人間、生きていたら、何度か、勇気を振り絞らないといけない時が、訪れると思う。
覚悟を決めないといけない時が、訪れると思う。
女の子なら、尚更の事。
私も、東風谷早苗も、例外では無くて。
それは、きっと女の子なら、誰もが、一度は芽生える感情で。
女の子なら、誰もが、憧れる感情で。
けれど、いざ、それを前にしてしまうと。
きっと、誰もが、持て余してしまう感情で。
やっぱり、それは私だって例外では無くて。
まして、それが初めての事ならば。
自分でも、どうしていいか判らなくなってしまうのは、当たり前の事で。
――病気のようなものだと、誰かが言った。
その意見には、とても賛成。
病は、身体を蝕み、時に、心まで脆くさせてしまう。
けれど、それは病に似ているけど、本当の病とは、少しだけ異なっていて。
順番が、まるっきり逆で。
まずは、芽生えた心が蝕まれて。
次いで、脆くなった心から漏れ出した、それが、身体まで蝕んでいって。
――本当に、病気になってしまう訳では無い。
もっと、些細な症状。
けれど、それは、ある意味、本当の病気よりも辛い症状で。
動悸が高鳴る。
息が、詰まりそうになる。
眩暈がして、立っていることさえ辛くなって。
普通を装って、言葉を交わす事さえも。
とても、とても幸せなのだけれど。
けれど、幸せ過ぎて、まるで、何かの罰を受けているかのようで。
私は。
貴女といられる、この瞬間が、何時かは終ってしまうのだと思うと。
嬉しい程に、切なくて。
切ない程に、優しくて。
優しい程に、悲しくて。
――泣きたい位に、幸せだった。
だから。
冬の、白藍の空の下。
弱く、儚い日差しの中。
吐き出した吐息は、白く煙って。
“しん”とした静けさの中に、柔らかに溶けて、直ぐに見えなくなってしまう。
二人だけしかいない、神社の境内。
縁側に座って、貴女は、博麗霊夢は、入れたばかりの、湯気の立つお茶を啜っていて。
桜色の唇を、何時も使っている、湯飲みの淵に当てて、湿らせていて。
私は、その隣で、何時もどおりを装いながら、並んで、お茶を啜っていて。
「――どうして、霊夢さんなんでしょうね……」
そんな、何時も通りの言葉を、何時も通りの表情で、何時も通りの態度で――嘘。
何時もは、こんな事は言わないのに。
何時もは、こんな表情はしていないのに。
何時もは、こんな態度を見せないのに。
私は、私を、遂に押し留める事が出来なくなって。
今が、終ってしまう事に、何よりも臆病になって。
今が、変わってしまう事を、何よりも恐れてしまって。
けれど、それなのに、変えたいと。
変わりたいと、矛盾した想いに支配されて。
「……何よ、それ。喧嘩売ってる?」
貴女は、こんな私とは裏腹に、何時通りの言葉で。
何時も通りの表情で、何時も通りの態度で。
私のほうが、少しだけ年上で、お姉さんだって言うのに。
傍から見ると、年上と年下とが、まるっきり逆転しているようにも見える。
「……だって、そうじゃないですか。自分で言うのも何ですけど。私……外の世界じゃあ、結構、モテたんですよ。男の子に告白された事だって、一度や二度じゃないんですよ。……そんな人達の事は、今まで、何とも思わなかったのに。どうして……」
どうして。
どうして、だろう。
本当に、自分が判らない。
軽薄に、思いを告げてきた人もいる。
真剣に、思いを告げてきた人もいる。
方々の思いに答えず、心動かされる事も無く。
少しだけ、悪いなと思いながらも。
私は、その悉くを袖にしてきた。
だと、言うのに。
「何で、霊夢さんなんです? どうして、こんなにも気になるんですか? どうじて……こんなにも、落ち着かないんですか?」
「そんな事、私が、知るわけ無いでしょ」
霊夢さんは、やっぱり、何時もと変わらぬ様子で、お茶を啜って。
その隣で、私は、何かを耐えるように俯いていて。
冬の寒さに悴む、私の手に。
“そっ”と、隣に座る霊夢さんの手が重ねられる。
私は、何かに縋るように、隣に座る霊夢さんを見て。
霊夢さんも、私の事を、見つめていて。
交わされる視線。
互いの瞳の中に、互いの姿が写り込む。
微笑を浮かべている霊夢さんと。
目を逸らそうとして、結局、逸らす事が出来ずにいる私と。
「――早苗」
霊夢さんの唇が、静かに綻ぶ。
“ふわり”と、匂い立つ花の様な言葉を紡ぐ。
「あんたは、私と、どうなりたいの?」
問い掛けられる。
どうなりたいか。
どうなりかたいか……だなんて、そんな。
そんな事は、決まっていて。
