「――かもしれない運転を心掛けましょう」
「…………ああ?」
私は思わず聞き返した。どう考えても文章の前後が噛み合わない。自分の耳を疑ったのだ。
「すまん、もう一度言ってくれ。よく聞こえなかったんだ」
「ですから『もしかしたら今日、隕石が落ちてくるかもしれない』運転を心掛けましょう、と言ったのです」
頭を抱える。
ちくしょう、聞き間違えじゃなかった。
「空を飛ぶ際には細心の注意を払わなければなりません。さぁ、今日は『急に猛烈な便意に駆られた際、括約筋に力を込めつつ前方の安全確認を怠らない』訓練から始めますよ」
四季映姫・ヤマザナドゥは表情にやる気を漲らせ、そう言った。
「…………はぁ」
私は「どうしてこうなったんだ……」と気付かれないように溜め息を吐いた。
事の始まりは私が博麗神社へ赴いたところからなる。
木枯らし吹き、寒気も急速に強まってくる季節。少しでも体を暖めようと、普段よりも速度を上げ空を駆けていた。
「う~さぶさぶ……。早いとこおコタに入ってゆっくりミカンでもむきむきしたいぜ」
渋皮の一本すら残さず綺麗に剥いてやる。それから霊夢の淹れたお茶を飲んでぽかぽかするんだ。
そんなことを考えていて油断した。ふらふらと上空へ舞い上がってくる霊夢に気付かなかった。
轢いた。
落ちた。
「なにすん――の、よ……」
倒れた。
「あわわ」
パニクった。
頭の中が真っ白になり、なにをどうすればいいのか全くわからなかった。
逃げた。
「バレないバレない。大丈夫大丈夫」
「いいえ、バレてます」
血の気が引いた。
振り返るとそこには閻魔がいた。
「霧雨魔理沙、あなたは今、博麗霊夢を轢きましたね」
「ひ、轢いてない。私じゃない」
「しらばっくれてもダメです。見てました」
「霊夢が飛び出してきたんだ」
「スピードの出し過ぎです」
「スピード制限とかあんの!?」
「あるに決まってるでしょう。習わなかったのですか?」
あるわけないだろ。初めて聞いたぞ。
そんなことを訴えても結果は変わらない。
スピード超過違反+轢き逃げで一発免許停止。飛行教習所で免許の取り直しを義務付けられた。
「はぁ……」
「ほらほら、いつまでも溜め息なんか吐いてないで。起きてしまったものは仕方ありません。そこからどう進んでいくか。それが大事です」
映姫の言っていることはわかる。正しいとも思う。しかし、頭の片隅に、ある素朴な疑問が残る。
(飛ぶのって、いつから免許制になったんだ……?)
元々そんなもの取った覚えはない。しかし、それを聞いてしまえば、また無免許運転だどうだこうだと罪が重くなりそうだ。
私はそう考え、理不尽な世界を受け入れた。
「では次は『弾幕勝負中に、自分の退路を相手にわかるようにサインを出す』の練習にしましょう」
「嫌だ」
受け入れ切れなかった。
なんだその弾幕勝負を根幹から覆すようなサイン。全員同時にゴールしてみんな一位を謳う昨今の運動会よりひどいじゃないか。子どもの競争心を養わないでどうする。
「あなたという人は……本当に問題児ですね」
私か? 私が悪いのか?
