<注意事項>
妖夢×鈴仙長編です。月一連載予定、話数未定、総容量未定。
うどんげっしょー準拠ぐらいのゆるい気持ちでお楽しみください。
<各話リンク>
第1話「半人半霊、半熟者」(作品集116)
第2話「あの月のこちらがわ」(作品集121)
第3話「今夜月の見える庭で」(作品集124)
第4話「儚い月の残照」(作品集128)
第5話「君に降る雨」(作品集130)
第6話「月からきたもの」(作品集132)
第7話「月下白刃」(ここ)
第8話「永遠エスケープ」(作品集137)
第9話「黄昏と月の迷路」(作品集143)
第10話「穢れ」(作品集149)
第11話「さよなら」(作品集155)
最終話「半熟剣士と地上の兎」(作品集158)
「盗まれた? 蓬莱の薬が?」
いつものように桃をかじりながら、豊姫は妹の言葉にきょとんと目を見開いた。
どうならそのようです、と答えて、依姫は険しい顔のまま、腕を組んで唸る。
「蓬莱の薬って、嫦娥様の贖罪のために作られていたあれよね?」
「ええ、そうです。不完全な蓬莱の薬。――完全なものを作るのは禁忌ですし、そもそも今の月に完全な蓬莱の薬を作れる者はいませんから」
ひとくちに蓬莱の薬といっても、完全なものと、不完全なものとでは大きく意味合いが異なる。完全な蓬莱の薬とは、永遠そのものを薬としたもの。一口飲むだけで完全な不老不死となる薬。そんなものを作れる月人は、永い月の都の歴史上でもただひとりしかいない。その人物は今、まさにその薬を作ったことによって月の都を去り、行方をくらましている。
一方、不完全な蓬莱の薬は、この月の都でも兎たちの餅つきによって日々生産されている。それは、月の都の最奥に幽閉されている罪人、嫦娥の贖罪のためだけに作られているものだ。
「でも、この月の都で、いったい誰が蓬莱の薬を盗むというの?」
「――そう、それが問題なのです」
そもそも、月人もまた、もともとは地上に暮らしていた人間だった。それが月へと移り住んだのは、地上に満ちた穢れを嫌ってのことである。
生命は本質的に、生まれたその瞬間から他者の命を奪わねば生きながらえることができない。命は生まれ、死に、他者の糧となる。その理こそが穢れである。はじめに月に渡った月人たちは、その理から外れることを望み、生きるもののない――即ち穢れのない月に移り住んだのだ。
しかし、である。穢れのない月に移り住み、穢れのない暮らしを始めたところで、彼らはそれまでは地上の穢れに染まって暮らしていたのだ。どれだけ自分の周囲から穢れを取り除こうと、既に自分の中に蓄積された穢ればかりはどうしようもなかった。結局のところ、彼らは穢れのなかった月に、穢れを持ち込んでしまっただけなのであった。
結果として、新たな穢れが蓄積されなくなったために、月人は非常に永い寿命を手に入れた。だが、それは決して永遠ではない。月は穢れの全く無い場所ではなく、穢れの限りなく薄い場所に過ぎないのだ。故に月人も、玉兎たちも、非常にゆっくりと歳をとる。また、ときおり新たな命も生まれていく。今のところ、月人に死者は存在しないが、いずれは彼らの持ち込んだ《原初の穢れ》によって死ぬ者も出るはずだった。それがいつになるのかは、今のところ誰も知らないだけで。そのとき死によって生じる穢れをどうするのかは、まだ結論が出ていない。いや、むしろ誰も考えないようにしている、と言う方が正しい。自分たちが永遠に生きるのだと錯覚するほどに、この月では穢れが希薄なのだから。
「月人にしろ玉兎にしろ、この月の都に暮らしている以上、蓬莱の薬は必要ないものです。今の月であれを必要としているのは、嫦娥様だけなのですから」
「そうよねえ」
不完全な蓬莱の薬は、その《原初の穢れ》をどうにか無くすことはできないか、と模索する過程で生み出されたものである。その薬は、蓄積された穢れを消し去ることはできないが、薄めることはできる、というものだ。
そして、既に穢れが限りなく薄い世界となっているこの月の都では、誰もが少しずつ穢れの影響を受けてはいるが、これ以上それを薄めたところで実質的に大差はない。故に、月に暮らす者が不完全な蓬莱の薬を求める意味は無いのだ。それを必要としているのは、かつて月人でありながら地上に降り、地上の穢れをあまりにも多くその身に宿してしまったために幽閉されている嫦娥だけなのである。
「ということは、侵入者?」
「その可能性が一番高いのですが――地上の者が月に侵入した場合、必ずその身に纏っている穢れの痕跡が残ります。しかし、今回はそれがない」
少し前、地上からロケットに乗って侵入者がやって来たことがある。彼女らは好き放題に穢れを撒き散らしていき、その始末には地味に依姫も苦労させられた。
「じゃあ、あの酒を盗んでいったのと同一犯というのは?」
「いえ――その線も薄いと思います。あの酒は私たちの留守に盗まれました。蓬莱の薬は厳重な管理をしていたわけではありませんから、盗むならあのとき、酒と一緒にいくらでも盗めたはずです。わざわざ留守を狙って酒だけを盗んでいくような輩が――犯人が地上の者だとすれば、ですが、今度は蓬莱の薬なんていう、地上人にとっては実利的に過ぎるものを盗んでいく、というのはいささか腑に落ちません」
「ふうん――」
桃を飲みこんで、豊姫は口元に指をあて何かを考え込む仕草をした。
姉の考えていることは、ときどき妹の自分にもよく解らない。あるいは姉ならば何か新しい見解をもたらしてくれるかと思ったが、その表情を見る限りでは望み薄のようだ。
依姫はひとつ息を吐き、「とりあえず」と自分も桃をひとつかじる。
「今は餅つきの兎たちを調べています。何か知っている可能性は薄いでしょうが、後で兵士たちの方にも調べを入れる予定です。今は訓練を中止して待機させているところですが」
「……蓬莱の薬を持って、地上に逃げ出した?」
ぽつりと姉が呟いた言葉に、依姫は眉を寄せた。
「お姉様?」
「ふっとね、あの子のことを思いだしたのよ。昨日も話したでしょう。前のレイセン」
「ああ――しかし、それは今は関係ないでしょう」
昨日、豊姫と桃を食べながら、今のレイセン――あの侵入者騒ぎと前後した諸々のゴタゴタの中で、八意永琳からの手紙をこちらへ届け、そのまま玉兎兵入りした兎について話したのだ。その中で、かつて地上に逃げ出した、前のレイセンのことも少し話した。類い希な才能を持ちながら、訓練を嫌い、戦うことを忌避して、地上へと逃げ出した臆病な玉兎。
「昨日も言った通り、レイセンが地上に逃げてからはかなり時間が経っています」
「穢れに免疫のない、月生まれの玉兎が、穢れに満ちた地上に降りたら――そう長くは生きられない。依姫、あなたはそう言ったわよね」
「ええ。兎たちの間では、住吉三神の騒ぎの頃に、八意様にあのレイセンが協力しているなんて噂も流れていましたが――おそらくはもう、あのレイセンは生きてはいないでしょう」
「でも、もし――もしも、噂の通りに、まだあのレイセンが生きていたとしたら? そしてそのことを、かつてあの子の仲間だった玉兎が知っていたとしたら?」
「お姉様?」
姉の言いたいことが咄嗟に理解できず、依姫は眉を寄せる。
「ねえ豊姫、思いだして。私たちが昨日、桃を食べながらレイセンについて話したのは、あの子が依姫のところに報告に来たからでしょう? あの桃色の髪の――」
「――サキムニが? いや、まさか」
確かにそうだ。昨日のことを依姫は思い出す。訓練が終わり、姉とのんびり桃を食べていたところに、サキムニが点呼の報告に来たのだ。その姿に、豊姫がふと今のレイセンのことを口にしたのが、そもそものきっかけだった。
今のレイセンは、かつてのレイセンと同じく、サキムニとキュウ、シャッカの三人と同じ部屋で寝起きをしている。新米のレイセンの面倒をよく見ているのはサキムニとキュウだ。そして、かつてのレイセンのことを一番気にかけていたのも、サキムニだ。
「サキちゃんは、前のレイセンのことを随分と気にかけていたようだったわ」
「…………」
「兎は耳聡いわ。あの子が昨日、私たちの会話を、部屋の外から立ち聞きしていたとしたら?あの子たちは地上についてはほとんど知らないはずだわ。前のレイセンが地上に逃げたと聞いても、きっと月にいるのと同じように長生きしていると考えているんじゃないかしら。それが、昨日の依姫の言葉を聞いてしまったとしたら」
「まさか、そんな――」
依姫は呻く。あのサキムニが、蓬莱の薬を盗んで、地上に逃げ出した?
サキムニは戦闘能力は平凡だが、享楽的な玉兎の中では珍しい真面目な気質の持ち主で面倒見がよく、兎たちの間でも慕われていた。だから依姫も、戦闘能力とは別に、サキムニを玉兎兵のまとめ役に任じていた。今のレイセンの世話を任せたのもそのためだ。
そのサキムニがまさか――いや、サキムニだからこそ、か。
かつてのレイセンに対して、サキムニが本当に辛抱強く面倒を見ている姿は、依姫も幾度となく目にしていた。協調性が皆無に等しく、他の玉兎と群れようともしないレイセンを、どうにか玉兎兵たちの中に馴染ませようとしていた。結局はそれも空しく、レイセンは地上へと逃げ出してしまったわけだが。
そんなレイセンに対して、今更という気はする。しかし同時に、かつての仲間が死に瀕していると知ったとき、サキムニは――どう考えても、それを放っておける性格ではない。
「――サキムニを呼びます」
小型通信機を手に取り、依姫は玉兎兵の宿舎へ言葉を飛ばす。サキムニを呼び出す放送。いつものサキムニならすぐに駆けつけるはずだ。だが――もし、来なければ。
「不完全なものとはいえ、蓬莱の薬が地上にあるのは、望ましいことではないわね」
「全くです。またあんな侵入者を呼び寄せることになってはたまりません」
穢れに染まった地上人にとって、不老不死というものがどうしようもなく甘美な麻薬であることは、月人は重々承知している。月人が恐れるのは、それによって穢れに満ちた地上人がこの月の都を目指してくることなのだ。
地上人の技術、戦力は月の技術に比べれば恐れるに足りない。だが、彼らが月に持ち込んでくる穢れは、月人にとって最も忌まわしいものなのである。蓬莱の薬が地上に流出すれば、いつそれが月の都と繋がり、また余計な侵入者を呼び寄せるか解ったものではない。
「もちろん、そんなことはないのが一番ですが」
サキムニは、なかなか来ない。苛々と足を組み替える依姫に、豊姫は目を細める。
「もし本当に、サキちゃんが蓬莱の薬を持って地上に逃げたのだとしたら、どうするの?」
依姫はひとつ押し黙り、そして深く息を吐き出した。
「その時は仕方ありません。私の監督不行届ですから。――私が出ます。地上へ」
サキムニは、まだ来ない。
第7話「月下白刃」
1
ぼんやりと、冥界の空にも白い月が浮かんでいる。
夕食の片づけを終えてしまえば、もうすっかり辺りは夜だ。虫の声のない冥界の夜は静かで、上空から見下ろす二百由旬の庭も、今は風に僅かにざわめくばかり。
おぼろに冥界を照らす月明かりの下を、妖夢はゆっくりと飛んでいた。夜の見回りである。庭師の仕事は何も庭木の手入れだけではなく、賊の侵入など、敷地内に異変が起きていないか見回ることにもある。もっとも、白玉楼の客人はちゃんと玄関からやってくるし、幽霊以外が冥界にやって来ることは多くないから、基本的に異常が無いことを確認するだけの仕事だ。
そんなわけで、上空から庭を見下ろしながら、月の光に妖夢はぼんやり、物思いに耽る。最近、こうして考え込むことが本当に多くなった。考えるのはもっぱら、友達のことだ。
「鈴仙、風邪、治ったのかな」
忘れ物の傘を届けに永遠亭に向かい、そのまま風邪で伏せっていた鈴仙を見舞うことになったのは昨日のことだ。大したことない、と鈴仙は言っていたし、元気になってくれているといい、と妖夢は思う。
それから、月を見上げる。かつて主とともに忍び込んだ月は、今は遠く遠く、夜空の中にいびつな光として浮かんでいるばかりだ。
――もう一度、あの場所に行ってみたい、と妖夢は思う。
あのときはまだ、自分は何も知らなかった。そもそも、今のように鈴仙を意識することもなかったから当然なのだが――彼女の抱えているもの、その陰を知っていれば、月に忍び込んだあのときに、それについて知ることもできたはずだった。
もちろん、今更言っても詮無い話である。月に忍び込んだのも、八雲紫の差し金であったので、主に月に行きたいと言ったところでどうにもならないし、八雲紫が妖夢の願いを聞いてくれるはずもない。
いや、そもそも、そうやってずかずかと、彼女の傷痕に土足で踏み込んでもいいのだろうか。
知りたい、触れたいと思いながら、どうしてもその踏ん切りが未だにつかずにいるのだ。
「……はあ」
思考は同じところをぐるぐると回るばかりで、答えは出ない。
気がつくと、見回りのルートも半分以上を過ぎていた。今日も異常なし。残りを見回ったら、さっぱり進んでいない原稿の続きをどうにかしないと――そう考えながら、妖夢は月から視線を外して、庭を見下ろし、
――遠くに、こちらに向かって飛んでくる影を捉えた。
「!」
咄嗟に、楼観剣に手を掛ける。こんな時間に来客? いや、そんな話は主から聞いていない。とすれば、侵入者か。影は白玉楼に向かって飛んでくる。妖夢は警戒心を強めながら、楼観剣を抜きはなってそちらへ飛んだ。
風が吹く。雲が流れ、月がその陰に姿を隠した。すっと視界が暗くなり、近付く陰の人相も判然としなくなる。
「誰だ!」
妖夢は鋭くそう誰何して、楼観剣の刃を振りかざした。
――次の瞬間、視界を過ぎったのは、四つの赤い輝き。
その光に一瞬、妖夢は身を強ばらせて息を飲み、
「よっ――妖夢、待って、私っ」
だが続いて耳に届いたのは、聞き覚えのある声だった。
「……鈴仙?」
月が再び姿を現す。月光の下、妖夢の振りかざした楼観剣に怯えたように身を竦めて、その傍らにもう一匹の兎を抱きかかえるような姿勢で――鈴仙・優曇華院・イナバはそこにいた。
「ごっ、ごめん――」
慌てて妖夢は楼観剣を鞘に仕舞う。間違っても鈴仙は剣呑な侵入者などではない。
息をついて顔を上げると、不意に剣呑な視線を感じた。見やれば、鈴仙に抱きかかえられるような姿勢でしがみついているもう一匹の兎――鈴仙と同じ服を着た、桃色の髪の少女が、怪訝そうな表情でこちらを見つめていた。鈴仙と同じ、赤い瞳で。
――鈴仙の仲間?