決まりきって、判りきっていて。
けれど、それを言葉にする事は、恐ろしい程に躊躇われる。
だから。
だから、私は。
「……じゃあ。霊夢さんは、私と……どうにか、なれるんですか?」
そんな言葉を、返してしまって。
霊夢さんの問い掛けに、答えを、返さなくてはいけないと、頭では判っているのに。
「どうにか、なれるか……ね」
――早苗、と。
霊夢さんが、私の名を呼んだ。
“くすり”と、微笑んで。
思わず、見惚れてしまうような笑顔で。
「それは……あんたは、私に、こう聞いているの? 私は――博麗霊夢は、あんたの、東風谷早苗のものになれるのか、と」
私は、私が聞きたかった事を、そのものズバリと言い返されてしまい。
咄嗟に、言葉が返せなくて。
息が、詰まりそうになってしまう。
「……いや、そこまで、は……」
嘘。
そこまで、思っている。
思って、しまっている。
“ふぅ”と。
霊夢さんは、微かな溜息を一つ。
「じゃあ……あんたは、私に、何を求めているの?」
「それ、は……」
“くすくす”と。
戸惑う私の様子を、面白そうに、霊夢さんが見つめている。
からかう様に、微笑みながら。
「私と、どうにかなりたい?」
「………………」
答えなんて、判りきっている。
けれど、それを直接、言葉にする勇気は無いから。
少しだけ、身体を震わせて。
息を、詰まらせて。
微かに、頷いて見せる。
頷いて、しまう。
「――そう」
私は、頬を紅潮させて。
鼓動を高鳴らせて、霊夢さんの事を、見つめていて。
触れ合った手が、熱を持って。
指を、絡められる。
手を繋ぐように。
霊夢さんの指が、私の指に、絡められる。
「……じゃあ」
花のような唇が、艶やかに光って。
一つ、一つ。
言葉を、咲かせていく。
「どうにか、なってみる?」
「――――――」
頭の中が、真っ白になる。
何か、言い返さなくてはいけないと、思うのに。
霊夢さんの言葉を、理解するだけで手一杯で。
いいや。
理解できているのに、それで、どうしたらいいか、判らなくて。
私は――。
“ぴしり”と。
額を、指で弾かれる。
「……痛っ!?」
一体、何を……。
「ふん。――意気地なし」
嗜めるような、呆れたような、霊夢さんの言葉。
絡めた指が、解かれて。
私の指は、また、冬の寒さを独りっきりで、感じてしまう。
動けずにいる私の隣で、霊夢さんは、立ち上がって。
私に背を向けて、冬の空を見上げる。
「――冗談よ、さっきの」
そう、言って。
私は、
――ああ、やっぱり。
やっぱりだ。
そんな事を思って。
考えて。
だから、きっと、この気持ちは届かないんだって……そう、諦めようとして。
けれど、頭の中で考えることと、心は裏腹で。
身体は、もっと逆らって。
思わず、自分でも気付かないうちに、どうしていいか、判らないうちに。
縋りつくように、手を伸ばして。
立ち上がった、霊夢さんの手を、取っていて。
「……どうか、したの?」
霊夢さんは、振り返って、私を見る。
――どうして。
私は、どうして、こんな事をしているのだろう。
この後で……どんな言葉を続ければ、良いと言うのだろう。
考えれば、考えるほどに、思考は、混迷の霧の中へと踏み込んでいって。
“ぐるぐる”と回る螺旋の階段を昇っている様な。
それとも下っているような。
不可思議な錯覚に囚われる。
――どうしよう。
何か……何かを、言わないと。
必死に考えて、考え抜いて。
それでも、言うべき言葉を、見つけられないでいる私。
それなのに。
私の口は、やっぱり、私の頭とは裏腹で。
衝動に突き動かされるように、私は、言葉を吐き出していた。
「冗談……ですか?」
「――さぁ。どうかしらね」
「答えて……ください……」
「答えるのは、そっちからよ。私が、先に問い掛けたもの。答える順番は、あんたが先。……あんたは、私と、どうなりたいの?」
「………………」
「……答えられないなら、手、離して。境内の掃除があるから」
霊夢さんは、これで話は終わったとばかりに。
私から顔を背けて。
私の手を振り払って、歩み去ろうとして。
私は、思わず力を込めて、その腕を引き止める。
「………………です」
掠れたような声。
白く煙る吐息より儚い、私の言葉。
私自身でさえ、聞き取れない程。
だから。
そんな言葉が、霊夢さんに、届くはずは無くて。
「聞こえないわ」
霊夢さんが、顔だけを振り返り、私を見る。
だから、私は。
もう一度。
霊夢さんに届くように、同じ言葉を、繰り返して。
