誰も……。
紫……。
「あら、珍しいですね。あなたがそんな顔をしているなんて」
……えっ?
思いがけず、私の心の声を聞いたかのような来訪者。
顔を上げると、そこには見慣れた導師服の女が一人……。
ただ、それは私の待ち人ではなく、ピンク色の髪の、右手が包帯でぐるぐる巻きにされてる方だった。
「なんだ、仙人か」
「悪かったわね、仙人で」
時折神社にやってくる仙人。名前は確か茨華仙。
今日は珍しく、左肩に鞄を掛けていた。何を持って来たんだろう。
「何か用? そう言えばあんたもお賽銭入れた事なかったわね」
「用事なんてないわよ。ただ寒かったから身体を動かしたかっただけ」
あら、仙人でも寒いとか思う事あるんだ。
心頭滅却すればなんとかかんとかとか言って、寒いのくらいは我慢してると思ってた。
あとお賽銭の方はスルーかい。
「そう、用事がないなら帰ったら?」
「おや、普段はそんな事は言わないのに、尚の事珍しいですね」
……そうだったっけな。別に、何時もあんたが神社に来てる事は快くは思ってないわよ。口煩いし。
ただ、確かに今日はいつもより言う事がきついのかな、とちょっとだけ思う。
きっと、この心の寂しさのせいなんだろうな……。
「……悪かったわよ。だけど、出すものなんて何もないわよ?」
「構いませんよ。何かを戴きに此処にきているわけじゃないから。
まあ、あなたの方は私にいろいろと言われなきゃいけない事はあるかもしれないけどね」
うー、本当にめんどくさいわねこいつは。
……まあ、今は誰か一人でも、こうして話せる奴がいるだけいいと思おうかな……。
「……待ち人来らず、ってところかしら?」
……ッ!!
茨華仙のその不意の一言が、私の心に深く突き刺さった……。
「な、なによ、そんな事……」
「今日はクリスマスだものね。そんな日に一人でいる事は、流石のあなたでも寂しいのかしら?」
ぐうっ……。
容赦ない茨華仙からの言葉による攻撃。
普段だったら陰陽玉の一つや二つ喰らわせてやる、それくらい屈辱なのに……。
……私は、何も言い返す事が出来なかった。
「図星のようね。さっきのあの顔も、その気持ちの表れか……」
何処か卑しい眼差しで、沈んだ私の顔を覗き込む茨華仙。
その顔が、なんだか無性に腹立たしくて……。
……煩い。
「あんたに……」
煩い煩い煩い煩い!!
「あんたに、私の何が判るのよ……!!」
あんたなんかに、上から目線でしか私を見てこないあんたに、私のこのどうしようもない寂しさの何が判ると言うの……。
一緒に過ごしたい人がいる日に、隣にいて欲しいその人に会えない、この寂しさが……!!
「あら、気に障ったかしら?」
それでも、茨華仙は少しも悪びれる様子がない。
その態度が、今の私の荒んだ心をさらに逆撫でしてくる。
「あんた……ッ!!」
思わず、手を出しそうになった。
なにも知らずに私の心を土足で踏み躙るこいつの顔を、この手で殴ってやりたかった。
……でも、私が手を出す事はなかった。その前に……。
「何が判るの、ね……」
まるで地の底から響くような、とても深く暗い茨華仙のその声に、一瞬恐怖を感じて……。
「……ッ!! がっ……!!」
そしてその一瞬の間に、茨華仙は包帯の巻かれた右手で、私の首を掴んでいた。
「な……なに……を……っ!!」
ぎりぎりと、そんな音が聞こえそうなぐらいに力強く、茨華仙の右手が私の首を絞める。
なんなの……この握力……!!
確かこいつの右腕は……一度だけ触れた事がある。何か別のものが入っているのか、実体がなかったのか……。
とにかく、凄く柔らかかった。たぶんだけど、あの包帯の下は腕じゃない。
だと言うのに……なんで、こんなに強い力が……っ!!