「いいですか? 交通ルールというものは、あなたを縛るために存在するわけではありません。あなた自身を守るために存在するのですよ?」
出来の悪い子どもを諭すように、ゆっくりと説明される。言っていることは正しいために……本当に正しいのか? まぁいい、とにかく正しいために、段々と自分が悪いように思えてくる。洗脳じゃないのか、これ。
「相手の立場になって考えてください。弾幕勝負中に「あ、こっちに逃げますね」とサインしてもらえたら、どうです? ちょっと嬉しいでしょう? そしたら相手だって「あ、どうも。じゃあ撃ち込みますね」と気持ちよく弾幕を撃てるじゃないですか。このように、ちょっとした優しい気持ちが――」
「待て待て待て待て待て!」
講習を遮られ、映姫はムッと顔を曇らせる。
「なんですか。教官の話はきちんと聞いてください」
「きちんと聞いてたら次回作に自機として活躍しようという気がなくなっちまう」
「あなたは免許を取る気がないんですか?」
あるわけないだろそんな頭のネジが緩んだ免許。
「なくは……ない」
とはいえ、なんとかこの教習を終えないと、映姫はしつこく注意してくるに違いない。あるわけねーだろとは言えるはずがなく、そんな弱気な発言に落ち着いた。
しかし、それすらも映姫は気に入らなかったらしい。正義とジャスティスが友達のような熱血脳だ。修造チルドレンのような熱い咆哮を期待していたらしい。
映姫は厭らしくも、最も痛いところを突いてきた。
「……教習が延びたら延びただけ、授業料がかさみますよ」
「ぐ……」
そう、この教習には授業料というものが発生している。強制だ。初日に入学金、教本代、諸費用として新社会人の初任給の半分くらいの金額を徴収されている。そこから更に一回の実技教習毎にセレブなランチを洒落込めるくらいの金額が強奪されるのだ。
最短ルートで卒業せねば、どんどんお金をドブに捨てることになる。従順に、どこかおかしな教習項目をこなさなければいけなかった。
ちなみに、教習代として徴収した金銭は是非曲庁の運営資金に割り当てられるらしい。どう考えてもこれが狙いだろ。
「よろしく……お願いします」
「もっとやる気のある声で」
「よ・ろ・し・く・お・ね・が・い・し・ま・す!」
「はい、よろしくお願いします」
疲れる……。
始まって間もない教習に、既に精神をごっそりと擦り減らされていた。
「どうもあなたは弾幕勝負に対して独自の理念を持っているようですね」
ネジの吹っ飛んだ教習所から見れば、どんな一般論も独自の理念と変わり果てるだろうよ。
「……ヘイ。ハズカシナガラ」
魔理沙、ちょっと成長した。
「うーん……まぁ、あなたは弾幕勝負において顕著な実績を持ってますから、弾幕に関した飛行訓練は免除してもいいでしょう」
「まりさ、うれしい」
「……なんでカタコトなんですか?」
「そんなことないぜ」
危ない危ない。このずれた堅物を怒らせたら面倒だ。理不尽な権力の横行に心の中で罵詈雑言を浴びせながらも、表面上はやる気を滾らせた良き生徒の表情を貼り付けていなくてはいけない。なかなかヘヴィな仕事だった。
怒らせたら霊夢並みに怖いからな。
「あ」
そこで、ふと思い出した。
「そういや、霊夢はどうなったんだ?」
「あなたが逃げた後、偶然通りかかった十六夜咲夜がレミリア・スカーレットに報告したところ、レミリア・スカーレットが慌てて永遠亭へと運び入れました」
「咲夜、鬼だな……。吸血鬼の方が人間味溢れてるじゃないか」
「全く……私の忠告を未だに理解していないようです。聞くところによると『優しく生きるため、お嬢様に報告しました』とのことです」
背筋が凍えた。それじゃあ何か、映姫の忠告がなかったら放置してたってことか。あいつ、天国は行けないな……。
「プチュンッ」
「あら咲夜、風邪?」
「失礼しました。いえ、咲夜は元気ですわ」
「ふーん、ならいいけど。人間は弱いんだから、気を付けないとダメよ?」
「お気遣い、痛み入ります」
「弱いと言えば、霊夢よ霊夢。空から落ちたくらいで怪我するなんてね。おかげで私は霊夢のことべたべた触れたからいいんだけど。教えてくれてありがとうね、咲夜」
「とんでもございませんわ」
「で、霊夢の容体はどうなんだ?」
「ええと、あなたとぶつかった時の衝撃で服の一部が破れたみたいです。それと、地面に倒れた際に服が汚れたと喚いていることと、極度の栄養失調です。あとは、冬にも関わらず腋を出していたので風邪を引きました。胸もペッタンコです」
「それ、ほとんど私の所為じゃないんじゃないか? 放っておいてもその内永遠亭に担ぎ込まれただろ……。最後のなんて特に関係ないし」
「そんな霊夢は、あなたに対し損害賠償を要求しています」