「……どうにか、なりたい……です」
「そう。……どうなりたい?」
「あの……私……。私……」
頬が、紅潮する。
息が苦しくなって、言葉を発する事さえ、困難になる。
溺れているような錯覚。
けれど。
今は。
今だけは、この言葉を伝えないと。
この想いを、伝えないと。
「好き……です……」
それだけを、言った。
顔を真っ赤にして。
気の利いた台詞の、一つも言えなくて。
本当に不器用で、無様で、臆病な告白だけど。
霊夢さんは、静かに、“ふっ”と微笑んで。
「そう。じゃあ――付き合ってみる? 私たち」
そんな、拍子抜けする程にあっさりと、私の告白を、受け入れてくれた。
冬の、とある日。
二人っきりの、博麗神社の境内で。
私、東風谷早苗が、生まれて初めて。
初めて、好きになった人に、想いを伝えた。
好きになった人が、私の告白を受け入れてくれた。
記念すべき日。
……うん。
私も、霊夢さんも。
どっちも女同士って言う問題はあるのだけれど。
些細な問題として、棚に上げておこう。
外の世界でも、地域によっては、珍しくは無い話だし。
幻想郷では、常識に囚われては、いけませんものね。
……ともかく。
かくして、私と霊夢さんの二人は、友人から、恋人の関係になった訳です。
「~~♪ ~~♪」
ご機嫌に、歌を口ずさんで。
私は、かって知ったる他人の神社の、博麗神社の炊事場で、料理を作っていて。
幻想郷に来たばかりの頃は、電気も水道も無くて、外の世界で当たり前に出来ていた事が出来なくて、苦労したけれど。
最近は、私が信仰する二柱の神。
八坂神奈子さまと、洩矢諏訪子さまの手による、妖怪の山の産業革命が、順調に進んでいて。
炊事に関しても、以前ほどの不便さは無くなった。
もっとも、それでも二年近く、幻想郷では一般的な生活を、外の世界と比べたら、前時代的な生活を送っていたから。
薪を使って火をおこす生活にも、馴れていたのだけれど。
……そう言えば。
ふと、思い出す。
あれは、まだ博麗神社の境内に、守矢神社の分社が、出来たばかりの頃。
つまりは、幻想郷に来たばかりの私たちが、博麗神社に対して、宣戦布告をした頃の話。
神遊びの末に、和解が成立して。
私と、霊夢さんが、普通に友人と呼んでも、差し障りは無いだろうと言う関係になって。
宴会に呼ばれたり、外の世界では、余り口にした事の無かったお酒を、口にしたりして。
私が、実は下戸であった事が、判明したりもした。
そんな、ある日の話だ。
何時もの様に、博麗神社での宴会。
私と霊夢さんは、その日の、宴会での肴を用意する係りに任ぜられて。
二人で、炊事場に立っていた。
とは言っても、その頃の私は、まだ幻想郷での一般的な炊事の仕方に馴れないでいて。
外の世界にいた時から、あまり家事の類は得意では無かったから。
霊夢さんの足を、引っ張っているだけだったけれども。
「あんた。危なっかしいわね。いいから、ちょっと代わりなさいよ」
薪を使って、火をおこす事に手間取っていた私を、呆れたように見て。
「……てか、あんた。あの神社、あんたと、あの二柱しか居ないんでしょ。それで、どうやって生活してるのよ」
包丁の扱いさえ、たどたどしい私に。
「ほら。洗い方が足りない。お米は、洗い方一つで、不味くも、美味しくもなるんだから。……とりあえず、この洗い方を覚えておけば、綺麗で、美味しいご飯が食べれるわよ。後は火加減とか、水の分量さえ間違えなければね」
面倒くさそうにしながらも、色々と、教えてくれて。
年上と年下とが逆転しているのは、この頃から、あまり変わっていないな。
なんて事を、思い出す。
「――はい。味、見て」
小皿に取った、お味噌汁を渡される。
豆腐と、御揚げと。
取り立てて変わった所の無い、素朴な具と、味のお味噌汁。
一口、啜る。
“ふわり”と、しっかりとした出汁とお味噌の香りが、鼻腔を擽って。
舌の上で、柔らかな旨味が広がっていく。
私は、霊夢さんの作ったお味噌汁の味に、思わず、目を見張ってしまって。
「美味しい……それに、これ……」
――お母さんの、味だ。
神奈子さまと、諏訪子さまの後について、幻想郷に来て。
外の世界に残してきた、お母さんが作ってくれた、お味噌汁。
あの時は、まだ別れてから、そんなに立っていなかった筈なのだけれど。
不思議と、凄く、懐かしくて。
どうしてだろう……何故か、不意に。
置き去りにしてきた、外の世界の事を、思い出していた。
「――大袈裟ね。別に、普通のお味噌汁じゃない」