「じゃあ、逆に聞こうかしら?」
私の身体が、少しだけ宙に浮く。
ううっ……上手く呼吸が出来ない……っ!!
「あなたは、私の何かを知っているの?」
今は少しだけ下に見える茨華仙の顔。
そして私を見上げる茨華仙のその眼は、今までのこいつからは考えられないほどに……。
それこそ目線だけで人を殺せそうなくらいに、鋭く暗く、凶気に充ち溢れていた……。
「あなたは、私が何故仙人をやっているのか知っているの?
何故私が右腕を隠しているのか知っているの? 私が昔何をしていたのか知っているの?」
一つ一つ疑問符を投げつける度に、私の首を絞める腕の力が強まっていく。
やばっ……意識が遠のいて……っ。
「不幸なのが自分だけだと思っているの? 寂しいのが自分だけだと思っているの?
逢いたい人に逢えないのが自分だけだと思っているの? 一人でいるのが自分だけだと思っているの?」
……だんだんと、意識を保っているのも辛くなってきたのに……。
なんで、茨華仙の声がこんなにはっきりと聞こえるんだろう……。
なんで、こいつのこのどす黒い感情の中に……。
……こんなに、深い悲しみにようなものを感じるんだろう……。
「思いあがるのも大概にしなさい、人間。あなたの不幸なんて、本当の不幸にはいくら積み重ねても届かない。
大切な人が、存在していると言う事だけでも、逢う事が出来ると言うだけでも幸せだと言うのに、それにあなたは気付かないの?」
うぎぎっ……。
拙い……本気で意識が……。
「は……はな……し……て……」
殆ど力の入らない両手で、殆ど無意識のままに、茨華仙の右手を掴む。
……たぶん、あと30秒も今の状態が続いていたら、私は三途の川の死神のお世話になっていただろう。
だけど、私が右手を掴んだ瞬間、一瞬だけぐにゃりとした感触を覚えて……。
「あら、そう?」
ぱっと、茨華仙は私の首から手を放す。
「へっ?」
あまりにもあっさりとした解放に、私は一瞬戸惑って……。
「ぎゃうっ!」
宙に浮いていた私は、思いっきりお尻を打った。冷たい石畳が物凄く痛かった。
「げほっ! げほっ!!」
盛大に噎せかえる。
お尻も痛かったけれど、それ以上にやはり息が苦しかった。
すー、はー、すー、はー……よし。
「な、なんで急に……」
私を殺さんとする勢いで首を絞めていたのに、なんで突然その手を放したのか……。
「あら、放してと言ったのはあなたじゃないですか」
……。
…………。
………………えっ?
い、いや、確かに言ったけどさ。
普通放せって言われて、本当に放すものなの?
私を殺そうかってほどに怒ってたように見えたけど?
「あ、あんたいったい何なのよ……」
「ただの行者ですわ」
その言葉を言った茨華仙の顔は、まるっきりいつものそれだった。
……行者が人間を殺そうとするな。
「だけど、言いたい事は言ったわよ?
不幸なのはあなただけじゃない。さも自分だけが不幸だとか思わないようにしなさい。
あなたの周りには、沢山の人間や妖怪がいるのでしょう? ……まあ、神社に妖怪がいるのには賛成出来ないけど」
……その言葉が、なんだかとても身に染みた。
不幸なのは私だけじゃない。それはそうだ。
確かに今の私は一人だけど、何時もなら魔理沙や萃香、文なんかがこの神社にはいてくれる。
そして冬以外の季節なら……いつも、紫は傍で見ていてくれる。
それって、凄く幸せなのよね。私には友達も……そして、何時も思っている大切な人もいるんだから。
私は……一人でいても、不幸でも何でもないのよね……。
「この期に及んでまだ自分が一人だなんて思っているの?」
えっ?