「ど、どうしたの? こんな時間に」
その視線に居心地の悪さを感じながら、妖夢は鈴仙に向き直る。鈴仙は傍らの兎と視線を交わして、一度頷くと、真剣な表情で妖夢を見つめた。
「ごめん、妖夢。――匿ってほしいの」
「へ?」
全く予想だにしない言葉に、妖夢はただ目を白黒させた。
◇
「あらあら、こんな時間にどなた様?」
鈴仙ともう一匹の兎を連れて白玉楼に戻ると、出迎えたのは幽々子だった。妖夢の背後から姿を現した二匹の兎に、幽々子は扇子に口元を隠しながら目を細める。
えっ、と小さく声をあげたのは、鈴仙の連れの兎だった。鈴仙と妖夢が振り返ると、彼女は困惑した顔で首を振り、それきり顔を伏せる。
「永遠亭の兎さんじゃない。友達を訪ねるにはちょっと遅い時間じゃないかしら?」
「こ、こんばんは……すみません、その」
どうして鈴仙がここにいるのか、連れの兎は何者なのか、妖夢もまだ詳しいことを聞いていないので、主に見つめられても何とも答えようが無かった。鈴仙も鈴仙で、どう説明したものか、という顔で傍らの兎の方をちらちらと見やっている。
幽々子はひとつ鼻を鳴らして、扇子を閉じる。
「美味しい兎肉の差し入れなら大歓迎だけれど」
満面の笑みで幽々子が言い放った言葉に、桃色の髪の兎がびくりと身を竦めた。慌てて鈴仙が、庇うように兎の少女の前に立つ。
そんな姿を、妖夢はただおろおろと見つめるしかない。
「冗談よ~。何か事情がありそうだし、とりあえずお上がりなさいな。妖夢のお友達さん」
ふっと相好を崩して、幽々子は促すようにくるりと背を向けた。鈴仙はきょとんと目を見開いて、背後の兎と妖夢を交互に見つめる。妖夢としてはただ頷くほかない。とりあえず、幽々子は鈴仙たちを客人と見なしてくれたようだ。
「……レイセン」
「大丈夫だよ、サキ。悪いひとたちじゃないから」
不安げに鈴仙を見やった兎の少女に、鈴仙は笑ってそう答える。サキ、というのは桃色の髪の兎の名前であるらしい。その響きに親しげなものを感じて、妖夢は目を細める。
――月で幽々子が話しかけた兎たちの中に、彼女はいただろうか。
ともかく、兎の少女は鈴仙にとって、かなり親しい相手であることは確かなようだった。
それはつまり――彼女がおそらく、自分の知らない、鈴仙の過去を知る少女だということ。
「と、とりあえずふたりとも、上がって」
靴を脱いで玄関に上がり、妖夢はふたりを促す。鈴仙が先に立ち、サキと呼ばれた少女もおずおずと後に続いた。が、段差を上がろうとしたところでサキは顔をしかめてうずくまる。少女は包帯の巻かれた左足を押さえていた。怪我をしているのか、少々顔色も悪い。
「サキ」
鈴仙が心配そうにかがみこんで、サキに肩を貸す。左足を引きずりながら玄関に上がったサキは、まだ警戒心の抜けきらない表情でこちらを一度見やると、それきり顔を伏せた。
彼女は何者なのか。なぜこんな時間に、鈴仙とともに現れるのか。匿ってほしい、という鈴仙の言葉の意味。疑問ばかりが渦巻いて、妖夢は鈴仙を見やる。視線に気付いたか、鈴仙は困ったように首を傾げた。
「……えと、こっち」
しかし、今はともかく客間に案内して落ち着かせる方が先決だった。聞きたいことは山ほどあったが、ぐっと飲みこんで妖夢は先に立って歩き出す。背後から、ふたりぶんの足跡が無言で追いかけてくるのを、妖夢はもどかしさを抱えながら聞いていた。
「腫れは引いてきてるから、しっかり固定しないと」
幽々子に命じられて淹れたお茶を持って客間に戻ると、鈴仙がサキの足に包帯をまき直していた。幽々子は座布団に腰を下ろして、その様子を見守っている。
湯飲みのひとつを幽々子に差し出し、残り三つは座卓に置いて、妖夢は幽々子の傍らに腰を下ろした。包帯を巻き終えたか、鈴仙はひとつ息を吐く。サキはまだ不安げな様子で、こちらの様子を横目にちらちらと伺っていた。
「さて、とりあえずどういう事情なのか、お話を聞かせてもらおうかしら~?」
ずず、とお茶を啜って、幽々子がそう切り出した。鈴仙は、サキと視線で何かコンタクトを交わすと、こちらに正座して向き直る。
「ええと……夜分に、本当にすみません。ご迷惑とは承知していますが――その、彼女、サキムニは、私の昔の仲間で……遠くから、私に会いに来たんです」
「遠くって、月の都のことかしら?」
首を傾げた幽々子の言葉に、鈴仙は目を見開く。サキ――サキムニの方は、困惑した表情で幽々子の方を見つめていた。
ああ、と妖夢は納得する。やはり、彼女はあのとき、月の都にいたのだ。だから最初に、幽々子の顔を見たとき声をあげたのだろう。
「そっちの兎さん――サキちゃんだったわね。お久しぶり。キュウちゃんやシャッカちゃんは元気かしら?」
「さ、サキ? え、な、なんで?」
幽々子の言葉に、鈴仙はパニックを起こした様子で幽々子とサキムニを交互に見やる。幽々子は扇子に口元を隠して、悠然と微笑んだ。
「まあ、色々あってそこのサキちゃんとはちょっとした知り合いなのよ~」
「……そ、そうなの?」
鈴仙に問われ、サキムニは困惑顔のまま頷いた。
「似た格好だと思ったけど、そう、貴方たちもお友達だったのね~。……でも、お友達がせっかく会いに来たのに、どうしてわざわざこんな冥界くんだりまで来たのかしら? しかも怪我までしてるのに」
怪我をしているなら、鈴仙の暮らしている永遠亭に行けば八意永琳の診察が受けられるだろう。そうでなくとも、あの広い永遠亭だ、鈴仙の友人を泊める場所ぐらいいくらでもありそうだが――匿って、と鈴仙は言った。
「……ええと、それはうちの、永遠亭の事情がありまして」
「言いにくいこと?」
「――――」
鈴仙は沈黙する。幽々子はひとつ鼻を鳴らした。
「永遠亭の主は、月の民に見つかりたくない――そんなところかしら?」
はっと鈴仙が顔を上げる。その表情は、図星を突かれたことを雄弁に物語っていた。
そんな鈴仙の反応に、幽々子はただ静かに目を細める。
「妖夢。空き部屋に布団を敷いてあげて」
「はっ、はい」
唐突に主に声を掛けられ、慌てて妖夢は立ち上がった。それからかけられた言葉の意味を咀嚼して、妖夢は幽々子と鈴仙の顔を見比べる。
幽々子はまた扇子に口元を隠したまま、底の知れない笑みを浮かべる。
「死なない人間は私の天敵。敵の敵は味方――ということよ」
その言葉に、鈴仙はひどく複雑な表情を浮かべて、隣のサキムニと顔を見合わせた。
2
白玉楼で普段、布団を敷いて眠るのは幽々子と妖夢ぐらいだが、来客や宴会に備えて布団は多めに用意されているし、広い屋敷の中には空き部屋も多い。そのうちの一室に、押入から布団を二組取り出して、妖夢は畳の上に敷く。
「とりあえず、今はここで休んで。鈴仙も、そっちの子も」
「うん……ありがとう、妖夢」
妖夢が立ち上がると、鈴仙は傍らのサキムニと頷き合う。包帯の巻かれた左足を庇うようにしながら、サキムニは奥の布団の上に腰を下ろした。
――そういえば、サキムニはここに来てから、ほとんど口をきいていない。鈴仙の方も随分と口数は少なく、サキムニとの間にも、どこかぎくしゃくとした雰囲気が滲んでいる。
「ごめんね……こんな、急に、迷惑かけて」
「う、ううん、私は別に――なんだか色々事情がありそうだし、その、気にしないで」
首を振りながら鈴仙にかける言葉も、なんだかいつもよりぎこちなくなってしまう。
居心地の悪さを覚えながら、妖夢は横目にサキムニを見やった。包帯の巻かれた左足を気にするような仕草を見せながら、布団の上でサキムニは俯いている。
「あ、ええと――そうだ、紹介してなかったよね、うん」
と、不意に鈴仙が場違いに明るい声を上げて、無理矢理その顔に笑みを浮かべた。
「ええと、妖夢。この子は私の、月にいた頃の仲間の、サキムニ……ってそれはさっきも言ったっけ、たはは」
わざとらしく苦笑する鈴仙。と、サキムニが不意にその顔を上げ、妖夢と視線が交錯した。
「えと、で、サキ。……こっちは、ええと」
「――貴女は、レイセンの何?」
鈴仙の言葉を遮るように、サキムニがそう口を開いた。
その赤い瞳が真っ直ぐにこちらを見据えて、妖夢はごくりと唾を飲む。
以前に鈴仙と眼を合わせてしまったときのように、視界が歪んだりはしなかった。
けれど、その瞳に宿った強い意志の色に、妖夢は微かにたじろぐ。
「わ、私は……魂魄妖夢」
いや、と妖夢は心の中だけで首を振った。落ち着け、そして向き合え、魂魄妖夢。
目の前にいるのは、鈴仙のかつての仲間。……鈴仙の過去を知る、鈴仙の友達だ。
今がどういう状況なのか、まだ妖夢には判断がつかない。が、サキムニが鈴仙の味方であるならば、とりあえず今のところ、彼女は自分の敵ではない。――そのはずだ。
「ここは冥界の白玉楼。私はこの屋敷の庭師で――鈴仙の、」
言いかけた言葉は、しかし次の瞬間、襖の開かれる音に遮られた。
「あらあら、お邪魔しちゃったかしら?」
襖の向こうから姿を現したのは幽々子だった。桃の入った籠を手に、幽々子は悠然と首を傾げる。部屋の空気かどこか緩み、妖夢は思わず息を吐いた。
「サキちゃん、お腹空いてないかしら~?」
幽々子は脳天気な声でそう言うと、鈴仙とサキムニの方に歩み寄り、桃の入った籠を差し出す。サキムニは不思議そうな顔で、差し出された桃を見下ろしていた。――確かあれは、天界の桃だ。
「地上の食べ物は苦手じゃないかと思って」
はっとサキムニが顔を上げる。幽々子はどこまでも、いつも通りの微笑を崩さない。
「天界の桃だから、身体にいいわよ。ほら、そちらもどうぞ」
「あ……はい」
幽々子から桃を渡されて、サキムニはそれと鈴仙の顔を交互に見比べた。それからおそるおそるという様子で、桃にかぶりつく。しゃく、しゃく、と咀嚼し、その喉が音をたてて桃を飲み下して――その瞬間。
「……あれ?」
サキムニは、食べかけの桃を手にしたまま、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「サキ……」
鈴仙がそちらに寄り添い、サキムニの肩に手を伸ばす。それを見計らったように、幽々子は立ち上がった。妖夢が見上げると、幽々子はついてくるよう目くばせをする。慌てて立ち上がり、妖夢は一度だけ鈴仙の方を見やって、襖を開けてその部屋を辞した。
襖を閉ざす瞬間、サキムニの声が微かに聞こえた気がした。
◇
白皙の月が照らす庭に、幽々子は降り立っていた。
妖夢がその傍らに追いつくと、幽々子は静かに扇子で月を指す。見上げれば遥か遠い月。あんな空の高みから、サキムニは幻想郷にやって来たのか。――しかし、何のために?