「いいえ……凄く。凄く、美味しいです」
「そう? なら、良かったわ。ま、私の手柄じゃないけど。これ、母さんから教えて貰ったものだし」
「そうなんですか。私、そういうの、教えて貰った事が無いですから。……ううん。教えて貰おうとも、思わなかっただけですね」
お母さんが、まだ、私に、お味噌汁を作ってくれていた時には。
それが、当然の事だと思っていて。
当たり前だと、考えていて。
お母さんと離れる事があるだなんて、思いもしなかった。
学校から帰ったら、食卓に、お母さんが作った夕食が用意されているのは、普通の事で。
余りにも、日常過ぎて。
その味が――どれだけ、優しいものかだなんて、考えた事も無かった。
だから、私は。
お母さんから、料理を教えてもらおうと、考えた事も無くて。
今までの生活を捨てるという事の意味を、それほど、深く考えてなくて。
幻想郷に来て……記憶の中にある、お母さんの味を、何度も、再現しようとしてみたのだけれど。
毎日、当たり前のように口にしていた、その当たり前が。
もう、無くなってしまった幻想の味のように、難しく思えて。
それが……その味が。
ここに、あった。
「……美味しいです。もう一口」
「駄目に決まってるでしょ。後から、幾らでも食べられるんだから。我慢しなさい」
「はーい」
その日の宴会は、ささやかなものだったけれど。
魔理沙さんや、アリスさん達が、博麗神社を訪れて、皆で、夕食とお酒に舌鼓を打つだけの、ありふれたものだったけれど。
とても、楽しくて。
どこの家庭にでも見られるような料理の数々が、どれも、懐かしくて。
そのどれもが、優しい味わいで、お酒に在って。
「おい。これ、何時もの霊夢の味付けじゃないか」
「何? 文句があるんなら、食べなくていいわよ」
「そうじゃなくて。今日は、お前と早苗が当番だろ。どれが、早苗のだ。折角、外の世界の味つけに期待してして来たのに」
「ご愁傷様。早苗はね――」
「ああ、霊夢さん! それは、内緒だって言ったじゃ――」
慌てて、霊夢さんの口を塞ごうとする私を。
興味深そうに、胡散臭い笑みを浮かべている紫さんの、宙の隙間から伸びてきた腕が、塞いで。
「んーっ!?」
「――な感じで。ご飯の洗い方から、教えてあげなきゃいけない状態だったから」
「そうか。と言うか、よくそれで、生活できてるな。普段、何食べてるんだ? 何なら、茸でも持って帰るか?」
「私に寄越せ」
「嫌だぜ」
「――っぷはっ! ……ちょっと、霊夢さん!? 内緒にしてって、言ったじゃないですかー!?」
「そうだっけ? ま、どうでもいいわ」
「良くないですよー」
「五月蠅いわね。料理が出来ないのが恥ずかしいのなら、もっと、練習しなさいよ。教えてやるから」
「……え? いいんですか?」
「あんたが、あんまりにも惨めだし。その代わり、外の世界の、舌を噛みそうな、ややこしい名前の料理とかは勘弁してよね。ご飯とお味噌汁くらいなら、最低限、食べれるものは仕込んでやるわよ」
「何なら、私が美味い茸鍋の作り方を伝授しようか?」
「あんたは、本当に茸好きね。そう言えば、紫って、何か料理は出来るの?」
「出来ますよ。三ツ星のシェフにも劣らぬと自負しています。……藍が」
「……三ツ星って何よ? ……てか、それは狐の腕じゃない。あんたは?」
「ああ、美味しい。美味しい。お味噌汁怖い」
「……答える気無しね」
「ふふ……」
その日の宴会は、とても楽しかった。
空気もあったのだろう。
つい、飲みすぎてしまって。
完全に、酔ってしまって。
目の前が、“ぐるぐる”と回って、真っ直ぐに歩く事さえ困難な状態。
「ったく……弱い癖に、あんなペースで飲むからよ……」
呆れたように溜息をつく、霊夢さんの声。
「うう……すいません……」
「あいつらもよ。厄介ごとは私に押し付けて、さっさと帰っちゃうし。――外に、叩き出してやろうかしら。しばらく放っておいたら、酔いも覚めるでしょ」
何だか、物騒な台詞も聞こえたような気がする。
流石に、冗談だと信じたい。
「……はぁ。そういう訳にも行かないからね。とりあえず、早苗。今日は、泊めて上げるわ。感謝しなさい」
「はい。有難う御座います」
とりあえず、簡単な寝間着に着替えて。
その日は、博麗神社に、泊めて貰う事になった。
そう言えば……幻想郷に来て、初めて、友達と呼べる人の家にお泊りをしたのも、この日が最初だった。
二人、並んで、布団に入って。
隣に、霊夢さんのぬくもりを感じて。
それが、何故か、独りで眠る時よりも安心できて。