「……なんで私の考えてる事が判ったのよ」
「長生きしていると、顔を見ただけでそれくらいは判るわよ」
どんな顔よ。
ああもう、何と言うか、この仙人は本気でよく判らない。
紫や幽々子と同種だ。腹の底が全然見えてこない。
「まあ、あなたが一人だと思いたいのなら、それはそれで構いません」
そんな事を言いながら、茨華仙は左肩にかかっていた鞄に手を突っ込む。
そう言えば、なんか荷物を持ってたわね。この十数分の間にいろいろありすぎて忘れてたわ。
「だけど、1+1は、2なのよ?」
当然な事を言いながら茨華仙が取り出したのは……。
……それは、どう見ても……。
「……お酒?」
「それ以外の何に見える?」
いや、何にも見えないわよ。
「あんた、仙人のくせにお酒なんて呑むの?」
「あら、いけないかしら?」
いや、いけなくはないけどさ……。
仙人がお酒を呑んで楽しんでる姿って、あんまり想像出来ないのよね。
まあ、そもそも仙人がどういう暮らしをしてるのかもよく知らないけどさ。
「1+1は2、一人の私と一人のあなたが一緒にいれば、此処には二人いる事になるでしょう?」
笑顔でそんな事を言ってくる。
先ほどまでの地獄のようにどす黒い、あの負の感情はどこへやら。
……全部、演技だったの?
いや、確実に演技ではなかった。あれほどまでに強く深い、あんな眼差しは、演技で出来るものじゃない。
だけど、私が感じていたよりは、本気で私を殺そうとは思っていなかったのかも。
上手く言えないけれど……ある意味、私が茨華仙に対して腹を立てたのと、同じようなものなのかもしれない。
私は茨華仙が、私の事を何も判ってないと腹を立てた。
茨華仙は私に対して、自分の事を何も判ってないとあんな行動に出た。
……でも、結局はそれって、どっちもどっちって事じゃない。
私も茨華仙も、お互い同じような理由で怒りを覚えた。ただその怒りの度合いが、茨華仙のほうが大きかったと言う事、その程度の差だ。
確かに、私は茨華仙の事は何も知らない。
妖怪の山に住んでいる、口煩く掴みどころのない仙人。そのくらいにしか理解出来ていない。
だけど、ちょっとだけ新しく、判った事もあった。
こいつには昔、言葉には表せないほどの“何か”があったんだろうな、と言う事だけは……。
それが何なのかまでは、判らない。何があったのか、聞いてみたい気もする。
まあ、だけど……。
「……それもそうね」
今はそんな事、どうでもいいか。
殺されるかもしれないほどの恐怖は、確かに感じた。
それだけの事をされたのは、ちょっと腹立つけど……。
その非は私にあるんだ。
茨華仙が今こうして、何事もなかったかのようにしてくれるのなら、それに応えてやるのが、私に出来る謝罪だと思う。
なんだかんだ言いつつ、こいつも一人が寂しかった……それだけみたいだしね。
「余りモノは余りモノ同士、大人しく日常を過ごすとしようかしら」
「そう言う事よ。日常こそが、一番の宝物なんだから」
……そう言った茨華仙の瞳が、何処か遠くを見ていた気がしたのは、きっと気のせいじゃないんだろう。
でも、今はそんな事は気にしないでおこう。
きっといつか、こいつの方から話してくれる日が、来るかもしれないしね。
こいつが自分の過去を話してくれるようになるまで、私は今迄通りにこいつと付き合っていく事にしよう。
だから、今は余りモノ同士の日常、だけどちょっとだけ特別なこの日を過ごすとしよう。
私は一人、茨華仙も一人。
でもいつか……私も茨華仙も、この特別な日を、大切な人と一緒に過ごせる日が、来ればいいな……。
「メリークリスマス、霊夢」
「メリークリスマス、茨華仙」
そう言葉を交わしてから、私達はお酒の瓶の封を切った……。