「……あの、幽々子様。私にはいったい、どういう状況なのか、さっぱり」
幽々子が何も言わないので、妖夢はおずおずと自分からそう切り出した。
鈴仙と、月から来た昔の仲間。それが、匿って欲しいと白玉楼にやって来た。月と、永遠亭と、鈴仙と、サキムニ。どんな因果で今こんな状況ができあがっているのか、妖夢の目には到底、見通すことは叶わない。
「――そうね。妖夢のお友達のことだし、とりあえず私に解ることは教えてあげるわ」
と、幽々子はくるりとこちらに振り向き、口元をその扇子で覆い隠した。
いつもは自分が訊ねても、解るような解らないような言葉でしか答えてくれない幽々子が、「教えてあげる」なんて言葉を口にしたことに、妖夢は目をしばたたかせる。
「月の都で、兎から色々、月人について噂を聞いたわ。それによると、だいぶ昔に禁忌の薬を飲んで地上に追放されたお姫様がいたそうよ。そしてそのお姫様を迎えに行った使者のひとりが、お姫様を連れて逃げ出したそうなの。あのお屋敷の主は、地上を見張りながら罪人であるそのふたりを探しているんだそうよ。そしてサキちゃんたちは、その護衛をする兵隊」
「――それって、まさか」
「十中八九、八意永琳と蓬莱山輝夜のことでしょうね」
月の都で見た光景を思い出す。兎たちは変わった形の武器を持って、戦闘訓練のようなことをしていた。もっともその実力のほどは、妖夢の目から見ても推して知るべしという雰囲気だったが――その訓練は、犯罪者の追跡のためだったのか。
「では……彼女は永遠亭のふたりを捕らえに?」
妖夢がそう口にすると、幽々子は苦笑して首を横に振った。
「捕らえに来るなら、あの姉妹が先頭に立って来るでしょう。兎一匹程度では、あの蓬莱人の前では無力だわ」
「……確かに」
「では、どうしてサキちゃんは単身で地上に現れたのか。――これはサキちゃんから直接聞いた話。サキちゃんの仲間が一匹、地上に逃げ出して行方知れずになっているんですって。お姫様たちよりももっとずっと最近の出来事だそうだけど」
はっと妖夢は目を見開いた。月を見上げる鈴仙の横顔に浮かぶ憂いの正体が、急に目の前に現れたような気がした。
「じゃあ、それが――」
「罪人がふたりと、脱走兵が一匹。そこへ、本来罪人を追う立場の兵隊が一匹やって来た。一匹の力では、罪人ふたりは捕まえられない。――それなら、兵隊さんの目的は何かしら?」
幽々子の言葉を、妖夢は頭の中で反芻する。
そして――すっと、背筋が冷えるのを感じて、小さく身震いした。
「……鈴仙を、月に連れ戻す……」
「もちろん、これは状況からの推察でしかないけれどね」
屋敷の方を妖夢は振り返った。鈴仙とサキムニ、ふたりの部屋はここからは見えない。
――鈴仙が、月へ帰る? 幻想郷から……いなくなる?
知らず、手が震えていた。得体の知れないその震えを押さえ込もうとするように、妖夢は強く両手を握りしめる。
「あ、あの。けれど、それならどうして鈴仙は、彼女を連れてここに?」
サキムニが地上にいる理由は理解できた。だが、それならどうして、鈴仙がサキムニを連れて白玉楼に来るのだ。サキムニが鈴仙を連れて月へ向かうならともかく――。
「もう少し自分で考えなさいな、妖夢」
幽々子が眉を寄せて言い、う、と妖夢はたじろぐ。幽々子はそれ以上は教えてくれそうになかった。仕方なく、妖夢は頭の中で状況を整理する。
サキムニは月の兵隊、鈴仙は月からの脱走兵。八意永琳と蓬莱山輝夜は、月の兵隊が追う罪人。サキムニは脱走兵の鈴仙を連れ戻しに地上に来た。しかしサキムニひとりでは永琳と輝夜には敵わない。そして鈴仙は、今は永遠亭――永琳と輝夜の庇護下にある。
「……永遠亭のふたりには、鈴仙を月に帰すつもりがない?」
「そういうことでしょうね~」
永琳と輝夜。あのふたりが月からの逃亡者であるならば、自分たちの居所を知っている鈴仙を月に帰しては面倒なことになる、ということか。しかし――だとすれば。
「じゃあ……鈴仙は、今」
妖夢の言葉に、幽々子は答えない。が、その沈黙は肯定を意味していた。
――鈴仙は今、自分の師匠である永琳、主である輝夜から逃げているのだ。
それはおそらく――かつての仲間を、サキムニを守るために。
3
天界のものだという桃は、月で食べていた桃とよく似た味がした。
ただ、それが美味しいのかどうか、今の鈴仙にはよく解らない。別の思考がぐるぐると頭の中を回り続けて、それどころではないのだ。
『このまま、地上に居たら――レイセンが、死んじゃうから』
ここに逃げてくる途中で、サキムニの言った言葉が、頭の中で反響する。
その意味を、鈴仙はまだ掴みかねていた。
いや――何となくは解る。月の都は穢れを忌み嫌った場所で、この地上は穢れに満ちている。穢れとはつまり生き死にの理のこと。地上に暮らす生き物は、生まれ、他者の命を奪って生き、やがて死ぬ。それが地上の摂理だ。
地上に暮らす自分も、今は確かにその摂理の中に生きている。だとすれば、自分もいずれ死ぬのかもしれない。この地上に満ちた穢れによって。
だが――それは、まだずっと先のことではないのだろうか。
少なくとも、今の鈴仙は、自分の死が間近に迫っているなどという実感は無い。
それなのに、サキムニの言葉はひどく切羽詰まっていて――まるで今すぐにでも、自分が死んでしまうと言わんばかりだった。
いや、今すぐではなくとも、近い将来なのか? 数年後とか十数年後とか――。
解らない。自分の寿命なんて、解るはずもない。
小さく息を吐きだして、鈴仙はサキムニの方を見やる。
桃を口にして、どうしてか泣き出したサキムニは、落ち着いてからは無心に桃を頬張っている。おそらく地上に降りてから、ほとんど何も食べていないのだろう。気持ちは解る気がした。月で桃ばかり食べてきた身では、地上の食べ物はまず食べ物と認識するのも難しいだろう。地上に逃げ出した頃、それに慣れるのに苦労したのを鈴仙は思いだした。
籠に入っていた桃は、もう残りひとつになっていた。サキムニがそれに手を伸ばそうとして、はっとこちらを振り返る。何とも言い難い沈黙が、ふたりの間に落ちた。
「レイセン……食べる?」
「ううん。サキ、お腹空いてるでしょ? 食べていいよ」
鈴仙が笑って言うと、サキムニは不意に目を細めて、泣き出しそうな顔をした。
最後のひとつの桃を手にとって、それを見下ろしながら、サキムニは呟くように口を開く。
「……変わったね、レイセン」
その声音がどこか寂しそうで、はっと鈴仙は目を見開いた。
顔を上げたサキムニは、どこか遠くを見るように苦笑する。
「当たり前か。……あれからもう、随分経ったもんね。レイセンだって変わるよね。……いつまでも、私の知ってるレイセンじゃないんだよね」
「サキ……」
「ごめん、なんでもない」
首を振って、サキムニはそれから、手にしていた桃に力をこめて、半分に割った。
溢れてきた汁をこぼさないようにしながら、割った半分を、サキムニはこちらに差し出す。
「はい、レイセン。……はんぶんこ」
――それはまるで、月の都にいた頃のようだった。
もちろんここは綿月邸の庭ではなく、白玉楼の一室なのだけれど。
一瞬だけ、そこにあの頃のように、キュウとシャッカもいるような気がして――。
「……うん」
差し出された桃の半分を受け取って、鈴仙はかぶりつく。
じわりと口の中に広がる甘味が、どこか懐かしい気がして、ふと泣きたくなった。
◇
桃を食べ終わってしまうと、また部屋の中には気まずい沈黙が落ちた。
聞かなければいけないこと、話さなければいけないことはたくさんあるはずだった。どうしてサキムニがここに来たのか。あの言葉の意味。藤原妹紅に追われていた理由。知りたいことはいくらでもあったし、――自分が話さなければいけないことも、たぶんたくさんある。
月から逃げ出した理由、地上に降りてからの暮らし。数年前、月に戻らないかという伝言を無視した理由。……だけど、それを話すということは、永琳と輝夜のことも話さなければいけない。
どうすればいいのだろう。何から話せば、何から問えばいいのだろう?
視線で伺うと、サキムニも顔を伏せて、何か考え込んでいる様子だった。
――このまま、自分だけ永遠亭に戻って、いつも通りの日常に帰れないだろうか。
ふっとそんな思考が頭をよぎって、鈴仙は一瞬後、自己嫌悪に頭を抱えた。
そんなこと、できるはずがない。ただでさえ既に妖夢と幽々子に迷惑をかけている上に、サキムニがここに来てしまったことが消えるわけもなく。――だいいち、あのとき輝夜にサキムニの姿を見られている。サキムニの素性について、輝夜が気付いているかどうかは解らないが――輝夜から話が回れば、永琳は間違いなく気付くだろう。
いや、そんな理屈をつけずとも、今ここで永遠亭に帰りたいという思考そのものが、単なる逃避願望に過ぎないのだ。……自分はいつだって、そうやって逃げてきたのだから。
「師匠……」
呟き、鈴仙は膝に顔を埋める。――永琳はどうするだろう? サキムニのことを知ったら、永琳は。……自分はおそらく、月へ帰してはもらえない。あのときだってそうだったから。
では、サキムニは? 師匠は、サキムニを月へ帰してくれるだろうか?