――夜中。
ふと、目が覚めた。
灯りの消された部屋の中。
隣の霊夢さんは、まだ、寝息を立てていて。
私は、不思議と、外の世界の事を思い出していた。
置き去りにしてきた、人たちの事。
お父さんと、お母さんの事。
霊夢さんのお味噌汁を飲んだからか。
この年になって、ホーム・シックだなんて、少し、恥ずかしいけれど。
――現実と幻想を秤にかけて。
幻想を選んだのは、私自身。
その選択に、後悔は無いけれど。
切り捨てて来た何もかもに、一欠片の未練も残っていなと言えば、嘘になる。
それは、仲の良かった、友達の笑顔であったり。
或いは、お母さんのお味噌汁の味のような、ささやかなものだったり。
――お酒を飲んで、酔っ払って。
少しだけ、心が、弱くなっているからだろう。
夜の暗さに馴れた視界が。
月と星の明かりに照らされた、薄闇が。
“じわり”と、涙で滲んでいく。
ああ、私、泣いているんだ。
そう思ったら。
――不意に。
悲しみの衝動が、押し寄せて来た。
「う……っ……ひっ……」
――いけない。
声を上げては。
そう、思うのだけれど。
頭の中では、思っているのだけれど。
心は、裏腹で。
身体まで、逆らって。
涙が、次々と溢れていく。
悲しい。
悲しくて、悲しくて。
とても、淋しい。
こんな気持ちに、なった事は無いのに。
幻想郷に来た事を、後悔している訳じゃ無いのに。
何故か――置き去りにしてきたものの事が、こんなにも、私の中で、大きくなっている。
――いけない。
涙を、止めなくては。
すすり泣く声を、堪えなくては。
隣には。
隣には、霊夢さんが、寝ているのに。
……けれど。
そう思えば、思う程に。
私の悲しみは、淋しさは、深くなっていって。
私は、私の涙を、拭えずにいた。
「――どうしたの?」
「っ……れい、む……さん……」
「全く。隣で泣かれちゃ、寝られるものも、寝れないじゃないの」
「うっ……すいま……せん……」
「謝るくらいなら、泣かなきゃいいのに。……まぁ、私にも覚えがあるし。仕方ないか」
そう言って、霊夢さんは、私の頬に手を添えて。
涙で濡れた私の顔を、覗き込んで。
「ほら」
静かに、優しく、泣いている私の顔を、その胸に埋めさせてくれた。
抱きしめられる。
“ふわり”と、柔らかな温もりが、私を包む。
優しい香りが、私の鼻腔を擽った。
「涙ってね。下手に我慢すると、駄目なのよ。悲しい時は、思いっきり泣いた方がいいの」
「……っ……れいむさん……」
「一晩だけ、貸してあげる。それで全部、吐き出しときなさい。朝になっても、まだ、めそめそとしてたら、怒るからね」
優しいのか、不器用なのか、判らない励まし。
けれど、それはどこか、霊夢さんらしいな。
なんて事を、私に、思わせて。
私は。
「う……っ……ひっ……ぁぁぁぁぁ……」
その温もりに包まれて、言われた通りに、一晩だけ。
大泣きに、泣いた。
――思えば、その時からだろう。
私が、霊夢さんの事を、意識しだしたのは。
……うん。
こう言ってしまうと、何だけど。
ホーム・シックにかかって、お酒を飲んで、酔っ払って。
心が弱くなっている時に、傍に居てくれて、優しくしてくれた人に。
私は、“ころり”と参ってしまった訳だ。
……それからの二年は、思ったよりも、早く過ぎた。
住めば都。
最初は、あれだけ不便に感じていた、幻想郷での生活にも、少しは馴れて。
友達も増えて、充実した毎日を送っている。
その日々の中心には、私の隣には、何時も、霊夢さんがいた訳だけど。
私は、霊夢さんに抱いた思いを、隠して、あくまで友達として接してきた。
だって。
人を好きになる事なんて、生まれて初めての事で。
初恋の人が、まさか、年下の同性だなんて、考えた事も無かった訳で。
最初は、とても、悩んだ。
少し、辛いけど。
この気持ちは、ずっと隠して、霊夢さんとは、ずっと友達のままで。
そんな日々が、送れたらいいな――なんて事を、考えていた。
……考えていたし。
ずっと、隠しておく心算だったんだけど。
「――早苗。お前、霊夢の事、好きだろう?」
「――ブフッ!?」
「うわ、汚い」
「……けほっ、けほっ。いきなり、何を――」
ある日。
そんな風に、完璧に隠していた心算の、私の恋は。
あっさりと、霊夢さんが不在の宴会の席で。
魔理沙さんに、ばらされて。
「いきなりって……結構、ここにいる皆が、気付いていたけど?」
何を今更、という感じで、お酒を啜っているアリスさん。
……え、皆って?