「当たり屋かあいつは!」
「冬の間、あんたがうちの食事を作ること。買い物もよろしくね、らしいです」
「……ずいぶん現実的な損害賠償だな」
というか、最初からこれが目的だったんじゃないのか。
「まぁいい。ちゃちゃっと――じゃなくて、教習の方よろしくお願いします」
「はい、頑張っていきましょう」
地獄の特訓が始まった。
「さぁ、あなたはこれから箒に乗って外に出かけます。まず最初にすることは?」
「箒の前後左右に赤ん坊、もしくは動物が隠れていないか確認」
「箒に乗りました。発進する前に?」
「尻に力を入れて箒を挟み込む」
「今日は晴れていて見通しも良いです。しかし――」
「隕石が落ちてくるかもしれないことを忘れないで、定期的に遥か上空を見上げる」
「本当に落ちてきたらどうしますか?」
「緊急事態なので、バランスを取って箒の上に立ち、マスタースパークで隕石の破壊を試みる」
「破壊できなかった場合は、ファイナルスパークの使用も許可されます。ただし、周りに人がいないことを十分に確認してくださいね」
「もちろんだ」
「ふむ」
教官ノートにカツカツと教習内容を書き込む映姫の表情は悪くない。
段々とコツも掴んできた。ちょっとずれたことを言えばいいのだ。
「学科の方は問題なさそうですね。さすがです」
「そらどうも」
褒められて嬉しくないというもの貴重な体験だった。
「ただ、実技の方はどうにも芳しくないですね。どうも速度を出し過ぎる傾向にあるようです」
「とは言ってもな、あれでもだいぶ抑えてるんだぜ?」
「ふむ……こればっかりは、個人に設定された性能というものがありますからね。難しいところではあるのですが……そうだ!」
「んぁ?」
映姫は、閃いた! とばかりに手を叩いた。
「L1を押しながら飛行してみてはいかがでしょう? きっと速度が、ぐっと下がると思うのですが」
「……こうか?」
「やった! 遅くなりました! これで初心者の方でも安心です!」
「……誰に向けて言ってるんだ?」
そんな感じで教習は続いた。
数週間後。
そこには立派に卒業証書を携えた私の姿がいた。
「教官、短い間でしたがお世話になりました」
「あなたが卒業する日が来るとは……ふふ、ちょっと感動してしまいました」
目尻に涙を浮かべる映姫。
そんな映姫とは対極に、私は一刻も早くこんなところからオサラバしたいと感じていた。
「それでは魔理沙、これからはきちんと交通ルールを守って飛行するのですよ」
「ヘイ」
「映姫様」
感動(?)の別れの最中に、映姫の部下である小野塚小町が割り込んできた。
「なんです小町? 今取り込んでるところです」
「ほら、例の生徒さんが来たから、魔理沙が行っちまわない内に顔出させた方がいいと思って」
「ああ、そうですね。こちらに連れてきてください」
「わかりました」
一刻も早くオサラバしたいと言っただろうが。いや、言ってないけども。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「ええ、実は今日から教習を始める生徒がいまして、卒業第一号であるあなたから一言アドバイスをしてもらおうと思いまして」
え、私って卒業第一号だったの?
「映姫様、連れてきました」
「ごくろうさま。下がっていいですよ」
「はい、失礼します。ほら、あとは映姫様が面倒見てくれるから」
「ちょっとー、なんなのよもー」
小町が連れてきた人物、それは――
「霊夢!?」
「あ、魔理沙じゃない。久しぶりね」
教習所に通う羽目になった原因である、博麗霊夢だった。
「あ、えと……胸がペッタンコだって聞いたんだが、大丈夫か?」
「はぁ?」
「悪い、間違えた。えぇと、私が悪い部分……ああ、服が破れたって聞いたんだが、大丈夫か? そもそもこれって聞くようなことか?」
「なんだかわからないけど、大丈夫よ。問題ないわ。でも、気を付けてよね、当たった時は結構痛かったんだから」
「悪い悪い。今度キノコでも持ってくよ」
「それは別にいい」
おいしいのに。
「それはそうと、なんで霊夢がここに?」
霊夢は溜め息を吐きながら答えた。
「バレちゃったのよ」
「バレた?」
「飲酒運転です」
ピリピリとした映姫の声が割り込んできた。
「事情聴取の際、あなたは言ってましたよね。ふらふらと霊夢が飛んできた、と。もしやと思って調べたのですよ。案の定、霊夢は飲酒をしていました。結果、判断力低下によるハンドル操作ミス。あなたとの衝突を避けられなかったということです」
酒飲んだら飛んじゃダメなの? ハンドル操作ってなんだ? 霊夢のことペッタンコって言うけど、映姫も似たようなもんじゃんじゃないの?