――自分は、サキムニにこのまま帰ってほしいのか?
「レイセン」
名前を呼ばれ、はっと鈴仙は顔を上げる。いつの間にか、サキムニが目の前にいた。こちらの顔を覗きこむようにして、笑っているような、泣き出しそうな、曖昧な顔で目を細める。
その視線から、咄嗟に鈴仙は目を逸らしてしまった。
――自分はもう、そんな風に、サキムニに笑いかけてもらえる存在じゃないのに。
「あのね、レイセン。誤解しないで。……私は、レイセンが月からいなくなったことを、怒ってるわけじゃないの」
「……え?」
思わず、逸らした視線をサキムニに戻した。サキムニは微笑んで、訥々と言葉を続る。
「そりゃ、あのときは驚いたし、悲しかったけど……でも、仕方ないかな、って思った。それがレイセンが選んで決めたことなら。……地上でレイセンが、戦うことなんかなく幸せに暮らしてるなら、それでいいんじゃないかって……そう思ってた。だから、私は怒ってないの」
「サキ――」
そんな、……今更、そんなことを言われても、困る。
逃げ出してきた。みんなを見捨てて、ひとりで戦う前から逃げ出してきた。自分はただの臆病者だ。――立派な決断なんかじゃ、ない。自分は、ただみんなを、サキムニを裏切った、それだけなのに。
「……だけど、レイセン。やっぱり、地上は駄目。……レイセンが死んじゃうなんて、嫌だから。だから、月に帰ろう。ね?」
鈴仙の手を掴んで、サキムニはそう言いつのる。
月に帰る。故郷へ戻る。……また、今の暮らしから逃げ出すのか? 何から逃げる? 何のために逃げる? どこへ逃げ続ける?
「サキ。死んじゃうって……どういう意味?」
答えのでない思考を振り払って、鈴仙はそれを訊ねる。
サキムニは目を細めて、それから視線を落とし、静かに口を開いた。
「……依姫様が、豊姫様と話してるのを聞いたの。……月の都には穢れがないけど、この地上は穢れに満ちている。私たち玉兎は月生まれだから、地上の穢れに免疫がない。だから、地上に逃げた玉兎は、長くは生きられないだろう、って――」
「――長く、って」
それは、どれほどの長さだというのだろう。自分が地上に来てから、具体的にどれだけの年数が過ぎているのかははっきりしないけれど、てゐに言わせれば地上の暦で確か数十年だ。無限に近い寿命を持つ月人にとっては、数十年なんてあっという間だろうが――。
「……依姫様は、たぶんレイセンはもう生きていないだろうって、そう言ってた」
「――――――」
だが現実として、自分は生きている。地上の穢れの中でも数十年、とりあえず今のところは死にかけているということはない。ならばそれは依姫の誤解か?
「だ、大丈夫だよ、サキ。現に私、今こうして元気で――地上に来てもう結構経つけど、全然」
不意に、言葉が途切れた。電流のように、ひとつの思考が頭の中を通り過ぎる。
――数十年? いや、違う。
ひとつの事実に思い至って、鈴仙は愕然と目を見開いた。
自分はまだ、地上の穢れに染まりはじめて数年しか経っていない。
「レイセン?」
「ま……待って、ちょっと待って、サキ」
混乱する思考の中、鈴仙は首を振って、指折り数える。永遠亭が外と交流を持つようになって何年経った? まだ確か、四、五年かそこらだ。――それ以前の永遠亭は、輝夜の術で歴史が止まっていた。地上の穢れから隔離されていたのだ。
あのとき――永琳と輝夜が満月を隠したとき、永遠亭は外の人間に見つかり、輝夜の術は解け、歴史が流れ始めるようになった。永琳と輝夜が月から逃げている罪人であるのを知ったのもそのときだ。
永琳と輝夜が満月を隠したのは、自分に対して月から帰還を促す連絡があったからだ。皆が許してくれるなら、帰ってもいいのかもしれないとそのときの自分は思った。けれど永琳は帰ることを許してくれなかった。だから自分は今も永遠亭にいる。
結局、てゐが月の使者を寄せ付けないようにしてくれているおかげで、永遠亭は姿を隠す必要が無くなり、今は普通に外と交流を持っている。それによって輝夜の術も解け、ものが壊れたりするようになって、はじめは戸惑ったのを覚えている。高価な壷を前の調子で運んでいたら落として壊してしまい、永琳にお仕置きされたりだとか――。
それが穢れだ。ものは壊れる。食べ物は腐る。……生き物は死ぬ。その摂理が穢れだ。
「私、は……」
依姫が、レイセンはもう生きていないだろうと言った。もしそれが事実だとすれば、地上に降りた玉兎の寿命は数十年しか保たないのか。自分がまだ生きているのは、逃げ込んだ先が歴史の止まった永遠亭だったからという、本来あり得ない幸運の賜物でしかないのか?
自分の両手を見下ろした。手が震えていた。その手を、サキムニが握りしめる。握り返すこともできず、鈴仙は得体の知れない寒気に震えていた。
永遠に生きる、永琳と輝夜。月生まれの自分よりも長生きをしているというてゐ。そんな面々に囲まれて暮らしてきたから、地上の穢れの影響なんてほとんど考えたこともなかった。月で自分が死ぬことを考える者がいないように、自分が生きているという事実は、数年後も数十年後も当たり前に続いていくものだと、何の疑いもなく信じていた。
足元が、がらがらと崩れていく気がした。身体の震えが止まらない。
「レイセン……!」
サキムニの両手が、ぎゅっと背中に回される。
懐かしい温もりをすぐ近くに感じても、鈴仙の震えは収まらなかった。
思考は止まらない。これ以上何も考えたくないのに、頭はさらに、記憶の中からいくつかの符合を引き出していく。
――同じ格好で同じことをしても、てゐは元気で、自分は風邪をひいた。
――永遠亭の中で、自分だけがよく寝込んだ。それも、穢れのせいか?
――そういえば、永琳の定期検診。あれが始まったのは、永遠亭が開かれてからだ。
――師匠は知っていたのか? 永遠亭に入り込んだ穢れが、自分の身体に影響を与えていることを。あの定期検診はその確認のためか? ……知っていて、黙っていたのか?
嫌だ。考えたくない。これ以上考えたくない――。
「サキ……!」
再会してから初めて、鈴仙はサキムニの背中に腕を回した。
懐かしい温もり。月にいた頃にそばにあった彼女の匂い。
ごめんなさい、というサキムニの囁き声が聞こえた。
それに答えることもできず、鈴仙はただ、そのまま震えていた。
4
まだ自分の力を理解していなかった幼い頃のことを、ふと輝夜は思い出す。
あの頃――まだ月で暮らしていた頃、輝夜の目に、世界は途切れ途切れに見えていた。いや、連続した世界と、断片化された世界が同時に見えていた――という方が正しい。右目に見える世界は動き続けていて、左目に見える世界は静止しきっている。そのような世界の見え方を、輝夜は当たり前のものだと思っていた。
それが特殊なものだと教えてくれたのは、当時、自分の教育係であった永琳だ。輝夜の見ている世界の姿を聞いたとき、永琳の見せた驚愕の表情は忘れられない。無限の知識と洞察で、何事に対しても冷静な永琳が、あれほど我を失った表情を見せたのは、思い返してもあれがただ一度きりのことだった。
輝夜の見ている静止した世界は須臾である、と永琳は語った。須臾とは認識できないほどの一瞬であり、時間は須臾が無限に積み重なってできている。時間が連続して見えるのは、須臾を認識できないからだ、という。それを聞いて、輝夜は須臾を理解した。理解した瞬間、須臾は輝夜のものとなった。あらゆる須臾を輝夜は認識し、とりだすことができるようになった。
乱暴に言ってしまえば、時間とは無限のフレームによって作られたフィルムであり、輝夜はそのフィルムの一フレームを取り出すことができる、ということだ。その一フレームは限りなくゼロに近い時間の断片であり、そこでは全てが限りなく静止に近い。それは即ち、永遠に近似している。
――その須臾を操る力を用いて、永琳はその薬を作り上げた。
蓬莱山輝夜が地上に落とされた理由。八意永琳が月を捨て輝夜に従う理由。そして輝夜が藤原妹紅と殺し合い続ける理由。
すなわち、完全なる蓬莱の薬。
「――いいえ、私たちが地上に残したもの以外に、それがあるはずがないわ」
妹紅との殺し合いを切り上げ、永遠亭に戻った輝夜は、妹紅から聞かされたことをありのままに永琳に伝えた。鈴仙が妹紅の家に担ぎ込んできたイナバ。それが持っていた蓬莱の薬。
黙して輝夜の話はを聞いていた永琳は、ゆっくりと首を横に振る。
「完全な蓬莱の薬は、私の知識と、輝夜、貴女の力が無ければ作り得ない」
「そうよねえ」
頷いた輝夜に、不意に永琳はどこか痛ましげな表情を向けた。
だがそれは一瞬で、輝夜が気付いたときにはもう、永琳の顔に浮かんでいるのは感情の失せた無表情だった。
「私たちが地上に残した蓬莱の薬は、藤原妹紅が処分したのでしょう?」
「もこたんはそう言ってるわね」
「あのとき私が作った薬は、全て地上に残してきた。……その兎が持っていた薬は、おそらく不完全な蓬莱の薬でしょう。その製法は私が月に残してきたから、今も月で作られているとしても不思議はないわ」
お茶を啜ろうとして、永琳の手が空を切った。何も掴まない手を見下ろして、永琳はその眉間に皺を寄せる。お茶はない。淹れてくれる者がいないからだ。
――鈴仙は、夕食後に出掛けたまま、永遠亭に戻ってきていない。
「その兎は、鈴仙と同じ格好をしていたのね?」
「ええ」
「とすると――おそらくは、月の使者の護衛」
「逃がしちゃったのはまずかったかしら。見覚えのないイナバだとは思ったんだけど」
「いえ、輝夜が気にすることではないわ」
何事か考え込んでいる様子の永琳の横顔を、輝夜は目を細めて見つめる。
――ときどき、輝夜は不思議に思うのだ。
永琳はなぜ、自分に従っているのか、ということについて。
八意永琳は月の賢者であり、輝夜よりも遥かに永い時間を生き、本当は輝夜よりもよっぽど強い力を持っている。輝夜の須臾を操る力を使って、完全な蓬莱の薬を作ってみせたことが、その何よりの証だ。須臾を操る力は輝夜のものであり、永琳のものではない。だが永琳はその力を輝夜と同じように――あるいは輝夜以上に理解している。そうでなければ、他人の力を用いて薬を作るなどということが為し得るはずはない。
そんな永琳が、輝夜に従う理由。月にいた幼い頃は疑問に思いもしなかったが、この逃亡生活を始めてから、それは輝夜がずっと疑問に思っていたことだ。
完全な蓬莱の薬を飲んだことで、輝夜だけが罰され地上へ落とされたことへの罪悪感? それはあるかもしれない。だがそれは輝夜が請うたことであり、輝夜自身は実際に地上での暮らしを気に入っているから、罪悪感など覚えてほしくないし――その程度の理由で八意永琳ともあろう者が、月の使者を皆殺しにしてまで自分と逃亡したのだとは思えないのだ。
『――逃げましょう、輝夜様』
あのとき、輝夜は月の羽衣を被せられ、感情を失っていたから、その瞬間の記憶はひどく曖昧だ。ただおぼろに、永琳の放つ矢が月の使者たちの頭蓋を、心臓を、冷酷なまでに正確無比に射抜いていった光景が、色褪せたフィルムのように不鮮明に脳裏に焼き付いている。
月人とて不死ではない。穢れに満ちた地上で致命傷を負えば、もはや人と変わらない。