私は、周囲を見渡した。
「まぁ、ばればれよね」
紫さんが、“くすくす”と笑う。
「ふふ。お姉さんの目は、誤魔化せないわよー?」
幽々子さん。
「見ていて、もどかしくなるけどね。惚れた腫れたの話なんて、さっさと押し倒しちまえば、解決するじゃないのさ」
萃香さん。
他にも、沢山の人が、生温い視線で、私を見つめている。
ここに、霊夢さんが居なくて良かった。
思わず、胸を撫で下ろす。
「えっと……何時から……?」
「結構前から」
「私……隠してた心算……だったんですけど……」
『――あれで?』
皆が、一斉に声を揃える。
……思わず、涙ぐんでしまいそう。
――けど、本当にどうして?
どうして、皆さんに、私の思いを悟られてしまったんだろう。
私が、そう尋ねると。
皆は、意地悪にも、懇切丁寧に、その理由を教えてくれた。
……曰く。
宴会で、必ず霊夢さんの隣に座ろうとする。
霊夢さんの事を、目で追っている。
霊夢さんと話している時に、独特の緊張がある。
この間、人里で霊夢さんと相合傘をして、顔を真っ赤にさせていた。
良く二人で遊びに出かけている。
何かと理由をつけては、博麗神社に泊まっている。
霊夢さんの皿に料理を取り分ける時だけ、量が多い。
自室の机の上に、霊夢さんと二人で撮った写真が飾っている。
――って、諏訪子さま!
まさか、私の部屋に勝手に――!?
縫い包みに霊夢と名前をつけて、抱きしめて寝ている。
――神奈子さま!?
貴女もですか――!?
香霖堂の店主に、霊夢の幼い頃の話とかをせがんでいた。
そもそも私には能力で筒抜けです。 by 古明地さとり
その情報を、私が記事にしました。 by 射命丸文
――って!?
主に、そこの二名の仕業じゃないですか!
『――いや。それが無くてもバレバレでしょう、これは』
……本当に、泣いてしまいそう。
「で、だ。お前は、何時、告白するんだ?」
「そんなの……考えてないです……と言うか……」
――想いを伝えて。
変わってしまう、何かが怖い。
私と霊夢さんは、今は、友達で。
それで、満足しているから。
満足、しなきゃいけないから。
もし想いを伝えて――それで、今の関係まで壊れてしまったら。
そう想うと……私は、どうしても、一歩を踏み出せずにいる。
だから……別に、これ以上を望む事なんて――。
『――ちょっと、そこに座りなさい』
そう思っていたら、皆に、凄い顔で睨まれた。
「……は、はい……?」
思わず、正座する。
「よし。いいか、早苗。お前のそれは、見ていて、凄くイライラするんだ」
「そうよ。第一、霊夢も満更じゃなさそうだし」
「と言うかですね。私たちにバレてるのですよ。あの感の良い霊夢さんに、気付かれてない筈が無いでしょう?」
「良い? 女の恋は戦いよ? 思い立ったら、吉日なのよ」
「そうよ。第一、貴女。傷つくことを恐れて、恋なんか、出来るものですか」
「自分が傷つくのが怖いって言うのは、つまり、自分の方が大事と言う事でしょう」
「本当に好きなら、そんな事、関係なくなるわよ。だって、自分を抑えられなくなるもの」
「全く。どうして、こんなヘタレに育ってしまったんだか」
などと。
非難交じりに、皆さんから、説教をくらった。
中には、変に実感が篭っている言葉もあったりして。
とりあえず、皆さんの言葉を纏めて見ると。
つまりは。
――さっさと告白して、玉砕しろ。
と言う事らしい。
そんな事を、言われても……。
私は……私は……。
「――と、と。いけない」
昔の事を思い出している内に。
思わず、鍋を、吹き零してしまいそうになって。
私は、慌てて、火にかけた鍋の様子を見る。
……うん。
大事には、なっていない。
「早苗ー? どうかしたー?」
居間の方から、霊夢さんの声。
「何でも無いですー」
私は、それに答えて。
鍋の中の、お味噌汁を味見する。
……うん。
とても、いい味。
霊夢さんから教えて貰った――お母さんの、味だ。
この二年。
霊夢さんの、私に対する料理教室は、ずっと、続いていて。
私の料理の腕も、人様に、恥ずかしく無い程度には、上達した。
出来上がった料理を、盛り付けて。
霊夢さんの下に――私の、恋人の下にまで、もっていく。
「はい。お待たせしました」
「あ、来た来た。……うん。なかなか、美味しそうね。この分だと、卒業まで、もう少しかしら?」
「えー? まだ、全然です。全然、霊夢さんの味に追い付いていません。だから、まだまだですよ」