色々な疑問が頭に浮かぶ。
「え、それってつまり……?」
「あなたの過失は五割だったってことですね。免許停止になるほどではありませんでした」
「なんじゃそりゃぁああ!?」
思わず叫んだ。
「てことは何か? 私は受ける必要のない理不尽で意味のわからん教習を何週間を受けさせられてたってことか!?」
「結果的にそうなります。ですが、あなたがこれまで学んできたことは決して無駄にはなりません。実際、スピード超過違反による人身事故を犯したことには違いはないので、どの道、ある程度の教習は必要でしたよ」
納得いかない。が、ここでこれ以上揉めても何の益もない。非常に腹立たしいが、ここはぐっと堪えて、さっさと立ち去るべきだ。
「――ち、そんじゃあお世話になりました!」
そう吐き捨てて箒に飛び乗る。
「二度とくるかバーカ!」
ぴっ、と懐から一枚のスペルカードを取り出し、声高々に宣言した。
「彗星・ブレイジングスター!」
後日、私は星のポイ捨て現行犯による免許停止で、再び教習所に通うこととなった。
もうどうにでもなれ。
了
こう、作品全体から作者の抱える苛立ちが伝わってくるようなSSでした。
映姫様は国家権力の権現か!
ついでに。誤字かな?
「シピード制限とかあんの!?」
自虐ネタって……やっちまったん?www
まぁ俺も……ww
去年、簡易裁判受けたよ
罰金、その他諸々で30万近く払ったなw
まさに弾幕「ごっこ」ですねww
なんか、いつのまにかギャグもだいぶ成長なさっているように感じました
(偉そうに聞こえたならすみません、もちろんそんなつもりはないです)。
笑わせてもらいました、面白かったですww
イーノックがまぎれこんでたような…。
そうでなくとも危険な運転はしたくないものですね。特にこの時期。
あとすみません、何とも気になってしまったので、揚げ足取りかも知れませんが指摘を。
> 早いとこオコタに入って
御+炬燵 だと思いますので「おコタ」の方が自然かなあと。
> パニくった。
panic + ~になる だと思いますので「パニクった」の方が自然かなあと。
投稿した直後に気付いて、2分以内に直したのにもう指摘されてる!
KASAさん、スピードが足りすぎてますw
>5
やっちまった……んです……。
お互いキズをペロペロしましょうか……。
>酉さん
安全運転大事、ですね。
>免許が停止される程度の能力さん
私の場合、そこまで一大事ではなかったんですがw
お疲れ様でした……。
>8
やったー! やっぱりL1が一番いい場所ですよねー。
>奇声を発する程度の能力さん
車は武器になりうるものですからねー。
>23
ふ、不夜城とはなんの関係もありません。
ありませんったらありません。
>26
ありがとうございました!
>がま口さん
うーん、おそらくマニュアル?
>mthyさん
おぉ~、そう言ってもらえると素直に嬉しいですw
「ここをこうした方がいい」などの意見もどんと来いなので、何かあれば是非よろしくお願いします~。
>34
幻想郷だって、現実はこんなもんなのです……くっ……!
>36
確かに、そっちの方が自然ですね。直しておきます。
ご指摘ありがとうございます~。
『急に猛烈な便意に駆られた際、括約筋に力を込めつつ前方の安全確認を怠らない』
↑これ重要ですよね。もしこの時に事故を起こしてしまったらケガはなくても死ねる(社会的に)