墜ちていく月の使者たちの死体を見下ろして、それから永琳は輝夜の羽衣を外すと、こちらへ手を差し伸べたのだ。一瞬前に仲間であったはずの使者たちを皆殺しにしたとは思えないほどに優しく、微笑んで。
『このまま月に帰っても、月に輝夜様の居場所は、元の暮らしはありません。――私と、この地上で生きましょう、輝夜様』
『――永琳』
そう言って、永琳は手にしていた蓬莱の薬を一口、輝夜の目の前で飲んだのだ。何の躊躇もなく。輝夜があっと思ったときには、永琳は既に――永遠の命を手にしていた。
『これで私も、永遠の罪人です。――私は永遠に、貴女を護ります』
「輝夜」
追憶に現在の声が割り込んで、輝夜は顔を上げた。永琳が立ち上がっていた。
「私は、鈴仙とその兎を探しに行くわ。不完全なものであっても、蓬莱の薬を持っているなら、放っておくわけにもいかない」
「どこに行ったか解るの?」
「見当はつくわ。――輝夜は待っていて。すぐに戻るから」
「……ええ」
それだけ言い残し、永琳は足早に部屋を出て行く。その姿を見送って、輝夜は息を吐いた。
――その兎と蓬莱の薬を見つけたら、永琳はどうするのだろう。
今は前ほど気にしていないとはいえ、自分たちが未だ逃亡者であることに変わりはない。鈴仙と一緒にいたあのイナバ――永琳の言うように月の使者の護衛であるならば、そのイナバをこのまま帰してしまえば、月の使者に自分たちの居所が知られてしまう。
そして永琳は――輝夜と鈴仙を天秤にかければ、一瞬も迷わず輝夜を選ぶ。
「てゐ、いる?」
「あいよっと」
輝夜が呼びかけると、まるで呼ばれることがあらかじめ解っていたかのように、因幡てゐはその場に姿を現した。――永琳もそうだが、このイナバも底が知れない、と輝夜は思う。
「永琳に、ついていってあげて」
その一言で、てゐは輝夜の言いたいことを全て理解したようだった。
「合点承知。行くよ」
隣にいたイナバの一匹を頭に乗せて、てゐは永琳の後を追って走りだす。
縁側に出てそれを見送り、輝夜は雲間にぼんやりと浮かんだ月を見上げた。
――自分たちは結局、いったい何から逃げ続けているのだろう。
月に問いかけても、答えがあるはずもなかった。
◇
我が家へ戻ると、玄関前で慧音が険しい顔でこちらを見つめていた。
「妹紅!」
肩から溢れた血に気付いたか、次の瞬間慧音は血相を変えて駆け寄ってくる。「大丈夫、かすり傷だからすぐ治る」と妹紅が手を振っても、構わず慧音はポケットから取り出した白いハンカチで血をぬぐい始めた。
「またやったのか。ほら、手当てをするからこっちに来るんだ」
「大丈夫だって、寝れば治ってる」
「だから――そう自分の身体をぞんざいに扱わないでくれ、妹紅」
悲しげに慧音にそう言われてしまうと、妹紅には何も言い返す言葉はなかった。
消毒し、薬を塗って包帯を巻かれる。こんなことをせずとも、本当に少し眠ればすぐ治る程度の傷でしかないのだが、相変わらず慧音の手当てはいささか過剰だった。それがもちろん、慧音なりの優しさの表現だというのは、妹紅にも解っているけれども。
「これでよし、と」
薬箱の蓋を閉じてひと息ついた慧音に、妹紅は目を細める。
「慧音、なんでまたここに」
「やっぱり心配になって見に来たんだ。そうしたら家がもぬけの空だったから――」
薬箱を片付け、慧音は妹紅の前に正座した。普段あぐらをかいている妹紅にしてみれば、いつでも正座している慧音は足がしびれないのだろうか、とどうでもいい疑問を覚える。……そんなことを考えるのは、おそらく今自分が直面している事実からの逃避だった。
「――あの子は?」
とはいえ、問われるのは解りきっていたことだ。妹紅は息を吐く。
鈴仙が担ぎ込んできた、サキムニという兎。――蓬莱の薬を持っていた、あの少女。
「……鈴仙が連れていったよ」
「そうか。……それなら良かった」
妹紅の言葉に、慧音はほっとしたように相好を崩した。
その笑顔に、少しの罪悪感を覚えて、妹紅は視線を逸らす。
嘘は言っていない。ただ、少しばかり真実をぼかしただけだ。
蓬莱の薬のこと。サキムニが逃げ出したこと。――慧音に話す必要はない。ただでさえ心配性の慧音に、これ以上余計な心配をかけたくはなかった。
「おかゆが残っていたが……」
「ああ……食べてくれなかったんだ」
「そうか」
少し寂しそうに、竈に戻された土鍋を慧音は見やった。――妹紅が差し出した卵がゆの器を振り払ったサキムニの、怯えた表情が脳裏をよぎる。あの兎には、卵がゆが恐ろしいものにでも見えたのだろうか。
「妹紅はちゃんと残さず食べてくれたんだな。偉いぞ」
「子供じゃない」
苦笑して妹紅が答えると、ふっと慧音は目を細めた。
「……そうだな、私の方が、妹紅に比べればずっと子供か」
そんなことを呟いて、慧音は立ち上がると、「でも、洗い物は片付けておいて欲しかったな」と言いながら流し台に向かった。
慧音の背中をぼんやり見つめながら、妹紅はその呟きを胸の中で反芻した。
自分はもう、何年生きたのだったか。永遠の命を手にしてから、長い時間をずっとやり過ごして、千年以上がもう経っている。その間、不死の身に安住の地は無かった。刹那であればあったかもしれない。だがそれも、自分が不死であることが知られればそれまでだった。誰も永遠に生きられぬこの世で、不死の自分はどこまでも異端だった。
それが今、この幻想郷で、自分はかつてない安住を手にしている。
幸福だと思う。できれば、こんな日々がずっと続いてほしいと願う。
ここに辿り着くまで、自分は生きることに飽いていた。けれど今は、この時間まで生きていて良かったと思う。――自分を受け入れてくれる者たちに、出会えたからだ。
「慧音」
「うん?」
妹紅は立ち上がった。慧音の背中に歩み寄って、振り返ろうとしたところを抱きしめた。
「も、妹紅?」
慌てたように身を竦めた慧音を、両腕で強く抱き留めて、その首筋に顔を埋めた。懐かしい匂いがした。……心地よい、温もりがあった。
「……どうしたんだ、急に。甘えん坊だな。洗い物ができないじゃないか」
苦笑するように、慧音が言う。
優しいその声に、何と答えることもできず、妹紅はただ慧音の名前を囁いた。
――慧音は、もし蓬莱の薬を手にしたら、どうするのだろう?
無限に生きる苦しみは、妹紅自身が嫌というほど知っている。あんな苦しみを、慧音に味わわせたくはない。――慧音には幸せであってほしい、と妹紅は思う。
けれど――けれど。
温もりを手にしてしまった今、どうしようもなく恐れている自分がいるのだ。
この温もりが、自分にとってはそう遠くない未来に――消えてしまうことを。
自分が永遠で、慧音が永遠でない以上、それはいずれ訪れる未来だ。
……そばにいてほしい。慧音にずっと、傍らに在り続けてほしい。
自分のそばで、笑い続けていてほしい。――永遠に。
そう願ってしまうことは、罪なのだろうか?
「妹紅……?」
「……なんでもない」
慧音のうなじに顔をうずめて、妹紅はその温もりを確かめるようにじっとしていた。
そうすることを許してくれる慧音の優しさに、不意に泣きたくなるのを堪えながら。
5
――闇の中に、ひとつの気配。
その声は、どことも知れぬ闇へ向けて、静かに声を発する。
「……さて、妖怪の賢者様は、今度は何を企んでいるのかしら?」
闇が、ざわめく。ぐにゃり、と漆黒が歪む。
「あら、人聞きの悪い」
その歪みから、別の声が言葉に答える。
「まるで私が四六時中、よからぬ企みを巡らせてるみたいに」
「違うのかしら?」
「それほどでもないわ」
ふたつの声は、どこか楽しげに言葉を交わす。
しかし不意に、片方の声がそのトーンを落とした。
「貴女も大概、執念深いわね~。お酒だけじゃ不満だったかしら?」
「いいえ、結構。貴女の働きには感謝しているわよ」
「そう」
沈黙。
「――あの子が、今回の切り札というわけ?」
「ジョーカーがあちらから飛び込んできてくれたのよ? 使わないのは損というものだわ」
「引き込んだのは貴女でしょうに」
「はてさて」
再び、沈黙。ふと、片方の気配が吐息を漏らす。
「いいわ。もう私も当事者だもの。――それが貴女の望みならね」
「感謝するわ。愛してるわよ、幽々子」
「心にもないことを言わないで、紫。――貴女が愛しているのは私ではないでしょう」
歪みの中の気配は、ふっとひとつ笑い声をこぼす。
「ええ、そうね。――私が愛しているのは、この幻想郷の全て」
「……じゃあ、そういうことにしておきましょうか」
幽々子は曖昧に笑ってそう答え――「けれど」と付け加えるように口を開いた。
「紫。――承知しているとは思うけど、今回の私は貴女のために動くわけではないわ」
「知っているわよ。――過保護なことね」
「家族のことだもの、当然だわ」
「――そうね。それじゃあ、おやすみなさい、幽々子」
「おやすみなさい、紫。――私はまだ眠れなさそうだけどね~」
闇が静寂を取り戻す。そこにあった気配は消え失せる。
再び沈黙に支配されたその場所で、幽々子はただ――深く、息を吐き出した。
6
月光に、白楼剣の刀身が鈍く煌めいている。
瞼を閉じ、刃を振るう。虚空を切り裂く刃に、手応えはない。
妖夢は息を吐き、月を見上げる。月下の白刃の切っ先は、行き場を失って彷徨うばかりだ。
――鈴仙はもう、眠っただろうか。
結局、あの後鈴仙たちの様子は確かめられないままだった。屋敷の中が静かなので、おそらく鈴仙とサキムニはそのまま眠ったのだと思う。サキムニの方は顔色も悪かったし、休んでいた方が良さそうなのは事実だった。
だが――今はそれでいいとしても、これから先はどうなるのだろう。
幽々子の語った推察を思い出す。大抵の物事は、起こったときには既に本質を見通している主のことだ。おそらくその推察は正しいのだろう。
しかし、だとすれば――鈴仙は。
「……八意永琳、蓬莱山輝夜……」
鈴仙の主である、ふたりの顔を思い出す。
どちらも、永遠亭で少し言葉を交わしたことがある程度で、妖夢はその人となりをよく知っているとは言い難い。だが――永遠亭を訪れた自分を歓迎してくれた永琳や、「鈴仙を、よろしくね?」と目を細めて言った輝夜が、自分たちに都合の悪い存在であるからという理由で、鈴仙の仲間を手にかけるような者であってほしくない、と思っている自分がいる。
だが、当の鈴仙がその元から逃げ出したということは――やはり、そういうことなのか。
「鈴仙は……どうするんだろう」
迷いがあるときは、白楼剣で断て。かつて祖父はそう言った。
だが今、月下の白刃は、妖夢の迷いに答えを返してはくれない。
――おそらく、一番平和的な解決は、サキムニがこのままひとりで月に帰ってくれることだ。彼女が月で永琳や輝夜の居所について証言しなければ、おそらくはそれで済む。
だが、サキムニが鈴仙を連れ戻しに来たのなら――。
「……鈴仙」
得体の知れない惑いを振り払おうと、妖夢はがむしゃらに刃を振るった。
明鏡止水にはほど遠い心で振るう刃の軌跡は波打ち、迷い、無惨に虚空をかすめるだけ。
「――妖夢?」
声がした。はっと妖夢は、白楼剣を手にしたまま振り返った。