「そう言って、何時まで家の神社に入り浸る気よ?」
「ご迷惑ですか?」
「別に。全く……私の恋人は、覚えが悪い事」
「私の恋人は、容赦がないですねー」
そう言って、二人、静かに笑いあう。
頂ますをして、私の作ったご飯を食べる。
何度も失敗して。
何度も、不味いものを、霊夢さんに食べさせて。
最近、ようやく、ちゃんとしたご飯を食べさせる事が、出来るようになった。
「美味しいわ」
霊夢さんは、微笑みながら、私のご飯を食べてくれる。
それが、何よりも嬉しい。
心の中が、温かくなるような。
幸せな気持ちで、満たされる。
「霊夢さん。あーん」
「あーん。……ん、美味しい。……早苗? あんたの方が、赤くなってどうするのよ」
「あー……いえ……」
……霊夢さんは、偶に私が、こうした積極さを見せても。
涼しい顔で、全部を、受け入れてくれる。
何時も、赤面をするのは。
みっともない姿を見せるのは、私の方で。
「……どうして、そんなに平然としてるんですかー。そりゃ、別に、誰かに見せてる訳じゃないですけどー。それでも、こう……もっと恥じらいって言うか……」
「――気付いてないの? さっきから、紫たちに除かれて、酒の肴にされてるわよ」
「――え!?」
慌てて、周囲を見回す。
一体、何処に――あ、いた。
天井の木目に隠れて、微かに隙間が開いている。
思わず、出歯亀を、怒鳴りつけようとして。
「放っておきなさい。別に、害があるわけじゃなし」
霊夢さんに、押し留められる。
「……霊夢さん。恥ずかしくないんです?」
「別に。やましい事してる訳じゃないし。覗きたいなら、覗かせてやれば? 見せ付けてやれば、いいんじゃない?」
「その考え方が、凄いですね……」
本当。
この人は。
「私には、とても無理そうです……」
「そう? 私は、早苗とこうしていられるのが幸せだから。他の些細な事は、どうでもいいわ」
平然と、そんな事を言うものだから。
私は、また――。
「あっ……う……あ……れ、霊夢さん……」
赤面して、言葉を失って。
隙間の向こうで、辟易している、皆の顔が見えるようだ。
最近、判った事だけれど。
霊夢さん、何と言うか――平然と、恥ずかしい台詞を、真顔でのたまう人物らしい。
しかも、その殆どが、私にとっては、致命傷な内容だったりするから、始末に終えない。
私、一生、霊夢さんには勝てないんじゃないだろうか……?
そんな事を、思ってしまう。
「――勝ってるでしょ? 私を、ここまで好きにさせたの。あんたが、最初だし」
「――――――ッ!」
だから。
だから、どうして、そういう事を。
真顔で言うかな.この人は。
本当……ああ、もう。
何て言うか、何て言うか。
――可愛い、過ぎる。
好きに成り過ぎて、おかしくなってしまいそうな程。
「それは……私も……です……。と言うか……霊夢さんの、勝ちでしよ……」
だって、私の方が。
東風谷早苗の方が、博麗霊夢に、参っているのだから。
「そんな事無いわ、私の方が好きよ。だから、早苗の勝ち」
「いえ。これは譲れません。絶対、私の方が好きですって。だから、私の負けで――」
「私の負け――」
「いいえ、私の方が――」
もう、どっちが勝ちで、どっちが負けでもいいわ、このバカップル。
そんな声が、隙間の向こうから聞こえた気がした。
……多分、気のせいでは無いだろう。
「じゃあ……引き分けということで」
「そうね。じゃあ、引き分けね」
そうして、食事を再開する。
「――あ、そうだ。早苗。今日は、泊まっていく?」
「え……ええ……出来たら……その……それが希望です……」
「そう。じゃあ、泊まっていきなさい」
「――はい」
私は、答えて。
霊夢さんは、“くるり”と、天井の隙間を見上げる。
「――と言う訳だから。夜は、邪魔したら、叩きのめすわよ」
本気の言葉――寧ろ、牽制とか、脅しの類を、出歯亀の皆さんに対して、かける。
「あの……霊夢さん……その……夜って……」
「――夜は、夜でしょ。何を言っているの?」
「あ……はい。そう……ですね……」
うん。
いつものお泊りと、何も変わらない……。
「私、初めてだから。よろしくね」
「――ブハッ!?」
卒倒するかと思った。
いや、まぁ……確かに、そういう事、考えたことが無いと言えば、嘘になるけれど。
それでも。
「それとも、あんたが嫌なだって言うなら、何時ものお泊りでもいいけれど」
「……そ、それは……」
私に……どう、答えろと言うのだろう?
相も変わらず、振り回される。
「あんたは、私じゃ、嫌?」
……上目遣い。
そんな目をされると……ああ、もう。
それは、卑怯です。
反則です。
そんな言葉が、頭の中を、“ぐるぐる”と駆け巡って。
「……嫌じゃ……無いです……」
月並みな言葉しか、出てこない。
「そう。良かった。じゃあ、よろしくね。この間のキスみたく、鼻血をふいて、倒れることだけは、無い様にね」
悪戯な笑顔で、頬を、つつかれた。
あれは……確かに、一生の不覚と言っても言い出来事で。
今度は、そんな無様を曝さないようにしようと、硬く、誓った訳ではあるけれど。
それにしても……ハードルが、上がり過ぎている。
と言うか、私は、霊夢さんとのキスに気を失った訳では無く。
寧ろ、した後の――霊夢さんの。
『えへへ……早苗……』
なんて、あんな、普段の仏頂面はどこに言ったのかと、小一時間は問い詰めたくなる、デレーっとした笑顔で名前を呼ばれたら、それは意識も飛ぶと言うか、ああ、もう、霊夢さんは可愛いなぁと思わず抱きしめてほお擦りしたくなるというのを飛び越して、一発ででこちらの意識を飛ばしてくるあたり、反則過ぎると言うか、何と言うか。
ああ、もう。
こんな事をしてるから、周囲から、バカップル呼ばわりされるんだろうなと、思いつつ。
もう、バカップルでいいやー、なんて事を思ってしまったりする訳で。
本当、霊夢さんは、卑怯すぎると、そう思う。
それを、伝えてやりたけれど、
卑怯だって、言ってやりたいけれど。
やっぱり、私が口に出来るのは、ただ、一つの言葉で。
「――霊夢さん」
それだけしか、意気地の無い私には、口に出来なくて。
だから。
「……好き、ですよ……」
それだけしか言えないのに、まだ、照れが残っていて。
だから。
「そう。私は愛しているわよ。早苗の事」
平然と、そんな事を言ってのける霊夢さんの言葉に。
ああ、やっぱり、私は勝てないなぁ……なんて事を、思い知らされるのだった。
とりあえず、うん。
私と霊夢さんの、こんな、とりたてて特筆する事もない、それ程、甘くもない恋人としての日々は。
こうして、日々を積み重ねていくのだった。
……ついでに。
その夜のお泊りは。
冬なのに、その寒さを、まるで感じられず。
むしろ……その……。
あ……熱かったって言う事を……ここに、報告しておこう。
おいしいレイサナ、ごちそーさまです。
>「えへへ……早苗……」 とかブバッシャアァァですよブバッシャアァァ
にしても可愛いなこの巫女達
もっとレイサナの輪が広がりますように
だだ甘の間違いだろ
うぇ……死にそうだぜ……ブバァァァァァッッ!!
良いレイサナでした。ごちそうさまです。
じゃあ、あなたの甘い物語って、どうなってるんだ・・・
これでそんなに甘くないなんて仰るとは。
是非とも作者さまがこれは甘い!って言える様な作品を読んでみたいですよ?
霊夢さんの淡々とした感じがたまんねぇっす…
でもあれなんだよね!
甘すぎてヤバいぜ
そして一人クリスマスにモニターをみてニヤニヤする自分が悲しくなる
まだこの先があるのか。
だだ甘です。
今更ながら誤字報告を
「――気付いてないの? さっきから、紫たちに除かれて、酒の肴にされてるわよ」
「覗かれて」
「それとも、あんたが嫌なだって言うなら、何時ものお泊りでもいいけれど」
「嫌だな」
それを、伝えてやりたけれど、
「やりたいけれど」
グリセリン!グリセリンくれ!