縁側から、鈴仙がこちらを見つめていた。――闇に紛れて、その顔がよく見えない。
「鈴仙……まだ起きてたの?」
「う、うん。……眠れなくて」
白楼剣を鞘にしまって、妖夢が答えると、鈴仙は縁側に降りたって――けれど、妖夢から視線を逸らすように、ぼんやりと頭上を見上げる。
沈黙。何を問うべきか妖夢は考えあぐね、結局、訊ねたいこととは一番遠いことしか口にできない。
「……あの子は?」
「サキなら、さっき眠ったよ。……まだあんまり、具合よくなさそうだったし」
「そう……」
会話が続かない。沈黙の空隙。妖夢は意味もなく、白楼剣の柄に触れる。
半霊はふわふわと、自分の頭上を意味もなく彷徨うばかり。
「……本当、ごめんね。急に、迷惑かけて」
「い、いや、ううん、それは、別に――」
だから――そんな顔をしてほしくないのに。
月を見上げる鈴仙の横顔に浮かぶ、憂いと、惑いと、悲しみの色。
それをどうにかしたくて、鈴仙に笑っていてほしくて、自分は。
「ねえ――妖夢」
「な、なに?」
「……ここって、死んだ魂が、成仏する前に来る場所なんだよね」
「う、うん。……誰でも、ってわけじゃないけど」
死者は閻魔によって裁かれ、天界、冥界、地獄のいずれかに送られる。冥界はその中で、地獄に落とされなかった魂が、転生や成仏を待つまでの間を幽霊として過ごす場所だ。
とはいえ、幽霊となった時点で魂は人の形をほぼ失い、生前の記憶も失う。幽々子のように人の形をとる亡霊は特殊なのだ。だから、死に別れた者に会えると思って冥界に来ても意味はない。生きている者に、幽霊の区別はつけられないし、幽霊も生者を覚えていない。そういう意味で、死が絶対的な別離であることは、現と冥界の境界が薄い幻想郷でもあまり変わらない。
「そうだよね。……私はきっと、地獄行きだろうね」
「鈴仙?」
その言葉はあまりに微かで、妖夢にはよく聞き取れなかった。
しかし、それについて問いただすよりも先に。
――妖夢の視界に、こちらに向かって飛んでくる幽霊の姿が見えた。
「あれ、どうしたの?」
飛んできたのは、白玉楼に住んでいる幽霊のひとりだった。屋敷の中や、白玉楼へ続く長い石段の掃除を担当している幽霊である。幽霊は基本的に夜の方が活発なので、今の時間にも石段の掃除をしていたのだろうが――。
「……来客? こんな時間に?」
もう、日付が変わる手前だ。明らかに他人の家を訪ねる時間ではない。
鈴仙が訝しげにこちらに視線を向ける。妖夢はその幽霊から、来訪者の容貌を聞いて――息を飲んだ。
「――八意永琳が?」
鈴仙が、ひっ、と息を飲んで、後じさった。
◇
「夜分遅くに失礼いたします」
白玉楼の玄関に姿を現した八意永琳は、そう言って優雅に一礼した。
幽々子とともにそれを出迎えた妖夢は、その柔らかな物腰に虚を突かれて目を見開いた。
目の前の永琳は、妖夢が永遠亭を訪れたときのように穏やかに微笑んでいる。
少なくとも、鈴仙やサキムニに害を為そうとしているようには見えない。
「あらあら、お医者さんを呼んだ覚えはないのだけれど。こんな夜更けにどんなご用事かしら」
幽々子はまるでいつもと変わらない調子で、永琳にそう訊ねる。
永琳は全く微笑を崩すことなく、ひとつ首を傾げてみせた。
「うちの鈴仙が、こちらにお邪魔していないかと思いまして」
――いません、と咄嗟に答えそうになって、妖夢はぐっと言葉を飲みこむ。
永琳がこちらに向かっていると知らされたとき、鈴仙は首を横に振った。それはつまり、永遠亭には帰れない、永琳には会えないという意思表示だ。鈴仙には部屋に戻ってもらい、妖夢は幽々子の部屋に駆け込んだ。どうすべきか、と問うた妖夢に、幽々子はいつもと変わらない脳天気な調子でこう答えた。
『白を切ってもたぶん、仕方ないでしょうね~。こんな時間に来るってことは、向こうはだいぶ急いているはず。追い返しても、兎を忍び込ませて探し出すぐらいのことはしそうだわ』
『では、どうすれば……?』
『とりあえず、来訪者本人と話をしてみましょうか。なるべくなら穏便に済むように』
そう言って、幽々子は立ち上がり、妖夢に一枚の紙片を差し出した。
『これは?』
『私が「お茶を用意して頂戴」と言ったら、誰もいない場所でそれを開きなさいな』
――そう言われて預けられた紙片は、今は左手の中にある。
「ええ、鈴仙ちゃんなら、奥の部屋で眠っているわ~」
幽々子はあっさりとそう認めた。永琳は拍子抜けしたようにひとつ肩を竦める。
「全く、あの子ときたら。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。すぐに連れて帰りますので」
もう一度頭を下げる永琳。その姿をどう判断していいのか、妖夢には解らない。
傍らの幽々子の顔を見上げると、幽々子はひとつ鼻を鳴らして、
「連れて帰るのは、鈴仙ちゃんだけでいいのかしら~?」
そのことを、口にした。しかし、永琳は動じない。
「ああ……やっぱり一緒なんですね。あの子ったら、友達と出かけたまま連絡も寄越さないで。一緒にいるのは鈴仙を訪ねてきた友達ですから、鈴仙と一緒にうちへ招きますわ」
なるほど、その言葉には嘘は無いのだろう。ただ言い回しが真実をぼかしているだけで。
幽々子は何を考えているのか、永琳を見下ろしてその手の扇子を広げる。
「でも、鈴仙ちゃんは帰りたくないんだそうよ?」
その言葉に、鼻白んだように永琳は眉間に皺を寄せる。
「何かあったのかしら~?」
「……それは我が家の事情ですので。ともかく、鈴仙を呼んでいただけませんか?」
「でも、それはもう我が家の事情でもあるのよ~」
幽々子はそう言って、妖夢の方をちらりと見やる。妖夢はきょとんと目を見開いた。
永琳も、言葉の意味を掴みかねたように、一瞬押し黙る。
「……どういう意味です?」
「鈴仙ちゃんは、うちの妖夢のお友達だもの。鈴仙ちゃんと妖夢のことは、我が家とそちらと、両方の問題。そのことは、前にお手紙でお話ししてあったと思うけれど」
はっと、妖夢は幽々子を見上げた。幽々子は振り向いて、妖夢に向けてひとつ笑う。
「それに、鈴仙ちゃんと連れのお友達は、勝手にうちに上がり込んだわけじゃなく、私の認めた客人。いくら彼女のご家族とはいっても、客人に礼を失するわけにはいかなくてよ~」
永琳の視線が険しくなる。幽々子は悠然と、その視線を受け止めて微笑する。
すっと玄関の気温が下がったような気がして、妖夢はひとつぶるりと身震いして、
――かたん、と廊下の奥で物音がした。
はっと、妖夢と永琳の視線がそちらを向く。廊下の奥――こちらを覗きこむようにしていた兎の長い耳が、物陰に隠れようとしていた。
「ウドンゲ!」
永琳が叫んだ。逃げ出すような足音が廊下の奥から響く。永琳がこちらに一歩踏み出した。
咄嗟に妖夢は、その視線の方向へ身体を割り込ませた。立ちふさがるように。
妖夢の動作の意味を瞬時に悟ったか、永琳は目を細めて妖夢を睨む。
「退きなさい。ここは、貴女ごときの出る幕ではないわ」
――背筋に氷を押し当てられたように身体が震えた。それほど酷薄な声音だった。
既に、優しく微笑んでいた永琳の姿はそこにはない。あるのは冷酷な月人の顔――。
「うちの従者を恫喝するような真似は止してもらえるかしら~?」
すっと、永琳と妖夢の間に扇子が割り込んだ。身を乗り出していた永琳は、幽々子の視線にひとつ咳払いして、「失礼しました」と一歩下がる。
それから幽々子は、ふっと息を吐いて、ぽんとひとつ手を打ち鳴らした。
「まあ、このままここで押し問答していても仕方ないわ。こちらもまだ、鈴仙ちゃんの事情を完全に把握しているわけではないし、お話を聞かせてもらえないかしら?」
「お話?」
「鈴仙ちゃんの家出の理由と、お友達のこと。――お茶でも飲みながらゆっくり、ね」
そう言って幽々子は、扇子を妖夢の方に向ける。
「妖夢、お茶を用意して頂戴」
「はっ、はい!」
――合図だった。妖夢はすぐに踵を返し、台所の方へ向かって走りだす。背中に、幽々子が永琳に何事か話しかけている声が聞こえたが、意味は頭に入ってこなかった。
そのまま台所に駆け込んで、食事番の幽霊にお茶の準備をするよう告げる。それから、左手に握りしめていた紙片を、ゆっくりと広げた。
次の瞬間、書かれていた内容に、妖夢は息を飲む。
『私が時間を稼いでいるうちに、鈴仙ちゃんとお友達を連れて、裏からお逃げなさい。こっそりとね。――冥界の外まで逃げれば、あとは紫がなんとかしてくれるから』
――紙片を握りつぶして、妖夢は顔を上げた。
7
永琳に命じられたのは、白玉楼の裏口側の見張りだった。
冥界の上空から、その大きな屋敷を見下ろして、てゐは深く息を吐き出す。
「……全く、逃げるなら逃げるでもう少し考えりゃいいのに、ねえ」
頭上のイナバにそう声をかける。かんがえなしー、とイナバは答えた。
逃げた先が白玉楼じゃあ、見つけてくださいと言っているようなものだ。全く、本当に鈴仙はこいうところが甘い、とてゐは歯がゆく思う。
――てゐが今起きている事態を知ったのは、頭上にいるイナバの報告によってだった。
鈴仙と同じ格好をした兎を見つけた、とイナバは言った。言ってから、しまったー、なんでもないー、と弁解したが、もう遅い。口止めでもされていたのだろうが、根が脳天気なイナバに大事なことで口止めを施そうというのはそもそも無理な話なのである。
鈴仙の服装は、月にいた頃の制服だと本人から聞いている。少し前に永遠亭へ手紙を届けてきた月の使者と名乗る兎も、そんな格好をしていた。だとすれば、同じ服を着た兎というのは鈴仙と同じ月の兎だろうとすぐに見当がつく。あんな変な格好をした兎は、少なくともこの幻想郷には居ない。幻想郷の妖怪兎のことは、てゐは全て把握しているのだ。
おつかいから戻ってきて以来、妙にそわそわしていた鈴仙は、夕食の後に再びでかけたきり戻ってこない。そこまで材料が揃えば、事態の類推はしやすかった。
月の使者かそれに近い存在の兎が幻想郷に来ている。――その兎は、鈴仙の知り合いなのだろう。そして永琳たちは、月の使者から身を隠している立場。だから鈴仙は戻ってこないのだ。自分のかつての仲間を、永琳たちに引き合わせたくないから。
――だがしかし、それでいったい何が解決するというのだろう。
「逃げて、逃げて……どうしてどいつもこいつも、永遠に逃げられるって思うんだか」
月下にぼやいた言葉は、ただ吐息と混ざって消えていく。
鈴仙もそうだし、永琳も輝夜もそうだ。
逃げている者は、いつだって自分だけは逃げ切れると無根拠に信じている。
たとえそれが、どこまで逃げれば終わるのか解らない逃亡だとしても。
「――そして、懲りない連中だよ」
三つの人影が、白玉楼の裏庭に姿を現したのが眼下に見えた。気付かれないようにてゐは高度を下げ、近くの桜の樹の枝に着地する。
夜目は利くし、視力には自信がある。その三つの影の正体は、すぐに見定められた。
鈴仙。魂魄妖夢。そしてもう一匹――鈴仙に支えられた、見覚えのない兎。
「……お前さんはここにいなよ。すぐ戻ってくるからさ」
頭の上にいたイナバを、太い枝に下ろした。わかったー、と頷くイナバにてゐは笑いかけて、そして枝を蹴って飛び上がる。
月が、一匹の兎の姿を静かに照らしている。
◇
妖夢が鈴仙たちの寝室に戻ると、サキムニも既に目を覚ましていた。いや、元から眠っていなかったのかもしれないが、その判断は妖夢にはつかない。
襖を開け放った瞬間、部屋の中で身を寄せ合うようにして震えた鈴仙とサキムニは、妖夢の姿に顔を見合わせて息を吐き出す。
「鈴仙。……ええと、サキムニさん」
そういえば、サキムニに向かって呼びかけるのはこれが初めてだった。結局、未だにまともにサキムニとは話もしていないのだ。サキムニは困惑した顔で、こちらを見上げる。
「妖夢、師匠は……?」
「今、幽々子様が足止めしてる。……その間に逃げろって、幽々子様が」
その言葉に、鈴仙はひどく複雑な表情で俯いた。
自分の主から逃げている鈴仙の気持ちは、妖夢には推し量りきれない。ただ、鈴仙だって本当は逃げたくなんてないのだろう、とは思う。自分の主が、友人に危害を加えるなんて思いたくないはずだ。けれど鈴仙は、逃げることを選んだ。それはたぶん、サキムニのために。
――自分はどうするだろう、と妖夢は思う。
幽々子が鈴仙を捕まえて食べようとしていたとき、自分は幽々子の言葉に逆らって鈴仙を助けた。けれどあれは、今思えば、幽々子が本気で鈴仙を食べようとなんてするはずがない、という気持ちが自分の中にあったから、逆らえたのではないかと思う。
しかしもし、幽々子が本気で鈴仙に害を為そうとしたら、自分は。
――首を振って、妖夢は詮無い思考を振り払う。
今はそれよりも、主の言葉を実行する方が先なのだ。現実の幽々子は、鈴仙たちの味方だ。
幽々子が逃げろと言ったということは、永琳は鈴仙とサキムニのどちらか、あるいは両方に危害を加えうると幽々子は考えている。――こういうとき、主の洞察は真実を見抜いている。それを妖夢は知っているから、幽々子の判断を妖夢は疑わない。
「逃げるって、どこへ……?」
「とりあえず、冥界の外へ。……その後は紫様が何とかしてくれるって」
「八雲紫が?」
「幽々子様のご友人だから。……とにかく、急ごう。サキムニさん、足、大丈夫ですか」
妖夢に声をかけられ、サキムニは驚いたように頷く。鈴仙に支えられて、サキムニは立ち上がった。その顔はまだ痛みにか軽く歪んではいたけれど。
「裏庭から出よう。……こっち」
妖夢はふたりに先んじて、足音を殺しながら小走りに歩き出す。
静まりかえった夜の白玉楼に、三つの足音が小さく響いている。
◇
「誤解はしないでほしいのだけれど、私は貴女と敵対するつもりはないのよ~」
白玉楼の応接間。座布団に腰を下ろし、座卓を挟んで、幽々子と永琳は向き合っていた。
「うちの妖夢はこのところ、そちらの鈴仙ちゃんのことばかり気に掛けてて。鈴仙ちゃんの方もいろいろ事情があるみたいだけど、できればふたりとも、幸せに笑っていてほしいと思うわ。妖夢に友達らしい友達ができたのなんて初めてだもの~」
「……そうですね。私もそう思います」
お茶はまだ来ない。手持ち無沙汰な様子で、永琳は座り直す。
「うちの鈴仙も、永遠亭に来て以来、友達らしい友達ができたのは、そちらの子が初めてのはずですから」
「あらあら」
幽々子は扇子に口元を隠して笑った。
「お宅も、あんまりうちと事情は変わらないみたいね。……従者のことを大事にしているのは、そちらも一緒だと思っていたのだけれど、どうして鈴仙ちゃんは家出なんか?」
「……あの子はそういう子なんです。家出も初めてではありませんし」
「家出の引き金は、連れの子かしら?」
幽々子の言葉に、永琳はじっとこちらを見つめた。
目の前の冥界の姫が、どれほどまで状況を把握しているのか、それを計りかねている様子だった。幽々子は心の中だけで苦笑する。こちらとて、全てを完全に見通しているわけではないのだ。ただ、ある程度までは真実に近しいところを想像できるというだけで。
「――鈴仙は、何と言っていたのです?」
「特に何も、私は聞いていないわ~」
腹のさぐり合い。互いに相手の持つ情報を引き出そうと、牽制の言葉を飛ばす。
――これが平和な、主同士の従者相談だったらどれほど良かったか。
そうは思うけれど、既にそんな枠を超えて、事態は動き始めてしまっているのだ。
「ただ、鈴仙ちゃんが、連れの子と一緒に逃げてきたこと。永遠亭に帰れないと言っていること。私が知っているのは、それだけよ~」
幽々子の言葉を吟味するように、永琳は顎に手をあてて目を伏せる。
と、そこに襖が開く。幽々子が振り返ると、お茶を運んできたのは料理番の幽霊だった。
――妖夢はどうやら、ちゃんとあの紙片の通りに動いているらしい。
「あらあら、ご苦労様。妖夢は?」
お茶を受け取って幽霊に訪ねると、幽霊は身体を左右に振った。特に何も知らない、という意思表示だ。そう、と幽々子は頷いて、受け取ったお茶を永琳に差し出す。
「どうぞ」
差し出されたお茶に手をつけず、永琳はじっと幽々子を見据えた。
幽々子はその視線を受け止めて、ただ静かに微笑む。
張り詰めた静寂が、応接間に満ちていく。
◇
「飛んでいけば、冥界の外までは割合すぐだから――大丈夫?」
「う、うん。サキ、掴まって」
裏庭から、妖夢はふわりとその場に浮き上がった。鈴仙も、サキムニの手を掴んで一緒に浮き上がる。サキムニは地上で飛ぶことに慣れていないのか、ぎゅっと鈴仙にしがみついていた。
「それじゃあ、行こう――」
「……ねえ」
飛び立とうとした背中に、不意に声がかかり、妖夢は振り返る。
声の主はサキムニだった。彼女の方から、妖夢に声をかけてきたのは、これが二度目だ。
「貴女は……レイセンの何なの? どうして、こんな……」
それは、先ほどと同じ問いかけ。
あのときは、幽々子に遮られて、ちゃんとした答えを返せなかった。
そのことを思いだして、妖夢はぎゅっと右手を握りしめる。
――今、自分の知らないところで動き始めているこの事態に対して、自分に何ができるのか、どうすればいいのか、迷いばかりで答えはでないけれど。
サキムニのその問いかけに、答えるべき言葉は、決まっている。
だから妖夢は、決然と顔を上げて、真っ直ぐにサキムニを見据えて、答える。
「私は、魂魄妖夢。――鈴仙の、友達だ」
サキムニは、その答えに目を見開いた。
それから、鈴仙の方を見やり、目を細めた鈴仙の顔に何を悟ったか、顔を伏せる。
「……サキムニさん。ええと、あとでゆっくり、お話させてくだい」
妖夢の続けた言葉に、サキムニは再び顔を上げる。
なるべく穏やかになるように笑って、妖夢は言葉を続けた。
「あなたも、たぶん、鈴仙のことを大切に思ってるのは、私と一緒だと思うから」
その言葉に、鈴仙は真っ赤になって、サキムニは目を見開いた。
――今この場に鈴仙がいることに気付いて、妖夢は恥ずかしさに悶絶しそうになった。
「とっ、とにかく。今は、幽々子様の言う通りに、冥界の外へ」
ひとつ咳払いして、妖夢はふわりと上空へ舞い上がる。振り返ると、鈴仙たちも追って飛んできていた。それを確かめて、妖夢は飛ぶ速度を上げ――、
「……お師匠様を引き留めてる間に裏口から逃走なんて、見え見えすぎると思わない?」
別の声が、唐突にそこに割り込んだ。
月光の下、姿を現したのは四つ目の影。三匹目の兎。
「てゐ……!」
鈴仙が小さく叫んだ。妖夢は咄嗟に、楼観剣を抜きはなって、目の前の影に向き合った。
因幡てゐは、どこか飄々と肩を竦めて、妖夢たち三人をぐるりと見やる。
「お師匠様に言われて見張ってたのさ。鈴仙たちが逃げ出さないようにって」
――それは、つまり。
今目の前にいる因幡てゐは、自分たちの妨害をするためにここにいる。
敵だ、という宣言だった。
「……見逃しては、もらえない?」
「お師匠様の言いつけを破ったら、きつーいお仕置きが待ってるからねえ」
口笛を吹いて、どこまでも軽い調子で、てゐはしかしその場に佇み続ける。
「こっちだって、はいそうですかって引き下がれはしないんだ」
「そりゃそうだろうね。――そっちの見覚えのないイナバは、お師匠様が血相を変えるような妙なモノを持ってるみたいだし、お師匠様に捕まったらどうなることやら」
――え?
妖夢は思わず、サキムニを振り返る。サキムニは、はっとブレザーのポケットを押さえた。
サキムニが何かを持っている? ……永琳が出てきたのは、それのため?
思いがけない角度からの情報に、妖夢の思考は一瞬混乱する。
「ま、ごめんね鈴仙。――お師匠様の方が怖いから、私はお師匠様につくよ」
そう、あっけらかんと言って――てゐはその懐から一枚のカードを取り出す。
――スペルカード!
次の瞬間、てゐの背後から浮かび上がった光弾が、妖夢たちに向けて降り注ぐ。その軌道に、妖夢はてゐの意志を悟った。
これは、弾幕ごっこじゃない。――明快な、こちらを撃ち落としにきた攻撃だ。
その事実を認識した瞬間には、妖夢の身体は動いていた。鈴仙たちの前に立ちはだかるように、光弾の軌道に割り込む。そして自らも、スペルカードを取り出す。宣言はしない。向こうもしなかった。これは、ごっこ遊びではないのだから。
「――はぁッ!」
スペルカードに封じた妖力を、楼観剣の刀身に乗せ、一閃。
眼前に迫った光弾は、その刃に断ち切られ、白煙をあげて爆散した。
風が吹く。雲が流れ、月光をおぼろに霞ませていく。
白煙の向こう、てゐはどこまでも余裕の表情で、悠然とこちらを見据えている。
妖夢は楼観剣を握り直した。――八意永琳に気付かれる前に、てゐを倒して先に進まなければいけない。だが、
「……妖夢」
背後から、鈴仙の不安げな声が響いた。
――因幡てゐは、鈴仙の家族のはずだ。その事実が、妖夢の意志を鈍らせる。
「どうしたの? 来ないの? お師匠様、そろそろ逃げ出したことに気付くよ?」
挑発するようなてゐの言葉。――そんなことは、解っている。
だが、これは既に弾幕ごっこではない。そもそも弾幕ごっこ自体、攻撃には殺傷力がある。それを避ける道が存在するように弾幕として表現するから「ごっこ」なのだ。弾幕そのものは、一点に集中させれば相手を殺しうる。――妖夢の刃とて、それは変わらない。
今のてゐは、明らかにこちらを傷つける意志を持ってスペルカードを使った。
ならばこちらも――てゐを傷つけるつもりで、挑まねばならない。
「来ないなら、こっちから行くよ!」
てゐが宙を蹴った。――こちらへ向かって、一気に加速する。
接近戦!? 思いがけないてゐの行動に、一瞬狼狽した妖夢は、刹那、てゐの姿を見失う。
「妖夢、右っ!」
鈴仙の声。咄嗟に楼観剣を持つ右腕を上げた。――衝撃。
数メートルの距離を吹き飛ばされ、妖夢は中空に姿勢を立て直す。――死角に回り込んでの全体重を込めての回し蹴り。てゐの小柄な身体のせいか、ガードした腕へのダメージはほとんど無かったが――直接こめかみに入っていれば危なかった。
「ふふん? 私に格闘なんてできないとでも思ってた? ――油断大敵ってね!」
再びてゐは宙を蹴る。今度はその身体がぐっと沈み込んだ。――下!
足元からの蹴り上げをすんでのところで回避して、妖夢は鈴仙とサキムニのそばへ再び飛んだ。ふたりはただ呆然と、妖夢とてゐの交錯を見守っている。
「――どうしたのさ、魂魄妖夢。その手に持ってる剣はただの飾り?」
ぐっ、と妖夢は唇を噛んで、楼観剣を握り直す。
背後の鈴仙の顔を振り返る。鈴仙はただ、嫌がるように首を横に振った。
――逃げるだけならいい。だが、鈴仙の家族と戦う、それも弾幕ごっこではなく本当の意味で……そこまでは、自分も鈴仙も、きっと覚悟なんてしていなかった。
その事実を、目の前のてゐが突きつけてくる。
「そんななまくら刀で、あんたは誰を守ろうっていうのさ、魂魄妖夢!」
「――――」
「あんたの鈴仙を守りたいって言葉は、その程度の覚悟だったのかって聞いてるんだよ!」
はっと、妖夢は息を飲んだ。
再び、てゐはスペルカードを眼前にかざした。光弾が浮き上がり、それは弾幕ではなくただ一直線の弾丸として、妖夢のもとへ襲い来る。
――避けられない。避けたら、鈴仙とサキムニに当たってしまう。
咄嗟にそう判断して、妖夢も再びスペルカードを取り出す。楼観剣に妖力が満ちる。月光の下、鈍い光を放つ白刃が――迫り来る光弾を、正面から切り裂く。
白煙を突っ切って、妖夢は真っ直ぐに飛んだ。
その先で、てゐはどこか、満足げな笑みを浮かべて待ち受けていた。
「ハァァァッ――」
己の迷いを、惑いを、何もかもを振り払おうとするように、妖夢は叫んで。
月下に、白刃を振り下ろした。
◇
幽々子の狙いが自分の足止めであることは、永琳はとっくに承知していた。
そうなることは予測はしていた。だからこそ、追いかけてきたてゐを白玉楼の見張りに向かわせたのだ。てゐが鈴仙に荷担して、逃走を手助けする可能性もあることも承知している。そうなってしまったら、さすがにどうしようもない。
目の前にある西行寺幽々子の顔を見つめて、永琳は静かにお茶を啜る。彼女は現状をどれほど把握しているのか。永琳にも、そればかりは計りきれずにいた。
無論、実力行使に出ることもできる。西行寺幽々子の力は、相手を死に誘う能力。不死である永琳に対しては、その力は何ら意味を為さない。
だが――幽々子の背後にいるらしき、八雲紫の存在が、永琳を躊躇させる。
あのロケット騒ぎのとき、自分は八雲紫の企みをほぼ見抜いていたはずだった。紫が幾人かの人間や妖怪をけしかけ、月の都への侵攻を企んでいたこと。それを予期して、永琳は綿月姉妹に書状を送り、その計画を完全に阻止した――はずだったのだ。
だが、全てが終わった後で、八雲紫は月の都にあったはずの古酒をこちらに振る舞ってきた。そして笑ったのだ。まるで自分が勝利者であるかのように。
自分はあの騒動に勝利したはずだった。
だが残ったのは、八雲紫という妖怪に対する得体の知れ無さばかりだった。
――いったいあの妖怪は、何を狙っているのか。月の都に何を求めているのか。
あの古酒を盗むことが最終目的のはずはないのだ。八雲紫はおそらく、あれ以上の何かを企んでいる。おそらくはそれこそが、彼女の目指すもののはずだ。古酒を盗み出したことは、その準備に過ぎない。そうでなければあの笑みの説明がつかない。
そして、あの騒ぎの始まりも、月から兎がやって来たことだった。
――全ては、八雲紫の差し金なのか?
「おそらく、単に鈴仙は誤解しているのだと思います」
「誤解?」
そんな思考を巡らせながら、同時に永琳は、頭の中に物語を構築する。
幽々子を説得し、鈴仙ともう一匹の兎をこちらに引き渡させるための物語。真実である必要はない。幽々子にあくまで穏便に、匿っている二匹の兎を引き渡してもらうためだ。
八雲紫の古い友人であるという、西行寺幽々子。
今回の事態にも八雲紫が噛んでいるならば、彼女もその一味と考えた方がいい。
――そう、鈴仙と妖夢の件には、それも絡んでいる。鈴仙が魂魄妖夢と親しくなったことで、妖夢を通じて八雲紫について何か探れないかと考えて、利用できるならば利用するつもりだったのだ。しかし、それがかえって厄介な事態を引き起こしてしまった。今更悔いても仕方ないのだが。
そんな思考を巡らす自分に、不意に永琳は自嘲的に心の中だけで笑う。
――自分の本心なんてものが、どこに存在するのかなど、とっくの昔に解らなくなっている。
「私が怒っているんだと、誤解しているんでしょう」
「あら、彼女は何か怒られるようなことをしたの~?」
「もちろん、仕事を放り出して家出などしたら怒りますよ」
「それは、確かにそうね~。でも、それは家出の直接の原因ではないでしょう?」
「そうですね――」
そこまで、上っ面だけの言葉を交わしたところで。
唐突に、襖が開かれた。
はっと、幽々子と永琳は同時に振り向く。――土と、血の匂いがした。
襖の向こうから姿を現したのは、白い服を赤と黒に汚した、小柄な影。垂れ下がった兎の耳。
「……あちゃあ、お師匠様、ごめん――やられちゃった」
ふらり、と数歩よろめいて――その兎は、崩れ落ちるように前のめりに倒れ込む。
立ち上がって、永琳は悲鳴のように、その兎の名前を叫んだ。
「――――てゐ!」
8
太陽の畑の一角に、一面の秋桜が広がっていた。
穏やかな朝の陽射しを浴びて、風にそよぐ紫の花。それは絨毯のように敷き詰められ、自らの名に刻まれた季節を謳歌している。
この秋桜畑も、幽香が手塩にかけて育ててきたものだ。みんな立派に咲いてくれた。誇らしい気持ちで、幽香は秋桜畑を見つめる。
「……すごいですね。本当に、一面の秋桜」
その傍らで、感嘆の声をあげる小柄な影。
幽香の差し伸べた日傘の下、秋桜畑に目を輝かせるのは、幽香の今の大切な人。
阿求はその場にしゃがみこむと、秋桜の一輪へ、そっと愛でるように指先で触れた。
「ここの花は、全部幽香さんが?」
「私は、ただ花たちが綺麗に咲けるように、少し力を貸しているだけよ」
阿求の言葉に、幽香は微笑んで答える。
幽香が何もしなくとも、花はただあるがままにそこに咲き誇る。その自然な姿は美しい。けれど、その中では力なく、美しく咲く前に枯れてしまう花がある。そんな花を見ると、幽香はつい力を貸してしまうのだ。結果、こうして一面の花畑が完成してしまうのである。
全ての花が美しく咲いて、その短い生涯を全うできればいいと、幽香は思う。
美しく咲き誇ることこそが、花の幸福に他ならないのだから。
「あの家の庭も、来年には立派な花畑にしてあげるわ」
目を細めて、幽香はそう言った。
数百年前、自分が育てた花壇の姿はもうあの場所にはなかったけれど。
今こうして、阿求のそばに自分がいるように、花壇もきっと甦らせられるだろう。
「……庭一面を花で埋め尽くされるのは、さすがにちょっと困るかもしれません」
阿求が苦笑し、「そこまではしないわよ」と幽香も笑った。
穏やかな秋の陽光の下、それは平和な日常の光景だった。
「うわー、すごい、これ全部花? 地上って不浄の大地って聞いてたけど、こいつはなかなか壮観だねえ。いやいや、地上も捨てたもんじゃないのかな」
「ちょっとキュウ、待って――」
そこに割り込んだのは、何者かの声。
幽香は顔を上げて振り返る。花畑の向こう、こちらに駆けてこようとする影がふたつ。
その姿に、幽香は目を細めた。遠目にも特徴的な耳が、頭部に揺れていたからだ。
兎の長い耳。身につけているのは、永遠亭の兎とよく似た紺色の服。そんな姿の妖怪兎が二匹、こちらへ向かって駆けてこようとしていた。
……そういえば昨日も、そんな格好の兎を里の近くで見た、と幽香はふと思いだす。
「――キュウ、シャッカ。それ以上触れてはいけないわ」
もうひとつ、そこへ別の声が割り込む。
二匹の兎の背後から現れたのは、兎ではなかった。長い髪を後頭部で縛った、背の高い女性。腰には鞘に収まった長刀を下げた――人間、だろうか。
「依姫様」
兎たちが振り返って、その女性のものらしい名前を呼んだ。
依姫、と呼ばれた女性は、咲き誇る花たちを見下ろして、ゆっくりと首を振る。
「この花は、大地の穢れの上に咲いた花。即ち、この花自体が穢れそのもの」
花に手を伸ばそうとしていた兎が、驚いたように手を引っ込めた。
「死にたくなければ、穢れた地上の花には触れないことよ」
そう言い捨てて、依姫は咲き誇る花たちを、嫌悪の滲んだ表情で見下ろす。
――さすがに、黙って聞いていられる話ではなかった。
「幽香さん?」
「阿求、離れていて。……少し、お仕置きしなければいけない子がいるわ」
日傘を閉じて、阿求をその場から離れさせる。彼女は無力だ。巻き込むわけにはいかない。
幽香は閉じた日傘を下げて、ゆっくりとその三つの影に歩み寄った。
「どこのどなたか存じ上げないけれど――」
幽香の存在に気付いたか、依姫がゆっくりとこちらを振り向く。
兎たちがびくりと身を竦めて、その背後に隠れる。
依姫の視線は、明らかにこちらを蔑んでいた。幽香は思わず笑みを深くする。
――これほどストレートな挑発を受けたのは久しぶりだった。
「私の花を、汚らわしいなんて言われては、黙ってはいられないわね」
閉じた日傘を振るって、幽香はその先端を依姫に突きつけた。
「……下賤な地上の妖怪か」
依姫は動じるでもなく、淡々とそう口にする。
――言っても解らない子には、身体に教えてあげるしかない。
「花を愛でる心の無いのは、悲しいことだわ。――高慢ちきな誰かさん」
「下等な妖怪風情には、穢れた花がお似合いというだけのこと」
そう言って、依姫は腰の鞘に手をかけ、その長刀を抜きはなった。
「私たちは急いでいる。地上に這いつくばる妖怪ごときに興味はない。――失せなさい」
「誰に向かって言っているのかしら? 兎の大将ごときが」
「――哀れな」
刃が、陽光に煌めいた。咄嗟に、幽香は傘を振るう。
刹那の交錯。――そして、弾かれたようにふたりは距離を取る。
幽香は思わず唇を舐めていた。――強い。久しぶりに出会った、真っ向から強い相手だ。
しばらくなりを潜めていた、妖怪としての闘争本能がうずき出すのを感じる。
「下賤とか下等とか言うのは止めてもらいたいわね。――私は風見幽香。貴女は?」
日傘を広げて、その先端は突きつけたままに、幽香は問いかける。
対峙する相手は、ふっと息を吐き、刀の切っ先をこちらへ向けた。
「綿月依姫。――穢れをこの身に受けるのは、できるなら避けたいが、邪魔だてするならば」
そして、冷酷な声で、――戦闘の始まりを告げる。
「――斬る」
<第8話へつづく>
いつの間にか異変レベルになってきてるじゃないですかやだー
そろそろ霊夢さんが全てをなぎ払いに来そうだw
てゐはわざと憎まれ役になったのかな。渋くて損な役回りですね。
煮え切らない鈴仙と迷いの晴れない妖夢のその後はいかに。続きも読ませていただきたいと思います。
続きにも期待してます。
作者さんは期待を裏切らないお方よのォ……!
来年も続き、期待してます
とりあえず鈴仙の体のことについての答えが出せれば
すべて解決しそうなのにもどかしい感じですねぇwww
どうしてこうなった!どうしてこうなった!(AA略
しかし、緊迫感のある浅木原さんの作品もオツなものですなぁ
ゆうかりんと依姫の対決、これは次回が見逃せませぬぞぉ!
話自体は面白かったです
初めから一気に読んできました。やー、ワクワクの展開ですねぇ。
それぞれの思いが交錯する世界――矛盾を越えて、皆が幸せになることは、果たして……?
さて、ノルマ達成おめでとうございます。
そして次回はついにガチバトルっすかー!?
そしててゐは不憫可愛い
いやぁ・・・・本当にこれはどうなってしまうのか・・・。
てゐが繰り出してきた『回し蹴り』が新極真空手の緑健児さんが得意とする「飛び後ろ回し蹴り」で
脳内変換されました。(なんか文章おかしい←
あなたのシリアス物は初めて読むので続き楽しみに待ってます
さて、この先にどんな結末が待っていることやら。私の期待も事態ともどもますます大きくなってまいりました。次回も楽しみに待たせていただきます。
以上
鈴仙と妖夢の今後に期待。もちろん依っちゃんと幽香も。
面白さ120パーセントアップなので何も問題はないな。